【南の風2016】発行リスト・3651号〜3700号
各号目次一覧・後記(ぶんじん日誌)

                                      
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*南の風3601号〜3650号■
  
【南の風2016年】3651号〜3700号・目次一覧

3651号【4月11日】年報21編集会議、「やかんばる対談」楽しみ、伊江島「集団自決」碑、研究共同体の夢に
3652号【4月13日】中日韓国際シンポ、風の部屋、韓国フォーラム、普天間返還合意20年、懐かしの1枚
3653号【4月15日】今年の日韓学術交流大会、韓国総選挙、久辺3区アンケート、松本では、熊本に大地震!
3654号【4月17日】熊本大地震・大学に避難、4月15日, 熊本城(大弦小弦)、小倉にて、悲しみの雨が降る
3655号【4月19日】風に参加、ふるさと大分、ふるさと熊本、大丈夫だったー大分、南の風・再生の舞台裏
3656号【4月21日】「やんばる対談」(ユンタク会)、東京研究フォーラム(31)報告、疎開児童の切なさを胸に、
3657号【4月22日】熊本は余震に大雨、全国進路指導研究会、とびたつ会ニュース、那覇で会いましょう
3658号【4月26日】日本環境会議沖縄大会、夜間中学公開授業、長野・公民館タウンミーティング、那覇にて
3659号【4月27日】やんばる対談ご苦労様、23/24日記録、石垣島自衛隊配備計画、ヤンバルの雨暖かく
3660号【4月28日】後藤新平の少年団資料,対談・貴重な出会い,大弦小弦、名護民話の会記録、カメラ
3661号【5月 1日】義務教育機会確保法・国会上程、29日朝日記事、台湾2・28事件、5月定例会の提案
3662号【5月 3日】第32回東京研究フォーラム、やんばる対談(1)、東京の日本語、名護社会教育は元気か
3663号【5月 5日】NHK夜間中学特番、映画「飯舘村の母ちゃんたち」、やんばる対談(2)、介護の仕事
3664号【5月 8日】64韓国研究フォーラム、町田、鳩間島音楽祭、6月総会会場、東京社会教育史・5年
3665号【5月10日】東京研究フォーラム、基礎教育学会準備会第七回@北海道大学、自分・地域・社会史
3666号【5月11日】第3回編集会議、「こんばんは」上映、『夜間中学での学び直し』NHK、忘れさせない沖縄
3667号【5月14日】熊本大地震1ヶ月、基礎教育保障学会準備会、沖縄県議選‐石垣島、消えたフォルダ
3668号【5月16日】228定例研究会案内、64韓国フォーラム報告、東京・韓国−二つの本・完成に向けて
3669号【5月18日】33東京研究フォーラム、復帰44年・辺野古では、識字・基礎教育研究・回想(1)、魯迅と
3670号【5月19日】「教育機会確保法」継続審議へ、ロンドン大学中国研究院、わんさか大浦パーク、総会
3671号【5月22日】 2016年度総会案内、台湾新総統誕生 町田とびたつ会、生涯設計実現せず・福岡油山
3672号【5月23日】
長野阿部知事の公民館ミーティング、東京の公民館史について、三池宮原社宅の少年
3673号【5月25日】うどん学校40周(奈良)、オール沖縄会議、沖縄の怒り、事務局174、名護やんばの出版
3674号【5月27日】基礎教育保障学会準備HP、沖縄苦渋の報告、沖縄の慟哭、在沖米海兵隊の撤退決議
3675号【5月29日】総会案内、基礎教育保障学会準備世話会、被災地に寄り添う、名護社会教育の歩み
3676号【6月 2日】第34回東京フォーラム,文花中夜間学級公開、下伊那テーゼ50周年報告集、5月末日
3677号【6月 5日】65回韓国研究フォーラム、速報5.31議連合同総会、沖縄・被害女性の通夜、総会終わる
3678号【6月 7日】6月定例研究会、5月研究会報告、沖縄県議選与党大勝、新事務局長、カメラ蘇生
3679号【6月10日】日本語教育を考える会、町田とびたつ会、事務局コーナー176、基地構図、風の部屋の
3680号【6月13日】つるみえんぴつの会ボランティア、沖縄参議院選、事務局コーナー177、内部のメール
3681号【6月15日】東京編集会議報告、存在した証し(琉球新報コラム)、事務局(178)、短夜のつれづれに
3682号【6月17日】6月定例会出席予定、本部生まれの名護マサー、識字研究への道(2)、名護からの訃報
3683号【6月20日】総会報告、65回韓国研究フォーラム、読谷村瀬名波・恨之碑、「炭掘る仲間」、訃報続く
3684号【6月21日】24日研究会案内、飯田主事会報、「学び続けたい」NHK、沖縄県民大会、農中風の記録
3685号【6月23日】7月「七夕の会」お誘い、アドレス変更・諸メール落掌、名曲「童神」、今年も七夕の季節へ
3686号【6月24日】
新事務局長挨拶、総会報告、維持会員の皆様へ、掘っ立て小屋(沖縄タ)、風の配信もれ
3687号【6月26日】出版祝賀会報告、66韓国フォーラム、「肝苦さん」に包まれた慰霊の日、半世紀の歳月
3688号【6月28日】基礎教育保障学会・設立大会、15年間探していた人、追悼の6月22日、7月研究会へ
3689号【6月29日】7月定例研究会、蔡温の揺るぎない信念、年報の大学図書館所蔵、7月24日編集会議
3690号【7月 3日】目取真俊国賠訴訟、つるみえんぴつ会、往復メール、まだ間に合う・新報、47年前の写真

3691号【7月 6日】基礎教育保障学会準備会8,韓国フォーラム66、八重山「戦争マラリア」、定例は編集会議
3692号【7月 9日】『大都市東京の社会教育』、韓国ヤン先生、町田、若者の政治への関心、名護じーる
3693号【7月11日】第66回韓国生涯学習研究フォーラム報告、写真、「名護のじーる」健在、あのとき青春
3694号【7月12日】七夕・再、「あとがき」原稿、海上基地建設の是非を問う、豊後の青年団運動、吉田兄弟
3695号【7月13日】『大都市・東京の社会教育』校正会議@、「こんばんは」上映,、永さんの問い、刊行近し
3696号【7月15日】
年報編集・7月研究会案内、全夜中研松戸研修交流会、高江に機動隊500人、あと5号で
3697号【7月17日】引き続き風を、7/30全夜中研研修交流会2、卑怯なコウモリ、中根章さん逝去、七夕の会
3698号【7月19日】日本公民館学会7月集会(京都)に参加して、事務局コーナー(181)、学会の清新な論議を
3699号【7月21日】七夕、学会8回準備、沖縄ジァンジァン、『東京社会教育』物語(1)。故黄宗建先生10年忌
3700号【7月24日】
日韓学術交流大会の日程変更、川崎・富川交流、町田、沖縄青年団気質、昭和一ケタ代

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南の風・各号後記(ぶんじん日誌)



3700号【2016年7月24日】
■≪昭和一ケタ代の訃報≫
 諸事(多難)相次ぎ、「南の風」編集の時間がとれない状況。このところ来信がなかった岩本陽児さんから突然3通(2通目・上掲)の便りが寄せられました。オヤオヤ・・と拝読。「風」掲載に混乱があるやも知れず、あってはならじ、と心しながら本号をつくっています。はるかな道を旅して本号は3700の節目。どこまで続く“ぬかるみ”ぞ、と昔の歌をうたいながらの作業。もし風記事に脱落などあれば(ご寄稿の方)ご一報ください。
 最近は昭和一ケタ代(80歳代)の訃報が続き、寂しい思い。沖縄では、既報(3697号)のように、中頭青年団OB会長・中根章さん(享年84歳)が亡くなられました。沖縄各紙(琉球新報、沖縄タイムス)に偲ぶ記事が掲載されています。ご本人の人柄が反映されて、それぞれに切々としたいい文章。両紙ともに中根さんの青年団運動に触れているところに、あらためて戦後沖縄史とくに復帰運動・地域活動に占める青年団運動の比重の大きさを教えられます。
 躍動し活気あふれる運動のスタイル。たとえば上掲(琉球新報コラム「金口木舌」)「・・2012年末、オスプレイ撤去を求めるサウンドデモを思い出す。音楽に合わせ、宜野湾市の国道58号を歩いた。足取りに年齢を感じたが、こんな楽しいデモはない、平和の歩みだ、と意気盛んであった」と。このとき中根章さんは80歳。あらためてご冥福を祈ります。

3699号【2016年7月21日】
■≪故黄宗建先生の10年忌≫
 この5年来、みんなで取り組んできた「東京社会教育史(現代史)」の出版がようやく確定し、8月・全国集会に間に合わせようと版元・エイデル研究所(山添路子さん)は、おそらく夜も寝ないで、いま最終作業中。前にも書きましたが、書名『大都市東京の社会教育−歴史と現在』(同編集委員会編)、編集委員会10数名、執筆者50名にのぼる大型本となりました。
 この種の大規模作業の本づくりは、これまでにもいろいろと思い出に残るものがありますが、今回はまた格別。近刊予告の宣伝もかねて、この間のいくつかの歩みを「物語」風に書き残しておこうかと。(上掲)。
 さて昨日7月20日は、故黄宗建さんの10年命日でした。韓国研究フォーラム・小田切督剛さんのメモで思い出しました。ということは10年前の今頃『韓国の社会教育・生涯学習』(初版本)が世に出たのでした。なにしろ韓国「平生教育」に関する初めての本格的な出版、その第一編者が急逝されたのです。訃報を聞いて、新本の表紙裏(実質・第1ページ)に追悼の一文、「深く頭を垂れて、本書をご霊前に捧げます」と書いた記憶。先生が眠る韓国中部の松林にお酒も捧げてお詣りしたのは2年後でしたが、そのときはじめて路上挨拶程度だったヤンビョンチャンさん(公州大学教授)とお会いしたのでした。ヤンさんは今年秋発刊予定・韓国本の第一編者。時代が動いていく実感しきり。ところで、金済泰牧師はお元気かしら。肥後耕生さん、久しぶりに黄先生・金牧師の思い出など、寄せていただけませんか。
 ぶんじんと同じ世代(昭和一ケタ代)の訃報が続いています。大橋巨泉さん(享年82)12日に逝去。永六輔さん(83)を追っかけるような旅路。永六輔さんの追慕の記事・番組もまた多く、沖縄タイムス・コラム「大弦小弦」(7月13日)をご紹介しました。(上掲)
*HP更新にトラブルあり、本欄などのアップはすこし遅れます。ご了承を。、

3698号【2016年7月19日】
■≪学会の清新な論議を≫
 日本公民館学会七月集会が7月16日(土)「公民館設置次官通牒70年」をテーマに開かれました(京都府立大学・下鴨キャンパス)。ぶんじんは今なかなか外出・外泊が出来ず、東京を離れた学会企画にはほとんど参加できません。折あしく当日は当方の「七夕の会」とも重なり、そのせいもあって「南の風」には案内も載せず、失礼しました。日本社会教育学会「六月集会」と並んで公民館学会「七月集会」として軌道にのり、京都の地で盛大に開かれたこと、ご同慶の至り。ご参加の皆さま、お疲れさまでした。
 飯田市公民館(副館長)木下巨一さんから「七月集会に参加して」と題する長文のコメント(上掲)が寄せられました。有り難うございました。南の風は(どちらかといえば)短い文章好み。長文の場合、二つ三つに輪切りして、後半は次号以降にまわず慣わし。しかし木下レポート、なかなか輪切りできません。本郷は収録予定「七夕の会」報告,「おきなわ短信」(1151)などをはずし(【事務局コーナー(181)だけ残して)、全文を掲載させていただきました。
 最近は学会論議へのコメントやクリティークが少なく、とくに学会“若手”と呼ばれる人たちなど不在の感じ。新鮮な議論が伝わってきません。さびしい思い。その意味で、ある発言について「各地の実践についての知識が薄すぎる発言と感じて」(木下)などの指摘、貴重だと思います。「風」も案内だけでは吹き甲斐がない。とりわけ学会論議の清新な批判や論争的な動きなど収録していきたいもの。「皆様のお考えをお聞かせください」(上掲・木下)、ぜひ各位からのコメントを。

3697号【2016年7月17日】
■≪七夕の会終わる≫
 最近、ぶんじんと同世代の訃報が続きます。沖縄中頭(なかがみ)の青年団運動ひとすじ。同OBとしてお元気に活動されてきた中根章さん(写真)が15日未明、亡くなられました(上掲記事)。盟友の旧沖縄復帰協(事務局長)仲宗根悟さんの1周忌を前にして、悟さんが章さんを呼ばれたのではないかなど、東武さん(元沖青協会長)と電話で話したことでした。
 中根章さんは、沖縄(コザ)市の繁華街に事務所をもっておられました。中頭青年団OBのたまり場、私たちTOAFAECメンバーとの座談会(2007、2012年、いずれも年報に掲載)もここで収録されました。HPに掲げた写真は、ちょうど10年前、同事務所でのスナップ。闊達なお人柄に惹かれて何度もお邪魔した思い出。私たちは惜しい人を亡くしました。はるかにご冥福を祈ります。
 16日午後から夜、恒例の七夕の会の集いでした。ご参会の皆さま、有り難うございました。世話人の方々、ご苦労さま。とくに富美に付き添っていただいた江頭晃子・山口真理子のお二方、お世話になりました。小生は皆さんに甘えて、少々飲み過ぎ。カメラを持参したのに撮るのを忘れ、風の部屋の最後のところは、あまり覚えていないほど。帰宅してゴロンと横になり、目が覚めて、我ながら情けない朝となりました。松本の村田正幸さんからは、今年もまた信州・銘酒が届きました。お心遣いに感謝!
付記・カメラに数枚の七夕の会・写真を発見(忘れていた)。記録とともに→こちら■
左・中根章さんと。コザなかの町・中根事務所にて(20060531)


3696号【2016年7月15日】
■≪100号おき「風への便り」を≫
 「南の風」は、あと5号で3700号。この間(3600号以降)、100号を出すのに、ちょうど7ヵ月が経過しています。平均するとほぼ2日おきの配信。風のスタート(1998年〜)から1年200号の発行リズム(100号出すのに6か月)でしたから、やや緩やかに落ち着いてきたことになります。まずまず今日まで継続できていること、自分ながら驚き! なによりも皆様のご愛顧あってのこと、御礼申し上げます。
 今回の100号の間には、ホームページ(容量オーバー)の書き換え最中に愛用パソコンのクラッシュあり(1月末)、たいへんでした。救いの神の登場をお願いして、一時はパソコンまでお借りして急場をしのぎ、風・発行はまったくリズムを落とすことなく乗り切ることが出来ました。素知らぬ顔で風を吹き続けたことは妙な快感?でした。
 その後、容量が増えたホームページに、撤収していた写真を戻したり、新しいページ(たとえば「これからの公民館」1999、「世界の社会教育施設と公民館」2001、の総論・終章など)をつくったり、恥ずかしながら拙文のコレクションを補強する作業をしています。「ワープロ」時代のデータも少し再生。新しい文章ではありませんが。歳月を経て自戒もあり、新しい気づきもあり。→■
 あと5号で、100号おきの節目です。日頃ご来信のない各位からも、久しぶりの「風への便り」など頂ければ幸いです。

3695号【2016年7月13日】
■≪『大都市・東京の社会教育ー歴史と現在』刊行近し!≫
 前号に載せることができなかた7月10日・東京本(『大都市・東京の社会教育ー歴史と現在』)の校正会議@記録(井口啓太郎さん)、上掲の通り。
 仕事はまだ終わっていないが、「ひと山超えた」実感が伝わってきますね。「…5年近い長い登山もすでに頂上が見えて来たころ。たくさんの方にご協力いただきながら、そして多くの課題を残しながら、もうすぐひとつめの山を越えるところまで来ました。さて、この山の頂上からは何が見えるのか、その先にはどんな山が待ち受けているのか、そんな次の課題も話題になりながら、約2時間の議論でした。」
 8月下旬、東京で開かれる第56回社会教育研究全国集会に間に合わせようとこの数か月、みんなで頑張ってきました。執筆者50人、全体で500ページを超える大作です。いまエイデル研究所・山添路子さんが奮闘中。特別(割引)販価が3000円台におさまるように・・・努力中。南の風も販売促進・普及にまた一役かいたい(そのうち目次等を出して予約を・・・)と思っています。予約特価など考えていただければ幸い。
 7月24日(日)午後の年報編集会議(7月研究会をかねる)の案内をお急ぎください。やはり編集長から出していただき、各編集委員へ出席を要請してほしい。あと10日に迫りました。
東京本・校正作業1 (エイデル研究所、160510)


3694号【2016年7月12日】
■≪沖縄出身の吉田兄弟≫
 今次の参議院議員選挙のあまり楽しくない結果、たとえば社民党首(吉田忠智氏)の落選。このニュースが伝わって久しぶりに和歌山大学・渡部幹雄さん(図書館長)から来信あり。かっての大分県青年団運動の仲間だった由、それだけに残念なことでした。九州・豊後には青年団で力をつけた人たちの、世代から世代の、また地域をつなぐ独特の地下水脈の流れがあるようですね。追伸「沖縄出身の吉田嗣義さん」のこと、橋本祐輔・豊後大野市長の「お父さん達が吉田さんを緒方に招いた」話など、興味深い。
 「南の風」の新しいメンバーのために、少し解説を。下村湖人『次郎物語』ともかかわりがある沖縄出身の吉田兄弟。お兄さんの吉田嗣延さんはもと沖縄県の社会教育主事(方言論争の当事者)。戦後は南方同胞援護会(復帰後は沖縄協会)事務局長として沖縄と日本をつないできた人。私たちの沖縄社会教育研究会にも関心を寄せ、日本社会教育学会の研究会に来ていただいたことがあります(横山宏さんのご縁)。弟の吉田嗣義さんは、戦時下は千葉青年師範教授などを経て、戦後は大分県の社会教育主事へ。大分県青年団運動に力を注ぎ、1975年から請われて大分県緒方町に社会福祉法人「任運荘」設立。先駆的な特別養護老人ホーム経営で注目されてきた人です。間違いあれば渡部幹雄さんに訂正いただきましょう。(前にも同じことを書いたような?)
 7月10日の東京本・校正会議@記録を井口啓太郎さんから送っていただきましたが、長文のため次号にまわします。石川敬史さん「あとがき」案のご連絡のみ収録。編集事務局の皆さんで最終的に練り上げて下さい。

3692号【2016年7月11日】
■≪あのとき青春、いま盛春≫
 7月10日(日)参議院選・投開票日。投票を済ませて、市ヶ谷のエイデル研究所へ。東京本『大都市・東京の社会教育−歴史と現在』(書名確定)編集会議でした。初校ゲラを見ながら目次点検や諸打ち合わせへ。足かけ5年の本づくり作業、ようやくここまで来たかの実感。その意味で嬉しい日でした、軽く一杯?というより、盛大に叫んで乾杯!したい気分。
 1980年代初頭から市ヶ谷・エイデルには『社会教育・生涯学習ハンドブック』編集などでよく通ったものでした(初版は代々木駅前)。ハンドブックだけでなく、その後いろんな本づくり、思い出ふつふつと蘇って懐かしい。疲れてはいても、いつも張り切って、何かを叫んでいた感じ。すでに50歳をこえていたのに、あのころ青春だったのかもしれません。そして今でも「盛春」でありたいと願っているのですが。
 帰宅すると、もう参議院選開票速報のテレビが始まっていました。飲みながら、結局ほとんど朝まで付き合って、あまり楽しくありません。
 沖縄は伊佐の勝利、島尻(大臣)の落選。大差の結果(上掲)は当然のこと。しかし社民党は豊後出身の吉田党首(比例)が2人目の枠に入れず落選。残念ですね。渡部幹雄さんのことを思い出した。
 本号には小田切さんから8日・韓国研究フオーラムの報告と、松尾さんからの写真をいただきました。有り難うございました。HPごらんください。
韓国(66回)研究フオーラム(風の部屋、160708)


3691号【2016年7月9日】
■≪名護の「じーる」≫
 昨夜は韓国平生学習研究フォーラム(第66回、風の部屋)でした。午後5時から食事もとらないで、飲み物はしっかりとって、遠慮のない議論あれこれ。この夜は小田切督剛さんから、ハングル−日本語への訳出の上で留意すべき語句「凡例」がたくさん出され、ずいぶんと勉強になりました。平生、文解、参与、マウル、工夫洞、共同体など興味深い解説も。ハングル「契」は「無尽」と訳されていますが、むしろ「模合い」(沖縄) 「(頼母子)講」(日本)などの訳語がいいのではないか・・・とか。
 折しも、山口真理子さんから「じーる」の表紙が送られてきました。なご民話の会の記録誌。「もし、お使いになるのでしたら」(Fri, 08 Jul 2016)と。有り難うございました。添付しました。
 「じーる」とは「地炉」のこと。首里・那覇には見られず、やんばるなど農村部に、土間や床に掘られた(切られた)炉。そのまわりを、おばあ・あんまぁと童たちが囲んで、昔ばなし・わらべ歌を聴いている版画。いい表紙ですね。
 名護十字路ちかくのアーケードに、むかし「じーる」という店がありました。2階にあがると、名護のまちの応接間のような雰囲気があって、ゆったりとくつろいで、いろんな人と出会えたものです。名護んちゅ(名護の衆)とはもちろん、東京などからやってきた大和んちゅとも。たとえば当時NHKカメラマンだった桑原重美さんとは「じーる」で初めて出会ったことを憶えています。
なご民話の会・創刊号表紙(160630)


3691号【2016年7月6日】
■≪7月研究会は編集会議として≫
 7月定例研究会は、年報第21号編集会議として開催することになりました。編集長(高知)やTOAFAEC 代表(佐賀)の上京スケジュールとの関係で、定例日(最終金曜日)ではなく、7月24日(日曜日)午後に変更(上掲)。会場もいつもの高井戸ではなく、永福和泉地域区民センター(永福町駅下車)となりました。追って編集長から「ご案内」が届くはず。「沖縄・東アジア」社会教育に関する論議と編集、ご関心ある方、初めての方も参加歓迎、お出でをお待ちしています。
 超多忙な7月が始まりました。と言っても、すでに1週間が経過、驚くほどの慌ただしさ。東京本(『大都市・東京の社会教育−歴史と現在』書名確定)の第一次校正作業、韓国本(『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』新版)の最終チェック、加えてTOAFAEC 年報第21号編集会議へ向けての取り組み(やんばる対談の原稿化)などなど。それにしても重なり過ぎですね。蒸し暑い毎日がことさらに暑苦しい。関係の皆さん、ひと踏ん張り!頑張りましょう。
 東京研究フォーラムによる校正作業(7月10日予定)の「ご案内」(日時・会場など)をどうぞよろしく。当方が見落としているのかも知れませんが、この種の案内、間髪を入れず「風」に掲載できれば、元気も出るというもの。韓国研究フォーラムご案内は上掲の通り(66回、7月8日5時〜、風の部屋)。お待ちしています。
 いま、東京本・校正作業の息抜きに本欄を書いています。当初(4年前)は小型の本でもいいからと(4年前)企画を始めた東京社会教育“現代史”。かなり大型化して500ページをこえる大作?にふくらみました。版元・エイデル研究所に無理をお願いして、8月下旬出版にこぎつけようと奮闘中。当方はそのうち70ページ余りのゲラを前に、うんうん唸りながら、アカを入れてはため息をついて・・・わが身の非力と視力の衰えを自嘆自嘲している数日。

3690号【2016年7月3日】
■≪47年前の写真≫
 前号本欄の林貞樹さん(福岡)訃報、偲ぶ記事の続き。林さんにはあと一つ本がありました。5年前に出された川柳エッセイ集です。風2675号(2011年5月11日)に次のように書いています。
 「このほど林貞樹さん(1964年〜福岡市公民館主事、社会教育主事、旧公民館職員協議会・市職員労働組合等で活躍)より、新著『道程−ことばを紡いで二十年』(2011年5月刊、新葉館出版)が送られてきました。・・・ 1990年に膠原病を発症されたのでした。病と付き合いながら始めた川柳の道、それから二十年の歩み。新著『道程』を開いて、見事な“新しい風景”が見えてきました」と。前著「公民館主事」30年と合わせて、なんと!50年の歳月。元気な作句活動、川柳を通してのボランティア活動、本には東北大震災の犠牲者を悼む一章・20句も加えられていました。
 林さんの写真を探していたら、思わがけず「古いアルバム−掘り出しもの・4」の1枚を見つけました。林さんが中心に写っている1969年の画像。社会教育推進全国協議会(社全協)が初めて東京を離れて開いた第1回全国運営委員会(蒲郡)。林さん(右から4人目)は福岡を代表するかたちで参加。宿舎の前で撮った貴重な記念写真です。初代事務局長・野呂隆さん(東京)、2代目の飯塚達男さん(千葉)。左端の徳永功さんの後ろ、野呂さんとの間にぶんじんも。ほぼ半世紀の歳月が流れています。林さんんのご冥福を祈りつつ。→■(bS キャプション参照を)


3689号【2016年6月29日】
■≪7月研究会日程・年報21号編集会議として24日に≫
 前号本欄を受けて、皆さんから折り返しのご返報、有り難ううございました。上掲のように、編集長(内田さん)、代表(上野さん)ともに7月24日に参加可能とのこと。小生の都合も大丈夫です。お二人には(東京まで)ご無理をお願いして申し訳ありませんが、定例日の日程を変更し、24日(日)午後に年報21号編集会議として開催する(29日は開かない)方向で参りましょう。編集長から「風」へのご案内をお待ちします。なにより年報掲載予定の原稿執筆、順調に進むことが大事。期限に向けての催促もしっかりお願いします。
 訃報が続きます。本欄掲載が遅くなりましたが、福岡市の公民館主事ひとすじの人生、林貞樹さんが6月24日に亡くなられました。林さんには、『福岡の公民館と歩いて30年』(1994年)の著作があり、ぶんじんは「社会教育運動の歴史を担ってー林貞樹さんの自分史に寄せるー」を書いています。20年前のこと。職場は別だが、ともに公民館に関わって仕事をしてきた、また“闘い”もしてきた「同行の士」という趣旨の一文。(HP→■‐回想71) https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/archives.htm
 林さんは退職後、病気療養のかたわら、川柳作家として活躍されました。たくさんの作品があります。8年前、喜寿の集いの折、わざわざ福岡から参加され、私たち二人に頂いた句ひとつ。「共白髪一つの貌でこと足りる‐さだき」 せまい部屋に大事に飾っています。

3688号【2016年6月28日】
■≪7月研究会へ向けて≫
 24日・6月研究会(農中・出版祝賀会)の余韻が残っています。本号には栗山究さん「15年間探していた人」(秋山みき子さん)を収録。「秋山さんは文字通り、聡明な方」「今度再びお会いする約束をしました」「またご報告させていただきます」。また本ページには、当夜の中村きぬえさん朗読の写真一葉を掲げました。
 27日夕、農中さんは九州へ帰る前に永福へ寄ってくれました。新著への感想がいろいろ届きはじめたそう。ほぼ好評、なかには激賞する人もあり何よりのこと。ひそかに次著への思いも萌している?らしい。すでに書いたもの(教師の実践記録)がありますから、ぜひチャレンジしてほしい、そのためにも今回の出版が順調に伸びてほしい、次への可能性が見えてくるはず。カツオの刺身とキスの塩焼(いずれも彼の手料理)を楽しみながら、そんな話を交わしました。風の部屋には泊まらず、時間を惜しむように夜は友人宅へ。
 さて、7月の研究会(第230回、定例日7月29日・金)をどうするか、皆さんと相談することを忘れていました。七夕の会の企画(7月16日)もあり、東京本(8月・全国集会へ向けて刊行予定)の校正作業も急を告げているはず。無理があってはなりませんが、年報第21号の編集会議も組む必要がありましょう。事務局長、編集長のご意向は如何でしょうか。
中村きぬえさん朗読(農中『三池炭鉱 宮原社宅の少年』) -高井戸・160624-


3687号【2016年6月26日】
■≪半世紀の歳月≫
 24日(金)の第229 回研究会‐農中さん出版祝賀会は、イーストビレッジの店が満杯となり、終始賑やかでした(写真)。当日の幹事役・中村きぬえさん(信州上田、旧姓)に記録をお願いしたところ、早速に送っていただきました。ありがとう(上掲)。文中にもありますが、中村さんは当日、農中本を4ケ所抜き出して朗読。本格的な朗読者であることを知り、驚きました。
 振り返ってみると、この世代の大学卒業は1970年前後。とすればすでに半世紀ちかくが経過していることになります。この歳月を超えて、お互い元気に生き、こうして再会できたことになります。同時に1960年代の、学生運動がもっとも熾烈をきわめた時代の若者たち。いま彼らは高齢化の時代をどう生きようとしているのか。運動の世代論など議論もしたいところでしたが・・・。宴が果てるころにはかなり酔っていました。よろよろしながら、やっと帰着。だけど皆さんと再会できて、終始、幸せを実感した一夜となりました。
 昔を思い出して、キャンパスのなかで、当時のヘルメット学生たちとの交流エピソードもひとつふたつ話しました。不十分でも書き残しておきたいこともいくつかあるような。酔いが渦巻く夜のしじまに、そんなことを考えながら帰宅。記憶は記録されないと消えていく。
第229回研究会(農中『三池炭鉱 宮原社宅の少年』出版祝賀会)左4人目に農中さん(高井戸、20160624)


3686号【2016年6月24日】
■≪心の酔い・風の配信もれ≫
 梅雨空が続き九州では豪雨の被害。沖縄・慰霊の日。この数日、こちらの心も重く、少しは気が晴れるかと一ビンのコルクを抜いて、口に含めばまずまずの風味。つい杯を重ねながら「風」を吹きました。ところが配信(先々号3684号)にミスがあったようです。一部に届かないとのご注進あり。恐縮しつつ慌てて追送しました。他にも配信もれがないかと気になっています。どうも酔い心地での「風」配信は禁物(あたりまえだ!)、単なる配信漏れどころか、指のわずかのもつれで、大事な風アドレス帳の一部とはいえ大事なところをいじった形跡、あわてて復旧作業にとりかかっても、消えたところは後の祭り。もし風3684号(あるいはその他、その後に)未着の号あれば、ご連絡ください。わずかの心の酔い、油断が大事にいたるところでした。
 父の日とかがあって(昔はそんな日はなかった)、いい瓶をもらったらしいのです。日頃の安物とは違って、ついグラスを重ねたくなる代物、ゆっくりと酔いはまわって・・・これがよくない。あるところで正気にかえって作業を止めなければならないのに―。ところが酔いとともに、パソコンを打つ手にも躍るところあり、気がついたときはもう遅い。「風は未着!」の一報で、慌てて正気にかえった梅雨空の「風」配信失敗談のお粗末。 
 しかし妙に心は晴れて、こう書いているときも、別の瓶の味を試したくなって・・・そろそろ打ち止めにしなければなりません。東京社会教育史の重い作業も終わり、このところ毎夜、夜毎に、それなりにいい気分なのです。明けて本日は定例研究会、今から農中君の出版祝賀会に出かけます。これほどのお祝いごとがあろうか!の心境です。

3685号【2016年6月23日】
■≪もうすぐ七夕の季節≫
 新事務局長・山口真理子さんからの総会記録(6月4日)、維持会員への会費納入お願いなど関連ファィルは、次号にまとめて掲載します。真理子さん、いろいろとご苦労さま。単純ミスで維持会員への添付つきの同じメールが3通も出たとのこと。張り切って指が動きすぎたのでしょう。皆様へ「煩わしい思いをおかけした」こと、ご丁寧にお詫びメールまで頂きました(上掲)。
 いろいろとメール・電話が舞い込みます。ご存知・徳永功さん(もと国立市公民館長、教育長)から、メール・アドレス更新のご連絡。早速に「風」の配信アドレス帳を更新して送信していたのですが、それが届いていないと。当方には戻りがないので・・・と電話で(久しぶり!)お話ししました。懐かしい元気な声。届いていた「風」を“貪るように”読んでいただいているとのこと。かえって恐縮しました。私信メール・・・、あえて掲載させていただきました。お許しください。いま“貪るように”風を読んでいるメンバーなど、そう滅多にはいない?と推察しているものですから。
 明日のTOAFAEC(第229回)研究会ゲスト・農中茂徳さんの本『三池炭鉱宮原社宅の少年』(石風社・福岡)が好評です。出版社は地元紙・西日本新聞に広告も出したらしい。古い友人、福岡の横尾成臣さん(「玄海の風」発信)からは問い合わせの電話が来ました。
 あと1週間で7月、七夕の季節となります。今年も恒例・七夕の会のご案内が出ました(上掲)。詳細の案内はこちらに。→■https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/2016sinnenkai.htm

3684号【2016年6月21日】
■≪農中茂徳さん・風の記録≫
 三日後(24日〉研究会のご案内を再録しました(上掲)。ゲストの農中茂徳さんは東京・TOAFAEC 研究会には初めての登場。といっても福岡・油山での新年会や夏の暑気払い、その他の会も、よく農中さんの魚の手料理で開いてきた慣わし。ながい付き合いなのです。
 当方がドイツ滞在中(2000年)にはドイツまで遊びに来た人。同じ時期パリにいた末本誠さんの案内でエコツア・ワイン農村を回る旅にも参加。精力的です。沖縄には八重山にも名護にも一緒に旅した仲。ところが、なかなかいい写真が出てこない。どれも隅っこで小さく笑っているような謙虚?な写り。せめて1枚、八重山・平久保の「ぶんじん歌碑」を訪ねたときのスナップ。島袋正敏、内田純一の皆さんと並んでいる(下掲)。→■
 この1か月前(2004年8月)、こんな記録が出てきました。「8月4日 農中茂徳(未完の卒業論文「三池争議」研究の完成に向けて)模擬授業:「“幸せな子ども”(上野英信)たりうるために・三池炭鉱を教材化するこころみ」(第8回大牟田市人権・同和教育研究交流実践交流会、会場:大牟田文化会館)。この模擬授業は、見にいきました。「南の風」1316号「ぶんじん日誌」に記録あり。「35年ぶり“未完”の卒業論文」−今回の本につながるテーマです。→■https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/minami1301.htm
八重山・平久保「ぶんじん歌碑」前、左より島袋正敏、小林、内田純一、農中茂徳、米盛三千弘の皆さん(20040922)


3683号(2016年6月20日)
■≪訃報つづく≫
 前号・名護からの訃報に続いて本号も悲しいお報せ。「元目黒区社会教育主事、元社全協東京23区支部委員長、元社会教育推進全国協議会副委員長の重田統子(つねこ)さん(84歳)が 2016年6月16日、お亡くなりになりました。通夜 6月22日(水)6時から、告別式 6月23日(木)12時〜。 川崎北部斎苑:川崎市高津区下作延6-18-1 電話044-822-3171 南武線津田山下車」 野々村恵子さんより。
 前号の玉城義和さん(沖縄県議会議員)は67歳の若さでしたが、重田統子さんはぶんじんと同世代。お元気でしたら、いま私たちが取り組んでいる「大都市東京の社会教育‐歴史と現在」に、必ずや目黒の主婦大学のことなど、活気あふれる報告を書いていただいたに違いありません。残念でなりませんん。重田さんは夜間中学の教師も経験された人。目黒区の社会教育主事時代は、活発な論客でした。「主婦大学」については、ぶんじんは特に深くかかわり、佐藤一子さんと一緒に「目黒区・主婦大学についての調査と提言(1975ー76)」特別報告をまとめたこともあります。1970年代の“躍動する”東京社会教育を担ったお一人。ひとずじの人生、心からご冥福をお祈りいたします。
 TOAFAEC 今年の総会記録、山口真理子・事務局長から送っていただきました。内容の「チェックをお願い」とのこと、確定してホームページに載せるようにします。「副代表1人欠員」とありましたが、、いま2人の欠員です(伊藤長和、上野景三両氏のあと)。三池「炭掘る仲間」楽譜のこと(上掲)、24日研究会にぜひご用意ください。みんなで歌いましょう。

3682号【2016年6月17日】
■≪名護からの訃報≫
 上掲【おきなわ短信】(1135号)のように、名護選出の沖縄県議会議員・玉城義和(たまきよしかず)氏が亡くなられました。今月3日の訃報(食道がん)、島ぐるみ会議事務局長、まだ67歳の若さ。「蔓草庵」開きのときなどにご一緒した記憶がありますが、惜しい方を失いました。心よりご冥福を載ります。
 玉城さんは1967年に旧名護町役場入り。74年に総評本部入りし国民運動部長などを務めた。95年、県議選に初当選し7期目。ベテランの論客として知られる。1995年の米兵暴行事件に抗議する県民大会では事務局長を務めた。新基地建設に反対する議員や経済人、文化人らでつくる「島ぐるみ会議」の発足も呼び掛けるなど、大衆運動の先頭に立った。6月5日投開票の県議選への出馬を模索していたが、体調不良を理由に勇退した。
 玉城さんの後援会事務局長で名護市議会の仲村善幸副議長は「保革を越えたオール沖縄の基礎を作った人物。沖縄にとって大切な政治家を失った。闘いの半ばで倒れてしまい、本人も悔しいと思う」と肩を落とした。稲嶺進名護市長は「イデオロギーに偏らず中立の立場で政治環境をつくってきた人。彼の存在は大きかった」と悔やんだ。(沖縄タイムス記事・6月4日より)
 1ヶ月ほど前の「風」(3668号)で、ぶんじんの「識字・基礎教育研究への道」(回想)を10回ほど連載・・・と書きましたが、その後、紙面の余裕なく(言い訳)、思い出して本号に「その2」(東京学芸大学時代の「東京識字マップ調査」)を載せました。10回ほど断続的にでも書ければと思っています。

3681号【2016年6月15日】
■≪短夜のつれづれに≫
 1年でもっとも夜の短い季節となりました。短夜(みじかよ)は俳句の季語にもなっていて、つれづれに季語の本をめくっていくと、蕪村「みじか夜や毛虫の上に露の玉」、正岡子規「短夜や大工火ともす船の底」、久保田万太郎「短夜のあけゆく水の匂いかな」などの句が並んでいます。佐藤鬼房には「短夜の枕にひびく鉄鎖(てつくさり)」という気になる句も。
 俳人・鬼房(1919年 − 2002年)は、「金借りて冬本郷の坂くだる」「陽はありき十九の夏の小石川」「妄想を懷いて明日も春を待つ」「川蝉の川も女もすでに亡し」「糸電話ほどの小さな春を待つ」など。鬼房顕彰の全国俳句大会も開かれていて、選者に金子兜太など。
 夜、妻をようやくベッドに運んで、それから一人だけの時間がやってきます。相手の都合でなく、とにかく自分のリズムで勝手に動ける時間、貴重なのです。ゆっくりと夜が過ぎていってほしい。しかし短夜の季節は、間もなく東の空が白みはじめる。やはり夜は長い方が夜らしい、などと今は思っています。
 今朝は夜が白むまで東京社会教育史・原稿の最終補筆作業に励みました。これでいよいよ一段落(にしたい!)、楽しい時間となりました。

3680号【2016年6月13日】
■≪内部のメール≫
 上掲・事務局コーナーは、TOAFAEC(東京・沖縄・東アジア社会教育研究会)の、息も絶えだえ・・・いやいや、いま再生なったばかりの事務局内部メールやりとりの中から、ぶんじんが勝手に選んで「風」に載せているものです。前号・新事務局長(山口真理子さん)のメールは、思いつき段階の「コピーサービス」のことが風に出てしまって・・・「アワワワワ…となりました」とのこと。失礼しました。
 本号にはそれに響きあうような江頭晃子さんのメールが来て、また叱られるかも、と恐るおそる載せました。事務局長の重荷を「みんなで出来ることはフォローしあいたいと思います」のところが大事!なので…。
 9日の韓国研究フォーラムの自撮り写真、松尾有美さん(東大・院)から送っていただきました(下掲)。先日の「やんばる対談」写真とはまた逆の、(遠慮されたのか)いつものぶんじんカメラの4分の1ほど小さな容量の1枚。韓国研究フォーラムのページ等にも入れました→■。東京研究フォーラムの写真は今回はなし。
 6月の定例研究会(6月24日・金)の予告ページ用に、当夜のゲスト(はじめての)農中茂徳さんの写真を捜していたところ、本人ではなく、同じ農中姓の別の写真が出てきました。いずれかの機会に紹介することにしましょう。
第65回韓国研究会(風の部屋、20160610)


3679号【2016年6月10日】
■≪風の部屋の賑わい≫
 昨夜(9日)は、東京社会教育史研究フォーラム編集会議(集い・第34回)、今晩は韓国生涯学習研究フォーラム(集い・第65回)、同じく風の部屋で。かってはTOAFAEC 事務局会議が「風の部屋」の常連でしたが、いまは東京本と韓国本づくりの2グループの出入りがもっともひんぱん。妻を介護中のぶんじん、なかなか外出がままならない・・・ことを慮って、皆さんが風の部屋までお出でいただいている。こちらはせめてワイングラスでも用意して、軽く酔いながら、いい議論をしよう、などという段取りになるのです。
 自宅は5階、風の部屋は3階。この距離だと妻も一人で留守番ができたのでした。しかし昨年後半からは、食事やトイレ介助のため、どなたかにお出でいただくようになりました。昨晩も今夜も、夜の時間帯に付き添っていただく方にひたすら感謝しながら、3階の風の部屋では、ワイングラス傾むけて、せめてひととき、いい議論をしよう、最後の一ふんばり、いい本づくりに頑張ろうと、ある意味では、たいへん贅沢な時間を過ごしている実感です。
 2冊の本づくり、いずれも難所を乗り越え、いま厳しい峠からややなだらかな草原の道を、一休みもせず、まっしぐらにゴールの山頂に向かって歩いているところか。南の風の皆さんのご声援が聞こえるようです。実は先日、ワイングラスが卓上から揺れ落ちて、いちどきに4ヶ割ってしまいました。悪い兆しかと心配。ところがパチンとはじけて、かえって吉兆。この日を前後して、基本原稿が揃ってエイデル研究所に入稿できたのでした。それをまた話題に、次のグラスを楽しむことになります。

3678号【2016年6月7日】
■≪カメラの蘇生≫
 本号は嬉しい号です。まず、4日・TOAFAEC 総会で−自ら立候補するようなかたちで・・・新事務局長を引き受けていただいた山口真理子さんから「嵐のような」1日のメール。もしかすると私信?とも思いながら、上掲しました。TOAFAEC 20年余の歴史でも忘れがたい総会となりました。
 お気づきかと思いますが、やんばる対談で、いよいよ永眠と書いたぶんじんの古いカメラが、なんとかあと少し使えるようになって戻ってきました。4日の総会の1枚は、この古い愛用カメラで撮ったもの。やんばるで死んだはずのカメラ、「‐眠るがごとくカメラは逝きぬ」と挽歌まで詠んだのに・・すぶとく蘇ったお騒がせもの、ご心配おかけしました。
 この間、見城先生や小林チヒロさんにもお願いした「やんばる」写真。送っていただいたものがうまく開けず、弱っていたところ、山城千秋さん(熊本)からCD満杯の写真を頂きました。添え書き「やんばる対談の写真をメール添付にて送りますが、うまくいきませんので、CDにてご送付−」。それもそのはず、1枚のサイズが大きく、私の総会1枚の30倍ほど。それが参加者全員の分‐約20枚。普通のメールでは出せないはず。ともあれ、有り難うございました。当方、名護市中央公民館の1枚をいただきました。いい写真なのでキャプションを入れて、HP本号記録にはりつけましょう。(本ページ・3659号・貼付写真へ)
 あとは年報21号用に、編集・江頭晶子さんにわたします。なお、総会参加者は、前号で「16人」と書きましたが、正しくは「18人」だったようです。
2016総会、出席者のうち、呉世蓮(撮影?)・山口香苗お二人の顔が見えない (東京・高輪、20160604)


3677号【2016年6月5日】
■≪総会終わる≫
 日本社会教育学会六月集会(東京・高輪)、初日(4日)夜は恒例のTOAFAEC 総会でした。ご参会の皆さん(16名)、ご苦労さまでした。思い出いろいろ。ホームページに残っている記録をみると、2001年から総会が開かれてきましたが、これまでの歩みの中では賑やかな総会の一つ。このためにわざわざ上京された包聯群さん(大分大学)からは、新しい本(包聯群編著『現代中国における言語政策と言語継承』2015年)を頂戴しました。有り難うございました。忘れないうちに御礼!
 今回の総会の何よりの話題は、山口真理子さんが事務局長を引き受けていただいたこと。「会計」の仕事に加えて・・・たいへんですが、無理をされないで、頑張ってください。ご本人からは、かねがねこの種の仕事はあまり好きではない、と聞いてきただけに、申しわけない思い。内田純一、故石倉裕志、遠藤輝喜の各氏に続く4代目の事務局長、女性としては初めての登場。どうぞよろしくお願いします。
 TOAFAEC ホームページの記事のうち、総会協議により新しく書き換える(加える)べきところなど、ご指摘ください。当夜、ぶんじんは遅れての参加、間違いがあってはなりませんので。事務局長のところだけ早速書き入れました。→■ https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/toafaec.htm
 韓国生涯学習研究フォーラム(6月10日夕)のご案内拝受(上掲)。東京本に続いて、いよいよ韓国本も大詰め。あと一ふんばりですね。川崎のヘイトデモ差し止めの記事(朝日・3日朝刊1面)も送っていただきましので、添付します。

3676号【2016年6月2日】
■≪5月末日の喜び≫
 多分、2012年だと思いますが、夏に高知(全国集会)、秋に釧路(日本社会教育学会)へと出かけた年がありました。それぞれの会場で、何人かの方に会って、東京の社会教育が見えなくなっている、この歴史にいまひとたび光をあてる作業をしたい、と相談したことがありました。皆さんで、ぜひやろう!と思いが一致したことを憶えています。
 東京社会教育の、いわば現代史を一緒につくろう、未来に向けてお互いの思い・展望も語りあいたい、そんな本を創ろうと、盃をかわして、東京社会教育史研究フォーラムがスタートしたのでした。たしか11月・晩秋か。あれから早いもので4年が経過したのです。いろんなことがありました。4年ひと昔。→■
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/tokyoforumu2012.htm
 参加メンバー・皆さんよく頑張って・・・ここまでたどりつきました。いわゆる研究的なポストにいない人たちがほとんど、40人余り、歴史研究という難課題に取り組んで、大変だったと思います。この5月末日で、残っていた原稿を最終稿に仕上げ、エイデル研究所・山添さんに送ることができました。もちろん微調整がいろいろ残っていますが、これでまずは一段落。夏の社会教育研究全国集会(東京)にきっと間に合うことでしょう。
 ぶんじんは新しい原稿は2本だけ、大仕事は20年前に書いていた古証文のリライト作業、これが案外とたいへんでした。昨夜は一人で歌をうたい、浴びるように飲んで明け方を迎えました。本号発行も1日おくれてしまった。

3675号【2016年5月30日】
■≪名護社会教育の歩みをどうみるか≫
 5月(第228回)定例研究会は、皆さんそれぞれ都合つかない方が多く、事務局メンバーだけの参加でした。報告者は候補の武田拡明さんも日程が重なって、ぶんじん一人だけの報告。今年は「やんばる対談」が8回を迎えたこと、この機会に経過を振り返り、あらためて名護社会教育の歩みをどうみるか、沖縄の社会教育の一つの典型としての名護社会教育が蓄積してきたもの、その日本的な意味を考えてみたい、など6点ほどお話しました。
 初めて名護の(辺野古問題だけでなく)社会教育の歩みを聞く方もある?と思って、リュック満杯に資料・本を詰め込んで・・・しかし、初見の参加者はいない。それでも話の一部を「やんばる対談」8の記録(解説?)にでもと熱弁をふるったかたち。先日の名護訪問の折、対談の翌日に特別にお話くださった「名護民話の会」宮城孝子さんの証言がとても示唆的、名護の“蓄積”をしみじみ考える機会にもなったのでした。地域の独自の文化、集落の共同性、それに支えらる公民館、そして博物館・図書館の果たす役割、相互のネットをつないでいく社会教育主事(名護・社会教育主事・地域配置)の役割などなど。
 当日はイーストビレッジのビールの席も少人数。しかし,これからのTOAFAEC事務局体制を考える提案も出て、忘れがたい夜となりました。

3674号【2016年5月27日】
■≪在沖米海兵隊の撤退・決議≫
 沖縄・うるま市の行方不明女性(20歳)、容疑者(米軍属・元米兵)供述のり、恩納村の雑木林で遺体となって発見。死後数週間経った遺体、死因を特定できなかったそうですが、「あばら骨に複数の傷」などの報道が続き、なんとも無残の極み。沖縄の悲しみ、そして怒り。「沖縄の慟哭が聞こえるか」と琉球新報・コラムは書いています。軍事基地内外の闇の中で、これまでも表沙汰にならない犯罪の「話はつきません」と宜野湾の玉那覇正幸さん(上掲「苦渋の報告」)。
 26日、沖縄県議会は臨時本会議を開き、事件に抗議するとともに、「在沖米海兵隊の撤退」を求める決議を全会一致で可決。米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去や県内移設断念を求めたとのこと。全海兵隊の撤退を県議会が決議したのは沖縄復帰後初めてだそうです。折しも今日(5月27日)は県議選の告示日(6月5日に投開票)。どんな展開になるのでしょうか。
 今夜(27日)は5月定例(第228回)研究会です。皆さんのご参加をお待ちしています。前々号に書いた農中『三池炭鉱 宮原社宅の少年』(石風社)の包みが届きましたので、数冊持参することにします。

3673号【2016年5月25日】
■≪名護・やんばるからの出版≫
 6月4日夜のTOAFAEC 総会に向けて、山口真理子さん(会計)からのメール、ご苦労さまです。内部のやりとりですが、記録として「事務局コーナー」として上掲。この山口メールに添えられた一文。「・日誌を見ましたら、去年の昨日、先生,岩本・上野・遠藤さんとで事務局会議を開いていたのでした。」そうでしたか? 昨年は開かれなかったのでは?
 あわせて山口さんからの名護に関する情報。「本日の『琉球新報』文化欄に、比嘉ひとみさんの記事がありました。「名護市の墓」比嘉氏が発表‐28日、民俗学会例会−沖縄民俗学会の5月例会が28日(土)午後4時から県立芸術大学一般教育棟教養 302教室で開かれる。「名護市の墓」と題して名護市中央図書館長の比嘉ひとみ氏が発表する。非会員は資料代200円。」(Wed, 25 May 2016)
 先日の「やんばる対談」夜の交流会で、名護・やんばるからの出版、力作を2冊いただいたのでした。本欄に書きそびれていましたので、この機会に。
 1冊は、中村誠司さんから頂いた『シークヮーサーの知恵』。国頭「奥・やんばるのコトバ−暮らし‐生きもの環」(大西正幸・宮城邦昌編、京都大学学術出版会刊)。誠司さんは第5章「奥の共同性・自治・ひと−奥研究の未来に向けて」を書いておられて、興味深し。あと1冊は、前博物館長・島福善弘さんが、出来たばかりの字誌『源河誌』を抱えるように持参されました。むらの生い立ち、ムラの行政、太平洋戦争と源河、など面白そうなところを拾い読み。リュウキュウアユに関する資料・記事がぎっしり。

3672号【2016年5月23日】
■≪『三池炭坑宮原社宅の少年』に寄せて≫
 公刊されたばかりの、農中茂徳『三池炭鉱 宮原社宅の少年』(石風社、2016年)のオビ封には、こうあります。「三池争議の吹き荒れた、昭和三〇年代の大牟田、炭鉱住宅での日々を遊び盛りの少年の眼を通して、生き生きと描く」と。この本に寄せた小林の一文、「…子ども時代の回想・証言、宮原社宅で育った自分史が、そのまますぐれて希少な地域史となり、三池争議をはさむ激動の社会史の側面をもっている」。
 実にユニークな本ができました。農中と小林との出会い(1967年)からすでに半世紀が経過しています。「…いくつもの回想が蘇る。友人たちの多くは教師の道に入ったが、彼は野田市の社会教育の仕事に就いた。社会教育の研究をしてきた私にとっては、同じ道に入った最初の卒業生だ。仕事は順調に進んだらしく、地域の若者や演劇仲間に囲まれ、信望を得たのか、推されて市議会議員に立候補した。予想以上の票を得たが、見事に落選、そして失職…」(抄)。
 その後のこと、歳月は何ごともなく過ぎ去ったかに見えて、その経過をたどれば、実は多くのことを語りかけています。小林「寄せて」全文はホームページへ収録しました。
→■ https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/essay2010.htm
 彼は本をかついで、いちど上京するそうです。学芸大学ほかの友人たちにこの本をとどけ、普及販売をお願いしつつ、過ぎし日を語り合いたいらしい。6月の最終金曜(定例会)日程が合えば、私たちの研究会で集いをもち、出版祈念の集いをイーストビレッジで開くようにしてはどうかと提案しておきました。

3671号【2016年5月22日】
■≪生涯設計はそのまま実現しない≫
 介護中の富美がショートスティにお世話なっている隙に、わずか2日だけ福岡油山に行ってきました。もともとの生涯設計では、私たち二人が元気に老後を過ごす予定の家。蔵書の主要部分を運びこみ、庭で焚き火しながら酒を汲みかわす(狭い)白樺の空間に、まわりを金木犀で囲み、傍らにエビネ蘭を育て、ちょっとした隠れ家をつくってきたつもりでした。しかし、現実はそううまくいきません。生涯設計などすべて予定通りに実現しないものです。
 1年半ほど行かなかった間に、熊本地震の余波も加わって、電気と水道は流れてくれましたが、ガスはとまり、テレビはつかず、電話・光ファイバーも不通。書庫2階の雑誌の棚がかなり氾濫(明らかに地震の影響)。幸い迎えてくれた農中茂徳さんに応援してもらって奮闘。初日(19日)の夜、やっと復旧したガスで風呂を沸かし、待望の玄海の魚を煮て、ようやく彼の新著の乾杯をすることが出来ました。熊本の避難・仮設の小屋と比べれば、おそらく極楽のような夜!と思いながら酒を汲みました。農中茂徳・新著『三池鉱山・宮原社宅の少年』(石風社)については次号に書きましょう。
 6月4日のTOAFAEC 総会の案内を掲載できました(上掲)。大分の包聯群さんからのお尋ねメール(上掲)。直接に総会々場にお出でください。食事しなが協議するかたちです。大分の地震の話も聞きたい。
 木下巨一さん(飯田)、大前哲彦さん(大阪)から長文のメールを頂いていますが、本号もすでに満杯、次号にまわします。ご了解ください。

3670号【2016年5月19日】
■≪2016「総会」近し≫
 5月も後半、今年のTOAFAEC 「総会」の季節が近すきました。例年、日本社会教育学会六月集会の初日に開く慣わし。この日であれば、日頃は定例会などTOAFAEC 活動に参加されない各地の皆さんも、六月集会に上京する方もあるだろう、少しでも総会出席者が多くなるかも?という思惑からです。
 ところが、学会は初日夜に理事会を開くスケジュールあり、理事・幹事の皆さんは総会出席は無理です。いつも総会の懇親・交流の集いをゆっくり長引かせて、学会理事会を終わった皆さんに駆けつけていただく、そんなかたちが定着してきました。今年は幸いTOAFAEC 代表(上野景三さん)は学会理事ではないとのこと、好都合なのです。
 近く総会案内が配信されることでしょう。会場はすでに「風」3664号「事務局コーナー」(172)でご案内済み。会計・山口真理子さんは活動日誌や会計報告を用意されているらしい(上掲)。ご苦労さまです。昔は総会に向けて準備の事務局会議が何度も開かれた記憶。いまそんなこともありません。TOAFAEC も大人になったのでしょうか。
 本号は、前号(3669号)配信より1日経っていない、慌ただしい風となりました。全国夜間中学校研究会事務局・須田登美雄さん(足立四中)より速報!を頂いたからです。「教育機会確保法」案は各党の考えが調整できず、継続審議となったそうです。法案の夜間中学部分に対しては、全ての会派が賛成を表明したとのこと(上掲)。速報に感謝。

3669号【2016年5月18日】
■≪魯迅とともに≫
 「風」記事の水面下に飛び交う諸編集メール、本をつくる膨大なエネルギー。石川敬史さんから15日・第33回東京社会教育史研究フォーラムの報告が届きました(上掲)。加えて当夜の写真、早速ホームページへ(下掲)。厳しい議論のあとの楽しい一とき。野々村恵子さんの顔も。撮影は井口啓太郎さん。
 斉藤真哉さんの頭上に、魯迅が煙草をくゆらしている掛け軸がかかっています。1980年代のなかば、上海訪問の旅、虹口(ホンキュ)の魯迅記念館で入手した素朴な軸です。たしか横山宏さんと一緒の旅。当時は学芸大学・和光大学の研究室に掲げてきたものですが、退職の際に「風の部屋」に持ち帰りました。
 風の部屋に泊まったことがある韓国・ヤンビョンチャンさんは、FaceBookのご自分の写真にこの魯迅の軸を掲げています。私たちはいつも魯迅が見おろす席で論じ合い、魯迅とともにグラスをあげて語り合っていることになります。
 閑話休題。何かの折に記録にしておきたいと思っていたこと。識字・基礎教育への関心、たどたどしい研究の歩みを、多少の文献紹介もかねて、回想風に書くことにします。本号に「その1」を載せました。早いもので四半世紀もの歳月が経過しています。10本前後?の予定。もしお目にとまればご批正下さい。
左より小林、山添路子、石川敬史、斉藤真哉、野々村恵子の皆さん、撮影・井口啓太郎さん (風の部屋、160515)

3668号【2016年5月16日】
■≪韓国・東京−二つの本・完成に向けて≫
 5月連休をはさんで、韓国生涯学習研究フォーラム、東京社会教育史研究フォーラムそれぞれの(韓国と東京の)出版・編集作業が最終段階を迎え、研究会が終わると、なんともいえない安堵感・充実感・解放感があり、五月の風とともに、楽しい夜をすごすことができるようになりました。どちらも、3〜4年越しの苦しい論議、重い作業あってのこと。一応の原稿が揃っても、調整作業は多々残っていますし、ゲラ読み、年表・資料づくり、写真あつめ、そして索引づくりなど、まだ課題が待っている。それでも大きな峠を越えたことは確か、毎日が五月晴れのような気分なのです。
 どちらもエイデル研究所からの刊行となります。両フォーラムともに、最終の詰めの作業に励む研究会には、必ず山添路子さん(出版担当)の顔があり、この1週間には3度も顔を合わせることになりました。そう言えば、これからは山添さんの肩の荷がぐっと重くなるのです。今や社会教育関連の最大手?の出版社とも言えるエイデル研究所、大きな出番。よろしくお願いします。
 他方、両方に関わってきたぶんじんは、ことさら肩が軽くなりました。家庭の事情が許せば、今こそ海外に遊ぶ気分・・・しかし現実はそう甘くない。せめて2日ほど“休暇”をとって、この1年ご無沙汰している福岡・油山の隠れ家の様子でも見てくることにしましょうか。
▼第64回韓国研究フォーラム 右2人目に山添路子さん (風の部屋、160513) *小田切督剛・撮影


3667号【2016年5月14日】
■≪消えたフォルダ≫
 昨日(13日)、韓国(第64回)研究フォーラム、引き続きの年報(第3回)編集会議でした。佐賀から上野代表、高知から内田編集長の上京、そして韓国研究フォーラムの皆さん、ご苦労さまでした。5月のいい季節に、それぞれのリズムでいい議論あり、また進展もあって、何よりのこと。いずれご報告が寄せられることでしょう。楽しみにお待ちします。
 今朝(14日)起きて、いつものようにパソコンを開いてみると、大事な「南の風」編集フォルダがどこかに消えている。昨晩、帰宅後に−酔っているのに−パソコンをいじったのがよくなかったようです。まったく記憶に残っていませんが、どこかに動かしたらしい。うっかりゴミ箱に入れたのか。これを開いてみるとカラ。狐につままれた感じ。探しあぐねて、やむなく新しく作り直して、本号を出しています。
 いただいたメールで抜けているものがあるかも、と気になっています。はげしい消失感。フォルダ内のファイルを復元できないわけではありませんが、ここ数年の「歌の工房」など取り返しがつきません。そのうち、ポンとどこからか顔を出してほしい・・・かなわぬ夢か。
 明日15日は、東京社会教育史研究フォーラム(第33回)です。最終段階の作業がながく続いています。風には載せていませんが、たくさんのメールが飛び交っています。一つだけ風の記録に上掲しました。明日は“沖縄復帰の日”。

3666号【2016年5月11日】
■≪5月13日・TOAFAEC 年報編集会議≫
 最近の「南の風」は、誤字・変換ミス・記載もれ・・・いろいろあって、お恥ずかしい限り。目や指や頭の衰え、お許しください。3号前の風(3663号)、「おきなわ短信1122号−継がれる伝統」(琉球新報「金口木舌」)日付の記載もれに気づいて補足しようとしたところ、同号「ぶんじん日誌」タイトルに誤字があったことを発見!「介護」の仕事について書いたのに、タイトルは「会議」となっていました。かなり深刻な複合劣化?です。
 「継がれる伝統」は、名護市我部の塩田で作られる「屋我地マース」の話でした。「地元の伝統を残すという使命感と地域おこし」への取り組み。この4月に開校したばかりの屋我地・小中一貫校「ひるぎ学園」への期待もにじんでいました。先日の「やんばる対談」では名護東海岸(久志地区)の合併校「緑風学園」のことが話題に。新しい学校とやんばるの諸集落の新しい関係がいま紡ぎ出されようとしている、学校と教師と地域と社会教育主事(名護は地域配置)のそれぞれの模索がどう出会っていくか、期待は大きい。
 前号本欄で農中茂徳さんの新著について書いたところ、本号には息子の至くん(鹿児島大学)からメイル来信(上掲)。2〜3年前のアドレス帳整理で今は風が届いていないとのこと。本号から再配信します。
 5月13日は韓国研究フォーラム、そして夜はTOAFAEC 21号編集会議です(上掲)。多数のご参加を。初めての方もご関心あれば、どなたも歓迎!

3665号【2016年5月10日】
■≪自分史・地域史・社会史≫
 5月7日夜の記録「第32回東京社会教育史研究フォーラム報告・第33回ご案内」が石川敬史さんから送られてきました。「最終確認」の編集会議。すぐに次回(15日予定)がやってきますから、当方も(少し字句を修正)大急ぎで本号を配信します。追っかけて写真拝受。ぶんじんにいまカメラなく、早速ホームページに頂きました。当夜の研究会、写真でも皆さん楽しそうです。→■
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/TokyoForum2016.htm
 いつざや風に書いた?農中茂徳さんの新著『三池炭鉱・宮原社宅の少年』の刊行、4月予定のところが(熊本大地震の影響もあるのか)遅れて5月下旬に本になるそうです。出版社は福岡・石風社。今日「ちらし」が送られてきました。添えて「6月に本を持参して上京したい」旨の手紙も。
 ゲラの段階で読んで、新著祝いの一文を寄せましたが、その一節もチラシに載っています。「…子ども時代の回想・証言、宮原社宅で育った自分史が、そのまますぐれて希少な地域史となり、三池争議をはさむ激動の社会史の側面をもっている」と。本が出たら、あらためてご紹介しましょう。
 石垣島の出身、八重山民謡歌手の大工哲弘さんライブが、長編ドキュメンタリー映画「沖縄(うちなあ)ぬ思(うむ)い」上映とセットで5月21日(土)調布で開かれるそうです。山口真理子さんからのご案内・上掲。

3664号【2016年5月8日】
■≪5年の歳月≫
 上掲・第64回韓国生涯学習研究フォーラム(5月13日)のご案内、掲載が遅くなりました。“躍動する”『韓国の社会教育・生涯学習』新版の編集もいよいよ大詰め。「…韓国フォーラムは毎回初参加の方が来られて嬉しい限りです。関心を持った方は大歓迎ですので、ぜひお越しください!」(小田切さん)と。→■
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/kankokukenkyuukai2016.htm
 競うように本づくりに励んできた東京社会教育史研究フォーラムも終盤。7日夜は、実質的に最終の編集会議でした。もちろん「風の部屋」での集いはさらに続きますが(早速に次回は8日後の15日夕)、よくここまで頑張ってきたもの。編集する立場で言えば、いろいろの課題を残しながらの入稿。しかし手前味噌風に言えば、二度とつくれないような「大都市・東京の社会教育史」づくり。振り返ってみると、2012年秋に企画が始まっていますから、はや5年目です。ゆっくり歩きながら、案外とぜいたくな研究会の歳月だったような。→■
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/tokyoforumu2012.htm
 編集委員会(事務局)メンバーと、この間、よく議論してきました。皆さんは職場も活動も(おそらく)充実への5年。ぶんじんは確実に加齢を実感してきた歳月でした。 ◇酔いの身をいたわるごとく夜の風。
第32回東京史研究フォーラム(160507、風の部屋・西永福) 石川敬史撮影


3663号【2016年5月5日】
≪介護の仕事≫
 世は大型連休とか。皆さん如何お過ごしですか。当方はいつも連休みたいな毎日を送っていますが、休みどころではありません。介護の仕事に奮闘されている方々も、連休といえど休日はありません。ヘルパーの方、訪問介護の先生も、休祭日なく、スケジュール通りお出でいただきました。かって講義・ゼミなどにのんびり遅れていた身には、恐ろし!いほどの時間厳守。感謝・恐縮の毎日でした。年末も正月もそうでした。雨が降っても風が吹いても“臨時休業”など一度もありません。
 介護労働は常に被介護者の状態を軸に動いていきます。当人のその日の状態は一様ではありませんから、簡単ではないはず。しかし数分?で状態を読みとって、柔軟に対応される姿には心打たれるものがあります。教育労働や公務労働も、ほんらい相手(学習者・市民=主体)中心であるべきなのに、実際はいつも自己中心。相手は客体の位置づけ・・の仕事ぶり、反省させられます。太陽のまわりを地球がまわっている、コペルニクスがそう言ったことを思い出して、介護される側が“太陽”のように輝く一瞬もありました。
 急ぎの仕事に追われ、介護にも追われる毎日。仕事を続け、風も吹き続けながら、自由気ままに介護を続けることが出来ればと念じています。1日に1度くらいは“太陽”をまわる地球でありたいと願いつつ。

3662号(2016年5月3日)
■≪なぜ名護の社会教育は元気か≫
 名護・やんばる対談の余韻が続いています。川崎から毎年参加されている武田拡明さんから、くわしいレポートをいただきました(上掲)。早速5月27日研究会での報告をお願いしたところ(前号本欄)、折り返し次のメールが来ました。
 「名護では、先生と共に、やんばる対談にご一緒、参加でき幸せでした。私の感想をお送りした後で、先生から次回・研究会が5月27日に開催される旨の案内見ました。手帳見て確認しましたところ、27日から家族での北海道旅行が入っていました。残念ですが参加できなくなってしまいました。私からの報告は感想文で替えさせていただき、ご容赦くださるようにお願いいたします。… 名護の社会教育が元気な理由、その秘密を探りたいことが、私の毎年参加したい名護社会教育への問題関心としてあります。それを確かめたいがために来年度もぜひ参加したいと思います。」(Sun, 1 May 2016 18:50:)
 来る7日の東京社会教育史研究会の案内文に書き添えられた石川敬史さんのメール。「…私も沖縄へぜひとも伺いたかったのですが,どうしても予定が難しく,泣く泣く断念いたしました。「南の風」(やんばる対談記録),大変興味深く拝読いたしました。…」(Mon, 2 May 2016 09:31)
 江頭晃子さんからも。「やんばる対談お疲れ様です。東京からも毎年、違うメンバーが集まり、お互いの種を撒きあっている様子が羨ましいです。私も先生に沖縄に連れて行っていただかなかったら・・:」(24 Apr)
 皆さんのご関心に感謝。今年で第8回を迎えた「やんばる対談」、名護社会教育についての、何らかの“まとめ”を考えるべき歳月。5月研究会で少しお話しできればと思っています。

3661号【2016年5月1日】
■≪5月定例研究会の提案≫
 5月となりました。◇一歩一歩 五月の風に包まれて(ぶ)
 最近はTOAFAEC 事務局会議で相談する機会もなく、本欄で5月定例会について提案することにします。定例日は最終金曜日の5月27日夜の日程。昨日、遠藤輝喜さんに会場(高井戸)の予約をお願いしました。今回は第228回となります。ちなみに4月(第227回)研究会は、沖縄行きもあり連休にも重なりましたので、「やんばる対談」(24日)として行うことになりました。東京での開催は2ヶ月ぶりとなります。
 6月4日(日本社会教育学会六月集会・初日)夜は、今年のTOAFAEC 総会が予定されています。その直前の研究会でもありますので、このことを視野に入れて、内容の柱は二つでしょうか。一つは、今年の「やんばる対談」について(できれば武田拡明さん、小林から短くレポートする)。あと一つは総会に向けて−TOAFAEC のこれから、期待や課題など出席者で自由に語っていただく。あるいは会計(決算・予算)について(必要であれば)山口真理子さんから報告をお願いする、などの案です。いかがでしょうか。
 ベランダの君子蘭がいまを盛りと咲いています。どなたかから頂いたブライダルベールには白い蕾。
 ◇五月夜の 花の力に励まされ(ぶ)

3660号【2016年4月28日】
■≪カメラの寿命≫
 24日午後2時過ぎ、蔓草庵「やんばる対談」が始まって間もなく、愛用のカメラが動かなくなりました。電池を入れ換えてもダメ。進行役として対談をしばし中断・・・カメラと格闘?してみましたが、動いてくれず。というわけで今年の対談、そして夜の交流会の写真は撮ることができませんでした。山城千秋さん(もしできれば小林チヒロさん)のカメラにお願いするほかありません。どうぞよろしくお願いします。対談・交流会の集合写真などを、まずホームページ用に数枚送っていただけないでしょうか。
 2001年頃からデジカメを使いはじめ、たどたどしくホームページも開設、そこに画像記録を添付する作業が面白く、このカメラが今日まで活躍してくれました。はじめ数台を相次いで失くしましたが、この愛用の1台(RICOH−Caplio)だけは15年?のお付合い。愛惜つきず、まこと残念というほかなし。
 東京に帰って、新宿のリコーセンターに駆け込んで、撮影してきた23日の那覇・交流会の写真は取り出すことができました(1枚をHPにアップ)。しかしカメラ本体が蘇るかどうか悲観的。生きものだけでなく、機器類にも寿命があるのでしょうか。それらが響きあうように・・・言い交わしているかのように相次いで往生していきますね。そう言えばパスポートもちょうど期限切れ。
 お詫び:この数号、沖縄から配信できなかった関係で、風の発行日付に一部混乱あり、大目に見てやってください。正しくは、風3658号→4月26日発行、3659号→4月27日、本号→4月28日の発行、です。

3659号【2016年4月27日】
■≪ヤンバルの雨暖かく≫
 4月24日、夜間中学関係者(見城慶和、関口保孝。小林チヒロ3氏)は山城千秋さんの車で、ぶんじんは急ぎお願いした玉那覇正幸さんの好意に甘えて、名護へ。実は蔓草庵の集落「底仁屋」のご出身と知って、かって東京学芸大学に1年(復帰前)研修留学された具志堅興将さん(のち久茂地小学校長、那覇教育事務所長など歴任)をお誘いしたのでした。当初はお気持ちがあったのですが(突然のことで)遠慮されたようで、残念!です。結局は一人だけ玉那覇さんの車に乗って昼近くには名護市内へ。
 久しぶり山田荘横の「新山ソバ」、ここの「テビチ(豚足)ソバ」が絶品です。早めに東海岸・底仁屋へ。懐かしいテントが私たちを待っていました。
 やんばる対談は、訪問者側が上記のほか、東京から山口真理子、川崎から武田拡明、那覇から鷲尾真由美・国吉多美子の皆さん、それに夜間中学(荒川九中)卒業生の新崎さん(オリオンビール勤務)、合計11名。名護側と合わせると20名を超えて、テントはぎっしりでした。
 蔓草庵の庭に琉球在来の鶏(チャーン)が羽ばたき、蝶が舞い・・・それに今年は対談途中から雨も加わりました。それらしき風の湿り、雨の匂い、ひそかな土の香り・・・そのなかで対談は進められました。テントを落ちる雨のしぶきが伴奏。蔓草庵心づくしの古酒、加えて豚の白いスーチカと黒いチイリチーが並ぶころに、対談は佳境に。セイビンさん、ご配慮ありがとうございました。(そのうち、ご参加の皆さんより対談の感想や旅の記録など寄せられるものと楽しみ、お待ちしています。)
◇ うた―やんばる対談2016 ー4月24日
・うりずんのヤンバルの雨暖かく われらを包み励ます如く 
・息絶えしパソコン慕いヤンバルに 眠るがごとくカメラは逝きぬ

やんばる対談の夜、交流会(名護市中央公民館、20160424) 山城千秋提供 ―敬称略
後列・左より比嘉久(博物館長)、島袋一平(社会教育係長)、佐久川純(同課長)、新崎廉文(オリオンビール)
宮城満(元名護図書館)、山口真理子(TOAFAEC)、武田拡明(川崎)、比嘉ひとみ(名護市中央図書館長)
前列・左より見城慶和(夜間中学)、中村誠司(名桜大学)、小林文人、島袋正敏(蔓草庵,)、関本保孝(夜間中学)


3658号【2016年4月26日】
■≪やんばる対談終わる・那覇にて≫
 4月23〜25日「やんばる対談(第8回)」日程、今年も無事に終了しました。昨年もそうでしたが、沖縄行き2泊3日のスケジュールを組むのが精一杯。23日東京を出て、思いを残しながら、25日深夜に羽田にたどりつきました。ご参加の皆さま、お疲れさまでした。名護の皆さま、お世話になりました。
 新しいパソコンを持参しての旅でしたが、なぜか(受信はできるのに)送信できず、沖縄から直接「風」をお届けできず残念。下掲「那覇にて」は、23日「おきなわ社会教育研究会」終了後に編集、上掲の鷲尾・関本・木下各氏メールも23日に拝受していたものです。3日遅れの配信となり、お許し下さい。
 <那覇にて> (4月23日) 
 23日夜、いま那覇のホテルで書いています。本日夕刻に空港着、「おきなわ社会教育研究会」との交流会を楽しんで戻ってきたところ。昨年の7月「85祝い」で名護に参上した際、台風騒ぎで那覇の皆さんに失礼していましたので、なんと2年のご無沙汰。沖縄とのお付き合い40年のなかでも、こんなこと初めてです。懐かしい顔ぶれにお会いできて、昔を想い出し、一気に元気をとりもどしました。
 交流会では、見城慶和・関本保孝・小林チヒロの豪華3氏より、資料を添えて本格的な夜間中学のお話があり、一同ともに印象深い夜となりました。ぶんじんは、私たちの沖縄社会教育に関する研究が今年40歳を迎えることを申しあげました。喜納勝代さん「久茂地文庫」も同じ1976年のスタート。喜納さんのお顔は見えませんでしたが、しばし思い出にひたるひととき。
 明日(24日)は、名護・蔓草庵「やんばる対談」へ。山城千秋さんが熊本から参加、玉那覇正幸さんも宜野湾から、お二人の車に乗せてもらって北上します。名護よ、晴れてほしい!
おきなわ社会教育研究会との交流(那覇、20160423)


3657号【2016年4月22日】
■≪那覇で会いましょう≫
 熊本の山城千秋さんから元気なメール「今日は余震に大雨です」が届きました(上掲)。「やんばる対談」にも参加できるとのこと。よかった! 折り返し千秋さんに出した返事(Thu, 21 Apr 2016 16:30)をそのままご紹介します。
 「メールありがとうございました。熊本の大揺れ、いろいろ大変なことでしょう。23日からの沖縄(やんばる対談)、山城さんが参加できるかどうか心配していましたが・・・福岡に移動して沖縄に飛べるようで何より、助かりました。やんばる対談は“ゆんたく”で進めましょう。
 見城先生たち夜間中学関係者は23日昼前に那覇着。その日午後は珊瑚舎と連絡、生徒さんも出てくれて、珊瑚舎で交流だそうです。おきなわ社会教育研究会との交流会は7時から「ぶながや」(国際通り・県庁角)ー小林は午後6時半に空港着。ちょっと遅れます。できれば、ここで24日〜25のこと、相談できればと思っています。見城先生たちの帰りは、25日18:35那覇発、小生はそのあと20時・那覇発です。では23日ぶながやで会いましょう。」
 さきほど来た千秋さんの返事(Thu,21 Apr 2016 20:11:17)。「…ご心配おかけしております。22日夜、沖縄にひとまず帰ります。…土曜日は、ぶながやに直行します。あまり役割を担えず、申し訳ございません。沖縄でがんばり
ます。」

3656号【2016年4月21日】
■≪4月定例研究会は「やんばる」開催≫
 ご案内が遅れましたが、4月定例(第227回)研究会は、連休に入る時期でもあり、東京ではとくに企画せず、名護「やんばる対談」として行うことにいたしました。ご了承ください。5月定例会については、まだ決まっていません。どなたかいいアイデァがあればご提案ください。6月「総会」を前に事務局会議を開く必要も。
 名護・島袋正敏さんから、4月24日「やんばる対談」に向けて「…楽しみにしています」とメール来信(上掲)。今年もまた「蔓草庵」にお邪魔しますが、初めて参加の方々の期待もあり、どうぞよろしくお願いします。大きな1石カメに注ぎ入れる43度古酒を3本ほどご用意いただけないでしょうか。本来は私たちがさげていくべきですが、島酒のこと。例年のように甘えて・・ご用意いただければ幸いです。
 当日は“ゆんたく”を楽しみましょう。お話がいろいろ出るようなので、もし関連して何か資料でもあれば助かります。初めて参加の方には名護の地図があれば理解が深まると思います。見城先生から(短い時間でも)夜間中学や自主夜間中学の運動についてお話しも伺いたい、との希望が寄せられていますので、どうぞよろしくお願いします。

3655号【2016年4月19日】
■≪風・再生の舞台裏≫
 昨年、旧ホームページが容量満杯となって、負担の大きな写真や古いファイル等を撤収しながら対応してきたことはご存知の通り。そろそろ「南の風」も吹き止むいい頃合。そこへ突然のパソコンクラッシュ(1月28日夜)が重なり、神の啓示にも似た絶妙な「おしまい」タイミングが到来した感じでした。
 ところが、前にも書いたように地獄に仏、“救いの神”の登場(木村雅俊さん)。この2ヶ月半、ホームページも「風」も見事?に再生。ご覧のように新しい鼓動を打ちはじめています。クラッシュ後に、「南の風」はまず数号を古いパソコンで対応、次に救いの神からお借りしたパソコンで、2〜3日おきの発信を維持することができました。いま考えても、よくぞ諦めず、奇跡のような「風」の継続。何食わぬ顔をしてきましたが、まさに格闘の数週間でした。いまようやく自前の小さなパソコンで「風」を編集し、ただたどしく原稿も書き始めています。新しい指感覚と煩雑なソフトに戸惑いながら。
 この間、南の風のアドレス帳整理は(風・休止を想定し)そのまま放置、新しいメンバーへの呼びかけも控えてきました。ところが先日、北海道から工藤慶一さん(札幌遠友塾、北海道に夜間中学をつくる会代表)から風への参加希望が寄せられました(風3650号に収録)。また本号には、15日夜「東京社会教育史研究フォーラム」席上でお誘いした大山宏さん(東大・院)の「自己紹介」を掲載できました。風・再生の象徴的な新メンバーです。もしまわりに参加希望の方があれば、ぶんじんにアクセスされるようお勧めください。お約束はただ一つ、風を双方向に吹きあいたいこと。

3654号【2016年4月17日】
■≪悲しみの雨が降る≫
 4月16日夜、九州・熊本では震度6強の大地震の群発、そのさなかに雨が降り始めたそうです。崩れた家屋、住む家を失った避難の人たちにとってはまさに無情の雨。いま東京でも強い風が吹き始めました。
 熊本(肥後)の隣、福岡(筑後)久留米の生家でも震度5強(16日未明の本震)報道。再び心配の電話をかけてみると、幸いに瓦は一枚も落ちなかった、しかしこれからの雨洩りが心配。屋根が揺れて瓦はずれている?何しろ明治の古い木造家、築100年を超えている老屋。なんとか耐えてくれたのです。
 上掲の山城メールは、16日未明の“本震”以前のもの。その後に震度6が相次いで、おそらくライフラインも失ったのではないか。空港は閉鎖、新幹線も運休、高速道路は寸断。シャチホコ・瓦が落ち石垣が崩れた熊本城の無残な姿。これからの復旧がたいへんです。
 その後、大分(豊後)でも新たな地震・・・となると、渡部幹雄さんの母上のことも気になりますね。包聯群さん(大分大学)の驚きの顔が見えるよう。
 15日夜の「風の部屋」では、東京社会教育史研究・編集の最終作業でした。残されたリライト原稿の督促、年表・統計等の資料編その他、入稿に向けて作業はまだ続きますが、あと一頑張りです。苦しい作業をなんとか楽しく取り組んできたこの3年半の歳月を思いおこしています。この夜、野々村さん手づくり「たけのこ」ご飯(群馬の稲葉さんから送られてきた「たけのこ」)、美味しく頂きました。ご馳走さまでした。

3653号【2016年4月15日】
■≪熊本に大地震!≫
 最近は視力・指力、そして知力の劣化がはげしく、「風」の発行済み記事など読み直すのがこわいくらい。必ずといっていいほどミスあり。単純なミスは訂正記事など煩瑣になるのでパスしていますが、お名前はそうはいかない。前号本欄には、上海・呉遵民さんのお名前が一字間違っていました。申し訳ありません。ホームページの写真キャプションは正しい記載で救われましたが。
 さて、韓国の総選挙(13日に投票、定数300)。与党セヌリ党は過半数を大きく割り込み(122議席)惨敗。最大野党「共に民主党」(123議席)と第3勢力の新党「国民の党」(38議席)がいずれも躍進。2018年2月に任期満了を迎える朴槿恵大統領の求心力低下は避けられず、レームダック(死に体)化が早まりそうとのこと。
 今年1月の台湾総統選挙(独立志向の野党・民進党勝利、8年ぶりの政権交代)とも並んで、いま東アジアの民衆意識は明らかに動いている。さて日本は・・・と書いたところで(14日午後9時半)、九州・熊本地方に大地震のニュース。ひどいところで震度7。久留米の生家に電話したところ震度4。驚くほどの揺れ!だと。山城千秋さんはじめ、熊本の皆さん、お見舞い申しあげます。被害のないことを祈っています。

3652号【2016年4月13日】
■≪懐かしの1枚≫
 北京・韓民さん(国家教育発展研究センター)から久しぶりのメールが来ました。多忙のなか有り難うございます。今年に入って上海・呉遵民さん(華東師範大学)を通して東アジア(中・日・韓)国際シンポの企画、「皆さんの提案は大歓迎」とのこと(上掲)。私たちも4月10日に集まって日程等について意見交換をしました。3国を結ぶ研究交流の新しい一歩を刻むことになればと願っています。
 韓民さんは中国「教育部・領導」(リーダー)です。すでに何枚かの写真をホームページ(「古いアルバム」等)に収録していますが、今回、電光掲示版で「領導」歓迎!の文字が躍る別の1枚を加えました(下掲)。上海・閘北区社区大学(行健職業学院)訪問の折(2008年11月)の、ピントの甘い写真ですが、故伊藤長和さんや沖縄の当間姉妹も同道した懐かしの旅。同大学の校長・袁允偉さんや友人の羅李争さん、それに呉遵民さんの顔も見えます。この写真から、すでに8年が経ちました。
 韓民と羅李争は、文革後の最初?の国費留学生(東京学芸大学・院)。二人は国立市公民館近くのアパートに部屋を借りていました。公民館の会合のあと、小川俊夫さんと一緒に彼らの部屋で韓民手づくりの餃子をご馳走になったことがあります。これこそ北京の餃子だ!と思うほど見事な味でした。それから研究室や小林宅などでよく餃子会をしたものでした。あれから30年余りが経過。
 そう言えば、初めて島袋正敏さん(当時・名護市博物館準備室長)と出会った沖縄の旅には韓民も参加していた記憶あり。多分1983年のこと。当時の写真は捜し出してスキャンしなければなりません。そのうちに。
右より沖縄の当間姉妹、呉遵民さん、韓民さん、小林、袁校長、伊藤さん、羅李争さん、内田さん(行健職業学院、20081102)


3651号【2016年4月11日】
■≪研究共同体の夢に酔って≫
 昨4月10日の終日の「風の部屋」会議、ご参加の皆さま、お疲れさまでした。午前からTOAFAEC 年報21号編集会議(第2回)、午後は韓国生涯学習研究フォーラム(第63回)、そして夜は東アジア研究交流委員会(再開第1回),のべ25人前後の精鋭!が終日の論議を楽しみ、かつ疲れました。しかし充実感あふれる疲労感は心地よい。三つの会議を通しで出た人は、李正連さん(東大)、上田孝典さん(筑波大)とぶんじんの3人か。 
 年報編集会議の記録は、編集長から間髪を入れず、さきほど(11日午後)届きました(上掲→■)。高揚感あふれる記録!この調子!と思わず叫んだほど。第21号もきっといい内容に仕上がること間違いなし。
 TOAFAEC 代表の上野景三さんは佐賀、編集長の内田純一さんは高知、韓国フォーラムに出席の藤田美佳さんは奈良、東アジア交流委員会代表の石井山竜平さんは仙台から、他の用件とも重ねながら、皆さんそれぞれ手弁当の旅費自己負担、有り難いことです。
 昨年の年報20号の巻頭言で、ぶんじんは最後に「私たちは自主・自由の研究共同体」でありたい、東アジアでこのような研究共同体が同志的に連合し民主主義の発展に寄与していきたい、という趣旨のことを書きました。いま、夢にみる研究共同体が創られつつある空間だ、そんな実感にひたりながら、なかば酔っていたような1日でした。
ひさしぶりの東アジア研究交流委員会(蘭、160410)



*南の風3650号
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