南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
2200号【2009年4月17日】
★<私たちのゴーデンウイーク>
「南の風」は本号でようやく2200号を迎えました。この間のご愛読にあらためて御礼申しあげます。
4月・春本番となり、さらに5月連休に向けて、皆様も楽しいスケジュールなどご計画のことと思います。TOAFAEC
(東京・沖縄・東アジア社会教育研究会)としても、今年は豪華な(1週間遅れの)ゴールデン・ウイークの予定が出揃いました。5月8日(金)〜9日(土)の2日間に4つのプログラム。
まず5月8日(金)午後「東アジア社会教育研究」第14号編集会議→■、同夜は第150回TOAFAEC 定例研究会「東アジアの社会教育・生涯学習法制を考える」座談会(上掲ご案内→■)。会場は、いずれも東京杉並・高井戸区民センター第5集会室です。
翌9日(土)は、午前に「中国生涯学習研究フォーラム」(第4回)→■、午後「韓国生涯学習研究フオーラム」(第21回→■)、会場は、両方とも川崎市高津区市民館。ご関心ある方、お気軽にご参加下さい。どなたも歓迎!です。
前号本欄にも書いたように、アドレス帳整理に向けて、多くの方からメールを頂戴しています。本号までに載せきれず、積み残し?がたくさんです。2201号以降、追々とご紹介するつもり、ご容赦下さい。3000号に向けて・・・という激励の声(上掲・孔メール)も頂きましたが、そりゃ、とても無理。しかし、あと少し頑張りたいと思います。ご声援ください。
2199号【2009年4月15日】
★<「朝日ジャーナル」登場>
「風」100号おきの恒例アドレス帳整理をお知らせしたところ、この間、皆さんから多数のメール。有り難く拝受し、先着順に掲載していますが、そのすべてをご紹介するのは無理のようです。一部割愛をご了承下さい。先ほど伊藤長和さん「烟台の風」4号も着信。早速HPにはアップしましたが、風への掲載は次号以降に。愛読者?が待っていますので、この「風」は割愛できません。
頂いたメールの滞留は申しわけない、というわけで、前号に引き続き本号も長文、そして、連日の配信となりました。2200号・新アドレス帳への切り替え予告「おそらく4月18日前後」も、一両日早まるようです。嬉しい誤算。
ところで、今晩(14日夜)の雨の渋谷駅。売店で帰りの読物をさがしていたら、「朝日ジャーナル」が目に飛び込んできました。週刊朝日「緊急増刊」のかたち。「創刊50年−怒りの復活」「いま問われているのは、私たちの知性、そして感性」などの言葉が表紙に躍っています。
1960年代から70年代の激動の時代、「朝日ジャーナル」は理屈っぽい学生と対話していく上で、必須の情報源でした。30年余のバックナンバー(一部欠号あり)を、東京から福岡・油山の書庫に運び込んで(当時の九大・研究室の岡幸江さん、石井山竜平さんなどに手伝って頂いた)、今でも大事に保存しています。
新「朝日ジャーナル」の発行日は4・30日付、全130頁、490円。現時代の評論集ともいうべき編集。かっての「ジャーナル」は学生運動等のドキュメントが目玉でしたが、いま「崩壊寸前の日本型社会システム」等に関する評論が主、「運動」は見えない、というのが第一の印象です。
2198号【2009年4月14日】
★<4月の不調>
春らんまんの4月、新年度のスタート。職場の異動もあり、皆さん忙しそうな気配が「風」にも伝わってきます。ご苦労さまです。こちらは、悠然として・・・と書きたいところですが、そうでもありません。なんとなく不調が続いています。もともとこの季節は、花粉症の名残もあり、桜の季節といっても、最近はそう楽しくない。お誘いも断って案外と静かにしています。酒量も少なめ。ホント! 日頃は騒がしいところがありますので、年齢並みにちょうどいいのかも知れません。
上海調査の音声記録を整理しないまま、その後の会合の記録をうっかり乱雑に挿入したため、収拾がつかなくなっていました。上海閘北区調査の聞き取り記録の真ん中に、(帰国後に出席した)伊藤長和さん壮行会の話や拍手が聞こえてくる……といった有様。その中に弱々しく小生(2日間のダウン、何も口にせず、当夜は点滴を受け出席)の挨拶も記録されていました。病みあがりのカスレ声、話は上ずって、伊藤さんの新しい門出には不似合い、まことに失礼なことでした。
なんとか整理して、上海調査音声記録と写真を先ほど送りました(写真だけでも先に送ればよかった)。かなりの日数が経過し申しわけありません。以上は、調査記録送付遅延の言い訳けでした。
伊藤さん「烟台の風」がいいリズムで着信しています。HPに伊藤さんのページを開いたことは既報の通り(風2195号)
→■。風への定期的?な寄稿としては、滋賀県愛荘町・渡部幹雄さん「教育長日誌」ともいうべき精力的な文章が誌面を賑わしてきました。こんな連載企画になろうとは予想だにせず、その都度「風」に収録してきただけ。あらためてナンバーを付しHPにページを作るとしても、遅きに失したとはこのことか。
あと一つ、内田純一さん「公民館の風」(昨年5月にスタート)のページも開いていますが、最近は忙しいらしく中断、「風」は失速中。
2197号【2009年4月12日】
★<懐かしき人々>
風2195号・美若忠生さん(元京都府社会教育主事)のメールに応えて、大前哲彦さんから故友松祐賢氏(元久美浜町社会教育主事)の思い出が寄せられました(上掲)。有り難うございました。その中には、津高正文さんや小川利夫さんのお名前もあり、懐かしい限り。
東京で「友松賢」のお名前を知るのは、故宇佐川満さん(大阪学芸大学助教授−当時)編『現代の公民館』(生活科学調査会、1964年)の執筆者としてでした。この本では、倉吉市の事例を含めて自治公民館方式が積極的に唱導され、注目を集めました。友松さんは京都府久美浜町の事例を書いておられます。倉吉市(朝倉秋富氏執筆)と比べて、地域課題や住民組織についての文脈に独自のニュアンスがあり、宇佐川満さんの最終章とも関連して、やや混乱しながら読んだ記憶があります。
小川利夫さんは自治公民館方式について“一括して”批判されました。その経緯などは日本公民館学会編「公民館・コミュニティ施設ハンドブック」(2006年)にも少し書いています。同じ頃、ぶんじんは「総合社会教育計画」について、生硬かつ未熟な批判を書きました。しかし京都府の「総合社会教育」論は、住民参加や学習課題等について一味違った視点があり、気になって文末<注>に1行だけ付記した経過あり、大前さんはそのことを憶えて下さっていたのですね。有り難いことです。
論争や批判は次の反論や論議を生み出します。そこから新たな展開にもつながってくる。私の生硬・未熟な一文は、いま読み返してみて、顔があからむ思い、反省されるところもあります。しかし、最近あまり論争や批判など好まれない風潮から考えると、ある小さな意味をもっていたのかもしれない。もっと相互の批判・反論が日常的に(当たり前のように)提起されていいように思われます。その意味で、当時の活きのいい論客の相貌が懐かしく脳裏に浮かんでくるのです。
故宇佐川満さんの親しい友人は福尾武彦さん(元千葉大学教授、元社全協委員長)。この3月17日に亡くなられました。享年90歳とのこと。私たちの上海調査の最中、滞在のホテルに訃報が届きました。告別式にも出る機会を逸し、親しくお付き合いいただいた(ときに相互批判もしあった)先達に失礼を重ねる結果となりました。いま、懐かしい方々が少なからず幽冥境を異にすることになり、回想いつまでもつきません。
2196号【2009年4月10日】
★<ベトナムに残る封建主義の呪縛>
中国教育学会の長老・顧明遠さん(学会会長、北京師範大学、「魯迅ーその教育思想と実践」著者、横山宏訳あり)が、中国における儒教の深い影響について、印象的な話をされたことを憶えています。もう15年ほど前のこと。現代の社会主義体制と古典的な儒教思想との結びつき。私たちは、韓国・日本を含めて、東アジアにおける儒教思想のもつ現代的な意味を考えてきました。
昨日(9日)の朝日新聞が「ベトナムに残る封建主義の呪縛」と題して、作家ドー・ホアン・ジュウ(女性、33歳)のインタービュー記事を載せています(「世界発2009」欄)。いろいろ考えさせられました。
−代表作の小説「金縛り」ではなぜ、封建主義を批判したのですか?
「共産党は封建主義の打破を掲げ、地主を撲滅した。だが親の世代の多くが儒教の考えや古い慣習に縛られたままだった。こうした封建主義の呪縛や不平等な中越関係を念頭に小説を書いた。今の共産党も封建主義に取り込まれつつあるのではないか。こういった呪縛から抜け出したいが、まだ縛られ続けているのが私の世代だ。…」
−どこから閉塞感が生まれていのですか?
「戦争が終わって親の世代は喜んだが、戦争に勝ったという自信から指導者たちは自己満足に陥ってしまった。党幹部は汚職に手を染め、戦争の英雄の中にも人々に対し傲慢な態度をとる人がいる。…」
メデイアへの統制、言論・出版も自由ではない、などの記事が続きます。社会主義体制下のベトナムでは、地域共同学習センター(日本の公民館にあたる)が党の指導のもと、いま全国的な普及をみせていると聞きます(TOAFAEC
第12号)。一度はベトナムへと思いながら、まだ果たせません。興味深くこの記事を読みました。
2195号【2009年4月8日】
★<「荒木栄の歌が聞こえる」>
3月下旬は(上海から帰って)不覚にも体調をこわし、数日、何人かの方にご迷惑をおかけしました。お許し下さい。細かな仕事もこの間は忘れることにして、ついでに約束の原稿も遅れることに。不義理のかわりに、久しぶりに自由時間を得て、いくつか映画を観ています。
ひとつは、落語家「小三治」(康宇政監督)、もひとつは「バオバブの記憶」(本橋成一監督)。ひととき映画館の暗がりに座り込んで、気ままな時間を楽しみました。JR東中野駅前「ポレポレ東中野」で上映中。
そして昨晩(7日夜)は、レイトショーとしてかかっている「荒木栄の歌が聞こえる」。せまいホールは満席になるのではと期待?して行きましたが、案に相違してガラガラ。かっての三池闘争(「がんばろう」)や沖縄復帰闘争(「沖縄を返せ」)などと一緒に「荒木栄の歌」も人々の記憶から忘れ去られてしまった…と思わせるような雰囲気。いや、それだけに、このような映画が作られる意義があるのでしょう。監督は荒木栄と同じ福岡県大牟田市出身の港健二郎。出演は荒木栄(38歳で死去)ゆかりの人々や、大工哲弘(八重山民謡歌手)、高石ともや(フォーク歌手)など多数。私などの世代(歌ごえ世代)にとっては“懐かしのメロデイ”が次から次へと登場し、あのときは・・・と回想しきり。
名曲「星よお前は」「わが母の歌」(♪あらくさの実がうれて・・)などの歌では、かって社全協調査研究部の活動で一緒だった安立武晴さん(相模原)を思い出しました。山手線・恵比寿にサッポロビール園があったころ、ともに楽しく酔って、駅のホームで「星よお前は・・・」を歌い始めたことがありました。まわりに人の輪ができた、そんな風景も忘れてしまっていた。
「荒木栄の歌が聞こえる」は4月10日まで「ポレポレ東中野」、その後は各地で上映会の企画あり。
★伊藤長和さんは烟台に到着され、新しい生活が始まったご様子、なによりでした。早速の電話とともに「烟台の風・1号」(上掲)を有り難うございました。きっと第2号以降に続くものと思い、ホームページのなかに、伊藤さんの写真を添えて、ブログ風に「烟台の風」ページを開きました。
→■ 折にふれて「風」を送って下さい(もしHP掲載を控えるべきであれば、ご一報を)。日本語学校の皆様にどうぞよろしくお伝え下さい。
▼壮行会(TOAFAEC第149回研究会)の伊藤長和さん(荻窪、090325)
2194号【2009年4月6日】
★<東アジア社会教育・生涯学習法制を考える視点>
前号の続き。第150回記念研究会のテーマ「日本社会教育法60年の歩みと東アジア成人教育・生涯学習法制」(5月9日予定)をどのように面白く展開させるか。進行役として、法制などあまり関心ないような人たちにも、少し興味をもってもらうような話しの構成を工夫してみたい、と考えています。何よりも事実としての「東アジア」法制の動きが(日本をのぞき)躍動的ですし、またこのテーマに取り組むTOAFAEC
としての力量が試される機会でもあり、ぜひ成功させたいのです。
いくつか考えていること。まず「法制」という固いテーマだけで敬遠しがちな人にも読んでもらえるような語り合いにしたい、また、それぞれの個別的な国・地域のことだけでなく、東アジアが横に連なっている側面に焦点をあてる、相互に共通する課題を語りあい展望を模索しあっていくような、対話的な機会にしたい。やさしく、しかも面白く…。
話しの流れは、最初にテーマをめぐる全体的な状況とこれまでの研究経過について、1970年代の日本社会教育法制研究と1990年代の東アジアへの取り組み、その中で公刊されてきた法制資料や論文など概括的に紹介する。たとえば東京学芸大学社会教育研究室「東アジアの社会教育・成人教育法制」(1993)や、TOAFAEC「東アジア社会教育研究」所収の諸報告など。この機会にリストと年表をつくる。
その上で、中国・韓国・台湾・日本(あるいはベトナムを含めて)の法制化の流れと現状の把握、それぞれの特徴と争点となっていること、これから取り組むべき課題、などを検討していく。最後に、東アジアとして共通する視点を5点ほど提起してみる。せまく限定しないで関連法制を含め、広く課題・展望を共有し、対話を深めていきたい、など。
さきほど(5日夜)深夜の散歩、夜桜を楽しみながら、考えたことを(忘れないうちに)メモしてみました。ご意見いただければ幸い。
2193号【2009年4月5日】
★<第150回定例研究会の企画>
毎月初めになると、「風」にはその月の下旬に開催するTOAFAEC 定例研究会の案内を載せる慣わし。今回はとくに、3月が第149回研究会でしたから、150回の記念の会となります。
1995年6月に始まって丸14年。1年に平均11回の研究会を重ねてきたことになります。HPに掲載している記録を読み直してみると、臨機応変、お祝い・壮行・激励・歓迎会等を含みながら、沖縄と東アジアへの独自の視点を軸にした面白いテーマが並んでいます。私たちの研究会ならではの歳月を確かめながら、次の歩みに向けてのステップを刻んでいくことになります。
150回記念の定例会は、第14号編集とも関連させて、日本社会教育法60年と東アジアの成人教育・生涯学習(平生学習)法制をテーマにとりあげようということになりました(3月の編集会議等)。ぶんじんが進行役をかって出て、中国は韓民、日本は上野景三、韓国は李正連、台湾は内田純一等の皆さんに登場していただこうという企画。それぞれにご了解をいただきました(と理解しています)。
ただし4月下旬はゴールデンウイークの日程にも連なり、また、ぶんじんは福岡に約束をして東京を離れている事情もあって、5月8日(金曜日)夜に開くこととなりました。ご了承ください。韓民さんは、このために来日するのは無理、メール参加というかたちか。当夜は出席者で座談会的に進めて、その記録をもとに、第14号への原稿に仕上げる予定です。当日のご案内はいずれ後日「風」に掲載いたします。
ついでに5月定例研究会は、渡部幹雄さんが5月20日〜23日に上京の由(風2191号)、できれば5月22日(金)夜に渡部幹雄さんを囲む会として開催できないでしょうか。渡部さんのご都合如何でしょう?
2192号【2009年4月3日】
★<行きかう年もまた旅人なり>
4月、来る人あり、行く人もあり。烟台に出発される伊藤長和さんからは今朝早く、短いご挨拶が着信。 「…お世話になった皆さまにご挨拶もせずに出国することをお許しください。韓国へ向けての『日本の社会教育・生涯学習』出版の最終作業にかかわれず申し訳ございません。七里ガ浜5:32の始発でこれから成田に向かいます。ありがとうございました。
28日に董文娟さんが、29日には張林新さんが鎌倉に来てくれました。連日の壮行会と職員研修のまとめで、何も事前準備ができていませんが、頑張りたいと思います」(Fri,
3 Apr 2009 05:17)と。一路平安!を祈ります。そのうちに落ち着かれたら、烟台からの便りも寄せられることでしょう。
本号には久しぶりに島袋正敏さんからのメール(上掲)。やんばるへの“悠遊”の誘い。松本の村田正幸さんグループだけでなく、一緒に沖縄に行きたい、との声がいくつかあります。いつも“悠遊”ではない沖縄入りだけに、好機を見つけて、ゆっくりと「やんばる悠遊」を企画したいもの。たとえば、名護市長選に立候補予定の稲嶺進さん(名護市前教育長)を激励する日をはさんで、やんばるに遊ぶ案とか・・・。どなたか提案していただけませんか。
そのうちに、山東省烟台にもツアーを組んで出かける計画が動くことでしょう(先日の伊藤長和さん壮行会でも話題になりました)。ぶんじんは、まずは4月(下旬?)、かねてからの約束あり、山口(長門市)から福岡へまわる予定。誰かも言ったように、行きかう年もまた旅人、ときに漂泊の思いをもって旅の心を楽しんでみてはどうでしょう。
2191号【2009年4月1日】
★<中・韓・日の研究交流>
上海から帰ってすでに10日近く。自分の上海記録の整理も充分できないまま、同行の皆さんたちでは、お礼状送りや資料共有の努力が始まっています。ご苦労さまです。
上海調査について、ここに書いておきたいことがいろいろありますが、まずは、中・韓・日の相互研究交流のこれからについて。
上海滞在の4日目(18日)夜、豪勢な歓迎晩餐会のあと、葉忠海・呉遵民(華東師範大学)の両先生は、わざわざ当方のホテルに立ち寄って、中国と日本そして韓国との研究交流の進めについて、重要な提案をされました。
一つは、今年いい機会を把えて、上海成人教育協会として日本を訪問したい、上海の地域文化センター(公民館)の動きとも関連し、とくに日本の主要な公民館を訪問し交流したいとのこと。実はこの提案は、昨年にも寄せられたのですが、四川大地震とオリンピック開催の事情が重なり、1年延期されているプロジェクトです。
その席では、8月の社会教育研究全国集会(第49回、信州集会)に合わせて訪日されてはどうか、この集会には韓国(平生教育総連合会)からの参加が予想され、中国と韓国の関係者の出会いと交流の機会にもなりましょう、合わせて松本や川崎等の自治体訪問を企画してみる、といった案を申しあげておきました。
あと一つは、今年度中(冬?)に、中国成人教育協会(全国組織)として、日本と韓国を招いて社区教育・生涯学習の国際的な研究フォーラムを開催したい、時期や規模、内容について具体化していきたいという提案。先般の中国成人教育協会の会合で、国際的な研究交流について積極的な協議がされた模様です。
当夜は、私たち上海訪問団(石井山竜平、内田純一、上田孝典、黄丹青などの皆さん)各位にも同席していただきました。この提案をどう受けとめていくか、関心ある方々とご相談しながら、検討をすすめていきたいと考えています。中国生涯学習研究フォーラムだけでなく、韓国生涯学習研究フォーラムの皆さんを含めて、どうぞよろしくお願いします。
2190号【2009年3月30日】
★<あと10号で2200号>
年々歳々花相似たり、されど人は・・・動いていきます。3月〜4月は異動の時期、ある意味で新しい出発の季節。前号本欄に書いたように伊藤長和さん、村田正幸さんのニュースあり、本号では玉那覇正幸さんの退職お知らせメール。かっての団塊の世代の若者たちが、いま新しいスタートを始められる時代となりました。他にも春の異動があれば、ぜひ「風」にご紹介ください。鹿児島の肥後さん、帰国のご挨拶をぜひ!
和歌山の山本健慈さんが学長に選任された「ご報告」(上掲)は、文字通りのビッグニュース。「風」メンバーには館長、教育長、学部長など多彩ですが、初めて「学長」が登場されることになりました。親しい人だから嬉しいニュース・・・というだけでなく、社会教育や地域の視点をもっての大学運営の抱負が語られているだけに、これからどう展開することになるか、期待が大きいのです。
寄せられた報告の中に「…社会教育実践的にいえば、選挙過程が、和歌山大学および大学に関しての学習過程だった気がします」と。かって自ら巻き込まれた学長選は、学内ポリティックスのどろどろの思い出のみ。その対照としてこの一文は実に清新な響きで伝わってきました。
無理をされないで、しかし、新しい大学づくりへ向けての大きな挑戦、ご活躍を祈っています。
ところでこの3月で、「風」2000号再開からちょうど1年となりました。年間190回を発行してきたことになります。2200号で恒例のアドレス帳整理を予定しています。ほとんど無風の方々で「風」継続ご希望の場合は、「風は双方向に吹く」お約束をご想起の上、そちらからの「風」をお寄せ下さい。4月20日前後(2200号)までに。
2189号【2009年3月29日】
★<桜咲く! 朗報・快挙のニュース>
さきほど(28日夜)松本から帰ってきたところです。パソコンは持って出たのですが、風・送信の余裕がありませんでした。「風」としては珍しく4日の間隔が空きましたので、経過を日記風に簡単に記しておきます。
実は上海から帰って、2日ほどダウンしました。自分の体調のことなどは、あまり書かない主義。しかし、この4日間に二つの会合(東京と松本)に出席する必要あり、関係の皆様に、心ならずも余計なご心配をおかけしました。申しわけなく、この場を借りてお詫び申しあげます。今どうにか復調しましたが、自分の年齢を少々気にする機会となりました。
3月25日のTOAFAEC 定例(第149 回)研究会は、伊藤長和さんの中国(烟台)赴任、黄丹青さんの大学就職祝いの会でした(上掲記事)。これまでの私たちの「東アジア」研究交流の、ある集約となるような話が相次ぎました。伊藤さんのことは風2178号・本欄に“青雲の志”として書きました。そして黄さん待望の大学就職、桜の花ととも嬉しいニュース。いずれも私たちの中国研究交流の新サイクルを象徴するもの。写真は3月スケジュール欄
→■
3月27日から松本へ。和光大学(移動大学)と学生たちがお世話になった村田正幸さん(安原地区公民館勤務、主事会幹事長、組合副委員長)の退職と新しい出発のお祝い会。27日、まず懐かしの有賀由延画伯(もと公民館主事)主宰「光彩展」へ。27日前夜祭(下掲・写真)から始まって、28日午前・午後にわたる「村田正幸さん感謝の集い」。存分に飲める体調でなかったのがまことに残念。この集いについては、久しぶりに松本から書いていただけませんか?
松本のホテルに、和歌山大学の山本健慈さんが学長に選ばれたとのニュースが舞い込みました。快挙!とはまさにこのこと。
次号掲載予定。
▼前列左より村田、小林、手塚、後列左より矢久保、小松、高山の皆さん(松本の夜、090327)
2188号【2009年3月25日】
★<研究資料の共有>
上海から帰って、ぶんじんには少々疲れが出たようで、桜も開いたというのに、この一両日は自重していました。おかげさまで、前半を見損なった大相撲春場所と、WBCの野球中継をゆっくりと観戦。普段は野球などあまり見ないのに、対アメリカ戦(22日)そして韓国との決勝戦(23日)の両方とも楽しみました。とくに韓国戦の終盤「ドラマ」は息をのむ場面が相次ぎ、思わず拍手をおくったり…。
今回の上海調査の「とりあえずのまとめ」(上掲・上田メール)が送られてきました。ご苦労さまです。本来は「上海調査メンバーの皆様」宛のものですが、早速の整理作業、とくに「資料の共有」についての努力が始まっていること、皆様にご紹介した次第です。
同じ調査メンバーの間でも、個別の収集資料は“共有”されない場合がある。それぞれの分担に任せていく。別のテーマ、違った調査活動では尚更のこと。というより最近は、研究者による個別研究の“競争”が奨励される傾向にあり、収集した資料は(あえて言えば)私的に所有される。本来は相互の研究を拡大していくべき科学研究費も、会計法上の規制もあり、限られた研究者の枠内から抜け出せず、個別研究の競争に一役かっている節もある。そんな現状だけに、いま「資料の共有」がとくに大事だと考えるのです。
若い世代による新しい中国研究ネットの取り組みにご声援を。まわりに中国研究に関心ありそうな人、また中国からの留学生がいれば、この動きをご紹介ください。「中国生涯学習研究フォーラム」は新しいメンバーの参加を歓迎しています。ご一報いただければ幸い。
この間の上海からの「風」3号(2184号、2185号、2186号)はお手元にとどいているでしょうか。軽い(古い)パソコンで出しましたのでご確認を。
2187号【2009年3月23日】
★<上海への御礼>
1週間にわたった上海「社区教育」調査の一行は、21日までに上海を離れ、三々五々、無事帰国いたしました。参加メンバーからそれぞれ感謝・感想のメールが寄せられています(上掲)。皆さん、お疲れさまでした。「風」の皆様からのご声援も有り難うございました。
今回の上海訪問には、これまでにない取り組みがいくつかありました。ぶんじんは別にして、若い世代による調査団の編成、単なる訪問ではない研究・資料収集の努力、今後に向けての討論や報告作成の打ち合わせなど。しかも上海側には、社区教育・地域文化センターの新しい躍動があり(日本・社会教育の停滞と対照的)、刺激的な毎日となりました。これからの展開が楽しみです。
上海の皆様には、また格別のご配慮をいただきました。濃密なスケジュールと連絡・案内・歓迎そして車の手配にいたるまで、心のこもった受け入れ、あつく御礼申しあげます。とくに呉遵民さん、羅李争さんには準備段階からご心労をおかけました。加えて、私たちの感謝の気持を、呉さんから葉忠海さんへ、羅さんから袁允偉さんへ、(別途お礼状を差し上げる予定ですが)、どうぞよろしくお伝えください。
風2183号(3月15日)本欄に「紹興訪問の楽しみ」を書いたことをご記憶でしょうか。当初、上海からの日帰りを考えていましたが、これは無理ということが分かり、今回は取り止めました。紹興で紹興酒を楽しむ日程は次回に、できれば2泊の余裕をもって・・・。おそらく秋?でしょうか。それまでに、魯迅を読み直すことにいたしましょう。
▼<前号関連>上海浦東新区・陸家嘴街道・地域文化センター1階の娯楽室(20090319)
2186号【2009年3月21日】
★<上海の地域文化センター・四階建て構想>
40年ほど前、東京・三多摩の徳永功さん(当時、国立市公民館)などを中心に「公民館三階建論」が提起されましたが、その構想は上海市「文化宮」にヒントを得たものでした。
いま上海では、市全域230の「街道」(行政単位)すべてに「社区文化活動中心」(地域文化センター)が設置されています。この5年来の躍動。規模・施設内容はそれぞれ異なりますが、四〜五階建ての大型施設が多く、その中に「社区学校」も設置されています。日本の大型公民館に地域成人学校を併置したような都市施設、それが市全域に配置されていると言えましょう。
今回の上海社区教育訪問団の第5日は、高層ビルが並ぶ浦東新区・陸家嘴街道(午前)と市中心部の徐匯区・漕河
街道(午後)の、二つの地域文化センターを訪問しました。とくに午後の文化センターは、一階の劇場で「瀘劇」(上海の伝統芝居)が地元劇団により公演中。かなり広い客席は満員の盛況でした。2階から上にあがると、雲南の瓢箪笛の教室あり、舞踊の練習場、琴房、書画教室など賑やか。書道の部屋では毛筆による揮毫を求められ、「文人」としては逃げるわけにいかず、“ひらがな”混じりで「心はひとつ」と書きました。横に書法家の達筆(下掲)が添えられて、恥ずかしい限り。
午前・午後の両施設を混ぜ合わせて考えてみると、かっての三階建論の流れから、いま四階建て構想ともいうべき施設が出現したのではないか・・・、と思いめぐらしつつ、夜の歓迎会で紹興酒を楽しみました。一階の劇場やトランプなどに興じている娯楽室、あるいは展示室、二階の「東方信息苑」(インターネット・情報室)、三階は「社区学校」、四階は図書館そして「陽光の家」(障害者施設)といったイメージ。
▼上海・徐匯区・漕河街道の地域文化センター・書道教室にて(090321)
2185号【2009年3月19日】
★<懐かしの顔、再会>
上海の第3日、午前は閘北区「澎浦新村」街道の社区文化活動センター、午後は袁允偉さんが校長をつとめる「行健職業学院」を訪問しました。ともに閘北区を代表する地域文化センター(小学校を改装し、図書館・博物館を併置する大型施設)と社区大学(コミュニティ・カレッジ)です。書きたいこといろいろ。いずれ詳細なレポートとなる予定です。
学院の図書館1階「小林国際交流閲覧室」に立ち寄った後、袁允偉さんは、学院前に新しく出来た文化茶館に私たちを案内してくれました。個人蒐集ながら、目の保養になるような文物・骨董類を展示した空間で、特級の中国茶を楽しむ趣向。かっては何もなかったところが文教地区に生まれ変わり、そこに閘北区とも思えぬ(失礼!)高級な文化サロンが誕生したのです。ひとしきりの歓談が続いたところに、思いもかけない懐かしい人が登場。いずれも黄丹青さんの連絡によるものです。
一人は、かって同区教育局の生涯学習担当課長だった江蕾さん。現在は文化局の副局長として活躍中。私たちの「東アジア社会教育研究」第12号(2007年)所収・閘北区レポートの執筆者です。しかしご本人に届いていない恐れあり、確かめたところ予感的中。1年半も遅れた非礼をお詫びし、持参の1冊を直接に手渡すことができました。
あと一人は、1989年前後に東京学芸大学社会教育研究室に在籍した李一群さん(当時、中国政府教育部)。現在は電通(上海)の副総経理として上海在住。やっと連絡がとれました。久しぶりの対面! こういう再会は教師冥利に尽きるというもの。東京の新年会等も憶えていてくれて、互いに手を握り合いました。行健職業学院・校長(袁さん)、党書記(徐さん)、図書館長(鄭さん)や羅李争さんも揃って、懐かしい顔ぶれで記念写真を1枚。
4日目(3月18日)は、葉忠海・呉遵民の両先生(お世話になりました)と出会って、午前に上海遠程教育集団・上海テレビ大学、午後は普陀区長寿路街道、同・長三居民委員会等を訪問。この夜、ようやく石井山竜平さんが加わって訪問団全員で乾杯してお開き。(つづく)
▼20年?ぶりの再会、前列左端・李一群さん(上海・閘北区にて、090317)
2184号【2009年3月17日】
★<上海の夜>
今回の上海訪問は4ヶ月ぶり。東京よりも暖かく、花粉の気配もなく、まずまず症状は落ちつきました。しかし街を覆う大気の状況はまさに大都市の様相。街は活気にあふれながら、空も水もどんよりの模様。
初日(3月15日)夜に予定したメンバーが順調に合流。スケジュールを調整・変更しつつ、活動が始まっています。まず行健職業学院の袁允偉さん(校長)の招聘夕食会。羅李争さんや朱榴芳さんも駆けつけていただき、有り難うございました。
訪問団メンバーは、発足したばかりの「中国生涯学習研究セミナー」。副代表・黄丹青、事務局長・上田孝典(国際教養大学・秋田)、内田純一(高知大学)、呉迪(筑波大学大学院)、孫冬梅(東北大学・研究生)の皆さんと代表・小林ぶんじん。まだ未着の石井山竜平(東北大学)さんを加えて、合計7人。さきほど6人が揃いました。
巨象・中国はいまどのように動いているのか。ギシギシと音をたてながら変転の真っ最中。そのなかで、市民、社区(コミュニテイ)、ボランティア等の動きをどうみるか。政治・行政の積極的なリーダーシップあり、それは同時に圧倒的な管理の側面も伴っている。その中で市民の自治や運動、社区づくり、はいまどのように展開しているか、などと考えながら、上海第一日の夜は更けていきました。
2日目(16日)、午前は閘北区大寧路街道(行政単位)の「社区学校」、午後は同区鎮の知的障害者施設「太陽の家」を訪問。案内や車の手配など行健職業学院の全面的な協力に感謝。
【歌の工房】
−2009年3月16日、閘北区「太陽の家」、折紙教室−
作品“百合の花”をいただき、お返しに折鶴を贈る
◇障害をもつ人の折る百合の花 胸に飾りて街を歩きぬ
◇拍手あび折鶴一羽はばたけり 「太陽の家」早春の午後
2183号【2009年3月15日】
★<紹興訪問の楽しみ>
花粉症をなんとかやり過ごしながら、3月15日を迎えます。この日はご存知「確定申告」の締切日。毎年イヤな作業を強いられてきました。今年も一晩かかって、ようやく計算を終わり一段落。コン畜生!と怒鳴りながら・・・、ヤレヤレと上海行きの準備へ。
花粉症は発症してそろそろ20年か。本来は心はずむ早春を迎える頃なのに、なかば格闘するように毎日を過ごすのです。その上に納税申告となると、不機嫌が蓄積し、憂鬱が増幅して、この季節、早く終わってくれないかと思うようになってしまった。
上海は大都市・大気汚染?の街だけれど、きっと花粉は飛んでいないはずだ、と気分を持ち直して出かけることにします。
上海調査の日程は、上掲(呉遵民さん、羅李争さん)メールのように慌ただしく変わっていきます。その動きに、上海の皆さんの歓迎の気持が伝わってくる感じ。今回は、とくに先発の黄丹青さんがホテル変更を含めて、いろいろと調整にあたってくれていて心丈夫です。しかも最終プログラムは、黄さんの故郷・紹興へ一泊の旅が実現することになりました。紹興(春秋戦国時代の越の都、魯迅、周恩来、秋瑾等の故郷、もちろん紹興酒の里)訪問は永年の夢でした。できれば数日の日程を用意すべきでしょうが、まずはその風土「水郷沢国」に佇むだけでも、の願い。
「風」には渡部幹雄さんの精力的な寄稿が続いています。いま次の一文が着信しましたが、次号に回します。ご了承を。風の欠号(沖縄から出した2071号・2072号)について4人の方から一報をいただき、個別に再送しました。
2182号【2009年3月13日】
★<上海調査はじまる>
名護の稲嶺進さんは、もともと市教委・社会教育主事。最初の出会いは名護ではなく、1980年代前半の社会教育研究全国集会の会場、おそらく富士見集会だったと思います。美声の人、彼が歌う「二見情話」は嫋々として思いあふれる節まわし、実に印象的でした。懐の寒い学生たちを連れての沖縄・名護への旅では、格段に安い宿をさがしてもらったり、いつもお世話になってきました。
その後は名護市の総務部長、収入役、昨年まで教育長をつとめてきた人。来年に予定されている市長選出馬の意思表明(上掲記事)のニュース。草の根からの取り組みで頑張ってほしい!
ところで、上掲・黄丹青メールのように、いよいよ上海・社区教育調査が始まりました。昨年末に産声をあげた「中国生涯学習研究フォーラム」による初めての調査活動。すでに黄さん(副代表)・上田孝典(事務局長)のお二人は現地へ入りました。調査参加メンバーは7名。本調査の主要スケジュールは次の通り。ぶんじんは15日出発です。
3月15日(日)上海着 宿泊:閘北区「中悦苑景賓館」021-56618518
16日(月)閘北区調査(1)、行健職業学院(社区大学)訪問
17日(火)閘北区調査(2)、街道・居民委員会など、社区学校訪問
18日(水)午前/上海遠程教育集団(元電視大)、午後/普陀区・街道
19日(木)午前/浦東新区・街道、午後/徐匯区・街道へ
20日(金)紹興へ(小旅行・予定)
21日(土)帰国
呉遵民さん、羅李争さんなど上海の皆さんにお世話になると思います。どうぞよろしくお願いします。
★お尋ね:「風」の着信は順調でしょうか? 欠号あればご一報下さい。
2181号【2009年3月11日】
★<韓民さん来日>
風2173号収録のメール、風2176号「生涯学習政策国際フォーラム」等に紹介したように、北京から韓民さんが10日夜に来日。韓民さんの都合に合わせて、12日夜6時から渋谷「ロゴスキー」にて、東アジア第14号編集(小)委員会ならびに韓民さん歓迎会を企画(上掲)しました。在京編集委員会の皆さん、ご都合をつけてご参集下さい。
韓民さんが登壇する「生涯学習政策国際フォーラム」(国立教育政策研究所主催)のテーマは、「東アジアの生涯学習政策―日本・中国・韓国を比較する」(3月13日午後1時半〜4時、会場は「学術総合センター」中会議場(東京都千代田区一ツ橋2-1-2
学術総合センター2階)です。なお同フォーラム・3月11日のテーマは、「生涯学習概念のEFA(Education
for All)への応用について」、12日は「識字教育と国際成人教育会議」、いずれも同時通訳つき、だそうです。ご参加の方で、感想など「風」に寄せていただけると有り難い。
いま私たち「中国生涯学習研究フオォーラム」のメンバーは、3月15日〜21日予定の上海・社区教育調査の直前。8日の打合せをへて、すでに一部メンバーは中国に入りました。一方に来日あり、他方で訪中の動き。他の仕事とも錯綜して(花粉のなか)慌ただしい毎日。
沖縄では今晩(10日)の各紙(夕刊)が、来年2月の名護市長選に稲嶺進さん(前教育長)が「出馬する意思を固めた」ことを伝えています。「進さんをぜひ!」という動きがあることは聞いていましたが、決断された様子。時代が動き始めている予感。
2180号【2009年3月9日】
★<第150回研究会に向けて>
月はめぐって、明日はもう3月10日(東京大空襲・1945年)です。毎週の講義やゼミを担当していたころは、週単位でものを考えていましたが、いま月ごとのスケジュールで動いていく習性となりました。
3月となって、7日〜8日は濃密なスケジュール。2日間で韓国生涯学習研究フォーラム(韓国向け出版の編集会議)、TOAFAEC
年報第14号編集委員会、続いて中国研究フォーラム(上海・社区教育調査に向けての学習会)が相次いで開かれました。
7日の韓国研究会に出席した李正連さん(名古屋大学)は、8日も引き続いて参加。さきほど当日の写真に添そえて次のメール。「…今回は東アジア社会教育研究第14号編集及び中国生涯学習研究会にも参加し充実した2日間でした。小林先生とは2日間で計4回の飲み会をご一緒させていただきました…」と。確かに4回。加えて、帰ってみたら、烟台の張林新さんが来訪していて5回目! さすがに疲れて、もう飲めませんでした。
この日は、東京・首都圏だけでなく、秋田(上田孝典さん・国際教養大学)、仙台(石井山竜平さん・東北大学)、高知(内田純一さん・高知大学)そして名古屋(上記)からはるばるの参加、論議も充実。高井戸の会場で中国研究会が終わったあとの二次会では、東京23区支部の皆さん(15名)と同席になり、初めて会う顔も多く、お互いに紹介をしあい、さかんに乾杯が交わされる賑やかさ。
皆さん、はるばるのご参加、ご苦労さまでした。それぞれの会の内容は追い追いと「風」にも寄せられることでしょう。TOAFAEC
としては次の定例会が149回(3月25日予定、伊藤長和・岩本陽児両氏の壮行会を兼ねる)、その次は150回を数えます。なにか記念のプログラムを企画しようということになりました。日程として4月末の連休を避け「5月8日夜」をまず決めました。ぜひご予定下さい。プログラムについての面白いご提案をお待ちしています。
▼中国生涯学習研究会・二次会、この左側に東京23区支部の席(高井戸、090308)
2179号【2009年3月7日】
★<信州からの便り>
最近「風」には、信州からの便りが少なく、さびしい思いをしていましたが、昨日遅く久しぶりに松本市・矢久保学さん(松本市政策課)からのメールが舞い込みました。
「…このところ仕事に追われ、さらに・・・、以前にもまして忙しい日々となっています。3月28日には“村田さんの感謝の会”、松本でお会いできることを楽しみにいたしております。」とあり、続けて…、「さてご存知かと思いますが、3月11日から13日まで、国立教育政策研究所主催・生涯学習政策国際セミナーが開かれるということで、周知を依頼されましたので、チラシを添付いたします」と。
内容は、数日前の「風」(2176号)に収録した笹井宏益さん(国立教育政策研究所)からのご案内と同じなので、割愛させていただきます。北京から来日予定の韓民さんが参加する国際セミナー、3月13日に登壇予定、と報じたものです。それにしても、この種の「東アジア」に視点をおいた国際セミナーが開催されることと同時に、それが広く各方面に「周知を依頼」されていることに新しい動きを実感しています。私たちTOAFAEC
の、「東アジア」研究・交流に関する15年来の取り組みも、ある役割を果たしてきたのかもしれません。
ところで、北京の韓民さんと一夜会う計画(「東アジア社会教育研究」第14号・中国特集についての相談)、ご連絡を待っています。どうぞよろしく。小生だけでなく、一緒に会いたい人もあり待機中です。忙しい韓民さん、この(ぶ)欄を読んでいるかしら?
2178号【2009年3月6日】
★<“青雲の志”>
青雲とは「高く超えたさまの形容」と手元の辞書は書いています。青雲の士とか、青雲の志を抱く、などの表現は最近なかなか使う機会がありませんが、伊藤長和さん(川崎市教育委員会、3月で退職)が二つの大学講師の仕事も辞し、4月から突然中国へ旅立ち、日本語教育の仕事につく話を聞いたとき、なぜか“青雲の志”の言葉を思い出しました。
青雲は青年と漢字が通じているせいか、若者への献辞のイメージ。しかし、いまむしろ熟年・実年の世代のなかに、心はずむような跳躍や脱皮や挑戦のエネルギーを感じるときがあります。伊藤さんの今回の決意にも、その片鱗が見えるように思いました。
だけど、決して無理をされないように願います。心は若くても、体はやはり若者ではない。自分の意思で、自由に選択できる立場になられたわけですから、その自由度を大事に活かしてご活躍いただきたいのです。
今年度締めくくりのTOAFAEC 定例研究会(3月25日)は、伊藤長和さんと岩本陽児さん(和光大学、1年の在外研究)の激励・壮行会の企画です(上掲)。皆さん、春の宵、こぞってご参加ください。
いま「南の風」はときどき(事情があって)古いパソコンで配信しています。ほぼ隔日のリズム。お手元に確かに届いているかどうか、いちどご確認ください。先月下旬の2171号、2172号、それと昨日の2177号は一部の方に届いていないかも。未着の場合ご遠慮なくご一報願います。
2177号【2009年3月5日】
★<3月・上海調査ーご声援を!>
昨年12月、TOAFAEC 活動の一環として、「中国生涯学習研究フォーラム」がスタートしました(風2135号−中国研究への胎動)。誕生したばかりの研究会、まだ充分な骨格も出来ていないのに、3月15日〜21日の日程で上海「社区教育」調査に取り組む動き。いまその準備のメールが飛び交っています。
「中国研究フォーラム」メンバーは、東京だけでなく秋田・仙台・高知など各地からの参加です。毎月の定例研究会の開催もままなりませんが、本号・上掲のように、みずみずしい勢いで活発なメール討論が始まっています。その一部を「風」にご紹介し、また大事なところはホームページに収録するよう努力中。
今回の上海・社区教育調査では、これまで付き合いの深い閘北区を中心に、すこし地域に入り込んで「インテンシィブ・サーベイ」に挑戦しようと話しあってきました。それに加えて、上海成人教育の長老・葉忠海さんや呉遵民さん(華東師範大学)から、上掲メールのように、積極的な日程を用意していただくことになりました。前半は閘北区、後半は上海市の全域を歩くような拡がり。これをきっかけに、上海そして閘北区との、また新しい研究交流の流れが生まれるのではないかと楽しみ。
参加メンバーは、黄丹青、上田孝典、内田純一、呉迪、孫冬梅、石井山竜平などの皆さんとぶんじん。多彩な構成です。調査の具体的な展開や収集資料等について、できるだけ「風」にも紹介していくつもりです。ご声援ください。
2176号【2009年3月3日】
★<「父の生涯」>
先日の沖縄滞在中に、「佐喜眞美術館と“ざわわ”」について、本欄で書きました(風2172号)。東京に帰ってすぐに『ざわわ さとうきび畑』(琉球新報社、2007年刊)を確かめました。記憶だけで書いたので、気になっていたのです。
ほぼ間違いはありませんでした。ヤレヤレの思い。寺島ファミリーコンサートについての記述もまずまず…。まぁ、せっかく本を開いたのだから、少し補足させて頂きます。
「…寺島尚彦(父)自らピアノで伴奏し、声楽家の娘さんが熱唱」と書きましたが、この娘さんとは、次女の「寺島夕紗子」さんのことでした。夕紗子さんは、本の最終章に「父の生涯」について、約60ページにわたる思い出、追想を書いています。これが実に秀逸なのです。
父の生い立ち、戦争の時代、音楽への道、沖縄との出会い、多彩な音楽活動、「さとうきび畑」の歳月、涙に海の味がする(小見出し)など、思いのこもった回想が読む人の心にひびいてきます。娘は「あちこち足を運んで・・・」聞き書きをし、父の生涯をたどったのです。上質で情感にあふれる追悼、このような娘をもった父の幸せを思いました。
この本には佐喜眞道夫さん(美術館長)の一文も収録されていました。2001年の寺島ファミリーコンサートのあと、2004年にも沖縄出身の声楽家・翁長剛さんが、丸木夫妻「沖縄戦の図」の前で「さとうきび畑」を歌ったそうです。「…沖縄戦の体験を心の奥にしまいこんでいる歌手と、聴衆の心が“さとうきび畑”の曲を介して共鳴しあったとき、翁長さんは感極まり、一瞬歌えなくなってしまった。会場にひろがった共感はまさに沖縄の“この悲しみは消えない…”一瞬だった。」(102頁)と。
▼中央・佐喜眞道夫館長、和光大学(旧)小林ゼミ学生と(佐喜眞美術館、20011003)
2175号【2009年3月2日】
★<50年前に学び、50年後をめざす>
3月1日を迎えました。朝鮮民衆の独立運動(1919年)から90年目の記念の日。私たちの「原水禁運動(安井家)資料研究会」第50回記念の例会報告が届きました(上掲)。当日(2月25日)に間に合った2008年版報告書『ひたすらに平和願えり』も力作。これまでに蓄積した「資料整理マニュアル」「資料目録」一覧に加えて、研究会メンバーによるレポートに読み応えあり。そのエッセンスをいくつかご紹介します。
「…近年、インターネット上で共有される知的データベースのことが関係者の間で“コモン”と呼ばれることが増えてきた。安井資料の…世界史的コレクションが何らかの形で、人類共通の文化財としてアクセス可能な状態になることを願う。…」(岩本陽児)
「杉並は原水禁運動の発祥の地なのか。…“発祥の地”だからと、安井家資料を説明するのは、ある意味簡単なことだ。しかしそこで思考を止めていいのだろうか。…」(竹峰誠一郎)
「…1970年代に市民により地域文庫・家庭文庫が相次いで開設された。デジタルアーカイブについても、市民の立場・目線から、その意義や価値について本質的な問題提起ができないだろうか。」(石川敬史)
「原水禁運動資料の整理作業はゆっくりと50年前の人々の思いや行動に習いながら、50年後の資料価値を創造しつつすすんでいる。ぜひご一緒ください。」(江頭晃子)など。
『ひたすらに平和願えり』(B5版、70頁)の頒布価格はまだ確定していませんが、おそらく600円前後(送料別)か。ご希望の方はご一報を。
2174号【2009年2月28日】
★<琥珀色の古酒>
久しぶりの名護訪問(2月21〜22日)の余韻が残っています。
「大国林道」の山城秀夫さんより、秘蔵の古酒をカメから汲んで、小瓶にして頂きました。当夜(21日)の二次会の席上のこと。同席の皆さんは「山原島酒之会」メンバーが多く、みな垂涎の表情。思わず瓶の栓を開けようとしたところ、誰かが「そのまま、そのまま!」と制してくれたので助かった。直ちにバッグの奥にしまいこんで、パソコンより大事とばかり抱きかかえるようにして、無事に東京に持ち帰ることができました。秀夫さん、有り難う!
夜も更けて、一人になると、琥珀色の古酒を小さな杯(古我地焼、昨年7月、韓国の山にねむる黄宗建先生に献杯した記念の品)に移し、口に含むのです。決してゴクンとは呑まない、しずかに拡がるシマザケの刺激と香り。黄先生とともに杯をかわしている気分。静かに酔いがまわってくる。微醺のまま、そのままゆっくりと眠りにつくのです。「美酒少量」とはまさにこのこと。
当方の永福“風の部屋”にも「島酒之会」メンバーとして、三つの古酒カメが鎮座しています。すでに15年のクースーとなりました。先日の新年会、夜の二次会ですこし汲み出し、同席の諸氏と楽しみましたが、今回いただいた「琥珀色」というわけにはいきません。その上、きちんと「仕次ぎ」する機会がなく、3本のカメ相互の関係がやや混乱気味です。加えて、ある人が別に送ってくれた同じ5升カメ(ただし銘柄は異なる)が並んでいて、そのうち「仕次ぎ」をかねて、カメ・ビンの整理をする機会をうかがっています。
しかし・・・最近は、TOAFAEC 事務局も安いワインに流れて、本格的に美酒・古酒を味わう構えが弱くなってきたようです。
▼島袋正敏さん受賞(琉球新報・産業活動賞)お祝いの会 (名護博物館・中庭、20090221)
左より島福善弘さん(名護博物館長)、島袋正敏さん、小林、そして右端・山城秀夫さん(大国林道オーナー)
2173号【2009年2月26日】
★<安井資料研究会・50回記念>
本号は東京から送っていますが、前号と前々号の2本は、滞在中の沖縄から出したものでした。皆さま、お手元に届いたでしょうか?
実は、旅先に持ち歩く軽いパソコンからの送信。記憶をたどってみると、昨年11月初旬の上海からの風・送信の際、なぜか一部の方に届かなかった問題のパソコン。気になっています。ご確認の上、もし2171号あるいは2172号が未着の場合はご一報ください。再送いたします。
沖縄から帰って昨夜(25日)は、原水禁運動(安井家)資料研究会第50回記念の集い、TOAFAEC定例研究会(第148回)と合同で開きました。報告者4人、参加者も思いがけない方を含めて多数(30人ちかく)お出でいただき賑やかな夜となりました。用意したレジメ・資料も大慌てで増刷りしたほど。
この日を目標に執筆・編集を進めてきた2008年版・安井資料研究会報告書『ひたすらに平和願えり』(風2159号に予告、B5版、70頁)も見事!間に合って、出来たてほやほやを手にしながらの研究会。追って当夜の記録は「風」に寄せられる予定です。
終わっての交流会は、いつもの「イーストビレッジ」が先客で入れず、探し回って別の店でようやく乾杯。そういえば、1月もうまくいきませんでした。交流会の関係では、定例日の水曜日への変更は再検討した方がいいかも…。
北京・韓民さんの3月10日〜14日訪日の報せが届きました。予定が決まり次第、一夜(第14号「中国特集」編集を兼ねて)集まりましょう。韓民さん、可能な日時と連絡先(ホテル)をお知らせ下さい。
▼第50回安井資料研究会、30人ちかくの参加 (高井戸区民センター、20090225)
▼高井戸駅ちかくの交流会(20090225)、左列奥から生野忠志(杉並区役所)、安井節子、
右列奥から安田和也(第5福竜丸展示館)、中村政則(一橋大学名誉教授)ほかの各氏
2172号【2009年2月24日】
★<佐喜眞美術館と“ざわわ〜 さとうきび畑”>
2月22日午後の那覇への帰路、玉那覇正幸さんと一緒に宜野湾「佐喜眞美術館」にも寄りました。1年ほど前、上海(華東師範大学)と韓国からの一行を案内した際、丸木位里・俊「沖縄戦の図」の前で、沖縄戦とは何であったのか、熱情的に話をしていただいたお礼を言いたかったのです。あいにく佐喜眞道夫さんは、信州上田「無言館」に出かけて留守。残念!
あのときの佐喜眞館長の話、それを懸命に通訳した呉遵民さんの努力によって、日・中・韓の教育学者たちは「われらの心は一つ」「平和こそ教育の原点」と語り合って乾杯したのでした。
想い出したこと一つ。いま手元にありませんが、寺島尚彦(「ざわわ〜さとうきびの畑」作詞・作曲)を偲ぶ追悼本(たしか琉球新報社刊)のなかで、佐喜眞美術館が印象深く登場してくる場面があります。大作「沖縄戦の図」前の空間で、寺島ファミリーコンサートが行われました。沖縄側からは、「月桃」を作詞作曲した海勢頭豊がゲスト。この二つの歌は、ともに沖縄の野と花をテーマとする平和希求の名歌。「ざわわ」の歌を寺島尚彦(父)自らピアノで伴奏し、声楽家の娘さんが熱唱。歌い終えてしばしの間があり、すすり泣きのなかで、満場が拍手と涙に包まれたということでした。
たしか2001年秋のこと。あの9・11事件直後の騒然たる時代。このことを妙に憶えているのは、「ざわわ」の感動的なファミリーコンサートと海勢頭豊「月桃」のジョイントを伝え聞き、その次の週、和光大学プロゼミの時間に、♪ざわわ〜ざわわ〜♪
と歌ったことがあるからです。先月、久しぶりに会った旧ゼミ生から「あの日、先生は突然♪ざわわ♪を歌いましたね・・・」と憶えていてくれました。
2171号【2009年2月22日】
★<那覇・名護の夜>
那覇から名護へ、そしてさきほど(2月22日午後)那覇へ戻ってきたところです。沖縄は夜などやや肌寒い感じ、それでも心は熱い人たちとの再会あり、新しい出会いもあり。
沖縄県青年会館が所蔵していた貴重な青年団運動資料は雑然としたままでしたが、この間に進められた研究者グループ(山城千秋、圓入智仁、野依智子などの皆さん)共同の分類整理作業により、すべてダンボールに仕分けされていました。個々の資料について(パソコン入力による)データーベース化が開始されたところ。これからが楽しみ。安井資料研究会の4年の作業も紹介しておきました。
この日(20日)夕刻には、会館常務・沖青協OBの安谷屋幸勇さんと、たまたま出会った懐かしい高嶺朝勇さん(もと県社会教育主事、現在は南城市教育長)とともに熱い語らい。ことさらにビールは美味い。積年の課題・沖縄県青年団運動史をどうまとめていくかについて、これまでにない具体的な提案も。テープにとっておけばよかった。
21日午後は、佐久本全さん(もと那覇市図書館長)の車に名城ふじ子さんと同乗、名護へ。まず「大国林道」に二人を案内していい気分、オーナー・山城秀夫さんと再会(秘蔵の古酒をいただく)、このときから寝るまで酔いは続きました。
名護博物館の中庭で開かれた「おめでとう!正敏さん」の集い(写真・2月21日
→■)には、名護市広報「市民のひろば」“号外”も出ました。滋賀県愛荘町・渡部幹雄さんの祝電も披露されました。参加者すべての喜びの顔。当夜の感動はどなたかきっと「風」に紹介していただけるでしょう。
一夜明けて、宜野湾から出席していた玉那覇正幸さん(おきなわ社会教育研究会)の車で送っていただき(途中、浦添の元沖青協会長・田場盛順さん宅を急襲)、那覇に戻ったという次第。
皆さん、有り難うございました。
▼前列左・安谷屋幸勇、中央・高嶺朝勇の両氏と青年団史研究グループ(沖縄県青年会館、20090220)
2170号【2009年2月20日】
★<沖縄青年運動史研究会>
皮肉なもので、あまり外出したくない花粉の時期に、急なお誘いがあれば嬉しくなって出かけます。あまり呑まない方がいいのに、ついゴクン!とやって(こちとらは記者会見などないのだ!)、毎日をなんとかやり過ごしています。
18日夜のNHK「その時歴史が動いた−3000万の署名 大国を揺るがす・第五福竜丸が伝えた核の恐怖」(風2168号・本欄)の放送時間まで帰宅する予定だったのに・・・結局は間に合わず、録音セットも失念、見ることができませんでした。安井家所蔵の写真も放映されるとのことでしたが、番組はどんな出来映えだったのかしら。感想をお寄せいただければ幸い。再放送はいつでしょう?
やっと沖縄行きの日が来ました。さきほど(19日22:44)山城千秋さんからは「お待ちしています」メール。今日の沖縄は作業しながら汗ばむほど、「うりずん」のような陽気だそうです。山城さんのメール(上掲)には、あえて「沖縄青年運動史研究会」と紹介しておきました。ちょうど3年前、熊本で「沖縄青年運動史研究会をどうすすめるか」などの話しあいをしたのでした。HPご覧ください。
→こちら■
久しぶりに沖縄調査ノートや資料の準備をして気づいたことは、昨年の7月(那覇・名護・竹富など)以来の沖縄、半年余りのご無沙汰です。だんだん足腰が弱くなってきたのでしょうか。
今回は、沖縄青年運動史の資料整理が本格的に始まって、部分的にでも参加できることになり、ことさらに嬉しい旅です。
2169号【2009年2月17日】
★<沖縄への逃避スケジュール>
今年の杉花粉の急襲!に参っています。当方の受け入れ準備がおろそかだった反省。14日〜15日の気温上昇により、花粉の皆さんはいっきに楽しく舞い始めています。
この季節、かねてより沖縄への避難・・・というより移住を考えているほど。2ヶ月ほど名護か竹富に移民に出たいものだと。しかしまだ実現しません。
話はかわって、沖縄青年運動史研究を提唱したのは2005年のことでした。地域の青年団運動だけでなく、沖縄県青年団協議会が深く関わった「沖縄祖国復帰運動」を含めて、証言を聞き、字誌を調べ、資料を収集していくなどの作業は急がれる必要があります。ホームページにもそのサイトも設けて、この4年余のささやかな歩みを掲載。また『東アジア社会教育研究』(第12号〜13号)には、すでに7人ほどの証言聞き書き記録(小林・山城)が収録されています。
今年は山城千秋さん(熊本大学)を中心に、沖縄県青年団協議会・関係史料の整理分析が本格的に開始されています。いちど一緒に・・・と思っていたところ、九州グループの沖縄調査と当方の沖縄逃避の日程を(部分的に)調整することができました。それに名護・島袋正敏さんの琉球新報賞を祝う会にも参加するという計画がうまく接合。スケジュールは、2月20日〜21日午前:那覇・沖縄県青年会館・資料整理作業、21日夜:名護博物館(中庭)島袋正敏さんお祝い会、22日:名護から那覇へ(夜)、23日:那覇(24日朝・東京へ)の予定。
できればあと1週間ほど沖縄滞在を考えたいところですが、25日夜は、私たちの2月定例研究会(安井資料研究会50回記念)の集い。どうしても東京に帰らなければなりません。残念!
2168号【2009年2月15日】
★<NHK「その時…」3000万の署名 大国を揺るがす>
誘われて、奥つちゆ(福島県)の秘湯に一夜遊び、東京に戻ったら、見事に?花粉症が発症しました。早春の楽しい季節のはじまりは、憂鬱な気分の毎日となります。早く沖縄に避難したい。
1日半ぶりにパソコンを開けたら、杉並の安井節子さん(安井家資料研究会)から、こんなメールが着信していました。
「…あれからリサーチャーの公文さんというNHK大阪の方が見えて写真を10数枚お貸ししました。先日そのうちの4枚が番組に使われるということでお知らせがありました。番組の最後に「安井家資料」として表示されるそうです。…」
来週木曜日の「その時歴史は動いた」(2月18日22:00?22:43総合)は,原水爆反対署名運動がテーマ。「3000万の署名
大国を揺るがす第五福竜丸が伝えた核の恐怖」として放送されるそうです。ゲストは前田哲男氏(ジャーナリスト・沖縄大学客員教授)。
以下、NHKの広報記事より。
「…世界最初の被爆国・日本。しかし戦後の冷戦下、核実験が繰り返されても抗議の声すら上げられずにいた。1954年、アメリカの水爆実験に漁船・第五福竜丸が遭遇、乗組員23人が被ばくするビキニ事件が発生。その後もマグロや雨から放射能が検出され続けると、人々は放射能の恐ろしさを初めて自分の問題として感じる。女性を中心に核実験に反対する署名運動が始まり、やがて日本中を巻き込む大きなうねりとなって、世界に発信される。
…各地で核実験反対の署名運動に起ち上がった。女性たちの声はやがて日本中を覆って3000万の署名に結実、… 番組では、当時の女性たちの声を丹念に発掘、女性たちがどのように考え、行動し、や
がて核兵器を持った大国を動かすまでの力を結集するに至ったのかを描く」と。
杉並の原水爆反対署名運動の拠点は、当時の杉並区立公民館でした。
▼解体寸前の(旧)杉並区立公民館(東京・荻窪) 1989年2月23日撮影・閉館行事の日
2167号【2009年2月13日】
★<心づくしのお茶の時間>
さきほど、江頭晃子さんの締切通告に追われながら、原水禁運動・安井資料研究会の今年度報告(『ひたすらに平和願えり』風・2159号に既報)をやっと書き終えました。この種の作文は、ともすると形式的になりがちですが、思い切って(可能な範囲で)総括的なレポートづくりに挑戦。読み直す余裕もなく、拙劣な表現はそのままですが、その一節をご紹介しましょう。
「…研究会はほぼ毎月1回、土曜日か日曜日の午後に行われることが多かった。各自がノートパソコンを持参する。とくにテーマや手順を細かく決めるのでなく、大まかな打ち合わせにより、参加者それぞれの関心を尊重して、自由な作業が始まる。資料の整理、分類、内容分析、整理マニュアルにそってのタイトルつけ、ナンバーリング、パソコンへの入力作業など。その間の雑談、ときに真面目な打ち合わせや討論、安井“節子さん心づくしのお茶”の時間、といった雰囲気で時間が過ぎていく。発会当初は、帰路に荻窪駅前で「ご苦労さん」のビールをよく飲んだことが思い出される。
場所はすべて安井家、書斎そして(資料収蔵の)応接室や納戸・物置など。原資料はすべて安井家から持ち出さないことが原則だから、持ち帰っての宿題作業はなかった。パソコン入力の作業室(書斎)は、ときに大学の研究室のようであり、地域誌の編集室の雰囲気もあり、公民館の小学習室やパソコン教室のようであり、そして文字通り“茶の間”のようであった。…」
来る2月25日のTOAFAEC 合同研究会(前号に案内)で第50回例会を迎えます。この日までに報告書は出来上がる見通しとのこと。
▼安井資料研究会・第32回研究会の風景(20070408)
2166号【2009年2月10日】
★<永福に「鷲ぬ鳥節」−新年会>
1984年1月から始まった東京永福の新年会、毎年倦むことなく続いてきましたが、今年は1月遅れの2月8日に開催されました。ご出席の皆様、準備にあたった事務局の方々など、ご苦労さまでした。二次会(風の部屋)も賑やかに盛り上がり、9時頃にはお開き、愉快な1日となりました。有り難うございました。
参加の顔ぶれは(昨年11月の会との関係で)、例年の常連は少なく、逆に思いがけない人たちの登場がありました。なかでも20数年前の留学生(中国)杜紅さん、黄丹青さんが誘ってきてくれたようです。中途で他大学へ行きましたから、知る人は少ない。しかし思い出深い留学生です。その後に研究生として在籍したことがある李一群さん(中国教育部、韓民さんの友人)と結婚。聞けば李さんはいま上海に駐在中とのことです。3月上海訪問の際に会えるかも。
あと一人は、韓国からの留学生・朴三植さん。15年ほど前の研究室在籍、早稲田大学(博士課程)に進んでドクター。私たちの研究室として初めての韓国訪問の水路をつくってくれた人です。
他に初めて参加の人も4,5人あり、やはり新年会という年中行事のもつ効用ですね。夜の二次会だけにやってきた人は例年より多く、7〜8人いたような。その一人、堀尾正靱先生には、昨年につづき、八重山「鷲ぬ鳥節」を歌っていただきました。島酒カメから二度ほど古酒を汲み出しました。ただし「仕次ぎ」は次の機会に。
最近は記録の写真撮りがおろそか。最後に別れ際の記念写真を忘れてしまいました。それでもスナップを3枚ほどHPにアップ。
▼二次会(風の部屋)、左端・堀尾先生「鷲ぬ鳥節」(090208)
2165号【2009年2月7日】
★<北から南、時空を超えて>
南の風は、思いもかけず、3日連続の送信となります。当方のパソコンには、いま、いくつかの報告書等の編集作業も重なり、メール来信が引きも切らず、嬉しい悲鳴。
名護・島袋正敏さんの琉球新報・活動賞の受賞ニュース(風・前号)を聞いて、渡部幹雄さんからお祝いのメッセージ。その渡部さんに杉並・丸浜江里子さんからお礼のメール。まさに「時空を超えての繋がり」を実感しています。他方、北の釧路に自主夜間中学を立ち上げる動きあれば、南の那覇の夜間中学「珊瑚舎スコーレ」は運営ピンチ、支援訴えのニュースが届きました(上掲)。まさに激動の時代、その中で歴史は創られていくのでしょう。
東京はまだ寒い夜です。昨日(6日夜)の集いで、島袋正敏さん受賞についてお尋ねがありました。なぜ「産業活動」賞が話題なのかと。正敏さんのことをほとんど知らない方なのです。
正敏さんは、もともと青年団運動など、復帰前(旧)名護の社会教育主事、その後、ユニークな博物館づくり→同館長、意欲的な図書館づくり→同館長、そして教育委員会・教育次長で活躍。その間、第42回社会教育研究全国集会(名護集会)事務局長も。現在は、名護「ものづくり」塾長、文化サークル「めんたまぁ」等の活動。知る人は、まず「教育活動」賞を思い浮かべる。ところが、黒豚(アーグ)保存(イノシシやヒージャの専門家でもある)や島酒運動など「産業活動」賞というのですから面白い。愉快な話題となりました。
昨夜は『杉並の市民活動と社会教育の歩み』第3号の刊行お祝い会でした。風2163号「地域史の水脈」で既報の通り、B5版、268頁の力作。本報告集ご希望の方は、500円(以上・カンパ、送料別)にてお頒けできます。ご一報ください。
2164号【2009年2月6日】
★<名護の祝い>
沖縄からの風を期待・・・と本欄に書いたところ(第2162号)、こだまが返ってくるように「名護の風」が吹いてきました。しかも島袋正敏さんの琉球新報活動賞(産業活動)受賞のニュース。比嘉ひとみさん、朗報を有り難うございました。
受賞の様子を聞いてみようと、早速、島福善弘さん(名護博物館長)に電話(5日夕)。なんと授賞式の会場(琉球新報ホール)でした。相次いで電話には稲嶺進さん(名護市前教育長)の声も。皆さん嬉しそうです。
琉球新報活動賞は今年で31回目。社会活動、教育活動、文化芸術と並んで産業活動賞。正敏さんの肩書きは「琉球在来豚アグー保存会会長」。受賞理由は「在来豚アグーの保存活動を行い、県立北部農林高校と連携し、沖縄を代表する肉豚としてのブランドを確立。山原島酒之会会長を務めるなど、地域に根差した活動を幅広く展開」となっています。なるほどなるほど。
実は、山城千秋さん(熊本大学)たちの沖縄県青年団資料調査が予定されていて、それに合流するため那覇行きのスケジュールを決めたばかりでした(2月20日〜24日)。電話で22日(日)に名護のお祝いに参上することにしました。ピッタシの日程。どこかに出会いの神様がいるような…。昨年の夏、竹富島「西糖大祭」に出かけて以来の訪沖となります。久しぶりの皆さんとの再会が楽しみ。今回は(25日の研究会までに帰京する必要あり)竹富島に行く余裕がありません。お許しください。
どなたか名護へご一緒できる方はいませんか?
2163号【2009年2月5日】
★<50年余の水脈、新たな流れ>
風2159号に「ひたすらに平和願えり」と題して、原水禁運動(安井家)資料研究会がこのほど第50回を迎えることを書きました。よくぞ続いてきたものです。杉並の地で、女性たちの原水爆禁止署名運動が胎動し(1954年)、その後も公民館を活動の拠点として、「地域からの平和運動」(杉の子会など)、さまざまの学習・文化、市民活動が繰り広げられてきました。安井資料研究会もその水脈のなかで生まれ、新たな流れをつくってきたのです。
地域の社会教育の歩みは貴重な地域史であるにもかかわらず、いつも細々とした流れ、うっかりすると水脈も消えてしまいがちです。2003年の夏、杉並では「社会教育を記録する会」が結成されました。杉並区立公民館創設50年の記念行事を市民企画で取り組み、資料や証言を集めて記録第1集「学びて生きる−杉並公民館50年」が刊行されました。
そのモデルとなったのは『おきなわの社会教育−自治・文化・地域おこし』(2002年)でした。こんな本を杉並でもつくろう、という話が盛りあがったことを記憶しています。まず手づくりで、「杉並の市民活動と社会教育の歩み」の第1号(2006年)、同第2号(2007年)が刊行されました。市民による15人余りの編集委員、ぶんじんもその一人。
このほど(昨年12月)、その第3号(B5版、268頁)が見事に完成しました。ここに収録されている報告は、平和と社会教育、子どもと若者、図書館と文庫活動、文化とスポーツ、環境と消費者活動など計57本と詳細な年表。貴重な社会教育・市民活動の地域史です。明日6日、その刊行お祝いの会が(旧公民館の所在地に近い)荻窪で開かれます。
2162号【2009年2月3日】
★<DVD・沖縄の公民館>
「南の風」は、もともと沖縄研究の再開呼びかけ(1998年)、沖縄社会教育の情報や資料をお互いに共有したい思いから始まりました。南風(はえ)へのこだわり。その後だんだん拡がって、最近は中国や韓国など東北アジアの動きも盛り込み、、海を越える面白い交流ネットが形成されてきたようです。1980年代初頭、研究室に初めて留学生を迎えた頃から考えると、隔世の感。
しかし、起点としての沖縄からの来信が(近頃なぜか)少なくて残念です。発信者として、せめて初心を忘れないようにと、沖縄の新聞ニュースから拾って「おきなわ短信」を配信したり、竹富島NPO「たきどぅん」HPのニュースを紹介したり、涙ぐましい?努力。「おきなわ短信」は、いま452号。こんなことを書くと、誰かきっと沖縄関連のメールを送ってくれるに違いない、と期待しながら・・・。
昨年の初冬、ある日突然「全国公民館連合会」から話がまわってきて、「沖縄の公民館」取材についての協力依頼がありました。「沖縄映像センター」からメールや電話の取材。沖縄マスコミ当事者に沖縄のことを教えるというのはなんとも愉快!でした。この機会に小林・島袋共編の『おきなわの社会教育』(エイデル研究所、2002)を紹介したり、“日本最初の公民館は?”の質問に、木曽谷・妻籠の公民館について話したり。具体的なところは、名護・島袋正敏さんに話をまわしました。
琉球放送から「人をつなぐ地域づくり」のタイトルで、昨年12月14日に放映されたそうです(「ウチナー紀聞」第529
章「公民館」)。そのDVDが先日送られてきました。妻籠から公民館の1946年写真も提供を受けて、なかなかの出来映え。「主体は地域、住民の活動」をテーマに那覇、名護、西原などの事例が興味深く記録されています。いちど東京の研究会でも観る機会をつくってはどうでしょうか。
2161号【2009年2月1日】
★<天狗の鼻は元気!>
TOAFAEC (小林)ホームページ表紙
→■には、二つの写真を掲げてきました。「風」記事は2日おきに、表紙「写真」は1ヶ月をめどに更新中。やや固い誌面を少しでも和らげたい思い。楽しみつつ、いろいろ工夫を重ね、載せた写真を数えるとかなりのコレクションになります。
年末から正月にかけて、熊野・那智大滝の写真を飾ることが出来ました。きわめて好評。1ヶ月余りを経過し・・・、数日前の更新作業では、温めてきた天狗のお面を掲げました。「ひとこと」のご挨拶として、次のように記しています。
「昨年11月末の喜寿の会に…(略)…堀尾正靱さん(東京農工大学名誉教授)から見事な天狗とお多福のお面、加えて東京学芸大学時代の卒業生「五人娘」(すでに還暦に近い)からは5連の胡蝶蘭を頂戴しました。すでに2ヶ月近くを経過したのに花は華麗に咲き誇り、天狗の鼻も一段とあざやか。花に包まれる天狗の鼻もさぞ嬉しいことだろうと組み合わせて書斎に飾り、皆様にご披露に及ぶ次第です」と。
あらためて皆様に御礼を申しあげます。この新春、とりわけ天狗のお面が発するエネルギーに励まされています。深更、溌剌とした鼻を肴に寝酒のワインを楽しむのは格別の気分。
あと一枚の写真は、幼い孫たちのスナップ。最近はいい写真を撮る機会に恵まれず、童子のときの画像を再掲することもあります。
本号も長くなり、せっかく急いで送っていただいた28日・研究会記録(山口真理子さん)も長文のため次号まわしに。ご了承ください。
2160号【2009年1月30日】
★<モンゴル支援奨学会の動き>
「風」は久しぶりの連日送信です。この10年、ほぼ隔日配信のリズムから、今年に入ってようやく三日目の「風」を吹くゆとり、と喜んでいたところに、「東京の教育状況:現職校長が語ります」(31日)の案内記事(上掲・丸浜メール)が舞い込みました。受信箱に届いていたいくつかのメールを急ぎ編集して本号をお届けすることに…。やや慌ただしく、ご了承ください。
昨日(29日)の研究会・編集会議(報告は次号以降に掲載予定)は今年初めてのTOAFAEC
の集まり。三つのプログラムに多彩な顔ぶれが行き交いました。皆さんそれぞれに忙しく、終了後の「新年会」まで残ったのは4人。楽しく酔って、賑やかによくしゃべりました。
ところで、新年早々に「モンゴル学生支援のお願い」が寄せられました(風2152号、トクタホ)。久しぶりに「モンゴル支援奨学会」の出番です。昨日の会には当のトクタホさん、そして会計の山口真理子さんの顔もあり、詳しい協議の時間はありませんでしたが、基金のなかから4万円の支出をしようということになりました。折をみて会計報告も行われると思います。
振り返ると、モンゴル支援奨学会の呼びかけは2007年10月のことでした。
→■ その節の激励やご芳志などありがとうございました。それから1年あまり。モンゴル留学生たちも「東アジア留学生交流会」を立ち上げ、文化交流や相互交流の企画を開始、「モンゴルの貧しい子どもたち」への奨学支援にも取り組んでいくそうです。そういえば馬頭琴奏者・セーンジャーのコンサートも「モンゴル支援」をテーマにして開催(1月9日)されました。これからの動きについては、また機をみて「風」に報告していただけるものと期待しています。
2159号【2009年1月29日】
★<「ひたすらに平和願えり」>
折にふれてご案内を載せている「原水禁運動(安井家)資料研究会」、1月24日の例会は第49回を数えました。次回は第50回を迎えることになります。ちょうど満4年でもあり、何か記念の集いにしてはどうか、という話が出ています。
安井研究会は、これまでも数回、TOAFAEC 研究会と合同で開いたことがあります。ちなみに2月のTOAFAEC
定例研究会は2月25日(水曜)の予定。この日に、地域からの平和運動、日本の原水禁運動を担ってきた安井郁・田鶴子夫妻の歳月、安井家に所蔵されてきた貴重資料が問いかけるもの、といったテーマで合同研究会を開く企画が始まっています。皆さん、お楽しみに。
安井夫妻はともに歌を詠まれました。それぞれに「永劫の断片」(郁、1977)、「白き風船」(田鶴子、1986年)の歌集が遺されています。田鶴子さんの一首、「ささやかな力と知りつつひたすらに平和願へり母なるわれら」から思いをいただいて、『ひたすらに平和願えり』のタイトルによる研究会この一年の報告書をいま編集中。2月25日の研究会当日に間に合えばいいのですが・・・。
昨夜(1月28日)は、いつもの高井戸で、今年最初のTOAFAEC 研究会(第147
回、新年会)でした。それに先だって、「東アジア社会教育研究」(第14号)編集会議と、新しく立ち上がった「中国生涯学習研究フオーラム」も相次いで開かれました。凝縮したプログラムの1日、関係の皆様で「風」に記録をお寄せください。参加できなかった方から要望もありますので。
2158号【2009年1月26日】
★<新年好!朗報・慶事あり>
今年の1月は、お正月が2度やってきました。あらためて、新年好!のご挨拶を「風」の皆様へ。この1年、お互い元気に頑張りましょう。
東京は旧正月(春節)などまったく暦の中にありませんが、沖縄ではこの数日は町もシマも賑やかな様子。「…“ウミンチュのまち”糸満市の公設市場では、早朝から、旧正月準備の買い物客でにぎわった。」
仏壇に供えるサーターアンダギーなどを買っていたオバアは「孫たちがワッサイワッサイして来るから、“旧正”が一番の楽しみ。たくさんごちそうを作りますよ」と満面の笑み。(琉球新報1月25日記事)
朗報も届きました。渡部幹雄さんから、中野五郎さんが臼杵市長に当選したとのニュース(上掲)。愛称“五郎ちゃん”は、九州大学・院→野津町社会教育主事→野津町長→臼杵市(合併)副市長をへて、この1月20日に市長就任。おめでとう! 1970年代「月刊社会教育」にも「臼杵の公害」など何度か書いてもらったことがあります。
大分合同新聞によれば、新市長就任式では「… (1)市民主役のまちづくり、(2)頼もしい市役所づくり、(3)“協生”のまちづくり―の三つの柱で取り組みたい。全員野球で頑張ろう」と挨拶。「勤務に支障が出ないよう、職員による出迎えや花束贈呈などはせず、就任式も勤務時間外に開いた」とのこと。(1月21日記事)
春節の前夜・1月25日夜、川崎では賑やかな祝賀会が開かれました。「川崎市と富川市にかける虹の架け橋〜小田切督剛さんの富川市民賞受賞を祝う集い」(風2146号案内)。とりあえずHPに写真1葉(下掲)。どなたか当夜のレポートを寄せていただけませんか。
この会の別れ際、韓国(日本希望製作所)の姜乃栄(カンネヨン)さんから、新年を迎えるご挨拶をいただき、ことさら楽しい気分に。
▼小田切督剛さんの富川市民賞受賞を祝う集い(川崎駅ビル、20090125)
2157号【2009年1月23日】
★<もうすぐ春節>
経済成長率の見通しは戦後最低のマイナス2%(日銀)、派遣切りにとどまらず、正規労働者の削減、賃金カットなどのニュース相次ぎ、厳しい年の幕開け。東京は昨日から雨、しとしと降ったり止んだり、楽しくありません。いまやっと陽がさしています。冬の雨にも心なしか季節の移りを感じるところがあります。すぐに春節、楽しく祝いたいもの。
長期予報では今年の“春の訪れ”は例年より早いそうです。春が近づけば花粉の季節の始まり。イヤな毎日がやってきますが、どのようにやり過ごすか、今から避難スケジュールを楽しく?考えているところ。そのために1月は東京を離れずにいたのですから…。
3月中旬の上海訪問(15日〜20日)について,閘北区(行健職業学院)袁允偉さんへ「ご都合伺い」の書簡を出して頂きましたが(黄丹青さん、風2155号)、そろそろ返事が来る頃でしょうか?
風2154号・本欄「閘北区との出会い」で紹介した袁さんの友人、羅李争さんにも「どうぞよろしく」とメールを送っておいたところ、昨日こんな返事を頂きました。
「小林先生:上海・社区教育調査について、閘北区の安いホテルを探します。ほかに何かできることがあれば楽しんでお手伝いします。袁さんとはまだ連絡が取れていません。」(Thu,
22 Jan 2009)
袁さんと調整の上,どうぞよろしくお願いします。そういえば2002年3月のこと、和光大学・小林ゼミの5〜6人を連れて上海を訪問した折、羅さんが(金のない学生たちのために)安いホテルを用意してくれたのでした。7年前のことになります(下掲・写真)。南京に行ったり華東師範大学で“最終講演”をしたり・・・懐かしく想い出しています。
上野景三さんから送っていただいた2001年・上海等「社区教育」調査報告書が届きました。有り難うございました。
▼閘北区・行健職業学院にて。同学院・日本語専攻学生と和光大学・小林ゼミとの交流(2002年3月24日)
左端(後列)袁允偉さん(当時・副院長)、前列は羅李争さん。撮影:小林文人
2156号【2009年1月21日】
★<障害者の権利条例、生涯学習条例づくりへの視座>
いま1月21日未明、ワシントンからの実況(CNN)をみながら書いています。オバマ新大統領の就任式会場となった連邦議会議事堂前の広場は、驚くべき人の海、200万とも伝えられています。オバマ演説も迫力あるものでした。聞き入る人たちの表情、強い期待が伝わってきます。ヘリで去るブッシュ前大統領、議事堂内ホールでは超党派の祝いの昼食会も映し出され、きわめて印象的。席上、ケネディ上院議員が倒れたとのニュースまで飛び出して、驚きました。
話かわって、一昨日(18日)の沖縄タイムスは「障害者の権利条例」に向けての運動を報じていました(上掲)。「人として尊重される、平等に生きる、地域社会で生活をおくる、平等な教育を受ける―など七つの権利」を掲げ、米軍基地や離島の多さなど、沖縄の独自性を踏まえたアピール。先進事例として、「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」があります(2007年施行)。「…誰もが、お互いの立場を尊重し合い、支え合いながら、安心して暮らすことのできる社会こそ、私たちが目指すべき地域社会である。」(同条例・前文)
障害者差別禁止条例であると同時に、支え合い安心して暮らす地域づくりの課題が鮮明、共感!です。同じ視点で、「学びあい、互いに支えあい、ともに生きる地域」をめざす「生涯学習条例」づくりの運動を提唱できないものか、とかねがね考えてきました。
国の生涯学習法制が空洞化しているいま、自治体レベルで、住民が創り出す「生涯学習条例」づくりの可能性を語り合ってみたいもの。教育基本法等の改悪の流れに抗する法防衛論とともに、権利論に立つ積極的な立法論の試みを地域・自治体で取り組むことはできないか。その胎動はまだ見えないものでしょうか。
2155号【2009年1月19日】
★<ホームページに中国資料、思わぬ新年会>
前号の続き。3月の上海「社区教育」調査の日程は、15日〜20日を予定しています。この日程についてご都合はどうか、ぜひ協力をお願いしたい、との依頼文書を上海に差し上げたところ、呉遵民さんから早速の返事(上掲)、有り難うございました。また同文書を黄丹青さんに中国語に訳してもらって、閘北(行健職業学院)袁允偉さんや葉忠海先生(上海市成人教育協会)にも書簡としてお送りしたという経過です。
その中の一文。「…今世紀に入って上海の社区教育・生涯学習が驚くほどの勢いで拡充・発展している動向に大きな刺激を受けています。この急速な展開は、世界の大都市のなかでも稀有の事例ではないでしょうか」と。最近の日本社会教育の混迷・沈滞ときわめて対照的な躍動を実感しています。しかし相手は(沖縄などと違って)巨象のような大きさ、なかなか全貌を把握できないのです。
昨年末から今年の始め、TOAFAEC ・HPに中国(とくに上海)研究報告・資料紹介・案内のページを3本つくりました。黄丹青さんから送られてきた2001年調査資料も早速入力。また「東アジア社会教育研究」第12号〜13号所収の上海関連報告や、呉遵民さんの論文もいっしょに収録してみました。ご覧下さい。
→■ 呉さん、もし掲載を控えるべきであれば、ご一報ください。
最近はHPデータがやや錯綜して、探しにくいところもあると思いますが、「中国」「上海」関連ページから入っていただければ、縦横にリンク出来るよう工夫しているつもり。
折も折、ここ数年会わなかった朱榴芳さん(上海立信会計学院・副教授)が学生を引率して来日。すでに80年の歴史をもつ経済系大学、その日本語学科の中心スタッフ。研究室同窓の江頭晃子さんや山添路子さんにも急遽集まっていただき、思わぬ新年同級会となりました。別用で東京に来ていた張林新さん(烟台)も合流(1月17日夜)。
2154号【2009年1月16日】
★<上海・閘北区との出会い>
3月に予定されている上海調査では、市中心部・閘北(ZhaBei)区を中心にフィールド・サーベイが計画されています。閘北区は人口約80万、「風」にもたびたび登場し、すでに20年来のお付き合い。上海に行けば、必ずといってよいほど閘北区を訪問してきました。
私たちはいろんな人と出会い、また思いがけない地域と出会ってきたのです。振り返ると、30数年前の沖縄、さらに海を越えて上海・閘北との出会い、最近では10年前の烟台など。かけがえのないドラマもありました。
閘北区を初めて訪問したのは1989年、天安門(6月4日)の1ヶ月前でした。上海駅からの路地、露店などが並ぶ道を15分ほど歩いて、当時の「業余大学」へ。働きながら学ぶ社会教育・夜間大学、庶民の街に煌々と輝いていた灯火が印象的でした。案内役はいつも東京学芸大学・院に学んだ羅李争さん。その親しい友人が副校長(当時)袁允偉さんでした。その縁で袁さんも私たちの研究室へ1年の留学。20年を経て昨年3月にはれて院長昇格。そのお祝いの乾杯に閘北区を訪問したことは本欄に書いた通りです(風2119号−11月4日−など)。閘北区との出会いは、羅さん・袁さんという留学生の取りもつ縁から始まりました。
同・業余大学は、2001年に「社区大学」(文教地区へ移転)へ、さらに「行健職業学院」と改名。その後は在職成人の夜間大学というよりも、むしろ短大クラスの新しい職業大学として脱皮。同学院には、閘北区の活発な社区活動センターが付置され、また同図書館に「小林国際交流室」が開設されています。
2001年秋には、TOAFAEC 主要メンバー(10名)で上海・蘇州・無錫等「社区教育」調査を実施した経過があります。新装なった学院を訪問し、図書館前で記念写真(下掲)。このときの調査報告は佐賀大学・上野景三さんの努力によって公刊されています。そこに収録されている閘北区社区教育資料(黄丹青さん作成)は、TOAFAEC・HP
→■に収録済み。
▼2001年秋・TOAFAEC上海訪問団(新装の閘北区社区大学・図書館前、20011010)
前列・右端、袁允偉・現校長、後列(右より2人目)王鴻業・校長(当時)、小林の左は葉忠海教授
2153号【2009年1月13日】
★<上海・社区教育に関する共同研究>
本号は、中国(とくに上海)研究の特集号みたいな構成になりました。昨年12月に立ち上がった「中国生涯学習研究フォーラム」がいよいよ活発な活動を開始したかたち。ご同慶のいたりです。
同フォーラムは、今年3月に上海・社区教育に関する調査研究を企画しています(上掲)。研究経費がとくに用意されているわけではありません。それぞれの自己負担でのスタート。あるのはお互いの課題意識と心意気だけ。研究費が確保できたから研究・調査を開始しようという大学・研究機関の一般常識ではなく、在野の研究者が仕事に取り組む、ある原風景をみる思い。
それだけに、お互いの励まし合いと知見の相互共有が大事になってきます。競いあう相手としてでなく、文字通り共同研究の仲間としての付き合いが始まっています。これからどういう展開になるか、大きな期待は禁物ですが、楽しみでもあります。
また中国の政治・社会の状況のなか、実証的なフイールド・サーベイがどの程度に可能か、という課題もあります。この点も一つの挑戦。
これまでの上海との人的交流の経過から、閘北区をフイールドとすることになりました。閘北区については、TOAFAEC
ホームページに10年ほど前からの交流記録を収録していますし(
→■)、私たちの「東アジア社会教育研究」は、第2号(1997年刊)から、閘北区を取り上げてきました。これまで5,6本の報告・資料が掲載されているのではないでしょうか。最近のものでは、同第12号(2007年刊)「上海閘北区社区教育の過去と今」(王鋼・江蕾)が注目されます。
→■
1月28日「中国生涯学習研究フォーラム」研究会(事前学習会)では、まずこの論文を共通テキストに論議しあったらどうでしょうか。
2152号【2009年1月11日】
★<冬の風の中の若者たち>
東京の夜は寒気しんしん、中天に冬の月が輝いています。昨日(10日)は都心に初雪、とテレビは報じていましたが、もちろん雪景色なく、お江戸は一見のどかな新春風景。かねて案内が届いていた和光大学・旧プロゼミの久しぶりの集いに出かけました。
和光大での最後のゼミ生たちとは、ちょうど50歳の開きがあります。世代的なずれは当然のこと、それを超えて、わいわいと語りあい、飲みあうことができるのは嬉しいことです。「地域を歩く」ゼミ調査で松本や沖縄を旅した思い出話なども。
しかし、それぞれの近況報告を聞いていくと、この世代を直撃している寒い冬の風。厳しい仕事の現実の話が多く、単純には酔えませんでした。もともと競争社会は苦手な皆さん、卒業時にいい仕事に恵まれていなかった若者たち。比較的に呑気に構えていたところに、この1〜2ヶ月に急激に襲った冬の嵐。いわゆる「派遣切り」そのものではないにしても、いろんな様相で若い世代を痛撃している厳しさは並大抵ではないようです。やりたい仕事を求めているのに、明るい見通しを自ら拓けない、それぞれの無念さ。
もちろん、安定した職場に落ち着いている人もいるし、自分のリズムで小説家を志し、あるいは自作の詩を添え写真小品集を出版した人もいます。しかし若者たちの多くを覆う閉塞状況は、由々しき問題だと実感させられました。飲んで語れば、みな元気な笑顔なのが大きな救い。
▼下北沢・沖縄料理・創作ダィニングの店(090110)
2151号【2009年1月9日】
★<正月にとどく訃報>
「南の風」はまだ松の内の気分、ニュー・イヤーのご挨拶や、新年祝賀会(竹富島)など賑やかな雰囲気。韓国・魯在化さんは、冬休みはニューヨークへ。“New
Year Greeting” 有り難うございました。ぶんじんにも「70歳」のお祝い、年齢を若くしていただき、感謝!です。
風・前号に「仕事初め」と書きましたが、「仕事始め」の誤記。「書き初め」などのイメージと重なり、うっかりミスです。訂正初め?です。
ところで、年賀状は懐かしい、旧知の名前との再会。しかし、思いがけない友の訃報を知る機会でもあります。まだ捨てないでいた昨年の賀状を探し出し、「…思わず落とす
ひとしずく…」の心境。
年賀状ではありませんが、旧年末に送られてきた「あきた青年広論」(第95号)は、秋田県青年会館(初代)事務局長・田口清克さんの追悼特集号でした。田口さんとは、青研集会(日本青年団協議会)の助言者として何度もご一緒した仲。なによりも同青年会館が全力を傾注して刊行した『鈴木健次郎集』(全3巻、1974〜1975)は、田口さんの執念の仕事。その過程で、あの独特の秋田弁で、何度も相談を受けたものでした。3巻ともに「あとがき」はすべて田口さんの筆。惜しい人を失いました。特集号の口絵に掲げられている写真の、眉たかく背筋の伸びた若々しい風貌、今となっては悲しい。
あと一つ、お正月の訃報。TOAFAEC 会計の重責を担っていただいている山口真理子さんのお母上は、1月1日未明、94歳の天寿を全うされてご逝去の由。なんと元旦が誕生日とか。入院中の枕頭で「おめでとう」の挨拶をかわして、息をひきとられたそうです。まさに大往生。心からご冥福を祈ります。
*南の風・2101号〜2150号■
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