【南の風2014】発行リスト・3251号〜3300号
各号目次一覧・後記(ぶんじん日誌)

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【南の風2014】3251号〜3300号・目次一覧

3251号【 2月18日】追悼・伊藤長和さん、6日伊藤さんお見舞いに、ご冥福を祈る、言い交わしたる二人仲
3252号【 2月19日】伊藤さんへ感謝、イギリスより、福岡公民館60年あゆみ、平和の鐘、ヴェントさん
3253号【 2月21日】伊藤長和先生を悼む(大連、東京、上海)、沖縄県議会、伊藤長和さん通夜・告別式
3254号【 2月23日】伊藤長和先生−3回の旅の思い出、「烟台の風」を読んで、沖縄県知事選、退院しました
3255号【 2月25日】広げよう夜間中学(講演会)、名護「やんばる対談」、竹富・島立て学校、私信いろいろ
3256号【 2月27日】28日は203回研究会(再掲)、巨人が急逝された思い、やんばるの水、追悼のページ作業
3257号【 3月 2日】暴力に対して文化で戦う(203研究会報告)、伊藤長和さん思い出、ビキニ60年、暦は3月
3258号【 3月 5日】年報19号編集会議、崔云實先生のインタビュー、町田情報、伝統人形劇、慶事あり!
3259号【 3月 7日】東京社会教育の歩み・編集会議,伊藤長和さん思い出、名護博物館30年、頑張らない
3260号【 3月 9日】3月定例研究会ご案内、東京からご挨拶、みんなでつくる商店街、4月12日やんばる対談
3261号【 3月11日】崔云實先生インタビュー、伊藤さん逝去を悲しむ、魚沼より、最終講義、韓国フォーラム
3262号【 3月13日】4月やんばる対談・稲嶺市長も、竹富島のデイゴ、事務局会議開催の記録、弥生半ば
3263号【 3月15日】映画「こんばんは」、「広げよう夜間中学」記録、名護「やんばる対談」、三つの編集会議
3264号【 3月17日】東京本・編集会議、韓国本・編集会議、19号編集会議、関本さん卒業講演記録、十三夜
3265号【 3月18日】年報19号投稿案内、韓国フォーラム4月日程、旧杉並区立公民館、軋みあいながら日程
3266号【 3月20日】21日・東京本編集会議(再掲)、夜間中学の執筆、短命コザ村、やんばる対談参加希望
3267号【 3月22日】東京社会教育の歩み執筆参加、やんばる対談参加者、首里奨学母の会、ひと山越えて
3268号【 3月24日】東京社会教育の歩み拡大編集会議報告、執筆参加、「竹富島憲章」、第3金曜セミナー
3269号【 3月26日】京都で新しい生活スタート、やんばる対談に向けて、3月28日定例研究会、春・千客万来
3270号【 3月27日】和歌山大学・学長式辞、竹富町教委・圧力はね返す、九州から、やんばる事前学習会
3271号【 3月29日】3月定例研究会(山口・浅野)ご報告、やんばる対談へ、桜咲く神田川に歌は流れる
3272号【 3月31日】夜間中学・超党派議員連盟、飯舘村の子どもたち、韓国出張、28日研究会の頂きもの
3273号【 4月 1日】ヤン先生歓迎夕食会、飯舘村の牛屋のかあちゃん、久茂地小学校閉校、16年余の歳月
3274号【 4月 2日】横浜の夜間中学つどい案内、林竹二・授業、飯舘村の牛屋のかあちゃん2,桜は満開
3275号【 4月 3日】東京日本語教育つどい、鶴見川の4月、鶴ヶ島から、鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす
3276号【 4月 5日】4月6日案内、北海道から沖縄へ、飯舘村の牛屋のかあちゃん3,渋谷、風の部屋のこと
3277号【 4月 7日】19号(巻頭)座談会・自由投稿ご案内、飯舘村のかあちゃん4,渋谷区、安東焼酎の夜
3278号【 4月 9日】東京第13回研究会、やんばる対談日程、稲嶺進市長選カンパ報告、てぃだのふぁ回想
3279号【 4月10日】やんばる蔓草庵から中央公民館へ、「標的の村」へも、新垣善春さん、キジムナーの誘い
3280号【 4月12日】4月定例(TOAFAEC 第205回)研究会案内、韓国本編集、チビチリガマ、那覇・名護へ
3281号【 4月14日】年報19号執筆、19日韓国本編集会議、「命の旅人―野本三吉」、やんばる対談の展開
3282号【 4月16日】やんばる対談・名護の社会教育1、4月研究会へ、伊江島マラソン、歓迎会・名護の夜
3283号【 4月17日】年報19号投稿募集締切、巻頭座談会、名護の社会教育2、加藤彰彦先生、花水木咲く
3284号【 4月21日】やんばる対談を終えて(名護)、風に参加、東京研究フォーラム(13回)、伊藤さん偲ぶ会
3285号【 4月22日】夜間中学等義務教育拡充議員連盟、再会・上海、やんばるの旅、夜間中学の立法運動
3286号【 4月23日】議員連盟発足、伊藤長和さんを偲ぶ会・二次会、町田、韓国研究フォーラム・50回へ
3287号【 4月25日】速報「議員連盟」設立、25日定例研究会・再掲、辺野古座込み10年、復職、初カツオ
3288号【 4月27日】4月定例研究会−稀にみる贅沢な(速報)、伊藤長和さんを語る会案、忘れがたい夜
3289号【 4月29日】4月定例研究会記録(2) 関本報告、失われた宝の回復、韓国フォーラム、ワレサ・連帯
3290号【 4月30日】沖縄から韓国へ、4月研究会記録(3) 横山報告、議員連盟設立概要、メーデーの思い出
3291号【 5月 1日】韓国フォーラム50回記念・伊藤長和さんを語る会、個展、名護、福岡、美しき五月の東京
3292号【 5月 3日】大学の自治否定する学校教育法改正案、和歌山大学、川崎の市民館で、憲法記念日に
3293号【 5月 5日】市民アーカイブ設立趣旨書、竹富・島立て学校、テープ起こし、伊藤長和さん追悼ページ
3294号【 5月 7日】東京社会教育史(第14回)、町田、学校で地域再生を、中頭OB会、旅はまだ終わらない
3295号【 5月 9日】19号沖縄から執筆、対馬丸救出、飯舘村1、事務局コーナー、家族ぐるみ、エビネの迎え
3296号【 5月11日】やんばる対談(6)聞き書き、飯舘村のかあちゃん2、子どもの居場所、事務113、東京へ
3297号【 5月13日】やんばる便り、対談・感想、飯舘村かあちゃん3、事務局114、100号おきアドレス帳更新
3298号【 5月14日】東京史フォーラム、松本市地域づくりセンター、飯舘村かあちゃん4、鶴見、東京史資料
3299号【 5月16日】稲嶺ススム市長訪米へ、東京日本語教育つどい案内、5月15日・沖縄復帰の日・42年
3300号【 5月18日】東京の学級・講座、「共同学習」(14回研究会報告)、台湾、十日町、川崎、峠に立って

*南の風3301号〜

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南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


3300号【2014年5月18日】
■≪風・3300号の峠に立って≫
 3296号本欄に書いた「林えいだい」さん(記録作家)への見舞い。昨日いつもの万年筆、元気な文字で林さんからのハガキ来信。「…先日は遠路はるばる“ありらん文庫”までお出でいただき、恐縮しています。抗ガン剤の副作用で、1日のうち半分は二階で過ごし、お出でになったとはつゆ知らず、誠に残念でした。お許し下さい。
 昨年4月に突然、声が出なくなり、検査でガンが転移していることがわかり、昨年10月、今年4月、食道ガン2ヵ所を手術して、その後の後遺症がひどく困っています。何とか歩行はできますが、あと残り少ない命なので、最後の原稿に取りかかっています。会いたかった。…」(5月15日)
 恐るべし、その気力。濃いインクの力強い文字を何度も読み返しています。同世代人の執念と頑張り、1枚のハガキから元気をもらいました。
 話かわって…。1週間前に韓国・公州から届いたメール。ご紹介します。「… サプライズにしようと思ってましたが、やっぱりお伝えします。5月30日。定例研究会、伊藤長和さんを偲び、語る会、参加します。6月1日に親戚の結婚式があるので日本に行きます。お目にかかれるのが楽しみです。」(瀬川理恵、Fri, 9 May 2014 23:57)
 本号で3300号の峠に立ちました。あえぎつつ歩いてきた道、ようやく辿りつきました。本来はこのあたりで“おしまい”のつもりでしたが、伊藤長和さんの声がまだ耳に残っていて、(いつぞや書いたように)あとしばらく風を吹いていこうと思います。新しくご参加の方がある一方、本号でお別れの方々もあります。これまでの風へのお付き合い、ご愛顧に改めて感謝申しあげます。もし「風」再送のご希望があれば、いつでもご一報ください。

3299号【2014年5月16日】
■≪5月15日・沖縄復帰の日≫
 沖縄返還(1972年)から42年。私たち(東京学芸大学社会教育研究室)が沖縄フィールドワークを始めたのはその4年後でした。当時、沖縄の風景はまだアメリカ占領下の雰囲気を色濃く残していた時期。とくに米軍基地のなかに沖縄の人々が暮らしている状況は、強烈な思い出として残っていますが、しかし、その基本構図は今なお変わることなく・・・。
 この日、上掲・島袋正敏メールにあるように、稲嶺ススム名護市長は米軍普天間飛行場の辺野古移設反対を訴えるため、米国に出発しました。那覇空港で稲嶺市長は、出発日が復帰記念日となったことについて、「基地被害を県民が抱え込んでいる状況は何も変わらず、悲劇だ。この状況から早く解放してほしい」と記者団に語ったと。(琉球新報5月15日・速報)
 あまり背が高くないススムさん、大男揃いのアメリカ政界・言論界のなかで、堂々と名護辺野古問題を語ってほしい、多くの市民の期待を背にうけて頑張ってほしい。一路平安! 旅の成功を祈ります。
 明日(暦の上では今日)16日は、東京社会教育史フォーラム・第14回研究会です。前号にプログラム詳細を再掲。皆さん、お出かけ下さい。これからしばらく毎月・第三金曜日夜は東京フォーラム研究会、最終金曜日夜はTOAFAEC 定例研究会のパターン。ご予定下さい。
 季節は「目には青葉」。すでに暑い日も。魚屋の店頭には連日カツオが並んでいます。いつぞや本欄に書いた「カツオの刺身」も珍しくなくなりました。那覇・久茂地「カツオめし」の店「苗」が懐かしい。
 風は次号で早や3300号(アドレス帳整理)、無音の方の継続希望、お急ぎください。

3298号【2014年5月14日】
■≪東京都社会教育史料・約50点≫
 先日の福岡滞在の折、農中茂徳さんから甘夏いくつか頂き、バッグの中に収めきれず、ダンボールをつくり宅急便へ。ついでに東京社会教育史料を50点ほど箱に詰めたという経過。資料が主ではなく、甘夏が先。さきほど永福に届きました。甘夏の美味しい風味。さて、東京社会教育史料の味はどうか。ご参考になればと思い、代表的なものタイトルのみ、以下に記しておきます。一部を除き東京都の発行になるものです。
 PTAひとすじ(水江八千代遺稿集、1989)、東京都社会教育長期計画(1965)、社会教育施設の基本構想(1963)、青年館への提言(1966)、青年学級のあゆみ(1968)、市民集会施設実態調査報告(1974)、社会教育行財政資料(1963)、青少年教育基本研究会報告(1972)、社会教育関係団体補助金資料(1976)、社会教育主事の制度(1968)、社会教育主事制度に関する資料(1985)、生活学校調べ(1972)、都民生活大学(1970)、杉並の新生活運動(1970)、市民活動資料集(1972)、サークル活動の前進のために(1970)、都民自治大学構想(1972)、市民講座(1972〜74)、東京・自治体行政と都民の社会活動における市民教育のあり方についての答申(1973)、社会同和教育研究会のまとめ(1976)、派遣社会教育主事問題検討委員会答申(1974)、立川社会教育会館十周年記念誌(1978)、同職員セミナー実施経過報告(1992)、都民カレッジ(パンフ、1993)ほか。
 必要(テーマ)に応じて、東京社会教育史フォーラム・研究会や執筆者会議などに持参するつもり。この種の史資料は各地・各所にまだ残っていると思います。いまのうちに掘り起こし、保存していきたいものです。

3297号【2014年5月13日】
■≪100号おきアドレス帳整理≫
 12日午後、多忙の梶野光信さん(東京都教育庁)が、「風の部屋」へ。いま進行中の『東京社会教育史』企画、「通史」部分の執筆協議のためです。分担予定のあとお一人は都合がつかず、残念!でした。
 今日は職場に戻らないつもり、と聞いて、早速ワインクーラー「白樺」の登場。いま風の部屋では、新しい来訪者があると、「白樺」が出番を待っています。これを間にして話をはじめると、難しいテーマも楽しく進んでいくから不思議。終わって、富美も連れ出して、前の店へ。梶野さんとは彼が院生時代からの旧知の間柄、お互いに懐かしそうでした。
 さて、「南の風」(1998年2月創刊)は、あと1週間で3300号を迎えます。2年半前、風3000号に到達のとき、一つの区切り、休刊予定でしたが、故伊藤長和さんはじめ皆さんの、風・継続コールに抗しきれず(マンネリ化を怖れつつ)その後も出し続けてきました。やや長すぎる道のり。しかし故人の遺志は深く胸に残り、また幸い体調も回復してきましたので、あとしばらくは、皆さんにも風にお付き合いいただこうと願っています。
 というわけで100号おき恒例のアドレス帳更新をいたします。この100号の間、いちども「けえーし風」(返し風)のない方にはお引き取りいただく仕組み。またこの間に新しく風に参加された方で、自己紹介など頂いていない方は、この機会にそちらからの「風」をお願いします。3301号で新アドレス帳に更新予定です。なお私信の場合は、その旨を付記下さい。風・誌面への掲載を控えますので。

3296号【2014年5月11日】
■≪東京へ≫
 前号に続いて年報編集・対談聞き書き作業の、ナマの記録をそのままご紹介しました(上掲)。記録者・山口真理子さん、ご苦労さま。これを受けて、ぶんじんの小見出し・縮小・リライトなど編集作業が加わり、各発言者にいちど原稿を戻して最終稿に仕上げていこうという段取り。関係の皆さま、ご協力どうぞよろしくお願いします。
 今年のやんばる対談(4月12日)は、既報(3281号)の通り、新進気鋭の社会教育主事集団を主役に、名護の社会教育関係者が勢揃い、これに東京のワーカーズコープ各位、前沖縄大学長(野本三吉さん)、熊本・川崎・那覇そして北海道など各地からの参加者が語り合うという豪華版でした。こもごもの発言を連ねて、新しい胎動・可能性を発見していきたいもの。
 昨夜(10日)の最終便で東京に戻りました。今回の福岡は、油山「空き家」管理と隣家への修復ご挨拶、植木剪定の打合せなど。それと書庫に運び込んでいた東京社会教育史料をダンボール1箱だけ東京へ逆送作業。処分すればよかった資料を棄てきれず、福岡まで運んだ因果がいまめぐって、複雑な心境です。折良く、福岡に移った添田祥史さんが油山まで来てくれて「基礎教育学会」構想をゆっくり話しあうことが出来ました。これは収穫。夜の語らい、その酒のサカナは農中茂徳さんの魚の手料理。いつもながらの見事な包丁さばき。一同(横尾成臣さんを加えて)堪能しました。
 最終日(10日)、入院療養中と聞いていた旧友・林えいだい(記録作家、アリラン文庫主宰、旧戸畑市社会教育主事)を見舞いに筑豊・飯塚病院へ。しかし幸いに退院していて会えず。そのまま農中茂徳さんの車を走らせて自宅・アリラン文庫へ。残念!不在でした。板付空港へ急ぐ帰路、まずまず元気な声がケイタイに届きました。術後「声を失った」と聞いていただけに、一安心。八十路の同世代、お互い頑張ろう!

3295号【2014年5月7日】
■≪エビネ蘭の迎え≫
 昨年7月末、本欄に「筑紫次郎のほとりで」と題して、ふるさと久留米のこと、旧知の懐かしい面々との再会、青く若い日の回想、などについて書いたことがありました(風3131号)。この席に妻・富美が救急車で運ばれた連絡が東京から飛び込み、翌朝早く、あわただしく帰京した記憶。
 油山に泊まったのは、あのとき以来のこと。すでに9ヶ月が経過しています。いつも主が留守の住居ながら、盆や正月はもちろん折々に帰って寝泊まりしてきた40年の歳月。こんなに長く無人にしたのは初めてです。寂しそうな佇まいの家に詫びながら、鍵を開けたのでした(7日夕)。
 久しぶりの我が家。ある方に掃除をお願いして、家の中はまずまずの状態でしたが、外まわりが問題。植木が茂ってお隣に迷惑をかけ、庭は草ボウボウの荒れ地と化していました。いちばん気がかり−期待もしていたのは、枯れたシラカバのその後。残った株に「ひこばえ」の緑があったのです。わずかな望みをもって、暗がりのなか庭にまわると・・・残念!緑はむなしく消えていました。しかし横には今を盛りのエビネ蘭の群落、傷心の主を迎えてくれたのでした。(写真)
 話かわって・・・風3292号収録の島田和代さん(学芸大学OG)の便り。川崎の小田切督剛さんが間をとりもってくれたようです(上掲)。いつぞやの朝日・氏岡真弓さんが風に登場される経過と似ていますね。ありがとうございました。5月30日「伊藤長和さんを語る会」(5月定例研究会)にぜひお誘いください。
夜のエビネ蘭(カメラを忘れ、4年前の画像、油山 20100505) →表紙へ

3294号【2014年5月7日】
■≪旅はまだ終わらない≫
 「中頭(なかがみ)郡青年団OB会を訪問しました」など沖縄レポート(斉藤真哉さん、上掲)が届きました。着信したのは5月6日、てっきり連休中の再訪沖か、いつもの果敢なフットワークだ、と思って読んでみたら、4月やんばる対談の際の沖縄市訪問記と推察。文末の沖縄市長選挙については、すでに結果が分かっています(保守候補の当選)ので、当方で相応の補筆をしました。ご了解ください。もちろんご寄稿については感謝、遅れ記事(これからも)歓迎!です。
 ところで、6月の日本社会教育学会(六月集会)の折、私たち TOAFAEC は「総会」を開く慣わし。しかし、いま事務局諸氏は、それぞれに多忙をきわめ、去年は6月総会の準備整わず、遅れて8月にやっと開催という経過でした。今年はどうなるか?
 TOAFAEC はもともと小さな研究集団、仲間たちのインフォーマルな集まりです。規約や総会などフォーマルな組織は煩わしい感じ。しかし中国との対外的関係の中で一定の“組織”を求められ(1999年前後)、また内部的にも年報発行等の財政運営が必要でもあり、経理的な報告や承認の場として総会を開いてきました(2000年以降)。はや15年の歳月です。
 小さな集団の大きな志。しかし見果てぬ夢かも。はるかな道はまだ続きそう、だが、どれほどの意味をもっているのか。ふと中島みゆきの世界へ。
 ♪語り継ぐ人もなく 吹きすさぶ風の中へ、紛れ散らばる星の名は 忘れられても、
                ヘッドライト・テールライト、旅はまだ終わらない。・・・
 ♪行く先を照らすのは まだ咲かぬ見果てぬ夢、はるか後ろを照らすのは あどけない夢、
                ヘッドライト・テールライト、 旅はまだ終わらない ・・・〜♪
                  (中島みゆき(詩・曲)「ヘッドライト・テールライト」抄)

3293号【2014年5月5日】
■≪伊藤長和さん追悼のページ≫
 4月の諸行事(案外と忙しかった!)、風としての記録づくりが一段落、福岡行きも連休明けとなり、のんびりとHPの修繕・リライトに励んでいます。文字通り5月の薫風に吹かれながらの作業。昔のスケジュール記録を読むと、伊藤さんが参加してきた2000年前後は、中国(上海)そして台湾、内モンゴル、ハンブルク、エジプト、韓国と、よく動いていたものでした。折々に皆さんの懐かしい写真(2002年以降)も出てきて、まざまざと当時が蘇ります。HPの記録もまんざら捨てたものではない。
 伊藤さんとの交流・友情は40年余にわたりますが、とくに今世紀に入ってから、TOAFAEC への参加は並々ならぬものがありました。直接には2000年晩夏のエジプト、翌2001年のハンブルク・アルトナーレ(市民祭)への旅が大きな契機となりました。このあたりから毎月の定例研究会の記録に伊藤さんの名前が出るようになり、とくに2003年になると、川崎・富川(韓国)交流や、「平生教育」の胎動についての報告が活発に記録されています。私たちの共編『韓国の社会教育・平生学習』編集作業もこの時期に始まりました。TOAFAEC 副代表をお願いしたのは、2002年度の総会(会場・渋谷ロゴスキー)でした。懐かしい思い出。
 いつぞや予告したHP「伊藤長和さん追悼のページ」を編集、先日開かれた「偲ぶ会」記録も加えて、アップしてみました。まだ「略年譜」など未完成の部分が残っていますが、まずは伊藤さんに会いにお出でください。不充分なところ、訂正すべきところなどあれば、ご教示いただければ幸いです。→■
http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/itoutuitou20140216.htm
激論中の伊藤長和さん、隣は石倉裕志さん、二人ともいまは亡く。(第83回研究会 2003年1月17日・永福)


3292号【2014年5月3日】
■≪憲法記念日≫
 施行から67年の憲法記念日。改憲・集団的自衛権に「突き進む」阿倍首相(朝日記事)、状況は緊迫度を強めています。沖縄各紙は、この日の社説にこぞって憲法とくに第9条をめぐって書いています。上掲「岐路に立つ憲法・戦争の足音が聞こえる」(沖縄タイムス、抄録)、そして八重山毎日新聞は「憲法9条が骨抜きに・安倍政権で平和主義、立憲主義が危機」、琉球新報「9条を平和外交に生かせ 解釈改憲は法治の否定だ」など。朝日の声欄には、「沖縄から“初原の命”示し続ける」と題して、旧知の真栄里泰山さん(元那覇市役所)が投稿しています。
 「私は憲法を夫より愛して?るのです…」と書いてきたのは、44年前の学生。突然のメール、驚きました。自学科の学生ではないのですが、読んでいくうちに、おぼろげに顔も浮かんできました。「…縁あって川崎に越して来て32年。川崎の市民館で開いてきた様々の平和・人権講座に育てて頂いた・・・」とのこと。いま幸市民館の運営審議会のメンバーでもあるらしく、「見えない力で小林先生が私を市民館に誘って下さったのかも…、感謝しています」と。長文の便り、その一部を抄録して上にご紹介しました。この編集、教師冥利につきるひとときでした。
 ながいご無沙汰の福岡・油山に数日出かけます。連休や博多ドンタクの混雑を避けて、連休明け7日から。風・前号の添田祥史さんメールに関連して書いたように、9日夜は楽しい集いになりそう。お近くの方でご都合つけば久しぶりにお出かけください。「基礎教育学会」構想について少し語りあいたいと思っています。

3291号【2014年5月1日】
■≪美しき五月の東京に・・・≫
 昨日の東京は終日の雨でした。今日の5月初日(メーデー)は快晴、爽やかな風が窓を通り抜けます。「美しき五月のパリ」という歌がありますが、近年の東京の五月も空気が澄んで(連休でなくても)どこかに出かけたくなる気分。いまベランダの捨て鉢に君子蘭が見事に咲き始めています。厳しい冬を越し、肥料も寒さ対策もしなかったのに、あっぱれ。さきほど富美の手を引いて、3階ベランダ・君子蘭の花見に出かけました。昨年11月退院後、はじめての「風の部屋」だったようです。
 心ならずも催促ふたつ。東京や韓国や沖縄や「伊藤長和さんを語る会」などの案内・記録が入り乱れるなか、本家本元のTOAFAEC 年報編集委員会の便りが滞りがち。4月18日の編集委員会・巻頭座談会の報告を待ち続けています。「南の風」はもともと年報編集・発行の“ひろば”として出し続けてきました。その思いも伝わらなくなったのかと寂しい五月でもあります。
 あと一つ、中国研究フォーラムの動きが待たれます。先日、上海の馬麗華さん(華東師範大学)からの中国老酒、上田孝典さんを介して確かに拝受。有り難うございました。上記・年報座談会が終わったあとの懇親の席で、みんなで美味しく頂きました。香気たとえようもない美酒。そのことを含め、次回研究会の企画・案内をぜひ! 期待する人(天国の伊藤長さんだけでなく)少なからず。中国「今年の1年」の話も聞きたい。
 ことのついでに。今年もTOAFAEC 総会準備の季節となりました。例年のように六月集会にあわせて開くのであれば日程・場所など動き始める必要がありましょう。五月の風に載せて、取越し苦労でなければ幸い。

3290号【2014年4月30日】
■≪メーデーの思い出≫
 4月も終わり、世は連休。昔だと5月メーデーを迎える高揚期です。労働組合だけでなく、学生の小さな(学部)自治会も旗など用意して、気分も盛り上った時期でした。いま大きく様変わりして、ただ“連休”の毎日。
 ぶんじんは学生時代、メーデー・5月1日に初めて博多の目抜きをデモ。街頭でそれを見かけた叔父(博多・呉服商人)に「旗など持たないで勉強しろ!」とガミガミ言われた記憶があります。しかしデモで快い汗を流したあと、初めて生ビールを飲んだ感激!が忘れられず、それから終生のビール党となりました。メーデーはビールなのです。
 60年の歳月、さまざまのメーデーにまつわる思い出があります。先日も「伊藤長和さんを偲ぶ会」のあと、かっての自治労・教育支部の猛者たちと、1989年(天安門事件の年)「国際労働節」を北京で迎えた思い出話が出ました。労働組合訪問団として、北京メーデーに参加したかったのです。ところが厳戒態勢のため天安門広場にはパレードの影もなく肩すかし。翌日に西安に移動、そこで激しい学生デモと遭遇したことなど。
 さて、上掲・岩本陽児さんからの定例(205回)研究会3−横山文夫報告を頂きました。3回にわたる「東京の識字教育と実践」の詳細な報告、有り難うございました。研究会記録としては異例のこと。詳細な速記メモがベースにあって、やはり丁寧な報告となるのですね。ご苦労さまでした。
 当日の質疑の時間に、当方は東京学芸大学社会教育研究室で取り組んだ(先駆的!)「東京識字マップ」(1991〜1992)調査を短く話題にしました。マップ・コピーと文献もご紹介。東京の識字実践は、それから20年余りの歳月を経て、どのような流れなのでしょうか、興味あるところです。

3289号【2014年4月29日】
■≪ワレサ・連帯の男≫
 1995年夏、1週間ほどポーランドを歩きまわったことがあります。国立大学の拘束から脱して、私立大学(和光大学)の自由を満喫した夏。ドイツに滞在し、ベルリンの定宿からの小旅行でした。ワルシャワ、クラコフ、そしてアウシュビッツへ、強烈な印象の一人旅。1995年は「連帯」のワレサ大統領の時代だったのです(この年、再選を闘って僅差で敗れる)。
 いま岩波ホールは「ワレサ・連帯の男」(アンジェイ・ワイダ監督)を上映中、やっと時間をつくって観てきました。映画は1970年から1989年までの(大統領になるまでの)ワレサを画いています。その不屈の生きざま、燃え上がる労働運動と「連帯」、あらためて胸に深く響くものがありました。また、90才に近い老監督が(「カティンの森」に続いて)、これほどまで活力に充ちた作品を創るのか、と励まされる思い。当日のパンフ、目についた批評の一つ。「ワレサ・連帯の男」は、ポーランドを愛する映画作家が、ポーランドを愛する政治家を、愛を込めて描いた(宇波彰)と。ワレサ(1943年生れ)は私より一まわりも年下であることも知りました。1980年「連帯」結成時、彼はまだ30代、若いリーダーだったのです。
 あの頃の「連帯」は、ベルリンの壁崩壊や、東欧・ソ連解体の、10年も前のポーランドの先駆的な民主化・改革運動。「独立自主管理」労組の登場によって、遠く離れて社会主義体制へのロマンを抱いていた我々の幻想をコナゴナに打ち砕いてくれたのでした。今回とくに家庭のなかのワレサ、妻ダヌタ(ワレサの代理としてノーベル平和賞を受け取る)と紡ぐ家庭的「連帯」もまたしみじみと興味深く・・・。

3288号【2014年4月27日】
■≪4月研究会−忘れがたい夜≫
 25日の4月定例研究会は、大げさに言えば、「史上稀にみる」「空前の贅沢」な研究会(岩本陽児、上掲)となりました。テーマ「夜間中学の歩みと東京の識字実践」、東アジア各国・地域に共通する重要な“識字”のテーマ。しかし、私たちの研究会も夜間に開いてきたので、夜間中学を訪問することはあっても、当方に来ていただくことは出来ませんでした。
 今回は、これまで「風」に頻繁に情報を送っていただいた関本保孝さんの定年退職の機会に、また20年来の日本語ボランティア・ネットづくりに取り組んでこられた横山文夫さんもご一緒に快諾いただき、贅沢なプログラムが実現したのです。あふれる内容・資料、これほど短い時間を実感したことはありません。
 参加者が少なかったことが何より残念。“もったいない”とはこのこと。ただ久しぶりに、夜間中学に関心をもつ若い世代の参加が救い。関本さんのお話も、なかば南角建人くん(筑波大学4年)に向けて語られていたような…。TOAFAEC としても(留学生だけでなく)日本人学生へのメッセージを忘れてはならないこと、かって和光大学ゼミ生が多数参加していたことを思い出していました。
 終わっての「イーストビレッジ」は楽しいひととき。皆さん、よくしゃべりました。そして見城慶和さんのハーモニカ、聴くたびに奥行きある音色。神戸からご参加の草京子さん、写真をたくさん送っていただいた澤井留里さん、有り難うございました。忘れがたい夜となりました。
左・関本保孝さん、右・横山文夫さん(高井戸、20140425)


3287号【2014年4月25日】
■≪初カツオの季節≫
 前号にお名前の誤記がありました。「町田泰幸」氏はもちろん町田市の「松田泰幸」さんの間違い。たいへん失礼しました。あと一つ「南の風」ナンバリングの誤記。数日前の32834号と32835号の2本、正しくはそれぞれ「3284号」「3285号」です。他にときどき誤字・脱字の類が散見されますが・・・いちいち訂正するのも煩わしく、ご寛恕を願います。
 さて、気分を変えて・・・。東京は五月(さつき)を思わせる爽やかな風が吹くようになりました。「目には青葉 山ほととぎす はつ松魚(カツオ)」(素堂)の季節。いま江戸は(花粉もほとんど収まって)若葉が薫りはじめ、魚屋に並ぶカツオが美味しい時期となりました。
 新鮮なカツオは、濡れたような色あい、赤身に透きとおる深みあり、品のいい香りがします。魚屋では刺身にした皿は敬遠して、赤身のかたまりのまま買って、素人ながら刺身にひく楽しみを味わいます。ワサビでなく新しいショウガも添えて。カツオ豊漁の日には、魚屋に並ぶカツオは驚くほど安い値段。ぶんじんがつくったカツオ刺身を、魚好きの富美は美味しそうに平らげてくれます。
 2月に緊急入院した「静脈血栓」の症状はほとんど治まっていますが、その後も、いわゆる血液さらさらの薬を飲まされています。出血しないよう要注意、歯の治療やヒゲ剃りは禁止、料理に包丁など使わないよう(料理バサミを使いなさいと)言われているのです。それでも初カツオの魅力、新鮮な赤身に包丁をいれる感触は棄てがたく、あまり切れない包丁で腕をふるっている次第。・・・ここまで書いたところで、岩本陽児さんの速報「夜間中学等義務教育拡充議員連盟」設立総会ニュース(上掲)着信。感謝!

3286号【2014年4月23日】
■≪韓国生涯学習研究フォーラム、50回へ≫
 最近、「南の風」には新しく参加された方が少なくありません(自己紹介がまだの方はお送りください)。とくにメンバーを増やす努力はしていませんが、出会い・ご希望により風をお送りしています。風の継続を強く求めてきた伊藤長和さんが亡くなって、当方も張り合いをなくし、今はいつ終幕を迎えてもいい心境にありますが、その反面、伊藤さんへの思いあり、しばらく継続の努力を続けなければなるまいと言い聞かせています。
 あらためて(お尋ねもあり)TOAFAEC(東京・沖縄・東アジア社会教育研究会、略称:東亜社会教育研究会)の概要を少し紹介しておきます。定例的な活動は大きく二つ。一つは毎月の研究会(この4月で205回)、そして年報「東アジア社会教育研究」の編集・発行(今年は第19号)。その都度の案内やニュースを「風」に掲載してきたことはご存知の通り。
 TOAFAEC のまわりには、いま4つの研究会が動いています。活発に動いている(勝手な判断)順に、東京社会教育史研究フォーラム、韓国生涯学習研究フォーラム、中国生涯学習研究フォーラム、(定例活動をもたない)沖縄社会教育研究フオーラム。いずれもTOAFAEC ホームページ内にそれぞれのサイトを開いていますので、ご覧いただければ幸い。(「東アジア社会教育・生涯学習研究交流フォーラム」は残念ながら目下休業中。)→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/
 5月予定の韓国生涯学習研究フォーラムは50回を迎えます。2007年創設から7年余。実はその前史(2006年「韓国の社会教育・生涯学習」編集)として(充分の記録が残っていませんが)15回ほどの編集会議の歩みがありました。これらの事務局長は伊藤長和さん。50回記念の集いを企画しては如何でしょう。韓国フォーラムの立場で伊藤長和さんを語る会など。

3285号【2014年4月22日】
■≪夜間中学の立法運動≫
 北海道置戸の森田はるみさん、今回の「やんばる対談」への参加、驚きました。旅費負担も(東京より)たいへんだし、ご苦労さまでした。いつもながらの熱い思い、来年「やんばる対談」に早くも参加宣言(上掲)。
 文中の“沖縄病”は、ある種の熱病にも似て、一過性の症状、そのうち冷める?というニュアンスを含みます。小生の場合は、すでに35年を過ぎて体質化。それがいま転換(ドクターチェック)を求められている状況です。こんどいつ八重山(竹富島)に遊ぶことができるか、自信はありませんが、あらためて森田さんの思いを受けて、精進いたしましょう。
 さて,ビッグニュース。夜間中学関係の積年の運動は、4月24日「義務教育拡充法案」実現に向けての超党派・議員連盟の結成へと具体化しました。全国夜間中学校研究会(事務局長・須田登美雄氏)より、公立夜間中学・自主夜間中学関係者へのご連絡を「南の風」にも送っていただき、本号に収録することができました。
 文中に「全国夜間中学校研究会が第1回大会から要望をしてきた夜間中学校の法整備へ向けての動きが現実となってきました」の一文、深い感慨をもって読みました。第1回大会は1954年、京都で開催され、「中学校夜間学級の法的整備に関する陳情書」が出されています。積年の課題が、いま「夜間中学等義務教育拡充法案」となり、議員連盟の発足というかたちで、これまでにない一歩を踏み出すことになったわけです。夜間中学の立法運動は厳しい道を歩み続けて、いま一つの地平に立ったことになります。
 当日の様子は、その翌日予定・TOAFAEC(205回)研究会「夜間中学の歩みと東京の識字実践」(お話・関本保孝さん、横山文夫さん)で伺うことが出来ましょう。楽しみです。→■

3284号【2014年4月21日】

■≪伊藤長和さんを偲ぶ会≫
 18日夕から20日夕にかけて研究会、編集会議、年報収録に向けた座談会等が続きました。それぞれに言いしれぬ余韻あり、毎夜遅くまで語らいがあり(ほとんどパソコンに座る時間なく)風の発行が4日も滞っていました。久しぶりに休日明け・・のような、しかい休む間もなく風の配信に追われる心境でもあります。
 それぞれの方から各集いの報告が順次届くものと期待しています。本号にはまず18日夜「東京社会教育史研究フォーラム(第13回)」の詳細な記録を収録できました。編集の事務的協議だけでなく、内容を含めた論議もさかんに交わされた夜でした。
 同じ時刻に開かれた韓国生涯学習研究フォーラムからも記録が届いています。韓国本の新版編集「構成案の最新バーション」に到達したとのこと。 何よりでした(ぶんじんは欠席)。ヤンビョンチャン先生ご出席。HPを。→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kankokukenkyukai07.htm
 さて翌19日の年報編集・座談会をはさんで、20日午後は、川崎で「長さん、ありがとう! 伊藤長和さんを偲ぶ会」が開かれました。川崎の方々や学会関係者などに個別の案内が出された経過あり、会場の関係もあって、「南の風」での(広く呼びかける)案内掲載は控えてきました。ご了承を。
 海を越えて韓国からの参会者も少なからず。国内は北から南まで、広いホールがぎっしり。中国には、まだ訃報が届いていないように思いました。伊藤さんの、あの大きな声、満面の笑い顔が、あたかもお盆のように、会場に戻ってきたような。これだけ伊藤さんと親しい人が集まれば、本人がいないはずはない!のです。いつまでも私たちのまわりから去らないでほしい。
「長さん、ありがとう!伊藤長和さんを偲ぶ会」 (川崎・武蔵小杉・ホテル精養軒、20140420)


3283号【2014年4月17日】
■≪花水木咲く≫

 4月も後半、東京は花水木が咲きはじめました。新しい年度のスタート。皆さんのまわりも多忙な毎日でしょうか。TOAFAEC 関連では(沖縄「やんばる対談」が終わって)一段落・・・と思いきや、明日(18日)からの3日間に、5つの研究会・編集会議・偲ぶ会の日程、過密スケジュールです。委細はHP「4月スケジュル」一覧をご覧ください。→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/yotei1404.htm
 スケジュール・時間帯が重ならないように努力したつもりでしたが、18日夜は韓国本編集会議と東京社会教育史研究フォーラムがダブってしまいました。残念! ◇身二つになりたや春の浮かれ草(ぶ)
 桑原重美さん(もとNHKカメラマン)から、やんばる対談当日の写真をたくさん送っていただきました。有り難うございました。添え書き(抄)。「…普段はひとり細々と旅をするものですから(今回は)修学旅行のような高揚した気分になってしまいました。… しかし一方、4/14TVで辺野古の九つの区長さんが条件付きで辺野古埋め立て承認申し入れを報じており、基地問題の難しさを感じました。」(書簡、4/17着)
 風・前号にご紹介した全英さん(東京学芸大学・院卒)からの再メール。「 …先生の5月29日のスケジュールが決まりましたら、教えてください。どこかで夕飯をご一緒できたら,うれしいと思います。お元気で。」 全英さんは北京師範大学からの留学生。中国留学生としてはおそらく初めて日本の初期公民館史とくに寺中構想をテーマに修士論文をまとめた人。旧知の方々、ご予定ください。再会が楽しみです。

3282号【2014年4月16日】
■≪歓迎交流会・名護の夜≫
 4月12日午後、私たちの「やんばる対談」(東海岸・底仁屋)と同じ時刻、西の海に浮かぶ伊江島では、第22回島一周マラソン大会が開かれていました(上掲・コラム)。名護市長・稲嶺進さんはこれを走って、その足で私たちの歓迎交流会(名護市中央公民館工作室)に駆けつけて頂きました。
 稲嶺ススムさんと私たちとの出会いは、すでに風3241号本欄に書いたことがあります。この夜ススムさんは疲れもみせず多弁。とくにこの歓迎会を準備した名護側の若き社会教育主事たち(育休中の人を含めて9名)に語りかけていたように思います。「社会教育こそ私の原点」「素晴らしい仕事だ」「1982年・富士見集会(社会教育研究全国集会)に参加した想い出」など。先輩である島袋正敏さんの社会教育の思想(たしか“セイビンイズム”と表現)に学ぶところが大きかったこと。
 いま全国的に社会教育主事の体制が弱体化しているなか、名護では逆に社会教育主事への期待が語られ、その地域配置による体制充実が進められています。稲嶺市政(2010年)は、名護市中心部だけでなく、周辺4地区(久志、屋部、羽地、屋我地の4支所)に社会教育主事を新しく配置。その若き群像たちは、集落支援や地域おこしの活動など「地域を元気に」と奮闘中です。今年の「やんばる対談」は、その苦労話から話が始まりました。夜の交流会では、稲嶺市長自ら市長旅費の一部をまわして社会教育研修を応援したい・・・と若者たちを激励していました。
 30年前の全国集会の夜、ススムさんは私たちの研究会で「二見情話」を披露したことがあります。この夜もリクエストに応えて三線を弾きながら情話絶唱(写真)、会場も合唱。久しぶりに聞くススム節の「二見情話」、酔いも深まりました。
稲嶺ススムさんの「二見情話」 (名護市中央公民館工作室、20140412)


3281号【2014年4月14日】
■≪12日「やんばる対談」新しい展開へ≫
 12日「やんばる対談」は第6回。予想以上の新しい(嬉しい!)展開となりました。セイビン・ぶんじんの二人対談で始まった企画(2010年)は、今年は若い世代が中心となり、全国各地からの参加、積極的な課題提起など思わぬ賑わいでした。名護側では、地域の社会教育を担う若い社会教育主事が勢揃い、これに4月に異動があった課長・館長クラス、またOBの方々(中村誠司さんなど)、それに教育長さんも駆けつけてくださいました。
 外からは北海道置戸(森田はるみさん)、ワーカーズコープから理事長はじめ4人(上平泰博さんも)、ご一緒に野本三吉さん(沖縄大学前学長・加藤彰彦先生)、熊本の山城千秋さん、那覇・川崎・東京等のTOAFAEC メンバー7名、総勢30名近く。会場・蔓草庵の庭にはご自慢のテントが張られました(写真)。鳥のさえずり、鶏(琉球在来種)の羽ばたき、若葉をわたる風のそよぎ、まさに「やんばるの風」に吹かれた1日。大きなカメに新しい酒をそそぎ、そのかわりに二十年の古酒をご馳走になりました。
 これからテープ起こし(山口真理子さん担当)、どんな記録にまとまるか楽しみです。発言の全部は収録できませんから、難しい作業となることは確か。しかし、これからの新しいシリーズの幕開けを予感させるものがありました。
 そのあと場所をかえて、中央公民館工作室へ。私たち一行の歓迎会。稲嶺進市長もお出でいただきました。素顔のススムさん、三線を弾き「二見情話」も。ご参加の皆さん、いろいろご感想などお寄せください。
 名護の皆さん、いい一日を準備下さって、有り難うございました。これからの「名護の社会教育」独自の展開が楽しみです。お互いに力を合わせて、日本そしてアジアに発信して参りましょう。
 今日(13日)の沖縄タイムスが大倉直著『命の旅人―野本三吉という生き方』(現代書館、2014年2月刊)を取り上げていますので上掲。著者の大倉直さんは1966年生れ、ノンフィクション作家、和光大学の出身。この日、野本三吉さんご本人から直接ご本を頂くという幸運にも恵まれました。
2014「やんばる対談」・名護(底仁屋)蔓草庵−201140412−


3280号【2014年4月12日】
■≪那覇にて≫
 4月11日夕刻、那覇に着きました。1年ぶりの沖縄。1976年以降の沖縄との交流のなかで、1年ぶり!とは初めてのこと。最も盛んな年には、ほんど毎月(月をまたいで)沖縄のどこかに出没していたほど。それだけに今、まだ通院中ながらほぼ病癒えて、はれて那覇の街でオリオンを飲む感慨は格別です。那覇・宜野湾の皆さんと久しぶりに会って励まされました。 おきなわ社会教育研究会との交流の夜、東京・川崎のほか、北海道から森田はるみさんの元気な顔あり(写真・前列右端)。上平泰博さんたちワーカーズ・コープの皆さんや加藤彰彦・沖縄大学前学長(野本三吉)さんとは、明日「やんばる対談」(名護)で合流する見込み。短い日数ながら充実した毎日となりそうです。
 名護の島袋セイビンさんからのメール(Fri, 11 Apr 2014 08:52)。 「…今日那覇入りで“おきなわ社会教育研究会”メンバーとの交流会ですね。みなさんによろしくお伝えください。こちらは、夕方6時から島福善弘・博物館長退職激励会が名護博物館中庭であります。明日のやんばる対談よろしくお願いします。」 
 島福さんとは、おそらく30年ちかいお付き合い。退職お祝いの会が那覇での交流日程と重なって残念!明日名護で再会できるでしょう。
 12日朝、やんばるに向けて、3台の車に分乗し、思い思いに北上。辺野古の海をめざす車もあれば、「標的の村」の現場・高江まで足をのばす車(上掲・鷲尾メール)もあり。さて、われわれ年長組の車はゆっくりと底仁屋「黙々100年塾 蔓草庵」に向かいます。*昨日付の風、那覇で出す時間なく13日・名護にて配信。
おきなわ社会教育研究会との交流、東京・川崎・北海道から7人参加 (那覇・ぶながや、140411)


3279号【2014年4月10日】
■≪キジムナーの誘い≫
 いよいよ「やんばる対談」。各地から参加の皆さんは綱渡りのようなスケジュール。ご無理がないよう・・心ゆるゆるとお集まりください。前号本欄で、那覇「おきなわ社会教育研究会」との交流会(11日夜)について「会場もまだ決まっていない(いつものこと?)」などと書いて失礼しました。9日夜、名城ふじ子さんから電話あり、那覇交流・会場の連絡をいただきました。山口真理子さんを通しても案内(上掲)拝受。有り難う!
 会場は、県庁北口の交叉点(国際通り入り口、パレット久茂地の斜め向い側)、ホテル・ロゴアナハのそば?入り口から入る。「ぶながや」(住所:松尾1-1-2 レグザリウボウ2F、098-860-9898)。午後7時からの開会。ぶんじんは少し遅れます、始めておいてください。
 ちなみに「ぶながや」とは「キジムナー」のこと。沖縄・やんばるなどの想像上の妖怪?語源は「木の精」か。皆さんと久しぶりの再会、楽しみです。この1年、いろんなことがあって、沖縄にご無沙汰してきただけに、今回とくにキジムナーの精が呼んでくれているかのよう、そんな思いで那覇からの電話を聞いていました。
 1976年から40年ちかく、沖縄に通いつめてきた歳月。しかし今は安易に沖縄行きを計画できなくなりました。先日(退院後の)通院の際、沖縄へのフライトについてドクターOKをとるのにひと苦労。いくつかの約束を守ることを条件に許可が出ました(海外フライトは即座にノーらしい)。
 韓国研究フォーラムの皆さんには、かねがね沖縄・やんばる訪問の強い期待があり、秋か冬にぜひ!・・・の話が出ています。それまでには体を完治させておかなければなりませんね。

3278号【2014年4月9日】
■≪“太陽の子”研究会≫
 今年の「やんばる対談」(4月12日)名護行きの日程が近づきました。夜の稲嶺進市長とのユンタク、場所と時間が少し変更になったそうです(上掲・島袋正敏さんメール)。その前夜「おきなわ社会教育研究会」(那覇)は、別スケジュールの直後、集まりは少なくなる模様。会場もまだ決まっていない(いつものこと?)。当日(11日)、ぶんじんの那覇到着はやや遅れそうです。山口さんと名城さんで連絡を取り合って、皆さんへ周知して頂ければ幸い。念のため山口さんの電話 → 090-1543-9595。
 やんばる対談は今年で6回目の若い歴史ですが,「沖縄社会教育研究会」(東京学芸大学)は1976年の創設、その翌年に那覇「おきなわ社会教育研究会」が誕生、すでに40年ちかい歳月となります。二つの研究会は兄弟のような間柄で成長し、ともに年を重ねてきました。
 私たちには、あと一つの沖縄研究会の歴史があったこと、上掲「てぃだのふぁ」メール(斉藤さん)で想い出しました。沖縄に関心をもつ学生たちの研究会。記録をたどると、1979年にスタート、1987年あたりまで続いています。灰谷健次郎『太陽の子』に魅せられて命名(“てぃだ”は太陽、“ふぁ”は子ども)。通信も発行された記憶あり、よく歌もうたいました。
 たとえば1985年6月20日「沖縄社会教育研究会・第74回研究会「戦場の童」(1フイート運動フイルム)をみる−学生サークル・沖縄てぃだのふぁ研究会との共催)」などの記録、懐かしい思い出です。→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/1976toafaeczennsi.htm

3277号【2014年4月7日】
■≪安東焼酎が美味しい夜≫
 今日(6日)の風の部屋は、沖縄(やんばる対談)学習会、次いで韓国研究フォーラム(『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』編集会議)の皆さんで終日賑やかでした。せまいマンションの一室、最近は本や資料が溜まって座る空間が狭くなり、10人座れば肩が触れ合うほど。窮屈な時間を強いて、申しわけありません。
 3月から“京都人”のヤンビョンチャンさん(韓国・公州大学)もお出でくださいました。新しい本の編者4人が(初めて)揃って、活発な論議。韓国「平生教育」の躍動を背景に、いい本が誕生する予感です。
 終わって近くの香港料理店(「ヤン先生歓迎夕食会」)へ。皆さんで富美の車椅子を押してもらって幸せ。しかし、韓国との交流の席には必ず出席(むしろ音頭取り)の伊藤長和さんの姿なく悲しい思い。
 ヤンさん手みやげ「安東(あんどん)焼酎」がことさら美味しい夜でした。酒をたしなむ?人はもちろん、普段はそう強くない姫君も杯を重ねて楽しい春の一夜。本づくりへの手応えを安東焼酎で確かめたような…。
 話は次々とはずんで「基礎教育」学会への期待も。関心ある方々にどのように拡げていくか。その準備委員会的な動きをどう創り出すことが出来るか。「文解教育」の蓄積をもつ韓国研究者の席、そこに安東焼酎の力が加わって、動きは一歩前進したように思いました。
 4月、これから沖縄「やんばる対談」、東アジア年報(第19号)巻頭座談会、そして伊藤長和さん「偲ぶ会」、基礎教育(夜間中学・日本語教室実践)をテーマとする4月定例研究会へ、と動きます。ご参加を。→■
中央にヤンビョンチャンさん、撮影・金ボラムさん (風の部屋、20140406)


3276号【2014年4月5日】
■≪風の部屋≫
 今日(4日)の東京は強い風、ときにパラパラ雨、桜も散り始めました。北関東では突風、大きな雹(ひょう)も。北海道置戸からの便りでは「こちらはひどい雪。置戸から陸別へ通じる国道が通行止め。四月の嵐、こんな荒れ方は見たことがありません」とのこと。
 置戸の森田はるみさん、「やんばる」行き断念・・・と思いきや、一転「…思い切って脱出決行を決め、チケットを手配…」の連絡をいただきました(上掲)。風3270号本欄「…北から南への道はやはり遠いのですね」などと書いて、かえって挑発?したのか。まさに貴重な機会、沖縄本島縦断の旅、この際ご希望のことあればご遠慮なく。辺野古には寄る予定です。
 今回「やんばる対談」はじめて参加の方もあり、既報のように6日午後「風の部屋」で事前学習会をもつことになりました。数名集まる見込みです。「やんばる対談」に参加しない方も、関心あれば、お出かけください。久しぶりの「沖縄ゼミ」、自由なユンタクをしましょう。
 会場“風の部屋”は、西永福の古いマンションの1室です。和光大学を退職した折、研究室の本・資料や、小さな冷蔵庫、東アジアの酒、各地からの頂きもの、捨てきれないもろもろの収納室。自宅の下(3階)の頃合いの空室でした。ベッドも置いて(沖縄などから)上京した人が泊まれるようにしました。ここでTOAFAEC 事務局会議や研究会・編集会議など賑やかでした。誰言うとなく“風の部屋”と。今回は韓国のヤンビョンチャン先生がお泊まり。物置に似た粗末な部屋で申しわけないのです。

3275号【2014年4月3日】
■≪鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす≫
 日本で最南端の新聞「八重山毎日新聞」(石垣市)サイトをのぞくと、ひとあし早い初夏の訪れを報じています。数日前にはセミが鳴き始めたと。
 「西表で今年最高27・5度−初夏を思わせるポカポカ陽気となった29日午後、石垣市磯辺の県営磯辺第二団地の南側で、イワサキクサゼミが鳴きだした」(3月30日記事)。クサゼミは体長15ミリほどの日本最小のセミ。サトウキビなどの葉の上で小さな体を震わせて「ジィー、ジィー」と鳴くそうです。亜熱帯の風にのって。
 今日(4月3日)の八重山毎日新聞は「鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」と粋なタイトルで、ホタルの記事。「…今年もヤエヤマボタルの恋の季節が訪れている。この時季から5月末ごろまで、日没とともに数十分の短い時間だけ毎晩、光り舞う」。夜の訪れが幻想的に伝わってきます。
 「…午後6時半ごろ、小鳥たちは鳴き声を潜め、リュウキュウコノハズクや、アイフィンガーガエルの鳴き声が薄暗くなった森に響き、午後7時20分ごろ一つ目が光り始めると、次々と下草のシダの間から小さな光が浮き上がり、点滅しながら膝位の高さを斜面にそって飛び始め、午後8時ごろには辺りは再び闇に包まれた。足元では落ち葉や朽木が発光菌類に縁取られ微かに白く浮かび上がっていた。」(4月3日記事)
 竹富島の土に這うホタル、名護(蔓草庵)のせせらぎに遊ぶホタル、蚊帳に舞うホタル(仲宗根政善)、いくつもの印象的な沖縄のホタルを想い出しています。あと10日にせまった「やんばる対談」ではホタルは顔を見せるでしょうか。

3274号【2014年4月2日】
■≪桜は満開≫
 いま住んでいる杉並・永福は、南は神田川と、北の善福寺川にはさまれた一帯、どちらの川辺にも桜が連なり、この季節は美しいところです。3月終わりの1日、妻の車椅子を押して、神田川沿いに散歩の花見。4月1日には、善福寺川沿いの桜の下を歩きました(ホントの話)。缶ビールを持って出なかったのが、ひとつ心残り。
 ゆるゆる歩きながら、ときどき小さな坂にあえぎつつ、陽に映える無垢の花の下をくぐっていく。心洗われる思い。強風にさらされたのに、咲き初めて満開となるまで、一ひらも散らない桜もまた見事。風のそよぎもなく、妙に静か。これから散っていく自らの運命を知っているかのような…。
◇咲き満ちてこぼるる花もなかりけり(高浜虚子)
◇二人して花見する年となりにけり(ぶ)  ◇酒もなく花見楽しむ八十路かな(ぶ)
 私は桜に恵まれてきました。生まれた家には桜の老木あり、私たち幼な子を見守ってくれました(戦時疎開道路のため切り倒されてしまった)。
 東京に出て最初の住まいは国立(くにたち)。駅から一橋大学前の桜の並木に魅せられて、花の季節には必ず歩きました。職を得て、ながく勤めた小金井・東京学芸大学もまた桜(と欅)のキャンパス。古い桜に次の若い世代の樹が重なって、まさに花の饗宴。研究室行事として毎年“花見”の宴(市民も参加)を催してきました。花の下でともに語り歌い酔うひととき。ここから一年がスタートする、そんな思い出をもつ人もいるに違いありません。小金井の最後の研究室花見から、すでに20年が過ぎました。

3273号【2014年4月1日】
■≪風−16年余の歳月≫
 社全協(社会教育推進全国協議会)「通信」251号(3月26日)の最後のページ「事務局から」欄に“南の風”が紹介されています。初めてのこと。ややオーバーな評価・・・恐縮しつつ、要を得た一文なので、以下そのまま転載させていただきます。風メンバーの多くは社全協会員ではない?ので(読みたいとの声あり)、ご了承ください。
 「小林文人元社全協委員長発信のパソコン通信“南の風”3月24日現在3268号を数える。ほとんど毎日のように、さまざまな情報を伝えてくださる。沖縄から、韓国から、中国から、内モンゴルから、たくさんの人々が登場、たくさんの活動が紹介される。東京社会教育史研究フォーラム、おきなわ短信、東アジア社会教育研究、韓国研究フォーラム、大都市研、全国夜間中学校研究会、草の根自治研究所(ソウル)、町田とびたつ会、福岡・社会教育研究会、時にパレスチナ報告も。その中に小林さん本人の入院(すでに元気になられた)、また、あかちゃんの誕生の嬉しいニュースも。悲しいニュースは会員の伊藤長和さん逝去の知らせ。川崎での人権教育の取り組みは圧巻。退職後は中国で教鞭をとられ、帰国後まもなく入院され、あっという間に逝ってしまわれた。中国体験記を通信に書いていただこうと考えていたのに、社全協50周年の集いに参加を申し込まれていたのに、それもかなわなかった。」
 南の風は1998年の創刊、すでに16年を越える歳月となりました。よくぞ続いてきたものです。これまで何度も“休刊”(2000号)、“ゴール達成”(3000号)などを宣言したことがありますが、その都度、伊藤長和さんが風の継続を!と力説された経過を想い出しています。
 4月6日夜、公州大学・ヤン・ビョンチャン先生歓迎夕食会(上掲)、楽しい会となりましょう。韓国(研究と交流)に関心ある皆様、お出かけ下さい。→■

3272号【2014年3月31日】
■≪28日研究会の頂きもの≫

 前号に28日(204回)定例研究会報告を載せました。素早い記録づくりに共鳴し、「風」も敏速に対応しよう、次の記事も待ってるし、といった事情からでしたが、若干の訂正があったそうです。HPの記載は早速修正しましたが、もし「風」にも訂正記事を載せる必要があれば、送ってください。
 研究会では、いくつかの頂きものがありました。桑原重美さん(もとNHKカメラマン)より「2001年ハンブルク・アルトナ訪問」CD記録2本。この訪問団に参加された伊藤長和さんの顔や語りが収録されています。おそらく4月20日「偲ぶ会」に向けて持参されたようです。6日・韓国研究フォーラム出席予定の小田切督剛さん(川崎)にお渡ししましょう。
 武田拡明さんから、TBS報道部「沖縄・稲嶺市長の決意」(3月2日放送)CD1本。興味深い内容でした。半世紀前にアメリカ極東戦略の中でプランされていた辺野古・大浦湾の大規模(ヘリ基地どころではない)軍事要塞・軍港造営の文書も紹介されています。大きな圧力の中で奮闘している稲嶺進市長の静かな語り口、その厳しい決意が印象的。
 ボヤンバートルさんからは「鉄観音」の逸品。若葉の独特の香りに自らを蘇らせて「風」をつくっています。皆さん、有り難うございました。
 そう言えば、この日、福岡・社会教育研究会『福岡市公民館60年のあゆみみ』(3月15日発行)が届きました。「おかげさまでやっと完成、まわりからの励ましがあっての“あゆみ”です。有り難うございました」と横山孝雄さんの添え書きあり。祝!出版、おめでとうございます。

3271号【2014年3月29日】
■≪桜咲く神田川に歌は流れる≫
 南の風は、ながい文章より短い一文、生真面目な内容より気楽なエッセイを好みますが、昨日(28日)の研究会報告はなが〜い文章(上掲)。「お二人のながい歳月のお話なので、どうしても長くなってしまいました。加除訂正を・・・」と書き手の江頭さん。ご報告二人(山口・浅野)とも生真面目な内容でしたから無理もありません。そのまま載せました。
 年度末で皆さん忙しそう、ご参加の人数も少なく残念でした。しかし夜間中学の関本保孝さんが東京社会教育史研究フィーラムに引き続いてのご出席、常連の仲間入り、嬉しいことです。これまで「夜間中学」のお話は同じ夜の研究会プログラムに組むことが出来ませんでしたが、次回・4月定例研究会は、はれて関本先生の“卒業”講演を企画。横山文夫さん(日本語学級全国ネット)にも加わっていただき、これからの「日本基礎教育学会」への構想も語り合えれば・・・と考えています(別途ご案内予定)。
 やんばる対談・事前学習会には話が及びませんでした。これは心残り。4月6日午後3時から韓国研究フォーラムが開かれますが(既報)、その前に、1時〜3時の時間帯にできれば好都合。場所は西永福「風の部屋」。名護から送っていただく予定の最近資料(まだ比嘉久さんから届きません)を見る機会にもなれば幸い。もちろん関係各位のご都合次第ですが。
 研究会後の懇親会は、ガンチメク・ボヤンバートル夫妻の歓迎会となりました。4月から早稲田大学は訪問学者向けの宿舎を用意するらしく、二人はルンルンの新婚気分。待望のガンチメクさんの歌声はことさらに春の夜に冴えわたり、そばの神田川にも響いたほど。かってのボヤンバートルの苦節を知る伊藤長和さんがいれば、どんなに喜ぶことか、と思いました。
座開き・献酒の歌、歌い手はゲスト「ガンチメク(鋼其木格)」さん TOAFAEC204回研究会 (高井戸、20140328)


3270号【2014年3月27日】
■≪「やんばる対談」事前学習会≫

 4月12日の名護「やんばる対談」は、東京から7人(+α)、それに熊本や現地・那覇から・・・おそらく10人前後の人数になりそうです。会場「蔓草庵」(セイビンさん主宰)は、名護の社会教育の皆さんを加えると満杯の盛況か。お世話になりますが、よろしくお願いします。
 一時は北海道・置戸町の森田さんからも問い合わせあり。「…まちがいなく沖縄は遠く、いつも南の風を読ませていただき思いを馳せるばかりでしたが、稲嶺ススム市長とのユンタクはもちろん、名護の若い職員の方たちのお話をぜひ聞きたいと…」のメール(Wed, 26 Mar 2014 00:10)。しかし結局は断念の模様。北から南への道はやはり遠いのですね。
 宿(名護・山田荘)その他の調整は山口真理子さん、レンタカーの手配など武田拡明さんがやってくださって、ありがとうございます。なによりも当日の記録、そして年報第19号に向けてのテープ起こしは(例年のように)真理子さんにお願いしなければなりません。どうぞよろしく。
 前夜(11日)「おきなわ社会教育研究会」との交流会(会場:那覇・久米あたりか−未定、7時か8時頃から)で打合せできれば幸い。交流会に来れない方は個別に(必要に応じて)ご相談しましょう。東京グループは、前号・武田メールにあるように、事前学習会が出来ないものか。テキストは年報第18号(2013年)の武田報告「名護の社会教育活動の蓄積と地域づくりの新たな展開」。日時は28日定例研究会で相談しましょう。集まれる人だけでも集まりましょう。

3269号【2014年3月26日】
■≪東京は春、千客万来≫
 今日(25日)、東京は一気に春となりました。午後に乗った東京メトロでは、「本日は冷房です」とアナウンスしていました。桜も咲き始め、この日に開花宣言。(花粉をのぞけば)楽しい季節がやってきました。
 桜が歓迎するなか、韓国・公州からヤン・ビョンチャンさんご一家が来日、京都で新しい生活をスタートされたそうです(上掲)。早速に私たちの韓国生涯学習研究フォーラム(4月6日、風の部屋)にご出席予定。有り難うございます。当夜の研究会(『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』編集会議)終了後は、歓迎の夕食会となりましょう。お泊まりはぜひ!風の部屋を。せまいところで恐縮ですが、心からの歓迎。これから1年の日本生活、楽しく充実したものとなるよう、祈っています。
○ボヤンバートルさん(蒙古師範大学)へのお誘い。
 3月28日・定例研究会案内(再掲・上掲)に書いたように、ボヤンバートルさん再来日。愛妻も追っかけて来日し、すでに東京生活が始まったとのこと。羨ましい。ご同伴で春の研究会にお出でください。
 2006年夏(フフホト訪問)以来の再会となります。あの夜の歌声を忘れません。いつぞやHPに掲げたように「ぶんじん踊り出す」(風3210号)。草原に響きわたる美声を東京で聞きたい、とお伝えください。そう言えば、あの旅は伊藤長和さんとご一緒でした。ボヤンバートル一家と撮った写真もあり、長さんが馬に乗った颯爽たる勇姿(実は横に馬子が手綱を引いていた)の一枚も懐かしい。いまは悲しい記念となりました。
モンゴル草原の伊藤長和さん(TOAFAEC訪問団、20060828)


3268号【2014年3月24日】
■≪第3金曜日のセミナー≫
 3月21日「東京社会教育の歩み」拡大編集会議の記録が届きました。有り難うございました。当日の参加者は16人、盛会でした。会議のあと有志・二次会に残った人が10人(前号・写真)、皆さん、お疲れさまでした。
 記録にあるように、今後「月一回(第3金曜日)のセミナー形式の定例会を開催」することとなりました。次回は4月18日夜、会場は国立市公民館。まず「コラム」欄の検討をすること。国立市公民館は充実した図書室をもち、東京社会教育関連資料の保存も少なくなく、これから重要な資料拠点として機能してほしいとの期待を受けての会場設営、楽しみです。
 かって旧「多摩社会教育会館・市民活動サービスコーナー」に集積されてきた東京社会教育関連資料が、和光大学図書館に保存された経緯があります。この機会にあらためて重要資料を探索し、資料ダンボールを開く機会を設けていただけないか、ということも話題となりました。
 当日の会議を受けて、編集委員のお一人、野々村恵子さんから執筆候補者への依頼や連絡を積極的に進められているとのこと。それに伍して、ぶんじん担当の横山文夫さん(日本語フォーラム全国ネット)に「南の風」関連号を送り、東京「日本語教室」等について執筆依頼のやりとり記事を(ご報告がわりに)収録しました。もちろん執筆については快諾のご返事。
 さて本号には、珍しく南の「竹富島肩章」(紙数の関係で抄録)を載せるこができました。竹富島ゆがふ館(ビジターセンター)ブログ3月21日の記事。「…今こそ『竹富島憲章』を改めて読み直し、現在の竹富島の立ち位置を把握し、未来の竹富島の在り方を模索すべきでは(ta)」の思い、切々と響きます。→■
 TOAFAEC/HPにも、竹富島憲章についての上勢頭芳徳さん証言(2007年)、ぶんじん「竹富島の集落組織と字公民館」(2008年)報告を収録しています。すでに5年余りが経過していますが、資料解題的にご覧いただければ幸い。→■

3267号【2014年3月22日】
■≪ひと山こえて・・・≫

 3月21日(春分の日)、北国は強い低気圧の嵐。東京は風は強いもののいいお天気(花粉は跳梁跋扈)でした。高井戸で開かれた「東京の社会教育の歩み」(仮題)第2回拡大編集会議は、思い出深い活発な会となりました。冒頭のご挨拶で、こんな趣旨の喜びを語りました。
 「本づくりの作業では、構成が決まり執筆者の案が確定し、執筆依頼状を発送できるまでが一つの山。今晩まさにその峠に到達したことになります。2年余りの作業を経て、執筆者の総勢約40人、ひと山越える嬉しい会議です。さらに次の山に向かって・・・」と。
 終了後はいつもの有志交流会(写真)。はじめての参加は、夜間中学の関本保孝さん(執筆予定者)や東京都庁の梶野光信さん(同)。座は一段と盛り上がりました。遅くまでお付き合い頂いた皆さん、お疲れさま。当日の記録を、どなたか風にお願いします。
 ご出席の一人、山添路子さんから、数日前に刊行されたばかりの『氷川下セツルメント史−半世紀にわたる活動の記録』(同編纂委員会編、エイデル研究所刊)を頂きました。編纂委員の一人に君津・新井孝男さんの名があります。また「あとがき」には、元セツラー・石間資生さん(小平市社会教育主事、59才で逝去)の1周忌墓参の席で「セツルメント史」編纂の話題が出たことが「ことの始まり」であったと記されています。
 A5版・全500頁の力量感あふれる大作です。私たちの東京社会教育史もこれに負けない力作に仕上げたいもの。皆さん、ご声援ください。
東京社会教育史研究フォーラム終了後の交流会、左より2人目に梶野さん、その隣に関本さん。(高井戸、140321)


3266号【2014年3月20日】
■≪やんばる対談参加歓迎≫
 この一両日、東京は春一番が吹き、花粉が盛んに舞っています。お天気は下り坂、明日(20日)の雨が待たれます。各地で、花粉と闘う同志諸君、花の季節を耐えよ!
 明後日(3月21日)に開かれる「東京の社会教育の歩み」拡大編集会議(案内・上掲)。事務局の打合せメールが賑やか。拡大編集会議としては第2回ですが、東京社会教育史研究フォーラムとしては第12回目の研究会。詳しい経過資料をHPに収録しています。のぞいてください。→■
  http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tokyoforumu2012.htm
 1月13日の第1回拡大編集会議から2ヶ月余の間に、いろんなことがありました。お目出度い出産ニュースも。新しい本が生まれる胎動と重なり、吉兆を感じました。その本づくり、ようやく執筆依頼のステップに到達したのです。執筆予定者は約40人にのぼる模様。いい本にしたいものです。
 社会教育の歴史づくりに、今回初めて夜間中学からも参加いただきます。21日もお出でいただくとのこと(上掲)。賑やかな議論をしましょう。
 4月沖縄「やんばる対談」への参加希望が寄せられました(上掲)。大歓迎です。同行者はいまのところ6人か。11日夜の那覇「おきなわ社会教育研究会」との交流は、集まった人でゆっくり始まり(7〜8時頃)、疲れたとき(10時?前後)に終わる慣わし。宿やレンタカーなど相談しましょう。「高江」行きの計画もある由。目取真俊氏ブログ「海鳴りの島から」をぜひ!連日「高江の様子」が報じられています。→■
 → http://blog.goo.ne.jp/awamori777

3265号【2014年3月18日】
■≪軋みあいながらー4月日程≫
 4月の編集会議・座談会・投稿等のスケジュールが、15日から16日にかけて、音をたて軋みあいながら確定しました(上掲)。これに加え「風」にまだ案内が出ていない「伊藤長和さんを偲ぶ会」が4月20日午後の予定、4月定例(205回)研究会が最終金曜日(25日)の日程で準備中。詳細が決まり次第、ご案内が届くと思います。年度はじめの4月、それぞれにご多忙、都合お繰り合わせの上、ご参加ください。
 お気づきの方もおありでしょうか、3月15日の年報編集委員会は、今年度「第2回」編集会議としてご案内しましたが、編集担当・江頭晃子さんの報告では「第3回」。次のような添え書きあり。
 「昨年11月のTOAFAEC研究会(200回定例会)を第1回編集会議と数えましたが、どうでしょうか。この日に、上野さんが編集長、内田さんが副編集長をやる!と宣言された記念すべき日でしたので…。」
 そう言えば、昨年11/29・200回研究会は、18号合評と19号への構想を語るプログラム、実質的な編集会議でした。そして故伊藤長和さんが元気にお出でになった最後のTOAFAEC 会合(涙)。編集委員会としての案内ではありませんでしたが、実質的に「第1回」会議。了解しました。HP関連ページの平仄も整えましょう。
 杉並の安井節子さんから久しぶりの便りをいただきました(上掲)。旧杉並区公民館についての記録づくりへの作業。小生に関しては、皆さんと一緒にまとめた『学びて生きる−杉並区立公民館50年』(2003年刊)『ひたすらに平和願えり』(2009年刊)等のなかに書いたものがあります。
伊藤長和さん追悼! 私たちの研究会(200回記念)に元気に参加された伊藤さん(前列中央)、これが最後の姿となりました。
 涙そうそう! その左に副編集長・内田純一さん、後列左から3人目に編集長・上野景三さん。−高井戸、20131129−



3264号【2014年3月17日】
■≪弥生の十三夜≫
 本号には、この数日、活発に動いている三つの編集会議(風・前号)の内部連絡メールを1本ずつ収録しました(上掲)。以下はぶんじん記録です。
 15日午後、日本公民館学会のスプリングフォーラム。昨年12月の年次大会(岡山)に行けなかったこともあり、皆さんにも会いたくて、茗荷谷の筑波大学東京キャンパスに出かけました。例によって討論の時間があまりない。それでも流れで、ひとこと発言(悪い癖?)。
 終わって年報第19号編集会議(第2回)、十三夜の見事なお月さまに迎えられながら、本郷(東大・李研究室)へ。最近は東京でみる月が案外と美しいのです。缶ビールと暖かいサンドイッチ(美味い!)で議論の始まり。当夜の詳しい記録は、どなたかきっと報告を寄せてくださるでしょう。1月の編集会議(第1回)の模様はついに風に届かなかった恨み節をひとこと呈しておきましたので。これも悪い癖?
 16日は午前、国立市公民館へ。東京社会教育史の本づくり編集構想がほぼまとまって執筆依頼に入る直前の事務局会議。刊行へ向けて「私たちの思い」の小さな作文案など話しあいました。わずか3人、しかし2年越しの作業がようやくここまで来た感慨あり。事務局の皆さんの志気高し。
 この日は、伊藤長和さんの姿が遠くに消えて1ヶ月の命日でした。早いものです。いつもの研究会であれば、在りし日を偲んで献杯!となるところでしょうが、まだ陽が高い。やむなく家に戻って・・・、ひとり月を仰ぎながら、伊藤さんの思い出にふける夜の寂しさ。

3263号【2014年3月15日】
■≪三つの編集会議≫

 「南の風」は・・・、というよりTOAFAEC 関連で、いま三つの編集会議が始動しています。それぞれのリズムで、断続的に「風」の誌面に登場してきますので、同じく“断続的”に風をお読みの皆さんには分かりにくいところもありましょう。幸いなことに、ぶんじんはその三つに参加し、各会議を(できれば・・・)横につなく役割も果たしていきたいと念じています。枯れ木も山の賑わいのたとえ、たいしたお役にもたっていませんが。
 この機会に三つの編集会議をまとめてご紹介しておきます。一つは、言うまでもなくTOAFAEC 年報『東アジア社会教育研究』(1996年創刊)の今年次・第19号の編集会議。二つには、2006年に出版した『韓国の社会教育・生涯学習』(黄宗建・小林文人・伊藤長和共編)の新訂版づくり編集会議。その後の韓国の、新しい躍動を盛りこむ本を創ろうと意欲あふれる編集会議。韓国生涯学習研究フォーラムの皆さんによる取り組みです。
 第三は、東京社会教育の歩みを記録し、その歴史を再発見する作業を通して、これからの可能性や展望を見出していこうとする東京本の編集会議。最初から本づくりを目的として、2012年秋に東京社会教育史研究フォーラムが発足したのでした。歴史書をつくる作業に、案外と若い世代が事務局の中心を担っているところが何とも頼もしい。
 今日(3月15日)と明日(16日)、東アジア・第19号の編集会議と東京社会教育の歩み編集会議が開かれます→■。韓国本編集グループは、海を越えて、崔先生インタビュー(風3261号に既報)。どんな語りを引き出すことができるか期待大。それぞれ関心ある方々の参加をお待ちしています。

3262号【2014年3月13日】
■≪イヤな季節−弥生半ば≫
 この一両日は気温が上がりました。今日は“春一番”のような風、他方で桜の開花予測が報じられ、遅れていた春がようやくやってきたような…。如月(きさらぎ)を抜けて弥生も半ばなり。夏目漱石には「濃(こまや)かに弥生の雲の流れけり」という句があるようです。
 しかし実は、この時期、毎年イヤなのです。一つは花粉症、あと一つは税の確定申告。幸いに今年の花粉症は、今のところ、軽い症状で助かっていますが、三月中旬の税申告・最終日は容赦なく近づいてきます。楽しくありません。今年はじめから、いろいろあって、ポストに入ってきた確定申告関連の書類も充分に整理できないまま。さて、どうしたものかと思案しながら本号を書いています。毎年のことながら「イヤな季節!」。
 そんなとき、「やんばる対談」(4月12日午後予定)について、島袋正敏さんから嬉しい連絡を頂きました(上掲)。名護市の地域づくりを担っている若い社会教育主事の皆さんとの対談企画、楽しみです。会場は、いつものセイビンさん「蔓草庵」(名護東海岸・底仁屋)。対談後には、稲嶺進市長もお出でいただく由。セイビンさんのメール「…稲嶺ススムの日程も対談後に取れましたので、そのまま蔓草庵で古酒泡盛を飲みながらユンタクの場にしましょう」と。
 「やんばる対談」は、もともと2010年・名護市長選でススムさんが初当選したことが契機となって始まりました。その記録は毎年の『東アジア社会教育研究』に掲載、今年で第6回目となります。初めて待望のススム市長を囲む場が実現します。参加ご希望の方があれば、ご一緒しましょう。
島袋正敏さん主宰「蔓草庵」(名護東海岸・底仁屋)−20130317-


3261号【2014年3月11日】
■≪韓国研究フォーラム≫
 越後の雪国、いまも大雪だそうです。魚沼(旧堀之内)の森山丈順さんから、久しぶりの便りが届きました(上掲)。元気のようで何より。文中に登場する星野修美さん(もと川崎市産業文化会館長)とは、故伊藤長和さんの通夜の席で一緒でした。魚沼市中央公民館長を辞められた話などお聞きする雰囲気ではなく、短く「森山君は元気ですか?」など話した程度。そう言えば、伊藤さん、星野さん、ぶんじんと顔が揃えば、いつも魚沼の話、そして森山さんのことが話題になる慣わしでした。
 本号には、姜乃栄(カン・ネヨン)さんの「伊藤さんを悼む」メールが小田切督剛さんを通して寄せられました。10年ほど前から、姜さんは私たちの『韓国の社会教育・生涯学習』(エイデル研究所、2006年)の本づくり、またその後の「韓国生涯学習研究フォーラム」活動に参加し、伊藤さんとの深い交流がありました。伊藤さんは(中国赴任まで)この韓国研究・出版の推進役、実質的な事務局長として活躍されてきたのでした。
 いま「韓国生涯学習研究フォーラム」が元気です。新しい韓国本(『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』新訂版)編集の作業も進み、既報のように崔云實(チェ・ウンシル)先生インタビューの企画も報じられました。上掲の小田切督剛「崔先生インタビューについて」は、韓国研究フォーラム内部で交わされたコメントですが、興味深いので、ご本人の了解を得て本号に掲載させていただきました。伊藤さんも、どこからか、新しい本づくりの“躍動”ぶりを、にこにこ笑いながら、見ていることでしょう。

3260号【2014年3月9日】
■≪4月12日・やんばる対談≫
 やんばるも寒いそうですが、3月初旬の東京も冬に逆戻りか?の感じ。7日は小雪が舞いました。北風が吹く夜はとくに冷えています。寒気のなかに、1本の電話が暖かい風を運んできました。ボヤンバートルさんから再来日の知らせ、東京からの電話でした。3日に着いた由。
 日本学術振興会への申請がうまくいって「外国人特別研究員」として早稲田大学に1年滞在するそうです(上掲)。昨年暮れの研究会で内モンゴルの話を聞いたばかり、それからわずか3ヶ月の間に、伊藤長和さん逝去の知らせが私たちを襲ったのです。伊藤さんとの交流は、ぶんじんを介してボヤンバートルへ、さらにトクタホなどを介して、モンゴルの若者たちへと拡がっていきました。「…ほんとに優しい方でした」との回想。
 本号の配信を準備しているところに、名護・セイビンさんから「やんばる対談」についての便り(上掲)。1998年ボヤンバートルと名護との出会いも忘れがたい。いま同じ「風」で“再会”のかたちですね。
 4月の「やんばる対談」について、セイビンさんに調整していただき有り難うございます。今年も5〜6人ほど、4月12日(土)に底仁屋に集合する予定でフライトなど準備を始めているところ。午後に名護の社会教育を担う皆さんと「対談」し、夜にでも稲嶺ススム市長と古酒ゆんたく?が出来れば願ってもないこと。もし市長日程の関係で、11日の可能性があれば、参加予定者に連絡をまわし「11日名護入り」の予定を考えます。
 名護社会教育について、最近の記録・資料など数点でも予め送っていただければ有り難いのですが。事前学習をして参上したいと思っています。

3259号【2014年3月7日】
■≪頑張らないように≫
 前号から(やや遅れていた)3月スケジュール、集いの「案内」が続いています。本号は、21日の東京社会教育史研究フォーラム(拡大編集会議)「案内」が着信。ご参加、よろしくお願いします。出来るだけ多くの方の参加を期待して、同フォーラムMLにも流して下さい。風メンバーでない方もいますから。
 次号には28日のTOAFAEC第204回(3月定例)研究会・案内を載せる予定。すでに受信箱に届いています。年度末の研究会でもあり、去る人・来る人(異動の季節)、いろんな話に花が咲けば、と期待しています。
 伊藤長和さんへの追悼、思い出のメールも続いています。本号には、大阪教育大学・森実さんの回想が寄せられました(上掲)。エピソードふたつ。あらためて伊藤さんの“大きな人”(風3257号)の、知らなかった実像が語られているように思いました。「南の風」のもっとも熱心なメンバーだった伊藤さん。毎号の送信が戻ってくるようになりました。当然のこととはいえ、なんとも寂しい思い。
 3月の暦はすでに1週間。いつもだと花粉症真っ盛りの季節のはずですが、今年は冬の冷えこみが続き、いいタイミングでの雨降りもあり、まだ苦しい症状は始まっていません。しかし、東京もそろそろか。予報も出ました。「…花粉の季節、ご無理なく,くれぐれもお体にはお気をつけて」とお見舞もいただきました(有り難う!)。何よりも健康に留意せよとの皆さんの忠告、激励に応えて、頑張らないようにします。

3258号【2014年3月5日】
■≪慶事あり、おめでとう!≫
 前号本欄「暦はすでに三月」と題して、催促がましい?期待を書いた年報編集委員会(第2回)の開催案内がようやく届きました(上掲)。3月15日に開かれる日本公民館学会スプリングフォーラムの当夜。同プログラム終了後に、少し場所を移動して、編集論議をしようという企画となったようです(調整ご苦労さま)。公民館学会の集いのあとは、楽しい懇親交流の場が設けられる慣わし。これには参加できなくなりましたが…。
 他方で東京社会教育史づくり・編集委員会(事務局会議)も集まりをもつ必要があり、この時期みな忙しく、適当な日程をつくれないでいました。19号編集が15日夜とすれば、翌16日午前の線で可能性が出てきましたね。事務局レベルの都合がつくメンバーで、ぜひ集まりましょう。よろしくご検討ください。この間には、ぶんじんの2月入院騒ぎが3月の窮屈なスケジュールとなった向きもあり、恐縮しつつ、お願いをいたします。
 4日夜の日程調整のやりとりのなか、目出度い話が飛び込んできました。井口啓太郎さん(国立市公民館)の喜びあふれるメール。ご本人の許しを得ないままご紹介。何よりの慶事!了解いただけるに違いない!
 「…私事ですが、実は本日、無事次女を出産できました。予定日から一週間も遅れて冷や冷やしていましたが、公民館事業の山場(3月1〜2日は青年室の合宿でした)が終わるのを待ってくれていたかのようなタイミングで陣痛が始まり、おかげですべてに立ち会うことができました。陣痛が始まってから出産まで15時間余り、生んでもない私もクタクタになるほどの壮絶さでしたが、やはり生まれる瞬間の感激は二度目も変わらず代えがたいものでした。命名はこれからですが、しばらく子育てに注力しなくてはなりません。…」
  お誕生!おめでとう!

3257号【2014年3月2日】
■≪暦はすでに3月≫
 3週間ちかく入院していたのに、幸いに、1月研究会も昨日(28日)の2月定例会も、休まず参加できました。実は1月定例日、当夜ひどく冷えていたこともあり、少々つらいひととき。その4日後に入院したのでした。昨夜は(病みあがりながら)元気に出席できる喜び。ご出席の皆さん、とくに報告の斉藤真哉さん、24時間も経っていないのに折り返しの研究会報告を寄せていただいた岩本陽児さん、ご苦労さまでした。
 テーマは「パレスチナからコソボへ〜暴力に対して、文化・芸術・教育の力で戦う人々」。社会教育の基本問題と通底するところがあるにしても、社会教育の場ではなかなか取りあげにくい問題。短い時間にまとめるには大きすぎるテーマに奮闘の斉藤さん。それを大事な記録にして届けていただいた岩本さんの見事な手さばき、感嘆しています。決してお世辞ではありません。速記記録も付されて、その意味で近来稀な研究会となりました。
 さて、今年のTOAFAEC 年報『東アジア社会教育研究』第19号の編集委員会の“躍動”を今か今かと・・、鶴首の思いで、待っています。何より1月24日(本年度第1回編集会議)の記録を出してほしい。年報づくりの作業を編集委員相互はもちろんのこと、南の風メンバーにも拡げて、共有してきた15年余の歴史を想起していただきたい。次回編集会議日程については(日本公民館学会スプリングフォーラムをはさんで)3月14日か16日のいずれかを、編集長レベルで確定し、編集委員会に周知しようという確認をしたと記憶しています。早急な対応をお待ちしています。暦はすでに3月となりました。
2月研究会報告・斉藤真哉さん(板橋区教育委員会) −高井戸、20140228−


3256号【2014年2月27日】
■≪追悼のページ≫
 いまホームページには、30人ちかくの方々の追悼記事を収めています。雑誌ほか故人を「偲ぶ」出版などに書かせていただいた拙文を再録したものです。とくに関係の深かった4人の方については、不充分ながら編集の工夫をして「追悼のページ」を作成アップ。ご存知の通り、お世話になった横山宏、韓国の長老・黄宗建、日本公民館学会事務局長として尽力した奥田泰弘、ぶんじんを社会教育の深い森に連れ込んだ小川利夫などの各位です。→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/archives.htm
 40年来、一緒に歩いてきた伊藤長和さんについても「追悼ページ」を作成したいと作業を始めました。南の風(ぶ)欄の関連記事、伊藤さんの「烟台の風」、略年譜と編著書・論文一覧、伊藤さんの自分史(『東アジア社会教育研究』第11号所収、2006年)など。写真も入れて…。
 韓国研究フォーラムの方々にも力も借りたいと思っています。ホームページはすでに余白が少なく、そう多くは収録できませんが、一人だけの作業では間違いも出てくるからです。さきほど風(ぶ)欄を読み返して・・・残念!直ちにミス発見!という次第。風3251号後記の10行目「1999年に中国烟台へ赴任…」は、「2009年」の間違いでした。伊藤さんの“急逝”に気も動転していたからでしょうか。
 同(ぶ)欄のタイトル、「言い交わしたる二人仲」はお分かりでしょうか。古い世代にしか通じない台詞かも知れません。日露戦争下に作られた唱歌「戦友」(真下飛泉作詞、1905年)の11番歌詞の一節。

3255号【2014年2月25日】
■≪私信いろいろ感謝!≫
 一昨年の胃ガン手術の入院はわずか5日でしたが、今回の下肢静脈血栓の治療には16日間の入院を要しました。一応の経過は良好、前号に退院のご報告をしましたが、半年ほど通院する必要があるようです。病院側は思いのほか慎重。オヤオヤ・・といった感じ。
 皆さんから早速「ご退院おめでとう・・・」などのお祝いをいただきましたが、各位それぞれに厳しい添え書きあり。「安心せず、節制を心掛けてください」とか、「…いきなり全開で走り出したりなさいませんように。次は沖縄(やんばる対談)が控えておりますし・・」など。
 お酒はとくに禁じられていません。入院中はもちろん控えていましたが、ほどほどであれば構わないとのこと。正敏さんは「いきなりビールをというわけにはいかないでしょう」(上掲)と慎重ですが、退院後いまは“美酒少量”を心がけて動きはじめています。
 入院中に届いた伊藤長和さん急逝のお知らせはまことにショックでした。退院にあたって、「…先生が元気でいることが、永年の友人である伊藤長和さんとの友誼に報いること」のコメントもいただきました。たしかにそうだ!と教えられる思い。心して摂生につとめることにいたしましょう。
 「伊藤長和さんを偲ぶ会」(4月開催予定)は、川崎の皆さんで準備が始まっています。当方から第2週「やんばる対談」や第3週の韓国・ソウルの躍動を語りあう座談会(年報第19号企画、19日予定)の日程を予めお話して、今のところ4月20日(日)開催の案となりそうです。

3254号【2014年2月23日】
■≪退院しました≫

 伊藤長和さんへの回想、急逝を悼むメッセージが引きもきらず。永いお付き合いもあれば、ご本人と一度も会ったことがない留学生まで、さまざまです(上掲)。追悼の言葉のなかに、伊藤さんの生き方やお人柄がにじみ、そこに新たな発見もあって、悲しくなります。
 伊藤さんは、海を越え、世代をこえて、独自のやさしい人間的な関係を紡ぎ出す達人だったのです。ぶんじんゼミの学生たちも、毎年の川崎(たとえば「ふれあい館」)訪問を通して−プログラム終了後は必ず伊藤さん案内のプルコギ屋での忘れがたい交流あり−お世話になってきました。仕事の機会を頂いた学生もあれば、前々号・モンゴル留学生(当時、現在は大学教師=トクタホさん)のように、文化的な演奏・講演・交流の流れをつくっていただいたことも。その回数は川崎だけで、なんと!200回をこえていたと・・・、驚きました。
 会ったこともないのに伊藤さん追慕の文章が寄せられるのは、「南の風」に4年余にわたって連載された「烟台の風」、そして「私の闘病生活」等(全325本、数本の番外編あり、計約330本)の記録によるもの。そのすべてはHPに収録しています。ご覧下さい。→■
 ところで、ぶんじんの入院(お見舞や励ましなど感謝!)は、伊藤さんの通夜・告別式の事情に合わせて、うまく退院の運びとなりました。造影剤をいれてのCTなど前日に大きな検査が済み(許可を得て)自宅に寄って式服に着替え鎌倉へ。通夜の席、清めのお酒で川崎の皆さんと一緒に伊藤さんを偲び、この夜からはれて自宅に戻りました。ご心配かけました。

3253号【2014年2月21日】
■≪伊藤長和さん告別式≫
 お通夜(20日)に引き続き、21日11時から伊藤長和さんの告別式がしめやかに取り行われました。この日、鎌倉はいいお天気。長和さんはたくさんの花に埋もれながら、安らかな表情で旅立たれました。一同合掌でお見送り、悲しい別れのひととき。
 式は無宗教による家族葬としてすすめられ、私たち会葬者は脇に控えるかたち。「アチミスル」の曲が流れるなか、ご家族が語る伊藤長和さんへの思いと回想。亡くなられた当日(16日12時46分)、その1時間前には買い物を頼んだり、まったく平常の様子、アッという間の心肺停止だったそうです。末期ガン特有の激痛に襲われることもなかった、昨年8月の大手術から7ヶ月、家族としてしっかり看病することができた、などのお話が切々と会場に流れました。
 TOAFAEC からは、末本誠代表(神戸大学)ほかの皆さんから弔電が寄せられ、韓国・中国・東アジア各研究フォーラム・委員会からの弔電も披露されました。ご配慮ありがとうございました。
 伊藤さんの闘病生活は(ご存知のように)「南の風」に折々の経過が記録されていますが、昨年の七夕の会と今年の新年会への出席が伊藤さんにとって大きな節目となったこと、改めて実感させられました。私たちへの最後のご挨拶をなさった新年会(1月5日)での伊藤さんを、遠藤輝喜さん撮影画像からトリミングして添付します。左より小林(頭だけ)、ご挨拶の伊藤長和さん、見城慶和さんほか。別に伊藤さん最後の新年会出席写真を「追悼ページ」へ(木村雅俊さん撮影)→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/itoutuitou20140216.htm
鎌倉から参加の伊藤長和さんご挨拶−私たちへの最後のスピーチとなった。(西永福、140105)


3252号【2014年2月19日】
■≪ヴェントさん(ハンブルク)と再会≫
 おそらく?退院も近くなって、すこし院内・運動もし、許可をもらって自宅へ一時帰宅などしています。伊藤さん追悼であふれるメールボックスを開き「風」編集・発行の作業。しかし決められた時間に帰院しなければなりません。作業半ば・・・、慌ただしいパソコン撤収の操作はミスを伴いがち。この1日、大事なホームページの表紙に混乱があったらしい。さきほど「如月のニュース」に更新し、表紙につながる各サイトの位置どりも整えることができました。
 19日午前、病院にミヒャエル・ヴェント(Michael Wendt)さん(ハンブルク市アルトナ・文化センター《モッテ》所長)が谷和明さん(東京外国語大学)とご一緒にお出でいただきました。日本社会教育学会の招聘による研究集会(16〜17日)で来日中。思いがけないお見舞いに恐縮し感激しました。3248号本欄に短く書いたように、ハンブルクでのヴェントさんとの交流はビールにまつわる席が多いのですが、実はご本人はあまり飲まないとのこと。
 パソコンの中に残っていた2001年6月・アルトナーレ(市民祭)の写真をご披露。この写真は奇しくも同行の伊藤長和さんが撮ってくれたものでした(記念に本号に添付、右よりヴェント、小林、山口各氏)。ついでにウーリッヒ・トールマンさん(建築家)とぶんじんが沖縄・水納島で泳いだ日(2000年10月25日)の、男ふたりのヌード写真もお目にかけました。島袋正敏さん撮影。これはHPのどこかに収録。
 
→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/deutsch2000.htm
 ヴェンとさんは、東京での研究集会をはさんで、雪の中、福島にも足を運び、大阪にも出かけたそうです。みごとなフットワーク。

3251号【2014年2月18日】
■≪言い交わしたる二人仲≫

 16日・伊藤長和さん逝去の知らせ。その後、寝ても覚めても、伊藤さんの面影が現われては消え、消えては浮かんできます。そのどれも元気な伊藤さん、大きな声、活発な動き、まわりをいたわる表情などばかり。
 私たちが出会ったのは、1975年前後、相模原での社全協・調査研究部の集まりでした。あのときも、大きな声での自己紹介を憶えています。当時の伊藤さんは30歳前後か。それから40年近くのお付き合いでした。社会教育を通しての出会い、かけ替えのない同行の士となりました。
 とくに1995年のTOAFAEC 創設から1998年「南の風」創刊以降、走馬燈のようにいろんな場面が蘇ってきます。研究会などほとんどすべての集いに参加され、「風」の隅々まで読破されてきました。2009年春に中国烟台へ赴任されてからは、日々の記録「烟台の風」を4年間にわたって連載。読むだけでなく自ら執筆し、ときに鋭いクリティークを寄せられました。若い人々(とくに中国人学生)への限りない愛、総じてまわりの仲間への叱咤激励の達人でした。
 4年間の中国生活を終えて昨年7月に帰国され、今から伊藤さんの活躍が始まると誰しも思ったことでしょう。川崎という自治体職員の蓄積、韓国との貴重な交流、そして現代中国での生活経験。その間には大学教員としての独自の見識を確かめてこられました。一緒に何冊か本も創ってきました。あらためて伊藤さんの元気をバネに「東アジア」の新しい歴史に参加しよう、と言い交わしたる二人仲。これからだというときに・・・。


*南の風・3201〜3250号→■


                    
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