【南の風2022】 4300号〜4311号 (最終号)    TOPページ
 
 
*南の風発行一覧(1998年〜) 
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【南の風2022】4301号〜4311号目次一覧(最終号)

4300号【2月19日】2月定例会「竹富公民館」、年報27号編集(2)、自由投稿呼びかけ、南の風終盤へ
4301号【2月24日】研究会再案内、松本市公民館報、風/終盤への波紋、町田、初めてリタイヤー感
4302号【2月28日】大阪の揚羽蝶、新ソウルの風、オホーツク社会教育研究会、沖縄原稿依頼
4303号【3月 4日】竹冨島報告、27号沖縄復帰50年、台湾2.28事件、韓国三一節、竹富島うつぐみ
4304号【3月 8日】年報沖縄復帰50年,、こんばんはU英語字幕、台湾228事件、世界一幸せな先生
4305号【3月17日】290回研究会案内、町田、反戦のこだま、「南の風」後のこと、やんばるの風
4306号【3月23日】290研究会、こんばんは上映、稲嶺進さんの語り、中国各都市との風ネット
4307号【3月27日】新通信への申込み、3月定例会報告、社会教育行政の解体(渋谷)、とびたつ会
4308号【3月31日】やんばるの風、南の風終刊、94韓国フォーラム、松本市退職、慶事・出版相次ぐ
4309号【4月05日】東京/社会教育主事採用、風4310号の重み、国立公民館へ、上海、二つの風4700
4310号【4月07日】大阪観光大学、上海、福島「地域と学校」、大阪、福岡、風とホームぺージ
最終4311号【4月10日】じんぶんヒストリー(291回定例研究会)案内、南の風終刊(広島、町田、上田)、
              東京の日本語教育集い、「南の風」ご愛顧に感謝!


新TOAFAEC通信(第1号:2022年4月16日■目次一覧  
「ぶんじん日誌」U
(第1号、2022年5月17日)→■(折々の記録)



《昇順》

の風・各号後記(ぶんじん日誌)


最終号・
4311号【2022年4月10日
■≪
最終号:これまでのご愛顧に感謝!≫
 本号は「南の風」最終号。「南の風」に対するこれまでのご愛顧に、心からの感謝を申し上げます。各位から寄せられた身にあまるご挨拶・回想など、有難うございました。この日を迎え、本欄を書きながら、なんとも言い知れぬ解放感を味わっています。四半世紀はいかにも永すぎました。今やっと、しみじみと、リタイヤ―感を味わっています。東京学芸大学退職期(1995年)には、次の和光大学の仕事が待っていたし、何よりこの時期から始まる新研究会= TOAFAEC の創設と,日本社会教育学会長の重責が重くのしかかっていました。和光大学退職は(2002年)、日本公民館学会創設の仕事や、辞典編集の長い旅が始まろうとしていた時期でした。あれから20年、今は何もない! 九十を越えて味わう解放感。
 時間ができたので、1998年2月6日の風創刊から今日までの合計日数を、発行号数4311で割ってみました。2.048という数字。.おかしいな?しかし何度やっても同じ。つまり24年間、雨の日も風の日も、独仏に2ヵ月滞在していた日数も含めて、1日おきの風・配信を重ねてきたことになります。しかしおかげさまで、皆さんが投稿いただいた風4311通は、すべて貴重な、東アジア・沖縄を含む、社会教育・生涯学習の実像資料。ぶんじんにとっては宝の山となりました。
 最終投稿者は今日午後に着信の上田・中村文昭さん。最終号には懐かしの松田弥花さん(4月より広島大学へ、学位も取得されておめでたの春)メールが着信。そのうちまたどこかでお会いしましょう。ぶんじんの当面の役割は、TOAFAEC ホームページ担当、年報副編集長、ということになります。どうぞよろしく。
 最終ページの写真は、すべての方が風メンバーであるに違いないTOAFAEC 総会後の楽しい懇親会写真(2018年6月・東京本郷)としました。
2018年TOAFAEC総会・懇親会、20180602)


4310号【2022年4月7日】
■≪
「南の風」記録とホームページ≫
 予感的中。「南の風」への惜別ともなれば、重く長〜いメールが襲ってくる、たとえば上海から呉遵民さん(華東師範大学)などと(前号に)書いたところ、呉さんよりもっと長〜いメール2本を含めて、本号は5本を拝受。「南の風」終刊を惜しむ特別号のような内容となりました。それぞれに20年を超えて「風」との熱いお付き合い。長い間のご愛顧、有難うございました。おかげさまで「風」は日本各地・沖縄だけでなく、海を越えて中国や韓国・台湾にも飛び、社会教育・生涯学習にかかわる貴重な証言・資料シリーズとなってきた感があります。
 ホームページとの関連では、目次と末尾(後記)「ぶんじん日誌」は、すべてを収録しています。しかし毎号の「風」そのものを丸ごと収録してはいません。丸ごとホームページへ収蔵する案もありましたが、当初の契約サイトのHB容量が小さかったこと、加えて風・寄稿者各位にページ・アップすることの了承をとる必要があり、無理が伴いますので、著作権問題がない発行人(ぶんじん)日誌のみの収録を重ねてきたという経過です。毎号の風の本体(4310本)は、どなたが保存されているだろう、というのが、いま興味ある課題。ぶんじん・事務局の真理子さん、ほかにどなたかな? ホームページには「ぶんじん日誌」と同じページに「目次一覧」があります。検索にはかなりの精度で有効に機能することは確認済み。今後も風・記事が資料として何かお役にたてば嬉しいです。
 さてお約束の4月10日、風は新「TOAFAEC通信」へバトンタッチ(山口真理子事務局長・新通信発行者)。難題を引き受けていただき、山口さんに深く感謝します。気楽に、楽しんで発行してください。新通信への申し込みは、4月10日まで。ホームページ表紙に大きくご案内中です。(山口メールアドレス→IZK07252@nifty.com)。
 本号おわかれ写真は、沖縄(南)那覇「おきなわ社会教育研究会」とTOAFAEC 事務局メンバーとの交流会(那覇・久茂地、20190420)。この年の「やんばる対談」の前日の写真です。
那覇の夜、おきなわ社会教育研究会とTOAFAEC事務局メンバーとの交流会 (那覇久茂地、20180420)
 左より(後列)上田孝典、石井山竜平、嘉納英明、(前列)上平泰博、組原洋、平良研一、小林文人

 右側・左より佐久本全、桑原重美、名城ふじこ、鷲尾真由美、武田拡明、江頭晃子、山口真理子、黄丹青(敬称略)



4309号【2022年4月 日】
■≪南の風と公民館、二つの風≫
 東京は昨日も今日も冷たい雨。それでもどこか春雨(はるさめ)の感じ、濡れたくはありませんがー。桜も満開、本格的な春の到来です。当方も「南の風」発行の重荷から解放されることになり、うきうき気分。上掲した通り、それぞれの方から「風」送信の労をねぎらうメールをいただき、恐縮しています。
 上海から馬麗華さん(華東師範大学)の丁重なご挨拶が届きましたが、実は呉遵民さん(同)からは、ご存知“熱烈”な「文人先生へ」を拝受。あまりの長文で、本号に載せきれません。添付にするのは失礼、まず保留(特別号でも出すか?)にして、本号をお送りすることにします。予定では次号が最終号ですから、やりくりがきかない?
 「風」は一度「最終号」ご挨拶を書いた経過があります。「南の風」1000号到達の機に、当時並行して発行していた「公民館の風」打ち切り決断の号(2003年2月)。故伊藤長和さんが強く「風を1本にしぼれ」と迫ったのでした。「公民館の風」最終395号の編集後記をいま懐かしく読み返しています(2003年2月7日)。「南の風が1000号を迎えましたので、この機会に二つの風の発行に一区切りをつけることとなりました。惰性・マンネリから脱して、次なる歩みの活路を拓いていくためです。これまでのお付き合いに心からの御礼を申しあげます」と。
 本号には、現在「公民館の風」発行の内田光俊さん(岡山)からの一文を掲載しています。それから19年余。小林「公民館の風」と合算すると、「風」の発行号数は、合計4700号余りとなります。いま満腹感いっぱい。なんらの心残りもありません。
 お別れの写真。本号は福岡・油山の小林別宅に、沖縄5人をはじめ、関係者が集まって「南の風」の議論を含め、語り飲みかつ歌い、沖縄勢は狭い部屋に合宿した夜(第45回全国集会二日目)の1枚。長野、群馬、埼玉、川崎、東京、貝塚、高知、福岡、佐賀、大牟田、熊本、鹿児島そして沖縄各地からの懐かしい顔が並んでいる。
この夜、福岡メンバーは全国集会事務局のため参加できず。庭の焚火も終夜燃えていた(油山・小林、2005年8月27日)


4308号【2022年3月31日】
■≪4月・桜満開!慶事・出版お便り相次ぐ≫
 「南の風」終刊を前にして、桜満開のもと、慶事お便りがドカドカと舞い込んできました。韓国研究フォーラム(事務局)呉世蓮さんの関東学院大学・専任講師就任お知らせ(上掲)。末本誠さん(湊川短期大学々長)の大著『人生を創造するーライフストリーによる社会教育の理論と実践の探求』(G,ピノー著の訳出)福村書店、李正連さん著『植民地朝鮮における不就学者の学びー夜学経験者のオーラル・ヒストリーをもとに』博英社、の待望の出版。前者は546頁、後者は373頁のいずれも大著です。李さん「あとがき・略歴」を拝見すると、東京大学大学院(教育学研究科)「教授」とあり、昇格人事と重なる慶事。まことにおめでとうございます。
 この春は、心なしか例年より頂く本が多いような。旧知の大橋謙策さん(日本社会事業大学名誉教授)新著『地域福祉とは何か』(中央法規)も、観察的な研究に“怒り”を投げかける、これまでの研究の集大成のような迫力を感じた1冊。春らんまんの候、力作あいつぎ、各位のエネルギーと気力のお裾分けにあずかりました。
 松本市・高橋伸光さんは定年退職とのこと(上掲ご挨拶)。定年まで、いい仕事(社会教育・公民館)を務めあげられて、これまた、めでたい! めでたい!
 さて「南の風」お別れの写真シリーズ。本号のおめでた話に合わせて、こちらも嬉しい1枚を。2019年11月の東アジア・フォーラム(北京、第5回)では、中国教育部の幹部として活躍した韓民さん(学大院→名大院)をリーダーとして開催されました。日程がまったく偶然に「ぶんじん」米寿と重なる幸運。前夜は上海の友人たちに祝っていただき、移動した当日夜の北京では、韓民・高峡夫妻主催の祝宴が開かれ、皆さんから米寿祝いの歌(三か国語)をうたって頂きました。日中韓からの参加者皆様からのお祝い乾杯あいつぎ、いつまでも忘れられない一夜となりました。
韓民・高峡夫妻より88歳お祝いの歌。参加者(日中韓、十数名) より祝いの乾杯。一つのテーブルに三つの言葉が
 とびかって、宴はいつまでも終わりませんでした。(北京、2019/11/22)  →関連写真



4307号【2022年3月27日】
■≪「南の風」後の通信受信について≫
 「南の風」は「4310号」をもって最終号となる予定です。その後のTOAFAEC 関連の研究会案内や報告、年報編集の連絡・記録ほか「風」後の「通信」は、山口真理子事務局長が発行していただくことになりました。これからの「TOAFAEC 通信」配信をご希望の方は、あらためて山口事務局長あてエントリーしていただく必要があります(上掲)。期限は4月10日。現行「南の風」配信先メール一覧は、あと3号で終局し廃棄させていただきます。ご了承ください。ただし「維持会員」40名の方々は現有メール・リストがあり、申し込み不要だそうです。
 →「南の風」終局、新「TOAFAEC通信」申込み→■
 先週金曜日夜の3月定例(第290回)研究会について。ご参加の皆さん、ご苦労さまでした。昨年5月の「第28回中国生涯学習研究フォーラム」に引き続く中国の動向について、久しぶりの勉強会でした。研究会の記録が、当夜(深更)に届きました。記録を引き受けた祁暁航(キギョウコウ)さん(北海道大学・院生)、早速に記録を送っていただき、有難うございました。ただ初めての研究会参加、その席で記録作成を依頼され、戸惑われたことと思います。この記録は(風・記事だけでなく)ホームページにアップし、研究会以外のいろんな人が読みますので、小生の方で少し手を入れました。小生も時間を使って疲れましたが、ご了承ください。
 さて風お別れの写真。本号は韓国グループ。いろんな写真がありますが、やはり韓国からの、お馴染みの先生方の来日歓迎写真のなかから選びました。故伊藤長和さん(中国から帰省中)も写っている懐かしい1枚。ところは神田神保町の放心亭、ドイツ・ヴァイチェンを飲み合った夏の夜の想い出(ちょうど10年前)。
 名護・島袋正敏さんから熱いメールをいただいていますが、次号掲載とさせていただきます。お許しを。
韓国・東アジアフォーラムから来日の左2人目・鄭賢卿,、3人目・梁炳賛、前列2人目・崔一先の各氏を囲む。左端・伊藤長和
 さんも中国から帰省中。(韓国研究フオーラム記録より。神田放心亭、2012/08/22)



4306号【2022年3月23日】 
≪中国各都市との風ネット≫
 久しぶりに夜間中学(語る会)澤井留井さんからのメール、懐かしく、有難うございました。福井に関係ある方から、いいご返事が届くといいのですが・・・。息のながい「こんばんは」上映運動に敬意を表します。
 前号についても一部、風の号数や日付について誤記がありました。お許しください。当方の気のゆるみ・・・何より、いま長期の休暇ならぬ本格的なリタイヤ―の気分。はじめて!の解放感ー喜びに打ち震えているような毎日。この間10歳ほど若返ったような毎日です。風メンバーの皆様に感謝の気持いっぱい。しかしミスがあっては申し訳ない! あと一ふんばり!と頑張っています。
 「南の風」後の通信(「TOAFAEC通信」)発行については、あらためて各位の希望→各Mアドレスにより申し込んでいただくかたちになりましょうか。次号あたりに山口事務局長より、ご案内があるものと期待しています。ご留意ください。
 さてお別れの写真。南の風は、1998年スタートの時点から、南の沖縄だけではなく、韓国、中国、台湾、さらに加えて(かって留学生であったメンバーの)スイス、ニューヨーク、カイロなどにも送信していました。東アジアでは、中国の主要都市へ風の便り、旧留学生との間で交信が重ねられてきました。とくに上海へ。華東師範大学の呉遵民(同大学教授、神戸大学院卒)や、閘北区業余大学の袁允偉(副学長)、羅李争(学大院卒)との風ネット。一時期、日本/TOAFAECとの合作学院つくり協議が進行していた歳月も思い出されます。合作学院構想は、最終段階で実りませんでしたが、いずれ記録にしておきます。本号では、まず上海・華東師範大学の呉遵民さん、よく「風」に書いてくれた功労者。写真は『現代生涯学習論』(呉・末本・小林共編、上海教育出版社刊、2008)出版のお祝い会。日本から10人ちかくの執筆者、画期的な本づくりでした。
左より末本誠、小林、杜成憲(華東師大・学部長)、袁女史(上海教育出版社長)、右端に呉遵民の各氏(上海、2008/11/03)


4305号【2022年3月17日】 
「やんばるの風」に吹かれて≫
 いつまでも「南の風」を吹き続けるべきではない、人は評して「年寄りの冷や風」と言うだろう。ようやく先日、4300号(2月9日)本欄にて、「風の終盤」について思うところを吐露した次第。もちろん「南の風」が吹き止んで、TOAFAEC活動がおしまいになるはずはなく、むしろさらなる活発な躍動の道を拓いていくために、今後の新しい「通信」や「ホームページ」更新等について話し合っていただきました。幸いTOAFAEC 代表・上野景三さん(西九州大学)が別用で上京される日(16日夜、西永福)に合わせて、久しぶりの対面ミーティング。皆さん、よく語りました。ご苦労さま。山口真理子さん(事務局長)からは今後の「通信」案(上掲)。各位のご検討ご提案をお願いします。
 話がはずんで別れたのは11時すぎ。その20分後に宮城・福島を襲った大揺れ。東京も揺れて(震度4)本棚から数十冊が落下。電車も運転見合わせになったとのニュースあり、皆さん無事に帰り着いたかなと案じています。宮城・福島の風メンバーにお見舞い申し上げます。
 あと5号で「風」はおしまいです。お別れに古い(懐かしい)写真アップ。本号は沖縄。ぶんじんと名護「やんばる」の島袋正敏・中村誠司の3人に加えて、右端に比嘉豊光(しまくとぅば・宮古)、左端に小橋川共男(「御万人の心」)の両写真家。場所は底仁屋・セイビンさんの葛草庵。まだ古酒蔵は建っていない頃の夏の夜(2008/7/6)。ちらりと蛍も舞っていたような想い出。個性的な皆さんに刺激され、沖縄に通い続け、「南の風」も吹いてきました。折々のセイビン「やんばるの風」に感謝!
名護・底仁屋「葛草庵」起工式?(20080706)


4304号【2022年3月 8日】 
■≪「世界一幸せな先生」≫

 前号・表題「4303号」を4301号と誤記、発行日も「3月4日」を3月3日と1日間違っていました。お詫びして訂正いたします。(本号・小田切さんご指摘の通り)
 なが〜いタイトル:『夜間中学で学ぶ喜びを求め続けた世界一幸せな先生』(高橋うらら著、新日本出版社)を送っていただきました。送り主は「世界一幸せな先生」こと、見城慶和先生。有難うございました。いい本ができました。とりわけ写真が素敵! こちらまで“幸せ”な気分です。上掲の 「3月26日映画「こんばんはU」英語字幕版 上映と講演 ご案内」を送っていただいた関本保孝さんメールの中にも紹介されています。本には関本さんの写真も掲載されて、皆さん幸せそう。みんなを幸せにする本!を有難うございました。
 さて「南の風」終局を前にして、前々号から懐かしの写真を。1998/2/6 から今年まで24年。歳月を追っかけて思い出の写真を拾出していくことにします。まず、その翌年(1999年)「七夕の集い」集合写真。会場・西永福「グランメール」前の階段。ぶんじんの当時の職場は,和光大学でしたので、和光プロゼミの18歳学生もいれば、学芸大学OBGも。多彩な留学生(エジプト人、スイス人、もちろん中国人、韓国人も1人)。TOAFAEC研究会のスタートから4年目。年報創刊から3年目の集い。会の初代事務局長として難儀な仕事に奮闘した内田純一,サポート役の石倉裕志(前号に紹介)、そして山口真理子、「ふるきゃら」にいた八朔友ニ、北海道・置戸の森田はるみ、などの皆さん。この会のきっかけをつくった平林正夫(国立)とお父さんの顔も。もちろん故小林富美(中央)も元気でした。
1999年「七夕の会」(杉並・西永福「グランメール」)


4303号【2022年3月 4日】 
■≪竹冨島「うつぐみ」≫
 2月25日夜の定例(第289回)研究会―竹富公民館のいまーは,少ない人数でしたが、味わい深い研究会でした。早速に長文の報告(江頭晃子さん)が寄せられ、竹富・阿佐伊(あさい)さんにもまわして・・・、皆さん、ご苦労さまでした。面白い記録(上掲)、さらに竹富島への興味がふくらむこととになりましょう。コロナが一段落したら、そのうち秋の竹富島・種子取祭に出かける企画などたてみるのも一興か。
 Zoom・阿佐伊拓さんは、島の共同体的組織について、住まないと分からない複雑なニュアンスで話しましたね。たとえば竹富のキイワード「うつくみ」は「最近は、乱用しないよう、肝心な時だけに使おうという方向、ブラタモリでも出てこなかった」と。それだけ重要だということですね。
 「うつくみ」について、故上勢頭芳頭さん(蒐集館長、公民館長)はかって、ぶんじんにこう話してくれたことがありました。小さな島で生きるために「お互いに“組む”ことが大事だ」(“打つ”は強調語)。生きる共同体として、お互いに協調、協働、助け合い、連帯、を求めあう強いメッセージ。言葉だけでなく、竹富の古謡の代表的な「しきたぶん(盆)」歌の最後に歌われ、かって島で人頭税を皆納したときの喜びの歌であったと。いまは種子取祭(国指定・重要民俗文化財)のなかで優雅に舞う紅型衣装の女舞演目となっています。研究会の当夜、阿佐伊さんに「歌って!」と所望したところ、彼は静かに朗々と、歌ってくれましたね。
 「南の風」終局にあたって、この24年の風の歴史のなかで忘れることができない功労者を想い出し、ホームページに写真を掲げ始めました。前号は故伊藤長和さん、本号は故石倉祐志さん(学芸大学院卒、生活クラブ生協職員、TAFAEC事務局長。ぶんじん・ドイツ出張中(2000年夏)の「南の風」代行配信(編集ぶ)、1ヵ月半の間に15本前後。また自らの「ドイツだより」あり。→■
故石倉裕志さん(2008/七夕の会、2009年没)


4302号【2022年2月28日】 
■≪ホームページに揚羽蝶、年報27号・沖縄関連原稿≫
 ひそかに待っていた新・ソウルの風が吹いてきた。東大院の松尾有美さん。2017年ソウル留学の際の前「ソウルの風」シリーズ(ホームページに収録→■) を承けるもの。その5年前には瀬川理恵さん「公州の風」.。そして何といっても故伊藤長和さん(川崎市、TOAFAEC 副代表)の中国山東省からの「烟台の風」(全309号、その後の療養記録を加えると全325通の風、2009年〜2014年)が忘れられない。南の風は、これら「東アジアの風」に励まされて、今日の歩みがある。2014年没。→itou追悼ページ■ (写真下掲 
*「南の風」終局にあたって懐かしい写真いくつくかご紹介予定
 松尾さんの新ソウルの風は、ホームページ表紙に新しくアップ。これからの便りが楽しみ。さてビッグニュース!HP表紙の中央には写真を飾る習わし・・・2/25定例研究会に合わせて、これまで竹富島の遠望写真を並べてきたが、突然に大阪かから揚羽蝶がひらひら飛んできて、これを有り難く頂戴しHP中央へ。揚羽蝶が住むホームに鮮やかに変身、豪華な着物をまとって、なんとも不思議ないい気分となりました。
 添えられた大前さんメールによれば「・・・揚羽蝶が室内で羽化した報告をしたのは、2020年のことでした。それから揚羽蝶とは深い付き合いをしていますが、本日、2月24日に添付のような揚羽蝶が室内を飛び回っています。前は3月3日でしたが、今回は、私の誕生日なのです!単なる偶然でしょうが、自然からプレゼントを頂いたような気持ちにして貰いました」(上掲)と。誕生日おめでとうございます。HP表紙写真
 先日の年報27号編集会議(2/16)ー南の風4300号・李正連編集長報告ーに従って沖縄(復帰50年)関連の原稿依頼を開始。新しく編集委員にお願いした嘉納英明さん(名桜大学)と相談しつつ、全5本、順調に進行中。 

 ▼
川崎市職員(室長、館長) 伊藤長和さん(TOAFAEC副代表、2007/11/30)
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4301号【2022年2月24日】 

■≪初めてのリタイヤー感≫
 前号本欄に「風・終盤に向けて」を書いて、その夜の解放感! 肩の荷を下ろす宣言ー突然10歳ほど若がえった感じだ。そう言えば初めてのリタイヤー感かも。誰だったか「ぶんじんは南の風を出しているから若い?」と評した人がいたが、大きな間違い。風を吹く作業に追われ消耗し疲れ果ててきた25年というのが実態だ。あと数号で「風」休止にしたい衝動もあり。ご用心を。
 南の風「双方向に吹く」呼びかけを繰り返して、「読むだけ」メンバーにはお引き取りいただく脅迫状?を出してきた経過あり、ご存知の通り。発足当初は沖縄・共同研究メンバー(一部にゼミ生・留学生を含む)でスタートした関係があり、あえて風「読者」という言葉を使わず、ともに「風」を吹き合う仲間、顔の見えるネットづくりに励んできた。その後の新参加の方に「自己紹介」をお願いしてきたのもその流れ。またご丁寧に 100号おきアドレス帳整理を重ね、読むだけメンバーには「風、続けますか?」と確認メール。振り返ると、3500号(2015年5月15日)までこの記録が残っている。しかし実際には、ピエロを演じていたことを思い知ることにー。
 どこかで(好意からだろうが)当方は知らない「南の風」ローカルランーが回っていることにガクゼン! 当初よりもっとも避けてきた “闇夜に鉄砲” を打つていた。このあたりで「南の風」の初心、吹く側の情熱も、しだいにしぼむことに。
 というわけで、上掲・小田切さんメールに感謝しています。最近でこそ小田切さんの返しメールは少ないが、これまでいくたび、打てば響く小田切メールに励まされてきたことか。また夜間中学・関本通信にも「南の風」は息つぎをさせていただいた。感謝!
 今年・年報27号への「自由投稿」呼びかけ。ホームページ表紙・掲示板など3ヵ所に書き入れ。まわりの関心ある方たちにご喧伝を。

4300号【2022年2月19日】 
■≪「南の風」終盤に向けて≫
 風は
本号で4300号の区切りを迎えました。そよそよと、吹き止むときが近づいてきました。本号でおしまい・・・とできれば、すっきりするところですが、創刊以来24年の歩み、苦楽の歳月あり、そう簡単にもいきません。TOAFAEC 事務局諸氏の了解を得ての本号「風・終局」宣言でもありません。今後のTOAFAEC 諸連絡や広報などの体制、またホームページをどうするかなど、対応策を検討いただく必要もありましょう。というわけで、数か月の余裕をもって「終盤に向けて」を書き始めた次第です。申し訳ないのは、昨年から今年にかけて新しく参加された皆さん。わずか2か月の「風メンバー」の方もあり、まことに唐突のお知らせ、ご寛恕をお願いするほかありません。
 4年余り前、長期の入院を強いられた折、入院中のベッドから「風・休刊」メールを出した経過がありました。そのときは江頭晃子・山口真理子のお二人が積極的に受けとめていただき、ぶんじんと3人「共同編集」での配信となり、数ヵ月の取り組みがありました。その後、ぶんじんに再びバトンが戻って、リハビリと再起につなげての「風」再発行は嬉しい思い出。その後の4000号の節目には、むしろ元気に風を継続できたのでした。
 「枯れ木も山の賑わい」のたとえ、もっと頑張れ!の声も聞こえますが、「南の風」ただ一つのスローガン、「風は双方向に吹く」という初心すでに忘れ去られ、「南の風」の役割も終えるときがきた、というのが正直なところです。
 最終号に向けて、諸連絡・ご案内等を掲載しながら、いくつか「南の風」自分史・、回想記事も綴っておきたいと思います。本号では、2月16日編集会議記録、今年の「自由投稿呼びかけ」(李正順さん)、そして2月25日(金)夜「定例会ご案内」(江頭晃子さん)を載せました。25日夜の2月定例会(案内掲載が遅くなりましたが)、ふるってのご参加をお待ちします。



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