南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
2400号【2010年3月18日】
■<風の歩みと研究会と>
本号で「風」は2400号となりました。3月18日は2年前に風が復刊した記念日です。この2年でピッタシ400
号を出したことになります。うまくいきました。
実は2000号目の「風」も、創刊(1998年)からほぼ10年目に発行できましたので、通算すると12年間に毎年200
号発行のリズムを刻んできたことになります。お付き合いいただいた皆様もご苦労さまでした。
ご覧の通り、収録してきた記事はさまざま。一つの大きな柱はもちろん「南」つまり沖縄。そして「沖縄社会教育研究会」(1976年〜)を前身とするTOAFAEC (東京・沖縄・東アジア社会教育研究会)の定例研究会、その案内・記録が「風」発行の軸となってきました。研究会もまた先月で160回を迎えたところ。沖縄研究会からTOAFAEC(1995年〜)への切り替えから今年まで15年の間に、毎年ほぼ11回の定例会を開催してきた勘定になります。これもよく続いてきました。本号では「東アジア社会教育研究」第15号へ向けて、特集企画の座談会案内を掲載(上掲
→■)。
南の風のこれからは、定例研究会の今後の歩みと大きく関係しています。元気よく歩き続けたいもの。最近ときに疲れもみえますが・・・皆様のご声援をよろしくお願いします。
予告の通り、2400号で配信アドレス帳の切り替えをいたします。数号は旧アドレス帳で送信しますが・・・ここでお別れ?の方もあり、ご愛顧に感謝しつつ・・・次のステップへ。本号も長くなって、すみません。
2399号【2010年3月16日】
■<各地より>
数日前の号で「アドレス帳整理」と書いたところ、日頃ご無沙汰の方々からメール来信。お久しぶり、有り難うございます。その一部を載せて、また常連のメールもあり、本号は長文の「風」となりました。
いつもの岩本陽児さん「レディング」
→■だけでなく、伊藤長和さん「烟台」もHP特別室で「続き」
→■を読んでいただくことにしました。後半を切断してしまって、申しわけありません。
久しぶりに千田忠さんからのメール。「花粉症、お見舞い申し上げます。南の風への投稿もせずに区切りの号数が近づいてしまいました。すみませんが続けてお送りいただければ幸いです。今度の研究会には是非出席して・・・」(Mon,
15 Mar 2010 22:02)とのこと。次号あたりに研究会(4月10日)「ご案内」を掲載する予定です。
末本誠さんからの便り(Sun, 14 Mar 2010 19:44)。「CLCが何かを確かめに、ベトナムに行ってきました。…」
伊藤さん「烟台の風」の前置きに、「…センジャーさんの演奏会(13日)にいらっしゃいましたか。私は2月7日の江ノ島映画祭で彼に会いました。続いて3月4日に放映されたテレビ番組「徹子の部屋」でセンジャーさんの話と馬頭琴演奏を聞きました。彼は大活躍ですね。…」
残念ながら「徹子の部屋」の日は沖縄への旅。また13日も気がついたときには時間遅れ。花粉症の季節は、とかくすべて億劫になります。
2年ほど前の本欄(1996号)に「小林姉妹展」のことを書いた記憶があります。今年も妹たちが銀座教会堂1F(ギャラリーエルビス)で手作り展を開催中。これには出かけようかと思っています。
▼2010年1月・新年会のセンジャー・白い馬の馬頭琴(20100110)
2398号【2010年3月14日】
■<“新生ふるきゃら”>
沖縄から東京に戻ったその日、1日にして(見事に!)花粉症は戻ってくれました。懐かしや、目から涙、ハックション、考えるのは何もイヤ、外を歩きたくもなし、何か楽しいことはないか、チーズの高いのを買って憂さをはらす、だがワインは美味くない、そんな一日でした。
抵抗力も落ちた感じです、そう話すと、主治医は、過敏に反応するのはまだ若い証拠だ、と妙に励まされて・・・。この季節、あと一つイヤなこと、確定申告の計算を始めねばならず。ますます不機嫌!
朗報もあり。風2389号本欄に書いた「ふるさときゃらばん」が新生へのスタート。昨日とどいた「お詫びと御挨拶」状によれば、「…劇団ふるさときゃらばんは、1983年の創立以来、地方から大都市から日本人の生活の中から作品を生み出し、全国の市町村で公演活動を行ってまいりました。」…しかし「リーマンショック以来、急激な財政悪化に見舞われ、経営のスリム化にも懸命に取り組みましたが、持ちこたえられず、2月8日をもって自己破産を余儀なくされ…」と。
そして、劇団創立以来の使命感の自覚と、全国からの応援の励ましに応えようと再生の努力。“新生ふるきゃら”として、新作ミュージカル公演が全国11カ所で始まるそうです(3月16日の福岡・ももちパレス〜東京は4月26日・北とぴあ)。新作は「街おこし」がテーマ。「…夢中になって無鉄砲に走るバカモンと、外部の血を注入するヨソ者と、明日へのエネルギーをもつ若者」とが力を合わせて…といった話。チラシに「数人の元気印が動いていれば、街は生きているのです。」
花粉症を吹き飛ばすニュースです。応援の新たな三三七拍子!
2397号【2010年3月12日】
■<ギブアップ!>
岩本陽児さん「レディング通信」に降参!の記です。もともと「風」への頻繁な来訪、「他愛もない話を・・」と言いながら面白く、表彰状でもあげたいほど。3月に入ると、連日の、ときには日に2本の通信が届きました。当方は(原則として)隔日発行なので、毎号連載してきましたが、追いつきません。収録しきれない記事が7本も滞留しました。
レディング通信の頭には、いつも折々のご挨拶があります。それがタイムラグすることにも。たとえば、伊藤長和さん「再び烟台の人になられたのですね…」(上掲)はもう1週間の遅れ。速報性をウリにしている「風」としても不本意なこと。というわけで、本号は「レディング通信」(64〜67)を一挙に並べることにしました。つまり、ギブアップ!
これでもまだ3本の未掲載が残っています。次号に載せる予定。HP上には「レディング通信」特別室がありますから、全文はそこを訪問して読んでいただくことで、お許しいただきましょう。せっかくの名文を切断する無礼は申しわけないことですが、ご寛恕ください。
レディング通信 ⇒
■ http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/iwamoto09.htm
日本希望製作所メルマガ・希望の風便り・第6号(3月10日)にカンネヨンさんのお別れ講演(小田切督剛・記録)が収録されています。興味深く読みました。私たちの研究会でも、カンさんからソウル・冠岳住民連帯の報告を聞いたことあり(2006年11月)。しかし今回の帰国にあたって歓送の機会をもつことができませんでした。ときどき来日するとのこと、日韓をつなぐ架け橋となって、私たちの研究会にも(4月10日だけでなく)お出でいただき、韓国市民運動の話を聞かせて下さい。
2396号【2010年3月10日】
■<ホームページ活用とアドレス帳整理>
2月26日の定例研究会(第15号編集会議)報告がやっと届きました(上掲)。待つこと10日余り。忙しいのでしょうかね〜。TOAFAEC
関連の記録は、一両日で「風」に載せる習わしをみんなで確立してきたはず、こわさないでほしい。次の会のスケジュールや段取り、みんなの志気にも影響がでてきます。皆さん、どうぞよろしくお願いします。
ご存知のように、TOAFAECホームページには『東アジア社会教育研究』研究年報に関するフォーマルなサイトを用意してきました。規程、編集方針、投稿要領、編集委員会、目次一覧、在庫等の公式記事。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/1-10kenkyu.htm
これとは別に、毎年の編集・発行の具体的な動きを記録していくページ「編集に向けて」も開いています。2003年頃から『東アジア』編集関連「南の風」記事を綴ったもの。年報編集の蓄積記録でもあります。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/11gou.htm
今年は、編集委員会のMLが動き始めた関係から、「風」としての編集記事掲載を控えてきました。したがって、この「編集に向けて」ページも今年1月の呼びかけで止まっています。編集委員会MLで編集論議を“深め”つつ、編集委員ではない風メンバーにも“拡げ”ていこうとの思い。15号「編集に向けて」ページも活用してください。編集長、どうぞよろしく。委員でない方も、投稿下されば掲載していきますので。
ところで、「南の風」はあと5号で2400号。恒例100号おきのアドレス帳整理を予定しています。日頃ほとんど無音の方々で、引き続いて「風」継続を希望される場合、その旨ご一報ください。リードオンリーの方は順次お引き取りを願ってきました。たまには(当方からのラブレターに応えて)そちらからの風をお寄せください。お待ちしています。
2400号はおそらく1週間後か。この時点で新しいアドレス帳への切り替えに入ります。今年はとくに、3月18日が「風」復刊(2001号)記念日なので、この日に2401号が出せないものかと企んでいるところ。
2395号【2010年3月9日】
■<名護・読谷から那覇へ>
8日は久しぶりの二日酔い。午前は調子が出ず、お昼のオリオンビールで回復。迎え酒の効用はたしかです。名護から読谷を経由して那覇へのバスの旅。昔の思い出もたどりながら、うとうと一眠りしている間に到着。楽しい1日となりました。
二日酔いというのは、7日夜に強いマオタイ酒と島酒古酒をご馳走になったからです。市長選挙後はじめての名護、稲嶺進・新市長も顔を出していただいて、あらためてお祝いの乾杯(写真)。日曜閉店なのに「大国林道」の特別席で山城秀夫さん夫妻のもてなし、積もる話もたくさん。酔わないはずはありません。皆さん、ありがとうございました。
島袋正敏さんとは(酔う前に)これからの名護のこと、地域づくりの課題、また社会教育のかかえる状況など語りあう時間がありました。第15号に向けての「対談」企画のこともお願いしておきました。ギャラリー「みんたまぁ」前のシーサー(島袋正敏作)の迫力に敬意を表し、その風貌をHP表紙に紹介。(正敏さん、ご了承ください。)
読谷に寄ったのは、ちょうど1ヶ月前の村長選挙に立候補した上地武昭さんに会うためでした。惜敗のニュースを聞き、きっと沖縄大学の職も失ったに違いない、これからだよ、と激励したかったのです。これまでの読谷村長選挙は無投票が続き、あえて草の根から風を起こそうとの志から立候補、さわやかな選挙戦、大学のポストもそのまま続く、などいい話を聞いて安心しました。国道沿い(ゼミ旅行では必ず寄った)懐かしの食堂「ゆいまーる」、そこで迎え酒のオリオン、という次第でした。
▼右より3人目・稲嶺進・新市長、あらためてお祝いの乾杯(大国林道、3月7日夜)
2394号【2010年3月7日】
■<風に載らない便り>
中国山東省・烟台は零下4度、一面の雪景色だそうです(伊藤長和さんメール、6日夜)。那覇は夜でも20度、日中は26度の夏日が続いています。ほぼ晴天、さわやかな風もあり、いい季節です。
花粉症から逃げて沖縄へ来て3日目。和光大学が終わった年、那覇に滞在型ペンションを探したこともありましたが、当時は案外忙しくて長逗留の自信なく、実現できず。結局、勝手きままなホテルを定宿にしています。花粉症の症状は、着いて翌日にはほとんど治まりました。
東京を離れる直前、カン・ネヨンさん(日本希望製作所)から「韓国に帰ります」とのご挨拶(電話)。律儀な人です。これまで年末など帰省の折にもよくご挨拶を頂きました。日本人には忘れられてしまった?礼節か。メールだと「風」に載せるのですが…。4月10日予定の『東アジア』第15号・特集座談会(既報2390号本欄)には出席してくれるそうですから、またすぐ会えますね。
風メンバーではないので、掲載を控えていますが、ぶんじんのパソコンにいま最も頻繁に到来するメールは、長門市(山口県)中原吉郎さん『長門の社会教育私史』(自分史)づくり関係の記事。ご本人はパソコンを扱わない俳人、その息子さんや記録づくりを手伝っているKさんからのメールです。4月には亜紀書房から出版の予定。本が出来たところで、あらためてご紹介することにしましょう。
恋文のように毎晩届くメールは、岩本陽児さんのレディング通信。このところ「風」に5号ほど続けて連載していますが、それでも追いつかず、本号所収・第61号のあと、3号分の未掲載が滞留中(ホームページ書き入れ済み)。3月末の帰国を前に、名残を惜しんで書き残しておこうとの配慮のよう。ありがとう! 早くお帰りください。
2393号【2010年3月5日】
■<津堅島案の再浮上>
4日の那覇は初夏・うりずんのような太陽でした。ホテルで直ちに冬の装束を脱ぎ捨て、夏模様へ衣替え。花粉症から解放される喜び。
5日朝の各新聞は「普天間移設 辺野古現行計画を断念、政府、米側に伝達」(琉球新報、上掲)の大見出し。勝連半島のホワイトビーチや沖合の津堅島(現うるま市)の写真を掲げています。
津堅島については(前知事時代)1999年にあげえられた移設案・7候補の一つ。当時の選定資料によると、津堅が却下された理由は、(1)
新たな基地の提供になる、(2) 埋め立てに膨大な経費と時間がかかる、(3) 環境への影響が大きい―などだったそうです。そして辺野古陸上も、広範囲な森林伐採を伴うことなどから排除し、県は最終的に「名護市沿岸域」に決定したといういきさつ。(琉球新報、3月5日記事)
津堅島はたしか玉那覇正幸さん(宜野湾市)にゆかりの島。その縁で中部社会教育主事協会の研修が津険島で開かれたとき、招かれて海上研修(釣り)に出かけたことがあります。ほどんど釣果はなし。ただ小さな釣り船の目の前に、巨大なホワイトビーチ基地が異様に現れたことを憶えています。
普天間移設「現行計画断念」といっても、辺野古の陸上案が消えたわけではない。加えて津堅沖合の両案が浮上したということらしい。仲井真知事は「小さいエリアではどこをとっても難しい」と実現可能性を否定し、次から次へと案がわき出ることには「普天間の危険性除去はどうなるのか。道筋も何も聞いていない」と怒りをあらわにしたとのこと。
2392号【2010年3月4日】
■<「東アジア社会教育研究」第15号・ヒヤシンスの香り>
今年度のTOAFAEC 研究年報(第15号)編集がスタートしました。先日の研究会(第160 回、2月26日)で編集の骨格が決まり、翌27日の東アジア交流委員会(風・前号)にも報告。出席の皆さんに協力をお願いし、具体的な論議が始まっています。編集長は昨年に続き内田純一さん(風2386号)、これから皆様のご支援をよろしくお願いします。
必要に応じて「東アジア社会教育研究」バックナンバーを開くときがあります。14冊を重ねてみると、よちよち歩きの幼児がようやく15歳の若者に育っていく歩みにも似て、よくぞここまで来たものよ、と感慨ひとしお。今年もさらに新たな1冊を加え、次なる歩み・成長と蓄積を重ねていきたいものです。
4日は那覇そして名護へ。今回は(お察しの通り)初春の杉花粉症逃避の旅です。ところが、東京永福のベランダで、昨年のヒヤシンスの捨て鉢からピンクと白の蕾がふくらみ、室内に取り込んだ夜から、花が開き始め、いま馥郁たる香りが充満しています。花の香に包まれれば、仕事もはかどるというもの。離れたくない思い。
1週間も留守すれば、ヒヤシンスは終わってしまうだろうと残念です。しかし年々歳々、花は同じのたとえ。香りだけを心にしまって出かけることにしましょう。愛知川の渡部さんから、この春「…本当にゼロからスタート
… 自分の力が試されます」とのメール(上掲)。心配ではありますが、彼ならばきっと何かを・・・との期待、頑張ってほしい。
2391号【2010年3月2日】
■<三月一日>
2月27日の沖縄地震は予想以上の揺れ。名護・島袋正敏さん宅では愛蔵の古酒甕に被害があったそうで(上掲)、これは残念!お見舞い申しあげます。「大国林道」に並んでいる、あの大甕は大丈夫だったかしらと心配の電話をしたところ、無事とのこと。よかった、よかった!
今度の名護行きは、稲嶺進さん選挙についての積もる話を楽しみにしています。また「やんばる」対談のことも正敏さんと相談するつもり。3月6日の名護行き予定は7日か8日に変更して参上します。
ススムさん選挙へのカンパ、その後(選挙勝利後)に1点届きました。会計の山口真理子さんを通してお預かり中。当日、名護に持参予定です。会計処理上遅れましたが、受理していただくようお願します。
イギリス・岩本陽児さんからも「…(地震・津波の)今般のニュースには驚きました。風・同人やお知り合いに被害がなかったかと案じています」とのお見舞いメール(レディング通信59−次号掲載予定)。
ところで早くも3月。1日は、韓国では日本統治下1919年の三・一独立運動の記念日。李明博大統領は、今年が日本による韓国併合百年であることに触れた上で、「我々は100年前、民族の力を結集できず、亡国の悲運に遭った」と演説したそうです(上掲)。
日本では1954年のこの日、太平洋ビキニ環礁で第五福竜丸が被爆した「ビキニデー」。母港の静岡県焼津市では、今年も全国から約1600人が集まり、平和行進や集会が行われ、核廃絶を訴えたとのこと。
2390号【2010年2月28日】
■<地震と津波−お見舞い申しあげます>
比較的に地震が少ない沖縄で、2月27日未明、沖縄本島の東近海を震源とする地震(那覇東方約50キロ、深さ10キロ、マグニチュード推定6・9)発生。糸満では震度5弱を観測したとのこと。震度5以上の強い揺れが観測されたのは、1911年以来、99年ぶりだそうです。
世界遺産に登録され、国の史跡にも指定されている勝連城址(うるま市)では、地震の揺れで石垣が崩落。今日(28日)の本土新聞にもその写真が報じられています。いまなお余震(震度1程度)も続いているとのこと。
さらに追っかけて、南米チリで27日未明に大地震(マグニチュード8・8)発生。大きな被害が報じられ始めましたが、太平洋を越えて日本列島各地に津波の恐れ。太平洋側の全海岸、もちろん沖縄全域に津波警報が発令されています。津波の第一波の到達予想時刻はちょうど今頃(28日午後2時半)。津波は高いところで2メートルに達する場合もありうるとか。本土でも東北・三陸海岸には「大津波警報」。大津波警報の発表は1993年の北海道南西沖地震以来、17年ぶりと。
いまテレビでは海岸集落の避難をよびかけ、港湾の浸水あり、道路閉鎖や公共交通網の運休など混乱が続いているようです。皆さんのまわりに被害はありませんか。お見舞い申しあげます。
■<4月10日予定・特集座談会>
かねて「風」誌上で案内してきたように、2月26日はTOFAEC 定例研究会(160回)=年報第15号編集会議、昨27日は、午後=韓国生涯学習研究フォーラム(第25回)、続いて東アジア研究交流委員会、と充実した週末でした。それぞれの今年度活動が勢いよくスタート。終わって川崎・溝の口で濃密な?懇親交流会。記録として写真一葉をHPにアップ(下掲)。写っている皆様、ご了承下さい。
会の記録は、追って「風」に寄せていただけると思いますが、一つだけ早めにお知らせしたいこと。第15号の編集会議で、昨年に引き続いて特集座談会を組もうということになり、「大都市社会教育・生涯学習の胎動と可能性」(仮題)をテーマに構想が練られました。東アジア・大都市の躍動的な動きを背景に、日本の大都市研究会の蓄積とも結び、とくに市民・NPOの取り組みに焦点をあてて、新しい可能性をさぐっていこうというねらい。主要メンバーの人選が話し合われました。皆さんの都合に合わせて、座談会日程を決める必要がありますが、交流会の席上では残念ながら確定に至らず散会。
明けて28日、昨夜の交流会に不在だった高知の内田純一さん(編集長)と連絡がとれ、4月10日(午後ないし夜)に座談会開催OKということになりました。その前後に東アジア研究交流委員会(あるいは中国・韓国の研究フォ−ラム)のスケジュールを組むことになりましょうか。調整の上どうぞよろしくお願いします。なお、TOAFAEC
例会については3月予定のゲストとまだ連絡がとれません。3月研究会は、去年のように4月10日・座談会に合流しては如何でしょう?
▼東アジア研究交流委員会交流会(川崎・溝の口、100227、瀬川理恵さん撮影)
2389号【2010年2月26日】
■<「ふるさときゃらばん」ガンバレ!>
一昨日(23日)の新聞が「ふるさときゃらばん・破産」のニュースを伝えました。うっかりすると見逃すような小さな記事(上掲)。山口真理子さんなどから「ご存知でしたか」「ほんと?」のメール来信。
劇団「ふるさときゃらばん」とは永い付き合いです。旧「統一劇場」時代から「ふる・きゃら」に独立するのが1980年代はじめ、その頃から、もう30年ちかくになります。事務所・稽古場が東京学芸大学と同じ小金井市にあり、私たちの社会教育研究室とはお隣りさんの仲として、4月恒例の研究室主催・花見などに「ふる・きゃら」の皆さんが参加される一時期もありました。
映画「同胞」(山田洋次監督)は岩手県松尾村の地域青年団と劇団との交流をえがく名作。それを地でいく俳優・制作部の活動スタイルは地域社会教育の取り組みそのもの。研究室として劇団公演の舞台づくりや仕込みの現場に同道し刺激を受けたたことも少なくありません。
2年前、ふるきゃら「道路ミュージカル」と国土交通省・道路特定財源との関係が国会で問題になって以降、不況も重なり、経営的に芳しくない話が伝わってきましたが、まさか破産!とは思いもしないこと。
八朔友二さん(研究室出身、劇団制作部)に電話してみました。元気な声、ひとまず安心。事務所はそのまま、今後は公演も継続していくとのこと。規模は違いますが、日本航空なみの劇団となったようです。
「ふるさときゃらばん」から出た本をご存知ですか。山田洋次・小林文人他『今どきマイペースで走れ』(1985年)。古本市場で結構な値がついています。
2388号【2010年2月25日】
■<イヤな客がやってきて・・・>
今年も花粉症が始まりました。この時期、風に乗ってやってくるイヤな客。寒い日が続いたせいか、例年より少し遅いお出まし。しかし昨日から一気に暖かくなり、症状が出始めました。
もともと早春の訪れは嬉しいもの、しかしいま、もっとも不快な季節となりました。どうしても外出を控えることになり運動不足。また(激症を恐れて)いつもの楽しみ・夜のワインから遠ざかる必要あり。だんだんと不機嫌が高じていきます。本欄記事も、ウツ?な内容になりがちかも…、ご容赦ください。
というわけで3月は花粉症逃れの旅を企画するのが通例。とにかく杉花粉の日本列島から離れる算段です。福岡もダメだし、寒い北国か南の沖縄か。となるとやはり南へ…の気持ち。昨年は、うまく上海・社区教育調査と出会って、いそいそと出かけたことを思い出します。
昨日、名護の島袋正敏さんと電話で話しました。ある雑誌から稲嶺進名護市長と「基地問題だけでなく、まちづくりや住民自治について」対談してほしいとの企画が来ていますが、進さんの状況はどうだろうと…。名護では議会が始まるだけでなく、妖怪のごとく普天間移設・米基地シュワプ陸上案(風2386号記事)が再浮上して、風雲急をつげる事態。ゆっくり“ゆんたく”する余裕はなさそう。しかし、選挙戦を支えてきた正敏さんの積もる話も聞きたいので、まず名護へ逃げようという計画になりました。3月初旬の安い飛行機をさがしているところ。学期末の忙しい皆さんに申しわけありませんが、楽しい3月にしたいと思っています。
明日(26日)夜は、TOAFAEC 2月定例研究会(第160回)です。第15号編集・東アジア研究交流について論議の予定。皆さん、無理を押して!お出かけ下さい。大事な編集会議です。
2387号【2010年2月23日】
■<50年の歳月−故福尾先生の想い出>
前号の続き…。昨年の3月、私たちが中国社区教育調査のため上海滞在中に福尾武彦先生は亡くなられました(享年90歳)。告別式に駆けつけることができず、本欄に追悼の文を書く機会も失したまま、約1年が経過したのです。初めての出会い(1960年)からまさに半世紀。学会や月刊社会教育編集、とりわけ社会教育推進全国協議会の運動など、永いお付き合いだったのに、失礼を重ねてきました。
私たち夫婦は、1961年から63年まで津田沼の前原団地に住んでいたことがあります。そのすぐ近くに福尾さん(そう呼んできました)のお宅。こちらからお邪魔したこともあり、また小林宅(新婚)にお出でいただいて、船橋市を中心にした社会教育研究会が開かれたこともありました。勝野時雄(旧妻籠公民館長)、飯塚達男(社全協元事務局長)、佐久間章(船橋市元公民館長)などの皆さん、懐かしい顔ぶれ。当時まだ教育社会学会に軸足をおいていた時期だけに、この2年半は新鮮な思い出として残っています。
偲ぶ会の当日、49年ぶりに、当時お世話になった福尾先生の奥様にご挨拶できました。
福尾さんの大きな仕事は、やはり社全協運動の躍進(1970〜80年代)を委員長として担われたことでしょう。1980年の正月には、福尾さんを団長とする沖縄訪問団をご案内したことがあります。大前哲彦さんなどもご一緒。沖縄各地で「沖縄で全国集会を!」と挨拶され、揮毫されたりしました。その22年後に名護で全国集会(第42回)が実現することになりました。この大会に福尾先生はご参加されませんでしたが、稲嶺進さん(名護市長)や島袋正敏さんなど、多くの方々との出会いが拡がることになりました。
2月20日の「偲ぶ会」では、こんなご挨拶をさせていただきました。
2386号【2010年2月21日】
■<福尾武彦先生を偲ぶ会>
沖縄では、普天間移設について、本土政府の名護(キャンプ・シュワブ)陸上案が出て、怒り沸騰の状況。地元紙も関連する記事を相次いで掲載し(本土各紙との温度差!)、沖縄タイムスの社説(2月20日)は「いいかげんにしてくれ!」のタイトル(上掲
→■)。
名護では、同じタイムス誌面で「…ふってわいた陸上案に、移設計画で容認、反対と二分されてきた市民が一斉に反対の声をあげた」と。
辺野古移設を条件付きで容認してきた代替施設推進協議会の宮城安秀会長は「移設は宜野湾市民の危険性除去が目的だったはず。陸上案では米軍機が辺野古集落の上空を飛ぶのは間違いなく、宜野湾の危険性を辺野古に移しただけではないか」と指摘。目的そのものを失った案で到底受け入れられないと一蹴した。
同様に移設を容認してきた市商工会の荻堂盛秀会長は「(政府は)何を寝ぼけたことを言っているのか。これには全市民が反対するだろう」と怒り心頭。「われわれは市民の生活環境を考え、なるべく沖合にということで仕方なく容認してきた」とこれまでの経緯を振り返り、「不可能な案ばかり出して、結局は『普天間固定化』の理由づけにするのではないか」と移設問題の硬直化を危惧する、と報じています。
ところで、昨20日午後は、昨年3月に逝去された福尾武彦先生(千葉大学名誉教授)「偲ぶ会」でした。福尾研究室の卒業生を中心に、70〜80名の皆さんが集まり、とてもいい会でした。終わりの部では、みな輪になって、「仕事の歌」「花をおくろう」「子どもを守る歌」を合唱。この研究室もよく歌をうたってきた歴史があるらしい。当日、『福尾研ものがたり−たたかい学ぶ人間性こそ』(福尾武彦編著、長沢成次・わ
たげの会編集、光陽出版社)が披露されました。
▼福尾武彦先生を偲ぶ会・合唱(千葉大学、20100220)
2385号【2010年2月19日】
■<Freude! 歓喜をうたう>
17日夜の春節夕食会は、張林新さん一家や伊藤長和さんなど烟台の皆さんを囲んで、10人ほど。寒い冬の夜にもかかわらず、皆さん、お出かけいただき、有り難うございました。ぶ欄の案内をみて、珍しく和光大学・伊藤武彦さん(心理教育学科長)もご出席。岩本陽児氏「レディング通信」を酒のさかなに、久しぶりに杯を交わしました。
今回の会は、張さんの香港からの帰国連絡をまって、わずか数日前の慌ただしいご案内、まことに申し訳ありません。遠藤輝喜さんからは「…明日のロゴスキーの会、東京23区支部の会議と重なり、参加できません。すみません・・・」、金侖貞さんは「きょうの夕食会ですけれども、伊藤先生と張先生にお目に掛かりたいですが、随分前から他の用事が入っており、伺うことはできません。本当に残念…」などのメール。かえって恐縮しています。
18日夜は、東京学芸大学創立60周年記念「第九」演奏会(所沢市民文化センター「ミューズ」)に出かけました。うっかり所沢市文化会館(紛らわしい!)に行き、間違いと気づいて、タクシーで「ミューズ」(隣の駅の前)へ。開会にすこし遅れました。
東京学芸大学・学生歌に、「若草もゆる」(1957年)という歌があります。当時の学生による作詞・作曲。歌詞の一節に「自由を守り真理をきわむ」とあり、その2番に「平和を愛し歓喜をうたう」と続きます。ベートーベン「第九」第四楽章の Freude 合唱を聴きながら、シラーの想いとともに、学大「若草もゆる」の時代を思い出していました。
▼東京学芸大学創立60周年フェステイバル・オーケストラ、同「第九を歌おう」合唱団(20100218)
2384号【2010年2月17日】
■<冬・烟台を囲む夕食会>
この数日、東京は冬の寒さが続いています。太陽は顔を出さず、暗い曇天、時にみぞれや雪ちらちら。今の景気・世相にも似て、あまり楽しくありません。春よ来い、早く来い、という心境。他方で、花粉の季節からどう逃避するかも考え始めているところ。
せめて春節にちなむ楽しい夕べをつくりたい、というわけで、前号本欄に書いたように、烟台(張林新、伊藤長和のお二人)を囲む夕食会を急ぎ企画しました。ホームページに書き入れたご案内。
日時:2010年2月17日:18:00〜20:30
場所:渋谷ロゴスキー(東京プラザ9階、03-3463-3665)渋谷駅西口
急すぎる日程となって恐縮ですが、ご都合つく方はお出かけください。連絡は、ぶんじん携帯まで。
山口真理子さんから来たメール。「参加いたします。調布が会場の多摩地域公立図書館大会の講演を聞いてから出ますので、例によって時間ぎりぎりになるかもしれませんが、極力遅れないようにします。」
黄丹青さんからも。「大変ご無沙汰しております。この間、南の風には慶事が続き、お祝いの一言を書こうと思いながら、何もせずに来てしまいました。するべきことがどんどん溜まり、大変申し訳ないです。
お誘いをありがとうございます。17日午後から会議が続き、遅くなると思いますが、終了したらご連絡して、そちらにうかがいます。」
もうすぐ同じ日付。本号を早く出したいので、お二人のメールを並べました。お許しを。
2383号(2009年2月15日)
■<春節の日誌>
岩本陽児さんの「レディング通信U」絶好調。この間、風に5回連続しての寄稿、ご苦労さま。本号掲載の「法廷」レポートを拝見し、あらためて「バス暴漢事件」にお見舞い申しあげます。「スキンヘッドで鼻がつぶれていて、タトゥだらけで、ゴリラを凶悪にしたよう」なこわい顔、その上に飲んだくれ!とは驚きだ。
そんな相手を、よくぞ格闘して取り押さえたもの、と敬服しています。当初の印象では、レイシャルな差別問題なのかと憂えていましたが、そうでもなさそう?
いや、やはり関係ありか?
通信が絶好調なところで、岩本さんは早や1年の在外研究の期限、もう帰国の日程が決まりましたか? 鎌倉から「烟台の風」を寄せている伊藤長和さん(季休暇で帰国中)と入れ替わりのようですね。恒例3月の定例研究会(最終金曜日予定)で帰国報告・歓迎会を予定したいもの。
春節を迎えた日、さきほど香港から日本に戻った烟台の張林新さんから「帰ってきました!」と元気な電話。17日から19日夜に春節のお祝い夕食会を企画したい(伊藤長和さんと相談中)。永福か渋谷あたりで。日時・場所は決まり次第、ホームページに書き入れます
→■。ご参加歓迎!
風・前々号に掲載した「日韓の学会交流」について、長沢成次さんより追伸。「…会場は、前にソクチョと書きましたが、少し南の江稜(カンヌン)市生涯学習センターが会場です。主催は、韓国平生教育学会・日本社会教育学会ですが、後援としてEAFAE(東アジア平生教育フォーラム)・韓国平生教育総連合会・江陵市が名前を連ねています。」
山口真理子さんから。「カティンの森」(岩波ホール)やっと見ました。あまりの衝撃的な映画に終わった後もしばらく声が出ませんでした、と。
2382号【2010年2月14日】
■<“ひろば”としての風・12年>
気づいてみると、南の風は創刊(1998年2年6日)から12周年を迎えていました。あらためて皆さん、「風」にお付き合いいただき、有り難うございます!
2年前、2000号でひとまず風は卒業・終刊したはずのところ(お祝いもしてもらった・下掲写真)、TOAFAEC
研究会や年報編集の案内・連絡に支障が出ることが分かり、わずか10日の休暇?で復刊。その際は「不定期発行で…」と書いた記憶がありますが、最近はむしろ1〜2日の定期発行。風が年間200回、12年間も吹き続けるなど、思ってもみませんでした。
南の風は、発足時からTOAFAEC の連絡・広報機能を担い、同時に、ぶんじんの個人通信の性格を合わせもってきました。ホームページも同じ。二つの機能併用は、ときに利点もあれば、公私混同の誤解や混乱もないわけではありません。TOAFAEC
独自のサイトを誰か別に開いてほしいと期待してきましたが・・・いまなお未発!
風2000号以降、つまりこの2年の間に、画期的な動きがありました。韓国生涯学習研究フォーラムの躍動、追っかけて昨年は中国研究フォーラム、そして東アジア研究交流委員会が登場し、それぞれのメーリングリストが動き始めています(韓国MLは最近失速中?)。TOAFAEC
年報編集委員会も独自のMLが始動中。そろそろ「南の風」の役割も終わったような・・・・と、秘かに、にんまりしているところ。
今日は日本の旧正月。アジアの正月・春節、おめでとうございます!
◇旧正や 雪深き国けふも雪(山口青邨)
◇春節や 南は花のお正月(ぶ)
▼2年前・風2000号のお祝いケーキ(江頭晃子さんより、2008年3月09日)
2381号【2010年2月12日】
■<奇跡のような堀尾実100年展>
風2379号本欄の続き。日曜日の名古屋、生誕100 周年記念「堀尾実」展の余韻。当日、美術館ショップで頒けてもらった画集(2009年12月刊、樹芸書房)を今日もパラパラとあかず見ています。
その翌日、堀尾正靱先生から来たメール。「2月7日の講義・お酒付堀尾実展においでくださった皆さま:白一色の関ヶ原を過ぎながら書いております。昨日は、貴重な日曜日に、36年間埋もれていた堀尾実の画業を、多数の方々とともに吟味していただき、家族一同、心よりお礼申し上げます。ご無沙汰していて、このような形でお目にかかれ大変うれしく存じました。…」
画集に堀尾先生「ごあいさつ」があります。お父上の思い出。「…家が父の仕事場でした。私たち家族は、画家の一挙一動を日々目のあたりにし、いつも素晴らしい刺激の中で心を共有して暮らしました。父の、常に前向きな作家精神、それを支えた、老荘、臨済宗、旧約聖書、ヴァレリー、ヤスパース等の読書や研究の話なども。しかし、父は作家としての孤独な戦いを進めていました。…(略)… 長い沈黙の果て、1973年4月の連作薔薇展は、父の飛躍の宣言でした。しかし、わずか3ヶ月ほど後の1973年7月14日未明に、堀尾実は63歳という若さで他界したのです。」
翌1974年の遺作展のあと、「30年以上、作品が家族以外の目に触れることはほとんどありませんでした」。そこに新しく光をあてたのは名古屋市美術館(学芸員・山田諭氏)や名古屋画廊など。「…のお力で、堀尾実の仕事を皆様にお伝えできるようになりました。それは、奇跡のように思えます」と。画集表紙を飾っている作品≪冬の構図≫(1955年)は「堀尾の日本画による抽象絵画の完成形」(山田諭、同画集p9)と位置づけられています。
▼堀尾実≪冬の構図≫(1955)−生誕100年記念展・画集表紙
(名古屋市美術館 20100207)
2380号【2010年2月10日】
■<ホンモノのまちづくり>
名護・島袋正敏さんから「応援に感謝!」のメール(上掲)が届きました。興奮の8日(就任式)を終えて、ようやく一段落つかれた様子。
3日前(2月7日)の「朝日新聞」は、名護市長に就任する稲嶺進さんのインタービュー記事を、1問1答のかたちで掲載していました。
「私は、辺野古に新しい基地は造らせないと約束した。信念を通して、貫いて、守り抜く。仮に国がそういうことを言ってきたら、市民の先頭に立って反対の意思を行動で示さなければならない。」
「基地と関連した振興費が10年も続き、かなりの予算が投入されたのに、暮らしはよくならなかった。多くの市民がそう実感している。」
「かって名護市は農業の粗生産額が年間90億円を超えていたが、いまは約40億円少ない。この40億円を取り戻せば、自分たちが頑張ることによって得ることのできる収入源になる。また、名護の特色を生かした体験、交流、滞在型の観光の可能性も追求したい。基地問題に時間を割こうとは思っていない。すぐにでも農業や観光の振興に手をつけたい」など。顔写真の表情も若々しく、いい記事でした。
2月5日付「週間金曜日」は「国のふるうアメとムチ−名護市民を揺さぶる500億円」を載せています。その末尾に「…市長選挙の結果をみると、…得票差はわずか1588票差だ。カネというアメをしゃぶらせ続けた政府が、次こそムチだ、と普天間移設を迫る余地を残した民意とみているのかもしれない」(牟田滋)と。気になる記事です。
いずれにしても、これからも多くの人が名護の歩みを注目し続けるでしょう。自立した「ホンモノのまちづくり」の道を拓いていってほしい。
2379号【2010年2月8日】
■<名古屋へ>
沖縄から選挙関連ニュース2題(上掲)。一つは、名護の稲嶺進さんが名護新市長として8日めでたく初登庁。赤崎隆三郎さんから、早速その晴れ姿を送信していただきましたので、TOAFAEC
・HPのトップ写真に飾りました。ご覧下さい。(赤崎さん、有り難う!)
あと一つは、7日が投票日の読谷村長選。即日開票の結果、南の風メンバーでもあった上地武昭さん(沖縄大学教授)は、残念ながら当選できませんでした(上掲)。どんな選挙構図だったのか、次回お会いした折りにでも話を伺うことにしましょう。
ところで、7日は早朝から夫婦で名古屋へ出かけました。堀尾正靱(まさゆき)先生のご尊父・画家「堀尾実」生誕100年記念展(名古屋市美術館常設企画展)。終日、鮮烈な作品群を楽しみ、興味深いレクチャーも加わって、充実した1日となりました。
堀尾先生(東京農工大学名誉教授)は、ぶんじんの喜寿の会で驚くほど立派な(屹立した)鼻の天狗面を持参され、元気で!と励ましてくださった方。また新年会二次会では、即興の八重山「鷲ん鳥節」を披露され、一同驚嘆したこともあります。工学系(環境・エネルギー工学)専攻でありながら、該博な人文教養と芸術的センスの持ち主。いちど本欄で紹介した著作「脱温暖化と脱近代化」(松永澄夫編『環境−設計の思想』所収、東信堂)などを読むと、「まちやむらのこころと技術をつくり直す」視点から、半ば地域論・社会教育論を展開されています。
そのお父上がどんな方だったのか。「生誕100年展」とは容易ならざる企画。夜のプログラム「作家・作品・芸術を語る会」(懇親・交流)のスピーチも多彩なものがあり、堀尾先生の“人となり”が垣間見えてきたように思いました。生誕100年記念・堀尾実展は、名古屋市美術館で3月28日まで開かれています。
2378号【2010年2月7日】
■<竹富島からの便り>
日本最南端のお寺・喜宝院、併設されている博物館・蒐集館、館長の上勢頭芳徳さんから久しぶりの便り。はるか南の島から夜間中学についての記事も送っていただきました。「…今回の名護市長選の結果には溜飲の下がる思いでした。…“風”の中で夜間中学のことがたびたび出てきますが、こんな記事を見つけました…(2月3日)」と。
同封されていたのは、『本願寺新報』第3020号(1月20日)。大阪の寿光寺住職・蕚<はなふさ>慶典氏による「みんなの法話−暗闇にいるようなもの」と題する一文。ご住職は「不思議なご縁」で非常勤講師として夜間中学の教壇に立たれているそうです。宗教者の夜間中学実践論。
二人の夜間中学校生徒さんの言葉を紹介されたあと、「…お二人の内なる思いを聞けたとき、教員であるとモノ知り顔の私は何もわかっていなかった、と大きなショックを受けたのです。その人の人生に本当に寄り添わなければ、真実はわからない。と同時に、人はそのように自分のことを真実理解し支えようという存在の中でこそ、驕りもせず卑下もしない「人間」に育てられていくのだよ、と示された思いでした。(略)
夜間中学は、失った「学び」を取り戻す学校です。そのために受けた差別やそこから生まれた劣等感から解放されることを目指します。けれどそれは、文字を知って、知らない人より優位に立つことではありません。それでは過去の自分を否定することになります。むしろ過去の自己をも含んである今の自分にかけがえのない価値を見出し、共に課題を越えていく「学び」でなければならないのです。そこでは、読み書きができるできないというモノサシを超えて、一味(いちみ)平等の世界が広がるのでしょう。…」
2377号【2010年2月5日】
■<沖縄県立図書館より>
TOAFAEC「東アジア社会教育研究」第14号を寄贈したことについて、沖縄県立図書館より「お礼」をいただきました。(小林あて、1月29日付)山城千秋さんから届けていただいたものと思われます。有り難うございました。
礼状には「…追加で2部ご寄贈いただけますでしょうか。…(保存用、郷土資料室用、貸出用の収集に努めております。)」とのこと。また付箋で「たいへん恐れ入りますが、バックナンバー・1〜13号についても、可能であれば各3部ご寄贈をいただけないでしょうか。送付については、郵便着払いでも結構です。」との添え書き。数年前に県立図書館郷土資料室に1冊持参したことがあり、公費で購入していただけないかとお願いした経過もあるのですが・・・。
私たちは(公的経費ではなく)維持会員の方々に負担いただき、お互いの手弁当、経費基盤がないなか、やっとの思いで刊行してきました。14年間、よくぞここまで継続できたとの思い。それだけに寄贈要請にどの程度お応えできるか、難しいところです。どうしましょう?
バックナンバーについては、1号及び3号は残部なく保存分のみですが、沖縄県立図書館にはぜひ収蔵していただきたいので、この際、保存分からお送りする、ただし1部のみ。それも購入していただけないかとお願いしてみる案。編集委員会で検討をお願いします。
研究年報の前身、「沖縄社会教育史料」(東京学芸大学社会教育研究室)全7巻については、県立図書館に一括して寄贈した経過があります。
あらためて、沖縄だけでなく、中国・韓国そして台湾の主要図書館や、日本研究者がいる大学研究室等に年報バックナンバーを揃えていただく課題もあります。TOAFAEC
としても15年の蓄積の証左。しかしすでに欠号あり、やや遅きに失したようですね。
2376号【2010年2月3日】
■<第15号の編集会議を>
早くも2月となりました。大学関係の皆さんは学期末、成績判定や論文審査など多忙な時期。当方は(申し訳ないほど)いまは自由。かっての評価・入試等のイヤな仕事は思い出さないようにしています。もろもろのストレスから遠く離れて、健康に!過ごしたいと念じているところ。
ただ「南の風」だけは別。1月下旬はとくに名護市長選に関連する記事・メール相次ぎ、日刊・南の風が10日ほど続きました。いただくメールがなければ「風」は吹けず、多ければ嬉しい悲鳴。ある種のストレスでもあります。とにかく遅れた配信とならないよう急ぎ作業し、(ぶ)本欄を書き、旅行中ながら(毎日の祝い酒の中、酔いをさまして)の風発行でした。前号からようやく隔日刊へ復帰できましたが、やはり滞留記事が数本。申しわけありません。次号以降に掲載予定です。
1月下旬、東京のいくつかの会合を欠席しましたので、あえてお願い。中国生涯学習研究フォーラム(1月24日)の記録を送っていただけませんか。一昨年末の発足以来、小林が期限付「代表」となっておりましたが、新代表は決まりましたか?
関連して「東アジア社会教育研究」第15号の編集協議を急ぐ必要がありますね。今年も年報づくりが楽しく!元気よく進行することを期待していますが、やはり(MLによる意見・連絡だけでなく)一度、編集会議を開催し、時間をとって特集テーマなど基本的事項についてゆっくり議論する必要があります。学習会もかねて…。日程の調整をお急ぎください。二月は短い、すぐに三月となりますよ。
2375号【2010年2月2日】
■<第1回いたばしピース映画祭>
金曜日(29日)の1月定例研究会は充実した時間でした。斉藤真哉さん(板橋区大原社会教育会館)、佐治真由子さん(早稲田大学・院)お二人の意欲あふれる報告。関連して「第1回いたばしピース映画祭」のチラシを頂きました。見たいと思っていた映画「沈黙を破る」(土井敏邦監督)のほか、「ありがとうの物語」「静かな革命」の上映や、寸劇、平和絵本の朗読などあり。予定していた会合をパスして、出かけてきました。(1月31日、板橋区文化会館大ホール)
「沈黙を破る」は、パレスチナ・イスラエル占領地区のドキュメント。元イスラエル兵士たちが語り始めた冷酷な占領・支配、「考えるのをやめたとき、僕は、怪物になった」の実像、難民キャンプの状況など、衝撃的な記録映画でした。映画のあとの寸劇「検問所」では、斉藤さんが怪物のようなイスラエル兵士を、佐治さんはパレスチナの子どもを演じて、拍手を浴びていました。
この映画祭の主催は、市民諸団体による実行委員会(約30団体)。板橋区と同教育委員会は後援。参加団体の中心はNPO「ボランティア市民活動学習推進センターいたばし」(2001年〜)のようです。その母体は国際障害者年(1981年)に発足した「板橋区ともに生きる福祉協議会」とのこと。歴史の積み重ね。当日は車椅子の方々も参加されていました。
1983年以降の同・学習推進センターの活動は多彩です。その流れ図の一つに「大原社会教育会館との共催フォーラム」。研究会での斉藤報告「社会教育会館と区民との共同による平和・人権教育の流れ」と重ね合わせて、あらためて板橋区社会教育・行政の蓄積を実感しました。市民の主体的な学習・実践を側面から支援してきた社会教育主事の役割もクッキリと見えてきます。東京二三区の社会教育史のなかでも光彩を放つ実践ではないかと思いました。
▼右より2人目・斉藤真哉さん、中央・佐治真由子さん(研究会帰路・環八陸橋、撮影・遠藤輝喜氏、100129)
2374号【2010年1月31日】
■<関西ネット>
名護市長選の報道に載ったぶんじんの写真、話題が続いています。昨日(29日)高井戸の新年第1回(第159回)研究会には、沖縄タイムス25日誌面を披露、皆さん大笑い。
大前哲彦さんからもメール(Sat, 30 Jan 2010 00:49)、別の新聞のようです。「…私が拝見しましたのは、…写真の端っこというなら同じ写真を使ったのかもしれませんが、お顔の皺(失礼)まで鮮明でした。」
ついでに、普段あまり聞こえてこない関西の動きが記されていますので、ご紹介しておきましょう。顔の皺が取りもつ?記事です。
「…社全協関西ネットでは、31日に箕面市立中央生涯学習センターに出前例会に行きます。公民館運営審議会(吉岡いずみ議長・ネットメンバー)が生涯学習予算の削減に意見書を出された実践に学びに行きます。
関西における社会教育の情報交換ネットワークを構想してきましたが、叫ぶだけでは届かず、誰も参集してきてくれません。米原市の若者たちも困難に直面しておられるようで、元気なお顔が見られなくなっています。そこで、座って待っているのではなく、励ましに・・・、いや、学びに出かけようとなった次第です。
ここらは、村田和子事務局長のバイタリティーか、ぼたん鍋を食べに行こうという私の食欲アピールか、どちらに賛同されて動き出したのかは定かではありませんが、上杉孝實前代表、村上博光代表を先頭に、大挙して箕面の山に行ってきます。…
」
また追伸として、猪山勝利さんとの思い出。こちらは「風」(2371号)がとりもつ縁です。
「…それにしましても猪山さん、どんな顔をしておられましたか。懐かしいです。2人して沖縄研究で小林先生を超えようとお酒を飲んだことがあるのです。小林先生を超えようというような失礼なことを言われたのは猪山さんでしたが、私も乾杯をした記憶があります。あの頃の意欲と元気。懐かしんでは先生の教えに報いることにはなりません。小林流に肩を張らずに前を向いて楽しく生きていきたいと思います。」
ありがとうございました。ところで、昨日の研究会記録、どなたか送っていただけますか?
159回を数える研究会のなかで出色のテーマ!
2373号【2010年1月29日】
■<“ぶりでぃ”>
風・前号の大前哲彦さんメール、名護市長選の写真にぶんじんが写っていることについて、山城千秋さんから教えていただきました。
「 … 先生と山口真理子さんは、翌25日の沖縄タイムスの2面に写っていますよ。写真の端っこですが、間違いなく文人先生と分かります!琉球新報もくまなく見ましたが、残念ながら多くの“ぶりでぃ”で見えませんでした。
昨日の当選証書授与式で進さんが、アメリカとの合意はいるが地元とはいらない、というのは矛盾している、と直言されたことに、拍手を送りました。お知らせまで。」(Thu,
28 Jan 2010 20:58)
あらためて、市長選翌日の沖縄タイムス2面を調べてみました。なるほど、なるほど、確かに写っています。本人は気づきませんでした。報道写真とはこわいもの! 大前さんが見た写真は、沖縄タイムス2面だったのか・・・、別にもあるのかしら。
ところで“ぶりでぃ”とは何? 沖縄の教訓歌「てぃんさぐぬ花」の歌詞に「群星」(ぶりぶし)が出てきますが、同じ「群」の手、つまり「みんなの手」の意。稲嶺進さんは、市長選・当選直後の会見で、勝因を問われて「多くの市民の“ぶりでぃ”な選挙戦だった」と答えていました。印象的なコメント。そう言えば、名護博物館のキイワードも“ぶりでぃ”。同博物館が刊行してきた年報も“ぶりでぃ”の名称で親しまれてきました。
2372号【2010年1月28日】
■<市長選・勝利の余韻>
皆さんからのメール相次ぎ、日刊・南の風が続いています。名護市長選の余韻が残って、各位それぞれにふと心が揺らいで、何かを書き送っていただく感じ。当方の編集室には、まだ関本保幸さん「神奈川・横浜の夜間中学を考えるつどい」案内や、姜乃榮(カンネヨン)報告会「地域から紡ぐ日韓交流」等の記事が未収録で残っています。日程が少し先なので、それに甘えて掲載を延ばしのばし申し訳ない。次号以降に。渡部幹雄さんの愛知川便りも、元気に回復した模様。ご同慶のいたり。
…と書いたところで、岩本陽児さんの愛猫ご逝去の報。茜色の夕焼けやヒースローを飛び立つ旅客機への感傷が綴られているところをみると、そろそろ望郷の思いか。これも次号以降の掲載になります。
各号にもっと詰め込んで隔日刊に帰るか、それとも日刊を続けるかと逡巡しながら、自ら連日の風発行を楽しん?でいる。しかし各号に日誌(ぶ)本欄を書く習わし。日刊になると、これがややしんどい。当の本人も、「それにしても、よくやるよ」と思っているのだから始末がわるい。
名護市長選勝利の万歳場面にぶんじんが写っていたこと(どこかのテレビ局)、大前哲彦さんのメール(上掲)で知りました。当夜の仮設テントは、最前列に沖縄選出の国会議員、政党関係者、そして市議団をはじめとする名護関係者、そのうしろの方に、おじぃおばぁに混じって席をすすめられたのでした。写るはずはない場所なのに。
市長選の廻り舞台を動かし、難しい渉外役にあたった島袋正敏さんは夜が白むまで飲み明かし、その翌日も酔いは続き、さらに多忙らしい。
2371号【2010年1月27日】
■<本土のための民主主義>
東京にいると、沖縄の新聞が面白く、沖縄に滞在していると、東京の新聞を読みたくなるものです。昨日(1月26日)の朝日新聞「天声人語」は、故大山朝常先生(旧コザ市長)のことを書いていて興味深く読みました。私たちも十数年前にお宅を訪問し、97歳カジマヤー記念のお祝い品を頂いたことがありました。その前にも、秘蔵のアロエ酒を頂戴して、まだ油山の酒庫に大切にしています。
大山朝常先生は、「 … 元教育者だった。沖縄戦で息子2人、娘1人、母と兄を失った。戦後は政治家として“基地はいらない”と訴え続けた。ところが減りもしない。本土による、本土のための民主主義が苦難を島に押しつけている」「民主主義はもうこりごりだ」と絞り出すような声で言ったという。
天声人語はさらに続けて、次のように書いています。
「 … そんな基地のひとつ普天間飛行場をめぐって、名護市の民意は移設への異議を申し立てた。市長選で、移設に反対する稲嶺進氏が現職を破った。結果は重い。政府が軽んずれば、本土のための民主主義が繰り返されることになろう。」 まったくその通り!
民意を「斟酌」する必要はない、などの本土政府の発言には怒りをおぼえます。
沖縄の基地問題と闘ってきた自治体の一つは読谷村。かって山内徳信さん(現参議院議員)が村長として奮闘されてきたところ。読谷村でもあと1週間で任期満了に伴う村長選挙(2月2日公示、7日投開票)です。「南の風」メンバーだった上地武昭さん(読谷村社会福祉協議会事務局長をへて沖縄大学教授)が正式に立候補を表明されたそうす(26日・沖縄タイムス記事)。そう言えば、年賀状でも強い決意が…。現職は勇退、新人無所属候補との一騎打の様相。健闘を祈ってやみません。
2370号【2010年1月26日】
■<酔いをさまして…>
名護市長選についてのニュース、お祝いメールが相次ぎ、「風」の発行も連日となりました。今や「日刊・南の風」?の様相。ご了解を。
久しぶりに竹峰誠一郎さん(三重大学)から「海の文化や開発をめぐる鳥羽ツアー」ご案内。興味深い企画です(上掲)。しかし(宿泊については)明日・27日が申し込み締め切り。長文でもあり、骨格のみの掲載でお許しを。もし関心ある方には、案内・詳細を別送しますので、ご一報ください。
岡幸江さんからは福岡「励ます会」の報告(上掲)、これも長文。2回に分けて掲載することにしました。
いま那覇に滞在しています。昨夜は、おきなわ社会教育研究会の方々と、名護・稲嶺進さんの快挙を祝って乾杯。思い出話いろいろ、つきるところがありませんでした。ホテルに帰って、社会教育推進全国協議会(社全協)通信に“超速報”「稲嶺進さん・当選!」を書きました。上田幸夫さん(社全協委員長)の要請によるもの。短文ですが、酔いが残っていてうまく書けない。あらためて那覇の街へ夜の散歩。ひと歩きし酔いをさまして、なんとか作業終了。
稲嶺進さんは社全協・会員なのです。1982年・富士見市で開かれた全国集会に参加して以来、すでに30年近くの歳月。私たちの沖縄社会教育研究会そしてTOAFAEC
との交流も続いてきました。
速報の最後に書いたことですが、稲嶺ススム支援カンパを寄せて下さった皆様、「応援する会」代表として、改めて厚く御礼申しあげます。
2369号【2010年1月25日】
■<忘れられぬ1日>
1月24日は、歴史的な日となりました。一つは、福岡市での「臼杵市長・中野氏と九州大学・岡氏を励ます会」。お二人のお祝いだけでなく、この15〜20年来ご無沙汰続きの面々、たとえば長崎の猪山勝利さんとの再会を含めて、世代をこえて思わぬ出会いのひとときでした。皆さんと別れを惜しんで、沖縄へ。
名護市長選の開票日。福岡から那覇空港への到着便が少し遅れたこともあって、名護へ向かう車の中で、ラジオはすでに「稲嶺ススム当確!」を伝えていました。まだ投票締め切り前の時間だというのに・・・あるテレビ局の出口調査によるらしい。ススム選挙事務所にはぞくぞくと支持者が集まり始めているとのこと。
私たちも、遅れてはならじと夕食もとらずに駆けつけました。事務所前の広場には大きなテントが張られ、すでに人がぎっしり。喜納昌吉さんはじめ国会議員も前列に勢揃い。ススムさん登場をまつ間の、人々の湧き出る喜びをおさえたような表情が印象的。「13年間、負け続けてきた、今日やっと勝利!」、「辺野古に基地は造らせない!」などの声。
普段は「万歳三唱」はあまり好きではありません。しかしこの日は別、何度も一緒に手を挙げました。25日の新聞各誌が報じている「万歳!」写真の後ろの方に、私たちもいました。
福岡でお預かりした岡幸江さん、石井山竜平さんからのカンパ。ありがとうございました。山口真理子さんのところに集まっている他のカンパと一緒に、稲嶺ススムさんにお渡ししました。
渡部幹雄さんから頂戴した自然薯(上掲)は、“粘り強く!”のメッセージとともに、沖縄青年団協議会長(当夜、運転していただいた)にお裾分け。
▼ススムさん・当選の弁(名護・選対仮設テント、100124)
2368号【2010年1月24日】
■<いよいよ24日>
名護の稲嶺ススムさんが教育長を辞して、名護市長選への出馬の意志を固めたころのことを思い出しています。2008年の梅雨明けの頃、下がり花が咲きホタルが飛んでいた夜。あれから2年ちかく。その結果が出る名護市長選・投開票の当日となりました。
昨晩、名護市長選・前日の打ち上げ集会から帰った鷲尾真由美さんからメール(上掲)、写真も有り難うございました。
東京からは、カンパ活動の会計担当・山口真理子さんの、その後の追加カンパの報告が来ました。次の通り。
「いよいよ24日ですね。名護市長選、いよいよ投票日ですね。24日の夜、喜びの、そして新しい出発へ向けての気合を込めたカチャーシーが踊れますように。
その後のカンパですが、23日の13:30現在、お二人からです。南の八幡から山下厚生さん,北の置戸から森田はるみさん。有り難うございました。「今度の沖縄行きは、こういう事ですよ」と姉に稲嶺ススム支援のチラシを見せましたら、姉も2口カンパしてくれました。私も、それに少し足して、追加カンパ額:¥15000となりました。24日、名護で稲嶺ススムさんにお届けします。」(Sat,
23 Jan 2010 23:00)
第1回の集約(総決起集会)分と合わせると、合計10万円を超えたことになります。皆さんのご協力に感謝!
今から、福岡の「臼杵市長・中野五郎氏、九州大学准教授・岡幸江氏を励ます会」に出て、夕刻の便で那覇→名護へ。風・次号でどんな朗報をお届けできるか、楽しみです。
▼中野・岡両氏を励ます会(福岡・岩田屋、100124)
2367号【2010年1月23日】
■<研究会・賑やかにスタート>
「南の風」前号、前々号でお気づきの通り、東アジア関連の研究会が勢いよく始動しはじめました。まず中国生涯学習研究フォーラムが1月24日の予定(筑波大学)。韓国生涯学習研究フォーラムは1月18日に例会を開き、その席で2月予定日を27日とし、この日にあわせて「東アジア研究交流委員会」を開いては・・・の提案(李正連さん)。「一杯飲みながら今後のあり方について、お話ができればと思いますが、皆様のご都合はいかがでしょうか」(風・前号)と。
昨日、李さんから日程確定のメール。「皆様 早速のご返信、どうもありがとうございました。お忙しいところ、多くの方々から出席されるというお返事をいただき、大変うれしく思っております。先日ご案内しました日程通りに、2月27日(土)に川崎市高津市民館で開催させていただきます。」(Thu,
21 Jan 2010 12:58)
これに加えて(風には載せていませんが)、TOAFAEC 研究年報の今年度(第15号)編集に向けての呼びかけ(内田純一さん)。
いずれもそれぞれのMLでまわってきたニュースですが、南の風に収録させていただき、そのままホームページに掲載いたしました。ご覧下さい。もしHPアップを控えるべきものがあれば、ご一報を。
そして本号に再録(上掲)したように、1月29日(金)夜は、TOAFAEC 今年度第1回(通算159 回)の定例研究会
→■。寒い夜ですが、皆さまのお出でをお待ちしています。
昨夜(22日)福岡へ来ました。明日(24日)は名護(市長選開票)へ向かいます。
2366号【2010年1月21日】
■<08憲章−公民の精神>
中国の自由・人権・平等・民主等を求めた「08憲章」(2008年12月10日)については、「南の風」2231号(2009年6月6日)本欄で、いちど紹介したことがあります。昨年の六・四(天安門事件20年)に関連しての記事でした。その中心的起草者である劉暁波は、憲章発表の直前に当局に拘束され、その後、国家政権転覆扇動罪により11年の懲役判決を受けたと伝えられます。
昨年12月末、劉暁波著『天安門事件から「80憲章」へ−中国民主化のための闘いと希望』が出版されました(劉燕子・及川淳子ほか訳、藤原書店刊)。数日前の朝日新聞(1月17日)読書欄でも書評あり(評者は天児慧氏)。
今回はじめて「憲章」全文を読むことができました。痛烈に心に響いてくるところが少なくありませんが、一つ印象的なことは、「公民」の文字が躍っていることです。たとえば「公民の社会的・経済的・文化的、政治的権利の平等の原則」とか、「我々は、勇気をもって実行するという公民の精神に基づいて…」など。
「憲章」の「我々の基本的主張」19項目の一つ、「公民教育」については次のように書かれています。「一党独裁に奉仕し、イデオロギー色が濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値と公民の権利を基本とする公民教育を普及させ、公民意識を確立し、社会に奉仕する公民の美徳を提唱する」と。あらためて「公民館」における「公民」の思想について考える機会となりました。
2365号【2010年1月20日】
■<名護市長選は激戦>
1月18日は、韓国生涯学習研究フォーラム(第24回)でした。会場は東京・秋葉原の首都大学東京サテライト。久しぶりに、中国・烟台から帰国中の伊藤長和さんが出席されました。会・終了後は、秋葉原からすぐ近く、神保町・三省堂地下のドイツ・ビヤ(放心亭)へ。かって日本公民館学会理事会の夜、みんなで(伊藤さんも)通った懐かしの店。
「…昨日のビールはとても美味しかったです。飲み過ぎたのか、新幹線で寝てしまいました。」(名古屋・李正連さん)、「…良い店をご紹介いただきました!私も岩波ホールで映画を観た後に立ち寄りたいと思います。」(川崎・小田切督剛さん)などのメール来信。お疲れさまでした。今年も韓国研究、楽しく進めましょう。
ところで、朝日・沖縄タイムス等が伝える名護市民世論調査によれば、17日公示の名護市長選挙は激戦の様相(上掲記事)。皆さん、あと一度、知人友人を頼って、名護「稲嶺ススム」さんへの支持をお願いして下さい。開票当日(24日)は、何としても名護に行きたいと考えています。
ところが、福岡で開催される臼杵市長・中野五郎さん、九州大学・岡幸江さん、お二人を囲む会(上掲)と日程重複。時間調整の上、やっとギリギリの時間に那覇空港にたどりつけそうです。山城千秋さんが沖縄県青年団協議会長とともに車を用意して迎えていただくとのこと。名護まで1時間半とみて、開票発表に間に合います。有り難うございます。
東京からは山口真理子さんが那覇空港で合流予定です。当日、もし名護行きを考えている方があれば、ご一緒しましょう。ご連絡下さい。
あと一つ、24日は今年第1回(通算第9回)の中国生涯学習研究フォーラム(筑波大学)とも重なってしまいました。残念ながら、これは欠席させていただくことになります。お許し下さい。
2364号【2010年1月18日】
■<朝日「ひと」欄・平田大一さん>
上掲・夜間中学に関する深夜放送(東京は6チャンネル)を関本保孝さん(墨田区文花中学校)よりお知らせいただきました。風・本号の配信は放送時間からすでに10時間余を過ぎていますが、記録として掲載。ぶんじんも、昨夜は少々の酔いもあり、せっかくのお知らせを見るのが今朝(18日)になってしまいました。録画できず、残念!
ここ一両日の各新聞は、政権政党の幹事長が、自らの資金管理団体への強制捜査や現職議員を含む秘書3人の逮捕について、検察当局を激しく批判し、これと全面的に対決していく、首相もまたこの姿勢を支持する、など風雲急をつげる報道であふれています。社説も、たとえば朝日「首相も党も一丸の異様」、毎日「小沢民主党幹事長 説明欠く続投は許さぬ」など厳しい論調。。
ドロドロとした政治と金にまつわる記事氾濫の中で、朝日「ひと」欄が、平田大一さんを取り上げ(17日朝刊)、そこだけ爽やかな南の風が吹いている感じ。ご存知「肝高の阿麻和利」公演、中高生の感動体験で人づくり、今や160
回以上の公演を数え、観客は10万人を超えたそうです。写真がなかなかいい。ひたむきな眼差しに救われる思い。
平田大一さんは和光大学の出身です。彼は、教育で地域を興し、文化で産業を興す、地域の歴史に根ざした舞台づくりで、若者たちに感動と達成感体験を・・・と、独自のメッセージを発してきました。
「感動体験を子どもに与え続ければ、人づくりの種になる、子どもが変われば、大人が変わり、地域が変わる。本気の1人がいれば、何かが変わると信じている」(同記事)。心に強く響いてきます。「南東詩人」「歩く詩人」「キムタカ
舞台が元気を運んでくる感動体験夢舞台」などの詩集・著作があります。
2363号【2010年1月16日】
■<名護市長選の実像>
那覇・名護から15日午後に帰京しました。沖縄滞在中、琉球新報・沖縄タイムス二紙の普天間移設・名護市長選をめぐる一連の報道記事を読みあさりました。東京で両紙のサイト版は丹念に追っかけているつもり、また新報については山口真理子さんから切り抜きサポートを受けているのに、やはり実物の紙をめくっていくと、未見の記事がいろいろ。私たちが沖縄研究をスタートさせた頃(1970年代)、故牧瀬恒二さんが発行する『沖縄事情』(主として沖縄タイムス記事を積極的に紹介)の刺激がいまなお強く残っているようです。
留守中にたまった郵便物・雑誌のなかで、『週間金曜日』(1月15日号)が、小沢一郎研究とともに、改めて普天間・辺野古を問う(伊波洋一、桜井国俊、川満信一)諸報告を載せていて目をひきました。あわせて浦島悦子さん(フリーライター)の、名護市長選「巻き返しを図る島袋陣営」レポート(金曜アンテナ欄)も興味深い。
現職・島袋陣営のなりふり構わぬ巻き返し。その采配を振るっているのは、1997年・市民投票の民意とは逆に基地受け入れを表明・辞任した比嘉鉄也氏、その後も「陰の市長」。島袋陣営の各種集会の参加者数は、稲嶺陣営を上回っているが、そのほとんどは企業動員。締め付けは厳しく、稲嶺を支持する企業は入札からはずす、などの脅かしも。
「…この12年間で補助金漬けになった久志十三区の全区長が島袋支持に名を連ね、一般住民とのねじれが顕著だ。区民を顧みない独裁区長に怒る区民は、区の刷新も兼ねて市長選に取り組もうと燃えている」(浦島レポート)とのこと。
2362号【2010年1月14日】
■<名護の1日>
まずご報告。1月12日・稲嶺ススムさん(名護市長選予定候補者)総決起大会の前に、後援会事務所でススムさんにお会いし、皆さんからおあずかりしてきたカンパをお渡ししました。金額は少ないけれど、私たちの熱い思い、ススムさんへの大きな期待、頑張っていただきたい!と。
後援会事務所の雰囲気は、とくに女性の方々のパワーが満ちあふれている印象。岸本能子さん(前市長・故岸本建男氏の妻)にもお会いしました。当日の総決起大会の終盤には壇上に立ち、感動的な挨拶とともに「ガンバロウ」三唱の音頭をとられた方(上掲・沖縄タイムス等記事)。
当日の会場(21世紀の森屋内運動場)は人、人、人であふれました。中央に600席程の椅子、おじぃおばぁが座り、ぶんじんも(名護市民でもないのに)その中に入れていただきました。まわりを立ち見の人たち、「稲嶺ススム」の旗・のぼりがかこみ、最終的には3千名を超える参加者だったそうです。当日の名護はとくに冷気厳しい1日でしたが、会場内はまさに熱気ムンムン!
普天間移設・辺野古問題・名護市長選挙については、いま、琉球新報(「呪縛の行方−普天間移設と鳩山政権」「争点・辺野古移設−1・24名護市長選」等)、沖縄タイムス(「国策に揺れて−名護市長選を前に」等)ともに、シリーズで取り上げていて読み応えあり。当夜の「過去13年間、市民を二分した普天間問題を終わりにしたい」という稲嶺進さんの挨拶の意味を改めて実感しました。1997年(海上ヘリ基地反対の市民投票)以降の、名護のまちの重い歳月。
大会の前に、名護市史編さん室を訪ねて鳥山淳さんと久しぶりの再会。大会が終わって、大国林道・山城秀夫さんたちと杯をかわし、次回1月24日・市長選投開票日のお祝いの乾杯を約してホテルへ。ながい1日が終わりました。
▼稲嶺ススムさん、壇上に登場 (名護市・21世紀の森・屋内運動場、20100112)
2361号【2010年1月12日】
■<那覇にて>
やはり新年会(10日)が来て、ほんとに年が明けた感じ。今年も楽しい1日となりました。世話人・ご参加の皆さん、お疲れさまでした。
予告通り、エジプトからはアーデルさんが新しい友人を連れて、中国・烟台からは伊藤長和さんが(前日遅く帰国)新しい留学生を連れて、セーンジャーさんは愛用の「白い馬」馬頭琴をもって、賑やかに登場。有り難うございました。
夜の部の参加者を加えれば、エジプト、アメリカ、中国、韓国、モンゴル、そして日本の六つの民族がともに語り、飲み、歌いあった新年会。
旧12月の忘年会で呼びかけた名護市長選候補(予定者)稲嶺ススムさんへの支援カンパ活動は(風2347号)、新年会でも継続する予定でした。しかし会が盛り上がるうちに、カンパ・アピールする機会を逸し、当日は何も進展なし。これは新年会の反省点。
山口真理子さんの集約によれば、前日(9日)までの皆さんからのカンパは、14名(アーデル、伊藤長和、福岡・社会教育研究会、徳永功、内田純一、山口真理子など各氏を含む)の方々から、合計8万7千円が寄せられました。ご芳志ありがとうございました。
名護では今日(12日)稲嶺ススム候補予定者支援の総決起集会。今から名護へ移動して、私たち社会教育関係者・有志の応援の気持ちをお渡ししてくる予定です。市長選挙の公示は17日、投開票日は24日、これからが本番。引き続きの、檄文・寄せ書き・カンパなど、どうぞよろしくお願いします。
▼高井戸・イーストビレッジにて(20100110)
2360号【2010年1月10日】
■<烟台・レディング・沖縄>
山東省・烟台の伊藤長和さんから、相次いで「風」が届きました。前号掲載の56号と本号所収の57号(上掲)
→■、1日に2本。有り難うございます。帰国を前にして、皆さんの別れを惜しむ宴の様子が伝わってきました。おそらく今頃(9日夜)は鎌倉自宅にお帰りのことと思われますが、新年会の前に配信しておきたく、当方もゆっくり飲めますし…。というわけで、連日配信が続きましたが、ご容赦ください。
こんなことを書いているところに、レディングの岩本陽児さんからも英国「50年に一度の寒波」のたより(レディング通信44)。それにテムズ河畔の白鳥たちの写真が添付されていました。この写真、レディング
通信の岩本サイト
→■に貼り付けようとしたのですが、容量が大きく、当方の小さなHPに載せることができず・・・残念。何度かアップを試みましたが、ついに成功しませんでした。申しわけありません。できれば容量200
KB以下にして送っていただければ幸い。テムズ河畔の写真はその10倍以上、立派すぎて小部屋に入らないようです。
せっかくの白鳥たちの写真ですから、年末のピラミッド写真を思い出して、「風」に添付してみることにしました。皆さんのお手もとに届くことを祈って。またお一人から風・未着の連絡が来て、気になりますが。
「風」に載せきれないメールいろいろ。金侖貞さん(首都大学東京)より、1月末に研究室で沖縄行きの計画があるとのこと。「…全員、沖縄が初めてなので・・・」と助言を求められています。わずか2泊3日の日程(旅費負担もあるわけですから)なんとも勿体ない! 見るだけでなく沖縄の人たちにも会ってほしい、あと数日滞在できないか?
新年会に沖縄地図をご持参下さい。ご相談しましょう。小生も11日からと24日からと、1月は2回の沖縄訪問の予定。
2359号【2010年1月9日】
■<名護市長選挙>
名護市長選挙が近づいて(1月24日投開票)、東京のテレビでも名護の動きを取り上げ始めました。稲嶺ススムさんと茶の間で出会うとは思いがけないこと。自慢の鼻ヒゲを落として、若返った顔つきです。
「名護市に基地は造らせない」姿勢で候補一本化。無所属での出馬ながら、各政党(民主、社民、共産、国民新、沖縄社大等)が推薦。選対として、いいスクラムを組んでほしいと願わずにはいられません。
私たちTOAFAEC 有志も、ススム支援・カンパの呼びかけをしてきました(風2347号など)。ご協力下さった方々、ご芳志まことに有り難うございます。明日10日の新年会で一応のとりまとめをし、12日・名護市で開かれるススム総決起集会に届ける計画です。24日に向けて、さらなるご支援よろしくお願いします。TOAFAEC
有志による「稲嶺ススムさんを応援する会」は、代表・小林文人、会計・山口真理子さん。
名護市長選挙の争点は、普天間移設・辺野古基地問題に集中している感がありますが、もちろんそれだけではありません。私たちは、ススムさんが、名護市の職員として社会福祉の仕事から出発し、社会教育主事として約10年の実践を重ねてきたことを知っています。住民の立場を大事にし、自治・自立の地域づくりを目指す姿勢に注目しています。 「…市民一人ひとりの小さな経済活動や文化活動、また産業活動に目を向け、今後30年先の名護市のまちづくりの基盤をつくっていきたい」(名護市長選挙予定候補者あいさつ、11月6日)、その取り組みに期待し応援していきたいのです。
2358号【2010年1月8日】
■<年賀状書き>
皆さんから年賀状をいただき、有り難うございます。当方の遅ればせの賀状書きも、松の内でほぼおしまい。
これまで年賀状を丹念に出してきました。教師という仕事がら、また社会教育のお付き合いもあり、年々その数が増えて、年末にはかなりの作業でした。70歳の2度目の定年のあと、減らす努力をしてきましたが、酒の量に似て、一向に減量しない。2年ほど前から(合併による市町村名の大幅変更もあり)使ってきた住所録ソフトによる賀状づくりを停止、頂いた賀状をもとに宛名書きをする、という(横着な)方針に切り替えました。歳末の負担から開放され、賀状減量にもかなりの効果。一方で最近のパソコン依存により、きちんと文字を書けなくなってきたことの危機感もあり、すべて手書きの宛名書き、お習字のつもりです。
頂いた賀状のなかで、「…八〇歳を過ぎて字を書くのが辛くなってきました。年賀状は本年をもって“結び”とさせていただき…」「高齢のため年賀状を最後にします」などのご挨拶がいくつかありました。年頭に、いいヒントをいただいた気持ち。当方もそのうちに・・・と、機を伺うことになりそうです。
しかし、世の中は厳しい状況なのに、年賀状はやはり元気なメッセージが多く、楽しみです。今年こそは本をまとめたいとの宣言や、思わぬ動きを教えられたり。「日本社会教育学会と韓国平生教育学会の研究交流協定を結ぼうと考えております」(学会会長)とか、「植民地教育政策史料集成(台湾編)の編集刊行は3年を経過、ようやく5合目」(友人)などのメッセージには、心さわぐものがあります。
沖縄関連では、昨年10月から名護市史編さん室に「戦後生活史」の担当として、鳥山淳さんが勤務を始めたお知らせ。ぶんじんとの「不思議な縁を感じている」とのこと。名護行きの楽しみが一つ増えました。
2357号【2010年1月6日】
■<新年会に馬頭琴>
新年会(1月10日)が近づきました。先にご案内(風2345号)
→■の通り、今年の会場は、例年の西永福から二駅ほど離れた高井戸(京王井の頭線)下車、徒歩2分程度、定例研究会メンバーはよくご存知「イーストビレッジ」(03-5346-2077)です。しかし、初めての方にはすこし分かりにくいかも、と家人は心配しています。ご確認の上、お出かけ下さい。
トクタホさんのメールによれば、馬頭琴奏者・セーンジャーさんが来てくれるそうです(上掲)。日本でいま最も輝いている「草原の王子さま」、お早めにどうぞ。店はそう広くありませんが、昔の新年会場(小林自宅)から考えると、夢のようなレストラン。
セーンジャーは、ちょうど10年前、馬頭琴を抱えて来日しました。トクタホが和光大学に連れてきた日のことをよく憶えています。その後めきめきと腕をあげ、いま各地で公演活動、たいした評判です。これまで新年会をはじめとして、私たちTOAFAEC
関連のお祝い会で、よく演奏してくれました。勇壮な調べ、そして哀切きわまりない馬頭琴の調べを聞くたびに、モンゴルの草原を想い、また留学生との出会いの妙をかみしめています。
さきほどから、頂いた年賀状へのお返し賀状を書いています。セーンジャーの賀状は「白い馬」の馬頭琴を高くかざした写真、王子さまの笑み。渡部幹雄さんからも賀状が届き、ひと安心しました。しかし年末に「辞表を提出しましたが受理されず、年越しとなりました。」とのこと。
▼セーンジャー・コンサート(すみだトリフォニーホール、20080110)
2356号【2010年1月4日】
■<「日本と朝鮮半島2000年」>
テレビの正月番組、いつも失望することが多いものですが、今年の出色は、昨年放映されたETV特集(NHK)「日本と朝鮮半島2000」の特別アンコール放送。1日から3日の夜、これまでの9回分が一挙放送されました。深夜番組、毎回4時間半ぐらいの長丁場。お屠蘇で酔っていたり、年賀状を書きながらの視聴、大事なところは見落としたような・・。しかし通してみると、あらためて教えられるところが多く、正月の夜、思わぬ収穫でした。
昨晩(3日)は、倭寇(第7回「東シナ海の光と影・倭寇の実像をさぐる」)、そして壬辰倭乱(第8回「豊臣秀吉の朝鮮侵略」)の、つらい歴史のあと、「朝鮮通信使」(第9回)の和解、交隣、誼(よしみ)を通じる「通信」の相互努力の歴史に救われる思いでした。隣国同志で260年もの間、諍いなく、平和で文化的な関係を維持してきた歩みは貴重です。
そして次回は、明治の日本と朝鮮半島(第10回、1月31日夜放送)とのこと。どんな描き方になるのか。司馬史観に基づく「坂の上の雲」放映が気になったあとだけに、忘れずに見たいと思っています。
ところで、昨年暮れの「南の風」第2347号(名護市長選応援)ススム頑張れ!カンパ呼びかけ、に応えて各地からの対応、有り難うございます。1月10日(新年会)を目途に一応の集約をしたいと考えています。どうぞよろしくお願いします。
いま遅ればせの年賀状書きで、沖縄各地の友人たちに名護市長選のこと、ススム支援のお願いメッセージを出しているところ。
2355号【2010年1月2日】
■<年越しの夜の硯>
新しい年となりました。皆さま、お元気に正月をお迎えのことと思います。海を越え、各地からの新春お祝いメール(上掲)、有り難うございました。本年も「南の風」どうぞよろしくお願いします。
年越しの夜、孫たちと過ごしました。上の孫が「お習字」に関心をもち、思いもかけず、秘蔵の硯を久しぶりに出して、墨をすり、筆でいろんな字や絵を(遊びながら)書くことになりました。下の孫も加わって、ちょっとした寺子屋の雰囲気。書き納めというか、書き初めというか、いい年越しでした。
私の書斎(畳の部屋です)には硯が幾つかあります。それぞれ思い出のストーリーがくっついていて大事にしています。といっても、当の本人は“文人”にあらず、残念ならが書をたしなみません。日常的に筆を使う生活も消えてしまいました。少年時代には家の茶の間の一隅に「筆箱」があり、暮らしの中に墨・硯が生きていたのに…。
幼い童とてあなどってはならじ・・・と、15年ほど前に広州で入手した端渓(老坑)の硯に水滴をたらし、やはり広州の友人から頂いた墨を使いました。この名硯は、広州行きに同行していた、文房四宝に詳しい末本誠さんが推奨し、挑発?されて購ったもの。墨池のまわりに微透明感の石眼が五つ。そこに亀を配し、まわりに蓮や田螺を彫った石彩。かなりの重量感。誰かに見せたいけれど、その機会なく、孫たちが犠牲になったような…。それでも童子なりの驚きを発してくれました。
2010年
2354号【2009年12月30日】
■<引き続き来年もまた・・・>
「南の風」はいつも年の瀬ぎりぎりまで仕事します。最終・発行日は毎年暮れの30日か31日。年内いただいたメールを、年を越さないように配信したいだけの思い。今年もようやく最終便です。
昨年の最終号(12月30日)は第2148号でした。この1年、数えて206通を発行した勘定になります。隔日のリズム、ときに連日発行も少なくありませんでした。お付き合いいただき有り難うございました。風はもっとゆっくり吹きたいところですが、今年はとくに「烟台の風」(伊藤長和さん)「レディング通信」(岩本陽児さん)から精力的な寄稿あり、活力をいただいた年となりました。
沖縄だけでなく、上海や韓国への旅、逆に上海・韓国からの訪日団。私たちのTOAFAEC
研究会も定例開催、そして年報「東アジア社会教育研究」発行を継続でき、その上、前号本欄に書いたように、新しく「東アジア研究交流委員会」発足。それぞれの活動が活発だとそれだけ「風」も賑やかです。ご参加の皆さん、TOAFAEC
事務局メンバー、ご苦労さまでした。
ときどき、こんな風・通信、なにか意味があんのか、迷惑メールになってんじゃないの、いい加減もうおしまいにしようよ、と思うときがあります。「悪魔のささやき」です。元気よく見える日常の暮らしのなかにウツがあるように・・・、風もナギを夢みるくせがあります。ただ今年は、忙しく毎日を追っかけて、悪魔も顔を出すゆとりがなかったようです。やれやれ・・・。
皆さんの忍耐づよりお付き合いのおかげです。今年のご愛顧を感謝し、来年も引き続き、よろしくお願いします。良い年をお迎えください。
2353号【2009年12月29日】
■<今年の大きな収穫>
年の暮れ、あれやこれやの物思い。寒天に襟を立て、冬風に吹かれながら、いろんなことを思いめぐらす季節でもあります。今年うまく出来なかったこと、こうすればよかったのに・・・と悔やまれること。他方で思いのほかの面白い動き、これまでにない出会い、などいろいろ。
今年を振り返って大きな収穫は、数年前からの韓国研究ネットに加えて、昨年末に発足した中国研究ネットの新しい胎動。たどたどしい歩みながら何より若い世代の(留学生の皆さんを含めての)活動が始まったこと。そして、この二つが横に結んで、東アジア研究交流ネットが誕生しました。そのきっかけは、TOAFAEC
研究年報第14号「東アジアの社会教育・生涯学習法制」座談会でした。忘れもしない5月8日の夜、研究会としては150回目の記念すべき定例会。
その翌日の午前に中国・研究会、午後に韓国・研究会が開かれました。半ば偶然、半ば重なりを求めての企画。その日の昼食会は当然のこと両者合同
(下掲写真)、その語らいの中から「東アジア研究交流委員会」はスタートしたのでした。この二日間、韓国からヤン・ビョンチャンさんがお見えいただいたことも大きな刺激に。これが機縁となって、12月に中国上海による日本・韓国のトライアングル交流も実現しました。
偶然と(東アジアネットを求める)必然、新しい集団と前からの蓄積、若い世代と若くない世代、海を越える友人の刺激、年報編集の作業、そんな要素がクロスして新しい胎動が生まれました。来年以降どんな歴史を刻んでいくことになるか、期待に心はずむ思い。
今年うまく進まなかったこと。数年かけて取り組んでいる2冊の本づくりが完成しなかったこと。今頃は力作が世に出ている予定でした。
◇ 振り返ることばかりして十二月(浅利清香、朝日俳壇12月28日)
▼中国研究グループと韓国研究グループの合同昼食会(溝の口、20090509)
2352号【2009年12月27日】
■<故郷は遠くに・・・>
年末、あわただしく日が過ぎていきます。英国・アメリカ東部などは豪雪のようですね。中国・烟台では5度目の雪とか。日本も北国や日本海側では雪がしっかり降っているらしい。「南の風」は雪の情報に疎いところがありますが、いま釧路・添田祥史さんから届いたメール(Sat,
26 Dec 2009 21:09)では、「…先ほどから大雪の模様。明日から帰省予定なのですが、飛行機が欠航にならないか心配です。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。」とのこと。
年の暮れ、かっては東京を離れる生活でした。故郷・福岡で正月を迎えるならわし。毎年12月末の今頃は油山で、本の整理や庭の掃除を始めていました。東京にかかえている仕事を、放り出すように棄てて、隠れ家にひそむ妙な快感がありました。
新春2日あたりに福岡周辺の友人たちと新年会、その足で沖縄に遊ぶスケジュール。これが楽しい。東京から来るゼミの学生と那覇で合流する場合もあり、約1週間の沖縄で元気をもらって、東京に帰るのは1月10日前後でした。昔、思い出深い「月刊社会教育」新年会(誰かと誰かの激しい論争など・・・)にも、その頃からほとんど出なくなりました。そして東京では、すぐに永福の新年会がやってくる。1年が楽しく始まり、それから苦しい1年を耐えていく、そんな流れでした。
しかし最近は小さな孫たちが船橋に住んでいて、大晦日から永福に年越しにやってきます。東京を離れられなくなりました。年末から正月へ、ゆっくりと東京の生活。だんだん故郷福岡が遠くなっていきます。
*皆さんからメール相次ぎ、年内に配信したいので、連日の風となります。ご容赦ください。遠藤さん「職
場報告」(2) は次号に掲載します。ご要望の岐南町「図書館宣言」は、添付ファイルを別送しますが、図
友連「宣言」は手元に活字版だけ、ホームページ
→■http://totomoren.com/ 等を探して下さい。見
つからなければご一報を。コピーを郵送します。
2351号【2009年12月26日】
■<あと数日、定めなき世の定めかな>
年の瀬(おそらく多忙のなか)皆さんより、なが〜いメールをいただいています。東京・渋谷区のスポーツ行政に異動した遠藤輝喜さんの職場報告。あまり長文だと「風」向きではない、かえって読んでくれないのだ、と添え書きして、いちど短縮作業をお願いしました。しかし戻ってきた第二信もあまり短くなっていない。後半は次号にまわすことにしました。それにしても、これだけの仕事をどんな職場体制でこなしているのだろう。
岐阜の益川浩一さんから「市民の図書館宣言」に関連して、(仮)岐南町図書館をよくする会の取り組みを送っていただきました。楽しく・誰もが・快適に・いつでも・・・利用できる図書館・資料館の創造−まちの「茶の間」を目指して、「出かける」「しかける」図書館へ−、というタイトル。運営方針(5点)にそって具体的な提案がたくさん、意気込みが伝わってきます。添付ファイルご希望の方はご一報ください。
英国レディングの岩本陽児さん「レディング通信」、いつも長文。特別のスペース(奥座敷)をHP内に用意して本文を収録し、冒頭部分のみ「風」に出すならわし。前に着信していた「レディングごみ事情・通信40」を載せる手はずでしたが、本号所収・通信(41)が、前号への事務連絡になっていますので、掲載順序を逆にしました。通信(40)の寒波と豪雪の便りが(次号おくり)タイミングを逸することになり、申しわけなし。
今年もあと5日。「大晦日 定めなき世の 定め哉」(西鶴)。
*南の風・日誌・2301〜2350号■