南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
3050号【2013年3月16日】
■≪沖縄の旅・再会と出会い≫
昨年末に「南の風」3000号ゴール到達。しかし皆さんの声に押され、逡巡の末、新しい風3001号をスタートさせました。それから本号まで50号。ちょうど90日目です。寄稿いただいた皆さんの迫力を感じてきて3ヶ月でした。とくにこの間には、韓国・中国・東京(社会教育史)各研究フォーラムそれぞれの(これまでにない?)活発な動きがあり、当方も「風」を吹き続けることの意義をあらためて確かめる日々でもありました。
しかし正直に申せば、少々の息切れがあります。あと少し余裕をもって気楽に吹きたい。TOAFAEC
事務局として(風とは別の)広報機能・ホームページづくりなど検討を始めることはできないか、実務的な責任から解放されれば、結果的に「風」は長続きするのではないか、などの思いあり。
さて1年ぶりの沖縄の旅、予定通り、いや予定より忙しく、賑やかに続いています。思いがけない再会、新しい出会い、嬉しいことです。
前号(那覇)のあと名護へ。まず14日午後は「やんばる対談」。中村誠司さん(名桜大学)を囲んで、たっぷりと話を聞きました。夜は誠司さんの「定年を祝う会」。親しい皆さんが集まりました。市史編さんや字誌づくりに関わってきた仲間・後輩たちからの遠慮のない回想を聞きながら、名護で仕事をしてきた誠司さんの幸せを思いました。市長の稲嶺進さんからも型にはまらない心温まる挨拶。末本誠さん(神戸大学)も出席。
15日は那覇に戻り、夜は久茂地「苗」(35年来の付き合い居酒屋)へ。田中治彦さん(上智大学)が合流して、話は尽きず。南の風を田中さんにも送ることになりました。
16日午後。平良親徳氏(1950年代に沖縄青年団運動、その後に教員、琉球政府時代の社会教育行政担当、高等学校長など歴任)の聞き取り。夜は東町「山海」(25年来の付き合いヒージャー屋、黄宗建先生を案内したことも)へ。和光大学ゼミに囲まれている15年前の写真に再会。17日から石垣・竹富島の予定です。
▼右端・中村誠司さん(名桜大学)定年を祝う会、隣は稲嶺進さん(市長) −名護市、20130314夜−
▼2013「やんばる対談」−中央・中村誠司さん、左・比嘉ひとみさん (名護・底仁屋「蔓草庵」にて、20130414)
3049号【2013年3月14日】
■≪那覇にて≫
13日朝の東京はひどい強風でした。山手線など電車も一時止まって、フライトに間に合うか心配なほど。成田では飛行機の欠航便も出たそう。羽田からは順調に飛びました。風で花粉も異常?な乱舞。
午後4時すぎ那覇に着きました。ホテルに投宿してパソコンをつないでみると、名護から島袋正敏の上掲メール。あわせて「やんばる対談」について次のご連絡(メールの続き)。有り難うございます。
「…14日の対談は蔓草庵2時ですが、少し前に来られて、近くの底仁屋公民館で区民の写真展、クラシックカメラ、少しですが手づくり工芸品など、小さな展示会が1日から20日まで行なわれていますので、覘いてください。コスモス畑も満開です。過疎の小さな集落に少しずつ元気の芽生えが…。」また夜の中村誠司さん「退職激励会」についてのご案内(アルコールの方3000円、飲まない方2000円。30名ほどの参加予定)。
13日夜の那覇「おきなわ社会教育研究会」との交流会はは賑やかでした。東京の「沖縄社会教育研究会」が1976年。その翌年に那覇の研究会が発足したのでした。すでに35年余の歳月。この間、亡くなられた方もありますが、出席者はみな元気。研究会の曲折はもちろん、しかし継続してきたことは事実。
→■
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/1976toafaeczennsi.htm
研究会発足当初からの主要メンバーの顔が並んで、感慨深いものがありました。この間に何が出来たのかなどの盛んな論議。しばし若者になった気分に。東京での花粉症は、那覇の暖かい空気に触れて、1時間ごとに回復していきました。
▼おきなわ社会教育研究会との交流(那覇、130313)
3048号【2013年3月12日】
■≪風の賑わい≫
前号に李正連さん(東京大学)紹介の近刊『日本の社会教育・生涯学習』ニュースを載せましたが、そのコラム(世界の生涯学習)執筆者のお一人、ユネスコ・ダッカ事務所の大安喜一さんからバングラデシュ・レポートを頂きました(上掲)。コラム原稿の校正をお願いし、その返信に添えられた一文。ノンフォーマル教育(NFE)、識字教育やCLC、地域づくりなどの興味深いご報告。有り難うございました。
「南の風」の南は、沖縄ではなく、はるか遠くバングラデシュにウイングが拡がったような気分。なかでもレポートの最初のところに「法制化に関わっています」とあり、バングラデシュにどんな法制が生まれようとしているのか、これからの動きが楽しみですね。
ところで、長文の「風」が続いて申しわけありません。しかも隔日発行のリズムがくずれ、ここ数日はほとんど連日の勢い。発行者の責任?ではなく、寄稿者の“勢い”に押されてのこと。風の賑わい、当方としては編集箱の滞留メールを少しでも減らしたい思い。ややアップアップの状態です。とりわけいま花粉症の季節、加えて(毎年のことながら)確定申告の作業もあり・・・やけ酒も美味しくなく、酔いもままならず、明日の沖縄行きだけを楽しみに頑張っているところに、昨日、はるばるダッカからのお便りが届いたという次第。さらに夜も更けて、「福島駅前自主夜間中学」の動き(上掲)も伝わってきました。皆さんから元気をいただきました。さて次号は(おそらく)那覇からの風になりましょう。
3047号【2013年3月11日】
■≪那覇から名護への道≫
気候不順、北日本は大荒れ・猛吹雪とか。東京にも黄砂襲来、どんよりした煙霧の状態。花粉は「非常に多い」ニュース。10日昼は夏日の温度でしたが、11日にかけては再び寒気に覆われ、ほとんど冬日の冷たさらしい。
前号本欄を受けて、今回の沖縄行きに参加される上平泰博さんからメール(上掲)。そのご返事をかねて、あらためて13日からの訪沖日程についての連絡を(重複をいとわず)一覧にしておきます。ご意見あればぜひ!
13日は那覇、午後7時に沖縄青年会館ロビーに集合。近くに移動し「おきなわ社会教育研究会」との交流。この席で14〜16日スケジュールの具体的な打合せもしましょう。この日の那覇宿泊はそれぞれに…。
14日は午前に那覇を出発。車は上平さんの車に2〜3人、また鷲尾さんの車にも2人は同乗可能。各車それぞれ自由に北上し昼食を済ませた上、名護・東海岸・底仁屋「蔓草庵」(旧学校前、御神松)に集合。午後2時から「やんばる対談」を始めましょう(約3時間程度)。主役は中村誠司さん(名桜大学教授)、それに比嘉ひとみさん(市史編さん室)、もちろん島袋正敏さんほか。楽しいユンタクの気分で進めましょう。
太陽が沈む頃、名護市中心部へ移動。「誠司さん定年を祝う会」(午後7時〜)。会場は(博物館中庭ではなく)名護十字路近く「ジョイ
JOY」だそうです。名護のいろんな人たちが集まるはず。宿は近くの定宿「山田荘」(0980-52-8829)を一緒に予約しておきました。
15日・エクスカーションは、詳細はこれから(13・14日に相談する)。連絡先は小林ケイタイ(090-7700-7756)、山口(090-1548-9595)など。16日以降の日程は、前号・山城メールなど、ご覧ください。
さて本題。本号冒頭に、一昨年から取り組んできた新刊『日本の社会教育・生涯学習〜新しい時代に向けて』(小林・伊藤・李共編)出版ニュース、目次一覧も掲げました。こんな豪華な執筆陣は二度とない!ほど。残念ながら4月の桜に間に合いませんが、5月連休明けに刊行されます。教科書に最適か、ぜひ採用をご検討下さい。
3046号【2013年3月10日】
■≪玄海の「蒙古塚」供養≫
前号ご覧のように、(中国・烟台に帰任された)伊藤長和さんの「烟台の風」
→■が再び吹くようになり、本号には久しぶりに岩本陽児さんからの便りも届いて、「南の風」はまた俄然忙しくなりました。加えて、昨年末から積極的な寄稿が続く斉藤真哉さんのメール(本号には「飯舘村」レポート)。常連勢揃いといったところ。すでに数本の滞留が始まっています。
岩本さんは昨年8月に内モンゴルを訪ねて、その報告が「草原(モンゴル)の風」として16回も続きました。しかし終わりの部分は未完のまま。誰かの柔らかな催促?に促されて、今回その最終報告(17〜20)がまとめられたという経過。ご苦労さま。そう言えば、年末の公州訪問レポートも途中まで。当方はその筆力に敬意を表しつつ、いつものこと(失礼!)なので、そのまま忘れていたほど。
今回の「草原の風」まとめは、とくに記録的な長文。すべて(例によって)HPへ収録。ただ、末尾の「モンゴル供養のこと」はとくに胸に響く内容なので上掲しました。玄海の風のなか「蒙古塚」供養、感服しました。
→■ http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/iwamoto2012.htm
あわせて岩本メールには添付写真あり、あざやか変身ぶり。しかし超重量級のサイズなので、当方の小さなHPには巨大過ぎてアップできません。
さて、沖縄やんばる対談(14日)が近づきました。山城千秋さんからの連絡(上掲)では、沖縄青年運動史証言聞き取り日程は16日(土)午後とのこと。15日は終日自由となりました。同行予定の皆さま、それぞれの事情に合わせて、ご希望をお寄せください。昨年は北上し辺戸岬から奥集落へ。今年はどうしましょうか。15日夜に那覇にたどりつくまで、どのように歩きましょうか。本号も(恐らく)次号も長文の風、ご覚悟ください。
3045号【2013年3月8日】
■≪八重山・白保との出会い−回想≫
石垣の新空港・2000米の滑走路から昨日(7日)フライトが始まったというニュース(上掲)を印象深く読みました。白保のサンゴ礁を埋めたて飛行場を造るという「白保海上案」が発表されたのは確か1979年。それからの歴史は、私たちの沖縄研究の歳月とほぼ重なります。新空港案に対しては「サンゴを守れ!」「八重山・白保の海を守る会」等の反対運動があり、計画は二転三転して、今世紀に入ってようやく「陸上案」の現在地が確定することになりました。
私たちの沖縄研究(1976〜)は、まず那覇・名護など本島を歩きまわり、その後1979年2月に初めて八重山に渡りました。最初はまだ一人旅。騒動が始まる前の静かな白保訪問、字公民館の話を聞きました。手書き・墨字の白保公民館「規約」綴が目にまぶしかったことを憶えています。
新空港をめぐって白保は厳しい苦難の歳月。集落内の分裂、県・市との対立、私たちも多くの議論をし、その過程でたくさんの方々との出会いがありました。東京学芸大学・研究室のまわりには新垣重雄(八重山文化研究会)や鷲尾雅久(白保メール)、あるいは下嶋哲朗(ノンフィクション作家)、生島融(守る会事務局長)、小橋川共男(写真家)などの皆さんが研究会に来てくださいました。
多分1985年前後か、石垣市教育委員会から小林に「公民館」についての講演依頼あり。その当日は折悪しく白保区と市当局との関係が険悪になっていた時期と重なり、演台のまわりは鉢巻姿の白保の方々に取り囲まれた経験も。渡慶次賢康さん(当時・社会教育課長)の緊張が目にやきついています。思い出がぐるぐる蘇ってきます。平久保に「ぶんじん歌碑」をつくった米盛三千弘さんも、もともとは白保の人。
今回の沖縄への旅は、やんばるから竹富島・石垣へ。初めて白保の新空港に降り、帰路は同じ白保から羽田への直行便。はるか遠くにいた私たちにとっても、新空港への感慨ひとしおのものがあります。
▼白保のサンゴ礁、下方の陸上に新空港(040921)
3044号【2013年3月6日】
■≪宮柊二の歌≫
「戦争が廊下の奥に立っていた」(渡辺白泉)という句があります。どこか遠いところに、あるいは映像の世界に、ではなく・・・暮らしの暗がりのなかに「戦争が立っていた」というのです。少年の戦時下の思い出と、夜の廊下の先の暗がりが重なって、とっても不気味な句。昨日の夕刊で、池澤夏樹氏「終わりと始まり」(朝日、5日夕)が、次のような書き出しで怖い話を書いています。「気がついたら、戦争というものがずいぶん近くにぬっと立っていた」と。同感するところが少なくありません。
ナショナリズムの危うさ。「平和というのはただのんびりした状態ではなく、戦争の原因を排除しつづけて得られる微妙な安定である。今、ヨーロッパ各国の間に戦争の気配がないのは彼らの努力の成果だ。…」
私たちはいま、一部の人たちのナショナリズム・高揚の声を聞きながら、何かをしなければならない、とあらためて思いました。
越後・旧堀之内町生れの歌人・宮柊二(みやしゅうじ、1912〜86)の歌をいくつか引きます。日中戦争下、中国山西省の戦場に5年も投げ込まれた人。南の風メンバー・森山丈順さん(現・魚沼市教委)は宮柊二記念館の仕事をしていたことあり、懐かしく思い出しながら・・・。
◇たたかひのまた来(きた)らむを脅えつつ暗々と深く黙す空気あり
◇咽(のど)乾き銃抱えつつ駆けてゐき六十一歳の夢の中にて
◇敗れたる国にひびき来新しき古き隣国の革命のさま
◇行き得ねど若しも叶はむ旅あらばギリシャよりも中国をわれは
前号記事「中国生涯学習研究フオーラム(第23回)」は、「第24回」の間違いでした。まず、小さなミスの訂正から始めましょう。
3043号【2013年3月4日】
■≪雛祭り・韓国研究会≫
3月弥生。年度末の月に入って、それぞれに気忙しい季節。そのうち皆さんのまわりにも、異動や定年など新しい道を歩む方のニュースも伝わってくることでしょう。花の粉もさかんに移動する時期となりました。
3日の“雛祭り”は日曜日、2月に続く韓国研究フォーラムでした。韓国側のお雛さま5人に囲まれて、たった2人の男(日本人)たちはとくに楽しい1日、熱心な論議が続きました。
この1年の韓国研究フォーラが取り組んでいる課題は、2006年に刊行した『韓国の社会教育・生涯学習』(エイデル研究所)の改訂版をつくること。近くて遠い国・韓国の「平生教育」について本格的な紹介をした最初の理論・概論書として、この本が果たした役割は大きいものがあったと思われます。しかし韓国のその後の展開は実に活発、本が出版された1年後には韓国「平生教育法」が全面改正されるという経過もありました。韓国の胎動・発展の動き受けて、新しい改訂版に組み直す作業が話し合われてきたのでした。
旧版の編者は、まだ黄宗建先生がお元気、小林文人と伊藤長和のコンビが加わって川崎で編集会議(2003年10月)を開いたことなど懐かしく思い出されます。今年でちょうど10年が経過。編者や執筆者の世代交代を視野に入れ、本の構成や内容に新しい視点を盛り込んで、二国間ひいては東アジアの研究実践交流の新潮流を創り出す意気込み。いい本が出来上がること間違いなし!の雰囲気で乾杯(写真)。韓国生涯学習研究フォーラム(2007年発足)としては、この日ちょうど40回目の記念すべき研究会でした。
▼雛祭り・改訂版づくりと第40会研究会を祝って乾杯!(韓国フォーラム−本郷130303−)
3042号【2013年3月2日】
■
≪春一番≫
前号本欄のミス、皆さん、お気づきでしょうか。「古酒」とすべきところが「古書」になっていました(5行目,HP修正済み)。最近は、小さなミスは(お許しいただいて)訂正記事など出さない慣わし・・・ですが、これは(酒を書と間違えるなど)大きなミス。お詫びして訂正。お酒にたいへん失礼!
3月の到来。東京はいま強い風が吹いています。昨日1日も強風そして大雨でした。しかし暖かい雨、南の風、“春一番”です。
3月スケジュール・HPアップをチェックしていたところ、嬉しいことに気づきました。TOAFAEC につながる5つの「研究フォーラム」が勢揃い。こんなことは初めてです。
→■
まず明日・雛祭りは、韓国平生学習研究フォーラム(15:00〜東京大学)、いま新しい本づくりの論議が佳境に入っています。13〜15日は沖縄研究フォーラムによる名護「やんばる対談」。そして、17〜19日は石垣・竹富島へ足を延ばす計画。帰って27日夜は、昨年より勢いよく動きはじめた東京社会教育史研究フォーラム(事務局会鍵、18:30〜、風の部屋)。最終の金曜日29日は、中国研究フォーラムとTOAFAEC
合同の定例研究会(18:30〜、高井戸区民センター)です。その間に、年報第18号・編集委員会も予定されています(22日18:30〜、高井戸区民センター)。
これらはすべて(原則として)関心ある方々、すべてに開かれた研究会、初めての方も歓迎!です。HPとしては、1997年以降、毎月かかさず案内、そして記録や写真を収録(順次撤収)。15年の記録がすべて残されいます。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/yotei0509-10.htm
関連5つの研究フォーラムが同月に揃うのは初めてのこと。ときどきこんな月を期待したい。われらの“春一番”を吹き続けていきましょう。
3041号【2013年2月28日】
■≪やんばる対談など≫
名護より久しぶりに島袋正敏さん(山原島酒之会、黙々100年塾 蔓草庵主宰)のメール拝受(上掲)。3月14日午後の2013年「やんばる対談」について、いろいろご配慮、ありがとうございます。当日は中村誠司さんを中心に、比嘉ひとみさん(名護市史編さん室)にも加わっていただけるとのこと、会場は期待の蔓草庵、どうぞよろしくお願いします。昨年も同じく3月に「やんばる対談」。2010年から今や年中行事となりました。
7月?蔓草庵の集いに参上できなかったこと、また昨年3月「対談」にみんなで秘蔵の古酒をご馳走になった経過もあり、今年は山川酒造「珊瑚礁」(他銘柄でも構いません)2本ばかり立て替えでご用意いただけませんか。本来は当方から持参すべきですが・・・島酒之会メンバーのよしみ、本土からの参加者でカメに古酒を注ぎ入れたいと思います。
当方の参加者は、小林文人・山口真理子(記録)のほか、武田拡明(川崎)、上平泰博(東京)、奥から駆けつける岡幸江(福岡)、それに沖縄研究フォーラム事務局長の山城千秋(熊本)−敬称略−の予定です。夜は中村誠司さん定年を祝う会など計画があるのでしょうか。お世話になると思いますが、どうぞよろしくお願いします。
ついでにご参加の皆様へご連絡。前日(13日)は那覇、午後7時に沖縄県青年会館(久米)ロビーに集合。近くに会場が用意されるそうです。ここで名護への移動や会計など、ご相談しましょう。
小林は、15〜16日を一応ブランクにしています。青年団OBの証言聞き取りなど、山城千秋さんの方で具体化していただければその線で動きます。17日〜19日は石垣・竹富島の予定です。
3040号【2013年2月26日】
■≪辺野古埋め立て策動−空しい歴史の繰り返し≫
風・前号の標題「3039号」、ご丁寧に重複記載。送信後に気づきました。おそらく前夜の寝酒で酔いながらの作業ミス、いま風は3回に分けて配信中、その1グループだけなので、大半の方には関係ないのですが、こんなミスがいま大いに気になる年頃なのです。
久しぶりに名護・中村誠司さん(名桜大学)からの便り。3月「やんばる対談」に向けて「…お待ちします」メールを頂きました(上掲)。5年ぶり?のメール。かなり入れ替わった最近の風メンバーには初めて見参の方があるかも…。もともとは風15年前の初期からの常連の方です。TOAFAEC
年報では2007年度(第12号)に印象深い「竹富島」スケッチが寄せられました。3月14日の再会が楽しみ。独特の“誠司節”、楽しくユンタクしましょう。すべて収録して第18号原稿にまとめます。
◆<写真→■> 12年前の中村誠司さん(写真・前列左端)。その右に島袋正敏さん、ぶんじん。後列左より2人目に
稲嶺進さん(当時は市収入役、現在は名護市長)、若い学生たちは和光大学(旧)小林プロゼミ、ぶんじんと50歳
(半世紀)離れている世代。 (名護市立中央図書館・応接室にて、2001年10月3日)
この間、風では東京の各研究フォーラムの案内・報告が相次いで、「おきなわ短信」など載せる余裕がありませんでした。関心を呼んでいた鳩山元首相の「米軍普天間飛行場の移設問題」「最低でも県外」についてのお詫び・釈明講演(20日・宜野湾)。沖縄各新聞は大きく取り上げ(上掲)、動画も配信されています。内部告発ともいうべき「告白」。しかし対米従属の外交実態、国内の沖縄差別、東アジア共同体構想など、空しい思いで聞きました。
一方で、阿倍・オバマ会談を背景に、辺野古埋め立て申請の動き、経済関係者らによる「北部地域振興協議会」による辺野古移設への決議ニュース(琉球新報、2月22日)。今朝は沖縄防衛局による名護漁協への埋め立ての同意要請。「…多くは条件によっては賛成するだろう」との見通しとか(同、2月26日)。再び急ピッチで地域分裂の策動が始まっています。
3039号【2013年2月24日】
■≪久しぶりに歌も…≫
4日ほど前に呉遵民さん(華東師範大学)より、「手紙」が来ました。名古屋から。「先生への手紙。・・・ところで、東京学芸大学の要請によって、22日・金曜日に再び東京へ行きます。金曜日は東京に泊まり、土曜日の夜に帰る予定ですが、もし土曜日に先生のお時間があれば、どこかでお会いしたいですが・・・。」(Wed,
20 Feb 2013 11:34)
小金井で開かれる同大学主催「教師教育の在り方を探る」国際シンポジウムへの出席とのこと。あいにく土曜日は先約あり終日都合がつかず。金曜日夜のTOAFAEC
2月定例研究会へ「…夜遅くまで交流会、この機会にぜひお出かけください」とお誘いし、心待ちしていました。しかし小金井でも夕食会などあったのでしょう、残念ながら、お会いできませんでした。せっかくの東京だったのに、お互い都合がうまく合わず申しわけない。あと少し早めの連絡だと調整できたかも…。次の機会を楽しみにしましょう。
この夜の私たちの研究会(第192回、東京社会教育史研究フォーラムと合同)は賑やかな顔ぶれ、活発な議論でした。もちろん終了後の交流会も楽しく、久しぶりに歌も…。最後まで残ったメンバーと別れたのは11時をまわっていたような。皆さん、元気で何より。お疲れさまでした。
昨日、ほぼ24時間で同研究会報告が届きました(上掲)。「記憶や印象が鮮明なうちに記録をつくろう」と前号本欄に書いたばかり。早速の送信、有り難うございました。活発な東京研究フォーラムを映し出して、さらに元気が出てきます。
名護・中村誠司さんからも、3月「やんばる対談」について久しぶりのメールが来ました。次号まわしとします。お許しください。
▼終了後の交流会(イ−ストビレッジ、20120222) *関連写真→■
3038号【2013年2月21日】
■≪神田そば屋の火事≫
昨日(20日)午後は久しぶりの韓国研究フォーラム。終わって夜の放心亭(神保町)へ移動の道すがら、新聞等でも報じられている火事「かんだやぶそば」の焼け跡を通りました。1923年に建てられ東京空襲にも焼け残った由緒ある建物(東京都選定の歴史的建造物)は、かろうじて外壁のみ残していました。まだ火事場特有の臭いが・・・。
このすぐ近くに東洋館出版社(淡路町)。日本社会教育学会の特別年報(たとえば学会30周年事業)等の編集作業の折々、何人もの方と立ち寄って食事し議論した思い出あり、また東洋館からご馳走になったこともありました。惜しい店が焼けたもの。この夜、なぜか近くの別の老舗・蕎麦屋に行列が出来ていました。
放心亭で別れて、6時間ぐらいしか経っていない今日未明、フォーラム事務局長・金侖貞さん(首都大学東京)から、当夜の記録が到来、驚きました。徹夜気味の作業か、詳細な内容、風の記事として少し縮小させていただいたほど(上掲)。ご了承ください。
研究会や集いについて、記憶や印象が鮮なうちに記録をつくる、「南の風」発行の立場から、かねがね事務局等の皆さんにお願いしてきたことです。一つの文化として定着してきた感がありますが、それにしても(ドイツビヤも急ピッチで飲んだあとなのに)数時間後の記録送信とは!恐縮しました。ご苦労さまでした。
3月の沖縄訪問の受け入れについて、鷲尾真由美さん(那覇)から連絡を頂きました。ご配慮ありがとうございます。状況は上記の通り(略)です。
韓国研究フォーラム(第39回)記録・写真→■
3037号【2013年2月19日】
■≪各研究フォーラム活発に≫
そろそろ花粉の季節、テレビでは花粉情報が始まって、イヤな時期となりました。気のせいもありましょうが、外を歩くと、なんだかムズムズしてきて、つい運動不足に。土筆が顔を出す早春の喜びは、30年ほど前から忘れてしまいました。
ソウルの協同組合活性化の施策、社会的企業やコミュニティビジネスなどの動きについて、久しぶりにカンネヨンさんから、心が弾むような便りが来ました。ソウル市はこれから10年間で「…協同組合の数を8千まで拡大し、地域総生産(GRDP
)の5%規模=14兆3千7百億ウォンまで増やすための協同組合活性化基本計画」(上掲)を発表したそうです。
映画「ワーカーズ」の紹介(3034号)から始まり、「労働者協同組合」(ワーカーズ・コレクティブ)「協同組合」の話題が、この数号「風」に吹いています。上平泰博さんはワーカーズコープのアドバイザー(3035号),、知りませんでした。いちど話を伺いたいもの。このテーマになると、生活クラブ生協で仕事をしていた故石倉裕志(TOAFAEC
前事務局長、2009年に急逝)のことを思い出します。今ごろ、空のどこかで「風」への文章を書いているんじゃないかと…。ほんとに惜しい人を亡くしました。
先日の中国研究フォーラムで、いま東京滞在中の陸素菊さん(華東師範大学)に、中国「職業教育」「成人教育・継続教育」についての報告をお願いしたいと相談していたところ、3月定例研究会(最終金曜日)に承諾いただいそうです(上掲・上田メール)。感謝!楽しみです。
明日(20日)は韓国研究フォーラム、22日(金)はTOAFAEC 2月定例研究会(東京社会教育史研究)です。ご案内はHPにも載せています。関心ある方、初めての方も参加歓迎!です。
3036号【2013年2月17日】
■≪年報編集会議≫
遅れていた1月定例研究会(年報編集会議)の報告が届きました。「昨年から発足した東京社会教育史研究フォーラムが加わり、おそらくこれまでの年報編集のなかでも最も賑やかな編集会議」(上掲)、記録を心待ちにしていました。問合わせも来ていましたが、自由投稿論文の締切りは、おそらく例年通りのスケジュールになると思われます。
夜の会議はいつも時間が足りない。この日はとくに今年度の特集テーマをどう設定するかが主な課題でしたが、あと1時間ほどは論議したいところ。ひとまず「東アジア生涯学習における自治と共同」(仮題)となりました。どんな論文・報告が並ぶことになるか、楽しみです。
振り返ってみると(最近は回想が多くなりました)、年報創刊の1996年以降、この時期になると、「東アジア社会教育研究」をどう創るかの苦しい取り組みが始まります。文章を書くことの苦しみと同じように、編集をする苦しみや厳しさ、そのことを実感しながら、同時に、編集の論議に加わる喜び、そして幸せのようなものも味わってきました。作業がつらいとき、いつもその幸せの側面を思うようにしてきました。
TOAFAEC の創設時、年報発行に踏み切って、財政的にも苦しい時、あえて“幸せ”な気分を発見する智恵を身につけたようです。あの頃は、内田純一さん(事務局)と二人だけで会議をしていた年もありました。それだけに1月定例研究会の賑わいは嬉しいひとときだったのです。
久しぶりに戯れ歌を二つ。(1月12日)
◇フリージァのかそけき香り わが道を励ますごとく漂う今宵
◇イスラエルとは何か問う記事ひとつ 百円ショップの鋏で切り抜く
*斉藤真哉さん「パレスチナからの風」が再び舞い込み始めました(上掲)。
▼(中国・韓国・東京各研究フォーラム主要メンバーは帰ったあと) 残った編集委員会メンバー(高井戸、20130127)。
写真移動→■(第191回定例研究会記録)
3035号【2013年2月16日】
■≪会えば杯を交わし≫
南の風はいまとくに拡げる努力をしていませんが、3000号以降に、つまりこの2ヶ月ちかくの間に、6人ほどの方が新しく参加されました。「顔の見える」ネットの経過をお話して、それぞれの簡単な自己紹介を掲載してきましたので、お読みになったと思います。それでもメンバー相互に必ずしも顔は見えませんが、ぶんじんにはすべての方の顔や表情が浮かんできます。
現在「風」は150人前後の方に送信しています。川崎などでは風のローカル配信が続いているとのこと。加えて別の個人配信などあり、合計するとどのくらいの方に風が吹いているか定かではありません。読み継がれていることに感謝し、当方としては迷惑カゼにだけならないよう、念じているところです。送信無用の場合、ぜひその旨お知らせ下さい。
本号には、上平康博さんから“新人紹介”のメールを頂きました。新人どころではない、この人に風が届いていなかったことが不思議なくらいの古い出会い(上掲)。私より一世代上の故小川利夫さん(元名古屋大学)や、その酒友の故海老原治善さん(元東京学芸大学)の謦咳に接してきた稀有の若い?世代。私も含めて、この4人はみな和光大学に関わりをもってきた歴史があります。ながい交流、会えばお互いに杯を交わして、すぐ酔いがまわるような仲でした。先日の東京社会教育史研究会でも、上平さんの奄美・黒糖酒に久しぶりに酔いました(風3020号)。
上平さんは3月「やんばる対談」に参加されるとのこと(歓迎!)。やんばるの地で古酒(クースー)を汲みながら−正敏さんどうぞよろしく−、小川・海老原両先達の思い出話にも花が咲くことでしょう。
3034号【2013年2月14日】
■≪メールいろいろ≫
各位からいろんな連絡・問い合わせ・報告など頂き、有り難うございます。メールの時代になったのは10年ぐらい前からか。それまでは電話やハガキなど。電話の記憶はさまざま。恐怖の電話もありました。いま、こわいメールがときどき。電話は残っていませんが、メールは(この10年来)すべて記録に残っています。もちろん喜びのメールもあり…。
その一部を上掲「南の風」に収録してきました。ちょうどいま15年が経過したところです(風・創刊号は1998年2月6日発行)。単純な計算をしてみると、毎年202本平均、1,8日おきに1本の風を15年間吹き続けたことになります。これだけの歳月が重なれば、風もなかなかの面白い史料。
本欄は、上に載せないメール(私信など)から一部をご紹介します。送信者もきっとお許しいただけるだろうとの判断、ぜひ!ご了承ください。まず2月2~3日に飯田市で開かれた集いについて。公民館「再生」への論議と伝え聞いていました。名古屋の松田武雄さんから来たメール。
「…飯田の研究集会は、少々変わった集会でしたが、木下巨一さんが奮闘して、随分盛り上がりました。文科省の伊藤課長や総務省の課長も来られて、ふだん出会うことのない人達が一堂に会して公民館について議論するというのは、なかなかおもしろい体験でした。」(13
Feb 2013 17:38)
東京の上平康博さんからのメール。最近(東京研究フォーラムの案内で)南の風を毎号送るようになった人。「…南の風、いつもありがとうございます。こんなにも頻繁に送信されていたとは知りませんでした。ほんとうに充実したレポートです。先生のご苦労されている様子が脳裏をよぎります。ご苦労さまです。後日投稿しますので、そのときあらためて私の新人紹介をさせてください。さて、島袋正敏さんとは3回ほど名護でお会いする機会があって、お世話になりました。いま、文人先生と沖縄に同行できるかどうか、調整中です。…」(12
Feb 2013 22:32:08)
ぜひ一緒に行きましょう。やんばるの風に吹かれながら、正敏さん秘蔵の古酒を飲むのは、これ人生の悦楽そのもの。現在のところ名護「やんばる対談」参加予定は5人。竹富島まで同行予定は1人現れました。
3033号【2013年2月12日】
■≪2001〜02「市民活動の風」≫
斉藤真哉さんからの「闘うということ」(上掲)の背景、状況説明です。
前号で「公民館の風」について書きましたが、2001年から02年にかけての「公民館の風」<小林発行>は、旧東京都立多摩(立川)社会教育会館・市民活動サービスコーナー廃止問題をめぐる記事であふれています。もちろん主要な動きは同時期「南の風」にも掲載。しかし圧倒的に「公民館の風」がいい記録を残しています(218号〜285号)。
市民活動サービスコーナーの独自の歴史については、知る人ぞ知る!先駆的なもの。小林「東京都社会教育施設史」にもその片鱗を書いています。たとえば、「…行政側の事業でありながら、市民活動の自主性と自由を尊重し、市民活動の“求めに応じる”という基本方針は、当時としてはきわめて清新なものであった」など。あの“公共空間”が今も眼に鮮やかです。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tokyourekisi2.htm
石原都政下・都財政当局によるコーナー廃止案が明らかになると、「東京から市民活動サービスコーナーをなくさない2001連絡会」が始動、「市民活動の風」が約1年間にわたって発行されました。しかし、2002年予算案にサービスコーナー経費を「盛り込まない」方針、サービスコーナー廃止策は確定となり、職員(3人)は解雇へ。これに抗議し、「コーナー廃止撤回!社会教育指導員解雇撤回!」を掲げて、職員わずか3人(江頭さんたち)による時限ストライキが決行されたのです(2002年2月26日)。
「公民館の風」266号(2月26日)は「ストライキ宣言」を報じ、ぶんじんは次のようにお詫びを書いています。「…
久しぶりに聞くスト宣言!ともに肩を組み、若き日のインターナショナルを歌いたい思い。健闘を祈ります。…小生はこの日早朝より、大学最後のゼミ合宿、学生と沖縄へ発ちます。あわせて名護で『おきなわの社会教育』最終編集会議…。連帯の思い!ともに頑張りましょう!」と。ちょうど11年前の2月でした。
3032号【2013年2月11日】
■≪祝!「公民館の風」100号≫
アジアのお正月・春節、おめでとうございます。お祝いの集いを呼びかけたかったのですが、飲み過ぎ?の批判あり、控えました。
このお目出度い日に、岡山・内田光俊さん発行「公民館の風」100 号が届きました。まことにご苦労さま。100
号はやはり大きな節目、お祝いを申しあげます。多分2010年9月、岡山に参上する機会あり、夜の楽しい席で「公民館の風」(その頃は発行が中断されていた)の話が出たのでした。内田光俊さんが忙しい中、誘いに乗っていただき・・・その後は多彩かつ着実な発行スタイル。大事な公民館の動きや論議が「公民館の風」によって共有されてきました。
毎号、興味深く読んでいます。なんども小林「公民館の風」に言及いただき恐縮。「南の風」に併行して「公民館の風」(1999年9月創刊)を出すようになった当時のこと、いろいろと思い出しています。ちょうど公民館制度50年の頃、日本社会教育学会特別年報を編集したり、「月刊社会教育」でも積極的に「公民館50年」を論議するページが用意されました。大きな転換点にさしかかった公民館への危機感が背景にー。それらが2000年代に入って、日本公民館学会創設への動きにも連なったのでした。
二つの「風」を出す過重な生活を戒めるアドバイスもあり、「南」にしぼる選択。南1000号を期して「公民館の風」は395
号で休刊。ここで吹き終わるはずなのに、今に至るまで命脈を保っていることに感謝しています。ぜひ200号を目指して頑張ってください。
本号には、3月の沖縄訪問日程をご案内しました(上掲)。関心ある方々へのお誘いです。初めての方も、この機会に沖縄にご一緒しましょう。→
沖縄研究フォーラム(2013年2月、18)■
3031号【2013年2月9日】
■≪研究フォーラムの活気≫
1995年から始まった「東京・沖縄・東アジア」研究会。欲張ったテーマを臆面もなく掲げ続けて20年近く。その前史(東京学芸大学「沖縄社会教育研究会」、1976年〜)の歩みに遡ると、40年近い歴史です。2001年以降デジカメが使えるようになり、毎回ほぼ1枚の画像をHPに入れる慣わし。記録が連なって、常連・中心メンバーだけでなく、ゲストや留学生など、さまざまの顔に出会うことができます。懐かしの研究会史となりました。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/06kenkyukaikiroku.htm
研究会の初期は、沖縄をつなぐ細い研究ネットでしたが、そこから韓国そして中国、加えて東京のそれぞれの研究フォーラムが始動してきました。最近は中国フォーラムが毎月研究会を定例化し、隆盛を誇っていた韓国フォーラムになぜか毎月開催の勢いなし。栄枯盛衰、紆余曲折は世のならいか。いま、誕生したばかりの東京社会教育史研究フォーラムに若気みなぎる雰囲気あり。先日の“風の部屋”事務局会議では、絶えて語らうこともなかった“闘い”などの話題も出て、突然に酔いがまわりました。
毎月の研究会の合間に開く事務局会議。「風の部屋」での一コマを井口啓太郎さん(国立市公民館)が書いてきましたので、一部ご紹介します。
「…先日(2月5日)夜の東京フォーラム事務局会議では、大変お世話になりました。恥ずかしながら私は風の部屋は初訪問。ワインをたっぷりいただき(美味しかったです!)、非常にリラックスしながら、ある意味で踏み込んだ議論ができた、ほろ酔いの勉強会兼打ち合わせになりました。初めてご挨拶させていただくことができた冨美さんには温かいオードブルまでご配慮いただき、本当にありがとうございました。…(略)…
」
今月のTOAFAEC 定例(192 回)研究会は、東京社会教育史研究フォーラム(第4回)と合同開催のかたちで開くことになりました(案内・上掲→
■)。
3030号【2013年2月7日】
■≪3月、沖縄訪問の日程≫
前号で“春を待つこころ”などと書いたところ、この1両日、寒気がゆるんできたような。ところが昨日(6日)の東京は雪でした。しかし午後には道路の雪も溶けてしまう柔らかな雪、淡雪の風情。やはりなんとなく立春を思わせる季節となりました。夜は中国生涯学習研究フォーラムへ。
さて、いくつか書き残していることがあります。一昨夜(5日)は、東京社会教育史研究フォーラム事務局会議。若い?メンバー(3人)が“風の部屋”にやってきて、わいわい言い合いながらの勉強会となりました。風の部屋の役割はそろそろ終わったか・・・と書いたばかり(風3028号・本欄)。しかし、気兼ねなく飲んだり食ったり、率直な議論ができる空間は棄て難いものがあります。終わりの頃は、すこし酔いがまわって「今後の研究会」スケジュールを相談するあたりのことは、あまり憶えておりません。
ご参加の皆さん、お疲れさまでした。やはり当夜の簡単な記録を寄せてください。また2月22日の定例研究会「案内」もよろしくお願いします。
この間、名護・島袋正敏さんと電話で数回相談しましたが、3月の名護訪問(やんばる対談)日程は、3月14、15日あたり、の線に落ち着きそうです。名護市史編さん室・比嘉ひとみさんからご連絡(風・前号)いただいたように、私たちの30年余の友人・中村誠司さん(名桜大学)を中心に“ゆんたく”対談の企画となります。1970年代の「象グループ」のことや名護市史編さんの取り組み、字誌づくりの運動、図書館長もされたことがあり、貴重な話を伺うことになりましょう。会場は、おそらく東海岸・底仁屋(正敏さん主宰・蔓草庵)でしょうか。この3月で中村誠司さんは定年とのこと。対談のあとは、名護博物館の中庭あたりで「定年を祝う」集いとなるのではと期待しています。
ぶんじんの訪沖は、この両日をはさんで、約1週間の沖縄滞在スケジュールを考えています。まだ那覇や中頭の皆さんにも連絡をしていませんし、竹富島に行けるかどうか、フライトなど未確定。とりあえず3月中旬・名護日程だけのご案内です。このころ飛行機がそう安くなく負担がありますが、もし関心をお持ちの方、同行希望があれば(日程ご希望を含めて)ご一報ください。本文もながくなりましたので詳報はいずれ。
3029号【2013年2月4日】
■≪春を待つこころ≫
この数日、「風」に向けたメールは1通もなく、珍しくのんびりとしました。皆さんそれぞれに1月疲れ?か。1月研究会の記録も1週間経ったのにまだ来ない。しかし隔日(旧年末は連日)に出してきた風のリズムもありますので、本号は(4日目の間延び風にならないよう)こちらで誌面をつくりました。
まず、普段は載せない東京社会教育史研究フォーラム・事務局レベルの連絡メール。事務局会議を明日(5日)夜に開こうとのこと。会場は風の部屋でOKです。食事は用意しない主義なので、それぞれ適宜にお済ませの上ご参集ください。ただし寒い冬の夜のお出まし、体が温まる液体は用意する慣わし。それに加えて今年の「やんばる対談」関連のメール(名護・比嘉ひとみさんからのお知らせ−有り難う!)もご紹介。
あと一つ、余白に福岡・横山孝雄さんから送ってきた「ウハウハ長尾30周年」記念誌(ありがとう!面白く拝見!)から、扉の裏ページに載っている「私たちの長尾宣言」(1985)を記録として載せました。福岡の長尾は、前号に書いた油山と隣り合わせの、お隣りさんなのです。
今日(4日)の朝日歌壇は、“春を待つこころ”と題して、明治生まれの二人の歌人(三ヶ島葭子・原阿佐緒)を紹介しています。与謝野晶子門下の二人は親友で、平塚らいちょう「青鞜」に参加し、新しい女の生き方を歌人として模索し続けた人。雪をうたった歌はそれぞれに春を待つこころを秘めた歌だと(秋山佐和子・歌人)。
森繁久弥「オホーツクの舟唄」(「知床旅情」の元歌)に♪春を待つこころ ペチカに燃やそ♪という一節があります。ときどき、夜のしじまに声はりあげて歌うときがあります。しかし春を待つこころは、今の小生には花粉の季節到来を悲しむこころでもあり、複雑なのですが…。
3028号【2013年2月1日】
■≪ダイヤモンド富士≫
いま住んでいる永福の部屋(5階)からは、座ったまま西の方角に富士山がよく見えます(3階“風の部屋”からは見えない)。とくによく晴れた冬の夕陽がきれいです。1月最後の日(昨日)、富士山頂に陽が落ちる「ダイヤモンド富士」でした。一瞬の輝きを鮮烈に残して、アッと思う間もなく、ダイヤモンドは富士に呑み込まれてしまいます。まわりに茜の空。ドラマのようなひとときです。
この部屋に引っ越したのは1980年でした。10年余りを住んだら、九州へ居を移す予定でしたが、人生設計は予定通りにいかないもの。和光大学で仕事をするようになり、その後も学会のことや、TOAFAEC
や本づくりなど相次いで、ここに居続けることになりました。せまいマンション、庭もないのに、なにしろ便利のいいところ。冬の夕陽を30年余りも見続けることになりました。
本や雑誌の主要なものは福岡に移したというものの、東京の生活を持続する流れとなって、富士にダイヤモンドが落ちるごとに、その後の書籍・資料類が山こずみとなっていきます。いま永福マンションに(2ヶ所に分けて)置いていますが、すでに満杯。“風の部屋”もそろそろ役割を終えた実感もあって、これから部屋と本・資料の運命をどう決断するか、など思案投首の状態です。ぜいたくな悩みだと評する人もいますが、すでに始まっている混乱(1冊を探すのに半日かかるような)状態を脱するために真剣に決めなくてはなりません。案外と深刻な悩みです。
昨年から東京社会教育史研究が動き始めています。当方所蔵の東京関連資料は、すべて福岡・油山に運び込み済み。これを再び東京に再搬入する気力も体力もなく、世は皮肉なものです。
追記:本号には鹿児島・小林平造氏から突然「南の風」送信の希望あり。もう忘れてしまったのだろうと思っていたのでした。
3027号【2013年1月30日】
■≪松本の夜≫
26日の「松本市地域づくり市民活動研究集会」について、高山佳範さん(上掲)からレポートを頂戴しました。また、(上に収録していませんが)担当の廣田圭男さん(同市地域づくり課、前中央公民館)からもメールを拝受。ありがとうございました。参加者アンケートでは「自分の地域を見直したい」「地域の結びつきの必要性」など積極的な内容のものがたくさんあったそうです。当日の参加者はなにしろ350人をこえる規模。多少でもお役にたったのかなと、当方も肩の荷をおろした気分です。
私の講演は、いつも少し欲張りで、時間の制限があるのに、始めの部分はのんびり、なかはダラダラ、終わりは脱兎のような話ぶり、毎回とも反省しきり。それでも聞いて頂く側の皆さんが、心広く受けとめて下さってなんとか責任を果たすかたち。年令の割には声が出ていた!など、励ましの評価もいただき、やれやれというところ。
勉強不足ながら、新年会で堀尾正靱先生からいただいた「自然エネルギーは地域のもの」シンポ(JST-RISTEX)記録を活用して、「地域課題としてのエネルギー問題」を少し取り上げました。たとえば、地域自然エネルギー条例の提唱や、蓄電型コミュニテイビークル(桐生市)の動きなど。あらためてその後のこと、堀尾先生にお話を伺いたいものだと思っています。
久しぶりに白戸洋さん(松本大学)や築山崇さん(京都府立大学)−集会・コーディネータ−とお話が出来ました。お酒を飲みながら分かったことですが、コーディネータの一人、井上信宏さん(信州大学経済学部教授)は20年ほど前に小生の講義の受講生だったとのこと。びっくり!当夜のサプライズでした。
▼左より井上信宏(信州大学)、白戸洋(松本大学)、小林、築山崇(京都府立大学)、
後列に矢久保学(松本市役所)の
皆さん(寿司屋2階、20130126) −各氏やや酩酊気味? *関連写真→■(1月26日・写真)
3026号【2013年1月28日】
■≪今年はじめての研究会・編集会議≫
今日(28日)の沖縄新聞各誌は、27日「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」実行委員会の東京要請行動(復帰後最大)の記事で溢れています(上掲)。日比谷野外音楽堂の4000人集会は動画も。28日午前は、同実行委員会共同代表・翁長雄志那覇市長や稲嶺進名護市長らが安倍晋三首相に「建白書」(オスプレイ反対、普天間閉鎖)を手渡したと。首相「みなさんが要請に来たことは、私も思うところがある。意見に耳を傾け、これからも基地負担軽減に向けがんばりたい」。ただ、建白書が求めるオスプレイ配備撤回や普天間移設問題については言及しなかったそうです。
私たちも27日は充実した1日でした。前日の松本・地域づくり市民活動集会(上掲・矢久保さん記事)を終えて東京へ。午後は東京社会教育史研究フォーラム事務局の勉強会。1990年以降の東京がたどった歴史、熱のこもった報告を痛切な思いで聞きました。夕食をとる時間もなく、そのまま年報第18号編集会議(今年最初の定例研究会)へ。年報の特集テーマについて、大きな方向が出たような…。ぶんじんがしゃべりすぎ、の声あり。
佐賀から上野景三(編集長)、高知からは久しぶりの内田純一(前編集長)のお二人が上京。韓国・中国・東京の各研究フォーラムの主要メンバーが揃う豪華版でした。皆さん、ご苦労様でした。
日曜日なのに「イーストビレッジ」も特別に店を開いてくれました。話は躍って時間の経過を忘れるほど。東京はひどい寒気、しかしなにか心はほかほかと暖かい夜でした。それぞれの記録をお待ちしています。
◆写真→3036号へ。
3025号【2013年1月26日】
■≪1月27日は191回研究会・第18号編集会議≫
南の風では、ちょうど1年前(2799号、2012年1月9日)に美若忠生さんより製作費支援カンパ要請があった映画「ひまわり〜沖縄は忘れない−あの日の空を〜」(上掲・琉球新報コラム)、日本各地でも上映が始まるようです。東京では1月26日(土)より、新宿武蔵野館(JR
新宿・中央東口徒歩2分)。同館HPによれば、「1959年、米軍ジェット機墜落、一瞬に奪われた命。あれから53年、いまもオスプレイ配備に揺れる沖縄。これは実話に基づいた基地と人間の物語。出演は長塚京三、須賀健太、能年玲奈など。沖縄復帰40年企画作品」。
3月の沖縄訪問・やんばる対談の企画について、比嘉ひとみさんからの私信をそのまま載せました(上掲、ご了承ください)。関心をおもちの方々のご都合は如何でしょうか。ご希望、ご意見などいただければ幸い。スケジュールを具体化していきます。「やんばる対談」については、1月27日夜予定「年報第18号編集委員会」(TOAFAEC
1月定例会)でも話題にしましょう。当日は各研究フォーラムからの動き・報告が寄せられ、活発な論議となることが期待されます(風3017号・上野、3022号・江頭)。
ニューヨーク滞在中の魯在化さん(2月20日・韓国へ帰国予定)より、早くも第18号への投稿の可能性について打診がありました。テーマは「グロバル時代における人材養成に関する教育政策研究」(予定)とのこと。27日会議で、第18号編集スケジュール(投稿・締切等)が確定するでしょうから、いずれ風でご案内できると思います。26日は「松本市地域づくり市民活動研究集会」です。雪は大丈夫かな?
3024号【2013年1月24日】
■≪夢にみた夜≫
早稲田大学の正門ちかく、レストラン「西北の風」を会場として、「社会教育・生涯学習辞典」出版記念祝賀会が開かれました(22日夜)。当初の案では、関係機関や自治体にも呼びかけ辞典PRをかねた盛大な出版パーテイを!というイメージもありましたが、実際にはむしろ編集委員会を中心に苦労してきた仲間の慰労会、とくに編集実務にあたられた朝倉書店・野島薫さんへの感謝の会、和気あいあいの楽しい集いとなりました。刊行早々、2ヶ月も経っていないのに辞典重版が決まったなかでの、みんな笑顔のひととき。
この夜は、まさに夢にみてきたお祝い会でした。10年の歳月のなかには何度か「これで、ひと山越えたね」などと言いあう節目がありました。たとえば辞典収録の全項目(約1500)が決まり、予定執筆者(約320人)すべての方に「執筆依頼」を発送できたときなど。ささやかな乾杯をしたり…。しかしいつもその日から新しい作業が待っていたのでした。今回はそうではない!
長い道程を歩き終えた日、“夢にみた今日”でした。
辞典づくりのいろんな思い出話、編集作業の遅れにお叱りを頂戴したこと、この間に亡くなられた方への追憶など、宴はつきませんでした。今後に向けての改訂(10年後、いや5年後?)への意気込みも語られました。関西からご出席の編集委員もあり、寒い冬の夜、ご参加の皆様、ご苦労さまでした。この祝賀会の準備と運営にあたられた新保敦子さん(早稲田大学)に感謝! 伊藤長和さんからは当夜の記録(上掲)が届きました。有り難うございました。
◇西北の風吹きわたるレストラン 良き友つどい5年後を約す
▼「辞典」出版お祝い会、前列中央が野島薫さん (早稲田大学・西北の風、2013年1月22日)
3023号【2013年1月21日】
■≪3月の沖縄(名護)行き案≫
上掲の名護・比嘉ひとみさんのメールは私信ですが、あえて掲載しました。昨年来(入院以降)から沖縄にご無沙汰していますので、「3月に何か名護で面白い行事がありませんか」とご都合を聞いたことのご返事。あと一つ。数日前にひとみさんの古いメール(内容から推して10月と12月・3000号前)が2本一緒に遅れて着信したからです。出し忘れの古証文?と確かめたご返事。おかしなことがあるもの。何かに誘われて、どこかを旅していたらしい優雅なメール、と思えば楽しくもあり、しかしどうも気になる寄り道メール。他にもこんな例があるのでしょうか。
ところで名護行きとなると、当然に那覇あるいは中頭(コザ)に寄ることになりましょう。そして、八重山(竹富島)まで足を延ばすことが出来るかどうか、これから3月スケジュールを具体化・調整してみたいと思っています。かねて沖縄行きに関心をおもちの方、日程がうまくいけば、ぜひ!ご一緒いたしましょう。山城千秋さんのご都合はいかがでしょうか。
今年の年報「やんばる対談」Dをどう企画するか、の時期にもなりました。1月27日の年報(第18号)編集委員会に向けて、山城千秋構想案をご提示ください。3月日程をうまく調整して、やんばる対談の収録が出来れば一歩前進ですね。ぶんじん素案は、昨年刊行やんばる『芸能』編(名護市史本編8)を前において、名著づくりに挌闘された比嘉ひとみさんを中心に“ゆんたく”するというのが第1案。「地域文化誌の金字塔」と評された記録づくり(風2965号に紹介)、きっと聞き応えある対談になる?
本日夜は、『社会教育・生涯学習辞典』出版祝賀会(早稲田大学)です。何より野島薫さん(朝倉書店)に感謝する会となりましょう。
3022号【2013年1月21日】
■≪日韓両学会による研究大会・会場変更≫
今年4回目を迎える日韓学術交流研究大会(日本社会教育学会・韓国平生教育学会-両学会共催、2013年1月25〜26日、神戸大学)について、末本誠さん(学会々長)より会場変更のメールが来ました。
「…日韓・合同シンポの会場が変更になりました。人数が限られる見通しのため、当初の六甲講堂という大きな会場を止め、発達科学部F-264 という大き目の教室に代えることになりました。…(略)…参加者が少なくなりそうです。周囲に参加を呼び掛けていただけると幸いです。また人手が少なく困っていますので、…ご助力を」と(Sat, 19 Jan 2013 11:48)。日本社会教育学会HP
→■にも掲載されています。
同じ日程で松本市「地域づくり市民活動研究集会」が開催され、ぶんじんはそちらに出席の約束をしていました。折悪しく日程が重なり、神戸への参加が出来ません。申しわけありません。韓国から来日の皆様にどうぞよろしくお詫びをお伝えください。お会いできず、まことに残念と。
翌1月27日(日)はTOAFAEC(第191回)定例研究会(年報第18号編集委員会と合同)が予定されています(上掲・案内)。その折にでも神戸集会の様子をお聞きできれば幸いです。
昨年末(3005号−12月23日)から連載してきた斉藤真哉さん「パレスチナから」「エジプトから」の報告が本号で最終回を迎えました。合計17本のレポート。南の風には珍しいトピックスが多く興味深く読みました。精力的な送信(ご苦労さま!)有り難うございました。
3021号【2013年1月19日】
■≪「辞典」重版へ≫
16日の東京社会教育史研究フォーラム・研究会(第3回)報告が石川敬史さんから送られてきました(上掲)。前号本欄「われらの合い言葉」(びんそくな記録化を!)に早速応えていただき、有り難うございました。無理を強いたのかも?と申し訳なく、また嬉しく思っています。
大事なニュースのご紹介を忘れていました。朝倉書店刊『社会教育・生涯学習辞典』が世に出てまだ2ヶ月たらずですが、重版(二刷)が決定しました。野島薫さん(朝倉・編集部)から編集委員会へ届いた朗報。
「 … ご編集いただきました社会教育・生涯学習辞典ですが,お陰様にて注文の出足は好調で、返品の時期を待たずに在庫が不安な状態になってしまいましたため早々に重版(増刷,第2刷)になることが決まりました.嬉しい悲鳴で大変ありがたいです。」(Fri,
11 Jan 2013 18:14)
南の風関連でも(執筆者以外に)ご注文いただいた十数人の皆様にあらためて感謝申しあげます。まわりの図書館や公民館にも推薦・リクェストなど働きかけくださっているご様子、これからの動きもまた期待されます。せっかく創った辞典、全国的に広く活用されることを願っています。
藤岡貞彦さん(一橋大学名誉教授)からは、そのままここに書き写せないほどの祝辞・賛辞をいただきました。年賀状ではいろんな方から「よくぞ!辞典刊行!快挙というほかなし!」などお祝いを頂戴しました。それだけに、内容的にどのような評価が生まれてくるのか、これからが楽しみでもあり、いささか緊張もしています。将来の改訂のためにも、忌憚のない感想、批判、課題など(ゆっくりと)拝聴したいものです。
3020号【2013年1月17日】
■≪奄美の黒糖酒≫
14日の雪がまだ残っています。雪が溶けない夜の道はアイスバーン。滑らないように腰を落として歩く姿がまるで雪国のよう。案外と若い高校生が転倒して「大丈夫か?」と声をかけたり、「お気をつけて」と声かけされたり、深夜の思わぬ会話。いま東京は真冬です。
最近、西永福の駅の近くに香港人が新しい料理店を開きました。そう高くなく、頃合いの部屋もあって、そのうち研究会メンバーをお誘いしようと待ち構えていたところ。入り口ちかく紹興酒の壺も気になり…。サービス役の小姐たちもみな香港人らしい。料理はなかなかの味です。
16日「東京社会教育史研究フォーラム」の夜は、研究会終了後、高井戸のいつもの店ではなく、二つ駅を移動して西永福へ、この香港料理店で二次会となりました。残ったメンバー10人ちかく。酔ってよく語り、愉快な夜(ぶんじんだけ酔っていたかも?)でした。皆さん、ご苦労さま。
久しぶりの上平康博さんが珍品・奄美黒糖酒を土産に持参。龍郷町(奄美市=旧名瀬のとなり)「里の曙」(原酒43度)。これに感激!したのでした。店の紹興酒も注文し、そのあと黒糖酒の瓶を開けると、まさに芳醇の香りがただよい、黒糖酒の水準を実感しました。
持ち込みの酒は歓迎されない、小姐は文句あり気でしたが・・・黒糖種はゆっくりと喉を通っていきました。1980〜82年頃の奄美調査の頃が懐かしく、南の奄美の海鳴り、やさしい島人たち、を想い出していました。
楽しくなるといくつか忘れもの。写真を撮るのをすっかり忘れてしまいました。当日の記録を誰かに頼むのも失念。事務局でお願いします。研究会記録はぜひその夜に、せめて翌日には!・・・われわれの合い言葉です。
3019号【2013年1月15日】
■≪妻籠からの便り≫
14日、東京は未明から雪でした。初雪ですが、久しぶりの重い大雪。車も人もほとんど影が見えず、やっと京王線の電車(急行・運休)が動いていた程度。雪に弱い大都市、各地の成人式も難儀だったことでしょう。今日は晴れ・・・しかし道路凍結、車たちはのろのろと動いています。
「いまこそ輝け!横浜の夜間中学」集いのご報告、「夜間学級(5校)に専任教諭を配置してください!」などの訴えが寄せられました(上掲)。長文のため2回に分け、その2は次号まわしへ。ご了承ください。
久しぶりに南木曾(なぎそ、旧妻籠)から清水醇さん(元公民館長)「明けましておめでとう」メールを頂戴しました。有り難うございました。“わが国第1号の公民館”(1946年9月発足)と評される妻籠公民館や、妻籠宿の町並み保存運動のことなど、2007年に「南の風」で10回あまり連載して書いたことなど懐かしく想い出しました。
→ ■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tumago07.htm
清水さんは、真宗大谷派・長延寺のご住職です。同HP(上掲)には実に見事なお寺の「しだれ桜」が掲載されています。「長延寺のしだれ桜は、毎年4月20日前後に咲きそろいます。早い年は4月10日頃から2週間ほど楽しめます」とのこと。さくら祭も開かれるそうです。妻籠に関心を持つ有志で、しだれ桜の季節に一度訪問する企画をたてたいものだと思いました。HP
→■ http://choenji.jimdo.com/
竹中薫さんや持田津希子さん(いずれも新婚)から新年会「お礼」メーを頂きました。風には掲載していませんが、もし風・毎号配信をご希望であればご一報ください。明日(16日)夜は「東京社会教育史研究フォーラム」(本年度第1回)。関心ある方々のご参加をお待ちしています。
ご案内は
→こちら■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tokyoforumu2012.htm
3018号【2013年1月13日】
■≪新年会に感謝!≫
昨日(12日)の新年会。一夜明けて全体の報告(江頭晃子さん、上掲)をはじめ、いくつもメールをいただきました。山口真理子さんメール「昨日はお疲れさまでした。いつもより少ないかもしれないと思われた会も開いてみると、当日連絡,連絡なしの参加の方もいて、結構な賑わいになりましたね、よかったよかった。」
堀尾正靱先生と木村雅俊さんからは、共有フォールダに当日の写真を格納していただいた旨のご連絡、有り難うございました。ぶんじんのカメラのなかからは、例によって終了後の集合写真を1枚ご紹介しました。小さなお子さんから80歳代までの全世代が写っています。(下掲)
当日はとくに上海の呉遵民さん(華東師範大学)が、来日早々、名古屋から夜行バスで参加。若さに驚きました。南の風では有名な呉さんも、新年会は初めて。当日の感想に「静かな方ですね」という人あり。今や教授の風格か。鎌倉からは伊藤長和さん、こちらは毎年(烟台から)参加。また森下松寿さんも鹿嶋から駆けつけていただきました。
世話人の方々、例年のことながら、まことにご苦労さまでした。会計的にも大丈夫だったそうで何より。これまで世話人に加えて有志が「風の部屋」二次会を催す慣わしでしたが、お酒の“文化”が変わったようで、この日、なんと!16日夜「東京社会教育史研究フォーラム」の進め方について、まともな打合せでした。おかげさまで昔のように疲れ果てることなく、静かな夜に余韻を楽しみました。新年会に感謝!
▼2013新年会おわる、壁に「祝3000号」(明大前、130112)
3017号【2013年1月11日】
■≪1月定例研究会・日程≫
今年最初のTOAFAEC 定例研究会(第191回)の予定日(最終金曜日)は1月25日です。ところが、その2日後の27日に、「年報18号編集委員会」(上掲)が予定されています。
また日韓両学会(日本社会教育学会・韓国平生教育学会)による「第4回日韓学術交流研究大会」が25日〜26日に開かれる予定(会場・神戸大学・出光佐三記念六甲台講堂、テーマ:社会教育・平生教育と平和)。韓国研究フォーラム関係者はおそらく神戸行きだろうと思われます。
というわけで、12月定例会の折「…1月研究会日程は、27日予定の年報18号編集会議に合流してはどうか」と提案しましたが、如何でしょう? 編集委員会・事務局で了承であれば、その線で第191
回研究会「ご案内」を寄せてください。
日韓両学会の学術交流研究大会スケジュール・プログラムを確かめたくて、日本社会教育学会のHPを訪問したところ、国の生涯学習政策に関しての学会会長(末本誠・神戸大学)意見書がアップされていました。正確には「文部科学省生涯学習政策局あて−第2期教育振興基本計画(審議経過報告)についての学会会長の意見」(2012年12月10日)。
→■http://www.jssace.jp/?action=common_download_main&upload_id=73
風3000号記念号で、山本健慈学長(和歌山大学長、生涯学習分科会委員)が「勇気をもって、よくやっていただいた」とコメントされたもの。おそらくこのような「会長・意見書」は初めてのことでしょう。一読してみて、いろいろ目配りされた(普段の研究論文とは違う)苦心の作とお見受けしました。ご紹介まで。
明日は新年会、皆さま、賑々しくお出かけください。
3016号【2013年1月10日】
■≪上海より、久茂地文庫≫
12日の新年会には、思いがけなく上海からもご参加のニュース。ご存知の呉遵民さん(華東師範大学)来日。賑やかな幕明けとなりそうです。
いま「風」は、華東師範大学関係で3人の方に届いていますが、最も古いメンバーが呉遵民さん。上掲「名古屋からのご挨拶」のように今年の前半は南山大学・招聘教授として名古屋滞在だそうです。正月5日に来日されました。早速、新年会へお誘いしたところ、ご返事次の通り。
「…お誘い誠にありがとうございました。12日新年会のこと、早速チケットの手配をいたします。もし順調であれば、参加のつもりです。…先生と皆様に再会できること楽しみしております。」(9
Jan 2013 16:48)
その後の年賀状のなかで、さきほど届いた沖縄・喜納勝代さん(久茂地文庫主宰)をご紹介します。年末に訪沖された米山義盛さんのメールにも「久茂地文庫」についてのお尋ね(風3097号)がありましたので。
「…『社会教育・生涯学習辞典』ご出版おめでとうございます。昨年は復帰40周年とオスプレイ反対に明け暮れました。鷲尾さんと大山ゲートにも出かけました。…
「沖縄県立図書館創立100周年記念誌」に琉球新報連載(文庫報告)が記録されました。21年前に書きましたエッセイが「読書推進運動協議会50年史」に掲載されました。年末には沖縄県文化協会奨励賞を受けました。長い間のご支援ご協力、ありがとうございました。」
久茂地文庫は、東京の戦後沖縄社会教育研究会(TOAFAEC の前身)とほぼ同じ頃に開設され(那覇市久茂地、1976年秋)、私たちの沖縄フィールドワークの拠点。沖縄県教育会館前の雑居ビルの3階、いつまでも忘れません。(1980年代初頭には久茂地を離れ、糸満へ。)
3015号【2013年1月8日】
■≪天狗の面と古酒の壺と≫
正月も1週間が過ぎ、皆さん「仕事始め」、お元気に職場や研究室に戻られたことでしょう。この時期、なにごとにも「初」がつく縁起のいい季節です。初詣はもちろん、初神楽、初芝居、初笑い、などの季語もたくさん。こちらはのんびり、「初仕事することもなく風を吹く」。
今年の新年会(12日)が間近になりました。ねんのため上に当日の案内を再掲。南の風3000号を祝っていただくそうで、恐縮です。年賀状で結婚したお便りも舞い込み、めでたい話がいろいろありそうですね。
ご多忙の堀尾正靱先生(龍谷大学)より「12日お邪魔させて下さい。幹事さんによろしく」とのご連絡がありました。いつぞやの喜寿の会で、堀尾先生から見事な天狗の面をいただいたことがあります。屹立した“天狗の鼻”は“風の部屋”に飾り、それに刺激されながら、この4年余りを元気に過ごしてきたような気がします。当日はあらためて先生に天狗さまと再会いただき、皆さんにもご披露したいと思っています。
この数年、新年会も七夕の会でも、夜の会(二次会)は開かない流れとなりました。しかし風の部屋の島酒・古酒(クースー)は出番を待っています。「山原島酒之会」会員として、秘蔵カメから壺に古酒(すでに熟成20年)を汲み出して、当日、会場へ持参する予定です。
本号には、1月16日予定の東京社会教育史研究フォーラム・第3回研究会案内が届きました(上掲)。東京研究フォーラムは昨年秋に誕生したばかり、まだ4ヶ月余の歩みですが、いよいよ軌道に乗る勢い。関心ある方々のご参加をお待ちします。TOAFAEC
もまさに「初仕事」となります。斉藤真哉さん「パレスチナから−その11」は次号おくりとなりました。
3014号【2013年1月6日】
■≪2013・年賀状から≫
3000号後に「南の風」参加希望あり、恒例の自己紹介(上掲)を頂戴しました。おそらく最年少のメンバーと思われます。歓迎です!
お正月の飲み過ぎと運動不足で、やや体調不良。ようやく頂いた年賀状へのお返し賀状書きが終りました。かって勤務した東京学芸大学は(その後の和光大学も)女子学生が多い大学ですから、結婚して姓が変わると賀状だけでは何方か顔が浮かんでこない、当方へは旧姓で・・・とお願いしてきました。今年も旧姓を添えた賀状あり、しかも5人ものお孫さんの写真つき、驚きました。それほどの歳月が経過したのですね。
頂いた年賀状から、お裾分けしたい文面をいくつかご紹介します。(抄録、敬称略)
○1960年代の砂川での集会とデモの写真が大量に見つかりました。二月に写真集「ベトナム反戦闘争1965
年〜 69年・砂川編」を出版します。当時のビラや資料も掲載します。1967年寺山修司さん「書を捨てて町
にでよう」がテーマです。(星 紀市、立川市)
○皆様お元気で幸多き年となりますよう心よりお祈りします。… 沖縄は日本なのでしょうか、最近つくづくそ
う思います。(稲嶺 進、名護市長)
○新春のお慶びを申しあげます。… 大きな物語より、小さな営みを追いかけていきたいと思います。(氏岡
真弓、朝日新聞・編集委員)
○ここ数年大切にしてきた“unlearn”(学びほぐし)は既存の知識を一度紐解いて、血や肉に編み直していく
ことだといいます。時空の収縮に伴い肥大するメディアによって構成される情報に翻弄されながら、
“unlearn”することの困難さを感じる中、「未来に向かって、どう行動するのか?」と自問する日々です。
(榎井 緑、大阪大学−1月1日より)
○あがた森魚さんを特集したドキュメンタリー番組「映像’13」(毎日放送2013年1月20日放送予定)に縁あっ
てファンの一人として出ることになりました。最新ライブが最高ライブ…を更新し続けるあがたさんを見習い
ながら、自分の“今”を大切にする2013年を…。(大島尚文・地方公務員)
3013号【2013年1月4日】
■≪西の風の楽しみ≫
皆さんからの年賀状、有り難うございます。当方は、この数年、頂いた年賀状を拝読しながら、正月休みにゆっくりと(ご返事をかねて)年賀状を差し上げる方式に切り替えています。何より出す枚数が格段に少なくなりました。ただお手元にとどくのが数日後になります。お許しください。
斉藤真哉さん(板橋区教育委員会)の「パレスチナから」の報告は、本号で9,あとまだ4号を残し、併行して送られてきた「エジプトから」報告が4号、合計8本が未掲載。ご本人はもう東京へ無事帰ってきたそうですが、その精力的なレポート精神には驚かされました。まとめて一挙掲載も考えましたが、それぞれ「南の風」になじむ程よい長さ、順次掲載していきましょう(最終号の掲載は1月後半)。海外・旅行中での送信は、各地の通信環境の違いがありますから(電話線で送っていた昔ほどではない
にしても)苦労の多いもの。その執念・情熱に敬服いたしました。
「南の風」としては、めったにない貴重な西からの便り、あれこれ思いをめぐらせながら、毎回、興味深く読んでいます。帰京後はすぐに役所勤務のはず、体調に気をつけて(休みながら)日常復帰してください。
ついでにお願い。1月16日(水)予定の「東京社会教育史研究フォーラム」(第3回)案内が未掲載です。どんなプログラムになるか楽しみにしている人少なからず、事務局として「ご案内」を早急にお願いします。参加予定メンバーには「南の風」が届いていない方もあり、MLなどによる周知もどうぞよろしくご配慮を。もちろんHPには掲載する予定です。
3012号【2013年1月2日】
■≪2013 お年玉≫
大晦日の夕、旧年がほとんど押し詰まった時刻、思いがけない包みが配達されました。谷村新司のCD「今
伝えたい」(新アルバム、DVD 付き)、送り主は白井健二さん(大分・中津少年学院長)。30年前のぶんじんゼミ(東京学芸大学)メンバー、ふるさときゃらばん(当時)応援団、沖縄研究の初期に中国留学生・韓民などと一緒に沖縄フィールドワークに参加し、海勢頭豊「海の子守歌」等を歌いあった仲です。久しぶり、懐かしい。
南の風ネットには参加していませんが、連れ合いの白井知子さん(もとエイデル研究所)を通して当方の動静はほぼつかんでいるらしい。長い手紙が同封されていました。一昨年まで勤務していた法務省矯正局時代、全国の少年院生たちが谷村新司(応援のCD・メッセージをプレゼント)にお礼の手紙を書いたことがあり、その取りまとめ役をしたそうです。ある少年の手紙に「辛さは幸せの一歩手前」という言葉があり、これにヒントを得て「今
伝えたい」という新曲が出来上がったとのこと。
♪君に会いたくて僕はここにいる 君に会うために旅を続けてきた♪と始まり、♪辛さは幸せの一歩前のこと だからもう泣かないで♪というフレーズにつながっていきます(作詞作曲・谷村新司)。実にいい曲。「昴(スバル)」や「いい日旅立ち」も収められたCD。招待の約200人(この中に白井君もいた)の観客を前にした“録音ライブ”DVD
との2枚組。谷村新司の魅力あふれる新アルバムとなっています。正月元旦はお屠蘇気分で、この新曲を楽しんだ1日でした。思わぬお年玉をいただきました。ありがとう!本欄に突然に名前を出したこと、白井健二さんはきっと許してくれるだろうと紹介に及びました。
本号は新年の風の吹き初め、今年もどうぞよろしくお付き合いください。
2013年
3011号【2012年12月30日】
■≪沖縄1フィート運動≫
年の瀬には急なニュースが舞い込むもの。沖縄「1フィート運動」が30年の歴史を閉じることになったそうです(上掲記事)。アメリカ国立公文書館等に保存されている沖縄戦・記録フィルムを1フィート(約100円)
ずつ買い取る運動。戦争を知らない世代(子どもたち)に沖縄戦の実相を伝えるユニークな平和・記録運動です。そのフイィルムから「沖縄戦−未来への証言」(1989年)、「ドキュメント沖縄戦」(1995年)など必見の映画が制作されました。私たちの沖縄ゼミや市民グループ等で数えきれないほど観てきました。
1フィート運動への寄付総額は30年間で8889万円余にのぼり、これを元手に収集したフィルムは計11万フィート(50時間分)、沖縄県公文書館に寄贈される方針だそうです。
この運動が胎動した頃(1983年〜)、会の代表は仲宗根政善先生(ひめゆり学徒の教師、琉球大学名誉教授)、事務局長は外間政彰さん(那覇市史編纂→那覇市中央図書館長)でした。いち早くNHK沖縄「戦世(いくさゆ)の光景」(30分)が放映されましたが、このビデオを「本土の社会教育でひろめてほしい」と手渡した人が政彰さん。東京に帰って研究室で30本ほどコピー、心あたりに配ったことを思い出します。お二人ともすでに亡くなられました。HPに追悼記事を掲載しています。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/archives.htm
○2012年が暮れていきます。今年はいろんなことがありました。個人的なことは別にして、われわれを取り巻く政 治状況は明らかにいい方向には動いていない、うかうかしてはおれない、そんな思いで年を越します。
○連載もの送信の各位、ご苦労さまです。おかげさまで充実した年の瀬となりました。今年まだ数本の積み残しがありますが、そろそろ風もおしまい、このあたりで大晦日のお酒を飲みたいと思います。今年のわれわれの頑張りと、新しい年の皆様の未来に期待して・・・乾杯!
♪風よ吹いておくれ もっと激しく吹け 青空の彼方へ 我等を連れゆけ♪
(「美しき五月のパリ」)
3010号【2012年12月29日】
■≪沖縄の師走の声≫
「南の風」はこの間、3000号前後の記事編集・アドレス帳切替えに追われ、本来の南=沖縄からの風(「おきなわ短信」など)をほとんど載せることが出来ませんでした。年の終わり、阿倍政権の動きや普天間・オスプレイ闘争等に関わって、琉球新報<金口木舌>コラムから、印象に残る文章をいくつかお借り(抄録)してみることにしましょう。
まず、「闘いの場には歌がある」と題する一節。「…復帰運動で歌われた“沖縄を返せ”。反基地闘争では“一坪たりとも渡すまい”が生まれた。歌はくじけそうになった心を慰め、新たな一歩への支えとなる。
9月末、普天間・野嵩ゲート前で繰り広げた警察とのもみ合いの後、集会参加者が口ずさんだのが沖縄の教訓歌“てぃんさぐの花”だった。心に染みるメロディーに心が揺さぶられ、目頭が熱くなった。」(12月21日)
衆院選中は自民党が本音を隠していた辺野古移設問題について。「…安倍晋三氏が米軍普天間飛行場の辺野古移設を言い放った。地元に理解を訴えるというが、住民の憤りや怒りを無視するKY(空気を読めない)ぶりを見ると、野党としての3年余に何を学んだのかと思う。」(12月24日)
沖縄市中の町の風景から。商店街等では人と人との輪で街はつくられてきた。「…米軍の深夜外出禁止令や基地外飲酒禁止令のあおりでライブハウスの店主たちは正念場を迎えている。『僕らは希望を持っている。この街を愛し、街の文化を信じている』と、街の相談役を任じる豊田益市さん。街は今、踏ん張りどころ。希望と笑顔を忘れず前を見据えよう。きっと苦境を乗り越えることはできるはず。そんな願いとともに、コザの街は年の終わりを迎える。」(2012年12月28日)
3009号【2012年12月28日】
■≪軌道に乗って風は吹く≫
年もおしつまって気忙しいなか、風・連日の発行となり、恐縮しながらの配信です。前号に書いたように、連載ものが突然の登場、皆さん頑張って送っていただく記事を粗略に扱ってはならじ・・・とこちらも競って風の編集に勤しんでいます。というより、殺到する?ようなメールをのんびりと、普通のリズムで対応すると、すぐ混乱が始まるからです。
新アドレス帳による配信、一応は軌道に乗ったようですね。どなたからも欠号・混乱のご連絡なく、当方では順調にスタートした!と勝手に理解しています。実は新しいアドレス帳の作成、そしてBcc.による配信は、当初は結構たいへんなのです。アドレスの重複があったり誤記があったりなど、数日はちょっとした挌闘が続きました。発信者ぶんじんも目がうすくなり、キイをたたく手のもつれあり…。ミスは当然あるはずだと覚悟していますので、ご遠慮なく(ミスあれば)一報ください。
12月は、hotmail とのトラブルで苦労してきました。ところが、新アドレス帳以降は、すべて風・戻りはなく、一段落したようです。安心して年を越せそう。皆さん(とくに呉セヨンさん)にご面倒おかけしました。
本号には、今年最後の研究会(第190 回、12月21日)記録を掲載できました。年内に間に合ってよかった。記録を書いていただいたのは筑波大学・院の呉迪(ウディ)さん、有り難うございました。年末・故郷(中国)帰省の直前の急なお願い。申しわけありませんでした。長文なので「内容」部分は添付にし、そのままHPにも掲載します。
→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/10kenkyukaikiroku.htm
3008号【2012年12月27日】
■≪師走の風≫
今頃の職場は御用納めの大掃除でしょうか。自由な時間ができて一息入れる…、あるいは仕事を棄てて旅に出る…人さまざま。それを横目に溜まった原稿をなんとか仕上げよう…と、つらい生活が始まった人もいる?のかも。日頃の怠慢の報い、悔やんでも詮無いこと、ですね。
南の風は、この時期に案外と忙しくなるのです。昨日に続いて連日の配信となりました。今年はとくに伊藤長和さんが「南の風3000号祝賀・記念ネット座談会」を企画。5氏からの投稿を添削・編集し、その完成稿が昨夜(26日)送られてきました。長文のため5回に分けての掲載を、という有り難い?ご提案。ぶんじん・風について、褒めてくださるのは、当人としてはなんとも面映ゆく気恥ずかしいこと、好みではありません。しかし投稿はそのまま載せる原則ですから、本号の冒頭に収録しました。年をまたぐ連載となります。ご了承を。
それに加えて、パレスチナからの報告(斉藤真哉さん)が続いています。そして今朝は、岩本陽児さん(いつも長文)の「月刊社会教育・空を飛ぶ」レポートが飛び込みました。ソウル・地下鉄のベンチででも書いているような速報。嬉しい?悲鳴とはこのこと。皆さん、ご苦労さまです。
鷲尾真由美さん(那覇・壺屋)から「艦砲ぬ喰えーぬくさー」(「でいご娘」CD)を送っていただきました。有銘政夫さん(もと沖教組・中頭支部委員長、年報第17号・座談会参加)を介しての1枚。夜更けにしみじみと聞きました。また岡幸江さん(九州大学)から奥・在那覇郷友会60周年記念誌『郷愁』が届きました。写真がたくさん、記録満載。さすが奥の郷友会だ!と実感させられる1冊。二日続けて、沖縄からの風を楽しんでいます。お二人、ありがとうございました。
坂田宏之さん(たましん地域文化財団)からの杉並「オーロラの碑」記事(東京新聞2012年12月23日、上掲)を添付いたします。坂田さんにも感謝!
HPに載せているオーロラ碑の写真・ご参考までに。
▼旧杉並区立公民館・原水禁署名運動の記念碑 (杉並区体育館横、20030312)
(碑文はこちら
→■「南の風」1020号 2003年3月14日)に収録)
3007号【2012年12月26日】
■≪「辞典」注文きわめて好調≫
今年も残りわずか。夜の会の終わりなど「いいお年を・・」と挨拶しあって別れる季節となりました。風へのお便りにも、年の瀬を惜しみつつ来る年の多幸を祈る言葉も添えられて(上掲)、年の暮ならではの気分。
今年はいろんなことがありましたが、なにより『社会教育・生涯学習辞典』(朝倉書店)刊行がいい締めくくりの話題となりました。じんわりと評価が生まれてくる予感。「風」で著者割引き(15%割引き)のことを紹介したこともあって(2994号本欄)、いちいち載せていませんが、ぶんじん宛への注文もすでに10冊を超えました。
朝倉・野島薫さんの話では、辞典・事典の類としては注文の出足はきわめて好調とか、ご同慶の至りです。高額な本ですから、個人購入はなかなか・・・、しかしもしご希望の場合はご遠慮なくお申し出ください。朝倉書店につなぎます。まわりの図書館や公民館等にもぜひご喧伝ください。
辞典編集委員会(30人)とくに編集幹事会(7人)の方々に、本欄をかりてご報告ひとつ。辞典刊行に合わせて朝倉書店と私たち編集委員会(著作権者)との間に「出版契約証書」「編集料支払契約書」(相互調印)を取り交わしました。事務的に小林が代表となって、一件書類は保管しています。編集料については、初刷分は編集委員への献本分。しかし二刷以降は編集料として支払われる予定です。そのためにもぜひ二刷に向けて進みたいもの。ご声援ご協力のほどよろしくお願いします。
◇ なにもせず「辞典」枕に眠りけり ◇ 捨てきれぬ本にうめいて年の暮れ
3006号【2012年12月25日】
■≪新アドレス帳≫
前号は、なんと!ミスが三つも。まず号数が間違っていました(上掲)。前号は30005号、本号が正しい3006号です。次に来年の新年会のご案内で、「2013年」とすべきところを本年と書いていました(原稿ミス)。あと一つ、本欄(ぶ)で「HPに1月スケジュールをアップ」と書きながら、作成していた同ファイルのアップを失念していました。ご指摘を受け、あわてて(1日おくれで)掲載に及びました。たいへん失礼しました。あらためてご覧いただければ幸いです。日程等の間違いあればご指摘ください。
→■ http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/yotei1301.htm
本号はようやく新ドレス帳で配信しています。「風・継続します」とご連絡を受けた方々に加えて、遠慮されている感じの海外や留学生の皆さん、さらに普段にメールのやりとりがある近しい(たとえばTOAFAEC
関連の)方々など、あわせて143 名(海外・留学生36、自治体・市民62、大学・研究45)のリストとなりました。3000号までの約85%のメンバー。先日ご奇特にも新参加を希望された方1名を加えての新しいスタートです。年内に作業ができてよかった。脱落・重複など多少の混乱が心配です(きっとある?)。その際にはご面倒でもお知らせ下さい。また「風」配信無用の場合もご一報を願います。新参加ご希望の方があればお申し込み下さい。
hotmail との闘いは今なお続いています。多いときは10数人、少ないときでも5〜6人の方に届かず、戻ってきます。再送あるいは再々送(面倒くさい!こと限りなし)。さらにhotmail
の機嫌が悪いときは、呉セヨンさんのご協力をお願いしています。「南の風」は迷惑メール・ブラックリスト指定なのかも。もしhotmail
以外のアドレスを別にお持ちの方はお教えください。この間の配信トラブルのため皆様に風の欠号あればお知らせを。
3005号【2012年12月23日】
■≪フットワーク≫
やはり年の瀬は慌ただしい。3000目標を超えた「南の風」ぐらいはゆっくりと吹きたい、そのつもりで楽しみにもしていましたが、以前のリズムと変わらず、面目?ありません。来年のスケジュールが入り始めています。
恒例の新年会(2013)は、1月12日午後の予定(上掲)。気分を新たに語りあいたいもの。和光シンポ&『ミツバチの羽音と地球の回転』上映企画(上掲)、新年会と重なった日程。さらに東京社会教育史研究フォーラム、韓国フォーラム、中国フォーラム、18号編集会議等の日程も追々と掲載予定。案内文をお送り下さい。HP「1月スケジュール」に主要な予定をアップしています。
本号には「パレスチナから−その1」報告が載りました。送り手は斉藤真哉さん(東京・板橋区社会教育主事)。年末年始の休みを活用して中東へ。見事なフットワーク!と驚いています。きっと続編が届くことでしょう。しかし無理をしないように・・・、無事の帰国を祈っています。
ぶんじんも昔はフットワークを自慢にしていました。パレスチナまでは及びませんが、年末はいつも沖縄へ。大晦日に九州へ帰り、福岡・油山で正月を楽しんだものでした。あるいは年末・正月を福岡、そして1月を沖縄へ飛ぶ慣わし。今は孫たちがやってくるので、東京で正月です。だんだんとフットワークが弱くなりました。かねがね、フットワークはヘッドワークへ通じる、“軽率”に飛べ、そこに新しい発想と情熱の泉が湧く、と考えてきました。
公務員の拘束や勤務のこともあるだろうに、毎年、中東へ出かける斉藤真哉の足腰に敬意を表します。ぶんじんゼミの精神を継承してくれて嬉しい。
3004号【2012年12月22日】
■≪12月研究会の夜≫
毎月の研究会が終わって立ち寄る店「イーストビレッジ」(高井戸)は、この夜(12月21日、190
回定例会)、人であふれかえりました。今年納めの集い、恒例の忘年会。ご参加の皆さん、お疲れさま。とくにこの日程に合わせて帰国された伊藤長和さん(烟台)、瀬川理恵さん(公州)のご両所、中韓それぞれお土産の銘酒を持参され、有り難うございました。久しぶりの顔に酔い、そして酒に酔いました。
当夜の押し合いへしあいの写真1枚、下に掲げました。何人か画面からはみだして申しわけありません。右手の奥の方に瀬川さんと伊藤さんの顔がのぞいています。伊藤さん「烟台の風」274によれば、雪道で転び「満身創痍」とか。 (→■http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/itouentai2012.htm)
しかしお元気そうで何より。日韓双方からお二人の帰国歓迎の歌もあり、思い出にのこる夜でした。ぶんじんは宴も後半となって、かなり酔いがまわり、失礼もあったような…。お許しください。
当日の司会予定・江頭晃子さんのメール。「…昨日まで娘が高熱を出していたのですが、今朝、私の身体中が痛いのです。看病の際にはどうしても密着することになり・・・日ごろの自分の体調管理が問題でもあるのですが…。今日の参加は難しそうです。最後の大事なおめでたい会をご一緒できずに申し訳ありません。…」(Fri,
21 Dec 2012 08:21)
司会はぶんじんが代行。来年1月研究会日程は、27日予定の第18号・編集会議に合流してはどうかと提案しておきましたが、如何でしょう?
本号は(hotmail トラブル対応で新アドレス帳作成が遅れ)まだ旧アドレス帳で出しています。hotmail
メンバーで他のEアドレスをお持ちの方は、ぜひ変更してください。
▼イーストビレッジにて(20121221) *井口啓太郎さん撮影
3003号【2012年12月20日】
■≪松本にて≫
前号本欄で「hotmail トラブルは解消された」と書いて出した途端、またトラブル再燃。10数名の方から戻ってきました。当方のhotmail
で、戻ってきた各位へ再送また再送。しかし最終的には7名の方に届かず…、残念! 呉セヨンに転送を依頼しました。1人を除いて、うまくいったとのこと(上掲)。気のもめること。呉さん、有り難うございました。hotmail
の方々で別プロバイダー・Eアドレスをお持ちの方は、切り替えていただければ有り難い(前号の孫佳茹さんのように…)。
それにしても、hotmail の管理(おそらく迷惑メール対策か)は度が過ぎているように思います。南の風だけでなく他の方の話でもトラブル(メールが戻ってくる)を聞きました。普通の通信に被害あり。こんごhotmail
との闘い?をどうするか、課題は続きます。
19日〜20日は松本に来ています。公民館長会企画の学習会でした。終わって懐かしい方々と夜の集い。いい酒を飲みました。松本調査の松田武雄さん(名古屋大学)グループも合流され、賑やかでした。
松本・村田正幸さんとは、かっての和光移動大学(松本)の相棒。即席料理の達人でもあり、ゼミ学生ともども何度もご馳走になりました。研究室に信州の銘酒をいただくこと数知れず。この夜は、風3000号のお祝い乾杯もしていただきました(写真)。珍しく最初から清酒。ビールにはまったく手をつけず、珍しや。
21日は、TOAFAEC 今年納めの研究会。皆さんと乾杯いたしましょう。
▼松本・名古屋の皆さん。左側手前より3人目・村田正幸さん(松本、20121219)
3002号【2012年12月18日】
■≪hotmail トラブルその後≫
本号はまだ旧アドレス帳での配信。3000号関連のメール掲載が続いていますので、新アドレス帳への切り替えを控えています。この間、長文の風が続き(本号も)、ケイタイで受けている方の苦情がありそうですが、ご容赦願います。のんびり、ゆっくり休み休み、などと気楽に構えていましたが、やはりマラソン?がまた始まった感じ。
風・配信について、一人のマラソンではなく駅伝風にリレーで吹いてはどうか、との提案をどなたからか頂いたことを思い出しています。たまたまhotmail
トラブルの際、早稲田・呉セヨンさんに配信を手伝ってもらった経過あり。二人で分担して出した実験、いい気分でした。
そうそう、hotmail 間とのトラブル(風2995号)について、その後のことを書いておきます。ちょうど前号で、問題は完全に解消されました。当初は、2995号から約25人のhotmail
関係者への「風」がブロックされたのでした。届かなかった4〜5本の風をセヨンさんに代行配信してもらう一方、当方もこの機会にhotmail
アカウントをとり、送受信できるようにしました。半日がかり四苦八苦でした。25人のトラブルはその後12人となり、この分は、ぶんじん「bunjin-k@hotmail.co.jp」で初めて送信。セヨンさんから「…3000号の南の風は無事、届いております」の返信。完全回復まで10日間を要したことになります。
烟台の伊藤長和さんから頂いたメール。「先日、三大学日本人教師の会の懇親会で、中国でもhotmail
はうまくつながらないので、他のプロバイダーに変えたという話題が各氏から出されました。」(12
Dec 2012)
孫佳茹さん(早稲田大学・院)からは、「ホットメールとの相性が良くないとのこと、3000号以後の風も順調に吹いてこられるように、私にはGメールに送信してください。」(Thu,
13 Dec 2012 00:49)と別アドレスを頂きました。皆様にご心配かけました。
3001号【2012年12月17日】
■≪3001号からの歩み、日本政治の行方?≫
南の風3001号からのスタート。本号はまだ旧アドレス帳による配信ですが、なにか新しい風を始めるような気分。ご参加の皆さま、これからのお付き合い、どうぞよろしくお願いします。
本号をつくっている(12月16日夜)横では、衆議院総選挙の結果速報が騒がしく報じられています。民主党の壊滅的な敗北、現職主要閣僚も多数落選。他方で自民党の大勝、(連立を組むであろう)公明党の議席と合わせると、衆議院の3分の2議席を確保したとのこと。ドラスティックな政権交代劇です。
3年前の自民党→民主党への政権交代のとき、新政権に熱くよせられた期待を思い出します。しかしあのとき、沖縄基地問題への背信、マニフェストの空手形、ぶざまな党内混乱など。あるいは社会教育・生涯学習政策なども全くの無策と言うほかなく・・・、この間に多くの人が味わった政治的失望・落胆・不信は計り知れないものがありました。さて、これから日本政治はどう動いていくのか? 寒々とした冬の冷気がなにかを象徴しているようです。
風3000号の配信は(ホットメイルを含めて)お手元に届いたでしょうか。なんとなく14日「浪士討ち入り」を避けて、発行は12月15日にしました。たまたまこの日は、中国生涯学習研究フォーラム(第22回)の当日。中国全省・自治区の生涯教育・継続教育関係の当局HP分析の構想や、地方法制などの新しい動きが話題となって賑やかな研究会でした。終わって「風3000号!」を祝っていただき(放心亭)、有り難うございました。今日(17日)未明、研究会の記録が早速届きましたが、3000号関連の記事が山積していて、次号以降に遅れて掲載となります。ご了承を。
▼12月15日中国研究フォーラム、「南の風」3000号達成の乾杯も (神田・放心亭、20121215)
*南の風・日誌・2951〜3000号 →■
TOP