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◆台湾(社会教育・生涯学習)研究レポート(2015年〜)
−「台北の風」− 山口香苗
<目次>
1,台湾の生涯学習・この1年
−「終身学習法」改正の動向と「社会教育法」の廃止
(TOAFAEC『東アジア社会教育研究』19〜20 2014〜15)・・・・未入力
2,研究レポート・メモ・・・台北の風
(1) 社会教育法の廃止について (Sun, 1 Mar 2015、南の風3458号)
(2) 台湾「社会教育」「成人教育」「終身学習」 (Sun, 20 Dec 2015、南の風3599号)
(3) 台湾の「社会教育館」(Tue, 29 Dec 2015、南の風3603号)
(4) 台湾の「社会教育館」補足−台北の風4 (Sat, 9 Jan 2016、南の風3608号)
(5) 台北より・選挙情勢−台北の風5 (Mon, 11 Jan 2016、南の風3609号)
(6) 台湾・社区大学の現状−台北の風6 (Thu, 28 Jan 2016 18:34、南の風3617号)
(7) 台湾留学あれこれ (TOAFAEC 第225回定例研究会報告 20160226)
(8) 台北の風7−台湾・新総統誕生(Fri, 20 May 2016 19:02、南の風3671号)
(9)
1,台湾の生涯学習・この1年
−「終身学習法」改正の動向と「社会教育法」の廃止
(TOAFAEC『東アジア社会教育研究』19〜20 2014〜15)・・・・未入力
2,研究レポート・メモ・・・山口「台北の風」
(1) 社会教育法の廃止について(Sun, 1 Mar 2015、南の風3458号)
南の風(3456号)で質問をいただきました、台湾の「終身学習法」改正にともなう「社会教育法」の廃止にかんしまして、その後どのような動きがあったのかということですが、2014年6月に新たな終身学習法が公布された後、7月24日に「社会教育法」の廃止案が行政院を通過し、現在、立法院の審議に入っているという情報があります。
しかしこれ以降は、新たな情報は出ておらず、現在まだ正式な廃止には至っていないようです。
今留学しています台湾師範大学で、先学期、社会教育学系3年生向けの「社会教育政策」という授業を受講していましたが、「本当に社会教育法を廃止してしまってよいのか考えておくこと」、という課題が出たことを思い出しました。
私が感じる限り、台湾において「社会教育法」の廃止にかんして大きな議論が起こっているというようなことはありませんが、廃止することに疑問を抱いている台湾の社会教育学者も少なからずいるように感じます。
また、新しい「終身学習法」の日本語訳をHPに掲載していただくこと、まったく問題ございません。
今回の改正の目玉のひとつに、「社会教育法」第5条にあった「社会教育機構」の内容を、新「終身学習法」第4条「終身学習機構」の項目のなかに取り入れ、しかも「社会教育機構」と「文化機構」にわけて表記されたことがあります。この「文化機構」は実は教育部ではなく、文化部(前:文化建設委員会、2012年に文化部に昇格)の所属になるのですが、まだ文化部管轄の施設の法令が整っていないために、とりあえず今は終身学習法の中に場所を借りて「文化機構」を明記しているといわれていますので、今後「文化機構」を規定する独立した法律ができれば、この部分は「終身学習法」から取り除かれる可能性があります。
興味深いのは、博物館は博物館でも、自然や科学の博物館は「社会教育機構」として、歴史系の博物館は「文化機構」として分類されていることです。中正記念堂や国父記念館などかつて教育部が管轄していたものも、今は文化部所属となっています。かつて「社会教育機構」と呼ばれていたものが、文化部との兼ね合いでこれからもどんどん変化していく可能性があると思います。
今年は台北に拠点をおきながら学会などにも参加したいと考えております。一時帰国の際に日にちが合いましたら、研究会などにも参加させていただきたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
(2) 台湾「社会教育」「成人教育」「終身学習」(Sun, 20 Dec 2015、南の風3599号)
私は台湾に来て2年が過ぎました。2ヶ月後には日本に完全帰国しますが、これまで見聞きしてきたものを、少しずつご報告させていただきたいと思います。
私が留学しております台湾師範大学の社会教育学系は、今年で成立60周年を迎え、先月末、海外から社会教育・生涯学習の研究者を招いて記念大会が開催されました。台湾で「社会教育」という名称を残している大学は、もう台師大だけとなり、多くの大学では「成人教育」の名称になっています。
台師大の社会教育学系は、台湾の大学で初めて社会教育を専門にあつかうコースとして成立し、成立時は「新聞組、図書館組、社会事業組」に分かれていましたが、現在、学部は組み分けがなく、大学院で「成人及継続教育組、社会及文化事業組」に分かれています。
台湾で今、「社会教育」と聞くと、日本統治時代のものという印象があるそうで、それに批判的な思いはないけれど、「古いもの、昔のもの」という感じがするそうです。
台湾の社会教育は、社会教育(補習教育を含む)、成人教育、終身学習の順に進んでいったといわれており、成人教育は楊国賜、終身学習は林清江がその概念を台湾に導入し、政策として進めていきました。お二人とも、台師大出身、欧米留学組、教育部長や教育部社会教育司長になったという共通点があり、大学教授であるかたわら政策実行者として政府に関わり、台湾の社会教育を、国家・軍事的色彩の強いものから、個人の充実、文化の向上、社会の発展などの方向に引っ張っていったと言われています。
楊国賜教授が社会教育司長になると、「社会教育工作綱要」(1990年)が出され、社会教育は、「成人教育、家庭教育、文化教育、芸術教育、図書館教育、博物館教育、大衆科技教育、交通安全教育、視聴教育」の9つを含むと定められ、「成人教育実施計画」(同年)において、成人教育が含むものとして、「成人基本教育(識字教育)、婦女教育、老人教育、レジャー教育、環境教育」となりました。翌年の「成人教育5カ年計画綱要」によって、「成人教育法」制定にむけて草案が作られることになりました。そして、1998年に林清江教育部長が「邁向学習社会」を提出したことによって、終身学習の時代に入り、制定されなかった「成人教育法」は「終身学習法」(2002年)として実を結んだと言われています。
こうした変遷のなかで、「社会教育が含むもの」、「成人教育が含むもの」というように、内容をそれぞれ調整していったところ、そしてそれが含んでいる内容が、台湾独特で、非常に興味深く思います。
また、1950年代から社会教育の拠点としておかれた「社会教育館」(国民政府大陸時代には「民衆教育館」と呼んでいた)の文化政策との関連による変容もおもしろいですので、次回、またご報告いたします。
台湾は来年1月16日に大統領選挙が行われます。今回は、政権交代がおこる可能性が極めて高いと考えられています。選挙まであと一ヶ月を切り、テレビの政治番組などでは盛り上がりをみせています。
(3) 台湾の「社会教育館」(Tue, 29 Dec 2015、南の風3603号)
台北も年末ではありますが、旧正月とは違い、通常どおりの日々です。台北に来てから、ずっと台北市のいくつかの社区大学の講座に出ていますが、大晦日の夜も通常通りです。
今でこそ、社区大学は台湾を代表する生涯学習機関と言えますが、昔、台湾の社会教育機関といえば、社会教育館がありました。
台湾の社会教育館は、国民政府が台湾に来た後、大陸時代の民衆教育館を台湾では社会教育館という名称でおいたものです。社会教育が「大陸反攻」のためのものであったように、社会教育館も反攻のための再教育と、文化の向上をめざすものでした。
しかし、台湾全土に省立社会教育館は4つしか設置されず、ほぼ機能していなかったと言われています。機能していたのは、1980年代から設置された社会教育工作站のほうで、全土に300カ所近く作られており、4つの省立社会教育館は地区ごとにそれらを統括するという立場になっていました。しかし、蒋経国による文化政策の一環として文化センターが次々に建てられたことで、役割の重複が指摘され、社会教育館の存在が疑問視されました。そして、決定的だったのは民進党が政権を取った後、国民党色の強い社会教育館ではなく、民間から盛り上がってきた新しい社区大学を政策として重視するようになり、社会教育館とその下部の工作站ともに存在感をなくしていったといわれています。
さらに、文化建設委員会(今の文化部)との役割分担の関係で、4つの省立(省凍結後は国立)社会教育館は2007年に生活美学館と名称を変え、文化部の管轄となりました。一度、社会教育・終身学習の研究者たちは、社会教育館は戦後からずっと社会教育の中心機関であったのだから、教育部の管轄下に戻してほしいとかけ合いましたが、実現にはいたりませんでした。
施設ひとつとってみても、台湾の社会教育はここ数十年で大きな動きをみせていたことが感じられます。
2015年は社会教育法の廃止という大きな動きがありましたが、2016年はどのように動いていくのか、引き続き注目したいと思っています。よいお年をお迎えください。
(4) 台湾の「社会教育館」補足−台北の風4(Sat, 9 Jan 2016、南の風3608号)
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
昨年末にふれました社会教育館(台北の風3)についての補足をいたします。
以前報告しました生活美学館に名称変更した4つの社会教育館は、省立(国立)のものです。直轄市である台北市と高雄市の社会教育館は、省立の4つとは異なる歩みをたどっています。台北市立社会教育館は、1999年に台北市政府文化局ができたのと同時に教育局から文化局に移管されていました(名称に変更はなし)。省立の社会教育館たちが名称を変えた後(2007年以降)も、台北市立「社会教育館」でしたが、2014年に「台北市芸文推廣處」と変更され、今は名前からでも芸術・文化センターとわかるようになっています。一方で、高雄市の社会教育館は現在も教育局の管轄下で高雄市立社会教育館という名称で残っています。
社会教育館の動きは、台湾の文化政策と深い関わりがあります。
1960年代の文化政策は、中国大陸での文化大革命に対抗して行った「中華文化復興運動」が中心でした。中華人民共和国で中華の伝統文化が壊されていくなか、かたや中華民国で中華文化を復興させることで、本当の中国を主張するという時代でした。1967年には教育部の下に文化局ができましたが、この時は社会の安定と経済発展が第一のため文化事業は進まず、1973年にはなくなります。台湾師範大学の社会教育学系では当時、教育部から「新しい文化局というものを作ったが何をすればいいだろうか」という話がきて、文化局が行うべきことを連日話し合ったといいます。
蒋経国の時代には、「12項建設(1980−1985頃)」によって、すべての縣市に「文化センター(図書館、博物館、音楽ホールを含む)」を設置しました。中華民国の国連脱退(1971年)によって台湾から離れていく民心を、文化の向上によってつなぎ止めようとしていたとも言われています。
1981年には文化政策を専門にあつかう中央機関である文化建設委員会(2012年に文化部に昇格)ができ、1990年代から社区営造、文化創意産業などによって文化政策が本格的に盛り上がっていきました。文化政策の盛り上がりのなかで、社会教育館も徐々に教育施設から文化施設に移行していったようにも見えます。そのため、終身学習法の修正(2014年)結果にも、どこまでを教育部がもち、どこまでを文化部がもつのかを整理した形跡が見られるのです。
今日は、総統と立法委員(国会議員)の選挙まであと1週間となった週末でした。そのため、太鼓を打ち鳴らしている人が乗っているトラック、候補者が乗って沿道の人に手を振るトラック、候補者の名前を叫ぶトラックが何台か連なり、その後を警察車両がついていくという、お祭りのような、警戒しているような、なんとも言えない選挙カーたちに何度も出くわしました。テレビでは集会で「凍蒜(当選という意味の台湾語)」と叫んでいる候補者たちの姿をよく見みます。総統立候補者は、蔡英文(民進党)、朱立倫(国民党)、宋楚瑜(親民党)の3名で、今のところ民進党の蔡候補が最も優勢で、初の女性総統が誕生するかもしれないと言われています。国民党の候補者ももともとは女性でしたが、中国と距離をかなり近づける発言が問題視され、10月になって現職の新北市長である朱候補が駆り出されました。やはり、中国とどのような距離感を保つのかは、今でも台湾の総統選挙の重要な焦点の一つです。
(5) 台北より・選挙情勢−台北の風5 (Mon, 11 Jan 2016、南の風3609号)
総統選挙まで、1週間を切りました。今回は政権交代の可能性があり、連日にぎわいを見せています。選挙活動時間に規定はないのでしょうか。夜の10時近くでも候補者を応援する旗をもった人たちを目にします。ここで、現在の台湾の政治状況を少々ご紹介いたします。
現在、台湾に政党は200以上ありますが、一般的に5大政党と言われているのは、藍陣営の国民党、親民党、新党(後者ふたつは国民党から分裂)と、緑陣営の民進党(今回の選挙で与党になる可能性高い)、台湾団結聯盟(精神的支柱は李登輝)です。しかし、今回の選挙で話題になっているのは、「時代力量」という2015年1月にできた新しい政党が、第三勢力と呼ばれ、支持率調査では民進党、国民党の次に高い支持を得ていることです。この政党は、2014年の「太陽花学運(ひまわり学生運動)」をきっかけに生まれたもので、特に若い層から支持されていると言われています。2014年11月の地方選挙では国民党が大敗しています。国民党の「鉄票区(絶対に票が獲得できるところ)」であった台北市では、これまでの2大政党の対立を批判した無所属(とはいっても民進党の支持があった)の市長が当選している様子を見ても、国民党、民進党とは異なる、新しい受け皿が必要とされているのかもしれません。
それからもうひとつ、台湾の総統選挙というと、争点はやはり中国との関係です。今回、1992年に台湾と中国で「一つの中国」について交わしたという「92共識(合意の意味)」のあり方についてが話題になっています。中国は「一中原則」(一つの中国が原則。そしてその中国とは中華人民共和国を指す)を、台湾(国民党)は「一中各表(各自表述)」(一つの中国であるがそれは中華民国を指す。でも、中国は中華人民共和国と言うので、お互いの主張は異なるということで、棚上げ)を主張し、基本的に今もこのスタンスです。しかし、これに対して独立志向の強い民進党は、「これは、中国の国民党と中国の共産党が交わした合意であって、台湾の意見を代表するものではない」という立場をとり、「92共識」自体を否定しています。そのため、国民党候補は民進党が政権を取ったら中国との関係は悪くなると主張していますが、これに対する民進党候補の応えは「違う解釈がある」として濁したままです。
ニュースによると、現在優勢と言われる民進党候補は南部から北上し、各地で選挙演説を行っているようです。台北寄りの「桃竹苗(桃園、新竹、苗栗)」地区は客家人の町で国民党の地盤と言われますが、民進党はこの地区の票を獲得するために重点的に演説を行い、投票前日の15日には台北にやってきます。「南緑北藍(南部は緑の民進党、北部は青の国民党)」の構造に変化はあるのかどうか、第三勢力はどこまで伸びるのか、いろいろ見物です。
(6) 台湾・社区大学の現状 台北の風6 (Thu, 28 Jan 2016 18:34、南の風3617号)
日本は寒さが厳しいと思いますが、お元気でお過ごしのことと存じます。台湾では選挙の一週間後、44年ぶりとなる猛烈な寒波がやってきて、台北の山間でも雪が降りました。多くの人にとっては人生初の雪だということで、少々うれしそうな様子が感じられましたが、亜熱帯気候の地域で雪が降ると、建物が悲鳴を上げるようです。
寒波が去った後、気温が一気に14度も上昇したこともあり、寒さで収縮した壁のタイルが膨張し、次々にはがれ落ちるということがおこりました。やはり建物もその土地の気候にあわせた仕様になっていたのですね。
さて、今回は、社区大学の現状をお伝えいたします。今、台湾全土に社区大学は83ヶ所あります。その内、30ヶ所程度は1994年の
410教育改革運動時から続く理念を強く意識し、社会改革の実現を目指しているといわれ、50ヶ所程度は生涯学習で人々の学習欲求を満たすことに力を入れ、様々な種類の講座を開講しています。
また、北部と南部も少々異なる傾向を持つといわれます。北部は都市型、個人の学習を充実させるところが多く見られるのに対し、南部は地域に入っていき、社区総体営造とからんだ文化創造的なものが見られます。成立から18年で、多様な発展を見せています。
原住民部落大学(原住民部落社区大学)もそうです。今、台湾全土には15ヶ所程度あるようです。原住民族に関わる事務は、すべて行政院原住民族委員会が行っており、教育部(局)が直接関わっているわけではありませんが、原住民族(今は16族が政府に認められている)の文化伝承と多民族の相互理解に大きな役割を果たしています。昨年には客家社区大学もできました。今のところ1ヶ所だけですが、客家文化に特化した独特な講座が開かれています。
1998年から始まった社区大学ですが、市民社会の形成という理念に対し、多くはカルチャーセンター的になっていることから、理念と実践の乖離が問題視されていました。現在もそういう指摘はありますが、私が見てきた限り、楽しく学習することで生活が充実し、様々な関係性も生まれていっています。こうした楽しい学習がきっかけとなり、社会を変えていく力が生み出されていくのかもしれないと思うと、社区大学のもつパワーは計り知れないものがあると感じさせられます。
(7)台湾留学あれこれ (TOAFAEC 第225回定例研究会報告 20160226・東京・高井戸)
東京大学大学院 山口香苗
目次 1. 生活報告(@社会の特徴、A政治の動き、B大学での発見)
2. 台湾社会教育・終身学習の概要と現状
@台湾社会教育・終身学習の変遷、A重要項目の動き
1.生活報告
・2013年9月?2015年8月の2年間、国立台湾師範大学に留学。国語教学センター学生、社会教育学系所(受け入れ:張徳永先生)に科目履修生というかたちで滞在。半年伸ばして2016年2月帰国。(台湾滞在期間合計約2年半)
・台北市社区大学の研究のため、この間文山社区大学、士林社区大学、南港社区大学の講座に出席。
@社会の特徴
・年間を通して湿度が高く体力を奪われる。台北は盆地のため、夏頃は湿度100%を記録することがあり、晴れているのに洗濯物が乾かない。冬はほぼ毎日雨が降り続くため、服装はダウンを着るが足もとは乾きやすいようにサンダル履きが主流となる。近年は、異常気象の影響で、夏はスコールが降り続き、洪水に近い現象が発生したり、台風が来ずに春には渇水したりする。この冬は奇跡的な積雪もあった。台湾生活で最もつらかったことは、この気候への適応と暖房器具のないところで冬をどう乗り越えるかであった。
・道を歩いていて気がつくことは、東南アジア出身者が多いことである(介護はインドネシア、配偶者はベトナム、工場はタイが多い)。新移民(外国籍配偶者。中国人も含まれる。)の大半は東南アジア出身者で70万人以上おり、原住民族(約50万人)より多い。「四大族群(エスニック・グループ)」といわれる、?南(福?)人、外省人、客家人、原住民族に食い込む勢いである。
・80歳以上の方の日本語能力が日本人並である。原住民族の高齢者はこの傾向が顕著である。プユマ族部落に行ったことがあるが、60代くらいまでの人はみんな日本式の名前がついている。「光復」と言うと、それは違うと言われる。
・祖父母が沖縄の人であるという人が結構いる。戦前から台湾と沖縄はかなりの交流があったことに気付く。
・「文化創意」、「文化産業」が流行している。例えば、日本統治時代の家屋やタバコ・酒工場をリノベーションしてカフェや芸術活動の拠点にしたり、「眷村」をアートの拠点(若い芸術家・デザイナーなどが住んだり)として開放したりしている。「文化創造が流行ってるんだね」と言うと、「日本には漫画とかジブリがあって、韓国には韓流ドラマとK-popがあるのに、台湾には何もないから?」と言われる。台湾発の世界に誇れる文化を探し求めている。
・現在、60歳になる前に退職する人が多い。公務員では50?55歳の間に退職する人もいる。金銭的なこともあるが、体力が残っているうちに第2の人生を楽しみたいということで早めに退職するらしい。こういう生き方もあるのかと考えさせられる。
・よく耳にした人々の社会への不満は、経済不振と大卒者の給料の低さ(22K)である。「四小龍」と呼ばれた時代はトップを走っていたのに、現在はビリであることを嘆いている。物価が上がっているのに給料は物価が安かった当時よりも低いという。公務員18%利子の話もちらほら聞かれる。
○全体的に人々は穏やかな性格であり、とても暮らしやすい。噂通り親日の人が多く、日本人というだけで気に入られる。よく「どうして他の国はこうなのに、台湾ばかりこうなのか」という不満を言い、あわよくば香港やシンガポール、その他外国に行きたいと願うものの、毎日楽しそうに生きている姿を見ると、内心は生活している台湾が一番好きなんだろうと思う。
A政治の動きとエトセトラ
2013年9月頃:
馬英九総統と王金平立法院長が対立。国民党の内部分裂が起こっていた模様。国民党は現在、親中派(外省人)と本土派(内省人)に分かれている。
2014年3?4月:
ひまわり学生運動勃発。中国との「自由サービス貿易協定」締結に反対し、学生たちが立法院(国会)を占拠。馬英九総統の前期4年の親中経済政策はそれなりに評価されていたが、経済的な距離を中国に近寄せ過ぎた結果、「経済の次は政治を近づけるつもりだ」と、総統に対する不信感が増加。それに、李登輝は「百合の花学生運動(1990年3月)」できちんと対応したのに・・・という声も。台湾語で馬英九総統に質疑。林義雄のハンガー・ストライキ。2014年11月末:
地方選挙(直轄市・縣市長と議員、里長など9種類)。台北市では柯文哲(無所属、台大病院の外科医)が連勝文(国民党、連戦の息子)を下し当選。?龍斌市長(国民党、?柏村の息子)から交代。陳水扁が特別釈放され自宅療養に入る(2015年始め頃)。
2016年1月16日:
総統選挙。蔡英文(民進党)が当選。台湾にとっては戦後3度目の政権交代。同時期、台湾出身の韓国アイドルグループメンバーの国旗騒動が起こり、政権交代を後押ししたとも言われる。ひまわり学生運動をきっかけにした「第三勢力」の政党「時代力量」が第3政党に躍り出る。有名どころは「時代力量」(2015年1月成立)と「社会民主党」(2015年3月成立)であり、「社団法人公民組合」のメンバーが分かれてこの2党を組織した(後者は民進党と手を組まない(としていた)。)
○国民党の地盤である台北市でも緑陣営(民進党系)がそれなりに支持される区域がある。例えば、北投、大同、萬華など、すべて清朝?日本統治時代に栄えた、昔の台北の中心である。かたや、総督府などの国家機関が集まり、公務員が多く住む大安は極めて青く、「深藍」と呼ばれる。(ここは日本植民地時代も日本人官吏が多く住む場所であったため、彼らの宿舎であった日本式家屋が多く残っていることも特徴的である。)今回の総統選挙は、台北市でも緑陣営が完全に優勢であったが、南部のように緑が藍に2倍以上の差をつけて勝つというようなことはなかったため、やはり藍の力が強いことを実感する。日常で選挙や政治の話をする人はまずおらず、そういう話をされたら「立場を明らかにせずにかわす」のは今もみんなの暗黙の了解である。
B大学においての発見
・政権と学術界が近い。大学教員の提言で政策が作られる。今は高齢社会への対応が最重要政策であり、教員たちもこれに多くの提言をしているせいか、多くの学生の研究テーマも高齢社会への対応をからめたものになる。
・欧米の大学で学位を取得した教員が多いせいか、論文内に欧米文献と欧米理論を多用するのが主流である。学生によると、欧米文献は多ければ多い方が良いという風潮の授業もあるという。
・修士課程を2年で終えようとする学生はまずいない。
・博士課程には40代以上の社会人院生が多く、同年代の博士課程院生には出会わなかった。こういう学生が多いと議論が活発になり、授業がとても良い雰囲気であった。
・社会教育の範疇に、高校生が大学受験のために通うような学習塾(補習班)が入っている。しかし、今は市場化の影響が強いものであるため誰も研究していない。これは、昔、未就学成人の識字教育の施設を「補習班」と言っていたが、今は「補習班」は進学塾を指すことに起因する。(1944年「補習学校法」は、1968年から9年制国民義務教育開始により、1973年国中・国小補校が開始されたことで、1976年「補習教育法」に変更、1999年「補習及進修教育法」に変更した。)
・台湾の社区営造は日本の工学(千葉大学の教授)の理論をもとにしている。模範は岐阜県飛騨の古川町であるとして、授業で同じビデオをたびたび見た。
・18歳人口の減少により、2016年から大学の倒産、合併が急速に進む予測である。特に、寅年生まれが大学に入る本年は学生募集が極めて厳しいという。ちなみに高卒者の高等教育機関への進学率は95%を超えた。さらに、政権交代のため大学経営(補助金獲得)は今後8年は厳しいだろうという予測もある。
・日本の社会教育学は、地に足がついている感覚があることを実感する。台湾では時々「社会教育は孔子の時代からあった」や、「終身学習はユネスコ以前に救国団がやっていた」などを耳にし、加えて、宮原の社会教育学のように、遡れるものというか軸にしている理論みたいなものがないので、ぐらついているような感覚を覚えることがある。
○政策に貢献できてこその学問という考え方がある。加えて「他国がやっているから我々もやるのが当然」、「やってこそ国際社会の仲間入り」という考え方をよくする。国際社会から脱退した時の痛みが残っているか、あるいは、数年後も台湾が今日のように存在しているとは限らないという不安感があるのか、いかにして国際的に認められるかを重視しているかのようである。外国のものをとり入れればまだまだ台湾は良くなると信じているようにもみえる。しかし、こうした危機感が大胆に新たなものを取り入れる、海外から学ぶという態度にも直結しており、社会を活発にさせているのかもしれないとも思う。
2.台湾社会教育・終身学習の概要と現状
@台湾社会教育・終身学習の変遷
時代区分(楊国賜、林振春の分け方を参考)
第1期:専制政治期(1949?1979年)国家・政治の道具としての社会教育
第2期:重要転換期(1980年?1997年)欧米の成人教育論の導入
第3期:発展期(1998年?現在)終身学習時代の開始と展開
重要人物(※台師大の視点に則っている。)
楊国賜:「成人教育の導入者」、教育部社会教育司長(1988.11?1992.2)
郭為藩:教育部長(1993.2?1996.6)
林清江:「終身学習の提唱者」、教育部長(1998.2?1999.6)
3人の共通点は台師大社会教育学系出身、欧米留学組。この時期は「台湾の社会教育に最も力があった時代」と称され、「林清江がご存命であれば、台湾の終身学習は今頃もっと発展していたであろう」と言われる。
第1期:専制政治期(1949?1979年)
国民政府が台湾にやって来て以降、政府の最大の目的は「大陸反攻」にあり、社会教育の最大の目標も「大陸反攻」であった。
・1949年、教育部は「戡乱建国教育実施綱領」を公布し、社会教育の重点を非就学成人への補習教育と、三民主義文化運動の展開とした。
・1953年9月24日、「社会教育法」(計17条)が公布された。社会教育の業務を進めるため、台湾省教育庁は「社会教育法」に照らして、台湾全土を4分割し、各地区に中心を定め1ヶ所ずつ省立社会教育館を設置することにし、新竹、彰化、台南、台東の4ヶ所に設置した。
・1950年代は、国立の社会教育機構が大量に作られた時期でもある。例えば、国立中央図書館(現:国家図書館)(1954年)、国立歴史博物館(1955年)、国立教育資料館(1956年)、国立科学教育館(1956年)、国立芸術教育館(1957年)、国立教育ラジオ局(1960年)などが次々に成立した。
・1960年代半ば?1970年代半ばは、「中華文化復興運動」(文化大革命に対抗)。1968年、教育部文化局が成立。文化、芸術、テレビラジオ、映画事業を管轄するとされたが、実質扱うべき実体がなく、1975年に解消(その後、現在の文化部の前身である行政院文化建設委員会が1981年に成立する)。
・1970年代後半から、蒋経国が国家の舵取りを開始。行政院長であった蒋経国は、「十大建設(60年代末?70年代)」に続いて、1977年9月に「十二項建設(1980?1985年)」計画を宣言した。このなかで、「すべての縣市に、図書館、博物館、音楽ホールを含む文化センターを設置する」と明言し、文化センター(ハード施設)大量建設の時代に突入した。1978年に、文化建設政策である「加強文化及育楽活動方案」が行政院を通過、1980年10月には「社会教育法」が修正(第2次修正)され、文化センターの項目が入れられた。
第2期:重要転換期(1980年?1997年)
1980年10月、「社会教育法」の第2次修正(大改正)において、第1条「社会教育は憲法第158条と第163条の規定により、全民教育および終身教育を主旨とする」とし、世界の趨勢を鑑み、「終身学習」という用語を入れた。
・1988年2月、第6回全国教育会議において、「社会教育発展計画」が通過。「成人教育体制を建設し、全民教育および終身教育の目標を達成する」と、「成人教育」が正式に政策文書に明記された。これをきっかけに、社会教育の重心は成人教育として、成人教育促進の時代に突入する。1988年末に楊国賜が教育部社会教育司長に就任。
・1990年2月、教育部「社会教育工作綱要」を公布。今後の社会教育の発展方向を、成人教育、家庭教育、文化教育、芸術教育、大衆科学技術教育、交通安全教育、図書館教育、博物館教育、視聴覚教育の9項目と確定。
・1990年3月、教育部「成人教育実施計画」を公布。成人教育の具体的な業務として@成人基本教育、A婦人教育、B老人教育、C余暇教育、D環境教育を盛り込んだ。
この、1988年の「社会教育発展計画」、1990年の「社会教育工作綱要」、1990年の「成人教育実施計画」は、台湾の社会教育史に大転換をもたらした重要な3政策と言われている。1990年に「成人教育法草案」も作成されていたが、「社会教育と成人教育は何が違うのかはっきりさせよ」ということで立法院を通過せず、公布には至らなかった
第3期:発展期(1998年?現在)
1998年から終身学習の時代に入る。その前の1994年に410教育改革運動が勃発。1996年12月、行政院は「教育改革審議委員会」を組織し教育改革に取りかかる。「教育改革総諮議報告書」を提出し、@教育体制の柔軟化、A性格や興味、才能に合った教育の発展、B多様な進学ルートの開通、C教育の質の向上、D学習社会の建設の5つの目標を提出。この報告書の主軸は「終身教育を促進し、学習社会を建設し、学校教育改革を実現する」ことにあり、終身学習を社会教育政策だけなく、学校教育を含む教育政策の主軸に据えることを意味していた。
・1998年3月、林清江教育部長は、白書「学習社会に向けて」を提出。本格的に終身学習を中核とした社会の形成に取り組み始めた。白書の内容はユネスコの「学習:秘められた宝(Learning:The Treasure within)」の4つの支柱「知ることを学ぶ(learning to know)、為すことを学ぶ(learning to do)、共に生きることを学ぶ(learning to live together)、人間として生きることを学ぶ(learning to be)」に、対応する形で作られたと言われる。このなかで、以下14項目を提出した。@リカレント教育制度を建設する、A柔軟で多元的な進学ルートを開く、B学校教育改革を促進する、C多元的な高等教育機構を発展させる、D補習学校の転換を促進する、E民間企業が学習の機会を提供することを奨励する、F各種類の学習型組織を発展させる、G社会的弱者への終身学習の機会を開拓する、H終身学習情報ネットワークを整備する、I民衆の外国語学習を強化する、J各レベルの終身教育委員会を組織する、K終身学習法制を整備する、L学習成果承認制度を建設する、M教員の終身学習の素養育成を強化する。現在も、これを基礎に終身学習の促進が進められている。
・2001年、「図書館法」制定。(2015年2月最終修正)。
・2002年、「終身学習法」制定。(黄富順グループ)
・2003年、「家庭教育法」制定(同じく黄富順グループ)。「終身学習社会5年計画」で短期、中期、長期計画が出された。
・2006年「高齢社会に向けた老人教育政策白書」提出。2008年より楽齢学習センター(台北市では市立図書館内に設置)、楽齢学堂(台北市では小学校内に設置)、楽齢大学などの推進を開始。現在は、これが重要政策のひとつになっていると言える。
・2010年「終身学習行動年:331行動方案」提出、「第8回全国教育会議」で終身学習の全面的な展開を行うことを宣言。
・2011年には教育部社会教育司が終身教育司へと名称を変更。
・2015年7月1日、「博物館法」制定。
A重要項目の動き
○「社会教育法」と「終身学習法」について
1950年、邱有珍ら33名の議員提案によって「社会教育法草案」が提出された。この草案は「時代精神に合っていない」として取り下げられ、その後立法院委員の意見に基づいて草案修正案が起草された。しかし「煩雑すぎる」ということで再修正され(再修正案)、これに委員の意見を総合して整理し第3次審査案が出され、これを修正したものが3読にいった。そのため、草案、草案修正案、再修正案、第3次審査案の4種類が見られる(6種類できていたらしい)。1942年に大陸で出されていた草案とざっと見比べると、はじめの議員提案の草案はまったく異なる内容だが、第2版となる草案修正案は結構似ている。(二読以降の立法院会議資料は公開されているが、一読と委員会(小組などもこの頃)の資料は今も公開されていない。あるいは存在しない。)邱有珍によると、草案提出から制定まで3年かかった理由は、@政府でなく議員による提案は前例がなかったため審査が格別慎重であったこと、A社会教育の範囲を定めるのが困難であったこと、B社会教育を「大陸反攻」のための「再教育」と見なしているため、「実施方針」としての内容となり、法律条文の体裁に合わないため何度も審査が必要であったこと、が挙げられている。(参考:邱有珍「我與社會教育法案」『民生憲政』第44巻、1973年)
〈社会教育法〉
1953年9月24日「社会教育法」制定(全文17条)
1959年3月28日(第16条修正)
1980年10月29日(16条全文修正)←終身学習の文言を入れる。文化センターの法的根拠を入れる。
2002年5月15日(第4、6、7、14条修正)←1998年の「精省」による修正。社会教育館は、直轄市政府による管理となったため、実質、台北と高雄のみに。4つの省立社会教育館は国立になっていたため、社会教育法からはずれた。
2003年1月15日(第8、14条修正)
2011年12月28日(第2条修正)←「社会教育の任務」に情緒の管理、生命価値を大切にする、社会への関心、ボランティアへの参加、公民資質の育成、民主の精神を育てるが追加される。第13条は「行政院新聞局」の担当のため、2012年5月20日から「文化部」の所管に。
2015年5月6日 廃止←「終身学習法」があるので不要。
〈終身学習法〉
2002年6月26日制定(全文23条)
2014年6月18日第1次修正(全文修正)、全文22条
重要修正点:(林振春のまとめ)
・社会教育法の社会教育機構の項目が入れられ、社教機関と文化機関になった。(文化機関の項目は文化部の法律ができてから移動するということで、現在仮置きしている状態。)
・社区大学を置く主体、名称使用の規範、補助と奨励の方法が明記された。(社大側からすると、特に何の影響もない。)
・各級政府は楽齢学習活動を行うという条文が増加された。
・終身学習専門人員の育成と運用が明記された。(しかし、今のところ何の進展もない。)
・メディアによる作成・放送の終身学習番組の規定が削除された。
・外国人配偶者教育を行うことと補助について条文増加された。
○省立社会教育館について
省立社会教育館(新竹、彰化、台南、台東)は1980年代の文化センター設置によって、その存在意義が疑問視されていた。2000年の政権交代によって社区大学が重要政策になるなか、省立(国立)社会教育館は重視されなくなり(社会教育館は国民党時代の残滓)、そこを中心にして1980年代から作られていた「社会教育工作ステーション」もなくなっていった。2002年には、省凍結による「社会教育法」の修正によって、「社会教育法」内に根拠はなくなり、2007年9月19日、行政院研究発展審査委員会は「図書館、博物館などの文教類附属機構の所属変更と法制化に関する要項」を提出し、教育部に属していた新竹、彰化、台南、台東の4つの社会教育館は行政院文化建設委員会(現:文化部)に移った。そして、「生活美学館」と名称を変更した(「社会教育工作ステーション」も、台南では「生活美学ステーション」のように変更)。かつて、社会教育学者たちは、戦後からずっと台湾の社会教育の中心機構として存在していた省立社会教育館を再び教育司に戻してもらえるよう教育部と文建会にかけ合った。しかし、教育部にその気はなく、文建会は欲しいという態度を示し、結局社会教育館側の意見を聞くことになった。社会教育館は、それならば文建会に属したいということで、教育部のもとに戻ってくることはなかった。
○社区教育について
戦後、アメリカの支援のもと第3世界のコミュニティ発展工作が台湾でも開始された。
・1955年「基層民生建設」:農村経済の反映と村民生活の改善が目的。@「生産建設」A「教育文化」B「社会福利」C「衛生保健」。
・1968年「社区発展工作綱要」:社区内に社区理事会を設置。選挙権を持つ住戸代表者による選挙によって15?21人で成立。@「基礎工程建設」A「生産福利建設」B「精神倫理建設」。すべては「上から下」への政策。自己中心的な改善、教育的要素がなく継続しない、即効性を求めすぎている、伝統的な「慈悲仁政」を過信している、という問題点が指摘された。
・1994年、行政院文化建設委員会は「社区総体営造」を開始(陳其南が中心)。社区時代の到来を象徴するものであり、学校の社区化や社会教育では社区教育が始められるきっかけとなった。「社区総体営造」は文化の手段によって「新しい社会」と「人」(「公民社会」と「公民としての意識を持った人」)を作り、社区に住む人々の共同体意識を育てることが重視された。「造景(人と人が相互関係を持つ環境空間の創造)、造産(産業文化化、文化産業化)、造人(品質、品位、徳のある社区公民の養成)」がキーワードであり、社区文化活動の発展や地方の伝統文化建築の美化、村の展覧館や演劇施設の充実、地方の文化芸術活動などが計画された。
・1998年の白書により、1999年から「学習型社区」を開始。教育部は5つの実験社区(台北縣泰山郷(都市郊外型社区)、日月潭邵族部落(観光型社区)、嘉義縣新港郷(郷村型社区)、高雄左営(都会型社区)、台東卑南郷南王(原住民社区))を選定し、そのうち良い成果の出た台北縣を中心社区とおき、台師大成人教育研究センターが25縣市の学習型社区の促進を指導した。2年目からは成教センターと全国地方政府、4つの国立社会教育館、高雄市社会教育館の共同で各縣市に学習型社区の促進を開始した。学習型社区の目的は、学習機会の普及(読書会や社団の組織)、学習情報の普及(ホームページや定期出版物の刊行)、資源の整合(社区内の学校、教育機関、職業訓練センター、企業などとの連携)である。
・2004年、「教育部社区教育学習体系促進のための補助要点」を提出し、社区教育学習体系の構築を開始。2005年に5つのモデル区・団体を選出後、2008年に15カ所まで増やし、社区教育の補助を行った(例えば、台北縣建安小学校の「三峡小暗坑ホタル生態社区営造計画」、高雄第一科技大学の「高雄縣モデル社区教育団体計画」など)。政権交代(国民党が再び与党に)後、「教育部社区教育促進のための補助要点」と修正し、2009年、政治大学に「社区学習研究発展センター」設置。
・2005年、行政院「台湾新社区六星計画」:産業発展、健康関心、社区安全、人文教育、景観環境、生態保全を目標にする。
・2010年「学習都市」の開始。学習情報、資源、リーダー人材、科学技術、環境および民衆参加、就業能力の7つの項目からなる。
台湾の社区教育の範囲は、「正規教育(学校)社区化(学校開放、学校と社区の連携)、社区活動教育化(娯楽・レジャー的な活動を教育性のもった読書会や長青学苑などへ移行)、公共事務社区化(公園管理や停車問題解決など社区事務を民衆が担う)」である。社区発展協会(社会局)は、2015年末、台北市で361個、高雄市で841個成立している。社区営造センターもほぼ全地域にあり、台北市は2003年に成立した(台北市は都市発展局、その他多くは文化局)。よく社区大学と社区総体営造の関連が問われるが、北部では関連はない。強いて言えば、社区発展協会などと連携して環境美化・保護活動、高齢者へのサービスなどを行っている程度である。
○台北市社区大学の現在について
1.地方政府の最高法規である「自治条例」が社区大学関連で制定された。台北市は2012年6月に「台北市社区大学自治条例」、台南市は2012年7月に「台南市社区大学発展自治条例」を制定。しかし、台北市のは管理的要素が強いとして(「管理?法」をほぼそのまま「自治条例」にしたので)、修正を要求している。
2.「社団法人台北市社区大学永続発展聯合会(以下、聯合会)」が2013年12月に組織。発足動機は以下。@台北市社区大学と市政府(教育局)など公的部門との間のパートナー関係を強化するため。政府側から受ける管理をより小さくし、運営側である民間団体による独自の空間を拡大するため、12社区大学が連携することでより大きな力を生み出し、市政府と対等な立場から権利面、制度面、経費面の要求を行い、社区と都市の永続的な発展のための環境をつくる。A全国組織である社区大学全国促進会では対応できない問題に対応するため。
3.運営団体の決定は、「政府採購法」に基づいた公開入札方式から、2014年に「行政委託」方式に変更。「採購法」は、社区大学を運営したい民間団体を競わせ、条件の良い団体を政府が選ぶというやりかたで、雇用主・被雇用主の関係性が強いのに対し、「行政委託」は政府が信頼する団体に委託するという意味合いが強い。
4.2015年度から、評価審査の方法が変化。3年更新であることに変化はないが、第1年目は自己評価の審査、第2年目は課程の発展や社区活動の方向性を審査する方案審査、第3年目は行政組織、課程計画、社区活動、教師、学習者経営など、すべての項目を審査する校務審査を行う。評価項目も、審査項目も80項目近くあったものを30項目程度に調整した。
5.客家社区大学が成立(2015年8月)。原住民は原住民の教育体系がある(「原住民教育法」もある)が客家はないので、なぜ成立した?という声あり。
(8)台北の風7−台湾・新総統誕生(ri, 20 May 2016 19:02) 南の風3671号
台湾では、本日5月20日、民進党の蔡英文氏が総統に就任し、台湾史上2度目となる民進党政権が誕生しました。就任式典では、おととしのひまわり学生運動の応援ソング「島嶼天光」を歌った歌手らによるパフォーマンスも開かれ、台湾の変革が誓われたようです。民進党政権となって、これからの終身学習政策にはどのような変化が見られるようになるのか、興味がわくところです。
戦後台湾史上初の政権交代で、陳水扁(民進党)が総統となった2000年、社会教育・終身学習における大きな動きは社区大学の普及でした。1994年、政府に教育体制の改革を求める「四一〇教育改革運動」が民間から起こり、これをきっかけに1998年9月、台湾初となる台北市文山社区大学が誕生しました。当時の台北市長は陳水扁。その後も、台湾各地で民進党が縣・市長となっていた地方自治体が率先して社区大学を設置していったことから、社区大学は「緑色」(民進党派)のイメージがついたと言われます。
戒厳令解除後、政権交代をして新たな台湾をつくるという風潮と、社区大学の目的である社会再建は、まさに相通じているようでした。
そして、社区大学は2002年制定の「終身学習法」に規定され、初めて法的根拠をもち、その後、政治色は消え、現在、終身学習施設の代表的なものとなりました。しかし、まだ法制度面の規定は十分ではないと考えられており、「社区大学全国促進会」を中心に、政府に対して、社区大学の法的地位向上の要求が絶えず行われています。例えば、「社区大学自治条例」(現在、台北市と台南市のみ制定)の全国レベルでの制定、「開放大学法」の制定による社区大学の学位授与権の獲得など、社区大学は今も、さらに社会の重要な施設となれるよう努力を続けているのです。
こうした要求は今後動きを見せるのか、政権交代後の動向が注目されるところです。
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