岩本陽児 ★レディング通信V (2011)
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未入力
▲テムズ河畔、20100108 (撮影・岩本陽児)
■レディング通信VBーナショナルトラスト・カントリーハウス(Thu, 8 Sep 2011 12:14)
*【南の風】2729号
昨6日の自由行動日は、最高気温17度の小雨模様。おまけに風が冷たくて、いかにも初冬の英国らしい、しみじみとみじめなお天気でした。和光生Aくんは朝からダイエー、もとい大英博物館。私は昼からN君とイタリアA君と、テムズ川に白鳥の餌やり。ここは、クロムウェル時代の古戦場でもあります。
さて、パンを撒いてやると、白鳥はもちろん、シジュウカラガンなど雁の仲間、オオバン、かも類が、寄って来る寄って来る。
終わって、川沿いのフットパスを案内して河川交通のポイント「閘門」を見せたかったのですが、あまりの寒さに辟易して、近所のスーパーに。
ここはW社といい、店舗は多くないが品質の良さでは国内トップクラス。値段も上等ですが、「づけ」に出来そうな鮮度の赤身マグロや、珍しい日本製SBカレールウもありました。ほかのエスニック食材も充実で、こちらのやや裕福な客層は、労働者階級に比較して、食への好奇心が旺盛なのかも。私には地元バーク州産エルサンタいちごが大収穫で、これは香気に優れた「いちごの王様」です。私はいちごになって、エルサンタと呼ばれたい・・・。
さて、本日7日は公式日程でした。ロンドン、パディントン経由で、ヒースロー飛行場近くのナショナルトラストのカントリーハウス「オスタリーパーク」を攻めてきました。ここはエリザベス朝時代には、「悪貨が良貨を駆逐する」で知られるトマス卿グレシャムの所有で、英国としては初期の製紙工場もあったそう。その後、初代がロンドン市長や英国東インド会社ディレクターを歴任した銀行家、チャイルド一族の所有となり、18世紀半ばに建築家トマス・アダムによって現在の姿となりました。
なお、このチャイルドは、ロスチャイルドとは無関係で、チャイルド銀行は、現在の英国四大銀行のひとつ、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドの元祖。RBSは、今もチャイルド家の紋章「マリーゴールド」の意匠を使っています。
学生には初めてのカントリーハウス体験でしたが、部屋ごとに熱心なボランティアさんが解説を聞かせてくれました。お召し替えの間ではなんと、18世紀ジェントルマンの舞台衣装を着せてもらったほど。いい思い出になったと思います。
そう、受付で、日本語パンフレットを出してくれましたが、いささか訳文が硬いことを学生が発見。事のついでに「ボランティアで上等な日本語に直してあげましょう」と、学芸員と話をまとめてきました。地下金庫の宝物殿、日本の太刀の飾り方が上下逆だったぞよ。
お雇い家庭教師時代の教室だったある部屋には、床にインクのしみが残っています。手書き壁画の図案の描き忘れも。これらがオリジナルな歴史の現場ならではのメッセージを発しているようで、私は気に入っています。地階のタッチスクリーン番組の進行役が、ウルトラ大富豪の生活を年間7ポンドの給料(ということは、週給2シリングちょっと?)で支えた女中さんとなっていたのも、興味深く思われました。ちなみにここオスタリーでは、高価な砂糖の購入費が年間250ポンドにもなり、代々の一族は虫歯にやられて総入れ歯だったとか。
私はこれまで何度も訪ねているところですが、入り口などの変化もあり。なにより展示やボランティアの資質など、学芸しごとの水準が高くなっていると感じました。がんばっているな。
宿舎に帰って、オスタリー農場のカリフラワーを学生が茹で、ハンガリー差し入れのパプリカ煮込み、いわもとビーフン、インドカレーなどを食べ、飲み、語るうちに、気づけば時計は1時を回っていました。ああ。
あすは自由行動日。1時からレディング市内を案内の予定です。それではまた。岩本陽児
■レディング通信VAー楽しいお酒をたっぷり (Tue, 6 Sep 2011 20:23) *【南の風】2727号
おお、大変失礼いたしました。達者にしております。いろいろあって。
まず、レディングの住まいのこと。小さい子連れの夫婦に貸しているのですが、不動産屋からの月例レポートが来ないのでオフィスに確かめに行ったところ、半年分の家賃滞納が発覚。しかも、だんなが逐電して3月になるそう。
2週間の猶予を与えて、支払い無き場合は・・ということで、もっか様子見なのです。担当の女子社員ふたり、マネジャーからこってり油を絞られたよう。
時差ぼけも完全に取れて、先週金、土とフィールドワークの学生2名もぶじ合流しました。金曜は、私はロンドンに出て絵葉書フェアにて近代日本の資料集めでしたが、晩には学生同伴で家主さん主催のチャリティ・ワインティスティングに参加。ご自宅に40人からの参集で、深夜まで実ににぎやかでした。
土曜は、揃った学生をレディング中心街に案内。夕食は例によって、Sweetney & Toddにてミートパイで歓迎しました。テムズ警察の近く、床屋の隣という最高の立地。もちろん、19世紀初頭のロンドン、フリートストリートの物語のぱくりです。
日曜は一休み。ゆっくり私はキューガーデンへ。遅く起きた学生は、連れ立ってロンドン北郊にあるセント・オールバンズ。昨日月曜は、公式日程の開始で、いざロンドンへ。まず、ロンドンの地勢と歴史についてレクチャー。バッキンガム宮殿に近いナショナルトラスト売店で、学生は会員登録を済ませました。ここは18世紀初頭に地元の篤志家がつくった学校の建物です。それから地下鉄終点の黒人街ブリクストンへ。とても英国とは思えない、けど私にとっては懐かしい街です。学生には肉屋の店頭に尾頭付きのニワトリがぶらさがっていたり、街頭CD売りのおやじが思い入れたっぷりに大声で大音響のスピーカーに唱和していたりする様子など、大いに珍しかったよう。
昼食は初見のガーナ食堂。もちろん、日本のようなサンプルはありません。私がえいやと決めて注文したものは、出てきたのを見ると、(たぶん干して戻して)油で揚げた魚が、よく糸を引いて粘るオクラでとろみのついたスパイシーなスープに浸かっていて、やや酸味あるとうもろこし粉の練り団子がふたつ、添えてありました。それが水の入った金属ボウルと一緒に出てきたのは、つjまり手で食する用。各テーブルの上に手洗い洗剤のビンが置いてあったのは、そういうことでした。20年前に、学寮でカメルーン人エマニュエルに食事をふるまってもらったことを思い出しました。ああ面白かった。
食後、ウィンブルドンに移動。ここは、英国環境保全運動誕生の契機となった、記念すべき場所です。レクチャーのあと、いちごを食べて、公共図書館を見学。それから、都市の新交通として評判の路面電車に乗ってみました。路面電車と言いながら、ときどき時速80キロで走ります。ウェスト・クロイドンにて下車。そこから国鉄列車で、クラッパム・ジャンクション。ここは英国で一番乗降客の多い駅です。
アスコットを通る鈍行列車でレディングに戻り、お楽しみはこれから。かねて準備の塩マス(ファーマーズマーケットにて購入)の塩気を洗い流し、酢で〆たもので握りずし。和光学生がアボカド巻きと味噌汁をこしらえて、旧知のハンガリー人アッティラ、最近この宿舎に来たイタリア人エイドリアンと大宴会でした。学生は、このような交流が出来ることが余程うれしかったよう。私はまたも、楽しいお酒をたっぷり飲んでしまいました。
■レディング通信Vー@英国へ到着 (Sat, 27 Aug 2011 19:14) *【南の風】2720号
いや、涼しいの何の。ぶじ英国にたどり着きましたのでご報告いたします。
前日は例の編集会議で皆さんに壮行していただいて中座の後、夜遅く帰宅してから慌しく荷造り。早起きして家人や猫の玉三郎との別れもそこそこに、成田行きバスの人となりました。車中で、『辞典』見出し英文のチェックを完了し、飛行場にて投函。ロンドン行きバージン航空の機内は満席で、日本での里帰りを楽しんだミックスの子供たちの姿が目立ちました。
飛行機は時々気流にもまれていましたが、大過なし。ハバロフスク近くで見た三つの巨大な入道雲は、上端が飛行機とほとんど同じ高さ。ということは一万メートル級。南向きの窓から見る逆光が、劇的でした。下界はいかほどの降りだったのでしょう。はじめて無料映画を6本も見て、一睡もしないままロンドン到着。機長の最終挨拶がふるっていて「弊社をご利用いただき、ありがとうございました。私たちはお客様を選べませんが、お客様が私たちを選んで下すったのであります。今後ともご贔屓に・・」。こういうのを、日本人乗務員は日本語にしてくれません。
入国審査場。もと、英国民でない人が並ぶ看板は怪物映画と同じ「エイリアン」となっていました。英国人の世界観を見るようで、とても興味深かったのですが、いつの間にかあり来たりの「その他の国々」。ただ、チェックが厳しくなっていることを感じました。行列がなかなかさばけず、預け荷物を取りに行ったら、すでに全部コンベヤから降してあったほど。
ロンドンは晴れ間の覗く小雨模様で、気温は15度。でもやっぱり、半そでTシャツの人が外を歩いています。それを驚くでもなく、お盆過ぎはいつもこの冷え込みだったなあと思い出しながら、ヒースローバス中央発着所へ。先年一本化されて、レディング便は却って不便になりました。もとはターミナルビルから発着していたのに。
レディング行きの高速バス代は片道17ポンド。前々から高価だったことに加え、ひところの倍額ですが、車内でインターネットが使えます。車窓のウィンザー城は女王不在と見えて、旗が揚がっていません。レディング駅近くのスーパーでいちごと「夜のうがい薬」を購入。話好きのレジおばさん、健在でした。かさばらない荷物だったので路線バスを利用することにして、市内南部一週間切符を求めたら、なんと13ポンド。覚えている人も少なくなりましたが、元々は3ポンド20。ただ、日本では見ない電気ハイブリッドエンジンの新車で、なんと無料インターネットつき。英国社会の目指すものが分かるようです。
お宿は、先年、六か月滞在した、懐かしの宿舎の同じ部屋。美しい虹が出迎えてくれました。ご近所の家主さんを訪ねたら、ジェイムズは手作りのガレージをほぼ完成させ、庭造りに精出している最中。ご近所ねこだった猫の「ねこ」は、晴れてリチャードソン家の人に。あと半年でお子さんが生まれたら、たいそうにぎやかになりそう。
宿舎には、ハンガリーのアッティラがいて、たいそう懐かしがってくれました。つい最近里帰りしたそうで、各種のベーコンや果物の強いお酒パリンカを出してくれて、ジャガイモとベーコンの煮込み料理で乾杯を重ねた次第。マルタ大学のナタリーも滞在中。部屋の調度も元のまま。いっぺんで、お懐かしやモードになりました。
竹富の教科書ニュース、ひとまず安堵しています。↓
http://www.asahi.com/national/update/0827/SEB201108270001.html
→■
*三国(日中韓)国際交流・上海国際フオーラム記録→■
■紹興・上海レポート(最終回)−最終日・雨の上海にて (Wed, 1 Dec 2010 19:239≫
11月30日。今朝はおだやかな雨降りで、街路のホコリが静まりました。ゆっくり休み、8時半すぎて食堂に行ったところ、がらがら。先客は2名だけで、ブッフェの料理はほとんど手付かず。5分後には私ひとりになりました。飛行場への車は貸切。雨で「いつでも・どこでも渋滞」となり、着くのに昨日(29日・見送り)よりも時間がかかりました。きのう私を上海動物園まで送り届けてくれた親切な運転手さん。「動物園、面白かったよ。象がいて、パンダがいて…」まではよかったが、後が続きません。お隣の国の言葉も出来ないとはつらいなあ、ここは英国ではないもんなあと、恥じ入ったことです。
さて、昨日(29日)月曜のお話。世界的に馳名のこの動物園は、時のたつのも夢のうちで、一周したらすでに4時半の閉園間近だったほど。とにかく広大で、家族連れや若い男女でにぎわっていました。金糸猿<キンシコウ>の小猿が私には珍しく(たぶん世界的にも珍しい)、母猿は観客が投げるピーナツを片手で受け止めるのが上手、父猿はまるでへたくそ。ガラス越しながら間近に見たゴリラは、迫力がありました。上半身の発達と来たら、プロレスラーでもかなわないのでは。普通めったに見られない掌、足の裏まで、惜しみなくみせてくれました。
園内ところどころには遊園地の施設。観覧車までありますが、見事なくらいお客がいません。ひまな切符売りのおばさんが、私が野良猫写真を撮っているのを見て、魚の煮たのを撒いてくれました。親切な人です。集まったのはつごう7匹。一匹だけボブテイル。食堂も何軒かあり、試みに入ってみました。ご飯に宮保鶏丁とスープを頼んだところ、出てきた分量にびっくり。スープなど、たらいが来たと思ったほど。数名でシェアする用だったのですね。もったいないので、時間をかけて完食。
ワンつくがにぎやかなぺット動物園では、なんと猫に値段がついていました。「摺耳猫(スコティシュフォールド)」は「立耳猫」の3倍で、5000元もします。カワウソもオッターのですが、あちらの陸上でみいみい鳴いてオッター。背伸びして見たら、ごろごろしてオッター(これは、黄丹青さんジュニアの書剣君向けのダじゃれ、英語わかるかな?)。サギの展示は池の脇の鷺山そのまま。野生の個体が混じっていても分かりません。パンダは相変わらずぐうたらで、例によってぬいぐるみそっくり。猛獣たちには、檻の代わりに広々とした空間があてがわれていて、すぐれた展示。折から雄ライオンがテリトリーを巡察中で、びっくりするほど盛大なマーキング。遠くから見るだに、猛烈に臭そう。機会があれば、またたびで慰労してあげたいと思いました。
金魚の展示は、本家中国ならではかと。(日本の動物園で、錦鯉の展示をしているところがあるかどうか、私は知らないのです)。左官やさんが瓦屋根を葺く様子や、落ち葉集めのカートを引っ張る昔懐かしい「テーラー」を、ビデオに収めることが出来ました。
ところで、「餌やり禁止」の注意書きはあるのに、観客による餌付けがとまりません。ピーナッツ程度ならまだしも、飴かなにかを個別包装のまま投げるのは、いけないなあ。教育館の近くにキリンの剥製が立っていて、これは横浜生まれで横浜から贈られたキリンのはま子、もとい”海浜”。「餌付けのプラスチック袋が詰まって苦しみだし、懸命の手当ての甲斐なく胎児ともども絶命した」ことが、ものすごく哀感のこもった碑文になっていました。(さすが、中国人は漢文の達人!)。しかし、誰も見ない様子。社会教育施設なのに、来園者は遊覧施設と思っている。このギャップを埋める作業が今後の課題と見ました。
さて、都心に行こうと動物園前の地下鉄駅の階段を降りたら、実はまだ開業前。上りエスカレーターが動いていたのは、さては試運転だったな。で、駅員に教わった通りに隣駅まで歩く途中、引退幹部の養老院前を通りましたが、すごいったらもう。きっと中は別世界なのでしょう。それから、最新の地下鉄を利用して南京路東駅で下車。20分ほども乗って、運賃4元でした。
うつくしい若い女性と河畔を散策した前の晩と違い、一人歩きはまことに庶民的。まず、小さなお茶店で、我らがキム・ボランさんと同じ1983年生まれのおねいさんにお茶を各種淹れてもらって、茶飲み話。83年にここ上海でお茶を買ったときの話をして聞かせたり、お茶の特徴をあれこれ聞かせてもらったり(中国では上海に限り水が悪いので、このお店ではお茶はミネラルウォーターとか)。さらに骨董屋・かに屋を冷やかしたり、現地人向けのしもた店で買い物をしたり。晩飯は、お昼の轍を踏まぬよう、蘭州大衆食堂の刀削麺。12元なり。店員は朝鮮族らしく、お客もバイリンギュアル。
上海では21世紀の今も、シュウマイ屋や焼餅屋など、マイクロ商店が健在と知り、うれしくなりました。路地ひとつ入った薄暗いところに、露天の野菜売りがいたのには驚愕。世界的な繁華街と住宅街が共存しているのは、当局のまちづくり政策が機能している証拠。かつてバブル時代に「地上げ」を許した日本とは違う。尊敬すべきことです。(もうひとつ、中国に関して私が尊敬しているのは、庶民レベルのこと。尾篭で恐縮ですが、お手洗いで使用後の落とし紙を紙くずかごに入れる習慣がそれ。流さない分、下水処理で発生する汚泥が少なくて済みます。ああなんと「環境にやさしい」のだろう。日本国は、水洗導入時にせっかくのタイミングを逸してしまった。)
おしまいが、お楽しみの本屋さん。福州路を通り過ぎて行ったり来たりしたため、くだんの巨大書店にたどり着いたのは8時前。一時間ほどで閉店でしたが、堪能しました。上階から順に降りて、1階で支払いの段になって、声をかけてきた紳士は、香港の人。私が日本人とわかると、日本語で話してくれました。なんと神田のタキイ売店の蘭展で二等賞だったそう。私の買い物かごに蘭の本が何冊かあるので、同好の士と分かったと言います。「タキイは閉店したけど、横浜の坂田の売店は健在」とか、あれこれお話だけで、名刺交換をしなかったのは失敗。帰りは宿舎まで、タクシーで25元。使いでに関して言えば、一元は、日円100円にも相当するかと思ったことです。
夜、ようやくゆっくりと中国製テレビ番組を見ていて、ひとつ気づいたこと。ドタバタものは日本風ながら、まじめな歴史ものに関しては、西洋のドキュメンタリー作法を踏襲しているようなのです。即断はできませんが、後発のメリット。いいとこどり。あなどれません。
人民中国ならぬ資本主義中国の、この躍進ぶり。古代文明が栄えたところで、現在これだけの繁栄を謳歌しているところは、地球上にも他に類例がなさそう。珍しいことだと思っています。
■紹興・上海レポート(8〜9)−施設見学・交流会
*上海市・長寧区(11月27日午後)、
上海開放大学(11月28日午前)、上海市・普陀区(同午後)見学
未完
■紹興・上海レポート(7)−国際フォーラム第2日
(Sat 27 Nov 2010)
【南の風】2549号 2010年12月8日(前号に続く)
第2日目(11月27日)。第一報告者・張先生77歳は、学習の「習」の重要性を指摘しながら、連環する学習の原理を述べました。佐賀の上野さんは、ここ30年の日本の経済状況にも触れつつ、消費的な生涯学習(政策)の失速を紹介したあと、沖縄などの事例に言及して今後の方向性を提示。プサン大の李ピョンジュン氏は、セマウル運動以降の韓国学習組織(サークル)の歴史を紹介し、分類のうえ、福祉と教育の類縁性と相違点を示し、最後に教育価値と経済価値が衝突を起こしていると現状を分析して、サークルの学習の連環モデルを示しました。
お茶のあとの午前第二部は、上海開放大の王民報告から。いつでもどこでも誰でも学べる基盤づくりとして、デジタル化に注目し、jデータベース情報の活用法をモデル的に分類。ソウル大の姜さんは、1999年の平生学習都市宣言いらい、2007年までに76市が指定を受けたとの国内背景の紹介のあと、ソウル特別市の冠岳区の、ソウル大とも連携したとりくみ例を報告。
筑波大学の上田報告は、2003年改訂教育基本法以来の「知の循環型社会」を批判のうえ、社会教育学会の「学びあうコミュニティ」構想を紹介し、それへの期待を述べました。
ひきつづき閉会式。協定書署名のあと、葉先生の指名で挨拶に立った小林先生は、韓国の躍進、中国の発展、日本の低迷?模索?と、3国の違いがはっきりしたこととあわせ、各国に共通する課題として、自治体の役割と「地域」の重要性が明らかになったこと。さらに、いったい学習・まなぶとはなにか、学びあいの共同体への検討が今回の会議で行われ、そのための立法(条例)の課題が明らかになったとの指摘と、専門職への期待が述べられました。お互いの課題を三国間で深めていけることへの期待で、挨拶を締めくくられました。
突然のご指名だった韓国の金先生は、このシンポジウムが中国の組織的な動きで無事に終わったことへの安堵と、従来の韓日関係に加えて中国との交流体制が整ったことへの期待、通訳の仕事ぶりへの感謝などが述べられました。葉先生は最後に、通訳や中国の裏方、中国成人教育協会と会場校へのねぎらいと感謝の言葉のあと、閉会を宣言しました。
■紹興・上海レポート(6)−国際フォーラム第1日
(Fri 26 Nov 2010)
【南の風】2548号 2010年12月6日(前号に続く)
からすカーと鳴いて朝(26日)。7時半の食堂に日本人の姿はありませんでしたが、しばらくして石井山さん、内田さん。次に黄さん親子。
国際フォーラム第1日(26日)。9時からのシンポジウムは、例によってお歴々のご挨拶が続き、のっけから時間は押し気味。記念写真(下掲)とお茶のあと、中国の協会会長先生による第一報告は、私の理解力不足であまり感動しなかったのですが、石井山報告の後半には、韓国の「人文学」に通じるものを感じ、金南善氏の報告で言及された、平生教育の学習者が高学歴・高収入グループに偏っていること等の批判的な自己分析が興味深いものでした。日本の社会教育にいま必要なのは、こういった分析かもしれません。(ちなみに昼どきに、石井山さんに訊ねたら、富川イ・ウォンドン論文の影響があるかもと。なあんだ。)
伊藤長和さんに続き、お昼には上野景三さんも合流。2時からの午後の部では、韓国や中国・慈渓市の、単位銀行の意欲的な取り組みや、韓国・台湾を参考に福建省で導入された「終身学習促進条例」その後の報告。福建の「促進会」の取り組みは、ひとつの社会運動のようです。内田純一さんのお話、外国の方にどう受け止められたのか、お楽しみ。
葉忠海先生の報告は、これまたスケールの大きな、中国らしい、中国ならではの話だと思いました。韓民さんのコメント(3国独自の特徴:中国は制度建設、韓国は人の能力重視、日本は学習内容と問題解決は、違った段階を現していること。学習社会づくりに対し、協同型学習の重要性を指摘)は、正鵠を得たものでした。(続く)
■紹興・上海レポート(5)−紹興から上海へ(Fri 26 Nov 2010 USB)【南の風】2547号 2010年12月4日
紹興3日目(25日)。ホテルのビュッフェで、豪勢な朝食。おかゆ2種、マントウに麺まで欲張りました。食後は腹ごなしにゆっくりして、10時の出発まで部屋でぐずぐず。ビュイックのお出迎えにて、まず黄丹青さんのお母さん、妹さんと一緒に、おばさんの家を訪問。農村地区の観光開発に伴って、移転先として造られた社区の、築10年というアパート群の一角にありました。入ると20畳ほどの広間。正面は大型テレビで、風格ある唐木家具が配されています。奥には台所。ガスコンロ2口、流しもダブルシンクで、機能的です。天井灯カバーの月星模様がラブリー。さらに西洋便器のバスルーム。ここはフラットではなくて、ニスの木目の美しい手すりで上がる2階には、ベッドルーム3つとシャワー付きトイレ。家具は作り付けにするのが中国の習慣と習いました。3階は人に貸していて見学出来ませんでしたが、2階と同じ間取りで3人居住中とか。窓の鉄格子は意匠を考えてあって殺風景でないもの。裏にはバルコニーや石で出来た盆栽棚も。その辺を歩き回りたかったのですが、時間がなかったのはあいにく。またおいでということなのだろうなあ。
車で、郊外にある黄さんのお父さんのお墓参り。魯迅研究者だったお父さんのこと、前からいろいろお話を伺っていたので、線香持参でお参りがかない、願がほどけました。山の植生が日本の暖地とほぼ同じで、ハゼ、ウラジロなども。往復の道すがら、ススキの葉を指に挟んで飛ばす遊びを若い人に伝授して遊びました。
黄さんの妹さんが午後授業のために帰り、それからお母さんを、老人福祉施設に送り届けてお別れ。ここは日本の施設が恥ずかしくなるくらい、巨大で充実した市立ホームで、管理は外郭団体。それから、いよいよ紹興駅へ。
<25日・上海到着>
荷物をレントゲンに通して入構。待合室の広いこと。しかし、そこは中国。利用客のほうが数が多くて、ほぼ満席の混雑ぶり。これで紹興にしばしの別れ。車中で、黄さんがかねて用意の本場「粽子=ちまき」やサトウキビをいただいて、しばらくするともう上海虹橋の終点。お迎えの羅さんとどんぴしゃりで落ち合い、ただちに車で上海外語大学へ。前回の上海が2004年でしたから、6年経つのの早いこと。
夜は韓民さん(北京)も合流して、袁校長(閘北区学院)招待の歓迎レセプション。忘れたころに登場の、大きな上海蟹に驚喜。上海紹興酒に舌鼓のあと、ぶんじん先生のお部屋に三々五々集まって。難しい3国会議を終えた石井山さんが、紹興から買い求めた紹興酒を宿舎のプラハンマーで「かがみ割り」。すっきりした味わいに酔いしれつつ、いろいろなお話をしているうちに、時間は深更2時過ぎ。
2リットル半入りのつぼのナカミが残り少なになってしまいました。翌朝参加の伊藤長和さん、ごめんなさい。(続く)
▼前列左から2人目・袁校長、後列2人目・韓民さん(2010年11月25日夜、上海外国語大学迎賓館にて)
■紹興・上海レポート(4)−紹興二日目夜(Thu 25 Nov 2010 USB) 【南の風】2546号 2010年12月2日
24日夜は旧市街の南端、会稽公園の中にあるレストランに、黄丹青さんのお母さん、妹さんはじめ、故お父さんの教え子などが集まって都合14名。会社の社長さんや銀行の副支店長、お医者さんなど揃っていて、実に盛大なパーティとなりました。例によって乾杯の応酬。「戦争ものが繰り返しテレビで放映されていることを、日本人はどう思うのだろう」との話題も出ました。
私は、日本人の健忘症こそヘンなのだと思っているくちですが、中国の文化・文明を理解する能力は不十分ながら、そのすばらしさに感嘆することは多々(たとえば、今日、周さんちの炊事場で見たなべ蓋の、取っ手の曲線の美しさ!)。こういう国にかつて戦争を仕掛けたのは、帝国臣民の民度が足りなかった所為かとも。教師としての立場でいえば、隣国の文化を尊敬できる程度の文化水準にまで、学生を育てることが出来ればなあと考えます。
黄さんの計らいで帰途、コンイーチー(孔乙己)の人形のある店に立ち寄り、紹興酒とウイキョウ豆を購入。で、紹興飯店に戻り、部屋にいく通り道の「美容美髪室」で思い出した昔話ひとつ。私が大学二年だった1983年夏。私は中国語を受講していなかったのに、岩佐先生の引率で中国に行きました。初めての外国旅行。その時の同級生が、それ以来、外国で床屋に入ることを覚えたというのです。で、入ってみました。
スタッフは私より若い女性二人。片言の中国語でこちらの要望を伝えたつもりなのに、若い方がいきなりシャンプー。あらら勘違いされた?と不審がっていると、さらにシャンプー液を追加して丹念に洗った後、ぼんのくぼなど、気持ちのいいところを指先でグイグイ。うー極楽。水洗のあと、タオルを巻きつけて水気をふき取るまでが最初の人のお仕事。今度はもう一人が髪にはさみを入れ、次にバリカンで調髪という段取りでした。洗髪だけでなくてよかった。で、最後にすすぎなのですが、流しにお辞儀をしてお湯のシャワーで洗ってもらっている時、なんと「カーッ、ペッ」。
かくて、旅の土産話がもうひとつ。床屋に入ってよかったと思いました。で、料金50元なり。めでたし。(続く)
■紹興レポート(3)−紹興を歩く (Thu 25 Nov 2010 USB) 【南の風】2545号 2010年12月1日
24日その2。昼食は運河に面した、橋のたもとの食堂で、テーブルを外に出して地元料理。炒め物に入っている大型菱の実が珍。きゅうりの(ヘタ落ちならぬ)ヘタ付や、糸瓜炒めも美味。ここで、デジカメの電池があえなくダウン。
よく日に焼けたご老人がじっと羨望のまなざしでこちらを見つめていたのは、おもらいさん。小銭では退散せず、私たちの食事が済んでOKが出ると、さっそく食べ残しの麺を持参の容器に移していました。環境にやさしい生活。船頭が櫓を足で操る川舟は、見ていて実に器用なもの。両手で櫓をこぐ和船の比ではありません。どうやって習得するのか謎めいています。これも炭酸ガスの排出は呼吸だけ。やはり環境にやさしい。
革命に殉じた秋きん(玉偏に菫)が教えていた「大通学堂」には、清末の革命家たちを顕彰する展示がありましたが、図録がないのが残念。彼女が処刑された解放北路の記念碑は、T字ジャンクションのロータリーで、あの交通量。一人だったら頼まれても道を渡りたくないところ。
旧市街を東に行った「八字橋」は、川の合流点にやりくり算段して複合的な石橋が架かっています。路面の一本ものの石材の大きいこと。一帯は古建築の多いところ。紹興の伝統建築は、貴賎を問わず、薄手の屋根瓦をみっしりと重ねて使う特徴のようです。伝統建築の屋根瓦がつくるスカイラインの、リズミカルな美しさいったらもう。
今日は車のおかげで短時間に効率よく回れましたが、時間の許すときに、地図を片手に散策するのも楽しそう。(続く)
■紹興・上海レポート(2)−紹興二日目(Thu 25 Nov 2010 USB) 【南の風】2544号 2010年11月30日
翌24日。朝6時前に目覚めたあと、ゆっくり二度寝をして9時半。黄さんの広い広いネットワークのおかげで、本日は、終日、水都紹興のいいところを見て回れる、お楽しみの日でした。自動車修理会社の社長妻馬さん・金さんが交代で車を出して下さり、妹さん(黄新天さん)と同級生・同僚だったラジオ局ディレクター王紹雁さん(DVD「紹興−名城的二千五百年」編集)が終日ガイド。
さっそく、魯迅の周一族の高級官僚屋敷見学にはじまり(ここは入場無料のかわりに、一日の訪問者を4000人に制限。東北、吉林ナンバーの観光バスも来ていました)、魯迅記念館、さらに、臭くない「三味臭豆腐」をおやつに一服してから、旧市街の古風なコミュニティを散策。オフィスに転用された金持ち屋敷の中庭には、立派な文旦がいくつも実っていました。それから魯迅生家、百草園、清末の塾「三味書屋」博物館。すごい。しかも、黄さんのおかげで積年の疑問だった中国のお金持ちの<お便所がない>伝統住宅の謎が解けたのは大収穫でした。冬はさぞ寒かったでしょう。
ランブータン売りのおばさんは昔懐かしい棹秤を使っていました。それにしても、黄さんのデジカメ、一体どこに行ったのでしょう。
TOAFAEC 非営利文化旅行会社の夢も佳。
民家に黄さんが声をかけてくれて、庭先でアヒルの下ごしらえ中の71歳おばさんの話を聞いたり、路地の日当たりに棒を立てて布団干し、刻み野菜の乾物や移動させながら乾かす白菜干しに感心したり。旧市街は、お年寄りが楽しげ。運河に通じる四軒家の中庭では、おばさんが数人で編み物をしながらおしゃべりに興じていました。黒フェルトの紹興帽子は35元なり。旧市街の小路では、日本では今どき見られない、ごく小規模店舗が健在でした。これと、外資を導入した巨大資本のマネーゲームが、いまの中国では並存しているのだなと妙に感心。
(次号に続く)
■紹興・上海レポート(1)−紹興の夜(Wed, 24 Nov 2010 09:30) 【南の風】2543号2010年11月25日
11月23日、早起きして雲の低い東京を後にして、午後、予定時間よりもやや早く、上海虹橋飛行場に降り立ちました。なつかしい羅李争さんのお出迎え。タクシーで10分足らずの鉄道駅は、滑走路の反対側にある巨大な空港の新ターミナルに隣接して、これまた巨大。空港ビルに類似の建築で、鉄道駅のくせに入口でエックス線検査を受けて入場します。
後楽園球場がいくつか入るほど広大な空間が、ワンフロア。メインの構内に売店がなく、資本主義国で営利活動の場となっている公共空間を見慣れた私にはとても新鮮。それにしてもこのスケールと来たら、今朝方はじめて見たばかりの出来立て、羽田新国際ターミナルビルが実に気の毒になったほど。世界の資本主義のフロンティアは、いまや中国です。
時間まで、椅子に掛けていると、おもらいさんが一人。あいにく中国元を両替していなくてごめん。その日本語が耳に入ったのか、隣席のおやじさんが英語で話しかけてきました。スイカの種(瓜子)の食べ殻を、床に散らかさないよう丁寧に左手に受けている様子を、私は興味深いなと思っていたこの親父さんは、同じ列車で終点・福州に帰省するところ。五千トンの貨物船の船長で、日本には仕事柄よく行くそう。船乗りだったか。道理でよく日焼けしていました。東京と横浜の間にある川崎を知っていて、うれしくなり、時間まであれこれ世間話。
列車はこのごろ開通したという新幹線。従来、車で3時間半だった紹興まで2時間そこそこ。和諧号とは、ハーモニーということでしょうか。こだま号のようなもの。乗り口が車両の中途にあり、椅子が片側12、反対側は6列で、それぞれ座席は4つずつ。なので、車両当たり72席。16両編成だったので、約千人乗れる勘定です。最高時速
248キロ。途中駅の停車時間は1分きっかりというところ。紹興に降りた後で、私たちの乗っていたのが一等車だったと気づきました。おお。
ロビーに生演奏の筝曲が流れる典雅なホテル「紹興飯店」に荷を降ろして、2時間ほど休憩。といって、そのうち1時間はひとり、夕闇の町を散歩。車が右の交通システムに面食らったのか、地図を持ちながら東に行くつもりがなんと西に行ってしまい、庶民的なスーパーで道を尋ねて、無事帰ってきたのでした。途中、眼鏡屋のショーケースに飾ってあったランは、花はなかったけれど、私の目に狂いがなければ一茎九華かと。(ホテルのロビーのは、広葉オリヅルランに、胡蝶蘭の造花が挿してありました。ああ驚いた)。
それからがすごい。黄さんに案内していただいた魯迅ゆかりの店。はじめ、黄さんのお話を聞いても要領を得なかったのですが、店頭の「ウイキョウ豆」と「コンイーチー」で30年前に読んだ文庫本の舞台であったと、シナプスがつながりました。そうだコンイーチー。松枝訳だったかなあ。うわあ。やっぱり夢のよう。
昔ながらの店先はそれは風情のあるものですが、奥はいま拡張して広く、ガラス棚に美味しそうな「酒の肴」がずらりと並んでいます。ウイキョウ豆のほか、俵豆の塩茹で、アヒル肉、鶏肉の粕漬け、よっぱらい蟹、トップを外した小タニシ、乾燥したインゲンの煮含め、川えびの塩茹で、タケノコきのこスープなどを注文してもらいましたが、ヒユ菜の茎のクサヤもあり。
かように古風な郷土料理の店で、食器には創業の年号1894年が呉須で書いてあるほどですが、注文方法ときたら最新式。まず、ホテルのようなカウンターでプラスチックのカードをもらい、それにお金をチャージします。次に、ガラス棚の向こうの店員に注文すると、その場で、大学生協のカフェテリアよろしく、ステンレス容器から気前よく盛って、トレーに並べてくれます。それを受け取って、「スイカ」の自動改札のようなリーダーにカードをかざすと清算される仕組み。しかも、引いた金額を音声で読み上げてくれる親切ぶり(フロアの段差は別の問題ということに)。最後には、カードを返して残金を清算。もちろん、すべて黄さんにやっていただきました。新旧の共存。まるで、こんにちの中国を象徴しているかのよう。ああ驚いた。
ところで、紹興の紹興酒のうまいのなんの。今までの人生で飲んでいた紹興酒は、あれはいったい何だったのだろう。そういうことならいっそ、紹興酒の甕になってしまいたいと思ったほど。じつは、散歩のときに、庶民的なスーパーでうるわしげなカメコがお手ごろの値段で売られているのを見てしまったぞう。さらに帰途、小林先生がマントウを買いにと立ち寄った別の料理屋では、紹興酒の「鏡割り」を実見。ああ。
日本に持ち帰るのは無理としても、せめて上海で、石井山さんや李さんと酌み交わしたいなあと心動かされています。そんなことを話したら、「今度みんなで紹興に飲みに来ればいい」と小林先生。今日の記事を10行ほどで、と言われたのに、例によってまた長くなってしまいました。
ps、紹興の夜は湿気が多く、意外に底冷えがすることを発見。まるで、イギリスより冷えると評判の、川崎市麻生区岡上のよう。
もひとつ。黄さんの以前のご教示では、紹興あたりで食べるお米は日本と同じ短粒米とのことでした。ところが、庶民的なスーパーで売られていたのは2種とも長粒米(もち、うるち??)。さらに、コンイーチーで供されていたのは短粒米。謎はいよいよ深まります。
(次号に続く)
■ 山東省の旅(4) (Date: (Sun, 30 May 2010 08:22) 【南の風】2445号 2010年6月1日
四日目(土曜)と最終日。
例によって7時朝食、8時出発。泰安から青島に向かう。途中で、博物館見学。
最初は「斉国歴史博物館」(館内には、斉国古城遺跡博物館との表示)。廊下部分は内装にジュラルミンがむき出しになっていたりする殺風景な建物だが、展示品ときたら。有名な青銅獏(?)の酒器や、56キロもの目方がある方形の青銅鏡、刀子銭の鋳型など、あごが外れるほど超一流。英国や日本の博物館が、軒並み、子供の教育にシフトしているが、古風な展示で潔い。斉国人の生業を小型の人形にして表現したモノトーンの展示がラブリー。
かたや売店は商売っ気たっぷり。結構な価格の図録を二冊求めたが、青銅鏡のも求めておけばよかった。庭先の芍薬が美しい。複色でいろいろ。未選抜の実生苗を植えつけたらしい。販売があるのだろう。
次は「東周殉馬館」。馬を二列に、つごう百頭余りもみっしり並べて埋葬したものを、発掘した状態で透明なフタをかぶせて展示してある。ウマノホネには、保存処理は特には施していないよう。ガイドの王さんによれば、水に酒を混ぜて飲ませ、馬がノビたところで、形を美しく整えて埋葬したというが、そんなに馬はお酒に弱かったかなあ。実際は大流血の大惨事だったかもと想像する。
それにしても、古代王朝の”権力”を目の当たりにした思い。前庭のギボウシは、姿や葉色からするとタマノカンザシ?一重か八重か、花を見たいもの。
昼食は、この界隈でも有名なレストランという。背丈ほどの巨大な掌状をした紫水晶の晶洞(ガマ)や、ぞうさんの形の水石など、100キロ超級の飾り石が陳列してある。経営者が趣味家らしい。そういえば、入り口両側の獅子狛犬は、ライオン。阿・吽のポーズで珍。
最後が「中国古車博物館」。入り口の看板は達筆で右から左に書いてある。上階は、古代から清代までの車ものの通史をレプリカで展示。史料価値は皆無。しかし、階下には埋納した戦車と馬の発掘現場をそのまま保存、展示してある。馬は青銅のくつわを噛んでおり、馬のマスクには指頭大のタカラガイが縫い取られていて、保存状態がよい。
非常に臨場感あふれる展示で、高速道路を通る車の、通行音と振動が、真上から鈍く響いてくる。文化財保護の究極の姿というべきだろう。盛り土を厚くできなかった?
地上に出て、改めて呆然。高速道路の向こうに、対になった博物館の建物が見える。やはり究極の博物館だ。かような現地保存、世界にも類例はないかも。
この近在の都市ZIBO<鯔の魚偏がさんずいに博>は工業化著しく、もともと晴れがちのところだったのだが、世紀末いらいスモッグに覆われて、晴れているのに太陽がどこにあるか分からないことが多いという。そのせいかどうか、私はこの日いらい、喘息もちか気管支炎のようにしばしば咳き込んでいる。
それでもバスは走る。暗くなる時分に青島着。海辺の最高級住宅地の一戸建ては、99年のレンタル代が7億円以上とか。月割りにすると百万円まではいかないとは言え、これが社会主義国だろうか。
レストランに入ると、タイル貼りのプールにアザラシが泳いでいた。ここは海鮮料理で有名なところ。広い「個室」の食卓は、電動式ターンテーブルで、右回り。右利きにはお皿のものを取りにくい設計。アカニシ、ツメタガイのボイルを食べたのは約40年ぶり。海鮮もののほか、北京ダックの元という山東ダックを、皿に美しく盛り付けて出してくれた。
明日は帰国。お別れのスピーチを交わし、数日の旅程を振り返って、しばし旅愁に浸る。その後、9時の閉店まで、青島ジャスコの大型店舗で30分のお買い物。クレジットカードでもたもたして、結局、ガイドの王さんに救援してもらったが、この間、親切で美しい女性店員がつききりで応対してくれた。中国の変わりようを実感。
翌朝、最終日は、6時20分から食事で、早発ち。7時過ぎの青島は、犬の散歩姿などを車窓に見た。霧の多いところというが晴れ間が出た。「青島の子供は星を見ることがないが、今晩は星が出るかも」と、ガイドの王さん。
飛行場では、花の着き方が上下逆という謎の胡蝶蘭が、実は本物に混ぜてある造花であることを確認。乗り換えのソウル仁川空港で、6時間の長い長い飛行機待ちのあと、ついに成田に到着。当てにしていた新百合ヶ丘へのバス便が、週末ダイヤでもう終わっていることに驚くも、バスで横浜に出て、旧国鉄と小田急線を乗り継いで帰宅。ちょうど、日付が変わる時分。長い一日だった。
■ 山東省の旅(3) (Wed, 26 May 2010 21:54) 【南の風】2444号 2010年5月29日
三日目(金曜)。7時朝食、8時過ぎに宿舎を徒歩で出発。まず、聖廟参詣。門前、壁を背に無数のみやげ物屋が並んでいる。孔子様の時代から二千年あまり、今なおかくも多くの人たちの生計を支えているとは、いとありがたき聖徳なり。境内は松柏の喬木のおかげで、意外に緑が多い。そこで羽ばたくのがゴイサギ、コサギなどのサギ類。地べたが白くなっているところは特に、頭上注意だ。
大成殿の手前の奎文閣 はもと図書館。焚書に一か月かかったと聞かされる。不意に、本を失った図書館の悲しみと無念が押し寄せて、胸が塞がれた。杏壇は、学問にゆかりの場所。『論語』ならぬ『老子』起源の命名の和光大学にも、2002年以降、杏をあちこちに植えてあると、富川の李先生に少し自慢。
裏手の孔府は、一族のレジデンシャル・エリア。聖廟一帯に比べると瓦が黒くて質素。それにしても、特権階級だ。召使はどれくらいいたのだろう。外から見るだけで、ここでの生活がいかなるものだったかが分かるようにはなっていない。古風な覗き趣味で解説がない。博物館展示としては、文明開化以前の水準。
午前の部、最後が孔林のお墓参り。孔府からここまで、馬車で移動。墓域にも城壁を巡らしてある。これまた広いので、こちらは電動カートで移動。草むらの中に塚が散見される。孔子の墓も土盛り。草がぼうぼう茂っていて、李先生は、「韓国では考えられない、世界遺産なのに」と憮然。なお、墓地の使用権を持つのは孔一族のみ、お金を払って土地を割り当ててもらうと聞いた。
昼食には、当地の名物という豆腐ものがあれこれ入っている。製造途中で温度を上げすぎたか、焦げたような苦味を感じることあり。食後、マイクロバスで泰山に向かう。途中、ねぎを満載したトラックを抜く。何につけ、トラックの重量オーバーは日常茶飯事らしい。
麓で登山バスに乗り換え。ここで、フィーフィーというオモロイ顔の若犬と友達に。渓流沿いのカーブ道を登りきって、さらにロープウェイ。これはひとかご6人乗りのオーストリア製で、乗り降りの際のみ動きが緩やかになるすぐれもの。中国が豊かになったおかげで、海外の製造業まで余慶にあずかっている。
花崗岩の岩山に、花が咲いている。黄色はレンギョウ、白は何だろう。ナナカマドもある。眼下には、階段の細道。今ここで停電したらと考えると、スリルもひとしお。
1500メートルを超える泰山山頂まで、南大門からの階段は四国の金比羅さまとほぼ同じ800段あまり。南大門の門前も商店街だったが、山頂の寺院まわりも写真屋の客寄せの声がやかましく、いずこも俗化している。道の側溝の蓋にまで、石材を使用。ことによると、コンクリートよりも安上がり?全体で1300か所に植栽してあるという湖北海棠が、美しく咲いていた。本場の諸葛菜の花も。ところが山頂近くになると、海棠はまだつぼみ。冷えるのだろう。
山頂にて青島ビールでのどを潤し、昨昼の蓬莱マントウをお供えして下山。(残り物の持ち帰りを頼んだら、チャーハンとマントウは「持ち帰り出来ない」といわれ、意固地になってポケットにしまっておいたもの。要は、リサイクルして次の客に出すのだな。)
ここでは、天秤棒が健在だった。男衆だけでなく、お仕着せの若いおねいさんも小麦粉の大袋を担ぎ上げていた。不細工な竜頭?の泉あり、冷たい水がめっぽううまい。人目のないのを幸い、頭を冷やしてタオルでごしごし。極楽。この水をミネラルウォーター容器に汲んだら、さっそく結露した。このときの気温は16度。水温は、10度くらいだろうか。南大門の商店街の「刀削麺」に心うごかされるが、胃袋にゆとりがない。連日のご馳走攻めのつらいところ。結局、旅行中に路傍で下世話なものを食べる機会をついに得なかった。
下山の際、地元バスの最前席でビデオを撮っていたら、路上の犬が放心して立ちん坊。轢きそうになり肝を冷やす。マイクロバスで泰安の街に移動。すでに閉園時間という「岱廟」を急ぎ見学。泰山に登って天帝にご挨拶をという皇帝は、ここで身を清めたという。囲いのついた珍しい木がある。碑のあるところから木に向かって目をつぶり、まっすぐに歩いて、突き出した手が正面の木のくぼみに触れるとラッキーという。5メートルほどズルをして試みたらどんぴしゃり。まずまず。
泰安の国際ホテルに投宿。レストランの入り口に水槽があり、泰山の渓流にのみ住むと言う「赤鱗魚」が飼われていた。一匹58元とは高値なり。食後、サンプルケースを見る。さそり料理も出すらしい。惜しいことをした。
■ 山東省の旅(2) (Tue, 25 May 2010 16:10) 【南の風】2442号 2010年5月25日
二日目。9階にある烟台の宿舎からは、眼下に伝統的な四角い平屋と、6階建てのアパート群と、建築中の高層ビルが同時に見える。7時からの朝食後、バスに乗ってまず、近在の骨董街(アーケード)へ。朝早いため、開いている店舗は少なかった。珍しい琥珀あり。どうやって作るのだろう。
バスで乗り付けた八仙人ゆかりの蓬莱閣は、オリジナルのまわりを、それに似せた建物群が取り巻いている観光地。入場券を見せて入った園内といわず、博物館の館内にまでも、同じようなけばけばしいもの売りの土産物屋が、客寄せの声を上げているのには驚いた。道教の聖地というが、おびただしく俗化している。古い大砲が海に向けられて、倭寇に備えている。空海ら、日本の留学生はすべて、ここから入国したとの説明であった。
オリジナルの建物群を急ぎ見学した後、裏手のリフトに乗って海を渡り、岬の先の鐘楼へ。フリルのついた鐘を突くと、係員が早口で、たぶん縁起のいいことばを唱えてくれる。そこから、岬の岩場まで階段を下り、モーターボートに乗ると、たちまちのうちにもとの浜辺に送り届けられ、一周が完成。全員揃うまでの待ち時間、砂浜で平たい石を海に投げて水切りをして遊ぶ。オリジナルと鐘楼との間に、瑠璃瓦の大きな建物が荒廃していた。レジャー施設だったようだが、リフトが出来てから客の流れが変わったようだ。こちらは捨てるとの設計思想で、リフトを作ったというべきか。
その後は、高速道路わきでトイレ休憩を繰り返しながら、7時間かけて600キロを走破。車窓から望見したビニールハウス群、ポプラのプランテーション、羊の群れや墓地など、いずれも興味深かった。延々15キロ以上も、道路沿いを埋め尽くしたビニールハウスを見ては、日本の農業が従来同様でいては淘汰されると思わざるを得ない。また、これだけ広大な土地なのに、田園地帯に荒蕪地をほとんど見ない。驚くべし。日本国のばあい、手入れをする人手がなくてネザサが密生している土地は、首都圏周辺にだっていくらでもあるというのに。
くわを担いでひとり帰宅する農民は、つごう4名。いずれ見られなくなる風景だろう。
キジの野良猫を、昨夕、海辺で見かけた。この朝は、宿舎に隣接の開発予定地で、飼い犬と数匹の野良犬を見る。即座に食用になるというものでもないらしい。ただし、ドバトは見ない。夜、曲阜入り。城壁の縁にはネオンがまたたいて、孔子の町にはミスマッチ。宿舎は城内にある。高層建築を規制している理由が、孔子に敬意を払うためという。小田原方式?それにつけても、京都タワーは罰当たりなことだった。
■ 山東省の旅(1) (Fri, 21 May 2010 02:15)
【南の風】2440号 2010年5月22日
いま、伊藤長和さんの中国ツアーで、川崎市教委OBに混じって曲阜の宿
に来ています。インターネットに接続しているのですが、大学のウェッブメイル
以外のサイトには接続できません。中国の摩訶不思議。旅のメモを下記に。
乗り換えの仁川空港は威風堂々あたりを払うようで、わが成田が気恥ずかしくなるほど。キッズコーナーや、韓国伝統文化を紹介する一角もあり、利用客を退屈させない。ここから青島に向かう大韓航空便は、さすがに、機内の日本語アナウンスなし。いよいよ外国らしくなってきた。前方の中国人一群のやかましいこと。帰郷への期待だろうか。機を降りるとき、その座席周りの散らかしように、同行の女性陣が顰蹙していた。
到着の青島飛行場も。これまた成田より立派に見える。ああ、気の毒な成田空港。もしかしたら、かつては東洋一だったかもしれないのに。
ここで、現地ガイドを伴った、懐かしの伊藤長和さんと合流。韓国富川の環境社会学者、李時戴先生の待つマイクロバスに乗り込み、さっそく烟台へと向かう。旅程約3時間。
夕刻のラッシュアワーの煙台市街を抜けて、海辺で下車。旧外国領事館が建ちならぶ高台を歩き、塔にエレベーターでのぼり、煙台の由来となった煙台を見る。レンガ積みの基壇の上に固定されているこれは、金属製リベット止めの大きなノズル。非常時の警戒用の狼煙台ではなく、船の航行のための常設灯のようなものだったかもしれない。港湾地区には三菱マークが望見されて、やや意外。市街地では、伝統的な建物が取り壊しを待っていて、まったく残念。
しゃぶしゃぶ屋での晩餐。豚のしゃぶしゃぶとは珍しいとの李先生のアドバイスで、コースの途中に、まだ出てくるとは知らずに羊肉を「追加注文」したのがいけなかった。食べ終わったころを見計らうかのように最初に注文してあったコースの皿が次々と運ばれ、豚、脂豚、羊、牛と、テーブルいっぱいの肉攻め。初日から酒池肉林。
はじめ大根に見えていた茎レタスの薄切りが珍。煙台うどんが佳味。肉の暴れ食いで、あさりエキスがたっぷりのスープを、煮野菜で完食できなかったのが残念。店の便所の使用マナーがおびただしく悪い。カレー屋でなくてよかった。設備は新しいのに、中国人民の意識が変わっていない。このレストランの出入りに見た、昔ながらのすえた臭いの裏通りと、表通りや店内の華やかさとの落差が大きかった。ゴミ回収を、素手で行っている。
伊藤さん心づくしの缶入り青島ビールは、アサヒビールとの合弁会社とのこと。缶は、いまや日本では見られない、口金はがし取り型。ヨーロッパでは家畜の足を傷つけるとして評判の悪かったこの型を、日本ではかなり後まで使っていた。その古いプラントを、アサヒは中国に売りつけた?
■ レディング通信U(85) 未完
■ レディング通信U(84)ー疾風怒濤
(Fri, 2 Apr 2010 13:25) 【南の風】2412号 2010年4月12日
小林先生 帰国しました。さっそく連日、大学です。いささか旧聞になってしまいました。
レディングの風の吹き収め、間近です。
毎度のことながら、帰国前日はどうしてこんなにせわしないのでしょうか。午後から近郊の村の恩師宅にタクシーで出かけていとまごい。朝のうち、近所のチャペルの日曜礼拝に行けると良かったのですが、例の高倉健のおかげで前の晩が遅かったので。
聞けばなんと、この朝の礼拝は、恩師のブレンダさんが初めて式をつかさどったそう。惜しいことでした。そう言ったら、「もし来ていたら、ヨウジに気づいたとたんに絶句してたかもよ」。
相変わらずお茶目な先生です。
小鳥がにぎやかなお庭はすっかり春模様。芝生が青々として、そろそろ芝刈りしてもらいたそう。イチゴの苗が何種類か買い揃えてあるのを、私は見逃しません。クロッカスは終了、小型のスイセンとヘレボー(クリスマスローズ)、プリムローズがあちこちで満開。このオキナグサは2日前に開いたばかりと、だんなのブライアンさんがご満悦でした。紫もくれんも、つぼみの先端に色をのぞかせていました。
帰りはレディングに送りとどけてもらって。
今回初めて、飛行機の座席をインターネットで指定してみました。出発の24時間前から出来る仕組みとか。ムスリム、ヒンズーや菜食など、とくべつな機内食の注文は、逆に24時間前で締め切り。今回はストの余波で選べませんでしたが、ハラールミートは血抜きがよくておいしいかと思い、8月の復路はムスリム食を予約してみました。
ヒースロー行きの高速バスもはじめてインターネット予約。これは便ではなく日にちだけの指定でした。通常料金、大人片道16ポンドのところが14ポンドに割引。それにしても高値になりました。
6時前にCさん来。ありあわせのもので食事をして、お米などを持ち帰ってもらいました。見送ると8時。
9時前にジェイムズ夫妻と息子同様のマー坊来。まりのさんに頼みごとを済ませて安心し、彼らが帰った後になって、ジェイムズへの用件と冷蔵庫のシャンペンを忘れていたことに気づきました。
ひとしきり片付けものの続き。10時前からアッティラと、別れの一献。
じつは昼に、不要になるプリンターを、良かったら使わないかと彼に申し出たら「いくら?」。「タダ」というと「いや、買ったときの値段を教えてほしい」。
40−50ポンドだったと言ったら、なんと20ポンドで買うというのです。義理堅い男。ありがたく受けることにして「そのお金で何か一本買ってきてくれないかい、飲もうよ」と相談していたのです。
アッティラの見繕いはテキーラ。シャンペンが空になるころには、冷凍室でよく冷えていました。さっそく、グラスのふちに塩をまぶして、乾杯。
彼の用意してくれたつまみが殊のほかうまくて。母親が家でつくってくれたという鶏レバーのベーコン巻きですが、せっかくなのでご紹介に及びます。
<ハンガリーレバー>
生の鶏レバーをベーコンで巻いて、楊枝でとめる。たまねぎを輪切りしておく。
フライパンに油を熱し、ベーコンレバーをいり焼きにする。ある程度火が通ったところで、たまねぎを入れる。(一緒には入れない、秘伝その一)
マジョラムとコショウを振る。
さめたところで楊枝を抜き、5ミリ厚さにスライス。食べるときに塩を振る。(最初には塩を使わない、秘伝その二)
当方の出し物は、スコットランド・アンガス牛のひれステーキ。厚手のフライパンをがんがんに熱したところに、油をたっぷり注いで、肉をじりじり焼きます。肉はあらかじめ、ペーパータオルではさんで両手のひらでぐりぐりし、繊維をほぐしがてら水分をよく取っておきます。仕上げにバターを載せて、塩をかけると出来上がり。
外側がよく焼きつけてあるのに、中は真っ赤。「本当に大丈夫?」とはじめおっかなびっくりだったアッティラは、一口食べるとウマイ、ウマイ。
あとで1キロ35ポンド(100グラム500円)もする肉と知って、「その値段だったらうまくて当然、そうでなかったらおこる」と言っていましたが、当方としては、焼き方のうまさを褒めてほしかったかも。
漆器の椀がちょうど3つあったのを、ひとりひとつずつと言って記念にハンガリーに進呈。アッティラは最初プラスチック製と思ったそうですが、口縁と底の厚みの違いを説明したら木の刳りものと分かり、木の汁を塗っては乾かししてつくる、数千年前からの技法で作ってあるというと、目を丸くしていました。
朝5時半には起きて仕事に出る彼が、11時半までつきあってくれました。私はその後、荷造りに3時まで。
■ レディング通信U(83)−「すうすうすう」と三つ巴
(Sun, 28 Mar 2010 12:03) 【南の風】2410号 2010年3月31日
金曜のこと。引越し業者が船便の荷物を片付けてくれたあと、町に。というのは、帰りの荷物を少なくしたい一心で、冬物のコートや毛糸ものを気前よくダンボールに詰めて送ってしまったのですが、見送ったあとになって「ちいと寒かばい」と気づいたのです。お粗末でしたが、時節柄、防寒衣料は安くなっていて、助かりました。値札を切ってもらって、そのまま着用に。
その後、雨上がりの美しい虹を見て油断。傘を持たずに再度出たら、バスを降りると驟雨。図書館で雨宿り兼資料収集の後、テムズの支流ケネット川ぞいに歩いてホームセンターに行くと、春の苗ものがどっと入荷していました。さすがはお彼岸過ぎ。
いちご苗が並んでいたので順番に品種名をチェックしたところ、アルビオン種やフェスティバル種などのあと5番目に、私が溺愛しているエルサンタ種!うれしや。しかも、店の裏手にはもっと立派な苗が!帰国を前に何といういちご一会だろうと、いちごの神様に感謝しました。
戻り道に珍しいものを見ました。モーヘン(おおばん)がたぶん発情して、流れる水の上に二本足で立ち、胸を突き合わせて相手より優位に立とうと、つまり相手をやっつけようとしています。どう見てもこれはお相撲。土俵でなく、水上というところが、さすがは水鳥です。
二羽で競い合えばよさそうなものですが、今回はなぜか三羽。しかも三羽目は、時に恋の鞘当てに加わり、そうでないときにははっけよいの行事よろしく、周囲を泳いで二羽に声援を送っていました。何だったのでしょう。
結局、二羽のうち一羽が降参し、そこはそれオオバンらしく水遁の術を決め込んだのですが、やっつけたほうが意外に執念深く、むこうの水面に浮かんだところを目ざとく見つけて再度やっつけに。これまた気の強いオオバンならではかと思いました。ビデオがなくて残念。
さらに余談です。
夏時間への切り替えをみるために、数ヶ月ぶりでテレビをつけていたら、高倉健がいました。「やくざ」という映画。パンナム航空が出てきましたから80年代以前。健さんが若いのなんの。あごの割れたロバート・ミッチャムが主役?ふたりが指を詰めるシーンなどある、きわもの娯楽映画でした。(調べたら、74年のアメリカ映画とか。)
■ レディング通信U(82)−イースター
(Sun, 28 Mar 2010 11:06) 【南の風】2409号 2010年3月29日
雨に誘われて、先週あたりから木々が芽吹き始めました。私が命名した「英国豆梅」が蕾をほころばせ、黄ズイセンやレンギョウ、原種プリムローズも、そこここで咲き始めました。なぜか黄色い花が多い、良い季節です。
レディング市場の花屋には、早咲きアネモネやプリムラ・ポリアンサ、ハーブ苗なども見られるようになりました。秋口からいつも並んでいた耐寒性シクラメンは、いつのまにか姿を消しました。
ところがこの花屋には、季節の花といっしょに見事なアジサイ、白いキキョウなども並ぶようになり、季節感がむちゃくちゃ。いわく言いがたいのですが、これが21世紀の現実かとも。
ここで、私の好きな原種アネモネ・ブランダが、しばらく前までひとつ1ポンド25。5鉢まとめると5ポンドという良心的なお値段でした。先週は出ず、さいきん見たのを買おうとしたら、ひとつ1ポンド50、5鉢で7ポンド半。まったく同じものが出盛りに高くなる??時期が遅くなるほど花期は短くなる道理なので、結局、買いませんでした。
実はこの花屋、前にも「まんさく」を、はじめ6ポンド50で売りだし、売れ残ったのを7ポンド、花が済んでから7ポンド50で売っていたのを、私の内なる”おばさん”がチェックしています。どういう商売感覚なのでしょう。息子はいいのだがなあ。おやじがなあ。
イースターの季節です。昨日金曜日、英国とのお別れにスイセンをいっぱい飾りたいと思いつつ、強欲な花屋はいやだなあと市場を歩いていると、別の場所にバラを並べた花売りストールの小さいのが出ていました。ぼうっとして見えたのか、おばさんが「スイセンいかが?」。
言われて見ると、輪ゴムで束ねたのが箱に寝かしてあります。なんと一束30ペンス。ふつうだと一把1ポンド、3つで2ポンド半が相場。「いいのを選んでちょうだい」。
ざっと見て十把数えてもらったら、のこりが箱にひとつだけ。「じゃあ、最後のもね」と小銭を30ペンス余計に用意したのですが、これはおまけ。しかも、おじさんが、切花長持ちのオクスリをふたつ、つけてくれました。「長く楽しんでね!」。し・あ・わ・せ。
その夜は、大家さんのお家で令夫人にレディング長崎皿うどんを伝授して、会食。レディング皿うどんは、ワンタンメンの細いのを揚げてパリパリにして使います。これは気に入ってもらったよう。揚げるとぶわっと膨らんで、中華なべの形に丸くなるところが特に良いそうです。
ジェイムズが好きで、私がまだ食べたことのなかった英国伝統の「酢たまご」を、私のために用意してくれていました。思うところあり、皿うどんの中央のくぼませたところに盛り付けて「巣たまご」。これまたイースターの風情。善哉!
お部屋に11把のスイセンを飾り付けてもらって、それはもうそこいらじゅうスイセン。濃い赤ワインをあけて、「この家はかぜをひいたかハナだらけ」と、無駄口のひとつもたたきたい上機嫌でした。
今回は皿うどん。「レディングちゃんぽん」のご指南はまたの機会のお楽しみにとっているのですが、本日土曜は別のもの。午前中から大きなニワトリの丸の骨抜き。皮と肉だけにした内側に、炒めた野菜をつめて、夜、オーブンで焼き上げてもらいました。にんにく豆腐とくらげ・きゅうりの酢の物を添えて。デザートには手作りシュークリーム。今月になって、なにやら太ってきました。
(明日の晩、ジェイムズに「夕べのくらげ、どうだった?」と聞くのがお楽しみ。シーフードが苦手な彼、ジェリーフィッシュとは知らずに、「うまいうまい」とお代わりして食べたのです。)
日曜から夏時間。時計を見ていると、12時59分の次が2時になりました。これで日本との時差は8時間です。ストが心配だった29日のBA成田行きは、さいわい飛びそうな話です。やれやれ。
■ レディング通信U(81)−マルタの女
(Sat, 27 Mar 2010 03:4) 【南の風】2407号 2010年3月27日
福岡、横山さんの風(2406号)、懐かしく拝見しました。公務でお母様の葬儀に出られなかったとはお寂しいことでした。「協働」は、川崎市でも先年、私が担当した職員研修のテーマでした。やはりキーワードなのですね。今回レディングに来て、ジョージやバトル図書館のマージョリーさんの取り組みを見て、レディング市役所の達成について私なりにイメージを持つことが出来ましたが、これについては回を改めて。
今回はバイリンギュアルのお話です。最近、宿舎に一週間だけ滞在したマルタさんが、鮮烈な印象。夜に私がキッチンで店開きしていると、お茶に降りてきて「忙しいのよう、あれもしなきゃ、これも・・」と言いながら、しゃべりだしたら止まらない。その身振り手振りが、これまた美しいのです。娘さんがいて、しかも22歳!とはとても思えない。彼女とは旧知のアッティラは口さがなくて、「つかまったらおしまいだぞ。気をつけろ」。
マルタさんこと、れ大博士課程のナタリーさん。国立マルタ大学の教員。言語学者で、バイリンギュアルの研究者。学生の英語論文の「引用」スタイル分析に取り組んでいます。
地中海の中心にあるマルタ共和国というところ(英語の発音はモルタ)、今やEUに加盟してユーロを使っていますが、英国支配が長く続いた後、1964年に独立(1979年に英軍撤退)、公用語が二つ、小学校からマルタ語と英語を教えている、全員バイリンギュアルの国です。なんでも、ナポレオンのフランスが乱暴狼藉を働いたので、これはかなわないと、マルタ人が進んで英国支配を求めたのだそう。とはいえ、マルタ語による小説など、マルタ文学も盛んといいます。
私は主言語論者。最初に黙読を覚えた母語(思考言語)がまずあり、第二言語(外国語)の能力は、その何割のレベル。二言語の運用能力には違いがあり、片方がメインとの考えです。
ロンドンの日本人学校内外で観察した、おおくは片親が日本人の子供の言語発達について尋ねてみました。「子供時代には日本語に不自由はないのに、英語に囲まれて暮らすうち、十代半ばに思考言語が英語に定まるあたりから日本語が急に伸びなくなるのだけど、どう思います?」
マルタさんの意見は明快にずれていて、「モノリンギュアルのバイリンギュアル学者はむずかしいこと言うのよねえ。私たちバイリンギュアルのバイリンギュアル学者のバイリンギュアル定義は簡単で<うう、あたまがくらくら>、うまいへたの差はあってかまわないから、”日常生活の中で”二ヶ国語が使えれば、それはもうバイリンギュアルなのですよう」。のんきな定義があったものですが、どうやら”日常生活の中で”というのがミソのよう。
「・・・だからヨウジ、英語が日本語の半分以下とかいっているけど、あなたも立派なバイリンギュアルよう。」
私はバイリンギュアルが好きでないので、いささか憮然として、「日本語のほかに九州語が使えるからトリリンギュアルだぞう、愛妻に三河語を習ったからテトラリンギュアルかも」。そしたら、「研究の世界では、二ヶ国語以上はいくつできようと、全部ひっくるめてバイリンギュアルと言うのよう。」概して、小さな違いを詮索するのが学者の得意技と思っていたのですが、かように鷹揚な学問は珍しいと思いました。
多言語日常世界あってこそのバイリンギュアルと分かって有益でした。そういう環境がないのであればバイリンギュアルにはなり得ない。そういう環境に生まれたらバイリンギュアルに育つ理屈。
生活環境がモノリンギュアルという条件では、教室でどんなに英語を教えようとも、それはバイリンギュアルのこどもを作らないということが確認できました。
モノリンギュアルの世界まで、あと数日。BA飛びますように。
PS、マルタ大学は、ナタリーさんがレディングよりずっと小さいと言うので、ことによると3500人の和光大学級かと学生数を尋ねたら一万人。人口41万人の国に、これは驚きです。人口比2.4パーセント。大学進学率が世界一と思っていた日本の2.26パーセントを上回っています。
■ レディング通信U(80)−はこづめ
(Fri, 26 Mar 2010 20:34) 【南の風】2407号 2010年3月27日
今週はずっとぐずついたお天気との予報です。相変わらずストライキ中のBAは、月曜に私の成田便が飛ぶ確率70%だそう。やきもきです。
昨日は午後から雨模様。夕刻、空が真っ暗になり雷、雹と土砂降り。時ならぬ嵐がひとしきり激しく荒れた後、不思議に収まって美しい西日が差しました。
いよいよダンボール箱を並べて引越しの準備。業者の下見では72立方フィート(二立米)とのことでしたが、知人に加勢してもらってみっしり詰め込んだ本が9箱にもなりました。これだけで300-400キロ?前からほしかった展示用パネルなども、この際、買い込んだために、つごう25個口。夜中の3時に箱詰め完了。書類に記入し、ハンガリーのアッティラがガイアナ人同僚からもらった69度の「ハイ・ワイン」でうがいをして、火のついた胃袋をビールで洗っていると4時半。
けさは10時ごろに作業開始のところ、9時半前には業者が来てくれました。もっか箱詰めの最終点検中です。90立方フィートだそう。二ヵ月後の再会が楽しみです。
■ レディング通信U(79)−中国礼賛
(Wed, 24 Mar 2010 10:32) 【南の風】2406号 2010年3月26日
このごろ、過去と現在を行ったり来たり。そう、1991年のことですが、成人教育イブニングクラス「産業考古学」のある回で、講師のおっしゃったこと;「最近は、英国製の商品をすっかり見かけなくなりましたね。労賃の安い外国との競争にすっかり負けてしまって・・」。
ポルトガル製、マレーシア製、韓国製・・・と、当時はいろいろありました。もちろん日本製も。<産業考古学じたい、産業遺産の調査・研究、保存、再活用を通じて、産業革命を達成して世界に冠たる産業国家だった古きよき時代の英国を顕彰する市民運動のようなところがあります。>
ところが、20年後の今日、英国の商店の日用品で、中国製でないものを探すのが難しくなりました。衣料品はもちろん、PC用品も。あれもこれも、何でもといってよいくらい中国製です。
北欧系の荒物屋の大型店舗が町に店開きしました。台所用品コーナーで見た、石の乳鉢・乳棒セット。つくりつけ三脚が珍しく、「賢いなあ、これが北欧風なのか」と、ずしりと重い箱を裏返してみたらMade in China。デパートで、デザイナー食器の形の面白いのを裏返してみたらMade in China。ロンドンのポッシュな街角のつり道具屋で、いかにも英国式のルアーの疑似餌を見て、これこそは英国製ならんと裏返したらMade in China。
中国にプラントさえ輸出してしまえばまったく同じものが作れる道理ですが、中国製品を取り除いたら、店棚がからっぽになってしまいそう。
前にスウ・ライダーのチャリティ市で購入したひとつ10ペンス(15円)のチリ蓮華は、いまどき珍しい磁器製。4-50年前のでしょうか。メラミン樹脂よりも焼き物のほうがコストが安かった、人件費格安の、その昔の由緒正しい中国製です。今日の進んだ技術をもってしては製造困難と思われるほどの粗笨な量産品。赤くMade in Chinaと雑に印刷してあります。
これは貴重品。大事に持ち帰って、中国にも、むかし貧しかった時代があったことを偲ぶよすがにしたいと思っています。
人間の、中国製の方も多々見受けます。町の中心の、古くからの食料品店街に、さいきん中華食材店が開店しました。昨日はじめて行って尋ねたら、広東出身の若夫婦。日本のソース、そばつゆまで、ふつうにレディングの街で買えるようになりました。ありがたいことです。
ちなみに国の領土は空間的テリトリーですが、年号を区切って時間も支配しようとの発想は中国起源。(英国でも、16世紀ころまでは歴史書に○○王の治世何年目との言い方があり、ちょっとだけ似ていましたが、その後、いつの間にか廃れました。)
日本国になっても、天皇の代替わりに伴い年号<法律で言う元号>を名称変更し、相変わらず中国古典からいただくということが二十数年前に明らかになりました。すでに人民共和国、朝鮮共和国、大韓民国、台湾省と、本家・元祖を含めて以前そういうことをしていたところがすべて廃止している方式。日本国ではエスタブリッシュメントの最高レベルがこうなのに、国粋主義者が怒るふうでもありません。
明治5年に旧暦を廃して新暦を採用したように、人の移動や物流が増えるにつれて、グローバルスタンダードに向かうのが世の趨勢でしょう。しかしもし「ときめき」とか「きよら」、「いざ」「うふふ」等、語呂のいい“やまとことば”が年号になるようなら、日本国も少しは文化的な独立国家みたい。そういうのって素敵かもと、私はおもいます。
■ レディング通信U(78)−バークシャーのくろぶた
(Mon, 22 Mar 2010 07:5) 【南の風】2405号 2010年3月25日
いよいよお彼岸なのですね。当地にはお墓参りの習慣はありませんが、明日からは昼のほうが夜より長くなるとは、何だかうれしい気分です。
土曜午前の農民市場に行ってきました。今回はこれにておしまい。ぐずぐずして到着が昼前になったために、お店は半分閉まりかけ。朝昼兼用にと当てにしていたベーコンバーガー屋は、もう店をたたんだ後でした。
いつものたまご屋のおばさんに別れを告げると、「あらもう日本に帰ってしまうの。うちの隣のオクサンが日本人でね、だんなが今、英語の先生で日本に行って別居中で・・」、くろぶた屋の若夫婦は「気をつけて帰ってね、夏にまた会おうね」。
このくろぶた農園フレクスモー・ファームは、上の娘さんの発案でできてからまだ数年という新しいファミリービジネスです。面積45エーカーの小規模営農といいますが、日本風にいえば18ヘクタール。4年前に希少家畜バークシャー種を導入し、今では30頭。なお農場の所在はバーク州ではなく、バッキンガム州です。聞けばここのバークシャーぶたはどれも黒いそう。F1交配でなく、純系種と理解されていることが分かりました。他に水牛、鶏、あひる。そのうちに土地を得て、牧羊をはじめたいそう。
昔話になりますが、レディング大学が私の留学を受け入れてくれると分かったとき、レディングという地名は初めてでしたが、バークシャーの州都と聞き「ぶたみたいなところだ」と思ったことを覚えています。小さいころに図鑑か何かで覚えたのでしょうか。バークシャーは黒豚、ハンプシャーはしろ豚。ヨークシャーはしろ豚の巨大なのと。
で、バークシャーの州都レディングには黒豚の本場と思っていたのですがさにあらず。あれこれ探したのですが、まるでいません。7年ぐらいして、バーク州農業コレッジの文化祭ではじめてバークシャーぶたにめぐり合ったとき、そこに保存されていたバークシャー豚が黒でなくて赤茶色だったのには驚きました。もとは黒だったが、世代交代するうちに次第に色がさめたと解説が出ていました。
そのことを、今回、ぶた屋のおばさんに話したら、「ぜんぜん知りませんでしたよう」。
野生種でいれば絶滅危惧種相当の、古典的家畜。家畜は、趣味性が皆無で経済性・収益性がすべてにつき、子豚の数や肉量の生産性で勝る新品種がでてくると、特色ある古典品種がいともかんたんに消えてしまいます。志ある農家がいても、消費者のサポートがないと続きません。逆説めきますが、食べ続けることで、品種が保存されるしくみ。
この農園、5月9日がオープンデイだそう。行けなくて残念です。水牛には、チーズ、ピックル(漬物)、パスタ、ボロネーズ・・・と、何ともけったいな名前がついています。前にここで水牛のバターというものを購入しましたが、バター色でなくて純白。ふしぎです。
第六次産業という日本語を最近知りました。この農園のやっていることがそうなのだろうと思っています。精肉のほか各種ベーコン、ハム、ソーセッジなども製造販売。イベント用に、ぶたのまるごとと、それ用グリルのレンタルもあるそう。多品種少量生産で収入を確保しようとしているようです。
肉屋にはどの程度おろしているのか、聞きそびれましたが、週末ごとに近在のファーマーズマーケットで、こうした売り場を出しています。約十年前に始まったファーマーズマーケットという社会実験が、農業への新規参入・地域おこしや希少家畜の維持に貢献しているとしたら面白いと思っています。
→■ http://www.flexmorefarm.co.uk/FlexmoreFarm/Welcome.html
■ レディング通信U(77)−英国カササギ
(Sat, 20 Mar 2010 11:28) 【南の風】2404号 2010年3月23日
空が少しだけ明るくなる早朝5時半、テツヤ明けの頭に、クロウタドリのさえずりがそれはそれは美しく聞こえました。トリサンにとっては切実なテリトリー宣言<おんなおんなおんなメスメス、ほーしいよぉー>なのでしょうが、人間とは手前勝手なもの。美声が我ながらうれしくてたまらず、誇らかに季節を謳歌しているように聞こえます。
昼前におきだすと久しぶりの雨。おだやかな春の雨です。気温が十度を超えるとこんなに暖かいものかとうれしくなります。花が終わって伸びだしたスノウドロップが、丸い水滴をつぶつぶ粧って大変よろこんでいます。
烟台にカササギ(伊藤メール
「春雪と春告鳥」・風2401号
→■)とは意外でした。しかし考えてみれば、七夕の話は中国起源ですから、順当なことなのですね。福岡から佐賀方面に向かう時、カチガラスを見ると「佐賀に来たなあ」という
気分になったもの。英国ではマグパイと呼ばれており、食べ物にさも関係ありそうな名前ですが、英国人はなぜかやっきになって否定します。(あやしい)。
で、マグパイは気の毒に害鳥扱い。かわいい小鳥たちの雛を食べてしまうといってバードウォッチャーに嫌われています。・・・実際は目の敵にするほどのこともないらしいのですが。「日本では数が少ないので天然記念物だ」と言って、さも怪訝そうな顔をされたことがあります。自分たちはトンビごときで喜んでいるくせに。日本の海岸でトンビの輪舞を見たら、英国人は大感激するに違いありません。
閑話休題。マグパイといえば、1991年にレディングに来て最初に滞在した学寮シブリー・ホールは、殺風景な高層ビルでした。隣接するボイラー室か何か、一階建ての平屋根の水溜りで、この警戒心の強い鳥が群れて盛大に水浴びしていたのを、昨日のことのように思い出しました。双眼鏡など向けようものならすぐに飛んで逃げる鳥ですが、上階から見られているとは思っていなかったよう。
尾の長い、ダンディな鳥ですが、ある年の初夏に妙なものを見ました。大学前のバス通り、トチ並木の根方。春に生まれた若鳥が猫かキツネにでも襲われたのか、尻尾がまるでなく、うずら、コジュケイの形。もとがダンディなだけに、気の毒だけれどこれには笑ってしまいました。
そう、本日、裁判所から連絡があり、次回法廷26日の予定が日延べで30日になったそうです。残念ながら29日の飛行機で帰国のため、判決を見届けることができません。
・・・実はもうひとつの問題。29日は英国航空の乗務員ストの予定日というので、やきもきしているところなのです。NHKニュースにもあった、成田行き0005便。ぶじ飛びますように。
■ レディング通信U(76)−世界を変えた一冊の本
(Fri, 19 Mar 2010 05:05) 【南の風】2403号 2010年3月22日
・・・というと正確ではありませんが、数巻ものでよければフランス革命の知的な基盤をつくった、ディドロ、ダランベールら啓蒙主義者のL'Encyclop・・・・・die、いわゆる『百科全書』かなあと。
これがフランスでゆっくりゆっくり出版されているうちに、『ブリタニカ百科事典』が出て、フランスのよりも一年早く出揃います。フランスと違って、英国の出版関係者は「百科事典派」とは呼ばれなかったもよう。
フランスのプロジェクトは、1728年に初版が出版された英チェンバーズの『サイクロピディア』の翻訳・出版を企図するところからはじまったものが、版権の問題、編集者の交代など紆余曲折あって翻訳を断念し、はなから自前のを出版することに落ち着いたそう。となると、啓蒙思想の世界観が普及した走りは、『百科全書』のモデルとなった英『サイクロピディア』ということになりそうです。
インターネットで調べてみるとなんと、ロンドンの古書店に売り物が!うう、ポケットマネーを大奮発して買い求めてきました。
これは1738年の再版もの、二冊本。当然のことですが、初版の間違いは直してあるそうです。リュックを準備して出かけたのですが、見てびっくり。大きすぎ、重すぎ。とても運べない。郵送を頼んだら、レディングまでの送料に18ポンドもかかりました。
時代的には将軍吉宗の「享保の改革」のあたり。この辺から、西洋と東洋の差が本格化したようで、感慨があります。いわゆる『ターヘル・アナトミア』のドイツ語原著(十年遅れでオランダ語などの翻訳もの)が出たのも同じころ。このチェンバーズ百科にも詳細な人体解剖図がついていて、ざっと見ただけでも、科学・技術に大きな関心を持っていたことがわかります。
書誌としての大きな特徴は、ページ番号がないこと。私は200年以上前の本をあまり見ないため知らないののですが、ページ番号の発明はいつごろなのでしょう。
今の辞書同様、ページの上部に、それも三つあるコラムごとに見出しがあります。しかしこれは、コラム内にある見出し語の項目とは必ずしも一致してはいません。
ページ末(右下)に、次のページの最初の単語が印刷してあり、和漢書の衍文に似ています。珍しくて古書店のおやじさんに尋ねたら最初の人は知らず、二人目のひとが、昔の印刷師の仕事で「キャッチワード」と教えてくれました。彼は和漢書のしきたりのことも知っていました。
昨日、ジェイムズの研究所で荷ほどきをして一緒に眺めたのですが、wの字は今と同様なのに、sの字体がfそっくりなものとあと二つ、三種類あることを知りました。「太陽からの距離」が「お楽しみからの距離」に見えます。ジェイムズが面白がって、sの発音をfにして、まりのさんを煙に巻いていました。
一人で楽しむにはもったいないので、帰国後に、関心のある人が誰でも参加できる研究会や、インターネットでの公開をと考えています。いわもと拝
ps、伊藤長和さんの「釈迦果」(烟台の風62
→■)は、台湾生まれの父が「シャカトウ」とか「セッキャア(台湾語?)」と言っていました。チェリーモヤの仲間。ねっとり追熟したのが美味です。中国にはおいしいものが何でもあるのですね。
■ レディング通信U(75)−つぼ
(Thu, 18 Mar 2010 23:00) 【南の風】2402号 2010年3月20日
2400号の達成、おめでとうございます。従来どおりのペースで、予定通りというところがすごい。来年の今頃は2600号なのですね。
日曜午後、レディング中医学院にいつもの鍼療治に行きました。もう行かなくてもいいようなものですが、名残惜しくて。
担当のディーニスさんは最終学年のインターン。従来、問診と脈・舌による見立てと鍼を打つ「つぼ」の選定、さぐりあてた位置の最終確認など、ベテラン教員がスーパーバイズしていましたが、今回はそうではありません。聞けば先週、コレッジ外でも鍼を打てる資格を得たのだそう。日本の自動車教習で言えば、路上といったところでしょうか。・・・ちなみに英国には自動車教習所がないので、いきなり路上から始まります。
「つぼ」というもの自体、目に見えなくて不思議なのですが、刺した鍼が効いているかいないか、指先の感覚で分かるそう。たいしたものです。ベテランの先生になると、鍼を見て「効いていますか?」「うーん、あまり」と言うと「3ミリ外側に打ち直しましょう」というレベル。恐るべし。
ディーニスさんは5月の卒業といいますから、夏に私が戻ってきてももういません。
二週間前と同様、今回は校長格のアンジェラさんとのお別れ。お人形のように青い目が、今日は一段と濃い青でした。心身ともに一番へこたれているときに力になっていただいたこと、忘れがたい思い出です。お別れの挨拶を横で聞いていたディーニスさんは、うるうる。
あとで、愛猫タヅのことを話してくれました。「タヅがハッピーだったら私もハッピー」。もとのキャットフラップ(ドアにつける猫用出入り口)は磁石式で、タヅの嫌がる首輪でないと作動しませんでしたが、今度取り替えたフラップは、タヅに埋め込んであるマイクロチップで作動するそう。情報を感知して、15匹くらいまでを限定で、室内に入れてくれるというすぐれもの。前に、寝室に知らない猫が闖入していてたまげたので、これにしたそう。
今度の日曜が最後になります。出会いの数だけ別れがあるのだなあ。
■ レディング通信U(74)−名残は尽きず (Tue, 16 Mar 2010 14:11) 【南の風】2401号 2010年3月19日
ハンガリーが、送別会を催してくれました。先週末の土曜のことです。
アッティラに酒ビンをかついでもらって、お出かけ。こないだまでひとつ屋根の下(私の部屋の真下)で暮らしていたリエカとミクロシュの新居の最寄り駅は、レディングからロンドン・ウォータールー行き鈍行で20分ほどのマーティンズ・ヘロン。
この路線の列車はもと、向かい合った座席ごとに手動のドアが付いた(つまり、ひと車両にドアが1ダースくらい)、床は寄せ木に油引きというバタンバタン&クラシック車両でした。その昔の末本先生引率のフランス・ツアーの時は、旧式車両でフランス行きユーロスターが出ていたウォータールーまで往復した記憶があります。
21世紀になってすっかり現代化されました。現行のは、通勤列車なのに車椅子対応のお手洗いつき。床に段差もなく、小田急ロマンスカーより進んでいます。
マーティンズ・ヘロンには、駅そばにスーパー・テスコの大きな店舗があります。そこで手土産の買い物のあと、跨線橋を渡るので駅に戻ったら、アッティラがホームのすぐ下の線路上に落ちている20ポンド札を発見。さっそく拾得に及んでえびす顔。「英国人はおかしいよなあ、そこに落ちてあるのが見えていても、線路上だからと自分では拾わないのだから」。屈託がありません。
駅に近い、緑に囲まれた高級住宅街を抜けると、やはり緑に囲まれたレンガの三階建てアパートが見えてきます。リエカ、ミクロシュの部屋は最上階。まだ築十年余りの建物で、キッチンにはオーブンの下に食器洗い機まであり、大変機能的なしつらえ。(ただし、英国の習いで、換気扇はなし!)。最上階の特権で、物置用の屋根裏部屋つき。
着いたのは6時半でしたが、リエカは私のために午後1時から台所に立ちづくめだったそう。さっそく食事。オードブルに、まずは私が前の晩に準備、持参した「ふかの湯びき」を酢味噌で食べさせ、海なし国の彼らをびっくりさせました。あらかじめシャークだよとメイルで知らせていたのですが、まさかの冗談と思っていたそう。
昼にレディングの魚屋で求めておいたカキは、アッティラが手際よく殻をむいて、先ほどテスコでもらってきた「カキ氷」の上に並べてくれました。ミクロシュは先日、兄き夫婦が来たときにオイスターナイフの刃をすべらせて名誉の負傷。それきり、食べるのはいいけどむくのがおっかないとか。
それにしても、はじめ、カキの生食をいかにも気味悪がっていた彼らを、数か月ですっかりカキファンに改造してしまいました。彼らも悪乗りして、ミスタービーンが古くなったカキにあたる喜劇番組のビデオを見せてくれました。「お手洗いがすぐそこだから、安心して食べられるね」とリエカ。貝の古くなったのはどういう状態なのか、説明を求められて四苦八苦。手っ取り早く、腐った貝の臭いをかがせてあげたいと思ったことでした。
ロンドンのジャパンセンターで売っていた純米日本酒を勧め、アッティラがテスコで求めたハンガリーの好きな「猟師の何とか」という薬草酒の強いのを飲んですこぶるいい気分。持参のシャンペンを抜き忘れたことには、だいぶあとになって気づきました。
今宵のメインは、ハンガリー伝統の豆のスープ(日本の感覚ではシチュー)。小粒のインゲン豆を前の晩からふやかしたものに牛肉、おまけでジャガイモのさいころ切りが入っています。ハンガリー直輸入の唐辛子ペーストを混ぜてハンガリー風のパンと一緒にたべる、これが腹にたまってうまい。というか、何度もお代わりをして、いささかたまりすぎ。アッティラが購入したカキにはさすがに手が出ず、デザートの、リエカ手作り塩味スナックは、ひとつふたつつまんだあと、お土産にしてもらいました。
スープがうまかったので、豆の残りを畑用に分けてもらいました。ハンガリーの学校教育では、豆の上に女性用の化粧綿を載せて土をかぶせ、潅水。水分を保たせるように教えているそうで、化粧綿までつけてくれました。日本でやるように、一晩水につけてふやかすようなことはしないそう。習慣の違いは面白いことです。
さめ、カキのおかげで彼らのシーフード好きに火がついたよう。インターネットでいろいろな海の生き物を見て喜んでいたので、次回は、くらげを食べさせたいと思っています。大学で生物学専攻だったリエカは、「ホタテガイの交尾はどうするの、かたつむりと同じですか?」
カタツムリは雌雄同体でしたが、ホタテは生殖腺の白がオス、赤がメスの雌雄異体だったような。けど、二枚貝の二階建てを見たことないから、交尾はしないのではないかなあ。・・・好奇心旺盛な人と一緒にいると、こちらまで楽しくなります。
勧められるままに、よく飲みました。まったく飲まないミクロシュの運転で送ってもらい、宿舎に着いたのは、ちょうど日付の変わるころ。
■ レディング通信U(73)−秘伝!
(Mon, 15 Mar 2010 12:15) 【南の風】2400号 2010年3月18日
最近、豚のばら肉(皮付きで四角い、B5サイズのもの)を焼いたところ、おすそ分けした先々で好評。皮がカリカリに焼きあがっている秘訣を尋ねられました。せっかくですので、「風」同人にも、情報公開に及びます。
まず、豚肉をボイルすること。この間に、オーブンを予熱しておきます。沸騰させると肉質が劣化するため、沸騰寸前で取り出します。あとで焼くので、ほどほどでかまいません。
熱々の状態で、まだ湿り気のある皮に、きつめに塩をあてます。水分が飛んでしまうと、うまいこと塩が乗りません。私はこのごろ地中海の結晶塩を好んで使っています。
ただちにオーブンに入れてがんがん加熱。時々覗いてみて、表皮がカリカリになっていれば出来上がり。これくらい簡単なものです。
「オーブンの温度は何度で、時間はどれほど」との質問も寄せられましたが、これはオーブンの容量や肉の大きさで変わりますから目視が確実です。温度が低ければ余計に時間がかかるだけのこと。高温の場合も、すでに加熱してあるため外は焦げて中が生煮えという心配はありません。
じつはこの、皮付きの肉を茹でてから焼くという調理法は、ヘンリー8世や初代エリザベスの時代までは一般的であったよう。ところが、いつの間にか忘れられて、今や英国人も知らない幻の調理法になってしまいました。いつごろからでしょうか。
私は、高熱を閉じ込めるオーブンの発明が、その転機であったかもと推察しているのですが、確実ではありません。
産業革命により、鋳鉄オーブンが普及する前は、冷却効率の良い?オープンファイヤー。火の側しか焼けないので、常に肉を回しながら焼くしきたりで、そのために時にアチチといいながら「焼肉犬」が活躍したこともあります。一説に動物虐待とも。ぜんまい仕掛けもありました。
生肉からオーブンで焼くと、どうしても「蒸し焼き」の要素が強く出ますが、下茹でを経ることにより別のうまさが味わえます。なお、牛、羊などの皮なし塊肉は、茹でると煮汁にうま味が逃げてしまうようで、まだ試しません。古式ゆかしいボイル焼きには、古風な豚の皮付き肉が似合うよう。いのししだったらもっと素敵。
おすすめが、豚の骨付き肘(シャンク)。皮、筋、腱のコラーゲンによく引き締まった横紋筋がたっぷり付いて、とても1キロ400円とは思えないおいしさです。カリカリともっちゃりとジューシー。さっぱりしたキャベツの千切りとレモンが、相性抜群。
シャンクの場合、肉の骨離れと、熱の回りのことを考えて、両端から骨沿いに包丁の切っ先を深く刺し、また身の一番厚いところで骨に届くまでざっくり包丁をいれておきます。これ奥義なり。
オーブン料理というと、それだけで豪気なブルジョワ気分ですが、皮付きボイル肉を焼いてかぶりつく気分は素朴かつワイルドで、さながら中世の王侯貴族級。こたえられません。
おっと、残った煮汁ですが、ラーメンがうまいの何の。骨髄スープ用にシャンクの骨を叩き割るため、私はついに中華包丁を購入しました。
■ レディング通信U(72)−たたかうジェイムズ
(Sat, 13 Mar 2010 15:28) 【南の風】2339号 2010年3月16日
ロイヤルがつくと高級感がありますが(ないのも多々ありますが・・・例えば日本の集合住宅!)、世界最初で最高峰だったこともある英国郵便Royal Mailは、ほとんど毎年の郵便料金値上げとは関係なしに、昨今、各所で劣化が目立つように思います。
先般、私が注文した書籍は、玄関先のゴミ容器の中に「配達して」ありました。ドアの郵便受けに入っていた「配達時に不在につき」という赤はがきで知ったわけですが、これには配達者名も配達時間も日付けも何も、記入すべき欄は空白で、ただ「ごみ容器に入れてます」。
収集でごみと一緒に持って行かれたらそれきり。言語道断です。どういう社員教育を行っているのやら。プンプン。
さて、昨年十月のこと、大家さんのジェイムズが「配達時に不在」の赤はがきを見て、市内のデポに受領に行ったのが土曜の12時過ぎ。赤はがきにはデポの営業時間、土曜は12時半までと印刷してありましたが、行ってみると、なんとデポの事務所前の看板には、土曜は12時までの営業と。無駄足です。
さっそく抗議したジェイムズのもとには、最初しおらしい返事がロイヤルメイルから来ましたが改善なし。その後1月に、上役から来た手紙は、(それを私は今日見せてもらったのですが)「デポは12時半まで営業しております」と言う内容で、日本語(または中国語)で言えば、まさしく傲慢無礼。
依然、改善はなく、はがきでは12時半まで営業といって、現地の看板は12時までというインチキ状態が年を明けて、最近まで続きました。これは私も、デジカメに記録しています。
ところが、本日、荷物<20世紀初頭の「ナショナル・トラスト」の国際化+役員間の意見対立を示す一次資料と、日本原産ながら日本では入手困難なトラ斑のトクサ。うふうふ>をもらいに行ったところ、土曜の営業終わりを示す12:00の右から二番目の0の上に、黒マジックの手書きで「3」の字。(もとの看板は赤地に白抜き文字)。
夕刻になって初めて分かったことですが、業を煮やしたジェイムズが最近、ついに地元の新聞社に電話して、かくかくしかじかと問題点を指摘したのだそう。たぶんそこから問い合わせが行って、ロイヤル・・・がびっくりしたのだろうとの結論になりました。
英国にしたところで、誰かが声を上げないと、しかも個人ではだめで何かのアンプが働かないと世の中はよくならないという教訓でした。
実はこの話の発端が、前回ご報告の不思議コンニャクイモ。令夫人とスコーンでお茶を飲んでいるうち「日本のコンニャクイモとの違いを知るとしたら、顕微鏡で観察するのがいちばん」と気づき、くだんの不思議コンニャクイモと、ついでに今日、市場で買ってきたヤマイモを、ジェイムズのオフィスに持ち込んだことからでした。これは大正解。
両者とも、蓚酸カルシウムの針状結晶のすごいこと。ジェイムズがプレパラートにヨウ素をたらすと、見る見るでんぷんの紫色が現れます。こんにゃくのほうが細胞が小さく、でんぷんが少なめ。見るからに痛そうな蓚酸カルシウム結晶は分量的には双方とも同程度。これは生食可能なヤマイモのほうが、格段に少なかろうとの予想に反し、ヤマノイモに含まれている結晶のほうが断然太くて痛そうでした。
コンニャク製作が、次なる課題です。さて。
ちなみに、前に入手していた「虫入りこはく」も同様に低倍率で観察。蚊の太もも?の剛毛や、羽虫の触覚、花粉嚢まで見えて、殺虫剤でやっつけた現生昆虫をレジンに封じたイミテーションではないと判明しました。いつまでも見飽きない、小宇宙でした。
■ レディング通信U(71)−オックスフォード道のアフリカ食堂
(Fri, 12 Mar 2010 08:09) 【南の風】2398号 2010年3月14日
ついに四本一挙掲載(風
2397号)とは!「風」史上前代未聞の快挙???はた迷惑で申し訳ありません。けど、こういうはた迷惑を、私はもしかしたら嫌いでないかも。月末で賞味期限が切れますので、いましばらくのご辛抱をお願いいたします。
レディングの町の多文化化が、音を立てて進行しているようです。今日は、さきごろ近所のアフリカ食材店で教わった牛津道のアフリカ食堂に行ってみました。
バトル図書館の筋向いにあるジャスト・テイストというお店。図書館でご近所の日本人Cさんと待ち合わせ、行ってみるとカウンター5席だけの主に持ち帰り(テイクアウェイ)店でした。店番は、色の黒いおばさんと娘さん。仕出しもやっているそう。ふるさとの味を楽しみたい人のニーズがあるようです。
→■http://www.just-taste.com/
(大変垢抜けたHP。デザイナーの腕前はすばらしいのですが、これは垢抜けすぎ。)
メニューを見ると、案に相違してアフリカ料理とカリブ海料理が半々。もちろんアフリカのを頼みました。Waakyeといい、魚・肉・かしわのシチューにごはんがついたもの。シチューの具に魚を選んだところ、魚種はColeyだそう(犬のコリーはCollie)。Cさんによると、こちらでは猫のえさ。前に魚屋の店員がそう教えてくれたそう。めげずに買って帰って煮たら、いかにも不味そうなにおいが立ち込めて、すっかり食欲がうせたとか。
<ちなみに私は、もと九州で、大学の近くの箱崎商店街の肉屋のナンコツが気に入り。ところが、何度目かの買い物のとき、いつもと違うおばさん「いぬ用ですが、よかですか?」。だまっていればよかったのに。>
さて、10分ほどして四角い半透明のトレーに載って出てきたのは、お皿に赤飯風の柔らかく煮た豆ご飯。なんと、パック容器に一度つめて、そっくり裏返したそのままのレンガ形。それと別に、弁当用のプラスチック容器!に入った魚のシチュー。コリー魚の輪切りを揚げたものが、トマトペーストの煮汁?に入っています。さらに、小さいプラスチック容器の辛いタレがおまけ。カリブ海料理との違いがさっぱり分かりません。なお、タレは、はじめ削り節の味であと唐辛子味になる、不思議な味わい。
Cさんの注文は、黄色いスパイスご飯のレンガに、同じトマトペーストに入った牛肉。どうやらシチューは、肉の乾燥ぶりから判断すると、あらかじめ別に煮込んだのを取り出しておき、盛り付けのときに混ぜるだけのようです。
町のカリブ海食堂だと、ひと皿にまとめてよそってくれます。で、ここでもシチューをご飯の皿にあけて食べました。結構な分量。隣に座っている小柄な青年は、これに青バナナの焼いたのをを追加して混ぜ込み、さじですくって食べていました。
飲み物に、ミネラルと言う商品名の薄茶色「炭酸水」を頼んだら、甘い甘い。これはガーナ産。さらに、自家製のお菓子を包んでもらって持ち帰ったら、これもおびただしく甘いこと。ひとつはピーナッツの油砂糖固め。もひとつは、ピーナッツくらいの大きさに刻んだ椰子のコプラの、黒砂糖固め、しょうが風味。日本の菓子がそれほど甘くないのが、かえって不思議に思われるくらいです。
この食堂に出入りするお客はすべて黒人。店を出て、その辺を改めて見回すと、ヘアサロンが何軒もあり、しかも店頭に飾ってある写真はすべて、モデルが黒人。イスラム系のお店、ポーランド系のお店もあります。
チャリティショップで日本製「野菜のスライサー」と、青物屋でコンニャクイモそっくりに見える謎のイモを求めて帰りました。イモは、かぼちゃの大きさで、けっこうでかいのが日本円で300円弱。なんと、青物屋のおねいさん(お茶目なペルシャ系?)も、お客のおばさんも、イモの食べ方はおろか、このイモ自体をまったく知りません。「これはきっと、ヤムというものでしょう」。・・・そんなこと、言われなくても知っているワイ。
そして彼らは、私が聞いたこともない言葉で自分たちの話を始めました。
バトル図書館の「地元言語(ローカル・ランゲッジ)コーナー」には、ベンガル語、ウルドゥー語その他、南アジアを中心に数か国語の図書があります。前に地元の口さがない英人から「曹長殿みたい」と言われて大いに気を悪くしたマージョリー館長の雄姿も健在でした。
ねこ魚のコリーは、たらの仲間。ラテン名Pollachius virens、中国語で緑青鱈というそうです。和名を知りません。帰途、魚屋で見たら、半身になったものがキロ当たり9ポンド。マダラは15ポンド、丸ごとでキロ8ポンドですから、コリーはずいぶん大衆的です。
牛津道を街から徒歩で往復。今晩もぐっすり眠れそうです。
■ レディング通信U(70)−そぞろ神がものについて
(Thu, 11 Mar 2010 10:22) 【南の風】2398号 2010年3月14日
なんとも発作的な、本日のウォーキングでした。
テツヤ明けで昼すぎにおき出すと外は青空。ムラムラと身支度を整えると食事もせずいそいそとバスに乗って駅へ。コンコースにあるWHスミスの売店で安心用の地図を求めたとき、案内所の時計はちょうど二時。駅から北に抜けると、10分ほどでさっそくテムズ川。川沿いの里道を下流のヘンリーまで歩きました。
この道は、前に途中の町ソニングまで歩いたことがありましたが、里道通の家人から
「テムズ・パスはあんまりフットパスらしいパスではないけれど、レディング − ヘンリーくらいなら6マイル。ゆっくり歩いても3時間だし、手ごろかも。」と勧められていたのです。
青空はすぐに英国風の曇天になってしまい、息の白い、春は名のみの川風の寒さでしたが、ソニング閘門(ロック)の手前の「レディングブルーコート校」敷地の斜面には八重咲きスノウドロップスが咲き乱れていて息を呑むばかり。ニバリス種ですが大きく育っています。この季節ならではの風物詩。よく見ると、外弁に薄緑をさすものも混ざっていて、お好きな人にはもうたまらない。写真を添付します。二枚目は、テムズをバックにした一重咲き。
平日の午後、すれ違ったのは犬の散歩中の十人くらいでしたが、レガッタを漕いでいる女学生とコーチも二団ありました。カンムリカイツブリ、ハクチョウ、コクチョウ、シジュウカラガン、マガモ、ガチョウ、オオバン、グレートチッチ、ロビン、ユリカモメ。ソニング上空では、例の赤トンビが舞っていました。キジの色違いも、最後に登場。
シップレイクの先で工事のため里道が通れないところがあり、田舎金持ちの住宅地をバス通りまで抜けてしまって遠回りでしたが、豆列車の線路や駅がある個人の庭先を通ったり、約十年ぶりにヘンリーのマーシュ閘門の雄大な景色を堪能したりして、ヘンリーの駅に着いたのが5時半すぎ。45分の列車に乗ってトワイフォード乗換え、6時過ぎにレディングに帰り着きました。
歩いた時間は3時間半。6マイルにしては、よく歩いたような気がして調べてみたらなんと9.2マイル(14.8 km)。愛妻にだまされました。ゆっくり風呂を浴びてビールを飲んで、カレーライスで食事。川崎のお話の新しいネタも仕込めたし、今晩はぐっすり眠れそう。
■ レディング通信U(69)−英国人のやること!
(Wed, 10 Mar 2010 11:15) 【南の風】2398号 2010年3月14日
http://www.dailymail.co.uk/news/article-1255162/Fake-shopfronts-built-improve-look-recession-hit-high-streets.html
面白すぎなのでご紹介に及びます。最近のデイリー・メイル紙の報道です。英国北部にある北タインサイド市当局が、市の中心街がシャッター通りで殺風景にならないようにと、景観維持のため、あたかも食料品店がそこにあるかのような3Dの絵を、間口いっぱいに描いてしまいました。デリカテッセンの次の「?」がみそ。空想するだけなら誰にもできることですが、英国地方自治体のこの実行力ったらもう。
「市役所は、商店街ができるだけ魅力的に見えるようにする義務がある」というのが、市の担当職員の弁。(なお英国は、市街地の中心部分にある不動産は軒並み地方自治体の管理下におき、営利活動で市民が迷惑を受けないようにする習慣です。したがって、「土地の転売でぼろもうけ」が起こりえません。)
そこにお店がある「つもり」。シュールよのう。らくご「だくだく」の世界もかくやと思いました。
■ レディング通信U(68)−おばさん
(Wed, 10 Mar 2010 08:46) 【南の風】2398号 2010年3月14日
最近、近所のボランティア店で猛禽類のDVDを安く買ったら、年配のおばさんが「ねえねえ、今日はこの上のとんびを見た?二羽いるのよねえ」と話しかけてきました。レッドカイトは、えさになる野鼠の農薬汚染などで激減。絶滅が心配されていたのを、20年前にヨーロッパから数つがい導入して、北のほうにあるチルターンの森に放したところ、ぶじ繁殖に成功して生息域を広げ、みんなに喜ばれているところです。このあたり、丘の上で気流がいいのか、よく舞っています。
何ということもないのですが、今回の滞在で、心に残っていることのひとつが、おばさんたち。
シルビアさん。マークス&スペンサーの食品売り場のレジ係の、ターシャ・テューダー似のおばさん。ここでは、お客さんに「あなたをお待たせしてもうしわけありません」または「お待ちいただいてありがとうございます」と言うように教育されているようなのですが、ある時、途中で舌をかんで「あなたをお待たせしてありがとうございます」。次の瞬間に、お互いどひゃあ。で、すっかり打ち解けてしまいました。
大雪のクリスマス明けには、問わず語りに、イブの仕事が引けたあとで息子が車で拾ってくれて・・・と世間話をはじめたり。今日も、私が行列したと見ると、にっこりとうれしそうに微笑みかけてくれました。やるばいね。
ジャスミン。まだ若い、おばさんの見習いですが、おばさんの素質は十分。スーパー、セインズベリのカウンターにいます。話の好きな人で、「どこから来たの?」と話しかけてきました。私のことを同郷のネパール人だと思ったからといいます。カトマンズの出身で、6年まえにこちらに来たそう。英国をけっこう気に入っているとか。お父さんが退役したグルカ兵。ということは、士族のお姫様。笑顔がひまわりのような人です。
アモレットさん。もと、レディング南方のウェリントン公爵の地所のオフィスで、一族の歴史を調査していました。モーティマ村にあるお家のガラスケースには、ビクトリア時代のセールスマンが持ち歩いていたミニチュア食器サンプルのコレクション。ビルマ帰りのだんな、ラルフ・タナー博士は、反対側のケースに南米民具など。
20年かけて一画ずつ手作りした広いお庭が尋常でなくすばらしく、ビクトリア時代にイタリアから運ばれた大理石像で、英国でどぶに落ちて壊れ、そのまま捨ててあったものを格安で入手して、お庭のアクセサリーにしています。敷き詰めてあるレンガは、古い駅で工事があったとき、ただでもらってきた150年もの。知恵者です。私にとって夫妻は、絵葉書コレクションの師匠で敵同士。
私がスノウドロップスを集めていると知ったアモレットさんは、たいへん喜んで、Galanthophileという言葉を教えてくれました。
時々メイルのやりとりをしています。必ず、知らない単語がひとつふたつ入っているのですが、文章がすばらしく美しい。スノウドロップのガランソフィル、バラのロザリアンに類する、特定の植物愛好家を指す言葉は他にありますかと、前に尋ねていたのですが、さきほど返事が届きました。1850年の園芸雑誌の話から、しだ趣味、海藻コレクターのことなどを論じて、こうした名づけが他にないのは特定の時代の階級の産物ゆえとの結論。才媛です。
英国田園生活博物館で、もと教育官だったジルさんからも、お人柄そのままのメイルがたまに届きます。鍼医者のディーニスさんもそう。「文は人なり」といいますが、英国人にも英語の達人がたまにいるものだなあというのが、私にとっての発見でもあります。
■ レディング通信U(67)−今月は、アヘン戦争170年
(Tue, 9 Mar 2010 11:48) 【南の風】2397号 2010年3月12日
伊藤長和さん、再び烟台の人になられたのですね(南の風2395号)。風の便りが楽しみです。ますますのご活躍を。
ジェイムズの家でホームパーティのあと、私がネコという名のネコをネコかわいがりしている写真を添付します。ごらんのように、足の裏が見事に黒い「福ネコ」です。*写真・略
さて、国立の戦争博物館がいくつか、ロンドンにあります。もちろん、ロンドン以外にも。例えば軍港ポーツマスには、海軍関係の巨大な施設を再利用した博物館がひしめいています。
で、ロンドンはフラワーショーで世界的に有名なチェルシーにあるのが、国立陸軍博物館。先般の通信57でご紹介したチェルシー・フィジックガーデンのご近所です。チェルシーフラワーショーじたい、「チェルシーホスピタル」の敷地が会場とは、日本の園芸愛好家にはあまり知られていないことかもしれません。この場合のホスピタルは病院でなくて、昔の言葉で言う「廃兵院」。身寄りのない退役軍人のための養老院。歴史的にも由緒あるところです。
地下鉄スローンスクエア駅からバス通りまでは超高級住宅街ですが、その南側となるテムズの北岸は、こういう場所柄のため独特のたたずまい。バッキンガム宮殿の衛兵と同じ緋色の礼装に身を包んだご老人が、スーパーのポリ袋を提げて、ゆっくりゆっくり歩いている姿をよく見ます。甚だちぐはぐですが、もと本物の衛兵だった人かもしれません。
陸軍博物館は、何しろそういう立地ですから、ランベスの帝国戦争博物館に比べて、展示にも「我が軍よく戦へり」的な色彩が強く、私は従来、あまり評価していなかったところ。しかし、最近、アヘン戦争に取り組んでいると知りました。
→■http://www.national-army-museum.ac.uk/exhibitions/opium/
170年前の今月、我が軍は英国政府の全面的な支援を得た麻薬密売人たちのために、
あるいくさを戦った。いったいどうしてこういうことが起こったのか。この新しいオンライン
展覧会で見てみよう。
議会がほぼ二つに割れたと言ったところで、まったく言語道断ないくさを清国に売って、英国は「儲かりさえすれば何でもあり」と満天下に明らかにし、人類史に汚点を残したいくさです。これまで、英国の戦争博物館では恥ずかしさのあまりか、アヘン戦争については触らずに来ていた様子ですが、時代は変わるもの。もちろん、解説は英国びいきに読めるところもありますが、最初の一歩を踏み出したものとして評価したいと思います。
アヘン戦争から第二次大戦まで、ちょうど百年だったのですね。
■ レディング通信U(66)−お別れモード
(Mon, 8 Mar 2010 10:16) 【南の風】2397号 2010年3月12日
レディング通信(47)にタイプミスがありました。謹んで訂正いたします。
1894年の司法改革(誤)→1984年の司法改革(正) *本ページは訂正。
警察・刑事証拠法(1984年)が出て、制度が大いに変わったそう。ナショナルカリキュラムを導入した教育法改正が1988年でしたから、サッチャー政権のこの時代にはいろいろなところで大改革があったようです。といって、もう四半世紀にもなるのですね。
このごろ、ほかの人が宿舎を出払ってしまい、でかい屋敷に私だけ一人暮らし。これまでも静かなところでしたが、この上なく静かです。
それにしても一週間過ぎるのの早いこと。土曜は農民市場の日。徹夜明けで眠かったのですが、思い立って、一眠りのあと行ってみました。この後は二週間後の週末に一回あって、それから私は帰国となります。
「ありがとね、月末に東京に戻りますタイ」となじみのおじさん・おばさんに話すと、一様に「気をつけてね、夏にまた会おうね」と言ってくれます。市場のマネジャーも名残惜しそう。
本日日曜は強い霜の朝。月例ロンドン骨董市の日。日差しとはうらはらに風の冷たい日でしたが、これを逃すともうおしまいなので、お別れを言いに行ってきました。1月2月とさぼっていたので、今どきハッピーニューイヤーを言うはめに。
「自宅の琥珀(こはく)コレクションをぜひ見せたいから、東京に戻る前に電話を頂戴。見るだけで、買わなくていいからね」と、アクセサリー屋のおばさん。はじめの頃はまったく無愛想で、この世の中に楽しいことなんか何一つありはしないと言わんばかりの無表情だったのですが、次第に不器用な笑顔を見せるようになりました。
黒髪で、ロシア語が分かると言うし、どこの人だろうと前から謎だったのですが、今日になって問わず語りにセルビア出身だと教えてくれました。自分は早くにロンドンに出てきて良かったけど、国に残った妹さんは地獄を見たそう。いろいろな人がいます。
あと三週間、と考えるとなんとなく寂しいので、三週間の滞在予定で日本から着いたばかりの「つもり」でいようと思います。・・・日本に花粉症がなければいいのになあ。
■ レディング通信U(65)−ウシスベリ
(Sun, 7 Mar 2010 14:53) 【南の風】2397号 2010年3月12日
この季節、カウズリップCOWSLIPという、黄花さくらそうが咲き出します。和名キバナノクリンザクラ。牧場などの草地の野生種ですが、山取りはご法度。栽培増殖品を園芸店で買い求めます。
→■http://www.noticenature.ie/files/Cowslip.JPG
もと庭で大株に育てていたことがありますが、花は相変わらず小輪。おなじ野生さくらそうプリムローズに比べても見栄えのしないものです。が、フクロナデシコのような、昔のかぴたんのコスチュームのような、とぼけた風情の季節の花。何となく愛着を覚えます。
ずっと前に聞いたおお笑い話。すでに引退した長崎の有名お嬢様学校の英文学の先生(名誉教授)が現役大学生のころ、すなわち50年以上も昔のことですが、テキストにこれが出てきたそう。教授の解説がふるっていて「この草は見た目は愛らしいが実は粘液を分泌しており、牛が足を取られると危険である。そこから牛すべりの名前で呼ばれておる」。
もちろん粘液なんか出ません。もっともらしいことを言ってオトメを見事にだまくらかした。お気の毒なおばさま先生は、英国で真実に目覚めるまでの半世紀、ずっとぬるぬるウシスベリだと信じていたそう。・・・あの話からもう、十年以上になりました。
さて、こういうことを突然思い出したのは、オックスフォード大学(牛大)の図書館データベースの名前から。OxLIPというのです。オックスは去勢雄牛。カウズリップを知っている人がこぞってにんまりする設計と見ました。
ちなみにレディング大学のOPACはUNICORN。英国初の農業大学として始まったところなので、ことによると大学+小麦なのかもしれませんが、だとしたら凝りすぎ。学生の9割9分は「なんで一角獣なの?」と思っているのでは。
ケンブリッジのカタログは卒業生のNewton。超有名人ですが、ただそれだけ。芸があるとは見えません。とはいえ、ケントやウォーリックのように、愛称なしで○○大学蔵書カタログ式のところも多々あり。これは慶応大学と同じです。
私の知っている範囲内では、和光大学附属梅根記念図書館の「さとるくん」が傑出したネーミング。慶應義塾で「ゆきちくん」、早稲田で「しげのぶくん」はないだろうなあと思いつつ確かめたら、やっぱり、ありません。早稲田のWINEは、何の頭文字がぶどう酒になるのか、分からないのが難。
さとるくんのモデルが、目黒区図書館「さんまくん」と聞きました。こういう、あそびごころあふれる愛称が普及すると、図書館が楽しくなりそう。
それにしても、データベース化が進んで、大学の情報格差が開いています。しばらく見ない内にレディングがこんなによくなったと喜んでいたら、なんの。牛大の充実ぶりの前には話になりません。もちろんその背景に、アカデミックなデータベースが次々と開発・供用されていることがあります。たとえば、19世紀の古新聞全紙の記事がキーワードで一気に検索出来て、地方紙まで読めてしまうのです。一日かけてロンドンのコリンデールの新聞図書館(大英分館)に行かなくてよくなりました。
日本ときたら、pcだけは次々と新型が発売されますが、うう。質のいい情報コンテンツの開発が圧倒的に遅れています。国会図書館の近代日本ライブラリは上等なほうですが、システムを横着したのか縦書き本のページめくりに根本的な設計ミス。本文検索さえできません。
さらに言えばデータベース以前の問題で、日本の公共図書館のpc端末の少なさは、これはもう犯罪的。レディングの地区館で、昨年リニューアルオープンしたところなど、地域人口一万人当たり一台の水準をはるかに超えています。煎じ詰めれば総合的な文化・教育政策の問題だと思っていますが、これでは勝負すれば負けるのが当然。30年後の社会の担い手をどう育てるつもり?と考えると、日本国はつらいなあ。いわもと拝
■ レディング通信U(64)−名代のレディングからすみ
(Sun, 7 Mar 2010 05:25) 【南の風】2397号 2010年3月12日
他愛もない話をお届けします。
先月あたりから、魚屋に大きなマダラの卵巣がならぶようになりました。キロあたり10ポンド。1500円くらい。しょうが醤油で煮付けたりしましたが、いまひとつ芸がない。前に、ごく小さいものを明太にしたことがあったのですが、この大きさではコワイ。
いたずら心であれこれ思案して、初めてからすみというものを試作してみました。
まず大きな血管を掃除。秘伝、地中海の塩をまぶしてタッパーに入れ、冷蔵庫で脱水。容器にたまる水気を捨てながら、2週間ほどして硬くなったものを二昼夜ほど、流水で塩出し。水を吸ってやわらかくなると、振り出しに戻った感じです。ここで日本酒につける方法がインターネットで紹介されていましたが、外地でそんな贅沢な。代わりに台湾紹興酒で行水。(台湾からすみ烏魚子は、お酒を使わない製法のよう)。
あとはひたすら風乾。扇風機で風を当てました。すると不思議なことに、黄白色だった魚卵があめ色になり、からすみ色に仕上がりました。
恐る恐る切って口に運ぶと、鬼のように歯にくっつきます。しかし、味はぼらのからすみ同様。
まずは製造プロセスを見ていて興味津々だったハンガリー勢に食べさせて驚かしたあと、地政学のOさんに勧めてみたら、うまいうまいと止まらなくなりました。ご近所の日本人にも差し上げたところ、もとイタリアに住んでいた人もあり、意外な好評。お知り合いの台湾人も驚いていたそう。
いま、いそいそと第二弾の製造に取り掛かっています。
私の生まれた長崎では、ぼらの卵を加工したのがからすみでしたが、サルジニア島ではぼらのほか、まぐろのカラスミもあるといい、瀬戸内海にはさわらのからすみもあるそうですから、魚種は何でも良さそうです。
不思議なのが、作り方がハム・ベーコンとほぼ同じということ。塩で水気や雑味を絞ってきれいにした後、清水で塩出しして味を均一かつまろやかにします。それから乾燥。ハム・ベーコンは燻製をかけるものと、かけないものがありますが(例えばパルマの生ハムは燻製なし)となると、「からすみくん」はおいしいかも。
塩漬け、塩出しに加減がいりますが、原理が分かっていると、応用が利いて重宝です。塩を手にした人間が、動物たんぱく質の塊を保存してうまく食べようという作戦はどこも同じだったのだなあという、新鮮な発見でした。
沖縄でも、からすみは作られているのでしょうか?
■ レディング通信U(63)−今日の判決
(Sat, 6 Mar 2010 01:05) 【南の風】2396号 2010年3月 日
今朝は強い霜。日差しのうれしい気温8度です。沖縄は暖かくてよさそうですね。
バス暴漢事件あらため、ジャン・マーカス事件の判決というので、10時半に間に合うようにレディング・マジストレイト裁判所に行ってきました。結論は、手ぶらで3時前に帰ってきました。
4号法廷ということは分かっていましたが、開廷が何時になるか分からないといい、私は今回、ただの傍聴人として出かけたのに、証人サービスの職員が気を利かせてくれて、証人待合室に通してくれました。セルフサービスで、お茶とビスケットつき。テレビもついていて、貸切です。
壁には、私の好きな「きつね狩り」のとぼけた絵がかかっています。画面の手前で大きなきつねが昼寝をしていて、それに気づかぬビーグル犬と騎乗のきつね狩り部隊が画面中央を走っている構図です。
1時の昼休みになり、法廷は2時15分からというので、まずは腹ごしらえ。近所でタイ飯バイキング(ブッフェ)を食べて帰ったら、「実は・・」。
なんと、三週間先まで、休廷がアナウンスされたというのです。月末26日です。時間未定。
せっかくの晴天。こんなことならば、近所の村まで里道(フットパス)を歩けばよかったと思ったことでした。先の話ですが、6月下旬の日曜午後に、川崎市高津区の市民協働事業で、英国の里道のお話をします。いわもと拝
ps、待合室のテレビをつけたら、BBCバーゲンハント。赤組、青組の2チームが、専門家の付き添いで骨董市に行き、番組からもらった軍資金で、時間内にめぼしいものをうんと値切って買ってきます。これをオークションにかけて、いくらもうかったかを競うという趣向。司会は、先年アレクザンドラ・パレスの骨董市会場ですれ違ったおじさん。久しぶりに見ました。
ところが意外にも、両チームともセリでいい値がつかず、赤字。盛り上がりに欠けるというか、見事に盛り下がってしまいました。不景気のせいでしょうか。
市況をとても正直に反映した番組だけに、今日のような放送を不動産業界では迷惑がるのではと思ったほどです。
■ レディング通信U(62)−BBCとNHK
(Fri, 5 Mar 2010 07:54) 【南の風】2395号 2010年3月9日
月初めの陽気がどこかに行ってしまい、夜の9時過ぎから氷点下2度の冷え込みです。今度は台湾の地震。案じています。剣呑なニュースの多いこと。BBCニュースに動画がありました。
→■http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/8550368.stm
ところで、日本の沖縄タイムスなどでも報道されていましたが、BBCが大きなリストラを行う予定とか。計画だと、インターネット部門がかなり縮小されるような話です。さらに質のいい番組を作るそうですから、日本に売り込んで稼ぐつもりなのでしょう。恐るべし。
BBCの収入36億ポンド(4800億円)とあったので、ついでにNHKの収入を調べてみました。
こちらはなんと6635億円(平成18年)。BBCをはるかに上回るこれだけのお金をもち、しかも報道の質・量ともにBBCの足元にも及ばない、誠にがっかりする水準。昨今の円高の分をさっぴいたとしても、まだ足りない。BBCとNHKのコストパフォーマンスの違いは、いったいどこから来ているのか。NHKの下には、お金を捨てるドブでも流れているのかと、不思議でなりません。
レディングの北、スウ・ライダーに向かう方に、BBCの大きな施設があります。歴史的な放送アーカイブ部門のほか、巨大アンテナがあって、一説によると地球の反対側の潜水艦の交信まで聞こえるとか。
ジェイムズの知り合いに、ここで、朝から晩までひたすらロシア語放送を聴くのがお仕事という人がいるそうです。そういう地道な情報収集活動を、さてNHKはちゃんとやっているのか、気になります。もう一人のジョージの話は、次回に。
■ レディング通信U(61)−ヨージとジョージの出会い (1)
(Thu, 4 Mar 2010 06:41) 【南の風】2394号 2010年3月7日
当地のみなさんは、金曜はいそいそと帰宅して家族と過ごしますが、木曜の夜が社交の時間。ジェイムズ行きつけのパブリックハウス「リトリート」に時々出かけています。住宅街の一角にある、こじんまりしたところ。9時からバンドの生演奏が無料で楽しめます。
大型ビール資本の系列店が増えている中で、ここは家族経営。零細醸造元がつくるいわゆる地ビールやサイダーを各種取り揃えているほか、ベルギーのシメイなど、13度もあるような強いのまであって、翌日の心配さえしなければ天国のようなところです。しかも、英国は2006年から公共の場所での喫煙がご法度になり、以前のようにケムで燻されることもありません。世の中は進歩するものだと実感します。ジェイムズのおかげで、いろんな人と知り合いになりました。
ジョージ その1 アイルランド出身で、レディング大学のりんご研究部門に勤務する科学者。りんご品種のDNA地図をデータベース化していて、手持ちの分がすでに2000品種といいます。おいしい、新種らしいものを発見したら、葉を一枚ジョージに渡すと、既存の品種か新品種かを一発で見分けてくれるそう。「異名同種」はどの園芸分野でも整理がやっかいですが、こういう基礎研究に取り組んでいるとは、英国はあなどれません。もちろん、大学の農園と、ケントにある研究機関にそれだけの品種が保存されており、DNA情報だけではありません。
そういえば秋に、英国田園生活博物館MERLで開かれた「りんごの日」レクチャーで、「世界のりんご生産の4割が中国、その9割がふじ」と聞かされ、驚いたことがありました。遺伝子資源を持っているほうが、将来戦略上絶対に有利です。日本国はどんな按配なのでしょう。私の好きだった<さっぱり見なくなった>インドりんごや、私も父も好きな「紅玉」は?
・・・ただ、紅玉に限っては本名ジョナサンの方が通りがいいかもしれません。ジョナゴールドのお父さん。お母さんはゴールデンデリシャス。こどもがジョナゴールドとは、ひねりのない名前をもらったものです。
ところで、前に本欄で、日本の学校のチャイムの起源が英国の時計の捨て鐘らしいと報告しましたが、ジョージやジェイムズと飲み話のついでに、「英国の学校は?」と尋ねてみました。
彼らによると、学校には鐘楼がついていて、始業・終業は鐘の音で知らせていたといいます。近在の村にある100年以上も前からある学校と同じです。私の予想通りで、いわゆるチャイムではありませんでした。
スピーカーを通らない自然の音。ホーホケキョまでスピーカーでさえずっている日本の現状を思うと、大変なぜいたくに聞こえました。配線も電気代もいらない、単純なものなのに。(いっぽうで本物志向と言いながら、模造品を忌避しないのが日本文化の特質?)
学校ついでに「水兵のユニフォームは、日本では女子生徒の制服である。未成年に劣情を催すのはいけないことなので、成人向け映像作品のひとつのカテゴリーにさえなっている」。これは予想外の大うけ。鼻からビールを噴くかと思ったほど。
何でも言ってみるもので、ジョージが意外なことを教えてくれました。セーラー服はずっと水兵服だったが、20世紀初頭のエドワード時代に、セーラー服が男女生徒の制服として使われたことがあったのだそう。まもなく廃れたようで、もちろん今ではまったく見ませんが、日本では当たり前でも世界的にはじつは倒錯のコスチューム、女子生徒のセーラー服の起源は案外こんなところかもしれません。
そういえば、養老院のジェフにも前に、同様の話をしたことがありました。しかし将校上がりの八十翁には「女子生徒のセーラー服姿」は想像を絶していたようで、惑乱のあまり「そもそも水兵服の背中のフラップが何のためにあるかといえば、これを立てて前遠方の音を聞くためのもの」なんて言っていましたっけ。つづく
■ レディング通信U(60)−英国このごろの住宅事情
(Tue, 2 Mar 2010 02:17) 【南の風】2393号 2010年3月5日
月が改まりました。昨晩は白い冴え冴えとしたお月さんでしたが、今日は美しい晴天。月末には帰国です。朝10時に、引越し業者に下見に来てもらいました。前にお願いしたことのあるところで、担当のSさんは鳥取の山あいのご出身。こちらは1989年からだそう。
用件が終わった後、茶飲み話で勉強になったのがこちらの住宅事情でした。日本と違い英国人は預貯金をしないで、それよりも分のいい住宅に投資するのが資産形成の習慣でしたが、このごろ、だいぶ事情が違ってきているようです。住宅価格の高騰で手が出ないというのが一番の理由。
1980年代後半に英国は、日本に先行してバブル経済とバブル崩壊を経験していますが、90年代初頭の不況時にはモーゲッジ(買った家を抵当に入れる式の住宅ローン)が払えなくてホームレスになる人が多々ありました。それでも、運のいい人は学校を出たてでも一軒家を購入していたものです。ところが、90年代以降、住宅価格が3倍にも上昇したために、昨今は共働きの家庭であっても新規購入が難しく、今家を持っていない人は借家住まいを続けるしかないそう。これがあの成功した英国持ち家政策のなれの果てとは、驚きです。
すでに自宅を持っている人も簡単ではありません。資産価値が上昇しているのはよいとして、子供が大きくなった等の理由で今の家を売って買い換えたくても、大きい家の値上がりが著しいため、モーゲッジの組み直しがむずかしいといいます。(ちなにみ、最近モーゲッジを払えなくて家を追い出されホームレス化する人は、2000年以降、価格上昇後の住宅を購入した人が多いそう)。
そこで、買い換えをあきらめ、手持ちの家を増築してしのぐことになりますが、これまた諸経費高騰の問題に直面しています。15年前だったら1万ポンド出せば台所の上にもう一部屋できたのが、このごろは同じ工事に5万ポンドかかるそう。「あの時1万ポンドで増築しておけば、現在の評価額が5万ポンド違ったのに残念」という話。
かたや、借家の家賃は住宅価格ほどにむちゃな上昇はしていません。90年代初めに比べて住宅価格やバス料金は3倍でも、家賃は6割り増し程度。世の中、よくしたものです。物価の優等生?時々ボイラーが壊れたりでメインテナンスのコストがかかりますから、大家さんにしてみれば賃貸収入は期待できません。いずれにしても住宅価格はそのうち、ひどく下落しそうな雰囲気です。
ところで最近、キッチンに屋根瓦を降らせたお隣の家は、聞けばおばあちゃんの一人住まい。旦那に死なれた後、引き払う気にもならず住み続けていると聞き、そのつもりで観察すると屋根瓦があちこちいたんでいます。家が大きいために不動産税(人頭税を変更したカウンシルタックス)だけで年間3000ポンド。年金生活の独居老人には、メインテナンスのお金が思うに任せないのも道理かと思いました。
■ レディング通信U(59)−チャリティのはなし
(Mon, 1 Mar 2010 11:58) 【南の風】2392号 2010年3月4日
私がご近所の公共図書館から「地震・津波」ものをあるだけ借りては読みふけっていたのが、一年余り前のこと。今般のニュース(沖縄の地震・津波)には驚きました。「風」同人やお知り合いに被害がなかったか案じています。さいわい日本には大きな津波が来なかったそうで安堵していますが、台湾、中国、韓国は大丈夫だったでしょうか。チリ本土は地震だけでなく、津波でも大ごとであったとBBCが報じています。
→■http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/americas/8541546.stm
それにしても、津波がくると知ってサーフィンで遊ぶふうけものがいたとは驚きました。公序良俗を知らぬ、モラルハザードとしか思えません。横浜の小学校の文化財ごみ捨て事件もですが、きつく究明しないとまずそう。
さて、前々から、英国のチャリティ事情をご報告したかったのですが、のびのびになっていました。土曜日午前のスウ・ライダー・ケアのチャリティ市に、例によってこの週末もジェイムズ号で連れて行ってもらったので、この際ご紹介します。このチャリティは、がん、脳卒中、多発性硬化症、認知症などの患者・家族に支援をおこなっているところ。
→■http://www.suerydercare.org/
会場は、レディング北方の村ネトルベッド(テムズを越えて、そこはオックスフォード州)のカントリーハウスです。壮麗な母屋は、たぶん18世紀の赤レンガ。ちなみにネトルとはイラクサのことですから、ラプンツェル物語みたい。痛そうな地名です。
ここでは、市民が持ち込んだ大物・小物、すなわち家具調度、じゅうたん、衣類、骨董、がらくた、食器、瀬戸物、ガラス、アクセサリー、台所用品、書籍、園芸用品などありとあらゆるものがボランティアによって仕分けされ、カントリーハウスの付属施設一帯にそれぞれの売り場がところ狭しと設けられて販売されています。売り子さんはもちろんボランテイア。チェルシー・フィジック・ガーデンは負けますが、中産階級のおばさまどころが多いように見受けます。お客は階級不問。ただ、車でしか、このカントリーハウスにはアクセスできません。
なお、この市は3週間ごとで、朝10時半の開始で12時半に終了します。
私たちは土曜のレディング中心街を抜けるため、出発してから着くまで30分ほどかかります。昨日は路傍のスノウドロップに喜びながら、10時半にたどり着くと、えらい渋滞。手前の道の路肩に車を停めて、森の中を歩いたほどでした。
入り口で、ボランティアから20ペンスの切符を求めて、いざ。人気の婦人服コーナーなど、売り場に入るのに30人くらいの行列が出来ています。現品限り、早い者勝ち。数百人以上が会場を埋め尽くして、何か目ぼしいものはないかと探している様子は、英国らしくもなく、日本のデパートのバーゲン会場なみ。
11時前の、物欲と二人連れで熱気むんむんの会場と、12時過ぎの、めぼしい買いものを終えて「さあお家に帰ろう」とリラックスした雰囲気との落差を、私はとても興味深く思っています。
今回は30分しかいられませんでしたが、私は昔懐かしい木箱入りの生物顕微鏡(黒くて重い!)を急ぎ求めた後、数か月ぶりに見た焼き豚(豚の丸焼きを削って、パンに挟んでくれるもの)を堪能しました。かりかりに焼きあがった豚皮<クラックリング>がうまいのなんの。
ボランティアが運営するティールームのほかに、ハンバーガー屋、アイスクリーム屋などの業者がトレーラーの店を開いているのです。それぞれ行列が出来ています。
前回、家具売り場で見た珍品は、巨大手回し蓄音機。ふたを閉めると木製キャビネット。中に蓄音機が入っていて、開けたふたが音響板になる、グランドピアノと同じ発想。SPレコードがついてなんと50ポンド(7000円)。以前、新品袋入りの木綿ワイシャツを求めたこともありましたが、袋をあけるとやたら虫ピン。「危ないなあ、けど昔はみんなこうだったなあ」と、襟首を見るとMade in England。たぶん20年は経っているものと見ました。しっかりした生地でいいものでしたが、着用に及ばず、虫ピンつきのまましまっておくとよかったかも。
産業革命で誕生した資本主義社会のひとつの本質が、「世の中に盛大にモノを送り出してお金を連動させること」であったと思っています。品物がかように古く、値段的には次第に安くなっても、モノとお金のセット関係を崩さずに、あくまでモノを流通させることで社会的に意義あるお金の流れづくりに役立てているのは、持続可能性から見ても、本質を突いていると思っています。ただ、この前提になるのが、古くて良いものの存在。粗製乱造の量産品で、古くなるととたんに商品価値をなくすような安物ばかりでは、こうはいかないかもしれません。
さて、大家さんのジェイムズは、前にこのスウ・ライダーで教会にあるような巨大「聖書」を見つけ、10ポンドの値札のところ、「これはいいものだから」と、15ポンド払って買ったことがありました。いいものをお値打ち価格で買えるとうれしい、安く買えるともっとうれしいという庶民的?な発想しかなかった私は、彼のチャリティ精神にいたく感動して、「そういうお金の使い方ができる大人になりたい」と思ったほど。
ところが今回のジェイムズは、ウェールズの炭鉱で使われていた安全ランプを首尾よく発見。それはよかったのですが、値札がなく、売り場の人が「買値を言ってください」というので15ポンドでもらおうと思っていたら、後から来たお客がボランティアと世間話を始め、延々十分もした後で、何と15ポンド払って買って帰ってしまったそう。話を中断させるのも悪いからと、横で黙ってにこにこ立っていて損したという話でした。行儀よくしつけられた英国紳士のつらいところ。
このスウライダーのチャリティ市は大規模なもので、私は類例を知りませんが、NGO経営のチャリティショップは、英国の商店街になくてはならないお店です。商品は、市民が不用品を持ち込みます。レディングには、拙宅の近くにクリスチャン・エイド、今のところのそばに自閉症支援と老人支援、街中に、アフリカ飢饉救済のために発足したオックスファムの書店と音楽専門店、がん研究、心臓病、病気で長生きできない子供と家族を支援するヘレン・ダグラスハウス、などがあります。
→■http://www.helenanddouglas.org.uk/
ウィンザーには、病犬を獣医に診せるためのチャリティ店も。
レディング市内でも、オックスフォード道など労働者街にあるチャリティショップは品揃えがガラクタに近く、かたや、世界的な支援団体であるオックスファムの店など、垢抜けています。チャリティショップで町のたたずまいが分かるのも面白いことだと思っています。何でも、ロンドンの高級住宅街のチャリティ店には、高級ブランドの衣料品がたっぷりあるとか。
もちろん、地域住民が支えているからですが、昨今は庶民の懐事情が厳しくなって、インターネットのオークションに行く品物が増えたとの報道もあり。なるほど、近所のヘルプジエイジドのお店には、品物を寄付してくださいと大きな貼紙があります。
これに対してeBayは、「うちでお金に換えたのちチャリティに寄付する人もいる」と弁解していましたが、あまり説得力があるとは思いません。
それはそうと、NGOは、社会を構成する三領域すなわちビジネスセクターと公共セクターとプライベットセクターでいえば3番目になります。チャリティ店は、目的を特化させたNGOによる活動資金づくりの部分ですが、市民社会のありかた、とくに高齢者の社会参加のひとつの解としても、注目すべき内容を持っていると思っています。
■ レディング通信U(58)ー春かぜ
( Sat, 27 Feb 2010 09:19) 【南の風】2390号 2010年2月28日
不如意の途絶をお許しください。じつは先週まず私がウィルス感染(はるかぜとも)。2日後に折りたたみPCがウィルスに当たってダウン。マカフィーそっくりの色違いで、緑色の盾マーク「ウィルス・チェック」ソフトが表示され、メイル以外のインターネットアクセスができなくなりました。「ウィルス感染の危険があります」といって執拗に「ウィルス・チェック」ソフト購買の画面にもって行くウィルスでした。クレジットカード情報を盗む目的か。迷惑メイル発信を目的としたゾンビ化のためとも。悪いやつがいるものです。
レディング大学ITサービスのワクチンソフトでは手に負えず、宿舎の下の階のハンガリーに助けてもらって、ドライブの初期化からやり直した結果、何とか日本語も使える状態に回復しました。ところが、表示される漢字の字体がどことなく中国語風。しかもウィンドウズ7が英語版のため記号がキーボード表示と違い、文字化けも多発。以前、システムに英語98を使っていたときにもこういうことがあったなあと、すっかり忘れていた昔の経験をあれこれ思い出しています。
興味深い発見がひとつ。漢字語を、たとえば「秋」と入れてグーグル検索すると、出てくるのは軒並み中国語サイトばかり。日本語サイトがまるでなく、驚きました。内地の日本語環境のユーザーは、世界が中国を中心に動き出していることに気づかないよう特別の扱いを受けているのかと思ったほどです。ひらがなを入れると、さすがに日本語サイトだけヒットします。
本日は春一番。風がゴオゴオ。キッチンがおおごと。テツヤ明けの朝7時には平気でしたが、12時に起きだしてみると、なんと、お隣の屋根がわらが飛び込んで4枚ある70×40センチの窓ガラスのうち、一枚の中央に大穴があいており、台所は割れガラスだらけ。大きな音だったでしょうが、熟睡中の私はまったく気づきませんでした。だれもいない時で何よりでした。
■ レディング通信U(57)−ロンドンのふきのとう (Tue, 16 Feb 2010 10:17) 【南の風】2384号 2010年2月17日
ありがとうございます。(承前・風2383号 2月15日・日誌
→■)
帰りの飛行機ですが、3月29日にヒースローを出発して翌30日に成田に着きます。あいにく3月の定例会の次の週。昨年のうちに安い切符を取っていたため日程が動かせず、せっかくのご好意でしたのに残念です。
悪漢の件は、イスラム検事さんが罪状を読み上げる中に、レイシャル何とかが2つありましたので、人種差別事件と検察が認定していることは確実です。ところで、悪漢が所持していたというアンフェタミンは、不法所持で「5年以下の禁固」が法の定めだそうですが、刑務所が満員なので草掃除かペンキ塗り。法の正義が行われないという問題です。ちなみに日本だと「十年以下の懲役」といいます。
先週末は、ロンドンにある世界最古?の薬草園「チェルシーフィジックガーデン」の冬季特別公開日。その前の週末を逃していたので、これきりあとがないと、土曜朝、列車に乗っていそいそと出かけました。夏に行くと、英国で「うどの大木」が見られるところ。
入り口の小屋で入園料8ポンド払うと(うわっ、高い!)、感じのいい黒人のボランティアさんが「前に来たことはありますか?」「あるけど、最後がもう十年も前のことだから、ずいぶん変わったでしょうね」。「ええー、十年前にはボクはいなかったなあ」とうれしそう。
まずはさておき、品種ものスノウドロップスの直売コーナーに直行。というのは、以前は品数が少なく、珍品はすぐに売り切れの記憶があったのですが、今回はたくさん並んでいました。きっと好評なのでしょう。
列の一番奥で、大きな名札の刺さっている鉢が見栄えがいいと見抜いて、そういうのを選っていたら「あら、やっぱり分かったのね」。「うひゃあ」。一瞬、らくご「看板のピン」を思い出しました。
ボランティアさんは圧倒的に60歳前後の女性。しかも、チェルシーというロンドン屈指の超高級住宅街という場所柄、えらいポッシュで上品なミドルクラスのおばさまたちばかり。だからどうということもないのですが、言っていることがよく分かる点は助かります。どうやら「友の会」組織のよう。
めぼしいものを袋に入れて取り置いてもらい、11時からはじまったばかりの園内ガイドツアーに合流。ガイドさんは声の小さいモーリーンさん。黒板にお名前がありました。お客は10人ほど。
この界隈は高層住宅ばかりなので、広々した地上でボランティアというのは人気なのかと思いました。非営利民間団体がボランティアに支えられ、ボランティアはボランティアで、仲間をつくり、来園者との出会いを楽しみ・・と、温室が暖かいのをよいことにしばし魂を飛ばして、社会教育のボランティア論を考察(のつもり)。
見ると目の前の壁にヘチマを小さくしたような青い果実が下がっています。何だろうとモーリーンさんに尋ねたら、バニラの実だそう。珍しい。はじめて見ました。
ところが、右手の壁を這っている多肉で革質のバニラは、前に東京ドームらん展から来たのを育てたことがあり、知っているのですが、これとは質感がどうも一致しない。困ったなあと果実の方を見ると、干からびた細いツルに、ウリ科と同じ巻きひげがあります。
「これは、ことによるとヘチマではありますまいか?」
あいにくなことに、モーリーンさんはルーファ(へちま)を見たことがないらしく、きょとんとしていました。私の横にいた、大きなアメリカ人のおばさんは、私の言っていることが分かったよう。
ボランティアがお客さんばだまくらかしたらいかんばい。
過日の大英土偶展の解説がなぜよかったかと言えば、展示を作った専門官の話のあとで、質問の時間がとってあったから。ボランティアさんの場合、かねて準備のお話はいいとして、不意の質問には対応できないでしょう。聞かされっぱなしではつまらない。同じ話を聞くならやっぱり、私は質問に答えてくれる学芸員がいいナアと思いました。
ところで、30分後のガーデンツアーは、なんと50人もの群集になっていました。
解散後、時折粉雪が舞ったり、たまに薄日が差したりする中、お茶も飲まず、ひたすら園内を2時間半歩き回って、ハナのにおいをかぎながら(日本では珍しくなった原種ロウバイがあります)、スノウドロップスを中心に早春のハナ写真を撮ってきました。なんと870こま。露出ずらしで3駒撮りをさっぴいても300ショット近くです。デジカメは、撮って楽しくはないけれど、フィルム交換の手間が要らないので、こういうときに便利。立派なふきのとうもありました。
園内を巡回しているボランティアのおばさまと話をしていると、このガーデンが好きで好きで、いい季節になりましたねえという喜びが伝わってきます。ほんと、そういう気持ちになります。
今回、じつは戦前の中判写真機を持参していたのです。ところが、長くてたくさん撮れる220フィルムを初めて入れてみたところ、背面に番号が打ってないことがわかり、愕然。裏蓋の窓に番号を合わせる式の手巻きフイルム送り。巻き戻しが出来ないので、フィルム一本がおしゃか。何こまかは撮れているはずですが。
レディングに戻り、駅のそばの「スティションカメラ」に、本当に久しぶりで入りました。ここも十年ぶり?正調レディングなまりで話すおじさんが、二十年のうちにすっかり白くなったこと。
さいわい120フィルムの在庫が各種あり、ひと安心。「220フィルムなんか、よく手に入りましたねえ」と珍しがられ「して、機材は?」。
「古かですよう」。せっかくなので、弁当箱のようなのを取り出して、ひろげて見せたら、あれこれ感嘆しながら眺めて、手入れの様子をほめたあとで「ちょっと待って。見せたいものがあるから」。
なんと、同じメーカー製の半分サイズの写真機「セミイコンタ」が出てきました。おじさんが、商売そっちのけでうれしそうなこと。ニコン、キャノンの新型だったらこうはいかないでしょう。
ニコニコしている幸せな人にたくさん会った土曜日でした。
■ レディング通信U(56)−法廷
(Sun, 14 Feb 2010 12:46) 【南の風】2383号 2010年2月15日
新年好!昨日午後、近所の中華食材店で、なんと烟台の梨を見ました。新世紀?。大玉のAAA品で立派なもの。あいにく箱売り専用でばら売りはせんようとあり、購入には及びませんでしたが。
さて、12日の金曜日、午前中にバス暴漢事件の第二回公判でした。今週になって検察官から、「被告弁護人が無罪請願
non guilty plea をとりさげたため、被害者証人のご来駕には及びません」と連絡あり。で、やれやれだったのですが、前日夕方にジェイムズが「オブザーバーとして行って見たらってママが勧めているけど、どうしますか?」
急遽、思い立ったというわけです。前の晩に担当の検察官に、「というわけで行きます、つきましては」とメイルを出していたら、朝いちで「段取りします」との返事。
親切なジェイムズに付き添ってもらって、レディングのマジストレイト裁判所についたのが10時。言われたとおり「証人サポートオフィス」を訪ねます。ジェイムズママのお友だちのいるところ。さっそく応対されて別室でしばらく待ち、若い婦警さんによる「心情調書」取り。事件の後遺症、医者通いのことなど。婦警さん、レディングにはもと務めていたが、ずっと勤め換えで実は今日が転勤初日といって、時々ハナをすすり上げながら書類を作ってくれました。別に、盛大に咳き込む職員もおり、裁判所では風邪がはやっているようです。二つ折りの一枚紙に7か所も署名して完成。
しばらくして館内放送があり、4号法廷に入室。いましたいました、悪いやつ。被告人席はガラスで囲われています。40前後かと思っていましたが、こうして観察してみると意外に年が行っているよう。もしかしたら50前かも。神妙にネクタイ姿で目を伏せていますが、相変わらずのスキンヘッドで鼻がつぶれていてタトゥだらけで、ゴリラを凶悪にしたようなえづか顔。こんなにおっかないのを、よくまあつかまえたなあ。正気ではまず出来ないなあと思ったほど。私はよほど気が動転していたに違いありません。
法廷は、正面の紋章を背に奥から順に、
○マジストレイト裁判官3名、主席が男性、両脇が女性でいずれも50代後半。
○書記官3名。いずれも30代女性。向かって左の人はデル製PC画面とにらめっこ。中央が
主席のよう。右端の人は黒ガウンを羽織っていて、遅れて来て、早めに退場。
○それに対面で、平床の長机に訴追人と弁護人席があります。裁判官からみて右手が訴追人、
左手が弁護人。弁護人席のさらに左手に被告を収納したガラスケース。背後にドアがあり、もう
ひとつ、室内に通じるドアは開放。(そういえば、警備員はいませんでした。ついでにいえば、昔
見学したことのあるドイツの法廷と違って、十字架がありません。)
○弁護人席のうしろに、もうひとつ長机。3人目の書記官と同じに遅く来て早く出た人が1名だけ。
○壁を背に並んでいる椅子に、4名。いずれも男性。傍聴人?。よく分かりません。ひとり入れ替
わりあり。
○被告席に向かう形で、後ろの机に3人(事務官のよう、いずれも女性)。その前の椅子に、証人
サポートオフィサー(ジェイムズママの友人)それにジェイムズと私。〆て20名。裁判官、書記
官、訴追人・弁護人8名のうち、6名が女性でした。なお、バスで私の後ろに座っていたというア
ベックは、今回、姿がありません。
11時15分に入室したときには、すでに訴追人が起立して事件の経過と罪状を述べ立てているところでした。黒衣にスカーフのイスラム女性。被告人は昼から飲んでいて、A級覚せい剤アンフィタミンを所持。1983年に逮捕歴があることなどが分かりました。出来立ての私の調書が証拠採用されて、裁判官に渡りました。
次が弁護人。「この夏一番暑い日だったので」被告は終日飲んでいた。被害者に謝罪したい。笑えたのが「被告は1983年から今回までの期間、逮捕歴がありません」。ものは言いようです。
そのあと、主席の書記官からアナウンスがあり、私の後ろの事務官が、アルコール検査結果を確認する発言。そこで一段落して、書類が往来する5分ほどのあいだ、ざわざわしていました。
みるからに悪々しい面相の悪いやつと一緒にいるだけで頭が痛い気分でしたが、11時半になって主席マジストレイトが被告を立たせ、「収監でなく勤労奉仕になるだろう。しかしこの場で量刑を決めるには複雑なので、判決は三週間後」と宣告して閉廷。3月5日朝10時半からです。
法廷で、法曹のお仕事ぶりを見ていて、ある種の感懐を覚えました。あの時取り逃さないで捕まえていたからこそ、こういう本格的なお裁きの場が実現したのだよのうと。ちょっと自分をほめたい気分。
被害者が完全に満足する判決はありえないと思っています。私は犯人が「イギリス相場」で裁かれることでよしとしていますが、正義漢ジェイムズの精神衛生にはよくなかったみたい。もし現場でヨウジがつかまえておらず、30分後に逮捕されたとしたら、知らぬ存ぜぬで通しただろう。犯行をお天気のせいにするつもりか。今回だって直前まで無罪を主張していた。もしバスのCCTVが壊れていたら撤回しなかったろう。この国の処罰はふうたんぬるい、あれだけのことをしでかして公園の草掃除か公共施設のペンキ塗り。だから犯罪が絶えない。コミュニティサービスでも監督に2000ポンドのコストがかかる。犯罪者は支払わない。自分たちの税金が食いつぶされる。云々。
達者な英語で、私になり代わって大いに怒ってくれました。その後、彼のオフィスに移動して、この国のモラルハザードの問題あれこれを聞かせてくれて興味が尽きなかったのですが、機会を改めてご紹介できればと思っています。
犯罪が発生すると社会コストが発生しますが、犯罪が多いために刑務所が満員で厳罰が徹底せずペナルティが軽微。このことがさらに犯罪増加を招く悪循環にあるというのが、英国の悩み。日本国だって、いつそうなってもおかしくないと思っています。
頭痛の種が終わってすっきりしました。シリアスな話が続きましたので散歩をかねて、機嫌よく「ごぼう」を買いに出て、烟台梨に遭遇したというわけです。レジのおばさんと「ハッピーニューイヤー」の挨拶を交わして、お店をあとにしました。
添付写真の看板を見ていて、Courts と複数形になっているのにいま気づきました。道理で、今日、知り合いと話をしていたときに、こっちがコートと言ったのに、先方はコーツと言っていたわけです。それぞれの部屋が Court ということでしょうか。
■ レディング通信U(55)−珍しい?預かり証
(Fri, 12 Feb 2010 06:29) 【南の風】2382号 2010年2月14日
ただでさえポッシュなウィンザーの城下、郵便局の隣にハイカラな宝石屋があります。
→■http://www.berrysjewellers.co.uk/
夏に、ダイアナ妃の葬式行列に出てきたと同じ巨大な黒塗りデムラー車を何台も停めて、さる、やんごとなきご一行がお買い物をしていたところ。
→■http://www.dloc.org.uk/images/cars/daimler_ds420.m.jpeg
たまたま、が連続した結果、私はガラにもなくその店に、あるブツの修繕を頼みました。先月末のことです。最近、確認の電話を入れようとして、預り証を出してみたら、あるのは私の住所氏名だけ。裏は真っ白で、当然あると思っていた店の屋号や電話番号が、一切ナシ。セキュリティ上の理由からでしょうか?(もちろん私は、他店の事例を知りません。) で、昨日直接行ってみると、ちゃんと上がっていました。あとで、「話の種にコピーをとっておけばよかった!」。
入り口はロック式の二重ドア、中にはごつい私服ガードマン。およそ貧書生には縁のないキラキラピカピカの世界です。またもカントリーウォークの姿そのまんまで、リュックかついだお客には、店員も驚いたでしょう。
店を出たあとで、ベルト交換の必要な私の腕時計と同じメーカーのがショーケースにあるのに気づき、またこんにちわ。クソ度胸というやつです。
実はこの時計、20年以上使っている製造中止品。町田のデパートで、純正ベルトは入手不能と宣告されて、ここ数年はありあわせで使っていたいたいわくつき。よくて「メーカーに送って聞いてみましょう」だと思っていたのです。
ところが驚くべし、「これこれ」と見せた瞬間に話が通り、5秒後にはピッタリのベルトが出てきて、2分後には交換完了。35ポンド也。これほどの早業は、日本でもそうそう見ません。こういうイギリスもあったのだなあ、(あるところには)。
■ レディング通信U(54)- 春告げ花
(Tue, 9 Feb 2010 23:29) 【南の風】2381号 2010年2月11日
トヨタ、プリウス車のリコールが、BBC国内ニュースのトップ。8500台といいます。社長の謝罪会見の動画つき。
→■ http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/default.stm
寒さが戻ってきて、昨日は昼、気温2度で粉雪。今日は3度。それでも、このごろ春の息吹をあちこちで感じます。市場の花屋に、ついに春告げ花の黄色ラッパ水仙が出るようになりました。しみじみとうれしい、季節の替わり目です。
土曜午後は、私がいつも楽しみにしている鍼療治。担当のディーニス先生は、とても小柄で心優しい英国乙女。キンに丁重なお悔やみを頂戴しました。お家にはその昔、友達の家で生まれたのをもらってきて、時間をかけてスポイルした老黒猫タズがいて、家族同様といいます。
ところが、お家のあるところはロンドンといっても外れで、それほど車の通らない場所なのに、一緒に来たタズの兄弟は散歩中、轢かれて死んでしまったそう。
「しばらくしてタズ自身も事故に遭って心配しましたが、さいわい元気になってくれました。12年も一緒でしたから、タズがいなくなってしまったら私どうしましょう」。
なんとこの日、私は治療台の上で足を伸ばし、手足に鍼を打たれたまま瞬間居眠りという離れ業を演じてしまいました。自分のいびきで正気に返り、ああ恥ずかしかったこと。カルテをつけていた先生も、もちろんびっくりです。
終わってから、片付けの始まりかけた花屋で、「初物」スイセンの上物、すなわちひと束2ポンド50もする葉付きの長いつぼみを奮発して帰途に着きました。ちなみに茎の短いつぼみだけのものだと、一把1ポンド。
バスを降りると、前のおかあさんと女の子が「あらあら」。見ると、太さ1メートル近いプラタナスの街路樹の根かたに、ほれぼれするほど美しいシルバータビー柄の、素敵に大きな猫が安らかにノビていました。はりねずみやキジなどの轢死体はよく見ましたが、ペットの交通事故は英国11年目にして初見。飼い主は悲しかろ。それにしても当て逃げなんて。こういうひどいことをするのは必ず人間と決まっていて、畜生けだものは絶対にしません。だから地獄に落ちるのも昔から人間。
親子連れは親切な人で、しばらく「どげんしたらよかかしらん」と考えあぐねた様子でしたが、息のないのを確かめるとさっそく近所の家に知らせに行きました。最初の家の人は心当たりがないというので、また次の家。手持ち無沙汰になった私は、銀旅猫にスイセンを一本手向けて、南無畜生菩提。
まだ死後硬直まえ。血も流さずに眠っていますが、ことによるとこの哀れな猫は突然すぎて自分が死んだことに気づいていないかも。だったらそれは不憫。そこで、よく言い聞かせてやりました。
「なむからかんのねこにゃあにゃあ。行く先がよう分からんやったら、キジの尾羽を目印に、マンジュウ頭の白いじいさんを探して、『あのうご隠居さん、キンタロウお兄いさんではいらっしゃいませんか?』と丁寧にご挨拶ばして、一緒に連れて行ってもらうとぞ。そうしたら道に迷わんでよかけん」。
一夜あけてキッチンに降りると、つぼみだったスイセンがパイントグラス(ビールコップ)の水を吸ってみずみずしく開き、輝くような香りを放っていました。こうなることは分かってはいるのだけれど、見るたびに感動があります。
銀旅は、足の弱ったじいさん猫にそろそろ追いついた頃合?「地獄八景」オガラの杖ならぬ、キジの尾羽と黄スイセンを携えたデカ猫二人の、冥土の道中。うなぎの白焼き、日本のおさしみ、生きたしろうおがどんなにうまいか、料理を待ちかねてガス台に飛び乗り、ひげを焦がしたキンタロウの武勇伝で盛り上がっているかも。道連れがいて、さびしくなくてよかったね。
心配して探しに来て、変わり果てた愛猫をみつけた飼い主さん、悲しかろうばってん、スイセンが咲いとったろう。やけん、ひとりだけで悲しまんでよかけんね。
12日に予定されていた法廷は、被告弁護人が無罪の主張を撤回したため、私の出番はキャンセルとなりました。せっかく緊張のおももちで出廷するつもりだったのですが。お元気で。
■ レディング通信U(53)ーレディング農民市場 (Sun, 7 Feb 2010 15:01) 【南の風】2380号 2010年2月10日
地産地消と地域経済活性化のための市役所の施策で、月の第一、第三土曜日に駅の近くで開かれています。早いもので、もう11年目だそう。始まった当初は、ときに出店が少なく閑散として、「大丈夫かい?」と見えることもありましたが、定着して何より。
下旬に旅行予定の川崎の知人から、ファーマーズマーケットに関心ありとのメイルを受け、早起きついでに久しぶりに行ってきました。
9時前にはすでに、買い物袋持参のお客がそこそこの入り。土のついた有機野菜など、いいものを扱っているので、安さが売りのスーパーや市場に比べればちょっと高め。お客は、なり格好からして中産階級の善男善女が多いように見受けます。
一巡して20分ほど、二羽で5ポンドのマガモ、ジャガイモ、タマゴ、蜂蜜、ベーコン、燻製うなぎ、ソセッジを購入して、本格的に混まないうちに引き揚げました。昼前にもなると、売り切れ続出なので、早起きに限ります。
いつものおじさん、おばさんから買い求めますが、商売臭さがなくて、売るほうも買うほうもどことなくのどか。ゆでザリガニも売っている鱒屋さんでは、6つ位の色の白い女の子が、お父さんと一緒に店番をしていて、お店屋さんごっこみたいです。
買い物自体、いい気散じですが、この農民市場で買い物をすると、普段の買い物よりもことさらいい気分になるところが不思議。先日らい小銭入れをパンパンにしていた赤いバラ銭が大概はけて、こちらもすっきりしました。
「生産直売だから安い」という発想はありません。他では買えない新鮮良品を相応のお値段で。この選択は悪くないと思っています。とはいえ旬のマガモは一羽350円。キジより安い。材料費タダ、銃弾代も抜きで、羽根むしり賃の実費程度にしか見えません。いくつも並んでいる中から大きいのを一瞬で見分けて、さりげなく買うのがコツ。
→■
http://www.reading.gov.uk/communityandliving/General.asp?id=SX9452-A77FB5A9
一軒4メートル+のテーブルに品物を並べて、内訳としては八百屋2、花屋、ヒツジ肉屋、りんごジュース酒屋、ジャム蜂蜜屋、パン屋、タマゴ屋、トリ屋、鱒屋(養殖場)、ベーコン・ソセッジ屋3、牛肉屋、チーズ屋、ビール屋、チャツネ屋(サモサあり)といったところ。季節によって、これに手作り籠屋、いちご屋、アスパラガス屋などが加わります。
■ レディング通信U(52)ー三時のにじ (Sun, 7 Feb 2010 06:04) 【南の風】2379号 2010年2月8日
最高気温が7度にもなると御の字というところ。それでも、このごろ日脚がどんどん長くなって、北国住まいの身としては、大変うれしいことです。ガーデンセンターはもちろん、99ペンスや1ポンドの廉価荒物屋にまで、花の球根や苗もの、それに鉢、肥料、ナメクジ殺し(英国園芸の必需品)といったガーデニング用品が大量に並ぶようになりました。ジャガイモの種芋もあります。つい先週、花に添えるプラスティックのラベルを求めて街中を右往左往し、ホームセンターで3ポンド近い高級品を求めたばかりなのに、同じものが今では99ペンス。くやしい。
TOAFAECはいよいよ160回定例会なのですね。盛会でありますように。遠藤さんからのご案内を拝見して立春過ぎと知り、さもありなんと。
昨5日は久しぶりの晴れ間。ところが午後、バスに乗るときは小雨。街で降りると、なんと突風の土砂降りでした。宿舎を出るとき回れ右して、傘を持って出なおしておいてよかった。ところが、西の空は晴れています。
思うところあって建物の間から東方面を透かしてみると、案の定、見事な虹。外側にもうっすらと、二重になっています。傘を差しながらデジカメのシャッターを押していると、通りすがりのおばさんが感に堪えたように「美しかねえ」と声を掛けていきました。タウンホール(旧市庁舎)の時計が、3時を知らせました。
雨にも負けず、あと50m進めば公園でいい写真が撮れたのにと、いま気づいたところです。
■ レディング通信U(51)ーまるの内のアンネ・フランク
(Sat, 30 Jan 2010 23:12) 【南の風】2375号 2010年2月2日
ショッピングモールのMallを、英語はマルと発音します。レディング、ブロード通り「マル」は、1970年代の開発で、水木金土の市場が隣接。十年前に巨大再開発商業施設「オラクル」ができてから、上階には空き店が目立つとはいえ、やはり繁華なところ。
→■http://www.broadstreetmall.com/
ここに最近、アンネ・フランクが来ています。1月27日に気付き(ホロコーストの日:アウシュビッツ解放記念日だったそう)、昨29日にカメラを持ってもう一度会いに行ってきました。
展示は、畳一枚ほどの幕に、写真、キャプション、『アンネの日記』抜粋などがプリントしてあり、都合30枚。1929年アンネの誕生にはじまり、第一次大戦後のドイツの高失業、ヒットラーの台頭、ユダヤ人迫害の開始と本格化という時代の大模様にフランク家の子供の成長ぶりをオーバーラップさせています。隠れ家、捕虜収容所と続き、戦争が終わったときに存命だったのは父オットーひとりというところで展示は終わっています。歴史的事実だけを述べて、「平和の大切さ」等の文言が一切ないのが印象的。そういえば、主催者「ごあいさつ」もなし。主催者は誰?
ボランティアのナイジェルさんに話を聴きました。近郊の町、メイドンヘッドから手伝いに来ているそうで、この展示をつくったのはアンネ・フランク財団。今回展覧を招いた主催者はレディング市役所と教えてくれました。そういうこと、どこにも書いてなくて疑問だったのです。
ここの展覧は、20−30人ほどのボランティアが手伝っているそう。こうした歴史を知らない人がいま増えていると、懸念していました。前に日本で見た「アウシュビッツ展」に、子供の絵のほか人間毛布、人間石鹸がきていた事を紹介したら驚いていました。
オブジェがないので本格的な会場設営も不要。忙しい一般市民に見てもらうため、軽量化したいい展示だと思いました。
■ レディング通信U(50)−青い目が見た日本
(Fri, 29 Jan 2010 22:19) 【南の風】2374号 2010年1月31日
姜乃榮さんご帰国とのこと。あいにくの入れ違いですが、益々のご活躍、お祈りしております。
キンの遺骸は、赤いバラと大好きな雉の尾羽(先ごろ肉屋でもらって郵送していたもの)で飾ってもらって、荼毘に付されてコツになりました。最近、大家さんの家を訪ねたら、猫の「ねこ」が事情を知ってか知らずか、私にまとわりついて離れず、たいそう丁重に慰めてくれました。単にゴハンが欲しかっただけかもしれません。
話は前後しますが、私が大家さんのお家で「ねこ」と戯れていた年末年始のこと、ジェイムズ・まりの夫妻は二年ぶり、二週間の日本旅行でした。ジェイムズに日本の感想を聞かせてもらいました。
○テレビで見た鳩山首相が、いかにも自信のなさそうなそぶり。トニー・ブレアでもゴードン・ブラウンでも、首相になった人は、国民が安心するよう自信たっぷりに見られるすべを身につけたものだが、見た目を指導してくれる人はいなかったのだろうか。
○都会の賑わいぶりが印象的。プロ野球はひとつのことだが、世の中がひどくアメリカ化されているように見えた。しかし、本当に栄えている都市は、日本で上から十くらいなのでは。
○店に行くと「いらっしゃいませ」とあちこちから声をかけられるので、いちいち挨拶を返していたら「しなくていい」とアドバイスされた。神社の参道のたこやき屋などで、焼きながら声をかけてくれるのだけれど、これは先方の販売戦略と分かっていても買わない自分としては気の毒で申し訳ない気分がした。だまって焼いてくれれば気が楽なのに。
○テレビ番組が安物でやかましい。20人くらいの人物をストックして、どの局でも使いまわしている。
○公共の場が清潔に保たれている。乗り物の乗客のマナーがよい。ヒースロー空港バス直通だったら、数年でシートがぼろぼろになっているところだ。
○20代の若い人でも、外食に盛大にお金を使っている様子が印象に残った。英国の若者は一様に貧乏なのに。東京以外の場所では家が安いから、ローンを組んでも月々の払いが安い分、贅沢ができるということだろうか。
○人がファッションに敏感。流行のものを着なければというプレッシャーと、これは流行おくれだからもう着られないというプレッシャーの両方があるようだ。
○店舗のガラスドアを、後ろから入ってくる人のために支えていたら、おばさんが行列して店内に入ったが、だれも自分にありがとうを言わなかった。
○英国と違い、日本はホームレスの人への周囲の目が冷たい。気の毒でお金を上げたかったが、持ち合わせがなくて残念。東京・横浜間の電車で背中の曲がったおばあさんが乗ってきたので席を譲ろうとしたら、一緒にいた人から気にしなくて良いといわれてショックだった。
岩本が質問されて困ったこと:日本でフラット(いわゆるマンション)を買うと、10年後には決まって値下がりしていると聞いた。どうしてですか?
今度はガイド付き登山ツアーにぜひ参加したいそう。バンブーフォレスト(竹やぶ)に行ったことがないので行ってみたい。和光大学の近所で、たけのこ掘りをさせてあげられるといいなあと思っています。
■ レディング通信U(49)−葬式に出られない
(Thu, 28 Jan 2010 07:01) 【南の風】2373号 2010年1月29日
氷点下の冷え込みが、また戻ってきました。
昨晩なぜか眠れないうちに夜が明けて、気づくとヘイズ、すなわち白っぽくて寒いうす曇りの青空が広がっていました。滅多に鳴らない電話に出ると、留守宅の飼い猫「金太郎スペンス」が行くべきところに旅立ったとの知らせ。家人が東博「土偶展」から戻ると倒れていて、急ぎ獣医に見てもらったが寿命だった模様。かつて9キロの体躯を誇ったでぶねこが、晩年は2キロ少し。最初に「テムズ河谷ねこレスキュー」から引き取ってスペンスの英名を与えてくれた故スペンサー爺さんや、和名の名付け親のだんな、故クライブ「ダディ」との再会を、今ごろ喜んでいることでしょう。
ひとりでいるのも悲しく、ウィンザーの養老院に旧知のジェフさんを訪ねました。昔、拙宅で初めて、皮膚がん手術のため両耳のない”豆大福”頭を見て、思わず「What's that thing?(あれなるモノは何じゃい?)」とのたもうた人物。今は自身の愛猫オイを隣人に託して、老いを養う身の上。折りたたみPCで、最近の窓辺スノウドロップス写真や、八の字が書いてある雪だるまのような在りし日のキンの写真を見ていると、PCから音も出ると知ったジェフさんがぽつり「シューベルトの弦楽四重奏が聞きたいなあ」。
たまたま入っていた「死と乙女」を聞きながらしんみりして、楽章の変わり目でふと気づくと、窓の外が燃えるような夕焼け。息を呑むばかり。5時の夕食をだいぶ遅らせて辞去して、空を見上げると、ヒースローを飛び立った頭上の旅客機が、茜色の飛行機雲を長く長く引いていました。キンの頭のような半端な形の月が暈をまとう東の空には、星。ひとつ、増えたかも。
時々二本足で立ち上がり、ワンと鳴いて人を驚かす。性格も犬のような、猫らしくないねこでした。今でも、あれはじつは猫でなくてキンだったのではと、ひそかに思っています。
生者必滅、会者定離。尊称菩提。南無畜生菩提。
■ レディング通信U(48)−名護市長選の朗報
(Mon, 25 Jan 2010 16:49) 【南の風】2370号 2010年1月26日
よき日でありました。
日曜日、ロンドンから帰ってすぐにインターネットをチェックし、名護市長選の朗報に接しました。投票終了後6分で「当選確実」のニュースを流した新聞社があったとは驚きです。それにしても、これからが正念場であろうかと。
渡部さんの風も拝見。案じていましたが、お元気で何より。
一夜明けて。BBCニュースのアジア太平洋ページトップに「日本は選挙結果をうけ米軍普天間航空基地を再考することに」の記事が地図入りで出ていました。首相の(たぶん予算委員会での)コメントを受けるかたちで、稲嶺・島袋両氏のこれまでの発言も。
→■http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/8478070.stm
朝日の月曜一面記事からの引用といいますが「選挙で負けたのは島袋氏だけではない。最大の敗者は、日本の戦後軍事基地戦略である」。普天間の海兵隊は2000人。沖縄は在日米軍4万7千人の大半が駐留しているとも。ちなみに主要新聞、すなわちタイムズ、インディペンデント、ガーディアン、テレグラフ紙には記事がありません。
ところで、米軍基地移転に関するこの間の日本の報道を見ていて、日米関係の悪化を懸念というより、さっさと決めないとアメリカに憎まれて日本はおしまいと言わんばかりの恫喝をマスコミが垂れ流していることが気になっています。日本国は中国に次ぐアメリカ国債の引きうけ国。このご時勢に基軸通貨米ドルを支えてくださっている大切なパートナーを、米国資本主義が邪険にできる道理がありません。ありもしないものをあるかの如くの、タカ派による世論操作。それをまた勿体つけてニュースにして世論を誘導するマスコミ。つまらない。こういうのを英語でrubbishと言います。
■ レディング通信U(47)−クラウン裁判所〜英国裁判事情(2)
(Thu, 21 Jan 2010 22:44) 【南の風】2367号 2010年1月23日
… BBCの日本関連ニュースをチェックしてみましたが、日航がつぶれた話だけで、オザワ政治資金でふたつの見方がぶつかっている政界中央も沖縄も、取り上げていません。日本海溝の「かたつむり魚」の映像が、7700mもの深海での生態映像は世界初とのことで紹介されていました。
→■http://news.bbc.co.uk/1/hi/sci/tech/8465387.stm
前回のマジストレイト裁判所に引き続き、英国の裁判所事情です。
今回のクラウン裁判所は上級の刑事裁判所。詐欺、殺人、性犯罪など、何かの頭文字をとってABH、GBHに区分される重犯罪を扱うところで、マジストレイト裁判所で受け付けたうちの5%が、ここに送られます。もと巡回裁判所と言っていた、年に三か月開廷していた法廷が常設化されたもので、現行の制度は、1984年の司法改革によって導入されたそう。レディングのクラウン裁判所は、ヘンリー8世が壊した中世の修道院廃墟の近く、旧県庁に隣接した場所にあるバース砂岩の建物。ということは、1840年ごろの建築かもしれません。入り口で荷物チェックを受けて館内に入ると、内装はガラスを多用した、現代的なもの。液晶スクリーンで、いま、どこの法廷でどういう裁判が行われているかがわかります。見学無料。
正面にカツラ着用で威儀を正した裁判官一名。その右手側(向かって左)に被告と被告弁護人、左手側に訴追人(検事)席。弁護人と訴追人ともに、バリスター(法廷弁護士)の有資格者。ソリシターだけで用が足りるマジストレイト裁判所との、格の違いを感じます。弁護人、訴追人とも、それぞれソリシター(事務弁護士)がついて書類を見ていますが、ソリシターには法廷での発言権はなく、必要あるときソリシターは自分のバリスターに何か伝えて、その内容をバリスターが発言するという段取り。念の入ったことです。どうやら被告がバリスターに直接依頼することはなく、依頼をうけたソリシターが、バリスターの手配を行うそう。大掛かりで、裁判費用も高額と聞きました。
ここは陪審裁判の制度で、法廷の片方には12名の陪審員席があります。結構な人数です。裁判の公正さを確保するための素人市民ボランティア。選挙人名簿でご指名があるそうで、理由なくお断りすることはできません。休業補償程度はお手当てが出るそう。リチャードソン博士によると、専門家でないために、話についていけなくなる人もあり、居眠りが始まらないよう、弁護人と訴追人の論点をわかりやすく念押ししたりすることも裁判官の仕事のうちとか。司会進行を兼ねているようです。
日本の裁判員裁判で、従来と違い素人市民に分かるような説明が検察・弁護側双方から行われるようになったとの報道を聞いたこともあり、「陪審員を意識したパフォーマンスを訴追人や弁護人が行いがちということはありませんか?」と尋ねてみました。「さあ、陪審を意識していないといえばうそになるでしょうけれど、中世からの制度ですから、それほどとは思いません」というのがリチャードソン博士の答え。歴史が違います。
陪審は、一時退席して有罪か無罪かを評決し、その結果をアナウンスします。これは全員一致。有罪の場合に、量刑を定めるのは裁判官の仕事で、この点、日本国の裁判員裁判と違います。なお、裁判費用のこともあり、陪審の有罪評決を不服とする上訴は一般的でないと教わりました。陪審により裁判の公正性が確保されているとの考えがあるよう。
さて、先般クラウン裁判所で見学した法廷は、どうやら配偶者間の性暴力だったよう。裁判官が閉廷前に「いくら夫婦だからといって、別の人格。相手に配慮しないで欲情のおもむくまま事に及ぶというのはいけません」と話をしていたのですが、説諭がよくわかって非常に説得力あり。見事な英語だなあと感動しました。
■ レディング通信U(46)−英国裁判事情(1)
(Sat, 16 Jan 2010 11:42) 【南の風】2364号 2010年1月18日
昨日今日、さしもの寒波もさすがに緩み、氷点下にはならない日が続いています。久方ぶりの摂氏6度を、うう暖かいと感じます。車道はほぼ雪がなくなりました。歩道はまだで、だいぶ解けてぐじゃぐじゃしています。スーパーで、「足元の悪いのに毎度ありがとうございます」と、次回ポイント二倍券をくれたところがありました。さいきんハンガリーのリエカが、99ペンスショップで春植え用の花苗をまとめて買って来ました。オランダもの。本日、私が市場のハナヤで吹きかけ絞りの美しいアザレヤを求めて帰ったら、リエカはヒヤシンス。窓辺の、気の早いスノウドロップの花が、下向きになりました。少しずつ日が長くなって、春めいてきました。
水曜日に、マジストレイト裁判所からの招待で、6月末のバス暴漢事件の第二回法廷に行ってきました。はじめての出番とあって、前の晩寝ないほどだったのですが、結論を先に述べると雪のためキャンセル。親切な大家さんジェイムズがわざわざ付き添ってくれて、予定より早く着いたのに、ストーンヘンジのあるウィルト州から来るはずだった被告弁護人も、ロンドン西のパットニーの日本人通訳も来られないということだったのです。一時間半ほど待たされて、結局、2月12日に仕切りなおしとなりました。
その後、街のカフェで、犯罪学者のジェイムズママに、英国の裁判制度についてたっぷりと個人レッスンを聞かせて頂く機会を得て、ラッキーでした。法の体系が違いますから、日本国では官邸のHPなどでもそれほど丁寧には紹介されていません。せっかくのことなので、以下にF・リチャードソン博士(ママ)に教わったことの概要と感想をご紹介します。
=マジストレイト裁判所=
14世紀以来の歴史がある刑事下級審。レディングの場合、市場の裏手、役場に向かって左手に行ったところにあります。テムズ河谷警察と背中合わせ。入り口で、黒人のおじさんが荷物を改め、金属探知機のゲートをくぐって入場。
英国(イングランド・ウェールズ)国内で三万人のマジストレイトがおり、裁判所が6000か所。マジストレイトは市民(法律の素人)でボランティア、1984年の司法改革以前はジャスティス・オブ・ザ・ピースと呼ばれていた。<マジストレイトが日本語で治安判事と訳されるのは、このためのよう>。70歳で引退のため、60代の定年後の男性が多い。
三人のマジストレイトが裁判官をつとめ、正面中央が主席マジストレイト。これに、法律家の事務官(クラーク)が一名つく。それに向かって、被告、被告弁護人(事務弁護士と訳されるソリシター)、パブリック・プロゼキュター(訴追人、検事)が対面。被害者・証人席もある。そういえば待合室の壁に、ここの裁判所の各部屋(法廷)のレイアウトが張り出してあり、「誰から聞かれても、返事はすべてマジストレイトに対して行うこと。すなわち、マジストレイトのほうに顔を向けて発言してください」と心得が書いてありました。
警察による逮捕者の95〜99%がCPS(クラウン・プロゼキュション・サービス)によってマジストレイト裁判所に送られ(起訴)、その95%がマジストレイトで最終判決を受けている。マジストレイト裁判所の判決は、たしか懲役六ヶ月、罰金四千ポンド(現在の邦貨で60万円)を上限としており、5%が重大犯罪として上級審(クラウン裁判所)に送られている。
マジストレイトは、選挙権者名簿に載った(すなわち禁治産者等でない)市民の中から指名され、お断りも可能。年間80時間のボランティア。すなわち無給。3人は意見の一致を原則としており、2対1でどうしても意見の一致を見ないときには、一名を交代させる。三人のセットは、固定的なものではなく、法廷によって変わりうる。
法律の専門家でない市民が裁くことで量刑が不揃いにならないかとの質問に対しては、クラークが補助していること、科金・罰金表は規定がはっきり示されており、その心配はあまりないとのこと。
別の質問、性犯罪など、60代男性固有の見方、考え方で裁かれることはないか?A:性犯罪はクラウン裁判所に送られる。加害者が黒人の場合など、裁く側の市民にも、人種的なかたよりがないよう、配慮が行われている。判決を不服とする控訴は、あまり行われていない。(ちょっと気になるところ)
法律の素人が裁判を行う点、マジストレイトのことをレイマンと言う事は妥当でしょうかとの問いには、そのとおり。ただし、女の人もいるので、その場合はレイウーマンと教わりました。ただ完全に素人かというとかならずしもそうでもなさそう。その昔、ナショナルトラストを作ったサー・ロバート・ハンター(ロバート卿)の場合、政府の事務弁護士だった人で、その後、治安判事となっていた例を思い出しました。
市民参加・ボランティアの伝統なのでしょうが、日本国が昨今導入した裁判員制度と同じところと違うところがあります。ところで、日本でレイマンといえば、多分その筆頭格が教育委員会の制度。日本国の自治体で教育委員をすると、大きいところでは結構なお手当てが出ると聞いていますが、なぜそうなったのか、知りたいところです。お手本のアメリカ合衆国でもお手当てが出ていたのか、それとも、日本国に導入された時点で文化変容があり、そうなったのか。後者の可能性を考えているのですが、「風」同人でご存じの方がおいででしたら是非ご教示をお願いいたします。
次回は、上級審クラウン裁判所をご紹介したいと思っています。ここは陪審制。
■ レディング通信U(45)−レディングの「ねこ」
(Sun, 10 Jan 2010 13:08) 【南の風】2361号 2010年1月12日
クリスマス明けから、大家さんのジェイムズ・まりのさん夫妻が日本旅行。私はこの明治20年のお家で、住み込みのねこ当番をしています。「ねこ」という名前をつけられたタビー柄のめす猫。実はご近所の飼い猫なのですが、本宅で赤ん坊が生まれてから、衣食住の食・住はジェイムズのお家になりました。幸せ者。ちなみに衣は、ツシマヤマネコに似ています。
おてんばで、時々人語を解するらしく、前に「若い娘がそんな、あられもない格好をしているとお嫁に行けなくなるよ」と言ったらおこって、足をえらくかじられました。
食後の運動タイムに、ねこ草入りのネズミおもちゃを放ってやると、大喜び。ここ数日、興奮のあまり私の腕にも猫パンチ、猫キック、猫がりがり攻撃を仕掛けてきます。爪を切っていないので、威力あり。イテっと声を出すとびっくりして逃げます。
私とて、やられてばかりでもありません。今朝は寝返りついでに足を伸ばしたら、ベッドの足元で寝ていたねこを、見事に蹴り出してしまいました。見たら、憮然としていました。ここ数日、家庭内暴力がだんだんエスカレートしているよう。
礼儀正しい一面もあります。毎日、私に丁寧に「においつけ」をして、所有権を主張してくれますし、機嫌よく毛づくろいをしているときに手を差し伸べると、いつまでもぺろぺろ舐めてくれます。私の手は甘いのかもしれません。三階の寝室と一階を移動する時には、階段や廊下で私が来るのを身をよじりながら待ち受けており、近づくと先に行きます。道しるべをする虫の「はんみょう」みたいだと思ったのですが、ハンミョウは漢字だと斑猫。訓読みはぶちねこで、これは奇遇でした。
明晩、ジェイムズが帰国。手を伸ばすとそこにいる、私とねこのディープな関係も今宵限りです。
話変わって。さいきん、きつねを見ました。レディングの狐、三度目です。深夜にたまたま、二階の窓から外を見た時のこと。先方も、カーテンの音で私に気づき、こちらを振り返り振り返り、雪景色に消えていきました。斜めに跳ぶような、踊るような姿でした。時節柄、毛が長くふさふさしていました。…
■ レディング通信U(44)−50年に一度の寒波?
(Sat, 9 Jan 2010 11:48) 【南の風】2360号 2010年1月10日
新年会、豪華な顔ぶれになりそうですね。盛会でありますように。
当地は30センチの積雪がちっとも減りません。踏み固められたところは厚さ6、7センチの氷になっています。準備の良い人は、スキー用のストックを街中で使っているほど。伊藤さんの烟台(2359号)と違い、パウダースノーではありません。私は昨日、滑ってしりもちを一回。「焼き芋」話には大笑いでした。ただ、私の中に住んでいる「おばさん」によると、寒さの中で開店して少数のお客に便益を提供している特別料金なのでは、という話です。いかがでしょう。
南氷洋の「怪船」その後。シーシェパード保全協会HPの新しい情報によると、曳航していたが沈没中(sinks)とか。完全沈没(sunk)ではなくて、この時点では三割がた水没。他の船がぶつかって被害が及ばないよう、豪州の海事当局に連絡したとのこと。順法精神をアピールしています。環境被害のもとになる燃料・滑油は既に抜き取り済みというのに感心。寒かったでしょう。
→■
http://www.seashepherd.org/news-and-media/news-100107-1.html
このことで、重いエンジンを積んだ船の沈没に、船体素材の軽重は関係ないとさっそく判明。「アディ号は炭素繊維製で軽く、沈む様子はないという」と鵜呑み記事を垂れ流した朝日新聞は、やはりまずかった。前後しますが、昨日、子供用BBCが、この問題の双方の言い分を紹介して考えさせるサイトを追加しました。
→■
http://news.bbc.co.uk/cbbcnews/hi/newsid_8440000/newsid_8446400/8446441.stm
「科学のための鯨狩りはOKだと思う?」と、投票できる仕組み。将来、選挙権者となる子どもの世論形成です。ちなみにNHKは、言論を通じた日本国の国益実現のために、系統的な情報提供活動を何かやっているのでしょうか。
豪・新は、資源国。この問題で日本が憎まれて、メリノ毛糸や私の好きなOZビーフだけでなく、鉄鉱石を中国に優先的に送られてしまうと先々つらそう。牛肉くらいだとアメリカが喜ぶだけかもしれませんが。過激派憎しのレベルでなく、国益実現の観点から、きちんと議論を尽くすべき問題と思っています。この種の、論議の分かれるナショナルな課題に、社会教育はどうアプローチできるのか。「地域」の課題ではないからと避けて通るのか。「風」同人のご意見をお聞かせいただけるとありがたいのです。
→■
http://www.janjannews.jp/archives/2188034.html
伝統的な沿岸捕鯨を復活させたら、Jリーグ以上の人気になる?
さて、昭和三十八年の春先は寒かったと、その2月にコドモが生まれた私の両親から聞いたことがあります。英国でも同様だったらしく、現下の大寒波(当地は午前1時50分現在で、氷点下3度)を1963年のと比較しようというページがBBCのサイトに出来たほど。
→■
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/8446942.stm
かねてこの寒さでテムズ川が結氷しているかどうか、せっかくなので見ておきたいと思い、8日午後にお散歩(雪中行軍?)してきました。結論から言えば氷結なし。つまり、レディングに関しては
90年代末に経験した寒さには及ばないと分かりました。
途中、Sスーパーに立ち寄って、安い47ペンスの食パンを二袋、もしやと思うところあって59ペンスもする「もやし」ひと袋を購入。リュックに詰めて、テムズに向かいました。
結果は添付写真の通り、白鳥、ガン・がちょう類、マガモ、ゆりかもめ、ドバトなどがわんさか。以前よりもガンの仲間がだいぶ増えた様子。クリスマスの食べ残しというわけではないと思いますが。
さて、ここでもしやのもやし。以前にここが氷結していたとき、BBC地方ニュースで「餌不足」と聞いた大勢の市民がパンを持って詰めかけたことがありました。その結果、鳥たちはパンに食傷。タッパーに詰めたレタスを持参したおばさんがあり、ハクチョウたちがそのレタスをとても喜んでいたのです。で、もやしは。
予想通りの好評で、すぐになくなってしまいました。ことのついでに、狂喜した白鳥から、だいぶ指先をかじられまたほど。しかし、ガン以下は喜びませんでした。どうやら食性が違うよう。
〆はユリカモメのフライイングキャッチ。邦貨250円そこいらの出費で、たっぷりと遊び、徳を衆生に施して来ました。
いちばん最後におかしくて笑ったのが、もよりのゴミ箱。中には、私が持参したのと同じ、スーパーS社自社ブランドの安い食パンの空き袋がいっぱいだったのです。白鳥は安く見られている。
帰途、街の肉屋で脂身の多い牛の骨付きバラを購入。この積雪で庭に来るクロウタドリやロビンがひもじそうなので。脂身を外して刻んで、いちごパックに入れて雪の上に出してやりました。残りはシチューにでもと、この雪の中で店開きしていた市場の八百屋でトマト、マッシュルームも入手。
スーパーの混雑ぶり。尋常ではありません。雪に閉ざされ、保険料のつもりで、庶民が余分な食品を買い込んでいる可能性があると見ました。じつは、肉屋の後で再度スーパーに行き、身ぬちのおばさんの声の命ずるまま、札付きの鶏肉やふたつ買うと安くなるキャベツを買い込んでしまった私もそのひとり。夕食は残り物のがめ煮に鶏の水炊きで、このごろ博多づいています。いわもと
▼テムズ河畔、20100108(撮影・岩本) *あと少し容量を大きくして頂いてもよさそうな・・・(ぶ)
■ レディング通信U(43)−雪に閉ざされたレディングから怪談ひとつ
(Thu, 7 Jan 2010 09:45) 【南の風】2358号 2010年1月8日
昨日の夕暮れ時から、雪が急に降り積もりました。けさ、ありあわせのワインのビンを庭先の雪に立ててみたところ、ボルドーの肩が隠れて、コルクの下の辺まですっぽり。積雪は28センチくらいかと。北ロンドンは、知人が10センチと言っていましたので、レディングの勝ち。バスは走らず、学校は軒並み休校。わざわざ歩いて街に出た人によると、お店も、臨時休業が多かったそう。玄関先で、ガス漏れの修理工事が始まったのですが、仕事にならない様子で帰ってしまいました。
昨夕、雪が降り出す直前に中華食材店で求めていた、ゴボウとレンコン・こんにゃく、イスラム教店のハラール・チキンなどで、先ほど「がめ煮」のようなものを大なべにたっぷりこしらえました。これで、少々降られても大丈夫。(レジの中国人のおばさん、ごぼうを食べたことがないそう。)
いま深夜0時前の気温、−5度。
私はかねてから、日英の報道を比較検討してきましたが、昨今の反捕鯨団体の妨害船のニュース。これは「怪談」ではないかと思っています。
シーシェパード保全協会<との正式名称を使わない日本のマスコミ。すでに「北朝鮮」的な雰囲気あり>のアディ・ギル号は、イルカのようにぬらぬら黒くて悪々しくて、バレーなら白鳥に出てくるロットバルト、建築で言えば東京都庁級のかっこよさでしたが、ぶっこわれてしまうとサマになりません。この点、高級スポーツカーと同様。
衝突騒動の報道で静止画や動画を見るかぎり、約40度でア号の左舷からフロートと船首に突っ込んでテキを大破させたのはショーナン・マルNo.2のほう。なのに日本の毎日新聞やYouTubeなど、その画像を使いながら「ア号が日本船に衝突」で、逆ではありません。すごい「てにをは」。キャプションはいかようにもなるとは言え、かように露骨な情報操作は近年の珍かと。私は、最初にキャプションを読んで動画を見たとき、実はさきにア号が第二昭南丸に衝突した時の映像が欠落で、そのあと空手チョップの力道山よろしく反撃に転じたS丸がA号をやっつけている”後半部分”がこの映像と勘違いしたほど。
減速航行しているA号を右舷前方に見ていたのに、20秒の内にS丸の鼻の下にA号が来ていて、見事衝突。両方動くものですから、高等技術を要したと思います。A号側のビデオを見てみたい。大きな船が見る見る迫ってきて衝突する映像はすごい迫力でしょう。人死にが出なくて何よりでした。
当初、日本の報道ではもっぱらA号「沈没」となっていました(動画サイトの中には「轟沈」という勇ましいのがいくつも・・・大本営発表みたい)。沈没説の根拠は、保全協会の「声明」ということでしたから、オーストラリアAPSのガセをつかまされた<=じぶんで裏を取らなかった>のかと。インターネットで、何度試みてもシーシェパード協会のサイトにアクセスできませんでしたが、今やっとつながりました。
→■http://www.seashepherd.org/
URLを下記したBBCや英国ヤフーは、A号の船体がスライスされてふたつになったとは書きましたが、「沈没の可能性もある」にとどめていました。新しい朝日新聞の記事では、本当かどうか分かりませんが、素材が軽いため沈まないような話も。「ふたつになった」イコール沈没と、英語が不自由な日本人記者が短絡させた可能性もあるかと。シーシェパード協会の上記サイトによると「沈みつつあるものと思われ、引き揚げは難しそう」。やっぱり違います。
もうひとつの問題。民衆レベルでは「沈没」がよほどうれしかったのでしょう。気分は「撃沈」?大いに盛り上がっています。なんと標題「シーシェパードの「アディ・ギル号」が衝突して沈没していく様子のムービー」の動画サイト(ビデオ、静止画とも昭南丸2が所属する財団、日本鯨類研究所の提供)がありました。リード文には「本日、日本の調査捕鯨船「第2昭南丸」に体当たりを行った結果、船が大破して轟沈してしまったことが明らかになりました。」
しかし、轟沈どころか、実際に「沈没していく様子」の映像すらなくて、「この後船は沈没したそうです」。看板に偽りの点では、話に聞く縁日の「六尺のおおいたち」級で、情報が下流にいくにつれてエスカレートしていく様子が歴然。
→■
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100106_sea_shepherd_ship_collision/
私が学生に勧めないWで始まるインターネット百科日本語版でも、さっそくA号は沈没していました。英語版では、沈没にはなっていません。
→■http://en.wikipedia.org/wiki/Ady_Gil
意外に大人しいのが、同研究所のプレスリリースでした。
→■
http://www.icrwhale.org/100106ReleaseJp2.htm
ところで、「シーシェパードのスポンサーは?」というブログの書き込みを見ますが、この研究所のスポンサーについては、あまり関心を持つ人がいない様子。
いろいろなブログが「沈没」でナショナリスティックに盛り上がっている件については放置しますが、最後の問題。ビデオ映像は衝突直後の大破したA号への放水銃使用を止めなかったうえ、日本語版では「やれやれー」の声援まで聞こえます。これは海洋法規上まずかったのでは?小宮船長は、衝突までに「撃ち方やめ」、衝突後は即刻、乗組員救助を命ずるべきでした。それまでの経緯はともかく、衝突後の日本船の所業は、魯迅風に言えば「水に落ちた犬を棒でたたく」。極端なことをいえば撃沈した敵艦の乗組員が浮いている海域への機銃掃射のようなもの。ダイアナ王妃横死の時のパパラッチが罪に問われたと同じで、救助しなかったのはやはりまずい。救助しておけば、「日本船員が発揮した男気」の美談が生まれて、貸しが出来たかもしれないのに。
欲を言えば捕虜だけでなく、A号自体も「救助」して、クレーンで吊ってお土産にしてしまえばよかった。それだけのカードを手元に揃えたら、いろんな意味で後々まで楽しめたのに。戦略がない。せっかくの機会を、惜しいことでした。しかし、保全協会に先駆けて日本側ビデオをいち早く各国メディア配信したこと自体は、内容に情報戦略上の問題がいろいろあるにしても、上等でした。
半日ほどの報道を追ってみて、お粗末な報道とセットになった情報操作、ナショナリズムとジンゴイズムと、映像よりもキャプションを信じていい気持ちになりたがる人々のエスカレート、何が国益なのかなど、あれこれ考えました。結論として、話は飛躍しますが、日本国は憲法九条による戦争禁止のしばりが取れるとまずいと思ったことです。
→■
http://uk.news.yahoo.com/5/20100106/twl-anti-whaling-boat-sliced-in-two-in-c-3fd0ae9.html
→■ http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/8442808.stm
■ レディング通信U(42)−クリスマスのご馳走と女王メッセージ
(Mon, 28 Dec 2009 14:59) 【南の風】2354号 12月30日
…西さんの「風」(2352号)拝見しました。今年、遠くにいて、日本国の公的社会教育がこのままへたれてしまうのではとの懸念を感じつつ、福岡に所を得た岡さんの、今後の大活躍を期待しています。親御さんもさぞお喜びでしょう。
クリスマスが終わり。52号掲載のごみ記事は冬至のものでしたが、翌23日は大雪の渋滞に辟易しながら、昼、夜ともに地元の知人のお招きでお呼ばれに。
ランチは、日本人の知人の義妹のお宅でローストラム。クリスマスで帰ってきたサイモンの坊やが不可解な英語を使うので??。よく聞いたらドイツ語でした。聞けばお母さんはフランクフルトの出身。彼女によると、「いまドイツは南ほどいい」そうで、住んでいるベルリンは不景気といいます。
夜は私の最初の留学のきっかけを作って下さった京都大比較教育の小林先生の、私と同い年のお嬢さんのご家庭。お互い、結婚式に行ったり来たりした旧知です。だんなのジェフリーは、大学を引退した後も発酵食品の国際学会の会長でお忙しいそう。国際結婚の日本人女性が三人で、メニューは日本食。
前から知っているお家に台所のオーブンが二台になり、今日は子供さんが6人も遊んでいる。身ひとつで英国に渡った日本女性が伴侶を得て、こうしてコミュニティをつくっています。心地よい酔いが回って、ある感慨を覚えました。
イブの街は、昼間、買い物客でにぎわっていましたが、夕刻にはひっそり。25日のクリスマス当日は、晴天。両日とも、宿舎には私ひとり。午後から久しぶりにテレビをつけたら面白くて、見入ってしまいました。
女王のメッセージは、結局、3時間遅れでインターネットで見ることに。
まず、大変な一年でした、失職・困窮している人も多いでしょうと労をねぎらい、アフガン戦争の戦死者追悼から、コモンウェルスの交流・結束をたたえる内容で、締めくくりの映像は、カリビアンのドラム太鼓による国歌演奏。国民とコモンウェルスの人に向けたメッセージですが、今回の後半部分は、この習慣の一回目、1932年にジョージ5世による帝国臣民へのラジオ・メッセージに似ていると感じました。
今年の場合7分ほどのスピーチですが、役人が取り次ぐ「お言葉」でない、生の声。それを半世紀以上も続けている、えらいものです。
→■
http://www.bbc.co.uk/iplayer/episode/b00phhz6/The_Queen_2009/
クリスマスの翌日がボクシングデイ。「薮入り」に近いものだと理解しています。それからクリスマスセール。だいぶ変わりました。昨日今日のことは、次回にご紹介できればと思います。
いっとき緩んだ寒がやや戻ってきて、こよいは氷点下三度。新年は冷え込むとの予想です。
いわもと拝
■ レディング通信U(41)−事務連絡
(Fri, 25 Dec 2009 06:28)
【南の風】2351号 12月26日
山口真理子さん(2350号)へのご連絡になります。年報第3号について、もしお急ぎのようでしたら、古市と和光大学に連絡して研究室の所蔵分をチェックしてもらいます。いかがでしょう?
掲示板「TOAFAECへようこそ」
→■をはじめて拝見。博物館の回想法のことを渡部幹雄さんが紹介しておられたのですね。92年にレスター大学で講義を受けて、興味を覚えていました。渡部さん、その後、お元気でいらっしゃるのでしょうか。案じています。
クリスマスイブは、大きい家に私ひとり。今日の午後、消えぬ氷雪に足を滑らせながら出てみたレディングの街は、買い物客で大変な混雑でしたが、6時過ぎに郵便を出しにバスで降りたら、ひっそりしていました。戻って、人のいないキッチンにクリスマスツリーを飾りつけ。イブに飾る。これがオリジナルの作法とか。
久しぶりにテレビをつけたら、キャロル、コメディ、それから今、これ
→■が終わったところ。疑問もありましたが面白くてためになる番組。
http://search.bbc.co.uk/search?go=homepage&scope=all&q=victorian+farm
烟台の風53、料理達者な学生に恵まれている伊藤さんがうらやましい。こよいは、タラのほほ肉を土鍋で。具は他にしいたけ、白菜、ねぎ。レモンしょうゆで食べます。昆布もふやかしてあって、すでに準備は完了。
このごろB級グルメで地域おこしを、との運動を知りました。日経記者の野瀬さんは久留米、明善高校の出身と聞きます。先生はご存じかもしれません。
→■
http://waga.nikkei.co.jp/play/kiko.aspx?i=MMWAjq000015122009
■ レディング通信U(40)−レディングごみ事情
(Wed, 23 Dec 2009 04:32) 【南の風】2352号 12月27日
週が明けても雪の消える気配はありません。不思議なほどの静寂に包まれています。昨日、夕刻は猛吹雪。緩やかな北斜面のケンドリック道では、徐行車両が止まりきれずに追突していたそう。ただ4時ごろ私が歩いたときには、ほとんど通行車両を見ませんでした。かたや北端でT字に直交しているロンドン道は、東西とも、見渡す限りの大渋滞。車を断念したのか、いつもになく歩行者を多く見かけます。ガソリン缶をさげた人もいます。
今春2月の豪雪のことを聞いていましたが、この寒波には及ばない様子。なぜか市バスがチェーンをつけないのですが、さすがに昨日は終日運休。今日は一部で走っているそうですが、ケンドリック道には来ません。本当に静かです。レディング市役所ホームページのトップは、寒波関連情報になっています。
冬至の本日は最高気温一度で、未明には氷点下四度との予報。このように冷えているとき、抜けるような青空には雲が見当たりません。上空の飛行機雲も、なかったりとても短かかったりということを発見。よほど乾燥しているのでしょうか。4時過ぎには、すっかり夜になりました。
さて、当たり前のことほど記録になりにくいとの歴史学の常識がありますが、今日は当たり前のことを書きます。レディングのごみ収集事情。じつは拙宅はレディングから道一本へだてたウォーキンガム地区に属していたため、レディング・システムをきちんと知ったのは今度が初めてなのです。
各戸に、再生プラスチック製大型ごみ容器が配布されています。ちょうつがい式の蓋つきで、車輪と引っ掛けがついています。「レディング市役所」の字がある蓋がしっかりしていて、動物にいたずらされる心配はありません。大きさは、やや上広がりになった上面が60センチ四角で、高さは1メートルちょっと。黒と赤茶が基本ですが、緑もあるそう。似た大きさのドラム缶が200リットルですから、それに近い容量かと。こうした容器は、90年代半ばに普及したように記憶します。
灰黒は「埋め立て用」で、リサイクルできない金属、プラスティック、紙類と、生ごみその他。すなわちスプレー缶、包装、袋もの、紙パック、果物パックや肉類パック、ヨーグルト容器などを入れます。なお、埋め立ては穴を掘って行います。海岸線の自然をこわす海の埋め立ては、行わない習慣。
赤茶は「リサイクル用」。空き缶類、電話帳・ボール紙・ジャンクメイル・新聞・砂糖袋・洗剤箱などの紙類。なかみを袋詰めにせず、ばらけた状態で入れるのが重要。
緑は刈った芝や、刈り込んだ枝など、「庭ごみ専用」。緑色をした、同目的のじょうぶな袋もあるそう。
ごみを燃やさない習慣なので、燃えるごみ・燃えないごみの区別はありません。従い、杉並区高井戸のようなおばけ煙突も、温水プールもナシ。
ガラス瓶、古紙、電池、エンジンオイルは、スーパーの駐車場などに付設のリサイクリングステーションに持参。鉄でできたコンテナやプラスチック製の巨大容器が並んでいます。ガラスは緑、茶、透明で分別。口から投入するとパンパン割れます。ワインのビンなど、日本のビール瓶方式が導入できればどんなにか良いだろうと思います。
粗大ごみは、車があれば市営ごみ処理場に直接搬入できますが、引越し前や改築などでごみが大量に出る時は、業者に電話して、大きな鉄製コンテナ(スキッパー)を家の前に持ってきてもらいます。捨てるには惜しいものは、チャリティショップに持ち込むと喜ばれます。
下記URLにごみ容器の写真あり。
→■ http://www.reading.gov.uk/bins
これらのごみ容器は、収集日に家の前の道路際に出しておきます。大型の回収車の後ろにツメがあり、おじさんが容器をあてがってスイッチを入れると、容器が持ち上げられ、ちょうつがいの蓋が開いて、中身がほかされる仕組み。おじさんは、基本的に立ち仕事です。ひざを折りまげたり、かがんだりする仕事が嫌われる風土があり、ガーデナーの草掃除も立ち仕事なのと似ています。
かように共同ゴミ出し場がないため、一般の住宅街の景観は田園調布よりもよく、一部不心得住人がごみ出し日を守らない等のトラブルも起こり得ない制度設計。そのかわり、前庭がごく小さい古い長屋<テラストハウス>の街路は、ごみ容器をしまう裏木戸がないために、容器が行列しているように見えて殺風景。集合住宅では、複数家庭がごみ容器を共有とのことで、リサイクル容器に生ごみを入れるなどトラブルがあると聞きました。一長一短があります。
ごみ回収の頻度ですが、レディングは週に一度で、この街区は木曜日。それも埋め立てごみとリサイクルごみ+庭ごみが隔週となっています。ちなみに、私のもといたウォーキンガムでは大型ごみ容器がなく、埋め立てごみが毎週、リサイクルごみが別途、月いちだったような。
思い切ったコストダウンですが、大型ごみ容器のおかげで公衆衛生の問題がクリヤできた可能性もあるかと。70年代、労働党末期のストライキ映像では、ゴミ袋が街路にあふれていたと記憶します。ごみを出す指定の場所があったのか、年配の人に確かめておきます。
この12月の、この街区の回収日ですが、生ごみを含む埋め立てごみの収集は3日と17日。次回は来年4日です。リサイクルごみ庭ごみは10日、24日で、次が1月9日。
クリスマスシーズンに大丈夫だろうかと思ったのですが、ごみ容器に収まりきれないものは、袋に入れて横に出しておくのだそう。なお、目下、寒波のために回収は停止中。出しておけば復旧後に集めますと、市のHPにありました。
ちなみに、ずっと前のことですが、庭ごみを普通ごみと一緒に出したら回収されなかったという日本人がありました。次週、分からないように袋に入れて出したら回収されたと笑っていました。
冬至かぼちゃ。市場のカリビアン店で「みやこ南京」タイプの立派なのがひとつ3ポンド75(邦貨で570円前後)。お店の若い衆はスープにするといっていましたが、いつものように砂糖醤油で煮付けてみました。同店にはヤマノイモもあります。以前はカリビアン店といえば、南ロンドンまで出かけたもの。多文化化のおかげで助かっています。
■ レディング通信U(39)−とてもレディングとは思われないこの寒さ
(Sat, 19 Dec 2009 10:23) 【南の風】2348号 12月21日
…(略)… 数号前の「風」に北九州の山下厚生さんのお名前がありましたが、2346号によると大学でもご活躍とのこと。大変なつかしく拝見しました。
関東辺の地震の便り、カムチャツカでは火山噴火というので案じています。日本も寒いそうですが、レディングも珍しく雪景色。ここは内陸ですが、英国内では西南沿海部についで温暖で、雪の少ないところなのです。水曜昼の積雪は、木曜昼にいったん融けましたが、昨晩、目覚めて不思議な明るさに窓の外を見ると、再度見事に積もっていました。
本日金曜は、お菓子のようないい天気。しかし雪が消える気配はありません。いま、夜の0時前の気温が氷点下二度。氷点下三度までの冷え込みが、あとしばらく続くといいます。酒豪の知人が、週末の鯨飲パーティを急遽中止するほどの冷え込み。当方、窓辺のプランターがガチガチに凍り、植えつけて日の浅いスノウドロップスがかわいそうなので室内に取り込んでいます。と、緑がぽっちりのぞいているではありませんか。頑張っているなあ。
きょうは昼食後、抜けるような青空に誘われて足ごしらえ。坂道を下り、テムズ川の支流ケネット川南岸を歩いてみました。さすがに川までは凍っていませんでしたが、道がコチコチ、人はヨタヨタ。絶えず足元を見て歩かないといけません。私はわき見が好きなので、何度もすっこけそうになりました。ちょっと立ち止まると、マガモ、白鳥、シジュウカラガン、キンクロハジロなどの水鳥が物欲しげに寄ってきます。ポケットには・・・ホッカホカしかなくてごめん。テムズ本流に合流するところにある大きなスーパーまで、途中、めったにないレディングの雪景色を撮りながら約45分。
スーパー「テスコ」のお目当ては、前に階下のハンガリー人が新聞広告を見て興味を示していたクリスマス半額バーゲンのロブスター(うみざりがに)。カナダ産ボイルの解凍ものですが、一匹10ポンドのところ5ポンド也。日洪友好のために二匹奮発。
殊勝な心がけのごほうびが、マグロでした。「もしや?」と感じるところあって棚の切り身パックを十いくつか、あるだけ吟味したところ、赤身のなかに、半分中トロのがひとつ。しめしめ。もちろん、お値段は同じ。おやじが不勉強な古本屋の「岩波新書100円均一」で絶版ものを見つけ出した気分。こういうのが、私は大好きです。
日の短いこの季節、スーパーを出るとすでに薄暗く、帰りは同じ道を25分で宿舎にたどり着きました。
さっそく、キッチンでロブスターをふたつ割り。こういう時に中華包丁は便利です。ハンガリーが恐る恐る味見。身は口に合ったようですが、「かにみそ」に相当する部分はこわかったそう。私のガイド付きで、はさみと尾で食味が違うことをめでたく学習しました。「まぐろの刺身は?」と聞いたところ、「日にひとつで十分」だそう。その気持ち、分かるような気がします。彼らにとっての「ロブスターとまぐろ」をあえて喩えるなら、私の両親における「ザザムシとサナギ」のレベルかと。
数日ぶりに白飯を炊き、ロブスターの頭を味噌汁にして、中トロは刺身。久方ぶりの和食。地政学者、O山さんをさそって楽しみました。
そうそう。前後しますが最近、ハンガリーMが、「日本人と話をするときに話題にしてはいけないこと」がインターネットに出ていたけど、ほんとだろうか?と尋ねてきました。聞けば…、
日本:第二次大戦と近隣諸国、広島・長崎、日本人の宗教観、外国からの移民、家庭内の女性の
地位 がタブーなのだそう。このほかの国として、
中国:3Tすなわちチベット、台湾、天安門はだめよ(彼は台湾をまったく知らなかった)、
イスラエル:パレスチナ問題、「なげきの壁」の文化財保護、あなたのユダヤ教信心、
エジプト:ユダヤ人の話題、政治家の腐敗、イスラエル和平、
カナダ:ヘルスケア(話題にするだけ良いが批判しない)、米国との混同、
ドイツ:ホロコースト、ヒットラー、ナチの話題が、ご法度と書いてあると、英訳して教えてくれました。
私は五項目のひとつひとつについて、外国人向けレクチャーは一時間でも二時間でも平気ですが、そうした中身はともかく、項目数の一番多いのが他ならぬ日本という点を、私はとくに興味深いと感じました。ちなみに、英国についてのタブーは、このサイトには載っていませんでした。この点については、二人して残念がった次第。
この寒さですから、お体を十分においといください。 いわもと拝
■ レディング通信U(38)−レディング経由 川崎の風、縄文の風
(Tue, 15 Dec 2009 11:42)
(南の風2346号 12月18日)
めでたし「南の風」2345号!小林先生、いつもありがとうございます。
川崎の問題は、社会教育だけではありません。10月に現職市長が三選された川崎市では、環境局の緑政課を建設局に組み込む話も進行中。驚いたみどりの市民団体が結集して、短期間に1237筆の陳情署名を集めました。先週金曜の、午前に社会教育関係の審議があった総務委員会で、午後から環境の問題が審議され、結論としては「事務分掌条例」案が共産党を除く多数の賛成で可決。
→■http://www.senkyo.janjan.jp/election/2009/14/00010324.html
こんな声も聞こえてきました。「市長は、行革という発想しかないので、どうという方針ということもなく、合併すればいくらか節約できるという発想なんでしょう。これからは環境の時代と言われているのに困ったもんです」。先ごろ区長で引退した元幹部職員の発言。
お次の話題です。
先日、レディングの私に電波を飛ばして、当地の関係者との縁結びをとりもってくれた縄文の土偶たちが、大英博での特別展を終えてめでたく無事帰国。よわい数千歳のご高齢にもかかわらず、長途英国まで出張して、連日数百名の英国民の蒙を開き、国威発揚に貢献しました。めでたいことです。帰国後は風呂にも入らず、上野の国立博物館に整列しなおして、本日15日から「帰国展」のお仕事。激務です。
わたしに分からないのが、東博・帰国展は入場料800円なのだそう。かたや英国DOGU展は観覧無料。誤解のないように申し述べますが、英国にだってビクトリア・アルバート博で今あっているマハラジャ展のように、結構な入場料の特別展はそれなりにあるのです。その上での話なのですが、このダブルスタンダードは、謎めいていてどうにも分かりません。
日本国の納税者が英国民の文化水準向上に貢献。これはひとつの見識です。しかし、展示づくりのコストはすでに消化済みのはずなのに、別途、入場料をさらに支払わされるのはどうして?別の観点からすると、経済の厳しい折、これは低収入層に文化格差を強いる仕組みでもあり。日本国政府は国民につらいなあ。
ただ、こういう仕儀を続ける限り、国民頭割りのGNP・GDP金額で、日本は英国に負けないでしょう。すばらしい。
→■http://mainichi.jp/select/wadai/graph/20091209/
→■http://www.vam.ac.uk/exhibitions/future_exhibs/maharajas/index.html
■ レディング通信U(37)−青色照明のミステリー(Fri, 11 Dec 2009 21:08)
(南の風2344号 12月14日)
昨日はお菓子のような晴天。今日は打って変わって、一面の霧の世界です。予報によれば、本日の最高気温は6度とか。
町の中央図書館の手洗いの個室が、薄暗いブルーの照明になっていました。以前は普通の蛍光灯だったので一瞬ぎょっとしましたが、そういえば数年前、古くからある近所の公園に公衆便所ができたときの照明が同様だったと思い出しました。
「考える人」のポーズで、ひとつ思い出したこと。何でも、スコットランドのグラズゴーで、中心街の総合的な環境整備を行って街頭犯罪を減少させたところがあり、そこでブルーの街灯が使われていました。ちなみに英国の街灯は、日本のトンネル内で見るようなオレンジのナトリウム灯が一般的。電気代のコストのほか、冬になると今日のように霧が多く出るところですから、自動車のフォグランプ同様の理屈で、長めの波長が好まれているのかとも思います。以前、来訪した父が、ナトリウム灯に照らされた手を見て「おお、土左衛門の色」と言いましたが、これは余談。
グラズゴーがブルーの照明を新規採用した意図は、これならば皮膚の静脈がはっきり見えないからドラッグ注射がやりにくかろうという、まことに即物的なもの。悩ましい英国ならではの事情です。そこで街頭犯罪が減ったといっても、麻薬関係の皆さんが別の街路に移動しただけの可能性だってなきにしもあらず。
ところが、この「成功談」を聞きつけて何を勘違いしたのか、日本国で「ブルーの光」には各種のご利益があるとの見方が広まっているとか。新手の西洋崇拝?
参考:とんちんかんな我田引水サイト
→■ http://www.blue-diet.com/hanzai.html
それがまんざらウソでもないと知ったのが、昨晩のこと。10日付けの静岡新聞に「静岡、浜松で駐輪場の防犯 明暗 管理徹底で盗難減」との記事があり「浜松市では人を落ち着かせる効果があるとして2年前に導入した『青色照明』に思ったような効果が出ていない」といいます。
→■
http://www.shizushin.com/news/social/shizuoka/20091210000000000062.htm
自転車泥棒が、落ち着いて心穏やかに犯行に及んだかも、とは悪い冗談ですが、21世紀にもなって、ブルー照明伝説のひとり歩きは感心しません。日本型科学主義?心理至上主義?これも文化変容のひとつかと思いつつ、がっかりしています。
確実なのは、ブルーの照明が泥棒よけになると思った管理者と、管理者に売り込んでそう思わせたダイオード業者があったこと。浜松市の納税者にはお気の毒なことでした。
先般、山手線のホームに、飛び込み防止の目的で青い照明を設置したとのニュースもありましたが、果たしておまじない以上の効果は上がっているのでしょうか。今般の浜松の記事を見て、関係者が青くなっているかも。本気ならコストをかけて、つくばエクスプレスや、ウェストミンスター駅のホームのようにスクリーンを設置するしかないと思うのです。
民主党政府の「自殺対策100日プラン」は、どういう方向性を打ち出すのでしょう。
■ レディング通信U(36)−チャイムの謎 (Fri, 11 Dec 2009 08:08)
(南の風2343号 12月12日)
前回の続きです。
学校のスピーカーから流れる「キンコンカン・・」のチャイムの音、おそらく日本で知らない人はないと思います。ところが、英国でしばらく暮らす間に、これが時報を知らせる時計の、「これから時報をお知らせしますよう、ねえ聞いて聞いて」という捨て鐘に相当する音で、このチャイムを発する時計がウェストミンスター・クロックと呼ばれていることを知りました。
その元祖、ウェストミンスターにある議会の大時計、ビッグベンは、どんがら声のような音でこのチャイムをならし、それからおもむろにゴーン・ゴーンと時を告げます。暖炉の上の飾り棚に置くような小さなウェストミンスター時計は、それなりにチャーミングな音を発します。いずれにしても、いきなり時報が鳴りだすのではありません。チャイムの部分は、要するに人の注意を喚起するためにある装飾音で、それ自体には意味がないというもの。これが英国での理解です。
なぜ、この意味のない音が一人歩きして、日本の学校で時限の始業終業のたび何度も鳴らされるようになったのか、私は理由を知りません。推測できることとして、文部官僚か何か、教育政策に影響をもつ立場の人が英国でこのチャイムの音を聞いて「これぞ文明国の証」と感動し、これのみを切り離して、日本の学校教育に導入したのであろうかと。
日本で前に「静かさは文化のバロメーター」と言った人がありましたが、英国の学校は静かなもので、チャイムはありません。住宅地も、夕方5時に音響のひどい<音楽教育以前に、耳どころか頭が悪くなりそうな>「夕焼け小焼け」が鳴り出すことはありません。園芸協会のウィズリーガーデンは、閉園時には「蛍の光」でも「君が代」でもなく、おじさんがハンドベルをならしてお客に案内します。この点、大正生まれの私の父が記憶している植民地時代の台湾の学校でも、小遣いさんがベルを鳴らしていたとか。となると、学校のチャイムは日本国になってからの導入?
一般的なことを言いますと、レディング市内で一番の繁華街や市場では、たまに出ているCD屋がラジカセで音楽をを流しているくらいで、八百屋のおじさんは、「バナナ一袋50ペンス」と、生声でわめいています。公共の場でスピーカーを使わない文化かもしれません。(誤解のないように申しますと、学会のあとのパーティなどは、おなかに直撃するほどのとんでもない騒音)。
災害時にはこれでどうなのだろうと考えたことがありましたが、尋常でない災害であれば電気は止まりますから、スピーカーを当てにしても意味がないことだってありそう。逆接めきますが、その点では、英国の方がスピーカーを最初からあてにしていない分、本当の災害には強い可能性があります。
ところで以前、私が大学で古文書の手ほどきを受けた秀村選三先生から、お寺の鐘が聞こえる範囲がひとつのコミュニティであったと習ったことを思い出しました。そこで考えたことが、ひとつには、日本の住宅地における行政電気拡声器の普及は、この伝統の延長線上にあるのかもしれないということ。もうひとつは、時を告げるお寺の鐘も、その昔は捨て鐘にはじまっていたと聞きますから、ウェストミンスターチャイムの学校への導入は、「捨て鐘」の習慣が廃れたあとのことであった可能性があると思ったのです。
文化変容のひとつの形としてみると面白いかと思いました。図書館にリファレンスを依頼すると面白いかも。
■ レディング通信U(35) ロンドンの骨董市 (Mon, 7 Dec 2009 16:26)
(南の風2341号 12月9日)
: あいにく川崎は12月議会中でしたが、上海訪問団の来訪がぶじ終了と聞き、安堵しています。関係各位に感謝!上海からの「風」を楽しみにしています。
ところで、このところの「風」の便り、高齢化社会ですね。実にめでたい。前人未到の境地を邁進中の小林先生は来年、傘寿。末本先生の還暦。前号では50号達成「烟台の風」伊藤さんの”お爺さん”話を楽しく拝見しました。私が混ぜていただいた神戸大学・沖縄キャラバンの会期中に、末本先生は30代最後の誕生日。20年前に最初に出会ったときの伊藤さんが今の私よりも若かったとは、にわかには信じられませんが、いずれにしてもすごい。お元気でこれからも益々のご活躍を。
卒爾に話をこちらに飛ばします。本日はじめて知った驚愕の事実。というのが、いま私の宿舎の同じ階にいるハンガリー人の好漢で、飲み友達のアッティラは、お母さんが私と同い年だそう。うひゃあ。
さて、このごろ骨董づいています。前にもこんなことを書いていたらごめんなさい。先週末はロンドン北方アレグザンドラパレスで、昨日の日曜はウェストミンスターの、議会やビッグベンの裏手にある王認園芸協会(RHS)ホールにて、骨董市でした。
アレグザンドラパレスは、明治初年製の英国版「人民宮」。入口ホールのヤシやゴムの木の植栽が、あまりの天井の高さに小さく見えます。スフィンクスもいて、1851年万国博の水晶宮もかくやと。丘の上にあり、戦前からBBCテレビ放送塔だった有名なところ。スケートリンクもあります。戦時中は捕虜収容所という歴史を持ち、いまや建物自体が骨董品。
(今年、天井近くに白布が張ってあるのに気づきました。前にはなかったもの。ところどころにしみを見つけた私の慧眼は、即座に雨漏りよけと看破。じつは前に同様のホール「オリンピア」で、えらい雨漏りに遭遇した経験があるのです。これって焼き物で言えば、ホツを修繕してあるようなもの?)。
この市は数か月おきで、600業者の出展。ひとわたり見るのに3時間。事前に「リーチの焼き物が入りましたよう」と連絡をくれた業者がありました。
毎回、発見があります。前から気になっていた、真鍮で出来た砲弾の薬きょうを花活け?に転用したものは、第一次大戦の塹壕戦の兵士の手慰みで、「トレンチ・アート」の名称があるそう。話に聞いていたポンポン砲の砲弾も、この回、はじめて実見。英国製なのに、英軍が買ってくれなかったからボーア人に渡り、英軍をさんざんやっつけたという因業なブツ。故あって今回はいずれもお買い上げには及びませんでしたが、構想中の「戦争と平和の博物館」には必要なもの。
→■
http://www.nelsonfairs.co.uk/index.php?option=com_content&task=view&id=16&Itemid=2
今日のRHS骨董市は、月例ですが、今回のみクリスマス前ということで大きい方のホールが会場。入り口近くには、まだ青みの残っている街路樹のイチョウの葉が散っていて、ぎんなんも何個か落ちていました。臭くなかったら拾っていたかも。
時節柄、クリスマスツリーに下げるタマゴ形の飾りでキラキラ美しいものが出ていました。有産階級の所有物。見た瞬間、逆の立場の『オリバー・ツイスト』をなぜか思い出したのが不思議。路上の子どもには縁がなかったはずのものです。
某アクセサリー屋のおばさんは黒髪で、ユダヤ系の人。はじめ「世の中に楽しいことはひとつもない」と見えるほど無愛想だったのが、少しずつ私を気に入ってくれたようで、笑顔を見せるようになりました。先月「こはくが好きだよね、今度来るかい?もし来るようだったらとっておきを見せてあげる。買わなくてもいいからね」。
そこまで言われては、行かないと悪い。早朝の強風が収まってからゆっくり出ましたが、私の顔を見るなりにっこりして、「あんたに見せたくてね。他の人には売るつもりがないから、並べてなかったんだよ」と、かばんから取り出して見せてくれたのは、ジュラシックパークの映画みたいに蚊の入った、いわゆる「虫入り琥珀」。ルーペを借りて見せてもらっている間、問わず語りに、自然史博物館に勤めているんじゃなかったの、てっきりそうだと思っていたよとか、大学でロシア語を習ったのでお客の内輪話が分かるのだけど、ロシアから来たもと農民の成金がロンドンで豪遊しててね、中には骨董にえらく詳しい人がいるよ。自分はコミュニスト時代に育ったから無宗教だけど、日本はどうなの等、いろんな話をします。くだんのこはく、気分よく言い値で求めたら「手放さないでずっと持っていてね」。
さきほど宿舎で改めて小宇宙を検分していたら、おばさんが言っていた蚊のほかに羽虫も住んでいるのを発見。お買い得でした。会場入り口でがんチャリティにカンパした余慶?
その後、大英博に行くつもりでしたが、途中下車して立ち寄った「ジャパンセンター」食品スーパーで、きょうは日本風の加州米が特売。味付け海苔のおまけつき。「あれば使うものだから」と衝動買いして、重たいのでそのままレディングに帰ってしまいました。ジャポニカ米は今ならレディングの中華食品店にもあり、値段の違いもたかだか知れたもの。せっかく出たのだから博物館を見て帰ればよいようなものですが、「広告の品」と見ると血が騒いで前後不覚になるあたり、私の中におばさんがひとり、棲みついているのかもしれません。
ところで英国にいると、わざわざ骨董市に出かけなくても、骨董との出会いは身近にいくらでもあります。最近、レディング市内のあるチャリティ店で見つけた片手に乗る長頸壷は、たぶん明治の薩摩焼き。俗悪で私の趣味ではありませんが、無傷の完品で一対1ポンド(150円)だったため、「日本に帰りたいかも」と求めてきました。
(これをみたハンガリーのリエカは、とっても素敵とほめていました。なんという美意識。)
今回の滞在ではカーブーツセールに出かけませんが、これもチャリティ店と同様で、日本のフリーマーケットと違い楽しいのです。逆に言えば、日本のフリーマーケットはなんでつまらないのだろうということになります。
ウェストミンスターに行くたびに思い出す、前から不思議な「チャイム」の謎については、回を改めて。
■ レディング通信U(34)−レディング法曹協会(?) Wed, 2 Dec 2009 09:26
(南の風2338号 12月3日)
しばらくご無沙汰をしておりました。いよいよ12月。先年、上海でお世話になった皆さんが三多摩や川崎にお出でになっているのに不在とは、まったく残念に思っています。視察団の道中の無事と、実り多い旅であることを遠くから祈念するばかり。どこかにいることは、どこかにいないこと。当たり前のことですが、あれもこれもは出来ないのだなアとの思いがあります。
さて、最近の話題。暴漢事件のあと、いろいろな方の親切に与っています。今般、紹介を得て、レディング法曹協会の第62回定例会なるものに出席する機会がありました。
(Reading Criminal Justice Associationという名称ですが、クリミナル・ジャスティスに相当する日本語を知らず、仮訳です)。26日の木曜の晩。参加費、29ポンド也(現在の邦貨で4500円)。
7時半に、大家さんジェイムズの車でレディング市郊外のメーソンズ・ホールに連れて行ってもらったとき、すでに30名ばかりのメンバーが、バーで歓談中。ジェイムズにおごってもらったジントニックでさっそくのどを潤していると、上階の一室に通されました。コの字型にテーブルがセットしてあり、着席すると会長挨拶と事務局長から本日の次第のアナウンス。事務局長がじつはジェイムズのママ、フランソワーズさん。(お名前の通りフランス人で、とってもチャーミング!)。英国のあちこちで、こういったいろいろな集まりがあり、それが英国社会をつくっているのだろうなあとの感懐を覚えました。
まずは腹ごしらえで、スターター、メイン、デザートをそれぞれ行列して好みのものを皿によそってもらい、席に戻ってご近所の方としゃべりながらいただく方式。ワインと食後のコーヒーは好みを聞かれ、順番に注いでもらいます。英国のスモークサーモンはしょっぱいことが多いのですが、スターターのはまったりまろやかで高級感あり。途中、女王陛下への献杯(トースト)もあって、なかなかフォーマル。裁判官、弁護士などをお仕事としている皆さんは、会場を見渡すとほとんど白人。インド人女性がひとり。ただ立食でなかったこともあり、お話しする機会がありませんでした。
当初ゲストスピーカー、クウェンティン・キャンベル判事His Honour Quentin Campbellのお話を聞いてから食事・懇談かと思っていたところ、逆。さんざん飲み食いして、9時を回ったところでようやくスピーチが始まりました。
キャンベル氏のお話は、特にテーマはなかったようですが、近年の裁判制度の運用をどう見るか、どう展望を開くかという内容でした。まずは自己紹介。はじめ民間の事務弁護士で、委嘱されて検事の補佐を務めていたが、制度変更に伴い政府職員(裁判官)となり、ロンドン高裁(クラウンコート)判事として現在に至っているそう。英国には日本の地方裁判所よりもさらに細かく地域を設定したマジストレイト・コートの制度があります。裁判官ひとりの日本の簡易裁判所に当てはめられるかどうか、私は知らないのですが、このマジストレート・コートの、地域と地域の課題を熟知している裁判官による充実がひとつの課題といいます。ただ、古くからの制度のため形骸化も進んでいて「欠員分の判事候補者にはタイトルがありませんがいいでしょうか?」との照会があったエピソードが紹介されると、会場は爆笑。”タイトル”は、庶民でない証の称号とでも申しましょうか。
受刑者を刑務所に入れると一年間あたり4万ポンドの経費がかかる(邦貨600万円)。政府と、その意向を受けた裁判官は、スリム化・効率化の名の下に、服役させるべき人を服役させていない。たとえば「警告」の乱発。ひとりで4回、警告を受けても実刑とならない事例もある。家庭内暴力など、受刑後の再犯率も高い。教育に裏付けられた法の正義を実現しなくてはいけない。ただ、マスコミによる感情的な厳罰要求キャンペーンには、公平性の観点から注意が必要。
政府とマスコミの影響力の狭間で、専門職としての良心をどれだけ発揮できるかが問われていると見えました。
後半は、次回総選挙で保守党が政権をにぎることを半分前提としたような話で、政治家の名前が出ることが多く、私の理解が及びませんでした。最後、20分ほどの質疑応答も活発。10時に閉会挨拶があり、流れ解散となりました。私のお隣のキースさんは指の細長い発明家で、フランソワーズママのだんなで植物学者、イアンさんのロックバンド仲間。
緊縮財政をうたう政府の都合のために法の正義が十分に行われていないとの指摘を興味深く思ったのですが、かえりみるに日本国の裁判で、執行猶予の多いことや、実刑判決でもたいがい求刑の2割引になることは何を意味しているのだろうかと、考えるきっかけを与えられました。昨今の日本国社会教育の大変更も、政府・自治体の都合があからさまに優先されている結果。来年、私が帰国するまでに、川崎や町田の社会教育が大きく変わっているかもしれないと思うと、言葉になりません。
ところで、会場となったメーソン・ホールは、有名な秘密結社「フリーメーソン」の地域拠点とか。ところが、昔見たロンドンのホールと違い、美しい石造りでもないし、装飾にフリーメーソンのシンボルが仕込まれているわけでもなし。ナラの木の銘板に歴代役員の名前を書いたものが飾ってありましたが、古くて30年くらいの比較的新しいものでした。この人たちの公職への関与を調べると楽しいかも、と思ったことです。
いよいよ寒くなりました。くれぐれもご自愛ください。本日の川崎・上海の意義深い交流を期待しています。
■ レディング通信U(33)レディングのお寿司事情(Tue, 17 Nov 2009 10:52)
(南の風2329号 11月18日)
烟台の風に触発されて。
1、数年うちに変わったことのひとつが、英国のスーパーにパック入りのお寿司が当たり前に並んでいること。寿司「のようなもの」だと分かっていますから、私はまだ買ったことがありません。スペイン学生が珍しがって買ってきていたのを見たことがあります。握りで赤ピーマンの皮をあぶったような、新種のベジタリアンお寿司などがいかにも文化変容で感動的。
2、ところが先週、知人の慰労会でとうとう町の可動寿司屋に入りました。ハイカラな新開地の運河沿い。駅の陸橋の招き猫看板に引き寄せられしまったことになります。
プラスチックのお皿が値段で色違いなのは日本と同じ。入ってみて、ロンドン・パディントン駅のと同じチェーン店と知りましたが、ひところ有名だったお茶を運ぶ「寿司ロボット」はいませんでした。
寿司はごく小型で装飾的。ジャポニカタイプのごはんは人差し指の先くらいで、色の悪いマグロなどのネタは、親指頭大のうすぎり。日本のお寿司の半分量と思ってよさそう。「グリーンピース」に嫌われないよう、「黒マグロ不使用」との断り書きがありました。
どれもサビ抜きで。テーブルのくぼみに納めてある容器の粉ワサビを、食べる人が醤油と一緒につけるようになっています。とき方がへたくそで辛くない。
夕刻前の半端な時間でしたので、客も少なく、握ったり巻いたりする様子は見られませんでした。レールは左側通行の対向車線で、両側からお皿が取れる仕組みになっていました。冷凍エビフライなど揚げ物も時々回っています。
まぐろ、サーモン級になるとふたつで6ポンド、というと900円ですから、とても満腹には程遠い。サッポロビール650ccの珍しい缶詰を飲みながら、身体がひんやりとさめていく感覚。最後にうどんのようなものを食べて、やっと少しぬくもった気分になりました。二人で80ポンド、今のレートで一万二千円。
別の知人は、現地の人に招かれてどれでも好きなだけといわれたのに、値段に恐縮してほとんど食べた気がしなかったといっていました。
3、さて、ここでハンガリー人の登場。3人とも話に聞くすしへの関心が高く、ひとりは同所で、二人前180ポンドの散在をしたことがあるそう。先週、魚屋で比較的いい切り身が手に入ったので、伝統的な「づけ」にしておいたのです。翌日、最後の長粒米を炊いてよく蒸らせて酢メシに。海苔があったので鉄火と、にぎり(外人に食べやすいようにのりで腹巻つき)。
寿司経験者のアッティラが、残りの二人に、これふたつでいくら分と、講釈をして聞かせます。そのアッティラ自身、わさびでおもいきり目がうるうる。それでも自分も良く食べ、仲間にも上手に勧めて、みんなを泣かせていました。いい男です。涙の青春、ああ楽しかった。
最後に登場の20代日本人は、条件反射なのか、知らないのか、味覚の問題か、づけまぐろにしょうゆをつけて食べていました。
今回はしませんでしたが、サーモンだったら塩で〆て酢で洗うのがレディング流。シェトランドから来る大型マテガイは、貝肉の甘みを生かしてそのまま。臨機応変です。
ゴーヤーは夏によくチャンプルーにして食べました。中国には何でもあるのですね。短粒米は南方のものなのでしょうか。ジャポニカスタイルというと当地では中国産でなく加州米が多いようです。
おまけ;香港から来た小ぶりの「冬虫夏草」は100g詰め8ポンド、1200円。スープに入れて食べた後で、睡眠を調整する漢方薬と知りました。
先般おねがいのベルギーの反核署名、おかげさまで順調にふえています。引き続き、一族郎党へのお知らせを賜れば幸いです。何しろベルギーの人口は一千万人あまり。進め一億火の玉の日本人が応援すれば、大変な力になること必定。
→■http://www.stopnuclearms.org/petition_jp.php
■ レディング通信U(32) ベルギーの反核運動 (Fri, 13 Nov 2009 08:38)
(南の風2327号 11月15日)
このごろ当地は寒い雨降り続きです。日が短くて、日没は4時20分。雨のおかげで、芝生が青々と伸びています。
日本のマスコミでも報道がありましたが、ベルギーの議員が「非核三原則」の法案を準備し、今インターネットで早期可決の請願署名を集めています。多くの方にご協力いただけたらと思っています。
http://www.stopnuclearms.org/petition_jp.php
http://mainichi.jp/select/today/news/20091113k0000m030120000c.html
英軍はアフガンで往生していますが、撤退のふんぎりがつかず、ベトナムの二の舞ではと案じる人もいます。
先月、若者が大型ナイフで刺されて知人に助けを求める事件のあったレディングの西、オックスフォード道には公共図書館分館があります。バトル・ライブラリといい、100年前にカーネギー財団の助成も受けてできた、レディング市最古の公共図書館。
(英国の教育、文化、福祉には、アメリカに渡って成功したスコットランド人鉄鋼王カーネギーのお金が大きく貢献しています。たしか英国のカーネギー財団は、11番目のものと記憶)。
さいきん知人宅を訪ねた折、その館が改装を終え、地域社会の拠点施設としてさまざまな団体と連携しながら意欲的に活動を始めているのを偶然、知って、居合わせた館長に話を聞いてきました。公民館のない国ですが、発想が似通っています。改めてご報告します。
■ レディング通信U(31) 二都物語 (Mon, 9 Nov 2009 12:46)
(南の風2324号 11月10日)
: 冷え込むようになりました。2318号と、少し前になりますが「南の風」2310号が当方には未着のよう。大変お手間ですが、拝見するのを楽しみにしていますので、何かの折に再送いただければ幸いに存じます。石倉さんの思い出、まだうまく言葉になりません。
さて、この週末、いろいろありました。
1、まずは10月はじめの本「通信」26で少しほのめかしたことのネタばらしです。
もっか大英博物館BMにて縄文の「土偶」が出稼ぎ中。といってこの特別展は入場無料ですが、連日千人の見学客だそう。先月のお話になります。じつは小生病院でMRI検査の後、どうにもBMが私を呼んでいるような予感がして仕方なく、もぞもぞしながら午後3時になってロンドン行きの列車に乗り、の閉館一時間前に「ラッセル・スクエア」側にあるBM裏口から日本展示のコーナーに直行した次第<裏道のことはいささか詳しいのが自慢?>。
自分でもなぜかは分かりません。とにかく「土偶」展会場に到着したところ、たまたま文化庁の専門官が英人考古学者の通訳で展示解説をはじめたところだったのです。専門的なのに良く分かる。うれしくなって質問をさせてもらい、そのあと、いろいろあって・・・一か月飛ばしますが、このたび金曜夕刻に、在英日本国大使館にて開催のレセプションへのお招きあり。大使館、BM関係者のほか、展覧企画の実務担当者「セインズベリ日本藝術研究所」のスタッフ、日本の大学の考古学系の方、それにロンドン日本人会のメンバーの姿があり、約100名の参加でにぎわっていました。セインズベリは当地の主要スーパーマーケットチェーンのひとつ。当主夫妻が研究所を発足させてまだ十年になりませんが、非常に水準の高い研究・交流活動を行っています。
9時前に一次会が引けた後、セ研究所関係者が中心の二次会。東欧考古学者のポーランド、現代日本マンガやポップカルチャーが専門のドイツ<ああ、川崎市民ミュージアムを知らないとは残念!>、日本(私)、英国1(内田百間や龍之介、それに漬物・ナットウ大好き)、英国2・・・。
若きヨーロッパ人の日本研究にかける情熱に感動。さわやかな気分になりました。
肉食文化と言い切るにはベジタリアンもいますから、ひとくくりにできませんが、彼らは翌日BMでシンポジウムだったのに、よく喰らいよく飲んだこと。パワフルです。私はさすがに12時直前に辞去しましたが、近所に宿をとっておいて正解でした。ちなみに若い日本人の研究員Mさんは、子供のころ和光大学の下のたんぼの近所におばあちゃんのお家があったとか。
2、さて翌日土曜(きのう)。私はやぼ用あって朝9時ロンドン発の列車「ユーロスター」でパリへ。
あの神戸・末本先生の在外研究時いらい2度目ですが、この間、始発駅はウォータールーからセント・パンクラスに。類例はパリにもあると聞きましたが、ナポレオン軍敗走の決戦地ワーテルローの地名にちなんだ名前の駅で大陸のお客様を迎えようとの、国家的な嫌がらせが何とも香ばしかったのです。なのに昨年、駅ごとやめてしまいました。ああつまらない。閉鎖になったウォータールー国際駅は、維持費だけでも相当な額といいます。
ひげの描いてあるいもむしのようで可愛いい列車も、かつてのピカピカからずいぶんボロになった感じ。要所を見ると、1993年製。さもありなんと思ったのですが、競争過多による利益率低下が本当のところかもしれません。外回りの掃除も、内装の取替えも、まるで行き届いていないのです。かわいそうに。
パリ北駅から、途中のルーブル博物館で沈没しないようにわが身を励ましつつ、てくてく歩いて川向こう。初めてのオルセー博物館へ。産業化の遅れたフランスで、19世紀後半にこれだけの絵描きさんが個性を発揮した(下世話に申せばお客のおかげでメシが食べられた)事実と、鉄道駅を美術館にリサイクルした際の知恵(例えば、窓越しの景観を取り入れたり、来館者の歩いている様子がすりガラス越しに見えたりの展示室設計。大理石製のセパレーションに厚みを持たせてところどころにガラスをはめ込み、それ自体を展示ケースにしている=見た目がゴージャスな上、ほこりがたまりがちなガラスの天井がないためメインテナンスが楽=等)に感動して、閉館まで。
オペラ座の、建物全体が機械仕掛けになっている模型がいたく気に入りました。もしこれがモーターで動く式になっていたら、見とれてしまって困ったかも。王様はロイヤルの称号を許すだけという「民営」の伝統をもつ英国の、おなじみロイヤル・オペラハウスとつい比べてしまうのですが、文化政策のある国家は立派です。普仏戦争、パリ・コンミューンなど、あれこれの国難をはさんで、よく造ったもの。
その後、北駅そばのお宿まで、暗くなった街中を大いにさまよいました。目が遠くなって、暗がりで地図の細かい字が読めずに往生。結局は、繁華なところに見当をつけて地下鉄駅を見つけ、切符の買い方を教わって宿にたどり着いたのですが、私のように言葉が不調法なエトランゼにもずいぶん親切にしてくれました。ありがたや。
この間、土曜なのに暗くなっても店を開けている骨董屋各種、鼈甲のめがね枠屋(お店自体も絶滅危惧種?)や琥珀専門の宝飾品屋など、楽しそうなお店をあれこれ発見。またまた英国との比較になってしまいますが、資本の淘汰が早かったため、チェーン店化が進んでいる英国よりも、個人経営のお店が多く生き残っているのかもと思いました。
鋳鉄の手すりや扉など見ても、華奢で軽やかでリズミカルな印象。対して英国は重厚といえば聞こえがいいのですが、産業革命そのまんまで、いかにも無骨。垢抜けていません。なぜだろう。考え出すときりがありませんので、やめておきます。
ひとつだけ、英国の名誉のために付け加えておくと、若い女性や子どもは、あきらかにフランスのほうが可愛いい。と言ってしまってはまるで英国の名誉になりませんが、フランス婦女子はこうふるまうと愛らしく見えるということが分かっているのかも。だとしたら恐るべし。
ただ(ここから先が英国の名誉になるのですが)、博物館来館者のお行儀に関しては、フランス語をしゃべっている白人の中に、例えばギャラリーの出入り口で立ち話に夢中だったりという、はた迷惑なひとが少なからぬことを発見。英国ではこうしたことが気になったことはありません。この違い、原因不明です。ちなみにオルセーの入館料は9ユーロ半(現在の邦貨換算で、1,200〜300円)でした。国立館が原則無料の英国に、分があります。
深更に目覚めてテレビをつけたら、10ほどのチャンネルのうち、ドイツ語放送がふたつ三つ。英国にはない習慣なので、新鮮でした。アルザスなどドイツ語圏向けなのでしょうか。
ソ連崩壊まで日常的で、「消された」人も多かったスパイ活動のドキュメンタリーと、海峡の干潟の一角にある岩場での「磯遊び」番組に見とれてしまいました。後者、よくひいた干潟に海藻に覆われた岩場が突き出しています。丸く編んだ柳のバスケットを下げたおやじさんがすき間に手を伸ばしてごそごそしていると見るや、大きなアワビやロブスターやカニ、それに体長1メートルを超えようかというコンガーーイール(風味の良いハモの類)がごろごろ出て来ます。長崎生まれ、磯育ちのDNAをいたく刺激されました。
そういえばこの日、遅めのお昼は牡蠣。その後、お茶目なおやじさんのいる魚屋でウニ・カニを買って暴れ食いだったのでした。ロンドンがパリだったらいいのに。
本日、お昼過ぎのロンドン行き列車で戻り、はじめての海外旅行はぶじ終了。帰途、園芸協会RHSホールで開かれる月例の骨董市を冷やかして戻りました。パリの青物屋で求めたお化けセップきのこは、一本でちょうど500グラム。
■ レディング通信U(30) 今日から冬 (Mon, 26 Oct 2009 15:12) (南の風2317号 10月28日)
2312号の町田市、松田泰幸さんからの風を拝見して、土曜の実行委員会は盛会だったかなあと案じています。こちらに来ていなければ当然出ていたもの。ご報告を楽しみにしています。…
さて、英国は「夏時間」の制度ですが、例年通り十月さいごの週末をもって終了。理由を知りませんが日曜未明の1時が二回繰り返され、正規?グリニッジ時間に戻りました。日本との時差は9時間。急に日暮れが早くなりました。今日から冬。昼間は意外に暖か。しかし夕暮れ時にはさすがに冷え込んでいました。
お昼、ご近所のビルマ人ドクター(目医者先生)のお宅に昼ごはんのお呼ばれでした。座談がまた楽しくて。
車が新しくなっていました。2か月待ちのサーブ号。届いてすぐの先週末、マンチェスターに片道四時間の日帰りドライブだったそう。何でも、英国のビルマ人コミュニティはロンドンでなくてマンチェスターが最大。そこで、本国の雨季明けにあわせた大きな宗教行事があったといいます。もちろん仏教。雨季の間、坊さんが托鉢に出歩けなくてひもじかったのを、雨季明けにまとめて供養との趣旨。親孝行と、おもだった施主に同級生がいたこともあってと。
ビルマでみんなが出家を経験することには、坊さんが決してぐうたらで托鉢をしているのではないと言うことが分かるメリットがあると笑っていました。かねて伊藤長和さん「烟台の風」のご教示あって私の疑問だったお盆については、「ビルマにはありません」との明確なこたえ。
ビルマ仏教では輪廻転生が基本。すぐリサイクルで、霊魂をストックしておく「あの世」はありません。また、ニルバーナの前世は人間でないといけないそう。この点、なんだかゲームのルールみたいでもあり、キリスト教のお家芸と思っていた人間と「アニマル」の画然とした区別も思わせます。「ビルマの貧乏人と豊かな国のペットと、比べてみてどちらが幸せかという問題は別にあるのかも」、と。
日本にはいろんな時代に中国や日本で出来た仏教の宗派があると水を向けたら、「ビルマには厳しいのとゆるいのと、ふたつしかありません」。
珍しかったのが、釈尊の前世を気にしないこと。「捨身飼虎」のエピソードを「今はじめて聞きました、ビルマでは知られていません」。これまでに二回出家した正式な方ですから、間違いないと思います。興味深いことに、これに対し日本人のオツレアイから指摘あり。
「私が大学でパーリ語を習ったとき、この話を読みましたよ」。これはすごい。シティのN証券にお勤めの方からこういう話が聞けようとは、これまた意外でした。どこかで参照されなくなった経過があるのかもしれません。(捨身飼虎の絵がついた東大寺の玉虫厨子は、飛鳥時代で古かったかと)。
ダンナによると、こうした釈尊の前世の話はもとより、五大弟子といった釈迦以外への崇拝もないと。念のため如来や菩薩はどうなのか尋ねたかったのですが、サンスクリット名前が出てきません。残念。勉強して、またの機会に。
ビルマはインドの隣なのに、仏教はインド伝来でなく、スリランカからカンボジア経由で入ったと習いました。「11世紀のアンコールワットよりもビルマの仏教寺院<名称失念!>が1世紀遅い」とのことでしたが、たしかワットは仏教寺院ではなかったような。調べないと確実ではありません。
同座で唯一の英人ジェイムズさんからは、川向こうのカレー屋の二階で時々開かれているネパール仏教の瞑想の会の話。「とてもリラックスしていっとき幸せな気分になるが、ものの10分でいつもの俗人に戻ってしまう」。
最近、ご近所のヒンズー礼拝堂のゴミ焼きがプラスチックやテレビを燃やしてえらい臭かった、宗教行事と言うと公権力が介入できないことも多い、税金の無駄遣いだ、市民が「もしもし、何やっているの」と聞いたほうがよほど手っ取り早いという話から、宗教を越えた大いなる脱線が始まり、果ては掃除不十分な煙突に火が入った煙突火災の恐ろしさ、濡れ毛布による消し方の話まで。あれこれ。
その後、場所を移したあと、期せずして昨今の英国社会教育事情の話題になったのですが、例によって長くなってしまいましたので、回を改めることにしましょう。いわもと拝
■ レディング通信U(29) この夏の英国博物館事情 (Sat, 24 Oct 2009 09:53)
(南の風2318号 10月29日)
お口直しに、博物館の話題。
最近のBBC報道によると、博物館・美術館が悩ましいそう。国内225館が協力した美術基金(The Art Fund)の調査によると、この夏、三分の二館で入館者が増大。五分の一館は一割増。その理由として、不況の影響で英国人が海外ホリデーに行かず国内にとどまったことと、ポンド安で海外客が多かったためとしています。常設展無料館の63%で入館者が増加とのデータも。
その一方、博物館の四分の一が助成金削減、維持費増大、ボランティアへの依存といった問題を抱えています。館によっては昨年同期よりランニングコストが3割増。中でも地方公立博物館の財政が厳しい様子。なお、この調査には。3月から9月までをカバーしたものです。
同基金のアンドリュー・マクドナルド議長は、困難な時代にあって文化機関がお金のかからない娯楽として人気があるのに、せっかくのこの時期に企業の協賛など、博物館美術館への支援が削減されようとしていることへの懸念を表明しています。
→■http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/8317781.stm
別の報道では、夏のシーズンに開かれたいくつかのRHS(王認園芸協会)のフラワーショーも、例年より客入りが良かったそう。これには私もささやかながら貢献した気持ちがします。良い週末をお過ごしください。いわもと拝
■ レディング通信U(28) なぜ生きたものを食べるのか
(Sun, 18 Oct 2009 08:30)
(南の風2313号 10月21日)
今の宿所に移って、ハンガリー人と親しくなりました。ひとつ下の階の若夫婦は、30をちょっと出たお年頃で、朝の5時過ぎには勤めに出るたいへんな働き者。ダンナのミクロシュは窓枠工事人、オツレアイのリエカはアスコットの学校のまかない婦のお仕事をはじめたところです。最近、インターネット接続がモタモタしていたところをミクロシュが助けてくれて、ことのついでに、もっちゃりしていた私のPCをすっかり軽くしてくれました。聞けば本国で、IT技術者になる訓練を受けていたそう。リエカは生物専攻で、大学教師や医者の家柄とか。マニュアルワーカーに身をやつしていますが、恐るべし東欧移民。英国での苦労を忘れず「立身出世」してほしい皆さんです。
面白い発見をしました。彼らは海なし国の出身なので、イカ、タコ、さめなど、海のものに対して本能的な恐怖感をもっています。私が30年以上も前から磯に潜ってタコをとっていた話をすると、別世界を見る目をします。野蛮人と思われたかもしれません。カキの生食も、MRビーンの喜劇映画でしか見たことがないそう。カキごときで驚いていることに、実は私が驚いたのですが、この上ウニ・ホヤなんて知ったら、気絶しかねません。
このごろ困っているのが、「豚でも何でも、生き物は殺してから食べるものだが、まだ生きているうちに食べるとはどういうことなのか」との質問。「生で飲み込まれたカキはいったい、いつどこで死ぬのか」とも。まだシロウオのおどりぐいの話はしていません。
「第二次大戦後のこととは思うけど、刺身には『活き造り』という種類があって、げてものというより高級品と思っている日本人が多いと思う」と言ったら、「日本では動物愛護の人はどうしているのか?」。
「そういう意味での動物愛護の人は日本にはいない」と言い切ると、「なぜだ?」と来ることはわかっていますから、「中国は、日本のような生食の伝統をもたないが、レストランの店頭に活きた食材を展示している。」「韓国、プサンの市場も店頭が水族館のようだった」と東アジアで薄めたり、古今東西の人食いの話をしたり、話をそらすのが大変。
かたやハンガリーでは、秋の豚の屠殺は、家庭の年中行事。朝からお酒を飲んでお祝いするのだそうです。話に聞くモンゴルのヒツジのよう。いいなあ。血を残さず受けて、掃除した腸でソセッジをつくる。ソセッジというので、「要はぶたちゃんを裏返しにするのだな」と言ったらえらい受けたこと。
ハンガリーでは日本文化がほとんど知られていないそう。日本でもそうだと思います。お互い、大使館に頑張ってもらいたいものです。
昨日、ウィンザーの養老院帰りに、町の肉屋であばら骨のついた豚の塊り肉を求めて帰り、「ハンガリー料理を教えてくれろ」と頼んだおかげで、かようにいろいろな話が聞けました。(3,4キロで6ポンド99。これと10キロ2ポンドのたまねぎが当方の提供分。これだけの話が聞けて、明日はまた別の料理。なんとも安いものです。)
ちなみに、その豚肉は本日、Porkolt(oの上にドイツ語でいうウムラウトがつきます)になりました。せっかくですので、作りかたを下記します。
1、豚肉はカレー用程度のころころに切る。あれば皮も一緒に。今回は1キロ半か2キロ程度。
2、たまねぎは豚肉の三分の一量。フードプロセッサーでみじん切り。
3、豚ベーコンの脂身を細かく切ったもので、たまねぎをいためる。
4、色づいたところで、いったん火から下ろし、パプリカを振り混ぜる。オレンジ色になるように。
5、火に戻して、豚肉を入れていためる。水を加えて、弱火にして煮込む。
6、塩で調味。火を強め、煮詰めて汁気を飛ばす。仕上げにパプリカで調整。
(火力の調整はみたまんま。気にしなくてもよさそう。)
つけあわせのノッケドリ(韓国語のようにも聞こえる楽しい名前ですが、正真正銘のハンガリー語でNokedli、ウムラウトなし)
1、水とき卵、薄力粉(プレイン小麦粉)、塩少々を練り混ぜて、少し固めのお好み焼きのタネ状に(モンゴルおやきと同等)。
2、なべに塩湯を沸かす。
3、穴あき鉄板にタネを乗せて金属へらで沸騰したお湯に落とす。最後にざるにあけて水気を切る。
(農文協の「日本の食事」シリーズで、さつまいも澱粉を同様に調理する方法が出ていたのは長崎県の対馬でしたか。のっけどりを主食にする場合は、最後に卵を二つ落として、熱いところにからませるそう。これまた讃岐うどんに似ていると思いました。)
料理レシピつきの「風」は、ちょっとめずらしいかもと思いました。こよい、当地は1度まで冷え込むそう。お元気でお過ごしください。いわもと拝
■ レディング通信U(27) 聖女の出開帳 (Fri, 16 Oct 2009 11:32)
(南の風2312号 10月19日)
… 聖遺物というのでしょうか、あまり日本になじみのない習慣かもしれません。最近、フランスの聖女テレーゼさんのコツがロンドンにやってきました。ウェストミンスター・カシードラルというカトリックのお寺。(議会の横にあるのはウェストミンスター・アビーで英国国教会。まぎらわしいのです)。
若い尼さんで、19世紀末に結核で亡くなったとき24歳。わが樋口一葉の同時代人です。没後、自伝が出版されてベストセラーになり、1925年に列聖。
このことを火曜の晩にニュースで知り、翌日、近所に行く用があったので、「不憫よのう、手向けのひとつも」との心積もりだったのですが、あにはからんや。お寺の広場いっぱいに善男善女が延々と行列。大型スクリーンが絶えず堂内の様子をモニターしていて、トレーラー式の食べ物屋まで店開き。「エイズの守護神」が効いたのでしょうか。
と申しますのは、以前、エイズが同性愛者の病気とみなされていて、いけないことをした外道がバチかぶったということでキリスト教が救済してくれない時期があったのです<おかげで某日本のカルトが得をした>。当時の患者は難儀だったと思います。いまや時代が変わってよくなりました。行列を見たところ、年配の黒人女性のお参りが多いように思いました。
わたしは日本の初詣での雑踏に「宗教的情熱」を感じたことがないのですが、こたびは宗教パワーにただただ圧倒され、その昔、中国は宋の都に「仏舎利」が来て民衆が熱狂した時もかくやと想像したほど。(たしか高名な文人政治家=儒家=がこれを批判して、仏教シンパだった時の皇帝に憎まれたかと。)
かわいそうなお骨は、97年いらい、ブラジル、ロシア、米、レバノン、イラクなど46か国を巡業して、カトリックに貢献しているそう。まさか、こういう展開になるとは、生前この人は想像していなかったかも。骨になってまで働かされています。ただ、聖遺物はももと足の骨。ほかはどうなっているのか、知りません。国許で留守番でしょうか。
王認園芸協会RHSホール「秋のショー」の帰りみちは、日が傾いて肌寒さを感じました。もうおミサの時間でしたが、お寺の行列は絶えません。拝観は木曜いっぱい。夕方のニュースによるとウェストミンスターの三日間だけで9万5千人、国内でつごう28万6千人以上が参詣してご利益に与かったそう。ウェストミンスターだけでお灯明10万個が売れたろうそく屋さん、ピンクのバラ5万本を売り切った花屋さんもうれしかったと思います。
本日、久しぶりでウィンザーの養老院に旧知のジェフさん(バーク州環境トラスト創立議長)を見舞った折、季節のRHSショーのりんごや野菜の展示の写真を折りたたみPCで見せたついでに、お寺やスクリーンの写真を見せてこの聖女のコツの話をしたら、先刻知っていたようで、「文明人のやることとは思えん」。彼のこういうところが私は好きです。
さる高名な形質人類学者の言葉にならうなら、私の感想:どちらかと言えば骨だけよりミがついている方がいいかなあと。→
■(1)、
→■(2)、→■(3)
ナショナルトラストの教育活動を調べていて、U3Aにたどり着きました。「高齢者の、高齢者による、高齢者のための」とは謳っていませんが、まさにそんな調子の、第二の人生の老人大学です。フランスの運動を英国風に変えながら導入したもの。フランスのことは末本先生が良くご存じかも知れません。ケンブリッジの取り組みが、全国的に展開。英国ではよく見受けられることですが、地域に根ざした運動がナショナルオフィスを構えているところが立派です。ナショナルな団体となっておれば国会議員相手のロビー活動ができますから、そういうことかなあと。
だいぶ冷え込むようになりました。週末、当地は朝2度との予想です。旅の疲れをゆっくりお休めになってください。いわもと拝
■ レディング通信U(26) BGMつきのMRI検査
(Sun, 4 Oct 2009 10:23)
(南の風2306号 10月6日)
月が改まりました。冷え込むようになり、今日から温水暖房がはじまりました。いま夜の2時すぎで外気は13度。予想最低気温は8度です。
先月のことになります。引越しの翌朝、ロイヤルバーク州病院で頭部MRI検査。暴漢事件直後の7月に紹介されていたのが、データベースの住所が変更されていない手違いがあり、検査待ちのうちに季節が変わるお粗末さ。英国よのうと。
朝いちばん、8時の予約より15分も早く着いたのに、すぐに検査を始めてくれました。英国にしてはと好感度大。問診表に好みの音楽をリクエストする欄があり、書き方にしたがってポップでないクラシックのCDふたつ分にチェック。これはたぶん、リクエストが重なったとき用かと。
横になるとさっそくヘッドフォーンを着けられました。例のひどい騒音と同時に鳴り出したのが、うめくがごとき、地を這うがごときベートーベンの七番第二楽章。おいおいと言いたくなる選曲ですが、止むを得ません。
途中、横になったまま手の甲に注射をされ、胃袋がでんぐりがえりそうな気分になりながら、結局、まる一時間騒音とお付き合い。丁寧に診てくれるのだなあと思って感心していたのです。ところが、あとで技師がしきりにあやまるではありませんか。これで、ミスでやり直しだったとばれてしまいました。正直な技師さん。だまっていたら私はいい気分のままだったのに。
ひとつ発見がありました。騒音自体はトーンやピッチが変わらない状態なのに、ガンガンガンに聞こえたり、ゴンゴンゴンに聞こえたりするのです。ガンガンに聞こえると思って聞いたらそう聞こえ、ゴンゴンと思えばそう聞こえるのです。音源の問題でない以上、頭蓋内の反響の違いでしょうか。筋肉が動いているのかとも。聞こえるものとして聞き取れることから、昔の人が「耳が抜ける」と言った外国語の聞き取りは、こういうことかとも。まるで違っているかもしれませんが。
あれこれ”聞こえ方”を”変え”ながらかような妄想にふけって一時間まったく退屈しませんでした。
ともかくも無事検査が終了して、安心したら急に空腹。病院食堂が利用できると聞き、行ってみると、イングリッシュ・ブレックファストの具がお好みで選べるようになっていました。三年ぶりに堪能。
その日、どうにも「大英」が私を呼んでいるような気がして、午後のもう3時でしたが列車に乗ってロンドンへと向かいました。そこでの出会いのお話はまたの機会に。
検査から10日後の本日、かかりつけのお医者に結果を聞いてきました。おかげさまで、幸い、異常なしとのこと。安堵しました。カウンセラーに勧められていた街の中医学院で、鍼の予約も済ませました。しつこい頭痛に効いてくれるとよいのですが。
なお、私がセルフサービスで取り押さえた悪漢は、9日に裁判だそうです。さあ悔い改めろ、さもなくば地獄に落ちてけつかれ。もしここで犯行を否認するようなことがあったら、次の法廷が私の出番となります。
意図してつかまえたわけではありませんが、事件直後には予想していなかった心身の後遺症を考えると、あの時つかまえておいて本当によかったと思っています。つかまえていてさえ、三ヵ月後の現在も心身のリアクションが後を引いて、まだ完璧でないことを考えると、もし現行犯逮捕できずにそのまま逃げられていたら、白人労働者の姿が気味悪すぎて、この町(や英国、もしかしたら欧州)で生活を続けることが困難だったかも知れません。その可能性は高かったようにも思うのです。
かなり以前に、ロンドンでIRAの爆弾に遭遇した年配の日本人から、シェルショックの話をきいたことがありました。その時は分かったつもりでいたのですが、やはり「つもり」に過ぎなかったなあ、と。今回の経験で、悩ましい被害者心理のあれこれが分かるのは、実際に危害を加えられた人ならでは、ということがよく分かりました。
今の時点で、どれだけの省察が可能なものか。対象化にはまだ時間がかかるかもしれませんし、先になったら忘れてしまっているかもしれません。わが心のありようながら、心もとない話です。
日本は柿がおいしい季節でしょうね。当方、5月来のいちご中毒がまだ治りません。エルサンタいちごと見ると買わずにはおれないのです。買い物の必要がない日でも、調べ物の後、ただエルサンタを求めてバスで街に出てスーパーめぐりをすることもあります。エルサンタがないとがっかりして、甘くて値段が高くて、香味・肉質で劣る「子供向き」と私が思っているジュビリーいちごで代用。
いまどき季節はずれだと分かっていますから、エルサンタがなかったら買うまいと心に決めたのですが、ひところ見かけなくなったエルサンタがこの頃は毎日、店頭に並んでいるので、うれしくて困っています。お元気で。
■ レディング通信U(25) 再会 (Sun, 13 Sep 2009 09:18)
(南の風2294号 9月16日)
:
今日は日差しの強い、最高気温22度の夏日となり、パナマ帽で正解でした。
朝のうちにご近所のリチャードソン家を再訪。あるじは地元生まれの旦那と栃木のいちご農家生まれのオクサン。1887(明治20)年製の、レンガの古いお家の裏手に通されて、ご自慢の自作シシオドシと日本直輸入の雪見灯篭を拝見。それから、外回りと台所を数年来手を入れて、あれこれ改修したところを驚嘆しつつ見学。とても植物学者の素人仕事に見えません。もっと早くに知り合いになっておきたかった人。
だんなジェイムズさんの運転で、近在のヘンリー・オン・テムズで本日開催のヘンリー・ショーに連れて行ってもらいました。折からの好天で大入り。私は何度も来ていますが、彼らは初めて。最初にたどりついたアリーナにくっついて離れません。
この催しも前にご紹介した「サリーショー」同様で、1891年に地元にできた農業会(総裁はオールビンガム男爵夫妻)が主催。保守党の強い土地柄で、「岩本の法則」どおり、楽しめるところです。ただ、数年ぶりに見るこのショーもやはり、集客用ショービジネスの色合いが強まっていると見えました。とはいえ、さっぱり鷹匠のいうことを聞かないワシミミズクが退場となり、間近を飛ぶのを楽しみに待っていた子どもたちが回れ右となったり、出番の犬が突如、脱糞をはじめてお客を喜ばせたりという、本番ならではのハプニングも。
→■http://www.thehenleyshow.com/
うれしい驚き。朝のお茶の時間に、たまたまバスケットが話題になり、その続きで思い出した地元の愛好家団体「糸つむぎ、織物、染物」のバークシャーギルド(1962年創立)のことを話していたところ、なんとショー会場にテントが出ているではありませんか。
20世紀に私が糸車と羊毛を手に入れて、毛糸紡ぎで遊んでいたころ、月例会に出入りしていたのです。長のご無沙汰。声をかけたらすぐに思い出してもらって、非常になつかしがられて、話が止まらなくなりました。再会を約して別れました。何ということもないのですがうれしくて、この話を書きたいために、連日の「風」となりました。お許しを。
→■http://www.bswd.org.uk/ いわもと拝
ps、地元の文化祭テント(?こういう言い方はないのですが、ほかに言いようもなくて)でアマチュアの素人野菜品評会も行われており、川崎市北部の「万福寺鮮紅大長にんじん」愛好会の皆さんへのおみやげができました。4月半ばにタネをまいて、5ヶ月で長さ60センチのニンジを収穫。衣装ダンスに砂を入れるのが秘訣とか。ヒツジがうずくまったほどの巨大かぼちゃやキャベツ、マロウ(へちまかぼちゃ)の出展もありました。
■ レディング通信U(24) 9.11からはや8年 (Sat, 12 Sep 2009 08:28)
(南の風2292号 9月13日)
秋らしかったのは9月最初の数日だけで、当地はここ数日、夕刻近くになると夏が戻ってきたような日差しに恵まれています。とはいえ、空の高いこと。日によっては何回も、飛行機雲を見上げています。
ロンドンの日本人会主催の講演会に誘われて行ってみたら、何か不穏。「えーっ、知らないんですか?アメリカのこと。日本大使館は大騒ぎで、大使の挨拶どころではないそうですよ」の9.11から、8年が経過しました。当時の小学生がいまや大学生。
この間、「PTA主催国際絵葉書フェア(日本人の知らない日本がここに)」「市立公共図書館の本、CD、DVDセール(これでいいのか、うれしいけど)」「英国田園史博物館、学童疎開特別展(都市と農村の出会い)」など、私にとって興味深い出来事が続きましたが、報告をさぼってしまいました。折を見てと思っています。なお、PTAとはこの場合、ポストカード・トレーダーズ・アソシエーション。
英国政府は、豚インフルエンザとのいくさにほぼ勝利と、昨日アナウンスしました。そうなってくれるとよいのですが、新学期開始もあり、私には良く分かりません。
→ http://news.bbc.co.uk/1/hi/health/8249240.stm
この間、『南の風』2287号伊藤長和さん烟台の風29「中国では『中元節』、あるいは『鬼節』といって先祖を供養する日です。これが日本にわたり『お盆』になったそうです。」には感動しました。家族墓の誕生は昭和になった前後と聞きますし、日本列島の住民が庶民レベルで先祖供養を気にしだしたのは、それほど古くなさそう。外地にいると、日ごろ日本で考えないようなことが気になるもので、「輪廻転生の思想である仏教で先祖供養を説明するのは、いかにもつらいなあ」と、この夏、インターネットではるばる「経典をたずねる旅」に出ては困っていたところでした。今度は、この中国の習慣がいつごろ日本に渡ったかが気になります。
もうひとつ、日本国政府は21世紀になってからも「霊魂の存在」をどうみても公式に認めているごとくですが、科学的社会主義思想にもとづく革命政府の経験を持つ中華人民共和国は今どうなのか、何かの機会にご教示いただけるとありがたいなあと思っています。(黄丹青さんのご教示によると、四川地震の「慰霊祭」があったそうですが)。
2288号多田豊さん「21世紀の街づくりというのは、『経済発展によって文化事業を支える』のではなく、『文化を豊かにすることで、経済活動も発展する』というパラダイムシフトが起っているのではないかと・・」にも共感を覚えました。英国の場合、それは両大戦間期に社会的に広く合意され、しかもそれは、文化的な自己アイデンティティとセットだったように思っています。
さて、このところ環境保全団体「古建築保護協会」の文書に取り組んでいました。事務局がやりとりした手紙が多いのですが、ロンドンとスコットランド間が1ペニーの切手で、翌日には手紙が着いてしまうこの速度にはおどろきです。こういっては悪いが、現代より早いかも。ちょっとした照会のやりとりなら一週間もかかりません。それから、タイプライターの普及で、英国人の悪筆が一気に進んだのは、ワープロ時代のわが身を見る思い。
事務局員が結構、お休みをしています。「担当者ホリデーで不在につき、ご返事は追って」だと、ほのぼのとしていますが、病気欠勤もかなりあり、環境保護運動はそれなりに激務だったよう。戦争前夜にせっかく古建築協会の事務局長になったのに、身体を壊して辞職した人もありました。
ところで、紙のこと。日本で言ういわゆる戦前には、各団体とも厚くて、おそらく現代よりも立派な活版印刷レターヘッドペーパーを使っていたものが、1939年夏に中断して1945年になった時には、手のひら大のただのざら紙。ファイルに片手のひらをはさんでみて、この紙とこの紙の間のここに「戦争」があったのだなあ、おおぜい死んだのだなあと。(ざら紙に劣化がないところを見ると、酸性紙ではないようです。)
前に王認建築家協会RIBAの「戦前」の雑誌に、ヨーロッパの最新の空港など、曲面の美しい鉄筋コンクリート建築が出ていたのを見たとき、ふと「戦争でひどいめにあっただろうなあ」との感慨にとらわれたことがありました。白黒写真がまたよくって、これはたぶん引き伸ばしていないのでしょう。ほんものには「訴える力」があります。
ところで、日本でひところ鉄筋コンクリートというと殺風景の代名詞のようなところがありましたが、気の毒な話で、丁寧に作らせれば、設計の自由度の高いすぐれた性能を発揮します。ただ、素材は何であれ、いい建築は周囲にそれなりの空間がないと栄えません。逆の話のようですが、小さな絵は狭い部屋に飾れるのと同じ理屈だと思います。
今日の新聞で出会った、ちょっと素敵な言葉。私は知らないのですが、森まゆみさんという方。「リセットや再挑戦のできない社会は夢の持てない社会だと思う。人間とは変わりうる存在なのだから。」私には、社会教育への激励のように見えたのです。
→■http://allatanys.jp/B001/index.html
季節の変わり目ですので、お身体を十分においといになって、富美さんともどもお元気でお過ごしください。いわもと拝
■ レディング通信U(23) BBC記者の選挙コメント (Mon, 31 Aug 2009 09:03)
(南の風2284号 9月1日)
「東アジア社会教育研究」14号の英文目次最終案を、お送りしておきました。
それからインターネットをあけてみて、選挙の結果を、「下馬評にたがわず」との思いと、それにしてもやっぱり「うひゃあ!」との思い、こもごもで見ています。事実関係の報道についてはもちろん、日本のマスコミに分がありますが、東京駐在の記者リースヘッド氏の分析には、次のようなコメントが含まれていました。
「政権に就こうとしている反対党は、経済と不況がらみの難問に着手しようとしている。失業率は過去最悪で、来年末には日本は世界第二の経済大国の座を中国に渡すだろう。国民の三人にひとりは年金生活者となって、税収は低迷、財政支出が増大する。日本は困難な状況に入りつつある。人々は50年間ほとんど政権にあった政党を、この選挙で追い出した。彼らはいま、新しく経験のない政府がいくつもの困難に挑み、克服するところを見ようというのだ。」
→ http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/8229744.stm
英国はいま、銀行休日の週末。これが終わると季節が変わります。レディングでは、テムズ河畔でロックフェスティバルがあっています。
私は今日のお昼、バス暴漢事件のご縁で知遇を得たビルマ人目医者先生のお家にて食事のご招待(ここがまた、現場のすぐ近く)。シティの英国野村証券にお勤めの令夫人は、練馬出身の日本人。同席の地元の年配のご夫婦がまた、楽しい方でした。お医者のダンナは戦前、戦後にビルマで暮らしていたそう。左耳の補聴器は、日本軍の砲撃の遺産。
「おじさんのいなかった戦時中に、ラングーンには私の父が少し行っていたと聞いた」と言ったら、「部隊は?」というので、「飛行第87戦隊と聞いたように思う」「第33軍じゃないのか?お前はビルマから軍事郵便をもらわなかったか?」
ちょっとトシが違いすぎますが、ビルマの切手でなく、消印のコレクションが趣味なのだそうです。
目医者先生の秘蔵のアルバムを拝見。1924年に日本駐在武官をしていた知人からもらったものだそう。東照宮の三猿、複葉機の写真などに混じって、昭和天皇になる前の摂政の宮のスナップ写真が多数貼ってあったのが珍しく、こうした撮影は日本人には許されなかったかもと「現人神」の話をして聞かせたら、英人には初耳だったようで、呆れ顔をされました。そこで、そうした考えにもとづいた学校教科書を採用する地方教育委員会も、いま実際にあるのだと話したら、もう一度呆れ顔をされました。
ちなみにこのご夫妻は、先年、レディングフェスティバルの終了直後に会場を通りかかったら、一面のゴミだった。イギリス人も悪くなったとこぼしていました。
夜冷え込むようになりました(いま16度)。お気をつけてお元気でお過ごしください。いわもと拝
■ レディング通信U(22) 南山大ごと川崎大変 (Wed, 19 Aug 2009 18:40)
(南の風2279号 8月22日)
韓国〜妻籠(南の風2277号)に関心ありますが、遠すぎて残念。
このごろ、英国田園生活博物館の図書館に毎日通っています。王認建築家協会のファイルに、1937年秋のナショナルトラストの執行委員会議事録が混ざっていたりして興味が尽きません。19世紀末に出来たトラストは、このころからようやく、ワーズワースの生家やカーライルの旧居など、ナショナルの名にふさわしい不動産を保護管理するようになります。
さて、川崎市の北隣、東京稲城市南山の里山破壊問題について、前にご紹介したことがありました。夏に入ってから、南山開発が川崎に飛び火し、連鎖的に緑の破壊が進みそうとの情報が届き、驚いています。お盆前の市民グループ合同による現地調査では、「予想以上の規模の大きさに驚き、大プロジェクトが隠されているとの疑問が膨らんだそう。月末をめどに、東京都議会議長宛の署名を集めるそうです。
→■http://www012.upp.so-net.ne.jp/satoyama/about/index.html
署名用紙および川崎まち連の最新ニュースをご覧になりたい方は、私、岩本までご一報ください。iwamoto@wako.ac.jp
■ レディング通信U(21) 皮めくると軍需産業 (Sat, 15 Aug 2009 09:48)
(南の風2275号 8月16日)
敗戦記念日。こちらでは戦勝記念日です。ナチスドイツをやっつけてヨーロッパに平和が訪れたVEデイ、第二次大戦が終結したVJデイがあります。明日VJディの新聞では、日本関連のニュースが流れそう。
さいきん、チャリティ店で「イヲウジマ」のドキュメンタリーDVDを安く求めてきました。敵ながら天晴れと、栗林師団長を評価する米軍将官もあったようですが、武士の情けにつき、差し引いてよさそうなところもあります。友軍に制空権、制海権のない戦場はあわれ。
住民が追い出されて要塞基地の島になったあと、敗戦後も基地があって、住民はまだもとの島に帰れない。民主主義の移動の自由がまだということで、戦後処理が終わっていないということを知りました。
グラマンの機銃掃射の12.7ミリは、P51による八王子の列車銃撃のさいの兵器でもあります。同品は、戦時中の帝国陸海軍によってもライセンス生産品が隼(陸軍一式戦闘機)などで使われていましたが、日本側からライセンス料は払っていなかった可能盛大。
とんでもない傑作だったようで、70年後の今日でも現役、基本設計はそのままと聞きました。自衛隊がライセンスものを使っているそう。ライセンス生産は、住友重機工業とか。
ことのついでに、大阪金属、ダイキンという空調会社がありますが、ここでも、戦車の新型徹砲弾を製造して、自衛隊に納めています。
松本伝統家具のように、すべてが平和産業になったかと言うとそうでないこと。今なお武器製造会社ということを市民が知っていない場合は多々あるようで、情報の公開につながる、市民サイドからの掘り起しが常に必要と思っています。
→■http://www.bbc.co.uk/iplayer/search/?q=Mud,%20Sweat%20and%20Tractors
■ レディング通信U(20) 北英ニートの早死傾向 (Fri, 14 Aug 2009 05:40)
(南の風2274号 8月15日)
南の風2273号拝見しました。『東アジア社会教育研究』第14号いよいよ大詰めとのこと、遠くで役に立ちませんが、英文目次のことで何かあればお知らせください。
最近のBBCニュース。北部イングランドでの調査で10年前にニートだった若者の15%、すなわち6人に一人が、追跡調査時にすでに死亡していたことが明らかになりました。政府関係者は、英国全体の状況を反映したものではないと述べていますが、ショッキングなデータには違いありません。
全国的なデータとしては、2007年に16〜18歳人口の9.7%がニート(うち1%は長期ニート)。これは2008年10.3%に増えています。本年一月の保守党データでは、16〜24歳のニートが03年の9万4千から07年の85万人へと増大しているといい、保守党は、今の不況になる前からすでに政府が政策を誤っていたと非難しています。
→■http://news.bbc.co.uk/1/hi/education/8189498.stm
さいきん、レディング大学ブルマーシュキャンパスの歴史学者ボーマン先生と再会。もと、バーク州立教員養成コレッジだったところ。89年にレディング大学に前からあった教育学部と合併して教育・コミュニティ学部となり、4年コースでの小学校教員養成にあたってきました。2002年から、政策変更のおかげで、3年の学部課程で関連領域、例えば歴史学を専攻した学生が、1年修士で教員資格を得ることが推奨されるようになり(フレキシビリティのため、だそう)、レディング大学は学部を廃止して「スクール」に改組したこともあって先行き不透明です。キャンパスを旧教育学部のあった中心街近くに移転して、跡地を住宅開発とのうわさもあります。
ボーマン先生は、博士号のヘンリー二世の研究が就職後は生かされず、2002年に早期退職。今は非常勤の身分だそう。大学の都合でこのごろは専門外の演劇の授業をもたされたり、夜学でバイキングの歴史を教えたり。大学の授業の質について、何かパッケージのようになって、ひとつ終わってはい次、式になってきているとこぼしていました。労働者教育教会とレディング大学が長らく連携してきたイブニングクラスから、やはりレ大は撤退と聞かされました。
この日、教室でイタリア人の若者のクラスがあっていました。大学自体とは関係のない団体のための貸し教室。午後に講堂を使う使わないで、連絡の行き違いがあったらしく、職員が困って右往左往していました。
大学食堂が改装されていて、「ドルチェ・ビータ」というハイカラな名前に。伊藤長和さんのお話を思い出してエスプレッソコーヒーを頼みましたが、大きいカップで頂戴といったら、インド人のおばさんが普通の紙コップに普通量、つまり少量のエスプレッソを入れてくれました。これで1ポンド60。高いと思いました。
卒爾ながら、80年代前半の韓国で、喫茶店で飲むインスタントの「コッピー」がずいぶん高価だったことを思い出しました。いわもと拝
追伸:( Fri, 14 Aug 2009 06:20):
以下は16−24歳の年齢層についてのお話です。
ニート比率が、イングランドでは2001年以来約14%で推移してきたのに、今年になって急上昇し、今年最初の3か月は16%超だったとの不景気なニュースです。実数にして93万5千人。
なお、連合王国全体で92万8千人が「失業中」とされています。失業率はもっか12.6%ですが、職を求めていない、仕事を始めることが出来ない等の人を除いた「経済的にアクティブな」部分での、いわば正味の失業率は19.1%と、約5人にひとり。
→■http://news.bbc.co.uk/1/hi/education/8199269.stm
英国には、若者に海外研修させるギャップイヤーの制度があります。政府は、民間企業に助成金を出して、大学卒業生を海外に送り出す予定。経済を好転させて若者を企業に雇用させるのが政府の使命で、納税者にしわ寄せが行くだけとの批判もあります。
→■http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/8179565.stm
私はギャップイヤーの制度自体は悪くないと思っているのですが、このニュースには、一種の棄民政策のようなあざとさを感じました。
■ レディング通信U(19) もうすぐ立秋(Thu, 6 Aug 2009 07:)
(南の風2265号 8月2日)
江頭さんからお送りいただいた『Kominkan』他の冊子を、本日ありがたく拝受しました。富美さんご不例であったとはいけませんでした。
7月に入ってからしばらくは連日の晴天。ところが「バーベキュー・サマー」はちょっとだけで、このひと月は雨降りがち。不順な天候が続いています。牧草起源のヨーロッパ芝生は、ふつうだと乾燥のため7月下旬から夏中枯れて休憩し、9月の7日か10日ごろの秋雨でよみがえるものですが、今年は乾燥による枯れ始めも早かったぶん、早くも7月のうちから青々と回復しています(おかげでガーデナーの皆さんが、芝刈りで忙しいこと)。今日は夕立の後、いささか蒸し暑いほどでした。
このような雨の夏を、私は前にたしか一度経験しただけです。そのときは自宅でジャガイモのベト病の発生を観察し、ケネディ一家のアメリカ移住も・・と想像したことでした。ただ、悪いことばかりではありません。私は夏中、乾燥した草埃による花粉症類似の「ヘイフィーバー(牧草熱)」でくしゃみをしていたものですが、今年は助かっています。
石倉さんの訃報が届いたとき、窓の外に目をやると、熱気球がひとつ、ぽつんと浮かんでいました。昨日今日は、むら雲の薄くなったところから時々、美しいお月さんがこんばんわをしています。お葬式の風前号を拝見したあと、悲しい気持ちは相変わらずですが、石倉さんと出会えてありがたかったなと、感謝の気持ちに満たされています。
もうすぐ立秋、残暑厳しい折かと拝察します。しばし福岡で、ゆっくり身体をおやすめになってください。いわもと拝 (南の風2270号 8月7日)
■ レディング通信U号外 あの笑顔にもう会えないー石倉さん訃報 (Sat, 1 Aug 2009 04:17)
石倉さんの訃報、突然天井が抜けたような気持ちです。お弟子さんを先に亡くした先生のお立場はさぞと拝察します。
1991年の留学の、出発直前に訪問した学大ぶんじん研究室で初めてお会いして…。2002年からは、研究会や編集でお会いすることが多く、和光大学のハタケの検分にお出でになって、あと遅くまで当方の宿舎で飲んだこともありました。先年、チャガンさんの「ボルグ」開店のお祝いで、新妻同伴で嬉しそうにしていた姿が最後。あの笑顔にもう会えない。
さいきん、戦時中の八王子列車空襲(P51の銃撃)のことが気になって。高尾でいつでも会えると思っていたのです。残念なかぎりです。ご冥福を祈るばかり。いわもと拝
■ レディング通信U(18) 小学校と地域の連携 (Thu, 23 Jul 2009 07:45)
(南の風2260号 7月24日)
: 日蝕はいかがでしたか?十年あまり前に当地で日蝕があったときに、家の脇に三脚を立てて560mm望遠レンズで見物していていると、知らないおばさんが覗かせてとやって来て、子どものように感動していたのを思い出しました。当時は黒プラスチックが紫外線を通して有害と言っていましたが、すすガラスも良くないとは、さすが21世紀と妙なところで感心しています。
多田さんも稲城市南山ゆかりの方だったとは奇遇でした。南山最大の地主はいくつかの大型企業。ひともうけを狙って購入していた土地が不良資産化し、かといって巨大企業とは違って自治体にぽんと寄付する潔さもなく、零細個人地主の持ち物を抱き合わせにして区画整理・住宅開発することで公金支援を得ながら儲けさせてもらいたいという、ある意味で古典的な構図です。しかし、こうした本質的なことがらが、一般の目にはなかなか見えにくくなっているのも事実。善意の人々なのに結果的に開発勢力を喜ばせているグループもいて、切ないところです。地元市民による学習・キャンペーン活動に、引き続き注目したいと思っています。
昨日、久しぶりにロンドンに出て、18世紀のハイソサエティからいまの多文化社会までおさらいしてきました。北部の高級住宅地ハムステッド(マクドナルドが黒いので有名なところ)では、商店街の一角に「コミュニティセンター」なるものを発見。長くなりますので、委細はまたの機会に。
最近の報道です。
1、景勝地にある第二次大戦の地下壕を買い取って、4寝室の別荘に作り変えて売り出した人があります。戦争遺産の活用法。もとはジャガイモ倉庫だったそう。先年、高知で内田さんに案内していただいた、旧帝国海軍「白菊機」の掩体を思い出しました。
http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/5871426/Second-world-war-bunker-in-Cornwall-converted-to-holiday-home.html
2、シェシャー猫で有名なチェー州にある、ウィットリー村のお話。婦人会メンバーが、地元小学校で「にんじんケーキ、ラベンダービスケット、レモンバームとニワトコの花の清涼飲料水」などの作り方を教えています。学社連携、2年前からの取り組み。
婦人会メンバーには、以前こどもをその学校に通わせていた人もあり、ご縁の復活を喜んでいます。「コミュニティ感覚が進んで、道で会う知り合いがふえた」とコメントした人も。「タネから鍋までプロジェクト」の助成金も得られました。はじめて野菜を栽培し、スーパーで売っているのと違って、収穫したマメはどれも曲がっていると発見した子どもも。科目を横断的にリンクさせる効能も認められています。
ただ、衛生上の理由で、収穫してすぐの野菜を子どもに調理して食べさせられない、地域の人が学校に立ち入るについて警察のチェックが必要など、いくつかの困難もあります。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/education/8149422.stm
3、商品の値段、日本は980円、98円が多かったように記憶しますが、当地は1ペニー引きの△ポンド99が定番。お安く見せるトリックです。
ところが昨年来、「99ペンス」の値札を1ポンドに替えたスーパーが多いそう。お店側は、ペニー硬貨ごときのために時給雇いのレジ従業員の時間を取られたくないし、お客も、赤い小銭をもらってもそんなにうれしくないそう。豊かな社会です。(それでこのごろ、道に銅銭がよく落ちている?)
http://news.bbc.co.uk/1/hi/magazine/8159072.stm
そういえば、昨日ロンドンで入ったスーパーでも、「お値打ち1ポンド!」の表示を見ました。しかし、今日入ったチャリティ古本屋では、99ペンス制が健在。
伊藤長和さんの研究会(7月24日)ご報告、聞けないのが残念です。盛会でありますように。また長くなってしまいました。 いわもと拝
■ レディング通信U(17) 英国の自動車産業
(Mon, 20 Jul 2009 12:15)
(南の風2259号 7月22日)
: 最近、トヨタのバーナストン工場(ダービー州、1989年〜)で、トヨタ自動車のハイブリッド自動車が生産開始とのアナウンスがありましたが、本日のBBC最新ニュースがそれを追いかけるように、北部サンダーランドの日産自動車工場(1986年〜)でも、新型電気自動車を生産することになったと報じています。どうやらヨーロッパの投資銀行や英国政府の助成金を受けられることになって、同社バルセロナ工場などとの社内競争に勝ったもよう。トヨタ・日産とも、4000名規模の雇用を確保すると英国では喜ばれていますが、日本人の私から見ると、いわゆる日本企業も、もはや日本国内の雇用確保には貢献しない時代なのだなあと。グーグルアースで偵察してみて、その工場の大きいこと。あの本田の巨大なスウィンドン工場が小さく見えたほどです。
ところで、私はアメリカ合衆国の事を知らないのですが、英国や欧州の自動車メーカーはジーゼルエンジン乗用車をふつうに生産しています。ガソリン車とのシェアは半々か、それ以上でしょうか。あのベンツもBMWもルノーもジャギュアも、みんなそうです。新型のジャギュアなど、スポーツカー並みの性能だそう。さすがに、最高級車のロールズロイスとベントリーは見ませんが、私にしては珍しくモリス・マイナーの次にいいデザインだと思っているベンツcls型にだって、日本国内では売られていないジーゼルカーがあるほど。道に落ちていたら拾って帰りたいくらいです。
新型のロンドンタクシー(コッペパン型)は性能のいい日産ジーゼルで有名。英国トヨタもジーゼルカーを生産しており、最近、乗せてもらう機会がありました。静かさや加速性能は「外車」にひけをとりません。
ジーゼルエンジンといえば、とかく日本では東京都の規制もあってか汚いイメージが定着しているようですが、これは不思議なこと。原油を輸入したからには、精製の過程で一定量の軽油ができる道理です。ことによると、軽油を産業用に回すための世論操作かと思ったりしています。余談ながら、私が20年以上前に最初に運転した日産自動車はジーゼルカーでしたが、いま日本市場の乗用車はトヨタ・日産ともに生産中止と聞きました。
なぜ日本の自動車メーカーが、世界水準のジーゼルエンジンを作っていながら、日本国内ではハイブリッドカーで売り込んでいるのか、このところの私の疑問でしたが、ことによると日本市場でハイブリッドカーの技術を蓄えておいて、世界市場に打って出る戦略であったかと、今日のニュースを見て分かったようなわからないような気持ちでいます。
■ レディング通信U(16) 英国の博物館事情 (Sun, 19 Jul 2009 09:00)
(南の風2258号 7月21日)
さっそくに2252号の再送、ありがとうございました。これで符丁が合いました。
本日土曜日は、91年の留学いらいお世話になっているテッド・コリンズ教授(いつも猫の毛を服に付けているレディング大学名誉教授、英国田園生活史博物館モト館長)、奥方フィラダさんのお家にお呼ばれ。数年ぶりの再会を喜びあいました。お客様はあと、ロンドン大学名誉教授のマイケル先生と奥方のアンさん。それに博物館アドバイザーのエイドリアンさんと、全国宝くじ基金の前事務局長だった奥方ローズマリーさん。
マイケル先生はなんと、あの”English landed society in the nineteenth
century”の著者、F.M.L. Thompson氏。1963年に出版の名著です。1925年のお生まれ。達者なもので、ロンドンの北、セント・オールバンズ近辺から車でおいでになりました。温厚で寡黙な学者さん。テーブルのこっちでコバム子爵亡き後の奥さんの称号あれこれでなど盛り上がっている時も、質問されるまで黙っていて、尋ねられるととどんぴしゃりの返事。これはすごかった。四民平等でない英国階級社会ならではの用語で、日本人の私が知っていて役に立つとも思いませんが、「クリスチャンネームこんまバイカウンテスどこそこ」が正式で、子爵にはダワジャー(先代夫人)の称号は使わないそう。ほかのだれも知りませんでした。
12時半過ぎから4時間あまり、クリケットのこと、庭やばらやランのこと、骨董のこと、ランドマークトラストやナショナルトラストのこと、アロットメント(市民農園)のこと、東京辺でのマメの冬越しのこと、あれやこれや猛烈に盛り上がりました。書き出すときりがないのでひとつだけ。
博物館の、おもに法務、マネジメントのアドバイザーをしているというエイドリアンさんに、最近の事情を尋ねました。日本に影響の大きいPFIについては、前にリーズ市につくったロイヤルアーマリーズ(王室武器庫博物館)の失敗がありましたが、その後、余り普及してはいないそう。もちろん、日本への影響は彼は知りません。公共博物館は公共博物館との認識で、指定管理者制度については、あれこれ説明しても理解できない様子。想像の域を超えていたのかもしれません。
九州の某、県立博物館が指定管理者制度で、しかしなかなか意欲的なことをやっていて、請け負っている会社の中心人物が(彼が教えに行っていた、私岩本も学んだ)レスター大学博物館学の卒業生だと言ったら、これはえらくウケました。
コリンズ家伝来の陶磁器コレクションは、知る人ぞ知る「へんてこりんず」好み。食後のガイドツアーで久しぶりに拝見。欧州の中国趣味(シノワズリ)ものと中国陶磁が多くて、長崎の「かくれキリシタン」だったらきっとマリア観音にしそうな16世紀以降の中国製白磁の悲母観音?像は、飾ってあるほかにハコいっぱいあるそうです。
ご下問あったユニオンジャックと日章旗がぶっちがいになった絵付け磁器の、茶碗蒸し容器のようなものには、薄れた金泥で「佐世保」と読めました。これは長崎の北の軍港の地名で、1902年の日英同盟締結の記念品として、帝国海軍が手土産に配ったものかもしれないと話したら、たいへん喜ばれました。専門家と誤解されたかもしれません。
BBCニュース:北部テイ川辺の労働者によるブリティッシュスティール製鋼所閉鎖反対の数千人規模のデモ行進、第一次大戦の航空隊生き残りで長寿世界一だったヘンリー・アリンガム翁が113歳で大往生、ウェールズの景勝地の滝つぼで、近くにキャンプに来ていた3歳女児と33歳の父親の遺体発見(不慣れな場所では泳がないように)・・・。
■ レディング通信U(15)− 「指定管理者」の英訳
(Sat, 18 Jul 2009 05:32)
(南の風2257号 7月19日)
: しばらく「風」にご無沙汰をいたしました。この10日ほどの間、ヘンリー8世のハンプトンコートパレスを会場にした王認園芸協会RHSのフラワーショー(世界最大!、ただし今回は中途で沈没)、百数十年の歴史をもち今回でおしまいという英国王認農業協会のロイヤルショー最終日などの外出のほか、日本関連でも公私にわたり緊張と進展がいくつかありました。先年来かかわっている東京都稲城市、南山(みなみやま)の、素敵な里山保全問題でも、地元市民団体の皆さんが保全とより賢い開発に向けて、次の手を考えているところです。近日中にアナウンスがあると思います。
→■http://inagisatoyama.blog10.fc2.com/
先日の伊藤長和さん「烟台の蓬莱から日本に渡る八仙人」の、どなたが海に落ちて、生存者が七福神になったのか、気になっています。(ちなみに新潟県糸魚川では、地元のぬなかわ姫が加わって八福神でしたが)。中国テレビ事情も興味深く拝見。歴史上の「物語」を通じた国民形成は、かつて大日本帝国の得意技でしたが、その反動ぶんを差し引いにとしても、昨今の日本国はちとバランスを欠いているのかと思ったりもします。100年前の祖先の手書き文書が読めない国民は、世界的にも珍しいかも。
近藤さんの風を拝見していて、ふと気になり調べたら・・当方にも52号が届いていませんでした。何かの折に再送いただけると幸いに存じます。
さて、申し遅れましたが本日、レントゲンも眼科検診も異常なしとのことで、安堵しているところです。皆さんにご心配かけてしまいました。
「やはり図書館に訊け」
先日来、気になっていた表記「指定管理者」英訳ですが、和光大学の図書館司書の瀧さんに照会したら、なんと半日で返事をいただきました。指定管理者Designated
Administrator、指定管理者制度 designated manager system がもっか混在のようす。(私は適切な訳語とは思っていませんが)。
法務省の「法令外国語訳データベース」←現在進行形で完璧ではありませんが、『社会教育・生涯学習辞典』の英語表記の力になってくれそうです。(ただし、公式ではないと断ってあります=これも妙な話=)。
→■http://www.moj.go.jp/top/link01.html
このデータベースを眺めていて気付いたのが、「国は・・・学校教育及び社会教育における・・・に必要な施策を講ずるものとする」のような、「道具的(社会)教育観」が健在?ということ。(ものづくり基盤技術振興基本法16条、海洋基本法
28条、探せばまだありそう。)
社会教育法以降、国際的動向ともリンクしながらさまざまな達成がありましたが、現代日本における社会教育のパブリックイメージには、研究の余地がありそう。政策決定者であっても知っている人しか知らないとなると、危ういことです。いつ「指定管理者」に持っていかれるか分かりません。今こそ、知ってもらう努力が重要かと。皆さんのご意見をお聞かせいただきたいところです。
なお、和光大学付属図書・情報館は、市民開放しています。どうぞご利用ください。
→■http://www.wako.ac.jp/library/
このごろ当地は、しけた雨降り続きです。いまは上がりましたが、夕方八時の気温が15度。昨日夕方近くになって、近在のヘンリー町に古本と骨董を冷やかしに行きました。そこでつい「かきナイフ」を購入した手前、今日はレディングの魚屋を素通りできず、逡巡のすえ、かき1ダースを買ってきてしまいました。ところがこの寒さ、結局焼きがきにして、片付けましたが、さすがに白ワインはお燗もならず・・・。
本日レディングの町では、初見のイタリア市場が店開きしていました。先年ブルゴーニュの馬市で見たようなサラミなど、ぶらさげて販売。夕刻出直して、パンやオリーブなど求めてきましたが、明日の夕方だったらバーゲンになったかも、と、今頃気付いています。
いちごがまだ盛りで、「エルサンタ」種を見つけるたびに買い求めています。来てから何キロ食べたことか。道で「エルサンタ!」と呼ばれたら、思わず返事をしてしまいそう。
日本は暑くなったと聞きました。お元気でお過ごしください。(南の風2257号 7月19日)
○追伸 (Sat, 18 Jul 2009 08:5)
さきほど、十月上旬からの成人教育マリ会議の案内が来ました。今般の経済危機に対応した内容にしたい様子。参加申し込み締め切りは、急ですが今月26日だそう。ご周知いただければ幸いです。
Subject: [wssd-educationcaucus] Voices Rising - International Council For
Adult Education
From: "Pam Puntenney" <pjpunt@umich.edu>
To: wssd-educationcaucus@listserver.itd.umich.edu
GEO/ICAE
VOICES RISING
July 17, 2009
Content
IALLA FRANCOPHONE
1.- THE WORLD ECONOMIC AND FINANCIAL CRISIS: WHAT WILL IT MEAN FOR GENDER
EQUALITY?
2.- FINANCING DEVELOPMENT IN A TIME OF CRISIS: AN INT ERACT IVE DIALOGUE
3.- INVITATION / HEARING WITH CIVIL SOCIETY AND THE PRIVATE SECTOR
4.- THE ADULT LEARNERS\x{0092} FESTIVAL 2010 WILL TAKE PLACE FROM 22 26
FEBRUARY 2010
5.- CALL FOR SUBMISSIONS KEEPING ABREAST OF RESEARCH IN THE L&S SECTOR
6.- LYSA JOHN APPOINTED AS GLOBAL CAMPAIGN DIRECTOR OF GCAP
IALLA FRANCOPHONE / Bamako, Mali, from October 3 to 13, 2009.
Dear friends,
We're glad to announce that we are launching the call for applications
of the Francophone ICAE Academy of Lifelong Learning Advocacy (IALLA) to
be held in Bamako, Mali, from October 3 to 13, 2009.
The deadline to submit applications is July 26, 2009. Therefore, we would really appreciate it if you could disseminate widely
this call among your members, partners, and potential francophone candidates.
See letter of invitation below (call for applications and application form
are below). Documentation to apply must be sent to: icaeialla@gmail.com
Best regards,
Marcela Hern$(D??ndez
ICAE
■ レディング通信U(14)-警察で被害者調書 (Tue, 7 Jul 2009 06:18)
(南の風2251号 7月9日)
南風にあおられた雨がガラス窓にしぶきかかる荒れ模様が、いっとき止んだ午後、町の警察にでかけました。待合室をかねたホールは1991年当時と変わらず、紋章の下にラテン語のモットー「テムズ河谷の平和のために」(たぶん)。
案内されて別室、机ひとつに椅子みっつ。本日の調書は第一段階で、事実関係を詳細に明らかにするためのものと聞かされました。この後、被害者の心情調書、裁判出廷など、数ヶ月かかりそう。犯人が逃走していればそれきりでしたが、逮捕してめでたしでは終わらず、結構手間どるようすです。止むを得ません。いま犯人は保釈中だろうとのこと。精神鑑定の話も出ました。犯人取り押さえの際、公共図書館から借りたCDのケースが壊れたものについては、図書館で説明して、警察に連絡するように言ってもらえませんかと。カオの擦り傷は、警官が記録していなかったので、あとで家人を心配がらせないようにと撮ったセルフポートレートをメイルで送ることになりました。なお、Victim
Supportは警察と協働しているチャリティ団体だそうです。
調書とり自体は、時間を追って、私が事件の概要を英語と日本語で話し、それをメモを取りながら聞いていた通訳の斉藤きよこさんが英語にして、担当官のセーラさんが書き取るというやりかた。
お役所仕事というのか、分業が進んでいて、セーラさんは事件についてごく簡単なメモしか渡されておらず、被害者の私が犯人を逮捕したと知り驚いていましたし(「すごい勇敢!あなた立派な警官になれますワ」)。その代わり、現場に駆けつけた警官が当然見知っているようなこと(たとえば、熊にまたがったキンタロウ状態)も、最初から説明しなくてはなりませんでした。
そうならそうと、前もって言ってくれれば、詳細なメモを用意したのに。
あれこれ尋ねられての感想ですが、被害者意識としては、自分を襲った犯人のツラや彫り物の柄など、けたくそ悪いからさっさと忘れてしまいたいとの気持ちが正直なところ(実際、ほんの数日のうちに忘れていることの多いこと!やっぱり、現場にデジカメがあるとよかった)。それをあえて詳細に思い出させて記録しようとするということの難しさ。ことによると、話に聞く性暴力の二次被害はこの延長線上かとも。
さて、めでたく下書きが完了したところで、さっそくセーラさんが清書。ワープロを使わずに、読みやすい字で5ページの書類をつくりました。
その間、斉藤さんと世間話だったのですが、レディングで見ない人だと思ったら、ロンドンからの出張。英国は94年からで、ウィンブルドン近くのパットニーにお住まい。National Register of Public Service Interpreters というエイジェンシーからの派遣(フルタイム)でした。
→■ http://www.nrpsi.co.uk/index.htm
3,4年前から警察や裁判所でこうした仕事をしているが、その後、登録していた人がすべてエイジェンシーに移管されたとのこと。なんと、日本人通訳は英国全体で2人だけ。英国内はもちろん、スコットランドへの出張もあるそうです。
先日来、メイルでやり取りのあった担当官のセーラさんも、今日会って知ったのが実はオフィサーでなくシビリアン。訳しにくいのですが、要は警察官ではありません。これもこのごろ始まった制度で、訓練を受けて、警官の下でこうした被害者調書や、加害者の調書とりを行っているそう。行政のアウトソーシングが進んでいることを知りました。
最後に、清書の文言を確認のうえ、各ページの下と若干の訂正箇所、それから最後の紙の最終行にサインをして調書の出来上がり。各地で仕事をしてきた斉藤さんによると、調書の書式は地域により異なっているそうです。セーラさんの力作。5枚もの被害者調書を、斉藤さんは初めて見たそう。あと、斉藤さん持参のお仕事書類にセーラさんが確認のサインをしておしまい。2時から2時間の予定が、通訳に手間取ったわけでもないのに、5時15分になっていました。
ちなみに、このごろはポーランド人通訳の出番がとても多いそうです。全国的にポーランド人が増えているそう。レディングの町も例外でなく、西のほうにはポーランド人パブや、食材店などが増えています。
外には大きな水溜りがあちこちに。駅まで送る途中、警察署の並びの床屋、その隣のパイ屋「スイニートッド」を紹介したら大うけ。ちょっとした町なか観光案内のガイドツアーのようでした。
National Register of Public Service Interpreters というところ、HPをちょっと見ただけですが、100カ国語の通訳2000人の登録があり、公共セクターが契約して利用する民間会社。行動憲章と罰則規定をもち、質の高いサービス提供、通訳の専門性への認知向上などもうたっているところを興味深く思いました。日本国の地方行政における民間委託とは別の原理の団体のようです。
いちごを求めて帰宅。明日はフラワーショー。てるてる坊主を窓に飾りました。
■ レディング通信U(13)−モーティマお楽しみデイ、そしてロンドンへ
(Mon, 6 Jul 2009 11:36) (南の風2249号 7月7日)
丸浜さんご報告 の杉並の図書館の近況(風前号・2248号)、案じています。見ていないのでどういう評価項目だったのかを知りませんが、地域資料の系統的な収集・保存・活用、図書館司書の専門性の向上と世代交代、変化する時代のニーズに対応した図書館の自己革新等は、おそらく30年、50年の時間軸でしか評価できないものです。これが、常につぶれるリスクのある民間営利企業への業務委託や指定管理によってどうよくなるといえるのか、ビジョンがあるのかという点に尽きると思います。杉並区にお住まいの方は、市民の望まない政策には「ふるさと納税」でよそに税金を支払いますよ、とのカードが使えてお得ですね。
同じく風・前号の、過分なお言葉が恥ずかしくって、伊藤長和さんにお会いしづらくなりました。きのう、速達郵便で「ヴィクティム・サポート」という団体から手紙が届き、無料にて相談ごとをお受けしますとのこと。どういうシステムになっているのか、調べたいものです。ww.victimsupport.org.uk
→■
あす、警察に行って、被害者調書をつくります。日本語通訳がつくそうで、誰に会えるだろうとお楽しみ。
この週末、土曜は農民市場のあと、バスに乗って近郊のモーティマ村。第一回の「モーティマお楽しみデイ」。入場無料で、村の広場に大小いろいろなテントが建ちならんでいました。私の好きなやきぶたパンはさみは、3ポンド半。サリーの6ポンド半よりずいぶんお得。11時からメインアリーナでは各30分プログラムで、子どもの仮装行列、鷹匠実演1(正午)、捜索犬デモ1、バトントワリング、消防団デモ、鷹匠実演2、綱引き、捜索犬デモ2。3時からは来観者が連れてきた犬のショーで、クラス別に品評会が5時まで。上位入選者には、バッジと犬ビスケットの賞品。(英国人はことほどさように順位をつけるのが好きです。しかもクラス分けとセットで。子ども自身は学校で順位をつけられないかもしれませんが、順位をつける日常文化の中で育っています。)
並行して、ふたつある大テントでは、ブラスバンド、ケルトハープ、サキソフォン演奏、バレー発表会、タップダンスなど。年長組の若い女性の黒ストッキングがえらくかっこよかったと、もっぱらの評判(とりわけ大柄なケイトとヴィクトリア)。しかし、じつはこのイベントは、地域の人間関係をもっと緊密にしようとの趣旨で、地元のキリスト教関係者がボランティアで立ち上げたものだそう。どうりで知った顔があちこちに・・。
となると、ケイトとヴィクトリアの素敵なふ、もといダンスに感動してばかりもいられません。社会教育がない国で、住民主体の地域づくりがどのように構想されているのか、日を改めて、関係者のインタビューをと思っています。
本日(5日)日曜は、今回はじめてのロンドン行き。(なんと、予定の列車が定刻一分前にレディング駅を発車してしまいました)。二年前になくなった知人の墓参りでユニバーシティ・コレッジUCLへ。母校に遺灰が撒いてあるのです。お線香を上げて奥さんの話を聞き、故人を偲びました。
その後、UCLの本館をはじめて探検。エドワード様式の窓は、この建物が1827年に出来たとありますから、正真正銘のエドワーディアンです。館内の大理石像のなかには、「この像はもと、なんと灰皿代わりに使われていて、すすとヤニ汁でまっくろでした。本学博物館の保存修復の専門家××氏が新技法でこのように元の状態を回復しました」と解説のあるものもあり、教育的。ジョンロックの像の足元には、誰が隠したのかワイングラス。彼はオックスフォードのクライストチャーチ出身だったのですが・・。
ここはジェレミー・ベンサム(最大多数の最大幸福)の即身仏(セルフ・アイコン)があるので有名ですが、あいにく本日日曜につき、ベンサムさんは仏壇の扉を閉めてお休み。
その一角がマイクロ博物館になっていて、解説を見ていくうちに、何度かの公開解剖のあと、この即身仏を製作したのが、トマス・サウスウッド博士と知りました。小児科医。19世紀半ばの公衆衛生ロイヤルコミッションの議長で、その報告書の中で「レディングは巨大なうんこ溜め以外の何ものでもない」と喝破した人。おかげで、レディングのブレイクスロックに下水ポンプ場が出来ました。ナショナルトラストを創立したオクティビア・ヒルのじいさま。勉強になりました。
バスの二階で主要観光地をいちごをつまみながら眺めつつ、移動した先が王認園芸協会RHSの新ホール。このごろはリンドリーホールと呼ばれています。そう、今日は骨董市。私はここは初めてです。
例によってあれこれありましたが、ロンドン最高の住宅街という場所柄にもかかわらず、総じて品質は中の上。私が見た範囲では最高のものはなく、かといって安物でもなく。竜がへんてこ(実は私好み)に描かれた中国製おわんで薄焼きのよいものは、よく見ると見事な割れを継いであるもの。淡い青花の四本爪竜の手あぶり(お線香立て?)は、ラベルにあるように17世紀とは思いませんが、完形で悪くないものでした。幕末明治の日本製象牙の彫り物の、最高級ではないがそんなに下手(へた)でもないものも。ベニア(へぎ木)細工の、中に引き出しのある物入れは、小田原の箱根細工のよう。不慣れな蝶番の作りなどからして、もしかしたらそうだったかも。
珍しかったのが、バーナード・リーチ風のニオイを発していた陶器の皿。なんと、瀬戸の馬の目。もと民芸が誉めたものですから、当たらずといえども遠からず。ウェッジウッドのジャスパーの植木鉢をはじめて見ました。完形品と割れたののセットでお皿つき、これはよいものでした。
午後遅くで、お客も少なかったのですが、あまり売れていないようす。その中で、ユダヤ正教のおじさんが、果敢に札びらを切ってあれこれ買い求めていく姿が印象に残りました。
夕刻、レスタースクエアの中華街でベルギーパブ。八百屋ではじめて見るごぼうを衝動買い。8ポンド50で食べ放題という店に入り、粗悪な中華料理を堪能しました。お茶は別途1ポンド50。白人でにぎわっていました。求めてもいないのに勘定書きを持ってきたりする、要するに店員のサービスはないに等しいのですが、別途5%のサービス料が加算されて〆て11ポンド。長くなってしまいました。
■ レディング通信U(12)ー英国政府のトライデント原潜政策など(Thu, 2 Jul 2009 15:24)
(南の風2247号 7月3日)
7月から10月にかけて、あちこちで選挙と聞きました。
たいがい現職は「行・財政改革」に熱心ですから、社会教育を大切に思う新首長に当選してもらいたいとの思いの半面、専門職のあり方として、制度設計上、時の首長の考えに左右されるようなものであっては、ホントはいけないのではと、あれこれ屈託があります。権力の過度の集中を防ぐ行政委員会の制度が、ヒーロー首長のもとで、旧勢力として眼の敵にされるようでは、民主主義国家、新生日本国の国是が危うくなります。要は、50年後のビジョンをいかに掲げ得るかと。
さて、竹峰さんの投稿(風2246号)にひき続き、別のMLで、私が送信したものの再録をご紹介します。「最近、スコットランド、カソリックの指導者、オブライエン枢機卿が、英国政府のトライデント原潜政策を、「道義に反する」として批判しています。勇気ある発言。みなさまに知っていただきたくて。」 BBCニュース→
■http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/8124266.stm
僧侶の、一般的な平和祈願は多々あると思いますが、影響力のある宗教者が時の政府の特定の政策に異議を唱えるのは、珍しいことかと。いまどき俗事への宗教権力の介入と思う人はまずないでしょう。改宗するならカトリックかと、ほんのちょっとだけですが、思ったことです。
バス車内のいかれたレイシスト事件(前号)その後。警察からの連絡は、まだありません。
周囲の人の声:
「深夜のロンドン地下鉄でもないのに、レディングも悪くなったねえ」
「周囲の乗客はあなたを助けてくれましたか?」
「犯人が武器を持っていなくて良かったね」(まったく同感)
「すごいね、よく犯人を取り押さえたね」
「まあ恐ろしい」
「十年あまりこの町に住んでいるけど、親しい人から聞いたのは初めてです」
生活感覚としては、車にはねられたか、犬にかまれたかと大差なさそう。
かわいそうなツブレいちごの後任。本日、町のスーパーで香味の良いエルサンタ種の454gパックを求め、ウマウマと賞味しているところです。英国いちごは、近年、ちゃんとしたパックに入れて冷蔵販売するようになってから、格段に品質が向上しました(アメリカからの輸入物は硬くて不味。オランダ産は、さすが「オランダいちご」の風味がします=この辺で売っているオランダ産いちごの輸送距離は、東京に来る「博多あまおう」の約半分=)。
日本いちごは、一説によれば世界最高だそうですが(そう言っているのはもちろん日本人)、促成栽培をやめ、雨にだけ当てないようにしてこの時季に収穫すれば、どんなにおいしいことだろうと。 いわもと拝
■ レディング通信U(11)− いきなりガツン! (Wed, 1 Jul 2009 08:01)
(南の風2246号 7月2日)
当地も七月、暑中お見舞いを申し上げます。
さて、この間のニュース、いろいろあるのですが、最新のをひとつ。
2時間半ばかり前のことですが、バスの中で襲撃されました。何が起こったのかわけが分からなかったのですが、周囲の乗客のどよめきと右側頭部の衝撃が同時。何だろうと振り返ったら、街のバス停からずっと下品な歌?をわめいていた後ろの席の男。私はここで、さてどうしたものかと一息考えて、三十六計。階段を下りて運転手にレポート。その横を私を押しのけて逃げようとするのを、後ろから手を回し、腰をひねってこき倒し、最後は馬乗りになって地べたに固定。
こうなってようやく、何が起こったのかを知らされたのですが、この男、じぶんの前に座っていた(私の後ろの)乗客につばを吐き、私の頭を後ろから蹴ったのだそう。(委細は車内のCCTV記録があるとか)。地べたに伸されてからは、しばらく悪態をついたり、「悪いことしていないのだから帰してくれよう」と弱音を吐いたり、時々懲りずにつばを吐いたりしていましたが、上に乗っかった私が左腕と頭を、つばの乗客が右腕を押さえて、10分少しで到着した警官に引き渡し、後ろ手錠となりました。
その場で簡単な状況報告。数日後に正式の調書作成があるそうです。(つばのお客は鉄道職員で、こうした場合の扱いに慣れたようす。「何言ってももうおそいぞ」「誰も聞いてないから一人で言ってな」と、悪態に応対していました)。酒酔いでもなさそう、薬物だったのかもしれません。
運転手に話している最中に、くだんの男がこちらに向かってきた時には、「ナニ、私を追ってきた?」との恐怖を感じました。じつは逃げ出そうとドアに向かっていただけと、後で考えれば分かることですが、いきなり理不尽に遭遇した人間の、そのときの心理ですね。
運転手が、歌っていたのを知っていたのに乗せなければよかったと、しきりに申し訳ながること。ほかの乗客は、捕り物と事後処理が終わって私が乗り込むまでの小半時のあいだ、バスを降りて歩き出す人もなく、辛抱強く待っていました。バスが変なところで停まって、人が倒れていると見て、通りかかりの車の窓から「救急車を呼ぼうか」と声をかけた人は、なぜか南アジア人。
私の好きなイチゴがつぶれてしまった。うう。
■ レディング通信U(10) 英国のナーシングホーム(Sun, 21 Jun 2009 11:35)
(南の風2243号 6月27日)
列車に乗り、ウィンザーに行ってきました。すっかり様変わりしていて、中央駅の構内までショッピングセンターと化していました。ハイシーズンの週末とあって、観光客の多いこと。お目当ては、お城を背に20分ほど歩いた住宅地にある養老院。私にはこれまでずっと縁のなかった福祉施設ですが、知人の見舞いにはじめて足を踏み入れました。
ここは2007年にできた新しいところ。3階建てで、各フロアに個室が40ほど。ケアテイカーの中には若いインドネシア人の姿も。明日が「父の日」の週末とあって来客も多く、明るい雰囲気です。
1926年生まれで私の父と同年のジェフ・ヒルさんは、二階のラウンジにいました。ロイヤルバーク州病院で左足の血管手術のあと、ここに送られたそう。車椅子姿で、包帯の先からのぞいている足先が痛々しかったけれど、手紙の文字から心配していたほど弱ってはおらず、入居者や職員や来客相手に相変わらず冗談を飛ばしていたので安堵しました。ただ、近い過去から直近にかけての記憶がいささか怪しくなっていて、この点、私もいつかは、と。
92年に最初に出会ったときは、すでに県庁協会を退職していて、バーク州環境トラストの創立議長。野生の鹿の出る森の中の一軒家のコテッジで、ずっと独居老人でした。まったく独立精神旺盛な人で、町に出たら、郵便局で郵便を受け取り、帰りは買い物の重いリュックをかついでバス停からひと山越える生活。ごみはすべて穴を掘って自家処理。70代半ばにして家まで車が乗り付けられる道路を自分でこしらえたり、「野生動物のために」と、庭先に自分で半端でない池を掘って人を驚かしたりする、きわめて頑健なひと。英国人のなかでも、史上最強の世代だろうと思っています。
さて、ナーシングホームに着いてまもなく、一階で音楽があるからと職員に促され、車椅子を押して行ってみたところ、中年ミュージシャンコンビによる慰問。見るからにお迎えの近そうなおばあさんの、無気力そうなひとりぽつねんとした姿もあり、胸に迫るものを感じました。
ミュージシャン、サイモンの「では、みんなでギターにあわせてユーアーマイサンシャインを歌いましょう」は、ジェフにも面白くなかったとみえて、一階ラウンジでお茶を飲んだり、私がバスケットに入れて持参したイチゴをみんなでつまんだり。(今日は朝のうち、レディング農民市場だったのです。始まってから、早いものでもう十年。)
そのうち、「ではパブに行かまい」ということになり、その辺の職員に聞いて車椅子を押して外に出て角を曲がったところで、2階のナースが追いかけてきて回れ右。「外出のときは包帯を巻きなおすから、ドレスアップして出てくれないと。見た人から、十分なお世話をしていないと苦情の電話があるといけないので」と、若いカリブ海系の黒人で、正直なヒトでした。要するに、外出すると言わない限り包帯取り替えの間隔は長くしていると、語るに落ちたわけ。ドレスアップには40−50分かかるというので、夕食が5時半ということもあり、外出は次回のお楽しみにしました。
ホームの個室は、ジェフの場合、6m四方くらいのスペースの窓際にベッドがあり、ベッドとドアの間にあるドアは、3畳ほどの障害者用トイレ。調度品は、背もたれ椅子。背なし長いす、ベッドサイドの引き出し、造り付けの机といったところ。二重ガラスの窓が大きく、明るくできていました。
ジェフは自宅コテッジの売却を知人に頼んでいて、売値は50万ポンドを希望。春には野生のブルーベルが咲き乱れる、自然保護区とみまごう立派な森が1ヘクタール以上ついてきます。まだ円高ですので、邦貨換算で8000万円。ご希望の方はご一報ください。何でも、このホームは民営で高いので、そうそういつまでもいられない。預金もとりくずして、お金をつくって手ごろなところに移らないと、と、悩ましい話です。
そういえば、ラウンジで話をした人の中には、母を入れている。ダンナが英国航空のパイロットで日本に二度行った、私は管理部門でしたというクロアチア人もありました。
こちらにいる日本人で、こうしたホームの賄い婦の職を得た人があり、10年近くも前のことでしたが、「まず自分の給料の安さに驚き、それから入居料金の高さを知って驚いきました」と語ってくれたことを思い出しました。
英国は、ひところ何でも市場に委ねればうまくいくとの新自由主義の発想が世の中を席巻しましたが、いまや政府資金の運用益さえ十分にあがらないことがはっきりしたところ。振り子が逆に動き出す日は近いと見ています。
ラウンジのテーブルの上に、週間のメニューがありました。私はこういうのが好きです。
朝は毎日同じで、シリアルとミルク、トーストとジャム、ムギかゆ、プルーン、グレープフルーツ、お茶、コーヒー、ジュース。モーニングコーヒー。
お昼は、たいがいパイが出ています。本日土曜のお昼は、かしわと野菜のパイ、または野菜炒めと麺、またはいわしサラダ、香草じゃがいも、ほうれん草、やさいまめ。デザートがプラムクランブルとカスタード。それからアフタヌーンティー。
夕食は、本日のスープ、ソセッジといもの天ぷら、またはお好みサンドイッチ(これは毎晩)、デザートにガトー。カロリーや塩分の表示はありません。
あす日曜は羊の焼き肉が出ます。「ベジタリアン」の表示がないのが、この国にしては珍しいと思ったのですが、入居者がベジタリアン思想普及前の世代のお年寄りだからかもしれません。お肉を食べない人は、お魚やチーズで済ませることができます。
■ レディング通信U(9) 夏至の日にー図書館問題 (Mon, 22 Jun 2009 03:58)
(南の風2241号 6月23日)
本日(21日)は夏至。ストーンヘンジには昨夜から3万5千人の若者が日の出拝みに押しかけ、ごみを散らかしして帰ったそうです。日本はもう梅雨なのですね。当地は穏やかな曇り空。大学の宿舎は人けがなく、野鳥のさえずりのほか、ひっそりとしています。外気は17度とか。8時前になってから日が差して暖かくなりました。
伊藤長和さんのお心遣い(南の風2240号・烟台19)に感謝。中国の海岸部は豊かですね。竜眼は、私が最初にナマを見たのは、ロンドンの中華街でした。もちろん乾物や、ドリアン、ランブータンなどもあります。ライチーは、近所の青物屋にも箱がおいてあります。ただ英国のは、長距離輸送のためか若取りが多く、本当の味ではないと思っています。山東には梅雨はあるのでしょうか。
先日来、「風」に紹介されている『公民館』の英語版、PDFで利用できたらありがたいなあと思っています。もしあれば、どなたかURLをお知らせ願えると幸いです。
今月になってから、図書館に関し、町田や川崎の館長さんから日本の情報をいただく機会がありました。1日付のとても恥ずかしい朝日新聞の記事と、「図書館友の会全国連絡会」の8日付朝日新聞社あて要望書、それから20日付けの佐野眞さんのインタビュー記事など。
http://www.asahi.com/culture/update/0601/TKY200905310220.html
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http://blog-imgs-41-origin.fc2.com/e/c/h/echizen01/200906201354136b5.jpg
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佐野さんの記事に反応したブログの中には、無料原則見直しの意見を述べているものもあり、ことの来歴を見ようともしないで瞬時に反応する情緒的大衆民主主義社会の危うさを感じています。せっかく名前の出た新聞記者に、参考資料をたっぷり送ってあげて研究会か何かに招待して勉強してもらって仲良くするのもひとつの手ですが、この紙面の何がよくて何が不十分かを社会的に発言するのは、本来的に図書館人の仕事だと、私は思っています。<こちらにいるのでなかったら、本件にかかわり、公開セミナーをぜひ和光大学で開きたいところ>
専門家にとって当然のことでも、政策決定者や一般市民は知らないのが当たり前。現状を変えるためには専門家がつねに社会の、声を届けたいところに向けてメッセージを発信していく必要があります。専門家集団が、自分たちの仕事はこういう点で社会の向上に貢献してきたし、現状をこう変えればもっとよい奉仕ができると。ただ、かように世論を味方につけた専門家による民主主義の伝統を、日本国は持っていません。社会が進むにつれて専門職の分化が進んだと同じことで、専門職が大切にされないと、逆に社会の質が低下します。それを防ぐため、その職能が世間で尊重されるように働くことも、きっと専門職の仕事のうちだと思っています。
ところで、ランダナン図書館五原則の「成長する有機体」の伝にならうと、図書館の指定管理者制度は、成長を何年にもわたって凍結するものですね。ランダナンさんは、館長の仕事が決まってから、それにあわせてロンドン大学に留学だったそう。牧歌的でいい話。彼もロンドンでカレーを食べていたのでしょうか。 http://search.eb.com/eb/article-9030189
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1日付の記事に刺激され、英国発祥のPFIについて、図書館との関わりを調べ始めたところです。2005年の政府リストによると図書館PFIの導入はBournemouth, Oldham, Rochdale, Newcastle upon Tyne, Liverpool, Telford & Croydon。南のボーンマス以外は見るからに労働党の強そうな産業都市(地区)で、興味があります。
http://www.culture.gov.uk/reference_library/foi_requests/1321.aspx/
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保守党の地元国会議員に、党の政策はと照会したら、折り返し「地方自治体が決めることなので」との返事で、ポリシーはなさそう。労働党からは、大蔵省と文化メディアスポーツ部への照会を勧められました。政権党なので、それはそうだと思った次第。清新な野党自民党からは返事がありません。追ってご報告できればと思っています。
もし「指定管理者制度」の欽定訳のようなものをどなたかご存じでしたら、ご教示いただけるとありがたいのです。よろしくお願いいたします。
■ レディング通信U(8) 洋紙といっても立派なもの(Thu, 18 Jun 2009 15:31)
(南の風2239号 6月20日)
Re:南の風2238号・沖縄行きーみごとな沖縄特集。
しばらくご無沙汰をいたしました。恥ずかしながら季節のカゼノビの熱発で、一週間ほど休んでおりました。今日から社会復帰です。(自分で思っていたほど若くない。)
しばらく音信のなかった伊藤長和さん、案じておりましたがご健勝でなによりのこと。私も、当地に来てから一ヶ月過ぎました。あひる池の睡蓮が咲き始め、次いで、はじめ頼りなげな蕾だったラベンダーが美しく開花して、みなしごハッチにそっくりのでぶ蜂<ディンブルビー>を呼んでいます。
先月来、大学図書館で、80年ほど前の雑誌や政府刊行物に目を通していました。そこで頭に浮かんだこと。
「洋紙といっても、立派なものじゃないか」。
どうやら私は、(誰が日本で最初にそういうことをいったのかは知りませんが)、和紙は中性の上等で、洋紙は酸性紙だから経年劣化でモロモロになるとのドクトリンに毒されていた様子。広島の被爆者名簿だって年に一度は風に当てる習慣ですが、曝書をしなくてもびくともしないまっとうな洋紙は、大したものだと思います。
(この点、戦争直後の物資のない時期に出版された冊子も、やっぱりしっかりしています。見た目は浅草紙のようですが、和紙のように繊維が長く、軽くてしっとりした手触り。周辺のヤケも皆無。)
私はすねものですから、洋紙=酸性紙説には、なにか尊皇攘夷思想のようなものを感じてしまいました。いつ、どこで、だれが言い出したものやら。図書館関係の方にご教示を乞いたいと思った次第。
かような書物が発するメッセージについては、またの機会に。
■ レディング通信U(7) 六根清浄、タドリーの村祭り (Mon, 1 Jun 2009 11:17)
(南の風2229号
2009年6月3日)
多田豊さんのお便り(風2227号)を拝見して、徐天文さんのことを思い出しました。内モンゴル出身の努力家で、前に一度、TOAFAEC研究会に参加したことがあります。和光大学の修士課程を昨年終え、今は三郷で暮らしています。奥さんの日本語の相談を受けて、北公民館に私が電話を入れたことがありました。多田さんの、首都圏での初仕事となる三郷の新公民館建設、楽しみに期待しています。
さて、私の近況です。この夏いちばんの暑さ(なんと26度!)となった本日31日は、留学時代の恩師のご招待で、日曜日のお寺参り。10時前に車で拾ってもらい、まずレディング近郊、モーティマの村はずれにあるビクトリア時代の礼拝堂。廃寺になっていたものを、90年代の半ばに結婚前の恩師とダンナが運動して、お金を集めて復興させたところです。約三年ぶりの礼拝堂は、初対面の人ばかり。三洋電機のプロジェクターで、スクリーンにPC画面が映るようになっていました。ハーフターム<学期の中休み>で子供がにぎやかでした。
今日の説法は、ビデオ映像も使いながら、「今でも世界各地に、信仰のために迫害されているキリスト教徒がいます。あなたはどう思いますか?どう行動しますか?」とのテーマ。「ヒントは、休憩時間に、礼拝堂の四隅の貼り出しを見てください」とアナウンスがあり、見ると海外支援団体の連絡先などが書いてありました。教会の教育機能を垣間見た思いでした。
信者のジェンさんのお話がふるっていて、「私の洗礼体験をお話しします。マレーシアで、華僑の教会で洗礼があると聞き、正装して出かけました。牧師さんが『今日ここには、洗礼を受けるべき人がまだ他にもいる』と言いましたが、だれも立ちません。ところが、彼が同じことを二度三度と繰り返しているうち、私のオシリがなぜか熱くなってきました。モジモジ腰を浮かしたりしていましたが、ついにたまらなくなって、ハイヒールも何も脱ぎ捨てて、夢中で水に飛び込びました。外はまだ寒い時節だったのに。」
珍しいこともあったものです。
恩師宅でお昼をよばれて、お庭拝見。家移り記念に拙宅のを抜いて進呈したブルー葉のあすなろが、高さ1mからなんと4mにもなっていました。それから、近在のタドリー村の村祭りTadley
Treacle Fairへ。
トゥリークルとは糖蜜のことですが、なんでも、タドリーの村人は昔、言われたことを何でも信じ込むトゥリークル(アマちゃんとでも訳しておきましょう)との評判だった=要は馬鹿にされていた=のを、自分たちの祭りの名前にしたのだそう。ライオンズクラブが中心となって運営していました。入場料は大人5ポンドなり。内容は、書ききれないので省略しますが、迷彩服を着た地元連隊の兵隊(若い!たぶん初年兵)が、小学校低学年の子どもに空気銃の這いつくばり撃ちを指南していたのは、日本では見られない光景です。一回2ポンド。
この時期お祭りシーズンで、来週末はお隣の、ローマ遺跡で有名なシルチェスターの村祭りです。
夕刻のお寺詣りは、バーフィールド村のアングリカンチャーチ(英国国教会)。なのになぜ神父さんが?と不審がりながら見ていたら(法衣の色が違います)、五旬節Pentecostにつき、近在数か村の宗旨の違う教会が、ここに集まって一緒に礼拝をする特別な催しでした。念仏と、法華のお題目と、オンアブギャアベイと・・・が禅寺の本堂に集まったようなもの。一月と今と、年に二回だけだそうです。会場校?の尼さんが、何人来てくれるか予測がつかなかったけれど、予想の倍の人数でしたと、後で話していました。
ゲストスピーカーは、アメリカ人のマルコム牧師さん。ふつうの説教かと思っていたら、ミッション・レポートということで、ここに来ている近在数か村民の「コミュニティ意識調査」報告となりました。社会調査というほど厳密ではありませんが、アンケート調査結果をフロア?にフィードバックして質問・コメントを求めながら、地域の課題を共有して世論の形成をとの手法に興味を覚えました。(教会に来る人対象の限界の一方、特定の、回数を定めた講座・教室別に募集をかける公民館は、融通が利かずに不利かとも。)
「若者の居場所づくり」「支援を必要としている隣人を明らかにすること」が、課題に挙がっていました。ちなみに「暮らしている場所への満足度は、パドワース村が一位」との報告には、フロアからくすくす笑いも。
その後、カメヤマローソクみたいなろうそくに火を点しあって、改まった気分でお祈り。しめくくりが、隣近所の人と握手を交わして自己紹介と、お互いを祝福する時間。よく工夫してあります。
それから集会室に移動してお茶・コーヒーで、まあイギリス人の良くしゃべること。英語で不自由しない人はいいなあと思ったことでした。
タドリーの村祭りでは、チャリティ「フェレット」<ミンクに似ておとなしい四つ足動物>競走で黄色に1ポンド賭けたら当たって、2ポンドもらいました。その旨、正直に告白して、尼さんにカンパしてきました。
英国は諸物価高値ですが、6月からレディングバスが値上げ。私の使っている南地区一週間切符(いちばん安い)は、9ポンドから10ポンドになります。5月中旬には、鉄道の切符割引カードが20ポンドから25ポンドになったばかりでした。
■ レディング通信U(6) カントリーショー (Wed, 27 May 2009 10:57)
(南の風2225号
2009年5月28日)
山口真理子さんの定例会報告(風2224号)拝見しました。江頭さんに感謝。就職に直結しないため遠慮されたのか、学生個々人の家庭環境・生育歴か、または別の理由からか、和光大学で社会教育関連の資格に挑戦する学生が減ってきました。他の大学ではどうでしょうか?社会教育が世代交代に失敗したら、日本の民主主義が弱体化します。ノッティンガム大で教育関係の研究会があるということで、日本の近況を報告しようかと思案しています。
渡部さん、おおごとでした。なお、当地の政府は、「科学的な根拠によれば」マスクには新型インフルエンザの感染防止効果はないとして、常にティッシュペーパーを持ち歩き、せき・くしゃみの際に口を覆ってそのつどゴミ箱に捨てる。丁寧な手洗いをこまめに励行。このふたつを勧めています。
NHKのHPに年金の取り前の報道がありましたが、BBC調査で、英国ではまったく年金を払っていない人が相当の割合と分かりました。それも、若い世代ほど。年金を営利企業の市場に変えたたたりです。
→■http://news.bbc.co.uk/1/hi/business/8068728.stm
昨日はバンクホリデー。はじめて列車に乗ってレディングを離れ、ロンドンの南西、サリー州のカントリーショーに行きました。会場に入るとすぐに、なつかしい家畜のにおいがして、クロマニョン人いらいの農耕・牧畜の文化だと分かります。ウマはウマのにおい。ブタはブタのにおい。
→■http://www.surreycountyshow.co.uk/
以前、末本先生の引率で、小林先生や内田さん、農中さんらに同伴させていただいたフランスの馬市にちょっと似ています。焼きたてお菓子の接待のあったフランスのほうが、鄙びていた雰囲気。英国のは商売と二人連れ。ショービジネスは、チェルシーだけではありません。
カントリーショーは、保守党の強いところほど面白いとの「岩本の法則」がありますが、サリーはおそらく英国一の富裕県。充実しています。ただ、さすがに十年ぶりとあって、90年代のサリーショーとの違いにも気づきました。
1、入場料13ポンド也には驚きました(前は7、8ポンド)。にもかかわらず、もと白人ミドルクラスの姿しか見かけなかったものが、労働者階級、インド系、カリブ海系、中国人の姿をそれぞれ十名あまり<何千人もいる会場内で>見かけましたし、生け花テントで、背後からなんと関西弁が聞こえてきたのには驚きました。電話中でした。
2、朝は寒かったのに、昼過ぎて日差しが強まり、俄然暑くなったところで、傘をさして歩くイギリス人(色の白いヒト)を何人も見たこと。はじめてです。皮膚がんキャンペーンの成果かも。
3、手芸などの趣味・愛好家団体のテントの減少。この点については、資本主義化が進んで出展しにくくなった(1)、メンバーの高齢化が進んだ(2)との仮説をもちつつ、継続観察してみたいと思っています。
19世紀に出来た二つの農業団体(1829年と1863年)が合併して、サリー州農業協会となり、今の形でカントリーショーを最初に開いたのが1954年。今年で60回目だそう。協会の会長はオンズロウ伯爵。会場の地べたは自治体が提供。周辺の大学も、駐車場を提供したりしています。9時ー6時のあいだ、4つのリングでいろいろな催しが開かれ、家畜の品評会は別会場。しかも、フランス同様に、かご屋やパン屋やチーズ屋、自動車屋・・いろんなお店が店開きしています。ジェイムズ・ボンド号のアストン・マーチンは、速度計が220まで。「意外に遅い」と思い、よく見たらマイルの目盛りで、キロ表示は350キロ。
かように、とても全部は見きれない設計。獣医コースを持っているコレッジのテントで、時節柄、私の好きな「羊の毛刈り」のデモンストレーションがあり、たっぷりとビデオに収めてきました。
結局、最後に旗をしまうところまで付き合いました。主催者のお別れ挨拶を聞いて、踏まれた牧草の埃っぽいにおいを嗅ぐと、毎度のことながら、ちょっと切ない気分になります。
こうしたショーはまた、富裕層に自分たちのメッセージを届けるキャンペーンの場でもあり、展示を見たり話を聞いたりしてカントリーサイドにかかわる情報や論点をアップデートできました。委細は省略。
余談めきますが、肉用サフォーク羊の場合、肉屋さんは44キロぐらいのサイズを喜ぶそう。450キロぐらいの乳牛は、日に二回の搾乳で、一度に20数リットルのミルクを出すとか。
もひとつ、はじめて黒い「バークシャー豚」を見ました。鼻づらだけちょっと白い。絶滅危惧品種で、専門学校の出展。バークシャー農業コレッジで見たときには、どれも濃いめのショウガ色で、百数十年のうちに色が抜けたと聞いていたのです。ただ、サリーのに「純系」とあったのが、ちょっと怪しい。F1交配種とも聞いたことがあるからです。品評会が始まって質問の機会を逸したのが残念。またのお楽しみにしたいと思います。
かように、大人から子どもまで、おもしろくてためになるイベント。しかし、資本主義と深く結びついていて、裕福な家のこどもは来られますが、貧乏人にはつらい。もともと貴族とジェントリーが自分たちのために始めた共進会とはいえ、階級社会を垣間見る思い。このギャップを何とかできたら、イギリスの教育もたいしたものだとほめて差し上げるつもりです。
■ レディング通信U(5) ノムヒョン氏の悲報、BBC番組など (Sun, 24 May 2009 07:56)
(南の風2223号、2009年5月24日)
お変わりございませんか?
ノムヒョン氏投身のニュースに、ショックを受けています。NHKのサイトで知り、BBCをチェックしたら、詳細な報道がありました。この落差が、私にとってはもうひとつのショックです。隣国なのに。
→NHK■http://www3.nhk.or.jp/news/k10013173421000.html
→BBC■http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/asia-pacific/8065121.stm
*追伸:ノムヒョン氏の件で、NHKウェッブサイトに「公民館」とありました。思わず「BBC英語では?」と娑婆っ気を出したのですが、不明。「風」読者の韓国の方にご教示いただけたらと思っています。
英国で、さいきん軍務経験をもつグルカ(ネパール士族)の権利擁護運動が進められています。近くに士官学校があるレディングの町は、グルカの多いところ。本日、街頭に、支援者(白人のおじさん)のキャンペーン姿を見ました。民族を異にする帝国臣民の扱いについて思うところあり、今回はこの話題をと思っていたのですが、韓国の一大事につき、後日に。
チェルシーフラワーショーが終わりました。私にしては珍しく、テレビで見るだけ。司会のAティッチマーシュさん*が、番組中「日本庭園なくしてチェルシーは決まらない」とヨイショしていましたが、彼と相棒はなんと、あるモデル庭園の茶室風空間に上がりこんで、靴足を投げ出していた!
文化交流の難しさ。この庭の日本人デザイナーはどう思ったか知りませんが、見ていて居心地の悪いこと、悪いこと。
(*園芸番組の常連司会者。苗を植えるとき手袋をせず、爪先真っ黒で評判をとりました。)
BBC番組「英国音楽偉人伝」は、本日、ハイドンでした。彼は前回放送の「ハ」ンデル<ドイツ系イギリス人!>発明の「オラトリオ」を継承した点で、ブリティッシュミュージックに貢献したそう。次回はメンデルスゾーン。海賊の国のずうずうしさったら、まったく見上げたものです。
ちなみに、ハイドンのフォルテピアノは、モーツァルト所有のと同じ木を使った兄弟作とか。よく突き止めたものです。次の月曜がバンクホリデーで、英国はこれから夏。またお便りします。
■ レディング通信U(4) 風・いよいよゾロ目、おめでとうございます(Thu, 21 May 2009 09:24)
(南の風2222号、2009年5月22日)
ヤン先生のご報告(「南の風」2221号)を拝見しました。出席できずに残念でした。比較するに当地は、ぱっとしません。環境教育協議会CEEが、いつの間にか姿を消していて、がっかりしたところです。
さて、ついにわがホームグラウンドの川崎市が、豚インフルエンザで有名になってしまいました。市当局や、私立学校の先生方は大変だろうなあと案じております。国際交流も、とんだとばっちり。
先日、WHOのフクダ・ケイジ氏が、「感染はまず、若者に用心」とおっしゃっていたのが不幸にも的中で、この点だけを見ると、その昔のスペイン風邪に少し似ています。(人死にの点では、まったく異質ですが)。
→■
まえに英国内感染者が200人超とお伝えしましたが、これは「疑い」を含んでいた模様。確定は現時点で109人というのが正確なよう。謹んで訂正。
→■
一方、夜のBBC南部(首都圏)ニュースでは、若者3人組に路上で殺されたホームレス男性(ビッグ・イシュー誌販売員)について、追悼の路上パレードや教会の法事、同窓生の声などを時間をかけて紹介していました。BBCの価値観が、すこし垣間見えるようです。
6月4日に地方選挙があります。次回総選挙を占う重要な選挙。BBCニュースの後、保守党の政見放送がありました。スタジオ録画はなく、カメロン党首の地方遊説質問会での市民とのやりとりの様子をモニターしていました。市民の税負担を増さずにサービス向上を図るという難しい政策ですが、新鮮な印象の映像です。心動かされる市民も多そうです。
■ レディング通信U(3) わたしもガイジン! (Mon, 18 May 2009 12:06)
(南の風2221号、2009年5月20日)
「風」2218号掲載の拙文(
レディング通信U(1))を見て「長いなあ」と思い、今朝も送信後、「やっぱり長いなあ」と思っていたところでした。2219号(下掲・小林「
レディング通信について」)を拝見。特別優遇措置をありがとうございます。想像をたくましくして高級温泉旅館にたとえるなら、離れの奥座敷を用意していただいた気分。それにしても、読み返してみると、サツマ温州みかんの味は「そこそこ」でなく、「まずまず」となるべきでした。日本語はむずかしい。
豚インフルエンザが、かような拡大とは。天災か、誰かの判断で防ぎえたものか、気になっています。今日は宿舎で洗濯などして、ゆっくり過ごしました。夕刻、ドアがノックされて、新参のガイジンに興味津々のフラット住人から思いがけぬお茶の招待だったのですが、この件は後日。
インターネットでテレビという、初めての体験。テレビごしに再会する英国の皆さんは、どなたも少しずつお年を召していました。名優ピーター・ソリス氏は齢80を越えてまだ現役。うれしやな。
さて、夜のBBCのニュースは、
○議員経費スキャンダルにかかわり、第三党”自民党”党首による下院議長批判、
○スリランカの内戦終結(英国政府が500万ポンド支援)、
○ロイズ銀行グループの頭取辞任(公金*を投入したHBOS社の不振への責任も)、
*英国では”納税者のお金”。以前、日本国では”政府資金”と言っていましたっけ?
○豚インフルエンザ201人(14人増。しかし、200人突破で大変!とは騒がない)、
○パキスタンの難民支援(市民は今のところ、政府軍の反体制派攻撃を容認)の順。
トップニュースの批判のポイントは、「今日まで、英国政治の世界で暗黙のうちに通用してきた、文章化されない”目配せしたり、うなずいたり”が、今日の事態を招いた」との主張で、興味を惹かれました。支配層の「語らない文化」、もしくは「語らせない文化」に関しては、わが日本国のが天下一品と思っていたからです。
地球のあっちとこっち。で、日本のニュースは?と気になりました。NHKのHP「主要ニュース」は、インフルエンザ、インフルエンザ、民主党、大和証券の英国会社買収<当地では知られたくない?>、核燃料・・・。これだけで比較すると、本日のBBCはお金がらみの話題が多かったようです。
ところで、恥ずかしながらNHKニュースは中身が薄いと、以前から感じていましたが、民主党役員人事の報道を見て納得しました。やっぱり恥ずかしい。というのは、HP記事の主語・述語を拾うと、「民主党の鳩山代表は、・・・決め、・・・考えです」だったのです。事実と意向の混在で、後半はなくもがなの宣伝。就任直後に政策を明確にできない新党首もひどいが、有権者に代わって突っ込みを入れるべきジャーナリズムはどこへ?国民はかような報道を聞かされ続け、そんなものと思わされ続けている?戦時下の「大本営発表」も・・と想像します。
同様に、英国の議員公金スキャンダル報道も、「地元新聞のスクープ」、「報道によりますと」と澄ましていて、NHK独自に裏を取った気配がない。
これは「動画」で「朝のニュース」を聞けましたが、わずか40秒の原稿読みにアナウンサーが舌をかんでいる。2002年からずっと気になっていたことですが、NHKアナウンサーの読み間違いの多いこと。これに、不適切な区切り(息継ぎ)まで気にし出したらとまりません。これが喋ってなんぼのプロの仕事?うう、恥ずかしいを通り越して、悲しい。
また長くなってしまいました。いわもと拝
■ レディング通信U(2) センス・オブ・ワンダー (Sun, 17 May 2009 11:47)
(南の風2220号、2009年5月19日)
前回のご連絡のあと、大学の宿舎に移り、今日で4晩めになります。昼は時折、雨が風でガラス窓に吹きつけられたりしていましたが、夜に入って穏やかになりました。外は9度くらい。夕暮れ時には暖房を入れました。
この宿舎は、まだ十年にならない新しいものですが、じつはレディング大学が民間企業Jarvis社に作らせて<すなわち、金儲けの場を提供して>できたもの。19世紀はじめごろの農場主の建物とアヒル池を取り囲むように、フラットが建っています。いざ入ってみて驚いたのですが、近隣に前からある直営施設と違い、宿代は上等なのに、台所の包丁、洗剤に至るまで私物で揃えてくれというではありませんか。普通の宿舎には必ずいるウォードン(寮監)やポーターがいなくて、コモンルームもありません。かたや、よく言えばとても機能的な造作で、作り付けの机の前面には電源の差込み口が8つも、親の仇のように並んでいます。いうなれば民営化の実験施設。あと20年も経って競争力を失ったらどうなっているのか、それまでに儲けるだけ儲けるつもりなのか。いずれにしても貴重な経験をさせてもらっています。
ところで、今回、変わったなアと思っていること。PCなどの電化製品をいくつか持ち込みましたが、いずれも変圧器を必要としません。90年代の初めには、重いワープロを日本から運び込んだのはいいが、通電の瞬間に壊してしまった話をよく聞いたもの。最初から変圧機能がついているわけですが、この変化、グローバライゼーションのなせるわざでしょう。
まだあります。
スーパーで、温州みかんを購入(英語でサツマと呼んでいます)。日本で12月に出回るくらいの熟れ具合で、味もまずまず。これが、ネット入りの700グラムで1ポンド<約150円>です。ウルグアイ産。
デパートの食器売り場に、前からある英国の有名ブランドの新作シリーズが並んでいました。カップを手に取ったところ、英国陶器にしては不思議に軽く、よく出来ているので、ふと裏返してみると、「左甚五郎作」ならぬ「メイドインチャイナ」のラベル!(はがすとブランド名だけになるかも?)。店員と、「このごろ中国製がまた増えたね、中国陶器は品物がいいね」と話したことでした。
町に「99ペンスショップ」が店開きしています。それも、「1ポンドショップ」のお隣。まことに仁義なき世界ですが、この99ペンス店で見つけた妙なもの。デンマーク製「セレブリティ」ポーク缶で、上面に「名称 ランチョンミート・・・輸入者××商会 沖縄県浦添市・・・「切り口で手を切らないようお取り扱いにご注意ください」、側面には「栄養成分」の表が印刷されている、明らかに日本市場むけの製品で、思わず購入しました。他に、ラベル以外は全部日本語という「健犬」ブランドのドッグフードもあり、興味をそそられましたが、これは私は食べないので購入せず。
ポーク缶のついでに、市場で「ビターキューカンバー」を求めてきました。ゴーヤーです。一緒に卵でとじてチャンプルーにします。
かように相変わらず「センス・オブ・ワンダー」の毎日です。昨日、バスの一週間切符を買ったので、今日はいろいろなところを二階の前の席から見てきましたが、ここ数年、またこの約20年らいの変貌ぶりを思い、あれこれ感慨にひたりました。
夕刻、宿舎に戻ると、アヒル池にグレイヘロンが来ていました(日本に来るとアオサギ)。写真用にポーズをとってもらって撮りましたので、添付します。続きはまたの機会に。関西の豚インフルエンザの拡大が案じられます。どうぞお元気で。 *写真添付・略
■ レディング通信U(1) 第二部のはじまり (Sun, 10 May 2009 09:04)
(南の風2218号、2009年5月15日)
先日のTOAFAEC 事務局会議では、大変遅くまでありがとうございました。猪山先生ゆかりの市販泡盛「瑞泉43度」は、16年物の「珊瑚礁」古酒に比べられてお気の毒でした。それはそうと和光大学の一斗甕「菊の露40度」が、不在の間に空気に触れて、しっかり熟成していますように。
この週末の、トアフェック史上に残る大イベントに参加できなくて、まことに残念でしたが、せめて小林先生や事務局のみなさまにお会いできたおかげで、迷わずただ一筋に、・・来るところに来られたように思います。事務局長の大任にある遠藤さんには、その後、激励のメッセージを私の携帯にいただいていましたが、この器機オンチ。返信の仕方が分からなくて、そのままなのです。遠藤さん、ごめんなさい。
木曜(7日)晩にレディングに来て、今宵で3晩め。時差ぼけでへんな時間にぼうっとしています。
公共図書館のインターネットは日本語が使えませんが、持参のPCだと、宿からのインターネットで日本語メイルが使えることが分かりました。(ただし、手持ちPCのセキュリティ設定の制約か、接続できるサイトが限定されていて、しかもインターネット検索ができないのが困り者です。)
町の図書館については、NY(風2212号)と比べられては気の毒でしょうが、いずれ報告をと思っています。いいところも悪いところも。
私はこの町は2年半ぶりですが、とは申せ、変わったところが多々目に付きます。まず、中心街近くにポッシュなアパートが増えて、スカイラインが変わりました。この町の中心部は、ビクトリア時代に基本設計が出来たと思っていますので、それ以来の一大事かもしれません。
私がいま滞在しているクラウン通りの部屋も、昨年出来たばかりの建物の5階にあります。隣も同様の短期滞在ホテル。その隣の交差点には、なんとスーパーの「テスコ」まで出来ていました。クラウン通りも変わりました。第三次産業へのシフトとは申せ、いかにも地に足をつけない、「不況に弱い街づくり」が進んでいるようです。
変わらないものといえば、テレビの、私の好きなカメラワークや色使い、なにより内容的に「面白くてためになる」ところは相変わらずで、録画しておきたい番組がたくさん。昨日は1950年代の国内自動車旅行盛衰史やこの週末の「モールバン・フラワーショー」のレポート番組(さりげなくオーガニック培養土をアピールしていた)が面白く、先ほど終わったBBC2の「ビリー・バレーのオーケストラ入門」は、ピーターと狼方式の大人向けとの趣向でしたが、最後まで目が離せませんでした。(ところで、ロイヤルアルバートホールで、ヤマハのピアノとはBBCも資金不足?)
デジタルが普及したおかげでチャンネルが増えています。中には、パンジャビ語だけの番組も、時間を定めて放映されているとか。日に数時間の放送のために、チャンネルを占有しているところがすごい。
ちなみに、宿のテレビはTOSUMIという聞いたことのないメーカー製。日本製を連想させるあやかりネイミングでしょうか。時々、画像がフリーズするのがお粗末です。
伊藤さんの椿事(風2212号)。ご愁傷様でした。笑ってはいけないと思いつつ、羽衣を失った天女を想像してしまいました。何でも、その昔、指揮者の山本直純氏が、伊藤さんと同じ、というより伊藤さん以上の体験をして、床屋を出るときはヒゲナシ、ただの人だったことがあったそう。口ひげがあっただけ、不幸中の幸いでした。
当方はさっそく、久しぶりの理由なき人種差別体験。本日夕刻、2000年に出来た町自慢の大きなショッピングセンターの一階を歩いていると、帽子に衝撃! 後方の高いところ<たぶんエスカレーター>からつぶした缶をぶつけられました。怪我はなし。このくらいのいたずらで「衝撃、驚愕、憤怒、情けない、悲嘆、惨め、恥辱」と言っていては、薩英戦争をおっつけられたご先祖に申し訳ないので放置しています。英国人ごときに負けるわけにはいかんばい。
豚インフルエンザは、超党派の議員による公金着服疑惑(一説に、民主主義の危機とも)のためにいささか影が薄くなっています。この国には、黄金週間もありませんでしたし。
ただ、エレベーター内部の数名のウィルスによる感染ぶりを、カラーと白黒の映像でリアルに表現した、全国健康協会NHSのテレビ広告は出色の出来映えだと思います。このまま終息してくれるとよいのですが。
週明けに不動産屋に案内してもらい、落ち着き先を探します。今日見た一軒は、見るからに明治時代のスラム。もとの家が、緑の多い下層〜中層中産階級地区だったので、その落差のひどさに決断つきかねたのです。取り急ぎ、経過をご報告申し上げます。
■「レディング通信」について 小林ぶんじん・南の風2219号(ぶ日誌)(2009年5月18日)
… 岩本陽児さん(和光大学)からのメール。「風」の古いメンバーであれば、懐かしいタイトル。2000年から2002年にかけて、英国レディングから送られてきた通信です。通算・100号あまり?
当時の岩本さんはレディング(ロンドン近郊)在住。2002年から和光大学に小林後任として着任し、このほど在外研究(1年間)の機会を得て、5月初旬に再び英国へ。懐かしの「レディング通信」第U部がはじまったという経過です。
「南の風」の拡がりは、沖縄・東アジアが中心ですから、岩本さんの通信は貴重なヨーロッパの「風」。独特のセンスと文体で案外と愛読者も多い。しかし、いつも長文なのです。最近は渡部幹雄さん「愛知川だより」や伊藤長和さん「烟台の風」等の寄稿も活発なので、一計をめぐらして、HPの中に岩本さんのページ(本サイト)を開きました。毎号「風」に短く載せ、詳しくはブログをどうぞ・・・、という工夫。(以下、略)
なお、伊藤長和さん「烟台の風」ページは
→こちら■ あわせてご覧下さい。