(3)台湾・生涯教育・社区営造等の動き 
   
(1998〜2007〜2015=)
    
*「南の風」記事より−楊武勲、山口香苗、小林文人ほか


1997



1997年1月10日・台湾師範大学における中日生涯教育シンポジウム。小林・末本誠・上野景三・内田純一が参加。


小林文人・講演  *関連写真→■



1998
★<台湾「原住民族教育法」(1998年6月)>
 台湾では、1998年6月に「原住民族教育法」が施行されたという。少数民族(9民族、約30万人)の言語や文化の教育の権利の保障を盛り込んでいる。たとえば第2条は「原住民を主体とし、平等、多元、尊重の精神に基づき、当局は原住民族教育を展開する」とうたっているという。(朝日新聞、1月30日夕刊「われら原住民ー台湾少数民族のいま」下)
 アイヌ文化振興法などと比較して「原住民族教育」を真正面から取りあげているところが注目される。
 ついでに、台湾では林えいだいの本『台湾植民地統治史』(梓書院)の中国語版刊行が準備されていると伝えられる(台北・南天書局)。「…少数民族の姿を記録した貴重な写真。これまで台湾で紹介されたことはない」(同書局社長・魏徳文氏)という。… (小林) 
*南の風172号1999年1月31日

2000
★<教育改革・活発な動き(2000年3月)>
 3月11日朝一便で羽田を出発、沖縄(名護、那覇)を経て、台湾(台北、台中など)訪問、昨夜(17日深夜)無事帰京しました。せっかくの機会なので、もっと滞在したかったのですが、今日18日は和光大学卒業式、厳しい時代に船出していく皆さんに励ましの言葉の一つも贈りたく、沖縄経由の最終便で帰国したのです。
 旅はもちろん疲れますが、収穫は多く、今後に向けていくつもの課題、そして明るい展望を実感することが出来ました。同行の内田純一・染谷美智子のお二人、お疲れさま。
 沖縄では、徳田球一「軌跡展」と「記念誌」発行を祝う講演会と祝賀会(名護)への出席、与那国・波平真吉氏「四つ波塾」等の聞き取り(那覇)と関係者との楽しい交流。
 台湾訪問の目的は、この間のTOAFAEC活動において台湾の比重が弱くなったことへの反省(たとえば「東アジア社会教育研究」第4号では台湾からの報告を一つも収録できなかった)から、これまでの関係を確かめつつ、新しいパイプをつくり、とくに最近の社会教育・生涯学習関連の動向を探ろうというもの。「教育基本法」制定(1999年、全17条)、終身(生涯)学習法案、家庭教育法草案、社区大学設置輔導弁法草案などを入手できました。だいじな話も聞き、また台北市社区大学の新しい試み(現在2例)にも実際に触れてきました。法案などは、重要なところを日本語に訳出して、「南の風」にも紹介し、もちろん秋の「東アジア社会教育研究」第5号に収録していきたいと考えています。台湾は、総統選挙だけでなく、教育改革も活発に動いているという実感をもちました。
 さて、選挙はどうなるか? いま伝えられる速報では、野党の民進党が優勢、国民党が政権を離れる歴史的な年になったようです。台湾海峡の波も騒々しくなることでしょう。(小林)*南の風441号2000年3月18日

2002
★<台湾「正名運動」(2002年5月)>
 [05/09] 台湾紙、自由時報によると、台湾の「教育部」は、「中華民国」の首都を「南京」としている現行の教科書の記載を見直し、「中華民国中央政府は台北にある」といった表現で首都が「台北」であることを示すようにする方針を決めた。台湾の「内政部」は、かつて国民政府の首都が置かれ、国父・孫文の墓、中山陵がある南京を「中華民国」の首都と規定していた。
 [05/12] 朝日新聞によると、台湾にある「中華民国」「中国」などの名称を「台湾」に正すのを目標にする「台湾正名運動連盟」による大規模なデモが11日に台北で行われた。台湾独立派を中心に1万人近くが「私たちは中国人でなく、台湾人です」などと訴えた。「中台二国論」を主張した李登輝前「総統」がデモの発起人代表になり、「台湾は独立した主権国家で、中国の一部ではない。この現実を正視しない国際社会に抗議する」などとした書面のメッセージを寄せた。
*「華声和語」404号、4月14日−新聞簡訊、台湾情報−南の風872号(2002年5月18日)

2004
★<生涯学習・開放大学の動き(2004年5月)>
       *楊武勲(Mon, 10 May 2004 23:15)

 …(略)… 台湾における生涯学習の現状をご紹介いたします。まず、社区大学全国促進会を主体とした「開放大学法推進連盟」による「開放大学法草案」(全文29条)が2003年10月頃に公にされました。草案によれば、既存の空中大学(放送大学)、社区大学、ネット大学を統合することによって、新しい「開放大学」を構築することが法案の目的です。
 しかし、既存の高等教育機関(大学および放送大学)の意見、教育の質、認証の問題など課題が山積しているようです。あくまでも案ですが、現在の時点では行政側の姿勢がいまだにわかりません。
 次に先月(4月)17・18日に台南に第6回社区大学全国大学が開催されました。一日目は「台南と全国社区大学課題」「ボランティア課題」「農村教育課題」「社区教育課題」「映像教育課題」「公共衛生課題」「原住民教育課題」などの展示のほか、社区大学の質の向上に資するために「政策フォーラム」、「教育フォーラム」を設けていました。
 二日目には、学術論文発表のほかに、社区大学の現場の方々による、「社区大学と原住民」「社区大学と農村」「社区大学発展とNGO 実践」の三つのセクションから構成された発表会もありました。1998 年から発足した社区大学は現在80校にのぼり、学生数が延べ10万人を上回っています。急速な成長に驚いた一方、年一回の研究大会の内容もますます充実してきたと実感しました。 *南の風1265号(2004年5月13日)

★<台湾「開放大学」構想(2004年7月)>
 日本の「大学改革」が混乱・低迷をきわめる中、台湾では新しい開放大学構想が法草案としてまとめられ、すでに昨年秋に立法院(国会)に提出されています。立法院議員51氏の連署による意欲的な大学改革への挑戦といってよさそうです。
 制度的には、これまでの「空中大学」(放送大学)と、2002年・終身学習法で盛り込まれた「社区大学」(コミュニテイ・カレッジ)を統合するかたち。私たちの『東アジア社会教育研究』第9号にむけて法草案の日本語訳がおこなわれ、このほどその「解題」もまとめられました。楊武勲さん(早稲田大学で博士号取得)の努力によるもの。 (「開放大学法」草案→■)
 台湾では今年末に立法院議員の総選挙が予定され、この法案が最終的にどのように展開するかは予断を許さないそうです。また単位互換や学位の位置づけ等についても、既成の一般大学との調整が難航することも当然予想されます。しかし大学改革の新しい法制化動向として注目されますので、私たちの第9号に収録し、また一足先にTOAFAEC ホーム・ページにもアップさせていただきました。関心をおもちの方、のぞいてみて下さい。
 風1294号に報じた通り、台湾の生涯教育の最近動向について鄭任智さん(早稲田大学・院)が黄富順氏論文(1)を訳出、さらにその続編(2)を白メイさん(中央大学・院)から送付していただきました。鄭さん、お手元に届いたでしょうか? どうぞよろしくお願いします。
 黄富順氏(台湾・国立中正大学成人及継続教育教育学系・教授)にはいまメールで了承を求めているところ。こんどの研究年報第9号は台湾関連の報告がとくに充実したものになりそう。楽しみです。(小林) *南の風1300号(2004年7月7日)

2005
★<社區総体營造運動(2005年1月>
 台湾では1994年から「地域づくり」を積極的に推進していこうとする政策(社區総体營造運動)が打ち出されてきました。いまちょうど10年が経過したことになります。
 私たちは台湾政府の社会教育・生涯教育に関する振興策や法制化の動きに関心をもって、1990年代には、毎年のように台湾に渡りました。1997年1月に、台湾師範大学と台北市教育局から招聘されて「中日終身教育学術検討会」に参加したことも。しかしこの地域づくり運動の動きに直接触れることはありませんでした。教育研究の立場からの調査行では、地域や文化の問題とはなかなか出会えないようです。
 「社區総体營造」施策は、台湾中央政府・行政府文化建設委員会が所管しているとのこと。教育政策というより、まずは文化政策でありコミュニテイ施策なのです。地域づくりをすすめる住民組織としての「社区発展(開発)協会」が全国5781ヶ所(2001年現在)に設立されているそうです。その後はさらに拡大している?
 竹峰誠一郎さん(和光大学卒、早稲田大学大学院博士課程へ、『ヒバクの島−マーシャルの証言」著者)から、早稲田大学台湾研究所主催の台湾訪日団を迎えての講演会(1月24日午後〜夕)案内が届きました。呉密察氏(前行政院文化建設委員会副会長、国立台湾大学教授)による「社區營造運動の十年間、その理念、行動と限界」の報告が行われるそうです。しかし当日、私は日本公民館学会の今年最初の理事会とも重なり、参加できませんでした。
 私たちの研究会で、いちど台湾の社区政策そして社区教育についての動きを取りあげたいもの。鄭任智さん(早稲田大学・院)は24日の台湾研究所の講演会に出席したかしら。もし資料でも入手できたら、紹介していただけませんか。台湾に帰った楊武勲さん、もし可能ならば「社區総体營造」に関する最近の動きなど“風”に送っていただけませんか。(小林)
*南の風1408号(2005年1月25日)

■TOAFAEC年報「東アジア社会教育研究」第10号(2005年)所収
 洪徳仁(鄭任智訳)「台湾の社区総体営造 2001〜2005年」

★<台湾訪問の記録・写真(2005年5月)> 
 鄭任智さん(早稲田大学・院)からの依頼、高雄・新興社区大学資料については、量は少ないけれど内容はなかなかのものと思われます。内田純一さんから送ってきたパワーポイント・ファイル(CD)と一緒に送ります。コピーして今度会う機会に返して下さい。
 台北市には各区に社区大学が始動していますが、高雄市(台湾第二の都市、人口は台北の半分、約130万人前後)では新興社区大学(HSIN-HSING Community University)の1例のみ。高雄でこれからどのような展開をみせることになるのか、興味あるところです。
 新興社区大学の主任(学長)は李賢華氏、海洋科学(工学)を専攻される大学教授です。陽気な人柄、今回が初見ですが、夜の歓迎宴に続くカラオケなどで、すっかり老朋友になった感じ。歓迎宴にかけつけていただいた同大学理事は、高雄市教師会理事長(中学教師)や文化出版事業の編集長など。一夜だけの同席で残念でした。時間があればもっとも
っと交流を深めたい人たち。次回は、高雄を中心に台湾南部をまわるスケジュールなど計画したいもの、と思いました。
 台湾の夜はカラオケが盛んです。今回は、5日の高雄だけでなく、その前日4日の泰山郷(町)歓迎夕食会のあともカラオケでした。町長さんが、まず「骨まで愛して」を熱唱したのには驚きました。日本側も上地武昭さん、内田純一さんなど次々とマイクへ。林振春さん(台北師範大学教授)も相当の歌い手、楊碧雲さん(台北市政府)も一緒にデュエット。これらの写真を10枚ほどホームページ(5月台湾訪問記録)の文中に順不同で挿入しました。ご覧ください。(小林)  *南の風1465号(2005年5月12日)

■2005年5月訪台日程、関係記事、写真→■

台北到着第1日夜。左より金京喜、上地武昭、楊碧雲(台北)、内田純一、小林、許銘欽(台北)、鷲尾真由美。
  (中央研究院學術活動センター宿舎にて、5月1日)−鄭任智は遅れて到着
−敬称略


★<台湾の動き−大まかなスケッチ(2005年5月)>
 今なぜ「台湾の社会教育」なのか。その歩みや現状をほとんど知らなかったことへの反省、すぐ隣りなのに! 政治的な「一つの中国」論に左右されて台湾研究の視点を失うようなことがあってはならない、研究交流のつながりをどう創っていくか、友人たちとの語らいをどう拡げていくか。この10年、こんなことを考えてきました。
 台湾には「社会教育法」が制定(1953年)されていますが、国民党の厳しい政治的統制のなかで機能してきました。日本の社会教育法(1949年)が教育改革と民主化の志向のなかで定着してきたのと対照的なところがあるようです。台湾で戒厳令が解除されたのは、ようやく1987年のこと。日本にみられない統制的な政治的背景がありました。
 しかし、そういう政治構造のなかから「台湾的なもの」への社会的文化的な潮流が動いてきたのです。たとえば1960年代からの郷土文学の運動、言語や教育問題への取り組み、1980年代に盛んになる「文史工作室」(少人数での地域の歴史や文化についてのアトリエ的な活動)、1990年代以降の地域づくりや市民の運動など。台湾の「主体性再建」「本土化運動」と呼ばれる動き、いわば台湾のアイデンティティに関わる画期的な歴史潮流に注目しておく必要がありましょう。
 この間には、新しい政党・民進党の結成(1986年)があり、初の民選総統・李登輝の登場(1996年)もあります。行政側で、「文化建設委員会」(文建会、行政院の一部局)による「社区総体営造」施策が打ち出されるのが1994年。これが大きな契機となって各地のさまざまの地域づくり運動が独自の展開をみせてきました。
 この時期に胎動していく台湾の「学習社会」創建や「終身学習」(生涯学習)そして「社区大学」への取り組みは、このような台湾の新しい時代への潮流をバックグラウンドにもっているのではないか、というのが私の大まかなスケッチです。そして本格的に「終身学習法」が制定されるのが2002年。
 というのも、市民運動や地域づくり運動とは別の次元で、いわば上から降りてきた日本の生涯学習の流れとは、対照的に異なるところがあるのではないか、と思われるのです。(小林) *南の風1468号(2005年5月18日)

2007
★<「社区」運動 (2007年5月)>
 この数日、ちょっと気持ちがはずむような、いくつか刺激的なことが重なりました。ともすれば流されがちな毎日。そんななかで、新たな動き(そして課題)との出会い。一つは、25日夜・TOAFAEC 研究会での韓国「希望製作所」構想、これは「南の風」前々号と前号の本欄で書いたことです。うまく伝わらなかったかも知れませんが・・・。
 あと一つは、最近「風」では記事が少なかった台湾について。内田純一さんから長文の「訪台報告」(→■)が届きました。同じその日、早稲田大学台湾研究所「台湾研究叢書」[1]として刊行された『東アジアの市民社会と民主化−日本、台湾、韓国にみる』(西川潤・蕭新煌共編、明石書店、2007年)と出会いました。
 27日夜の安井家(原水禁資料)研究会で、竹峰誠一郎さん(早稲田大学・院)が持ってきてくれたもの。感謝!全265頁のうち大半が台湾報告(第U部「台湾における新社会運動と民主化」)です。
 台湾における民主化の潮流とその担い手としての社区運動、新社会運動としてのNPOと地域づくり運動、その視点から「社区」運動を考えるとき、生涯学習や「社区大学」の独自の意味も見えてくるようです。
 この20年、東アジアにおけるそれぞれの民主化潮流が、地域からの市民運動を可能にし、同時に地域づくりの諸運動「社区運動」が民主化の土壌を定着させてきたのです。この間の日本をどうみるか。私たちの「まちづくり」「集落(自治)公民館」へのアプローチにとって、東アジアの動向は何を問いかけているか、などと考える数日となりました。(小林) 
*南の風1846号(2005年5月29日)

2009
★<台湾における下村湖人 (2009年10月)>   *下村湖人・略歴→■(73)
 南の風でときどき「ポレポレ東中野」等の映画を紹介することがあります。「台湾人生」(酒井充子監督)は波乱に満ちた時代を生きた日本語世代の証言記録、興味深いものでした(風2244号6月29日)。その際、書き添えたかったことが一つ。そのまま忘れてしまいそうなので、思い出し話をお許しください。
 映画館のモギリの狭い空間に台湾文献が並んでいました。その中の1冊『台湾における下村湖人−文教官僚から作家へ』(張季琳著、東方書店、2009年刊)。こんな本が出ていたのか、しかも専門研究書、それも映画館で入手するとは・・・と驚きました。
 下村湖人といえば『次郎物語』の作者。社会教育に関わっては、15年戦争が始まった年から武蔵小金井「浴恩館」で青年団講習所長に就任、指導者養成にあたってきた人です。鈴木健次郎や永杉喜輔などを通して、戦後の公民館や青年団運動にも影響がありました。たとえば鈴木が初期の公民館運動の中で好んで使った「白鳥芦花に入る」や「煙仲間」等は、もともとは恩師・下村湖人が愛用した言葉でした。ちなみに禅語「白馬芦花に入る」を、湖人は「白鳥」におきかえて、「次郎物語」に使ったのでした(永杉喜輔、秋田青年会館『鈴木健次郎集』3)。
 湖人は小金井に着任する直前まで台湾に在り(6年間)、旧制・台中第一中学校長そして台北高等学校の校長を歴任しました。一般的には、人道・友愛・理想主義者と目されている人です。しかし台湾では「むしろ民族差別主義者として嫌われて」(同書p3)、「台湾人の怨嗟の声」もあり(p253)「台湾人生徒の間に心が通じ合うことはまれ」(p255)であったと記述されています。「生涯全体を通観すれば、湖人はやはり真摯で誠実な教育者であった」(p255)とも付言されていますが。本格的な研究書、じっくりと読む時間がまだありません。(小林) *南の風2304号(2009年10月2日)


〜〜<2015>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

★<台湾の「終身学習法」(生涯学習法)改正の動き> (南の風3456号・2015年2月22日)小林  
 昨年の『東アジア社会教育研究』第19号には、いま台湾留学中の山口香苗さん(東京大学・院)「台湾の生涯学習・この1年−終身学習法改正を中心に」が掲載されています。貴重な報告です。昨年6月に台湾「終身学習法」の大規模改正がおこなわれたこと、日本社会教育法に続く台湾「社会教育法」(1953年)の「廃止を準備するためのもの」とも指摘されています。
 かって東京学芸大学社会教育研究室では、台湾「社会教育法」を日本語訳し、TOAFAEC では、これと平行して成立した2002年成立「終身学習法」をHPに収録しています。そのまま十数年、いまや古いデータとなってしまいました。→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/taiwanhyousi.htm
 その後の台湾「社会教育法」の運命やいかに? 動きがあれば山口さんに教えていただきたい。新しい改正「終身学習法」(山口訳)、当方のHPに載せたいのですが、よろしいでしょうか。

★<台湾「社会教育法」廃止について>  (南の風3458号・2015年3月3日) 
      *山口 香苗(東京大学・院、台湾師範大学に留学中)−Sun, 1 Mar 2015 01:56−
 いつも南の風の配信をどうもありがとうございます。台北にいながらも、日本をはじめとする各地の状況を知ることができ、毎回大変興味深く拝読しております。
 私は、本日(28日)のアジア教育学会研究例会で報告をするために、現在ちょうど日本に一時帰国をしております。3月5日に再び台北に戻ります。今の日本の最高気温は、台北の最低気温くらいですので、日本はとても寒く感じます。台湾は2月から桜が咲いていまして、すでに春の訪れを感じますが、日本はまだ冬の気配が残っているのを感じます。
 先日、南の風(3456号)で質問をいただきました、台湾の「終身学習法」改正にともなう「社会教育法」の廃止にかんしまして、その後どのような動きがあったのかということですが、2014年6月に新たな終身学習法が公布された後、7月24日に「社会教育法」の廃止案が行政院を通過し、現在、立法院の審議に入っているという情報があります。しかしこれ以降は、新たな情報は出ておらず、現在まだ正式な廃止には至っていないようです。
 いま留学しています台湾師範大学で、先学期、社会教育学系3年生向け「社会教育政策」という授業を受講していましたが、「本当に社会教育法を廃止してしまってよいか考えておくこと」、という課題が出たことを思い出しました。
 私が感じる限り、台湾において「社会教育法」の廃止にかんして大きな議論が起こっているというようなことはありませんが、廃止することに疑問を抱いている台湾の社会教育学者も少なからずいるように感じます。
 また、新しい「終身学習法」の日本語訳をHPに掲載していただくこと、まったく問題ございません。
 *台湾政府「終身学習法」改正(2014年)山口香苗訳→■
 
 <「社会教育機構」と「文化機構」>
 今回の改正の目玉のひとつに、「社会教育法」第5条にあった「社会教育機構」の内容を、新「終身学習法」第4条「終身学習機構」の項目のなかに取り入れ、しかも「社会教育機構」と「文化機構」にわけて表記されたことがあります。この「文化機構」は実は教育部ではなく、文化部(前:文化建設委員会、2012年に文化部に昇格)の所属になるのですが、まだ文化部管轄の施設の法令が整っていないために、とりあえず今は終身学習法の中に場所を借りて「文化機構」を明記しているといわれていますので、今後「文化機構」を規定する独立した法律ができれば、この部分は「終身学習法」から取り除かれる可能性があります。
 興味深いのは、博物館は博物館でも、自然や科学の博物館は「社会教育機構」として、歴史系の博物館は「文化機構」として分類されていることです。中正記念堂や国父記念館などかつて教育部が管轄していたものも、今は文化部所属となっています。かつて「社会教育機構」と呼ばれていたものが、文化部との兼ね合いで、これからもどんどん変化していく可能性があると思います。
 今年は、台北に拠点をおきながら学会などにも参加したいと考えております。一時帰国の際に日にちが合いましたら、研究会などにも参加させていただきたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

★≪台湾研究の確かな足どり≫ 南の風3596号
 南の風3592号「台湾・社会教育法の廃止」の続き。山口香苗さんの「台湾の生涯学習・この1年」(年報第20号)は、社会教育法をめぐる歴史的な検討も含まれ、興味深い内容でした。台湾研究の確かな足どり。
 台湾は1987年まで戒厳令下にあり、1953年施行の社会教育法は当初から厳しい政治統制のもとにありました。日本社会教育法のように国民主体論や自治の発想に支えられるというより、守るべき規範や道徳が強調されていた。たとえば、社会教育の目的(第2条)としては「民族精神及び国民道徳を発揚」「国防知識を涵養」などの条項が冒頭に並んでいました。
 戒厳令が解除され、国際的な生涯教育の潮流も背景にあり、1990年代になると、楊国賜氏(台湾師範大学教授、教育部次長)などが生涯教育あるいは成人教育の新しい法制化に向けて積極的な発言。私の台湾ファイルのなかには1990年「成人教育五ヶ年計画」、1992年「社会教育法修正草案」、1995年「成人教育法草案」など。1998年「邁向学習社会」(教育部発行)では「終身学習法制」完成へ向けての課題が明示されています。そして2002年「終身学習法」成立へ。それから15年を経て、今回の「社会教育法の廃止」へという経過ですね。政策・法制の動きがくっきりと読みとれます。
 私たちが初めて台湾を訪問したのは1989年でした。戒厳令解除の直後。そのあと毎年のように台湾に行った一時期がありました。多分1996年に楊碧雲さん(台北市政府教育局専員)と出会いました。1997年1月、台北市政府・台湾師範大学主催「中日生涯教育学術シンポジウム」(日本より小林・末本誠・上野景三・内田純一参加)。このときの写真を本ページ冒頭に掲げています。あわせて下に楊国賜さんとの歓談の1枚も。大学の専門研究者が政府・教育行政首脳として政策編成・立法にあたっている姿が印象的でした。
左・楊国賜さん(台湾師範大学教授、政府教育部次長)と。(1997年1月9日、台北) 


≪台湾の社会教育館≫ 南の風3603号
 台北からの風が届きました。山口香苗さん(東大・院)、前回「台湾の社会教育・終身学習法の動き」(3599号)に続いて、今回は「社会教育館」の歴史が興味深い。→■
 私が初めて台湾「社会教育」を訪問した折(1989年)、最初に案内されたのは台北市、そして高雄市の「社会教育館」でした。職員体制もしっかりしている大型の社会教育施設の印象。しかし台湾全体で4館、地方の「社会教育工作站」には行く機会がありませんでした。台北市社会教育館の館長さんが、日本社会教育法を激賞したことを憶えています。その折「東アジア」の「社会教育」について海を越えて考えていく視点を刺激されたように思います。
 上掲・山口さんによれば、「社会教育館は2007年に生活美学館と名称を変え」たとのこと、知りませんでした。台湾からの風、折にふれて、どうぞよろしく。楽しみです。



*台湾・表紙へ→■
*山口香苗「台北の風」→■