南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
3500号【2015年5月27日】
■≪3500号・御礼≫
前号に書いたTOAFAEC 事務局会議の席で、「事務局が自前の広報機能をもってくれたら、南の風は止めることができるのだ」とつぶやきました。この2年余りの間に、何度か「風の吹き納め」のご挨拶を書きかけた経過があります。しかし、その都度、面白いメールが舞いこんだり、東京社会教育史の本づくりや基礎教育学会(仮)の動きが始まったり、そしてTOAFAEC
活動の案内・報告の必要もあり・・・、というわけで、結局は3500号まで来てしまいました。3000号からちょうど2年半。あらためて皆さんのご愛顧に感謝!です。
北九州・山下厚生さんのお便り(上掲)に驚きました。「 … 私は毎朝4時に起きて、早朝のジョギング
… 今日で連続3542日になりました」と。風のライバル?登場。数字では風はジョギングに追い抜かれ、だんだんとその差が開いていくばかりか。これからお互いを励みとし、あとしばらく数を重ねていくことになりましょうか。どうぞよろしくお願いします。
今年の「七夕の集い」の予告メールが来ました。江頭晃子さん。「・・・日程の報告が遅くなり、すみません。七夕の会は7月19日(日)の開催、別途案内を送ります。…
ご予定を開けておいてください。」
この間の皆様からのお便りたくさん、有り難うございます。岡山の美若忠生さんのメール、“不思議な体調不良”とのこと。お見舞申しあげます。しかし、「そんな時、しきりに『社会教育私史』を書きたくなります」と。ぜひ!ぜひ。まず「風」誌上で。いつでも連載のページをご用意します。
3500号でお別れする方々、これまでのお付き合い、あらためて御礼申し上げます。
3499号【2015年5月26日】
■≪あと1号で3500号≫
昨日(5月25日)午後2時半、関東地方に強い地震がありました。棚から本やDVD類がかなり散乱。東京の震度4。震源地は南茨城とのこと、鹿嶋や筑波の皆さんは驚かれたことでしょう。散乱物の片づけをしながら、4年前の大震災の揺れを思い出しました。テレビも緊急の地震報道に切り替わっていましたが、大きな被害はなかった模様。地震列島は、ときにグラリ!と揺れますね。
話は前後しますが、24日・日曜日の午前、上京中の上野景三さん(日本公民館学会長、佐賀大学)の都合に合わせ、「風の部屋」で久しぶりのTOAFAEC
事務局会議。総会(6月6日夜)に向けて5人集まりました。皆さん、ご苦労さま。これからのTOAFAEC
の運営体制や事務局問題、会計や年報発行などについて、あれやこれやの協議。代表交代のこともあり、故伊藤長和さん逝去後の副代表後任の懸案もあり、また事務局体制拡充の課題も。TOAFAEC
も20年が歳月を経て、次のステージへどう脱皮していくかが問われています。今年の総会が新しいTOAFAEC
へ向けてのスタートとなれば幸い。
あと1号で3500号となります。本号は皆さんから頂いた「風」への返信、近況報告などをご紹介しました。珍しいお名前も出てきて懐かしい。日頃無音の皆さん、風・継続希望の方はご一報を。お急ぎください。
≪追録:宮良純一郎さんのこと≫
新刊『月刊社会教育』(国土社)6月号−特集「沖縄からの発信」−。執筆者の一人、宮良純一郎さん(元校長、「八重山戦争マラリヤを語り継ぐ」)は、私たちの与那国調査(1998年)当時、同町教育委員会・教育課長でした。この調査には、たしか内田純一さんや山口真理子さんが一緒。その後に鷲尾真由美さんたちも同行された記憶。宮良純一郎さんには、お父上・宮良保全翁(与那国民謡・長老)とともに大変お世話になりました。
純一郎さんとは、与那国・久部良の「日本最西端之碑」に座り、二人で台湾に落ちる夕陽を見ながら語りあった仲です。【南の風】第63号:与那国から台湾を望む(1998年7月31日)−はその記録。また「おきなわ短信」2〜7(小林「公民館の風」138、141、143、188号など、2001年)に当時のフィールドワークを書いています。ご覧いただければ幸い。
→■http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/okinawatansin1999.htm
3498号【2015年5月23日】
■≪五月もはや下旬≫
1週間前に頂いていた飯田・木下巨一さんの「下伊那テーゼ50周年を記念する学習会」報告、やっと上掲することができました。日本公民館学会のMLや内田「公民館の風」にも報じられていましたので、こちらはついつい掲載がおくれて、失礼しました。
本号から、3500号を期しての風アドレス帳更新・継続ご希望のメールを載せ始めました。久しぶり、千田忠さん(もと酪農学園大学)の便り。半年くらい前の心臓手術、その後リハビリに取り組み、順調に回復、「かってと比べものにならない“がんばり”がきくように」なったとのこと。しかも「…体調と折り合いをつけながら、高齢者の地域での共同についての参加型調査を行っています(札幌、倉敷)」など。よかった、よかった!
こちらは、昨日「東京社会教育史」づくりに向けて、2回目の集中編集作業(リライト依頼)でした。2時〜9時まで。皆さんの頑張り。小生は妻の介護(夕食等)のため、2時間あまり中座しましたが、会場と自宅を往復しながら、充実した気分。きっといい本に結実していくことでしょう。
研究職でないメンバーが、本務をこなしながら、難しい研究・編集の課題に挌闘している風景。本の出来上りへの期待とともに、何よりこのプロセスの積み重ねこそ貴重だと思いました。歴史に取り組む作業が、苦しいけれども、次なる歴史を紡ぎだすことになるだろう、拡げて重ねていってほしいものです。
「月刊社会教育」6月号が「沖縄からの発信」を特集しています。島袋正敏さんが巻頭に「名護社会教育―市民協働の地域づくり」を執筆。昨日、そのセイビンさんからの電話。会場ほかの事情あり、ぶんじん「トシビーユーエー」(生年祝い)は7月に早めたいと。いったい「トゥシビー」とは?「ユーエー」は「祝い」。
3497号【2015年5月21日】
■≪若い社会教育主事集団とのユンタクを≫
本号も長文、恐縮しながらの配信です。風「継続希望」各メールも長文が多く、掲載をあとまわしにしています。皆さんからの相次ぐメールに感謝!風の隔日リズムを維持すれば、どうしても長くなってしまいます。ご容赦を。
年報編集委員会の次回スケジュール案が来ました。次の日程を確定しないまま別れてしまった先回編集委員会の失敗・反省。4日夜こちらの都合は大丈夫です。20号編集について、各執筆予定者あて、特集企画をそえて、執筆依頼・枚数や期限など編集長からの一文がほしいところ、如何でしょうか。
南の風は創刊からすでに17年の歳月、参加メンバーの全般的な高齢化は避けられませんが、おそらく最も若い世代と思われる松田弥花さん(東大・院)から「今月末(29日)に行われるTOAFAEC定例会、ぜひ、参加させて頂きたい」旨の来信(上掲)。お出でになるとすれば、研究会に“初参加”。研究会終了後の交流会では初参加・歓迎の乾杯をする慣わしです。ご予定ください。
名護・島袋正敏さんから(上掲していませんが)いつもの辺野古・新基地とめよう!の訴えでなく、ぶんじんの「トシビーユーエー(生年祝い)をやろう」とのご提案。有り難く涙こぼるる思い。セイビンさんも羊(ひつじ)年生まれ、合同生年祝いのイメージか。「… 突然のお願いですが、名護・山原の気持ちをお汲み取りいただき、先生の日程調整をお願いします。近々に実行委員会を持ちます」と。8月8日、会場(名護)屋部公民館の企画案だそうです。
とつぜんのお知らせ。ウチナンチュになったような気分です。有り難うございます。この機会に若い社会教育主事の皆さんと、ゆっくりユンタクする機会があれば、と思っています。
3496号【2015年5月19日】
■≪竹富島・東京郷友会90周年≫
もうすぐ「南の風」は3500号。風を“双方向”に吹きあいたい、各方面からの風が集まる「ひろば」づくり、そんな思いで「南の風」発行を重ねてきました。恒例100号おきアドレス帳更新をお知らせしたところ(前号)、折り返しの「継続希望」が寄せられ始めました。加えて、夜間中学に関する超党派議員連盟による立法に向けての6・4集いのご案内、飯田市の木下巨一さんメール(未掲載)、またTOAFAEC
総会や研究会お知らせ、それに本号では17日の沖縄「止めよう辺野古新基地!沖縄県民大会」のレポート3本。有り難うございました。いま当方の受信箱は満杯の盛況。あらためて皆さんの活力を実感しています。本号も長文となりましたが、お許しください。
風に寄せられた各位の近況・活動の報告は、ひと呼吸して、順次、掲載していくことにします。いつもは頂いた次の号あたりに載せてきましたが、今回はそうもいかず・・・ご了承ください。
八重山の竹富島、その東京郷友会が1925(大正14)年創立から今年で「九十周年」を迎えたそうです。「ふるさとを遠く離れて、交通情報も不便な時代に肩を寄せ合って語り継いできた」郷友会の歳月。上勢頭芳徳さん(竹富島喜宝院蒐集長)から「記念公演」お誘いを頂きました。鶴見や川崎の沖縄県人会の歴史も大正期から始まるようですが、一つの小さな島だけの郷友会としては稀有の歴史と言えましょう。
90周年記念公演(6月7日午後、王子駅北口「北とびあ大ホール」)では竹富島の芸能(国指定・重要無形民俗文化財)の数々が上演される予定。あいにく日本社会教育学会六月集会の2日目ですが、ぶんじんは竹富島芸能に惹かれています。ご関心の方はご一緒しましょう(観覧料2,500円)。ご一報を。
3495号【2015年5月17日】
■≪恒例100号おきアドレス帳更新≫
16日(土)夜、美女3人が“風の部屋”に来室。素晴らしい週末となりました。横浜と多摩と韓国公州の・・・と書けば、自ずとお名前はお分かりでしょうか。こちらは、仕入れていたカツオを冷蔵庫の氷室に入れて、なかばルイベとなった片身、これを刺身にして、失礼ながら、一人ビールを飲みながらの開会。皆さんからの頂き物も並び、活発な語り合い(テーマ・社会教育と市民−東アジア20年)。当日論議は月末金曜日(29日)第217回定例研究会へと拡がる予定。楽しみです。当日のご案内、お待ちしています。
前号に山本健慈さん(前和歌山大学長、5月より国立大学協会専務理事)の「はじめての東京暮らし」ご挨拶を載せました。いちど私たちの集まりにもぜひ!「ヤマケン先生、歓迎の集い」など企画したいものと書いたところ、折り返しメール来信。「山本健慈です。小林先生、南の風同人のみなさん。お誘いありがとうございます。「お知らせ」を見て、また参加させていただきます」とのこと(Date:
Fri, 15 May 2015 17:16)。追信あり・省略。
ところで、あと5本で「南の風」は3500号。あの「3000号・騒動」(伊藤長和さんがお元気だった!)から数えて、早くも2年半が経過しています。まだ少し風は続くようです。恒例の100号おきアドレス帳更新作業をいたします。「風」無用の方、最近まったく音信ない方で引き続き風・継続配信をご希望の方々、その旨のご一報をいただければ幸いです。皆さんに紹介する近況もそえてくだされば有り難い。
TOAFAEC 事務局へ。6月6日「総会ご案内」どうぞよろしく。また24日午前予定(総会へ向けての)事務局会議−風の部屋、結集をお願いします。
3494号【2015年5月15日】
■≪沖縄復帰の日に≫
5月15日は沖縄「復帰の日」。今年すでに43年。昔(東京学芸大学)研究室で集いを企画したこともあり、TOAFAEC
定例研究会で何度も「復帰」をテーマに語り合ったこともありました。私たちが沖縄研究にたずさわり、関心をもつようになったのは1976年、復帰後4年目のことでした。それからこの日を特別な日として意識するようになって40年が経とうとしています。
この日、沖縄各紙は社説で「復帰」について書いています。琉球新報は、復帰当時の沖縄県知事・屋良朝苗の言葉を引いて「圧政はね返す正念場」の訴え。
「復帰運動の先頭に立った屋良朝苗主席の『復帰措置に関する建議書』前文にはこうある。『沖縄は余りにも国家権力や基地権力の犠牲となり、手段となって利用され過ぎました。復帰という一大転換期に当たって、このような地位からも、沖縄は脱却していかねばなりません。』 …(略)… 現状はどうか。国は日米安保を重視する手段として沖縄を相変わらず利用し、県民は基地の重圧にあえいでいる。新基地建設は今後も沖縄を利用し続けるとの宣言」だと。*全文
→■http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-242954-storytopic-11.html
沖縄タイムスはとくに「子どもを振興の柱に」の社説。「1人当たり県民所得や1世帯当たりの消費支出、高校進学率、大学進学率は全国最下位。一方、完全失業率や離職率、離婚率、母子世帯の割合、新規の高校・大学卒業者の無業者比率は全国一。(略)全国一と最下位が目立つデータが示すのは、個人の努力だけでは乗り越えることができない厳しい現実である。中谷元・防衛相との9日の会談で翁長雄志知事が『他の都道府県のように子どもやお年寄り、まちづくりのために全力を尽くしたいが、基地に時間が割かれすぎる。知事になって約5カ月、仕事の8〜9割は基地・・』と嘆く場面があった。…(略)…
子どもへの視点が乏しかった沖縄振興策の反省とともに、例え貧困であっても未来に希望を持ち健やかに育つよう、子どもに特化した『未来振興計画』が必要だ。」
*全文
→■http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=115538
3493号【2015年5月14日】
■≪六月「総会」に向けて≫
風雨から一夜明けて、13日の東京そして今日14日も、まったくの夏日となりました。不順な気候が日常となりつつあるような昨今ですね。
それでも季節は順調に移りかわっていく。夏も近づく八十八夜、新茶の季節となりました。福岡・八女から一袋を頂いて楽んでいます。今年は、3月「やんばる対談」の折に、沖縄・奥の新茶を入手する機会があり、これで二度目の新茶の香り。季節と言えば、いま魚はやはりカツオが旬。いい色の刺身がなんとも美味しい、いい季節なのです。
ご多忙の氏岡真弓さん(朝日新聞・編集委員)から、夜間中学についてメール拝受(上掲)。5月9日の朝日社説「夜間中学・どの県にも学びの灯を」は好論でした。凝縮した課題提起。メールでは「…新しい夜間中学の役割の再定義が必要」かとの指摘もあり、みんなで一度お話を伺いたいもの。
本号には加えて「鹿嶋からの報告」(森下松寿さん)、「川崎・富川高校生フォーラム・ハナで一緒に活動してきた川崎の女性と富川の男性の結婚式」慶事のニュース(小田切督剛さん)、有り難うございました。
TOAFAEC 事務局の皆さんへ。6月6日(日本社会教育学会・六月集会初日)予定の「総会」まで3週間となりました。当日の池袋会場は決まりましたか。風への「総会ご案内」をお待ちしています。風3489号に総会スケジュール予告を載せましたが、5月24日(日、午前10時〜12時)は「総会へ向けて事務局会議」(風の部屋)。これも大事な会議、事務局の皆さん、あわせてご予定ください。5月29日の定例(第217回)研究会のご案内もどうぞよろしく。
3492号【2015年5月12日】
■≪小さな語らい―お誘い≫
5月も半ば、皆さんお変わりありませんか。5月だというのに、南から思わぬ台風、列島づたいに、時速65キロで北東に進んでいるとのこと。宮古島で停電さわぎが報じられましたが、沖縄気象台は、朝(12日)には発令していた暴風警報を解除。いま(12日昼)東京でも風が強くなっています。逃げ足のはやい台風のようです。
月が変わった日に、ホームページ表紙の写真を、沖縄やんばる・マングローブ(慶佐次)風景から、福岡油山・エビネ蘭に変えました。9日夕、隠れ家にたどりついて、真っ先に庭の隅のエビネをのぞいてみましたが、残念なが今年の花は終わっていました。しかし群落は(藪の中)したたかに拡がって、これからが楽しみ。ことさらにHP・エビネの変わらぬ可憐さが目に鮮やかです。
いくつか予定の打合せ(七夕の会など)メールのなかに、小さな研究会の相談がありました。年報20号記念特集(風3488号)編集キーワードの一つ、「市民」について、東アジア20年をどうみるか、小さな研究会をしようという提案。江頭晃子さん「…5月の定例会ですが、金ボラムさんOKとのことです。江頭とボラムさんでTOAFAEC
20号の試案を皆さんに議論してもらえるように話題提供したいと思います。16日(土)夜に2人で打ち合わせをします。…
もし、先生のご都合がよろしいようでしたら、16日の夜ご一緒していただきアドバイスいただけると有難いですが・・・風の部屋に伺います、いかがでしょうか」(Mon,
11 May 2015 22:29)と。もちろん歓迎!です。
風の部屋(西永福)で16日午後6時〜6時半から。加えて黄丹青さんが来てくれると、中国「市民」の動きを話題にできます。黄さん、ぜひ! また関心ある方、お気軽にお出かけ下さい。研究の小さな語らいは大きな規模の研究会にない面白い論議の可能性を秘めています。お待ちします。勝手なお誘い。
3491号【2015年5月11日】
■≪福岡にて・・島原口之津へ≫
前号に記した「保谷市民の学習権宣言」(1995年10月)について、野々村恵子さんより早速「入手」のご連絡をいただきました(上掲)。安心しました。
当方も福岡「油山文庫」に入って、現物にたどりつけませんでしたが、関連資料・コピーで確認することができました。春・はなみずき、夏・けやき、秋・もくせい、冬・さざんか、そして木立に躍るしじゅうから−いずれも旧保谷市の木・花・鳥−に言寄せて、情感豊かに「市民ひとりひとりが生涯を通して学ぶ」自由と権利を宣言したものです。関連して『月刊社会教育』同年10月号に、奥津とし子さんが「市民主体の豊かな学習の発展を−保谷市の社会教育の蓄積を生かした生涯学習計画づくり」を執筆されています。あのころは、社全協・常任委員会も「町まち、村むらに『住民の学習権宣言』をつくりだそう」と呼びかけていたこと(1992年)も思い出されます。
さて9日の福岡、ご存知・農中茂徳さんが迎えてくれました。時計の針が12時をまわるのも忘れて積もる話。10日(日)は島原「口之津」へ行こうと(衝動的に)決定。島原半島めぐりは、雲仙の全国集会以来20年ぶり。
口之津は、有明海の入口に位置し、江戸時代から南蛮船・唐船が来航。明治期には大牟田・三池炭鉱の石炭積み出し港、与論島からの労働力受け入れ(与論長屋)、そして石炭船にかくれて「からゆきさん」が出た港です。「ドラマチックな歴史をもつ町・口之津」(原田建夫・口之津歴史民族資料館長)。港を見渡す旧税関に設置されている資料館は、見応えのある地域博物館でした。
帰路は、暮れなずむ頃に久留米へ。生家に立ち寄り、その足で古賀皓生さん宅を急襲。油山に帰着したのは深夜12時ちかく。終日、農中茂徳さんの車に感謝!まことに充実した1日となりました。
3490号【2015年5月9日】
■≪保谷「市民の学習権宣言」資料≫
南の風は連日配信をできるだけ少なくし、まして同日に吹く「風」は(これまで)例がありませんでした。ところが、今日(8日午後)前号を出したあと、上掲の添田祥史さん(福岡大学)メールや、神戸の草京子さん、東京の関本保孝さんなど夜間中学校関係者からのご案内が飛び込みました。本日(8日)夜のNHK番組(「文科省・夜間中学全国調査結果」発表について、8日夜11:30〜NHK
NEWS WEB「夜間中学の現状と課題」)。急遽「風」3490号を(明日9日の日付で)配信することにいたします。
当方は、あいにく9日に福岡へ行く用事あり、慌ただしい準備のなかの本号編集、もしや見苦しい誌面が残っている?のではと気になりながら・・・何か不充分なところがあっても、ご寛恕ください。
本(ぶ)欄、珍しく半分ほど空きスペースが出てきました。いま当方の受信箱には「東京社会教育の歩み」(仮)編集関連のメールがあふれています。今日の着信のなかでは、風・誌面にこれまでほとんど登場されなかった野々村恵子さんのメール、この機会に紹介させていただきます。私的なお知らせですが、お許しください。「9日午後1時〜西東京市柳沢公民館にて・・・話し合いの会を持ちます。K先生、原稿を書いてくれそうです。無理なら、私が話しをまとめます。・・・保谷の学習宣言のことは(保谷の関係の方々も)ご存じありませんでした。」(Fri,
8 May 2015 12:29)
ぶんじんの記憶では、1995年前後の保谷市民(計画策定審議会?)による取り組み。幸い久しぶりの福岡「油山文庫」、資料を探し出典を正確にして、次号にでも書くようにします。短い滞在(わずか2日)、うまく原資料にたどりつけるかどうか。
3489号【2015年5月8日】
■≪上海・二人の留学生≫
かって1990年代から2000年代にかけて、早稲田大学を事務局として「日中教育研究交流会議」が活発に動いていました。会長は太田堯先生、その後に故横山宏さんなど。いつの間にか「会議」は姿を消して・・? なにか学会が出来たような情報が迷い込んできた記憶がありますが、その後とくに連絡なく、どうなったのかしら?などと思っています。
同「会議」は『研究年報』を発行してきました。2004年・第14号には、小林「留学生との出会いと交流−この20年、上海への道」が収録されています。中国留学生との忘れがたい思い出、とくに「20年回想」前号〜本号「上海閘北区・業余大学との合作学院づくり−構想実らず」に登場する二人の留学生、袁允偉と羅李争のことは忘れることができません。とりわけ在野を貫いて生きている羅さん、この数年は会う機会がありませんが、元気かしら? 久しぶりに積もる話をしたいもの。しかし、当面は会う機会もなさそうですね。
→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/tyugokureport97.htm
10年前に二人と撮った写真(2005年10月)がありました(下掲)。また、「日中韓(三国)国際交流・学術フォーラム」(2010年11月、上海外国語大学)の夜、北京から韓民さんも来て、一緒に会食した折の写真も懐かしい。
→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/3kokusinpo2010.htm
ところで、2015年TOAFAEC 総会の日程がほぼ決まりました(上掲)。例年のように日本社会教育学会六月集会の初日夜。会場(東京池袋・立教大学)近くの場所を準備中です。関係の皆さんご予定を。学会理事・幹事の方々も、遅れてぜひ!ご参集を。また初めての方も歓迎です。
▼2005年10月、上海・二人の留学生、左・袁允偉さん(業余大学副学長・当時)、右・羅李争さん(上海、20051023)
3488号【2015年5月5日】
■≪おきなわ短信・15年≫
南の風は、沖縄各新聞の小さなコラム欄を散策・逍遙するのが楽しみ。そのなかで面白い記事に出会うと、風の「おきなわ短信」シリーズに紹介する作業を重ねてきました。今日は、子どもの日に関連して琉球新報・コラム「金口木舌」“地域のかすがい”を拝借したところ、「短信」は本号でちょうど1000号となったことを発見!
この機会に沖縄各紙、ジャーナリストの皆さんに、あらためての御礼を申しあげます。15年前後にわたる恩義、多くの叡智、フィールドワーク精神、正義と反骨の思想、平和への思い、などたくさんのことを教えられてきました。
この「短信」を重ねてきたことには二つの理由がありました。一つは「南」の風なのに、沖縄メンバーからの寄稿が(名護・島袋正敏さんなどを除き)あまり多くないこと。毎号に何かひとつ、沖縄の話題を載せたいという風のひそかな願いがあり、空きスペースがあれば、そのつど沖縄(八重山を含む)各新聞コラム諸氏のお仕事を頼りにしてきたという経過でした。ほぼ15年の歳月。
あと一つ、「南の風」を追っかけて創刊した「公民館の風」(1999年9月〜)には、当初ほとんど寄稿がありませんでした。その穴を埋めたいと、「シリーズ・沖縄の公民館」を書き始めたのが1999年11月。毎号かなりの長文、20回シリーズを終えて「おきなわ短信」と改名。公民館以外のことも話題に。少しずつ新聞記事を引用するようになっていきました。「短信」の初期の30本ほどは小林の文章になるもの、読み直してみて案外と面白い記録。いまの「おきなわ短信」のかたちになるのは2002年あたりからです。「短信」1000本の記録はすべて残っていて、ぶんじんにとって、いま大事な資料源です。
○おきなわ短信
→■http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/okinawatansin1999.htm
○公民館の風
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kouminkankaze2.htm
3487号【2015年5月4日】
■≪1998年−あの懐かしき日々≫
TOAFAEC 創設から20年。この機会に折々の歩み記録をいくつか再録しておこうと始めたシリーズ。本号(回想その4)でようやく「南の風」創刊(1998年2月6日)にたどりつきました。「パソコン通信」の言葉が目新しい頃、この通信を「とりあえず『南の風』と名のる」ことは咄嗟の思いつき、深い思慮があってのことではありません。もちろん“南”は沖縄の意。当時はこんなにながく続くとは思いもよらず、歳月の経過とともに“南風”は韓国や中国でも関係の方には、少し知られる名称となりました。
初期は、「沖縄・東アジア」研究の仲間うちの通信、同報メンバーは10人たらずか。勝手気まま、書きたい放題。読み直して懐かしくもあり、しかし中に失礼となる話題や表現もあった?に違いありません。遠慮しないで率直に書くのが持ち味でもあり・・また「戯れ歌」コーナーに驚いた人もありました。
風がスタートした1998年の記録を読むと、当方の年齢はすでに70才近くなのに、よくもまぁ、いろいろと動きまわっていたもんだ!と自ら驚いています。国立大学の(管理職を続けたせいもあり)勤務の拘束や海外旅行の手続き制限と比べ、定年後の和光大学時代が総じて自由闊達に動けました。この年、正月に「南の海を飛びながら」(前号)名護へ。2月に上海へ。5月は韓国の畏友・黄宗建さんを迎えて鹿児島・与論・沖縄へ。7月は最西端の島・与那国調査を開始。9月に再び「やんばる」交流。11月に再び上海(閘北区業余大学と合作学院づくり協議−次々号予定)など。沖縄・東アジア各地への研究交流を背景に、毎月の定例研究会も活発に動いていきました。
この年は、科学研究費(沖縄地域史研究)の援助がありましたが、できるだけメンバーに分けて、自分のすべての海外旅費、2ヶ月おき沖縄行き経費、広州や上海からの訪問団受け入れ経費その他もろもろの活動費は、すべて自己負担、よく続いてきたものです。
3486号【2015年5月1日】
■≪風薫る季節に≫
本号は、5月10日予定「基礎教育学会」(仮)設立準備会(第2回)案内、既報日時に誤記あり、急ぎ訂正記事が送られてきましたので、連日配信となりました。ご了承ください。収蔵庫にしまっていたホームページ「基礎教育学会」(仮)構想・設立準備会サイトも、この際取り出して、5月10日のこと、書き入れました。
→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/basicedu.htm
誌面は大きく拡がっています。三日前の新しいニュースと、17年前の古い記録が混在する紛らわしい構成。古い記録は、年報「東アジア」20号(今秋・刊行予定)に「TOAFAEC
20年」を書くことになったので、この際いくつかの記録を載せておこうと思いたったからです。本号で回想はその3。1995年からのTOAFAEC
史に関する折々の拙文、あといちど光をあてて…。とくに本号所収の一文は、1998年正月に那覇・名護・八重山を旅して「南の風」発行の契機となった旅の記録。「南の海を飛びながら−沖縄研究再開への思い」TOAFAEC
ニュース第13号所収(1998年1月30日)。この1週間後に「南の風」を始めたのです。
この旅の名護訪問・中央公民館工作室の記念写真は、HP「南の風発行一覧の扉に飾っています。小林・島袋共編『おきなわの社会教育』(2002年)にも収録。墨筆大書された「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会
in なご」の流麗な文字は、島袋正敏さんの筆になるもの。同行の群馬の懐かしい顔も並んでいて、TOAFAEC
史にとって思い出深い1枚です。
→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/kazeitiran3.htm
5月連休、皆さんのご予定は如何?ですか。楽しいスケジュールで動いている方々へのお願い。お裾分けに、若葉薫る季節の風を、ぜひ当方の「風」にお寄せください。
3485号【2015年4月30日】
■≪2015年・TOAFAEC 総会は・・≫
昨日(29日)は、午後から夜まで、『東京社会教育の歩み』の集中編集作業(リライト依頼など)でした。休日なのに、はるばる「風の部屋」までご参集の皆さま、お疲れさまでした。はじめてご来室の野々村恵子さんは、なんと!昼と夜の軽食(数人分)ご持参、恐縮しました。当方は例によって、オケクラフトと氷と飲み物だけの用意。作業の後半は、ちびりちびりと・・。軽く酔いながらの楽しい論議、終日しゃべりあって過ごし充足感のこる1日となりました。メーデーを終え、エイデル・山添路子さんも駆けつけ・・・春の宵はゆっくりと更けていきました。
*置戸・森田はるみさんへ。その後、オケクラフト・白樺ワインクーラーの在庫は如何でしょうか。酔ったなか
で、希望が出されました。お伺いまで。
ところで、先日の4月定例研究会(24日)では、今年度のTOAFAEC 総会の持ち方が話題になりました。開催日をどうするか、会計上の報告だけでなく運営体制についても協議する必要あり、また事務局の活性化についても昨年総会で話しあったことでした。亡くなられた伊藤長和さん(副代表)のあとをどう埋めるかの宿題も残されています。
開催日は、やはり学会六月集会(初日)の夜に開く案でしょうか。学会理事会と重なりますが、昨年秋の福井学会のことを思い出すと、理事・幹事の方々も(理事会終了後に)多数駆けつけていただいた記憶。あわせて編集委員会の次回日程についても包聯群さん(大分大学)からお尋ね(上掲)が寄せらています。ご検討頂ければ幸です。
4月が終わり、5月連休へ。九州油山にも行く必要がありますが、いま簡単に家を空けられず、思うに任せぬ連休です。
3484号【2015年4月27日】
■≪20年ぶりの村長選≫
本の企画・出版は、個人的な業績発表と考えられる場合もありますが、基本的には社会的な研究運動、世の中へのプレゼンテーションとして位置づくものですから、南の風では、その編集中の取り組みも、できる範囲で公開し、風の誌上に動きを紹介(上掲−集中編集会議の案内)してきました。
「南の風」のまわりでは、いま『東京社会教育の歩み』(仮題)編集と『躍動する韓国の社会教育。・生涯学習』(同)の2冊の編集作業が進行中。両書ともに本づくりは今“佳境”に入り、苦しい作業が続いています。来るべき刊行の日の喜びを夢見て、皆さん頑張っているところです。ご声援ください。
昨日の日曜日(26日)は、統一地方選挙(第18回)の投開票日でした。東京の場合、昔は都知事選も重なり、一大選挙イベントでしたが、今回は区議会議員選挙のみ。幸いに投票した人は中位で当選していました。まずまずです。
沖縄では、北部米軍演習地問題とかかわる「東村」の村長選、20年も無投票が続いてきた注目の選挙は、わずかの差で、新村長の誕生には至らなかったようです。今日の琉球新報(2015年4月27日)記事、次の通り。
「【東】任期満了に伴う東村長選が26日に投開票され、現職で3期目を目指す伊集盛久氏(74)=無所属=が742票を獲得し、元村役場職員で新人の當山全伸氏(66)=無所属=に133票差をつけて再選を果たした。伊集氏は「2期8年でやってきた全てが認められた結果だ。公約実現のために村民一丸となって頑張っていきたい」と述べた。米軍北部訓練場一部返還に伴い、高江地域にヘリコプター着陸帯を移設する計画については「従来通り、日米特別行動委員会合意に基づいて進めていく」と移設容認の立場を貫く考えを示した。」
3483号【2015年4月25日】
■≪年報20号編集≫
昨日(24日)は、年報20号の編集会議(第3回、午後)、そして4月定例研究会(第216回、夜)でした。高知からは内田純一さん(年報編集長)がはるばる上京、ご苦労さまでした。案内が行き届かなかったところもあるのか、また編集委員以外の皆さんは遠慮されたのか、参加者は少なく、せっかくの記念号編集なのに、いささか心残り。欠席連絡が相次ぐなか、上田孝典さん(筑波大学)からはご息女誕生のおめでたニュース。「急遽すべてキャンセルして帰省しております」とのこと。なによりの慶事!上掲させていただきました。まことにおめでとうございます。
編集会議の主要課題は20号記念の特集をどう組むかの論議。構想をぜひ実現してほしい、楽しみな年です。今年は同時に、TOAFAEC
そのものが満20年の年輪を重ねた年でもあります。定例研究会は来る5月研究会(第217回)で満20年となります。毎年11回の研究会を20年間、着実に開催してきたことになります。これは拍手!と自賛。
ちなみに「南の風」は、20年前の研究会創設時には発行されていませんでした。2年半後の2008年2月の創刊。この機会に本誌上に「回想:TOAFAEC
20年」の文書記録を4〜5回、載せておきたいと思っています。本号にまずその1。年報創刊を含めて「私たちの思い・1996年」を(上掲)。その頃にホームページも毎月の主要スケジュールを掲載し始まますが、写真記録は2000年代に入ってからのこと。当初はさしたる価値もないような記録でも、歳月が重なると、それなりの価値が加わるように思います。
この夜の研究会には、思いがけなく、1995年に学大院を修了した夏鵬翔さん(現・首都師範学院・北京)が現れ、驚かされました。あれからまさに20年が経過したのです。
▼第216回研究会終了後のイーストビレッジ。北京・夏鵬翔さん参加(左より2人目) −20150424−
3482号【2015年4月22日】
■≪初ガツオの季節≫
本号は明日あたり配信の予定でしたが、上掲のように、明日未明・放送予定のNHK総合テレビ「視点・論点:外国人の日本語教育を考える」(宮崎里司氏・早稲田大学大学院日本語教育研究科・出演)のお知らせが舞いこみましので、風としても急ぎ編集・発行することにしました。本号が皆さまのお目にとまって、放送に間に合えば幸い。「夜間中学の全国への拡充」の動きも話題にされるそうです。しかし「視点・論点」放送時間は、なんと明け方の4時20分から。教育テレビ午後1時50分からの再放送もあるそうですが…。
というわけで、手もとの風・受信箱から、普段はあまり誌面に載せない編集会議の内部連絡やその会場手配のことまで、ついでに載せてしまいました。まずは目につく食材で、お手軽料理をつくる類い、お許し下さい。
ちょうど1年前のこの季節、「初カツオ」の話題を風に書いた記憶があります。この時期から、家の食事をたどたどしく手作りし始めたのでした。あれから1年、初カツオは記念の魚です。昨日・渋谷の魚屋店頭には初鰹が並び、若い衆が伊勢よく「初ガツオだよ」と声をかけてくれました。季節は確かにめぐってくるもの、カツオたちも赤い身を躍らせて回遊してきました。
やはり美味い!冷凍しない魚のみずみずしさ。那覇・久茂地「苗」の「カツオめし」を思い出して、刺身の残りをそれらしく工夫してみましたが、これはうまくいきませんでした。しかし元気を与えてくれる魚です。あらためて、あまりにも有名な素堂の一句。「目には青葉
山ほととぎす 初松魚」(カツオは松魚とも書く)。
3481号【2015年4月20日】
■≪社会教育資料1万点!≫
戦後史のなかで、それぞれの自治体・社会教育行政が世に出した関係資料が約1万点、姿をかくしていましたが、このたび新リスト化され、再び日の目をみることとなりました。風3477号に添付された「東京社会教育行政資料」。岩本陽児さんメールによれば、「先年、多摩社会教育会館から廃棄!され、和光大学の図書館でレスキューされた、行政刊行物の一覧です。ようやっと、新しいリストが上がってきました。ほんと、宝の山だと思います。…」
この資料の救出には、「アンティ多摩」江頭晃子さんたちが尽力。すこし古い記録を探してみたら、2004.11.4
日付で「東京都立多摩社会教育会館・資料室を活かす連絡協議会」の記録が出てきました。「お知らせ−みなさまとご一緒に取り組みを進めて参りました都立多摩社会教育会館の市民活動資料の問題について、ようやく社会教育行政資料の移管先が決りました。」「多摩地域・23区・東京都・文部省発行のもの(約12600冊)→和光大学図書館(東京都町田市)」と。1万点余の稀少資料群を廃棄する不届き者、それを救う側の懸命の努力、奔走した人たちの叡智があったのです。
今回、蘇った資料リスト数は1万点には充たないようですが、それにしても救われたのは資料たちだけでなく、人の心も救われました。この間の十年余のストーリー、歳月の経過とともに光を放つものがあります。さて、これをどう活用していくか。資料リストは、箱ごとにナンバーが付され、資料名・発行者・発行年の3項目が入力されています。データーベースとしては動かないようです。まず数ページをペーパーに打ち出し“宝の山”を実感しています。
3 480号【2015年4月18日】
■≪翁長沖縄県知事・語録≫
上掲「おきなわ短信」の「シーミー」とは“清明”祭のこと。旧暦三月に親族を中心に行われる祖先供養。日本本土ではほとんどみられませんが、中国伝来の行事を沖縄では各地で大事に受け継いできました。親族相い寄って墓参をし、お墓の前で重箱などご馳走を開いて、先祖の霊とともに語り楽しみあう集いは、門中(ムンチュー)と呼ばれる同族組織や門中墓への興味とも重なってきました。今年のシーミーには、きっと翁長県知事と日本政府(首相、官房長官)とのやりとりが話題になっているのでしょうか。それとも、そんな政治の話などは出ないのかも・・・と思ったり。
安倍首相と翁長知事の初めての会談が首相官邸でもたれました(4月17日)。翁長知事はメモを出しながら、静かに、しかし激しい表現で、沖縄の思いを吐露。翁長知事のいくつかの語録を拾います。
「絶対に辺野古に新基地は造らせない」「(前知事の)県外移設の公約をかなぐり捨てた埋め立て承認」「戦後、銃剣とブルドーザーで強制接収された」「土地を奪っておきながら、老朽化したとか、世界一危険だからとか、嫌なら代替案を出せというのは、こんな理不尽なことはない」「固定観念に縛られず、まずは辺野古への移設作業を中止することを決断してほしい」「辺野古の新基地建設に反対する沖縄の声をオバマ大統領に伝えてほしい」など。(沖縄タイムス社説2015年4月18日「翁長・安倍会談−「辺野古」新たな段階へ」)
17日夜、私たちは「東京社会教育史研究フォーラム」研究会(第22回、高井戸)でした。いま本の執筆・編集はk佳境に入っています。会は9時に終わり数人で「イーストビレッジ」へ。「お休み」の張り紙あり、珍しく飲まないで、そのまま帰宅しました。店のマスターの3月入院(上掲事務局コーナー)のこともあり、いささか(24日夜が)心配です。
3479号【2015年4月16日】
■≪沖縄民謡「ひやみかち節」≫
前号・本欄に催促がましいことを書いて失礼しました。折りかえし年報・第20号編集委員会(24日午後3時〜)、あわせて、第2部:TOAFAEC4月定例(第216回)研究会(午後6時半〜20号編集に向けて、[やんばる対談」こぼれ話など)「ご案内」が届きました
→■。春の夜のひととき、高井戸・神田川ほとり(桜は終わり、どこかに花水木が咲いて・・)にお出かけください。年報編集に関連して、各研究フォーラム(韓国・中国、東京社会教育史など)の動きもお聞かせください。3月末の沖縄訪問、出会った人々など「やんばる対談」こぼれ話も訪沖メンバーからご紹介いただきたいもの。
本号に紹介した【おきなわ短信】(991)は、沖縄タイムス[コラム]大弦小弦。「七転び転でぃ/ひやみかち起きり」(上掲)を面白く読みました。取り上げられている沖縄民謡「ひやみかち節」は、はや弾きのサンシンの調子がいつも絶妙、心に響くものがあって、大好きです。昨年の沖縄県知事選では翁長陣営のテーマソングとなったもの。曲に何度も出てくる♪ヒヤミカチウキリ♪とは、「ヒヤ(エイッ)と起き上がる」意味らしい。YouTube
で「ひやみかち節」とさがせば、いくつも出てきます。「我らのこの沖縄 宝島だ!心をひとつにして 立ちあがるんだ」♪ヒヤ ヒヤ ヒヤヒヤヒヤ♪
翁長雄志沖縄県知事の中国訪問のニュース。4月15日に北京・人民大会堂で李克強首相と面談しました。知事は、中国と沖縄の交流の歴史を語り、福建省と沖縄の経済特区や、那覇―福州の定期便開設などを要望。李首相が就任後に日本の知事と面談するのは初めてだそうです。
→■http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-241811-storytopic-4.html
3478号【2015年4月14日】
■≪ときには「北の風」も≫
日本列島にそって不連続線が走り、東京は終日(13日)の雨。14日も雨が続いて夜も雨、天候不順です。あるクリニック(阿佐ヶ谷)にMRI検査予約があった富美には冷たい雨。幸いその往復時は小雨で助かりました。車椅子には「春雨じゃ、濡れていこう」のセリフは通じませんね。
来る4月24日(金)は、TOAFAEC 4月定例研究会の予定。あと10日と迫りましたが、まだ「ご案内」が届きません。風として本号にも余白を用意して待っていたのですが・・・。前号は「事務局コーナー」で研究会予告記事をつくったつもり。3月定例会は「やんばる対談」で東京をパス、空白があってはならじ!と少し気を引き締めています。本文も、研究会予告ご案内として、各位の予定に入れておいて下さい。会場はいつもの高井戸。
さて、空きスペースをどう活用したものかとメール受信箱をのぞいていたところ、北海道置戸・森田はるみさんのメールを発見しました。社全協・全国委員のメーリングリスト(最近とくに活発!)に出た通信です。守口市の「いよいよ厳しさがまして・・・」ニュースへのコメント。ときには「北の風」も登場してほしい。本号に転載させていただきます。森田はるみさん、ご了承ください。あわせて守口市中央公民館・志鎌克巳さんのメール、「厳しさ」を報じる6〜7行を紹介させていただきました(上掲)。
いま二つの本づくり(韓国と東京社会教育史)が進行中。これに関するメール相次ぎ、読むのにたいへん。その中に「15日(水)の夜にお時間をいただくことができれば…」のお誘いあり、承知しました。時間と場所をご連絡下さい。
3478号【2015年4月11日】
■≪竹の子の季節≫
最近はよく小魚を煮ます。やはり炊きたてがよろしい。だんだんとコツをおぼえて、「お上手!」などと誉められ(おだてられ)、いい気になって、また次の魚をさがしたりしています。わが家は朝食はパンが多く、味噌汁はほとんどありませんでしたが、昔を思い出し、いま自己流・味噌汁をつくるようになりました。案外と好評。木綿豆腐に三陸わかめを添えて、ありきたりですが自分でつくる汁はすべて美味しい。失敗をおそれず、サッと手早く仕上げます。
ところが数日前に大失敗。弱火にしていた煮物の鍋を忘れ、パソコンを開いている間に(南の風のせい!)、鍋は黒焦げとなりました。焦げた鍋ほど悲しいものはない。「棄てなさい」と家人。そのつもりでいたところ、いま旬(しゅん)の筍(たけのこ)、朝掘りの感じの1本に手を出し、皮をむき米糠(アク抜き)も用意して、黒焦げ鍋でゆがきました。この「黒と白」の組み合わせは絶妙。黒焦げ鍋でも棄ててはなりません。筍の柔らかな芽の部分は味噌汁に、サクッとした胴体は魚煮付けの添え物に。自分流に楽しんで、いい1日でした。
その昔、少年Bは母に命じられて、よくインゲン豆の筋とりや筍の皮むきを手伝ったもの。今のようなガスは(都市もプロパンも)なく、薪を用意して火をおこし、火吹き竹でふ〜ふ〜して、煙が目にしみたもの。残り火は火消し壺に入れ、その消し炭で七輪をおこし、イワシなど焼いたのでした。筍をゆがきながら、湯気のなかに、戦時中の少年時代を懐かしく思い出していました。山口青邨(せいそん)に「ここらしずか筍を煮るにほひのみ」という句がありました。久しぶりに歌の工房、戯れ歌ふたつ。
○筍(タケノコ)をゆがく匂いに蘇る 春の夕餉の母の横顔
○薪を割り竈(かまど)に燃やす思い出の 焔の紅き少年の日
3476号【2015年4月9日】
■≪面白い歴史教科者−『学び舎』の挑戦≫
千葉の鳥塚義和さん(高校教員)から、久しぶりの嬉しい便り。こういうメールが舞いこむのは、まさに「南の風」冥利。7日から8日にかけていくつもの新聞も大きく『学び舎』歴史教科書づくりを報じています。7日に中学校教科書の検定結果が報道されましたが、『学び舎』教科書も合格したのです。
『学び舎』は、現場の教員(元、現)が金を出し合って設立した会社。「手弁当で会議、学習会を重ね、5年がかりで作った」教科書(上掲)。鳥塚さんもその一員だそうです。送られてきた三つの新聞記事(東京新聞、沖縄タイムス、韓国ハンギョレ新聞)のうち、沖縄タイムスを添付させていただきます。
鳥塚メールが届いたとき朝日新聞夕刊(4月8日)を開いていました。「南の風」メンバーでもある氏岡真弓さん(同・編集委員)が社会面4段の記事を書いておられます。「届けたい面白い歴史教科者−教員らの『学び舎』検定合格−ダメおし400件・6年越し挑戦」の見出し。こういう記事は筆が躍る感じです。鳥塚さん「いずれ市販本を出しますので、ぜひ手にとって読んでみてください。これまでの教科書との違いは、はっきりしていると思います。」
これからのこと。『学び舎』の歴史教科書について、「…採択に向けて、この教科書をひろめる活動に移ります。ぜひお力を貸していただきたい」(鳥塚)とのこと。歴史教科書の新しい時代がやってきてほしい。
昨夜(4日8日)夜は、「風の部屋」で東京社会教育史研究フォーラムの事務局会議でした。ぶんじんを含め、主要メンバーにいろいろ事情があり、お互いに励ましあって(「アルコール,少量を口に含めながら」石川)、今後のことを協議。石川さんから4月17日(金)研究会ご案内(上掲)。早速の作業、ご苦労さまでした。
3475号【2015年4月7日】
■≪4月の諸研究会はじまる≫
昨年末、杉並・安井節子さんから、ウェッブサイト「すぎなみ学倶楽部」へ杉並公民館の歴史を投稿する旨お知らせがあり、またその素原稿が送られてきました。すでに「すぎなみ学倶楽部」との調整がすすみ、加除修正についての細かな作業が進行済み。小生から「市民執筆の力作、これ以上何も申し上げることはありません」と返事しようと思いながら、そのままに。たいへん失礼しました。安井さんからは、「実は、載せる過程でページの制約などいろいろあって、なかなか思うようには書けませんでした。そして色々な意味で大変疲れました」(上掲)と。お疲れさまでした。あらためて拝見します。
→■http://www.suginamigaku.org/corner/history/h-community-center/
4月スケジュールの第1弾。久しぶりの韓国研究会(編集会議、5日)、ご参加の皆さん、ご苦労さまでした。少人数でしたが、本づくりに向けて一歩前進の実感。何しろハングルで提出される原稿が多く、普通の本づくりに加えて翻訳作業がたいへん。韓国研究グループの体制あってこその本づくり。見通しはたしかです。さらにひとがんばりしましょう。完成の日を楽しみに。李正連さんから当日の写真数葉。そのうち一枚を下掲。「自撮り棒」で撮る写真は、みな独特の表情をしていますね。期待と不安と。あたかも本づくりのそれに似て。
4月8日(水)東京社会教育史編集会議(事務局会議・風の部屋)。4月17日(金)同・第23回研究会(高井戸)。そして4月24日(金)「年報20号編集会議」(4月定例・第216回研究会をかねる)予定。風に「案内」をお待ちしています。3時から編集会議(風の部屋)、同6時半・定例研究会「20号編集に向けて」(高井戸)の線で如何でしょうか。ご検討ください。
▼韓国研究会(編集会議・参加者6人)−自撮り棒による撮影、前に白樺ワインクーラー。(風の部屋、20150403)
3474号【2015年4月5日】
■≪HP−4月スケジュール準備中≫
本号収録・関本保孝さん「国重徹議員〜夜間中学国会質問会議録」は、ぶんじんの沖縄滞在中に届いていたもの(Sat,
28 Mar 2015)。錯綜するメールに、うっかり見逃していました。1週間遅れの本号収録たいへん失礼しました。削除予定の欄から拾い出せて、よかった。
他方、昨日4日午前に急ぎお知らせメールが来ました。那覇・鷲尾真由美さんから。真喜志好一さんの[転送歓迎]テレビ番組ご案内。「テレビ東京のBS(7チャンネル)4月4日(土)13:30〜14:05。沖縄がいま、直面している辺野古の問題をスタジオから生放送するそうです。3月31日夕方ビデオ取材を受けました。番組中で使われるか分かりませんが、ご覧になれる方は…真喜志好一」。時間になんとか間に合うように編集・発行を用意し始めましたが、結局作業が間に合わず、スミマセン。記録として本欄に書いておきます。鷲尾さん、ありがとうございました。
ホームページについて。各号「ぶんじん日誌」(本欄)収録を含めて、ひとまず順調、ほとんど毎日の更新を重ねていますが、4月からの「主要スケジュール一覧」がまだ準備中。沖縄訪問・やんばる対談などに追われて、うっかり作業を忘れていました。最近は“うっかり”が多くなりました。
それでもHP表紙の写真などは、沖縄訪問に対応して、名護市役所のシーサーや、やんばる慶佐次湾のヒルギ林(国指定天然記念物)を順に掲げてきました。先日の奥集落からの帰路、皆さんとひと休みしたところ。当日は日曜・休日を楽しむカヤックがたくさん動いて賑わっていました。
3473号【2015年4月3日】
■≪いくつもの風が吹いて≫
今日あたり月齢14か、ほぼ満月。そして東京はいま桜満開。世は満ちて花見宴(うたげ)の懐かしき。春うらら、春の宵は一刻千金の価がするほどの貴重な季節。研究室で毎年盛大に催してきた「花見の会」を思い出していました。
ところが今朝未明から、東京は激しい南風が吹いています。まさに花散らしの憎き「南の風」。月に群雲(むらくも)、花に嵐、のたとえ通り。ゆっくりと花見を楽しむことさえ、気ままを許してくれぬのかぇ、とぼやいています。
「やんばる対談」の話題が続いています。こちらの「南の風」も連日吹いて(ご迷惑の方もある?)、しかし柔らかないい風です。名護から比嘉ひとみさんのやさしいコメント来信。対談では「成果も課題もみえてきました」と。山口真理子さんの「研究会報告」では、詳細を年報20号にゆずるとして、「社教主事に対する期待が非常に大きくなってきている」「地域の中に入って信頼を得られ」「その素晴らしさを地域の活力に還元」「"地域力"を感じることが多い」などの対談レポート(上掲)。
名護4地区のうち、今回の対談には2地区の社会教育主事が事情あって参加できませんでした。それぞれの地域で頑張っている2人の社教主事さん、昨年夏の山中湖(全国集会)にも参加した有力メンバー。「成果と課題」について誌上参加していただこう、と島袋一平・係長に相談しました。ゆんたく風に。
訪問者側では、(日韓それぞれの)学会有力メンバー。対談でも発言が相次ぎましたが、それは簡潔な記録にとどめて、むしろ名護社会教育への「期待と展望」に向けた別稿コメントを寄せていただいてはどうか(対談記録・末尾に載せる案)と勝手に考えていますが、如何でしょうか。
▼第7回「やんばる対談」。右より4人目に韓国から参加の崔一先さん(慶煕大学)-
名護・