【南の風2021】 4271号~4300号  
各号目次・後記(ぶんじん日誌)
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*南の風発行一覧(1998年~)
 
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新宿にかかる黒雲と虹(2014年7月)

  
【南の風2021】4271号~目次一覧(進行中)

4271号【10月 3日】東京の日本語教育つどい、友人ふたり、祖国復帰闘争碑、由布の里自由大学構想
4272号【10月 8日】
10月定例会、やんばる、東京・梶野さん快諾、日韓シンポ、町田とびたつ会、二度の地震
4273号【10月11日】学術・大学政策の誤りを正す、タイムス地域貢献賞、強権的な振る舞い、久しぶり紹興酒
4274号【10月18日】卒寿祝い、日韓学術交流大会、奄美・友野義国氏証言、十十空襲、新参加2人、十三夜
4275号【10月22日】「須恵村」研究、とびたつ会訃報、風参加、浜番、年報バックナンバー、あと少し遠くへ、
4276号【10月26日】やんばる、26号合評、東アジア研究フォーラム、基礎教育/日韓シンポ、岡山、豊後カボス拝受
4277号【11月01日】10月定例会報告、熊本「こんばんは2」上映、戦争難民・有銘政夫さん逝去、出版目録アップ
4278号【11月06日】第12回日韓学術交流大会、大都市研究の系譜・回想7、八重山・平久保、那覇より“月下美人”
4279号【11月11日】 286回研究会ー労働者協同組合、有銘政夫さん偲ぶ、戦争難民証言、与那国、大都市研究8
4280号【11月20日】維持会員・出版目録、社会教育資料共有、とびたつ会、大都市研究系譜9(6-2)、中頭青年会
4281号【11月23日】90歳・卒寿祝い、nara 奈良など、生日快楽、八重山毎日新聞コラム、不思議に命ながらえて
4282号【11月25日】竹富島の歩み、キジムナーとブナガヤ、宮沢賢治・雨ニモマケズ、韓国フォーラムお祝い会
4283号【11月30日】11月定例会記録、やんばる、福岡、神戸、不思議に命ながらえて、町田とびたつ会、有難う!
4284号【12月 6日】12月定例会案内、上海より祝いメール、国の強権混迷(辺野古)、大石洋子さん追悼、上海写真
4285号【12月 日】


風4301~4330号 →■(次ページ)

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の風・各号後記(ぶんじん日誌)

2021年
4285号【2021年12月 日】





4284号【2021年12月06日】 
■≪一昨年の上海・写真を添付≫
 前号(11月30日発行)をお送りした直後に、上海・華東師範大学の呉遵民さんと馬麗華さんお二人から、90歳祝いのメールを頂戴しました。すぐにでも本号を配信すべき?と思ったのですが、12月定例研究会「ご案内」が着信する予感(石川敬史さん・東京研究フォーラム)があり、待っていました。みごと当たり! 早速いただいた案内を冒頭に掲げて本号を編集し、お送りしています。石川さん、ご苦労さま。研究会の報告者・梶野光信さん(東京都教育庁、研究会:12月24日夜の予定:Zoom開催)、去年に引き続き、どうぞよろしくお願いします。
 上海の呉さん、馬さん、お祝いメール、有難うございました。思いついて、2年前の上海での米寿祝いの集い写真から、お二人が写っている写真を探し出し、下に添付しました。
 2年前に北京で開かれた東アジア研究フォーラムは、ぶんじんの米寿祝いと重なっていました。フォーラム予定日の前日、久しぶりに(山口真理子・江頭晃子お二人と一緒に)上海に寄りましたが、ちょうどその日が88回目の誕生日。皆さんが相集って、お祝いの会を開いてくださったのでした。その翌日は、北京で日中韓の各位に祝っていただきました。あらためて皆さんに御礼を申し上げます。「夢に見つ 日中韓の 祝い歌(ぶ)」
 明後日12月8日は、太平洋戦争勃発の日です。あの日、日本中が緊張し興奮した朝。しかしその後は暗転の道を歩いていくことになります。ぶんじんは当時10歳。その後80年の歳月が経過したことになります。苦楽をともにした友たち、しかしその多くがすでに亡く、故郷を遠く離れた故もあるのか、とりわけ寂しい冬が始まります。
左より張JUE呉遵民羅李争、小林、朱榴芳、江頭、その後列:山口馬麗華国卉男の皆さん(2019/11/21米寿、上海)


4283号【2021年11月30日】 
■≪ひとり乾杯! みなさん、有難う!≫
 11月26日・定例(第286回)研究会、ワーカーズコープ・上平泰博さんの充実したお話。ご参加の皆さんともども、ご苦労様でした。はじめての方の参加も幾人かあり、何より嬉しいこと。積極的な質疑あり、いろいろ教えられ刺激をうけるところ少なくありませんでした。韓国から姜乃榮(カンネヨン)さんも参加。
 当夜の記録、江頭さんがまとめ、上平さんにいちど見ていただいて昨日拝受し上掲しました。実は本号は別原稿を用意していたのですが、大急ぎで届いた研究会記録に差し替え、お送りする次第です(29日夜)。
 これまでTOAFAEC 定例会は、報告者の顔写真を入れる慣わし。しかしコロナ禍で途切れがち。当夜も画像なく前に載せた1枚の再利用(下掲)、お許しください。・・・とここまで書いて、明日(30日)は3ヵ月ごとの通院日だったことを思い出し作業中断。朝早く起きねばならぬ!
 思い起せば、2014年2月、急性静脈血栓症で西新宿に入院したことがありました。あのとき谷和明さんとご一緒にハンブルクのM.ヴェントさんがお見舞いに見えたのでした。その直後に故伊藤長和さんが急逝。残念無念の退院でした。その後、この既往症チェックのため、血液検査をして順調に経過しているかどうかの通院が続いてきたのです。異状なし!とのこと。
 帰途、浜田山駅前の魚屋に寄って、いい魚は出ていないかと物色。冷凍の魚ではダメなのだ。小ぶりのサヨリが並んでいる。3本おナカをだしてもらって、急ぎ帰宅。塩焼きにして遅めの昼食。卒寿で皆さんから頂いたクリスタル・カップでひとり乾杯! みなさん、有難う!
13年前の上平泰博さん、141回定例会(2008年7月「地域でつくったNPO児童館のあゆみ」)


4282号【2021年11月25日】 
■≪明日は11月定例会≫
 皆さんから90歳お祝いをたくさんいただき、恐縮しています。前号に書きましたが、お酒やお花、」そしてメッセージいろいろ、有り難いことでした。かたちだけFacebookに顔を出していますが、そこでもお祝いメールなど。個々に御礼申し上げるのがたいへんなので、この場をかりて、まとめて感謝!を申し上げます。
 誕生日(11月21日)の3日前には、韓国グループ(李正連、呉世蓮、金ヒョンソン)の皆さんが見えて、早やめのお祝い会でした。写真がたくさん送られてきました。そのなかの1枚、HP本ページへ1枚。また関連写真2枚、韓国フォーラム・ページにアップ。→http://www.bunjin-k.net/kankokukenkyuukai2016.htm
 竹富島を守る会・会長の阿佐伊拓さん(竹富島ゆがふ館)が、Facebookに5年前に投稿していた「竹富島の歩み」(仮題)が興味深く、久しぶりに電話して、当方への掲載をお願いし、同文を送っていただきました(上掲)。2000年代に気軽に通っていた竹富島、拓くんの父上・阿佐伊孫良さん、上瀬頭芳徳さんもともに亡く、コロナ禍も加わって、いまは遠い島となってしまった竹富島。島の伝統的な祭祀や文化を残し、芸能・民藝・長寿の島として多くの観光客が訪れるようになったのは、何よりも竹富島の内側の共同・うつぐみの思想・歴史の積み重ねによるものでしょう。それに外部の力がいいかたちで重なったと思います。いつぞやの「星のや竹富島」(ホテル)とシマ(集落)との関係も面白かった。これにも阿佐伊拓くんが関わっているのではないかと思いますが、またお話をうかがいます。
 明日26日はTOAFAEC11月定例会(ゲスト・上平奏博さん:ワーカーズコープ)です。本号は直前の発行になりましたが、あえて「再案内」を載せました。皆さんの気軽なご参加をおまちしています。
韓国グループ(蘭、2021/11/19)   *関連写真:韓国フォーラム・ページ


4281号【2021年11月23日】 
■≪“不思議に命ながらえて”≫
 子ども時代によく歌った「ここはお国の何百里・・・」の終わり部分の歌詞に、「思いもよらず・・・不思議に命ながらえて」という一節があります。この数日、この歌を口ずさんでいました。普段は、あまり健康に留意せず、生活は不規則、食事もいい加減な、そんな身がよくも九十まで生きてきたものだとー。丈夫に生んでくれた親のおかげか。最近は同じ世代に訃報が多いだけに、ほぼ健康に生きていることの幸せを実感しています。
 11月21日の誕生日に「卒寿」の祝い。企画をすすめて下さった世話人の皆さん、コロナ禍の中ご出席くださった皆さん、各位に感謝! しかも初めての方、珍しい顔ぶれあり。神戸の小坂くん、麦笛(人形劇サークル)の「うそまこと」と和気ちゃんのお二人などなど、有難うございました。
 頂いた花束,日中学院・胡k興智さんが活けた花は、いま我が家で咲き続けています。堀尾先生の手づくりジャム、美味しくいただいています。もろもろ有難うございました。写真もたくさん。まず終わりに撮った集合写真を本欄(下掲)に飾ります。新年会など集い(別)ページに八朔君のギターや真理子さん「百万本のバラ」熱唱、うそまこと写真を載せる予定。→http://www.bunjin-k.net/2016sinnenkai.htm
 この日、お約束の(最後の)本が間に合わなかったこと、コロナ禍とは言え申し訳ありません。この2年(書庫・資料室がある)福岡油山に行けなかったことが言い訳。ウィルスが落ち着くことを祈るのみです。 
 三日前の11月19日夕には、韓国研究グループ有志が別にお祝いに来て下さいました。写真も呉セヨンさんから送っていただきましたので、次号ご紹介予定です。
90歳を祝う会(ぶんじん誕生日、東京永福・蘭、20211121) *和気(麦笛)、瀬川、遠藤さんなど退出後


4280号【2021年11月20日】 
■≪沖縄中頭(なかがみ)青年会を支えた人 ≫
 10月25日に逝去さんれた有銘政夫さんへの追悼が続いています。「南の風」では、4277号(11月1日)から関連記事を載せ、もと沖青協会長の東武さんに偲ぶ記事を寄せていただきました(前号)。いつぞや鷲尾真由美さんから送っていただいたNPO法人「沖縄恨の会」『否戦』(今年2月刊行、安里英子さんなど編集)は「有銘政夫の軌跡」の出版に向けて・資料集、の内容。有銘さんの証言、詳しい年表、写真と琉歌など、が収録されて、内容がつまった貴重な1冊(A4版、47p)。 これから新しく有銘さん記録が出版される方向のようです。
 あらためて、戦後沖縄の注目すべき民衆諸運動(復帰運動、教職員会、全軍労など)リーダーが、中頭では、地域青年会運動の活動家であったことを再確認。加えて、その中頭青年会活動を支えてきた要(かなめ)として、中根章(あきら)さん(旧越来村青年会長、沖縄原水協理事長、コザ市議会議員、沖縄県議会議員など歴任)の役割がありました。中頭青年会事務所は中根事務所(コザ中の町)。私たちが仲宗根悟さんや有銘政夫さんと初めて会ったのも中根事務所でした。『戦後沖縄青年団運動の証言』集(TOAFAEC、2018)の冒頭に登場するのも、中根章さんでした。本欄の写真には、中根さんとの懐かしい写真を掲げておくことにします。 本号は折悪しく皆さんからの寄稿少なく、事務局(山口さん、江頭さん)にお願いして、一文を寄せていただきました。発行も遅れ、1週間余の間隔。ご了承を。
 いま暦は11月21日へ。ぶんじん90回目の誕生日です。「思いもよらず・・・不思議に命ながらえて」の心境。午後からのリアルな「祝う会」。ご来会の皆さんとの再会が楽しみです。 

左・故中根章さん、右に小林(中頭青年会(中根)事務所にて、20060531) *この年から何度も事務所を訪問するようになった。



4279号【2021年11月11日】 
■≪「ニコッと笑う有銘政夫さん」≫
 さきほど(11月11日午後6時)沖縄勝連の東(あずま)武さんから、故有銘政夫さん追悼文が着信。有難うございました。青年団OBへの追慕の一文。同時に有銘さんは教師(沖縄教職員会)として復帰運動を闘い、基地に土地を強奪された地主としてその不当性を訴え「沖縄軍用地違憲訴訟支援県民共闘会議」(違憲共闘会議)の元議長。手元にあった沖縄県収用委員会での悲痛な証言を、東さんの追悼文に合わせて本号に掲載しました。あわせて2号前(4277号)の琉球新報・コラム「戦争難民」などをご覧ください。
 「ニコッと笑う有銘政夫さんの笑顔」(東さん)をよく覚えています。幸い江頭晃子さんより、そんな写真(年報17号、2012年「なかがみ対談」、山城千秋さんカメラ)を送っていただきました。下欄に掲げました。あらためて有銘さんのご冥福を祈ります。
 コロナ感染のデータは減少傾向、これからどう推移するのか。この11月、なにか忙しい月となりましたね。しかしズーム会議が続く。東北大・石井山さんのご配慮(また木村さんからはワイヤー差し入れ)、おかげさまでパソコン・フリーズ症状は解消ーお二人に感謝!ーしたようですが、どうもZoomは好きになれません。右耳の難聴のせいか、やはり聞き取れないときあり、なにより話し手の目の動きや表情がいまひとつ読み取れない。Zoom会合には(TOAFAEC 以外は)失礼するようにしています。悪しからずお許しください。
 本号冒頭記事は、11月定例(第286回)研究会のご案内(11月26日夜)。久しぶりに上平泰博さん(ワーカーズコープ)のお話。どうぞよろしくお願いします。本号は長文となり、「大都市研究・系譜」記事は中断したかたち、お許しを。
在りし日の有銘政夫さん(中頭青年会事務所にて、20120327) 撮影・山城千秋さん


4278号【2021年11月06日】 
■≪那覇より“月下美人”≫
 10月末に亡くなられた有銘正夫さん(前号に訃報記事)追悼について、沖縄中頭青年会の後輩として「思い出」など書いていただけないか、と東武(あずま たけし)さんにメールしていました(11月1日)。いろりろ多忙のご様子。いただいた返事から。「10年余り空家になっている父方の実家のリフォームで津堅島に行っていました。しばらくは津堅島通いが続きそうです。有銘政夫さんは、亡くなる3週間程前から重篤になっているとの連絡があり心配していました。またひとり、1950年代の青年団運動を牽引してきた生き証人が黄泉の国へ旅立ました。本当に残念です。ご依頼の件、書くのは不得手なので拙い文になると思いますが書いてみます。」とのこと。お待ちしています。
 那覇からは「月下美人」をいただきました(上掲・鷲尾さんメール)。流麗な姿、さすが「月下の美人」を思わせます。その芳香までただよってくるような写真2葉、添付1枚、別の1枚を下に掲げました。
 一晩で花は終わるとのこと、そのあとは食することもできるそうです。「召し上がるときは縦に半分に切って、電子レンジで1分。サラダにしたり味噌汁に入れたり酢の物にしたり、味はしませんがシャキシャキ感をお楽しみ」とのこと。頂きましたよ。宅急便の受け取りが1日遅れたせいもあるのか、シャキシャキ感は失せていましたが、驚きました。ありがとうございました。
 本号「おきなわ短信(1664)」(八重山毎日新聞・コラム、10月31日)にもご注目を。石垣島・平久保は島の最北端の集落。登場する米盛三千弘さんは、同集落に「ぶんじん歌碑」を建立(2003年)した人です。近年、八重山に旅する機会なく残念ですが、さがり花(名護の市花)の花だより。懐かしいコラムでした。
那覇壺屋に咲く“月下美人”(鷲尾真由美さん宅、2021/11/01夜)


4277号【2021年11月01日】 
■≪沖縄・中頭からの訃報≫
 11月29日(金)夜のTOAFAEC(第285回)定例研究会、ご参加の皆様、お疲れさまでした。早速、金亨善( Kim Hyoung Sun、東大大学院)さんから「報告」を送っていただき(翌日夜)、有難うございました。当方は、衆議院選挙ニュースなどに時間をとられ(選挙の結果にいろいろ考えている)、本号配信が1日遅れとなりました。
 研究会では、ぶんじんも「話題提供」を求められ、まさに「年よりの冷や水」。東アジア「市民の学び」テーマが、年報としては初めての特集、各国・地域から興味深い報告・モノグラフが揃い、たいへん面白かったこと。加えて5つのポイントについて発言しました。当夜大急ぎでレジメを書きましたので、金さん報告に付して添付しておきます。板橋区からも斎藤真哉さんはじめ5人の方が参加され(上掲・参加者一覧)、これまでの歩みなど興味深い発言いろいろ、賑やかな研究会でした。
 当夜は韓国からカンネヨンさんがオンライン参加、久しぶり。研究会終了後にしばし歓談、楽しいひとときでした。南と北の新しい動きもあるような話。ぶんじんの夢は、福岡→釜山→ソウル→ピョンヤンとまわって北京へ、さらに上海から台湾・沖縄へと「東アジアを泳ぐ」旅をしたいもの。ピョンヤンへの道が開かれたら企画してほしい、よろしく!とあらためてお願いしておきました。
 沖縄からの訃報。同年の有銘政夫さんが亡くなられました(上掲・琉球新報記事)。故仲宗根悟さん(復帰協事務局長)などと一緒に忌憚のない議論ができる方(年報17号「なかがみ対談ー復帰40年を問い直す」2012年)でした。厳しい発言も。ご冥福を祈り、在りし日を偲んで写真一葉を掲げます。

左端・有銘政夫(もと沖教祖中頭委員長、違憲共闘会議・元議長)、仲宗根悟(元復帰協事務局長)、友寄信介(元全軍労委員長)
 の各氏と。うしろ小林。(20120327、コザ中の町・中頭青年会事務所にて)


4276号【2021年10月26日】 
■≪豊後のカボス有り難く拝受≫
 本号を Outlookに入れる直前、やんばる・セイビンさんよりメール着信。有難うございました。早速、冒頭記事に掲げました。あの地震の翌未明(10/8)、転倒の瞬間、とっさに身をかわし! 「マブイ」(魂)も体から離れなかったようです。おそらく名護で唱えていただいた「マブヤーマブヤー」のおかげか。その後も何の障りもありません。レントゲンも大丈夫。まだまだ・・大丈夫。ご心配かけました。
 大分豊後(わたなべみきおさん)から見事な「カボス」(柿も一緒に)が届きました。本場の芳香なつかしく、山口さん・江頭さんなど連絡がつくところに早速のお裾分け。有難うございました。お母上がお元気だったころ、毎年のカボスを送っていただきました。ちょうどあの頃は、杉並・安井家で原水爆禁止署名運動資料整理の日々、皆さんにお分けしたこともありました。母上に電話でお礼など申し上げた思い出、しかし結局一度もお会いする機会はないまま。亡くなられた由伺って、(ご長命とはいえ)残念無念。遅ればせながら・・・ご自慢の末っ子に改めてお悔やみ申し上げます。
 油山の狭い庭に渡部幹雄さんがカボス苗木を手植えしていた姿をよく憶えています。しかし普段は誰もいない家、水かけなど全くできない環境で、異郷の幼木が育つはずもなく、次に行ったときには枯れていました。あのとき何か歌を詠んだような記憶。農中茂徳さんが植えた渋柿はなんとか枯れないで大きく茂りながら、なぜか一度も実をつけない。最初に庭を整地したとき植えた梅の木だけは、毎年たわわに実るようですが、しかし主なき梅の実はそのまま落ちて朽ちるばかり。ついでに白樺の話。信州から多摩へ苗を移してもらって、福岡へ運んだ白樺の苗は、庭で3本だけ育ちました。しかし終の棲家とはならないことを自覚したように、最終的には順序良く枯れていきました。やはり玄海の風には合わなかったのか。写真1枚ホームページに掲げます。思い出の幹と書斎の窓。いずれも主は遠く、浮世とはつれないもの。いまコロナ禍、農中茂徳さんが留守を見守ってくれています。
 本号には、岡山・内田光俊さんから「大都市」研究関連の一文をいただきました。岡山の「特に嘱託職員の正規職員化による社会教育主事の全館配置(37名)は、労働組合が大きな役割を果たしたからこそ実現できたものでした。その後の公民館市長部局移管を阻止した運動についても同様」の歩みは貴重、また「南の風」に続編を書いてください。岡山からのレポートが加わって本号も充実した風になりました。
福岡油山の庭に育った白樺、窓は主のいない書斎(2014/11/13)


4275号【2021年10月22日】 
■≪あと少し、遠くへ行きたい≫
 冷たい雨が降っています(10月22日)。晩夏から急に初冬に移ったような季節のめぐり。今日の気温は終日、11度とか。冬への切り替えを急がなければなりません。
 昨日は半年ぶりの通院でした。風4272号(10月8日)「二度の地震」で書いた、忘れていたレントゲン撮り。とくに異状はなく「年のわりには骨もしっかりしている」と主治医の診断。来年4月、再び半年後の予約となりました。予約日忘れは「よくあること」だそうですが、恐縮しつつ、半年後の予約票を大切にしまいこみました。
 思えば丁度4年前の10月は病院ベッドで呻吟していました。大きな手術を2回、あといちど自分の足で立って歩きたい、と切実に願ったものでした。いま長い距離は無理ですが、なんとか自立して生活できている毎日に感謝しています。
 1週間前の沖縄タイムス・コラム([大弦小弦])が次のような一文を書いていました(「総選挙とアフリカのことわざ」2021年10月14日)。「早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め。誰が最初に使ったのか,正確には分からないが、アフリカのことわざらしい。気候変動への取り組みを訴える米国のアル・ゴア元副大統領が、2007年のノーベル平和賞の受賞時に語ったことで知られる」と。ぶんじんも「南の風」メンバーの支えで、今日まで歩んでこれたのだと今しみじみ思います。そして、あと少し先に歩き続けたいと願っています。
 本号には新しく和田悠さん(立教大学)が参加され、自己紹介をいただきました(上掲)。ご参加歓迎! また冒頭の上平泰博さん「須恵村・研究会」のことなど、前号に載せきれず、掲載がおくれ失礼しました。エンブリー「須恵村」研究は、かって農村社会学を学んだものには懐かしい文献、はるか65年前を想いました。

4274号【2021年10月18日】 
■≪月ぬ美しゃ十三夜≫
 東京は秋冷の候となりました。夜風はむしろ寒さを感じ、昨夜の気温10度にまで下がりました。それだけに月が見事。今夜(18日)は十三夜でした。八重山の民謡で「月ぬ美(かい)しゃ~十日三日」と歌い、「みやらび美しゃ十七つ」と続く一節があります。みやらび(美童)とは乙女のこと。満ちる前の美しさ。
 40年ほど前、私たちの沖縄社会教育研究会(東京学芸大学・社会教育研究室)では、南の八重山・宮古の島々だけでなく、奄美のフィールドワークに熱中した時期がありました。その調査記録は(仲宗根政善先生などの証言を含めて)『沖縄社会教育史料』(全7集、1977~1988年)に収録されています。HP→■ http://www.bunjin-k.net/okinawasiryou.htm
 とくに奄美の記録づくり(第4集)は忘れがたい思い出。戦後初期、アメリカ占領下にあって、それに抗する青年団運動、隔てられた本土に密航して教育基本法や教科書を持ち帰った教師たち、復帰へ向けての断食の願い、そして公民館の胎動など。私たちは「戦後社会教育史における”奄美”の発見」(同「まえがき」)を実感したのでした。同じ時期「海を越えた教育基本法」(1984年,『季刊教育法』41号、エイデル研究所)を書きましたが、奄美の戦後史への思いが主軸にありました。
 戦後奄美・社会教育史の証言者のお一人、友野義国氏のお孫さんが私たちの『沖縄社会教育史料』記録を知り、山口真理子さん(事務局長)がリクエストに対応され、ご苦労さまでした(上掲)。証言のもととなる音源もあったはずですが、今となっては探し出せない? もしかすると油山の資料棚にあるかな?
 パソコン・サーバー(so-net)の関係でホームページ・データベースを新しいドメインへ移す必要あり、ご存知・木村さんに来ていただき、パソコンは3日ほど入院。まだ切り替えが終っていません。合間をぬって、古いパソコン(快調!)に戻っての風・編集です。本号は若い世代の「風」参加あり、盛り沢山の内容となりました。

4273号【2021年10月11日】 
■≪久しぶりの紹興酒10年もの≫
 前号で「二度の地震」、食卓横でぶざまに転倒した話をご披露し、ご心配かけました。やはり腰の手術箇所を両手のとっさの防御でかばってくれた?らしく、その後は腰よりむしろ両手の打撲痛が残りました。しかし、それも日とともに軽くなり、今日あたり(何の手当もしなかったのに)ほぼ元にもどったようです。お騒がせしました。
 仙台の石井山竜平さんより、事務局長・山口真理子さんあて、先月下旬「じんぶんヒストリー6」欠席のメールをいただきました。その際、ぶんじんのパソコン環境への言及あり、恐縮しています。
 ご存知の方もあるように、ズーム通信のなかで、ぶんじんのパソコンは、時折り7~8秒ほどフリーズするのです。2月の東アジア・フォーラムご挨拶でも、3か国からご参会の皆様にご迷惑をかけた経過がありました。石井山さんより「~今年度中使えるルーター」なるもの一台の提供あり。ご配慮ありがとうございました。要するにスマホのWiFi受信の集中機能かと理解していますが、先週金曜日に、山口さんに加えて江頭さんにもお出で願って恐縮しました。この間ズームでは会っていますが、Face to Face では久しぶり。
 いつもの香港料理「蘭」へ、紹興酒10年もので乾杯! 山口さんが写真1枚パチリ。そういえば写真も久しぶり。
 本号には山本健慈さん(前国立大学協会専務理事)より長文「日本の学術政策、国立大学政策の誤りを正せるか」(タイトルは「風」編集子)をいただきました。選挙を前にして、みんなでしっかり考えたいテーマ。また名桜大学・嘉納英明さんからは、地域貢献賞(沖縄タイムス)の朗報、おめでとうございます。
 さて石井山「ルーター」で当方パソコンのフリーズは解消するか? 10月末の定例会でのお楽しみ。
紹興酒10年ものを開ける(ぶ)、右・江頭さん、カメラ・山口さん(西永福「蘭」、20211008)


4272号【2021年10月8日】
■≪二度の地震≫
 10月07日夜(22時41分)久しぶりの大地震。杉並は震度5弱。2011年の東日本大震災以来の大揺れでした。しかし、あのときは本棚からかなりの本が落ちたのに今回は落下本はとくになく、「強」と「弱」では同じ震度でもずいぶん違うもの。もっとも揺れの方向によるのかも。
 ところが余談あり。今朝早朝、私にはあと一度の地震がありました。お茶をもって動くはずみで、何かにつまずき転倒。こんな倒れ方は初めて!というような横倒し。手術した腰をしたたか打ったか、とっさの機転ではずせたか、よく分かりません。直後は何が起きたか分からず「また地震か」と思っような。幸いに痛みはとくになく(あとで出るのかなー)、まずまずの状態で立ち上がりました。ただ食卓の脇机も倒れて小物散乱はげしく、その景色にわが身の衰えを実感、イヤになって片づけもそのまま。まずビール‭ひとつ飲んで、本欄を書いています。
 さらにこぼれ話あり。レントゲンを撮って診てもらった方がいいかなと思ったところで、7日当日が(半年ぶりの)通院の日だったことを思い出しました。あわてて病院に電話。お詫びして、2週間後に主治医の予約を取り直しました。悪いことが重なる「サンリンボウ」(辞書では「三隣亡」とあり)とはこのことか。しかし転倒後の体の動きにはとくに異常なく、痛みもなく、一安心しています。このような「地震」をときどき繰り返して、歳月が過ぎていくのだろう、と妙に“納得”しています。
 久しぶりに名護・葛草庵のセイビンさんからメール来信(上掲)。当方の「地震」話とは大違い。「松明を灯して、川にモクズガニや大ウナギ漁り」とか。ウナギは味噌煮料理だそうで、一度味わいたいもの。

4271号【2021年10月3日】
■≪由布の里・自由大学構想≫
 風・前号、「届いていない」声あり、一部の方に風「再送」。確かに送信した証拠、われにあり・・などと考えていたのですが、やはり当方のミスのようです。各位アドレスを BCC欄に張りつけるのを失念したのだと(今ごろ)気づきました。申しわけありません。前号に載せきれなかった中村(持田)津希子さんメールは、本号にようやく上掲。ホームページ・ぶんじん日誌欄に人形劇サークル「麦笛」の懐かしい写真アップ。
→■南の風4241号~4270号(前ページ)
 ご存知「わたなべみきお」さんの「由布の里・自由大学」構想、その健筆ぶりは毎日早朝の投稿(Facebooku)に驚かされています。9月24日号には「3年越しの待ちに待った二つ目の営業許可書」「附属のホテルは法的根拠のある施設となった」とあり、旅館業の許可までとってホテル機能を備えた自由大学構想なのか!と敬服して本号ご紹介に及びました。追っかけて昨日(10月02日)の書き込みには文人名が登場。再び驚いて、それも載せることに(上掲)。「とりわけ複数の図書館、博物館、地域史編纂事業、ギャラリー、簡易宿所、の立ち上げ経験と見聞の延長線上のテーマであれば、多少は対応できる」と。なるほどなるほど・・と拝読。まさに独自の世界。コロナ禍でなければ一度「由布の里」まで出かけたいところ。しかしいまは杖をつく身でもあれば、それもかなわず。
 大正期・土田杏村の上田(信濃)「自由大学」構想は、ホテル機能までには及ばず。構想としては大正デモクラシーを超えて、現代的に浮遊し始めたかと、毎日楽しみに読んでいます。



*南の風4241号~4270号(前ページ)


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