【南の風2020】 4171号〜4200号  
各号目次・後記(ぶんじん日誌)
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【南の風2020】4171号〜4200号・目次一覧

4171号【7月16日】272回研究会案内、やんばる対談休止、 訃報、台湾と八重山の交流、杉並記録・回想など 
4172号【7月20日】
韓国の東アジア平生教育研究会、「首里の馬」、杉並『歴史の大河』、男子誕生、北田追悼集
4173号【7月25日】
熊本大水害、東京研究ー公民館主事の役割 、村を支えるパイナップル、杉並公民館研究の歳月
4174号【7月28日】
韓国・東アジア平生教育研究会町田とびたつ会、名護七曲り、松本より、杉並公民館長・安井郁
4175号【8月 2日】
272回定例会報告、訃報・李登輝元総統逝去、 旧暦6月祭り季節、杉並公民館研究史、十三夜
4176号【8月 6日】
川崎・高津市民館、韓国・平生教育と職業教育 、ドキュメンタリー沖縄戦、八月鎮魂の季節
4178号【8月11日】渋谷区スポーツ・体育行政、とびたつ会、首里城下の新聞人、杉並研究追録5、ブーケひとつ
4177号【8月17日】暑さボケ1号ジャンプ、夏の博物館分科会、福岡より、金口木舌、台湾・出版、1号違いお詫び
4179号 【8月25日】「絵が語る八重山の戦争」、町田・とびたつ会、終戦後・台湾からの沖縄帰還、杉並追録6
4180号 【9月 1日】
日本学術会議「無償の普通教育を」、 コロナ禍・創意工夫の公民館、福建「終身教育」100号
4181号 【9月 6日】
9月定例会、台湾報告への期待、 韓国女性史展示館、名護・渡具知裕徳氏逝く、八重山より
4182号 【9月11日】
渡具知祐徳さん、とびたつ会、「八重山の戦争」、杉並研究のあゆみ追録7、やんばるの風
4183号 【9月15日】
社会教育学会オンラインで、名護城区エイサー節奉納、大学生の窮状、年報執筆・進捗状況は?
4184号 【9月19日】
年報25号進捗状況、第90回韓国フォーラム、東京の日本語教育を考える、戦後沖縄の図書館史
4185号 【9月23日】
90回韓国フォーラム報告、台湾の和平島、コンサート再開(江東)、コロナ禍脱皮の模索
4186号【9月27日】
9月定例研究会報告、とびたつ会、 ぱおん内閣?、4185号「おきなわ短信」、東京は秋本番       
4187号【9月30日渡具知市長回想2、光州事件(日本語)、こんばんはU(英語版)、マラリア慰霊、ホームページ
4188号【10月1日】年報編集委員会(第5回)、覇権維持の拠点、仲秋・旧暦8月15日、お月さまを歌う想い出

4189号【10月4日】
25号編集会議、ひろば欄川崎、福島自主夜間中学、石垣市陸自配備、10~11月定例会決まる
4190号【10月7日】
大阪観光大学顧問、11月東京フォーラム予定、、石垣市立図書館30年、「眉屋私記」文学碑を
4191号【10月11日】
10月研究会案内、日韓関係改善への署名、 町田とびたつ会、島豆腐、術後まずまずの経過
4192号【10月15日】
年報25号の経過、八王子市夜間中学を守る、 辺野古新基地に戦没者の遺骨が、四半世紀の蓄積
4193号【10月20日】
10月定例会・文献、「こんばんはU」英語字幕版、資料「けやきつうしん」等、ズームで乾杯!
4194号【10月23日】
日本学術会議任命に関する学会声明、とびたつ会、 米兵による性犯罪、学問研究の“後衛”論
4195号【10月28日】由布の里自由大学づくり、「けやきつうしん」(3)、汀間区むらおこし、Facebook
4196号【11月2日】
公民館学会声明、旧「水縄村公民館」、大城立裕さん逝去、稲嶺進さん写真、274回定例会
4197号【11月7日】
10月研究会、労働者協同組合法制化、とびたつ会、台湾引き揚げ船栄丸遭難、協同組合法案
4198号【11月10日】11月定例会案内、首里城歴史学ぶ「けやきつうしん」9、東京社会教育史研究フォーラム
4199号【11月13日】
東アジア研究フォーラム、名護市城区エイサー、嘉間良とカマラ、和光大学「エスキス」、訃報
4200号【11月17日】
25号編集、祝4200号、渋谷区スウィミーのコロナ対策、 由布の里自由大学、HPの追悼ページ


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《昇順》

南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


2020年
4200号【2020年 11月17日】
ホームページに追悼ページ ≫
 前号・上原文一さんの訃報に、肝臓ガンと記しましたが、正しくは膵臓ガンだったそうです。最後の闘病の毎日、コロナ禍とはいえ、全く知らず、申し訳ない思い。ぶんじんは酒の座でいささかの言い争いをして別れたままだったので、気になっていました。文一さんは、私たち東京の、また現地・那覇それぞれの「おきなわ社会教育研究会」(1976年、1977年創設)歩みにとって、大きなきっかけをつくった人、その役割は独自のもの。もし彼がいなければ、会も違った歩みになったことは確か。個性的な人柄でしたが、細心の心くばりもありました。いま年報25号の編集が最終段階、もし間に合えば、急ぎの執筆をお願いして、追悼のページを組めないものか、と相談を始めているところ。22日(日)予定のZoom編集会議でもご相談したいと思っています。
 寄稿者候補として、平良研一さん(沖縄大学、連絡済)、名城ふじ子さん。できれば喜納勝代さん(久茂地文庫)、いま糸満に電話していますが、どうしてもつながりません。
 ホームページに(追悼記事だけでなく)「追悼ページ」をつくる案も考えています。ご存知と思いますが、TOAFAEC ホームページには、関わりの深かった方々の追悼ページを設けています。いま、横山宏、黄宗建、奥田泰弘、小川利夫、伊藤長和、上勢頭芳徳(ご逝去順)の各氏。それぞれに扉の写真を選りすぐって掲げ、いつでも皆様にお会いできるよう、ページづくり。もし追悼の辞など、ご寄稿の希望あれば、遠慮なくお申し出ください。黄宗建さんのページには楽しいアルバムも。→■http://www.bunjin-k.net/archives.htm
 本号には渡部幹雄さん「由布の里自由大学」づくりの記事を、FBより転載させていただきました。精力的な書き込み、独自の発想、面白い読み物になっています。

4199号【2020年 11月13日】
沖縄からの訃報 ≫
 2010(上海)、2016(上海)、2017(佐賀)、2018(世宗・公州)、2019(北京)と開かれてきた「東アジア生涯学習研究フォーラム」。今年は日本(松本)で公民館学会と並行して開催予定でした。しかしコロナ禍のため、予定を変更し、オンラインにより来年2月に開催してはどうか、という提案が石井山龍平さん(東北大学)より寄せられましたので、本号に掲載いたしました。東アジア各地の反応をまって、いずれ正式の開催案内が届くと思います。関心をお持ちの方、ご留意ください。
 沖縄・具志頭村(現八重瀬町)の上原文一さん(もと社会教育主事、のち福祉課長など、「おきなわ社会教育研究会」初期メンバー、同事務局長など歴任)が亡くなられたそうです。今年はコロナ蔓延のなか名護での恒例「やんばる対談」も中止。まったく沖縄へ行く機会がありませんでした。虫の知らせか、すこし気になって那覇・名城ふじ子さんに電話。上原文一さんのその後について聞いてもらったところ、今年9月初旬、膵臓ガン転移が進行し、永眠されたそうです。享年75才。残念です。
 すぐに当方から上原家に電話。臓ガンの発症は3年前とのこと。そのことを知りませんでした。入院・手術はうまくいって、その後元気に社会復帰。しかし今年になって再発、転移はげしく、最後は終末医療病院で安らかだったとのこと。しかしコロナ禍の病院、横に付き添うかたちはできなかったそうです。
 上原文一さんは、私たちの沖縄研究、現地調査の重要なきっかけをつくってくれた人でした。1976年夏、上野で開かれた社会教育研究全国集会(第16回)に沖縄からただ一人で登場。小金井の東京学芸大学・研究室にも来てもらって、彼の話を聞くかたちで第1回沖縄社会教育研究会をもちました。その12月には具志頭村社会教育振興大会に招かれるかたちで、ぶんじんの沖縄フィールドワークが開始できました。それからの長い付き合い。学生や留学生を自宅に泊めてくれたり、小林ゼミはいろいろとお世話になった人でした。東京永福そして福岡油山の自宅にもに来訪し、妻・富美がソーミンチャンプルーの作り方を教えてもらったり、想い出はたくさん。韓国・黄宗建先生、ドイツ・トールマンさんの沖縄訪問の際には歓迎の琉球舞踊の宴を用意していただいた人でした。
 ホームページの中から、上原文一さんが登場する一文(和光大学「エスキス」)を本号へ。また在りし日の写真を下に載せました。45年にわたるお付き合いに感謝し、はるかにご冥福を祈ります。
具志頭・NPO「カタンクラブ」創設、右より上原文一、福地拡昭(もと沖教組委員長)、小林、名城ふじ子の皆さん(20030629)



4198号【2020年 11月10日】
■≪久しぶりの東京社会教育史研究フォーラム≫
 私たちが5年の歳月をかけて『大都市東京の社会教育−歴史と現在』(2016年)を刊行して早や4年が経過。当時は、『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』編集も並行(いずれもエイデル研究所刊)、「風の部屋」では、両グループのワインの競い飲み。皆さん、若さみなぎる日々でした。懐かしい思い出。
 東京本は、編集委員14名、執筆者40名余の大仕事。首都東京の社会教育(生涯学習)が解体しつつある危機感、脱皮し新しい方向を模索したい焦燥感、同時に東京の膨大な社会教育(行政・実践)の歴史を少しでも記録しておこうという使命感みたいなもの、そんな切なる思いが重なって取り組んだ本づくりでした。
 とくに東京都社会教育行政史(厳しい現実)を執筆した都社会教育主事の梶野光信さんが、今回(11月定例研究会)はその後のこと、社会教育行政の模索、「たどり着いた現在の考え」(上掲・案内)を話していただきます。今後に向けて、諸課題を久しぶりに論議する機会になりましょうか。「間違いなく何かが変わってきた」(同)とも。11月27日(金) 20:00〜21:30、楽しみです。(同案内→■
 懐かしくなって、この出版に取り組んだ「拡大編集委員」写真を1枚、ホームページに再掲。副編集長格の野々村恵子さんが亡くなられた以外、幸い他の皆さん元気、ボクもまだ生きている。コロナに負けず、梶野さんの話をきっかけに、加えて板橋ほか東京各地の動きをつないで、これからの「何か」を考えあってみたいもの。当時の編集委員会事務局長の斎藤真哉さんに、当日の司会をお願いしては如何でしょう。梶野さんから当日の資料を予めお送りいただければ、南の風に紹介できます。
 ホームページに未収録であった「けやきつうしん」(1990年前後、東京学芸大学社会教育研究室)の小論4点、回想資料として上掲しました。
東京本・拡大編集委員会、前列左端に梶野光信さん、同右から3人目に故野々村恵子さん (高井戸、20140113)


4197号【2020年 11月7日】
■≪3人以上の発起人・労働者協同組合法案の動き≫
 TOAFAEC 定例研究会は、参加者ご協力により、速報的に「研究会報告」を作成し、HPにすべて記録してきました。→■http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2019.htm
 10月30日研究会については、江頭晃子さんメモ・野村千寿子さん・山口真理子事務局長の3報告が用意され、驚きました。本来は、報告者・片山さんに一度戻して手を入れてもらうべきですが、いつもその手間を省いて、風に掲載してきました。3報告のうち、今回は久しぶり参加の野村さん作成の一文を頂きました。思いのほかの長文、皆さんご了承を。片山さん、修正すべきところや、報告者としてのご感想などあれば、お送りください。風に掲載し、必要であればホームページも修正します。
 さて、本号所収のビッグニュースは、「労働者協同組合法案」が今国会に上程されているニュース。超党派による議員立法のかたち。上平泰博さん(ワーカーズコープ)から寄せられました。新聞各紙・テレビではあまり取り上げられず、当方もちらりと聞いていた程度。しかし大きく記事にしている東京新聞の連載(上掲、上平さん提供)を読むと実に面白い。社会教育としても大きく関連あり、関心を寄せあいたいテーマ。働く人が自ら出資し、雇われず、それぞれの意見を反映しながら“協同労働”を可能にする「労働者協同組合」構想、いよいよ法制化実現へ(東京新聞 10月17日等)。
 法案の第一条「目的」では、「組合員が出資し、それぞれの意見を反映して組合の事業が行われ」「組合員自らが事業に従事することを基本原理とする組織」を設立し「多様な就労の機会を創出」「地域における多様な需要に応じた事業が行われることを促進」「持続可能で活力ある地域社会の実現に資する」と。
 Q,労働者協組は簡単に設立できるのですか。A,3人以上の発起人がいれば官庁の認可などは不要です・・・。ワーカーズコープ(同研究所)で仕事をしてきた上平泰博さんの話を聞く機会を一度もちたいものです。

4196号【2020年 11月02日】
■≪274回目の定例研究会 ≫
 今年も11月を迎えました。コロナ禍のなが〜い年、今年はまだ“生まり島”九州に帰れません。最近はことさらに故郷をうたった歌が耳に残る年頃になりました。
 10月30日は274回目の定例研究会でした。毎年11回の定例会(8月は休み)を続けてきて、あと1回で満25年を迎える勘定。四半世紀の歩みをしみじみ振り返っていた夜でした。
 報告・片山房一さん(もと豊浦町教育委員会・社会教育主事、現在は下関市議会議員)、お話を有難うございました。ご参加の皆さん、久しぶりの顔も含めて、ご苦労さま。話の柱は三つ。一つは1974年から始まる「社会教育を学ぶ全国学生の連絡会」、第二は東京「新しい公民館像をめざして」(1973年)の豊浦町への定着過程、第三は独自の歴史を刻んだ山口県社会教育研究会について。片山さんの個人史が全国的な社会教育史に連動していく典型的な事例。コロナ禍が可能にしたプログラム、大阪からは大前哲彦さんもご参加でした。どなたからか研究会報告が寄せられると期待しています。どうぞよろしく。片山さん、追加のお話があれば「風」にお寄せください。
 本号には、ぶ欄でコメントしたいメールがいくつも並びました。福岡の横山孝雄さん(久留米在住)が耳納(みのう)連山にに登り、帰路は旧水縄(みのう)村公民館を訪問したレポート。戦後初期の同公民館主事として活躍した林克馬氏(全公連・初代副会長)の著書『公民館の体験と構想』(1950年刊)を持参された由。林克馬さんは、その後『わが公民館の歳月』(1965年、全300頁)を私家版として刊行、希少本です。福岡だと、古い公民館の書棚、あるいは古書店で入手できるかも。ご留意ください。ぶんじんには「生産復興と公民館−福岡県水縄村公民館の実践」(月刊社会教育・1966年4月号)があります。
 那覇・鷲尾真由美さんからのメールには、名護の前市長・稲嶺進さんとの面白い写真が添付されていました。本号に添付、ホームページにアップさせて頂きます。進さんは、この姿で「完成不可能な工事はやめよ!」の登り旗をもって一人デモされていた由。辺野古新基地反対の運動はこうして闘われているのですね。
写真・右に稲嶺進さん、左は鷲尾真由美さん(安和桟橋、20201029


4195号【2020年 10月28日】
「自由大学」づくりの記

 上掲・小田切督剛さんのメールを拝見し、あらためてこの3年の歳月を想いました。ご指摘の通り、2017年10月はじめ、1回目の手術(壊れた股関節摘出)を受けたのでした。そして11月末に2回目・人口関節を装着する手術。80代を迎えるまでは、まったく入院したこともなく、沖縄・東アジアを飛び回っていた身が、思いがけない闘病生活。小田切さんの車で送迎いただいた『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』(エイデル)出版記念会(2017年8月27日夜)の頃はほとんど歩けず、いちばんつらい時期でした。編者の梁炳贊さん(公州大学)も来日されるというので小田切さんにご面倒かけた思いい出。そしてすぐ9月に長期入院が始まったという経過でした。数号前に書いたように、退院後の状況は良好、おかげさまで、元気に過ごしています。杖をつき、歩く距離は限度がありますが、痛みなく(3年前の闘病に呻吟していた時期と比べれば)夢のような毎日。ただしコロナで運動不足です。
 さて、本号は久しぶりの「わたなべみきお」さんのメール。「由布の里・自由大学」づくりの記録です。Facebook・タイムライン記事から(了承を得て)4本を抄録。自称・自由大学づくりへの奮闘は興味深いものがあります。いずれご本人からご報告をいただく機会が来るでしょうが、当方の「風の部屋」(東京永福)と福岡油山の文庫統合に課題をもつ身としても関連あり、終日この記録を読んでいました。「わたなべ記録」4本、連載の「おきなわ短信」はお休みです。
 Facebookについてひとこと。2011年頃から、ある「友達リクェスト」に応えて、10人前後の方との付き合いが始まりますが、どうも違和感あり、「南の風」も出しているので、その後は敬遠。しかしたくさんのリクエストを無視し失礼を重ねることも気になって、かたちだけでもご返事しようと、一昨日に各位へまとめてリクエストへ応諾のご返事をしたという経過です。そこで「わたなべみきお」さんタイムラインと出会うことに。こんごも失礼を重ねますが、「南の風」に免じてご容赦を。

4194号【2020年 10月23日】
■≪学問研究の“後衛”論 ≫
 ぶんじんが参加する教育系学会(日本教育学会、日本社会教育学会、基礎教育保障学会)が、今次の日本学術会議新会員(6名)任命拒否問題について、相次いで緊急声明を発表しました。昨日届いた2学会について、その内容をご紹介(上掲)。日本公民館学会については、ホームページも調べましたが、とくに掲示なく、もし何か動きがあれば、どなたか教えていただければ幸いです。なお同学会ホームページの初期役員体制のところ、誤記(誤リンク)に気づきましたので、書き添えます。
 日本学術会議新会員任命拒否問題について、歌人の永田和宏さん(朝日歌壇選者)が「社会の後衛、学者の国会、守れ」の一文を書いています(朝日新聞・10月21日夕刊)。この問題に関心をもっていない人も多いのではないかと指摘したうえで、「しかし今回の政府による学術会議人事への介入は、ある意味では戦後最大の曲がり角になる可能性」があること、わが国の今後に「計り知れない影響を及ぼす怖れ」を憂慮、傾聴に値いします。ポイントは、「社会をどんどん前進させていく」学問研究の“前衛”的役割とともに、社会の“後衛”として「ここまでは許せるが、この一線は決して踏み越えてならない」、「常に目を光らせ続ける」使命があること。この“後衛”的な役割は、個々の学者だけでは無力、歴史が示す弾圧を想起し、日本学術会議のような「学者の国会」役割が重要だとの指摘。“後衛”論には深い歴史認識が背景にあるように思いました。
 さて本号には、教員養成大学カリキュラムのなかに社会教育・生涯学習そして博物館関連の科目を登場させた頃(1980年代、東京学芸大学)の回想資料を掲載しました。忘れていた「けやきつうしん」小文の再発見、いくつか載せる予定です。  

4193号【2020年 10月20日】
■≪ Zoomで乾杯!≫
 日本学術会議任命拒否問題について、学会として座視できない、なんらかの学会声明を出そう、という動きになり、基礎教育保障学会・三役会議が開かれました。顧問にも呼びかけあり、先週金曜日の夜にZoom会議。久しぶりに上杉(前)会長をはじめ、学会・新三役の皆様(新事務局長は添田祥史さん)とオンランでお会いする機会となりました。いま理事会の皆様で文案など最終調整中、そろそろ正式に表明されることになりましょう。この学会の文書は、カナ・ルビつきで作成されるところが注目されます。
 会議が終わって、オンラインでビール乾杯。久しぶりに見城慶和・関本保孝お二人とも乾杯、短い時間でしたが、楽しい一夜となりました。今年1月の新年会以来の笑顔交換。皆さんに伍して乾杯すると、なぜか突然に若返った気分になるから不思議。当夜は楽しく眠りました。
 昨夜(19日)はまた、次回・TOAFAEC 定例会(10月30日夜)のZoom予行練習でした。報告者・片山房一さん(いま下関市議会議員)が「ズームは初めて」とのことで、江頭晃子さんを煩わせ、思わぬオンラインでの、久しぶりの対面。積る話いろいろ。この夜は乾杯も忘れて、山口県の旧友皆さんの消息を聞く機会に。当時の山口県社会教育研究会は、ぶんじんの沖縄研究の話を聞いて、大挙して沖縄ツアーを企画されたのでした。しかし、当時の中心的な方たち(長門市・中原吉郎、宇部市・田中辰彦、周東町(図書館)山本哲生さんなど)はすでに物故され、あらためて歳月の経過を思いました。
 上掲の研究会案内(江頭さん)には、関連文献も3点介されています。→■研究会案内kenkyukai2019.htm  この研究会は、コロナ禍だからこそ実現した企画。この機会に、福岡・佐賀・大分・高知など西日本からのご参加も期待、お待ちしています。

4192号【2020年 10月15日】
■≪四半世紀、25冊の蓄積 ≫
 前号4191号はタイトルに発行日記入を失念、10月11日発行でした。失礼しました。さて、私たちが年報「東アジア社会教育研究」発行を決意(1995年秋)して四半世紀。25号を迎える今年の年報刊行、みんなで声高らかに祝杯をあげる予定でした。編集委員会・事務局の継続的な熱意と努力、財政的に支えていただいた「維持会員」(現在36名+1団体)への感謝。よくぞここまで続いてきたものだと感無量。
  「東アジア」をテーマに掲げる類書のない年報づくり。毎年の発行は日本社会教育学会研究大会に合わせて「年報」発行を自覚し、発行日は「東アジア」を忘れない「九一八」(十五年戦争勃発の日)にしようと話し合ってきました。歴代編集長及び編集委員の努力もさることながら、とりわけ編集事務局の目に見えない支えがあってのこと。ちなみに各号の「編集後記」を記した人は、内田純一、故石倉裕志、江頭晃子の皆さん。そして、いつまでも光彩を放つ作業は、執筆者・タイトルの総索引づくり(創刊ー20号)を一人でやりとげた山口真理子さんの仕事。その数表的なまとめは、ホームページ毎号「目次一覧」(20号)のあと、同じページに掲げています。
 →■http://www.bunjin-k.net/1-10kenkyu.htm
の末尾。
 創刊号→20号の合計でみると、国・地域別の執筆者数の集計では、日本人:137人、中国・台湾人:97人(内3人はモンゴル族)、韓国人:41人、ベトナム人:1人、合計276人+3団体。テーマに「朝鮮民主主義人民共和国:1」を含む。日本人の執筆者数は全体の半数に達しない多国籍の拡がりでした。さて今後どう展開していくか。
 11月末か12月に25号刊行!の暁には、オンランではなく「イーストビレッジ」に賑やかに集まって、お祝いの乾杯をいたしましょう。

4191号【2020年 10月11日】
■≪術後、まずまずの経過 ≫
 この数日、台風14号もからんで、雨も降り、急に冷え、イヤな天気が続いています。冷雨のなか、傘をさし杖をついて通院。股関節・術後の定期検診。あの大手術から早いもので3年が経過したのです。毎月の通院が続いてきたのですが、今回のレントゲン・血液検査など諸データともに異常なく、次の通院は「半年後でよろしい」ということに。順調に経過しているらしく、嬉しくなっています(木曜日)。足腰も立たず再起不能かと思う一時期があっただけに祝杯の気分。この3年の足取り、さして歩行距離は伸びませんが、まずまずといったところ。ご心配をかけてきた皆様に、ひとこと御礼とご報告まで。
 10月30日(最終金曜日)の定例(第274回)研究会「ご案内」を江頭晃子さんから送っていただきました。有難うございました。ちょっと補筆して上掲しました。→■ http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2019.htm  
 考えてみれば、コロナ禍だからこそ具体化したような企画。山口県下関(豊浦町)の片山さん(報告者)とも久しぶりに話し(電話)、40年をこえる歳月を懐かしみました。戦後社会教育史の、うっかりすれば消えてしまいそうなページ、その地域実像、貴重な歩みを記録化する機会になりましょう。
 こんど話題となる「社会教育を学ぶ学生連絡会」(社教学連)は、社会教育主事法制化(1951年)から20年が経過した頃の東京の動き。いま東アジア(韓国・台湾)でも、2000年前後の専門職法制化からほぼ20年を迎えた時期。20年一区切り説をとると、各国・地域でどんな動きになっているのか、そんな視点で注目してみたいものです。ようやく実現した研究会企画、まわりの皆さんにも拡げてください。

4190号【2020年 10月7日】
■≪「風」は双方向に吹く≫
 10月定例研究会のゲスト・片山房一さん(下関市豊浦町、旧「社会教育を学ぶ学生連絡会」=社教学連・初代代表)に「南の風」を送り始めています。こんごともどうぞよろしくお付き合いください。南の風は“双方向”に吹くこと、皆さんからの風を大事にして毎号の編集をしています。そちらからの風もお待ちしています。もし私信の場合はその旨を付記してください。
 南の風はもともと「沖縄」の風としてスタート(1998年2月6日・創刊)。しかし沖縄の友人たちは、名護・島袋正敏さんなどをのぞいて、この種の通信をあまり好きでない、パソコンをもたない方も(おきなわ社会教育研究会など)。沖縄からの風がなかなか吹いてこないのです。やむなく琉球新報や八重山毎日新聞などの記事・コラムをお借りして、毎号「おきなわ短信」を載せてきました。おかげさまで「南の風」には必ず沖縄の動きが載っているという評価が定まって、いまや「おきなわ短信」は1580号に。本号では「石垣市立図書館30年」の短信を用意していたところ、名護市屋部区で上野英信「眉屋私記」文学碑を建立する記事を山口真理子さん(事務局長)から教えられ、特例的に2本「おきなわ短信」(1、2)をつくりました。
 上野英信「眉屋私記」(1984)の冒頭・序章「嘉例吉(かりゆし)の渡波屋(とわや)」を読んだ感動を思い出しています。この一節を読んで、わざわざ名護市屋部・渡波屋の拝所まで足を運んだ人もいたことを思い出します。文学碑は、渡波屋ちかくの公園に建立される計画だそうです(上掲)。私の「眉屋私記」は、学芸大学退職時に同研究室においてきた話をしたところ、屋部出身の比嘉久さん(名護博物館)から秘蔵の一冊をいただいた思い出も懐かしい。

4189号【2020年 10月4日】
■≪
10~11月定例研究会プログラム決まる≫
 2日夜の年報25号編集会議。ご参加の皆さん、ご苦労さまでした。例年より遅れながら、刊行に向けて大きな見通しがつき、何よりでした。執筆者各位、最後のひと頑張り、どうぞよろしくお願いします。昨年11月の北京フオーラムの関係記事も並び、多彩な構成。ただ例年の「やんばる対談」を載せることができず、心残りですが、来年の楽しみ、ということになりましょう。
 上掲・李正連編集長報告にあるように、年寄組の小生を除いて、当夜は皆さんすべて女性で賑わいました。男性諸氏の姿見えず、年寄りのみ、まさに枯れ木も山の賑わいの役。
 最近のコロナ禍のなか、昔懐かしの人に電話する機会が増えたような。人騒がせを反省しています。大分・渡部幹雄さんからカボスの箱到来。全く恐縮しています。有難う!楽しみます。また10月・11月の定例研究会のプログラムが、一気に決まりました。当夜の編集会議でも相談しながら、コロナの機会に、普段は多忙な人、遠くの人にも、突然の電話でお願いできました。快く対応いただき感謝しています。
 まず10月定例会(30日<金>夜)は、片山房一さん(旧山口県豊浦町教育委員会、「社教学連」初代会長、三多摩テーゼを山口に運んだ人)に、また11月・定例会(27日夜)は、梶野光信さん(東京都教育庁・主任社会教育主事)「東京都社会教育行政・その後」をお願いできました。
 片山さんは全国集会等では見かける顔ですが、当TOAFAECには初めての登場。「引き受けてしまってよかったのかと思いながら」とメール(上掲)が来ましたが、興味深い証言が聞けるはず、大歓迎。ただしリモート(zoom)会議は初めてとのこと、簡単な予行練習?の機会ができないでしょうか。

4188号【2020年 10月1日】
■≪お月さまを歌う・想い出≫
 小田切さん(韓国フォーラム)が「本日は旧暦の8月15日」を書き送ってくれたので、呼応して「風」もお月さまの想い出を書きます。まず、思い出す句、高浜虚子「仲秋や月明らかに人老いし」。月がめぐるごとに人は老いる、ぶんじんも老いながら、しかし、なおしたたかに生きている。
 小田切さんが覚えていてくれた「出た出た月が・・」の歌の想い出は、1960年頃の九州大学社会学研究室の夜の集い。昼は(当時)安保のデモなどに出かけていた時代です。ある農村調査の難しい総括の議論の夜、疲れていつものように酒の座になりました。熊本大学や山口大学で活躍していた第一線の農村社会学者(ぶんじんの先輩)諸氏も車座で、院生7人ほど。
 少し座(畳の部屋)が和らいだところで、いつも謹厳な先生・喜多野清一教授が、やおら立ち上がって、枕頭におくような半畳ほどの小屏風にかくれ、みんなに「出た出た月が・・」の歌を求められたのです。先生は見事な禿げ頭、小さく頭を振りながら、歌に合わせて屏風から顔を出す。「まぁるい まぁるい まんまるい 盆のような月が」と囃しながら、座は手拍子で笑いの渦。そして2番の歌詞「かくれた雲に くろい くろい まっくろい すみのような雲に」に合わせて、小屏風の中に禿げ頭が消えていく。即興の笑いのひとときでした。
 それだけでは終わらない。座が落ち着いたと思いきや、突然3番の歌詞が。「また出た月が、まぁるい まぁるい まんまるい 盆のような月が」と。ここは先生ご自身で歌われたような。いつまでも忘れない、これこそ座興。小田切さん、よく憶えていて下さった。私もあの夜を思い出すと、くすくす笑うのです。1回きりの、尊敬すべき先生の「お月さま」でした。
 ぶんじん研究室で歌ってきた「月」の歌は、やはり沖縄。海勢頭豊「海の子守歌」 ♪西(いり)の海に日は落ちて、東(あがり)の空にお月さま♪。そして、八重山の哀切きわまりないトバラーマ。♪月ぬ美しや十日三日、美童美しゃ十七つ♪。月に寄せて美童(みやらび)の美しさは17歳だと歌いあげます。
 今晩の予報では「東京は曇り」でしたが、思いが届いたのか、見事な月がわが窓にも輝いています。嬉しくなって、風もそよそよと吹くことにしました。ついでに(仲秋ではありませんが)「やんばるの月」を掲げておきます。前にご紹介した?こともある秘蔵の1枚です。
中天に「やんばるの月」。名護の皆さんと。前列左単に稲峰進さん。(名護博物館・中庭、20070701)


4187号【2020年 9月30日】
■≪ホームページ表紙写真≫
 前号本欄「カボス」の君へのメッセージを受けて、大分より返信あり。「小林先生。今、全国図書館大会オンライン大会の分科会での基調講演の収録で和歌山に来ています。カボスは大分に帰りましたらお届けします。体調を壊して初めての本格的な外出となりました。自称「由布の里自由大学」も少しずつ前進しています」(渡部幹雄、2020/09/29/23:15)と。「体調を壊し」が気になりますが、基調講演の仕事・和歌山まで来ているとのこと、大丈夫なのでしょう。コロナもあり、お互いに心して元気に参りましょう。そのうち「由布の里自由大学」をご紹介ください。カボスのことはご放心を。
 さきほど、秋を意識してホームページ・表紙写真を夏から秋に更新したつもり。いずれも福岡油山の庭に咲いた花々。いま福岡行きもままならず、研究会等もオンライン、新しい写真をご紹介できません。これまで約20年ちかくの所蔵写真の中から選んでいますが、「つわぶきの花」は初見か。白樺もまだ元気な頃の一枚。この狭い庭で焚火をしていた、のどかな時代が懐かしい。
 ホームページについても、古い文章や記録をそのまま残して、新しいデータを重ねていますから、継ぎはぎだらけのサイト内リンクが複雑、申しわけないと思っています。しかもTOAFAEC 記録・案内等と「ぶんじん」記録との混入サイト。いきさつをたどれば、後者のサイトに前者記録が重なってきた経過ですから、そのうちTOAFAEC のどなたかが、新サイトを立ち上げていただけば問題はすぐ解消するのですが・・・なかなか。ホームページ表紙・写真の左側が古い記録・資料、右側がスケジュール・集い・編集の案内など新しい動き。サイト内リンクはうるさいほど張りめぐらしていますから、それらしきところに入って探していただければ行き当たるかと思います。ご活用いただければ幸い。なにかお尋ねあれば、折り返しのご返報を差し上げます。

4187号【2020年 9月27日】
■≪
東京も秋本番≫
 先週・金曜日(25日)夜の第273回定例会について、林忠賢さん(東大院)からいただいたご報告は、ほぼ5時間後(つまり翌日未明)に当方へ届きました。詳細な内容、あざやかな筆さばき。そういえば先回もそうだった! まことにご苦労さまでした。これを本号冒頭にかかげ、他記事と合わせて編集、南の風としては急いだつもりながら、配信日付は2日後・深更になってしまった。
 さて当夜は、珍しい(久しぶりの)顔あり、また初めてのご参加もあり、賑やかな夜となりました。ご参加の皆さん、お疲れさまでした。台湾の「社区大学」そして生涯学習についての論議は、私たちの研究会ならではの貴重テーマ。台北で初めて「社区大学」が創設されたのが1998年(同市文山区)、翌年に士林区に。当時台北を訪れ、動き始めたばかりの士林区社区大学を訪問した夜のことなど懐かしく想い出していました。2005年には内田・鷲尾・上地(沖縄大学)ほかの皆さんと台北・南港区社区大学で元気のいい地域運動の話を聞き、また南部の高雄市まで足をのばし、カラオケを(空中大学・陳東園などと)楽しんだ夜もありました。このときの記録は写真とともにホームページに残しています。*2005年・台湾訪問→■
 東京も秋本番。大相撲・秋場所は今日(27日)千秋楽。熊本出身の「正代」(関脇)が優勝、大関昇進のニュースも走って、おめでたいことです。大分のカボスも東京の店頭に並ぶ季節となりました。そういえば、豊後のカボスの君はその後、元気かしら? 近況などお寄せください。 

4185号【2020年 9月23日】
■≪
コロナ禍、脱皮の模索≫
 新涼の季節が過ぎ、水も冷たく感じるようになって、ようやく本格的な秋だと楽しくなりかけたところ、今日(23日)は雨、南から台風12号が関東に向かっているらしい。明日は風雨激しいとの予報。幸いに台風の上陸はない模様ですが、八丈島の茂手木清さん(八丈方言研究、風メンバー)とくにご用心を。
 明後日・金曜の夜は、9月定例研究会(オンライン)の予定です。リマインド・再案内を上掲しました。→■  久しぶりの台湾報告、報告者は山口香苗さん、どうぞよろしく。終了後は(オンランで)新著出版のお祝い会。皆さんのご参加をお待ちしています。
 呉セヨンさんからは、日曜日に開かれた韓国フォーラム(記念すべき第90回)の報告が寄せられました。記録と写真を添付。ぶんじんは隣の部屋にいたのですが、息子家族が来ていて・・・それにすぐにオンラインに入れず、結局失礼しました。写真(下掲)には、ぶんじんの枠を用意していただき恐縮しました。
 本号で嬉しかったのは、東京江東のコンサートホールで仕事をしている飯沢(現姓・勝冶)美樹さんからのメール。和光大学に勤め始めたころの最初の学生、毎日の仕事はコンサートをたのしむこと、という人も羨む仕事。コロナ禍に「この4連休中の9月20日、ようやく今年初の主催事業を実施しました。オーケストラ&バレエ入門・・」とのこと。嬉しいニュース。時にまた楽しいメールをお寄せください。
 ぶんじんも高齢者意識もあり、この間は専ら自粛してきましたが、(本来ならば月の半分は暮らす予定であった)福岡油山に一度出かけようかと模索しています。本・資料が永福・油山と二分されて、仕事が進まないのです。なんとか脱皮へのあがき、いろいろ考えているのですが・・。
韓国研究フオーラム(ズーム、20200920)


4184号【2020年 9月19日】

■≪戦後沖縄の図書館史≫
 明日(20日)午後3時から、Zoomミーティングによる韓国研究フォーラムが予定されています。前回7月韓国フォーラムの記録にありますが、記憶はおぼろ、呉セヨンさん【リマインド】再案内(上掲)で思い出しました。韓国グループは25号関連の原稿・執筆(韓国「この1年の動き」)など着々と作業が進んで拍手! 本号には年報25号全体について執筆「9月末・締め切り」の編集長メールを冒頭に掲げました。皆様、どうぞよろしく。本号は明日の韓国研究フォーラムの前にお届けしたく、急ぎ今晩中に配信することにしました。
 思いもかけない古い記録がネット上にアップされ、最近驚くことが何度かありました。古い講演記録・集いのチラシ、昔の論文の引用など。古証文を見せられて当惑、ときに嬉しいいような、複雑な気分。
 Googleの検索で、これまで知らなかった「沖縄アーカイブ研究所」に小林ぶんじんが登場していることを発見。「那覇市琉米文化会館・・1972年5月の沖縄の日本復帰で那覇市に譲渡された「那覇琉米文化会館」。琉米文化会館は、戦後の米国統治下で、沖縄の文化活動を支えてきた重要な施設。しかし同時にアメリカの宣撫機関として占領政策の要という顔もあります。沖縄県内には・・・・その辺については、以下の論文がわかりやすい。沖縄の図書館の発展と米国の占領政策。歴史の持つ多面的な要素が絡み合う興味深い物語です。≫「アメリカ占領下・沖縄の図書館」 小林文人(東京学芸大学教授)」という論文。「同建築は現在も健在で、沖縄の日本復帰によって、那覇市に譲渡され、現在も那覇市立中央図書館、那覇市立中央公民館として機能しています。また、ほぼ同じ壁が撮影された画像が、図書館のホームページに掲載されています」など。8ミリ記録を主とる「アーカイブ」のようです。まったく知りませんでした。→■https://okinawa-archives-labo.com/
 あらためて四半世紀前の、戦後沖縄図書館史の拙論を自ら再読する機会となりました。まだ浦添市や石垣市など自治体立図書館設置の流れが動き始める前、名護の崎山図書館のみが(県立図書館をのぞけば)唯一の中小図書館であった時代の記録です。当時、沖縄では書く人がなく、日本図書館協会の依頼に応えて書いたもの(1992年)。懐かしい思い出。ホームページに掲げています。→■http://www.bunjin-k.net/okinawa92library.htm

4183号【2020年 9月15日】
■≪年報執筆、進捗状況は?
 2020年度の日本社会教育学会研究大会が9月11〜12日、オンラインで開催されたこと、学会長・上野景三さんから直々ご報告いただきました(上掲)。例年この大会に向けて、私たちのTOAFAE 年報(今年は第25号)を刊行し、事務局長・山口真理子さんが会場で販売にあたる慣わし。しかし今年は年報編集・発行スケジュールも数か月遅れ、恒例「やんばる対談」(名護市開催)も中止、静かな9月日程。やはり今年は異常な年となりました。
 年報執筆予定の皆さん、その後の進捗状況はいかがでしょうか。編集委員会として、あらためて執筆期限厳守(9月30日?)のお願いをしては如何でしょうか。例年より中国や韓国そして台湾からの執筆予定者も少なくなく、翻訳の時間も必要、他方で「やんばる対談」原稿は予定されず、少し心配しています。取り越し苦労かな。
 名護そして沖縄全域で、今年の青年エイサー行事は中止。名護市城(ぐしく)区の地域活動リーダー渡口裕さんがひとりで旧盆ウークイにエイサー節を奉納したニュース、ご本人から長文レポートを書いていただきました。議会等で多忙のなか、有難うございました。南の風メンバーは、中国・韓国メンバーもあり、そもそもエイサーを知らない人も多いこと、初めての人にもわかるように「エイサー」解説もお願いしました(上掲)。ちなみに、旧盆行事3日について、ウンケーは「迎え」(初日)、ナカビは「中日」(二日目)、そして、ウークイは「送り」三日目のこと。
 訂正。前々号で定例研究会で台湾をとりあげたのは、「2016年・第226回」かと書きましたが、大きな思い違い。昨年5月に262回定例会「台湾・生涯学習の最近の動向」(山口香苗さん)が開かれていました。たいへん失礼しました。ついでに2019年以降の開催一覧を上に載せました。これを見る限り、私たちは着実に歩いている。
旧盆ウークイ・エイサー節の奉納・渡口裕さん (名護市城区の拝所、20200902)


4182号【2020年 9月11日】
≪沖縄「やんばる」からの風≫
 もしコロナ蔓延がおさまっていれば、9月中旬は「やんばる対談」の予定でした。残念ながら中止となり、杖をつく身ながら、心は南に飛んでいます。1976年秋に沖縄研究に入り、数えることができない頻度で沖縄に通ってきましたが、これほど(1年以上も)沖縄から離れていたのは初めてのこと。
 本号には、先日亡くなられた名護市初代市長・渡具知祐徳氏への追慕のメール、島袋正敏さんから頂きました。「長くなりますので続きは次号へ」とあり、楽しみにお待ちします。
 山口真理子さん(事務局長)から、琉球新報記事(9月8日)が寄せられました。「聖地でエイサー節、ウークイの夕奉納―名護・渡口さんコロナ収束も願う」の見出し。渡口さんは名護の中心部「城区」のエイサー・集落活動を担うリーダー(職場は名護市教育委員会)。私たちの年報24号の「やんばる対談」にも参加、自らも「名護市城(ぐすく)区青年会活動の歩みと活動」を寄稿していただきました。早速「風」にレポートいただくよう、お願いしました。折り返し「お久ぶりです。名護市 渡口です。琉球新報をご覧になったそうで、ありがとうございます。一文お送りしたいと思います。しばしお待ち下さい。」(9・11 13:54)とのこと。 コロナ禍のなか、沖縄・やんばるでは、集落の祭りも、青年たちのエイサーも、学校の運動会も、すべて中止だそうです。この季節、夏の夜「祭りの笛太鼓」は消えてしまった。その中での渡口裕さん、ひとりだけのエイサー節奉納は貴重。さきほどまで「一文」を心待ちしていましたが、すでに日付もまわりましたので、次号への楽しみに(新聞記事だけ添付)、本号をお送りすることにしました。渡口さん、ゆっくりと書いてください。

4181号【2020年 9月6日】
■初代・名護市長・渡具知裕徳氏の訃報≫
 本号はまずTOAFAEC 9月定例会・第273回研究会(山口香苗さん報告)ご案内を冒頭に掲げました。あわせて、山口さんの新しい本(『市民がつくる社会の学び―台湾「社区大学」の展開と特質』大学教育出版刊、2020年)も、ご一緒にご紹介しました。
 名護市の初代市長・渡具知裕徳(とぐちゆうとく)氏が亡くなられました。享年91才。謹んでご冥福をお祈りいたします。名護の稲嶺進(前市長)・島袋正敏など各氏の「悼む」談話を含む琉球新報記事を抄録・添付して、在りし日を偲び、ご逝去を悼む号といたします。正敏さんには、名護博物館を開館させた当時の市長さん、何か想い出話などを寄せていただければ幸いです。、
 とくに印象的なのは、名護町がまわりの4村を合併して名護市となり(1970年)、その初代市長(革新市長)として積極的な自治体づくりに励まれたこと、若手建築家集団いわゆる「象グループ」との出会いがあり、岸本建男(のち市長)また島袋正敏など当時の若手職員のエネルギーを寄せ集めて「逆格差論」を骨子とする自治体総合計画をまとられたこと、そのときは渡具知市長も新進気鋭の市長、当時40才台前半でのお仕事だったのです。名護市総合計画を議会で承認させたときの苦労話などを面白くお話しいただいたことがありました。
 新聞の略歴には書かれていないようですが、渡具知裕徳さんはまず青年団活動家として活躍、北部地区から初めて沖縄県青年団協議会々長(1959年)をつとめた人でした。この青年活動から市長時代の歩みをお話しいただいた日、名護の国道沿いのレストラン(2008年7月7日)。その記録は「東アジア社会教育研究」(第14号)に収録し、また沖縄社会教育研究フオーラム編「戦後沖縄青年団運動の証言―祖国復帰とアイデンティテイィ」(2018年)に再録しています。お話を伺ったときに撮った写真、鎮魂の思いをこめ本ページに掲げます。
 本号には、また八重山からの懐かしい黒島安央さんメールをご紹介しました。私信として頂いたもの、2016年12月の研究会にお出で願った経過もあり(当時は東京の出版社勤務)、石垣に帰って八重山毎日新聞で仕事をされているそうです。潮平正道さん「八重山の戦争」出版(既報・4179号)がとりもつ縁でメール再会ができました。
名護市初代市長・渡具地祐徳氏(名護市内レストラン、2008年7月7日)


4180号【2020年 9月1日】
≪福建省「終身教育」100号記念誌の刊行≫
 沖縄へ強い台風9号の襲来。瞬間風速が50米を超えたらしく、沖縄の皆様に被害のないことを祈っています。進路予報図によると、この台風はさらに北上。九州沖でいつものように日本列島上へ東に曲がらず、勢力を保って、まっすぐ朝鮮半島に上陸、さらに中国・東北へ進むらしい。偏西風を乗り越える勢いか。台風よ、心あらば安らかな南の風として吹け、と言いたいところ。韓国の皆さんにも被害のないことを祈っています。
 中国福建省より、同省教育庁(主管)、同「全民終身教育促進会」(主弁)発行による隔月誌『終身教育』の百号お祝い号が送られてきました。早稲田大学・新保敦子さんを介して祝賀文を呈上(風4153号:5月13日)。同誌100号に、上海・呉遵民さんと一緒の写真で紹介されています。福建「終身教育」誌は2003年創刊。中国では、同省「生涯学習促進条例」(2005年)とともに注目されてきました。ぶんじんは(米・独・英・加・韓と並ぶ)日本からの学術顧問。2011年秋に「東日本大震災をめぐる社会教育からの緊急報告」(石井山龍平・黄丹青各氏9名の共同執筆)。この日本語版は「東アジア社会脅育」16号(2011年)に収録されています。震災後わずか半年後の海を越える取り組みでした。→■http://www.bunjin-k.net/essay2010.htm
 さて今年の年報25号の原稿執筆。例年より数か月おくれての発行予定ですが、ようやく韓国グループの「1年の動き」原稿がまとめの段階に入りました。ご苦労さま。暦も九月、執筆予定の皆様、韓国フォーラムに伍して、コロナ禍を跳ね返して頑張ってください。
 那覇・鷲尾真由美さん、潮平俊さんの経歴修正(上掲)、有難うございました。また黄丹青さんからもメール来信。「・・・やっと少し涼しくなりました。先生もちゃんと栄養をとり、歩くよう頑張ってください」とのこと。激励に感謝です!

4179号【2020年 8月25日】
■≪潮平さん『絵が語る八重山の戦争』≫
 まず訂正。前号の発行日、8月12日となっていましたが、正しくは8月17日でした。お詫びします。本号はそれから1週間を経過して25日発行、間延びして残念です。この8月は、ご案内すべき集いも記録すべき活動等もなく、週2回の発行リズムがこわれて、調子がでません。例年ですと、9月に発行する年報・原稿の校正作業や全国集会関連記事等で8月は案外と賑やかなのに、コロナに毒されて、私たちも次第に不活発。風・終盤の感じもただよい、残念至極。
 福岡の西恵美子さんよりメール来信(前号末尾を承けて)。こんな便りをいただくと、やはり風を続ける意義を感じて、当方も元気が出ます。「小林先生、すぐに対応していただき、ありがとうございます。南の風届きました。思わず、やったーと心躍る気持ちでした。長い間のご無礼、失礼しました。また、風が吹いてきたので、うれしい限りです。」(8/17/23:26)
 さて本号の目玉は、石垣市・潮平正道さんの『絵が語る八重山の戦争―郷土の眼と記憶』(南山舎)出版のニュースです。出来立てホヤホヤの一冊をを那覇・鷲尾真由美さん(沖縄環境ネットワーク)から送っていただきました。潮平さんは昭和ひと桁代の生まれ(少年Bと同じ世代)、潮平少年が経験した八重山の貴重な戦争記録、新しくたくさんのことを知りました。潮平さん独特の絵が「事実」を浮き彫りに。潮平さんは新垣重雄さんの選挙(参議院・東京より立候補の折、応援・上京された姿を印象的に憶えています。お連れ合いの潮平俊さんは石垣市立図書館準備に活躍され、文庫活動を担ってこられた方です。
 南山舎の本づくりもまた見事。本の一冊代価1800円+税、何冊かまとめて注文し、ご希望の方にお販けしようと考えています。まず桑原正美さんの分を確保しておきます。

4177号【2020年 8月17日】
■≪
旧盆・猛暑のなか大失敗!≫
 TOAFAEC では台湾についての話題が少なくなっていたところ、お二人の山口さんから私信を頂戴し、いずれも台湾に関すること。時あたかも旧盆、西方浄土の仏さまのお引き合わせかと思うほど。嬉しくなって南の風記事として上掲させていただきました(お二人、ご了承を)。山口真理子さん(事務局)の亡くなられたご両親は、生前、台北師範大学付属小学校で教鞭をとられていた由。台湾に関わりある方々と今でもお付き合いがあるご様子。そのうちにまた台湾についての記事をいただければ幸い。
 山口香苗さん(早稲田大学)からは『市民がつくる社会の学び―台湾「社区大学」の展開と特質』(大学教育出版)をご恵送いただきました。学位論文が立派な本になり、おめでとうございます。本欄をかりてお祝いと御礼まで。9月(TOAFAEC)定例研究会では、このテーマで開催できますね。楽しみです。
 【お詫び】 暑さボケの大失敗。冒頭に書いたように、前号の発行号数を1号ジャンプして【4178号】でお送りしました。申し訳ありません。こんな失敗は初めて。ショック!いよいよ年貢の納めどきかと思っています。ただ欠号を避けたいので、本号を4177号、次号を4179号として発行いたします。毎号の風発行の直後にホームページを更新する慣わし、その際すぐにミスを発見しましたが、風は戻らない。数人の方からお問合せもあり。恐縮しています。そのなかの1通・的野信一さん(板橋)メールを記録として掲載いたしました。
 福岡の西恵美子さん、最近「風」が戻ってくるようになっていました。新しいアドレス拝受、本号のご確認を。

4178号【2020年 8月11日】
■≪
夏のブーケひとつ≫
 長雨の梅雨・・が明けたと思ったら、その後にやってきた耐え難い猛暑。夜になっても 30度C。その上にコロナ蔓延。今年はお互い毎日たいへんです。毎年恒例の全国集会など中止となり、TOAFAEC 定例研究会も八月はお休み。南の風も、とくに案内や記録の要なく、盆休みを頂こうかとノンビリ構えていたところ、久しぶりに遠藤輝喜さんから渋谷区の状況について、とくにスポーツ行政・体育会活動について興味深い報告をいただきました。いつもの松田さんの町田とびたつ会ニュースと合わせて本号編集、真夏の風をお送りすることに。
 本日8月11日は故郷・久留米大空襲の日。前号にも書いたように、懐かしの故郷が(終戦4日前に)焼失し、苦しい戦後史を強いられた恨みの日。少し調べてみると、久留米・戦争史を記録する活動は弱く(もしそうでなければ教えてほしい)、新しい史実ではありませんが、米軍B29など150機の襲来、市中心部7割(約4500戸)焼失。犠牲者火葬で焼き場はたいへんだったなどなど。いつぞや本欄に少年Bの記憶を書いた通り、やはり生涯忘れない日なのです。
 しかし今年、嬉しいことも。玄関のドアをあけると、ある方より可愛いブーケひとつ。また別の方より新しく本ができた由、お送りします、とのこと。有難うございます。さて、この方々はどなたでしょう?
 断続的に連載中の「杉並研究のあゆみ・追録5−安井館長後・第二のうねり、は(本欄でなく)上掲しました。下(ホームページ)の写真は前号の続き、7年前の8月3日(社会教育研究全国集会全体交流会)、懐かしい面々の1枚。
社全協全国集会・初日・交流集会(20130803、千葉大学)


4176号【2020年 8月6日】
■≪8月、追悼・鎮魂の季節≫
 本日8月6日・原爆忌。広島の画家「四国五郎」のNHK 番組 (再放送)を観ました。五郎はぶんじんより7歳年長。戦後シベリヤ抑留3年、なんとか生き延びて広島に帰着。しかし街は無残。ともに絵を画こうと誓い合った弟「なおと」も原爆死。その後の鎮魂と平和を求めて生きた記録です。漢字は違うのですが、亡弟「直人」と同じ名前でもあり、観るたび「四国五郎」には引き入れられてしまいます。
 原爆とはケタが違いますが、1945年8月、故郷・久留米も激しい米軍の大空襲を受けました。8月は鎮魂の季節。しかし今年は盆参りもままならず。
 突然FBネットを介して、韓国の朴Injong さんから「7年前・今日の記録」(8月3日)「日韓交流20年・日韓セミナー」の写真(2013/8/3、全国集会・会場=千葉大学)が送られてきました。朴Injong氏はもちろん、崔云實、金南宣、梁炳贊など各先生の懐かしい顔。日本側は笹川孝一、長澤成次のお二人や小林も並んでいます。当方アルバムに同じ場面の写真あり、少し人数が多い一枚を掲げました(HP)。コロナの影響、最近は回想写真だけですね。
 本号には先日(7/31)定例会の余韻あり。小田切督剛さんの便り2本、とくに後者「職業教育」は、ぶんじんの粗雑な発言を補っていただきました。そして報告者・内田さんレジメを読んで、寺内藤雄さんより興味深い論点も。有難うございました。
 皆さんご存じの方が多い韓国の魯在化さん「ご挨拶」冒頭に。大学退職後はニューヨークで暮しているそうです。一昨年の公州フォーラムでお会いして以来。あのときも突然の登場でしたが、米国からのメールにも驚きました。山口真理子さんからは映画「ドキュメンタリー沖縄戦」記、映画は久しぶり。各メール長文のため、杉並研究「大きなうねり」はお休みです。
7年前の8月3日・社全協・全国集会(第53回、千葉大学)日韓交流20周年記念集会。


4175号【2020年 8月2日】
■≪
今宵の月は十三夜≫
 八月に入ってようやく梅雨明け、夏の陽ざしがやってきました。初セミも。今宵の月は十三夜。八重山では「月ぬ美しゃ十三日」と歌います。久しぶり戯れ歌。〇梅雨のウツ去れどコロナ居座りてわが夏遠く思い出にのみ。
 7月末日のTOAFAEC研究会(数えて272回目の定例会)、ご参加の皆さん、ご苦労さまでした。当夜はオンライン開催、沖縄・九州からのご参加あり、そして高知・内田さんの報告、議論もいろいろ、賑やかでした。松尾有美さんより早速の研究会記録(また山口香苗さんの「台湾の風」も)有難うございました。当日の詳細な報告レジメ、本号に添付しました。内田報告を軸に松本・川崎から「自治体生涯学習計画」の歩み、加えて東アジア各地からの諸報告が並べば、充実した特集(年報25号)となりましょう。楽しみです。
 オンラインでは、当方パソコンなぜかなじまず、ときどきフリーズ、失礼しました。発言いくつか。東アジア各国の社会教育・生涯学習「法制」における自治体の位置づけの相違、加えて労働・職業にかかわる教育・訓練の(東アジア的な)弱さなどについて。論議では後者に関して、小田切督剛さんが『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』(エイデル研究所、2017)第3章「働く希望を創る平生学習」に留意を!とコメント。貴重なので「風」に当夜発言をご紹介いただけませんか。いま拝受している便りと合わせ、次号へ掲載したいもの。
 さて、杉並公民館史「三つのうねり」について(続き)。安井館長主導の教養講座「歴史の大河は流れ続ける」記録(全100回、1954〜62年)を土台として、第一のうねりは、1973年から始まり1980年代にかけての市民主導「公民館講座」づくり、公民館を存続させる運動、新社会教育センター建設協議会(1985年)等の活発な取り組みがありました。1980年代の杉並公民館は市民(女性)の熱気とエネルギーに包まれ、東京でも他に類を見ない展開。関連資料・記録・文献等を別掲。資料として上に収録しましたのでご覧ください。

4174号【2020年 7月28日】
■≪杉並公民館長としての安井郁≫
 すぐに八月の暦なのに、まだ梅雨前線が居座っています。今日もまだ雨。コロナは再び勢いを盛り返し、東京だけでなく、全国的に油断ならない状況。自粛の生活はさらに続きそう。7月31日夜は私たちの定例研究会、内田純一さん(高知大学)の報告です。本号はその再案内号として急ぎ編集しました。オンライン研究会Zoomの申し込みは本日(7/28)まで。皆さん、ご参加を。
 杉並公民館研究について(続き)。前号で「歴史の大河は流れ続ける」(全4集)のあと「三つの大きなうねり」と書きましたが、その前に、初代公民館長として刮目すべき役割を果たした安井郁について、あと少し書いておきます。公民館史研究のなかでも、今までほとんど触れられたことがないからです。
 安井郁は東京帝国大学法学部教授(国際法学)。戦後の公職追放の動きのなかで1948年に東大を去り(法学部教授会は「適格」審査)、1952年より法政大学教授。現職のまま杉並区は区立図書館長、翌1953年に公民館長へと迎へられます(1959年に名誉館長)。1954年のビキニ環礁・水爆実験被爆をきっかけに原水爆禁止(反対署名)運動を提起。杉並公民館・館長室はあたかも署名運動事務局であったような写真が残されています。1955年・原水爆禁止日本協議会理事長へ(1963年辞任)。この間、杉並公民館では杉並婦人団体協議会が動き、読書会「杉の子会」が拡がり、水準の高い「公民教養講座」(1954〜1962、全100回、最終回テーマ「歴史の大河は流れ続ける」)。毎回、谷川徹三、上原専禄、大内兵衛、宮原誠一など著名人を招き、その講演に併せて安井郁「世界の動き」、レコードコンサートも企画。東京でも類をみない展開でした。
 私たちが杉並公民館に通い始めた頃(1979年〜)、安井先生はすでに入院中。「そのうち社会教育や公民館についても書きたいと申しています」(安井田鶴子さん)と。しかしそれは叶わぬ夢に終わりました。横山・小林編『公民館史資料集成』(1986年)には、安井郁『民衆と平和』(1955年)の中から公民館や「杉の子会」などの関係部分を抄録しています。
安井郁先生・遺影 (安井家書斎)


4173号【2020年 7月25日】
≪杉並公民館研究の歳月≫
 本号は何人もの方から、お問い合わせや相談のメールをいただき、まとめてのご返報として、もっと早くに送信すべきところ、コロナ自粛の妙な後遺症か、のんびりして、気がつけば5日も間隔が空いてしまい、お詫びします。
 杉並研究のことを何回か書くお約束。ホームページにはすでに「歴史の大河は流れ続ける」全4集・目次一覧や、「原水禁運動(安井家)資料研究会」(2005〜2009)記録(風・前々号)を含め、4本のページをアップしていますのでご参照ください。→■http://www.bunjin-k.net/suginamibunken.htm、
 本欄では、そこに書いていないこと、いくつか今後のこととして記憶しておきたいことをメモしておきます。ぶんじんが杉並の公民館・原水禁運動・市民活動に関心を寄せ始めるのは1970年代後半。当時すでに安井郁氏(杉並区立公民館長、法政大学教授、日本原水禁理事長)は、初代原水協理事長を辞任され、病床の傷みを歌っておられる頃か。たとえば、「夏を病む」として「やうやうに長き病の癒えゆくをなほも沈める吾のこころは」(歌集『永劫の断片』1977年)などの切ない歌が遺されています。安井先生は1980年3月没。
 杉並区の公民館施策の動きを憂えて、伊藤明美さんたちが「杉並区立公民館を存続させる会」活動を始めた頃(1979年)、園田(現・平井)教子さんなどを誘って、荻窪の旧杉並公民館に通うことが多くなりました。お連れ合いの安井田鶴子さんとのお付き合いも(写真)。園田教子さんの修士論文は「都市公民館論ー東京都杉並区公民館・安井構想について」(1983年、東京学芸大学)と題する、知る人ぞ知る力作!
 杉並についての研究交流は、次号に書くように、その後三つほどの大きなうねりがありました。杉並研究の本をつくろうと企画を始める頃(2010年前後)まで30年あまりの歳月が経過していたことになります。(つづく)
1980年夏・杉並公民館を存続させる会「歴史の大河は流れ続ける」(第1集)編集会議ー左より 園田(平井)教子、川添れい、
 中央・安井田鶴子、大塚利曾子、伊藤明美、の皆さん(小林ぶ撮影, 敬称略) 



4172号【2020年 7月20日】
■≪「北田耕也先生追悼集」≫

 本号は、杉並公民館史について取り上げる予定で、資料『歴史の大河は流れ続ける』のこと(1980〜1984、全4集)も上掲したのですが、昨年3月に急逝された故北田耕也さんの追悼集(『直指人心』)が届きましたので、杉並へのコメントは次にまわし、あらためて北田さんを偲び、思い出・追悼号について記すことにします。
 と書き始めたところで、入江優子さん(東京学芸大学)より待望の男児ご誕生の朗報、まことにおめでとうございます。何にもまさる慶事。「南の風」としてもめったにないお祝いニュースです、お知らせに感謝! 心は乾杯!
 さて「北田耕也先生追悼集」、多数の方の追悼の思いが寄せられ、400頁に近い大作。編集委員会の皆さま、細部にわたる心くばり、ありがとうございました。一昨日に拝受して終日また終日、ページをめくっていました。あらためて北田さんのお人柄、しみじみと。私は密なおつきあいというよりも、間断をはさんで半世紀をこえる歳月の交流、懐かしいハガキも読み直しています。追悼集から、北田さんはほんとに優しい人、実に筆まめな人だったことを実感しました。いま手紙・ハガキを書かなくなって、とくにそう思いました。
 追悼集26〜27頁の第1回九州教科研大会(1955年)の写真、右端が若き北田さん、同じページの10人目あたりに黒装束の小林もいます。多分、この芝生の集まりで、勝田守一先生が「あの汽笛、たんぼに聞こえるだろう」(秋田・作文の会)の歌を披露され、九州からは「宇目のうたげんか」(大分)が歌われた記憶あり。この場にはお出でにはなりませんが、大会の準備会のような集い(福岡)には太田堯先生が熱っぽく「ロハ台の仲間」を語られた記憶も残っています。小林の追悼文「半世紀をこえる励まし」は、TOAFAECホームページに載せています。
→■
http://www.bunjin-k.net/2019toafaec.htm

4171号【2020年 7月16日】
■≪杉並の記録・資料・回想など
 今月の最終金曜日、(31日)夜、定例研究会がZoom・オンライン会議として開かれます。報告者・内田純一さん(高知大学)自身による研究会「ご案内」は前号と入れ違いで拝受(上掲)。ありがとうございました。また今年の「やんばる対談」について山城千秋さん(熊本大学)に調整をお願いしていましたが、名護・正敏さんよりコロナ等の「状況から休止せざるを得ない」との判断。残念ですが、止むをえまん。七月「第三日曜日蔓草庵恒例の行事も休止」とのこと、これも含め、来年の楽しみにとっておきましょう。
 本号には、杉並の富澤由子さんより、小林五十鈴さんの訃報が伝えられました。驚きました。実はお住まいが当方と近く、通りすがりにときどきお会いするときがあり、遠くから呼びかけられること再三。あの大きな声が懐かしい。私たちの例会にお出でになったことはありませんが、『杉並の女性史』(ぎょうせい、、2002年)の編集に参加され、また杉並公民館が老朽化のため新社会教育センター移行への「建設協議会」(1985年)に市民公募委員として参加、活発な発言が印象的でした。この委員会がきっかけでお付き合いが始まったのでした。ぶんじんより数歳お若いと記憶していますが、まことに残念無念、ご冥福をお祈りします。富沢さんの「偲ぶ」一文は添付へ。
 かねがね杉並「社会教育を記録する会」(2003年以降〜)、その前の杉並「公民館を存続させる会」(1979年発足〜)、『歴史の大河は流れ続ける』編集(1980〜84年、全4冊)等について、今のうちに書いておきたいことあり、、「五十鈴さん」訃報をきっかけに「南の風」誌上に何回か回想をと思っています。すでにホームページ上に「安井家資料研究会」の歩みに関連して10点余りの拙文・写真を載せています。お暇の折にご覧いただければ幸いです。 →■http://www.bunjin-k.net/suginami06kominkan.htm



*南の風4131号〜4170号→■(前ページ)

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