南の風・各号後記(ぶんじん日誌) →3101号以降・こちら■
3100号【2013年6月8日】
■≪花の便りーサガリバナ咲く≫
梅雨の息抜き。職場や学会などで忙しい皆さんへ花の話題を。南の島々にサガリバナが咲き始めたようです。沖縄の各新聞も写真を掲げて、サガリバナの記事を載せています。沖縄タイムスは、石垣市平久保・米盛三千弘さん夫妻が畠のそばに群落を発見。農道をつくり、いま保存会もできたとのこと(上掲、6月6日)。ご存知の通り、米盛さんは「ぶんじん歌碑」の建立者です。
琉球新報は昨日の誌面で次のように報じています。「サガリバナ、夜の街彩る 那覇市久茂地のパレットくもじ前で、サガリバナ(サワフジ)の花が咲き始め、夜の街を彩っている。白やピンクの
愛らしい花は、ほのかな香りを漂わせ、道行く人を楽しませている。サガリバナは南西諸島から東南アジアに分布。糸状の花が夕方から開き、明け方には散る。5日夕、通り掛かった二人、初めて見たが美しく神秘的。いい香りですね、と花に顔を近づけていた。」(2013年6月6日)
下に掲げた写真は、島袋正敏さん「蔓草庵」(名護・底仁屋)の1枚(5年前の7月)。横を流れるせせらぎにホタルがちらほら舞っていました。サガリバナは、たしか名護の市花に選ばれていると記憶。
さて、本号で3100号となりました。昨年12月の3001号(継続騒動)から173日目。1,7日に1号の勘定です。相変わらず騒々しい風、申しわけありません。3000号の大台を越えて、のんびり、自由気ままにと、皆さんからも助言をいただきながら、実際に動きはじめると、思う通りに運びません。
恒例により,100号おきアドレス帳整理をお願いします。この半年近く一度も返信がなかった方々、引き続きの送信希望であれば、そちらからの風をお送りください。七夕の頃には、新アドレス帳に切り替えます。
▼ホタル舞う夜、ほのかな香り、サガリバナ(名護・底仁屋、20080706)
3099号【2013年6月6日】
■≪天安門事件から24年≫
1989年6月4日の天安門事件。あの年5月から6月にかけて、私たちの研究室(東京学芸大学)も緊張した1ヶ月でした。中国からの留学生たち、80年代初頭の国費留学生、85年以降に私費の留学生が来るようになり、89年当時は十数名(研究生を含む)が在籍していました。天安門広場の状況は彼らの独自ルートで私にも詳細に伝わってきました。
この年の記録メモでは、5月20〜21日に恒例の研究室合宿(4月新入生の歓迎)、私たちは山梨・勝沼ワインの里に泊まっていました。20名前後の旅。星降る岡の宿、はるかに走る中央線列車の遠い響きを思い出します。中国留学生は刻々と入る天安門ニュースに釘付け。台湾や韓国からの留学生も一緒で、日本人院生がむしろ少数派でした。
昨日(6日5日)の朝日新聞が「小さな天安門、今も」と題して、当時の中国総書記・趙紫陽(天安門事件で失脚)の政治秘書だった鮑氏の証言を載せています。緊迫感のある記事。学生たちの民主化要求に対し、穏当な立場の趙総書記と強行派の李鵬(首相・当時)等の首脳たちが最高実力者・とう小平の自宅で事態を協議(5月17日)。帰ってきた趙紫陽氏は「私は負けた」と語ったそうです。趙氏は2日後に天安門広場でハンスト中の学生を見舞い、「ここに来るのが遅すぎた」と。その後、公の場から姿を消し、総書記を解任され、自宅で軟禁状態のまま1995年に死去。政治秘書・鮑氏も趙総書記失脚後に逮捕され、懲役7年の実刑に服したそうです。
私たちの合宿の夜は、趙氏の天安門広場「来るのが遅すぎた」交流の翌日ということになります。趙・総書記が広場に現れることによって事態は好転するという見方は甘く、状況はむしろ逆だったのです。事件から24年。いまをどう見るか。鮑氏の証言が興味深い。いま中国で「…至るところで小さな天安門が起こり続けているんだ。」と語気を強めたそうです。
3098号【2013年6月4日】
■≪肩の痛み、その後≫
3094号本欄に「いろいろ不調」、とくにギックリ肩?の症状を書いてご心配をかけました。風・誌面でも大事にするようにとお見舞など頂戴し恐縮しています。肩の痛みは指の悲しみ、一時はパソコンも使えなくなりました。この機会に「風」も休止できるかな?
いい機会だ! などと思いながら・・・こんなときに限って諸案内や報告など、皆さんからの来信あり、数号やりくりしながら、なんとか対応してきました。もう大丈夫です。
近くの駅のそばに古い整骨院があります。ときどき調子がよくないとき、メインテナンス・調整に通ってきたところですが、院長の治療もさることながら、筋肉・整骨についての話が面白く、それをヒントに散歩のなかに自己流の屈伸・体操を工夫し、この数年はきわめて快調、整骨院にもご無沙汰していたのです。しかし、今回しばらくぶりの通院治療。
1980年代から時折のギックリ腰に難渋してきた経過があります。もうすぐ200回となる毎月の定例研究会にも一度だけ休んだこと(2002年10月)がありますが、大学を退いた年の激しいギックリ腰でした。やっと杖をついて約束の松本市講演に出かけた思い出も重なります。それを幼稚な屈伸体操で克服してきた妙な自信。それが今回は崩れ、肩(上半身)のメインテナンスが不充分だったことを思い知りました。もちろん加齢もありましょうが…。
自ら復元する(直す)力が大事だ、と院長が励ましてくれます。腕や肩も新しく動かしながらの自己流散歩を再開。滞っていた「やんばる対談」編集も今晩から少し進めることが出来そうです。経過報告まで。
3097号【2013年6月3日】
■≪少年院の教育活動≫
昨年末に出版された『社会教育・生涯学習辞典』(朝倉書店)にも、矯正教育、少年院、厚生保護等の項目は収録されていますが、全体のなかでは小さな取り扱い。31日・研究会の「少年院の教育活動」報告は、私たちの研究会でも初めてのテーマでした。報告者・白井健二さん(法務省大臣官房・広報室長)は、この分野ひとすじに歩き、3月までは大分・中津少年学院長の職にあったただけに、概要の話も具体的・実践的で実に興味深い内容。詳細は別に速記記録が用意されていますので(ご希望の方はご一報を)、ここでは、いくつかの感想を記しておきます。
少年院という施設は、その性格上、全体として画一的・管理的イメージが強いのですが、短期(特別、一般)と長期の「処遇」の計17コースをもっていること、入ってくる「少年の特性に合わせた教育・指導」「分類処遇」が基本となっている報告が印象的。“個別教育”が基本なのです。
加えて、強制、拘束、管理などの側面をもちながら、少年たちに対する激励、応援、保護などの、まさに教育・指導の理念に根ざした取り組みが強く意識されていること。これは白井健二さんの個性、人間観もあるのでしょうが、教育全般にかかわる課題として教えられるところがありました。
終わりの方では、最近の少年院の動きとして、保護者への積極的な対応、被害者の視点をいれた教育、福祉的支援との関連(社会福祉士、地域との連携)、処遇プログラムの充実、矯正広報の取り組み、など興味深し。
話かわりますが、3年ぶりの文科省(指定統計)「社会教育調査報告書」が公刊されました(5月16日)。最近の社会教育(とくに公民館)の退潮が気になるところ。どなたか特徴的な統計動向を紹介していただけませんか。
▼報告・白井健二さん、右は金ボラムさん(高井戸、20130531)
3096号【2013年6月2日】
■≪想い出話に酔って≫
昨夜(31日)の第195回研究会、とくに終了後のお祝い・懇親の集いは、期待通りの賑やかな顔ぶれとなりました。同午後から開かれた法政大学沖縄文化研究所のプログラムを終えて、名護の島袋正敏さん、赤崎隆三郎さんが私たち(高井戸)に合流されたのは午後10時ごろか。当夜の報告・白井健二さんの友人たちも遅くかけつけて、昔懐かしい“夜の集い”でした。
3号前の本欄に書いたように、名護博物館長(当時)島袋正敏さんと白井健二さん(当時は学生)は30年ぶりの再会でした。1980年初頭から続く名護の皆さんとの忘れ難い交流。ビールだけでなく想い出話に酔った夜。
たとえば1990年1月、島袋正敏さんや稲嶺進さん一行が、早朝に名護で焼いた豚1頭、羽田行きの同じ便に載せて、小金井の東京学芸大学社会教育研究室に運び込んだ話。到着は陽も落ちたころ、1日がかりの豚の旅でした。包みを開けると豚から湯気が立ちのぼり、感激の乾杯となったのです。当時の沖縄研究会メンバー(国立や入間の社会教育関係者を含む)による豚を囲む稀有の交流。懐かしい写真が出てきましたので、スキャンして(ただし甘いピント)HP・古いアルバムU(番外編B)に載せました。正敏さんや稲嶺進さんはもちろん、いまは亡き足立邦彦さん(上福岡市教育委員会)の顔もあります。
→■http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/albumhoridasi.htm
昨夜の参会者はおそらく終電か。ご苦労さまでした。深更に金ボラムさんからメール(上掲)と写真5枚。有り難うございました。その中から白井健二さんなどの顔も見える1枚を添付します。下は当方のカメラ。
▼最後に残った人たち、右より山口、小林、赤崎、白井、中澤、武士田、金、島袋の皆さん
(イーストビレッジ、20130531)
3095号【2013年5月31日】
■≪イジュの花の咲く頃≫
名護への「南の風」滞留(風・前号)の話題から、島福善弘さん(博物館長)の思わぬ便り到来(上掲)。久しぶりに有り難うございました。源河小学校や古宇利小学校など、やんばるの馴染みの小学校・閉校ニュースは時代の流れを感じさせますが、一方で新博物館を視野に入れての活動が源河小学校で開始されるとのこと、「民話の部屋、美術、物づくりの部屋の活動など」楽しみですね。そのうちリュウキュウアユの話題も聞こえてくるのでしょうか。
やんばるに「イジュの花」が咲く頃は、懐かしさでいっぱいになります。もう7年前のこと、「イジュの花」に誘われて、羽地内海でシーカヤックの遊びを堪能したことがありました。名護「シーカヤック」同好会の皆さんの好意に甘え、私は島福艇に、同行の手打明敏さん(筑波大学)と石倉裕志さん(TOAFAEC
事務局長、故人)−それに島袋正敏さんも−それぞれ別のカヤックに同乗させていただき、梅雨のなか、約18キロ(屋我地島一周)を漕いだのでした。あの日、石倉くんがきわめて元気でした。
古宇利大橋の下をくぐって、今帰仁へのワルミ大橋はまだ建設中のころ、その遠望を楽しみながら、1日のカヤックの旅でした。HPに一枚だけ写真が残っています。
→■
この企画のお誘いは「イジュの花の咲く頃」という言葉でした。イジュはやんばるでは梅雨の頃に咲く椿に似た白い花。この花が咲くと雨期に入ると言われますが、まだ台風の季節ではなく、海は穏やかだ、というニュアンスがあったようです。イジュの花の一枚を下に掲げておきます。
昨日(30日)は韓国研究フォーラムでした。金ボラムさんを通して、肥後耕生さんの新著(『黄宗建と韓国社会教育の歴史』)を、エイデル・山添路子さんを介して、同じく3月に出版された三上昭彦さん新著『教育委員会制度論−歴史的動態と再生の展望』)を拝受。有り難うございました。
いまからTOAFAEC 5月定例研究会(ゲストに白井健二さん、島袋正敏さん)です。「いろいろ不調」(前号)を乗り越え、幸せな毎日です。
▼やんばる・イジュの花 (古宇利島、080514)
3094号【2013年5月30日】
■≪いろいろ不調≫
風・前号「5月31日は研究会・名護より特別ゲスト」が、なぜか名護市役所関係(風メンバー3人)に届かず、なんど送っても戻ってきます。名護市史編さん室・比嘉ひとみさんからのメールは当方に届いていますが、こちらからの風は宙を舞って・・・、かなり重度のトラブルか。博物館長の島福善弘さんには問い合わせの電話、久しぶりに直接に話ができました。名護はすでに夏の気配か。
TOAFAEC 総会予定日(学会六月集会・前日)に主要メンバーの都合が揃わず、風3087号に記した総会日程を中止(延期?)することとなりました(上掲記事)。昨年総会の賑わいを思い起こし、いささか残念。
当方は数日前から、きわめて不調です。左肩に痛みが拡がり、ギックリ肩とでもいうべき症状、パソコンもうまく打てません。風は前号からほとんど右手だけで誌面を整える状況。年報18号予定「やんばる対談」編集作業も中断したまま。ものごと、リズム狂えば、歯車まわらず、いろいろ波及して・・・すべて不調、不機嫌な毎日。楽しくありません。
やむをえず、この数日、風以外はほとんどメールを打たず、さかんに電話をかけまくっています。突然の電話に驚かれた方もありましょう。お許し下さい。あと1週間はかかる?とのお診たて。
今年の七夕の集いは7月7日とのこと(上掲)。本号はこのあたりで。
3093号【2013年5月28日】
■≪稲嶺ススムさん次期市長選に出馬≫
5月25日の新聞各紙、私たちの友人・稲嶺進さんが来年1月の名護市長選挙に出馬する意向を報じています。たとえば、沖縄タイムス・当日朝刊は次の通り。
「…27日に市内で会見を開き、正式に出馬表明する。稲嶺氏は2010年1月の市長選で、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を容認する前市長を破り、初当選。「辺野古の海にも陸にも新しい基地は造らせない」と移設反対の姿勢を貫いてきたほか、子育て支援施策や行財政改革、農産物の6次産業化などに取り組んできた。…」
ススムさんは1945年生まれ。名護市三原出身。琉球大学卒業後、72年に名護市役所入り。1980年代は社会教育主事でした。その後のぶんじんゼミ・沖縄フィールドワークでは、ススムさんが名護市内のいちばん安い宿を探す役回り。90年代以降は市の中枢へ。総務部長、収入役を経て2004年から08年まで市の教育長。学生と一緒に写った写真がたくさんあります。
南の風「発行一覧」ページを飾る写真は、2001年・和光大学プロゼミ一行を歓迎していただいた記念の1枚(前にも紹介したような?)。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kazeitiran2.htm
後列左より2人目に稲嶺ススムさん(当時は市収入役)。
前列2人目の島袋正敏さんが31日・定例研究会(案内・上掲)ご参加の予定。当日の報告者・白井健二氏(法務省・広報室長)は、ぶんじんゼミで名護訪問の折、まだ準備室時代の博物館で盛大に迎えられた奇しき縁です(1983年12月)。久しぶりの再会でしょう。あの日は、伊藤寿朗(博物館研究者)や韓民(中国教育部・幹部)なども一緒、忘れがたい1日でした。この日の写真は(探したけれど)残念ながら出てきませんでした。
▼和光大学・小林プロゼミ、名護市立中央図書館訪問(同応接室、20011003)
3092号【2013年5月26日】
■≪歴史を復元する作業≫
中国山東省から吹いてくる「烟台の風」、本号所収の便りで 300号となりました。伊藤長和さんが烟台に赴任されたのは確か2009年4月、その直後から始まった定期便です。4年あまり倦まず続いて寄稿数ではもちろん南の風ネットで筆頭。ご苦労さまです。ときに「南の風」が疲れ気味のときに届く大陸からの元気な風に励まされた想い出もあり。有り難うございます。これからも楽しみ。昔の“常連”たちの姿は今は姿を消しましたね。
さて、昨夜(24日)は東京社会教育史研究フォーラム・事務局会議でした。今後に向けて課題や段取りなど、話はつきませんでした。夜の集いはいつも時間が足りませんね。ぶんじんは忘れてはならない課題として、あらためて10点の「視点」を出しました。識字、地域児童文化運動、PTA,大学開放、学生の地域活動(サークル・セツル)、都市型の文化たまり場、うたごえ運動、専門職論とスタッフ論、諸施設・コミュニテイセンターを含めての都市型施設運動の相互関連などなど。
1988年から1999年まで旧多摩社会教育会館によって刊行された「三多摩社会教育の歩み」(全13冊)のなかに(当夜、話が及びませんでしたが)この10視点はほどんど先駆的に取り上げられていることも再発見しました。
この夜の収穫としては、作業をすすめていくための年表づくり、そして資料センターを再生していく必要が確認できたこと。とくに「斉藤峻」資料の取り戻しや、(23区)公文書館の可能性をさぐることも。斉藤資料については、幸いに「目録」(約700点)が「三多摩社会教育の歩み」第3号、第5号(丸田修二資料も)に残されていること。これは私たちの大きな光明です。短い時間ながら、いい夜となりました。
3091号【2013年5月24日】
■≪五月の風にのって≫
やはり五月(さつき)はいいもの。薫風がさわやかに流れていきます。上に載せきれない皆さんからの「風」を三つほど、本欄でご紹介します。
3号前(3088号)の「琉球民族独立総合研究学会」ニュースについて海外からも「質問」など寄せられました。たとえば「沖縄独立宣言:賛成?反対?“風”の皆様を含め日本人はどう思っていますか?私は個人として賛成です。理由は簡単ですが…。」(Tue,
21 May 2013 00:46:40)
「独立総合研究学会」の動きについて、中国政府筋の反応が興味を引きます。人民日報系の環球時報は5月16日社説で、沖縄で設立された同学会について「中国の民衆は支持すべき」と主張していること。中国政府は自国の民族独立運動を抑えている現実あり、興味深い動き。本号にはあえて(知らない人もいる)1947年「米国が沖縄を軍事占領し続けることを希望」した“天皇メッセージ”記事(八重山毎日新聞コラム)を上掲しました。そこに紹介されている進藤榮一氏「沖縄・主権回復」については「連帯・共同21」サイトを。
→■ http://rentai21.com/?p=882#more-882
上平泰博さんからのメール。「文人先生、今日はエベレストに登頂された先生と同時代の方の快挙もありました、ますますご健勝のことと…」に始まり(Fri,
24 May 2013 00:21)、本文は「斉藤峻」(戦後・東京都社会教育主事第一号)の評論。興味深し。そのうち詳しい報告をお聞きしたいもの、楽しみにしています。
韓国・公州大学(院)瀬川理恵さからメールを頂きました。肥後耕生さん新著(3082号、3083号既報)お祝いと写真(Thu,
23 May 2013 22:11)。
「… お元気ですか? 今日、肥後さんのご本が出版されたので、二人でお祝い会をしました。楽しく日本語を沢山しゃべりました。公州でたぶん、一番おいしいと思うお寿司を二人前ずつたべて…(略)」などと楽しそう。送られてきた写真のうち黄先生の写真(『黄宗建と韓国社会教育の歴史』)を囲むお二人の記念の一枚をを添付させていただきます。ご了承を。
▼肥後耕生さん(左)と瀬川理恵さん(公州、20120523)
3090号【2013年5月22日】
■≪竹富島の話≫
今年の年報「東アジア社会教育研究」第18号。この数号、定番となった「やんばる対談」は本号で5本目、テープ起こしが終わったとのこと(上掲)。山口真理子さん、ご苦労さまでした。小生の方で編集作業(解題や小見出し入れ、削除や調整など)をして、出席者各位に回送しチェックしていただきます。とくに主報告の中村誠司さん、短い時間に多くを語っていただき、いろいろご不満と思いますが、よろしくお願いします。
山口真理子さんからテープ起こし便に添え書きあり。お裾分けに本欄でご紹介します。「やんばる」とは全然別の話、南の竹富島のことです。
「…“奇跡のリゾート 星のや竹富島”という写真集が河出書房新社から今年の4月30日に出ていました。いわば観光的な紹介ですが、出来るまでのいきさつや、竹富島憲章にも触れられていました。上勢頭芳徳さんと星野佳路社長が握手している写真もありました。鏡開きにも芳徳さんが写っていましたが、二つともいつもの格好です。それにしても、お金と時間があれば滞在したくなる、地元の産物・食材にこだわった、贅沢なホテルのようですが、採算は取れているのでしょうかね、心配になりました。」
星のや竹富島がオープンした当時、上勢頭芳徳さんは集落を代表する公民館長でしたから、そういう役まわりだったのでしょう。3月訪問の折に「星のや竹富島」を案内していただくとの話でした。しかし、あいにく芳徳さんの車が故障して実現せず。小生もHPの写真だけで、実物はまだ見ていません。当日そのかわりに修築成った茅葺きで、あれこれの話を聞き、「喜宝院蒐集館」前に建立された小さな鐘堂で暮六つをついたのでした。
3089号【2013年5月20日】
■≪「辞典」の拡がり≫
華東師範大学の呉遵民さん、5ヶ月に及ぶ日本出張、お疲れさまでした。今頃(20日)は無事に自宅へ帰っておられることでしょう。頂いた帰国ご挨拶(上掲)に「毎日寂しくて、寂しくて…」とあり、もっとお誘いすればよかったと思いました。4月初め「…5月に上海へ帰任、その前に信州への旅など計画しましょうか」と本欄に書いたこと(風3062号)があります。ちょうどお花見の季節、(小生もまだ行っていない)南木曾の長延寺(ご住職は元公民館長・清水醇氏)の“しだれ桜”花見企画が念頭にありましたが、当方も頃合いの日程が具体化できず、失礼してしまいました。残念!
本号には、またいくつかの私信を載せています。上掲・横尾成臣さん、ぶんじんの大学教員としての最初の教え子、すでに70数才。「南の風」に刺激され、いま福岡で「玄海の風」発行中の人です。南の風そのものは届いていませんが、Webサイトで本(ぶ)欄を読んでいるらしい。
朝倉書店・野島薫さん。「…南の風への記載(3086号)ありがとうございました。HPにて早速拝見しました。拓海(と名付けました)も喜んでいることでしょう。辞典の各地への伝播、嬉しいです。」(16
May 2013 15:45)
『社会教育・生涯学習辞典』が、瀬川理恵さんを介して韓国へ、大連の王国輝さんによって中国へ、内田純一さんを通して台湾へ(3064号)、東アジア各地へ辞典が拡がっていることをお伝えしたのでした。
奈良の稲冨和美さんより辞典のお礼来信(上掲)。また16日夜(久留米・花畑)の語らいでは辞典づくりが話題となり、1冊の注文を頂きました。
▼2012年11月発行 「社会教育・生涯学習辞典」(朝倉書店)
3088号【2013年5月18日】
■≪琉球民族独立・学会、41年目「復帰の日」に≫
ちょうどいま(5月17日〜19日)沖縄では「5・15平和行進」が沖縄島3コースで行われています(宮古・石垣まで加えると5コース)。韓国からも参加だそうです。今年は41年目の「復帰の日」。沖縄はかってない雰囲気のなかで「祖国」を問い(風・前号)、「琉球独立」を考える動きが活発に。昨日の琉球新報・社説は「歴史の局面が転換した」と書き、「琉球民族独立総合研究学会」発足を報じています(本号上掲・抄録)。かっては居酒屋での憂さ晴らしで語られた琉球独立論が、いま本格的に「…学問的な、公的な言論空間の中で論議される時代に入った」と。
5月15日発足した同学会は、「琉球民族が独自の民族として平和・自由・平等に生きる世を一日も早く実現させる」(趣意書)ことをめざし、会員は「琉球の島々にルーツを持つ琉球民族」に限定。沖縄国際大学で開かれた記念シンポジウムには 250人が詰めかけたとのこと。報道にも力が入っています。たとえば沖縄タイムス(5月16日)「琉球民族に自由を」記事。
→■
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-16_49297
さて当方。16日夕は久留米・花畑駅前の店で飲み始め、結局は古賀皓生さん(元熊本学園大学)宅に上がり込む始末。積もる話に花が咲き、次の集いの相談もしました。福岡への帰路は(酔いを見かねたのか)農中茂徳さんが送ってくれました。車中では、油山書庫を今後どうするかなど…。
17日は終日、書庫にこもりました。東京社会教育史研究資料をいくつか持ち帰るためです。いちど東京から運びこんだものを、再び東京へという因果に呻きながら…。しかし故外間政彰(元那覇市立図書館長)追悼『爽風一過』(1997)や、故仲宗根政善(元琉球大学)『蚊帳のホタル』(1998)等の棚に立ち止まり、読みふけって仕事は進みません。この方々がいまなお元気であれば、どんな発言をされるだろう、などと思いながら夜が更けていきました。
3087号【2013年5月16日】
■≪隠れ家の庭≫
延ばしていた九州行き。14日から福岡・油山の隠れ家に泊まっています。
風薫る五月。山に通じる道を歩いていくと、花の香が少しずつ移ろいながら、風に乗ってきます。いまとくに(九州では)楠の萌える若葉が美しく、そこからは何か活気が薫ってくるような…。いい季節になりました。
久しぶりの油山の庭。エビネ蘭(HP表紙)はやっと最後の花が残っていました。触れなば落ちんの風情。梅の実もふくらんでいます。しかし、いつぞやの風に書いたように、永年育ててきた白樺は、今年はまったく芽吹きませんでした。残っていた2本、どちらも白い幹のみ。枯れ木は庭の賑わいにもならず、残念至極。この白い枝で記念の何かを残せないものか、との思いはあっても、造形の才覚も技術もなく、どのように別れようかと思案しています。いま、庭の焚き火も出来なくなりました。
1970年代の庭、最初は芝にしていました。しかし主のいない家では、数年で雑草に覆われました。そのうち篠竹が次第に根を拡げて、お隣の境は竹藪に。80年代になると(鳥が運んだ種子から)実生の木あれこれ。頂いた桜桃、農中君が植えてくれた柿や豊後人のカボスなど(みな実をつけない)、狭いながらも小さな自然林のたたずまい。その中に信州から東京経由の白樺の苗木、徳島大学・集中講義の帰路によった金比羅さんの松の幼木などが育ってきたのです。まわりの垣根には金木犀。隅っこにバラ数輪、ムクゲ数株、エビネなど季節それぞれの花々。30年余の庭の自分史です。
ときどき来ては篠竹を切り払い、不作法な枝を落して、落葉も集め、焚き火をするのが楽しみでした。竹がポンポンはぜ、パチパチと燃える火をみつめながら呑むビールも格別。しかし煙も相当なもの。そして数年前に近くのドナタさんから厳しく叱られたのでした。この一件以来、隠れ家に遊ぶ回数はめっきりと減り、落ち葉は行き場をなくし、白樺ともついに別れる年を迎えたという次第です。
▼在りし日の白樺・20005年8月(油山、050830)
3086号【2013年5月14日】
■≪私信いろいろ≫
前号本欄に「私的な便り」を書いたところ、いくつもの返信を頂きました。一つは夜間中学の澤井留里先生から(上掲)。有り難うございました。また文孝淑さん(法政大学<非>講師)からは次の一文。
「ご無沙汰しております。南の風を拝見するかぎり、先生もお変わりないようですし、皆さんのご活躍ぶりに刺激を受けながらも、暑かったり寒かったりと、お天気にも波があるように私にも? 今号のタイトルが“私
的な便り”でしたので、すぐ反応してしまいました。・・・ またお目にかかりたいです。」(Mon,
13 May 2013 07:11) 返信を有り難う!
次は、まことにお目出度い私信。ご存知・朝倉書店(辞典編集担当)野島薫さん(産休中)から。薫風とともに、無事に男児ご出産!だそうです。(13
May 2013 17:48)
「…初めてのことばかりで戸惑いの日々ですが、我が子とは可愛いものですね。早くも親ばかになりそうです。ちょうど辞典の追い込みの頃の子、いうなれば辞典の弟分のような感じでしょうか。」
昨年末に産声をあげた「社会教育・生涯学習辞典」の“弟分”とはまさに言い得て妙。兄弟ともども、すくすくと成長すること疑いなし。野島さんにあらためてお祝いを申しあげます。
さて、ぶんじんの私信。連休中の混雑を避けて控えていた福岡行き。今日(14日)東京を発つところです。4〜5日の予定。油山だけでなく、久留米に行く予定があり、農中茂徳さん・古賀皓生さんたちと久しぶりに会うことになりました。16日(木)午後6時頃、花畑駅(西鉄)に集合。その近くで一献傾けます。ご都合つく方があれば、ご一緒しましょう。(ぶ)ケイタイにご連絡ください。
3085号【2013年5月13日】
■≪私的な便り≫
南の風は、差し支えのない範囲で、私的な便りも載せていきたい。しかし実際には研究会の案内・報告など公的な記録が中心となりがちです。実はこの間にも(風に載せない)出会いや結婚や異動・動静などのメールがいろいろ。またTOAFAEC
事務局内部の打合せ・諸連絡も飛び交っています。風としては、ホンネのやりとりが少しオモテに出るような、息づかいが伝わってくるような、仲間の対話も載せていきたいと願っています。しかし、なかなか・・・です。ときには、つらい話も載せたいのですが…。
昨晩(12 May 2013 01:25)“私信で”の指示はないけれど、いま“気が滅入って…”の私的メールを頂戴しました。「…4月の異動で、ついに公民館を離れました。気が滅入って、なかなか先生にご報告もできませんでした」と始まる長い便り。抄録のかたちで半分ほどに縮め、最後に「5月31日の研究会にぜひ!お出かけください。激励の乾杯をしましょう」と書き添えて、作業を終えたはずでした。
しかし終日どうも落ち着きません。私的な?メールを載せることへの気がかり。やはり掲載を控えることにしました。
メール発信者は大学院修了後、公民館に就職し、ほぼ社会教育一筋に歩いてきた人。3月まで公民館長でした。その仕上げともいうべき熟達の仕事を期待される世代なのに(私には)不当!とも思える人事異動。背景に自治体の事情、とくに公民館廃止論?もからんでいるようです。残念!
もともと南の風は私的な通信。それが社会的に(一部は海を越えて)拡がってきた事実にときに戸惑い、ときに悩みながら、本欄を書いています。贅沢な悩みというべきか。
3084号【2013年5月12日】
■≪東京の図書館史について≫
内田純一さんの台湾訪問ご報告(上掲)、興味深く、ご苦労さまでした。また楊碧雲さんに『社会教育・生涯学習辞典』を届けていただいたそうで、有り難うございました。「社区」大学など台湾関連項目があまりないことはかねて気になっていることです。まず本欄は御礼だけ。以下は、昨日の東京研究会のことを書いておきます。長くならないよう留意しつつ…。
10日夜は東京社会教育史研究フォーラム(第6回)でした。昨年秋にスタートし、この間「風の部屋」での数回の事務局会議(勉強会)を加えると、すでに東京研究フォーラムとして(TOAFAEC
定例研究会とは別に)10回の集いを重ねてきたことになります。
この夜の報告者は石川敬史さん(十文字学園女子大学)。「東京の戦後図書館史を考える視点」をテーマに、面白い資料・データを用意してのお話。日本の公共図書館の歩みは、1960〜70年代に東京を舞台に先進的に展開してきたとの指摘が印象的でした。ぶんじんも補足的に二つの話題提供。
一つは『社会教育ハンドブック』(初版、1979年)「図書館」項目(担当・故小川剛氏)の重要性。とくに1970年代の東京・図書館振興政策、専門的「司書職」制度化への施策構想(実現しなかった)など、当時の美濃部都政下の積極的な動き・諸資料が含まれています。この時期、東京の図書館運動は、公民館「三多摩テーゼ」づくりや博物館の「地域博物館」実践を牽引する上でも、先導的な位置をもっていたと言えましょう。同『ハンドブック』はいま『社会教育・生涯学習ハンドブック』として改訂8版(エイデル研究所、2011年)を重ねていることはご承知の通り。
あと一つは、司書職制度にかかわる「陰山配転問題」についての東京都人事委員会裁定(1978年)資料。今はあまり目に触れることがなく、この機会に「別冊ジュリスト」118「教育判例百選」所収の解説(小林文人)を紹介させていただきました。
この夜は1970年代の東京・図書館史の躍動を回想する機会となりました。都も区市自治体も職員も市民も、それぞれに積極的な関わりをもって動いていた時代だったのです。
▼報告者・石川敬史さん (高井戸、20130510)
3083号【2013年5月10日】
■≪名護からの便り≫
前号に5月定例研究会(5月31日予定)の案内を載せましたが、同じ日に法政大学沖縄文化研究所では、島袋正敏さん(名護、TOAFAEC
副代表)のお話が企画されているそうです。正敏さんから来た私信、次の通りです。(7
May 2013 06:12)
○法政大学総合講座講義:来る5月31日(金)15:10〜16:40、法政大学沖縄文化研究所「総合講座―沖縄を考える」で、同所長の屋嘉宗彦先生(名護市出身)の依頼で「沖縄在来文化資源−泡盛とアグー・その歴史と文化」の話をすることになりました。少し緊張しています。同大学での日程後、文人先生とお会いできる時間がとれるでしょうか。御都合をお聞かせください。翌日午後の便で名護へ戻ります。(セイビン)
当日は折良く定例研究会の予定。法政大学のプログラム終了後、ぜひ高井戸までお越しいただきたい、できれば「風の部屋」で古酒カメの点検を、などとお願いしました。
研究会のご案内(前号)にも書き添えましたが、法政大学プログラム終了後、おそらく「イーストビレッジ」の集いにはお出で下さるのではないかと楽しみにしています。久しぶり!セイビンさん上京、知友の方にはお声をかけてください。
いま伊藤長和さん「烟台の風」(296号)が届きました。いつも前文は割愛していますが、柳絮(りゅうじょ)舞う情景、本欄でご紹介します。いよいよ大陸も本格的な春ですね。なお「山笑う」は春の季語。
「大学のキャンパスは、昨日(5月6日)から柳絮が舞い、目を開けていれないほどです。柳絮は北京が有名ですが、ここ烟台もたくさん舞います。ポプラの一種でヤナギ科の白楊の種を包んだ綿毛が舞うのです。今日(7日)は、日中の最高気温が27度となり、遅い春がアッという間に去り、本格的な夏がやってきたようです。今日からセーターを脱ぎました。今朝、裏山の鳳凰山が笑い出しました。」(Thu,
9 May 2013 16:45)
3082号【2013年5月8日】
■≪快挙とはこのこと!≫
連日の「風」配信、慌ただしく申しわけありませんが、昨夜(7日)深更に思いがけない朗報が李正連さん(東京大学)から舞い込みました(上掲)。「肥後耕生さんのご著書
(『黄宗建と韓国社会教育の歴史』韓国:学而時習、2013)…、皆さんに早くご紹介したい」と李さん。当方も同じ気持になって、本欄を急ぎ書き始めました。
故黄宗建先生の研究を通して韓国の社会教育・平生教育の展開過程を明らかにしている本とのこと。おそらくドクター論文が基礎になっていることでしょう。肥後さん、待望の出版、まことにおめでとうございます。快挙とはまさにこのこと!
黄先生が晩年、「私のことを日本の若者が研究テーマに取り上げてくれる、こんなに嬉しいことはない」と話されたときの、あの笑顔をいま思い出しています。追悼サイトの冒頭に掲げている写真(烟台、2003)のような笑顔。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/koreahwang.htm
私と黄先生との出会いは1980年(東京、扶余、大邱)。そして1990年代以降は、大阪、ソウル、水原、鹿児島、沖縄、光州、烟台など、いろんなところでお会いしてきました。最後となった共編の本づくり(『韓国の社会教育・生涯学習』エイデル、2006年)。刊行の直前に急逝されたのでした。公州大学・ヤンビョンチャンさんの車でお墓参りに行った(2008年)思い出も切ない。今回の出版は、黄先生も(あの松風のなかで)きっとお喜びと思います。たまたま肥後さん・李さんが一緒に写っている写真がありましたので、下に掲げます。
▼第49回全国集会(阿智村)、右より二人目に肥後耕生さん、3人目に李正連さん(20090822)
3081号【2013年5月7日】
■≪“旗”を掲げる≫
風・前号で西表(いりおもて)古見の「旗頭」50年ぶり復元の記事を載せました。八重山毎日新聞コラム・不連続線(5月3日)から。「旗頭」について思うところあり、少し書くつもりでしたが、北海道・自主夜間中学運動の紹介で予定紙数が尽き・・本欄で、忘れないうちに、少し触れます。
沖縄の字(集落)は、どこでも自分たちの旗をもっています。祭りや行事になると、それを高く掲げ、風にはためく勢いは、私たち外からの訪問者の心も躍らせるかのよう。那覇首里の大きな集落・石嶺町には、一番旗の青年旗(鳳凰)だけでなく、中学生旗の月桃、女性旗ウージの旗があり、昨年には小学生の四番旗も。
→■ http://ishiminehata.ti-da.net/
西表・古見で50年ぶりに旗頭が復元されたニュース、旗文字と公民館の紋章がたなびく「十五夜祭り」の伝統も復活させようと動きだすそうです。古見は八重山でも古い集落、しかしいま戸数わずか30戸(70人)前後の離島のムラ。小さな村の「旗頭」に象徴される地域への大きな思い、それも単なる郷愁を超える、共同体的なものへの意識を感じさせます。
私たちは歴史的に「日の丸」掲揚への屈折した感情もあり、旗を掲げる文化は単純ではありません。あるいは国家的な行事が地域的な旗の文化をも吸収し喪失させたのかも。しかし、かっての素朴な学生運動が自分たちの旗を手づくりした想い出や、沖縄集落のムラごとの「旗頭」を仰ぎみると、あらためて自らの共同体的なものへの意識、それを象徴する“旗”の文化を再発見しているように思うのです。
前号に続き本号には、堀尾正靭さんから二つの村の、自治的な地域づくりの動きが紹介されました(上掲)。私たちの今年の
TOAFAEC テーマは、「自治と共同」。自分たちの旗を高く掲げる共同体意識に思いを馳せつつ、失ってきた意識や再生のテーマを考えながら、年報も創っていきたいもの。
3080号【2013年5月6日】
■≪北海道の自主夜間中学運動≫
3月から4月にかけて、各地・各大学から貴重な研究成果や記録等を送っていただきました。ありがとうございます。南の風できちんとご紹介できればいいのですが・・・個別のお礼状さえも失礼している始末、お許しください。御礼とお詫びが交錯して恐縮のほかありません。
昨年10月、北海道・釧路で日本社会教育学会が開かれたことはまだ記憶に新しいところですが、その1週間前に同じ釧路で「第1回・北海道自主夜間中学フォーラム」が開かれ、東京から見城慶和先生が基調講演、自主夜中関係者の体験発表、ワークショップが多彩に開かれました。南の風でも紹介した経過があります(風2952号)。このほどその報告書がまとめられ、送っていただきました。あわせて釧路自主夜間中学「くるかい」文集・第4集、「くるかいラジオ講座」(FMくしろ)のCDも。
送り状に添えられた添田祥史さん(北海道教育大学・釧路校、くるかい事務局長)のメッセージ。「文人先生、今年度の文集と(フォーラの)報告書をお送りしました。北海道自主夜中フォーラムには、札幌からバス2台、旭川からもバス1台、函館からレンタカー1台を市が用意し、釧路に130名の関係者が集いました。当日の様子を記録した報告書です。…」と。
記録づくりとは、こういう作業を言うのかと思うほどの素晴らしい出来映え。記録(講評)の最後に見城先生が「…感謝をこめて、下手ですけどハーモニカを吹きます」と写真が掲げられ、心打たれるものがあります。
釧路自主夜間中学・文集「くるかい」は今年で第4集、石の上にも3年のたとえ、そのご苦労を思い4年の蓄積に(一人で)拍手を送りました。
3079号【2013年5月4日】
■≪アジアの拡がり≫
2号前の3077号に「バングラデシュへの便り」(原稿依頼)を書きましたが、その返事を頂きました。ユネスコ・ダッカ事務所の大安喜一さん、“承りました”とのこと(上掲)。お尋ねもあり、折り返し次のようなお礼メールを出しました。
「いいご返事をいただき、有り難うございました。前便で東南アジアと書きましたが、南アジア(バングラデシュやインドなど)を含めてくださって結構です。両者を含めて「アジア」の識字やCLCの動きを(できればこの数年の動きを全体的に俯瞰して)お書きいただければ幸いです。ご無理のないところで、ご自由にお願いします。まずは御礼まで。」
「東アジア社会教育研究」第18号・編集委員会の皆さん。先日の編集委員会後の動き(いちいちご相談する機会もなく)ご了承ください。第18号は、これまで掲載したことがない朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の社会教育の動きが載る可能性もあり(風3054号・委員会報告)、充実した年報となりそう、楽しみですね。
本号には「大船渡へ」(八朔友二さん)の一文を載せました。八朔さんはぶんじんゼミの卒業生、もと「ふるさときゃらばん」、新年会等の常連で旧知の方も少なくないと思いますが、「南の風」メンバーではありません。連休・ホリデーの大船渡行き、痛切な語りなので、了解をとって「風」にご紹介することに。お互いに肩をたたきあって、頑張りたいものです。たくさんの写真、その中の1枚を選んで(街の真ん中に、いまなお取り残されている巨大な船)添付します。
▼街のなかに取り残された船・気仙沼にて(八朔友二・撮影、20130503)
3078号【2013年5月2日】
■≪福建「終身教育」≫ *中国語「終身」は「生涯」の意
前号に間に合わなかった「東京社会教育史研究フォーラム」第5回記録と、次回(第6回、5月10日)案内が相次いで着信しました(上掲)。烟台の伊藤さん「南京への旅」記録も舞い込んで、世は連休なのに、「風」は大忙しです。東京研究フォーラム(第5回)記録は長文なので、Webサイトへ収録、詳しくはHPで見ていただくことに・・・ご了承ください。
南京の旅報告が始まりましたので、本欄は福建省「終身教育」の活発な動きを書くことにします。ご存知・李斗石さんとも最近はご無沙汰なので、ご機嫌伺いを兼ねて。職場を異動され、その後お元気でしょうか。
福建省とのお付き合いは、2004年に始まりました。末本誠さんや呉遵民さんと同道、福州→廈門(アモイ)そして北京(中国成人教育協会年次大会)を訪問。弥次喜多の楽しい旅でした。詳しい記録はこちら
→■。http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/2004fukkenbeijing2.htm
いくつかの経過あり、福建の皆さんが日本を訪問した記録はこちら。
→■
http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/tyugoku200912.htm
お互いに熱烈歓迎!の応酬でした(尖閣列島問題以降は途絶えている)。この間、小林は福建省の公式季刊誌『終身教育』の学術顧問や、2012開学「海峡終身教育学院」名誉院長などを拝命。いずれも名ばかりですが・・。
数日前に『終身教育』の最近号が3冊(2012年DE、2013年@)ドサリと配達されました。有り難うございました。発刊されて今年でちょうど10年。責任者(総編)陳宜安女史が10周年ご挨拶を書いておられます。台湾成人・終身教育学会も積極的に編集に参画。とくに本年号より一段と立派な専門誌となりました。最新号・特集テーマは「社区営造」、10本余の報告が掲載されています。どなたか年報18号に紹介していただけませんか。
▼古いアルバムから−福建省・2004生涯教育フォーラム。(福建農林大学、2004年12月2日)
後列中央に小林文人、その右へ、呉遵民、末本誠、陳宜安ほかの皆さん。 *福州・北京の関連写真→■
3077号【2013年5月1日】
■≪5月〜6月のスケジュール≫
五月となりました。薫風の候、GW,皆さんそれぞれの連休、如何お過ごしですか。中国も“国際労働節”や“五四”で連休。常連・烟台の伊藤長和さんからの風、「明日26日からゴールデンウィークです。私は南京に行ってきます…」(「烟台の風」292号まえがき)。烟台からの定期便が来ないので、おかげさまで南の風も静かな誌面づくり。
当方いつも五月に入ると、福岡・油山の隠れ家に遊び、エビネ蘭を楽しむ慣わしでしたが、今年はなかなか東京を離れられず、連休明けに一段落して(ドンタクの雑踏が収まったころに)福岡入りするつもりです。
昨年の五月「入院騒ぎ」から、ちょうど1年経ったことになります。あの折はまったくお騒がせ。おかげさまでその後はきわめて順調です。術後1年の定期診断、(ドクターの都合で六月に)内視鏡を呑む予定になっていますが、何もないはず!と確信しています。
数日前にTOAFAEC 事務局の皆さんと「5月〜6月スケジュール」についていくつか相談しました。事務局長・遠藤輝喜さんから来たメール。「…5月定例研究会は、31日(金)白井健二さん(法務省)のお話を聞き(栄転の)お祝いの会。会場は高井戸地域区民センター第5集会室を押さえました。竹峰さん報告は後日?
6月の定例会は、21日(金)に東京社会教育史研究フォーラム・荒井隆さんの報告会と合同。会場は同区民センター第3集会室です。」(Mon,
29 Apr 2013 10:19)会場確保に感謝。
六月初めは学会「六月集会」、それに合わせてTOAFAEC 「総会」を開く予定。また七月は恒例・七夕の会も企画され、行事が続きますので、6月定例会は東京研究フォーラムと合同のスケジュール案となります。いま決まった日程をHPに書き入れました。ご覧いただき内容チェック願います。
→■
6月から7月を含めたスケジュール表などアップすると、今年も前半が経過したかのよう。早いものです。研究会の持ち方やテーマ・ゲストについてご提案・要望などあれば、ぜひお寄せください。
3076号【2013年4月29日】
■≪4・28をめぐって−沖縄各紙≫
今日4月29日、昔は「天長節」(戦後は天皇誕生日)と呼んでいました。先日の研究会後の交流会。あと一つの、私たちの、東アジアの、海を越えて歴史的に忘れてはならない日、を想い起こしながら、東アジアの記念日を提唱してはどうか、などと談論の花が咲きました。
たとえば、2月28日(台湾二二八事件・暴動と弾圧)、3月1日(朝鮮独立運動)、4月28日(沖縄・屈辱の日)、5月4日(中国・五四運動)、6月23日(沖縄戦・終結)、8月15日(日本敗戦)、9月18日(柳条湖事件、十五年戦争の始まり)、10月21日(国際反戦デー)などなど。
4月29日の沖縄各紙。昨日の政府“主権回復”式典、沖縄の抗議集会をめぐって、その筆に力が入っています。沖縄タイムス「4・28抗議大会・新しい風が吹き始めた−がってぃん(合点)ならん」(社説)など。
→■http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-04-29_48631
琉球新報「祝賀と抗議の溝 許されない新たな屈辱 沖縄の辛苦なくす主権を」(社説)など。その結びに「非対称際立つ日米」を書いています。
「…沖縄に大部分の負担を負わせた日米同盟のイメージは両国で異なる。米国は日本を保護下にあると見せ掛けつつ独立国としての対米交渉能力を弱める仕組みを維持してきた。沖縄を犠牲にした安保体制に安住したまま、日本は主要政策の大半で米国に異を唱えない。非対称性が大きすぎる。」
→■
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-205977-storytopic-11.html
八重山毎日新聞は「4・28をどう教えるか−沖縄教員の素養として教壇に立とう」(27日・社説)と呼びかけています。
→■ http://www.y-mainichi.co.jp/news/22349/
3075号【2013年4月28日】
■≪思いがけないメール≫
4月26日の定例(194回)研究会は、久しぶりに「沖縄」がテーマ。山口真理子さんから報告が届きました(上掲)。当日は参加者が少なく、まことに残念でしたが、語り合われた内容は、沖縄近代における風俗改良運動の歴史、共同店100年(奥)史にみる共同体の思想、現代地域づくりと社会教育の課題(名護)など盛り沢山。
話は次々と発展して尽きるところがありませんでした。これまで忘れたことがない研究会・写真を撮る余裕がなかったほど。・・・後半は(お察しの通り)楽しい酔いのなかでカメラのことなど念頭になし。…というわけでHPに(この10年)掲載してきた研究会写真、今回は収録できません。
TOAFAEC 研究会の歩みのなかで育んできたルール。編集会議や研究会の語らいの記録を大事に残す。できれば1両日中(その日のうちに!)作業をする、日が経てばそれだけ記録作業は劣化する、などと言い交わしてきました。この文化は定着してきたはずなのに、まだ東京社会教育史研究フォーラム(4月19日)記録が未着です。もう10日が経過しましたよ。
この1両日、思いがけない人から来信がありました。お一人は朝日新聞の氏岡真弓さん。「南の風」にも関心おありとのことで、本号より配信リストに加わっていただきました。新参加のご挨拶も頂戴しました(上掲)。故伊藤寿朗さん(風3070号ぶ欄)との出会いの頃からのことを思い出しています。すでに4半世紀前のこと。今後どうぞよろしくお願いします。
あとお一人は、丸浜江里子さんから。最近は「風」への寄稿が少なくなっていましたが、原水禁運動(安井家)資料のことや、安井節子さんの動静も伝えていただきました。私信のようであり「風」には載せていません。安井節子さんもお元気になられたご様子。そのうち思いがけないメールが届く日を期待して。
3074号【2013年4月26日】
■≪沖縄デー・屈辱の日≫
やや不順ながら、東京は花粉の季節を脱して、今日いい陽がさしています。ようやく風薫る季節に入ったような。TOAFAEC
関連の研究会も活発な動き、皆さん元気で何よりです。
4月28日は、政府式典「主権回復の日」とか。それにたいして沖縄では「屈辱の日」であることは疑いない事実。対日平和条約発効の1952年当時を想い起こしてみると、「全面講和」とか「破防法(破壊活動防止法)反対」をテーマに連日のデモ、1952年・5月メーデーは宮城前広場「血のメーデー」の年、騒然たる時代でした。
しかし4月28日を「屈辱の日」とはまだ言っていませんでした。(若い教師になった)1960年代には「沖縄デー」と称して、学生運動のデモの日。4月から5月へ、風薫る初夏の想い出は、沖縄デーから5月メーデーにかけてのデモの季節というイメージでした。4月に入学してきた新入生たちは、ここでデモの洗礼を受け、一人前の学生になるような感覚を覚えたものでした。
「屈辱の日」という言い方はいつ頃からだろう、案外と1972年・復帰以降ではないかと思っていました。辺戸岬・祖国復帰闘争碑の「屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれ」の文言が印象的だったからでしょうか。今日の朝日新聞(26日記事)が、沖縄県祖国復帰協議会が結成され(1960年)、その翌年の県民総決起大会で「屈辱の日」と呼ぶようになったと書いています。「…誰かが“屈辱”と言い出すと、賛同者が相次いだ。…3時間近い議論の末、この日を“屈辱の日”と呼ぶことが全会一致で決まった」と。
3073号【2013年4月25日】
■≪明日は4月定例研究会≫
2013年「東京の日本語教育を考えるつどい」5月26日(日)は今年で10回目になるそうです。そのご案内と、奈良から春日中学夜間学級への訪問記事などが並びました(上掲)。風には常連の関本保孝先生(東京夜間中学研究会)と、久しぶりの藤田美佳さん(奈良教育大学)、有り難うございました。風3068号の澤井留里先生(東京夜間中学)のメールにも連絡をとっていただくとのこと、どうぞよろしくお願いします。
明日26日は4月の最終金曜日、TOAFAEC定例(第194会)研究会です。4月28日沖縄デーを意識したわけではありませんが、折良く沖縄をテーマとしての開催。話題提供は沖縄研究を重ねてきた井谷泰彦さん、3月に「やんばる対談」へ同行された武田拡明さんと同じく上平康博さんの3人。いろんな話題が語られることでしょう。会場は杉並・高井戸地域区民センター(第5集会室)。詳細は「ご案内」(3063号)を。お誘い合わせの上ご参加下さい。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kenkyukai2013.htm
今朝25日の新聞は、新彊・カシュガル地区(ウイグル族が多い)で衝突があり、警官ら21人が死亡したニュースを伝えています。漢族による共産党政府への民族不信が渦巻く地域。2009年ウルムチ暴動が想い出されます。朝日報道によれば「自治区とはいうものの、トップの党委書記など要職は漢族が占め、宗教や教育などの自由も奪われているとの不満が多い。沿海部から企業が進出し、経済の主導権も漢族が握っていることから、漢族は資源を奪い自由を奪ったとする感情もある。…」(北京・奥寺淳)と。
3072号【2013年4月23日】
■≪竹富島の自治と共同≫
お気づきの方も多いと思いますが、最近は本欄に変換ミスや脱字あり申しわけありません。HP収録分は訂正できますが配信した風は追っかけ
て直すすべなく、また(横着をきめて)訂正も出さず、お許し下さい。
前号に年報18号・編集委員会(21日)の頑張りを書きました。その続き。午後の公開座談会では、特集テーマ(東アジア生涯学習における自治と共同)に関わる総括的な論議。概略は上掲・報告の通りですが、東アジアの象徴的な地域・沖縄についても(短く)発言の機会あり、竹富島の事例を取り上げました。竹富島についてはHPにも諸記録を収録しています。
→■
当日の諸報告のなかでも注目を集めたのは、韓国の(ソンミサン・マウルなど)市民運動・共同体づくりでした。竹富島については、あえてそれと対照的な違いや特徴を出してみました。歴史も地域も当然違いがあり、それらの多様な展開のなかから“自治と共同”の共通の歩みと課題を考えてみたかったからです。
まず第一に、集落を基盤とし伝統的な住民組織の挌闘のなかから自治と共同(公民館)の営みが重ねられてきたこと(マウル運動は新しい組織づくりの場合が多い)。第二に(離島だからと言って)現代の動きに離れているわけではない。島内から外への熱い視線があり、外から内への支援の輪も大きい。第三に島独自のコミュニティビジネスが形成されてきたこと。第四に古い祭祀や行事のなかで伝承されてきた文化(祭り・芸能など)と共同の精神(うつぐみ)が現代に生きていること、などなど。
▼座談会2,左・上田孝典(中国報告)、内田純一(台湾報告)、李正連(韓国報告)−東大・20130421
3071号【2013年4月22日】
■≪編集会議の活況≫
19日の東京社会教育史研究フォーラムのあと、20〜21日は韓国生涯学習研究フォーラムと「東アジア」年報18号編集会議、連続スケジュールがなんとか終わりました。少し発言したり、そのためにレジメ・メモを用意したり、3日続くと、やはり疲れるものですね。
3日目の最終ビールも早々に切り上げ、案外と早めに帰宅しました。それにしても編集会議のため、はるばると佐賀・高知から上京の上野・内田両氏、疲れ直しのビールも飲まず、とんぼ返りの忙しい日程、負担もあり、まことにご苦労さまでした。
皆さんのご参加で、手づくりの「東アジア」年報の編集会議も、年々充実してきたことは確か。スタート時の細々とした経過を知るものにとって、なんとも嬉しいことでした。とくに21日午後の公開座談会は、15人を超える参加者による4時間に近い集中した論議。中国、韓国、台湾、そして沖縄や内モンゴル、川崎などの発言が並びました。論議を聞きながら、ひととき幸せな気持にひたっておりました。この拡がりがどのように座談会記録として18号へまとめられることになるか、これからが楽しみです。
自由投稿論文の応募も十指をこえる盛況。できるかぎり希望に応える方向で話しあわれました。追って編集委員会からのご報告・連絡が届けられることになりましょう。東大・李正連研究室にお世話になりました。
21日当日、法務省大臣官房・広報室長に栄転した白井健二さんと樋口知子さん(年報カット担当)の夫妻が拙宅を訪問。不在を知って東大教育学部の研究室前で約1時間待ったそうです。室内の熱気が伝わって遠慮・退散? 知子さんだけが座談会終了時に現れ、久しぶりの再会となりました。白井さんには失礼しましたが、そのうちお祝いの乾杯をいたしましょう。
▼「東アジア生涯学習における自治と共同」座談会、上野景三(進行)、金侖貞(韓国報告)−東大・20130421
3070号【2013年4月20日】
■≪11年前の写真≫
東京社会教育史研究フォーラム・テーマ「東京の博物館史をどうとらえるか」、“地域博物館”実践の視点から栗山究さんの報告(19日夜、上掲)。懐かしい伊藤寿朗さんの名前が繰り返し出ました。当夜の報告はいずれ風に寄せられると思いますが、ぶんじんも当時を想い出して、いくつかの回想。伊藤寿朗さんを名護の(勢いよく誕生したばかりの)博物館に連れていったことなど話しました。
故伊藤さんは、東京学芸大学の博物館学担当(専任)、まだ50歳にならない若さで惜しまれながら早逝。提唱してきた地域博物館論はその後に各地で実践的に取り組まれてきたことなど(栗山報告)。伊藤寿郎も、この夜の論議をどこかで見て(聞いて)いて、幸せな一夜だったのではないか、と思いました。
終わって「イーストビレッジ」でも話は続く…。沖縄のこと、名護の全国集会への参加のことなど。2002年当時、栗山くんはまだ学生だったそうですが、想い出深い山羊(ヒージャー)屋の会にも参加していたらしい。
名護・全国集会初日は、台風が襲来し集会初日の公式プログラムは中止。その夜すでに名護に集まってきた全国からの集会参加者のために、稲嶺進(現市長、当時は収入役)と小林文人の連名で「山羊を食べに行こう!」企画が催されたのでした。ヒンプンガジュマル横のヒージャー屋の部屋にぎっしり、50人ほど集まって、やんばるの食文化を楽しんだのです。この夜のヒージャー会に最後まで残った面々で撮った「11年前の写真」をHPにまだ掲げていました。廃棄しようと思っている古いページ。2002年8月30日の日付で探してください。稲嶺進さんもまだ若々しい表情。竹富の上勢頭芳徳さんもいて賑やか。後列には学生の栗山君がいます。
→■ http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/2000schedule.htm
▼栗山究さん(高井戸、20120419)
3069号【2013年4月19日】
■≪連続スケジュール≫
今日(4月19日)から三日間の研究会・編集会議が続きます。日程・場所などの概要を冒頭に再掲しました。詳細についてHPそれぞれのサイトを。
→■ 4月からの、本格的な活動が始まった感じ。疲れないようにしましょう。とくに夜の楽しい会の連続、ほどほどに(自分に言い聞かせていること!)。加えて当方は、20日夜に別の用件が出来てしまって困惑。少々ハード日程です。
この連続スケジュールに、4月定例(第194回)研究会はまだ含まれていません。今月は1週間後の26日(金)に沖縄をテーマに開催予定。3人のレポート・豪華版です。4/28(沖縄デー)を前にして、久しぶりに沖縄を語り歌いあいましょう。まわりの関心ある方々をお誘いください。
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沖縄については、前号に(山口真理子さんから寄せられた)稲嶺進・名護市長インタビュー記事(毎日新聞、4月17日朝刊)のニュースがあります。本号でその冒頭部分を紹介しました(上掲)。新聞は顔写真入りで6段組みの扱い、いい内容です。取材の記者は、まとめの「聞いて一言」を次のように書いています。「…インタビューを通じて稲嶺氏から伝わってきたのは怒りではなく悲しみだった。…普天間飛行場移設問題を、稲嶺氏は後世の評価を念頭に考えていた。この物差しで今一度考えてみるべきは、本土の側かもしれない。…(井本義親)」
前号には、夜間中学の澤井留里先生から「生涯学習・社会教育について、その基本を知りたい」との問いかけあり。どなたか応じていただけませんか。釧路の添田祥史さん(北海道教育大学・釧路校)などにお願いしたいとろこですが・・・。
3068号【2013年4月17日】
■≪三国連太郎さん逝く≫
東京・西永福の駅近くに「浜寿司」という小さな店がありました。職人気質のオヤジさんが威勢よく握ってくれた寿司屋、わが家にお客があると、よくご案内した馴染みの店です。旧ゼミの皆さんの中には記憶に残っている人もありましょう。(10年程前に息子の世代になって引っ越しました。)
この店で三国連太郎さんと一緒になったことが何度かあります。ご本人の色紙が壁に1枚飾られていました。「夢」の字、たおやかな、相貌に似合わずむしろ女性的な美しい書体でした。
三国さんが出演した映画はたくさん観てきました。急逝(14日午前、急性呼吸不全、享年90歳)された今、その印象的な場面を想い出し、また伝えられる回想から役づくりの凄さをあらためて知りました。
山田洋次監督の談話。「ワンカット出演するだけで、その作品全体がぐっと安定する。重い重い錨(いかり)のような俳優でした。魅力的なバリトンの声が再び聞けないことを、心から淋しく、かなしく思います。」
三国蓮太郎さんは、被差別部落出身であることを自ら明らかにし、差別問題にも取り組んできた人です。多分、1992年のこと。水平社宣言70年記念のNHK(教育TV?)番組で、その「宣言」全文を朗読する場面がありました。地域の暮らしの状況や、水平社運動史料などを間にはさみながら、繰り返し3回の朗読。あのバリトンの響きで「宣言」の最後の一節、「水平社は、かくして生れた。人の世に熱あれ、人間に光りあれ。」に深い思いがこめられ、胸にジ〜ンときたことがあります。いつまでも忘れられません。この番組はテープにとり何度も社会教育ゼミで紹介したものでした。
こんど浜寿司で会ったら、この感想とお礼を直接言おう、と思っていたのですが、その後はお会いする機会はありませんでした。
3067号【2013年4月15日】
■≪各地からの力作≫
昨日(14日)思いがけなく、竹富島から帰京された前本多美子さんが拙宅を訪ねてこられました。先月の竹富島・石垣訪問の際、上勢頭芳徳さん撮影の写真を持参されたのです。同行の山口真理子さんの分も。有り難うございました。あらためて当日の、石垣島の(強雨の)1日を懐かしく想い出しています(風3051号、写真も・下掲)。多美子さん、感謝!です。
3月末から4月にかけて、新著や研究論文(抜き刷り)・資料など、いろいろと拝受しています。少しでも目を通して、お礼を申し上げよう、などと思っているうちに、日数が経過して、結果的にそのまま失礼を重ねてしまうことに…。まず本欄で(失礼ながら、まとめて)御礼申しあげます。
まず大学関係では、明治大学、名古屋大学、九州大学など。また秋田青年会館「あきた青年広論」や福岡県人権・同和教育研究協議会「ウインズ風」なども。福岡の農中茂徳さんと至さん父子の文章がいま当方の机上に一緒に並んでいて、何よりも嬉しく、お祝いを申しあげたい気持。
今月26日(金)の定例研究会に報告される井谷泰彦さんからは、沖縄モーアシビ(毛遊び)についての研究など3本の論文をいただきました。
国立女性教育会館の野依智子さんからは、「ご無沙汰ばかりで申しわけありません。NWECの報告書のうち、韓国と地域活動に関わるものを送らせていただきます。」と3点の研究物。いちどTOAFAEC
研究会でお話をお願いしたいと思いながら、まだその機会をつくることができません。皆さま、貴重な成果、力作をお送りくださって、有り難うございました。
3066号【2013年4月13日】
■≪春の夜の酒≫
12日深更、しばしの酔いにうとうとして・・・いま12時の針がまわったところです。この夜“風の部屋”では、東京都社会教育史研究フォーラム事務局の皆さんが4人、ゲストの打越雅祥さん(和光大学・同窓会会長)を含めて、「東京の社会教育の歩み」についていくつかの回想・議論。ひとときの心地よい興奮もあり、賑やかに夜が更けていきました。
風の部屋の集いは、やはり飲みながら話が始まります。まだ円高のときに仕入れた安いワイン。買い置きの缶ビール。誰かが持参した軽食もあり、卓上は雑然としていますが・・・ゲストの話はなかなかのもの。1970年代の美濃部都政からすでに40年、この歳月に生きた人々に思いを馳せながら、静かに酔いが深まっていく、なんともぜいたくなひととき。
ゲストの酒への好みを見計らいながら、好きそうな人だと(確認して)やんばる古酒(クースー)をカメから汲むことにしています。山原島酒之会の教えにしたがって、別に必ず小さな瓶(大国林道)を用意し、それに汲み出してカメの蓋を閉じる、これで安心して、古酒を口に含むのです。
酒の味が分かる人は20年秘蔵の古酒に楽しく酔ってくれます。その間に、カメを愛おしく揺する慣わしや仕次ぎの技法、島酒之会の友人たちのことなど、いろいろと話ははずんで・・本題にもどすのがひと苦労。
春の夜、お出でくださった皆さん、ご苦労さまでした。こんな宵をときどきもちながら、お互いに元気を共有したいもの。上掲のTOAFAEC
事務局記事によれば、次回は総会に向けての事務局会議でしょうか。
3065号【2013年4月12日】
■≪地域に根ざす≫
数日前のどこかの新聞で、サッカー「Jリーグ・産声をあげて今年で20年」の記事を読みました。川渕三郎氏(初代チェアマン、この4月より首都大学東京・理事長)が、地域密着型クラブの普及、地域に根ざすスポーツ文化の大事さを力説。企業スポーツ全盛のなか、Jリーグは「地域に根ざす」方針で20年を歩いてきたのです。
私たちTOAFAEC の年報『東アジア社会教育研究』も今年で18号、20年に近い歳月です。その前身は「沖縄」研究、これに東アジアへのまなざしを加え、拡がりに努力してきましたが、だんだんと地域から離れていく感じ。ただ創刊以降、何よりも中国・韓国・台湾・モンゴル等についての論文や報告を掲載し「東アジアのひろば」をつくる姿勢で頑張ってきました。
横に拡げるだけでなく、6年前の第12号から特集テーマを設定。そのテーマは韓国「平生教育」、中国「終身教育」、国・地域を串刺しにて「法制論」「新しい地平」「専門職と市民」など。果たして成功したかどうか。今年の特集テーマは、既報の通り「東アジア社会教育・生涯学習における自治と共同」、いま編集作業は佳境に入っています。第3回編集会議が4月21日、東大教育学部・李正連研究室で開催されます
→■。
東アジア社会教育の「自治と共同」をどうみるか、実に面白いテーマです。編集上これにあと一つのキーワード「地域にねざす」の視点を据えてみると、作業の方向が、いちだんと具体的に見えてくるように思われます。*お詫び:記事があふれ、伊藤長和さん「烟台の風」287号は次号掲載へ。
3064号【2013年4月10日】
■≪春!胸の思いを≫
季節のなかでも春、とりわけ(時季おくれながら)“早春”という言葉が好きでした。なにか心が動きはじめるような、独特の響きがあります。唱歌の「春は名のみの風の寒さよ…」で始まる『早春賦』は、季節の情景がほとんど冬。しかし九州の、筑紫次郎なる川辺に育った少年Bにとって、早春は文字通りの春の息吹き。「昨日も今日も雪の空」(早春賦2番)ではなく、野に鳥のさえずり、土手に土筆ん坊が顔を出し・・そんな風景でした。春休みには舟を頼んで、川を下り有明海の干潟に貝を拾いにいく、はるかな想い出が懐かしい。戦争が激しくなって、春の浜下り行事も出来なくなって、回想だけの世界になりました。そして、いまは花粉の時代、“早春”という言葉そのものが私から消えていったのでした。
恨み節のようなことを書き始めて、この日誌欄・予定スペースの半分を使ってしまいました。実は、昨日(8日)の東京は春の日射し、久しぶりの体ならしに外を歩き回ったところ、夜は花粉症が再発。今日はまた花粉舞う強風、外に出たくありません。心は動きたいのに、体は楽しめず。
久しぶりの竹峰誠一郎さんのメール(上掲)。三重から東京への転勤お知らせ。おめでとう!近くなりましたね。そのうち研究会で話をお願いします。
年報「東アジア社会教育研究」18号編集会議(第3回、4月21日)の案内もようやく届きました。内容調整の上、次号に掲載できそうです。前号本欄に記しましたが、自由投稿論文の応募「締切り4月20日!」を書きそえてください(念のため)。当日の内容については、別便します。
ついでに、早春賦3番の歌詞を。「春と聞かねば知らでありしを 聞けば急(せ)かるる胸の思いを…」。難しい歌詞ですが、春の年報づくりへかける“胸の思い”。いい18号となることを祈念しつつ…。
3063号【2013年4月8日】
■≪4月スケジュール・一覧≫
4月からの新年度。TOAFAEC 関連スケジュールも賑やかにスタートしています。しかし、一昨日の低気圧・悪天候をさける日程変更もあり「ご案内」が錯綜し、全体として遅れ気味。「南の風」はのんびりと吹きたいところですが、すこし心配になって連日配信。以下の“日程・予告”一覧を書くことにします。詳細案内(時間・会場等)は追って正式に届けられると思いますので、順次掲載します。
まず韓国研究会(第41回)日程変更。4月20日(土)午後3時より東大・李正連研究室にて(確定)。中国研究会は3月末にTOAFAEC
定例会と合同で開きましたが、次回(第25回)日程の相談に至らず(未確定)。
東京社会教育史研究フォーラム(第5回)は4月19日(金)夜、いつもの高井戸にて。なお同事務局会議は、4月12日(金)夜「風の部屋」予定。
TOAFAEC 4月(第194回)定例研究会は沖縄をテーマに4月26日(金)夜、高井戸で開催されます。本号に正式案内を載せることが出来ました。
さて同・年報編集関連スケジュール。まず今年度(第18号)自由投稿の応募締切に修正があります。(風3050号に記した4月26日ではなく)ホームページ記載の通り、4月20日(厳守)となります。それを受けて、翌21日(日)午前〜午後にかけて、編集委員会が開かれる予定。場所は(高井戸ではなく)東大・李正連研究室・・・と聞いています。ご案内をお待ちください。以上一覧は「4月スケジュール」として、HPに掲載しました。関係各位には同ページをチェックの上、間違いがあればご一報ください。
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ついでに、6日の公民館学会で報告された白戸洋さん(松本大学)の写真1枚、HPに掲げました。TOAFAEC
の写真はいつもお酒の場面ばかり、との世評を粉砕するため、真剣な研究会や学会報告なども掲載しようと考えてのことですが・・・いつまで続くか。松本の矢久保さん、白戸さんにHP写真のこと、ご了承を得てください。掲載不可であれば、すぐに下ろしますと。
3062号【2013年4月7日】
■≪人騒がせな低気圧≫
6日(土)から7日(日)にかけて、全国的に強風大雨の警戒情報が出ました。二つの低気圧が西から東に進み、台風に近い大荒れ天候になるおそれありとのこと。7日予定の韓国研究フーラムについてどうするか、メールが飛び交い、結局は大事をとって中止することに。
6日午後の日本公民館学会の集い(スプリング・フォーラム)は予定通り開催されました(筑波大学東京キャンパス・茗荷谷)。しかし終了後の恒例懇親会は取りやめ。公民館学会10年の歴史のなかで初めてか。理事会を含め終了後の交流を楽しみにしてきた歳月だけに、残念な思い。
集いでは白戸洋さん(松本大学)の話が印象的でした。地域との多様な関わりをもった報告、白戸節の面白さもあり、刺激的なひとときでした。
5時すぎの集い終了後、雨がパラパラ降り始めました。矢久保学さんなど松本グループの車があり、誘われて同乗、思いがけなく永福まで送っていただくことになりました。東京で、松本の車に乗り、永福まで送ってもらうなんて2度とない、などと軽口をたたきながら、帰路を楽しみました。
松本の皆さん、東京までご参加ご苦労さま。家のそばまで送っていただき有り難うございました。この夜、風も雨も大したことなく、人騒がせな低気圧、しかし公民館学会は予定通り開かれ、いい1日となりました。
1年ぶりに松田弥花さんと会いました。「風」に早速の投稿(上掲)。高井戸で開いているTOAFAEC
の例会・集いに一度お出かけください。名古屋滞在中の呉遵民さん(華東師範大学)からもメールあり。5月に上海へ帰任とのこと。その前に信州への旅など計画しましょうか。
本号配信の直前、岡山の美若忠生さんから上掲「近況報告」着信、感謝!です。
▼白戸洋さん(日本公民館学会・スプリングフォーラム、20130406)
3061号【2013年4月5日】
■≪親指の痛み≫
前号の訂正です。本欄8行目の久茂地「沖縄教職員会館」のこと。正しくは「沖縄県教育会館(沖縄教職員会→1971年・沖縄県教職員組合の活動拠点)」と書くべきでした。その真向かいのビルに久茂地文庫の一室がありましたが、いまはすでに解体され、空き地になっていました。
さてアメリカ占領下の沖縄、基地問題等の痛苦について日本本土にとって「小指の痛み」と表現されることがありました。私はこの4ヶ月あまり「親指の痛み」を味わってきました。場ふさぎに書いておくことにします。
昨年11月に韓国・済州島へ旅したときのこと。島の南岸に(沖縄の基地増強とつながって)強権的に大規模な海軍基地が建設されていること、本欄に「江汀(カンジョン)村の悲しみ」として書いたことがあります。風2989号(11月21日)、この日は誕生日でした。
その現場を見に行った際、海辺の岩礁で何度も転びました。足腰が弱くなっているのに、気ばかり先に動いて、ゴツゴツの岩場に足をとられ無残な転倒、その際に親指の生爪を剥がしたのです。旅の同室・伊藤長和さんから頂いた膏薬を気休めに貼ったり、翌日の山歩きをパスしたり、なんとか旅をやりすごして・・・。その後、爪の裏側の内出血でドス黒く変色した親指をかかえてきました。本人は、沖縄の痛みと江汀の悲しみを共有しているような、妙な気持ちで、この4ヶ月を過ごしてきたのでした。
そして数日前、その黒い爪がポロリとはずれました。下に小さな爪が初々しく顔をのぞかせています。やっと「親指の痛み」から解放されました。
3060号【2013年4月3日】
■≪久茂地文庫≫
『月刊社会教育』が毎号連載していた「働くものの短歌」欄(見開き2頁)に、沖縄の歌人・喜納勝代さんの歌(多分『おなり神』)が紹介されたことがあります。1976年のこと。その掲載に当時の編集長・ぶんじんに長文の礼状が送られてきました。掲載は選者(中井正義さん)の慧眼によるもの、編集長は何もしていないのに…。その年の秋、喜納勝代さんは那覇市久茂地に私設文庫をオープン、同じ時期に東京では私たちの「沖縄社会教育研究会」も活動を開始。両者は同年生、今年で37歳になります。
沖縄県教育会館(沖縄教職員会→沖縄県教職員組合)の真向かいにあった久茂地文庫(主宰・喜納勝代さん)は、1980年代前半まで私たち沖縄フィールドワークの拠点でした。いつまでもその恩義を忘れません。今回の沖縄訪問では、那覇の集い(13日)に久しぶりにお会いしました。友人の国吉多美子さん(ノースウェスト勤務、当時)にもお出でいただき、再会の懐かしいひととき。
喜納さんから受けた刺激に短歌への関心があります。その後、毎年いただく賀状には俳句が飾られていて、短歌(歌集)は拝読する機会がなく、俳句の世界に移られたのかと思うほど。ところが、今回の再会で歌集『くれない』(紅短歌会発行、2012年、19号)を頂きました。毎月発刊の「くれない」(通巻129号)その合同歌集が19号を数えているのです。「人間の鎖」と題する喜納さんの歌50首ほど。いくつかをご紹介します。
◇日の丸と星条旗がはためきて 黄砂で見えぬ故郷の空
◇あの戦夕べのごとく語り継ぐ 肉親の嗚咽かすかに聞こゆ
◇人間の鎖となりて雨の中 基地を囲みしこぶしは孤独
3059号【2013年4月1日】
■≪訪沖記録こぼれ話≫
山笑う春。「故郷やどちらを見ても山笑う」(正岡子規)という句もあれば、4月は、「さくら咲き桜の下に雫する四月の雨は血しぶきならぬ」(福島泰樹)という激しい歌もあります。かって沖縄返還運動や学生運動の時代、4月の新学期(新入生)は“沖縄デー”(4・28、屈辱の日)デモの洗礼を受ける季節でもありました。私の学生のなかには、初めてのデモで逮捕された女子学生があり、救援に走りまわった年もありました。この回想は長くなりますので・・・本欄テーマに戻りましょう。
先月の沖縄訪問の記録を「南の風」にいくつが収録してきましたが、こぼれ落ちていたことがありました。まず今年の「やんばる対談」(そして名護の夜)の主役、中村誠司さんの写真が不充分でした。カメラの中から1枚を拾い出して掲げました。貫花(ぬちばな)の祝い(写真)。ご本人はHPの写真はきっとお好きではないでしょうが…お許しを。
二つ目は竹富島でいただいた“祝い酒”のこと。風2053号本欄「2本」ではなく「3本」でした。同行の山口真理子さんが3本を大切に運び、3月29日の定例研究会に持参。HP「沖縄研究フォーラム」には風2053号のタイトルを「3本の祝い酒」と修正して、次の一文を追加しました。「そして最後の1本は、昨年12月1〜2日の種子取祭(たなどぅい)の祝い酒、これはまだ大事に封を切らないで、出番をまっています。」
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/okinawaseinen.htm
三つ目は喜納勝代さん(旧・久茂地文庫)の“女流短歌”歌集(紅短歌会『くれない』2012〜13)のこと。次号に書くことにします。
▼中村誠司さん(名護、20120314)
3058号【2013年3月30日】
■≪3月研究会終わる≫
3月が終わります。年度末、皆さんのまわりにも別れや異動など話題いろいろでしょう。昨夜(29日)の3月定例研究会の会場にも電話あり、九州から東京への“栄転”お知らせでした。
電話の主は、新年冒頭の本欄(1月2日、風3012号)に「お年玉」(谷村新司CD)のことで紹介した白井健二さん(大分・中津少年学院長)でした。4月から法務省勤務とのこと。「そりゃ、ご苦労さんだね・・」と応じたあと、慌てて「おめでとう!」とお祝いの言葉を添えました。白井さんは風メンバーではありませんが、連れ合いの白井知子さん(旧姓・樋口、もとエイデル研究所)はきっと?本欄を読んでいる。ご一緒に再び東京生活だと、TOAFAEC
の有力メンバーが一人増えることになりますが…。
白井家の皆さんは、油山の寓居によく来て頂いて、農中家の父子と一緒の懐かしい写真があります。電話で聞けば、お子さんたちも今年4月にみな希望の大学入学とのこと。めでたい!一家で春を迎えた様子、嬉しい電話でした。そのうち折をみて、お祝いの会をしましょう。
29日夜の3月定例(第193回)研究会。ご報告をお願いした陸素菊さん(華東師範大学)、上田孝典さん(筑波大学)有り難うございました。そしてご参加の皆さん、お疲れさま。会場近く神田川沿いの満開の桜は残っていました。終了後イーストウッドの歓談はいつまでも終らず。若い世代は知らない・・というので「九一八・松花江上」を想い出して歌ったり、久しぶりの“歌姫”の絶唱を聞いたり。駅で別れたのは23時半近く。
無事帰宅後の孫佳茹さん(早稲田大学・院)から深夜の「お礼です」メール(上掲)。ありがとう。研究会の記録を(中国研究フォーラムのどなたか)ぜひ風に送って下さい。
▼研究会ご報告・陸素菊さん(華東師範大学)−20130329ー
3057号【2013年3月29日】
■≪辞典−ここだけの話≫
昨年11月、『社会教育・生涯学習辞典』(朝倉書店)が刊行されて4ヶ月が経ちました。出版が実現し(思いのほか!)売れ行き好調、また徐々に評価も拡がってきているようで、この企画に関わったものとしては嬉しい限りです。「南の風」を通して、多くの方が購入・普及にご協力いただき、有り難うございました。
朝倉書店編集部の野島薫さん(辞典・担当)から「風」あてに、こんなメールが届きました。「…さすがに3月下旬に入り、辞典の注文も鈍ってまいりました。価格が価格だけにご購入につながりにくいこともあるかと思いますが、社会教育分野の方々であれば、絶対に損はありません、生涯の宝物になると思います。ここだけの話ですが,南の風(小林文人先生)経由なら、著者割引も可能です,ご連絡をお待ちしております。」とのこと。
野島さんの別便。「私事で大変恐縮ではございますが・・・今春4月から最長で1年ほど産休・育休に・・・」とのお目出度いお知らせ。辞典編集10年。その誕生までを見届けて、ご自分の産休へ。お見事なスケジュールというほかありません。ご安産をお祈りしています。上記「ここまでの話・・・著者割引」のこと。ご希望の方はぶんじん宛にご連絡ください。責任をもって書店につなぎます。
今日29日の研究会。いま李正連さん(東京大学)から届いた連絡。「…今日の研究会には残念ながら出席できません。石川県内灘町の公民館調査のためいま新幹線で移動中です。今日の研究会では陸さん上田さんが発表するんですね。お二人によろしくお伝え下さい。」(Fri,
29 Mar 2013 11:35)
3056号【2013年3月28日】
■≪カレン族の若者≫
やや体調不良、やんばる・八重山への旅疲れか。いつものワインがあまり美味しくありません。ようやく花粉も盛りを過ぎたというのに…。
27日夜は、風の部屋で「東京社会教育史研究フォーラム」の事務局会議。多忙のなか、山添路子さん(エイデル研究所)も見えましたので、歓迎の意をこめて、やんばる古酒カメから(久しぶりに)少し汲みました。手もとの「大国林道」小瓶に取り分け、同席6人でちょっぴり口に含みました。さすが、やんばるの味、いまちょうど20年目のクースー。部屋に芳香ただよい、まろやかさ、こたえられません。これでようやく元気を出し、話もはずんだという次第。山原島酒之会(ぶんじんも会員)へあらためめて感謝!
皆さんと別れて5階(自宅)へ。上掲・関本先生(東京・夜間中学)から、別の2通目メールが届いていました。「…本日27日(水)夜11時より、文花中学夜間学級生徒(この3月卒業)のベントゥー君(ミヤンマー難民)について特集があります。TBSテレビ「VEWS23クロス」にて〜18歳 日本で就職したいカレン人難民青年の夢〜」のご案内。時計の針はちょうど11時、間に合いました。メールは続いて…「以下は、昨年5月の東京都夜間中学校研究大会でベントゥーが発表した原稿です。ご覧下さい」と。
→■
http://www.sumida.ed.jp/bunkachuyakan/life/index.files/toyachuugenko.pdf
お知らせ、有り難うございました。しみじみと観ました。米・加・豪など各国が数万規模で受け入れている難民「第三国定住」制度、日本はわずか27人(2010年、2011年は18人、2012年は0人)、そのなかの1人がカレン族ベントゥー君なのですね。夜間中学の先生方は、このような若者たちと対話し、励ます仕事をしているのか、と胸が熱くなる思いでした。
明日(29日)は3月定例研究会です、案内を上掲(再掲)。陸素菊先生の歓迎会も。あわせて遅ればせに花見の会にもしましょう。ぜひご参加を。
3055号【2013年3月26日】
■≪沖縄のエネルギー≫
過ぎし昔の“沖縄病”、いま発熱の症状ではありませんが、しかし思いは持続して、1976年冬の沖縄訪問から数えるとすでに35年余。多いときには正月早々に出かけ、2月から3月の休みにゼミ旅行、4月から5月の連休にも遊びに、と毎月沖縄に渡っていた勘定、そんな年もありました。しかし今回は1年ぶりの沖縄、八重山には(なんと!)3年ぶり、こんなご無沙汰は初めてのこと。
昨年「やんばる対談」も3月でした。この1年は思いがけない入院騒ぎ、殊勝に酒から遠ざかり蟄居謹慎していた時期も重なって、必然的?に沖縄に向かう足どりは鈍ったようです。それだけに久しぶりの訪問・再会の喜びはたとえようもなく、写真・資料を整理しながら余韻にひたっています。
とくに、ずっしりと重い力作をいろいろと頂戴しました。あまりにも重く2回ほど宅急便。ようやく落ち着いて頁をめくっているところです。他の仕事が進みません。感謝をこめて!いくつかご紹介しておきます。
まず名護市史・本編8・資料編『芸能』(2012年)。「地域文化誌の金字塔」(三隅治雄・芸能学会長)と絶賛されたもの。南の風でも昨年2965号に「おきなわ短信」(710)として同書評を掲載しました。同じ名護では天仁屋小学校「五十年史」(1994年)。島袋正敏さんが記念誌づくりの中心となられたもの。正敏撮影の写真がたくさん収録されています。やんばる対談の当日に底仁屋公民館で頂きました。
山城千秋さんが“生まり島”の『津波古誌』(南城市佐敷、2012年)を持参されました。見事な出来映え、地図やDVD
も添えられて、美装にも圧倒されました。竹富島・上勢頭芳徳さんたちの『このまちに生きる−成功するまちづくりと地域再生力』(2013年、彰国社)は既報の通り。また国吉多美子さんや喜納勝代さんなどからエッセイ集を含めて資料いろいろ。
帰京してみたら、鳥山淳さん(沖縄国際大学)『沖縄−基地社会の起源と相克1945〜1956』(2013年3月10日、勁草書房)が届いていました。博士論文が基礎になった力作。出版おめでとうございます。皆様、有り難うございました。
3054号【2013年3月24日】
■≪旅の失せ物≫
この(ぶ)欄を楽しみに読んでいます(この欄だけ読んでいる)、そういう人があって、さて今日は何を書こうかと身構えるようになりました。いつも理屈っぽいことを書きがちなので、ときには柔らかなテーマで・・・と思いつつ、色気のある話など、最近はあろうはずがなく、困ってしまいます。
今日は珍しく人生論を書くことにします。人の生涯はまったく思う通りにはならないもの。“生涯設計”などあまり真剣に考えない方がよろしい。人の生涯には得るもの、もちろんあり、同時に、なんと失うものの多いことか。八十年を生きてきて、数えきれないほど、多くを失ってきました。
私の場合、落し物を含めて、失いしものは、まずは恋、そしてお金、財布、ようやく買ったオメガの時計、頂き物のモンブラン、カメラいろいろ、あるいは帽子・マフラーの類。だんだんイヤな思い出が蘇ってくる。ちょっと一杯!を用意し、一息入れて続きを書くことにします。(ヤレヤレ!)
旅には必ずや失せ物あり。その被害の少ないことを祈るのみ。2000年夏に谷和明さんと、ドイツの温泉(たぶんライン河沿いの
Wiesbaden)に遊んだとき、浴場内でドイツ淑女の全裸姿を垣間見て・・・。このときはなぜか靴下の片ッ方だけ失いました。実に珍妙な恰好でフランクフルトまで帰った記憶。カッコ悪いけど、おそらく被害額としては最も小さな失せ物か。なぜかいつまでも憶えている珍事でした。
今回の八重山の旅の最終日。新石垣空港から(宮古にも寄らず)羽田への直行便。もちろん初めてのフライト。嬉しくなって、前の方のゆったり席にチケット変更。ビールも買い込み、2時間半を楽しみました。途中で5年使ってきた野帳(フィールドノート、沖縄調査の全記録、折々の歌の下書きも)の整理を始めました。しかし、すぐビールの酔いでぐっすり。羽田近くのアナウンスに目をさまし寝ぼけ頭で降りました。このノートこそ何にも代えがたい宝物!を機内に置き忘れたのです。帰宅し一段落したところで失せ物に気づきました。翌早朝にJALに連絡、この宝物は見事に戻ってきたのでした。失せ物はときに戻ることありという話。今回は他に旅の失せ物はなく、お祝いの乾杯を重ねた次第。
▼戻ってきた沖縄フイールドノート(赤い表紙、130324)
3053号【2013年3月23日】
■≪2本の祝い酒≫
22日夜は、年報第18号編集委員会(第2回)でした。案内不充分で、こぢんまりした集まり。しかし、いろいろ論議が弾んで春の夜の酒となりました。内容はいずれ寄せられる報告にお任せして・・・いつもの「イーストビレッジ」の交流会へ。すぐそばを流れる神田川の桜はほぼ満開。今年の桜は早めにやってきて、まだ残る花粉症の身には、ゆっくり花見の気分ではないけれど、花よりダンゴ!思わぬ祝い酒に酔いました。
先日の竹富島の夜(17日)いただいた2本の祝い酒。一つは「竹富町立竹富小学校創立120周年」記念(式典・6月30日)の30度「請福」。石垣の銘酒です。何より佐賀から上京の編集長・上野景三さんへの感謝の乾杯。竹富小学校には20年前の創立百周年記念誌『うつぐみ』の大作があります(B5版861頁、1993年刊)。そして昨年に120周年を迎えたのです。
竹富島の離島の苦しみは、1950年以降に人口流出を招き、一時 250人まで減少。しかし1990年以降はむしろ人口増に転じ、いま350
人前後に増加してきました。2007年には小さな村に5人の赤ちゃんが生まれて、地元紙もこれを報じた写真が自慢。自分たちのシマづくりが“離島の人口増”を呼び学校も賑わいを見せ、120年の歴史を祝う酒はことさら美味なのです。
18号編集会議としては上勢頭芳徳さんに再度登場いただいき、シマ共同体の“自治と共同”について,お話しいただく機会を相談しようということになりました。上野編集長からお話があると思いますので、その節はどうぞよろしくお願いします。
あと一つ祝い酒は、阿佐伊孫良さんからいただいた「南ぬ島・石垣新空港開港記念」の1本、これは29日・定例研究会で開けることになりました。
3052号【2013年3月21日】
■≪公民館の憲章≫
明日(22日夜)の第2回編集委員会案内が正式に届きました。予告があったとは言え、慌ただしいご案内、皆さま、万障繰り合わせてご参集を!
会場・高井戸を流れる神田川の桜も咲き始めていることでしょう。
沖縄研究フォーラムについては、先日の那覇で山城千秋さんと協議する機会がありました。第18号についていくつか案を出しあいましたが、千秋さんにその後の展開があれば、ご連絡ください。八重山では、竹富島の上勢頭芳徳さんと話をしながら、年報づくりにどう具体化できるか、とくに特集構成に関わって、いいアイデアがないかといま考えているところです。
前号に紹介した『このまちに生きる−成功するまちづくりと地域再生力』(2013年、彰国社)、竹富島についての上勢頭芳徳、西山徳明(九州大学)両氏の報告とそれをめぐってのパネルディスカッションが面白い。歴史に生きてきた島の自治と共同、社会組織と精神風土、文化の刷り込み、竹富島憲章と公民館の果たす役割など。
沖縄の字公民館では、それぞれの集落自治と共同を言語化したとも言える「公民館憲章」づくりがあります。ホームページに7事例を収録しています。→■
とくに竹富島憲章の経過が私たちの心を引きつけてきました。島の土地を買い占めてきた本土資本の跳梁に抗して、「売らない、汚さない、乱さない、壊さない、生かす」(1986年)の5原則。そのモデルとなった「妻籠宿を守る住民憲章」(1971年)は、「売らない」「貸さない」「こわさない」とうたっていますが、「貸さない」原則について、竹富島でも検討を要する新しい事態が生じています。
▼宮良(石垣市)公民館憲章(宮良公民館・横、1984年制定・1985年建立、130318)
3051号(2013年3月20日)
■≪八重山訪問≫
本欄(3045号など)に書いてきたように、久しぶりの石垣そして竹富島でした。何よりも嬉しかったのは、私たちの八重山研究(最初のフィールドワーク1979年以来)の水路を開いて下さった渡慶次賢康さん(もと県社会教育主事、市社会教育課長、石垣中学校長など歴任)と再会できたこと。戦後八重山の社会教育資料調査はもちろん、その後の与那国調査、あるいは平久保「ぶんじん歌碑」を含めて、そのきっかけをつくって下さった方です。しかし倒れられて闘病・リハビリの毎日、お会いする機会がありませんでした。ところが今回はお元気な姿で、石垣港にご夫妻で迎えていただき、昨夜(18日)は上勢頭芳徳さん(喜芳院蒐集館長)もご一緒の食事会。
この2日間の記録を一通り書いておきましょう。17日「南ぬ島(ぱいぬしま)石垣空港」に降り立ち、渡慶次ご夫妻とお会いした港から竹富島へ。いろいろと新しい風景。喜芳院蒐集館には梵鐘と「あそびに学ぶ ムーヤマの島 語りきわめて 未来ひらきし 上勢頭亮翁」の碑。午後6時には鐘をつかせて頂きました。夜の集いは上勢頭芳徳さん、阿佐伊孫良さんと拓さん、竹富滞在中の前本多美子さん。テープに記録しておきたいほどの“ゆんたく”。
18日は再び海を渡って石垣へ。芳徳さんに運転していただき北上、平久保へ。ところが警報が出たほどの集中豪雨(短い時間に死者が出た)、雷鳴もとどろき、南の島の激しさを実感しました。帰路に白保(「安里屋ユンタ」歌碑)、宮良(「宮良公民館憲章」碑)の両公民館をまわり、ホテルでの(上述)夕食会へ。終日の運転をしていただいた芳徳さんの見事なハンドルさばき、細かなご配慮、有り難うございました。
その後、新垣重雄さん(島そば一番地、元社大党書記長)、またその後に上地武昭さん(沖縄大学)が姿を現して、びっくり。上地さんは平久保に歌碑を訪ねて、数時間前にぶんじんも来たことを知ったそうです。
忘れがたい1日。来し方を想い、これからを語りあった八重山訪問となりました。19日に1週間の旅を終へて石垣空港から帰京しました。
▼左より上勢頭芳徳氏、小林、渡慶次賢康・美智子夫妻(石垣グランドホテル、20130318)
*撮影:新垣重雄氏
▼平久保・ぶんじん歌碑。左・米盛三千弘夫妻、小林、上勢頭芳徳さん(20130318) 山口真理子さん撮影
*南の風・後記・3001〜3050号 →■
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