JEITAテープストレージ専門委員コラム
「磁気記録の歴史とテープ技術の現状(その1)」

磁気記録の始まり
何らかの情報が磁気によって記録されることは、自然界では有史以前から見られる現象です。火山の爆発により出来た溶岩が冷えて固まるときに地磁気によって磁化されて、今日その磁化の方向を測ることにより、当時の地形を知ることができます。
ある意味では、これこそ磁気記録の始まりといえるかもしれません。
人間も、声や音楽をまた自然の音などを記録にとどめ、後で聞いたり、他人に聞かせたいとの願いは、かなり昔からあったと想像されます。
これを可能にしたのは、有名なエジソンであり、1877年彼の発明になる蓄音機で初めて実現しました。
エジソンは、ロウ管の上に機械的な切り込みをつけることによって音を記録・再生することに成功し、レコード盤の基礎を作りました。
1888年には、オバーリン・スミス(Oberlin Smith)が、磁気的に録音する方法を考案していますが、実現せず単なる考案だけにとどまっていました、当時のElectrical World誌に “Some possible forms of Phonograph”と題した彼の考案が記録されています。
10年後の1898年に、同じ目的を可能とした磁気録音機を発明したのは、デンマークの科学者プールセン(Valdemar Poulsen)でありました。
プールセンは、鋼線を信号に対応する電流の強弱に応じて部分的に磁化するという現在の磁気記録の基本を確立し実現しました。これが磁気記録・再生の始まりと考えられます。 彼の磁気録音機はテレグラフォンの名で1900年パリの万国博に出品され当時の人々を驚嘆させたといわれています。

テープ式磁気記録の発展経過
プールセンは、1907年に鋼線式磁気録音機での直流バイアス法を発明し、良質な録音・再生ができるようになり、1920年代になって、増幅器等の技術進歩により、録音媒体は鋼線のほか鋼帯も利用されるようになり、1930年のBBC(英国放送協会)で放送に実用されました。
その後実用化が活発となり、ドイツのテレフンケンの鋼線式、英国マルコーニの鋼帯式等が発売されて、日本にも輸入されてNHK(当時のJOAK)で一時期放送に用いられたこともあります。
米国でもこの方面の研究が盛んになり、ベル電話研究所でミロフォンと称する鋼帯式のものが作られ、1940年代になってGE、ブラッシュ社などから多くの鋼帯式磁気録音機が発売されるようになりました。
日本でも、1934年頃から当時の逓信省電気試験所や東北大学などで磁気録音の研究がかなり活発に行われて、数種の鋼帯式の磁気録音機が発売され、技術的にも1940年永井健三、五十嵐悌二らによる交流バイアス法の発明等特筆すべきものがあります。
多くの国々が鋼線式、鋼帯式磁気録音機を研究していましたが、1930年にドイツのフロイマー(Pfleumer)は、紙またはプラスチックのベースの上に酸化鉄の微粉末を塗布した、テープ状録音媒体の製造法を発表しました。
AEG社ではこれを採り上げて更に研究を続け、1936年にテープによる磁気録音機をマグネトフォンとして発表しています。
この機械はさらに進歩し、第2次大戦中ドイツでは、軍用、教育用、産業用に広く活用され、その優れた性能は、戦後ドイツを訪れた米国技術調査団を驚かしたと伝えられています。
この調査団がドイツの録音テープ技術を米国に持ち帰り、主として3M社(Minnesota Mining & Manufacturing Co)に研究が受け継がれ、更に研究されてできたものが今日の磁気録音テープです。
その間、それまで粒状であった磁性酸化鉄を針状にし、さらにそれを磁気配向するなど、多くの有用な改良がなされて以後年とともに発展しています。

日本でのテープ式磁気録音機の開発は,1950年頃から活発になり、ソニー社によりテープレコーダが発売され、以後多くの会社が続々とテープレコーダの開発・販売に踏みきり隆盛をみるに至りました。
また磁気テープも、ソニー、TDK,日立マクセル、富士フイルム、住友3M社などにより国産テープの生産が行われました。

 



(社)電子情報技術産業協会(JEITA) テープストレージ専門委員会
株式会社トリム・アソシエイツ  竹内 正