南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
3250号【2014年2月17日】
■≪私たちを襲った悲報≫
16日の日曜日の昼。ぶんじんに大阪から久しぶりの妹たちが見舞いにやってきて歓談中。そこに小田切さんから突然の連絡。伊藤長和さん急逝の悲しい知らせでした。
実はその前日(風・前号にちらりと書いたように)長女の和江さんから伊藤さんの病状が厳しいとの連絡をいただきました。「…文人先生も入院されていると聞いたのですが、父の知り合いの方に、お知らせ頂ければと思い、突然のメールご容赦ください。父は、お医者さまから、あと一週間もたないだろうと言われてしまいました。本日、個室に移動しました。本人は、まだ半年もつと思っています。
1月末に入院してからは、パソコンも開けず、まだ意識はハッキリしてはいますが、日に日にしゃべれなくなってきています。…たまたま、私がパソコンを開けたので、失礼とは思いましたが、メールさせて頂きました。父からは、もうお返事する事は出来ません。そして、父のアドレスにメールを頂いても読む事が出来ません。すみません。」(15
Feb 2014 15:15)
おお神よ!と祈らずにはいられないショック。病院から大急ぎでまわりの数人の方に電話しました。「伊藤さんの病状は厳しい、最終段階だ!」
小田切さんたち川崎メンバーは、翌朝に鎌倉へ。しかし間に合わなかったそうです(上掲)。同じメールを読んだ和光大学・岩本さんは、15日その足で鎌倉へ。伊藤さんの私たちへの別れの言葉を聞きとってくれました。私自身入院していて、最後のお見舞に行けなかったのが何より残念です。
3249号【2014年2月15日】
■≪2・28は203研究会≫
東京は14〜15日にかけて、また酷い雪でした。風雪の中、山口真理子さんはパソコンかかえて諸メールを受信、琉球新報(上掲)も持参いただいて(当方は病室で寝そべってラクラク編集)、有り難うございました。
新宿からの帰りの電車(京王線)は大変な混雑だったらしい。「特急は階段規制、いつになるか分からないので、スムースではないものの動いている快速で、無事帰りました。」(14日
20:00)ご苦労さま。普段は活力あふれるように見える大都市機能も、雪のひと降りでダウン寸前の様相。
本号には、遅れていた第203回定例研究会(2・28、最終金曜日)ご案内を載せることができました。ご承知のように年末から1月にかけて「南の風」は東京板橋区社会教育主事・斉藤真哉さんのパレスチナ・コソボ便り(28本)を連載しました。今回研究会では、ご本人から直接にそのフイールドワークのお話を伺う企画。映像や(おそらく)音声記録も含め、なかなか聞けないレポートとなることは必定。題して「パレスチナからコソボへ−暴力に対して、文化・芸術・教育の力で闘う人たち」。皆様、奮ってご参加ください。
2・28の研究会は、実は翌日3・1に向けて、ビキニ被爆60周年の話を聞く別企画も平行して進行していました。しかし報告予定者・竹峰誠一郎さんが当日マーシャル群島に行っていて不在(風2344号)。一部の方にビキニ60周年企画を予告していた経過あり、早とちりでした。以上ご了解の上、28日の研究会にお出かけいただければ幸いです。
その後、伊藤長和さんは1月末に再入院。病状必ずしも好転せず、むしろ厳しい状況、心配です。長女の和江さんからメールを頂戴しました。
3248号【2014年2月13日】
■≪病院の一日≫
病状一段落、点滴も終わって、時間をもてあましています。退院の見通しはまだ明らかにされず、やむなくのんびり・・・の毎日。テレビは冬季オリンピックの同じ場面の繰り返し、うんざり。やはり新聞のきちんとした記事が面白い。午後は外出を願い出て一時帰宅へ。
そんな経過で、いま「南の風」は自宅から送信しています。夕食までに病院に帰るきまりなので、自宅のパソコンに座ると案外と忙しい時間となります。急いでMeiwakuを捨て諸メールを受信、選り分けて「風」に編集。ついつい皆さんに配信したくなり、連日の風を吹くことに・・。
病院では、すべて新しい人との出会い。興味深いものがあります。医師・看護師・技師など専門スタッフだけでなく、朝の新聞を届けてくれるオジさんまで含めて、規律・効率豊かな機能集団。接触の多い看護師の皆さんも定められた仕事のなかに、一人ひとりの個性もにじんで、楽しくなります。深夜、離れた病室から必ず大声で叫ぶ老人がいて、その声を聞きながら“ご苦労さん”とつぶやいて・・・なかなか寝つかれない夜。
谷和明さんメール(3246号)によれば、いまM,ヴェントさん(ハンブルク)は東京の空の下。アルトナーレの市民祭など、ヴェントさんとの忘れがたいビールの席が想い出されます。モッテ1階の食堂、アルトナ区役所の中庭、樽が並んだ(レジスタンスの巣窟のような)ビール店など。
いま当方は新宿の住人、どこか近くで来日中のベントさんと一杯飲みたいところですが・・・病院に囚われの身、世はままならない。残念です。
3247号【2014年2月12日】
■≪自治体間の交流≫
風3244号お名前訂正。武峰でなく正しくは「竹峰誠一郎」さん。失礼しました。最近は他にもミスがありますが、お名前なので特記してお詫びします。
前号から、飯田市公民館・木下巨一さん「フィリピン・レガスピ訪問」記が寄稿されました。長文・三回に分けて
…(本号そのU)、ご了承ください。
社会教育や公民館を中心テーマとして、海を越える持続的な研究・交流の取り組みに期待しています。ご苦労もおありでしょうが、わくわくする思いで拝読。大学間や研究者による国際交流はいまとくに珍しくありませんが、自治体間の、それも(首長レベルでなく)職員相互の、とくに市民レベルを含む実践的交流、なかなか拡がりをみせません。東アジアの各国・地域の間でも、もっと自治体間の研究交流が、あるいは市民・運動体の出会いが期待されるところですが、そう簡単ではありません。
この話題で想い出されるのは、1990年代からの韓国・富川(プチョン)と川崎との交流。自治体間の協定だけでなく、市民の、たとえば商店街や美術グループや高校生相互の、そして図書館関係者の交流が重ねられてきました。その間には川崎の社会教育の蓄積・活力の役割が大きかったと思います。南の風メンバーでは、伊藤長和さんや小田切督剛さんの活躍。この自治体間交流が日韓双方の学会・研究を刺激しました。日本では、韓国「平生教育」をテーマとする本が出版され、韓国生涯学習研究フォーラムがスタート(2006年)。また韓国に向けても、日本社会教育の体系的な本づくり(2010年)となりました。HPにその詳細を記録しています。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/2005kankoku.htm
病床にある伊藤長和さんを(こちらも病室にあり)お見舞に行けないのが残念。長さん、南の風は読めているかしら。お互いに頑張ろう!
木下巨一さん、レガスピ市との交流を続けて下さい。期待は大きいです。
江頭晃子さん、TOAFAEC 第203回研究会(2月28日予定)企画、有り難う。会場ご確認の上、「風」への案内文をお願いします。楽しみです。
3246号【2014年2月11日】
■≪立春大吉≫
皆様からたくさんの見舞いを頂戴し、まことに有り難うございます。24時間の点滴からは解放されましたが、退院まで少々時間を要するようです。
病室ではメール受信、風・送信が出来ず、山口真理子さんのご協力を得て(江頭晃子さんアシスト)、南の風の発行を再開しています。まず、ぶんじん自宅パソコンを運び出していただき、病室ベッド上で編集作業、そして山口家から配信(3244号)という流れです。滞っていたHP更新は久しぶりの一時帰宅(都知事選挙、2月9日)の際に、大急ぎで作業しました。本(ぶ)欄など、HPで案外と読んでくださる方が多く、今回の入院騒動で改めて実感しています。
この10日〜11日、仙台で「第36回大都市の社会教育・研究と交流のつどい」が開かれています。大雪のなか集まりはどうかしら。ぶんじんはやむなく欠席。「集い」第1回以来、35年間すべて出席してきた記録は、今年で途切れました。盛会を祈りつつ、今川義博さん(仙台市職員労働組合教育支部)、石井山竜平さん(東北大学)へ欠席連絡。この集いは、伊藤長和さん(川崎市職労教育支部・当時)と小林(社全協調査研究部)の二人の語らいから拡がっていきました。いま二人とも入院中、残念です。
留守中に見城慶和さん(夜間中学、えんぴつの会)から、「立春大吉」の揮毫を送っていただきました。ほれぼれする達筆。「…田舎の風習で立春大吉日のお札を書きました。無病息災、不老長寿、大願成就など、あらましごとを祈って・・・、迷信みたいで恐縮ですが…。」 病室に飾りました。添えられた立春詠15首。お目出度い歌なので、いくつかをご紹介いたします。きっとお許し頂ける!と…。有り難うございました。
◇東(ひんがし)の そら燦として立春の陽は今まさにのぼらんとする
◇今日からは春と思えば早朝の寒気やさしく我をつつめり
◇生きている生かされているわが命いとおしみつつ陽光に立つ
◇きらめける光の中に彫るごとく立春大吉 筆を運びぬ
3245号【2014年2月10日】
■≪西新宿・謹慎入院中≫
南の風がいつになく吹き止んで、約1週間のご無沙汰。どうしたの?のお問い合わせ。恐縮しています。この間HPもいつもの更新なく、HPだけの(配信していない)風・読者からも「体調は?」のお見舞メール(福岡・横尾成臣さん・上掲)など頂きました。申しわけなし。
伊藤長和さんが詳細な闘病記録を寄稿された経緯あり、身体や病気の経験は当事者だけが知る得る情報。見劣りしますが、言い訳がわりに簡単な経過を書いておきます。病名は「深部静脈血栓症」。左下肢部が突然に腫れあがり、疼痛甚だしく、近くの整形外科で診断してもらったところ、直ちに大病院での検査・治療が必要とのこと。西新宿の東京医科大学(心臓血管外科)では、その席で車椅子に乗せられ、案の定、即入院となりました。終日(2月4日)のエコー・CTその他の検査。夜には頸静脈からカテーテルを挿入し、肺臓の直下、下大静脈にフィルターを装置し、血液内を下肢から浮遊してくる血栓を閉塞、肺血栓や脳梗塞を防ぐための措置だそうです。
検査では左下肢部に発生した血栓はすでにあちこちに「飛んでいる」と の診断。場合によっては生命にかかわる!と脅かされ、それから24時間の点滴につながれる身となりました。
正月以来、左のふくらはぎが痛く、いつものことだと馴染みの整骨院でマッサージなどしてもらって快方へ。ところが、いつになく、浮腫(むくみ)があったのを見逃していました。静脈血栓症について全く無知でした。
4日目にしばし点滴から離れてお風呂に入りました。場所は西新宿、病院11階の浴室。湯上がりのビールがないのは残念。外は一面の雪景色。
3244号【2014年2月7日】
■≪思わぬ休み≫
新年初頭から、南の風は慌ただしい配信を重ねてきました。いつぞや書いたように、名護市長選挙関連の記事があふれ、それにパレスチナ・コソボ便りの連載(28本、1月で終結)も相次ぎました。1ヶ月に21本の風。これでは、受け取るだけで精一杯、読むのに追いつけない、などの声が聞こえてきました。騒々しい風、申しわけありません。
旧正月(1月31日)のお祝いも済んで、2月はゆったりと「風」を吹いていきたい、と思ったとたん、追わぬ事情で、1週間も休みが続きました。「南の風」の歴史でも初めて?のこと。この経過は次号に書きます。
1月29日発行の「社全協通信」250号が、第50回定期総会・50周年記念シンポジウム記録(井口啓太郎さんなど)を載せていますが、それらに挟まれて、「名護市民大勝利−そして新たな闘い」と題する島袋正敏さん(稲嶺ススム後援会事務局長)の文章が掲載されています。加えて「1月19日−名護勝利の夜」(山口真理子)、「祝賀・名護市長選」(伊藤長和)お二人の報告、名護へのカンパを渡す写真(いずれも「南の風」3235号所収)も。上田幸夫さん編集、お二人の転載要請、当方で勝手に了承しました。
昨年10月、夜間中学関連の集会でお会いした草京子さん(神戸市立丸山中学校西野分校、全国夜間中学校研究会副会長)、先日の横浜緊急集会で再会しました。これが機縁で、歴史学研究会発行『歴史学研究』(905、2013年5月)に執筆された「すべての人に義務教育を保障するために−戦後の夜間中学の変遷から」を恵送いただきました。墨痕あざやかな封書。いま拝読しているところ。力作を有り難うございました。
3243号【2014年2月1日】
■≪旧正月の研究会≫
上海・呉遵民さんから北京・韓民さんのアドレスを教えていただきました(上掲)。有り難うございました。実は、小生の手もとのアドレスとまったく同じ。これで送信を続けてきた南の風が、戻ってくるようになったのです。韓民さんは1998年「風」創刊当初からのメンバー(と記憶)。前号で「去年から…」と書きましたが、調べてみると、2012年初頭から、つまり2年余も風・不通になっていたのです。申しわけなし。
頂いた(同じ)アドレスで、風・前号を送ってみました。いま24時間余りを経過していますが、まだ戻ってきません。うまく届いたかも。久しぶりの春節、餃子の話を読んでくれたかな?と喜んでいます。
本号は、ご覧のように、春節・旧正月のメッセージが並びました。名護でもきっと「いい正月」でしょう。東京では研究会のあと、いつものイーストビレッジで乾杯。名護・稲嶺進さん勝利と今年最初の研究会が重なって、「いい正月!」。少人数ながら、楽しい冬の一夜でした。
ほどよく酔って帰宅。しばらくうたた寝。起きてパソコンを開いてみたら、江頭晃子さんから当夜の研究会の記録が着信していました(上掲
→■) まだ数時間しか経っていない、あざやかなお手並み。有り難うございました。
TOAFAEC は記録づくりを大事にしてきました。「風」は定例研究会はじめ、いくつかの関連研究フォーラム・編集活動の案内・記録等が大半、そのすべてをHPに格納し、15年をこえる歳月となると、大きな財産です。びんそくな記録づくりはその速さだけでなく内容的にも精彩豊か。感謝!
ところが、当方はこの夜カメラを忘れ、いつもの報告者の画像がありません。昨年末の写真からトリミングしてお二人の掲げました。
▼左・武田拡明さん、右・山口真理子さん(高井戸駅、20131220)
3242号【2014年1月31日】
■≪旧正月の祝い、ソウルの動き≫
1月31日は春節、東アジアのお正月です。30日夜に近くの香港料理屋(1月はじめ新年会の会場)に文人・富美の夕食を仕入れに行ったところ、若いマダムが「お祝いです!」と言って、暖かい水餃子を包んでくれました。そう言えば、韓民など中国留学生たちと研究室で餃子をつくって「春節の祝い」を楽しんだものでした。韓民(北京出身)の手作り餃子は実に美味しかった。上海出身の羅李争(元気ですか!)はあまり得意ではなかった記憶。国立・公民館の近くに住んでいた彼の部屋で、小川利夫さんと一緒に餃子をご馳走になった日もありました。隣の部屋には羅李争。
去年から韓民には「南の風」が届かず、そのままになっています。中国政府(教育部)幹部だから、こちらも無理に風を届ける努力をしていませんが…。どなたか彼の新しいアドレスをご存知であれば、教えてください。
同じ日(旧大晦日)に、日本希望製作所メルマガ「希望の風」44.が届きました。ソウル市の注目すべき躍動「協同組合」の動きが報じられています。「1月26日付のソウル市の報道資料によると、2012年12月の協同組合基本法の施行後、ソウル市にできた協同組合の数がこの1月で1000件を超えました。これを受けて、ソウル市では「協同組合の持続可能性向上と運営の充実に向けての支援」を今年の協同組合政策の基本方針にする」とのこと。同ホームページには、ソウル市経済振興室が発表した具体的な政策方針が翻訳・掲載されています。
→■http://hopemaker.org/?p=3724 TOAFAEC 年報第19号では、ソウルのこの躍動と平生教育施策・平生学習がどう関わるのか、を取り上げる方向です。
3241号【2014年1月29日】
■≪ススムさんとの出会い≫
先日の名護・稲嶺進さん市長選勝利の夜、「万歳!」に湧く後援会事務所で感激をともにした山口真理子さん。翌日(1月20日)の琉球新報朝刊を土産に持って帰りました。1面に「稲嶺氏再選、辺野古移設を拒否」が大きな活字で躍っています。2面には「稲嶺進氏のプロフィル」の記事。次のように書き出しています。「1972年に名護市役所入り。社会教育に精通し“市役所生活の原点は社会教育時代”と振り返る。…(以下略)…」
私たち(沖縄社会教育研究会・東京学芸大学)が沖縄フィールドワークへ本格的に入るのは1977年から。当初、まだススムさんに会う機会はありませんでした。やんばるの地を歩き始めていましたが、初めて会ったのは、1982年・社会教育研究全国集会(第22回)富士見集会でした。名護から仲間3人を連れての参加。まだ30代の若々しい社会教育主事の相貌が印象的でした。続いて翌1983年の昭島集会では、私たち「沖縄社会教育研究会」として歓迎会。「8月27日、57回研究会−沖縄社会教育関係者を囲む(稲嶺進、名嘉康氏ほか)」という短い記録が残っています。
この夜のこと、よく憶えています。ススムさんは沖縄民謡「二見情話」を切々と歌いました(二見は辺野古の隣の集落)。この後、沖縄やんばるに行けば、ススムさんと会うようになりました。というより、小林ゼミやんばるフィールドワークの現地受け入れ事務局のような役割をお願いしてきたのです。名護でもっとも安く泊まれる宿はススムさんの手配。
数々の思い出の写真が残っています。HPに収録しただけでも、島袋正敏さんと焼き豚1頭を東京に運んできた夜、名護全国集会・台風をやり過ごすヒージャー会、あるいは仲秋の名護博物館中庭の歓談ほか。下掲は風・発行一覧の扉を飾っている1枚、和光大学沖縄ゼミ(2001年プロゼミ)を歓迎いただいた写真です。
→■
▼和光大学(2001年)小林プロゼミを迎えて。後列左より(敬称略)大崎正治(国学院大学)、2人目に稲嶺進(当時、名護市収入役)、
前列・左より中村誠司、島袋正敏、小林文人、ほか学生10名はすべて1年生。(名護市中央図書館応接室、2001年10月3日)
3240号【2014年1月28日】
■≪カンパ「御礼」など≫
「南の風」号数にダブルカウントがあったようです。名護市長選・稲嶺進さん勝利を報じた1月20日発行の風、3233号と標記していましたが、正しくは「3234号」。1月18日発行・3233号はそのまま。勝利の喜びに酔ったのでしょうか。ホームページ記録はとくに混乱なく単純なナンバー誤記。もしお手もとに該当号があれば、ご訂正ください。
久しぶりに上海・呉遵民さんからメール来信。昨年刊行した『日本の社会教育・生涯学習』(大学教育出版)をまだ入手していないこと、また年報「第18号」も届いていない(上掲)との確認依頼。失礼しました。早速こちらから送付するようにいたしましょう。
島袋正敏さんより、「名護の歴史的な闘い」について、また追加のカンパについての感謝メールをいただきました。「…新たな闘いが始まります。引き続きご支援を…」とのこと(上掲)。名護カンパについては皆様から心こもるご芳志がたくさん寄せられ、TOAFAEC
有志・呼びかけた一人として、御礼申しあげます。昨日(26日)韓国研究フォーラムの席上、小田切督剛さん(川崎)あて「稲嶺ススム後援会」(会長・渡具地武明氏)よりカンパ「御礼」状をお預かりしました。一括して小田切さんに送られたようです。会計・山口真理子さんにお届けします。なかに多額のカンパの方もあり(重ねて)有り難うございました。
斉藤真哉レポートは、コソボから再びパレスチナに戻りました(上掲)。風3229号まで16本の補遺、帰国後に送られてきたものです。本号でなんと26本目。ようやく終盤が見えてきました。
3239号【2014年1月27日】
■≪ビール3杯までの回復≫
3日寝て(名護行き中止)、3日ゴロゴロ・・・、その後の3日間は大事な集いが続きました。病みあがり、やや心配したものの、なんとか対応できてホッとひと安心。それぞれに懇親会あり、これを休んではせっかくのゴロゴロ休養が台無し、全スケジュールに参加しました。
第1日(24日夜)は、TOAFAEC 年報(第19号)編集会議。まだ足がふらつき、ビールはやっと1杯だけ。第2日は横浜夜間中学統廃合問題についの緊急集会(神奈川・横浜の夜間中学を考える会)、まだ本調子ではなく、ビール2杯ほど。あまり食欲はなく、加齢の故か回復が遅いようです。
第3日(26日)は韓国研究フォーラム(風の部屋)。この日ようやく本復の感あり。小さなコップながら3杯までビールが進みました。静かな酔いと語らいの余韻・・・を楽しんでいます。この間、ご参加の皆様(佐賀・高知を含めて)ご苦労さまでした。2014年が着実に始まりました。
横浜緊急集会は、中規模の集会室(神奈川公会堂)満杯、80人余の盛況。国会議員メッセージ、県会議員、市会議員がお見えになり、次から次へとご挨拶。関西や福島からのご参加もあり、全国的規模の集会となりました。同じ日、駅頭でビラくばりも行われた由、夜間中学関係者のエネルギーに感服いたします。庄司匠さんから集会・講演についてのコメント(上掲)をいただき、澤井留里先生からは感想(私信)、ありがとうございました。
集会後の駅前居酒屋での懇親会・写真1葉。庄司・澤井お二人のほか、関本保孝(文花中学)、須田登美雄(全国夜間中学校研究会事務局長、足立四中)両先生の顔も見えます。
▼集会後の語らい (東神奈川駅前、20140125)
3238号【2014年1月25日】
■≪HP「古いアルバム」≫
北海道大学の山田定市さんがお亡くなりになりました(風・前号)。ご冥福を祈ります。ぶんじんと同じ世代、さびしい限りです。日本社会教育学会やオホーツクの集会などでご一緒してきた歳月。追悼の思いで、手もとの「古いアルバム」から遺影を探しました。1992年「オホーツク社会教育研究会(第18回・10周年記念セレモニー)」の夜の集い、二人並んでいる写真1枚、HP「掘り出しもの」(18)に掲げました。まわりのオホーツク社会教育研究会の群像が懐かしい。お名前の分からない方があり(間違ってはいけませんので)キャプションを控えています。森田はるみさん(置戸町)に補足していただければ有り難い。お分かりの範囲で…。
→■
http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/albumhoridasi.htm
この機会にひとこと。「古いアルバム−掘り出しもの」20枚近く、いずれも1990年代以前の旧アルバムから抜いてシリーズにしています。画像はいい出来ではありませんが、資料的意味もあろうかと思い、あえてHPに載せてきました。しかし登場されている方(の関係者)のなかには、迷惑な写真があるかも?といつも気になっています。もし当事者で掲載を控えるべきとのご意向があれば、ご一報ください。ただちに撤収します。またキャプションの間違いなどあれば、ご指摘いただければ幸いです。
ホームページは、すでに容量いっぱい。それでも2000年代の初期の写真と入れ替えるかたちで、今年の研究会・集いの新しい画像を加え始めています。いつまで続くか、そろそろHPも終盤に近いことは確か。皆さん、よろしくご声援ください。
3237号【2014年1月23日】
■≪編集会議の扱い≫
入院加療中の伊藤長和さん(鎌倉)からお元気なメール。外来による抗ガン剤治療へ移行とのニュース、つまり退院のお知らせです(上掲)。自宅からの通院治療、まずはおめでとうございます。実は21日にお知らせをいただいていました。病状報告かと考えて「風」への掲載をむしろ控えていたのですが、載せるようにとのご指示、嬉しくなりました。お元気でなにより。鎌倉からの今日の富士山は、冬日快晴、さぞかし綺麗なことでしょう。家族ご一緒の姿が目に見えるようです。
南の風は、いただくメールのうち「風」に載せたものかどうか、迷うときがあります。「私信」と指示あればいいのですが、中間的な(限定的な)お知らせ、すでに特定MLでまわった連絡など。しかし迷う場合は動く!習癖がぶんじんにあり(ご注意ください)、ときに迷惑をかけていることもありましょう。
たとえば最近の例では諸「編集会議」の扱い。
いまTOAFAEC 関連では、三つの本・年報の編集企画が動いています。一つは東京の社会教育歩み再発見、二つに韓国の社会教育・生涯学習(2006年版・新訂版)、三つ目は「東アジア社会教育研究」19号企画(2014年版)。前2本はまだ書名も充分に確定していないので、東京本、韓国本と略称している段階。年報については、すでに20年の蓄積をもつ「東アジア」研究誌。
これまでの方針では、南の風を活用して、できるだけ拡げる方向で風に載せ、関心ある方はどうぞ!と呼びかけてきました。出版は本質的に社会的な運動だからです。もちろん内部的な編集会議が必要な場合もある。しかし最近は(閉鎖的な本づくりを真似て)編集会議が内向きに、よく言えば求心的に、閉ざされる傾向なきにしもあらず。韓国本の編集会議(金侖貞さん案内)を、あえて上に載せましたが、よかっでしょうか。
3236号【2014年1月22日】
■≪年賀状のお詫び≫
連日の風・配信が続きます。今年は1月2日から吹き始めて、本号すでに15本。まことに騒がしいことで、申しわけありません。毎号ご覧の方はお分かりのように、特別なトピックスが二つ。一つは名護市長選勝利の記事。一つは斉藤パレスチナ・コソボ「便り」。あと6本が登場を待っています。
昨年に続いてパレスチナ・レポートが寄せられた当初、やや挑発した記憶あり、反省?しています。驚くべし!これまでにない連載となりました。今まで見えなかったこと、知らないこと、たくさんありました。
名護市長選については、昨年末の沖縄県知事(想い出したくもない)背信があっただけに、やんばるから高らかに“かがり火”が燃えた感じ。療養中の伊藤長和さんからも元気な「祝賀」メッセージ(前号)。本号には武田拡明さんから興奮・感動のレポートが寄せられました。
社全協「通信」(上田幸夫さん担当)は、稲嶺市長が社会教育主事時代(1980年代前半)に「全国集会」に参加されたこと、また2002年「名護・全国集会」にご尽力、などの経過あり、島袋正敏さん(TOAFAEC
副代表)に一文をお願いするそうです。「通信」次号(250号、1月30日発行)の予定。楽しみです。
さて、言い訳・お詫びです。正月から南の風の発行に追われながら、頂いた年賀状にボチボチとお返し賀状を手書きしてきました。しかし、さすがに1月下旬となって出すのが恥ずかしくなりました。印刷済みの大半の賀状が残っていますが、多くの方に今年は欠礼することをお許しください。“春節にむけて”ここで一括してご挨拶申しあげ、年賀状が届かなかった皆様には伏してお詫び申し上げます。
3235号【2014年1月21日】
■≪地域“自決”の思想≫
19日の名護市長選開票日、深夜レポートを詳細(上掲)に有り難うございました。今回の選挙はウチナンチュの誇りを取り戻しただけでなく、われわれの民主主義の、とくに民意に直結する「自治」、地域「自決」の思想を強く主張することになりました。前号・本欄に紹介した稲嶺ススム選挙演説「最後の訴え」では、「名護のことは名護で決めよう」「私たちみんなで決める!」と力説していたことが印象的でした。政治的に寒い日々だけに、「暖かい名護の未来をみんなで創りましょう!」という呼びかけに大いに共感するところがありました。
明けて20日午前の合同記者会見、琉球新報が動画で収録。難しい課題を受けとめ、たんたんと話すススムさん。疲れもみせず、ご立派!です。
→■http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-218121-storytopic-3.html
さて今回、急に名護に行けなくなった体調不良。急性の風邪か、数日前に食べた生カキのたたりか、よく分からないまま、ちょうど2日間のダウン。いま3日目、久しぶりにおカユと梅干し、リンゴなど。幼い日、病に臥したとき、病後に母が用意してくれた暖かい食事を想い出しています。
◇病癒え母の給いしお膳には 嬉しクッゾコ煮付けのありし
クッゾコとは舌鮃(したびらめ)のこと。有明海の白身の魚(小さな目が二つ同じ側についている)、美味しく、病後にだけ特別に調理してくれました。生まれた久留米の町は、北の玄海と南の有明の二つの海にほど近く、激流渦巻く荒波に躍る魚だけでなく、遠浅の静かな砂地を好む魚貝たち、いろんな種類を、いい鮮度で味あうことができるまちでした。天秤棒で商いしていた馴染みの行商・魚屋さん、いまでも顔を憶えているほど。
ススム市長再選の朗報あり、こちらはもともと鬼の霍乱、もう大丈夫です。ご心配かけました。
3234号【2014年1月20日】
■≪名護の勝利≫
稲嶺ススムさんの名護市長選挙(1月19日投票)、上掲・沖縄タイムスの速報は投票が終了した午後8時の時点で「再選確実」と報じました。伊藤武彦さんからは早速「電子号外」(添付)。ぶんじんあてに名護の島袋正敏さんからのご報告、選挙事務所から山口真理子さん、福岡の横山孝雄さんなど電話をいただきました。恐縮しています。
実は名護行きの出発前夜から体調悪く、当日朝には悪寒・発熱・お腹もグルグル、近くのドクターに緊急の対応をお願いしました。とても沖縄に行ける状態ではないとドクターストップ。まわりにご迷惑かけることになってもいけませんので、やむなく断念。歴史的なお祝い「万歳」席上に立ち会うことができず、残念でなりません。
風・前号はちょうど24時間前、発熱のなか編集しました。セイビンさんから「名護の激闘・最終日−外は月明りで不思議な風景・・」で始まる印象的な一文。急ぎ組み込んだまでは上出来でしたが、うっかり斉藤真哉さん所属とダブってしまいました。正しくは、もちろん「黙々100年塾
蔓草庵」です。
選挙戦最終日の稲嶺ススム候補の挨拶、ユーチューブに投稿されていることを教えてもらいました。大勢の支持者に囲まれ、ゆっくりした口調で自信あふれる表情。この映像をみて、勝利間違いなし!と確信しました。
→■http://www.youtube.com/watch?v=UZAjr4ZXrzE
今頃、名護では勝利の美酒に酔っていることでしょう。喜びの歓声が聞こえてきます。やや冴えない体調ですが、これで元気になることでしょう。
3233号【2014年1月18日】
■≪基地利権にうごめく人々≫
この1ヶ月、『週間金曜日』が面白い。沖縄・名護市長選にまつわる記事です。「沖縄・辺野古へと策動する自民党」(973号、12/20)、「沖縄1/19名護市長選前夜」(974号、1/10)、「沖縄の怒り・名護市にのしかかる18年越しの重圧」(975
号、1/17)など興味深い特集。
とくに軍事基地という巨大公共事業への利権の構図、そこにうごめく人々の野合・葛藤が浮き彫り。「基地利権派たちのもくろみと大誤算」など(973号)、ドロドロの世界が垣間見えてきます。
1997年の名護・住民投票(海上ヘリ基地受け入れ反対票が賛成票を上回り、市長が一転して辺野古案受け入れを表明、そして辞任)、それから名護・辺野古では、つらい分断の歳月が続いてきました。当時の市長・比嘉鉄也氏のインタービュー記事(974号)が妙に目をひきます(今回の選挙でも辺野古容認派の最高顧問)。前回の市長選で、「〜今のままでは負ける、采配をふるってほしい」と要請され選対本部長へ。「たくさんの建設業者や請負業者に電話しましたが、多くの場合、秘書が・・」(974号)など。
稲嶺ススム陣営は、市民の思いを大事に、「次世代に負の遺産を残さない、新基地ノー!」(島袋正敏)の運動。私たちは“貧者の一灯”一口
500円カンパを募り、たくさんのご協力をいただきました。会計・山口真理子さんのメール。「…稲嶺ススム後援会からは、お礼状と領収書が私宛に届きました。私が代表していただいた形です。」「その後(2万円寄せてくださった方があります)4人で45,000円のご芳志が集まりました。それを持って、気持で1票を入れに名護へ参りましょう。」(17
Jan 2014 01:57)
3232号【2014年1月17日】
■≪那覇・名護へ≫
李正連さん・姜乃栄くんの講演会を企画した上平泰博さん(協同総合研究所)からのメール。「…いま頃は名護でしょうか。(市長選)熾烈な闘いが続いていることと想像しています。東京に帰られてからでかまいませんので、次のCMをひとつお願いします」との前文、上掲「新しい公共と市民自治」研究会の案内です。1月25日午後の日程。同じ時間帯で横浜では夜間中学統廃合に関わる緊急集会が開かれます(上掲、ちらし添付)。
名護行き、いま出かける用意をしているところ。まず前日に那覇に到着して「おきなわ社会教育研究会」の皆さんと交流、19日投開票日の当日やっと名護入りの予定。いま(昔のように)なかなか外泊できなくなりました。4年前の稲嶺ススム初当選の年には、決起集会にも出かけましたが、今年は陣中見舞いもままならず…、やっと3泊だけの支援体制をつくって東京を離れます。ススムさんの必勝を念じつつ。
前号に1月31日・今年最初のTOAFAEC研究会ご案内が出ました。名護のテーマ。今回の名護訪問者(小林・山口・武田)による報告会、ぜひお出かけ下さい。この日ススム当選祝勝会となるに違いありません。
→■
これまで沖縄本島を訪れる折には、よく石垣・竹富など(その昔は宮古や与那国にも)足をのばしたものですが、今はそうは行きません。人生思うとおりにはならないもの。これまで好き勝手に動いてきた報いかも知れませんね。竹富島にも最近はご無沙汰続き、お許しください。
風は連日配信なのに寄稿記事あふれ、コソボ便りは割愛、次号おくりへ。
3231号【2014年1月16日】
■≪社会教育「資料」の消失−その2≫
風・前号の発行日、一部の方に16日と書いたようです。実は発行が1日繰り上がって、正しくは15日、本号が16日発行です。ご訂正ください。
さて前号に続いて東京三多摩社会教育資料問題。前記「三多摩社会教育の歩み」研究では、当初から資料の掘り起こし、資料目録づくり、を大事な作業と位置づけてきました。文献調査・フィールドワーク作業のなかで出会った資料を多摩社会教育会館事業係(社会教育主事グループ)が丹念に目録にし、1988年から刊行され始めた同報告書にその一覧を付してきました。第3号(1990年)には社会教育史資料「目録」が分野別に約1200点。すべて所在情報を付し、なかには個人所有のものもアクセス可能な資料は一覧に含める努力。第一次資料への渇望が大きかったからです。ただし調査研究事業・後半部分「目録」は継続的に作成されず、心残りでした。
「斉藤峻資料」(約800点)、「丸田修二」資料(約1800点)−報告書第5集(1992年)に「目録」一覧を収録−のほか、佐藤吉雄、藤田博、服部照親(いずれも東京都社会教育主事)等の先輩諸氏、社会教育団体関係者を含む寄贈者は約15氏。名前は掲げていませんが、ぶんじんも個別に入手した東京都社会教育史料を、このコレクション(会館内・社会教育研究室の書棚)に合流させた記憶あり。
そこには共通して、ほんらい公的な性格をもつ社会教育資料を(私的に所有するのではなく)公的空間に戻して収蔵する、あるいは社会的資料として共有する、そんな熱い思いがあったからです。しかし公的機関への信頼が、結果的には貴重・稀少資料を失うことになってしまいました。同会館の事業が停止した2003年前後に、これらの資料群は職員(社会教育主事?)の勝手な判断でどこかに移譲、流出してしまったのです。私たち当事者(小林は主任研究員)が気づくのも遅きに失した反省あり。それにしても、まさか?まさか!の事態を知ったときの驚愕と怒り、いつまでも消えることはありません。
3230号【2014年1月15日】
■≪社会教育「資料」の消失≫
1月13日の東京社会教育史研究フォーラム(第11回)拡大編集会議の報告が届きました(上掲)。敏速な作業、有り難うございました。当日の充実した議論は、一夜明けても、ゆったり余韻が残っています。風には載せていませんが、舞い込む関連メールにもいくつか高揚感あり、きっといい本づくりにつながっていくことでしょう。
当夜の話題の一つに、社会教育資料の再発見・復元・共有の課題が語られました。歳月の経過とともに諸資料が散逸し風化していくだけでなく、東京では、今となっては取り返しのつかない資料廃棄・流出の経過があったこと。この機会にその取り戻しの努力も始まりそうな(ぜひ!)。あらためて(怒りをおさえて)経過など記しておくことにしましょう。
東京三多摩の社会教育の拠点となってきた都立「多摩(立川)社会教育会館」(1968年〜)には社会教育・市民活動の専門「資料室」が内容豊かに蓄積を重ねてきました。しかし同会館の主要事業が停止され、資料室も廃止(2002〜03年)、貴重資料を含む諸資料(約8万点)が居場所を失うことになったのです。その移管・救い出しには、当時、涙なしには語れぬほどのドラマ。その顛末はぜひ記録にしておいていただきたいこと。
ぶんじんたちは、会館の末期、1987年から1999年にかけ(13年間)三多摩そして東京全域への拡がりで「社会教育の歩み」を掘る調査研究事業に携わり13冊の報告をまとめてきました。
→■ その過程で上記・資料室とは別に「歩み」資料を集積してきたのです。三多摩各地のフィールドワークによって収集した資料、有志関係者が寄贈された資料、これに合流した斉藤峻資料など(約4千点)、これらも行方を失うことになりました。(続く)
▼東京社会教育史研究フオーラム(第11回研究会)拡大編集会議 (国立公民館、20140113)
3229号【2014年1月14日】
■≪思いは一つ≫
1月12日、注目の名護市長選が告示されました。新聞各紙が大きく報じています。今朝(13日)の名護・島袋正敏さんからのメール。「
… 相手候補は辺野古移設を積極推進です。私たちは、第一級にランク付けされる大浦湾(辺野古の海)の豊かな自然と生活の場を失うわけにいきません。残り6日間、この厳しい戦いを走り抜きます。」(上掲)
19日の投票・開票日に向けて、名護に入ります。山口真理子さんのメール。「
… 国際的にも注目されるこの選挙、是非とも是非とも勝っていただきたいです。武田拡晴さんも同行されます。武田さんにレンタカーを借りていただきました。…
19日9時〜20日12時まで。先生にもよろしく伝えてください、とのことでした。私は、18日…那覇に着いたら、まず鷲尾真由美さんの家に行き、そこから那覇グループの方たちとご一緒することにいたします。…」
今日13日は、東京社会教育史研究フォーラム・第11回研究会(拡大編集会議、於国立公民館、写真)でした。東京・社会教育史の再発見、どんな本を創り出すか、午後から夜にかけて(久しぶりの)長時間の論議が続きました。今年の初仕事というにふさわしい充実した時間。短くて結構ですので、どなたか「風」あての記録を送ってください。HPにも載せます。
この席上、とくに呼びかけたわけでもないのに、名護へのカンパをいただきました。有り難うございました。東京は名護から遠く離れていますが、稲嶺ススム勝利!へかける熱い思いは一つ。
3228号【2014年1月12日】
■≪南大東島の東さん≫
那覇から東の海上360キロに位置する大東諸島。沖縄では古来、大東島を「うふあがり島」と呼んできました。「うふ」は大きい、「あがり」は東を意味します。こんな説明も加えて、正月の朝日新聞(夕刊)が大東諸島(南、北、沖)の興味深いレポート「うふあがりをたどって」を載せています。5回連載、その最終回(1月10日)に懐かしい名前が目に飛び込んできました。もと東京都社会教育主事、「月刊社会教育」編集長もつとめた東寿隆さん(83)。脳梗塞の後遺症をかかえ、息子さん(東和明さん)が活躍している南大東島に移り、療養中だったのです。東さんについては南の風メンバーにもご記憶の方が少なくないと思います。
何年前だったか、沖縄大学・上地武昭さんからのお誘いもあり、一度お見舞いもかねて南大東島へ行こうと計画したことがあります。打合せで和明さんと電話でお話ししたことも。しかし日程的に実現しませんでした。
今回の朝日記事は、その後の消息を次のように書いています。東和明さんは「冬でも暖かく過ごせる島に両親を呼び、一家は合流した。しかし、昨年6月、脳梗塞の後遺症がある父の寿隆さんが食べ物をのどに詰まらせ、自衛隊機で沖縄本島に搬送された。今は那覇の介護施設に入り、静可さんもその近くに住む。…」
静可さんは、東寿隆さんの連れ合い、南大東島のご出身です。お二人で私たちの「沖縄社会教育研究会」(東京学芸大学)に何度か見えたことがありました。あれから四半世紀余り。今回の名護行きの機会にお見舞いに行けないものか。
▼古いアルバムより。「月刊社会教育」編集委員会(1980年)後列左端に東寿隆さん、隣はぶんじん。
→■(掘り出しものbV)
3227号【2014年1月10日】
■≪沖縄の非暴力のたたかい≫
1月8日「沖縄の新しい基地建設」中止を求めた海外識者・文化人ら29人の声明(上掲)は、年末からの重苦しい普天間移設・辺野古容認の動きに対し、明確に“ノー”をつきつけました。海外から吹いてきた暖かい応援の風。琉球新報・沖縄タイムス両紙とも社説(9日)で取り上げています。
呼び掛け人には言語学者ノーム・チョムスキー氏や、アカデミー賞受賞の映画監督オリバー・ストーン氏、北アイルランド紛争の解決に尽力したノーベル平和賞受賞マイレッド・マグワイア氏など錚々たるメンバー。
声明の主題は、「沖縄の人々による平和と尊厳、人権と環境保護のための非暴力のたたかいを支持します。辺野古の海兵隊基地建設は中止すべきであり、普天間は沖縄の人々に直ちに返すべきです。」
沖縄についての歴史認識、沖縄がいまなお「軍事植民地状態」にあることの指摘が印象的です。たとえば「…普天間基地はそもそも1945年の沖縄戦のさ中、米軍が本土決戦に備え、住民の土地を奪って作りました。終戦後返還されるべきであったのに、戦後70年近く経っても米軍は保持したままです。したがって、返還に条件がつくことは本来的に許されない….。」
「…戦後ずっと、沖縄の人々は、米国独立宣言が糾弾する「権力の濫用や強奪」に苦しめられ続けています。その例として同宣言が指摘する「われわれの議会による同意なしの常備軍の駐留」もあてはまります。」
琉球新報に収録されているプレス・リリースと声明文(全文)を拝借して添付しました。ぜひご一読ください。
3226号【2014年1月8日】
■≪感謝と敬服≫
新年会の記録が届きました(上掲)。有り難うございました。当日はるばると鎌倉からお越しくださった、療養中の伊藤長和さんからも一文が寄せられました(上掲)。無理をおしての出席、感謝・敬服の言葉もありません。当日冒頭の伊藤さんのご挨拶、いつもの「みなさ〜〜ん」の呼びかけに一同元気をいただいた(竹中薫さん・上掲)のでした。湘南から東京までの旅の1日、ご療養中だけにお疲れが残らないことを祈っています。
さて、南の風にはいま「パレスチナ便り」(斉藤真哉さん)連載が続いています。本号ですでに13本。現職の社会教育主事、多忙のなか年末から正月にかけて現地に入り。なまなましいフィールド・レポートが綴られています。パレスチナ便りだけでなく、数号後には「コソボ便り」(9本)も登場の予定。敬服のほかなし!
パレスチナとイスラエルの歴史関係はある程度の基礎理解があるとしても、セルビア人とアルバニア人が拮抗するコソボ問題は、南の風メンバーといえども直ちには理解できない?かも。しかし解説的なコメントもあり、「コソボ・パレスチナ・沖縄」(コソボ便り3)の意欲的な概括も試みられています。乞ご期待!です。ぜひ目を通してください。
旅の中のレポート送信、ナンバーリングに若干の混乱あり、また文中一部の(誤解を生みそうな)個所の表現など、少し微修正したところがありますが、もちろん内容はすべて原文のまま。送付されてきた順序を尊重して「パレスチナ便り」の途中で、「コソボ便り」を挿入する予定。「風」毎号1本の「便り」掲載、それでも1月一杯では終わらないかも。
▼新年会・伊藤長和さんのご挨拶 (木村雅俊氏・遠藤輝喜氏撮影、20140105/西永福)
私たちへの最後のスピーチとなった。写真移動→追悼ページ→■
3225号【2014年1月6日】
■≪新年会−思いがけない再会≫
今年は松の内の新年会(5日午後)。正月早々のスケジュールで参加できない人もあれば、逆に初めての(久々の)ご参加もあり、話題満載の新年会となりました。ご参加の皆様、有り難うございました。
昨年は上海から(名古屋滞在中の)呉遵民さんの顔が想い出されますが、今年は北海道から(東京滞在中の)森田はるみさんが最も遠くからの参加。次いで前号紹介の米山義盛さんが遠く信州から。手にいっぱいリンゴ・リンゴジュース持参で定刻に登場。ご苦労さまでした。
何よりの感謝は、療養中の伊藤長和さんが鎌倉からお出でになったこと。冒頭にご挨拶(写真)、早めに退出されましたが、私たちへの何よりの励まし。今年の初参加は、夜間中学の見城慶和・関本保孝の両先生、短く夜間中学の話も頂きました。ぶんじんとは「今年を基礎教育学会の元年にしよう!」とビールで盛り上がり。見城先生は興にのって見事なハーモニカ演奏を披露されました。ヤンヤの喝采。
思いがけない初参加は、1980年頃の東京学芸大学の学生、差別問題に取り組んでいた「解放教育研究会」メンバー。当時「学生部長」のぶんじんとは対峙していた仲です。いまは美術教師とのことですが、ギター持参で自ら作詞作曲の歌二つ、うたってくれました。プロ級の歌唱力、どこかのライブハウスで歌っているそうです(大崎靖史さん)。聞き惚れました。かっての学生運動からすでに30年余り、当時の“闘士”とこういう再会もあるのかと感無量でした。あと一人のギターは白井健二さん。どなたか報告を送ってください。
名護市長選へのカンパも想定以上のご芳志が集まり(上掲・山口メール)、ご協力ありがとうございました。
▼2014新年会(西永福、201400105) *伊藤長和さんは帰られたあと。
3224号【2014年1月5日】
■≪伊那谷よりリンゴ持参で≫
さきほど(4日夕)届いた米山義盛さんのメール。伊那谷のりんご持参で新年会に見えるそうです。「新年おめでとうございます。ご無沙汰しています。今『風』を見て明日(5日)の新年会に参加する事にしました。りんごは発送間に合いませんが、持てるだけ持って行きます。ただ朝のバスを予約しましたが、渋滞がどれだけあるか分かりませんので、時間に間に合うように行かれるか心配です。終わる頃までには着けると思います。皆様に宜しくお願いします。」
添付の「新年のコメント」は上掲。
関本保孝先生からの連絡。「夜間中学教員の関本です。2014新年会に参加させていただきます」と。思いがけない初参加、楽しみです。
堀尾正靭先生(名古屋)からは、電話で残念ながら・・・不参のご連絡。井口啓太郎さんメール。「新年あけましておめでとうございます。新年会、ご案内をいつもありがとうございます。毎年参加できず今年こそは!と思っていましたが、明日から仕事始め、青年たちとの活動がスタートします。誠に申し訳ありませんが、今年も仕事になってしまいます。…」
例年だと、頂いた年賀状からいくつかをご紹介していましたが、今年は名護市長選カンパお願いや、新年会関連ニュースでその余裕がありません。せめて1通。昨夜「遅まきながら…」と届いた谷和明さんの「明けない夜はない」写真(素晴らしい!東雲の朝焼け)に添えられた一文。
「日本の社会における服従国家的伝統(Obligkeitsstaatliche Tradition)の強固さを痛感させられた昨年でした。その克服が人類普遍の課題であることを確信しつつ、新しい市民的な政治文化の基礎となる文化・学習活動のありようを模索し続けたいと思います。×(震災後)4年
元旦」
3223号【2014年1月3日】
■≪新年会へ≫
稲嶺ススムさんの名護市長再選に向けての闘いは、対立候補側・辺野古容認派も年末に候補を1本化、正月に入って「激しい前哨戦を繰り広げている」(沖縄タイムス記事、上掲)。TOAFAEC 有志としても稲嶺ススム応援カンパ(1口 500円、もちろん何口でも)を呼びかけてきたことはご存知の通り(風3210号)。この数日でひとまず集約(第1次)、集計額を名護へお届けすることになりましょう。公式の選挙運動(告示1月12日)に向けて、さらなる応援の輪をひろげていただければ幸いです。カンパ送金先は上掲・山口真理子さんメールをご覧ください。私たちのTOAFAEC HP表紙にも「呼びかけ」を記しています。
→■
さて正月早々、新年会としては初めての松の内企画、1月5日(日)が明後日となりました。昨年と会場も変わりました。江頭晃子さん(新年会世話人)から送ってきた案内ハガキが手もとにありますので、添付いたします。これまでの常連だけでなく、とくに初めてのご参加大歓迎!皆さま、お誘いあわせの上、お出かけください。
斉藤真哉さん「パレスチナ便り」(上掲)が好調です。「コソボ便り」を加えると、未掲載が14本ほど。ご本人はすでに帰国したらしいのですが、「便り」はまだパレスチナ・コソボの地に滞留中。また、旅の記録と言えば、年末に岩本陽児さん「レディング通信」(昨年9月分)記録が10日分ほど一括して着信。少々困りました。なんとかHPにアップしたところ。
→■http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/iwamoto2012.htm
3222号【2014年1月2日】
■≪背筋を伸ばし誇りを掲げ・・・≫
新しい年が明けました。おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
我が家では、大晦日から息子一家がやってきて、賑やかな年越し。孫たちから、紅白に出演している人気の歌グループを教えてもらいながら、久しぶりの日本酒。日本の芸能文化はこれでいいのか、奄美や沖縄からの歌い手が一人もいないのはなぜ?など他愛ないことを言いあいながら、酔いがまわって・・・除夜の鐘へ。
元旦の沖縄各誌の社説・コラムは例年になく重い調子、痛切な響きです。「…昨年暮れ、安倍晋三首相と会談したときの仲井真知事の振る舞いは沖縄の古いことわざ(「物をくれる人が自分の主人だ」)を思い起こさせた。歴史の歯車が二回転も三回転も逆戻りしたような光景。復帰後、そこまで卑屈な態度を示した知事がいただろうか。」(沖縄タイムス
1/1社説)
「…辺野古埋め立て承認から5日。怒り、驚がく、落胆、諦観。沖縄に渦巻くさまざまな声が聞こえてくる。言葉にならぬ声もあっただろう。…沖縄の混乱を尻目に、圧力と分断を企てたやからが美酒を傾ける姿を想像する。県民は煮え湯を飲まされた。…嘆くまい。屈してはならない。諦める時ではない。背筋を伸ばし誇りを掲げ、足並みをそろえて歩もう、ウチナーンチュ。…」(琉球新報コラム「金口木舌」1/1)
年賀状の束が配達されました。ゆっくり拝読します。本号はパソコンに届いた年賀メール、海外・留学生からのご挨拶を紹介しました。「パレスチナ便り」は、その後も送稿相次ぎ、やむなく2回分を続けて掲載します。
2014
3221号【2013年12月31日】
■≪ご愛顧に感謝!≫
大晦日、本号は2013年最終の風となります。皆さまには、どんな年越しでしょうか。入院中の伊藤長和さんは自宅に帰ってのお正月とか(上掲)、一息ついておられることしょう。当方は、この年の瀬(これまで、もっぱら出歩き遊び呆けてきた報いか)年越し迎春の買物を含めて、家事いろいろ、忙しい毎日となりました。九州・油山での越年など夢のまた夢。
今年後半は、7月・10月と家人の入院騒ぎが重なり、外泊を控えてきました。たまたま学会も全国集会も首都圏で開かれ、欠席せずに済みましたが、それにしてもTOAFAEC
研究会の夜の集いなど、よく飲んでいる(HP写真)自分に呆れています。
今年を振り返ると、定例研究会が18年をこえ、200回を迎えたこと、何より感慨深いことでした。歳月が経過すると、当然そこに歴史が生まれる。研究的な歴史だけでなく、参加してきた若者たちの人生史と重なって、12月例会・ボヤンバートルとの再会に象徴されるような、言い知れぬ喜びがありました。新しい年、この歴史にどのような蓄積を加えることになるか。大学等の同世代ゼミにはみられない、世代から世代への、東アジアの海を超えての、課題から課題を結ぶ、出会い・交流・対話の輪が拡がっていく努力を重ねたいと思っています。
1月5日は、新年会として初めて松の内の開催。ご都合のつく方お出かけください。初めての方も大歓迎! 定例研究会は最終金曜日31日です。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/yotei1401.htm
あらためて今年の風へのご愛顧に感謝します。良い年をお迎えください。
3220号【2013年12月29日】
■≪南の風、この1年≫
南の風の配信は、大げさに言えば、盆も正月もありません。寄稿があれば、ある程度の速報性をウリにしている立場もあり、可能な範囲で折り返し配信の風に仕立てたくなるのです。これが15年余り続いてきました。
昨年の暮からは、とくに東京都板橋区の斉藤真哉さん(社会教育主事)が冬の休みにパレスチナに入り、連日ときに数通の勢いでメールが着信するようになりました。その探求心、フットワーク、メール送信のエネルギーに敬意を表し、当方も負けるものか!と風・編集に励み、毎号に「パレスチナ便り」を収録していることはご存知の通り。それでも、すでに6通の便りが溜まっています。ご立派!
お互いご苦労さま。
加えて沖縄・辺野古移設をめぐる問題や首相の靖国参拝の動き、それに対して皆さんから活発なメール来信。本号には稲嶺進・名護市長の沖縄県知事への強い抗議文を載せました(12月27日、上掲)。
昨年12月、風3000号に到達した折の騒動を想い出しています。あれから1年、220
本の風が吹きました。毎年だんだんと風の勢いが増しているのはご同慶の至り。喜びであり、しかし悩みでもあります。発行人は毎年加齢・老化していくのは疑いない事実。風の勢いとのギャップに困惑しているというのが正直なところ。さて今後、どうしたものか。どこかで“おしまい”を迎えるのは風の運命、いい智恵を出したいものだ、などなど。
いつの間にか、ふっと風は吹き止む、そんな美学を夢見て、機をうかがってきた1年。まずは各位の期待に応えて、今しばらくはガンバロウ!と。
3219号【2013年12月28日】
■≪思いあふれて年の暮≫
「靖国」については、戦時体験をもち軍事教育を受けた世代として、言うに言われぬ違和感・拒否感があります。軍国少年たちは、整列し軍歌をうたって出征兵士を送り、その勇士の(靖国に祀られる)「英霊」の白木の箱を迎えた体験をいまも忘れません。同時に沖縄にとって「靖国」とは何か。それは「…ゼロ歳児が英霊としてまつられる“ねつ造された”空間でもある」(琉球新報・社説、12月27日、上掲)。首相靖国参拝の「偏狭な歴史観」は共有できない(同・社説)、まったくその通り。
許せない!怒り、やりきれない!憤り、悔しさ、虚しさなど、さまざまの思いを残して、今年も暮れていきます。那覇から来たメール(私信)。
「…明るいお正月を迎えられる、という県知事!!に、私たちが負けていられましょうか。辺野古を守りたい市民は、身体を壊さないよう、いたわりながら、これからも闘っていくでしょう。高江のヘリパット建設工事の監視活動も年末年始続けるそうです。こうした人々の意思と行動が、復帰後新たな基地を作らせないできたのです。“私たちは諦めない”を合言葉に、市民的不服従は続いていくことと信じています。名護の稲嶺ススム市長をなんとしても再選させたいです。」(Thu,
26 Dec 2013 15:37)
これに応える東京からのメール(抄)。「…沖縄に、名護市に、選挙権を持っていないことがもどかしい。1月19日の市長選、先ずは勝利を祈って。皆さん、本当に心と身体をお大切に。」(Fri,
27 Dec 2013 16:36)
◇捨てきれぬ思いあふれて年の暮 ◇悔しさと憤り載せて暮の風
3218号【2013年12月26日】
■≪奄美フィールドワーク≫
12月25日の阿倍首相・仲井真沖縄県知事の会談。26日の朝刊は一面トップに「辺野古埋め立て承認へ」(朝日)と大見出し。驚きました。沖縄県知事は首相の基地負担軽減策を「驚くべき立派な内容」「いい正月が迎えられる」と。そして26日正午ニュースでは、阿倍首相の靖国神社参拝を報じています。国際的にも大きな反撥は必定。これからどう動いていくのか。
さて前号に続く奄美研究について。琉球弧の島々には、それぞれの島に独自の歴史があり、その中に社会教育の歩みが織りなされてきました。その固有の歴史を“発見”し記録していく課題、その面白さを、とくに奄美フィールドワークは教えてくれたように思います。
1980年代の初期、数次にわたる奄美調査。ぶんじんは大学「学生部長」の職と重なって、東京を離れるのに苦労した思い出があります。調査日程の半ばに、大学から「すぐ帰れ」と連絡が来て、調査から離脱、港で別れの手を振ったことも。しかし苦労が多かっただけに、前記『沖縄社会教育史料4−戦後奄美の社会教育』の編集・刊行は忘れ難い作業となりました。この資料集をもとに、奄美について1冊の本を仕上げる企画も動きましたが、力不足で実現にいたらず残念!
奄美調査資料を生かして小林「海を越えた教育基本法」(「季刊教育法」、1984年春季号)を書くことが出来ました。また古賀皓生・上野景三のお二人には、「占領下奄美における社会教育の展開過程」(『民衆と社会教育』1988年、所収)の力作。奄美復帰運動は「名瀬市連合青年団によってその幕が切って落とされた」こと、青年団運動幹部たちには逮捕・投獄が繰り返され、占領軍当局・公権力と「これほど対峙した青年団は他に例をみない」ことなど、迫真の記述が残されています。
奄美では12月25日の復帰記念日にさまざまのイベント企画が伝えられていますが、「奄美群島青年団連絡協議会を中心とした実行委員会」主催、「12青年団のつなぐ言葉」などの記事(南海日々新聞)があり、青年団が活発に生きている様子、なるほどと思いました。本号は長くなりました。
3217号【2013年12月25日】
■≪奄美復帰60周年−奄美の発見≫
伊藤長和さんの病床メール(上掲)は、「南の風への掲載をお願いします」との添え書き。思いがけない「クリスマスプレゼント」にびっくり。お見舞いに行かれた別の方の報告(私信)も頂きました。「闘病生活」は終結したと思っていたのに…まだ続くようですね。頑張ってください。昔みんなで歌った荒木栄の「がんばろう」を思い出しました。「〜闘いはここから 闘いは今から!」
本号は短い紙数の中に、八重山、奄美、パレスチナ、内モンゴル、と話題が連なって「南の風」らしい?拡がり、風も冬の休みに入った雰囲気。とりわけ「奄美復帰60周年」記事は印象的。12月25日は1953年・奄美復帰が実現した記念の日(上掲)。昨晩(24日)のNHK9時ニュースウオッチも、当時の感激あふれる「奄美復帰」の古い映像を流していました。
私たちの沖縄研究(1976年〜)の歩みには、数年の忘れがたい奄美調査の歳月がありました。戦後社会教育史としては、まったく空白の「奄美史」。私たちは「社会教育史における奄美の発見」の視点から、ほとんど散逸しかけていた史資料と証言を集めて、労作『沖縄社会教育史料・第4集−戦後奄美の社会教育』(1982年、A4版 242頁)を編んだのでした。今から30年前、奄美復帰30年の頃です。戦後日本の社会教育改革は、琉球弧の島々を渡って、沖縄にたどりついたという仮設を追いかけたのです。本土に密航して教育改革資料を運んだ教師たち、奄美教育基本法や社会教育条例の制定、全市町村への公民館構想や「成人教育主事」、復帰運動に果たした青年運動の活力など、身を震わすほどの“奄美の発見”に酔ったものでした。
3216号【2013年12月23日】
■≪冬至の夜、月影さやか≫
2013年、あと1週間あまりでおしまいです。月日の過ぎるのは早いもの。今年はとくに連れ合いの救急車・入院騒ぎが2度も重なって、内外のうち内側は多事多難の年。しかし振り返ると二人だけの時間が多くなって、思わぬ新婚気分を味わう年となりました。そして、あっと言う間の1年。
今日(22日)はお昼から楽しく飲みました。忙しい皆さんに申し訳ない。冬日ながら東京は天気晴朗、すでに正月のような気分です。TOAFAEC
定例研究会の5月のゲスト、白井健二さん(法務省大臣官房・広報室長)が愛娘(響子さん)を連れて現われたのです。お互い旧知の八朔友二さんにも声をかけて、気のおけない食事会となりました。わいわいと車椅子を押しながら、いきつけの香港料理店(1月5日・新年会場)へ。昔の油山の庭料理(農中茂徳さん)の思い出や、喧噪をきわめた新年会にも話が及びました。過ぎし日の、わが青春?の回想にふけって昼酒を楽しんだ冬至の1日。
前号本欄の続き。伊藤長和さんにボヤンバートルのアドレスなど連絡したところ、病室からご返事をいただきました。(22
Dec 2013 15:41) 「…お蔭をもちまして、ボヤンバートルさんとお別れのご挨拶ができました。ありがとうございました。病院では、インターネット(Eメール)はできません。長女に相談したら、EM(イーモバイル)社の通信USBを賃借してくれました。1月3880円です。私にとって命の絆の「南の風」も病室で拝読できております。…」
さすがに夜は冷えています。冬の月が輝いています。今晩(22日)あたり月齢十九夜か。わが思い月と語らん冬至の夜。
3215号【2013年12月22日】
■≪今年最終の研究会≫
20日の12月(TOAFAEC)研究会・忘年会では、皆さん揃っての写真撮りを、うっかり忘れました。帰路の高井戸駅の別れ際に(思い出して)残ったものだけ、ボヤンバートルさんを囲んで1枚(下掲)。当日の参加者のうち、若い世代はみな帰ったあと、残念! 古い?世代だけの写真です。
今朝(21日)療養中の伊藤長和さんから頂いたメール。
「今朝6時半の窓の外はさらに新雪をまとった富士山がそびえたち、山頂真上の天空には、まだ光り輝く月が残り、日本画を見るような美しさでした。昨晩20日は、収めの定例研究会と恒例の忘年会で、盛り上がったでしょうね。私も、参加したかったです。ボヤン・バートルさんの発表はいかがでしたか。… ボヤン・バートルさんの、東京での携帯電話番号とEメール・アドレスをご存知でしたら教えていただけないでしょうか。お別れのご挨拶をしたいと思います。…」(Sat,
21 Dec 2013 07:17)
ボヤンバートルさんの報告は「草原の今」と題して、気合いのこもったボヤン節でした。短い時間に中国の少数民族がかかえる諸問題−土地所有、資源、環境問題から貧困、教育、言語、自治、文化にわたる、聞き応えある内容。日本語も衰えず、民族のアイデンティティと独自な思いは切なるものあり。23日に帰国するそうです。「風」へ報告をお待ちしています。
木曜日19日に日本を発った斉藤真哉さん(板橋区大原社会教育館、社会教育主事)から、「パレスチナ便り」が届き始めました(上掲)。昨年も年末・年始にかけて、パレスチナから12通+エジプト4本の便り。今年は何本届くか。期待あり心配でもあり。無理をしないで無事帰国を祈ります。
▼右より3人目・ボヤンバートルさん。若い世代5人は帰ったあと (帰路・高井戸駅、20131220)
撮影・遠藤輝喜さん
3214号【2013年12月20日】
■≪名護市長選へのカンパ−第1次報告≫
名護・稲嶺ススムさん市長選勝利に向けて、HP表紙(中央下)に呼びかけています。「私たちの友人・稲嶺ススムさんの市長再選を祈ってカンパを呼びかけ中。圧倒的な勝利に向けて、TOAFAEC
有志として、応援の気持を届けたいと思います。1口 500円、2口でも3口でもご芳志をお寄せいただければ幸い。郵便振替(口座番号00130−4−352936)にお振込みください。寄せられたご芳志は、お名前と住所を添えて、稲嶺ススムさんにお届けいたします。」(TOAFAEC・山口真理子)
さきほど山口真理子さんから届いたメール、カンパの第1次報告。「南の風3210号の500円カンパの呼び掛けに応じて、早速、5名の方からご芳志をいただきました(ご芳名・略)。本来、お一人お一人にお手紙差し上げねばならないところでしょうが、『南の風』誌上で、お礼を申し上げることで、お許しください。カンパとそれに込められたお気持ち、ありがとうございました。いただいたメッセージ、簡単にご紹介します。
○少ないですが、気持ちばかり…、○名護までは行かれませんが、皆さまによろしくお伝えください。○必勝を信じています。○南の風で拝見しました。稲嶺ススム再選応援のカンパ、わずかですが送りますので、よろしくお願いします。」(Fri,
20 Dec 2013 11:52)
今日のTOAFAEC 12月定例研究会に、はるばる奈良から「参加申し込み」が舞い込みました(上掲)。奈良教育大学大学院のサラナさん(留学生)。草原を駆ける駿馬のような勢い。「風」紙上では話題の人ですが、今日はじめてお会いします。楽しみ。
3213号【2013年12月19日】
■≪東京社会教育史研究の歳月≫
前号本欄の“苦言”に応えて、折り返しの勢いで、東京社会教育史研究フォーラム・12月12日の記録が届きました(上掲)。早速HPに研究フォーラム第10回記録として収録。有り難うございました。
昨年9月末に第1回を開いた同フォーラム。この1年余りに5〜6回の事務局会議(風の部屋ほか)も精力的に動き、まずまず活発に1年を刻んできた実感があります。事務局の諸氏、ご苦労さまです。来年は本づくりへ向けて、苦しく・・・いや楽しい作業が待っています。
1年の終わりに、いくつかの回想が蘇ってきます。東京の社会教育史については、これまで何度かの取り組みがありました。まず、1980年からの杉並(原水禁運動と公民館)研究。次いで1984年の科研費による沖縄・地域史研究と連動した東京都社会教育関係者の証言収集。それを受けて1987年から10年余り続いた三多摩社会教育の歩み研究。そして2000年代に入って再度の杉並研究など。いずれも記録や資料集を(不充分ながら)残すことができました。その概要は当HPの、とくに「前史」部分をご覧下さい。代表的な東京都社会教育主事・故斉藤峻さんの写真も掲載しています。
→■
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tokyoforumu2012.htm
この1年を通して再確認できたこと。@首都・東京の社会教育史資料は多彩、そのなかには光彩を放つ部分が少なくない。Aそれらがいま忘れられ風化しつつある。B証言者や貴重な資料が今だと現存し、再生できる。C世代から世代への語り継ぎ、世代間の対話が大事だ。D歩みの再発見を通して、(行政だけでなく)市民活動・実践を含め、これからの展望や可能性をえがきだす必要がある。振り返ると重要な1年でもありました。
3212号【2013年12月17日】
■≪記録の共有−深まりと拡がりと≫
中国・赤峰学院のトクタホさん(年報18号執筆者)にまだ同・年報が届いていない?とのこと(上掲)、気になりました。他の執筆者や編集委員へはどうでしょうか。ご確認の上、対応を急ぎましょう。まずボヤンバートルさんが年内に帰国予定であれば、幸便に託して、フフホトより赤峰あて送付願いましょう。黄丹青さんからは、早速「…私の方から送りましょうか」(Mon,
16 Dec 2013 22:45)のメール、有り難うございます。ボヤンバートルさん帰国が(年末でなく)来年に延びる場合は、お願いしましょう。TOAFAEC
事務局で調整してください。
先日(12日)開かれた東京社会教育史研究フォーラム(研究会)の記録を心待ちしています。TOAFAEC(及びぶんじん)がHPをたどたどしく開いてきたのは、諸活動・広報とともに、その記録・共有を大事にしたいからです。記録の最後には、次回の日程をぜひ予告願います。その積み重ねが研究のネットワークを拡げ、編集を実りあるものにしていくはず。
東京社会教育史研究フォーラムについては、この数ヶ月、事務局会議が活発に行われ、深まりを見せつつある反面、研究フォーラムとしての拡がりが見えなくなってきたのではないか。また予定日程が事務局判断で急に変更されるのは、結果的に参加者を少なくしてしまう、と思います。
編集作業の進展と深まりが、その活動ネットワークの拡がりにつながるよう、ご留意いただければ幸い。思わず(心ならずも)苦言を呈してしまいました。お許しください。
3211号【2013年12月15日】
■≪過ぎし日の若き相貌≫
新年会ご案内(上掲
→■)の時候となりました。江頭晃子さんはじめ世話人各位、ご苦労さまです。ずいぶん昔に書いた記憶がありますが、福岡・油山の家が出来た頃、当初の新年会は福岡だけ(1970年代〜)、東京ではまだ開いていませんでした。正月は福岡で迎える慣わし。
たとえば1983年末には、沖縄フィールドワークを企画し、大晦日に沖縄から九州へ上陸。みな油山に泊まって、正月2日に新年会でした。この年の沖縄の旅には中国の韓民(東京学芸大学留学生・当時)も参加。正月一日は、九大遊学中の中国(国費)留学生たちが集まってきました。ノートにはこんな戯れ歌を書きとめて・・。
◇元旦の蒼空高く鐘ひびく 中国青年と油山に遊ぶ(1984年1月1日)
1984年1月15日(成人式)に東京・永福で新年会「パーティを開く」と記録が残っています。当時ぶんじんは大学・学生部長。共通一次試験の日程と調整しながら、東京の新年会行事が賑やかに定着していきました。小さな自宅マンションすべてを開放。当時は昼頃から深夜まで延べ50〜60人がつめかけました。終わるのが大変!酔っぱらいが眠りこけ、足の踏み場もない。ある年は自宅を離れホテルに部屋をとって過ごす始末。
その後、近くのレストランに会場を移して新年会を催すようになりました(1990年代〜)。しかし近いのが災いして二次会はいつも小林宅。2000年代は「風の部屋」で別れを惜しみ、午後9時頃にはお開きに。八朔友二の三三七拍子が忘れられません。ここ一両年は二次会も近くの店で。福岡の新年会はいま開いていません。というわけで、来年の(東京での)新年会はちょうど30周年ということになります。
◇春ごとに過ぎゆきし若き相貌を忘れず八十路の坂を歩めり(12月15日)
3210号【2013年12月13日】
■≪7年前の写真≫
伊藤長和さんの「私の闘病生活」最終回が送稿され、HPにもアップしたあと、再び入院のニュース(上掲)。本欄でも再度のお見舞を申し上げます。まさに“闘病”とはこのこと。昨日(12日)のご連絡は次の通り。
「再入院・・・早速、各種検査が始りましたが、10日ほどの入院だそうです。…(中略)…20日の定例研究会を楽しみにしておりましたが、どうやら出席できそうもありません。…ボヤン・バートル先生によろしくお伝え下さい。」(Thu,
12 Dec 2013 08:42)
いま来日中のボヤンバートルさんを追っかけて、フフホトからお連れ合いが東京滞在中。2006年8月に私たちが(伊藤長和さんも)フフホト訪問の際には、歓迎の宴をはってくださった仲です。しかし、今回は当方に時間の余裕がなく、ようこそ東京へ!の歓迎の席を用意できず、策に窮して12日夜「東京社会教育史研究フォーラム」後のイーストビレッジにお誘いしました。ボヤンバートルさんからの返事。「…私たちのこと、あまり気にしないで・・・来年また日本に来るチャンスがあると思います。」
13日帰国の前夜だったのです。残念!
お詫びにもなりませんが、7年前のフフホトの夜の写真を探し出して1枚掲げることにします。彼女の歓迎の歌に踊り出そうとするぶんじん。見事な歌い手、あの夜の朗々とひびく声は今も耳に残っているほど。「2006年・内モンゴル訪問」記録は別ページに掲載しています。写真もいろいろ。あちこちに伊藤長和さんの顔が見えます。
→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/mongor2006.htm
▼フフホトの夜 (20060830)
3209号【2013年12月11日】
■≪「基礎教育」を考える≫
映画「ハンナ・アーレント」については、福岡からこんな便りも舞い込みました。「ご無沙汰いたしたおります。奥様、その後ご様子如何でしょうか。毎朝、南の風、拝見いたしております。久留米の水天宮をブログに書きました。…明日はハンナ・ハーレントをKBCシネマに見に行く予定です。これから冬本番です。ご自愛下さい。」(Mon,
9 Dec 2013 18:52)
横尾成臣さん。油山に帰った折、よく訪ねてくれる人です。1965年前後の学生ですから、すでに70歳? 大学教員としての私の最初の“教え子”です。東京では(上記・小田切督剛さんメールのように)岩波ホールのチケットが連日すぐに売り切れている状況。福岡はどんな様子かしら。横尾さんは「南の風」を送っているメンバーではありませんが、HP収録(ぶ)欄の読者らしい。最近は油山に行く余裕がなく、農中茂徳さんともども会えなくて(飲めなくて)残念です。
3206号「基礎教育学会への模索」について、大阪の森実さんから「私も大いに関心のあるテーマ」とコメント(上掲)が寄せられました。「可能な限り参加したいと考えております・・・」とのこと。「成人基礎教育」の意かとお尋ねもありました。夜間中学の先生方は「義務教育」学校の立場から「基礎教育学会」への強い期待がありますから、「成人基礎教育」より更に広い関心、識字実践・成人基礎教育を含めつつ、「学校」に関わる制度概念としての「基礎教育」学会への構想を考えているのですが・・・。
このあたりのことも含めて、準備的に語りあう機会をもつことができれば幸いです。学会シーズンも終わってすでに年末、無理になってはいけませんが、来年になって、森さんなどが東京に見える機会があれば、お知らせください。可能な範囲で研究会的な集まりを企画したいもの。
3208号【2013年12月9日】
■≪名護市長選(1月)カンパの呼びかけを≫
前号・12月研究会ご案内の中で、ゲストのボヤンバートルさんにお願いしたテーマは「モンゴルの草原はいま」です。転記の際に、うっかり「高原」と書きました。ぶんじんの(いつもの)ミス。お許しください。
静養中の伊藤長和さんから「TOAFAEC/200回研究会を寿ぐ」メッセージをいただきました。とどいたメールによれば、この間、ときに発熱もあり、「
… 現在はまた病院通いを繰り返しております。放射線治療の後遺症でしょうか、だるい、眠い、食欲不振に襲われ、気力も減退気味」とのこと。しかし、いただいた祝辞(上掲)は、長文(2回にわけました)で気力のこもった文章、有り難うございました。まずは静養第一、お大事になさって、一歩ずつの快癒を祈っています。
名護市長選(来年1月19日)がすぐそこまで迫ってきました。この間の普天間移設問題、名護辺野古をめぐる動きを、山口真理子さんが送ってくださいました(上掲)。4年前の激戦が思い出されます。あれから早くも4年。日本中が見守る選挙、アメリカの極東戦略にも影響する市長選挙。東京からも物心両面の・・・といいたいところですが、心からの応援と貧者の一灯を寄せたいと思います。4年前を思い出し、500円カンパ(もちろん何口でも)を呼びかけましょう。山口真理子さんに再度の檄文をお願いできないでしょうか。
大阪教育大学の森実さんから「基礎教育学会」構想(風3206号・既出)についてコメントをいただいています。次号に掲載します。
3207号【2013年12月8日】
■≪重い映画二つ≫
家事を抜け出して(衝動的に)岩波ホール「ハンナ・アーレント」を観に行きました。風3201号に上平泰博さんが書いていたから。岩波ホールは混雑情報を出し、昼の部も夜も売り切れ。満席の岩波ホールは初めての光景でした。重い映画です。それでも前の方から、終始いびきが聞こえてきたのもご愛嬌。よく眠った人がいたようです。「30代くらいまでの若者しか理解できない」(上平さん)とありましたが、観客は年配者が多かった。
高名な哲学者「ハンナ・アーレント」の波乱に満ちた人生を実話に基づいて映画化(2012年)、今年のドイツ映画作品賞や主演女優賞をとった作品。アレンの師である(恋人でもあった?)M,ハイデガーも登場します。
何百万人ものユダヤ人を収容所に送ったナチスのA,アイヒマン、逃亡先で逮捕されイスラエルでの歴史的な裁判、それに立ちあった哲学者。「考えることで強くなれる」という信念のもと、アイヒマンの「悪の凡庸さ」を主張し続けます。ナチス犯罪者は「自分の意志を介在しない、人間であることを拒絶した者」だと。自ら強制収容所の体験をもつ哲学者だけに波紋は大きく、誹謗中傷の渦のなか、大学からは辞職勧告を受ける、その中での「凡庸な悪」の主張。混迷のなか信念をもって強く生きるメッセージ。
一度だけでは理解できない映画、あと一度観る気力もない、そんな夜でした。ところが、同じ夜(6日深夜)に、NHK/BS「カティンの森」(アンジェイ・ワイダ監督)が放映されました。ポーランド軍将校が旧ソ連当局によって大虐殺(2万2千人)された悲劇。映画最終の虐殺場面は、2度と見たくないと思っていたのに、また見てしまった重い夜。「凡庸な悪」とは何か、また考えさせられたことでした。
同じ夜、日本政府は「秘密保護法」を成立させました。「凡庸な悪」がはびこる時代が再び到来するのか。させてはならない!
3206号【2013年12月6日】
■≪「基礎教育学会」への模索≫
数年前から「基礎教育学会」の構想を、夜間中学の先生方と語り合った経過があります。社会教育学会やTOAFAEC
関連の自由な集いで、話題にしたことも…。それを記憶されて関本保孝先生から「夜間中学の現在と学会設立の必要性」(上掲)が寄せられたのでしょう。この段階で、もっと積極的に動いてほしい、期待は大きい、とのメッセージがこめられています。
南の風でも、9月に一つの動きがありました。14日〈土〉の夜間中学の集いで話題になったあと、庄司匠さん(夜間中学校と教育を考える会)からの「基礎教育の概念」同「補足」(風3159号、3165号所収)。これを受けて釧路の添田祥史さん(北海道教育大学)のコメント(3163号に収録)。
また大阪教育大学・森実さんから「地域の識字・日本語学習支援体制を作る」同大学・中期計画や、「広く日本に「識字日本語学習推進法」(仮)などの制定をめざす」思いが風に寄せられました(3156号)。
1ヶ月ほど前に開かれた東アジア研究交流委員会の小さな集まりで、小林は「日本(or
東アジア)基礎教育学会・構想」を語りました(11月4日,東大・李正連研究室)。この日の論議は、石井山竜平さん(東北大学)が風3189号に報告しています。「東アジアという繋がりのもとでも深めるべき大事なテーマ」「今後、委員会としても、このテーマに関わる研究を積み上げていきたい」など。この席では、日本社会教育学会のなかで「基礎教育」「識字研究」等に関心ある研究者のお名前が10人ほど挙がりました。
夜間中学の関係者や関西の方々とも相談して、いちど準備・模索の集まりをもってみては如何でしょうか。年内は無理としても、新年の集いを企画できないでしょうか。
3205号【2013年12月5日】
■≪師走のスケジュール≫
連日の風が続いています。冬の風ですが暖かい風です。3200号を期して、アドレス帳の整理。とくに便りが途絶えている人たちに「風・継続しますか?」の確認を出し、これにご返事がない方を配信アドレス帳からはずす作業です。最終的には10人前後の方に(これまでのご愛顧に感謝しつつ)お引き取りを願って、これからの新しいリストを作成します。今でもポツポツと新参加者あり、配信の全体数は微増で推移しています。
今回のアドレス帳は本号まで、次号からは新アドレス帳に切り替わります。これでお別れする10名前後の皆さん、長い間お付き合いいただいて、ありがとうございました。もし再開ご希望があれば、いつでも復活いたしますので、ご遠慮なくご一報を。
師走のスケジュール、皆さんそれぞれに忙しいご様子、何よりです。東京社会教育史研究フォーラム予定がやや右往左往しましたが(風・前号)、今年の締めの活動日程は、韓国・中国・東京の各フォーラムともに確定し、HPにも書き入れています。韓国(2日/済み)、中国(20日)、東京(12日)の予定。
→■
TOAFAEC 定例研究会は201 回、中国研究フォーラムと合同開催のかたちで、12月20日(金)夜に開かれます。来日中のボヤンバートル氏(内蒙古師範大学教授)を招き、「モンゴルの草原はいま」をテーマに話して頂き、終了後は忘年会の予定。すでにその「ご案内」原稿は頂いていますが、掲載が遅れ(誌面渋滞)、次号以降に載せる運びとなります。ご容赦を。
3204号【2013年12月4日】
■≪12月12日に東京社会教育史研究会≫
かって(2000年代はじめ)初期「公民館の風」を発行していた頃、よく長文で寄稿いただく何人もの常連あり。いつも嬉しい悲鳴をあげたものです。たまたま本号には当時の長文コンビが並びました。お一人は立柳聡さん(福島県立医科大学)「子どもNPO全国交流会2913」のご案内。そして木下巨一さん(飯田市公民館)「岡山の公民館を訪問してきました」の長文レポート。有り難うございました。当時の懐かしい思い出が蘇ります。
いま、ちょうど風3200号アドレス帳切り替え時。誌面は満杯状態、連日の配信中。やむなく立柳さんの文章は大幅に抄録(詳細は添付で読んでいただく)、木下さんの報告は二つに分け、後半は次号にまわしました。ご了承をお願いします。
あと一つ、冒頭に掲げた東京社会教育史研究フォーラムについての経過報告(斉藤真哉さん、同事務局長)、風に載せていない別便には次の通り。
「皆様 この度は当方の体調によりまして、東京社会教育史の出版・編集についての段取りが不十分となり、ご迷惑をおかけしまして申し訳ございませんでした。次回の編集会議は、12月12日(木)19時〜21時まで、高井戸地域センター第2集会室で開催することとなりました。…略…」
もともと12月7日(土)午後から、ゆっくり時間をとって論議しようという計画でした(HPにも掲載
→■)が、事務局主要メンバーの都合が合わず、12日(木)夜の開催となったもの。拡大編集会議として開かれます(上掲)。やや急なご案内となりましたが、ご関心ある方々の参加をお待ちします。
先日(11月30日)の社全協60周年の集い、夜の部・レセプションの写真を金ボラムさんから送っていただきました。風3202号の関連、本号に掲げます。
▼レセプション開幕、乾杯の挨拶 (日本青年館、20131130)
3203号【2013年12月3日】
■≪韓国本・改訂版の試み≫
11月29日の200回研究会報告が届きました(上掲)。有り難うございました。岩本陽児さんからは速記的な記録も添えられています(重ねて感謝!)。生(なま)記録なので、南の風には添付を控えておくことにしました。もし、とくにご関心ある方は、個別にご一報ください。
さて、師走の最初の集いは、2日午後の韓国本・改訂版の編集会議。皆さんは西永福「風の部屋」までお越し頂きました。ご足労かけて申し訳ありません。陽がまだ西に残っている時間、ワインクーラーの出番はありませんでした。それでも風3197号に紹介した「白樺」を自慢したくなり、オケクラフトの社会教育論的解説も短く付して、ご覧にいれました。
会議が終わる頃に陽も落ち、ワイン・パーティを始めたくなる時間。しかし近くの香港料理の店(七夕の会・二次会)に予約も入れてあって、皆さんと妻の車椅子を押しながら夕食に出かけました。
特定秘密保護法案・反対署名呼びかけの李正連さんメール(上掲)。その前文は次の通り。「…編集会議、お疲れ様でした。久しぶりの風の部屋での会議、とてもよかったです。何より富美さんにお会いできて嬉しかったです。そして香港料理も非常に美味しかったです」(3
Dec 2013 01:05)。
楽しい気分での編集論議は、きっといい本に結実することになるでしょう。この師走から数ヶ月が作業(本の構成確定、執筆依頼など)の正念場。新しい韓国本・改訂版の編集は、若い世代(事務局長・金侖貞さん)に継承されて、フレッシュな本づくりが楽しみです。
3202号【2013年12月2日】
■≪お祝いの集い二つ≫
11月も終わりの29日・30日の両日、お祝いの集いが二つ続きました。一つは29日のTOAFAEC研究会−200回目の定例会。そして翌日は、社会教育推進全国協議会結成50周年記念集会(式典、シンポジウム、レセプション)、久しぶりに外出が重なりました。しかし、30日から岡山で開かれている日本公民館学会(第12回)研究大会には不参。公民館学会創設以来、大会を欠席するのは初めてのことです。いま外泊を控えねばならない事情もあり、お許しを願います。
29日の研究会には、はるばる上京の上野景三さん、内田純一さんのほか、退院直後の伊藤長和さんが顔を見せてくださいました(写真)。200回記念の定例会、そして15年ぶり参加のボヤンバートルさんとの再会への期待もあって、やや無理をされたのではないかと一同恐縮。お疲れが出ませんように。上記の学会やそれぞれの都合により、韓国・中国・東京の各研究フォーラムからは出席がほとんどなく、残念でした。当夜の報告は別に寄せられることと思います。
30日の社全協60周年の集い(会場・日本青年館)では、全国から参加の懐かしい方々にお会いできました。北海道から九州まで100人前後の参加。欠席者からのメッセージも多彩。事業実行委員会制作による「社全協五十年の歩み」(DVD)、「社全協通信第1号〜248号」(PDF版)が参加者に用意されました。有り難うございました。この夜、レセプションが終わった後は、いつものように二次会・・・には失礼して、そのまま早めに帰宅。酔いもほどほど、なにやら妙な気分。
▼退院された伊藤長和さん(中央)を囲む、後列右から3人目にボヤンバートルさん(高井戸、20131129)
3201号【2013年11月29日】
■≪怒りの島・沖縄≫
いま沖縄は島ぐるみで、怒り・無念の思いに包まれているようです。沖縄選出の自民党議員そして自民党沖縄県連も、自民党本部の圧力に屈服して、これまでの「県外移転」の公約を破棄し「辺野古容認」に転じたこと。民意を裏切る行為、議員辞職し信を問え!などの声が充満しています(上掲・おきなわ短信(823)等)。昨日(28日)の沖縄各紙の社説やブログのなかから、その激しさを一部だけでも抄録します。長文お許しください。
○八重山毎日新聞・コラム・不連続線(2013年11月28日)
…現在自民党沖縄県連顧問、元県議会議長の仲里利信氏さえ11月24日の沖縄タイムスの取材に対して次のように答えている。「自分の立場や自分がどうなるかより、歯を食いしばって沖縄のために正しいことを言ってもらいたい」「こんなにまでやられて、もし県連まで県民を裏切り、圧力に屈して辺野古移設容認に変われば、これは普通の裏切りではない。県民を無視して、ヤマト政府のいいなりになったということだ」と。全く同感だ。憤慨にたえない。…
○沖縄タイムス・社説(2013年11月28日)
…東京永田町の自民党本部で開かれた石破茂幹事長の会見の光景は、歴史の歯車が1879(明治12)年の琉球処分まで後戻りしたような印象を抱かせた。説明する石破幹事長は琉球処分官。一言も発言する機会がなく、椅子に座ったまま硬い表情の国会議員5人は、沖縄から連行され、恭順を誓った人びと…。
○琉球新報・社説(2013年11月28日)
自民党県連が … 米軍普天間飛行場の辺野古移設容認を決めた。県議らは県外移設を公約していたから、公約の撤回だ。公約を媒介に有権者と候補者が契約を結ぶという代表制民主主義を根底から破壊した。
それだけではない。沖縄の政治家の公約の軽さを全国に発信した。恫喝に屈して節を曲げる大人の姿を子どもたちに見せてしまった。自らが県民の命と人権を脅かす側に回る罪深さを自覚しているのか。…
○目取真俊ブログ「海鳴りの島から」(2013年11月25日)
…国会議員をひっくり返したら次は自民党県連、その次は仲井真知事と日本政府・自民党は考えているのだろうが、そうやって強引にことを進めていって、最後は力で沖縄県民をねじ伏せることができると考えているのだろうか。…力で抑えれば沖縄県民は泣き寝入りするとでも思っているのだろうか。そんな甘いものではないことを、日米両政府は知るだろう。
*南の風・後記・3151〜3200号→■
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