南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
2250号【2009年7月8日】
■<立ち上がった宮古のおばぁたち−日本文化の古層>
オーケストラや電子音楽、あるいはウクレレ・ハワイアン音楽などと並んで、沖縄・宮古島から、集落古来の祭祀を司る「ナナムイ」たちがうたう神歌が東京の音楽祭に登場します(上掲、7月18〜19日、青山・草月ホール)。「宮古島の神歌と古謡」のプログラム、テーマは「日本文化の古層」。5時間ちかい上演らしい。
「立ち上がった宮古のおばぁたち」と題して、第25回<東京の夏>音楽祭2009、を報じる朝日新聞は次のように書いています(6月10日夕刊)。
「…ナナムイはツカサと呼ばれる神職を中心に、島の繁栄や豊作・豊漁を祈って毎年数十の神事を担う。神への祈りを込めた神歌は数百ある」、しかし「今の人は言葉の意味もわからなくなって、歌は忘れられていくばかり…」、「神歌の灯を消してはいけない」とおばぁたちは立ち上がった。本来、儀式の時しか歌わない神歌だが、これに出会った久保田摩琴さんのプロデュースで昨年、CD「沖縄・宮古の神歌」(キングレコード)が出た。「おばぁたちの真摯な歌声には、アジアだけでなく地中海や南米からの流れさえ感じさせる不思議な響きがある」と。
私たちの沖縄研究の30年。中心テーマは、激動の沖縄問題と現代の社会教育でしたが、その過程で、人々が暮らす文化の古層、生活の基底にある集落(アザ、シマ)の祭祀や共同、歴史のなかで伝えられてきたその厚みに刮目させられるところがありました。東京の青山の地で、はるか南の海から響いてくる宮古の神歌と古謡に出会う喜び。あらためて現代の表層と文化の古層を考えてみたい、と楽しみです。(いまだとチケットがあるようです。→アリオン:03-5301-0950)
○さきほど、岩本陽児さん「レディング通信(14)−警察で被害者調書」も着信しましたが、次号におくります。(HPにはアップ済み
→■)。
2249号【2009年7月7日】
■<風・編集室>
間違い訂正。いつも申しわけありません。前号本欄で「東アジア社会教育・生涯学習法制」座談会・修正原稿の締め切りを、5月20日と書きましたが、「7月20日」の間違い。2ヶ月前の日付での誤記、2ヶ月後でなくてよかった!
英国“遊学”中の岩本陽児さんが滅法お元気。アクシデント(レイシスト事件ー風2246号に所収)にめげず、本号にも長いレポートが届きました。いまおそらく「風」をもっとも丹念に読んでいる人、打てば響くコメントが返ってきます。風・編集室としては感謝状でも出したい思いです。しかし、いつも長文、そのため特別に奥座敷をしつらえて・・・、
○続きはこちら
→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/iwamoto09.htm と。
「風に」は小さな記事もいろいろです。最近は掲載を省略しているような私信的なメールを、本号では、あえて数通掲載しました(ご了承を)。もともと「風」は、この種の親しいやりとり(揶揄されたことあり)の“ひろば”でありました。他方では、「…南の風に掲載しないでくださいね!」との断り書きで、地元の公民館の実態や将来について率直なレポートが長文で舞い込んできます。実に興味深く、風に載せたいのをじっと我慢。その末尾には、「お返事をお待ちします」の一文あり。
昨夜、いや今日(6日)未明に(実はワインをのみながら、ウィンブルドン男子決勝を楽しんでいた)、その返報を書きました。せっかくのコメントだ、著作権は当方にあり、返信だけでも本号に載せようかと思いながら・・・、やはり、控えました。
風・編集室は、毎号それぞれに、思案投げ首、右往左往、いろいろ。
2248号【2009年7月5日】
■<いくつかニュース>
本号は、杉並区立図書館の指定管理者委託問題へのアピールも飛び込んで、長くなりました。短く書きます。いくつかのニュース。
7月下旬の韓国訪問メンバーがほぼ確定しました。南の風(2244号・本欄)やHPで「お誘い」してきましたが、いまのところ6名(男性4,女性2)。もし検討中の方があれば、急ぎご連絡ください。
「東アジア社会教育研究」第14号の編集に関して。その後、北京・韓民さんからの連絡がなく、心配ですね。中国語論文は日本語訳の必要があり、すでに7月に入った現在、翻訳の日数が厳しくなったように思います。北京からの予定原稿の見通しについて(編集長から)確かめていただけないでしょうか。日本語による原稿であれば大丈夫?
いま中国生涯学習研究フォーラムの皆さんが、第14号に向けて3月上海調査レポートを作成中。状況によっては、上海「社区教育」関連資料の紹介ページ数を増やすとか・・・、いずれにしても、7月12日予定の編集会議で対応を決める必要がありますね。
「東アジアの社会教育・生涯学習法制」について座談会(5月8日)記録を関係の方々にお送りし、それぞれ修正・加筆をお願いしています。締め切り(7月20日)厳守の上、どうぞよろしくお願いします。かなり長い座談会記録になりますので、文中に関連する写真や表・図を挿入したい。お手持ちの写真・資料が何かあれば、一緒に送って下さい。
やはりいろいろと長くなりますね。この辺で、筆をおきましょう。
2247号【2009年7月3日】
■<7月・賑やかな日程>
早いもので今年も後半を迎えました。昼が長い毎日、これから少しずつ夜の時間が増えてきます。北九州では豪雨のニュース、しかしダムにはたっぷりと貯まった様子。沖縄は梅雨明け、本州も酷暑の夏が近ずきます。いい夏となることを期待して・・・。
7月の日程は賑やかです。折にふれて風に載せてきましたから、ご承知と思いますが、今年の5〜6月にかけて、TOAFAEC
を母体に「東アジア(社会教育・生涯学習)研究交流委員会」がスタートしました。韓国と中国に関する二つの研究フォーラムをつなぐかたち。しかし、主要メンバーは首都圏だけでなく、秋田や仙台、さらに四国や九州からの参加があり、集まるのがたいへん!
この数ヶ月、予定を上手に組み合わせて、スケジュールを調整する工夫をしてきました。ギューギュー詰めの日程となるのが難点、しかし参加者も多くなり、各自の負担も少なくなる利点があります。この7月は、11日(土)の日本公民館学会に合わせて、上記・東アジア交流委員会(夜)、翌日12日(日)に予定されていた「七夕の会」(午後)との間隙をぬって、中国生涯学習研究フォーラム(午前)と「東アジア社会教育研究」第14号編集委員会(昼)等、予定ぎっしりの二日間。
これに15日午後の韓国生涯学習研究フォーラム、24日夜TOAFAEC の第153 回定例研究会、そして26〜29日の韓国訪問と続きます。ホームページ・7月予定として
→■、それぞれアップしていますので、お誘い合わせの上、ご参加下さい。 *連日の「風」送信、お許し下さい。
2246号【2009年7月2日】
■<選挙の季節>
衆議院解散が目前、東京はとくに都議会議員選挙(3日公示)とも重なり、街は騒然としてきました。雨にぬれるポスター、夕方の駅頭にならぶチラシ配り、傘をさしての演説もはじまって、選挙の季節。
東京都政の争点はいろいろ。なかでも大きな問題は、知事トップダウンの流れで設立された新銀行東京。2005年開業にあたって1000億円が投入され、1年後決算から経営危機が露呈、その後も赤字は拡大、なんと1016億円にも達したと伝えられます。昨年3月には、世論の反対を押し切って、さらに
400億円の追加出費。今後どう収拾するのか。野党側のチラシは「都政史上最悪の失策!」と断じています。
都議選を意識したわけではありませんが、6月のTOAFAEC 定例研究会では「東京の社会教育はいま」を取りあげました。当夜の要点は、先日の風2242号に詳報(江頭晃子さん)、お読みいただいたでしょうか? どう見たって東京都の社会教育は、この十年で大きく後退し、さらに解体あるいは終焉の道をたどっているのではないか、というのが率直な感想でした。そうでないことを祈るのみ。
いま選挙の季節。こういう機会に東京の社会教育・生涯学習の憂うべき実態を臆せず語り合い、これからの課題や政策を論じあう動きをつくりだしたいもの。かって美濃部都政下(1970年代)において、東京の社会教育を発展させる「都民の会」が胎動した時代を想起しています。あのときも選挙の季節、故野呂隆さんなどが頑張って、社会教育をテーマに取り組んだのでした。
追記:伊藤長和さん「烟台の風20」<夏空に雹(ヒョウ)が降る> は7月研究会案内と並んで次号おくりに。ご了承ください。HPにはアップ済み
→■。
2245号【2009年7月1日】
■<7月、鳩の巣立ち>
鳩にまつわるイメージは古来から豊饒や平和など、悪いものではありません。しかし、マンション暮らしの隣人たちには案外と芳しくない評判。ベランダに鳩防止のネットを張っている家もあるほど。
ちょうど1年前、わが家のベランダに鳩夫妻が巣づくり、空調器パイプの下に卵二つを生み落としたこと、たしか本欄に書いた記憶あり。小さな卵の写真も載せたように覚えています。無事に二羽が巣立ちました。
今年もまた同じ?夫婦がベランダの隅の植木鉢にひっそりと巣づくり。可愛い卵二つを発見したのが5月20日頃。ひたすら抱卵の毎日。カラスがやってきて覗く日あり、追っ払って応援したこともありました。
鉢の水やりに困りました。いろいろ工夫し、ついでに前の鉢をすこし脇によけて、部屋からガラス戸ごしに鳩ノ巣が垣間見えるように。この1ヶ月あまり、鳩のプライバシーを甚だしく侵害してきたことになります。ときおり写真も。申しわけない。
今年は一羽すくすくと育ちましたが、あと一つの卵はついに孵らず。両親の慈しみを一身にうけ、みるみるうちに鳩らしくなった姉?の足下には、あと一つ、妹らしき卵が今も土にまみれて残っています。
もうすぐ巣立ちの気配。窓越しに楽しんできた1ヶ月半、お目出度い気分です。こんなことを書いているとき、かかってきた電話もまた朗報!
そのうちいずれ風にお知らせがありましょう。
しかし、ベランダは鳩の糞にまみれ、家人はいい顔をしていません。
▼6月6日、卵一つ孵らず(永福、090606)
写真撤収
▼6月29日、巣立ち近し(永福、090629)
写真撤収
2244号【2009年6月29日】
■<7月の韓国訪問>
沖縄滞在の5日間、3本の「風」を編集しました。しかし疲れ気味のパソコン、調子が悪く、とくに前号(2243号)の送信にはかなり手間取りました。皆さんのお手もとに無事着信しているでしょうか?お伺いします。もし何か不都合があれば、ご一報ください。
27日〜28日にかけて名桜大学で開かれた九州・沖縄(日本社会教育学会)六月集会には、別用のため結局出席できませんでした。ほかならぬ名護の地での集会、盛会だったことと思います。どなたか「風」にレポートを寄せていただければ幸い。
ところで、7月26日〜29日予定の韓国訪問について、10日ほど前の本欄(風2239号)で「お誘い」を書きました。昨年の故黄宗建先生お墓参りに続く訪韓計画。参加者は伊藤長和、浅野かおる、江東晃子さんと小林のほか、いま3人の方から関心が寄せられています。6〜7人のメンバーになりそう。お墓参りだけでなく、平生教育士協会、生涯学習マウル−平生教育実践協議会、地域社会教育研究会等との交流が準備されているそうで、楽しみです。宿泊の手配を含め、昨年に引き続いて梁炳賛先生(公州大学校)にお世話になります。
黄宗建先生は、亡くなられたあとも、日本と韓国をつなぐ役割を果たし続けておられる感じですね。ありがとうございます。
さきほどの連絡によれば、エジプトのアーデルさん(カイロ大学)が7月12日の七夕の会に合わせて訪日予定とのこと。久しぶり!
2243号【2009年6月27日】
■<「回想80年−沖縄学への道」>
沖縄タイムスに1年(2006年)かけて長期連載された外間守善先生の「回想80年」(2007年、沖縄タイムス社刊)。当時、断続的に読んでいましたが、今度の那覇滞在のホテル一室で、ゆっくりと通読することができました。時代に生き、戦争の死線をくぐり、激動の戦後史を切り拓いてこられて80年、あらためて圧倒されるものがありました。
読み返してみて、戦後沖縄史そして沖縄学を担ってきた主要な方々が数多く登場され、教えられるところ数知れず。また個人的にも知己のお名前を発見して、懐かしくなりました。たとえば東京高円寺の球陽書房・西平守良さん。「…そんなある日、古本屋を営む沖縄師範の先輩で、復員後東京に住んでいた西平守良さんに拾われた。…天恵であった。男3人の自炊生活で最年少だった私は下男同様だった」(外間)など。
私たちが沖縄研究に取り組んだ当時、東京学芸大学図書館には、沖縄文献が全くなく、その後の約20年間、主として球陽書房を通して、少しずつ古書・希書を購入し、それなりの沖縄コレクションとなったのでした。ほとんど西平守良さんのおかげ。
東京で苦学された頃は、住居は荻窪や吉祥寺の周辺。勤められた学校は(都教委人事課長、のちの社会教育部長の広田宗三さんを介して)高井戸四小や神明中学など杉並区の学校。(現在も含めて)杉並に縁の深い先生だったのです。
外間先生のNHK市民大学「沖縄の歴史と文化」連続講座は高い評価を得た番組でしたが、その貴重な画像を撮ったカメラマンは桑原重美さん(上掲)。風1820号に「回想80年」出版記念会の模様や、稀有の戦争体験記「私の沖縄戦記」(角川書店、2006)を紹介されたのでした。
さて、沖縄の旅は26日に名護へ。陽が落ちるまで、大国林道・山城秀夫さんのヤード(貯木場、製材所、仕事場、ヤマ学校?)で遊び、夜は山原島酒之会へ。27日から名桜大学で「九州・沖縄六月集会」が開かれる話をしましたが、名護の皆さん(中村誠司さんは別にして)はご存知ないようでした。
▼山原島酒之会(名護・津嘉山酒造、20090626)
2242号【2009年6月25日】
■<慰霊の日・政治家の謝罪>
沖縄「慰霊の日」、昼は31度、日が落ちるとや涼しくなって26度。晴れて暑い日でした。しかし各地の温暖化ヒート現象のなかでは、沖縄はむしろ(心理的に)しのぎ易い印象です。とくに7〜8月・東京の酷暑の時期は、海の風吹く沖縄の方がはるかに快適、と最近感じることが多くなりました。
慰霊の日、今年の話題をいくつか。1月の不発弾爆発事故(糸満)が今なお沖縄戦の脅威が終わっていないことを実感させたこと。県知事も平和宣言で基地縮小と「不発弾の早期処理」にふれていました。
戦争世代が老齢化し、途絶えた慰霊祭もある中、若い世代が汗を流して体験継承に努力、「3年ぶりに復活・三線の音色響く」のニュースも。摩文仁ヶ丘の「沖縄師範健児之塔」前では、「鎮魂と平和を願い三線を披露」写真が大きく掲載されていました(琉球新報6月24日朝刊)。「この地で父親を失った」「母ももういない」「戦争体験の風化を止めたい」「軍隊は住民を守らないよ」等、沖縄各地「慰霊の日」記事。テレビが報じる摩文仁・平和祈念公園式典だけが慰霊祭ではないのです。
本土からやってきた政治家の挨拶のなかで、各紙が揃って報じたのは河野洋平・衆議院議長。沖縄戦について「当時の指導部がすでに展望のない戦争を適時に終結させることができなかった過ちで招来された事実を考え合わせると、日本政府、日本国民は沖縄戦の犠牲を忘れてはならない」「率直に申しあげ、私自身は沖縄の負担軽減のために胸を張れる実績を残すことができなかった」と謝罪したそうです。(ただし「外相の時、地位協定の改定に消極的だった。政府の一員だった人物の言い訳のようにも聞こえた」とする批判もある。沖縄タイムス・6月24日朝刊)
2241号【2009年6月23日】
■<64年目の「集団自決」>
日本列島は雨模様、那覇に着いてみると(6月22日)、よく晴れていました。はるか西方の台風3号も消えた?そうで、街にはいい風がそよそよ程度。しかし湿度はしっかり。梅雨明けはまだ先のようです。
この日、琉球新報1面トップ記事は、「慰霊の日、3割“由来知らない”」と大きく報じていました(上掲)。大学生の3割は6・23がどんな日だったかについて知識がない。沖縄戦が終わって何年かの質問に正答(64年)は6割に過ぎなかった。他方で、沖縄戦を学ぶことは大切との回答は99%も。現代の若者は、一般に言われるほど無関心ではないが、その知識は伴っていないというところでしょうか。
23日慰霊の日の当日(沖縄では休日)、新聞は沖縄戦に関する証言や、不発弾・遺骨収集等の記事にあふれています。かっての学徒隊や津島丸の悲劇等を子どもたちに語る証言者はみな80歳以上。歳月とともに時代は風化していきますが、しかし「集団自決」等の体験は、歳月の経過とともに、むしろ痛切な思いは濃縮されて切ない。昨夜22日夜のNHK総合テレビ、渡嘉敷島の悲劇を初めて語る兄の厳しい表情は見る人の心を打ちました。ちなみに弟は金城重明さん・牧師、沖縄キリスト教短期大学名誉教授。
隣の島、座間味島の「集団自決」については、宮城晴美さん(沖縄女性史家)が琉球新報に連載中。とくに23日記事は、その現場・防空壕ごとの事実が詳細に記され、胸えぐられるものがありました。ちなみに30年ほど前、はじめて会った宮城晴美さんは、当時の雑誌「青い海」記者でした。
2240号【2009年6月22日】
■<「広州から内モンゴルへ−茘枝の籠をさげて」>
烟台・伊藤長和さんから、茘枝(レイシ)の話が送られてきました(上掲・烟台の風19)。1997年のこと、広州へ茘枝を食べに行ったときのことを思い出しました。このときの記録は、研究エッセイ風に「東アジア社会教育研究」第2号(1997年)に標記タイトルで書いています。
枝からもいだばかりの紅い茘枝は、さすが楊貴妃が求めた珠玉の果実、たとえようもない香味。広州の友人たちは茘枝の樹を1本買いとり、たらふく茘枝狩をしたあと、北京からフフホトへ移動する私たち夫婦に茘枝の籠をつくって持たせてくれたのでした。
「…このとき、私は日本人ではなく、広州人になったような錯覚をおぼえた。なにしろ北京人やモンゴル人に、広州・茘枝の籠を土産に持参しようとしているのだから。…」
北京空港に迎えてくれた韓民に1籠を渡し、あと1籠はそのまま内モンゴルへ運びました。フフホト空港には、北京空港で合流した日本からの訪問団(一時帰国のボヤンバートルも、エジプトのアーデルもいた)を迎える人たちが群れていました。
「…深夜のフフホト空港。茘枝はまだ紅く香っていた。一瞬、広州の馬さんの顔が浮かんだ。李くんの心配そうな表情も脳裏によぎった。広州の友人たち、茘枝はまだ紅いぞ、と叫んでいた。…」
このときのモンゴル訪問団は和光大学生を中心に20名近く。賑やかでした。モンゴルの友人たちとの心の交流はこのときから始まりました。
あらためて開いた「東アジア社会教育研究」第2号には、韓民・呉遵民・黄丹青・袁允偉、羅李争など、その後のTOAFAEC
活動をつなぐ人たちが執筆していて、想い出深い記録となっています。
2239号【2009年6月20日】
■<7月韓国訪問−黄宗建先生の三回忌>
まず前号・本欄の訂正。「やんばる島酒之会」(津嘉山酒造)は25日でばなく、26日の誤記でした。九州・沖縄六月集会の前夜です。もし当夜すでに名護に宿泊される方はご連絡ください。しかし、台湾南方に台風3号発生のニュース、なんとなく気になりますね。
さて、風2235号でお知らせした7月の韓国訪問のこと、8月の全国集会に向けての韓国からの訪日予定、また10月の韓国・平生学習フエスティバルへの参加などについて、いまメールが飛び交っています。新しく東アジア研究交流委員会のMLも動き始めました。賑やかなのは何よりですね。
7月下旬、黄宗建先生の三回忌と研究交流の旅、日程が確定しました。26日出発〜29日帰国。受け入れの公州・ヤン先生の都合もOKとのこと。中国・烟台からの伊藤長和さんのご都合がまだ未確定ですが、一応予定を決める必要あり、伊藤さん日程がうまく調整できることを祈っています。浅野かおるさん(福島大学)が同行していただけるとのことで、まさに大船に乗った気分。ありがとうございます。
上掲・李正連さん(名古屋大学)メールによれば、いろいろと密度の濃いスケジュールを考えておられる様子。今回もまたヤン先生ほか皆様にお世話になりますが、どうぞよろしくお願いします。
いま飛行機の手配が始まっています。関心おもちの方は小林か江頭晃子さんにお問い合わせ下さい。昨年に続いての、故黄宗建先生に会い韓国平生学習にも出会う旅、短めの日程ですが、ご都合がつく方はご一緒いたしましょう。
2238号【2009年6月18日】
■<六月の沖縄行き>
さきほど(18日昼)山城千秋さんのメールが着信しましたので、本号の構成を少し組み替え、沖縄だけの風としました。最近では珍しいこと。TOAFAEC
にとっても、東アジア研究としても、「南の風」はもちろんのこと、沖縄は“起点”であり、”基点”なのです。昔の風は、すべて沖縄に関する記事や便り、という号がよくあったもの。最近は、中国・韓国との交流記事も多くなって、そろそろ沖縄研究も一段落かと思わせる流れ。それだけに、懐かしの地点にも立ち寄ってみたい思いあり。
来週は沖縄です。もともとは山城さんの研究グループが、九州・沖縄六月集会(6月27〜28日、名桜大学)に合わせて、研究会をもつ予定を妙に憶えていたこと。加えて、ANA「シニア空割−どこでもお一人様一区間9000円」で名護へ行った夜(5月中旬)、名護“やんばる博物館”新構想を論じあう集いが話された酒の座(大国林道)があり、那覇・名護行きを心づもりにしていました。
両方とも企画としては実現せず。しかし6・23の時期、梅雨晴れ?のやんばるは、ほぼ毎年通ってきたところ。同行の方もあり、ゆっくりと疲れを癒すことにします。24日は那覇「おきなわ社会教育研究会」の皆さんと(午後7時、ホテルサンワ集合)、25日は名護「やんばる島酒之会」(同、会場・津嘉山酒造)予定。「シニヤ」の桑原重美さん、9000円!でお出でになりませんか?
九州沖縄六月集会にご参加の皆さんで、前日(26日)名護泊まりの方は、津嘉山酒造か(きっとその後の)「大国林道」でお会いしたいもの。小生は所用あり、六月集会には出席せず、27日午前に名護を発つ予定です。お許し下さい。
明日19日は、高井戸で第152回定例研究会(東京の社会教育この10年−その崩壊過程をみつめる)、皆さんお出かけください。
2237号【2009年6月16日】
■<6月15日の日誌>
沖縄は「雨の日が続いています」とのこと(小浜さん日誌「今日の古宇利島」)、東京も夕刻から降っています。雨不足の地方もあるなかで、日本列島はいま梅雨本番。紫陽花が咲きほこっています。
いろいろ連絡・相談したいことが溜まっています。この欄を活用して書こうという算段、お許し下さい。
今日昼、ハノイから一時帰国した津久井純さん(風・前号)と久しぶりに再会。手打明敏さんから送っていただいた(感謝です!)文科省・ACCUによる英文冊子「Kominkan」と「公民館の国際発展に関する調査研究」(風2334号本欄)を渡すことが出来ました。ベトナムではその後も公民館にたいする関心が高く、理論的な紹介をする必要があり、参考に日本公民館学会編『公民館・コミュニティ施設ハンドブック』や社全協編『社会教育・生涯学習ハンドブック』を用意する約束をしました。
6月19日夜のTOAFAEC(152回)研究会に来ていただき、その折にと思っていますが、折悪しく「風の部屋」に在庫なし。急ぎ送って頂けないでしょうか。
>エイデル研究所・山添さんへのお願い。
東アジア研究交流委員会(仮)ML立ち上げ、上田孝典さん、ご苦労さまでした。「Googleグループへの招待」とのこと、確認の作業はしましたが、やや面倒。そのページに入らないとメールが読めない。当方の受信トレイに直接メールが届くようにしたいのですが、どう設定すればいいか教えて下さい。
7月下旬・韓国訪問の日程を決める必要があります。今のところ26日出発か、あるいは28日出発か、それとも・・・? 李正連さんが無理な場合、どなたかに通訳をお願いすることができましょうか。烟台・伊藤長和さんのご都合(訪韓の可能性)は如何でしょうか?
2236号【2009年6月14日】
■<ノモンハン「事件」>
6月8日から4回にわたって、朝日新聞(夕刊)が「ノモンハンの記憶−事件から70年」を載せていました。1939年に旧満州国と旧ソ連の国境で起きた紛争。約4ヶ月の悲惨な戦闘、日本側の主力部隊はソ連軍の大攻勢を受け壊滅的な敗北を喫しました。モンゴル側では「ハルハ河戦争」と呼び、日本は敗戦をかくすため戦争ではなく「事件」と呼んできたのです。死傷者は日本側2万人、ソ連側2万4千人と伝えられます。
当時、小学生だった頃、日露戦争に従軍したこともあった祖父が、沈鬱な顔でひそひそと「ノモンハンで負けたそうだ、誰にも言うなよ」と語った表情を妙に憶えています。
朝日記事は生き残った元兵士(91歳)の証言を綴っています。「孤立し、水や食料の補給もない。4日間抗戦した末、部隊長は撤退を決意。夜陰に紛れて退却し、2日後ようやく補給拠点にたどりついた。」しかし、部隊長は「…無断撤退の責任をとって自決するよう軍から強要され、ピストル自殺をした。」…「向こうの戦力がずっと大きかったのに、それを全く分かろうともせず、馬鹿な戦争をした参謀の責任はどうなのか」と元兵士は涙を流して憤ったと。
モンゴル民族の悲劇もありました。「ノモンハン事件で、モンゴル民族は旧ソ連の影響下にあったモンゴル国軍と、日本の傀儡政権の旧満州国軍に分かれて戦った」(6月10日・夕刊記事)。それぞれのつらい戦後史も。
そう言えば2002年9月、内モンゴル草原を旅した長距離バスのなかで、ハルハ河戦争にまきこまれたモンゴル家族の歴史、その片鱗を聞いたことがありました。「眉屋私記」ならぬ、三世代にわたる証言を集めてモンゴル家族史「私記」を書きたいものだ・・・と、ひととき興奮したこともありましたが・・・。
2235号【2009年6月13日】
■<韓国・ヤン先生からの提案>
かねて本欄でも中国(上海)からの日本・韓国の訪問団日程について、経過を書いてきました(風2233号「上海へのご連絡」等)。ご承知の通り8月案は延期することになりましたが、それを受けて、韓国のヤンビョンチャンさんより、李正連さんを介して、二つのご提案を頂きました。積極的なご提案を有り難うございました。
一つは、10月9〜12日に開かれる韓国平生教育フェスティバルに合わせて中国訪問団を受け入れ、日本からの参加者を含めて、記念の国際シンポジウム等を開催したいとの案。あと一つの提案は、故黄宗建先生が亡くなられて今年7月は三回忌。7月下旬に墓参りの訪韓、その後に韓国側との研究交流の機会をもつことはできないかのご意向。とくに韓国平生教育士協議会と日本の社会教育指導員グループとの交流をしたいとの懸案あり、小林、伊藤長和さんに加えて、江頭晃子さん(アンティ多摩)の名前をあげてお誘いがありました。
このご提案については、韓国側では平生教育振興院・朴仁周院長や平生教育総連合会・崔雲実会長にも相談された経過があるようです。
これを受けて当方は、上海・呉遵民さんに連絡をとり、山東省烟台の伊藤長和さんや江頭晃子さんにヤン提案を伝えました。お二人とも前向きに考えて頂いているご様子。今回とくに注目されるのは、日本に「社会教育主事協会」のような職能的な専門職団体がなく、韓国の「平生教育士協議会」との交流が実現すれば、もちろん初めてのこと。
第1の提案についての上海側の返事は上掲・呉メールの通り。10月訪問の案には「出にくい事情」があるそうです。11月下旬の日程にしたいとの意向。ただし日本公民館学会の年次大会は12月の予定ですから、これは無理。韓国側のご都合も伺いながら、11月下旬の線で具体化していく方向で検討を始めては如何でしょうか。日程だけは上海側へ早めに返事をする必要がありましょう。
第2のご提案、7月下旬の訪韓計画についても早急に日程を確定いたしましょう。今のところ7月26日(日)前後から数日の線でしょうか。
2234号【2009年6月11日】
■<公民館・英文冊子“Kominkan”>
文部科学省とユネスコ・アジア文化センター(ACCU)共同発行のかたちで、「公民館
Kominkan 」と題する英文パンフが刊行されています。A4版27ページ、5月刊)。ユネスコ第6回国際成人教育会議(新型インフルエンザのため延期)に向けて、文部省の委託を受け、ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)がコーディネートして作成されたものです。いい出来映え。全国公民館連合会から送っていただきました。ご配慮に感謝!
「公民館」は日本ブランドとして国際的にも有名、しかし文献資料はすべて日本語バージョン、英文版が求められてきました。たしか5年ほど前に全国公民館連合会が,「日本の地域学習施設(CLC)」として英文版を作成したことがあり、それが唯一といっていいのではないでしょうか。今回のは、ACCU「公民館の国際発展に関する調査研究−海外のコミュニティ学習センターの動向にかかる総合調査研究」(平成20年度)の成果の一環だそうです。
内容を(逆に日本語にして)項目だけ紹介しますと、公民館とは、創設と普及、活動事例(7地域)、統計概表、法制、運営、職員、その役割、今後の公民館像、年表、関連団体など。それぞれ見開き2ページ前後の簡潔な記述。
ちなみに、収録されている地域事例は、佐伯(大分),置戸(北海道)、福生(東京)、木更津(千葉)、岡山、十日町(新潟)、松本(長野)の七つ。興味深いことに、年表や関連団体のなかに「日本公民館学会」が記載されています。文科省関連の刊行物は、あまり学会のことに触れないのが多く、ちょっとした発見でした。
2233号【2009年6月10日】
■<上海へのご連絡>
6月7日「六月集会」会場で、新しく「東アジア研究交流委員会・仮称」がスタートしました(上掲)。日本と韓国、あるいは日本と中国の、いわば2国間の個別研究から、台湾も含めて、日中韓をつなぐ東アジアの新しい研究交流、その多層的なネットを発展させていこうとの思い。
当面の課題として、8月の社会教育研究全国集会(信州阿智村)に上海訪日団を迎え、毎年の韓国からの訪問団と合流して、歴史的な出会いの場を創ろうという企画がありました。しかし、いますでに6月も半ばに近く、上海の8月訪日の日程は準備・編成などからみて無理があるのではないかという判断になりました。
6月5日夜、呉遵民さん(上海・華東師範大学)から届いたメール。
「…日本へ訪問のこと、いろいろご配慮をいただきまして、深く感謝申し上げます。ただ第一案(8月訪日)は、かなり時間的に無理と思います。参加者の申請や組織、ビザの取得など手続きが必要ですし、また私個人の事情からも…(中略)…、どうしても8月は無理だと思います。時間的には、やはり10月以後の日程の方がいいと思います。あす皆様と相談いたしますが、まず個人的な意見を申し上げたいです。…以下略…」
上海側には、日本訪問のあと、韓国訪問の希望があり、それに対応して上記「東アジア交流委員会」の立ち上げを考えてきた経過があります。結果として日本側の準備がすこし遅れることになりました。7日の話し合いでも、今後、韓国側の意向もお聞きしながら、第2案(10月以降の日程)で取り組んでいくことになりました。この間の経過を葉忠海先生にもよろしくお伝え下さい。
▼「東アジア研究交流委員会」の発足(横浜国立大学、20090607) *関連写真(6月7日記録)→■
2232号【2009年6月8日】
■<酔っていた二日間、馬頭琴の調べ>
6月6日・7日の両日、横浜では風2230号・案内のように、中国生涯学習研究フォーラ(第5回)、東アジア交流委員会(第1回)、そして高井戸でTOAFAEC
総会(2009年度)が開かれました。日本社会教育学会六月集会プログラムの間隙をぬっての慌ただしい企画。
またこの機会に、社会教育推進全国協議会編『社会教育・生涯学習ハンドブック』(エイデル研究所)編集会議も開かれたようです(上掲)。ぶんじんは、この会議に欠席。また初日午後からの学会プログラムもパスして、前にご案内(2229号)をうけた「沖縄から平和を願う」海勢頭豊さんコンサートに出かけました(東京・四谷)。ご苦労されている学会関係の皆さんには申しわけない。
海勢頭豊さんは名曲「喜瀬武原」を歌う際に、かっての小林研究室を紹介、まわりから拍手をいただきました。終わって(「風」案内を見て来場していた)桑原重美さんとビールを飲んで、すでにほろ酔い。
その足で横浜(上記・中国研究フォーラム)へ。夜の2次会は、瀬川理恵さん心くばりの店。たくさん飲み、例によってしゃべり過ぎ。杉並永福にたどりついたのは「午前1時の針もまわれり」。
二日目昼の東アジア交流委員会は皆さんの拍手によってめでたく終了。タクシーを呼んで横浜中華街へ。黄丹青、上田孝典、内田純一、小林平造、上野景三という珍しい顔ぶれ。久しぶりに古い話もして、この日も午後から赤い顔。しかし総会が控えている、酔いは控え目、足取りも確かに東京へ移動。途中で末本誠(TOAFAEC
代表)とも遭遇、会場へ。
総会の議論いろいろ。二次会では、女性たちからモンゴル「草原の王子さま」と呼ばれる馬頭琴奏者・センジャーの演奏。その調べに心から酔い、疲れを癒したのでした。
センジャーとトクタホ、有り難う! 皆さん、お疲れさまでした。
振り返ると、酔っていた時間の方が多かった二日間。酔わないで議論した会の記録は、それぞれ事務局長から「風」にお寄せください。
【歌の工房】 −2009/06/07 賽音吉雅(Senjiya)来る−
◇外つ国の出会いを語り故郷を しのぶ歌はるか馬頭琴むせぶ
◇「草の王子」琴の調べを献上と言いくれし夜 月さやかなり
▼賽音吉雅(Senjiya)演奏(090607、高井戸イーストビレッジ)
2231号【2009年6月6日】
■<08憲章>
中国20年前の6・4事件に関連する報道のなかで「08憲章」への言及がいくつかありました。昨年12月、中国の知識人303人が、人権保障と民主化要求、共産党による一党独裁の終結を求めた憲章。正確には「中華連邦共和国憲法要綱」。香港紙の報道によると、これに署名した弁護士、作家、学者、芸術家らの大半が公安当局に拘束、逮捕されるか、自宅軟禁状態におかれているそうです。
憲章・前文では、いま中国に「…法律はあるが法治は存在せず、憲法はあるが憲政は存在しない。… 官僚社会が腐敗し、人権も無視されている。社会の格差は拡大し経済はバランスを欠いた発展をしており、自然環境、人文環境が破壊されている」などの主張。一党独裁の終結、表現と結社の自由保障、司法の独立、公職選挙制の導入など19項目の要求が提起されています。
中国の現体制に激震が走ったと想像できる内容です。その後、署名は随時加筆され、注目されるのは、知識層や著名な民主・人権活動家だけでなく、全国各地の炭鉱労働者、企業経営者、農民、軍人、退役兵士や大学生、失業者など庶民レベルが含まれているとのこと。
関連サイトの書き込みのなかで、「今回の“08憲章”は、1988年にCCTVで放映された連続ドキュメンタリー番組「河殤」を彷彿とさせます。思わず「河殤」を
you tube で探してみたところ、ありました。
→http://jp.youtube.com/watch?v=7shq-MXV_hQ
そういえば20年前の研究室で、ダビング傷みのビデオ「河殤」を、日本語訳を横において、新鮮な思いで観たものです。
2230号【2009年6月5日】
■<1989年6月の回想>
いつまでも記憶に残る年、1989年。20年前の6月4日、私たちの研究室(東京学芸大学社会教育研究室)は固唾を呑んで北京天安門のニュースを聞いていました。当時、韓国だけでなく、中国からの留学生が増えていた頃、彼らからのホットなニュース(香港経由など)が入り、日本人ゼミ生も敏感になって、毎日の動きを交換しあったものでした。
この年は、日本は昭和が終わり、ドイツ・東ヨーロッパの体制変革など激動の年。まず思い出すのは、5月メーデーをはさんで、当時の自治労・大都市社会教育の研究交流「集い」企画による中国訪問。団長は海老原治善さん(故人)、副団長は小林、川崎・大阪・横浜・神戸など各都市の労働組合から参加の十数人による訪中でした。
6月4日のほぼ1ヶ月前の中国各都市。街の表情だけでは見えない緊張。とくに北京・天安門広場は拍子抜けするような(管理された)静けさ、メーデー行事などまったくなし。しかし大学(瀋陽)の中に入ると、学生寮など若者独自の高揚がありました。西安に着いた日は、街頭に騒乱状態が発生した当日。旅行者は外出禁止。しかし川崎メンバー(北条秀衛さんほか)とタクシーを飛ばして現場を目撃しました。この旅の最終日程は上海へ、閘北区「業余大学」(のち社区大学)にはじめて出会ったのでした。上野景三さんと一緒でした。
帰国して2週間ぐらい経過したところで、毎年恒例の研究室合宿。山梨勝沼「ワインの里」に泊まりました。みんなでワインを飲んでいる時も、中国留学生は小さなラジオで、ひたすら北京のニュースに聞き入っていたものです。たしか(敬称略)渡部幹雄、内田純一、森田はるみ等の日本人院生と、北京、天津、上海からの留学生たち。宿舎の丘から遠くに見える中央本線の夜行列車、銀河鉄道のように走っていました。
2229号【2009年6月3日】
■<水無月は多事有月>
上掲・海勢頭豊さんからのコンサート(6日午後、主婦会館)のお誘い、ちょうど学会六月集会の日程と重なっています。しかし、時間的に同日夜の中国生涯学習研究フォーラム(風2226号)には間に合いそう、じきじきのご案内だ、午後だけはコンサートに行こうかと、少し心が揺れています。
6月に入って、とつぜん忙しくなりました。相次いで重いメールが舞い込んできました。一つは、沖縄県青年団運動史の証言テープおこし。「大変遅くなりましたが、4氏の聞き取り記録がようやく完成しました…不明な点は赤字で示しております」(山城千秋さん)。
二つ目は、5月8日「東アジア社会教育・生涯学習法制を考える」座談会記録。「大部になって申し訳ないのですが…、基本的には、あまり手を入れていません。これ以上悩むと遅くなってしまいます。これでご勘弁ください」(山口真理子さん)。
三つ目は、6年越しに取り組んでいる『社会教育・生涯学習辞典』の初校ゲラがようやく出来上がったのです。「本日,初校の著者校正を…ほぼすべて発送いたしました。ここまでお時間を頂戴してしまい,本当に申し訳ございませんでした」(朝倉書店・野島薫さん)のメール。追っかけて重い宅急便(ゲラ刷り)がドサリと届きました。
それぞれに苦労された送り主の顔が浮かんできます。とくに『辞典』づくりは大仕事(約1500項目、執筆者300人)。大きな峠を一つ超えたことになります。担当の編集者はもちろん、執筆された方々にひたすら感謝!「南の風」メンバーにも執筆者多く、遅れた初校ゲラを暖かく受けとめていただき、校正作業どうぞよろしくお願いします。
2228号【2009年6月1日】
■<挽歌ひとつ捧げたき思い>
挽歌ひとつ捧げたき思いはあれど・・・言葉にならじ、といった心境です。盧武鉉(前)大統領の悲報は、韓国社会に大きな衝撃を与えましたか、海を越えて、私たちの心にも深く突き刺すものがありました。なぜなのかと。
かっての人権派弁護士、獄中経験、市民運動と参与の思想、そして大統領当選。あのとき(日本政治と対比して)私たちも大きな期待を寄せたのでした。しかしその後の経過は、韓国に関心をもってきたものにもよく分からない流れのなかで失速、政治的には敗北?そして疑惑を受けての自死。「ただただ無念」「理解できない」(朴元淳氏)のです。
日本希望製作所から送られてきた記事の中に、生前に親交のあった朴元淳(パク・ウォンスン)氏の追悼文・日本語訳が紹介されていました。ご了解を得て長文ながら風に掲載させていただきました(上掲)。
ちなみに朴元淳氏は、1956年の生まれ、人権派弁護士として活躍、かっての参与連帯・事務局長(1995〜2002年)、マグサイサイ賞を受賞、2006年からは希望製作所の常任理事という経歴。追悼文を読んで、少し心が落ちつきました。
6月を迎えました。日本社会教育学会六月集会の折、TOAFAEC 総会が開かれます(ご案内
→■)。TOAFAEC はもともと小さな研究サークル、総会など必要ありませんでした。しかし中国関係者等を招聘する際、団体として規約や役員体制等の「かたち」が求められ、総会を開くようになりました。記録をみると2001年からの開催。かたちだけではなく、なかみも元気の出る機会にしたいもの。
2227号【2009年5月30日】
■<交流会・二次会の企画>
前号本欄で、6月6日夜・中国生涯学習研究フォーラム(会場・神奈川県民活動サポートセンター701室)の案内を出したのと入れ違いに、瀬川理恵さん(横浜市教育委員会文化財課)からメールが着信しました。
「…余計なことかもしれませんが(笑)、6日の研究会終了後、二次会などは、計画されますか? どなたか、その道の方が、いらっしゃらないようであれば、二次会会場、さがしておきましょうか? 私もそれほど詳しくは無いですが・・・」(Thu,
28 May 2009 23:45)と。
折り返し出した返事。「…当方の心のうち、お見通し、恐れいりました。どうぞよろしくお願いします。」 瀬川さんは、TOAFAEC
研究会の終了後は必ず!交流会となることをよくご存知なのですね。
間髪を入れず次のメール来信。会場・県民センターのすぐ近く「ZA・KO・BA」という店に予約いただいたそうです。横浜駅西口から3分の由。「…混んでいないので、リラックスできます。店は11時まで」だそうです。店の住所・電話・地図等は次の通り。
*横浜市神奈川区鶴屋町2-23-2 横浜TSプラザビルB1 045-411-2311
→■ http://www.newtokyo.co.jp/tempo/zakoba/zakoba_yokohama/zakoba_yokohama.htm
関心をおもちの方、韓国研究グループの方も、また(理事会等で)研究会に間に合わない方など、もしご都合がつけば、ぜひお出で下さい。横浜の夜、ともに楽しく語りあいましょう。
それにしても、今回の会場設定は、二次会場まで含めて、瀬川さんにすっかりお世話になりました。有り難うございました。
2226号【2009年5月29日】
■<横浜で会いましょう>
前号からの続き。
横浜国立大学・六月集会を前にして急ぎ企画した二つの集い、相次いで会場が決まりました。まず六月集会第2日(6月7日12:30〜13:30)「仮称・東アジア研究交流委員会」の打ち合わせ(昼食持参)は、横浜国立大学教育人間科学部講義棟105−A、を用意していただきました。学会受付に近い部屋だそうです。小田切督剛さんを通して、矢野泉さん(横浜国立大学)から直接連絡をいただきました。有り難うございました。
その前日夜(六月集会第1日、6月6日19:00〜21:00)、中国生涯学習研究フォーラム(第5回)を開催することになりました(上掲・上田メール)。JR横浜駅西口から歩いて5分、神奈川県民サポートセンター701号室(「あらむの会」の団体名で予約)。横浜市教育委員会文化財課・瀬川理恵さんにご面倒をおかけしました。「…施設としては、少し古いですが、神奈川県の施設ですし、おそらく迷子にならずに到着できると思います」とのこと。横浜駅から至近のところ、瀬川さんのご配慮、有り難うございました。
→■ http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/02/0051/center/access.html
中国生涯学習研究フォーラムと同じ時間帯には、日本社会教育学会の理事会が開かれます。理事の皆さんには申しわけありませんが、せっかくの横浜、若い世代で集まろうと急ぎ企画されたもの。関心ある方は(留学生を含めて)どなたも歓迎!
お気軽にお立ち寄りください。終わって駅近くのどこかで交流・懇親の時間がもてるかしら。
2225号【2009年5月28日】
■<学会・六月集会>
日本社会教育学会は、秋に開かれる毎年次・研究大会と並んで「六月集会」を開催してきました。いわば学会の中間集会、今年は6月6〜7日の両日、横浜国立大学を会場に開かれます。共通テーマとして設定された研究課題(かって「宿題研究」と呼んでいた)について、熱のこもった議論がかわされる(ときに失望?もある)集会です。
この6月には、東京だけでなく、東北・北海道や、東海・北陸、関西、中国・四国、そして九州・沖縄の5地区ブロックで研究集会が開催される予定。賑やかです。各プログラムは日本社会教育学会ホームページを。
→■http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssace/taikai/taikai09-1.html
ついでに、2003年に新しく創設された日本公民館学会でも、初冬の年次大会だけでなく、数年前より「七月集会」が企画されています。今年は東京・福生市(7月11日)と聞いていますが、まだ詳しい内容は分かりません。公民館学会のホームページは新しいニュースが未掲載。
前置きが長くなりました。今年の「六月集会」では、公式プログラムの間隙を縫って、とくに東アジアに関する二つの集いが急遽開かれることになりました。いずれもこの数日の動き。一つは「風」でも報じてきた「仮称・東アジア研究交流委員会」の打ち合わせ(二日目の7日昼)。あと一つは、第5回・中国生涯学習研究フォーラム(一日目の夜)。詳細は、決まり次第「風」に、また当方のホームページに、掲載いたします。関心お持ちの方は、ぜひご参加下さい。
2224号【2009年5月26日】
■<主治医が薦める本>
風2222号「ゾロ目の風」については、いくつか面白い反応がありました。私信扱いですから、そのまま紹介できないのが残念。一つは、2000号が昨日のできごとのよう、2222号とは感無量、これからも「…静かで爽やかな風が吹き続くこと」を祈る、米寿まで頑張れ!と、かなり挑発的な内容です。
最近は「風」に連載的な投稿が活発になり、隔日刊では追いつかない程。特に新型インフル騒動もあり、長文メールが増えて、2219号でも紹介したように、沖縄から短文の投稿がしずらくなったとの感想も寄せられました。3行(10行程度はぜひ!)の「やんばる通信」「おきなわ研究会だより」を送ってほしいとお願いしました。お待ちしています。
あと一つ、ゾロ目の号には、ぶんじんの体調のことを書きました。いくつかの助言あり。たとえば「目の焦点にどうぞ気をつけてください」とか、「思わぬ転倒」もありうる、「元気な人ほど事件に会いやすい」さらに加えて「そうだ、カラ元気ということばも気になってしまいました」など。すっかり後期高齢者の気分を味わうことができました。お心遣いまことに有り難く、御礼申しあげます。
私の主治医のお一人が薦める本をいま熟読中。免疫学の名著(手元の本で第19刷)、新潟大学大学院教授・安保徹氏『体温免疫力』(2004年、ナツメ社)です。専門的で分かりやすく、理論的で臨床・実務的。こんな本を社会教育の分野でも書いてみたいと思いました。すこし理屈を書きながら、すぐに取り組みたくなるような実践論を面白く展開してみる、そんな本はきっと版を重ねるに違いありません。
本欄は20行が限度のつもり、しかし本号も数行こえてしまった。
2223号【2009年5月24日】
■
<自治公民館・分科会>
毎年の夏の年中行事、社会教育研究全国集会(今年は第49回、8月22〜24日、信州阿智村)の準備が始まっています。2002年の沖縄・名護集会から胎動した「自治公民館」「小地域活動」の分科会、今年は信州の新しい世話人の参加もあり、関係の方々にメールを出しました。その抄録をご紹介いたしましょう。
1,「自治公民館」について。… 名称はいろいろ(自治公民館だけでなく、字(あざ)公民館、町内公民館、分館など)、また農村や中小都市だけでなく、大都市部(貝塚・横浜など)の地域活動も視野に入れて、分科会タイトルに「小地域」という名称を使ってきました。
これまでの「討議の柱」「実践報告」「分科会のまとめ」等の記録はすべてTOAFAEC ホームページにアップしています。かなりの蓄積あり。
→■
2,この間、本を作ろうという動きもあり。小生は国土社(亡くなった社長)と会う経過もありました。しかし
… あと一つの具体化の体力不足、失速のままです。今となっては惜しまれます。
3,2007年の貝塚集会、2008年の札幌集会には、韓国訪問団の主要メンバー(平生教育振興院長、学会会長など)が、連続してこの分科会に参加されました。韓国では「平生学習」施策の一つとして、マウル(集落、ムラ)の住民活動を支援していく動きが注目されます。昨年の分科会での韓国側の報告(住民自治センターとマウルの生涯学習)は、小さくまとめて、同じくHP・韓国研究のページに収録しています。ぜひご覧ください。
→■ 韓国側は、今年も全国集会に訪問団を組むことを確定したそうです。
4,沖縄について、ここ3年ほど、小生は竹富島の報告を重ね、また山城千秋さんが字公民館について報告した経過があります。…
5,今年は、総務省系統の動きで、「集落支援員」の設置が話題になっています。信州ではどうでしょうか。限界集落の問題を含めて報告を用意していただければ、と期待しています。…(以下、略)…
2222号【2009年5月22日】
■<ゾロ目の「風」>
「風」は2222号を迎えました。岩本さんから「ゾロ目、おめでとう!」のメッセージ(上掲)拝受。実はこの数字は、2000号の次の「風」休刊の候補ナンバーでした。昨年3月の休刊騒ぎ。わずか10日間の自由だけであえなく復刊となり、作戦は失敗したのでした。
いま愛知川、烟台、レディング・・・と各方面からのメール相次ぎ、韓国、中国の研究ネットも盛りあがり、新しく「仮称・東アジア研究交流委員会」(風・前号)の構想が動き、もちろん研究年報第14号の編集も進行中。とても“休刊”を言い出す状況ではありません。嬉しいような、悲しいような複雑な心境。しかし客観的には、もちろん喜ぶべき展開というべきでしょう。さて、次のゾロ目をどのように迎えることになるか(…ならないか)、これはまったく分かりません。
3月から4月の季節は、花粉症も重なって、例年になく、体調不良の日がありました。当人のカラ元気はいつものこと。しかし、明らかに加齢・老化を実感させられる日もあり、それは微妙に「風」誌面に現れるようですね。先日の沖縄の旅では、「先生、少し動き過ぎ」「自愛すべきだ」など忠告もいただき、身に沁みるものがありました。
いつもこの時期、年に一度の胃カメラを呑む慣わしです。かって「学生部長」の激職・ストレスの毎日、ほとんど倒れる寸前となって胃手術を宣告されかけたときからの保身術。今日(21日)検査を受けてきました。その頃「ガンのフイールド」と説明された胃壁(慢性胃炎)も今は快癒し、肝臓・血糖値・コレステロール等のデータは、加齢とともに、すべていい数字に改善! これも複雑な、しかし嬉しい心境です。なじみのドクターは「この調子、いい調子、今の生活リズムを続けなさい」と。
2221号【2009年5月20日】
■<中・韓・日の研究交流>
韓国・梁炳賛(ヤンビョンチャン)先生からのメール(上掲)を拝受、有り難うございました。日本から帰国後、韓国と日本そして中国との相互交流をどう進めるか、新しい課題としてお考えいただいているとのこと。今年は、これまでの二国間の関係をこえて、中国(台湾も)を含む東アジア・レベルでの研究交流が新たな段階を迎える年になりそうな予感。楽しみですね。
風・本欄でも「東アジアの交流ネット」(2214号)、「仮称・東アジア研究交流委員会」(2217号)など、その胎動をご紹介しました。具体的には、まず韓国からの来日が期待される8月下旬・社会教育研究全国集会(主催・社全協、会場・信州阿智村)に合わせて、中国(上海)側の日本訪問団を迎えるというのが第一案。しかし中国側では、主要自治体の公民館等視察希望があり、また帰路は、韓国を訪問したいとの意向も聞こえてきました。相互訪問や研究交流を実りあるものとするために、具体的なスケジュールとしては、むしろ別の(たとえば秋の)第二案を検討した方が内容的に深まるかもしれない・・・。お互いの事情と希望を出し合って、日程等を確定していく必要があります。
既報「仮称・東アジア研究交流委員会」の皆様、その場に居合わせなかった関係の皆様に、別便で、これまでの経過と「交流委員会」の実質的な立ち上げ要請のメールを差し上げる予定です。よろしくご検討ご協力をお願いいたします。
福岡・横山孝雄さんから、昨夜(Tue, 19 May 2009 16:49)「釜山訪問記録」について返事が来ました。追加分を「現在印刷中ですが、5部ほど川崎・小田切さんへ送ります。今後、内容充実のため、肥後耕生さんの報告(釜山資料1〜6)や韓国・平生教育法2007年全面改正(李正連先生訳)等を、ご本人の了解を得て入れたいと考えています」と。また「(仮称)中・韓・日の交流委員会の参加については、5月20日に事務局会議をしますので、皆さんへ提案します」とのこと。
2220号(2009年5月19日)
■<いま社会教育の政策は・・・>
まず前号本欄訂正。「民社党」は間違い、正しくは民「主」党です。うっかりミス、申しわけありません。
野党側の対応も動き始めて、巷にはいよいよ衆議院選挙が間近となった風景が見えてきました。東京都議選ともからんで各党のポスターもいろいろ。私が住んでいる東京・杉並の選挙区は、自民党幹部(I氏)の地盤。数日前、野党側の候補H氏(現衆議院議員)から突然の電話あり、短い時間でしたが、お会いする機会がありました。「政権交代に杉並から挑む!」のご挨拶を受け、こちらから杉並の原水禁運動・安井家資料研究会のことなど話しました。別れたあと、私たちの研究会報告「ひたすらに平和願えり」や、記録する会「杉並にも公民館があった」など杉並の地域史運動資料を渡せばよかったと気づきましたが、あとのまつり。
また、日本の社会教育・生涯学習の政策がいま展望を失っていることを話題にすべきでした。先日のTOAFAEC
第150 回研究会で、韓国「平生教育法」全面改正では、学会側の論議に国会議員が加わり、研究者も国会議員との積極的な交流につとめた経緯を聞いたばかりなのに。
かって「月刊社会教育」編集長のとき、ミニ特集として「政党の社会教育政策」を組んだことがあります(1974年6月号)。各党の政調関係者に協力を願って、誌面に主要5政党の政策が並び、きわめて好評だったことを思い出します。いまや、マニフェスト・政権公約の時代、各党はどんな社会教育・生涯学習の政策を公約しているのか・・・、比較してみたいもの。
2219号【2009年5月18日】
■<ブログ・サービス二つ>
新型インフル国内感染のニュースが、民主党の代表交代ニュースを吹き飛ばすような勢い。神戸では街行く人の半数位がマスク姿になったとか(上掲、多田ニュース)。悪い影響が今後さらに拡がるのではないかと心配されます。皆様、お大事に。
風・前号「レディング通信・第二部のはじまり」記事にお気づきでしょうか。岩本陽児さん(和光大学)からのメール。「風」の古いメンバーであれば、懐かしいタイトル。2000年から2002年にかけて、英国レディングから送られてきた通信です。
当時の岩本さんはレディング(ロンドン近郊)在住。2002年から和光大学に小林後任として着任し、このたび在外研究(1年間)の機会を得て、5月初旬に再び英国へ。懐かしの「レディング通信」第U部がはじまったという経過です。
「南の風」の拡がりは、沖縄・東アジアが中心ですから、岩本さんの通信は貴重なヨーロッパの「風」。独特のセンスと文体で案外と愛読者も多い。しかし、いつも長文なのです。最近は「愛知川だより」や「烟台の風」等の寄稿も活発なので、一計をめぐらして、HPの中に岩本さんのページ
→■を開きました。「風」に短く載せて、詳しくはブログをどうぞ、という工夫。(岩本さん、もしHP掲載を控えるべきであれば、ご一報ください。)
4月の伊藤長和さん「烟台の風」
→■につづくブログ・サービス第2弾です。実は、先日の沖縄訪問の際、最近の「南の風」は長文が多く、投稿しづらい、との感想も頂きました。短文の記事、もちろん歓迎!
お待ちしています。
2218号【2009年5月15日】
■<沖縄復帰の日>
5月15日は沖縄が日本復帰して37年目の記念日、本土からの参加者も加えて、平和行進(3コース)も行われるそうです。
当方は沖縄4日目。沖縄に着いてすぐ「風」2216号(5月12日)を配信したところ、折り返し名護の比嘉ひとみさん(名護市教育委員会)より、メールを頂きました。
「… 今、那覇にいらっしゃるのですね。ごあいさつが遅れましたが、この4月に市史編さん係へ異動となりました。もし、名護まで足を伸ばされる余裕がおありでしたら、名護市史にもお立ち寄りください。現在の事務所は、懐かし(?)の旧崎山図書館です。お待ちしています。」(Tue,
12 May 2009 18:13:)。
また鷲尾真由美さんからも、「… 私は13日の夕方は、名護市でのアセス監視団の会議に出席します。15日までは、辺野古アセス準備書の沖縄防衛局への意見書提出の作業にかかります。是非お目にかかりたく思いますが、ご都合はいかがでしょうか。先生は15日の復帰記念日までご滞在でしょうね…」(Wed,
13 May 2009 02:06)と。
13日の名護ではまず島袋正敏さんたちのギャラリーみんたまぁ「沖縄復帰を考える」企画展(新聞・テレビでも大きく取り上げた)へ。写真家・故平良孝七の遺作が並んでいました。その後、正敏さんの車に乗って古我地焼の窯元で(旧11月・喜寿祝いで不足した)小皿をいくつか買いました。夜は恒例の大国林道。稲嶺進さん(次期・市長候補)などと意気盛んに飲み、そこで鷲尾真由美さんや真喜志好一さん(建築家)たちとも合流。14日朝は(比嘉ひとみさんの前掲・崎山図書館に立ち寄る余裕なく失礼しました)、宜野湾の佐喜真図書館へ。写真家・比嘉豊光「赤いゴーヤ」展。偶然に豊光さんとも会えました。
その夜、名城ふじ子、玉那覇正幸、平良研一、佐久本全さんなど「おきなわ社会教育研究会」の皆さんから、あらためて喜寿の祝いをしていただくことに。花束を頂き、群青の見事な壺も。突然のことで、驚き、恐縮、感激!の夜となりました。名護・那覇の皆様、今回もまたお世話になりました。
▲「浦々の深さ 名護浦の深さ 名護のみやらびの 思いふかさ」(名護市、090513) *「みやらび」は美童(乙女)の意
2217号【2009年5月13日】
■<仮称・東アジア研究交流委員会>
8日夜のTOAFAEC 研究会では、自ら進行役を買って出て、「歴史的な研究会です」とご挨拶しました。当夜が150回目だということ、東アジアの社会教育関連法制をテーマに、中国(台湾を含む)、韓国そして日本の拡がりで議論できること、ヤンビョンチャン先生の海を越えての参加、そして(とくに中・韓の)若い世代の登場、など思い出に残る夜となりました。
その翌日、中国生涯学習研究フォーラムと韓国(同)フォーラムの有志による合同昼食会、これもめったにないこと。嬉しくなって、昼からビールで乾杯。この席での「東アジア研究交流委員会」(仮称)の取り組みを始めよう、という話については既報の通り(風2214号・本欄)。 この場にいた人で、「交流委員会」の骨格?メンバーの名前も出ました。事務局長は他薦あり、上田孝典さん(国際教養大学・秋田)が第一候補。ご本人もほぼ了承。その場にいなかった人では、石井山竜平さん(東北大学)の名があがりました。昨年7月に福岡グループの団長として韓国・釜山訪問。今年3月には上海へ。そのフットワークのよさは記憶に新しいところです。9日昼食会の経過は、昨日(11日)石井山さんに電話で報告しておきました。積極的に協力していただけるようです。
さらに、関心ある自治体関係者を含めて、この趣旨に賛同していただけそうな人にも呼びかけし、あわせて、私たちの仲間(風メンバー)でもある上海・呉遵民さんや、韓国・ヤンさん(当日同席)、もちろん烟台の伊藤長和さんにも加わっていただいて・・などと期待がはずみます。
*風2191号「中・韓・日の研究交流」(4月1日)記録もご参照下さい。
ところで、本号もまた長文、しかも連日の配信、騒がしくてすみません。岩本陽児さん「レディング通信・第二部」(5月10着信)はまだ載せきれず、次号まわしとなりました。ご了承を。
▼中国研究グループと韓国研究グループの合同昼食会(溝の口、20090509)
2216号【2009年5月12日】
■<思いがけなく那覇へ>
連日の「風」送信、お許し下さい。前号に書いたように、連休明けにたくさんの通信をいただいたのです。渡部幹雄さん「だより」も、伊藤長和さん「烟台の風」も2回分ほど蓄えができました。多謝!
伊藤さんの「風」には、毎回、前書きがあります。私信のような感じでもあり、いつもは収録していませんが、ご参考に、最新の号を一つだけご紹介してみましょう。
…6日は給料日でした。8日の金曜日は日本語教師の先生4人が私を授業終了後、食事に招待してくれました。みんな25、26歳ぐらいの若い女性です。魯東大学近くの「鯰料理」の美味い店だそうです。学校からバスに乗り出かけました。確かに美味しい料理でした。食後はカラオケ店です。レストランもカラオケも若い娘が私に支払わせないのです。「今日は私たちが伊藤先生を招待したのだから」と聞いてはくれないのです。…(Mon,
11 May 2009 09:43)とのこと。楽しそう!
ところで、今週は福岡に行くつもりでしたが、心変わりして、いま那覇に着きました。ANAに期間限定「シニア空割」という商品あり、「日本全国どこでもお一人様一区間9000円・・・」。シニアは65歳以上。これまで30年あまり高額の航空運賃を払わされてきた身には、1万円以下で沖縄に飛べる・・・のは初めてのこと。乗らないわけにはいきません。それでも機内はガラガラでした。ホテルに入り、今から「おきなわ社会教育研究会」や名護の皆さんに連絡を取り始めるところ。
2215号【2009年5月11日】
■<福岡の釜山訪問(2008)報告書>
8日〜9日、四つの研究会・編集会議の余韻さめやらず、快い疲れが残っている10日は夏に近い陽気でした。久しぶりに夫婦で湘南の海辺に出かけました。甥っ子の結婚式に招かれたのです。ここでまた終日お祝いの酒を楽しみました。この日、韓国ヤンさんは羽田から帰国の予定、たしか美女二人が見送りと聞いていましたが、別れは無事に済んだかしら。
というわけで、「風」は三日目の発行となりました。このリズムでいきたいところ・・。ところが、わずか1日だけの配信遅れなのに、この間に着信した記事は、レデイング通信第二部第1弾(岩本陽児さん、長文)、烟台の風2本(伊藤長和さん)、愛知川だより(教育長日誌、渡部幹雄さん)、安井資料五月研究会案内ほか二本が溜まっています。いま思案投げ首、本号の構成を何度か組み直して、順不同ながら、まずはこの8〜9日の記録から載せていくことにしました。ご了承下さい。
今後は「風」各号を長文にして出すか(読み切れない!と不評)、それとも、毎日発行か(煩わしいこと限りなし!と不評)悩んでいます。ま、その場その時の成り行き任せの気分で、いい加減に参りましょう。
先日の「南の風」(2206号、4月26日)本欄に書いた福岡「釜山訪問(2008)」報告書のこと。ヤンさんと李正連さんにあずかってきたもの、確かにお渡ししました。まだ未完成です、とのコメントも添えて。ところが(釜山行き企画を応援した)川崎の小田切さんの分がなく、またその場に同席の、浅野さん(福島大学)、金さん(首都大学東京)のお二人からも「もし余部があれば・・・」の希望があります。できれば3部、なければ1部でも(川崎・小田切さん宛)お送り願えませんか。
以上の経過により、本号はまた長文、ゆるゆるとご覧下さい。
▼韓国向け出版・編集会議を終えて、ヤンさんを囲む(溝の口、20090509)
2214号【2009年5月10日】 *関連写真(5月スケジュール・ページ)■
■<東アジアの交流ネット>
8日から9日にかけて濃縮したスケジュール。「風」にもご案内してきたように、(1)「東アジア社会教育研究」第14号編集会議、(2)150回目のTOAFAEC
研究会、(3)中国と、(4)韓国の、生涯学習研究フォーラム、それぞれ賑やかに進行し、新しいご参加もあり。これで当方のゴールデンウイークはめでたく終了。皆さま、お疲れさまでした。
韓国からは、ご多忙のなかヤンビョンチャン先生(公州大学校教授)が来日。近刊予定の韓国向け出版の最終的な編集会議をもつことができました。二日間に、秋田、仙台、福島、東京・首都圏をはさんで、名古屋、高知、佐賀など各地からのご参加。ミニ学会のような顔ぶれ。この3年来の韓国研究グループの歩みはご存知の通りですが、今回はとくに中国研究の若いメンバーの拡がりがあり、これからどのように展開していくことになるか、楽しみです。
今日(9日)のお昼、中国グループと韓国グループが同じテーブルを囲んで食事会、約15人、しばしの歓談を楽しみました。上海からの訪日希望、そして韓国への関心なども紹介して、中(台湾を含む)・韓・日をつなぐ交流委員会のような組織づくりの話も。若い世代で、どう動いていくか、何ができるか・・・。いろいろお知恵を拝借しながら、関心ある人たちで、あらためて話し合いの機会をもてないでしょうか。
両日とも、ヤンさん来日を歓迎し、ご持参の「百歳酒」など賞味させていただきながら、ゆっくりと飲み、語り、また歌い(8日夜)あいました。こういう席ではいつも幹事役の伊藤長和さんの顔が今回はなく、座はなんとなく静かなひとときもあり・・・。伊藤さんに向けて、何度か“乾杯”も重ねました。
▼右から2人目 梁炳燦さん(韓国・公州大学校) ともに肩をくみ「アチミスル」をうたう (高井戸、090508)
2213号【2009年5月7日】
■<辺野古アセスメント>
いわゆる「辺野古アセス」問題について、那覇の鷲尾真由美さんから、4月にDVD(辺野古・環境影響評価準備書)を送っていただき、また5月に入って「沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団」作成の「準備書に対する意見書を書くための資料集」など、数点の資料を拝受しました。有り難うございました。
「辺野古アセス」とは、普天間基地の辺野古移転−新基地建設という大規模「開発」に関わる環境アセスメント。沖縄防衛局が膨大な同準備書を沖縄県に送付、4月初頭よりその縦覧が始まりました。鷲尾さんは、(縦覧用準備書・5400頁にはチェーンが掛かっていてコピーも出来ず)延5日間通って細かい項目を写し、それを基にエクセル表まで作成されたそうです。そして、4月下旬には名護・辺野古等で3日間にわたる説明会が行われ、3日間とも出席された由。お手紙には、なまなましい報告が綴られていました。
「…松田区の説明会の時に、私は最後列に座っていました。私の隣の列に座っていた男性が、防衛局の若いキャリア官僚が説明をしている間中、ヤマトゥー、カエレ、というような言葉を発していました。基地を押しつけられたまま、新たに基地を押しつける権力者に向かって、沖縄の庶民が発しているその言葉に、私の心は強く揺さぶられました。…」
目取真俊さんのブログ「海鳴りの島から」もまた、ヤンバルの説明会の状況を的確に伝えています。
→ http://blog.goo.ne.jp/awamori777
たとえば、「…説明会で目にした沖縄防衛局の対応は、彼らが沖縄県民のことなど何も考えていないことを示している。彼らが守るのは米軍の利益であり、沖縄米軍防衛局と看板を掛け替えた方がいい。そういう彼らの思い通りにことを進めさせてはならない。…」(同ブログ・4月27日)
当局側の準備書に対する意見書の締切は5月15日。資料には桜井国俊氏(沖縄大学長)の意見書も紹介されています。5月8日TOAFAEC
研究会で、鷲尾さんから送っていただいたDVDや資料等を皆さんに回覧いたしましょう。
2212号【2009年5月5日】
■<TOAFAEC 事務局会議>
前号に書くべきでしたが、5月2日夜、久しぶりの事務局会議が開かれました(風の部屋)。この間、皆さん忙しく、ゆっくりと集まる余裕がなかったのです。連休にやっと日程を調整、しかし連休だから来れない人もあり、4人の会合でした。TOAFAEC
初期のころ、小林(代表)、内田(事務局長)の二人でショボショボやっていた時期と比べると、4人とは大したもの?です。積もる課題いろいろ。
まず、事務局を置いている和光大学のこと。岩本陽児さんが4月から在外研究。1年間の留守中、事務局の所在をどこにするか。あるいは会計のこと。定例研究会の運び方(とくに5月8日150回記念の会、定例曜日、その後のスケジュールなど)。6月予定の総会開催。そして中・韓・日の研究交流に関する上海側提案への対応、などなど。
毎月の定例研究会の開催曜日については、要望があり水曜日に変更した経過があります。しかし交流会場として定着してきた「イーストウッド」は毎週・水曜日は都合がつかず。また逆に水曜日だと出席できないとの声も出て、5月より再び金曜日に。今後さらに経過をみながら調整していくことになりましょうか。
風の部屋はせまい空間、しかしお酒だけは湧いて出るのが自慢。当夜はオケクラフトのワインクーラーも用意し、4本のワインがカラになりました。その後、泡盛・古酒カメを開こう!との要望あり、二つのカメから島酒を汲みました。仕次ぎはなし。病の癒えた岩本陽児さんが元気に飲んでいたのが印象的。すぐにイギリスへ出発とのこと。一路平安!を祈ります。
お互いに酔いながら、TOAFAEC への国際的評価(国内的にはそうでもない?)に対応して、NPO組織に組みかえてはどうか、「学会」名称にしてはどうか、そんな話が出たことを(おぼろげに)憶えています。
2211号【2009年5月4日】
■<公民館憲章>
五・四運動の日に、山東省から烟台の風、台湾の生涯学習法、八重山の公民館憲章などについての記事をお届けできることは、東アジア“ひろば”を目ざす「風」として嬉しいこと。編集努力をしたわけではありません。期せずしてこうなっただけのこと。
日本最南端の八重山毎日新聞、コラム「不連続線」が宮良(石垣市)の公民館憲章について書いています(上掲)。記事によれば、公民館に隣接して憲章の石碑も建てられているそうです。知りませんでした。次回の八重山訪問の機会には立ち寄ってみたいもの。
沖縄で公民館という場合は、公立ではなく、いわゆる字の集落公民館のこと。その意味で、公民館憲章は集落の住民憲章としての性格をもつことになります。典型的には、「風」でもよく取りあげる竹富島の住民憲章。本土リゾート資本の土地買い占めに抗して「売らない、汚さない、乱さない、壊さない、生かす」の憲章が公民館によって策定(1986年)されました。住民総意のメッセージは、心に響きますね。
八重山毎日新聞・コラムは、宮良に関連して隣の集落・白保の「ゆらてぃく憲章」に言及しています。「ゆらてぃく」とは、白保の島唄(白保節)の一節、♪ゆらてぃく
ゆらてぃく 踊り遊ば♪(寄って来い、寄って来い 皆で踊ってお祝いしよう)からとったもの。「島そば一番地」(石垣市)新垣重雄さんから教えてもらったことです。
沖縄の公民館憲章の動きは、他の事例を含めて、私たちのホームページに掲載しています。
→■
2210号【2009年5月2日】
■<5月の薫風>
5月です。若葉、風薫る道、つつじ、ハナミズキ、公園で誰か太鼓をたたいている、遊ぶ子どもの声、そんないい季節になりました。花粉症も消えて、快調な毎日、心もはずみますね。
もうすぐ第150回研究会(5月8日夜)。その前身「沖縄社会教育研究会」(東京学芸大学)の128回と合算すると、278回目の研究会。ときに間断がありましたが、30年余りの歳月を重ねてきたことになります。たくさんの人たちが(留学生を含めて)この研究会を通り過ぎていきました。想い出いろいろ。
150回研究会記念のテーマは「東アジアの社会教育・生涯学習法制を考える−日本社会教育法60年の歳月をふまえて−」(座談会)
→■。記録をまとめ、企画中の「東アジア社会教育研究」第14号の原稿とする予定です。締切はまだ先なので、余裕あり。まず座談会では、まとまらなくてもよい、これからを考える視点や課題がたくさん出るような活発な論議(風2194号・本欄ご参照)ができればと期待しています。予定されている発言者だけでなく、ご出席の皆さんからも自由に課題提起をいただければ幸い。それをもとに、メールのやりとり(ネット編集)を楽しんで、成稿に練り上げていきたいと考えています。
今回は、風2201号・速報で報じたように、韓国から特別ゲストとして、梁炳燦(ヤン・ビョンチャン)さんがお見えになる予定。韓国では学会関係者等の運動により、現「平生教育法」全面改正(2007年12月)を実現した経過があります。そんな話もお聞きできればと楽しみです。
皆様のお出でをお待ちしています。
2209号【2009年4月30日】
■<4・28 沖縄デー>
四月の終わり、新年度1ヶ月が過ぎました。職場異動の方もそろそろ落ち着かれた頃かと思います。この間、アドレス帳の更新作業と重なり当方に届いたメールの掲載が全般的に遅くなりました。本号の遠藤輝喜さん(TOAFAEC
事務局長)の職場異動ご挨拶は、他の方のメールを優先したため、結果的に着信から8日の遅れ、たいへん失礼しました。しかしこれで滞留分はすべて解消、風デスクも慌ただしい4月(1ヶ月に19本の送信)からやっと解放されたところです。
本欄にときどきミスあり。とくに急いで書いた号には、必ずといっていいほど、変換ミス、脱字など目につきます。一度は読み返しているのに、赤面のいたり。前号・本欄タイトル「寺中昨雄」の誤りにも気づきませんでした。本文中は「…作雄」となっていたので、ほっと一安心。この種のミスは、いちいち訂正記事を出さないことにしましょう。老化とともに、これからだんだんと多くなる予想、煩わしくなりますから…。
前号で書き忘れたこと。発行の4月28日は「沖縄デー」でした。対日講和条約発効(1952年)の日、米軍の沖縄支配が合法化され、沖縄では<屈辱の日>。1960年にはこの日に沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)が結成され、その後「4・28」を中心に復帰行進や海上集会(与論島と辺戸岬沖、27度線上)等が行われてきました。今は遙かに遠い記憶の中、それもだんだんと薄れて…。
そして、明日から五月の風。
2208号【2009年4月28日】
■<寺中作雄「あんずの村」>
書庫(油山)を整理していると、思いがけない本に再会するものです。
久しぶりに『寺中作雄 作品集』(全56頁、1970年、同「還暦を祝う会」発行)と対面、色刷りの立派な画集です。とくに、寺中が1955年〜58年まで在仏日本大使館参事官としてパリに滞在していた間の、ヨーロッパ各地の写生作品がたくさん収録され、秀逸な出来映え。
寺中自身の文章もいくつか載っています。たとえば「絵と私」冒頭の一節。
「絵に対する私の情熱は間欠泉の湯のように、一定の時期を隔てて湧出するらしい。考えてみるとどの時期にも生活に緊張があり、仕事にも情熱を感じて忙しくしていたときがそうだったように、今のここ3,4年にも殊更それが感ぜられる。忙しい緊張した生活の中に却って心のゆとりを見出し、絵筆に親しむ気持を起こすのはどういうわけであろうか。…」(女性教養、1952年)
「今のここ3,4年」は、社会教育法策定など主要施策と格闘し、文部省社会教育課長そして同局長の重責を担っていた頃と重なります。その後、寺中はパリへ、1958年帰国後は国立競技場初代理事長(東京オリンピックを迎える)、さらに国立劇場初代理事長。そのリベラルな(官僚的でない)姿勢が高い評価を得たと聞いています。
1970年代末、東京都社会教育委員としてご一緒した一時期があります。毎月の会議でお会いするのが楽しみでした。時折(年に一度)個展が開かれ、案内を頂くようになりました。そして思いもかけず、1973年の作品「あんずの村」を頂くことが出来ました。「寺中作雄作品絵葉書」の一枚にもなっている逸品。いま油山の一室に飾っている宝物です。
▼寺中作雄 「あんずの村」 (油山、20090428)
2207号【2009年4月27日】
■<油山の会>
上掲・伊藤長和さん「烟台の風」の添え書きによれば、「…PCのトラブルで(一時)送受信ができなくなりました」とのこと。その後復旧、しかし「南の風」2204号、2205号が未着の由、折り返し再送しました。もし皆さんの中で着信してない場合があれば、お知らせ下さい。
4月26日の油山は、久しぶりに庭が賑やか。農中茂徳さんが見事な鯛と鯵を仕入れてきて、これをさばいて、刺身、煮もの、焼きもの、味噌汁などが用意されました。さすが鯛の大物は立派、天然の美味、10人あまりの胃袋を充たして、なおあまりあり。
昔の油山の会は、お正月とお盆に集うなわわし。ここ数年はご無沙汰していました。30年余り前からのオールドメンバーに声をかけて、懐旧談しきり。ぶんじんが初めて勤めた大学は、創設されたばかりの九州産業大学でしたが、そのときの最初のゼミ生はすでに古稀に近い年齢になりました。半世紀近い付き合いがよく続いてきたものです。
あらためて旅に出よう、という話になりました。まずは沖縄へ。佐喜真美術館や名護のこと、また石垣島・平久保「ぶんじん歌碑」などが話題に。一度いっしょに出かけてみたいと。ぜひ実現したいものです。
また中国の烟台や上海、そして紹興の話も。酒の座のことですから忘れてしまいそうなので、この欄に書き残しておきます。
このほど臼杵市長に就任した中野五郎さんのこと。誰かがケイタイを知っていて、久しぶりに電話で話しました。大分・臼杵へのエクスカーションも、魚釣りを含めて、計画しようということに。これも記録にとどめておきましょう。
▼左・農中茂徳さん、右・御塚伸也さん、後ろに黄エビネ蘭 (油山 090426)
2206号【2009年4月26日】
■<福岡と中国>
4月25日。福岡は未明まで激しい雨、日中だんだんと気温が下がり、夜には冬のように寒い強風。この日予定の二つの会合は、対照的に和やかで心暖まる出会いもあり、充実した一日となりました。
一つは、午後の福岡・社会教育研究会の「2009総会・記念講演」。1960年代から始動した研究会、(名称は変わってきたけれど)曲折を経ながら、単純に数えても半世紀に近い歴史を刻んできたことになります。その初期には福岡「県」社会教育研究会とも重なり、公民館主事集団の活動史とも連動して、全国的にみても貴重な歩みというべき。今のうちに資料を復元しておいてほしいと思いました。
この日、昨年7月に実現した韓国(釜山)訪問の冊子を拝受。さらに記録を補充していくとのこと。担当の皆さん、ご苦労さま。5月7日に来日されるヤン・ビョンチャン先生の分も預かっています。
当日の小生の講演は如何だったでしょうか? 冒頭から脱線気味。あれこれ欲張って話題が飛び、例によって終わりは脱兎の如く。申しわけありません。本人だけは妙な充足感があり、困ったものです。
二つ目は、夜の中国「日本教育政策考察団」一行との懇談(2202号に既報)。国務院・局長、教育電視台・台長、中央教育科学研究所・副所長、加えて在福岡総領事館・領事(教育担当)等の“お偉方”ですが、なにしろ引率役(通訳も)がTOAFAEC
メンバーの韓民さん(教育部・教育発展研究中心・副主任)だけに、大船に乗った気分。四川料理に舌鼓をうちながらの議論は楽しいひとときでした。佐賀大学の上野景三さんも参加。私たちの新刊本「現代終身学習論」(呉・末本・小林共編、2008、上海教育出版社)1冊を国務院・局長に進呈。中国本を中国政府要人に差し上げるのは、なんとも愉快。陳舜局長は、私の書いた一節をその場で読み上げていました。これには恐縮。
一行はこの夜で日本“考察”日程を終え、26日から韓国を訪問とのこと。中・韓・日=東アジアの研究交流の大事さが語られた夜でした。
▼2009福岡・社会教育研究会(090425)
▼中国「日本教育政策考察団」、中央・陳舜団長、その左・韓民副団長(090425)
2205号【2009年4月24日】
■<エビネ蘭の出迎え>
長門市から福岡にたどりつきました。久しぶりの油山の隠れ家。庭は当然荒れていましたが、期待通りに、今を盛りとエビネ蘭が咲きほこり、やっと帰ってきた主を歓迎してくれました。この数年、着実に株が増えて、無人の庭の、隅っこの環境が気に入ったようです。
今日(4月23日)は、終日の庭仕事でした。昨年夏に切り倒していた篠竹、枯枝・枯葉をあつめて、盛大な焚き火。ポンポンと竹の爆ぜる音、煙もまわりに流れて、隣のお宅の顰蹙を買っているにちがいないと気にしながらの作業。体にしみついた焚き火の煙をサカナにビール。
この家は普段は誰もいないのに、突然現れると、人が寄ってきて、夜遅くまで庭で酒を飲み、わいわい騒ぐ、ときには歌をうたったりする、と評判が悪いのです。最近は集まる顔ぶれもだんだん高齢化して昔ほとではありませんが・・・。今回は4月26日午後から夜の予定。こう書くと、突然現れることが好きな渡部幹雄さんが来るかもしれないな。
昨年来れなかった朴仁求・金慶淑(別府大学)のお二人にも声かけていますが、都合悪いのか返報がありません。農中茂徳さんは久留米「古賀あきお」さんを誘ってくるとのこと。その昔、油山に集まった人たちにも連絡していますが、お互い腰が重くなった年配、どんな顔ぶれになるか…。
いま「風」デスクには皆さんからたくさんのメール、有り難うございます。隔日刊でなく、毎日刊にしてもいいような勢いです。これまで3ページ(120行)前後の原稿が揃えば配信、そのリズムで隔日刊の発行でしたが、最近は本号を出す時点で、次号原稿がほぼ揃っている状況です。それだけ掲載が遅れていることにもなるわけで、申し訳ないです。
2204号【2009年4月23日】
■<長門市へ>
久しぶりに山陽本線から美祢線に乗って、長門市へ来ています。21日朝の品川を発って、懐かしの長門市に着いたのは夕刻6時でした。時がゆっくり過ぎる在来線の各駅停車。授業を終えた高校生たちが三々五々乗ってきて、それぞれの表情。愉快な若者もいれば、黙って物思いの子も。
駅には中原吉郎さんが迎えていただきました。風2202号・本欄で82歳と書きましたが、84歳だそうです。少し思い出話をすると、若輩ぶんじんを長門市教育委員会で講師に招いたのが1965年。それから40年をこえるお付き合いになります。1967年の社会教育研究全国集会(諏訪集会)からほとんど毎年の集会常連。月刊社会教育への寄稿(1983年3月〜5月号「社会教育私史」など)もいろいろ。
社会教育一筋の道から福祉や企画の部署も担当され、市役所退職後は地域新聞「長門時事」編集、同社長から現在の肩書きは会長。一時は請われて市議会議員を2期ほど。
たくさんの資料を保存され、この機会に自分史(社会教育・地域史)をつくりたいとのこと。同和・差別問題に取り組んできた松本栄治さんがご一緒でした。実は1995年頃に一度作業が始まった経過があるのです。積もる思い出話。とくに独自の活動を続けてきた山口県社会教育研究会(現在は休止中)の歴史を復元してほしいと思いました。社会教育関係者だけでなく、農業改良・生活改善普及員のメンバーが積極的に参加した研究会、当時の新生活(生活学校)運動や同和教育実践との深いつながりもありました。
研究会はいつも泊まりあいの集会。かなり無理をして東京から参加し、そのご縁で、長門市はもちろん宇部市、豊浦町、周東町等との永い付き合いが続いてきました。山口県社会教育研究会としてツアーを企画し沖縄の皆さんと交流した年も。安里英子さんを山口へ招いたことも懐かしく、帰路に安里さんは福岡・油山に寄ってもらったのでした。
▼右・中原吉郎さん、左・松本栄治さん (長門市にて、20090421)
2203号【2009年4月21日】
■<HP表紙写真−杉並の地域史>
この1週間、騒がしい「風」送信。申しわけありません。10日間に7回の風を吹きました。100号おきのアドレス帳更新のため、日頃あまり音沙汰のない方から、便りがたくさん届いたのです。加えて4月異動の時期、お知らせいろいろ。風デスクは嬉しい悲鳴でした。滞留メールが多くなると、送ってくれた方に失礼するだけでなく、風・発行に突然の混乱が始まる・・・というわけで、慌ただしい風・送信となりました。いま、まだ少し積み残しのメールあり。
書かなければならない原稿はそっちのけ、この点もお詫びしなければなりません。明日(21日)から山口→福岡への旅に出ます。その前に、なんとか仕上げたかった・・・骨格は出来ているのだけれど・・・結局は成稿にいたらず・・・といつも言い訳ばかり。
本号より、新アドレス帳で配信しています。「風、継続しますか?」のお尋ねに返信がなかった方にお引き取り願って(いつものこと)、新しい方が数人加わり、計110人の新リストでスタート。どうぞよろしくお付き合いください。
風はフロー、流れて消えていく運命。せめて風・毎号目次や「ぶんじん日誌」等は記録(ストック)にしておこう、と立ち上げたホームページ。いつも表紙写真に何を飾るか、悩み、かつ楽しみ。4月になって桜の開花写真でしたが、いつまでも咲いていては気持ちが悪い?ので、これを差し替えることに。さきほど(上掲・安井節子さんも書いておられる)「杉並の市民活動と社会教育を記録する会」の新刊「杉並にも公民館があった」及び既報「ひたすらに平和願えり」2冊の写真を掲げることにしました。ご覧下さい。資料については、お頒けできる分が若干あるようです。ご希望の方は、ぶんじん宛、ご一報を。
▼杉並の地域史2冊(090419)
2202号【2009年4月19日】
■<中国からの客人>
前号・本欄「速報」で韓国のヤンビョンチャンさん来日のニュースをお伝えした直後、北京・韓民さんから日本教育政策調査団(副団長)として訪日!のメールが飛び込んできました(上掲)。来月かと思いきや、なんと!来週(19日〜22日)のスケジュールです。急遽、訪日が決まったらしい。「日本の生涯学習について気軽に議論する機会をつくってほしい」との意向。ところが先方の希望日時には、あいにく当方は東京を離れているのです。あわてて北京へ電話しました。
実は4月21日から山口に出かけ、その足で福岡にまわる予定。山口は、長門市・中原吉郎さん(ながく社会教育主事、山口県社会教育研究会を担ってきた人、82歳)と自分史づくりの相談。福岡は久しぶり油山で書庫整理、その間に福岡・社会教育研究会に参加する約束。
「…すでに日程が決まっている、残念ながら無理だよ・・・」と韓民さんに話を始めたところ、中国調査団は(東京日程のあと、どこかに寄って)「4月25日には福岡に泊まる予定です」と韓民さん。出会いの神様はいるものです。25日夜に福岡で「日本の生涯学習について議論しよう」という約束になりました。夜のスケジュールであれば、まずは乾杯から始まるのでしょうか。
ヤンビョンチャンさんの来日(5月7〜10日)も嬉しいニュース。今年はゴールデンウイークをはさんで、賑やかなスケジュールです。歓迎日程等が決まったところで、ヤン先生のご紹介を含めて、李正連さんから「ご案内」の一文をいただけませんか。
2201号【2009年4月18日】
■<新しい風スタート>
いま「南の風」は毎号120通ほど出しています。海外(主に東アジア)が約30通。国内は大学関係者(院生を含む、学生は入れない)の比重が多く、ついで社会教育職員や行政担当、さらにNPO活動家、市民、教員、会社・団体職員、カメラマンなどの皆さん。以前は「顔の見えるネット」への思いから、配信リスト・名簿をお届けしていましたが、個人情報とかのご注意あり、控えています。
「風」創刊当初は、受信者を拡げる努力をしました。しかし50通をこえたあたりから、むしろ配信リストが多くならないように、名簿管理はきちんとしたい、と心がける方向に。とくに迷惑メールが横行し始めて以来、「風」が“迷惑”になってはならじ、と殊更に注意するようになり・・・、そんな経過から100号おきのアドレス帳整理にも努めてきました。
実際には、社会教育職場や大学研究室等でローカルに配信されている場合があり、また個人的な回送もあるようですから、案外と「風」は出回っていると思われます。発信者としては、なんとか100通以内におさめたいというのが目標。つまり20通前後を割愛したいのですが、そうはいかないようです。
本号はまだ旧アドレス帳で配信しています。数号後には新配信リストに切り替える予定。次の100号(ほぼ半年)までに、また200号後にも、アドレス帳整理をすることになるかどうか。
2201回目の新しい風、長文になりました。本号で、伊藤さん「烟台の風」と、渡部さん「教育長日誌」が初めての顔合わせ(上掲)です。
■速報! さきほど(Fri, 17 Apr 2009 16:35)李正連さん(名古屋大学)からご連絡があり、5月8日〜9日に予定している私たちの研究会(風・前号
→■)に、韓国から梁炳燦(ヤンビョンチャン)先生がお出でになるそうです。公州大学校教授、近刊「日本の社会教育・生涯学習」編者、「風」メンバーでもあります。5月7日〜10日の日程。再会が楽しみです。昨年7月の韓国訪問の際など、いろいろお世話になりました。盛大に歓迎しましょう。
*南の風・日誌・2151〜2200号■
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