【南の風2018】 3951号〜4000号  
各号目次・後記(ぶんじん日誌)
 TOP

*南の風発行一覧
 ぶんじん日誌一覧→■
*南の風3901〜3950号(前ページ)→■
*南の風4001号〜4050号→■(次ページ)
  
【南の風2018】3951号〜4000号・目次一覧(進行中)

3951号【 6月 8日】韓国フォーラム(81)、町田、七月集会、おきなわ短信1335、あれから29年
3952号【 6月12日】名護より、勝連・上江洲安吉氏逝去、第81回韓国研究フォーラム、風に参加
3953号【 6月15日】ヤン先生を囲む6月定例会、那覇珊瑚舎スコーレ補助、韓国の統一地方選挙
3954号【 6月18日】七夕会ご案内、『82さい中学生はっちゃん』、爬龍船競漕、石川敏さんを偲ぶ会

3955号【 6月21日】学会要望、町田、日本語学級設置請願、鉄血勤皇隊、『だけど だいじょうぶ』
3956号【 6月25日】韓国フォーラム日程変更、全夜中研修交流会、沖縄慰霊の日、摩文仁73年
3957号【 6月28日】トーカチ祝い10月5日・名護、旭川で夜間中学写真展、飯田、沖縄のこころ
3958号【 7月 1日】日本の大学政策、韓国平生教育の動き(251研究会)、海を越えての対話10年

3959号【 7月 5日】82韓国フォーラム、町田、ハワイ捕虜収容所、慰霊「平和の詩」、今帰仁城崩落
3960号【 7月10日】七夕会(再)、魚沼から参加、平和の詩、東演「琉球の風」、豪雨災害お見舞い
3961号【 7月11日】じんぶんヒストリー、82回韓国フォーラム報告、沖縄戦後を生きた福地曠昭さん
3962号【 7月17日】福建終身教育10周年、日本公民館学会投稿論文、辺野古に柵、七夕会終わる
3963号【 7月21日】やんばる対談」(11)原稿, 韓国この1年、町田、沖縄少年院、年報23号に向けて
3964号【 7月25日】
7月定例(252)研究会、夜間中学卒業生スピーチ大会、石垣市4公民館反対
3965号【 7月30日】じんぶんヒストリー1報告, 松戸「みらい分校」課題、映画・沖縄スパイ戦史
3966号【 8月 4日】出版祝賀会、夜間中学校拡充署名、町田、沖縄ウマチー、ゲッベルスと私
3967号【 8月 7日】夜間中学に集う(NHK/ET)、オール沖縄、沖縄スパイ戦史、ゲッベルスと私2
3968号【 8月10日】農中本祝賀会、読売書評、翁長知事急逝! 川口初夜中、ウチナーンチュ知事

3969号【 8月14日】パレスチナ、図書館問題研究会要望書、翁長雄志沖縄県知事・苦闘4年・追悼
3970号【 8月18日】23号校正、やんばる対談最終稿、第58回全国集会、墜落から14年、大失敗
3971号【 8月21日】8月定例会、甲府集会「この指とまれ」、NHKETV特集、名護・宮城さん歓迎会
3972号【 8月25日】社会教育学会(10月)名桜大で、福建省、基礎教育学会(第3回)、名護歓迎会
3973号【 8月28日】年報校正、全国集会・名護を囲む、やんばる対談・文献資料、全国集会終る
3974号【 8月30日】トーカチ祝い(10/5)、社会教育年表、韓国本書評、八重山の島言葉、トーカチ
3975号【 9月 1日】蔓草庵30年、社会教育小年表、夜間中学学習会、劇団「創造」、校正終わる

3976号【 9月 4日】9月研究会、社会教育学会(名護)、韓国本書評、2,3ヶ月先の4000号までに
3977号【 9月 5日】21日定例研究会、基礎教育保障学会第3回大会、地図サハリン、おきなわ短信
3978号【 9月 7日】全国集会この指とまれ、町田、県内29市町村議員選挙、年報、天安門事件回想
3979号【 9月 9日】9月研究会、辺野古・海外識者の新声明、翁長知事の写真、それぞれの記念日

3980号【 9月12日】北海道置戸、83韓国フォーラム、川崎ふれあい館30年,、名護市議選、対談合本
3981号【 9月17日】『やんばる対談集』入稿、黙々100年塾蔓草庵、札幌遠友塾、立民・枝野代表
3982号【 9月19日】9月定例会、トーカチ祝い、蔓草庵(2)、とびたつ会、二つのリマインダー
3983号【 9月22日】9月定例会報告、日韓学術研究大会案内、劇団「創造」、「学校の森づくり」

3984号【 9月26日】東アジアフォーラム、夜間中学をひろげようin姫路、県民投票、仲秋に月餅
3985号【 9月30日】川越「あそび虫」、トーカチ祝い、小金井「基地本土移転」、やんばる対談集
3986号【10月 3日】トーカチ中止、名桜大学、『対談集』案内、玉城デニー当選、来春やんばる対談
3987号【10月 4日】農中出版祝賀会、玉城デニー就任、対談集目次・表紙写真、祭り化粧の若者
3988号【10月 6日】対談集びっくり、23号目次、沖縄こそ日本の民主主義、慶佐次のマングローブ

3989号【10月 8日】神戸の夜間中学、夜間中学ひめじ、ワーカーズコープ映画、学会終る、秋深し
3990号【10月10日】10月研究会、名桜大学、町田、儀間比呂志、文孝淑さん、歴史に詫びること
3991号【10月12日】大阪の識字、神戸市夜間中学、翁長雄志知事県民葬、あと10本で4000号
3992号【10月17日】農中出版祝賀会、その後の名護は、かでなまちゼミ、それぞれ無形の本を携え
3993号【10月20日】名護博物館の動き・訂正、沖縄公明党、札幌自主夜中、名護博物館への期待
3994号【10月22日】識字ファンディング、東アジアフォーラム、やんばるに飢えて、4000号へ
3995号【10月25日】出版活動、札幌遠友塾、町田、八重山と台湾、「対談」をどう読む、月は東
3996号【10月27日】10月研究会報告、合評会、「対談」をどう読むか(2)、玉陵、賑やか研究会
3997号【10月30日】沖縄青年史、名護型、対談どう読む(3)、米軍に道理を、東アジアフォーラム
3998号【11月 5日】大田区/社教主事募集、ネパール学習会、対談どう読むか(4)、韓国より帰国
3999号【11月 7日】第4回東アジア生涯教育研究フォーラム、11月定例会、辺野古、国際シンポ写真
4000号【11月 9日】11月定例会、ソウル4/5日、長春、町田、対談どう読むか5、韓国魯在化さん


*南の風4001号〜4050号→■(次ページ)



南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


4000号【 11月9日】
■≪11月の定例研究会、韓国・魯在化さん≫
 毎月最終金曜日に開いてきたTOAFAEC定例研究会、今月は数えて第256回。11月30日夜の日程で、このたび韓国で開かれた第4回東アジア生涯学習国際フォーラムについての報告をお願いしました。題して「躍動する東アジアフォーラム」、小田切さんから早速の「ご案内」を寄せていただきました(上掲)。「東アジアフォーラム」への日本からの参加は、小林文人、上野景三、黄丹青、小田切督剛、李正連、石井山竜平、上田孝典、呉世蓮、山口香苗の9人(敬称略)。小田切さんの主報告を中心に、参加者からも感想など出しあっていただこうという企画です。シンポジウム(11月2日、「学校と地域連携による教育共同体の創造」)だけでなく、フイールドワークの事例、始興(シフン)チャミスル「マウル学校」や、牙山(アサン)「革新学校」等の動きもたいへん刺激的でした。韓国は今たしかに躍動的に市民も行政も動いている感じ。日本の社会教育のこれからを考える上で、多くのことを学びあいたい。関心ある方々、ご予定ください。初めての方も歓迎、お誘い合わせの上、ご参集ください。→■http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2016.htm
 さて韓国・東アジアフォーラムの写真ご紹介。今回は(最近ほとんど連絡がなかった)魯在化さん(韓国・聖潔大学校)が参加してくれた1枚です。李正連さん提供。韓国行きは魯さんに連絡していませんでしたが、現地で台湾(前台北市政府)楊碧雲さんの電話で、ぶんじんが韓国に来ていることを知り、会場に突然登場、驚きました。二日目から同じゲストハウスに泊まって最後の日まで付添い、仁川空港へ車で送ってもらいました。お世話になりました。魯さんは学大院から一ツ橋大院で学位、1982年韓国「社会教育法」を日本語に最初に訳した人、2006年『韓国の社会教育・生涯学習』編集を(黄宗建先生のかわりに)手伝ってくれたた人。国際シンポ集合写真のあとの1枚です。
 東アジアフォーラム参加者は、11月4日に二手に分かれて、私たちはシフン市の李揆仙(イギュソン)さん自宅(4階建て、1・2階は「平生教育実践協議会」事務所)を訪問しました。他方のソウル組については石井山竜平さんから報告が寄せられましたので(上掲)、どなたか「平生教育実践協議会」事務所訪問の様子を、美味しいかったお昼を含めて、風に寄せてください。
左より呉遵民、魯在化、ぶんじん、韓民、上野景三の皆さん (20181102、世宗市)  李正連さん提供


3999号【 11月7日】
■≪国際シンポ・記念写真≫
 韓国・東アジアフォーラム(11.1〜11.5)参加の皆さんから、メール・写真など送付いただき、有難うございます。小田切さんからの、11月定例研究会(TOAFAEC・第256回、韓国研究フォーラム・第84回と合同)「案内」を拝受。案内文は風・次号に載せるようにしましょう。また鷲尾真由美さんから「南の風4000号」関連と辺野古をめぐる動きも長文で寄せられました(上掲)。本号はこれで満杯。連載中の「やんばる対談をどう読むか」と「おきなわ短信」は休載とします。
 前号の黄丹青さんからの写真に引き続き、李正連・小田切さんより、たくさんの写真を送っていただきました。まず今回フォーラム・全体テーマ「学校と地域の連携を通じたマウル教育共同体の創造」国際シンポジウム集合写真をHPにアップしました。ご覧下さい。→■http://www.bunjin-k.net/higasiajia2017.htm
 同じページに昨年・佐賀フォーラムの写真を掲載しています。ぶんじんは昨年不参でした。今年はようやく参加、写真の前列、真ん中に座らせていただきました。こうして復帰できたこと、こんな感激はありません。東アジアフォーラム参加の範囲はあまり拡大せず、主要メンバーが揃い(30人あまり)、同じ顔ぶれが今年も元気に並んでいる。「今回の会は前三回よりもっとも雰囲気が良く、心の接近感も大きいものでした」との感想(呉遵民・上掲)も。海を越える「研究共同体(マウル)」、一歩前進というところでしょうか。
 使用言語は英語を使わず、シンポも見学もすべて、日・中・韓三つの言葉に同時通訳で共有されました。少し時間を要しますが、自分の言葉で考え、心の交流ができる喜び。ともに「東アジア」に生きる同志的な連帯感も生まれる感じがありましたね。南北問題で激動渦巻く韓国での開催、近い将来に「北朝鮮」からの参加が期待できるのではないかという発言も出されました。
「学校と地域の連携を通じたマウル教育共同体の創造」国際シンポ・記念写真(世宗市、20181102) 李正連さん提供


3998号【 11月5日】
■≪無事に韓国より帰国≫
 11月4日夜、予定通り仁川からのフライトで無事に帰国しました。沖縄行き(やんばる対談)は出来たにしても、海外の国際フォーラム参加は無理ではないかとご心配いただいた皆さんに、全日程を終えて、こうして帰国報告できることを喜んでいます。荷物をもったり、車椅子を押したり(空港)、いろいろと気遣っていただいた同行の皆さん、たいへんお世話になりました。5日間を振り返り、あらためて感謝の念でいっぱいです。
 前号「韓国へ」を読んで、小田切さんより折り返しのメール(上掲)。また上海の呉遵民さん(華東師範大学、Tue, 30 Oct 12:31)からも久しぶりのご返報。「小林先生!長くご無沙汰しております。明日、先生が久しぶりに韓国・国際シンボに参加されるとのこと、とても嬉しいかぎりです。明後日に先生と合流出来ますこと、とても楽しみです。今回の中日韓の再集合と会議の充実・円満を心からお祈りいたします!」と。
 6年ぶりの韓国訪問。呉遵民さんはもちろん北京の韓民さん、台平の楊碧雲さん、楊さんの電話で駆け付けた韓国・魯在化さん(当方からは連絡しなかった)など、懐かしい皆さんと再会した夢のような毎日でした。昨年の今頃は大手術のベッドに伏していた身、回復・再起の喜びを噛みしめています。
 今年、東アジア生涯学習研究フォーラムは第4回、中国・台湾そして日本からの海外参加は20人。昨年までの積み重ねがあり和気あいあいの雰囲気でした。何より現地のマウル学校などの訪問・交流が心に残りました。準備と運営にあたられたヤンビョンチャン先生はじめ韓国・東アジア平生教育研究会の各位に「集会・大成功!」「お疲れさま!」「有難うございました」と御礼を申しあげます。エピソードたくさん。早速に黄丹青さんからメール(上掲)と写真。ご参加の皆さん(当方は写真を撮っていないので)集合写真など、いろいろ送ってください。順次ご紹介します。
左よりヤンビョンチャン(韓国)、ぶんじん、韓民(中国)ー2日目の夜、20181102、黄丹青さん撮影ー


3997号【 10月30日】
■≪第4回東アジア生涯学習研究フォーラムへ≫
 26日・定例会の写真、松尾有美さん(韓国研究フォーラム)から送っていただきました。「昨日のTOAFAEC 定例会と懇親会の写真をお送りいたします。こんなに賑やかな合評会とその後の懇親会は久しぶりだったと思います。水曜日から韓国に向かわれるみなさま、またお話お伺いできるのを楽しみにしております。ジョシミ タニョオセヨー^^ (気をつけて行ってきてください) 来月もよろしくお願いいたします。」(27 Oct 2018 22:28)と。それぞれのページにアップしました。→■http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2016.htm 
加えて小田切督剛さんからも写真2葉。お二人、有難うございます。コマップスミダ!
 明日31日から、韓国(始興・世宗・公州など)で開かれる第4回「東アジア生涯学習研究フォーラム」(11月1〜5日)へ参加することにしました。皆さんの足手まといになることは確か。まわりに自重論もあり、実は少々迷った時期がありました。2010年・上海での国際フォーラム参加以降の経過を思い出し、サポートしていただける(であろう)仲間の皆さんと一緒の旅なので決断しました。パソコン持参せず「南の風」も1週間ほどお休み。東アジア・フォーラムの日程等は こちら→■http://www.bunjin-k.net/higasiajia2017.htm
 パスポートの期限も切れていましたので、新しく切り替え。まっさらのパスポートを手にすると、これから新しい旅が始まる!の予感。心ときめくものがあります。思い出は蘇る。2010年「東アジア生涯学習研究フォーラム」(会場・上海外国語大学)以降の記録はホームページに収録しています。→■http://www.bunjin-k.net/3kokusinpo2010.htm
 この間(日中の政治的緊張などあり)中断して、かわりに済州島に遊んだ年もありました。そして「三國シンポ」が再開された2016年(上海)は亡妻介護のため行けず、昨年の佐賀フォーラムも、私自身の入院で参加できなかったのです。この間のお見舞い、ご声援に感謝!皆さんにお礼を申しあげねばならぬ。今年はなんとか皆さんに伍して、東アジアの激動の波に身をひたしたい思いでいます。韓国だけでなく、北京・上海・台北の旧知の皆さんと再会できる喜び。韓国は寒波が来るそうで「防寒対策」をとの連絡、有難うございました。各地からの皆さん、韓国へ一路平安を祈ります。

3996号【 10月27日】
■≪賑やかな研究会≫
 第255回定例会、たくさんのご参加、有難うございました。体はやや不調ながら、頭は動いている。急性難聴で右の耳が聞こえないので、どうしても声が大きくなる、皆さんに不快な思いをさせているのでは・・と気になりながら、ついつい発言してしまう。昔からの悪いクセです。皆さん、大目にみてくれている感じで有難い。
 研究会は今年刊行した年報・やんばる対談集の合評会でした。いろいろの話題が出て頭も心も刺激をうけて元気になります。会が終わって、いつものイーストビレッジへ。店を出たのが午後11時をまわっていました。ワインの心地よい酔い。送るべき原稿をひとつ残していますが、そのまま、うたた寝。朝方に目をさましてパソコンを開くと、なんと!林忠賢さん(東大院、台湾出身)から長いメールが届いていました。店で別れてまだ6時間も経っていないのに、長文の研究会「報告」(上掲)です。「今日(土曜日)は授業があるので、忘れないうちにまとめておきたいと思って記録にしました」とのこと。謝々! 出席者の人名など少し訂正しました。ご了承を。
 当夜の写真、どなたか撮っていたような。できれば賑やかな雰囲気のイーストビレッジでの1枚を送っていただけませんか。
 前号から載せている『やんばるの地域活動と社会教育-やんばる対談集』(2018)「どう読むか」の2回目(上掲)、ほぼ40年にわたる私たちの沖縄研究の歩み、初期の頃を書いています。前号ぶ欄に書いた山城千秋さん「沖縄青年運動史(証言集)刊行」の構想など、メールを頂いていますが、次号にまわします。
年報23号・やんばる対談集 刊行お祝い・慰労会(20181026) 松尾有美さん撮影


3995号【 10月25日】
■≪東からあがるお月さま≫
 本号は、少し余白がありましたので、今年のTOAFAEC 刊行物『やんばるの地域活動と社会教育』に書いた小林「やんばる対談記録(2010-〜2018)をどう読むか」を、数回に分けて、掲載することにしました(上掲)。「名護・やんばるの地域と社会教育、その水脈をたどる」というタイトル。私たちのこれまでの沖縄研究の経過、名護との出会い、「やんばる」型あるいは「名護」型ともいうべき社会教育の独自な展開(東京三多摩・社会教育の対極にある)等について、関連文献を含めて、すこし解説的に書いています。ご参考になれば幸いです。
 その後「やんばる対談集」刊行に刺激されてか、山城千秋さん(沖縄社会教育研究フォーラム、熊本大学)より相談あり。同じTOAFAEC 年報に連載してきた「戦後沖縄青年運動史の証言」シリーズ(年報12号〜19号、全11本)、年報20号には山城千秋「沖縄の青年団と復帰闘争―戦後沖縄青年運動史の証言から」のまとめもあり、これらを1冊にして「沖縄青年団運動史・証言集」(仮題)を刊行できないか、編集作業を進めたいとの申し出です。きっと実現するでしょう。楽しみです。
 竹富島から早くも来年の暦が届きました。阿佐伊拓さん(竹富島・ゆがふ館)有難う!「竹富島くらしごよみ」と題する、昨年に続いての力作(竹富島未来づくり実行委員会発行)。今年は折々のお月さまの様子を、この暦でうかがいながら過ごしてきました。今晩(25日)は満月。幸いに東京に雲はなく、お月さま、実に見事です。パソコンを前に置き、右(東)側の窓をあけ、まずまずのワインをグラスについで、なんともいえぬ充実感。ただ月が美しいと、約束の東アジア研究フォーラムの原稿はまったく進みません。
 八重山民謡−(1)月ぬ美(かい)しゃ 十日三日、女童(みやらび)美しゃ 十七ツ、(2)東(あり)から上がりょる 大月(うふつき)ぬ夜、沖縄ん八重山ん 照ぃらしょうり〜、と歌いながら、書いています。十三夜だけでなく、十五夜もやはり美しいよ、沖縄・八重山だけでなく、いま東京も白く照らしてくれているよ。

3994号【 10月22日】
■≪4000号へ≫
 この数日、東京は秋の空、よく晴れています。夜はきっときれいなお月さまだ、と期待していると、雲がでてきて、期待に応えてくれません。ぶんじんは、腰の手術後は畳に座れなくなって、食卓の椅子を常時使うようになり、食事をする同じ空間でパソコンをたたいています。昔使っていた畳の部屋は西向き、天空から傾いていく月を愛でるには恰好の、夜更かしの部屋でしたが、食卓の席は東の窓が開けて、ゆらゆらとお月さまが目の前に昇ってくる、その下には西新宿の光。しかし先日の十五夜も失望、次の十三夜も、月は姿を現してくれるかな、まだお月さまとの関係がうまくとれていない暮らしです。
 昨日の日曜日、朝日歌壇は、樹木希林さへんの挽歌とともに、新沖縄県知事・玉城デ二ーさん当選の夜、彼が踊った喜びのカチャーシーを歌ったものがいくつも選ばれていました。喜びあふれる身のこなし、ひそかな決意もにじみでて、見とれていました。
◇カリユシの似合う新知事しなやかに にこやかに踊るフラッシュの中(前橋・萩原葉月)
◇当選を祝いて踊る沖縄は 悲しみの日も踊りしと聞く(高松・桑内 繭)
◇玉城氏の当選の意味沖縄の 重荷負ふべしオール日本が(埼玉・酒井忠正)
 もうすぐ4000号。大規模なアドレス帳整理の予定。1週間前不調だったパソコンも修復し、順調にいけば11月中旬頃の日程か。本号には、浅野平八さん(建築工学、公民館施設論)より、引き続きの配信希望のメール到来。有難うございました。またこの機会に新しく参加希望の方があれば、どうぞご紹介を。まずは自己紹介を、その後の「風は双方向に吹く」お約束をお知らせいただければ幸い。

3993号【 10月19日】
■≪名護博物館・新営への期待≫
 4〜5日休んでいましたので、メールが溜まっています。本号少し長くなりましたが、お許しを。南の風に北からの便り(札幌遠友塾・自主夜間中学の再開ニュース)を載せる喜び。なじみの中学校で自主夜間中学が再開されたそうです。「何度も感謝の言葉を受講生からもらいました」と(工藤慶一さん)。「見学者9名で再開とは、すばらしい!」と澤井留里さん(東京)。
 南は名護・博物館をめぐる動き。前号の武田拡明さんメールの訂正記事に関連して、市教委文化課長・比嘉久さんメールを転載できました。久さんは、ずいぶん前からの風メンバーなのに、名前が出るのは初めてかも。(島袋)正敏さんたちがつくってきた名護博物館を受け継ぐかたちで奮闘されてきました。今回名桜大学・社会教育学会ではエクスカーションの説明役。そういえば、20数年前、韓国・黄宗建先生お元気のころ、一緒に訪韓したことあり、喜納昌吉「すべての人の心に花を」CDを贈った久さん。黄先生は、その後ぶんじんと飲めば「花を唄おう」と誘う慣わし、懐かしい思い出です。あの頃の写真を探し出して下に掲げました。(日付によれば20年前の写真)
 そのうち一段落したら、比嘉久さんに沖縄や名護「民話の会」について、また名護博物館のその後の歩みについて、「南の風」に連載してもらいたいと、機をうかがっています。名護博物館の創造期(島袋正敏館長)「ぶりでぃ」(群れ手)の取り組みなどは、故伊藤壽朗「ひらけ博物館」(岩波ブックレット)表紙等に紹介されているのは、ご存知の通り。
 名護博物館は来年に向けて新営の方向が具体化したそうです(上掲)。ぶんじんも博物館中庭で意見を求められた経緯あり。新博物館の今後についてはユンタク会(説明会・上掲)が開かれるそうです。完成はいつになるのでしょう。全国的に期待は大きいと思います。そのうちにまた経過や展開など、ご紹介いただければ幸い。
左・黄宗建先生と「花」の合唱、右・ぶんじん (ソウル、19990301)


3992号【 10月17日】
■≪「だけど だいじょうぶ」出版祝賀会−それぞれ無形の本を携えて≫
 この数日、パソコンのご機嫌ななめ。いつものようにWi-Fi につながっているはずなのに、送受信が断続的、とうとう切れてしまって、また救いの神・木村雅俊さんにご足労ねがいました。申し訳なし。その間に、当方の病院通いも重なって、南の風は5日ほど中休み、お許しください。今日(さきほど)三度も木村さんにお出で願って、やっと各位へ配信できるまで回復しました。本号、皆様にうまく届いているでしょうか。
 名護の社会教育学会(予定しながら、台風の影響で参加できず)のあと、名護入りした武田拡明さん(川崎)からの報告は12日に拝受していたもの、掲載が遅れてしまいました。これからの名護の動きも気になります。武田さんの続報、心待ちにしています。
 本号には、2018年10月13日(土)午後7時より、高井戸・イーストビレッジで開いた農中茂徳著『だけど だいじょうぶ−「特別支援」の現場から』(福岡・石風社刊)出版祝賀会の報告を、友人の戸高きぬえさん(上田市在住)に寄せていただきました。集まった皆さん、大学を卒業してほぼ半世紀。それぞれの人生を歩みながら、友人の1冊の本の話題をさかなに集まり、遠慮のない感想・意見を出したお祝い会。農中本だけではなく「それぞれが自分の軌跡の本を持っている。その無形の本を携えて・・」(上掲・戸高メール)の集い。また再会しようとの思いも残ったようです。江頭晃子さんより当夜の写真が届きましたので、その1枚をホームページに掲げます。
 農中本は前著『三池炭鉱 宮原社宅の少年』(2016年・石風社刊)につづく第2作目、新著もきわめて好評。読売新聞が全国版で書評にとりあげ、地元では、西日本新聞や毎日新聞(福岡版)も5段抜きの記事(「33年の体験一冊に、もと養護学校教師が執筆」)で報じるなど、大きな反響がひろがっている様子。なによりのことです。四六版上製 236ページで1800円(税別)。まわりに広げてください。
出版お祝い会、左5人目に農中さん(イーストビレッジ、20181013)


3991号【 10月12日】
■≪あと10本で4000号≫
 本号は、大阪・神戸・姫路の集会など、識字運動や夜間中学の増設への取り組みの便りが重なって、特集号のようになりました。熱気を感じます。かって社会教育の実践や公民館・図書館の増設運動も、このような熱気あふれる時代があったなぁと懐かしくなりました。神戸・草京子さんのメールと東京・澤井留里さんの便りの重複が有難く、嬉しくなって、あえて並んで掲載させていただきました。
 TOAFAEC 事務局長・山口真理子さんより、「10月定例研究会・会場の件では間に合わず、申し訳ありませんでした。高井戸区民センター「第3集会室」です。全国集会「この指とまれ」(名護・宮城有紗さんを囲む)の写真も、もう遅すぎますが、石原さん(邑楽町)が頼んでおられた方からやっと届きました。転送します。」(Thu, 11 Oct 2018 11:14)
 有難うございました。風・前号に間に合いませんでしたが、ホームページには、それぞれ入力しておきました。鷲尾真由美さんから頂いていた山口さんの名護・学会会場での資料販売の写真(お一人で頑張っている)1枚も、思い出してアップしています。ご覧を(下掲・3989号)。
 さて皆さん、風3976号・本欄「2,3ヶ月先の4000号までに」の記事を憶えていますか。「最近はアドレス帳の更新作業(以前は100号おきの整理)をしていませんので」久しぶりに4000号を期してアドレス帳整理をしたいと思っています。おそらく「南の風」としては最後の作業か。あと10本で待望の大台に乗ります。風・発行人としてもこれほどの号数を重ねることになろうとは・・・考えてもいませんでした。思いもかけず長寿の通信となるだけに、私たちの初心「風は双方向に吹く」原則に立ち戻って、充実した風・発行を持続させていきたい、切なる思い。最近の風・参加者やよく便りをいただく常連の方々は別にして、「全く無音の方で引き続きの風・配信ご希望の方」は、その旨ご一報ください。その際、ぜひそちらの風をケーシ風(返し風)としてお寄せください。

3990号【 10月10日】
■≪歴史に詫びる≫
 もう2日経ちましたが、10月8日は日韓関係にとって一つの記念日でした。20年前のこの日、韓国大統領となったばかりの金大中は日本を訪問して、小渕恵三総理大臣と「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ-」についての共同宣言を発表。小渕は「我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫び」を述べたました。金大中大統領は、「かかる小渕総理大臣の歴史認識の表明を真摯に受けとめ、これを評価すると同時に、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互いに努力すること」を表明した宣言でした。日本の総理大臣が「植民地支配を」を「心からお詫び」したこと、韓国の大統領がこれを「真摯に受け止め」て、過去の不幸を乗り越えてお互いに努力することを誓い合ったこと、折にふれて想い起したい。当時私には、この共同宣言(1998年)をスタートにして日韓関係が一歩前に進んでいくに違いない、という楽観論がありました。
 この日韓共同宣言については、朝日新聞が全段抜きの大きな社説(10月8日付「後世に恥じぬ関係構築を」)を掲げています。その後、歴史の負の流れを断つために両国の政治家たちは前向きに動いてきたかどうか。かって1970年、ドイツ首相(ブラント)が、ワルシャワ・ゲットウの前で、崩れ落ちるように伏して、ポーランドに詫びた情景には及びもつかないけれども、日本の首相が「心からのお詫び」をしたことは、忘れないようにしておきたいと(10月8日にあらためて)思いました。
 私たちの10月、2回もの出版祝賀会が「イーストビレッジ」で開かれます。一つは今週土曜日(13日19:00〜)の農中茂徳さん『だけど だいじょうぶ』(石風社)のお祝い。風3987号でご案内(再掲)した通り。農中茂徳さんと東京学芸大学OBG の友人たちが集まる予定です。あと一つは、最終金曜日(26日)の定例研究会。TOAFAEC 年報23号と『やんばる対談集』の合評・お祝い会(上掲)です。関心ある方、初めての方も歓迎!皆さま、ご参加を。ご案内→■http://www.bunjin-k.net/yotei1809.htm

3989号【 10月8日】
■≪秋深しの夜≫
 6日〜7日の動き(名護)について、鷲尾真由美さん・山口真理子さんからのメール(上掲)、有難うございました。真理子さんのTOAFAEC 年報・やんばる対談集の販売、お疲れさま。台風25号の襲来、会場校の嘉納英明さんのご心労、大変だっただろうと拝察しています。ぶんじんも名護行きを早々に断念、申し訳ないことでした。
 そういえば 2002年9月の社会教育研究全国集会(社全協)の折も台風がやってきて、3日間の集会スケジュールのうち初日が中止となりましたね。今回は那覇着のフライトが多数欠航しましたが、2002年のときは、初日プログラム中止が決まったあと、案外と各地より飛行機がとんで、全国から皆さんが続々と名護入りしました。集会実行委員会の責任者は島袋正敏さん。応急の午後プログラムを用意して頂き、夜はヒージャー(山羊)会等を企画しました。稲嶺進さん(市収入役、当時)とぶんじん両人が呼びかけ人となって、賑やかな一夜でした。名護ヒンプン・ガジュマルそばのヒージャー屋(今はない)に大勢集まった写真が残っています。惜しまれながら働き盛りで亡くなった上勢頭芳徳さんも竹富島から参加していた。この数日、いろんなことを思い出していました。
 この間、台風が何度もやってきて、世は明らかに異常気象。私たちも右往左往して落ち着きませんでした。さて、東京も昨夜は蒸し暑かったものの、今夜などは、さわやか秋冷の風の流れ。月こそ出ていないけれど、虫も鳴いている。ようやく秋の夜らしい生活を取り戻したいところですね。秋深しの窓、積んでいた本をゆっくり動かし、あれこれと考えをめぐらしたいもの。仲間あればさらによし、あれこれ語り合ってみたい夜。ゆっくりと古酒を汲みあう夜(風の部屋)ともなれば、至福の秋夜になりましょう。 〇秋深し古酒を汲めども友は亡く(ぶ)
年報・やんばる対談集の販売、山口真理子さん(名桜大学、20181006) カメラ・鷲尾真由美さん


3988号【 10月6日】
■≪慶佐次のマングローブ≫
 本号は、台風25号に吹き飛ばされて、結局、沖縄・名護の日本社会教育学会にたどり着けなかったランナーのボヤキ感想と、風に立ち向かって、見事!名桜大学まで完走したランナー(山口真理子さん)の喜びの勝利宣言(TOAFAEC 出版物、やんばる対談集等、学会お昼休みだけで2万円近くの売り上げとか)特集号みたいになりました。江頭晃子さんが送ってくれた年報23号の「目次一覧」も、本号に掲載できました。こちらも完走ランナーの心境か。
 さすが!事務局長、そして編集委員会を含めて関係の皆様、この間、ご苦労さまでした。江頭さんのコメント。「真理子さん、今日はお疲れ様でした。親密な参加者間の連帯感ある思い出深い学会になりそうです」。学会は今日(6日)から始まるのですね。ご参加の皆さんによろしくお伝えください。とくに午後の会場校企画シンポに登場する、島袋正敏、稲嶺進、末本誠などの各位にどうぞよろしく。
 行けなかったグループは、ぽっかり自由な時間ができました。風・編集子は、ホームページの手入れ。表紙写真の張り替えをしています。「それぞれの記念日」(風3979号)にアップしたモンゴル草原が1ヶ月続くと、乾燥した気分でノドもカラカラ。そこで、やんばるの緑したたる慶佐次川口のヒルギ林(マングローブ)に差し替えたところ。この写真には誰も人物が写っていませんが、ぶんじんには亡くなった石倉裕志(前・事務局長)の声が聞こえてくる。彼と二人、やんばるを旅したときの1枚です。慶佐次は字の共同体的な結束が強く、子どもたちのために「慶佐次育英会」をつくってきました。その記念碑の写真を撮りに旅した折、石倉裕志がついてきてくれたのでした。ヒルギ林のすぐ近くで彼のはにかんだ笑顔の写真、私の「集落育英会」論文の最後のページを飾っています。→■http://www.bunjin-k.net/okinawaazakouminkan.htm
大正13年3月31日創立・慶佐次育英会記念碑、左に石倉裕志(20060317)


3987号【 10月4日】
■≪祭り化粧の若者のまなざし≫
 沖縄に台風25号の襲来、日本社会教育学会研究大会を直撃。学会では「沖縄本島に暴風警報等が発令される可能性が高いため、安全を考慮し10月5日(金)の全プログラムを中止」とのこと。今日4日昼頃から沖縄行き全フライトは欠航。ぶんじん予約の便も飛ばなくなりました。トーカチ中止のご連絡を受けていましたので、おかげさまで当方さして慌てる必要もなく、早々に今回の訪沖を断念することに。台風がらみの暴風雨は、杖をつく身には少々きついのです。トーカチ実行委員会では「台風接近の間隙をぬってささやかな場を設けよう」とのこと(正敏さんメール・上掲)。有難うございます。いろいろとご配慮いただいたこと感謝、皆様によろしくお伝えください。
 学会二日目の会場校企画に間に合わせようと、大車輪で頑張ったTOAFAEC 『やんばる対談集』は余裕をもって沖縄に届いているようで安心しました。あわせて刊行した年報23号の販売のこともあり、事務局長・山口真理子さんはパソコンとにらめっこ。フライト空席を探し出して5日の便で沖縄入りする体制。ご苦労さま。無理をしないで!もし行けなくなれば、名桜大学・嘉納先生にお願いすれば・・・きっと大丈夫だよ、などとなだめている?ところ。しかし台風に立ち向かって、ご本人の使命感は相当なもの。
 編集を担当した江頭晃子さんより、対談集・23号の目次を送っていただきましたので早速HPにアップしました。→■http://www.bunjin-k.net/21gou.htm、
 まず『やんばる対談集』「目次」を本号に収録(上掲、23号目次は次号)。表紙・写真を本欄ページに大きく載せました。2002年の(やはり台風に遭遇した名護・全国集会時に刊行した)『おきなわの社会教育』(小林・島袋共編、エイデル刊)の表紙に使った写真、祭り化粧の若者の凛々しい顔写真1枚(右上)、今回も挿入しています。私たちの研究実践は、歴史をつなぎ、語りつがれ、発展していくものだ、の思い・メッセージのつもり。
『やんばる対談集』表紙(TOAFAEC、2018年刊行、181005)


3986号【10月 3日】 
■≪トーカチ祝い・来春のやんばる対談に≫
 今年はまさに天変地異の年! 北に大地震・ブラックアウトあり、南からは列島を北に駆け抜ける大型台風が2本も重なる。その被害を確かめるいとまもなく、さらに南方洋上に台風(25号)発生、沖縄に向かっています。2日には「猛烈な台風」に発達、衛星画像を見ると、目がくっきりとして24号台風と同じ「非常に強い」勢力だそうです。
 せっかくの名桜大学での社会教育学会開催なのに、心配です。その初日(5日)夜に準備されていた「ぶんじんトーカチ」祝いは、昨日夕に実行委員会が開かれ、「先生のお祝いを中止せざるを得ない」(上掲・正敏さんメール)との判断だそうです。台風25号に吹っ飛ばされたかたち。残念ですが、止むをえません。学会が予定通りひらかれるかどうか、沖縄へのフライトにも欠航が予想され、予定の皆さん、ご注意ください。トーカチ祝いは「あらためて来春のやんばる対談に合せて実施しよう」とのご提案です。
 すでにご存知の通り、沖縄県知事選挙では「辺野古新基地をつくらせない」を訴えた玉城デ二―さんが大差で当選。当選確実が伝えられたときの玉城デ二―・カチャシーが秀逸でした。まさに「手の舞い足の踏むところを知らず」の喜び。今回の選挙では「政権の動きに呼応するかのように、ネット上では玉城氏に対する誹謗中傷やデマが拡散された。模範となるべき国会議員までが真偽不明の情報を発信した。沖縄県知事選で玉城氏ほど、いわれのない多くの罵詈雑言を浴びせられた候補者がかつていただろうか。」と琉球新報・社説は書いています(上掲)。屈せず、頑張ってほしい。

3985号【 9月 30日】 
■≪年報23号・やんばる対談集の刊行成る≫
 今年のTOAFAEC は年報23号と「やんばる対談集」2冊の出版に挑みました。年報は毎年取り組んできた一大事業、それに加えて「やんばる対談」(11本)合冊本を作ろうという企画が慌ただしく浮上、8月から9月にかけて関係の皆さんが、文字通り奮闘していただきました。最終の印刷所への入稿取り組みは江頭晃子さん(編集担当)。なにしろ刊行の期限(日本社会教育学会研究大会、名桜大学・10月5〜7日)が決まっていますから、大丈夫かな?と心配しないでもなかったのですが、上掲の江頭メール「早く出来ました!」の通り、見事な仕上がり。昨日(28日)は待望の段ボールが届きました。
 終日、2冊のページをめくっています。いつも目次・執筆者氏名のページから点検する慣わし。身についた性癖、ミスがあってはならじとチェックする悲しき性(さが)。なにしろ2冊合わせて530ページを超える大仕事。いまのところミスなく完璧の仕上がりです。写真がたくさん盛り込まれ、レイアウトも年を追うごとにあか抜けしてきましたね。
 『やんばるの地域活動と社会教育ーやんばる対談集ー』は、全280ページ。編者「名護・やんばる社会教育を語る会」(名護市教育委員会文化課内)と「沖縄社会教育研究フォーラム」(熊本大学・山城千秋研究室)の両者、発行はTOAFAEC(事務局・東京大学教育学部李正連研究室)。2002年に刊行した小林・島袋共編『おきなわの社会教育』(エイデル研究所−残念ながら絶版)を継承する思いで、表紙は島袋正敏さん撮影のやんばる写真(豊年祭、ものづくり、民話の会、島酒の会等)で構成。思わず開いてみたくなるような、いい出来栄えです。販価は1500円におさえる方針、山口真理子さん(事務局長)からご案内がありましょう。
 学会プログラムによれば、研究大会二日目に会場校企画「やんばるの地域課題と社会教育」(名桜大学長、今帰仁村歴史文化センター長、稲嶺進・前名護市長、島袋正敏、司会は末本誠の各氏)が開かれます。また最終日のエクスカーションとして、屋部公民館、名護市博物館、辺野古の海をめぐる企画(案内は教育委員会文化課長・比嘉久氏)も予定。これらプログラムと連動して『やんばる対談集』はきっと好評を博するのではないかと期待しています。
 再び南より強烈台風(24号)の襲来、被害の少ないことを祈っています。

3984号【 9月 26日】 
■≪仲秋に月餅≫
 秋の夜、高浜虚子の「仲秋や月明かに人老いし」という句を思い出しました。ゆっくりと月を愛でる余裕、月は明るく輝いている、しかし人は年々老いていくと。昨年の今頃は病室に寝て、仲秋の月を見る身ではありませんでした。今年は(杖をつきながら)夜風に吹かれて月をさがしている、その老いと幸せ。
 仲秋の夜、東京は月にむら雲の感じ、なかなか姿を見せてくれませんでした。秋風も妙に湿っぽい。それでも一瞬ひらりと月の輝き。ありがとう、お月さん。即興の戯れ歌二つ。
◇仲秋の月は雲間にかくれいて ちらり顔出し励ます如く 
◇仲秋に届きし月餅(ユエピン)香りあり 眠らぬ夜に中国想う
 日本の中の中国から、昨年も月餅を頂いたのでした。病室でことさら美味しかった。そのお礼も言ってなかったような。本欄をかりて、お心遣い有難く、御礼申しあげます。
 本号には久しぶり梶野光信さん(東京都教育庁)からの便り。半ば私信ですが、お目出度い近況報告なので嬉しくなりました。9月初め風3976号で,「2,3ヶ月先の4000号でアドレス帳整理予定。日頃無音の方はそれまでに近況報告などお寄せください」と書いた効果なのか。風3981号の園田(平井)教子さん「近況」メールもその感あり、すこし恐縮しながら「効果あり」を実感しています。「日頃ご無沙汰」の皆さん、この機会にそちらの風をお送りください(半ば私信、大歓迎!)。すぐに4000号はやってきますぞ。
 前号本欄にお名前の誤記あり。韓国・慶煕大学の「崔一先」氏。うっかり崔一千さんと書いていました。本欄はホームページに転記する慣わし、その過程で間違いを発見。お詫びして訂正します。

3983号【 9月 22日】 
■≪「学校の森づくり」その後は≫
 昨夜(21日)の定例研究会、風あてに報告を一晩で書いていただいた金亨善さん(東大・院)お疲れさま。もしかしたら徹夜?ではないかと恐縮しています(報告・上掲)。おかげさまで、前日の研究会の模様を速報で配信できます。久しぶり。この夜、初めての参加で話題提供いただいた丹間康仁さん(帝京大学)、充実した内容、ありがとうございました。学校と地域」について、あらためていろいろな課題を考える機会となりました。賑やかにご参加の皆さま、ご苦労さまでした。
 ぶんじんも「月刊社会教育」9月号の手島勇平さん(聖篭町・元社会教育主事・教育長)「かがり火」を話題に、いくつかの発言をしました。2001年当時、聖籠町の中学校づくり、強い印象が残っています。學校施設のなかに、地域の皆さんが常駐する面白い空間をつくり、家ではドングリの苗を育て、みんなで学校の「森づくり」に励んでいた姿など印象的でした。まさに地域と学校をともに創っていく、その象徴として森づくりの取り組みがあった。あれからすでに20年ちかく、ドングリの林はさぞかし賑やかに繁っているのではないでしょうか。
 2001年に聖篭町で開かれた社会教育研究全国集会(第41回)、翌年の名護集会の準備もあり、名護・那覇から島袋正敏、平良研一、中村誠司などはるばる5人の方が参加しました。翌日は堀之内の温泉に泊まって『おきなわの社会教育』編集会議。その間をぬって正敏さんと長岡市の小学校「森づくり」の現地を見に行きました。車はたしかエイデルの長谷吉洋さん。「学校と地域」の関係を考える上で実に刺激的な、楽しい1日の思い出です。当日の写真一枚を探し出しました(下掲)。中央に校長さん、両脇に正敏・文人の二人、背景はこじんまりした学校の「森」。学校を創ることと地域をつくることが連動し、そこに子どもも親も参加する。象徴として学校のなかの森が育っていく。春に花が咲き、秋に紅く色づく、四季おりおりの歩み。
 さて、研究会の当夜は、久しぶりに「珍島アリラン」を口づさみました。11月訪問予定の韓国では、きっと崔一先さん(慶煕大学)の歌も聞けるだろうと。この前日、南北首脳会談の最終日では、文・金の両首脳が白頭山に登り、山頂で「珍島アリラン」が歌われました。その映像を見ながら、われわれも歌いました。金亨善さんが記しています。思い出に残る研究会でした。李正連さんから、研究会・話題提供の丹間康仁さんの写真を送っていただき、感謝。定例研究会ページに載せます。→■http://www.bunjin-k.net/kenkyukai2016.htm
学校の森づくり(長岡市、川崎小学校) 山之内義一郎校長をはさんで左・島袋正敏、右・小林文人(20010827)
*新刊・山之内義一郎著『森をつくった校長』(春秋社)は多方面から注目された。


3982号【 9月 19日】 
■≪二つのリマインダー≫
 明後日21日の夜、9月定例研究会(会場・高井戸)。TOAFAEC では毎月最終の金曜日に開く慣わしですが、今回9月研究会は、諸般の事情により、1週間早めての開催となりました。慌ただしいご案内となりましたが、皆さま奮ってご参集下さい。本号にリマインダー(冒頭)を載せました。
 テーマは「学校と地域」について。11月に公州で開催される「東アジア生涯学習研究フォーラム」(第4回)、「学校と地域の連携を通じた地域教育共同体の創造」がテーマですので、あらためて日本における「学校と地域」について考えてみようという企画です。ちなみに今出ている『月刊社会教育』が同じく「学校と地域」の問題を特集テーマにしています。『やんばる対談』では第8回(2016年)で同テーマを語り合い、夜間中学の見城・関本両先生に名護まで足を運んでいただいたことを思い出しました。なお11月の第4回「東アジア生涯学習研究フォーラム」(@公州)について「南の風」にはまだ案内を掲載していないことに気づきました。次号に載せることにしましょうか。
 本号は、あと一つのリマインダー。ぶんじん「トーカチ」(米寿)祝いのご案内。10月5日、名護・名桜大学を会場に開かれる日本社会教育学会大会の初日の夜。トーカチ祝い会場は、名護市中心部、城(ぐすく)公民館。2015年に「85歳トゥシビ祝い」を開いていただいたときと同じ会場です。名護で実行委員会が組織され、皆さんご苦労さま!なんと御礼を申しあげればいいか。当夜は、那覇からも平良研一さん(沖縄大学、おきななわ社会教育研究会)や海勢頭豊さん(「喜瀬武原」など、歌手)の各位も見えるそうです。
 社会教育学会では、ちょうど理事会とダブる時間帯と思いますが、理事・幹事でない方は、名護の夜をともに過ごしましょう。「浦々の深さ、名護浦の深さ、名護のみやらびの、思い深さ」という琉歌が碑に刻まれている(城公民館の近く)ことを思い出し、名護んちゅの思い(ウムイ)深さ、しみじみ実感しています。

3981号【 9月 17日】 
■≪『やんばる対談集』(合冊本)刊行へ≫
 上掲の園田(平井)教子さんからのメール、びっくりしました。突然にいろんなことが起こるものですね。お大事になさってください。私信かとも思いましたが、南の風には教子さんの親しい人がたくさん。お許しいただけるだろうと思って、そのまま掲載しました。
 本号・冒頭記事(江頭晃子さんメール)のように、年報23号に続いて取り組んできた『やんばる対談集』(合冊)の編集作業が終わり、見事!印刷所に入稿とのこと、皆さん、お疲れさまでした。とくに江頭さんの奮闘に感謝!です。昨日(16日夜)、島袋正敏さんに出したお礼のメール、ご参考までにそのままここに転載します。
 「島袋正敏さま(Date: Sun, 16 Sep 2018 22:29)「やんばる対談集」(合冊)は皆さんのご協力により、10月初旬の日本社会教育学会(名桜大学)までに間に合う見通しとなりました。300ページに近い大作となりそうです。
 この間、名護側との打ち合わせ・調整など全く不充分で、申しわけありません。電話で急にいろんなことをお願いするかたち、快く対応してくださって感謝です。江頭さんが最終ゲラとして送ってくれた、目次一覧・小林「対談をどう読むか」・中村誠司(小年表ー山城年表と若干重複するところあり、しかし経過を考え加えて掲載)を添付して、ご報告とします。小林「どう読むか」は、セイビンさんと連名で書きたいところでしたが、時間の関係で、当方のみで慌ただしく書きました。ご了承ください。・・・以下・略」
 『やんばる対談集』(合冊)に向けて書いた、小林「名護・やんばるの地域と社会教育、その水脈をたどる−「やんばる対談」記録(2010-〜2018)をどう読むか−」は、掲載されることが確かなので、早速(いま先)ホームページにアップしました。お暇の折、ご覧いただければ幸いです。「やんばる対談」「解題」を並べたページの最後に入れました。
→■http://www.bunjin-k.net/yanbartaian2010.htm
 文中に写真2枚挿入。そのうちの1枚を本ページ下に掲げます。稲嶺進市長・当選直後のお祝い乾杯。中央に稲嶺進さん、左に小林、右に島袋正敏さん(大国林道、2010年3月7日)。


3980号【 9月 12日】
■≪「やんばる対談」合本作業≫
 この時期、毎年恒例のTOAFAEC 年報(第23号)編集・発行作業(もうすぐ九・一八)。今年の年報23号の作業が一段落。これが終わるか終わらないかの慌ただしいスケジュールで、「やんばる対談」合本の編集作業が最終段階。急なスケジュールで浮上した企画、関連の各氏(島袋正敏、中村誠司、比嘉久などの名護んちゅ、それに山城千秋(熊本)、そして上野景三(佐賀、TOAFAEC 代表)などの皆さん)に急ぎの原稿をお願いしました。写真を正敏さんから送っていただき、表紙デザイン、発行部数など最後のつめの相談のため、昨日(9月11日)は、江頭さん・山口さんのお二人が拙宅に見えました。ご苦労さまです。新しい序、「合本」の新目次、年表・資料、そしてタイトルなどの確定。表紙デザインも含めて、最終の仕事がさきほど終了。ヤレヤレ、これでどうににか今年のTOAFAEC 年報関連の仕事からは(江頭さんを除いて)解放さるれるかたち(11日夜)。
 ただし、ぶんじんは体調不良、若干の発熱もあり(秋の夜の冷えか)、江頭・山口のお二人が帰ったあと、ひたすら寝ていました。本号は昨日出すつもりでしたが、1日おくれ。いまは、のんびり・・・と構えて、風の発行は慌ただしくならないように努めていますが、皆さんから頂いたメールは、できれば折り返しのリズムで出したい永年の性癖あり、困ったものです。北海道置戸の森田はるみさん、元気なメール(上掲)ありがとございました。「おきなわ短信」は、名護市議会議員選挙についての沖縄タイムス・社説([与野党同数]辺野古反対の声根強)を載せました。

3979号【 9月 9日】 
■≪それぞれの記念日≫
 忘れることができない去年の9月。今頃は、ほとんど歩けなくなっていました。それでも『躍動する韓国の・・』本(エイデル研究所)出版があり、その祝い・記念の集い、全国集会(相模原)「この指」に出席したのでした。それが8月末、9月に入ると腰の痛みますます激しく、うめくような毎日だった、など思い出しています。
 9月13日入院。大きな手術を2回受けて、今なんとか動ける(歩ける)ようになりました。思い出したくもない1年。だけど医師団をはじめ助けて下さったまわりの皆さんに感謝の1年。杖をつきながら、よちよち歩き、不自由ながら痛みはまったくなし。この間には、12月2日が新しい記念日となりました。人工関節(股関節)を装着して、初めて自分の足で数歩を歩いた喜びの日、わが復活の日です。
 自分自身の大事な記念日を忘れないようにしようと思っています。国の記念日・祝祭日は、なぜか天皇家に関する設定が多い。東京を高いところから見れば、緑あふれる一帯はほとんど天皇家の関連。皇居、赤坂御所、明治神宮、新宿御苑などなど。
 おっとっと・・話題がそれました。9月7日は私の忘れ難い記念日なのです。ホームページの表紙写真を「モンゴル草原」(9/7)に更新した理由。この日に初めて草原のゲルに泊まったのでした。表紙写真を撮った場所から、はるか向こうの山の麓のゲルまで歩いて行きました。真っ暗な夜、羊たち(写真では見えない)の目が銀色に光って怖い思い。彼らの肉を食したばかり。やっとのことゲルにたどりつき、牧民一家と一緒に川の字になって寝ました。私の横には阿部猛・元東京学芸大学長(一昨年に亡くなられた)、枕を並べ「思い出深い夜だ」など話しながら。2002年9月のことでした。その数日前までは沖縄・全国集会で名護に滞在、帰京してすぐに北京、そして赤峰・通遼への旅というスケジュール。当時ほとんど東京にいなかった、海を越えて東アジアを飛びはねていた頃の草原の一夜。
 この旅では4日ほど阿部元学長と一緒でした。そのなかで「社会教育辞典」構想が話題となり、私たちには馴染みがなかった朝倉書店を紹介して頂いたのでした。この経過は「辞典編集・回想」(南の風2012年9〜10月)に書いています。→■http://www.bunjin-k.net/kenkyusi2012.htm (項目17)
在りし日の翁長雄志・沖縄県知事(名護市民会館大ホール、20141015) 名護・前田勇憲さん提供
 「2014年の知事選の時のもので、10月15日(水)に名護市民会館大ホールで行われた「ひやみかちうまんちゅの会」北部連合主催の女性部大会の際の写真です。やんばるらしい和やかさと、オナガさんへ思いを託す熱気にあふれた、とても素晴らしい会でした。」(前田勇憲)



3978号【 9月 7日】 
■≪天安門事件・回想≫
 関西に猛烈台風、高浪高潮、空港閉鎖。相次いで1日後、北海道で震度7の烈震、全道停電、同じく空港閉鎖、と激甚・大異変が続きますね。置戸町に被害はありませんでしたか。停電は、夜が暗くなるだけでなく、生活全般が真っ暗になるようなもの。もう回復しましたか。お見舞い申しあげます。
 異変・凶事が続くとき、昔だと悪霊を鎮める「お祓い」の話題が出たかもしれない。渇水のときの「水乞い」行事など、お互いの気持ちを共同・連帯にする何かがありますね。35年ほど前、大学に学生の事故や自殺が相次いだ際、当時・学生部長の任にあったぶんじんに「お祓いを」と、真剣に提案された教授がいらっしゃいました。嬉しかった記憶。
 ところで本題。いま朝日新聞・夕刊に「平成とは」の連載あり。8月末から9月初めに、「天安門事件」について8回の回想記事(当時・北京支局員、田村宏嗣記者)を興味深く読みました。1989年・天安門事件の年は「平成元年」なのです。
 この年、胡耀邦・前中国共産党総書記(改革派リーダー)の死去、その追悼と学生を中心とする民主化デモ(五月四日)、デモのゴールは天安門広場。「学生のデモは整然と行われ、沿道の市民も声援をおくった」そうです。しかし当局は北京に戒厳令(5月20日)を布き、改革派の趙紫陽総書記は失脚。そして6月4日未明、天安門広場で座り込み・ハンストを続けていた学生・市民に戒厳軍の戦車・装甲車が突入、血の弾圧。朝日新聞記事は「内乱の恐れ」「北京、郊外で交戦続く?」などの見出しで報道。その後はケ小平が「事態掌握」し江沢民の登場へ。それから30年が過ぎて、いま習近平体制の確立。中国はどう動いてきたか。民主化デモなど、ありえないような時代となってしまったのか。
 田村宏嗣記者の回想・最終回のコメント(朝日9月4日・夕刊)。権力基盤を固めた党総書記・習近平時代。党がすべて指導して「社会主義現代化強国」をめざす体制づくりへ。
 そして劉暁波に言及しています。「天安門事件で大きな役割を果たしたのが、昨年7月に61歳で死去した、ノーベル平和賞作家の劉暁波だ。大学講師だった劉は学生運動を指揮、戒厳部隊の広場突入を前に軍と談判して、学生を広場から撤退させた。」「事件後の投獄を経て、一党独裁の放棄や言論の自由を求める“08憲章”の起草に加わる。」(中略)
 「それは、1989年の運動が到達した『世界標準』の高みだ。他方、習時代思想は『中国標準』の集大成と言えよう。両者の溝はあまりにも深い。そこに埋もれているのは、天安門事件で犠牲になった学生や市民、そして兵士たちの若い命だ。」

3977号【 9月 5日】 
■≪「おきなわ短信」について≫
 はじめにうっかりミス・お詫びです。風・前号(3976号)「おきなわ短信」(1363)<八重山の方言>は、風3974号「おきなわ短信」の重複掲載でした。ナンバーリングの混乱も。風前々号(3975号)「おきなわ短信」(劇団「創造」)の記事は間違いありませんが、ナンバーは1364号へ修正、前号「おきなわ短信」は削除、をお願いいたします。したがって本号では新しく1365号、琉球新報・社説をご紹介しました。重複掲載のご指摘は、韓国研究フォーラム・小田切督剛さんから(上掲)。当方のミス・混乱をお詫びいたします。ご指摘、有難うございました。以上、訂正記事です。
 ことのついでに「おきなわ短信」について。このシリーズは、スタートは「沖縄の公民館」シリーズとして始まりました。南の風とならんで「公民館の風」を発行していた時代(1999年〜)。ぶんじんの一連の沖縄型公民館フイールドワークを書いていたのです。いま読み直して、20年前の記事はそれなりに面白い。とくに名護・東海岸への旅、辺野古基地問題を意識しつつ、ジャーナリストの気分で書きついだものでした。
→■ http://www.bunjin-k.net/okinawatansin1999.htm
 そのうちに、だんだんと沖縄の新聞各紙(琉球新報、沖縄タイムス、八重山毎日新聞)の社説・コラム・記事を紹介するかたちへ。南の風はもともと「沖縄」の風、どの号にも沖縄の話題が載っている、という評価をなんとか維持したい思い、涙ぐましい?努力からの企画でした。しかし、うっかりミスはまことにお粗末。
 昨夜、前号を出した直後から、たくさんのメール拝受。ありがとうございました。上記のお詫びもあり、久しぶりに連日配信となりました。懐かしい。

3976号【9月4日】
■≪2,3ヶ月先の4000号までに≫
 猛烈な台風21号が四国・関西を直撃、いま日本海側を北上中(9月4日午後6時)。関西空港は水没し、連絡橋にタンカーが衝突、橋にかなりの損傷ある模様。関西空港には多数の旅行客が滞留していると。東京もひどい風でした。神戸はじめ関西そして北陸の皆様、お見舞い申しあげます。まわりに被害がないことを祈っています。空港閉鎖や飛行機の欠航、列車の運休など交通機関も大異変、お困りの様子をテレビが映しだしています。
 TOAFAEC の年報編集作業は幸い順調に進行中です。皆さんのご協力、ありがとうございます。編集委員会そして江頭さんはじめ事務局の奮闘あってこそ・・・引き続きどうぞよろしくお願いします。
 さて、あと2、3ヶ月で「南の風」は4000号となります。区切りの号数を迎えるたびに、風の発行についてひと思案してきました。1000、2000、3000号それぞれの歴史を思い出しています。そして昨年9月の入院騒ぎで、風の休止をご連絡したところ、即座に「共同編集」の申し出あり、感激いたしました。今回4000号では、ひと思案することなく、引き続きの編集・発行に努める所存です。
 しかし、最近はアドレス帳の更新作業(以前は100号おきの整理)をしていませんので、幽霊メンバー?もないわけではない。発行人として、まったく読まれない風を吹くのは空しい思い。たとえば初期の風で努力した留学生への風・配信、20年経つと、そのまま形式的に残っている場合もあるでしょう。他方で最近は新しくご参加の方あり。4000号を期して、無理のない新陳代謝、アドレス帳更新をお願いしたいと考えています。全く無音の方で引き続きの配信ご希望の方は、4000号までにそちらからの風をお寄せ下さい。最近の配信リズムだと、おそらく2ヶ月半ぐらいで、区切りを迎えることになりそうです。

3975号【 9月1日】
■≪年報23号、校正終わる≫
 今年のTOAFAEC 年報第23号、例年のスケジュールよりやや遅い校正作業でした(8月31日、東大・李研究室)。東大・赤門までたどりつきましたが、教育学部が改装されていて、1〜2年ご無沙汰した身には、新しい研究室(校正作業室)がわからない。いま携帯も失っていて、途方にくれました。1階の事務室で事情を話して、探してもらいましたが、研究室の電話はむなしく鳴るばかり。李さんは出てこない。そのはず、皆さんは別の部屋で作業をしているのです。
 しょうがない、せっかく本郷まで来たけれど、とぼとぼ帰るとするか・・・、念のためバッグのなかのの手帳(昔の記録あり)を見つけ、小さな数字で、李さんの携帯の番号を発見。しめた!しかし今は公衆電話がない。また事務室に入って電話をかけてもらいました。ようやく李さんと連絡がとれ(昔の2階ではなく)3階へ、皆さんと合流できました。ヤレやれ、社会復帰もなかなか容易ではない。しかし少しでも校正作業の仲間に入れてもらって、どうやら現役の気分。夕刻にめでたく校正作業終了。終わって、東大正門ちかくの魚の美味しい店で、打ち上げ乾杯(松尾さんが撮ってくれた写真(下掲)、ホームページ)。皆さん、この半年、ご苦労さまでした。
 今年はあと1冊「やんばる対談」合冊を刊行予定。11本の対談記録に加えて、序(上野景三)、地図(名護側で作成)、年表(中村誠司さん+山城千秋)、文献資料(山城)、「蔓草庵構想から30年」(島袋正敏)、名護・やんばるの社会教育・対談をどう読むか(小林)を加える作業が進行し、ほぼ見通しがつきました。タイトル・表紙をどうするか、セイビンさんから送ってもらう表紙をかざる写真を待っているところ。そして、印刷・製本へ、これから江頭さんの奮闘を待つかたちです。頑張ってください。
 今年、TOAFAEC はあと1冊を刊行する予定です。これはまた、別の機会に書きましょう。TOAFAEC として出版局を編成する必要がありそうですね。「集会、結社及び言論、出版」など表現の自由は憲法が保障するところ、活発に行使しましょう。
年報23号校正終わる、打ち上げ乾杯!(本郷「おおさわ」、20180881) 松尾有美さん撮影


3974号【 8月28日】
■≪トーカチ祝い・お誘い≫
 ぶんじんは、3年前に名護の皆さんから「85歳トゥシビー」を祝っていただきました。感極まって、涙そうそうの思い出。この種のお祝いは(ヤマト風には)一席集まって乾杯と食事程度かと思っていたところ、どうしてどうして・・・舞台をしつらえて音曲が始まり、皆さんの演舞数々、そしてカチャシーと、まことに賑やかでした。あの日の最初の座開きは、金扇子をかざして稲嶺進市長(当時)を中心に「かぎやで風節」(琉球古典楽曲)が演じられ、感激ひとしおの夜(下に写真)。
 沖縄では祝いごとは数え年。満年齢ではまだ1年あるのに、突然88歳!「トーカチ祝い」のご案内を頂きました(上掲)。企画が動いていることは、島袋正敏さんのメールで知り(風3939号)、恐縮していましたが、昨日、島福義弘さんからの「88歳トーカチ祝い実行委員会」としてのご案内(10月5日、名桜大学で開かれる日本社会教育学会大会初日の夜)。本号を編集しながら、わが身の幸せをかみしめているところです。案内を下さった島福義弘さんは、前・名護博物館長、源河「リュウキュウアユを呼び戻す」運動のリーダー。いつも私信ですが、今回は実行委員会としてのご案内役、有難うございました。
 日本社会教育学会大会が沖縄で開かれるのは初めて。また初めての沖縄訪問の方もありましょう。ぶんじんの祝いはともかくとして、やんばる独特のお祝い文化に接する、またとない機会かと思われます。学会参加の皆さんも沖縄の生活行事を生で体感する夜として、お出かけください。自分の祝いごとを自分で書くなんてもってのほか、お調子者の誹りを免れませんが、風・編集子としての立場からと、大目にみてやってください。
 夜間中学の澤井留里さんから、9月・八王子での集い案内を頂いていますが、次号にまわします。ご了承ください。
座開き 「かぎやで風」、中央は稲嶺進・名護市長(当時)、左に比嘉久・博物館長 (名護市城公民館、20150711)


3973号【 8月28日】
■≪甲府(第58回)全国集会 終る≫
 今年の社会教育研究全国集会(甲府、第58回)は、参加人数は多くなかったようですが、無事終了したそうです。炎暑でもあり、ぶんじんは自重して(三日間とも)参加しませんでした。これまで毎年の集会参加を誇ってきた身としては、残念ですが、人生はそれぞれの経過で退いていくものです。老々として妻の介護にあたってきた2014年あたりから、1日のみ出るのが精いっぱい、「この指とまれ」の交流で韓国や沖縄の皆さんとお会いするのが関の山、という状態が数年続いてきました。昨年は妻を亡くし、当方も腰を痛めて、ほとんど動けなくなって小田切さんの車をお願いし、相模原まで出かけたのは『躍動する韓国・・・』本の出版お祝い会(この指とまれ)が催されたからでした。
 今年は韓国メンバーの顔はなかったそうですが、沖縄から宮城有沙さんが参加され、盛大な「この指」だったとのこと。なんと!33人が集まったという速報(上掲、山口メール)、最近にない盛況です。これまでの蓄積を思い、嬉しくなりました。山口さんの本報告をお待ちしていましたが、風を出す必要もあり(年報23号・8/31 校正作業の呼びかけ、上掲・李メール)→■、頂いた速報を掲載しました。ご了承を。
 当方は、この間に年報に掲載してきた「やんばる対談」の合本づくり(全11本)に頭を悩ませています。あと1週間?の勝負、急な企画ですから、精一杯の努力を傾注する必要ありと自らに言い聞かせ、頑張って少し書き始めているところ。山城千秋さんの関連・文献資料リストづくり(上掲)も送っていただき、ご苦労さまでした。また名護側に急ぎお願いした「地図」「年表」も拝受。その件で久しぶりに中村誠司さんからメールを頂いて懐かしく、喜んだり、などなど。酷暑・残暑いまだ去りやらず。
甲府・全国集会「この指」宮城有沙さん(中央)を囲む、右側に横山孝雄さん(司会)(甲府・1808260)


3972号【 8月25日】
■≪東京で名護歓迎会≫
 風・前号「急なご案内」、高井戸での宮城有沙さん(名護)歓迎会(8月24日)には6人が集まりました。急ぎの呼びかけ文を書いた江頭晃子、TOAFAEC 事務局長の山口真理子、中国研究フォーラム黄丹青、韓国研究フォーラム小田切督剛、今年のやんばる対談に参加の武田拡明の皆さんとぶんじん。羽田着が少しおくれた宮城さんは大きなリュック姿で登場、山登りの雰囲気でした。夏の夜、イーストビレッジはひととき賑わいました。
 4月「やんばる対談」(宮城さんは懇親会で司会)の余韻あり、遠慮のない話が湧き出ました。稲嶺進さんは秘蔵の島酒1本(2002年に開かれた名護・全国集会記念の泡盛)を宮城さんに託し、皆で歴史を賞味するような思いで頂きました。有難うございました。あらためて「じんぶん寄せあって」開かれた名護集会からの歩み、この15年余の歳月に思いを馳せつつ、辺野古新基地問題、歴代市長の屈折、稲嶺市政の誕生とその後の経過、名護社会教育主事の群像など話は佳境に。「地域力推進」課における社会教育主事の位置づけも、いま気になるところ。名護社会教育の蓄積と今後どのように展開していくのか、など夜の「やんばる」対談の雰囲気。ぶんじんは久しぶりにしゃべりすぎ。
 この夜、宮城さんが現れる前の時間を利用して、企画が進んでいる「やんばる対談」11本の合版企画について、あらためて語りあいました。佐賀・上野景三代表が寄せたメール(Thu, 23 Aug 2018 23:36)。「江頭さんに、やんばる対談の原稿を通しで送っていただき、通読しています。読むと、やはり全体についての解説がいるような感じがします。私は代表として挨拶文はかけるかと思いますが、対談に1回も参加したことがない身としては、中身にふれようがありません。どなたか適任者は、おられませんでしょうか。」
 ぶんじん宛ての期待ありあり。しかし、何かを書くにしても、名桜大学・社会教育学会に向けての刊行スケジュール、ほとんど時間的な余裕がありませんね。当夜の席上、小林「沖縄の社会教育が問いかけるもの−復帰20年」(『月刊社会教育』1993年1月号)の評価あり。これに続くその後の「やんばる15年」を書いてはどうかの提案も。有難く聞きましたが、すべて時間との勝負。かっての60代の活気なく、期待に応えられそうにありませんね。ホームページ:復帰20年・沖縄が問いかけるもの→■http://www.bunjin-k.net/okinawa93toikake.htm)
稲嶺進さんからの名護全国集会記念ボトルを披露する宮城有沙さん(イーストビレッジ、20180824)小田切さん撮影

イーストビレッジ・マスターを囲む、後ろに宮城有沙さん(イーストビレッジ、20180824)


3971号【 8月21日】
■≪急ぎご案内ー名護・宮城さん歓迎会(8/24)≫
 恒例8月下旬・社会教育研究全国集会の季節となりました。今年は第58回、甲府市での開催(8/25〜27)。全国集会への沖縄からの参加は、もちろん復帰後のこと。私たちの沖縄研究会の歴史と重なります。1977年の夏(福岡集会)、久茂地文庫の喜納勝代さんや沖青協・田場盛順さんなどが初めての参加者でした。集会の翌日に本土と沖縄の合同(初めての)社会教育研究会を開催した興奮が今も鮮やか。写真の横山宏・小川利夫・玉城嗣久・諸岡和房など今は亡き方々が懐かしい。→■http://www.bunjin-k.net/1976toafaeczennsi.htm
 沖縄からの参加は断続的。何しろ飛行機は高いし、この季節は台風もやってくる。集会二日目「この指とまれ」(ラウンドテーブル)では、沖縄から参加者があるときは「沖縄を囲む」、参加者がない年には「沖縄を語る」と題して、必ず「沖縄」を忘れない努力を重ねてきました。なかでも名護市からの参加の歴史を忘れることができません。1982年・富士見集会には稲嶺進さんたち(当時は社会教育主事、のち名護市長)、あるいは1993年・雲仙集会には豚の片脚と古酒持参で島袋正敏さんたち、ほとんど毎年参加だった中村誠司さんなどなど。そして忘れ難い名護集会(2002年)、この年に私たちは『おきなわの社会教育』を出版(エイデル研究所、絶版)したのでした。
 2010年、名護市に稲嶺市政が実現し、市長旅費をいただく形で若い社会教育主事の皆さんが全国集会に毎年参加されました。今年は、残念ながら稲嶺市政ではなくなり、名護からの参加は無理か、と思っていたところに宮城有沙さん参加の朗報(風・前号)。甲府の全国集会では「この指とまれ−沖縄を囲む」(8/26)、その前に東京では、TOAFAEC 8月定例研究会として「宮城有沙さん歓迎会」(8/24午後7時〜、@イーストビレッジ)を開くことになりました。急なご案内となりましたが、ご都合つく方、ぜひ!お出かけを。→■http://www.bunjin-k.net/yotei1809.htm
 名護・島袋一平さん、本号「急なご案内」を宮城有沙さんに回してください。

3970号【 8月18日】
■≪夏の夜の大失敗≫
 いまTOAFAEC 今年度年報(23号、編集長・李正連さん)の最終点検・校正作業が進行中です。編集担当の江頭晃子さん、ご苦労さま。編集―執筆者間であわただしくメールなどが飛び交っています。その一端をご紹介したく、本号には、 江頭さんの校正依頼メール、やんばる対談記録の最終点検(ぶんじん)を上掲いたしました。年報は今年で23冊目、創刊号(1996年)から関わってきた身としては、いつもこの時期、感慨深いものがあります。沖縄研究を含めて、東アジア研究の、これまでにない蓄積が生まれていること、激動の歴史に社会教育・生涯学習の立場から参加していることを実感するのです。
 8月31日は、編集委員会として終日の校正作業(@東京大学・李正連研究室)です。編集委員・執筆・翻訳者はもちろんのこと、関心ある皆さん、とくに初めての方のご参加大歓迎!しています。お気軽にお出かけください。お待ちしています。
 ところで、前号本欄にちらりと書きましたが、今週月曜の夜、愛用の携帯、諸カード類、鍵、いささかの現金などを入れた小バッグをタクシーに置き忘れるという、大失敗をやらかしました。直ちに交番に駆け込み遺失物届、世の中の善意を期待して、連日いい知らせ(拾得届け出)を待ち続けましたが、どうやら期待はずれ。その後に警察からの連絡もなく、再び懐かしのガラ型に出会う夢はむなしく消えてしまいました。この数日、いくつかの銀行回り、カードの切り替え、病院の診察券の再発行など、ボヤキながら励んでいます。 
 というわけで、ぶんじんへの電話連絡は、これまでの携帯をお忘れいただき、ご用の場合は自宅電話(03−3324−7816)にお願いします。パソコンは生きていますので、メール便はこれまで通り、ご来駕をお待ちしています。

3969号【 8月14日】
■≪翁長雄志沖縄県知事の追悼≫
 8月は広島・長崎(加えて私には久留米大空襲8/11)の祈りの季節。そして早や旧盆の中日となりました。皆さんお元気に酷暑を乗り切っておられることでしょう。日曜日の朝日俳壇に「炎天の人みな罪を負うごとく」(川西市・上村敏夫)という句が選者4人のうち3人の共選に。なるほど、まさに猛暑の中で人は「罪を負うごとく」・・・胸を張って歩いていない感じですね。ついでに朝日俳壇から、「汗流し汗流しこの坂を行く」(合志市・坂田美代子)、「谷川に顔つっこんで夏を聴く」(秩父市・浅賀信太郎)などなど。(ぶ)戯れ歌もご紹介。猛暑・夕立にあって・・・「タクシーや杖を忘れず物忘れ」。すぐ交番に駆け込みました。夏の夜の笑えぬ悲劇。携帯や鍵や諸カードも入れていた革袋を置き忘れたのです。さながら「罪を負うごとき」状態。「夏の夜に家に帰れずビールのむ」、まことにお粗末!
 昨日(13日)は故翁長雄志・沖縄県知事の葬儀・告別式でした。悼みの雨のなか、4千500人の参列者とか。11日の「新基地反対県民大会」は「翁長雄志知事の遺志を受け継ごう」と約7万人が集まったそうです。「志半ばで旅立った翁長知事を天が悼む」(沖縄タイムス[大弦小弦]2018年8月12日)、その遺志を受け継ごうとたくさんの市民が結集しているのでしょう。いま沖縄各紙は、翁長知事の回想・語録・写真など追想の記事であふれています。
 本号はなんとなく盆休みの様子、投稿少なくスペースがありますので、琉球新報・特集「沖縄と沖縄人の誇りのために闘った政治家・翁長雄志氏 その生きざまを写真で振り返る」記事(2018年8月9日)から、写真をはずして、【おきなわ短信】(1352)の記録とさせていただきました(上掲)。旧真和志(現那覇)市長を父に持つ政治家一家に育った翁長知事。1985年に那覇市議当選に始まり、那覇市長から沖縄県知事へ。保守本流の立場から「オール沖縄」へとウイングを拡げる歩み、2018年急逝に至る「志半ば」の生涯。「グスーヨー、マキテーナイビランドー」(皆さん、負けてはいけないよ)と県民を鼓舞し続けたウチナンチュ知事の声が聞こえてくる政治史です。あわせて沖縄タイムス社説「翁長知事 苦闘4年」(2018年8月11日)を抄録。「南の風」としての追悼号となりました。

3968号【 8月10日】
■≪ウチナーンチュとしての県知事≫
 風・前号を配信したのが多分7日。その翌日8日の夕刻、島袋正敏さん(名護)から電話。おや、電話はいつも午前なのにと、のんきに出たところ「翁長県知事死去!」の知らせでした。驚きました。
 4月の膵臓ガンの手術、その後の闘病。慰霊の日や辺野古埋め立て承認撤回の記者会見(7月27日)で痩せ細った姿が気になっていましたが、しかし元気に「沖縄の心」を表明され、背筋をのばして問題に立ち向かっている政治家の意気込みも感じていました。それだけに、まさか?の驚き。セイビンさんも狼狽気味。しばらくして、テレビに副知事による「知事・意識混濁」の会見が流れ、相次いで急逝の速報が報じられたという経過でした。辺野古問題が急をつげるとき、まことに残念無念! 
 稲嶺進さんの名護市長と重なって翁長県知事の奮闘があり、心より応援もしてきました。折にふれて大事な言葉を発しながら、独自のメッセージに打たれるものがあり。それだけに、なんとも言えない喪失感。これからの知事選、辺野古問題がどう動いていくか。
 ヤマトゥの保守政治家が(首相はじめ)その場しのぎの美辞麗句をならべ、まったく空疎な言葉にうんざりしてきただけに、翁長知事の語録は心に響くものがありました。イデオロギーよりアイデンティティー、日本の政治の堕落、ウチナーグチの訴え。「グスーヨー、負ケテーナイビランドー。ワッターウチナーンチュヌ、クワンウマガ、マムティイチャビラ、チバラナヤーサイ(皆さん、負けてはいけないよ。私たち沖縄人の子や孫を守るため頑張りましょうよ)」(2016年6月19日、元米兵の女性暴行事件に抗議する県民大会)。「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をなめてはいけないぞ)」など(2015年5月17日、辺野古新基地建設に反対する県民大会で)。沖縄タイムス(8月9日)翁長語録参照。

3967号【 8月7日】
■≪「ゲッベルスと私」(2)≫
 前号の続き。小説『朗読者』は和光大学のゼミで議論したことがありました。文字を読めない人の“非識字”問題として。同時に普通の市民とナチス・ホロコーストという国家犯罪との関わり、歴史にかかわる市民的な責任・・・といったことも話題にしたことを憶えています。事柄はドイツ、だけどドイツだけではない、日本現代史における植民地支配や戦争犯罪との関わりについて、もの静かな女子(社会人)学生が厳しい表情で問題を指摘した場面を思い出しました。
 映画「ゲッベルスと私」の原題は、“EIN DEUTSCHES LEBEN”「あるドイツの生」です。 ナチス首脳部の「悪のモンスター」が熱狂する時代のなかで、ごく普通の市民、それもドイツ的な教養や良識を備えたはずの人たちがどう生きたか。ゲッベルスの秘書をつとめた人の稀有の証言を引き出して、「私」と歴史との関わりを映画は描こうとしたのでしょう。映画のなかで「私」の独白は、虚偽や虚構を語っているとは思えない。しかし、当時のドイツでユダヤ人が迫害を受けていた事実を知らなかったはずはない。首尾一貫して力強い口調の証言が、「私は知らなかったの、秘密のままだった、最後までね。」と言う場面では、「一転して弱々しい。どこかあきらめたようであり、偽りの言葉を無理に吐き出しているようにも見える。」(寺園真一、映画パンフ)
 映画の「私」は、他の(ナチスの横暴を許した)ドイツ人もそうであったように、歴史の真実を見ようとしていなかった、歴史の動きのなかで何が起きていたかを知ろうとしていなかったのでしょう。ゲッベルスの秘書であるが故に歴史の細部・深部を知っているだろうという期待とは逆に、歴史の真実を深く知ることはなかったのです。さて、日本の問題としてどうか。歴史と市民との関わりをどう考えるか、私たちに問われることでもあります。フアッシズム・戦争のなかに生きた世代の、歴史的な被害・苦しみ、それだけでなく歴史における市民的な責任の問題でもありましょう。
 今日7日夜のNHK・Eテレ「ハートネットTV」は、「生きるために学び直す夜間中学に集う若者たち」(20:00〜)を放映します。岡山自主夜間中学の取り組み、約5ヶ月にわたる取材とのこと(上掲、黒川優子メール)。必見の番組だそうです。
8月4日(土)オール沖縄会議「土曜県民大行動」@辺野古キャンプシュワブ/ゲート前
 稲嶺進・前名護市長、鷲尾真由美さん撮影 (20180804)



3966号【 8月 4日】
■≪映画「ゲッベルスと私」≫
 久しぶり(2年ぶり?)に岩波ホールで映画を観ました。ホール創立の50周年記念作品「ゲッベルスと私」。上映が終わると聞いて、猛暑のなか杖をついて出かけたのです。われながらご苦労さま。実はこの2年間に突発性難聴(右耳)に見舞われ、果たして映画の音声がきちんと聞きとれるか、気になっていましたが、大丈夫でした(ただし席を選ぶ必要あり)。白内障の手術(両眼)の効果は?もちろんバッチリ!眼鏡なしで映像がくっきり見える。長期入院もあり、ずいぶんと映画から遠ざかっていた身には、嬉しい1日となりました。終って三省堂階下「放心亭」へ。ここはドイツビヤ(ヴァイチェン)がメニューから姿を消して大いに失望。いろいろあるものです。
 「ゲッベルスと私」(オーストリヤ映画、2016年)は、第二次世界大戦中、1942年から終戦までの3年間、ナチス宣伝相ゲッベルスの秘書として働いた人物(103歳、その後ミュンヘンで死去、享年106歳)の独白、百歳をこえるとは思えぬ記憶力で語る証言。終戦から69年の沈黙を破って語る貴重なドキュメントですが、“ホロコーストについてはなにも知らなかった”“いわれたことをタイプしていただけ”と。その顔の深い皺と笑いのない表情。
 独白が流れていく中に、初公開のアーカイヴ映像が数多く挿入されています。ナチスを滑稽に描くアメリカ軍のプロパガンダ、ヒトラーを揶揄するポーランドの映像、見るに堪えないホロコーストの記録など、戦争という人間の愚行を暴き、紛争の続く今日に警鐘を鳴らしているようです。
 10年ほど前,ヒトラーの秘書だった人の自伝をもとに製作された「ヒトラー 最後の12日」と題する映画の緊迫感を連想していました。この映画ではゲッベルス一家が自決する場面もありました。対照的に「ゲッベルスと私」は静かな独白に終始。それだけ逆に「沈黙の中の歴史」「普通のドイツ人の生」(渋谷哲也)から何かを読み取る必要がありそうです。
 あと一つ、主人公がナチス強制収容所で女看守(しかし文字が読めない)の経歴をもつ『朗読者』(映画タイトル名は「愛を読むひと」2008年)を思い出していました。・・少
しながくなりそう、続きは次号に。
じんぶんヒストリー(1) 懇親会(イーストビレッジ 180727)


3965号【 7月30日】
■≪じんぶんヒストリー(1)終わる≫
 沖縄・名護では「じんぶん」(人文)という言葉がよく使われるという話から、江頭晃子さんは「じんぶんヒストリー」を造語し、「ぶんじん」に「個人的社会教育概史」の話を求めてきました。忙しい中、詳細な年表も用意していただき、ご苦労さまでした。なにしろ「少年Bが米寿を迎えるまで」のタイトル。短い時間に86年をどう語るか、詳しい話はいずれ次の機会とし、大まかにこれまでを振り返って、特徴的なことを回想風に雑然と語ることになりました(7月27日、252定例研究会)。猛暑の夜、雑駁な話を聞いて下さった皆様、まことに有難うございました。
 栗山究さんからは早速に「参加記・感想」をお寄せいただき、感謝。江頭さんから転送されてきましたので有難く定例会の記録として掲載させていただきました。前半の時期区分のところ、誤解があってもいけませんので、少し補足、ご了承を。また韓国研究フォーラム・小田切督剛さんメールにも当夜の感想が記されていました。例によって本人の了承もなく(きっと許してくれるに違いないと)上掲させていただきました。他にも感想をいただきましたが、「私信」とありましたので、これは控えましたが。
 李正連さんや呉世蓮さんから写真をたくさん送っていただき、ありがとうございました。久しぶりに「ぶんじん」(左)が神妙にお話しさせてもらっている場面(司会・江頭さん)をまず1枚を本欄ホームページにアップしました(下掲)。懇親会の集合写真はいずれそのうちに。当日のテーマにいちばん近いHP「研究史ノート」ページには「ぶんじん」一人だけの写真。(多分、李正連さん撮影) →■http://www.bunjin-k.net/kenkyusi2012.htm 
 少々入院疲れの長髪の横顔。いまこの長髪を以前のように短くするか、この機会に長髪姿に変貌していくか、と思案中の1枚でもあります。率直な感想・助言をお願いします。
 島袋正敏さんから「やんばる対談」直し原稿が届きました(郵送)。稲嶺進さんも丹念に手を入れて下さって有難うございました。早速に原稿に入力を。東京側がむしろ遅れています。
じんぶんヒストリー1(7月定例会) 左・ぶんじん、右・江頭晃子さん・インタビューワー (高井戸、180727)


3964号【 7月25日】
写真数葉をアップ≫
 猛烈な暑さが続きます。気力は萎え外出する元気なく、当然のこと運動不足。加えて頭もぼけて、大事な(1月まで入院していた)病院予約を忘れてしまう失態。あわてて予約をとりなおし、明日(25日)から毎日の外出を強いられる羽目となりました。いま深夜番組(NHKスペシャル、再放送)で中国「消えた弁護士たち」を見ながら、本欄を書いています。いわゆる人権派の弁護士たちが当局に不当に逮捕・拘留され、家族も厳しい監視下におかれている実態。巨大・一党独裁の統制国家のすさまじさ。「法治」の名のもとに「合法」的な権力支配・人権無視、ひととき体が冷えました。ゾッとする感じ。
 入院中に酷使した小さなパソコン、電源コードの接続部分が壊れて、救いの神・木村雅俊さんに応急の措置をお願いしたこと、いつぞや本欄にも書いたような。この猛暑の中に2度も拙宅にお出で願いました。ただひたすら恐縮しています。結局のところ新しい(安い)パソコンを決めるまで、ひとまず木村さんの大きなパソコンをお借りして、我がもののように使わせてもらっています。すでに3ヶ月?になるのかな。しかし、やはりパソコンには急には慣れず、この間、ホームページ更新に時間がかかり、写真のアップが滞っていました。さきほど、那覇研究会との交流(4/20)、やんばる対談の夜の懇親会(4/21)、七夕の会の二次会(7/14)、とりあえず集合写真のみ数枚アップしました。いずれも飲んで騒いでいた席ばかり。→■http://www.bunjin-k.net/yanbaru2016.htm

3963号【 7月21日】
■≪年報23号に向けて≫
 連日の猛暑、皆さん、元気にお過ごしでしょうか。熱中症で運ばれるニュースが相次いでいます。山口真理子さん調べによると、熱中症は次のような症状だそうです。「・めまい,顔のほてり、・筋肉痛,筋肉のけいれん(こむら返りなど)、・身体のだるさ,吐き気、・汗のかき方の異常(拭いても拭いても汗が出る、逆に全く汗をかかない)、・体温が高い,皮膚の異常(赤く乾いている)、・呼びかけに反応しない,まっすぐ歩けない,ひきつけー重度、・水分補給ができないー危険!」
 年報23号(編集長・李正連さん)の原稿締め切りの時期となりました。酷暑のなかの原稿催促、申し訳ないのですが、関係の皆さん、どうぞよろしくお願いします。韓国「平生教育、この1年」については、韓国フォーラム・メンバーによる共同執筆。この間、活発な論議が重ねられ、まとめの作業が終わって成稿となった由(上掲・小田切メール)ご苦労さまでした。
 「やんばる対談」のテープ起こし、「進捗状況は如何?」のメールを出そうと思っていたところに、山城千秋さんから作業終了のメール(上掲)拝受。有難うございました。中心の稲嶺進・前市長や島袋正敏さんの発言部分の加除訂正は名護側にお願いする(正敏さんと電話打ち合わせ)。訪問側の修正は小林がザックリと手を入れ、主要な発言者に送付して点検していただくことにし、最終原稿に仕上げるようにしましょう。解題は、山城千秋さんにお願いします。
 年報23号は、秋の日本社会教育学会(会場・名桜大学@名護)で発売される予定。この機会に、これまでの「やんばる対談」記録(1〜11)を合冊にして刊行し、学会会場で頒布してはどうかの案が出ています。印刷経費などの検討を始めていますが、上野景三代表のその後の判断はいかがでしょうか。内容は、10年の記録をそのまま活かすことにし、新しく補充しない、序文(刊行経過)・総目次・年表・地図など数ページを加える程度で1冊(約300ページ)にする案。もともと年報「東アジア」をめぐる固い諸論稿のなかに、柔らかな「ゆんたく」(息抜き)ページをという対談企画、合本にする価値があるかどうかを含め、忌憚のないご意見をどうぞ。そろそろ方向を出す時期に来たようです。

3962号【 7月17日】
■≪七夕の会終わる≫
 この間、南の風の発行が間延びしていました。7月14日「七夕の会」、サッカーのワールドカップ準決勝・決勝、国内では博多山笠の「追山」(15日早朝の実況)など、夜遅く、というより朝未明まで起きて、テレビに付き合っていました。しかも世は猛暑、西日本豪雨の被害もひどく、いろいろあって、皆さんからの風への寄稿はまったくの閑古鳥。本号の編集も動きなく頓挫していたのです。
 さて、本号をどう組み立てるかと思案投首のところ、久しぶりに(神の啓示でもあったかのように)海を越えて中国福建から李斗石さんの便り(上掲)が届きました。懐かしい。「福建全民終身教育促進会成立10周年」とのこと。TOAFAEC 代表・上野景三さんから祝辞を出していただきましょうか。李斗石さんメールの添付を開くことができず、ワード・ファイルで再送をお願いします。
 7月14日(土)の七夕の会、今年も楽しい集いとなりました。数えて33回、江頭晃子さんはじめ世話人の皆さん、猛暑の中ご苦労さまでした。今年の遠来の参加者は、越後(魚沼)堀之内から森山丈順・森山みさのお二人や茨城鹿島の森下松寿さんなど。とくに森山みささん(地元の高校・美術教師)とは永くお会いしていませんでした。お出で下さって感謝!です。
 昨年亡くなった富美を偲ぶ機会にもなりました。3階の「風の部屋」はいま富美の遺品(衣服・小物類)の雑然たる展示室。皆さんに少しでもお持ち帰りいただきたいと願っておりました。私たちは、同じ家に住みながら、それぞれの領分に立ち入らない生活をしてきましたので、懐かしいものもありますが、初めて目にする品たくさん、あまりの多さに驚いています。こちらの領分では本・雑誌の類をあれこれ勝手に並べてきましたから、文句をいえる筋合いにはないのです。
七夕・二次会(20180714、風の部屋) 江頭晃子さん撮影


3961号【 7月11日】
■≪福地曠昭さんご逝去≫
 はじめに訂正。前号本欄に書いた「昭和53年水害」、正しくは1953年(昭和28年)水害の間違いでした。うっかりミス、お詫びして訂正します。
 沖縄教職員会(1971年に沖縄県教職員組合・沖教祖)時代から、屋良朝苗主席(復帰後に知事)や喜屋武真栄(参議院議員)を支え、自ら沖教祖委員長、革新共闘候補として県知事選挙に立候補したこともある福地曠昭(ひろあき)さんが亡くなられました(7月5日)。沖縄復帰運動を牽引したリーダーの一人。大宜味村喜如嘉の出身。1931年生れの同年生。
 私たちの沖縄研究の初期(1970年代後半)、拠点にしていた「久茂地文庫」(喜納勝代主宰)が旧沖縄教職員会館のすぐ前だったこともあり、よくお会いして、復帰前・米占領下の沖縄教育のことや、『村と戦争』をはじめとする著作多く、沖縄戦の実相についてもいろいろとお話をお聞きしてきました。
 大江健三郎をはじめとして、本土から沖縄に多くの文化人・評論家がやってきたが、復帰後は潮が引いたように来なくなった。「小林さんたちグループは、皆さんが来なくなったあとに足しげく通ってくるようになりましたね」と激励してくださった言葉を思い出します。教職員運動を基盤に、祖国復帰協議会(復帰協)の運動、沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会(代表)、沖縄人権協会(理事長)、教育振興会(事務局長)、県国際交流財団(副理事長)、とくにベトナムとの親善交流活動など、多彩な活動を担い、リーダーとして活躍されました。だんだん寂しくなります。心からご冥福を祈ります。
 手もとの写真から。上原文一さん(旧具志頭村社会教育主事)が立ち上げたNPO の発会式にて(2003年6月29日)。右より上原、福地曠昭、小林、名城(当間)ふじ子の皆さん。


3960号【 7月10日】
■≪豪雨災害お見舞い≫
 豪雨の特別警報、九州だけかと思ったら、むしろ中国・四国地方に被害甚大。大きな爪あと(西日本豪雨)、死者・行方不明の方の数も少なからず、予想もしない大災害となりました。被害の大きかった地方の皆様にお見舞い申し上げます。
 故郷・久留米の市中心部が広く濁水に沈んでいる映像も何度かテレビに出ました。久留米は筑紫次郎(筑後川)に抱かれたような町。豪雨が続けば、市内に降った雨があふれ筑紫次郎に流出できないのです。昔は「大水」(おおみず)と呼んで、何度も水害と付き合ってきました。「昭和53年水害」(当時大学4年)では、博多からの列車が鳥栖で動かず、胸まで水につかり、筑後川鉄橋を歩いて渡り、やっとの思いで家までたどりついた体験。生家は浸水に至らず無事。翌日は「九学連」として熊本救援に出かけたのでした。
 子どものころから大水への対処、生活の知恵を経験的に学んできたように思います。大雨・浸水の気配があれば、まず1階の畳をあげて積む、その上に濡れるとダメになるものを載せる、「大水がでたら水に困るぞ、飲み水を用意しておけ!」と言っていた祖父の声。
 しかしこれまでの経験や知恵では対処出来ない状況。豪雨・大水被害は生命に関わることではない、のどかな時代は激変したようです。高齢化も重なり、被害を受けた方々の悲痛な涙に暗然たる思い。他方で地域的な連帯を報じるニュースもあり救われます。
 7月14日(土)の七夕の会(再案内→■)にお出かけください。もし時間があれば、ちょっとだけでも「風の部屋」にお寄りを。富美の遺品を江頭晃子、山口真理子、田中美奈子さんが整理していただき、並べてあります。小さなものでもお持ち下さると、富美も喜ぶと思います。
 日曜(8日)の韓国研究フォーラム記録を呉・小田切のお二人から拝受しました。次号に掲載します。当日は午前中からの開会なのに、小生はのんびりして遅刻、失礼しました。

3959号【 7月5日】
■≪
今帰仁城の石垣崩落≫
 沖縄・西九州から日本海側を北上した台風7号は全国的に影響があり、思わぬ被害を残したようです。東京は今日(5日)もほとんど降らず、風もたいして吹きませんでした。沖縄では恵みの雨と聞いていたのに、昨日のニュースでは今帰仁城の、あの個性的な城壁が崩れたとか。驚きました。今帰仁城は、首里城跡などと共に世界遺産リストに登録された琉球史に名を遺す「グスク」の一つ。
 私たちのやんばる研究の初期には、沖縄ゼミの学生たちと一緒に名護や今帰仁の公民館を訪問したあと、備瀬の福木集落に寄ったり、今帰仁のお城の石垣に登って、お弁当を食べたりした思い出の場所です。目の下に今泊の集落があり、美しいリーフと東シナ海、はるかに国頭の山並みや伊是名・伊平屋の島々を望んで、「いま、沖縄にいるぞ!」という実感を楽しんだものでした。もっとも、崩落したのは、私たちが座り込んだ北側の城壁ではなく、東側の今泊川?に面する側のようですが、やはり台風はいろいろお土産を残すものですね。今帰仁の皆さんにお見舞い申しあげます。
 南の風は4000号に近ずいて、ようやく終幕かと思っていましたが、載せるニュース・記事が拡がって、むしろ忙しくなってきました。本号よりご覧の通り【断章・ひとこと】と【学会など案内】の二つの欄を設け、折にふれて掲載することにしました。しかし収録ミスも増えて面目なし。李正連さん(年報編集長)のお名前を一字ミスしたり、7月57日など、とんでもない暦をつくったり・・・。ホームページにも(ときどき更新・点検)ミスあり、見つけては慌てて急ぎ修正しています。もしお気づきのことあれば、ぜひ教えてください(人助けです)。修正や写真のご意見もどうぞ。米寿の年齢でホームページを運営するなど、もってのほか!と自らを叱っていますが、ま、ないよりましだろうと、のんびり続けることにしています。

3958号【 7月 1日】
■≪海を越えての研究対話10年≫
 韓国へ帰国する日程を延ばして私たちの研究会にヤン先生(公州大学)が参加くださいました(6月29日、第251研究会)。銘酒・安東焼酎などお土産ご持参。懇親のイーストビレッジでは安東の芳香がただよい、それだけで酔った気分。酔いの中でこれまでのこと、あれこれ思いおこしていました。
 ヤンさんが私たちの研究会に初めて参加(わざわざ公州から、まったく個人的な負担での来日)されたのは、2009年5月。たしか日本社会教育法60年記念の研究会(第150回記念の定例会)でした。その翌日、川崎で中国研究者を含めてヤンさんを囲む昼食会。この場で画期的な「東アジア(生涯学習)研究委員会」(日中韓の研究交流ネット)をスタートさせたのでした。ただし、いまは残念ながら開店休業中。
 その翌年に上海で日中韓(三国)国際研究シンポ(於・上海外語語大学)を開催する運びとなり、ホテルで深更まで、今後の日韓両国の日常的な研究交流を定着させていきたいと語りあった思い出。この上海フォーラムの反省もふまえて、2016年に再び上海で、そして昨年の佐賀「東アジア」研究フォーラムが開かれてきました。今秋はヤンさんのご努力で、公州での東アジア研究フォーラム開催が準備されています。
 この10年、私たちは確かな足取りで歩んできた、という実感。研究会でも親しい研究仲間としての語り合い、遠慮のない論議もできて、思い出深い夜となりましたね。ヤンさんの心意気、李正連さんのさりげないご配慮、カムサハムニダ!
 本号には久しぶりに山本健慈さん(国立大学協会)からメールをいただき、有難うございました。日本の教育政策とくに社会教育政策の貧困・退行の憂うべき状況について、どう脱皮への論議をつくっていくか。そのうち折をみて、私たちの研究会で山本健慈さんのお話をお願いしたいものだと話しあっています。ご多忙でしょうが、話にのってください。
6月定例会。黄・林・山口(香)・瀬川さんなど退出後、左2人目にヤン先生(イーストビレッジ、20180629)


3957号【 6月30日】
■≪明日は6月定例研究会≫
 TOAFAECでは 毎月最終金曜日夜に定例の研究会を開いてきました。すでに23年の蓄積、明日は第251回めの定例会を数えます。韓国からヤンビョンチャン先生(公州大学教授)を迎えてお話をうかがいます。新しい文在寅政権の誕生、この1年にどんな展開がみられるのか、お話が楽しみです(再案内・上掲)。
 ヤンさんとは、昨年8月に『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』(エイデル研究所)の出版祈念会(相模原)でお会いして、ほぼ1年ぶり。あの時期は当方まだ入院前でしたが激しい腰痛。この間に佐賀で開かれた東アジア生涯学習研究フォーラム(昨年12月)に来日され、しかし当方は入院中で参加できず。そう言えば、佐賀の帰りには福岡油山(主のいない)書庫に寄っていただいたのでした。1月にお見舞い・退院祝いメールも拝受。ありがとうございました。なんとか復帰の努力を重ねています。積もる話がいろいろ。
 私の退院からもすでに半年が経過、早いものです。この間、花の季節が過ぎ、緑の風をうけながら、今は梅雨から早や夏の季節。もとのような、走り回れる体に戻ることは出来ませんが、なんとか(杖をつきながら)近場の研究会には、皆さんに伍して参加できる程度に恢復いたしました。明日の研究会には、再会を喜び、乾杯いたしましょう。
 とここまで書いてサッカーを見てうたたね、朝起きてみたら、島袋正敏さんからメール拝受(上掲)。「文人先生のトーカチ祝いも市民有志の小さな実行委員会で楽しみながらやります。26日夕方、名護博物館にて文人先生トーカチ祝い実行委員会をもち、10月5日(金)夕方6時30分(会場・城公民館)を決めました」と。冥利に尽きるとはこのこと。
 もともと本号は「明日29日は6月定例会ですよ!韓国からヤン先生が見えます、皆さん、お誘いあわせの上お出かけくださ〜い」(上掲・再案内)の呼びかけ号でした。

3956号【 6月25日】
■≪73年目の摩文仁≫
 6月23日・沖縄「慰霊の日」。摩文仁の「沖縄全戦没者追悼式典」式典では、「平和の詩」を読み上げた(というより叫んだ!)中学生の声が印象的。「鎮魂歌よ届け、悲しみの過去に。命よ響け、生きゆく未来に」と。参列者のなかには涙する人もあったようです。
 久しぶりに姿を現した翁長県知事は、闘病生活・病み上がりの故か痩せて見えました。しかし「平和宣言」の声は力強い。とくに「東アジアをめぐる安全保障環境」が大きく変化していること。緊張緩和に向けた平和への動きが始まっている、それだけに辺野古新基地建設が、民意を顧みない工事というだけでなく、東アジアの平和の動きに逆行していることを強調。まったくその通り!
 私たちの沖縄研究。振り返ると1978年から毎年「沖縄を知らない学生たち」を連れて、ほぼ毎年(年に数回)沖縄に旅してきました。近年は必ずしも学生ゼミではなかいけれど、中国人(華東師範大学など)も韓国人(黄宗建氏など)も、初めての訪沖者には摩文仁を案内したものです。まず「魂魄の塔」でお線香をあげ、ひめゆり・健児の塔などをまわりました。昔の旧平和祈念資料館で沖縄戦「証言」を読みあった年もありました。
 新聞各紙を開くと「慰霊の日」前後には沖縄戦に関連する新しい記事。今年の朝日新聞は、鉄血勤皇隊に動員された沖縄男子師範学校、その校長・野田貞雄氏(摩文仁海岸で死亡)と軍司令官・牛島満中将(摩文仁丘で自決)、それぞれの遺族(いずれも孫の世代)が沖縄に通っていることを報じていました(6月20日記事等)。
 摩文仁に林立する慰霊塔、ひときわ目を引く「島守の塔」があります。1945年1月、死地に赴くようなかたちで最後の沖縄県知事に赴任した島田叡(あきら)氏の慰霊碑。神戸の出身、旧制三高・東京帝大では野球部、その後は内務官僚の道へ。人生の最後に沖縄県知事。沖縄戦では「生きろ!」と呼びかけながら自らは摩文仁海岸で死亡。このたび、島田県知事の顕彰事業の会では、島田氏が行方不明となった6月下旬を「島守忌」と季語に位置付け作品を募集したそうです(琉球新報6月18日記事)。600人近くから俳句が寄せられ、最高賞には「島田忌の御霊へ灘の生一本」(古波蔵里子さん、83)。高校生の部「島田忌や叢雲(むらくも)は雨出しきつて」(興南高校3年・安里恒作さん)が選ばれたとのこと。

3955号【 6月21日】
■≪農中『だけど だいじょうぶ』出版≫
 故郷・久留米。生まれた家は、戦時下の強制疎開で(日本陸軍により)引き倒されましたが、その後(1944年、旧制中学に入った年から)住んでいた自宅が、まだ残っています。明治時代の古民家、いまも妹(4歳下)が居住。亡父の古い蔵書を含め、今後どうするかなど相談の要あり、次の妹(東京浅草)とも日程を合わせて帰久してきました。18日の地震当日、こちらは空を飛んで大きな遅れはありませんでしたが、飛行機に乗らない次妹は新幹線、ほとんど動かず、久留米に着いたのは午後9時だったとか。こちらは、夜は福岡油山に移動していましたので、とうとう会わずじまい。
 農中茂徳さんが車で運んでくれて助かりました。仕上がったばかりの新著『だけど だいじょうぶ−「特別支援」の現場から』(福岡・石風社)を拝受。2年前『三池炭鉱、宮之原社宅の少年』(同)を上梓したばかり、あいついでの執筆活動、あざやかなお手並みに敬服しています。昨日(6月20日)の朝日新聞・広告欄(1面下段)の冒頭に農中本が登場。出版社の力の入れようも相当なもの。曰く「障害のある子どもたちと、くんずほぐれつ心を心を通わせていった一教員の実践と思考の軌跡を、生き生きと綴る」とあります。
 帰りの飛行機の中で読み始めました。一部は福岡県人権・同和教育研究協議会の季刊誌で既読のものもあり、楽しみながらページめくり。教師の実践記録の枠をこえたユニークな1冊、独自なメッセージあり、なによりも「障害」をもつ子どもたちとともに生きる思想がしみじみ伝わってきます。ウナギのかばやき、ハマチのさしみ、ゆでダコづくりなどの授業に驚きます。一緒に旅したベルリン、ケーテ・コルヴィッツの話も出てきて懐かしい。1冊(本体)1800円。次回の定例会に数冊持っていきましょう。

3954号【 6月18日】
■≪石川敏さんを偲ぶ会≫
 今回の台風6号は、沖縄にたくさん雨を降らしたそうで、やんばるの大地も少し潤ったようですね。本土の気象報道ではしきりに被害を心配していましたが、「世果報の雨タボーり」(3952号)の願い、きっと皆さん笑顔なのではないかと想像しています。嘉納英明さんからは早速に絵本『82さいの中学生 はっちゃん』のメール(上掲)をいただき、有難うございました。16日の珊瑚舎スコーレ(星野さん)とのトークイベント、台風で流れるかも?とありましたが、無事に開かれたでしょうか。
 群馬笠懸の石川敏さんが亡くなられて、5月13日「偲ぶ会」が開かれました。その記録を石原照盛さん(邑楽町)から送っていただき感謝!です。昨年末の「ビンさん」訃報は入院中のベッド上で聞き、今回の「偲ぶ会」はあいにく亡妻の納骨(九州・久留米)と重なって、葬儀にも偲ぶ会にも失礼してしまったのです。ビンさんを偲ぶメッセージを送る機会も逸し、申し訳ない思い。ぶんじんとは1931年生まれの同年生、ちょうど半世紀にわたるお付き合いでした。書き残しておきたいことがいろいろありますので、そのうちに本欄に書き、ホームページ追悼欄に載せることにいたしましょう。
 送られてきた「石川敏の公民館論」(偲ぶ会)には20枚ちかくの写真が掲載されていますが、冒頭の1枚(p1)は、ぶんじん撮影になるもの。1971年の第11回社会教育研究全国集会(東京・読売ランド)の会場近く、吉田昇、福尾武彦、横山宏、野呂隆などの社全協メンバーとのスナップ。左端の精悍な顔(石川敏)が、近年の温容あふれるビンさんと重ならず、本人に確かめて、キャプションに名前を書き入れたのでした。血気あふれる情熱といつも笑顔のやさしさを持ち合わせた人でした。(写真はホームページ「古いアルバム」5に収録)→■http://www.bunjin-k.net/albumhoridasi.htm
左・石川敏、野呂隆、福尾武彦、吉田昇(社全協委員長)、佐久間章、横山宏、酒匂一雄の皆さん


3953号【 6月15日】
■≪韓国の統一地方選挙、名護からの便り≫
 上掲の韓国研究フォーラム・メンバーからはやや興奮気味のメール。6月12日・世界が注目した米朝首脳会談。そして翌13日は韓国の統一地方選挙の日。首脳会談に多くを占められて地方選挙の結果は小さな記事ですが「革新(進歩)与党の圧勝、保守系代表辞任」(朝日15日記事)。ソウルはもちろん朴元淳市長の3選、保守系が強かった第2の都市プサンでも「共に民主党」呉候補が勝利(1995年に始まった地方選挙で初めて)。同じく慶尚南道の知事も接戦の末、革新派が制したと。同時に行われた国会議員補欠選挙では、12選挙区のうち11を革新系が勝利したそうです。韓半島では何かが始まっている。
 さて、名護・島袋正敏さんから、前号(3852号)の記事、数字の訂正あり。「文人先生 すみませんが「2022年には12,000万人」は、1200万人の間違いでした、訂正願います」と。当方(編集)も気づきませんでした。
 あと一つ、名護・名桜大学(今年10月の日本社会教育学会の会場)嘉納英明さん(教授)の「絵本づくり」ニュース。「戦中・戦後の混乱期で学校に十分通えなかった女性が、80歳にして学ぶ機会を得て学校に通い、義務教育終了の証書を受け取った物語が絵本になった」(琉球新報、6月11日記事)。「主人公となったのは沖縄市に住む嘉納初子さん(85)、タイトル『82さいの中学生 はっちゃん』(沖縄時事出版)。嘉納さんの息子の英明さん(55)が作者」。お二人の大きな写真入りの記事です。ご存知の通り、嘉納英明さんは南の風メンバー、ぜひ絵本づくりご紹介のメールをいただけませんか。

3952号【 6月12日】
■≪勝連・上江洲安吉氏ご逝去≫
 久しぶりに風の部屋で韓国研究フォーラム(6月10日)。日曜日なのに、皆さんご苦労さまでした。新しいメンバー金亨善さん、南の風にも参加(上掲)歓迎です。韓国フォーラムとくに若いメンバ−には酒豪が多い、将来が楽しみです。ワインとともに、話題は多岐にわたり、寺中構想のこと、鈴木健次郎の公民館普及の役割、さらには下村胡人の煙仲間や「白鳥蘆花に入る」などにも及びました。歌はなんと!美しきパリの五月。
 席上ご紹介されたこと、6月末に公州より梁炳賛先生が来日されるとのこと。6月の定例研究会は「梁(やん)先生を囲む会」を企画することにしようということになりました(上掲)。願ってもない機会、「ご案内」(李正連さん?)風にどうぞよろしくお願いします。6月29日(金)、定例会の前に編集委員会も予定されていますね。
 ところで、旧勝連の教育長・上江洲安吉さんの訃報、TOAFAEC 総会(6月2日)の席で岡幸江さん(九州大学)よりお聞きしました。9日の沖縄タイムス・コラム[大弦小弦]が追悼記事、本号「おきなわ短信」(1336)に載せました。何度か勝連で教育長室や「肝高ホール」でお会いしました(写真)。ご存知の方も少なくないでしょう。伝統的組踊に逆臣と描かれてきた郷土の豪族「阿麻和利」のイメージを、肝(心、志)の高い、民に慕われ、地域が誇る英雄として蘇らせ、現代版組踊を構成(平田太一・和光大学卒)、若者たちが躍動的に演じてきたのです。東(あずま)武さん(復帰時・沖青協会長、勝連・平敷屋エイサー保存会)のことも思い出しました。勝連城跡をライトアップし、そこで演じられた「肝高の阿麻和利」の感動は(若者たちだけでなく)地域の皆さんがいつまでも忘れないことだそうです。
左・上江洲安吉氏(勝連町教育長・当時)と小林、同教育長室にて(20031002)

「肝高の阿麻和利」公演、前列でスピーチするのは平田太一さん(さいたま市、20031002)


3951号【 6月8日】
■≪あれから29年≫
 6月4日に風(3950号)を出したのに、TOAFAEC 総会の記事であふれ、天安門広場「六・四」事件については何も書かずじまい。1989年、中国共産党の改革派指導者・胡耀邦の死去(4月)、その追悼のため学生たちは天安門広場に集まり、これが大規模な民主化要求へと発展。6月3日夜から武装の軍部隊が出動し、4日には武力で制圧。当局発表では死者は319人と。しかし「昨年に機密解除された英国の外交文書には、北京にいた大使の電報として、少なくとも1万人という記載があるが、真相はなお不明」(朝日新聞記事、6月4日)。そして29年、当時のことをなまなましく思い出します。
 あの年、1ヶ月前の5月「国際労働節」(メーデー)をはさんで、私たちは中国にいました。川崎・大阪など大都市教育支部労働組合の皆さんと、故海老原治善さん(東京学芸大学教授・当時)やぶんじんなど大学関係者による訪中団。若い世代では上野景三さんも加わって、一行15名前後か。訪問先の瀋陽(川崎の姉妹都市)では師範大学寮で学生に取り巻かれたり、騒然たる西安では市中に入れず、肝心の天安門広場は厳戒体制、メーデーのパレードなどもちろんなし。帰路は上海。まだ「業余大学」の時代でした。古い建物を憶えています。
 帰国して(多分?)5月20日前後に、研究室では恒例の春合宿(勝沼)でした。緊迫している天安門の毎夜の様子を中国留学生たちは固唾をのんで報道(香港経由?)に聞き入っていた姿、みな真剣でした。あの頃、小林研究室はたくさんの中国留学生が群れていた。その後、アメリカに渡った牛剛など、どうしているだろう。合宿では、翌日に大菩薩峠を経由して帰った記録あり。3年後の春合宿、同じ峠で撮った写真1枚が出てきましたので下に掲げます。夏、林、朱、金、許など(中、韓、台)留学生の皆さん、梶野、内田、吉田など日本人院生。若いころの顔々、懐かしの1枚です。
東京学芸大学・研究室・春合宿 (大菩薩峠、1992/05/17、ぶんじん撮影)



*南の風3901〜3950号(前ページ)→■

                    TOP
月桃の花(八重山、200705)