【南の風2021】4241号〜4270目次一覧
4241号【4月27日】91韓国フォーラム、杉並安井家資料データ、潮平正道さんへの弔辞、歳月を重ねて
4242号【5月 2日】
3回編集会議、やんばる執筆者、研究会感想、 4・28屈辱の日、美酒御礼
4243号【5月 7日】総会日程、やんばる通信(葛草庵)、祖国復帰闘争碑修復、田嘉里共同売店、ワクチン
4244号【5月14日】4月定例会報告、八重山「崎枝の宝物」、大都市研究・回想4、非正規公務労働者Web調査  
4245号【5月18日】千野陽一先生は永遠(上海より)、先生ご逝去の報に接して、千野陽一さんを偲ぶ・写真
4246号【5月21日】5月定例会・中国研究、韓国フォーラム、NHK夜間中学教師、東京江東、千野先生追悼
4247号【5月24日】韓国フォーラム(92)報告、かわさき市民ネット、眉屋私記の文学碑、幼稚園長満了、町田
4248号【5月30日】2021総会、大都市研究の集いコメント、エリック・カール、平敷屋エイサー、アカショウビン
4249号【6月 2日】5月(281)研究会記録、八重山ハーリー中止、『沖縄社会教育史料』在庫か、6月研究会案
4250号【6月 7日】6月研究会テーマ、東京学芸大学と名護の連携、5月定例(会を振り返って、町田とびたつ会
4251号【6月10日】総会再案内、大学の再建・近況報告、祖国復帰闘争碑(国頭辺土岬)復帰記念碑に思う
4252号【6月15日】6月定例研究会、2021年度総会報告、多様な学びの場を、大都市研究と交流の集い
4253号【6月19日】川崎市子ども権利条例20周年、福岡、オホーツク、沖縄から筑豊ーその谷に塔を・服部団次郎
4254号【6月23日】定例会、韓国フォーラム、高橋竹山、仲宗根政善『ひめゆりと生きて』、沖縄慰霊の日
4255号【6月26日】維持会員、韓国フォーラム、渋谷、町田、軍夫の沖縄、大都市の集い原稿、ひとすじのライン
4256号【6月29日】6月定例会報告、93回韓国フォーラム、八重山マラリア悲劇・朗読会、片野親義さんの訃報
4257号【7月 7日】ホームページ初版、札幌夜間中学説明会、大都市集い原稿、海中道路、御塚隆満さん逝去
4258号【7月11日】7月定例会、年報編集会議4、映画こんばんはU、八重山共和国、ホームページビルダー御礼
4259号【7月20日】『沖縄社会教育史料』セット販、とびたつ会、与那国凧、ながいご無沙汰、西表に沈む落日
4260号【7月28日】韓国に学ぶ定例会、武蔵野市で自主夜間中、反ワクチン陰謀論、「由布の里自由大学」受け入れ
4261号【8月 1日】7月研究会報告、渡韓ご挨拶、高知の公民、地域の慰霊碑、由布自由大学、韓国から学ぶ機会を
4262号【8月11日】協同総合研究所、御塚隆満追悼、町田、与那国島を舞台に、安和誌(名護)、久留米大空襲
4263号【8月17日】年報順調、「慰安婦」証言30年、大都市原稿、波照間公民館、魚沼近況 上野英信文学碑
4264号【8月22日】やんばる、安和誌評、夜間中学スピーチ会、とびたつ会、川崎と富川、対馬丸悲劇77年、
4265号【8月31日】城エイサー、『世界に学ぶ地域自治』、宮良ルリ逝去、大都市研究6、前号添付もれ・お詫び
4266号【9月 9日】26号入稿、新ソウル風2、とびたつ会、訃報今村勲氏、馬は帰ったか、色川さん死去・想い出
4267号【9月14日】9月定例じんぶんヒストリー6、維持会員、沖縄県子どもの貧困対策、「維持会員」制ご協力を
4268号【9月19日】年報26号九一八刊行、主要目次一覧、沖縄と色川大吉 ,じんぶんヒストリー6、名月に月餅
4269号【9月23日】年報特価、じんぶんヒストリーレジメ、渋谷区放課後クラブ、南の島の「人渇き」、研究史ノート
4270号【9月27日】じんぶんヒスト6報告、旧講師を囲む会、若きアーティストたち、八重山、その後の学大研究室

南の風4271号〜4300号 →■(次ページ)


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の風・各号後記(ぶんじん日誌)
2021年


4270号【2021年9月27日】 

■≪東京学芸大学・社会教育研究室ーその後≫
「じんぶんヒストリ―」と名付けられたシリーズが6回目(9月24日)を迎え,東京学芸大学「社会教育研究室」(主として1980年代)について、いくつかの回想を語る機会をいただきました。またご参加の皆さんからの話も。この時代になると実際に一部体験された世代あり、懐かしいひとときでした。学習・研究の集いだけでなく、当夜の話に出たように、実にいろんな活動があり、とくに主役の一端を担ったといえる留学生のことなど、気になりました(いま連絡がとれない人が多い)。当時の「中国語学習会」で会計事務を担っていただいた(以後いろいろの役割、現在はTOAFAEC事務局長)山口真理子さんに当夜の主報告(上掲)を書いていただき有難うございました。いつまでもご苦労さま!
 あれから30〜40年が経過、さて学大・研究室の今はどうなっているのだろう、当時(奇跡的に)実現した5人の教員体制のその後は?など気になってきました。年に一度(名誉教授あて)送られてくる「名簿」では、ずいぶん変わっている感じ。あるいはすでに解体しているのでは、と気にもなってきたのです。故伊藤壽朗さん(博物館学担当)の後任・君塚仁彦さんに何度か電話したのですが、多忙でつかまらない。今は管理職で会議の連続のようでした。
 1日経って君塚さんから電話。名簿上の記載は分かれているが、特任教授一人を含めれば、かっての5人体制は「今も維持されている」とのこと。よかった!これからも頑張ってください。
 当夜、話題となった「麦笛」がつくった「お月さま」の写真はホームページ上にアップされていました。当時の麦笛メンバーとともに輝いていますので、本欄写真として掲げます。人形劇サークルOB「うそまこと」さん(ほんと!の人形劇ネーム)から寄稿あり(上掲)、有難う!、また持田津奇子さんからも一文頂いていますが、本号長文のため次号おくり、お許しを。
東京学芸大学・社会教育研究室、人形劇サークル「麦笛」の皆さん来室ー「月見」企画、すすきとお月さま(19901003) 関連→■


4269号【2021年9月23日】 
■≪ぶんじん「研究史ノート」≫  
 加齢とももに、最近は目の不調(乱視)進み、また指のもたつきままならず、風の誌面に思わぬミスがあること、ご承知の通り。しかし小さなミスは、いちいち訂正記事も出さず、、賢明な風・諸氏のご判読にお任せしてきました。ところが前号は二つのミスが重なりました。久しぶりに訂正記事を書きます。一つは前号の発行日、古い記載のままで出てしまいましたが、正しくはホームページ記録の通り9月19日。あと一つは、前号本欄2行目、「四世紀」と書いていますが、正しくは「四半世紀」の間違い。四世紀も東京学芸大学に務めるとは何と壮大なミスかと大笑い。ミスは発行作業直後に気づく場合が多く、すぐにホームページは訂正しますが、風は訂正できず、後味悪いとはこのこと。
 今回、明日の「じんぶんヒストリー6」報告レジメを「南の風」本号に載せました。ご参加できない方も「じんぶんヒストリー」内容をお読みいただけるかもと思ってのこと。いくつか文献資料もあり。学芸大学勤務時は、終盤にワープロを使う時代となりますが、まだパソコンではなく、ホームページもありませんでした。記録は紙だけ。1998年「南の風」発行時ににはパソコンを使いはじめ、ようやくホームページに、記録が残り始めます。→http://www.bunjin-k.net/oldindex.htm
 上掲しているように、今回「じんぶんヒストリー6」報告にあたって、いくつかご参考になる回想記録をホームページに載せています。(1)「社会教育研究室外史−ゼミの空間、曲折のあゆみの記録」(東京学芸大学教育学研究年報 15号、1996)、2,国立教育系大学・学部の再編問題と社会教育 bP〜3(小林「公民館の風」記事:256号〜260号、2002)。その前後に、関連する「東京学芸大学」研究室・ゼミ記録−たとえば「研究室の胎動・花が咲き始めた!(「けやきつうしん」 1987〜)など、の楽しい「通信」記録も。「研究史ノート」ご覧いかだヶれば幸いです。→■http://www.bunjin-k.net/kenkyusi2012.htm
 このページは、ぶんじん研究史にとって、すこし意味をもっていると思われる諸記録・論文等をあわせて、ホームページに一ページ(「研究史ノート」)編集し並べているもの。すこし便利に使えるページかと思います。なにかのとき、ご利用いただければ幸いです。ページをかざる写真「けやき並木」は、東京学芸大学東門への道です。懐かしい。
東京学芸大学・東門より「けやき通り」を歩く (20060524)


4268号【2021年9月19日】 
■≪年報刊行の喜び、中秋名月に月餅も添えて≫
 今年の年報26号の編集・発行については、なぜか例年になく気になっていました。四半世紀を超えた歳月、財政的援助をどこからも受けず独立自存の精神、しかし学会や大学等でも難渋する「東アジア」年報を、すべて(中国語・ハングルを)日本語に置き換え、一定の水準を維持しつつ、継続的な出版を維持できるかどうか。一方で自力で刊行を続けてきた歩みへの自負。しかし他方でコロナ禍、集まることさえできず、取材・フィールドワーク・日常の写真記録すらままならない昨今。「やんばる対談」もできない寂寥感。そんななかでの年報刊行なのです。去年は3か月遅れでやっと年報は世に出ましたが、さて今年はどうなるか、など息をのんで見守ってきた思いでした。
 編集委員会の力量、経費的に支える「維持会員」の心意気、見守り声援を送っていただく「南の風」各位、いろんなエネルギーが相重なって、26号は世に出ることになりました。まさにお祝いの乾杯!といきたいところ。本号は少し余白がありますので、目次一覧・主要部分を上掲しました。南の風メンバーと言えども、年報を手に取ってみる機会はなかった方も一部にあるように思われたからです。ぶんじんの雑然とした本棚にも、「東アジア」年報26冊だけは整然と並んでいて頼もしい。小さな取るに足らない弱小記事・論文でも、バックナンバーとして重なれば、これから歴史的に大きな力を発揮することになります。あらためて図書館等での保存・蔵書を求めていく必要がありましょう。
 9月は中秋の名月。中国の故事では、お月さまと並んで「老師」は「月餅」をいただく慣わし。本号を書いている途中、懐かしい中国留学生から「月餅」が届きました。台風一過、秋風さわやか、いいお茶も用意し、すすきのかわりに「年報」を飾って、明日・明後日の名月を「月餅」で楽しみましょう。金曜日夜は「じんぶんヒストリー6」(第284回・定例研究会)、皆さんとお会いできることが楽しみ。


4267号【2021年9月14日】 
■≪TOAFAEC「維持会員」制度にご協力を!≫
 台風14号、南の八重山・与那国島を襲って、いま東シナ海にとぐろを巻き、これから日本列島をうかがう気配。ご用心を。
 TOAFAEC「維持会員」(一口1万円)について、川崎の北條秀衛さん(もと市教育長)からお尋ねあり「お役に立つことがあればご協力させてください」(上掲)と。ありがとうございます。また南の鹿児島大学・農中至さんは沖縄・奄美研究に関心あり、今後のことを含めて協力を呼びかけているとことろ。なにしろ子ども時代からの旧知の間柄、きっと参加してくれる?と期待しています。
 北條さんメール(感謝!)を受けて、事務局長山口真理子さんから「維持会員」について概略の説明をいただきました。短文かとおもいきや、私たちの研究会概要を含めて長文の本格的な説明文。実はもっと長い添付ファイルですが、中心のところにしぼって、上に掲載しました。皆さま、これまでの歩みをさらに持続・発展させていくために、維持会員制へのご協力、よろしくお願いします。
 実はホームページには、歴史的な経過を含めて「維持会員」制や「常任委員会」年報「編集委員会」の四半世紀の経過記録ページあり。この機会に整理。雑然と詰め込んでできた歩み記録を(この一両日かけて)歴史経過と現行の二つに分け、読みやすくしました。これまで通り、ご協力各氏のお名前も掲げていますが・・ご覧ください。もし氏名掲載を控えるべきであれば、その旨、ご一報願います。
〇現行役職・編集委員・維持会員→■http://www.bunjin-k.net/toafaec.htm
〇これまでの歩み・歴史経過資料→■http://www.bunjin-k.net/history2021.html
 9月最終金曜日(24日)夜、「じんぶんヒストリー」第6回(第284回)研究会です。「大学の改革と社会教育」といった視点で、東京学芸大学「社会教育研究室物語」について、半世紀前の歴史・想い出(の一端)をお話しする予定。どなたもご参加ください。久しぶりにお会いしましょう。コロナ下、ぶんじんはまだ生きています。

4266号【2021年9月9日】 
■≪色川大吉さんの想い出≫
 色川さんが亡くなられました。享年96歳。「学徒動員」の世代だから、ぶんじんより一世代上の戦争体験。戦後に『明治精神史』(1964)はじめ、「五日市憲法草案」発掘、『ある昭和史ー自分史の試み』(1975)など、いつまでも忘れられないお仕事・フィールドワーク。朝日「天声人語」(9月8日)も印象深く書いています。
 「月刊社会教育」にも関連させて想い出を一つ。色川さんは戦後一時期、世田谷・烏山で活動(演劇?)されていた時期があり、同じ烏山で本屋を始めていた私の叔父夫妻と「青年・色川」の出会いがありました。色川「ある昭和史」に短く登場します。同じ烏山で活動していた旧演劇青年の告別式の夜、ぶんじんも居合わせて、叔母はせまい本屋の食堂でスキ焼を用意、色川さんと初めて鍋をかこんで語り合った夜がありました。ちょうど五日市憲法草案発掘フィールドワークの時期か。このことは別テーマで触れたことがあります(「旧ハルピン高等女学校のチブス事件:南の風第3563号 2015年10月6日)。ホームページ・自分史メモ1 →■http://www.bunjin-k.net/jibunsi.htm
 色川さんの東京経済大学と東京学芸大学は、中央線をはさんで至近の距離。武蔵小金井駅が共通の最寄り駅。その後なんどか駅で顔を合わせました。研究室を訪ねる約束は果たせず・・・。1973年6月から「月刊社会教育」編集長となり、次に会った機会に早速、原稿をお願いしたのでした。当時の編集長は(今と違って)各号全企画の提案・原稿依頼に権限あり(激務!)。待ちにまった機会!意気込んで色川さんに頼んだのですが・・・色川さんは意外と消極的な反応。「一度だけだよ」と念をおされ書いてくれた原稿が <かがり火>「日本の民衆憲法、タイへ!」(1974年5月号)。「月刊」は原稿料の魅力もなく、その後は,一度も書いていただく機会がなかったのです。しかし色川さんのお仕事は、地域・民衆の歴史と社会教育に深く深く関わって色あせるところがありません。心からご冥福を祈ります。

4265号【2021年8月31日】 
■≪前号・添付漏れお詫び、名護市城区エイサー≫
 あっという間に8月も終わりとなりました。南の風もだんだんと勢いをうしない、前号から10日近くが経過。お許しください。とくに前号では、添付すべきファイル2点(1、「夜間中学卒業生等スピーチ大会ご案内・9月23日予定、2、町田とびたつ会ニュー・8月22日号)の添付作業を失念。本文「4264号」のみ配信作業を了えた時点で気づきましたが、時すでに遅し。たいへん失礼しました。ファイル添付した号では必ず戻ってくるメール数人あり、できるだけ添付無しの「南の風」配信の習癖がしみついているのです。本号で、追っかけて添付?とも考えましたが、名護から興味深い(コロナ下の)「エイサー」写真が届きましたので、甘えて割愛することに。風が「だんだんと勢いを失いつつ」ある何よりの証左!とお諦め下さい。名護市城区・渡口裕さん、メールと写真(下掲)、有難うございました。
 1週間ほど前、北海道の内田和浩さんより『世界に学ぶ地域自治』(学芸出版社、8月8日刊)をご恵贈いただきました(上掲)。韓国「行政と住民の協働によるマウル共同体づくり」の執筆。また奇しくも同日、南の農中至さん(鹿児島大学)より、北部九州産炭地社会教育史、上野英信「筑豊文庫」「占領下奄美・沖縄の青年団」等についての諸論稿を拝受しました。旺盛な執筆活動なによりのこと。とりあえず電話でお話しましたが、近くまた、TOAFAEC「維持会員」へのお誘い等について,お願いする予定、その節はどうぞよろしく。
 東大院・松尾有美さんは韓国安着とのこと(メール拝受)。新しい「ソウルの風」を心待ちしています。本号所収のメールは「新・ソウルの風」1,としましょうか。ご活躍を祈ります。■旧ソウルの風
 中断していた「大都市社会教育研究の系譜」(メモ書き)を再開しました。『大都市・東京の社会教育−歴史と現在』刊行(2016)までの研究史を5〜6回ほど書き継ぐ予定です。

▼名護市城区エイサー(20210820)  
 *城区・名護城を遙拝するアパナクでのエイサー。毎年、城区のエイサーはここから始まる。


4264号【2021年8月22日】 
■≪年報26号、刊行へ向けて ≫
 今年度のTOAFAEC 年報26号、予定原稿もなんとか揃って、いよいよ最終段階。執筆者校正を終わって、編集委員会による最終チェックの段階となりました。あとひとふんばりですね。昨年はコロナ騒動で刊行は12月へずれこみましたが、今年は例年通り9月18日(九一八)発行が確実となり、ご同慶の至り。ページ数も昨年とほぼ同じ規模(300ページ)とのこと。編集委員あてに李正連編集長より届いた一昨日のメール、次の通り。
 「編集委員の皆様、お世話になっております。李です。皆様のご協力で年報26号も無事に出せそうです。執筆者・訳者校正が終わり、これから編集者校正に入りたいと思います。・・・編集委員でない方にもご連絡させていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。・・・校正過程で気になったところなどを確認し合う編集委員会を8月25日(水)20時からZoom(URL)で行いますので、是非ご参加ください」と。皆さん、ご苦労さま、頑張りましょう。
 コロナ蔓延下、この2年、沖縄にご無沙汰。ところが島袋正敏さん(葛草庵)メール(上掲)によれば「・・・県外からの行き場のない人々が「やんばる」の海岸、砂浜を埋め尽くしています。」(8月22日)とのこと。イヤハヤ! 来年の「やんばる対談」はぜひ実現したいもの、と電話で語りあいました。やんばる対談・例会場「葛草庵」では、参加人数が増える年にはテントが張られたものでしたが、いま新しく本格的なテラスが造られたとのこと。年報26号向けに山田沙記さん(名護博物館)から送っていただいた写真のなかに、最近の「葛草庵」の庭の1枚、新しいテラスがにぎやかに始動中。来年の対談では、ぜひテラスで、やんばるの風に吹かれたい。

名護底仁屋・葛草庵の庭にテラス新営 (2020年12月)



4263号【2021年8月17日】 

■≪越後と名護の出会い懐旧、上野英信文学碑≫
 久しぶりに新潟県魚沼市から森山丈順メール、有難うございました。皆さんお元気そうで何より。新潟県については、2001年夏に聖篭町で社会教育研究全国集会が開かれ、その翌年、沖縄・名護集会が予定されていた関係もあって、沖縄から島袋正敏、平良研一、そして中村誠司ほか各氏が多く参加。翌年の名護集会で刊行しようと『おきなわの社会教育』(2002/エイデル刊)編集会議を越後堀之内の「あゆ」宿で開いたことがありました。このとき小林富美も参加したいと(ぶんじんは窮屈でした)。川崎市OBの星野さん、学大出身の森山の両氏が宿を用意してくださって、賑やかな夜となり、盛んに歌をうたい森山くんは確か笛を吹いてくれた思い出。
 ちょうどエイデルから『世界の社会教育施設』を刊行したばかり。担当の出版部・長谷さんが出張してくれていましたので、帰路は彼の車で、長岡市内の小学校へ。話題の「学校の森づくり」実践現場を訪問。山之内義一郎校長と出会ったのも旅の収穫(写真下掲ー門の脇の小さな空間、地域でどんうりの芽を育て、子どもたちが木を植えた)。
 本号にはあと一つ。日頃あまり風には登場しない(しかし永いお付き合いの)名博物館長・文化課長の比嘉久さんが、この7月で退職の由。書簡でご挨拶をいただきました。一部「風」本号に転記(上掲)。1995年頃からのお付き合い。ぶんじんは学生ともども、いろいろとお世話になってきました。名護博物館を定着させてきた中心的なお一人。上野英信「眉屋私記」文学碑が字屋部(久さんは屋部の出身)「渡波屋」(「眉屋私記」は「渡波屋」の情景から始まる)に建立された由。「眉の清らさぞ神の島」と。次の名護行きは、まず屋部に寄りましょう。電話で、これから「南の風」に健筆を!とお願いしておきました。乞う!ご期待。

長岡市立・川ア小学校・正門わきの「学校の森」(右より島袋、山之内校長、小林) *文献『森をつくった校長』(春秋社2001)


4262号【2021年8月11日】 
■≪8月11日・久留米大空襲≫
 
本号発行は10日ぶり。だんだん間が遠くなる。こうして「風」は消えていくのだろう、そんなことを思いながら、本欄を書いています。実は本日「8月11日」にもこだわりがあり、発行を数日延ばしました。故郷の久留米大空襲(1945年)、終戦わすか4日前、少年B は旧制中学2年でした。8月は祈りの月。6日広島、9日長崎に続いて、11日久留米も忘れられない日なのです。ずいぶん前に、この日の思い出を風に書いたことがあります。ホームページ記録を。→◆http://www.bunjin-k.net/jibunsi.htm
 掲載がおそくなりましたが、上平泰博さん、ワーカーズ(協同総合研究所)を退任されたとのこと(上掲)、お疲れさまでした。というより大任を終えられて、おめでとうございます(定年退職された方にはお祝いを言うことにしています)。若いころ児童館で躍動されていたイメージが強く、大きく転身しながらのワーカーズ専務理事としてのご活躍、最近の沖縄等へのフットワークを含めて、お見事!
 「労働者協同組合法」の施行日が来年10月1日決定とのこと。ワーカーズ法の制定は「20世紀末に成立した NPO法のときより、もっと大きな衝撃を日本社会に与え、じわじわとパラダイムシフトされていくだろう」と。折をみて一度お話を聞きたいもの。
 この間、1998年から続いてきた「大都市社会教育・研究と交流の集い」(いま休会中)の歩みについて、小論(年報26号原稿)をまとめました。江頭晃子さんから校正ゲラが届き、共同執筆8氏に送りました。どうぞよろしく。これまでの研究系譜をたどると沖縄・東アジアのテーマと並んで「大都市」研究を追求してきた歩みがあることを最近あらためて自覚しています。次号に書きます。

7年前の上平泰博さん(20140113、東京社会教育史編集)


4261号【2021年8月1日】 
■≪韓国から学ぶ機会をひろげたい≫
 金曜日夜の7月定例(第283回)研究会、韓国・平生教育の動き(世宗市のマウル教育共同体事業)から学ぶかたちで、お互いに議論をかわすいい機会となりました。韓国の動きを知らない学会メンバーや市町村社会教育関係者にもこのような機会が少しづつ拡がればいいなと思いました。
 呉セヨンさんから長文の当夜記録→■が送られてきました。研究会が終わって、ようやく半日が経過した昨日の午前! 有難うございました。夜を徹したのでは、と恐縮しています。その添え書き、次の通り。「・・・呉世蓮です。昨日の研究会は大変お疲れ様でした。我々の韓国フォーラムの金さんの発表で、とても有意義な時間でした。金さんの発表の報告を書きましたが、うまく書けたのか心配です(^^;とても緊張しながら書きました(^◇^;)/」とのこと。
 TOAFAEC研究会では、毎回の研究会記録を毎回どなたかに書いていただく慣わし。第50回(2000年〜)あたりから定着してきました。欠席した人、遠方で参加できない方、とくに日本語ができる海外の留学生などと研究論議を共有しようという思い。沖縄や東京、韓国や中国の各研究フォーラムについても、すべて記録を残し、各記録はそのままホームページに収蔵してきましたから、いまや膨大な資料群。今後どのように活用されるかも楽しみです。2002年(デジカメ普及)頃からは写真も1枚添えて。今回は、当夜の報告者・金亨善さんの笑顔を韓国フォーラムの記録からトリミングして掲げました(下掲)。キムさん、良くなければご一報を。すぐ下します。
 本号にも「わたなべみきお」さんの一文(Facebook)を再録しました。前号「由布の里自由大学」についての本欄コメントへのご返報。福岡油山の寓居について回想、お互いに懐かしい思い出。コロナ禍が明けたら訪問したいところの一つ。
金亨善さん(東大院、20190525・風の部屋)


4260号【2021年7月28日】 
■≪韓国に学ぶ7月定例会

 本号も1週間のご無沙汰。申しわけありません。明日の金曜日夜・7月定例研究会「再案内」投稿を山口事務局長から頂いて、あわてて本号を編集、皆様にお送りしています。期待の韓国フォーラム・金亨善さんのご報告。いま韓国「平生学習」「地域マウル活動」の躍動から学ぶところ大! 金亨善さん(東大院)は韓国に帰省中とか。ズームならではの研究会ですね。終わりわずかでも時間をとって、年報26号への入稿状況確認にあててはどうでしょうか。例年この時期「暑気払い」、イーストビレッジで乾杯できないは残念ですが、久しぶり、皆さんとお会いできること、楽しみです。ご参加お待ちしています。
 ところで、皆さんご存知の「わたなべみきお」さん(学芸大学院・小林ゼミ卒、(滋賀県)愛荘町図書館長・教育長を経て、和歌山大学付属図書館長、退職後は郷里・大分で「由布の里・自由大学」づくりを提唱、いま鋭意取り組み中)Facebook投稿が連日活発です。「由布の里自由大学」については、昨年10月末に南の風でご紹介しました(風4195号ー2020/10/28など)。その後も連日活発な長文投稿、読み応えあり。一度「由布の里」に行ってみたいと思いながら、コロナ禍で自由に動けず残念です。数日前にいよいよ「自由大学」への受け入れ案(場所、宿泊、テーマなど)具体案が投稿され、「図書館塾」案とともに、風にご紹介に及びました(上掲)。こんごどんな展開になるのか、気になります。ひとりで頑張って・・・経費のことなど、無理もあるのではないかと。息ながく、根っこをゆっくり拡げていってほしいと願っています。

4259号【2021年7月20日】 
■≪西表に沈む落日・ホームページ画像更新≫
 前号本欄「ホームぺージ・ビルダー御礼」に応えて、久しぶりに近藤恵美子さんから、懐かしの便りをいただきました(上掲)。「・・・近況なので私信として」とありましたが、多摩市の「中学校のクラブハウス」近況など興味深く、体調のこと、ワクチン接種などの部分のみ省略し、掲載させていただきました。お許しください。小林茂子さんの活発な出版活動のことも、有難い情報でした。
 「南の風」本号もまたずいぶん間延びした発行となりました。皆さんからの投稿がほとんどなく、そのもととなる活動自体もまったくないのですから当然のこと。ズームによる研究会・編集会議では、各位から丹念な報告をいただいていますが、やはり余韻は細く、また写真もなく・・・ホームページ編集でも昔の画像を探し出して、なんとかつないでいる始末。今これで「南の風」を吹き止む、というのも残念至極、間延びしながらでも、出し続けることが大事だと自らを励まし続けて、いい酒を探しているような毎日です。しかし動かなければ、いい酒にも出会わない。
 全国的に梅雨明け宣言。直ちに異常気象の続きのような酷暑がやってきました。コナ禍にあえぐオリンピック、これも異常事態。せめていつもの、さわやかな夏の気分を取り戻そうと、ホームぺージ表紙の写真を更新しました。南・竹富島の西桟橋付近、西表(いりおもて)に沈む落日、15年ぐらい前の写真です。あの頃、竹富島に着くと、いつも日本最南端の地域博物館・喜宝院蒐集館に故上勢頭芳徳さんを訪ね、缶ビールを数個もって、夕べの海の風を楽しんだものでした。阿佐伊孫良さんも今は亡く、はるか遠い南の島となってしまった。しかしこうした画像から、懐かしい島の歌の調べが聞こえてくるようです。芳徳さんは何度も「風の部屋」に泊まっていただきました。ホームページに追悼ページをアップしています。■ http://www.bunjin-k.net/usdotuitou201703.htm
竹富島の友人たち。左より狩俣恵一(沖縄国際大学)、上勢頭芳徳、小林、阿佐伊孫良、前本多美子ほかの皆さん(竹富島0802,)


4258号【2021年7月11日】 
■≪ホームページ・ビルダー御礼≫
 前号の冒頭記事「ホームページ初版」(1997年)について興味をもたれた方あり、復元してよかったと思いました。あの頃は和光大学。同・最終講義で、「私の第二の青春」と御礼を申し上げた記憶。そのきっかけは案外とホームページで遊んだことかも、と思うところがあります。当時60歳代の後半。
 しかし、ホームページ初版の復元記事(前号)は、石川さん指摘のように、付記URLにミスあり(一文字脱落・・・なぜか分からない)そのまま飛べません。失礼しました。正しくは→■http://www.bunjin-k.net/oldindex.htm 。
 久しぶりに読んで、なんと拙劣!なページ。このかたちで6年間もよく続いたものだと恥ずかしくなります。当初は全く手づくり、飾りも壁紙も写真もない、同じフォントの文字で、数か月おき「追加記事」を、ずらーと並べただけ。ただこの時期、「南の風」そして「公民館の風」発行や、上海との研究提携・学院「合作」構想など新しいニュースは、いま読み返してみて興味深いところがあったのかも。
 当時、新しく発足した中央大学・大学院ゼミを一つ担当していましたが、その忘年会かお別れ会で、ぶんじんホームページの貧しさを憐れんでいた皆さんから,IBMホームページ・ビルダー(ソフト)を頂戴しました。有難く拝受。すぐには使えず。やっと活用できるようになって現行トップページ原型が生まれたのでした。一度使うと他のビルダーに動くことができない、その後20年の歩みが続いてきたという経過です。当夜の写真も探し出すことができました。懐かしい近藤恵美子さん(日本公民館学会・創設事務局メンバー)や、小林茂子さん(移民研究、「南洋群島の教育史」)ほかの皆さん、あらためて御礼、有難うございました。
中央大学大学院ゼミお別れ会(近藤恵美子さん、小林茂子さんなど、2001/12/12)


4257号【2021年7月7日】 
■≪御塚隆満さん逝去≫
 今宵は七夕。永年、七月は「七夕の集い」で楽しんできましたが、昨年はコロナでダメ。今年は話題にさえならず。この間、パソコン不調。いつも木村雅俊さんにお出まし願って乗り越えてきた歳月でしたが、コロナ禍で連絡も控えていました。しかし不具合はひとりで解決できず、とうとう七夕の日にお願いして、やっと風・本号の発行に漕ぎつけた次第。なんと8日ぶりの「風」。皆さんにご心配かけました。パソコンに詳しい石川敬史さんには、急な電話でお騒がせ、お許しください。
 上掲・岡幸江さん(九州大学)メールにあるように、福岡から御塚隆満さんの訃報。入院されていると聞いて心配していました。千野さん、片野さんに続く悲しい知らせ、残念です。あらためて、E.ジェルピを招いた折の記録、『生涯教育のアイデンテイテイ』(エイデル、1988)の福岡・御塚報告を読みました。いい文章です。得難い人でした。振り返ると50年来のお付き合い。TOAFAEC の皆さんとは直接の出会いはありませんでしたが、一人息子の伸也くん夫妻(ぶんじん媒酌)は七夕の会の常連だった一時期がありました。もうお葬式も済ませられた由、電話でお悔み申し上げました。下に福岡・研究会(あるいは九大・松田ゼミか)2003年5月の集い写真を掲げました。珍しく亡妻・富美(後列中央)も一緒でした。
 ついでにご報告。ホームページには各氏「追悼」ページを設けてきました。また小川利夫・横山宏・黄宗建・伊藤長和など7氏には別ページを。ここに小林富美のページをとの声あり。このほど山口真理子・江頭晃子お二人の協力もいただき、ようやく(未完成ながら)アップしました。あとすこし写真など加える予定、ご覧いただければ幸いです。→■http://www.bunjin-k.net/fumituitou.htm
中列左4人め御塚さん、前列左より門田見、松田、小林、中島各氏、横山、西、添田、山城さんたちの顔も (福岡、20030514)


4256号【2021年6月29日】
■≪片野親義さんの訃報≫
 埼玉(旧浦和)の公民館で活躍し、社会教育推進全国協議会(社全協)等で重要な役割をになってきた片野親義さん(1944年生まれ)が亡くなられました。ぶんじんよりも一回り若く、晩年は諸活動・会議等を控え、慎重に体調を維持されていたのに、まことに残念の極み。心よりご冥福を祈ります。
 「南の風」はご希望があり送信していました。在宅からくるメールはむしろ元気。また見かけも頑丈そうだったのに・・・惜しい人を喪いました。たくさんの思い出がよぎります。最初の印象的なは出会いは、やはり社全協運動。1970年代に活発な活動をはじめた「調査研究部」の初期メンバーでした。最初の共同の仕事は「学ぶ権利の保障のためにー社会教育「条例・規則」調査報告」(1973)がスタート。彼の公民館(浦和市領家)にも求められてよく行ったものです。
 最近では日本公民館学会の思い出。創設(2003)時に小林は会長を仰せつかりましたが、片野さんに副会長をお願いしました。突然のことで固辞されたのは、体調の心配があってのことか。しかし結局は引き受けてもらって、次期の理事会でも副会長を続けていただいた記憶。たくさんの学会懇親会等の写真が手もとにありますが、片野さんの画像はほとんどない。当時からすでに体調のことあり自重されていたのかと気になっています。2009年に高崎で開いた学会の懇親会。集合写真に二人並んでいる場面あり、トリミングして本欄に掲げます。ほんとに元気あふれる風貌なのにと残念です。
 25日の定例研究会・嘉納報告について、山口事務局長の長文の報告が寄せられました。詳しい内容、ご苦労さまでした。これで6月スケジュールが終わり、7月は年報編集など、私たちの繁忙期にはいります。頑張りましょう。
左・在りし日の片野親義さん(高崎、20091203)


4255号【2021年6月26日】 
■≪ひとすじのラインは消えて・・・≫
 6月の定例研究会(25日夜)ご参加の皆様、おつかれさまでした。初めての方もあり、久しぶりの沖縄テーマの研究会。もちろんご報告・嘉納英明さん(名桜大学)の熱弁、充実したひとときでした。長文の当日資料を用意くださり、初めて知ること少なからず、有難うございました。当日の記録は、山口事務局長が作成中とのことなので、ひとまず本号を発行することにします。
 コロナ禍、オンライン研究会だから参加できた方(大阪・大前哲彦さんなど)もありましたが、やはりズームは何か物足りない。喜納さんにもっと聞きたいことあり、名護との(これまでにない)研究・連携にチャレンジ中の入江優子さん(東京学芸大学)と激励の乾杯もしたかったのですが、かなわず。ズーム・オンライは、情報のひろい伝達をかなえてくれますが、お互いの心の交流・深まりまではなかなか。いつも欲求不満に終わりますね。実にあっけなくラインは消えてしまう。終わって一人で飲むワインは美味しくない。
◇ひとすじのズームは消えて梅雨の夜の 心を癒す風もそよがず(ぶ)
 実は当日午後、二度目のワクチン接種を無事に終えた日でした。いろんな症状が出る人もあるようですが、打ったところに若干の違和感を残すのみ。それも二日目にはほとんど感じない。これで、1ヶ月後のオリ・パラには東京を離れようか、天然のアユを食べにいきたい、沖縄はまだ無理かしら、など久しぶりの旅への思いを楽しみはじめています。
 本号には、中国から「維持会員」への申し出を寄せていただいた王国輝さん、大都市「研究と交流の集い」へのコメント(年報26号原稿)の末本誠さん、など懐かしい方のメールを掲載できました。

4254号【2021年6月23日】 
■≪沖縄・慰霊の日に≫
 仲宗根政善先生が亡くなられた(1995年)あと、甥の新城捷也さん(沖縄県社会教育主事)が、当時の和光大学研究室に『追悼・仲宗根政善』(1998)を持参され、しばし政善先生の在りし日・思い出を語り合ったことがありました。政善先生には歌集『蚊帳のホタル』をはじめ、手記・記録がたくさん遺されていますが、没後とくに貴重な日記を抄録するかたちで『ひめゆりと生きて』が出版されました(2002,琉球新報社)。貴重な1冊。気持が萎えたり折れたりした時、ぶんじんは『ひめゆりと生きて』を開いて、自分をとり戻すときがあります。読みながら涙がこぼれることも。今日6月23日は沖縄慰霊の日、この本を通して、政善先生を偲ぶ号となりました。
 本の口絵に「晩年の仲宗根政善氏」として、温容豊かな先生のゆったりとくつろがれている写真が飾られています。「そこに居るだけで人格の光を感じる人」とは石牟礼道子の評。同時に「あのおだやかな笑顔には、深い悲しみがかくされている」とも言われます(同書・巻末「ひめゆりの塔の記」を読む ・仲程昌徳)。私たちには、新城捷也さんを介して、先生はつねにやさしく、沖縄(とくに奄美)研究を激ましていただきました。毎年の年賀状には「捷也をよろしく」と添え書きが付されていました。それだけに『ひめゆりと生きて』にときどき表出する先生の激しさが胸をうつのでした。2011年5月,新城捷也さんも亡くなられ、ホームページに追悼の記事を掲げています。→■http://www.bunjin-k.net/archives.htm
 明後日の金曜日夜は、私たちTOAFAEC第282回定例会「戦争体験の次世代への継承を考える」(名桜大学・嘉納英明さん)のテーマ、皆さんのご参加をおまちしています。ズーム申し込みは江頭晃子さん(ringox@nifty.com)へ。
「ひめゆりの塔」 「いはまくらかたくもあらむ やすらかにねむれとぞいのるまなびのともは」(昭和21年・真和志村民一同)020227


4253号【2021年6月19日】 
■≪その谷に塔を立てよー服部団次郎≫
 数号前から、本欄ホームページに「復権の塔」(九州・筑豊)写真を掲載していました。しかし沖縄・辺戸岬「祖国復帰闘争碑」や6月定例研究会ご案内などの記事が押し合って、なかなか「復権の塔」にたどりつかない。「復権の塔」については風で前にも紹介したことがあります(風2768号、2011/11/14)。なんと10年も前のこと。「次の機会に」と書いてそのまま。気になっていたのです。
 実は先月末、福岡で『絵本・筑豊一代』(絵・山本作兵衛、石風社)という異色の出版が実現し、注目を集めています。早速に農中茂徳さんから送ってもらいました。服部団次郎さんが奔走した「復権の塔」建立と結ぶ紙芝居原板、ユネスコ「世界の記憶」遺産の「作兵衛さん」画(所在不明と伝えられていた)が賑やかに並んでいます。石風社「編集後記にかえて」(代表・福元満治)を上掲させていただきました。服部牧師は「(復権の塔)建設を訴えるために、炭鉱失業者やその家族が働く失業対策事業の現場を紙芝居を持ってまわりました。かつて 265もあった筑豊の炭鉱は、1976年にはすべて閉山してしまい、日本のエネルギーと近代化を支えた存在が忘れ去られようとしていました。服部牧師は,260回の紙芝居の公演で建設資金を集め、1982年に宮若市千石に「復権の塔」を完成させたのです」と。
 服部団次郎さんには『沖縄から筑豊へーその谷に塔を立てよ』(葦書房、1979)という手記があります。筑豊は「本土のなかの沖縄」と言われ、「炭鉱犠牲者」の人間的な復権と連帯を切々と語り、「復権の塔」へ寄せる思い、紙芝居行脚の歩みが記録されています。名護での伝道・救ライ・保育活動等も語られていて貴重です。
 本号には、珍しく南から福岡・社会教育研究会の横山孝雄さん、北のオホーツク社会教育研究会の森田はるみさんからの短信が並びました。
  ▼筑豊「炭鉱犠牲者・復権の塔」(福岡県宮若・千石公園、2011/11/13)


4252号【2021年6月15日】 
■≪大都市研究・交流の集い記録≫
 今年度のTOAFAEC 総会(6/11)は、ご参加の皆さんから率直・活発な意見が出て充実した会議となりました。何か改訂とか創設とか決まったわけではなく、形式的な議事録であれば1行で済むような経過ですが、内容ある論議がかわされて、嬉しいことでした。ぶんじんも(故千野陽一さん逝去があり)「南の風」発行もホームページ管理もいつ終わるか分からない!と乱暴なことをあえて発言し、若い世代の奮起をお願いしたつもり。真剣に受け止めていただき、感謝しています。事務局長・山口真理子さんからは「TOAFAEC の課題・維持会員の拡大」提言を含む報告が寄せられ、たいへんご苦労さまでした。
 本号では相次いで6月・定例研究会(6/25、第282回)「ご案内」を掲載する運びとなりました。嘉納英明さん(名桜大学)ズームHRL など、有難うございました。詳細はホームページに入力。→■http://www.bunjin-k.net/
 さて珍しいお名前が登場(メール・上掲)。大阪市教育委員会(淀川区教育担当)の生駒荘太郎さん。久しぶりに電話でお話しできました。次のような話の流れです。
 昨年の年報25号に、仙台市・今川義博さん「大都市社会教育・研究と交流の集い」の歴史が掲載されたこと、ご記憶でしょうか。1978年から2016年まで39年間も続いた歴史的な「集い」。大都市(政令都市)社会教育関係者(労働組合)と社会教育学会研究者が相寄る「研究と交流」の集い記録です。しかし2016年、私たちの『大都市・東京の社会教育ー歴史と現在』(エイデル研究所)が出版された年に(皮肉にも)休会状態へ。その歩みを少しでも復元しておこうと、年報編集委員会に無理をお願いし、昨年の今川レポート掲載となりました。引き続き本年度の年報(26号)に、関係者(学会と大都市の関係者それぞれ数人)に小論執筆をお願いする企画。あまりページをとってはならず、当時を振り返って小論をお願いし、さてどんな進展となるか、課題と歴史を忘れないようにしたいという企画です。なお川崎市職労関係者(伊藤長和さん)と当「集い」を始めた当時の回想はホームページに収録しています。→■971006daitoshi2.htm また、この集いでユネスコのE.ゼルピを招聘した記録は『生涯教育のアイデンティティ』(海老原治善編、エイデル研究所、1988年)として公刊され、大都市「集い」の活動記録として懐かしい。このような出版をあと少し重ねるべきでした。

4251号【2021年6月10日】 
≪沖縄の祖国復帰は日米の軍事強化に逆用された!≫
 本号は11日の(今年度)総会開
催の再案内記事を急ぎ編集しました。決算資料の作成はじめ、準備にあたってきた事務局長・山口真理子さん、ご苦労さま。私たちの総会は、例年ですと日本社会教育学会六月集会の夜に開いてきましたから、いつも盛会でした。しかし昨年からコロナ禍によるズーム開催となり、残念です。他用の方もあるようですが、やりくりして、ぜひご参加ください。維持会員の方だけでなく、とくに初めて参加の新しいメンバーを歓迎する面白い会運営につとめてきました。TOAFAEC 創設時はわずかのメンバーなので特に総会めいたつどいはなく2000年からの(留学生中心の)記録がのこっていていて懐かしい。お子さんづれの人もいたようです。→■http://www.bunjin-k.net/03soukai2.htm
 この総会案内をホームページ掲示板に載せようと作業をはじめたところ、思わぬ投稿を発見。すでに1か月前になる沖縄・東武さん(もと沖縄青年団連絡協議会長)からの祖国復帰闘争碑(国頭辺土岬)の碑文。すでに文字の墨が色を落として読めなくなり、その化粧直しに、中頭青年会OB諸氏で作業をされた由。「屈辱の日」前日にメールをいただいた経過がありました。
 ぶんじんゼミの沖縄旅行では、必ずこの碑のまえで一緒に碑文を読みあったものでした。「沖縄の祖国復帰は 実現した しかし県民の平和への願いは叶えられず日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された」と。和光大学の最後のゼミ旅行では、この前でサンシンを弾いた学生も。アルバムの中から探し出して、本ホームページに掲げましょう。 本欄に、東京杉並・原水禁運動運動(安井家)資料調査の経過等について一文を草する約束ありましたが、別に書いてお送りするようにします。
復帰記念碑・辺戸岬(2002年10月、和光ぶんじんゼミ)


4250号【2021年6月7日】
■≪東京学芸大学と名護の連携≫
 6月定例研究会テーマは「沖縄」を予定。報告・嘉納英明さんから早速テーマ(上掲)が寄せられました。沖縄戦後史について自分史・地域史にも触れて興味深いお話になりそう、楽しみです。ズームによる研究会ですから、沖縄からご参加も可能。名護や那覇などからの申込みもお待ちしています。6月11日(金)夜に開かれるTOAFAEC今年度総会 →■ http://www.bunjin-k.net/2021TOAFAEC.htm  のあと、6月研究会「ご案内」を「風」誌上に載せます。
 本号にはあと一つ、沖縄に関して思いかけない「お知らせ」を掲載することができました。入江優子さん(東京学芸大学準教授)からのメールです。最近は定例研究会などにお名前がないので、あるいはまだ育児休暇中かと思いきや、名護の「子ども食堂」や、子供の貧困問題に取り組む名桜大学など11大学「コンソーシアム沖縄」と連携して、活発な取り組みを始めた東京学芸大学「こどもの学び困難支援センター」(貧困・虐待・不登校などの困難な状況下にある子どもの学習保障に関わる実践研究センター、新設)についてのご報告。メールには連携先の「城公民館」も登場。渡口裕さんの青年会活動(エイサー)の拠点、ぶんじんの85歳・米寿のお祝いをしていただいた公民館です。学芸大学では「ハイサイ・ウチナーラボ」という学習体も組織された由、驚きました。頑張ってください。遅ればせながら、息子さんお誕生!おめでとうございます。
 6月4日午後、コロナ・ワクチン接種の日でした。激しい風雨の日、こんな日は杖をつく身はずぶ濡れになりそう。息子に応援の車を出してもらって無事終了。当日の夜は腕にわずかな鈍痛、殊勝にも酒を控えましたが、翌日はひとり美酒を楽しみました。その流れで本号配信もゆっくりリズム。気が付けばあと3日で総会です。皆さんのご参加をお待ちしています。

4249号【2021年6月2日】
■≪6月定例研究会案≫
 5月最終金曜日(5/28)定例(281回)研究会について、豊田明子さんから力のこもった報告(上掲)を寄せていただきました。長文のため、風・前号に収録できず、1号おくれで、本号の冒頭記事に。当夜の参加者は総勢23名。新しい留学生の顔も見え、これからが楽しみです。新しいメンバーには「南の風」ご希望があれば配信を始めますので、研究室のまわりの方を通して、あるいは直接に連絡いただければ幸い。簡潔な自己紹介を添えてください。(・・・と書きましたが、どこまで続くか?は分かりません。)
 研究会の最後に、来月の研究会で取り上げるテーマが話題となりました。案として(当日の報告に関連して)中国のモンゴル民族教育の歩み・課題、また中国「社区」教育との対比において、韓国の「マウル教育共同体」の(世宗市等の)動きが話題となりました。その後、定例会幹事の江頭晃子さんとも相談し、6月が沖縄「慰霊」の月でもあり、沖縄復帰50年を前にして嘉納英明さん(名城大学、年報26号にも執筆予定)に沖縄戦後史のお話をお願いして、ということになりました。6月26日(金・予定)のご都合を聞いてみたところ、快諾のご返事。6月研究会は「沖縄」をテーマにすすめようということになりました。嘉納さんから、当日の報告タイトル案をいただき、風誌上で「ご案内」を出すことにしましょう。嘉納さん、当夜のタイトル案をお寄せいただければ幸いです。
 TOAFAEC(ぶんじん) はこれまでホームページを開き、すでに四半世紀の蓄積。そのなかに訃報・追悼のページがあります。これまで「ぶんじん」が学会や社全協の通信などに書いてきた追悼記事(40名余)を載せ、とくに親しかった方に追悼ページを用意(横山宏、小川利夫、伊藤長和さんなど各位)。しかし、妻・富美(2017年5月没)については何らの用意なく、ご批判も聞こえてきました。TOAFAEC の皆様とも交流多く、この1週間、山口真理子さんのご助力も得て、小さな追悼ページを作成しました。お暇の折、ご覧いただければ幸い。本人が書いた文章が少なく、他に写真などお気づきのことあれば、ご教示ください。→■http://www.bunjin-k.net/archives.htm

4248号【2021年5月30日】
■≪アカショウビンと平敷屋エイサー≫
 南の風の配信が1週間の間延び。申し訳ありません。セイビンさん「アカショウビン」記事など、10日近く当編集箱で温めていたことになります。本号は TOAFAEC 総会案内(611日、上掲)を載せることができましたが、あるいは528日・第282回研究会の記録が届くかも?とひそかに期待。久しぶりの中国・台湾研究をテーマに開かれた研究会、たくさんのことが語られ、議論も活発でした。記録まとめは、そう簡単ではないはず。ゆっくりと、次号の楽しみへ・・・などと書いたところで3011:00)、記録担当・豊田明子さんからメール着信を確認しました。しかし詳細・長文、本号に追加して載せる余白がありません。次号まわしにさせていただきます。お許しください。
 沖縄からは思いがけなく旧勝連町・東(あずま)武さん(元沖青協会長)の「平敷屋エイサー」について「広島と長崎の原爆の悲惨さを歌った平和世祈り」や「ひめゆり」を悼むエイサーも踊られた由、二つの歌詞が送られてきました(添付)。エイサーは勇壮な若者の集団演技ですが、もともとは「念仏踊り」に由来するもの。東さんたちの「平敷屋(へしきや)エイサー」は、踊りも衣装も念仏踊りの系譜を強く印象づけるところあり、忘れられません。東さんのエイサー踊りの写真は昨年末にも掲げたことがありますが、あらためて再掲しておきます。
 九州国立博物館(大宰府)に招かれて演技された写真ですが、もともとは野外の集団舞踊。いちど平敷屋でその雰囲気を味わいたいと念じながら、まだその機会には恵まれません。
 名護・セイビンさんの「アカショウビン」と、平敷屋エイサーの話で、本号は文字通り「南の風」通信となりました。それにしても、沖縄のコロナ蔓延の勢いが心配です。
平敷屋エイサーを踊る東武さん (大宰府、2011/11/13)


4247号【2021年5月24日】

■≪オンライン研究会≫
 活発な韓国研究フォーラム、4月(91回)に続いて昨日(5月23日)第92回の研究会。その日に当日の記録と写真が届きました。呉セヨンさん(事務局)ご苦労さまでした。あわせて小田切さんメール(上掲)が活発(上掲)。主要には年報26号へ向けて「この1年の動き」など原稿準備の論議ですが、内容的に刺激に満ちた動きが紹介され、久々に(4月研究会は欠席したので)充実した日曜となりました。当日ご参加のの皆さん、ご苦労さまでした。
 コロナ禍のため、最近はホームページも古い写真を(関連をさがして)付していますが、呉さんが当日の写真を送っていただき、カンサハミダ! 早速「韓国研究フォーラム」ページへ(下掲)。
 4号前の風で、皆さんからの「風」が吹いてこないとボヤいたのはご存知の通り。折り返し圓入智仁さん(福岡)や飯沢美樹さん(江東区)、瀬川理恵さん(横浜)から「風」を寄せていただきました。重なって故千野陽一さんの訃報が飛び込んで、追悼の号(4245号)も組み、また韓国研究フオーラムの記録も重なり、いま「風」があふれています。圓入さんの近況メールは、本号にようやく掲載、1週間も経過して申し訳なし。まだ名護・島袋セイビンさん「やんばるの風」(アカショウビン)が滞留中(次号掲載予定)です。皆さん ご配慮有難うございます。
 TOAFAEC 事務局(山口真理子さん)はいま毎年恒例の「総会」に向け、会計整理そして監査などで多忙。この間、ぶんじん酒房には信州・松本(村田正幸さん)から銘酒・新ワインを頂戴しました。いつもだとみんなで楽しみ、飲んで騒ぐのですが、コロナ禍でそうもいかず、ひとりで楽しんでいます。総会は6月11日(金)予定。
オンライン韓国フオーラム(第92回研究会、210523)


4246号【2021年5月21日】
■≪久しぶり中国について研究会≫
 5月定例研究会(28日Zoom)の「ご案内」(上掲)掲載が遅くなりました。上田幸典さん(筑波大学)からのご案内メール。昨晩には着信していたのですが、うかつにも気づかず、さらに遅れて、今日の「風」配信になってしまいました。研究会当日の1週間前、反省!です。慌ただしいスケジュールになったことお許し下さい。
 テーマは久しぶりに、中国(生涯学習・社区教育)研究について。かって中国研究は多数の研究者がかかわり、留学生も賑やかだった記憶がありますが、最近は研究そのものが少なくなり、コロナもからんで中国との往来もほとんど途絶えてしまった感あり。それだけにTOAFAEC 定例会で「中国」を取り上げようということになりました。毎年発行の「東アジア社会教育研究」年報には、着実に中国をテーマとする論稿や「この1年」のまとめが掲載さrています。皆さん、お楽しみに。初めての方も歓迎!お気軽にZoomに申し込んでください。
 千野陽一さんが亡くなられて、前号は急遽、追悼の特集としました。本号も「偲ぶ」記事を載せました。そのため、いくつか皆さんからの「風」掲載をのばしています。風が吹いてこない、コロナ下の自粛無用!などのブンジンのボヤキ(4244号)に応え、早速に一文を寄せてくださった圓入智仁さん(中村学園大学・福岡)はじめ数人の方のメール、次号にご紹介することにしています。お詫びまで。
 毎年、六月集会の季節は、TOAFAEC の総会を開いてきました。今年もZoomで総会を、と準備中(事務局長・山口真理子さん)。とくにご負担をお願いしている「維持会員」の皆様に会計報告は必須。6月11日(金)夜の日程。皆様ご予定いただければ幸いです。

4245号【2021年5月18日】
■≪千野陽一さんを偲ぶ≫
 5月15日未明、千野陽一さん(東京農工大学名誉教授)が亡くなられました。月刊社会教育編集長(新藤浩伸さん)からのご連絡。悲しいお報せです。享年90歳。最近はメール・音信のやりとりはなく、療養中と聞き心配していましたが「南の風」は届いている(戻ってこない)ので、そのうちにお話しする機会もあるだろうと期待しながら、月日が流れて・・・という経過でした。
 千野さんとは同年生まれ。半世紀余り、近いところで一緒に仕事をしてきた思いがあります。当方勤務の東京学芸大学(小金井市)と千野さんの東京農工大学(府中市)は三多摩で隣り合わせの自治体。それだけでなく、月刊社会教育(編集長)、社会教育推進全国協議会(委員長)、日本社会教育学会(会長)などすべて、千野さんんのあと小林が担当する巡り合わせ。千野さんから事務引継ぎを受けて仕事が始まる。「妙な因縁だ」と語り合ったことがあります。
 その前に「日本近代教育百年史」(七・八巻、国立教育研究所、1974年)執筆で、千野さんは「婦人」政策・団体の項を戦前・戦後と担当。こちらは戦後のみ「社会教育法」「公民館」の項を担当。それが契機となって故横山宏さんと2冊(社会教育法・公民館)の「資料集成」を編集刊行しました。千野さんは、9冊もの「資料集成・現代日本女性の主体形成」(ドメス出版)を完成させ、すべて恵贈いただきました。こちらは2冊、そちらは9冊、妙な重荷になっている、この話もお互いに苦笑しあった思い出あり。その後こちらの本が出来たら贈る慣わしが続きました。
 TOAFAEC 関連では「南の風」創刊後にご依頼あり、千野さんへ風の送信を続けてきました。20年あまりの風のお付き合いでした。節目の号で、もっとも丹念に激励と風継続を!のメールを頂い方でした。「東アジア社会教育研究」年報編集では、呉遵民氏(華東師範大学・上掲)論文4本を翻訳。また私たち(小林・末本・呉の三世代)が中国で出版した『現代社区教育の展望』(2003年、上海教育出版社)の書評を「月刊社会教育」に執筆頂いたのでした。思い出はつきず。半世紀にわたる物語いろいろです。ときにシンドイ議論もありました。
 手もとにある写真のなかから1枚をHPに掲げます。1988年12月の社全協・常任委員会の合宿。前列中央が千野さん(委員長)、左に小川利夫さん(前委員長)、右側に小林(1年後に委員長)、まわりに錚々たる面々が揃っていて懐かしい。千野さん、安らかにお眠りください
1988年・社全協・拡大常任委員会の合宿 (1988/12/10)


4244号【2021年5月14日】
■≪コロナ下の自粛、風には無用!(ぶ)≫
 この間「南の風」の配信が間延びしてしまいました。前便(4243号、5月7日発行)から1週間も経過。申しわけありません。コロナにやられた?・・・のではありません。お互いの自粛ムードにやられた感じ。昔は平均・隔日おきに出してきた風、最近でも、3〜4日おきの配信。1週間とは情けないこと。皆さんからの風だけが頼りの通信なのに・・・、この1週間、1通も吹いてこないのです。
 高知・内田j純一さんの4月定例研究会報告が前号(5月7日配信)に惜しくも間に合わず、そして、それに合わせる他の記事がこの1週間は何も来ない。開店休業のかたち。やむを得ず、ぶんじんの(あまり面白くない)「都市公民館の回想」記事を拡張したり、また社全協事務局からの情報(重複となるおそれあり、日ごろは載せない)を拝借したりして、本号をなんとか編集しました。風には自粛無用! 発行人としても元気が萎えた1週間でした。
 昔はいろんな写真を載せたものでした。いま新しい画像ではありませんが、工夫して「ぶんじん日誌」欄に写真をいろいろ。本号は、上記「都市公民館の回想」に関連して、敦賀市へのフィールドワーク(1973年)の写真。初期公民館の聞き取りのあと、たまたま寄港していたロシヤ船を訪問して撮った1枚。敦賀市が国際的な港だということを実感したものでした。隣の横山宏さんが50歳、ぶんじんは40歳の“青春”でした。
 筑波大学・上田孝典さんへのお願い。5月定例会(久しぶりに中国・社区教育・終身学習に関連してお話を聞く企画、5月28日・最終金曜日を予定)ご案内をお待ちしています。やや急ぎます。すぐそのあとに6月「総会」ご案内が予定されています。皆さんからの賑やかな「風」もお願いします。
敦賀港にて、左・横山宏さん、右・小林 (1973年)


4243号【2021年5月7日】

■≪ワクチンの効用≫
 
 杉並でもコロナ・ワクチンの接種予約が始まりました。接種会場(特設)はわずか4カ所、たいへんな騒ぎです。まず75歳以上に予約お知らせがきて、2週間ずらして65〜74歳への案内が出ているようです。電話予約は混んでほとんど空振り、時間がかかりそうなので、インターネット(24時間可)で簡単に済ませました。深夜の時間はお手のもの。横浜などでは特設サイトが初日からパンクして当局が平謝りしていました。やはり深夜インターネットがお薦めですね。
 1回目の接種後、再び予約をとって2回目の接種へ。接種後の1週間後あたりからワクチンは効きだすそうで、すこし先が見えてきた感あり。この夏は九州・油山に行けるかも、と期待をもち始めました。なにしろ2年近くのご無沙汰。いま農中茂徳さんが草取りや掃除をしてくれていて、電話によれば、畳まで拭いているとのこと。恐縮しています。2017年に韓国の皆さんが来訪された折(小生は入院中)、雨漏り修理など工事後で、家は荒れていたつらい思い出も想い出していました。その後はトイレ(2カ所)を新しくし、テレビも買い替え、家は主(あるじ)を待つばかり、しかしまだ一度も行っていないのです。
 この季節の油山は薫風、庭の隅にはエビネ蘭が咲いているはず・・など懐かしく、ホームページ表紙の写真も油山の庭の写真におきかえました。農中くんの草取りで、庭は一段ときれいになっているそうです。夜のエビネと語らいながらビールを飲みたいな、とワクチン接種の話から励まされているところあり。
 連載を始めていた大都市・東京研究史・回想シリーズは3回ほどで中断。次号より東京から離れて、「大都市社会教育研究史」として再度1970年代にもどって書き継ぐ予定です。社会教育法制(公民館制度)の大都市部「非定着の定着」の歴史が、あらためて日本社会教育の大きな空洞・ホラアナとなっている実像を確かめておきたい。

油山・庭ー20050506 エビネ


4242号【2021年5月2日】
■≪美酒御礼!≫
 今年も松本・村田正幸さん(もと松本市教育委員会)から信州地酒を送っていただきました。いつも「七夕の会」などに頂戴し、懇親交流会などで、みんなで楽しんだものでした。しかしコロナ蔓延下、定例研究会もZoomの会議(上掲・報告)、やむなく・・・一人で飲んでいます。一人だけで、申し訳ない。銘酒「明鏡止水」は信州佐久の酒、冬季限定の吟醸酒だそうです。「冷蔵庫で保管しながら飲んでください」とのこと。冷蔵庫に一升瓶をナナメに冷やし、研究会終了後に一人で楽しみました。陶然たる酔い。
 そういえば「風の部屋」のセイビンさんの甕に秘蔵している泡盛古酒(クースー)も、コロナ以降、ほとんど蓋を開けなくなっています。ぶんじんは「美酒少量」の原則、本来「みんな」で飲みたい。しかし今はひとり、たっぷりの瓶・甕にかこまれて、夜が更けていきます。
 4/30の定例研究会、李さん(年報編集長)から早速の報告をいただきました。当夜はまた「オムニバス・シンポジウム "東アジアにおける市民の学び”とは何か」、活発な議論。皆さん、お疲れさまでした。武田拡明さん(もと川崎市教育委員会)からは相次いで「当日の感想」が寄せられました(上掲)。実は、武田さんからは、辺野古・埋め立てに関連する動きや、国分寺・練馬などの集い案内(ただしコロナ蔓延の状況により中止)が長文で届いていました。そして息もつかず、「当日の感想」。ありがとうごございました。「西浦さんという方」の動きについては次号に載せることにします。

4241号【2021年4月27日】
■≪歳月を重ねて二つのメール≫
 本年正月、当方アドレスをめぐって異様な動きあり、so-netより(パスワードだけでなく)メールアドレス変更を求められました。やむを得ず新アドレス(→kob@js4.so-net.ne.jp)に変更。古い「bunjinn-k」はホームページURLにのみ残ることとに。よろしくお願いします。韓国研究フォーラムの皆さまには(25日の研究会に欠席する羽目になり)ご心配をかけしました。呉さん松尾さんから、ご丁寧なメールをいただき恐縮しています。
 本号所収のメールには、関連する以前の経過について、少し説明を要するところがあります。一つは、杉並研究・安井家(原水禁運動)資料について(上掲・石川敬史メール関連)。安井家に保存される貴重資料、今後の活用について新しい動きあり、江頭晃子さんがこの日曜日に安井家訪問。その報告メールは旧安井家資料研究会メンバーに配信されました。すでに15年が経過したデジタル資料群は石川さんが保存を確認したとの報告でした。当時(2005年〜)の旧研究会経過はTOAFAECホームページ*東京研究サイトを御覧ください。http://www.bunjin-k.net/suginamibunken.htm  いずれ「大都市・東京研究・回想」(南の風誌上)として追々触れることになりましょう。
 あと一つは、前号に報じた石垣(八重山)の故潮平正道さん訃報に関連して、鷲尾真由美さんから届けられた弔辞(八重洋一郎さん)。潮平さんの『絵が語る八重山の戦争』(2020年8月刊)は「南の風」4179号でも紹介しました。私たちは新垣重雄さん(写真)を通して潮平さんに出会いました。忘れもしない新垣さんの参議院議員立候補(東京地方区)応援に八重山から上京されたのでした。三十有余年前。永い歳月が経過しているだけに、「弔辞」は切々として胸に響くものあり、長文ですが全文を掲載しました。
  右・新垣重雄さん(サンシン)、小林、鷲尾真由美さん(写真提供)、山辺さん (1988年12月・忘年会、東京学芸大学社会教育研究室)


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