TOAFAEC 定例研究会・案内・報告(記録11) 
        
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8812月定例・TOAFAEC(第276回)研究会・記録 
  第46回東京社会教育史研究フォーラム  石川敬史 (2020年12月08日00:32)
ご案内
 2020年も残りわずかとなりました。今年は「コロナ」で始まり,「コロナ」で終わる1年にりそうです。「3密」「ソーシャルディスタンス」「Go To」「クラスター」「ロックダウン」「ポストコロナ」「マスク会食」・・・など,新しいコトバの登場と,政府の施策に私たちは日々翻弄されるとともに,一方で社会・文化・人間・学びとは何か・・・について,問い考える1年となりました。
 さて,2020年最後の研究会も再び東京社会教育史研究フォーラム(第46回)と、TOAFAEC 定例研究会(第276回)との合同の開催となります。11月の研究会は梶野光信さん(東京都教育庁地域教育支援部主任社会教育主事)からの熱いお話。実は研究会終了後に,「井口さんの話も聞きたい!」と小林文人先生が投げかけられまして実現しました!
 井口さんは,『大都市・東京の社会教育』(エイデル研究所,2016年)にて編集委員会事務局を担い,同書の「第4章障害者・人権」において,「1.障害者の社会教育実践の展開」(p.386-403)を橋田慈子さん(筑波大学)と担当されました。ここでは障害者青年学級を中心に,戦後東京における障害者社会教育の実践史を1950年代の第1期から2010年代以降の第5期までを描いています。最後に井口さんがまとめられた障害者青年学級の歴史的意義(3点)も興味深い指摘です。
 12月研究会開催にさきがけまして,井口さんより次のコメントをいただきました。
 ===
 本書刊行の2016年以降,また別の動向の一つとして文部科学省による「障害者の生涯学習」政策の始動が挙げられます。本書においては橋田さんとともに「障害者の社会教育実践の展開」を担当させていただきました。2018年からは文部科学省において新設された「障害者学習支援推進室」という部署に国立市から出向し、この政策に携わっています。12月の研究会では、文部科学省での「障害者の生涯学習」政策の経緯や課題を整理し、関連実践・運動の歴史などを捉え返す視点について報告させていただきたいと考えております。
 ・・・(略)・・・韓国における関連施策の動向や、文部科学省における社会教育施策の方向性、などに議論を膨らませられたらと考えております。
 ===
 12月の研究会では『大都市・東京の社会教育』刊行後の2016年以降の動向とともに,11月の研究会にて梶野さんより問題提起をいただいた視点も踏まえることができるのではと考えております。
 年末の慌ただしい時期となりますが,多くのみなさまのご参加をお待ちしています。第2部・途中からの参加も大歓迎です。どうぞよろしくお願いいたします。
◆日時:2020年12月25日(金)20:00〜21:30 (第二部21:40〜22:30 質疑・交流)
〇テーマ:「『障害者の生涯学習』政策展開と関連実践・運動の歴史をどうみるか」
〇報告者:井口啓太郎さん(文部科学省)、発言:韓国の動き(松尾有美さん)
〇申込み:12月24日(木)までに、お名前とメールアドレス,ご所属を以下にお送りください。
  前日にZoomのアドレス等をお知らせします。
〇終了後(21:40〜22:30〜)質疑応答・懇親会→オンナイライン忘年会、年報25号刊行祝い・乾杯!
             *それぞれお好きな飲み物・メニューをご用意ください。
〇連絡先:zoomお申し込み先 takashii@jumonji-u.ac.jp(石川あて)

報告 (栗山究,, 20201229:0710)
〇参加者:李正連,石川敬史,井口啓太郎,内田純一,江頭晃子,小田切督剛、栗山究,小林文人,
       齋藤真哉,野村千寿子,橋田慈子,的野信一,松尾有美,山口香苗,山口真理子,
〇内容:第46回東京社会教育史研究フォーラム・第276回TOAFAEC定例研究会は、文部科学総合教育政策局で「障害者の生涯学習」政策に取り組む井口啓太郎さんよりご報告いただきました。東京大学大学院の松尾有美さんから韓国の政策展開の話題提供もあり、両報告の対話というかたちで議論が進行しました。
 井口さんからは、『大都市・東京の社会教育』では取り上げられなかった視点から「障害者の生涯学習」政策が国の政策に位置づけられた背景について報告がありました。その視点とは、「障害者の生涯学習」の実践と政策は、義務教育の実現、高校進学の実現、高校卒業後の学びの機会の実現と「学校教育を軸」に拡張してきたというものです。しかしこの視点は、特別支援教育(障害者と健常者の区別)の必要を起点とした議論といえ、地域で他者とともに学びあう視点が欠落しがちであるという課題を抱えています。「脱学校的視点からの共生社会づくりの社会教育」の実践的提起が、いま求められているという報告でした。
 松尾さんからは、学齢期に教育を受けられなかった障がい者を対象とした民間の夜学の実践から職業教育を含めた「障がい者平生教育」(国の支援)へ移行していく最近30年の韓国での動向が報告されました。その特長は、父母を含む当事者団体が研究者と手を取りあうかたちで展開されてきたことです。課題としては「障がい者平生教育」が、平生教育としてというよりもむしろ学校型の特殊教育の側面に留められる傾向があること、そして障がいの種類により政策の展開に偏りが生じていることなどが挙げられました。
 全体議論では、その実践が福祉や学校制度への要望として顕在しがちであり生涯学習としての学びの視点に到達しづらい点が指摘され、地域社会で生きるうえで当事者でない人とともに学びあう環境をいかにつくるかという社会教育の視点の重要性が確認されました。その際、歴史的に存在する「特殊教育・発達保障」の観点と「統合教育・共生社会実現」の観点の二つの文脈を、地域の学習と運動の連続性のなかで丁寧に解明する必要が挙げられました。また国際的動向とのように結びつけられるかという視点の必要も語られました。
 「社会教育行政」という固有領域が再編されていった日本では、社会教育専門官を置かなくなってしまったことや、職員異動の早さのため政策が実践と結びつきにくい構造にあることも課題として語られました。学校教育の補完・拡張として関連づけるか、福祉や文化芸術など雇用創出や経済効果の文脈に位置づけるか以外は予算がつきにくい現実もあります。この現実は博物館などの政策においても同様の現象と言えます。国の社会教育行政が解体した歪みが共通した問題をいま浮かび上がらせていることを実感せずにはいられません。またそのような状態でも、「社会教育」の視点を確保せんと行政の現場で日々苦闘される井口さんの報告は、前回の梶野さん(東京都)の報告と類似するものがあり、多くの関係者を勇気づける内容であったと思います。そうした意味でも、東京社会教育史研究フーラムは今後も追究され続けていく必要があることを強く思った、2020年最後の研究会でした。


87、11月定例・TOAFAEC(第275回)研究会・記録 
              石川敬史(2020年11月09日00:52)
 <第275回定例研究会、東京社会教育史研究フォーラム(第45回)合同>
 2020年も残り2ヶ月を切りました。本年はコロナに始まりコロナに終わる年になりそうです。コロナ,そして国政と,何かと落ち着かない日々が続いております。
 東京社会教育史研究フォーラムにつきましては昨年の12月,野々村恵子さんの在りし日をご参加の皆様とともに偲びました。それから約1年。東京社会教育史研究フォーラムは,ここ数年,年1回の開催へ・・・野々村さんよりお叱りの声が聞こえて参りますが・・・毎年開催のたびに,『大都市・東京の社会教育』(エイデル研究所,2016年)を手に取り,その後の変化や状況が気がかりでした。
 今回,第45回東京社会教育史研究フォーラム(TOAFAEC第275回定例)では,同書の第1部通史にて「東京都の社会教育行政史―生涯教育・生涯学習施策の登場以降―」(p.66-104)を執筆された梶野光信さん(東京都教育庁地域教育支援部・主任社会教育主事)にご報告をお願いすることになりました。
 同書の刊行から4年が経過し,その後の東京都の社会教育行政がどのように変化したのかをお話いただきます。開催にさきがけ,梶野さんより次のコメントをいただいております。
 ===
 教育行政に身をおいて27年が経ちました。そこで展開されていたのは,学生時代イメージしていた「社会教育」とは全く異なるものでした。日本の社会教育行政自体が解体の危機(すでに解体?)に瀕している中で,社会教育の可能性を行政の中で模索し続け,たどり着いた現在の考えを皆様の前でお話したいと考えています。
 これは社会教育学研究の主流とされてきた考え方(理論)とはまったく異なるものです。社会教育学研究が,なぜ社会教育行政の解体を食い止めることができなかったのか,私なりの考えを提示したいというのが今回報告をお引き受けさせていただいた意図です。このような状況において,社会教育主事としての役割は「なぜか」東京都の中で2016年の頃以上に重要視されています。それが社会教育行政の再興につながるのかはまだわかりませんが、間違いなく「何か」が変わってきたと感じています。その「何か」についてもお話し,皆様と多様な議論ができればと考えています。
 ===
 この間,梶野さんは早稲田大学大学院教育学研究科博士課程に社会人院生として在籍されていました。その研究成果も踏まえながら,社会教育行政研究のアプロ―チに対する問題提起も併せて行いたいとメールをいただきました。
 師走の直前,お忙しい時期になりますが,今回もオンライン(Zoom)での開催となります。第二部・途中からの参加も歓迎です! 多くのみなさまのご参加,お待ちしています。
◆日時:2020年11月27日(金) 20:00〜21:30
(第二部21:40〜22:30 質疑・交流)
 〇テーマ:「大都市・東京の社会教育2016  その後の動き」
 〇報告者:梶野光信さん(東京都教育庁地域教育支援部主任社会教育主事)
 〇申込み:11月26日までにお名前とメールアドレス,ご所属を以下にお送りください。
   前日にZoomのアドレス等をお知らせします。
 〇終了後(21:40〜22:30)質疑応答・懇親会。それぞれお好きな飲み物等をご用意ください。
 〇連絡先:zoom お申し込み先 → takashii@jumonji-u.ac.jp(石川あて)

報告 
石川 敬史(2020年11月29日23:02)
・参加者(敬称略):李正連,井口啓太郎,内田純一,江頭晃子,大前哲彦,梶野光信,金侖貞,栗山究,小林文人,齋藤真哉,佐治真由子,長岡智寿子,野村千寿子,橋田慈子,松尾有美,的野信一,山口香苗,山口真理子,山添路子,石川敬史
・内容:
 昨年12月以来の約1年ぶりの東京社会教育史研究フォーラム。今回は,『大都市・東京の社会教育』(エイデル研究所,2016年)にて,「第1部通史II・東京都の社会教育行政史」(p.66-104)を担当された梶野光信さんより,その後の東京都における社会教育行政の動向をご報告いただきました。
 梶野さんは,2018年7月に博士論文提出(早稲田大学)。今回の報告は「その後」に留まらず,梶野さんのこれまでの問題意識である「社会教育行政研究への疑問」や,梶野さんが詳細に整理した戦後期以降の東京都社会教育行政の時代区分も踏まえながら,問題提起をいただきました。
 まずはじめに,戦後期から現在までの東京都の社会教育行政を分析すると,社会教育施策形成における各都知事の関与の違い,主要アクターの変遷をはじめ,中核機能としての青年期教育という連続性などが視えてくるとのこと。とりわけ,2002年頃に入り,都の社会教育主事が,教科「奉仕」必修化対応や都立学校不登校・中途退学対策への事業に関与するなど,社会教育施策形成の主要アクターとしての役割を担った過程をご報告いただきました。
 そして,2016年以降の東京都社会教育行政の動きとして,まず第一に,地域コミュニティの交流拠点としての学校への着目があったとのこと。これは「地域学校協働」の推進,そして高齢者の社会参加促進事業も背景に,地域づくりの拠点として学校を「コミュニティ・ハウス」と位置づけ,高齢者の教育参加や放課後活動支援など「社会実験」として取り組みが行われているとのことです。そして第二に,社会教育行政が「教育福祉」の分野に乗り出したことです。高校に適応できない若者を対象に,成人期への移行や職業への移行を支援する役割と意義を強調されました。
 今回の研究会は,20名もの皆様にご参加いただきました。ご参加のみなさまからは,東京都という大きな組織における政策形成プロセスと都民・区市町村との距離について,社会教育主事が政策決定に関与するという問題提起の重要性,東京都の事業と区市町村との関係性,台北の小中高校には社区大学が入っており高齢者教育センターも小学校の空き教室を使っていることなど,途中,質問・意見交換が活発に交わされ,終了予定時刻を大幅にオーバーしました。
 遠隔(Zoom)という方法ではありましたが,梶野さんによる当日の詳細資料,そしてご報告から熱い思いと意志が伝わって参りました。『大都市・東京の社会教育』の刊行から4年。大都市・東京の社会教育のその後の動向を,社会的背景や変化とともに,しっかりと見つめ続ける重要性を改めて痛感し,大いに刺激を受けた研究会となりました。ご参加いただいたみなさま,ご報告いただきました梶野さん,ありがとうございました!


86、■10月定例・TOAFAEC(第274回)研究会・記録 
        *江頭晃子( 2020/10/09 22:26)
 <10月定例会「社教学連から豊浦町公民館づくりへ」(ご案内・文献)>
 オンラインでの定例会も半年が過ぎ、直接会って話し合う楽しさには負けますが、オンライン故に参加できる方やお話をお願いできる方がいらっしゃるのも確かです。
 10月の定例会は、文人先生とは40年来のお付き合いのある、元「社教学連」(社会教育を学ぶ全国学生連絡会)で活躍されていた片山房一さん(東洋大学卒・旧豊浦町教育委員会職員、現下関市議会議員)にご登場いただきます。
 大学で社会教育を学び、主事資格を所得した若い世代が各地の自治体で採用されるようになる1970年代。1951年・社会教育法一部改正による社会教育主事法制化から約20年が経過した頃の動きです。東京では社会教育専攻をおいた大学相互で、学生たちが横に繋がり「社教学連」を結成し活動が始まります。片山さんが初代会長へ。どんな展開であったか、あまり記録には残されていませんので、当時の状況・経過など、貴重なお話を伺えると思います。
 その後、片山さんは郷里の山口県豊浦町役場(教育委員会)職員となり、社会教育の仕事に従事されます。人口2万人の豊浦町に「三多摩テーゼ」(東京「新しい公民館像をめざして」1973年)を持ち帰り、公民館づくりに力を発揮されます(豊浦町に4館、2004年に下関市と合併)。意欲的な公民館づくりが注目されました。
 当時、山口県内では、長門市や宇部市をはじめ豊浦町など多くの自治体有志が参加する「山口県社会教育研究会」の独自な歴史がありました。文人先生も沖縄の次によく通った山口県下の集い、多くの知己・つながりが生まれたそうです。この40年近くの歩み、いま山口県の社会教育はどのように変わってきたのでしょうか。
 今回は、片山さんと文人先生の対談の形で、@社教学連が燃えていたころ、A三多摩テーゼは豊浦でどう活きたのか、B山口県社会教育研究会の歩み、などの話題を中心に話を伺います。思い出話にとどまらず、当時の活気と今の違いを探ることで、新たな社会教育士の時代に必要な課題など、ご一緒に考えたいと思います。
関連文献、お手元にある方は、ぜひ読んでご参加を。いずれも『月刊社会教育』。
・片山房一さん執筆
@「社会教育を学ぶ全国学生の連絡会」19757月号
A「豊浦町の公民館づくり」19829月号
B「くらしと生産に結びつく学習活動−フレッシュミセスの農業講座の取り組みから」199412月号
・山口県社会教育研究会のこと
@山本哲生「山口県社会教育研究会 その発想と経過」19696月号
 どなたも、どうぞお気軽にご参加ください。(TOAFAEC は会員制ではありません。ご興味のある方は、どなたもご参加できます。)
◆にちじ:2020年10月30日(金)20:00〜21:30対談 21:40〜22:30質疑・交流
 〇テーマ:社教学連から豊浦町公民館づくりへ
 〇対談:片山房一さん(社教学連初代会長)、文人先生
 〇申込み:10月28日までにお名前とメールアドレス(初めて参加される方はご所
  属を含め)以下にお送りください。前日にZoomのアドレス等をお知らせします。
 〇申込先:ringox@nifty.com(えとう)

報告 野村千寿子、(2020年11月06日22:49)
参加者
(敬称略):小林文人、大前哲彦、内田純一、小田切督剛、山口真理江頭晃子、野村千寿子 
内容:小林先生との対談形式で、片山さんの社教学連との関わり、豊浦町での社会教育や農政での仕事、山口県社会教育研究会のことなどを伺いました。後半は参加者からの質問にもお答えいただきながら進みました。
@ 「社会教育を学ぶ全国学生の連絡会」(社教学連)の発足・経過
 片山さんは1972年・東洋大学社会学部社会学科に入学。大学で社会教育主事資格を取得。社会教育ゼミには2年生から所属した。自主ゼミのような自由に議論する雰囲気があった。卒論は社教学連について書かれたとのこと。
 社会教育を学ぶ全国学生連絡会が発足したのは1974年。立正大学(藤田秀雄先生)の学生たちの働きかけたがきっかけで、他大学の学生へ呼びかけ発足した。片山さんは初代会長に推される。当時は立正大学の研究室で日常的な打ち合わせをし、年に2,3回、都内の青年の家などで合宿などを行っていた。学生たちにとって、自分の大学に社会教育の先生は一人しかいない。他大学の先生や現場の話を聞ける機会をつくってきた。そのような学習会が片山さんと小林先生の最初の出会いだそうだ。『月刊社会教育』(1974年7月号)には第2回学習会の報告が掲載されている(執筆・片山さん)。当時は自治会系の「全国ゼミ」や日本社会教育学会に学生部会が設けられた経緯もある。また社全協・全国集会で学生たちが大学をこえて出会う場もあったが、独自の「社会教育を学ぶ」学生組織は初めての貴重な歴史であった。首都圏だけでなく京都大学や日本福祉大学等からの参加があった。
 1951年に社会教育主事制度がスタートし、当初は教員や地域の青年団長等が社会教育の活動を担う時期から、1959年(社会教育法一部改正)以降に関東周辺の自治体で、大学で社会教育の専門単位を取った人たちを社会教育主事として採用する時代が始まった(第一世代)。また社会教育主事講習も行われるようになる。1970年代後半から80年代に大学で資格をとった社会教育主事の採用が増えてくる。片山さんたちは1970年代後半に大学で社会教育を学んで就職した第二世代と言えよう。
A 豊浦町で社会教育職員として
 片山さんは1976年に故郷・山口県豊浦町(人口2万人程度)に帰り、社会教育の仕事がしたいという思いがあった。最初は社会教育指導員。当時中央公民館をつくる動きがあって、東京から持ち帰った『三多摩テーゼ』を先輩に見せたところ、そのまま「豊浦町の新しい公民館をめざして」がつくられた。まちの茶の間とロビーをしっかりとつくり、公民館図書室も重要視した。公民館が完成する前に、豊浦町初の専門職として社会教育主事採用となる。
 開館前に「新しくできる公民館ではどんな主催講座をしてほしいか」と婦人会が中心になってアンケート調査をしている。地域の生活や生産などを基盤にし、住民と一緒に公民館事業をつくってきた。地域に根付いていた文化活動も広がり、新たにサークル活動も活発になっていく。子ども劇場・親子劇場などの活動もあった。
 小林先生は当時、山口県社会教育研究会の常任助言者のようなかたちで年に数回参加していたが、豊浦町公民館開館時に講演に招かれ、正式に豊浦町公民館運営審議会委員の辞令を受けた(6年間)。片山さんは社会教育の職場に13年勤務し、農林課に異動する頃には正規職員が配置されなくなり、公民館の講座もなくなってきた。一方、農林課でも地域の暮らしと農業の課題を見据えた講座等を実施している(『月刊社会教育』1994年12月号に報告)。
 豊浦町には5つの地区に公民館(集会施設)あり、地区が競い合って頑張った時代もある。しかし職員が配置されたわけではない。2004年に豊浦町は下関市に合併された。下関市の公民館はすべて直営であるが嘱託職員のみで運営しており、貸館中心。予算も少なく、住民相互の情報交換もない。図書館は複数館あるが、正規職員はいない。
B山口県社会教育研究会のこと
 山口県社会教育研究会は、生活・農業生産と社会教育を横につなぐかたちで1965年あたりから活発に動いてきた。社会教育集団と農業改良普及員と一緒に宿泊の集いが年に数回企画された。新生活運動協会(田辺信一氏など)の系譜をひくところがある。長門市の中原吉郎さん(『そよ風―長門の社会教育私史』)に少し記録されている。片山さんは大学で学んだことだけではなく、ここで新しい視点をもらい豊浦町の社会教育で仕事をしてきた。研究会の最後の事務局長をつとめた。「行政の人は自主性まで押し付けるのか」と言われたことが印象深いとのこと。
Cその後の片山さん
 片山さんは、定年3年前に下関市役所を退職された。豊浦町とは自治体の規模が違い、人の顔が見えにくくなり、面白くなくなった。その後、移転した大学のキャンパスを活用して地域の文化活動を担う NPOの運営に関わった。様々な文化芸術活動の団体がそこで活動し、まさに社会教育活動だと感じるところがあった。しかし、残念なことに大学の都合でキャンパス跡が使えなくなり、メンバーも半減し、活動の継続は難しくなっている。子ども劇場は会員 500人ほどいたが解散した。学校の統廃合の場合でも、地域で繋がれなくなっている。子育てするのに横につながる必要があるという共通認識が持てなくなっていると感じている。議員の仕事は大変。直接、当事者に話を聞いて、課題をどう実現するかということを考えるだけと、片山さんは最後におっしゃいました。明日も学校統廃合についての地元説明会だとのことでした。
感想:片山さんは私よりも5年早く大学に入学し社会教育を学ばれ、迷うことなく郷里で社会教育の仕事に就かれています。『三多摩テーゼ』を故郷に持ち帰り公民館づくりに携わり、なんとダイナミックな歴史の流れの中にいらしたんだろうか!人口2万人の町で、人々の暮らしや生業などを見つめ、しかもそこでご自身もまた一生活者として身を置きながら仕事をしていらしたことにも感慨を覚えました。町を丸ごと見て、人々の呼吸を感じていらしたんだなと思います。私は東京の人口70万人ほどの大きな区で、人々の課題を切り取りながら講座を組み立てていたのでしょう。見えていたものは違うかもしれません。しかし、社会教育施設の貸館化は同様に経験しました。「人をつなげる人がいなくなった」という片山さんの言葉に強く共感します。確かに住民同士で繋がり合う力はありますが、公が担う役割もあるのではないでしょうか。社会の移り変わりの中で、力を失っていくものは確かにあります。公的社会教育(久しぶりに使う言葉です)もその一つだとして、新しい動きに何をつなげていくのか、新しい動きをどうつくっていくのか、職員ではなくなった立場で考えていきたいと思います。片山さんもこれからのことや地域での活動のことなど、またお伝えいただければと思います。ありがとうございました。


85、9月定例(第273回)研究会・記録
ご案内
 山口香苗(早稲田大学、2020/09/05 22:35)
 大学院時代から、台湾の社会教育・生涯学習を研究してきました。なかでも、1987年の戒厳令解除(民主化)を経て、自由と民主の空気の中で、「台湾人による民主社会づくり」を目指して設置された「社区大学」の存在に興味をもち、2013年から約年半、台北に留学し、社区大学で調査を行ってきました。 
 社区大学は、台湾民衆にとって、どのような存在なのでしょうか。社区大学
設置の背景、理念、制度だけでなく、受講者の声を介して社区大学を見ると、社区大学はどのようなものとして描かれ得るのでしょうか。定例会では、社区大学が台湾社会にどのようなものとして位置づいているのか検討します。ぜひご参加ください。
     記
にちじ:2020925日(金)20:0021:30
 (第二部 21402230 質疑応答・本刊行のお祝い)
テーマ:台湾の民主化と「社区大学」
報告者:山口香苗(早稲田大学)
参加申込み:下記のHPにアクセスし、名前とメールアドレスを送付してください。
zoomのアドレスなどをお知らせします(締め切り:923日)。

https://forms.gle/XHt5moXJLSkCEtVi9
上記フォームで申し込み出来ない場合は、ringox@nifty.com(えとう)までメールください。

報告
(林 忠賢、2020/09/26/04:44)
参加者(敬称略):小林文人、内田純一、渡戸一郎(明星大学)、李正連、江頭晃子、岡幸江、包聯群、山口真理子、金侖貞、松尾有美、林忠賢 計12人。
 内容:
 九月の定例研究会は山口香苗さんより『台湾の民主化と「社区大学」』というテーマでご報告いただきました。まず、年表に沿って戦後1953年に社会教育法が制定されて1971年に国連脱退、そして1980年に社会教育法の大改正、ここで「生涯学習」という言葉が初めて出現、1987年に戒厳令が解除され民主化の動きになりました。その後1994年「四月十日」に教育改革運動が起こり、その動きを受けて、1998年に社会教育に関する白書「遍向学習社会」」ができ、社区大学が台北市に設置される動き井となりました。2008年に楽齢学習センターが増えてゆき、社区大学発展条例が2018年に出来てたに至るという時系列で台湾における政治と社会教育との関係を追っていきました。社区大学の設置となるその背景が明らかになってきました。
 次は社区大学の概要について、歴史面から説明がありました。設置当初の理念と実際に開講した講座との間に齟齬があって、そこに目を向けて「社区大学」について改めて問い直す必要があるではないかという背景がありました。
 予定していた1時間半のご報告は時間の関係で、後半は報告と質疑応答が入り混じるという形で進んでいきました。まず「台湾意識」「アイデンティティ」についてですが、台湾はもともと原住民の歴史があり、16〜17世紀に中国福建省の人々が海を渡ってきて、いわゆる本省人の歴史が始まり、そして日本殖民時代を経て、1945年中華民国政府(将介石政権)=外相人の時代がやってきて、1987年に戒厳令が解除という時代を迎える。また現在は移民社会に直面しているといった多様性を持つ歴史・社会構成。そのなか、台湾のアイデンティティが一体どういうものなのかが興味深いところです。
 そして小林文人先生が台湾訪問のご経験を紹介してくださって、それ対して山口さんは台北市を中心に見てきましたが、高雄や他の地域の社区大学を見る必要もあると実感したという。その他、委託運営団体であるが基金会(財団法人)のこと(内田さん)や、移民が増えていく台湾社会において移民たちがつくっているアソシエーションと社区大学とのつながりががどうか(渡戸さんから)、また韓国の平生教育の例を挙げて台湾の社区大学の参加者層のことや属性について(松尾さん)、そして原住民の社区大学に関する(金さん)などのご質問や感想が寄せられてきました。様々な側面から議論が盛り上がりました。

 こうした社区大学での学びは直接に社会変革や市民社会形成につながるとはいえないですが、市民が社会に対する意識が高まり、社会の担い手になっていきます。そういうことによってより豊かな社会基盤、市民社会が形成されていくと言えるではないでしょうか。最後に2014年より「12年国民基本教育」の開始が始まり、一連の教育政策の変化をめぐる社区大学に関しては、今後、注目に値する方向性も提示してくれました。また、外国籍労働者や移民といった社会の変動の側面から、社区大学をアプローチする可能性も残されていましょう。
 報告内容が盛り沢山でしたが、残念ながら時間の関係で割愛されたところもありまして、例えばインタビューで聞いた受講者の声などもっと教えていただきたいところでしたが、それは『市民がつくる社会の学びー台湾「社区大学」の展開と特質』(大学教育出版、2020年8月)に載せられていますので、ぜひお手にとって読んでみてください。
 最後は大事な年表を掲載してほしかったと文人先生が乾杯の音頭をとっていただいて山口さんに本のご出版のお祝いの乾杯!おめでとうございます。
 ご報告内容がぎっしりと詰まっていて、その後の議論も活発に行われました。出版のお祝いを含めて三時間に及ぶ研究会となりましたが、有意義な時間でした! いつか対面式の研究会ができたらと願っております。


84、7月定例(第272回)研究会・記録
ご案内  
内田純一、2020/07/13/20:38)
 <「自治体の生涯学習計画」について>  *南の風4171号
 6月の研究会は失礼をいたしました。発題をして頂いた小林先生、急遽代役をお引き受け下さった川崎の寺内藤雄さんには、この場をお借りしあらためてお礼申し上げます。小田切さんの詳細な報告を拝読しながら、私の報告部分は1990年代以降をどのようにみていくか、ということになろうかと思います。その際、大事にしたいことの一つは、寺内さんの報告にもあるように、行革・リストラ等の嵐が吹き荒れるなか、矛盾や葛藤を抱えながらも社会教育・生涯学習の可能性、市民との連帯と協働を積極的に模索し続けてきた、文字通りの『自治体』としての姿です。この点は、松本市においても同様のことが言えるのではないかと考えています。
 もう一つは、それぞれの自治体生涯学習計画がいかに違うかという点を重視することです。私が学芸大の院生になったのは1988年。縁あって1990年から都立多摩社会教育会館市民活動サービスコーナーの非常勤職員となりました。当時、東京三多摩の32市町村では、こぞって生涯学習推進計画づくりへの取り組みがはじまっていました(23区も同様)。立川市もその中の一つですが、他に保谷市や三鷹市、町田市、福生市、羽村町など、それぞれに地域の実情を踏まえたものが登場してきていました。こうした動きの背景には東京都教育委員会が果たした役割が大きいと思いますが、当時、都教委がまとめた23区の生涯学習推進体制一覧に刺激され、私は社全協三多摩支部の皆さんと三多摩の状況を一覧表にまとめるとともに、市町村ごとの計画状況を紹介した『三多摩の社会教育』(黄色冊子)を作成し、その関連から社会教育学会の六月集会でも報告させていただきました(1993年)。いまあらためて考えてみると、一覧表を作りながらも、自治体間でどこが共通しており、どこが違うのか。それぞれの個性(葛藤や矛盾も含めて)がどこにあるのかを見出そうとしていました。そのことがとても重要な視点であったように感じます。
 生涯学習計画が国家レベルから自治体レベルへと移行しつつある東アジアの躍動の中、年報第25号の特集「自治体の生涯学習計画」でどのようなことを提起していくことができるのか。研究会では(東アジア各国・地域を含めて)たくさんのご意見を頂戴できればと思います。皆さま奮ってご参加ください。
        記
〇にちじ:2020年7月31日(金)20:00〜21:30
〇テーマ:特集「自治体の生涯学習計画」の総論にあたって
〇報告者:内田純一(高知大学)
〇申込み:下記のHPにアクセスし、名前とメールアドレスを送付して下さい。
 zoomのアドレスなどをお知らせします。(締め切り:7月28日)
 https://forms.gle/qj1bjQrKSvuXbQdYA
〇終了後(21:40〜22:30)質疑応答・懇親会、それぞれお好きな飲み物等をご用意ください。
〇連絡先:zoom申し込みに関してaozora999@hotmail.com(李正連さん)
 その他のお問合せ ringox@nifty.com(江頭晃子さん)まで

報告
松尾有美(20200802) TOAFAEC定例研究会(272回)報告
参加者(敬称略):李、石川、上野、江頭、内田、小田切、呉、小林、武田、ハスゲレル、包、
  鷲尾、山口(香)、山口(真)、松尾 計14名
内容:7月の定例研究会は、高知大学の内田先生より「自治体における生涯学習計画づくり〜地域的発展と創造〜」というテーマでご報告いただきました。主に、90年の「生涯学習振興整備法」制定から今に至るまでの30年間を振り返ることによって、先月の学習会で話題となった「日本における国家政策の停滞」時期における「自治体政策の展開」の様子をより具体的に知ることができました。また近年、コミュニティにおける「学び」への関心にも見られるように、これまで社会教育・生涯学習が中心となって進めてきた議論が、社会教育・生涯学習政策/計画という形ではないが国や自治体から打ち出されているという現状についての報告は、その後の議論につながるポイントであったと思います。
 報告後の議論の中では、日本だけに留まらず東アジアの他の国の様子について記述の上で「日本」の動きが見られるとよい(小林先生)という意見や、90年以降の30年を見る上で、平成の大合併や地方自治法や指定管理者制度の導入などの大きな出来事を結びつけて流れを捉えることが必要ではないか(上野先生)という意見が出されました。また、現在の自治体において生涯学習計画という名前でどのような内容の事業がなされているのかについても、30年間の間に内実的な動きがあったのではないかという話が特に印象深かったです。例えば、障害者や被差別部落、識字や多文化家庭などといった現代の課題にいかに生涯学習計画が対応しているのか。そして、そのような身近な課題を捉え、計画に反映させることができる職員はどれくらいいるのか。今現在も地域な身近な問題を中心に民主主義的な方法で計画がつくられている地域については、やはり80年代から積み重ねられてきた実践を通して培われた市民/職員の力量によるものも大きいと思われます(江頭さん)。「地域」というものが改めて注目を浴びている今だからこそ、より丁寧に自治体社会教育・生涯学習計画の内実をより重視し、これからの在り方を考えていく必要があるのではないかという感想を持ちました。今年の年報ではこのような日本の動きと、韓国、中国、台湾それぞれの自治体生涯学習計画の動きをまとめて理解することができる内容になる、とのことでしたので、今から年報が出るのを楽しみに待ちたいと思います!
*関連意見:南の風4176号(2020/0806)に、小田切督剛、寺内藤雄両氏の関連意見を集禄している。


83、定例(第271回、6月)研究会、報告者変更!
               上野景三(2020/06/23(火)18:10)
 <急告! 26日(金)夜のTOAFAEC 研究会、報告者変更!>
 みなさん 緊急のご連絡です。今週26日に研究会を開催し、内田純一さんに報告をお願いしていました。ところが本日、内田さんのお母様がお亡くなりになられたそうです。お悔み申し上げます。
 研究会については、小林先生と相談し、予定を変更して開催することといたしました。発題を小林先生にお願いし、川崎の寺内藤雄さんに「川崎市生涯学習基本構想」等について報告をしていただくことにしました。急なことですので、準備が間に合わないかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
 上野が進行をいたします。私としては、「じんぶんヒストリーの80年代〜90年代」の一端を伺うような気もしております。内田さんの報告は、次回に送らせていただきます。みなさん、お忙しいでしょうが、お集りいただきますようお願いします。
■6月定例(第271回)研究会、オンライン開催・ご案内
         内田純一(2020/06/18(木)23:47)
 <6月定例会: 年報第25号特集「自治体の生涯学習計画」について
 TOAFAEC総会(6月13日、オンラインによる盛大な集い)では、お世話になりました。発足当初、まさかオンラインによる総会が開けるなんて誰が想像し得たでしょうか。技術の進歩というより、25年の積み重ねの賜物だと感じておりました。
 さて総会議題にもありましたように『東アジア社会教育研究』第25号では、特集1「自治体の生涯学習計画(仮)」の総論部分を書かせていただくことになりました。正直、頭を悩ましております。そのために下記の通り、6月26日(金)の定例研究で報告をさせていただきます。よろしくお願いします。
 現段階で、この特集の意義について私なりに考えていることは、次の点です。2000年代に入って東アジア各国では生涯学習計画が国家レベルから自治体レベルへと移行しつつある中で、それとは対照的な日本をどのように考えるか。対照的と表する以上に、この20年間の自治体の変質・崩壊状態(最新のものとして「自治体戦略2040年構想」など)に抗う展望をどこからどう見出せるかということです。
 幸い、同特集には、松本市と川崎市からの論稿もあるということですし、何よりTOAFAECでは,社会的基層としてのシマ(字・区)の生活文化と自治から立ち上げてくる沖縄(特に名護市)の社会教育研究の蓄積があります。また、識字や夜間中学といった視点からも展望が見出せるのではないかと思います。考えてみると『東アジア社会教育研究』の特集では、これまで法制については何度か取り上げてきましたが、「自治体生涯学習計画」を取り上げるの初めてですね。いまなぜこのテーマを取り上げるのか。展望までは出せないにしても、やはりこの点が総論の核になるように思います。定例研究会では、参加者の皆さんからたくさんのご意見を頂戴できればと思います。
にちじ:2020年6月26日(金)20:00〜21:30
テーマ:『東アジア社会教育』第25号特集「自治体の生涯学習計画」について 
報告者:内田純一(高知大学)
 →変更!
小林文人「1990年代、自治体生涯学習計画の潮流」
      寺内藤雄(もと川崎市教育委員会)「川崎の生涯学習計画について」
参加申込み:下記のHPにアクセスし、名前とメールアドレスを送付してください。
         zoomのアドレスなどをお知らせします。(締め切り:6月24日)
〇終了後(21:40〜22:30)質疑応答・懇親会
 それぞれお好きな飲み物等をご用意ください。
〇連絡先:zoom申し込みに関して:aozora999@hotmail.com(李正連さん)
 TOAFAEC定例研究会についての問い合わせ:ringox@nifty.com(えとう)

報告
 小田切督剛(2020/06/28/15:05)
日時:2020年6月26日(金)20:00〜23:00(Zoom開場 19:50)
テーマ:『東アジア社会教育研究』第25号特集「自治体の生涯学習計画」
・発題:小林文人「自治体・生涯学習計画づくりの潮流」
・報告:寺内藤雄「川崎市における社会教育・生涯学習計画−地域・時代の特性と計画」
参加者:李正連、上野景三、江頭晃子、呉世蓮、小田切督剛(元川崎市)、小林文人、坂口朱音(初参加)、武田拡明(元川崎市)、寺内藤雄(元川崎市)、中村高明(川崎市教育委員会)、ハスゲレル(東京都立大学)、黄丹青、包聯群、山口香苗、山口真理子(敬称略・五十音順)
〇内容:
 今年刊行する『東アジア社会教育研究』第25号の特集1は、「自治体の生涯学習計画(仮)」です。同誌は1996年から刊行していますが、生涯学習計画を特集にするのは、初めてです。特集に向けた議論を始める研究会となりました。小林文人先生は発題「自治体・生涯学習計画づくりの潮流」で、自治体が生涯学習計画づくりに本格的に踏み出した背景として、3点を挙げました。第一に、1984〜1987年の臨時教育審議会です。「生涯学習体系への移行」を掲げました。第二に、1986年の松下圭一『社会教育の終焉』です。これに影響されてか、臨教審でも「公民館の役割は終わった」との発言があり、「とても緊張した」とのことです。第三に、1990年の生涯学習振興整備法(生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律)です。第11条以外、市町村にほとんど言及せず、市町村を基本とする社会教育法と矛盾するものでした。
 こうした動きに対する市民や研究者の強い危機感を背景に、市民参加による生涯学習計画づくりが各地で取り組まれました。象徴的なエピソードとして、藤岡貞彦さん(一橋大学)が関わった東京都立川市が「青い鳥は足元に」を掲げました。幸せは、臨教審のように上(国家)から降ってくるものではない。足元(地域)にこそ見出していこうと呼びかけたのです。
 残念ながら、1991年にバブル経済が崩壊し、自治体の財政が徐々に悪化しました。生涯学習計画も、予算の削減や施設の廃止などに直面してしまいました。しかし、自治体の生涯学習計画づくりは、1995年に「福祉ひろば」事業を開始した松本市(第24号p.57)や、2000年に「子どもの権利条例」を制定した川崎市(第24号p.83)のように、地域の特性を生かして発展していきました。言い換えれば、地域間の格差が生まれてきました。「中国の発展、韓国の躍動、日本の停滞」とも言いますが、停滞したのは日本の国家政策であって、自治体政策ではありません。その意味では、「中国の発展、韓国の躍動、日本の地域的展開と創造」と言うべきだろう、とまとめました。
 質疑応答では、包さんと上野さんから、経済状況との関係や生涯学習振興整備法について質問がありました。「生涯学習振興整備法は、教育法の位置づけだが、教育基本法のの関連もなく実質的には経済法だった。通商産業省(2001年から経済産業省)も関与し、文部省(当時)と両管のかたち。社会教育法と大きく矛盾するところあり、法自体は強く批判されるべき」との答えでした。

 続いて寺内藤雄さんが「川崎市における社会教育・生涯学習計画−地域・時代の特性と社会教育・生涯学習計画」と題して報告しました。表題のとおり、川崎市の地域特性と時代の特性が、社会教育・生涯学習計画に表れている、と
の報告でした。
 はじめに、文人先生と川崎市の関わりについて「私たち現場の職員にいちばん近い所で助けてくださったのが、文人先生です。職員だけではなく『川崎の社会教育を考える会』など熱心な市民たちも、文人先生に信頼を寄せてきました」と紹介されました。そして川崎市について、江戸時代の地方巧者(じかたこうしゃ)の存在から語り起こし、戦後を3期に分けました。
 第一に、1945〜1971年。産業優先の市政により南部は臨海工業部として、北部は住宅地として開発が進みました。社会教育は、戦争で教育を受けられなかった人たちや、地方から来て工場で働く若年労働者たちの、居場所や仲間づくりから始まりました。代表的な事例として、GHQ の後押しにより1946年に全国で初めて実施された「成人学校」が挙げられます。社会教育計画は、事業を束ねる短期的計画の作成から始まりました。
 第二に、1971〜2001年です。産業優先の結果、公害があまりにも酷い状況になりました。ついに1971年の市長選挙で市役所の労働組合の委員長が当選し、2001年まで革新市政が続きました。社会教育振興計画は1973年に初めて作られ、社会教育委員会議が自主的に研究報告を積み重ねることで、1983年には市の総合計画に「生涯学習の推進」が掲げられました。そして、市民参加による生涯学習計画づくりが始まりました。1984年から2年間にわたり、全市242か所で、「川崎の教育を考える市民会議」が開催され、総計4万人が集いました。もっとも大きかったのは、校内暴力など「教育の荒廃」への危機感でした。寺内さんは市民館職員として参加し「市民が本気になって議論した。歯に衣着せぬ叱責もいただいた」と振り返りました。
 その「本気」が、臨時教育審議会の「上からの教育改革」に対する、「地域からの教育改革」へと発展しました。市民会議と並行して「川崎市教育懇談会」が組織され、1986年に『いきいきとした川崎の教育をめざして』という報告書をまとめ、全国初の「地域教育会議」の創設などにつながったのでした。さらに1991年に「川崎市生涯学習推進基本構想」を、1993年に「川崎市生涯学習推進基本計画」を策定し、かわさき市民アカデミーや子「ども会議」などの具体的な事業につながりました。「市民サロン」など、草の根レベルの討議を積み重ねる市民参加の手法は、2000年の「子どもの権利条例」の制定などでも活かされました。
 第三に、2001年〜現在です。2001年の市長選挙で、元自治官僚が当選しました。ブレーンの大森彌(千葉大学)は松下圭一『社会教育の終焉』を踏まえており、2002年の「第1次行財政改革プラン」により、社会教育・生涯学習事業の見直しを迫られました。各区の市民館の社会教育振興係長と話し合い、受け止めるべきことは受け止めて、全面的に見直して再構築する良いチャンスにすることとしました。成人学校などは廃止する一方、市民自主学級など市民主体の事業は拡充し、2003年に5つの柱にまとめました。2010年に教育文化会館・市民館・分館が市長部局へ移管されましたが、事業は教育委員会の補助執行であり大幅な変更はなく、現在に至っています。社会教育・生涯学習計画は、個別事業の取り組みを計画立てていく形で進められています。
 質疑応答では、寺内さんの数年後輩の職員だった中村高明さんが、川崎市生涯学習推進基本計画に掲げられた「かわさき市民大学」(後のかわさき市民アカデミー)や川崎市生涯学習振興事業団をめぐる議論について質問しました。1986年のキャンパス都市構想と同様に、市民はもちろん、熱心な職員の間でも賛否両論だったとのことです。また、江頭さんが「川崎の市民や行政の民主性は、どこから培われてきたのか」と質問しました。若い労働者や主婦たちがたくさんいるとともに労働者のニーズを反映する政党がいくつもあったこと。ブルーワーカーも多かったこと。公害に対する批判を企業内組合で抑えつけてきたが、あまりにも酷い状況だったため、主婦たちによる住民運動が盛んになり、状況を変えていこうという動きが政党を越えて取り組まれたこと、などが挙げられました。
 坂口さんからは、夜間中学校と生涯学習との関係について「地域性から捉える視点を得られた」との感想をいただきました。川崎市には、市立西中原中学校に夜間学級があります。川崎市生涯学習推進基本計画は、夜間中学校に直接言及していませんが、「外国人労働者も含めて、さらに高校中途退学者などが基礎学力の再学習と新しい技術教育や現代社会についての研究学習を行えるような『リカレント学習』のシステムづくりの推進」を挙げています(p.38)。基本計画に載せることで、これから取り組むべき課題であると関係者が認識→実現に向けた実行計画→予算確保→事業実施へと進んでいくのが、本来の流れです。基本計画を策定する際に、夜間中学校や社会人学級(私が勤めた川崎市教育文化会館で運営)などの取り組みについて、もっと議論する必要があったのではと思いました。
 最後に、上野さんが「川崎市ふれあい館も昨日・今日でできたものではない、という言葉など、地域の持つ潜在的な力を引き出していく姿勢が印象的でした」とまとめて、お開きとなりました。


82, 5月定例(第270回)研究会、オンライン開催・記録
ご案内
  江頭晃子(Wed, 6 May 2020 09:25)
 <5月定例(第270回)研究会 じんぶんヒストリー(第4回)ご案内>
 コロナ禍の中、ストレスを感じられている方が多いと思います。私のGWは、ウェブ授業への転換のためシラバスを組みなおしています。人間の権利保障のために教育は不可欠であること、市民組織の運動を含めた社会教育が今、その権利保障のための教育実践として何が可能なのかを、学生さんと一緒に考えあいたいと思っています。
 さて、2月〜4月までお休みしていた 定例研究会ですが、zoomでの編集委員会(4月24日)の成功経験を経て、李編集長のお力を借りて、ウェブ上で以下の通り開催します。パソコンやスマホなどの機材が必要となってしまいますが、遠方等でこれまで定例会にご参加いただけなかった方も含めて、新たな出会いがあるのを楽しみにしております。ぜひお気軽にご参加ください。内容や申し込み方法は以下の通りです。ご不明点などありましたら、お気軽にご連絡ください。
◆5月定例会ご案内
 半年に一回、開催している「じんぶんヒストリー」。すでに第4回となる今回は、迷いながらも出会いを大切に前に進んでいった青年Bを卒業し、社会教育研究の道を歩み始めた「若き文人先生」のお話を伺います。 
 1967年に東京学芸大学へ(36歳)。「月刊社会教育」や社会教育学会での研究者・実践者との出会いがあり、新しく住み始めた国立市の公民館や市民との活動がありました。東京都の社会教育委員や「新しい公民館像をめざして」作成に参画。学会では「社会教育法制研究会」を担い、「日本近代教育百年史」(社会教育)の執筆も。そして「社会教育法制の地域定着過程にかんする研究」が注目された時期。当時の文人先生はどんなことを考えていたのでしょうか…? そして職場・東京学芸大学の様子は…?

〇じんぶんヒストリー(第4回), TOAFAEC 5月定例(第270回)研究会
・日時:2020年5月29日(金)20:00〜21:30(zoom開場19:45)
・テーマ:社会教育・公民館研究への登場 
・話し手:小林文人先生
・インタビュアー:上野景三さん(西九州大学・日本社会教育学会)
・申込み:
 @下記のHPにアクセスし、名前とメールアドレスを送付 (締め切り:5月22日)
  https://forms.gle/ymRg9Svw1RpYEfqp9
 A申込んだ方にzoomのアドレスなどをお知らせします。
 B別途、お名前とご所属(または文人先生とのご関係や参加する動機などでもOK)聞きたいと
   思っている質問等がありましたら、江頭:ringox@nifty.com までお知らせください。
   締め切り:5月22日 *(参加者のお名前は共有します。)
〇終了後(21:40〜22:30)質疑応答・懇親会、それぞれお好きな飲み物等をご用意ください。
〇連絡先:zoom申し込みに関して:aozora999@hotmail.com(李正連さん)
 その他については:ringox@nifty.com(えとう)まで



報告
 (江頭晃子、Mon, 1 Jun 2020 22:24)
〇参加者:李正連、石川敬史、石井山竜平、井口啓太郎、入江優子、上田孝典、上平泰博、上野景三、江頭晃子、遠藤輝喜、大前哲彦、呉世蓮、小田切督剛、木下巨一、金亨善、栗山究、瀬川理恵、中村津希子、松尾有美、ハスゲレル、包聯群、堀尾正靱、安井節子、山口真理子、米山義盛(25人)
〇インタビュアー:上野景三(TOAFAEC代表、西九州大学)
〇内容:2月に予定していた、じんぶんヒストリーでしたが、李正連さんにホストをお願いし、3か月遅れでオンラインで開催、各地から参加者あり賑やかになりました。機材の不具合や聞き手の表情が見えない不安も先生にはあったかと思いますが、後半はいつもの鮮明な記憶力とぶんじん節が蘇り、質問も絶えませんでしたが、23:00にやや強引に終了しました。次回は、やはり直接顔を合わせて開催したいですが、中継方法も併せて模索したいとも思っています。

 今回のお話は、1967年に東京学芸大学に赴任し、社会教育研究者として歩み始めるところから始まりました。1960年代から経済成長政策のひずみ、公害問題、他方で革新自治体の登場の時代、そして学生運動が活発な時代。九州では社会学中心の講義を担当していましたが、学芸大学に赴任し教育社会学そして教育原理を担当するようになり、講義準備に大変。住宅は当たった公団住宅がたまたま国立市。具体的な社会教育実践や研究との接点も増えていきます。当時の社会教育研究者は宮原誠一(東京大学)、平沢薫(東京教育大学:現筑波大学)、古木弘造(名古屋大学)、福尾武彦(千葉大学)、吉田昇(お茶の水大学)他少数、学会員も社会教育関係団体や自治体職員の比重が高かった。
 社会教育研究は「社会教育法制の地域定着」が端緒。学制100年を記念しての文部省プロジェクト『日本近代教育百年史』7〜8巻「社会教育」編執筆や社会教育学会の法制研究資料調査・復刻、資料の共有に関わったことで本格的になる。「社会教育法制の地域定着」研究が注目されます。
 立市公民館の運営審議会をはじめ東京都社会教育委員をつとめ、三多摩職員とのつながりも深まり、公民館の新たな展開を図って「多摩テーゼ」制定など公民館研究、専門職としての職員研究、学級・講座論の構築も広がっていきます。1979年、「社会教育ハンドブック」編集・刊行についても画期的な意義を追求されました。上野さんのインタビューで「なぜ教育社会学から社会教育に転換したのか」には、大勢の前で話せることでないこともあると言いつつ、社会学の「貧農の人の暮らしや差別的な実態を客観的に記述するということだけで終わるのは耐えられない。自分の価値観を入れられず、実践的な活動に広げられない、社会的事実だけに注目して人間の顔が見えてこない」違和感とともに、社会教育の「実践的な面白さ、人が何を求めるのかというテーマ性」への魅力を語られました。「なぜ法制研究だったのか?」という問いには、当時の近代教育100年史編纂・執筆(戦後法制・行政史、公民館を担当)があり、学会も社会教育20年記念(年報)を組み、そして1959年社会教育法改正による論議などの時代背景があったが、先生の中では、法制研究ともに、職員論、公民館論、講座論構築など的実践的に広がってきた1970年代の充実の印象を持っているとのことでした。
 参加者の皆さんからは、「社会教育法を実質的に豊かにしていくという当時の意図」「資料の活用方法」「伊藤壽郎・博物館研究の位置」「大都市研究の経過」「社会教育研究における市民館・隣保館等への評価」「学校教育との関わり」「職員研究の所在」「学生との向き合い方」「炭鉱労働者が都市部に流れた時代の社会教育」「主婦大学(目黒)」「住民運動が盛んだった時代の国立市公民館」など、多彩な質問を寄せていただきました。それでも全員からの質問を確保できず(進行役として)申し訳ありませんでした。
 次回の話になりますが、先生はこの後、沖縄研究に入っていきます。今回語られた三多摩テーゼや公民館の講座主義が、沖縄では必ずしも積極的評価だけではない、批判される側面もあったことなど、また違った視点で社会教育の可能性を発見していきます。お楽しみに。インタビュアー募集中です。

■急告!4月定例研究会はさらに延期!
    山口 真理子(TOAFAEC 事務局長 Mon, 6 Apr 2020 09:33)
 <TOAFAEC(4月)定例研究会--中止のお知らせ!>
 新型コロナウイルスの感染者は増える一方、特に東京の急増ぶりは突出してきました。杉並区の地域区民センターの臨時休業は1ヶ月先、5月6日まで延長となりました(4月5日現在)。残念ながら、4月24日(最終金曜日)に予定していた定例研究会も、今月も中止といたします。
 また同日に予定されていた年報25号・第3回編集委員会も、会合による会議はできません。これに関しましては、李編集長より編集委員の皆様に、編集会議のもちかたについて別にお知らせ(オンライン会議)が届くものと思います。
  『南の風』読者の皆さま、いつにも増してご自分のお身体を大事にしていただき、ご自分と周りの方々の健康にご留意ください。皆さまにお目にかかれる日が少しでも早く訪れることを祈っております。5月以降のスケジュールについては、状況をみながら、またご連絡することにいたします。

■定例研究会はさらに4月へ延期します!
       *山口 真理子(TOAFAEC・事務局長、Wed, 11 Mar 2020 10:30)
 <3月定例研究会中止のお知らせ>
 世界中を席巻している新型コロナウイルスの影響は、『南の風』読者の各地各種の集いを中止や延期に追い込んでいるようです。『南の風』4137にありますように、杉並区の地域区民センターは3月末日まで全館臨時休館となりました。
 このような事態になったいきさつを考えますと、私達の研究会も2月に引き続き3月も中止とせざるを得ません。思えば、1995年6月2日に第1回の研究会を持って以来、今年1月の第269回まで、毎年8月を除き毎月開いてきた研究会ですが、残念ながら遂に途絶えてしまいました。「ウイルスに負けた!」
 低学年や就学前のお子さん,お孫さんをお持ちの方々は、今まで以上にお忙しくなられたかもしれませんが、2月研究会中止の折に江頭さんが述べられた「手洗い・うがいと免疫力アップが第一。食事栄養と睡眠、体温アップ、ストレスフリーの生活」を可能なかぎり心がけて英気を養われ、次の機会に皆さま元気でお会いできますように。

■ 新型コロナウィルスの感染拡大、定例研究会は延期します!
  江頭晃子(Tue, 25 Feb 2020 23:21)
 <急告!2月定例(第270回)研究会 じんぶんヒストリー(第4回) 延期のお知らせ>
 きっと楽しみにしてくださっている「じんぶんヒストリー」ですが、先生の体調を第一に考え、延期とさせてください。各地で催しの延期や中止が続いていますが、通勤ラッシュは変わらず…。インフルエンザ同様、ある程度の感染はもう止めようが無いと思います。リスクが高いのは高齢者、妊婦さん、糖尿病、肺疾患、肥満症を患っている方々。いずれの場合も手洗い・うがいと免疫力アップが第一です。どなた様も食事栄養(特にビタミン・ミネラル=魚介類、海藻、豆類、野菜等)と睡眠、体温アップ(長風呂と温かい飲み物を)、ストレスフリーの生活をよろしくお願いいたします。
 こんな時こそ、東アジア全体で知恵と経験と技術交流が進むといいのですが・・・。TOAFAEC 定例会、次の機会を楽しみにしていてください。申し訳ありませんが、ご了承ください。

81, TOAFAEC定例研究会(第270回)じんぶんヒストリー(第4回) 延期!
        江頭晃子(Fri, 7 Feb 2020 23:51)NPOアンティ多摩  
 <2月定例(第270回)研究会 じんぶんヒストリー(第4回) ご案内>
 半年に一回、開催している「じんぶんヒストリー」。第4回となる今回は、迷いながらも出会いを大切に前に進んでいった青年Bを卒業し、社会教育研究の道を歩み始めた「若き文人先生」のお話を伺います。
 1967年に東京学芸大学へ(36歳)。「月刊社会教育」や社会教育学会での研究者や実践者との出会いがあり、新しく住み始めた国立市の公民館や市民との活動がありました。東京都の社会教育委員や「新しい公民館像をめざして」作成に参画。学会では「社会教育法制研究会」を担い、「日本近代教育百年史」(社会教育)の執筆も。そして「社会教育法制の地域定着過程にかんする研究」が注目された時期。当時の文人先生はどんなことを考えていたのでしょうか…? そして当時の学芸大学の様子は…?
 今回も前回に続き、インタビュアーは、日本社会教育学会長の上野景三さん(佐賀大学)です。文人先生や社会教育を、よく知ってる方も、知らない方も参加大歓迎です。
◆じんぶんヒストリー(第4回), TOAFAEC 2月定例(第270回)研究会
・日時:2020年2月28日(金)19:00〜20:50(開場18:50)
・テーマ:社会教育・公民館研究への登場 
・話し手:小林文人先生
・インタビュアー:上野景三さん(佐賀大学・日本社会教育学会)
・会場:杉並区高井戸地域区民センター第3集会室
  (〒168−0072杉並区高井戸東3−7−5 TEL 03−3331−7841) 
〇終了後(21:00〜)懇親会:イーストビレッジ 03-5346-2077
*京王井の頭線 高井戸駅下車。すぐ陸橋(環八・歩道橋)を渡り、左にガードをくぐり、
 神田川を渡る。大きな茶色のマンションの裏1F。駅より徒歩2分。
*当日の連絡先:山口真理子さん(TOAFAEC 事務局長) 042-482-9143
・じんぶんHプロジェクト:ringox@nifty.com(えとう)


80, TOAFAEC定例研究会(第269回)・年報25号編集(第1回)記録
         *年報編集長・李 正連(東京大学、Sat, 18 Jan 2020 16:19
 <第269回(1月)定例研究会・年報25号編集委員会(第1回)ご案内>
 皆様 昨年はいろいろとお世話になりました。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。すでに「南の風」にご案内がありましたが、改めまして第1回編集会議のご案内をさせていただきます。
 文人先生も書かれたように、年報が「創刊から四半世紀」を経過した25号となります。特集に関しましては、ここ数年通常の特集とともに、東アジア生涯学習研究フォーラムの特集も一緒に組んできましたが、東アジア・フォーラムも軌道に乗ってきていることから、今後の特集の在り方そのものについて考える時間を持ちたく思います。
 案としてはいろいろとあり得るかと思いますが、これまでの2本の特集を一本化する案、もしくは従来の2本立てを維持するが、通常の特集テーマを従来扱ったテーマ(法制度、職員、施設、まちづくり、識字教育など)からより拡大し、より多様なテーマ(青年、高齢者、障害者、多文化等々)を扱う案なども考えられるかと思います。
 これまでの特集を振り返り、皆さんからも是非「特集」の在り方やテーマを提案していただきたいと思います。遠方の方で参加が難しい方は、メール等でご意見いただければ幸いです。今回は定例研究会も兼ねますので、編集委員でない方でもお気軽にお越しください。開催日時及び場所は、下記の通りです。皆様のご参加をお待ちしております。
〇日時:2020年1月31日(金)19:00〜20:50頃
〇内容:年報25号・特集構想についての意見交換(「特集案」を募集します!)
〇場所:東京杉並・高井戸地域区民センター・第3集会室
(〒168−0072杉並区高井戸東3−7−5) 京王井の頭線「高井戸」駅下車、徒歩3分
・懇親会(21:00〜):レストラン「イーストビレッジ」電話:03-5346-2077
  (東京都杉並区高井戸東2丁目29-23-108)
*京王井の頭線 高井戸駅下車。すぐ陸橋(環八歩道橋)を渡り、左にガードをくぐり、
 神田川の横、大きな茶色のマンションの裏1F。駅より徒歩2〜3分。
報告  (編集長・李 正連、Sun, 2 Feb 2020 06:08)
参加者:小林文人、山口真理子、江頭晃子、山口香苗、李正連 
内容: 年報25号に向けた編集委員会が始まりました。これまで使っていた編集委員会のメーリングリストがサービス終了となり、皆さんへのご案内が十分ではなかったかと思います。近いうちに、新しいMLを立ち上げたいと思いますので、もうしばらくお待ちいただければ幸いです。
 今回の編集委員会では、主に特集のテーマとあり方について話し合いました。ここ数年通常の特集と東アジア生涯学習研究フォーラムの報告特集という2本立ての特集を組んできましたが、その形式を継続するのか、それとも通常の特集と東アジアフォーラム特集とを一体化するのかについて議論をしました。今回参加者が少なくて結論とはいえませんが、少なくとも25号は継続するという方向で話がまとまりました。
 今回の特集テーマについては、(1)東アジア交流25年の歴史を振り返る、(2)日韓の社会教育研究者から日韓交流についての証言を聞く、(3)自治体やNPO等の社会教育実践者にそれぞれの実践について書いていただく、(4)高齢社会と社会教育(北京フォーラム・テーマ)など、のような案が出されました。時間切れで結論は出せず、次回の編集委員会で引き続き検討することになりましたので、皆様からのご意見も是非お寄せいただきますようお願いいたします。
 その他には、25号からは全ての原稿に10行程度のアブストラクト(各執筆言語及び英語版)を提出していただき、日中韓の言語にそれぞれ訳して掲載することにしました。つまり、日中韓英4言語のアブストラクトを載せるということです。それに伴い、執筆要領も改訂される予定です。次回の編集委員会は、2月定例研究会開始前、2月28日(金)の17時からです。25号編集へのご協力もどうぞよろしくお願いいたします。
左より山口真理子、李正連、小林、EVマスター、山口香苗の皆さん(イーストビレッジ、20200131)



79, TOAFAEC定例研究会(第268回)・記録
      石川 敬史,(Fri, 6 Dec 2019 23:12)
 <野々村恵子さんを偲ぶ会・ご案内>
     ―第44回東京社会教育史研究フォーラム―  
 皆さま ご無沙汰しています。東京社会教育史研究フォーラムから久しぶりのお便りです。
12月に入り寒さも一段と厳しくなる中,「南の風」(4109号)を通して、突然の訃報に接しました。東京社会教育史研究フォーラムにて,事務局メンバーを支えてくださり,時には厳しいご指摘も交えて、活動をリードして下さった野々村恵子さんの急逝のお報せでした。いつもお元気な野々村さん、目を疑い仰天いたしました。
 『大都市・東京の社会教育―歴史と現在』(エイデル研究所,2016年)出版にあたっては、実質的な副編集長として,私たちを大いに励まし導いてくださいました。野々村さんは、お茶の水女子大学を卒業後、東京都練馬区に入職、社会教育主事ひとすじの人生でした。とくに女性の学習(たとえば学級づくりにおける三者方式など)にかかわって多面的な活動、あるいは「民主的な社会教育を発展させる都民の会」などの住民運動,さらには『月刊社会教育』編集・社全協事務局等において、永年にわたる“縁の下”活動を担ってこられました。表面に出ない住民活動援助、記録づくり、ネットワークづくり、事務局支援などに果たされたお仕事は、知る人ぞ知る拡がり。まわりの信頼あつく、そして現役活動家としての姿のまま、忽然と逝ってしまわれました。あまりにも急なことで、突然の訃報に私たちは言葉を失ってしまいました。
 東京社会教育史研究フォーラムでは,第44回研究会(TOAFAEC 定例・第268回研究会・合同)として,『大都市・東京の社会教育』刊行、東京の社会教育の歴史研究の日々を語りあい、皆さんとともに野々村さんのお仕事・功績をを振り返って、在りし日を偲びたいと思います。当日は野々村さんと親交のあったお二方にお話しを伺います。
 思い出しますと,ちょうど昨年の12月28日,東京社会教育史研究フォーラムは第43回を開催(TOAFAEC定例研究会第257回研究会と合同)いたしました。あれからちょうど1年です。野々村さんより「しっかり!頑張って」という声が聞こえてくるようです。『大都市・東京の社会教育』刊行からも3年が経過しました。積み重ねられた歴史を見つめてきた東京社会教育史研究フォーラム。齋藤事務局長を中心に,しっかりと前へ進んで参ります。
 年末の慌ただしい時期となりますが,みなさまのご参加をお待ちしております。なお当日の懇親会「イーストビレッジ」は、今年度TOAFAEC 忘年会となります。9時以降のご参加も歓迎。故野々村さんへの献杯、1年のしめくくりの乾杯、揃ってお出かけください。
◆野々村恵子さんを偲ぶ会(第44回東京社会教育史研究フォーラムと合同)
日時:2019年12月27日(金)19:00〜20:50頃
内容:野々村恵子さんを偲ぶ
語り手:(!) 谷口郁子さん(『住民と自治』・『月刊社会教育』元編集長)
        「女性のエンパワメントのパイオニア 野々村恵子さん」
(2) 齋藤真哉さん(東京社会教育史研究フォーラム・板橋区成増生涯学習センター所長)
       「野々村恵子さんの実践を通して東京の社会教育を振り返る」
場所:東京杉並・高井戸地域区民センター・第3集会室
  (〒168−0072杉並区高井戸東3−7−5)京王井の頭線「高井戸」駅下車、徒歩3分
偲ぶ会・望年会(21:00頃〜):レストラン「イーストビレッジ」電話:03-5346-2077
  (東京都杉並区高井戸東2丁目29-23-108)
 *京王井の頭線 高井戸駅下車。すぐ陸橋(環八歩道橋)を渡り、左にガードをくぐり、
  神田川の横、大きな茶色のマンションの裏1F。駅より徒歩2〜3分。

在りし日の野々村恵子さん「月刊社会教育」60年のつどい、2018年1月20日


報告 石川 敬史 (Sat, 28 Dec 2019 14:02)
・出席者(敬称略):青木玲子(国立女性教育会館),江頭晃子,小林文人,齋藤真哉,
 谷口郁子,的野信一,山口真理子,石川敬史
・内容: 風がとても冷たい日でした。1年ぶりの「東京社会教育史研究フォーラム」(TOAFAEC定例研究会と合同)の開催。昨年12月の開催時も,風が冷たい日であったことを思い出します。『大都市・東京の社会教育』(エイデル研究所,2016年)刊行から3年が経過しましたが,同書にて事務局メンバーを励まし導いてくださいました野々村恵子さんの突然の訃報に接することとなってしまいました。今回の東京社会教育史研究フォーラムでは,野々村さんが社会教育に一生を注いでこられた、これまでのお仕事・ご功績を振り返って,参加者みなさんとともに在りし日を偲びました。
 齋藤真哉さんからは,野々村さんが練馬区・社会教育主事の職を終えた直後,5回にわたって『月刊社会教育』に連載された「シリーズ私の実践:ののむらけいこの社会教育史−東京・練馬での三七年」(1999年 6月号〜11月号)をもとに,野々村さんの社会教育主事としての、37年間の仕事を振り返りました。この連載には、なぜ公務員になったのか,女性問題に関心を持ったきっかけをはじめ,(練馬区の公民館・事務職員として出発した後の)婦人学級との出会いと実践、学習内容編成,平和と人権,家庭教育学級などが刻まれています。野々村さんは(「事務職員」として出発したという記述がありますが),実質的には大学を出て社会教育主事として活躍された第一世代(小林文人先生)であり,どこでいつ社会教育主事の資格を取得したのであろうか,と指摘もありました。加えて練馬社会教育の婦人学級づくり、学級編成におけるいわゆる「三者方式」(練馬方式)や「書くこと」による自己表現学習については,1950年代からの「共同学習」をはじめとした学習論の系譜として位置できる重要な仕事であったと指摘されました。
 続いて,19歳の頃から野々村さんと親交があった谷口郁子さんからは,野々村さんが23区の社会教育主事集団の中心的存在であったこと,野々村さんが取り組んだ婦人学級から多くの自主グループ活動へと広がったこと,全国PTA問題研究会(全P研)などの集会へ声をかけてくださったことなど,当時のご活動をお話いただきました。とりわけ,女性・平和・憲法については,国際婦人年など世界的視野によって野々村さんが情報をわかりやすく伝えてくださったこと,さらには社会教育に関わる女性職員に気さくに声をかけてくださったこと,各地の運動の動向を把握されているなど常にアンテナを張っていること・・など,野々村さんがエネルギッシュにご自身によって実践を切り拓いた歩みをお話いただきました。
 この日の研究会へは,野々村さんと女性センター(女性情報センター)との関わりから親交があった青木玲子さんも駆けつけてくださいました。
 研究会などの集まりの場では,野々村さんから手づくりのお料理をお持ちいただいたこと,書類の整理整頓もきっちりされていることなど・・・・・・野々村さんの在りし日をともに語り合うと,あっという間に21:00となってしまいました。
 記録を残すことが大切,書くこと・残すことが大切である,ということを野々村さんが良く口にしていたことを,本研究会にて谷口さんが繰り返しお話なさったことが印象的でした。野々村さんの社会教育主事としての取り組み,さらには生き方から,私たちは多くのことを学ばなければならないと痛感しました。
 また美濃部(革新)都政下において、「民主的社会教育を発展させる都民の会」の運動を担ってこられた足跡も語られました。その「23年」の歩みが上記『大都市・東京の社会教育』に収録されています。
 東京社会教育史研究フォーラムは,ここ数年は年1回の開催となっています。齋藤事務局長のもと,地道に活動を進めていこう,と確認もいたしました。『大都市・東京の社会教育』編纂・執筆に関わられた皆様,引き続きお力をよろしくお願いいたします。
◆谷口郁子(Sat, 28 Dec 2019 14:52) *住民と自治、月刊社会教育(編集長)  
 <いつも頼りにしていた野々村さん>
 昨日(12月27日・高井戸)は、ありがとうございました。南の風「第44回東京社会教育史研究フォーラム、第268回TOAFAEC定例研究会・合同開催」で野々村惠子さんのことをお話しさせていただく機会をいただき、深く感謝申し上げます。小林先生が「婦人学級」「練馬三者方式」「全P研」などの話をしてくださり、「東京の社会教育」・練馬で野々村さんの果たされた功績を振り返ることができました。
 一九七〇年代の先生たちのお名前も懐かしく思い出されました。齋藤真哉さんがご用意くださった『シリーズ私の実践 ののむらけいこの社会教育史ー東京・練馬での三七年』を、帰りの電車の中で読み返し、あらためて野々村さんのお仕事の歩みを確認することができました。
 野々村さんをしのぶ会ということで、参加された青木玲子さん(国立女性教育会館)のお話も、いつも女性の問題に関心を持ち、解決に尽くされた野々村さんの姿が思い出されました。練馬の女性たちともつながりたいと思います。いつも頼りにしていた野々村さんを失った痛みは消せませんが、自分が女性問題にどう向き合い、どう生きるかを問う機会になり、研究会で場を設けていただき、重ねて御礼申し上げます。
◆小林ぶんじん(南の風4117号)
 今年最後の定例会は、久しぶりに東京社会教育史研究フォーラムと合同の開催(12月27日)。年末の寒い夜、参加者は少ない研究会でしたが、しみじみと「野々村恵子さんをしのぶ」ひとときとなりました。イーストビレッジでは、野々村さんの思い出話が相次いで時間を忘れるほど。終わりに山口真理子さんが、思いをこめて「涙そうそう」を歌いました。ぶんじんはその前座に(酔って)「海の子守歌」(海勢頭豊)を。調子はずれ、それでも何とか一節を。文字通り今年の歌い納めとなりました。
左・谷口郁子、右・斎藤真哉のお二人(高井戸、2019127)

268定例会・懇親会、斎藤さんは帰ったあと(、イーストビレッジ、20191227)



78, TOAFAEC定例研究会(第267回記録
        山口真理子(Mon, 4 Nov 2019 11:45)
 <第267回(2019年11月)定例研究会・ご案内 ―北京フォーラム報告会−>
 11月やっとお天気も落ち着き、爽やかな秋を感じる季節となりました。東京では朝晩に冷気も感じ、北海道では初雪の便
りも。10月は激甚災害に指定された台風19号はじめ大雨が水害をもたらしましたが、皆様のまわりはご無事だったでしょうか。被災された方々にはお見舞い申し上げます。
 さて、11月の定例研究会については、次のような北京フォーラムの動きから、その報告プログラムとして開催することになりました。
 黄丹青さんのお知らせ(風・前号)によりますと、今年の東アジア生涯学習研究フォーラム(北京・第5回)が、この11月23・24日を中心に北京で開催されます。2010年に上海で始まった国際的な生涯学習研究フォーラム。当初、中日韓の三国で2年に1度開かれる予定でしたが、その後の東アジアの政治状況で中断。2016年(上海・第2回)に再開して、その後は台湾も加わって毎年開催されるようになりました。この間の曲折については『南の風』に6回(4086号〜95号)に亘って連載されていますので、ご参照ください。
 今年の北京・東アジア生涯学習研究フォーラムの集会テーマは「高齢者教育」です。このテーマでは、台湾における「楽齢学習」が年報『東アジア社会教育研究』に登場したことがありますが、年報特集としてはまだテーマになったことはなかったと記憶しています。今回は日本から、牧野篤、石井山竜平、江頭晃子、上田孝典の皆様が発表者として登壇される予定です。東アジアの各国・地域からの報告と論議が楽しみです。とくにアンティ多摩の江頭晃子さんが、多摩地域のさまざまな高齢者のNPO活動・実践例を紹介されます。東アジアの拡がりでどのように論議が展開されることになるか、期待されます。
 29日の第267 回定例研究会は、北京フォーラムに参加された皆様にご出席いただき、北京での論議を受けながら、江頭晃子さんのお話を中心にフォーラム報告をお願いしています。北京からの帰国直後の日程、皆様お疲れもあるかと思いながら、参加した方々からも北京での感想や課題などお願いできれば幸いです。
 更に定例会でのこの報告は、来年の年報25号に向けての編集作業につながる側面もあるかと思われます。25号編集についても検討が始まれば幸いです。中国・韓国そして台湾の新しい動きも紹介いただくことにもなりましょう。当日は、関心おもちの方々、多数のご出席をお待ちしています。
◆日時:2019年11月29日(金)19:00〜20:50頃(開室は18:50)
 内容:北京・東アジア生涯学習研究フォーラム(第5回)報告
 報告・話題提供:江頭晃子さん(アンティ多摩)、北京フォーラム参加の皆さん
 場所:東京杉並・高井戸地域区民センター・第3集会室
  (〒168−0072杉並区高井戸東3−7−5)京王井の頭線「高井戸」駅下車、徒歩3分
 懇親・慰労会(21:00頃〜):レストラン「イーストビレッジ」電話 03-5346-2077 
  (東京都杉並区高井戸東2丁目29-23-108)
 *京王井の頭線 高井戸駅下車。すぐ陸橋(環八・歩道橋)を渡り、左にガードをくぐり、
   神田川の横、大きな茶色のマンションの裏1F。徒歩2〜3分。

北京フォーラムで「多摩・高齢者と市民力形成」を発表する江頭晃子さん(北京・20191123)


◆報告  
林 忠賢(Fri, 29 Nov 2019 17:44)
発表・話題提供:江頭晃子さん
参加者(敬称略・順不同):江頭晃子,小林文人,李正連,小田切督剛、松尾有美,金亨善,
 森田はるみ, 山口香苗,山口真理子,米山義盛、モモ,林忠賢(記録)
内容:
 2019年11月23〜25日に北京万商花園ホテル・石景山社区学院を会場として開催された中日韓・生涯学習研究・北京フォーラムについて,初めての中国・国際フォーラムに発表デビューを果たした江頭晃子さんからご報告いただきました。今回のフォーラムは「高齢者教育」について各国・地域の実践及び展望を話し合いました。フォーラムでの議論のみならず、その場で感じ取ったことも共有して頂きました。
 まず,フォーラムの流れに沿ってご紹介いただきました。フォーラムは三部構成で、第一部生涯学習システムにおける高齢者教育,第二部高齢者教育の展開と趨勢,第三部高齢者教育の新しい傾向と優れた実践例、というテーマでそれぞれについてご報告がありました。会場は、石景山(シージンサン)社区学院・石景山業余大学。フォーラムのなかで会場(社区学院)の見学も行われました。
 当日は中日韓の参加者が約40名に加えて,関心ある北京の方々あるいは社区センターの職員さんたち50名程が集まりました。中国の社区教育について、北京フォーラム(そして上海)から見えてきたこととして,日本の生涯学習との相違点がいくつもありました。日本との違いは、市民の積極性,学歴補填から職業教育,また職業教育から自己充足に繋がることや、社会教育の目的の根本的な違いといったことなど、江頭さんは身をもって感じたことでした。
 他方,中国では充実した設備・予算規模がもたらす様々な可能性も言及しました。また,日本の社会教育が見習うこととしてあげられたこと。例えば中国の現場において女性の活躍が大きいこと、これは山口真理子さんも共感したところです。公園で感じたこと、市民自らの積極性から高齢者教育法制定まで詳しく整理され,報告をいただきました。
 ここで小林先生から押さえておかなければならないポインド二つを指摘されました。見てきたように中国における市民の活動が活発に展開していきますが,政治的なかかわりについて。限られた大きな枠組みの中で市民の活動がある、表現の自由に関することやそれをサポートする専門職員も今後の課題となることが一つ。もう一つは,2000年代に入って、
かつての「単位」社会の構造から「社区」社会へ転換・変革していったこと。このような構造についての認識が背景として問題となってくること。例えば従来「単位」(企業等)に付属していた学校が、現代においては学校が分離していって,どのように「社区」に繋がっていくかといった問題が浮き彫りになります。
 また,江頭さんから、参加者との交流について印象に残ったエピソードが交じりながら共有していただきました。さらに来年のフォーラムの開催に向けて今回の反省点を踏まえ,参加者,運営体制,役割分担などについて皆さんんで話し合って盛り上がり,来年の日本での開催が待ち遠しいです。
 最後に「じんぶんヒストリー」を通じて,日中韓に伝えるものがあるのでは?色んな意味でぜひ作ってほしいという心を込めた提案がありました。定例研究会の後,慰労会を兼ねていつもの「イーストビレッジ」で懇親会が行われました。おいしいワインを飲み、ご馳走をほおばりながら,北京での逸話を聞かせてもらいました。信州から米山義盛さんが参加され、お土産としてリンゴを頂きました。
 参加者の方々は北京から帰国されてすぐの定例研究会ですが,お疲れ様でした。参加していない自分が自らその場に臨んだような話を沢山頂きました。ありがとうございました。また参加者の皆様の中国語が短時間で上達したようで,帰りの際に中国語で「再見」(ザイジェン)と一言いただきました。次回の定例研究会は年末となりますが,12月の定例研究会でどのような話が聞けるのかを楽しみしております。
11月定例研究会・懇親会、左端:林忠義さん、左から4人目に江頭さん、次に米山さん(イーストビレッジ、20191129)
 米山さん(信州松川町)持参のリンゴを頂いて。有難うございました! ぶ日誌「リンゴのもとにみえしとき」参照→■



77, TOAFAEC定例研究会(第266回)記録
     李 正連(Fri, 4 Oct 2019 12:15)
 <10月定例(TOAFAEC・第266回)研究会のご案内>
 『東アジア社会教育研究』第24号の合評会(9月定例研究会)は、皆様のおかげでとても有意義な時間でした。特集の東アジア社会教育法制についての話が主でしたが、とりわけ日本と韓国、台湾、中国の社会教育法及び生涯教育(学習)法、自治体条例等の制定年表を比較することで、新しい発見やその意味について議論できたのが最も興味深かったです。ありがとうございました。
 10月の定例会では、日本の植民地だった中国・朝鮮・台湾の教育史研究の大家である阿部洋先生にお越しいただき、近代東アジアの教育についてお話を聞くことになりました。阿部洋先生は、植民地研究がまだ進んでなかった時代に研究を始められ、植民地期の教育関連史料を多く発掘・研究され、植民地期教育研究の土台をつくって来られた方です。
 阿部先生は、小林文人先生と九州大学の同級生ですが、教育史と社会教育とで専門分野が異なることもあって、これまで研究交流をする機会が多くはなかったかと思います。しかし、お二方は、それぞれの分野で長年東アジア研究をされてきており、また今も東アジア諸地域からの留学生のために研究会や研究指導を行なって来られているなど、共通点も多いです。
 そこで、第266回定例研究会では 阿部先生の研究についてお話を伺うとともに、文人先生との対談も行いたいと思いますので、社会教育のみならず、近代東アジアの教育を研究する方にも是非お越しいただきたく思います。1世紀に1度あるかどうかというくらい歴史的な研究会となると思いますので、奮ってご参加いただきますようお願い申し上げます。
◆日時:2019年10月25日(金)18:15〜2時間程度(*通常より早く始まります!)
 内容:ゲスト:阿部洋氏(国立教育研究所・福岡県立大学名誉教授)
    タイトル:「我が教育史研究を振り返るー近代東アジアの教育をめぐってー」
 場所:東京杉並・高井戸地域区民センター・第3集会室
  (〒168−0072杉並区高井戸東3−7−5)京王井の頭線「高井戸」駅下車、徒歩3分
 歓迎会(20:30〜):レストラン「イーストビレッジ」
   電話 03-5346-2077 (東京都杉並区高井戸東2丁目29-23-108)
 *京王井の頭線 高井戸駅下車。すぐ陸橋(環八・歩道橋)を渡り、左にガードをくぐり、神田川
   の横、 大きな茶色のマンションの裏1F。徒歩2〜3分。
中列・右より二人目に阿部洋さん 、後列右端に山口香苗さん (高井戸、20191025) *松尾有美さん撮影



◆記録:山口香苗・早稲田大学(Sun, 27 Oct 2019 13:39)
〇10月定例(第266回)定例研究会・報告
日時:10月25日(金)18:15〜20:30、終了後:歓迎懇親会
ゲスト:阿部洋先生(国立教育政策研究所名誉所員、福岡県立大学名誉教授)
テーマ:我が教育史研究を振り返る:近代東アジアの教育をめぐって
参加者(敬称略):阿部洋、小林文人、李正連(司会)、森田はるみ、孫佳茹、金亨善、呉世蓮、
 小田切督剛、包聯群、中篠雫(包先生の娘さん),松尾有美、入江優子、江頭晃子、山口真理子、
 モモ、上田孝典、長岡智寿子、山口香苗(記録)
〇内容: *阿部先生補筆済み
 今回は、東アジア教育史研究の第一人者で、文人先生の九大教育学部時代の同級生でもある阿部洋先生をお迎えして、これまでの研究人生についてお話をお聞きしました。阿部先生は、(1)福岡(九大)時代、(2)国立教育研究所(以下、国教研)時代、(3)福岡県大時代、(4)横浜時代の四時期に分けて、取り組まれてきた研究についてお話してくださいました。
 (1)阿部先生は、九大教育学部の学生の時、ミッション・スクール研究者で教育学研究  の大家・平塚益徳先生(生涯の師)と出会い、ここから研究人生をスタートさせます。 朝鮮総督府とキリスト教学校についての研究を始めますが、当時(1953年前後)、日本 は韓国との国交がなく、多くの資料が手に入らないことから、中国の清末から民国期に かけての教育改革、つまり教育政策における「中体西用(日本でいう和魂洋才)」の研 究を始めます。そして研究に社会的な視点を入れたいと思い、清末の農民たちが近代学 校をどのようにとらえていたのか分析していきます。ここには、農民たちによる近代学 校の打ち壊しがあり、このことに先生は大きな衝撃を受け、この理由を解明したいとい う思いが芽生えたということがあります。「なぜ研究を始めた最初が朝鮮だったのか」、 「なぜ大学院に進学したのか」という文人先生からの質問には、学生時の自主ゼミでフ ランスのアフリカでの植民地教育政策に関する英文雑誌論文について報告した時に、植民地の教育問題に興味を引かれ、そこから朝鮮の場合についての研究を思いついたということ、植民地研究をしても就職がなかったため、「大学院にでも行こうか」と思い進学したということをお話くださいました。また、戦後、新制大学となった九大に新しく教育学部なるものができた時のことも興味深いお話でした。
 (2)1967年に上京し、国教研での研究生活が始まります。なんと文人先生の上京(東京学芸大学)年も1967年。ここにも深い縁を感じました。国教研では、当時ユネスコが行っ ていたアジア諸国への義務教育普及について、特に東南・南アジアで見られる、小学校に入学しても、一二年のうちに退学してしまう「wastage(損耗)」の実態について研究を始めます。その後、アジア教育研究室を主宰し、全国各地の研究者に呼びかけて文部省科研費による共同研究を続けて行くことになります。その中で、日本への留学生や日本人教習について、戦前期の『外務省記録』を用いた史的背景から現状分析までカバーしていきます。江頭さんから「教育史研究と留学生研究が先生の中でどのようにつながったか」という質問があり、阿部先生は「つながっていない。暗中模索。」と答えました。研究に真摯に向き合う姿を見たような気がしました。もちろん、清末・民初期の教育史の研究も進め、日本型教育からアメリカ型教育への移行、そこでの中国農村社会との不適合現象、さらには毛沢東時代になりプラグマティズムを取り除き、社会主義思想をどう入れるかという変化についても分析し、多くの研究成果を発表していきます。
 (3)1993年には福岡に戻り、福岡県大の立ち上げに携わります。研究では日中教育「交流」に加えて「交流と摩擦」にも関心が広がり、また南京師範大学との科研による共同研究も開始し、これは3期・6年間続きました。
 (4)2000年に横浜に戻り、戦前日本が中国に対して行った大規模な文化事業・「対支文化事業」についての著作を執筆し、さらに80年代から引き続き、植民地教育政策資料を、200巻を超える資料集(朝鮮篇・台湾篇)としてまとめていきます。まさに、「後に続く人たちに、大きなものを残している」(上田孝典先生の言葉)のです。台湾の植民地資料となる隈本繁吉文書の発掘エピソードや、解読作業の苦労話も大変興味深いものでした。長い年月をかけて膨大な資料を収集し、これを読み解き、まとめていく力量と根気、88歳の現在でも研究会や院生の論文指導を行っておられ、変わらずご活躍されていることに敬服しました。さらに文人先生から清末民初、つまり辛亥革命の頃の「社会(society)」という新概念、社会教育概念はどのようなものだったのかという問題提起がなされたことで、教育史といった歴史研究に興味が掻き立てられる時間となりました。

 個人的な感想ですが、阿部先生は、教育学会がアジアの問題に注目していなかった時代から東アジアを研究してきた、いわばパイオニアですから、自らのアイデアのみで研究の道を切り開いてきたとばかり思っていました。しかし、阿部先生が語る姿からは、師匠への尊敬の思いや、多くの研究者から様々な視点や手法を常に学び、それを尊重し、自身の研究関心に引き付けて試行錯誤してきた様子が伝わってきました。阿部先生が切り開いてきた道には、個人の努力やアイデアだけでなく、先人たちへの尊敬や、研究に対する誠実な姿勢というものが存在していたということがわかりました。
 個人的な感想ですが、阿部先生は、教育学会がアジアの問題に注目していなかった時代から東アジアを研究してきた、いわばパイオニアですから、自らのアイデアのみで研究の道を切り開いてきたとばかり思っていました。しかし、阿部先生が語る姿からは、師匠への尊敬の思いや、多くの研究者から様々な視点や手法を常に学び、それを尊重し、自身の研究関心に引き付けて試行錯誤してきた様子が伝わってきました。阿部先生が切り開いてきた道には、個人の努力やアイデアだけでなく、先人たちへの尊敬や、研究に対する誠実な姿勢というものが存在していたということがわかりました。
 阿部先生という大先生でも、ひたすら地道なことを続けてきたということに気付かされ、先生のお話を聴きながら、研究に誠実に向き合っていこうと、気持ちを改めていました。とても貴重なお話を聞かせてくださった阿部先生、このような研究会を企画してくださった皆さまに感謝申し上げます。ちなみに、阿部先生は文人先生を「小林くん」と呼んでいました。文人先生を「君付け」で呼ぶ方をこれまでお見かけしたことがなかったので、なんだかとても新鮮でした。
ゲスト・阿部洋先生 (高井戸、20191025)

歓迎会。左列より孫佳茹、中篠雫、松尾有美、金亨善、阿部洋、李正連、右列に呉世蓮、入江優子、包聯群、
小林文人、上田孝典、後方に山口真理子、マスター夫妻(敬称略、イーストビレッジ:20191025)*江頭晃子さん撮影



ぶんじんコメント(南の風4098号(ぶ)欄) 研究会当日、ゲストの阿部洋さんは横浜から。雨で難儀するのではと心
配しましたが、幸い夕刻には傘が要らない空模様となり一安心。それでも米寿の人、遠路はるばる高井戸まで、まことにご苦労さまでした。遅くまで賑わったイーストビレッジの歓迎・懇親会も最後までお付き合いいただき恐縮しています。当夜は、小さな研究会としては多数の参加者、皆さんもお疲れさま。
 山口香苗さん(早稲田大学)が長文の報告を書いていただきました(上掲)。丁寧な報告を有難うございました。いつもより早く始めましたから、阿部レクチャーと関連して案外とたくさんの話題が出ましたね。東アジア近代・植民地教育、もちろん清末・中華民国初期・朝鮮、日本近代教育百年史、歴史概念としての社会教育、国の研究機関の現状ないろいろ。阿部さんとブンジンは個人的な回想話も。参会者のなかには、焼酎持参で大分から包聯群さん。入江優子さん(東京学芸大)からは銘菓もいただき、阿部さんに渡せばよかったと帰宅後に思いついた時は、でに遅し。皆さま、ありがとうございました。

旧友ふたり:左・阿部洋、右・小林文人(イーストビレッジ、20191025)


76,TOAFAEC定例研究会(第265回)
           李正連(24号編集長)
 <9月定例(TOAFAEC・第265回)研究会『東アジア社会教育研究』第24号合評会ご案内>
 『東アジア社会教育研究』第24号も皆様にご協力いただき、無事発刊することができました。心から深く御礼申し上げます。今回の特集は、社会教育法制定70年を迎え、「社会教育法70年と東アジア社会教育・生涯学習法制」としました。近年躍動を見せている中国・韓国・台湾の法制とともに、日本の法制及び地方自治体(松本、貝塚、川崎)の取り組みについての原稿で構成しました。そしてもう一つの特集には、昨年韓国の公州で開かれた東アジア生涯学習研究フォーラムについて韓国からの盛り沢山の報告と、日本・中国・台湾からの意見・感想が掲載されています。
 なお、本誌発行以来初めて「香港の成人教育と生涯学習」についての論文も掲載されていますので、是非ご一読いただければ幸いです。下記のように24号の合評会を開催しますので、奮ってご参加ください。皆様からの忌憚のないご意見・ご感想をいただけますことをお願い申し上げます。
〇日時:2019年9月27日(金)19:00〜21:00
  内容:〈話題提供〉韓国生涯学習研究フォーラム・小田切督剛さん、呉世蓮さん
             各執筆者・投稿者・参加者より(24号合評)
  場所:東京杉並・高井戸地域区民センター・第3集会室
   (〒168−0072杉並区高井戸東3−7−5)京王井の頭線「高井戸」駅下車、徒歩3分
懇親会(終了後):レストラン「イーストビレッジ」
   電話 03-5346-2077 (東京都杉並区高井戸東2丁目29-23-108)
*京王井の頭線 高井戸駅下車。すぐ陸橋(環八・歩道橋)を渡り、左にガードをくぐり、神田川の
  横、大きな茶色のマンションの裏1F。徒歩2〜3分。
9月定例研究会・報告、小山田さん(左)、呉世蓮さん(右) ―高井戸、20190927―

9月定例研究会・ぶんじん(高井戸、20190927)

◆記録:松尾有美、(Sat, 28 Sep 2019 12:41)
 TOAFAEC第265回研究会 テーマ:『東アジア社会教育研究』第24号合評会
 参加者(敬称略,順不同):小林文人,李正連,小田切督剛,呉世蓮,山口真理子,江頭晃子,
      武田拡明,MOMO(公民館の活動について興味があり参加,杉並区民),黄丹青,
      森田はるみ,林忠賢,松尾  計12名
 9月18日に発行された『東アジア社会教育研究』第24号の合評会が9月のTOAFAEC定例会において行われた。今号の目玉はなんといっても「特集:社会教育法70年と東アジア生涯教育法制」である。東アジア各国と日本の地域地方自治体(松本,貝塚,川崎)からの論文では,それぞれの国の法制度の経過と抱える課題について,そして社会教育とその法制度の下で行われた自治体独自の実践と展開についてダイナミックかつ繊細に描かれていた。
 報告者の小田切氏は「これから先の東アジア全体への問題提起に向けて,東アジアを横につなぐ課題が表出している」と改めて特集の意義を強調した。
 これに対して小林先生からは,「この特集は本誌だけが取り組むことができる内容であるものだった」と評価をする一方,東アジアで現在唯一社会教育法が残っている日本において,社会教育法の持つ大事な部分というものが見えにくくなっている現状への危機感をそれぞれが認識し,日本の果たすべき役割や社会教育のもつ可能性についてもっと積極的に発信していくことが必要なのではないかという指摘がなされた。松本・貝塚・川崎など自治体の独自な展開、とくに公民館(市民館)職員の専門職化への取り組み。今後の更なる東アジア研究を見据えての発言であり,社会教育・生涯学習という視点を通しての本誌の役割もまた参加者全員が再認識した場面であったと感じた。
 また呉氏の報告では,巻頭言「目覚めた市民が社会を変える」(李正連)について,緊迫関係の今の時代だからこその文章である巻頭言であり,東アジアや日韓をめぐる社会情勢とその解決のための市民一人一人の力,そして社会教育・生涯学習が果たしうる役割について明確に指摘されている,という言及が印象的であった。
 さらにその後の意見交換では,台湾社会教育法のもつ新たな発見(儒教的な思想を持ちながらも,国家主義的な性格を帯びていたこと),それを踏まえて日本社会教育法と台湾・韓国社会教育法の性格の違いなどが議論の中心となった。さらに,日本の戦後社会教育における川崎の社会教育実践ついて,当時の状況を武田氏に伺いながら旧大都市型社会教育において果たしてきた役割を改めて理解する時間となった。
 私たちの世代は,内向きで「今」という視点が強く,海外,歴史,法・政策への関心が弱い世代であるとよく言われている。国外の法制度,政策などを見ることで自国の法制度,政策の長所,課題が浮き彫りになる。そしてそれに歴史という縦軸が加わることによって,よりそれぞれの国,地域がもつストーリーに深みが増す。若者世代の一人として,本誌の役割を考えてみたとき,こういった色んなことにさほど興味を示さない自分たちの世代にとっても,少し興味が湧いた時に「そういえば東アジアの年報ってあったな」と思い出してもらえることの意義は大きいのではないだろうか。
 イーストヴィレッジでの和気藹々とした雰囲気の中で,美味しい料理とビールを楽しみながらそんなことを考えていた。
9月定例(第265回)研究会後の交流(黄丹青さんなど退出後、高井戸・イーストビレッジ、20190927)



75、7月定例(第264回)研究会・記録
ご案内  江頭晃子(Sun, 07 Jul 2019 06:09)
 <7月定例(第264回)研究会 じんぶんヒストリー(第3回) ご案内>
 半年に一回、開催している「じんぶんヒストリー」。今回(V)はいよいよ青年Bが学生時代の挫折と葛藤、一時は研究から離れるものの大学院に戻り、そして大学助手へ。社会学・教育社会学から社会教育研究へ出会うまでのお話を伺います。
 時代は、戦後の混乱から朝鮮戦争、その特需により地方産業も活気が戻る時代。しかし経済高度成長から農村変貌への激動へ。戦後の日本国憲法下で新たな教育制度が定着・変容するなかで、民主的な社会教育への道に希望をみた研究者たちが動きだす時代でもありました。青年Bは、どういう研究室・フィールドワークに出会いつつ、自らの研究者生活をスタートさせていったのでしょうか。
 インタビュアーには社会教育の専門家である上野さんにお願いしました。青年Bを通して、戦後1950年代から60年代への激動期、社会教育研究の草創期の熱を体感してください。
◆じんぶんヒストリー(第3回), TOAFAEC 7月定例(第264回)研究会
・日時:2019年7月26日(金)19:00〜20:50(開場18:50)
・テーマ:研究者を目ざす青年B・その源にあったもの 
・話し手:小林文人先生
・インタビュアー:上野景三さん(佐賀大学・日本公民館学会)
・会場:杉並区高井戸地域区民センター第3集会室 (〒168−0072杉並区高井戸東3−7−5
      TEL 03−3331−7841) *京王井の頭線「高井戸」駅下車3分(環八を渡ってすぐ)
・定例会参加:無料
〇終了後(21:00〜)懇親会:イーストビレッジ 03-5346-2077
*京王井の頭線 高井戸駅下車。すぐ陸橋(環八・歩道橋)を渡り、左にガードをくぐり、神田川を
 渡る。大きな茶色のマンションの裏1F。駅より徒歩2分。
*当日の連絡先:山口真理子さん(TOAFAEC 事務局長) 042-482-9143
・じんぶんHプロジェクト:ringox@nifty.com(えとう)
じんぶんヒストリーV  左・ぶんじん、右・上野景三さん (高井戸・20190726)

報告
 山口真理子(Mon, 12 Aug 2019 11:55)
<じんぶんヒストリー(第3回)記録…7月定例(第264回)研究会ご報告>
・参加者:(敬称略) 江頭晃子,遠藤輝喜,小田切督剛,ハスゲレル,持田津希子、( )、山口真理子
・内容:今回ははるばる佐賀から上京の上野さんがインタビュアーとなっての「じんぶんヒストリーV」。上野さんは、前回の話を報告で読み、どうしても伺いたいことがあった由。一つは、そもそもどうして九州大学に入られたのか。もう一つは一旦就職しながらなぜ大学院に進まれたのか、社会教育に"道を踏み外した"のはなぜか、というようなこと。文人先生は、この日は1960年代から話されるつもりで、資料もその用意だったので、1950年代に戻ることで、ちょっと混乱する、とおっしゃりながらも質問へのお答え、話を始められました。
 九大に進まれたのは、経済的な事情からの条件があったそうです。その当時、戦争直後の大学進学をめぐる社会的状況を話されました。「進学適性検査」(いわゆる「進適」、受験「学力」をテストするのではない)なるものがあって、それは軍隊から帰ってきた人たちはもとより、演劇やスポーツに夢中だった人たちの救いになったこと。先生も高校時代は9人制―6人制とは違う!と強調・・・が生活の中心で、受験勉強はやっと2ヶ月だけだったらしい。そのためか、学友は復員兵,新聞記者経験者,他大学卒業生など、人生経験豊富な人も多く、バラエティに富んでいたそうです。
 教養部(文科)から教育学部を選んだのは、消去法的な理由もありますが、無着成恭の「やまびこ学校」の話(講演会が久留米であった)を聞いたのが大きかったそうです。
 ここで教育学についてのお話になります。戦前の教育学は「哲学・倫理学」と並ぶもの、国家主義的・師範教育的な流れも過去にあり、それから脱皮し「教育科学」へ、新しい教育を創ろう、「新教育への道」という雰囲気も当時満ちていたそうです。
 卒業論文は『アメリカにおける社会科教育の発展』をテーマに。この論文は評価も悪くなかったそうですが、既成の教育学への反発もあり、「やまびこ学校」など生活綴方・民間教育研究運動に魅かれていたこともあり、既成の教育学ベースの学問研究から離れようと大学を去ることに。就職した久留米市立教育研究所は設立後1年で専任が置けなくなる事情があり、また所員時代にはいろいろな先生に出会えたという刺激もあって、大学院に戻ることになったとのこと。
 大学院では、伝統的な教育学からいちばん離れた分野へ。それが教育社会学。農村社会学ご専門の喜多野清一教授(文学部)に教えを受けられます。非常に影響が大きく、多くのことを教わった、と先生はおっしゃいます。喜多野教授の下で、農村調査・フイールドワークの機会をたくさん持つことができ、体で教えてもらった、そんな訓練を受けた思い出。その後の先生の進路を決定づけたとも言える修士論文は、『都市における近隣集団の教育的機能―久留米市暁住宅調査』のフィールドワーク。その経過や修論後の研究についても述べられましたが、第2回とダブルところもありますので省きます。 
 喜多野先生の社会学ゼミ。@最初に古本屋に連れていってもらったこと。A調査地へ、その周りを回って調査村落をを選ぶ、B泊めてもらえる所(お寺など)を決める、C壬申戸籍(明治初期)を全部写して、村落の家族構成や移動、同族組織を頭に入れてインタビューへ。―エッ!壬申戸籍って閲覧できるの?−。
 とくに農村社会学的な調査、インタビューの方法を教わったそうです。face to face、ラポール、「社会調査は一人ではできない」という教えは、先生が常々おっしゃる「学問は協同・共有するものだ」に通じることでしょうか。
 上野さんからは研究者による方法論の違いなどの質問も出ましたが、当然、研究者の問題意識やテーマにもよるだろうと。デュルケームの「社会的事実」、マックス・ウエーバーの「理念型」概念、日本農村社会学の有賀喜左衛門、福武直,そして鈴木栄太郎などの古い名前が飛び出し、その学説なども説明されたり、先生の記憶は相変わらず健在でした。
 1967年以降、社会教育研究への道へ。社会教育法の法社会学的研究として「法の地域定着」研究がいわばスタートと。今回はここから話を始めたかった、とは最後の言葉。以下は「じんぶんヒストリーW」のお楽しみ。
◆「楽天の人生」 ぶんじん(南の風4069号、Mon, 29 Jul 2019 09:21) 
 26日・7月定例会(じんぶんヒストリーV)、ご出席の皆様、ご苦労さまでした。とくに遠路の上野景三さん(佐賀大学)、お疲れさまでした。話し手としては「社会教育研究への道」について、ほぼ1960年代以降の歩み(先回で1950年代「青年B」の話は済んだ・)と考えて、メモも用意していきました。ところがご質問は、むしろ大学時代にもどって、さらに大学院・「助手」時代の、屈折を含む当時の話題となりました。つまり1950年代後半に逆戻り、「じんぶんヒストリー」はほとんど前に進みませんでしたね。しかし「本当におもしろかった」(上掲・小田切メール)の感想も寄せられ、話し手も充実感あり。
 人生には、誰しも模索や反発の時代がある、挫折・混迷のつらい思い出がある、そんないきさつを少しお話しした結果になったようです。上に苦しく語る写真一枚をアップ(江頭晃子さん撮影)
 私の旧制中学(久留米・明善)の校訓に「楽天」という言葉がありました。いま企業やプロ球団の名称となってしまって、あまり口にしなくなりましたが、私なりに(友人たちも)大事にし自慢もしてきた言葉です。ただし「克己」「尽力」と並んで「楽天」。当時の“尽忠報国”などが叫ばれていた軍国主義時代に、「楽天」には独自の響きがありました。「お國のために」という流れの中に、個人の生きる思想、といったニュアンスが含まれているようです。自分なりに力を尽くせば楽天の境地が拓ける、頑張れば必ずや何かが待っている、そして天命を楽しむ、と励ましの響きもあったような。当夜のぶんじんの話には、この「楽天」について触れるべきでしたが、余裕がありませんでした。若いときだけでなく、いま年を重ねて、ときどき思い出す大事な言葉です。

74、6月定例(第263回)研究会・記録
ご案内  山口真理子(Tue, 4 Jun 2019 12:03)
 <6月(第263回)定例研究会−辺野古に積み重ねられた記憶について>
 5月24日の研究会に初めてご参加くださった明星大学・熊本博之さんが、早速、私たちの研究会にゲストとしてご登場、沖縄・辺野古についてのお話をしてくださいます。『南の風』前号(4054号、5/31)に自己紹介を書いてくださっていますので、ご覧ください。
 熊本さんは地域社会学のご専攻。2004年来、名護・辺野古について丹念なフイールドワークを重ねてこられました。沖縄についての著作も少なくありませんが、最近はとくに辺野古についての報告が注目されている方です。(「カギ括弧を取り外した辺野古を描き出す」『現代思想』2017年11月号、「辺野古に積み重ねられた記憶について」『世界』2019年4月号など。) “カギ括弧付きの辺野古”つまり基地反対運動やその周辺で語られる辺野古だけではなく、カッコをはずした辺野古、そこに暮らしてきた住民の具体的な生活の歩み、その地域の実像、日常の辺野古に目をそらしてはいけない、という観点から書かれています。カギ括弧を取り外した辺野古を描き出す作業から、最新の状況―2019年2月24日実施の県民投票―を加えて、最新のご報告、丹念なレポートに迫力を感じました。
 私も辺野古新基地問題については、反対の立場から国会前行動を初めとして種々の集会に参加している1人です。熊本さんが「辺野古に積み重ねられた記憶」に書いておられる経過―1996年4月12日 普天間基地の全面返還(ただし県内移設が条件)発表から23年、キャンプ・シュワブと後に名付けられる演習地使用要請が起こる1955年からの64年、この長い歳月、地元の方々が米軍基地に如何に向き合ってきたかは、反対,容認の立場を越えて知らねばならないことだと思いました。
 当日は文人先生に聞き手をお願いしました。お二人の沖縄研究、熊本さんの最新の辺野古についてのご研究、充実したお話が聞けるものと期待されます。6月の定例研究会、皆さまお誘いあわせの上、多数ご参加ください。
〇日時:2019年6月28日(金)19:00〜20:50(開室は18:50) 
 テーマ:私の沖縄研究、辺野古に積み重ねられた記憶について
 ご報告:熊本博之さん(明星大学・教授)   
 聞き手:小林文人(TOAFAEC 顧問) 
 場所:杉並区高井戸地域区民センター第3集会室
 〒168−0072杉並区高井戸東3−7−5 TEL 03−3331−7841
  *京王井の頭線「高井戸」駅下車3分(環八を渡ってすぐ)
〇終了後(21:00〜)懇親会:イーストビレッジ 03-5346-2077
  *京王井の頭線 高井戸駅下車。すぐ陸橋(環八・歩道橋)を渡り、左にガードをくぐり、
    神田川を渡る。大きな茶色のマンションの裏1F。駅より徒歩3分。
熊本博之さん


報告
 入江優子 Sun, 30 Jun 2019 12:07
・テーマ:沖縄の基地問題と地方自治のゆくえ−本土が問われているもの
・報告者:熊本博之先生(明星大学・教授)   
 参加者(敬称略、順不同):小林文人、武田拡明、竹峰誠一郎(明星大学)、坂口朱音(明星大学生)、富澤由子、モモさん、山口真理子、入江優子 計8人 記録者:入江優子(東京学芸大)
◆報告概要
 6月定例会は、基地問題を抱える沖縄社会について、名護市辺野古区に深く入りながら、主に地域社会学、環境社会学の観点から考察を重ねる熊本先生のご報告でした。
「現代の防人」。
 冒頭、2014年発表の国土計画『国土のグランドデザイン2050』(国土交通省)に記されたこの表現に触れ、「国防への貢献を事実上義務付けられた沖縄」を表す同計画の基本性格と辺野古移設問題の関係性に着目するところから報告は始まります。
 次いで、1996年の普天間飛行場返還合意から現在に至る移設問題の経緯について、県政と名護市政の関係にも触れながら概観した後、辺野古が応答してきた「条件つき受け入れ容認」の背景、今日の辺野古の置かれた状況を捉え、わたしたちに何ができるか、を問いかけていきました。紙面の都合上、ここでは熊本先生の指摘する構造的問題を中心に記述します。
〇「報奨金的」振興事業(熊本氏による定義)を通した地方自治への介入
「報奨金」とは、功労・善行を為そうとする者にのみもたらされ、何が功労・善行たるかは与える側が決定するという性質を持つ。この「報奨金的」振興事業の事例として、
・「米軍再編交付金」…辺野古移設反対=米軍再編計画への「未貢献」に伴う、稲嶺市政下での未交付(2018年市長選前の渡具知氏当選の場合の交付対象発言と当選後の交付)
・「沖縄振興予算」…対前年比15.3%増閣議決定後の2013年仲井眞知事辺野古埋め立て申請承認(翁長県政以降の減額)などを挙げながら、冒頭挙げた「防人」「国防への貢献」が構造的に埋め込まれ、実質的な地方自治が侵されていく過程を指摘。
〇辺野古区「条件付き受け入れ容認」の背景
1956年の「島ぐるみ闘争」下での苦渋の選択としてのキャンプ・シュワブの受け入れ以降、基地関連雇用の創出、米兵との婚姻関係・その子や孫である住民の存在、辺野古11班(隣人としての名誉班)としてのシュワブ、軍用地料収入など、長期にわたる関係性の中で、「沖縄でもっともうまく米軍とやってきた地域」が反対の声をあげる難しさ、政権交代や反対派県政・市政をもっても止められなかった諦め、しかし軍用地増もなく交渉しなければ補償も得られない葛藤の存在を指摘。
〇今、辺野古が置かれている状況
 政府の交渉先は稲嶺市政下においては久辺三区(辺野古・豊原・久志)だったが、容認派市長誕生後は名護市に移ったことにより三区の重要性が低下。防衛省の「個別補償」不可能通達により「条件付き(容認)」が無に帰す恐れの中で、建設強行・既成事実化が図られようとしている。こうした状況下で補償を求めれば「金目当て」言説を呼び、かといって反対の声をあげるのも「今さら感」がある。その結果、県内における辺野古集落の孤立化が強まっていると指摘。
〇わたしたちに何ができるのか
@政府を翻意させる
・消極的安倍政権支持層(特に辺野古建設工事反対割合の高い女性)への訴求
・本土による沖縄の「自分ごと」としての理解(沖縄は恵まれている、基地による収入がある
という本土の意識ギャップの改善)
A辺野古を理解し、支える:辺野古を孤立させないために
 長期的には不合理な行為である条件交渉を辺野古区民がせざるを得ない構造的問題を捉える視点の重要性を指摘。
 このまま新基地建設が進めば、辺野古が戦犯扱いされてしまう恐れもある。個別補償も無くなり、辺野古にとっての短期的合理性が揺らぐ今、辺野古区民を理解し支えること、つまり長期的合理性の実現=移設計画阻止、反対の声をあげられる環境づくりが必要である。辺野古区民への非難は、辺野古区民の反発を呼び、益々孤立化に繋がるに過ぎない。
◆文人先生より
 従前より大浦湾は、重要な軍事基地としての着目が米軍にあり、韓国済州島のカンジョン村にも韓国海軍基地の港が完成するなど、アメリカ極東戦略という大きな軍事的構造と軍需産業の動向の中に、日本の政権や辺野古の問題があるということは見ていかなければならない。他参加者からは、辺野古の地域の意思決定に係る質問などが出されました。
◆感想
 6月初旬、名護十字路界隈の居酒屋で、熊本先生とゆんたく対談をしました。この重く、長く、難しい問題に外から向き合う方はどんな方であろうと思いつつ。沖縄は、長年何層にもわたって大きな構造的な不利や痛みを埋め込まされていきながら、それに向かい、より良い生を希求する人々の豊かな営みの息づく場所。その最も大きな構造的問題が圧し掛かっている辺野古に向き合われていることに、改めて心から敬意を表します。
 本定例会で熊本先生が掲げた「本土が問われているもの」という重い問い。構造的問題の中に、社会の矛盾を知る、問うという営為そのものが欠落した教育の問題も大いに含まれていると感じます。沖縄の人々の長年の経験に積み重ねられ、生活に埋め込まれざるを得なかった基地問題が、更なる選択可能性の制約となって自己決定力が剥奪されていく過程、その「蓄積」をどう学び、理解し、問うていくのか、教育の問題としても引き取りながら考えていきたいと思います。
◆終了後
 いつもの「イーストビレッジ」で懇親会。文人先生からどうやら毎度酒豪の称号が与えられている?私めですが、そんなにいただいていないはず・・・笑。昨日は明星大の学生さんも来て、皆さんで二見情話を唄って和やかな空気を楽しませていただきました。
*辺野古関連の写真(熊本博之さん提供)は、沖縄研究フォーラムのページ(最下部)に収録しました。
 →■http://www.bunjin-k.net/yanbaru2016.htm
定例会後・懇親会(イーストビレッジ、20190628)



73、定例(第262回、5月)研究会・記録
ご案内 (小林ぶんじん、2019年5月4日―五・四の日に―)
 <TOAFAEC・5月定例(第262回)研究会ご案内>
  ―台湾の社会教育・生涯学習、最近の動き―
 桜が終わってハナミズキが咲き、それも散ってツツジの季節、風薫る五月となりました。皆さん、お元気にお過ごしのことと思います。5月の定例研究会では、久しぶりに台湾の社会教育・生涯学習をテーマにお話を聞く企画となりました。
 私たちの研究会は、欧米の動向だけでなく、東アジアの動きについて知見を拡げていこうという志をたて1995年に会を創設、すでに四半世紀です。そのなかでも台湾の現代史はもっとも東アジア的な屈折をもって、社会教育・生涯学習の歴史を紡ぎ出してきた地域ではないかと関心を寄せてきました。台湾という古層の土着文化、中国からの蒋介石政権による戒厳令支配、1990年代の民主化と教育改革の胎動、そのなかでの社区大学の歩みや生涯教育の国際的な動向にも刺激された「生涯学習(終身学習)法」の成立、日本についで早期に登場した社会教育法(1953年)の廃止(2015年)など。いまどんな社会教育・生涯学が動いているのでしょうか。
 日本・社会教育の対比においても興味深い台湾。しかし研究会ではなかなか取り上げる機会がなく、記録を調べてみると、山口香苗さん(当時・東大院)が「この1年の動き」を(中国・韓国、日本と並んで)台湾について報告されたのが、2017年3月定例研究会のことでした。もう2年が経っています。ただし年報『東アジア社会教育研究』では、毎年台湾について「この1年の動き」が執筆され、最近の重要な展開が記述されています。ちなみに昨年の「台湾の生涯学習・この1年」では、主として社区大学発展法令、生涯学習専門職員、高齢者(樂齢)学習の動き、の3点が取り上げられています。山口香苗さんの執筆、興味深い内容です。
 政権はいま国民党政権から民進党政権へ。今後の激動の政治状況のなかで、社会教育・生涯学習がどんな展開をたどるのか。台湾の社会教育・生涯学習の現在の動きとともに、今後の展望・課題についてどうみるか、山口香苗さんにお話をお願いいたしました。皆さま、お誘いあわせの上、多数ご参会くださいますよう、ご案内申しあげます。なお定例日(毎月最終金曜日)ではなく、今回は1週間早い金曜日夜の開催となります。お間違いのないようにお願いします。
        記
日時:2019年5月24日(金)19:00〜20:50 (最終でなく1週間前の金曜日)
報告:山口香苗さん(早稲田大学助手)
テーマ:最近の台湾の社会教育・生涯学習の動き
会場:杉並区高井戸地域区民センター 第3会議室、 
 〒168−0072杉並区高井戸東3−7−5 TEL 03−3331−7841 *京王井の頭線「高井戸」駅下車
〇終了後(21:00〜)山口さんの就職を祝う懇親会:イーストビレッジ 03-5346-2077
*京王井頭線高井戸駅下車。すぐ陸橋(環八・歩道橋)を渡り左にガードをくぐり、神田川を渡る。
   大きな茶色のマンションの裏1F。駅より徒歩2分。
262定例研究会 (高井戸、20190524)

報告  林 忠賢(Sat, 25 May 2019 05:25)
参加者(敬称略、順不同):小林文人、山口香苗、金亨善、松尾有美、林忠賢、小田切督剛、入江優子(東京学芸大学)、熊本博之(明星大学)、山口真理子、富沢由子(杉並)、 モモさん(杉並)、江頭晃子、計12人。
内容:
〇背景について
 久しぶりに台湾の社会教育・生涯学習について、山口香苗さんの報告を聞きました。まずはじめに、台湾にける社会教育・生涯学習の背景として、歴史・政治も含めて大まかな流れから話が始まりました。台湾の1953年・社会教育法は、1942年(大陸)草案からスタートし、反共産党や孫文の思想がある程度反映されていると考えられます。その後1950年
版の草案(台湾)は、多数の議員から「時代精神の欠如、社会の需要に適していない」など指摘され、1952年の第二次修正案、また第三次修正案(1953年)を経て、1953年9月に成立しています。
 1960年代に入ると、台湾は経済発展。しかし1971年の国連脱退、日本・米国と断交(一つの中国論による)などの時代、台湾としては自らの台湾「文化」内部に目を向け始めた動きもありました。1987年戒厳令が解除されて以降、初めて国民による選挙で総統が選ばれ、経済成長を遂げた成果であるアジアの「四小龍」として注目を集めました。同時に成人教育と生涯学習が提唱され、大学においても成人教育に関する学科が設置されました。1994年4月10日、台湾大学の教授がリードした「4・10」教育改革運動、1997年の香港返還、1998年にユネスコ「学習:秘められた宝」をモチーフした「学習社会に向けて」白書が教育部により打ち出され、生涯学習政策が本格化していきました。同年、台北に初の社区大学が設置されました。2000年代に入り、国民党から民進党へ政権交代。この時期の生涯学習に関しては、欧米、日本、韓国を参照しながら、2002年「生涯(終身)学習法」が制定されました。8年後また国民党へ政権は移行し、「楽齢」(高齢者)政策に重点を置くようになりました。2010年、ヨーロッパのlearning city の概念を参照した「学習型都市」建設開始。曲折を経て、2014年の生涯学習法の大改正、2015年に社会教育法廃止、翌年に再び政権交代、2018年に先述した社区大学の条例制定など現在に至ります。
 特徴として、中華民国由来の社会教育、識字・基礎教育中心→1990年代の欧米由来の成人教育・生涯学習の政策へ、また個人の発展・職業技術の向上→2000年代台湾のアイデンティティを追求する地域に根ざした社区教育への変容が指摘されます。また施設や専門職に関する動きはあまり見られないが、楽齢(高齢)関連職は大学で各自に養成が進んでいます。
〇社区大学について
 2010年前後、社区大学の法的位置が不明のため、法制定が求められました。1998年初の社区大学が設置されてから約20年後、「20歳のプレゼント」といわれる社区大学発展条例が2018年に制定されました。その後、社区大学に如何なる変化があるか、その発展にについて今後注目に値いするものがあります。
〇重点的な動きについて
 楽齢学習センターは各地に設置され、学習型都市も年々増加しています。世代間交流や学校と地域の連携について、新たな在り方と転換が見られます。
〇最後に
 去年(2018)の統一地方選挙では、主要都市で民進党の後退がみられました。2020年の総統選挙がどのような状況がうごいていくか。政権の動向が生涯学習に向けての動きに影響をもつことが予想され、既にその変化が始まっています。
〇文人先生からの感想・質問
@1990年代は東アジアでは、中国・韓国そして台湾で、大きな教育改革の動きがありました。これに対して、日本においてはバブル経済経済崩壊後の平成「失われた10年」(あるいは20年)の停滞があり、新自由主義政策(公的セクターの後退)の影響も大きく、対照的に社会教育政策は後退している経過。台湾・韓国・日本(旧琉球政府を含む)の「社会教育法」について、その経過、相互の関係について、検討してみる必要があります。
A台湾において1994年の教育改革運動をはじめ、欧米の影響を受けて1998年に社区大学が設置され、2002年生涯学習法が成立、といった一連の積極的な動きが見られました。地域の視点にたつとどうか。日本の公民館制度に見られるような地域の施設・活動の動きとの対比など、台湾と日本のそれぞれの独自性について考えると興味深いです。
〇台湾出身の留学生の感想
 台湾出身の自分は不勉強ながら日本に来るまでは社会教育という言葉が馴染みのない言葉でした。今日の発表は時系列に分かりやすく整理されていて、非常に勉強になりました。今日の話と文人先生の話を聞いて、台湾は韓国と歴史的文脈に類似しているところがかなりあると改めて思いました。実はこの前も韓国出身の金亨善さんとこのような話をして、三カ国(地域)の視座から見る社会教育という研究は興味深いではないかと思っています。
 なお、文人先生の話で日本の地域は公民館をベースにして社会教育活動が動いてきたという側面がある、それと関連するかどうか分かりませんが、来日してはじめて「町内会」「自治会」という存在を知り、びっくりしました。なぜかというと、台湾(台北)にはそういう地域の自発的な組織や概念はないと思います。あったとしても宗教イベントが盛んである地域に、自然に形成されたコミュニティに似たような組織がありますが、それ以外はあまりないと思います。
 また参加者からの質疑応答では,社区大学」は英語では「community college」を中国語に訳したもの、台湾の若者の政治意識やヒマワリ学生運動について参加者自身の台湾訪問の経験、台湾・日本・韓国三つの国の比較にあたり、大枠としての方向提供、沖縄の動きについて、学校教育の閉鎖性などについて、活発に議論されました。
〇定例研究会後の交流会、20年ほどお付き合いのある「イーストビレッジ」で美味しい食事をしながら、様々な話が聞けました。小林文人先生は今回の発表の機に「台湾研究フォーラム」を提案し、今日の発表者である山口さんに期待を寄せました。最後に入江優子さんの美声で沖縄屋嘉の歌を聞き、沖縄にいるような気分を味わうことができ、楽しい時間を過ごしました。次回のテーマは沖縄について、新しくお出でになった熊本博之先生(明星大学)「辺野古」についてのお話とのこと、楽しみしています。次回定例研究会、6月28日にお会いましょう。
後列・右2人目に山口香苗さん 左端:記録・林チュウケンさん  (高井戸イーストビレッジ、20190524)



72、4月定例(第261回)研究会・記録
    (李 正連、Sun, 7 Apr 2019 16:46)
 韓国で地域ファシリテーターとして活躍されている姜乃栄さんの来日に合わせて、4月の定例研究会はいつもとは違って、土曜日の27日に開催することになりました。今回の来日の目的は、反貧困ネットワークと希望連帯共催の「日韓居住貧困実践交流シンポジウム」(4月26日)(詳しくは、http://antipoverty-network.org/archives/3641)での講演のためだそうです。
 姜さんは、首都大学東京で修士・博士号を取得し、帰国後は韓国で地域運動・市民運動に携わりながら、日韓市民ネットワークづくりにもご尽力されています。そこで、4月定例研究会でも久しぶりに姜さんの近況を含めて、最近の主な活動の中でも地域づくりと教育に関する活動を中心にお話を伺うことにしました。皆様のご参加をお待ちしております。
〇日時:2019年4月27日(土)19:00〜20:50 *定例・最終金曜日ではりません!
 ゲスト:姜乃栄(カン・ネヨン)氏(韓国・地域ファシリテーター)
 テーマ:姜乃栄さんの最近の活動を聞く〜韓国の地域づくりと教育を中心に〜
 場所:杉並区高井戸地域区民センター 第4集会室
 〒168−0072杉並区高井戸東3−7−5 TEL 03−3331−7841
 *京王井の頭線「高井戸」駅下車3分(環八を渡ってすぐ)
〇終了後(21:00〜)懇親会:イーストビレッジ 03-5346-2077
*京王井の頭線 高井戸駅下車。すぐ陸橋(環八・歩道橋)を渡り、左にガードをくぐり、神田川を渡る。大きな茶色のマンションの裏1F。駅より徒歩3分。
姜乃栄(カンネヨン)さん報告 (高井戸、20190427)


■報告
(金 亨善(Kim Hyoung Sun)、Sun, 28 Apr 2019 14:03)
参加者: 李 正連、入江優子、江頭晃子, 呉 世蓮、小田切督剛、金 亨善、小林文人、黄 丹青、
      富澤由子、包 聯群、松尾有美、山口真理子
内容:今回の定例会では、韓国で地域運動・市民運動に携わりながら、日韓市民ネットワークづくりにもご尽力されていらっしゃる姜乃栄先生をお招きし、姜先生の近況を含めて、最近の主な活動の中でも地域づくりと教育に関する活動を中心にお話を伺いました。
 IMF 経済危機時、韓国で貧困家庭が崩壊されて行く姿をただ見ることを辛く感じた姜先生は、困難な状況にある人達に実際に役に立つことをしたいという思いから、地域活動家としての活動を始めました。韓国の市民団体は社会問題解決のため様々な活動をしていますが、姜先生はその大半が法律・制度づくりにとどまってしまう問題を指摘しました。制度を作ってもそれを受け入れる地域の準備ができていないと実践につながらないということです。京畿道のタボクという中間支援組織では、職員が月1回の研究会を開いています。自分が研究をしたいものへの計画を共有し、組織の問題解決のための課題設定やワークショップなど行っています。そのプロセスのアドバイザー役を姜先生がしています。
 韓国では教育庁と基礎自治体が一緒に教育共同体事業を進めていますが、その主導権がどこにあるかによって事業の方向性も異なってきます。教育庁の主導になると、学校を中心に進めていこうとする傾向があり、自治体の主導になると、住民が事業活動の中心になります。大田市のハンサリム(生協)は、経済成長の鈍化に伴う生協活動の危機に問題意識を持ち、地域活動と緊密な連携を取ろうとしています。このハンサリムの活動にも姜先生が一緒にメンタリングをしながら、地域活性化に力を入れています。
 韓国の基礎自治体には区の下に、「洞」という自治単位があります。金大中政権はこの洞の事務所(役場)を「住民自治センター」と命名し、まちを住民自ら運営する仕組みに変えていきました。この住民自治センターを運営する住民自治委員会を、本来の目的である住民自治を色あせず、復活させるために、最近改めて「住民自治会」と変え、現在全国的に住民自治会への転換が行われています。
 住民自治会は自分が住んでいる地域課題を自ら解決する「洞」単位での住民自治プラットフォームであるため、住民の自治力が必要になります。特に、ソウル型住民自治会は行政に住民の意見がちゃんと反映できるように、ボトムアップ式のシステムを持っています。
 自治会員数も以前まで自治委員会に参加して来なかった人も入れるために拡大し、構成員も特定の世代や性別に偏らないように工夫をしています。住民自治会が上手く運営できるためには、もちろん支援が必要です。ソウル市は各自治体に住民自治会を支援する「まち自治センター」を置き、これを市民団体に委託して各洞に支援管が配置されています。「洞」は1万、2万人程度で構成されているため、50人の住民自治会だけでは十分ではないと思い、自治会の中に分科会も作って、その分科会には人数制限なしに住民誰もが参加できます。つまり、自治のための形式は支援しても、その実際の運営内容は各住民自治会に任せるということです。

 姜先生は、地域活動家というのは「組織家」だと、自分のアイデンティティーを語ってくれました。それは地域間のつながりを作る人であり、マニュアルに頼らず、各地域や組織それぞれの状況と課題に合う方法を一緒に探す人です。そして一番ベースになる、地域はなぜ大事なのか、という問題意識を地域住民が共有できるように手伝う人です。自分の武器、強みを探し、各地域で課題解決のための仕組みを探す作業を一緒に行う人です。今回の定例会では(時間に限りあり)姜先生の様々な活動についてすべて紹介することは難しかったですが、地域自治や住民参加のための活動の内容を聞くことができ、大変刺激を受けました。質疑応答で文人先生がおっしゃった「洞」以下のもっと小さな生活範囲での組織の必要性についても考えるきっかけになりました。そして住民自治と学習との関係や学校との関係についてももっと研究してみたいと思いました。
 報告終了後の懇親会は、いつもの「イーストビレッジ」でおいしい料理とビールを楽しみながら連休の始まりを満喫しました。そして今回は新しく入江さん(東京学芸大学)と富澤さん(杉並区、もと区議会議員)が参加し、入江さんの沖縄での思い出や富澤さんの杉並区での活動など、興味深いお話をしてくださり、もっとお二方の具体的な活動についてお話を伺いたいと思いました。
4月定例(第261回)研究会、前列右端・姜乃栄さん(高井戸、190427) *松尾有美さん撮影



*TOAFAEC 定例研究会・記録9 (第227回・2016年4月まで)→■
      同    ・記録10 (第260回・2019年3月まで)→■


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