【南の風2009】2301号〜2350号・目次一覧

2301号【 9月27日】祝!2300号、中国生涯学習フォーラムの開催、福井市の公民館、合評会の参加少なく
2302号【 9月29日】第155回9月定例研究会報告、烟台の風34、竹富・世乞い唄、沖縄の島々祭りの季節
2303号【 9月30日】韓国住民自治センター、鹿嶋報告、釧路「くるかい」、名護ムラ祭り、第14号の反響は
2304号【10月 2日】沖縄の児童相談所、旧産炭地・筑豊の研究、烟台の風35、台湾における下村湖人
2305号【10月 4日】TOAFAEC 第156回(10月定例)研究会、岡山より、杉並原水禁運動、中秋のお月さま
2306号【10月 7日】「公民館パンフ英語版、レディング通信26、芝居小屋再生の舞台裏、リセットの季節
2307号【10月 8日】竹富島より、福井より福岡へ、上海の韓国訪問日程案、東アジア交流の動き
2308号【10月12日】韓国平生学習フェスティバル、福井より、辺野古座り込み2000日、韓国より帰国
2309号【10月14日】鶴ヶ島より佐賀へ、選挙と市民団体、安井研の日程変更、平生学習フェスティバル
2310号【10月15日】名護市長選(1月)ススム奮闘中、ソウル写真、烟台の風36、東京学芸大学60周年
2311号【10月17日】東アジア留学生交流会の発足、核兵器廃絶へ、日中韓を結ぶトライアングル・ブリッジ
2312号【10月19日】第50回全国集会(2010年)、奄美教育基本法、レディング通信27、琉球舞踊特選会
2313号【10月21日】福岡・社会教育研究会の活動、レディング通信28、風の継続を、那覇の夜
2314号【10月22日】記事訂正とお詫び、平生教育振興院ニュースレター、烟台の風37、沖縄研究はいまも
2315号【10月25日】韓国平生教育振興院ニュースレター(2)、福井、福岡、横浜、竹富島のホタル
2316号【10月26日】希望の風便り、岡田外相発言・海鳴りの島から、華東師範大学歓迎・駒形どぜう屋で
2317号【10月28日】第8回中国生涯学習フォーラム、レディング通信30、烟台の風38、大里字誌
2318号【10月29日】韓国実践資料、上海訪韓団の通訳、烟台の風39、レディング29、156回研究会の変更
2319号【10月31日】平生教育実践協議会パンフ、烟台の風40、57回安井資料研究会、石倉メール追想
2320号【11月 2日】夜間中学の動き、平生学習マウルづくり事業、中国の住民自治組織、ホームページ
2321号【11月 3日】石倉祐志さんを偲ぶ会、韓国平生教育の展開、烟台の風41、中国フォーラム
2322号【11月 5日】上海からお礼、七年目「えんぴつの会」、烟台の風42、12月・上海訪問団日程
2323号【11月 7日】韓国の“班常会”について、石倉祐志さんを偲ぶ会、あの笑顔、隠れ家の庭から
2324号【11月10日】日本語読み書き教室(大田区)、多文化共生研修会ご案内、沖縄2万人集会、北九州へ
2325号【11月11日】韓国より上海訪問団日程、上海より、台湾、レディング31、東アジア・トライアングル
2326号【11月13日】社会教育実践的大学づくり、愛知川より、烟台の風43、上海訪日団の東京滞在日程
2327号【11月15日】11月安井研究会、ベルギーの反核運動、烟台の風44、「廃校」にはじける地域力
2328号【11月17日】町田市の緊急学習会、烟台の風45、普天間の移設問題、八重山・平久保の回想
2329号【11月18日】沖縄・竹富島だより、レディングお寿司事情、上海の韓国訪問、上海(呉)メール
2330号【11月20日】上海訪日団を迎える、訪問団名簿、歓迎会など、名護市長選・候補一本化
2331号【11月21日】名護市長選−稲嶺ススム、沖縄訪問、歓迎会へ、安井資料研究会、稲嶺進さん
2332号【11月23日】石倉祐志さん偲ぶ会、社会教育指導員募集、烟台の風46、青年団熱演、やっと1年
2333号【11月25日】上海訪日団歓迎会、許さん歓迎、烟台の風46A、関係づくり、飛び交うメール
2334号【11月26日】東アジア留学生支援を、小倉より、烟台の風47、集落を守る、上海からの学習考察団
2335号【11月28日】上海訪日団スケジュール、ソウル、高知、外国人選挙権、石倉祐志さんを偲ぶ会
2336号【11月30日】国立の公民館見学と交流、石倉さんを偲ぶ会、共同店の動き、三多摩の公民館へ
2337号【12月 2日】石倉さんを偲ぶ会の報告、烟台の風48、川崎より、日本・韓国をめぐる旅の始まり
2338号【12月 3日】第158回研究会・忘年会案内、レディング通信(34)、烟台の風(49)、一路平安を祈る!
2339号【12月 6日】烟台の風−慶祝50号、上海訪日団歓迎会、東京・川崎より、高崎(公民館学会)の夜
2340号【12月 8日】上海訪問団・韓国に到着、烟台の風51号@、広がる「公民館人」、高崎線の夕日
2341号【12月 9日】筑波大学へ、NAHAマラソン、レディング通信35、上海歓迎会、研究年報バックナンバー
2342号【12月11日】韓国に上海訪問団を迎えて、烟台の風51A、台湾・宜蘭に吹く風、アラカン集合!
2343号【12月12日】上海・帰国ご挨拶、レディング1通信36、南京事件の証言と映画、「カティンの森」
2344号【12月14日】1月新年会の日程など、レディング通信37、やえやま映画祭、忘年会・新年会の季節
2345号【12月16日】新年会2010ご案内、烟台の風52@、レディング38・リーチ評、年の暮れ・一つのゴール
2346号【12月18日】政権交代で教育は? 北九州より、レディング通信38、烟台52A、市民の図書館宣言
2347号【12月20日】新名護市長誕生を祈って、エコライフ調査、公民館像を、稲嶺ススム頑張れ!
2348号【12月21日】カイロより新年会参加、外国人子どもの教育条件請願、レディング39、アラカン祝う会
2349号【12月23日】第158回研究会報告、アーデルさん、地域経済の活性化、ピラミッドの写真・回想
2350号【12月25日】イスラエル・ゴラン高原にて、カイロより、烟台の風53、研究年報、市民の公民館宣言


                      
【南の風2009】発行リスト・2301号〜2350号
各号後記(ぶんじん日誌)



*南の風・日誌・2251〜2300号■


*南の風2351号以降〜■次ぺ―ジ


南の風・各号後記(ぶんじん日誌)


2350号【2009年12月25日】
■<市民の公民館宣言>

 忘れていました。4号前の本欄で「市民の図書館宣言」を紹介し、おしまいに「つづく」と書いたまま、名護市長選・稲嶺ススム頑張れ!記事や、カイロ「ピラミッドの写真」の話題など相次ぎ、続きの一文を失念していました。
 「市民の公民館宣言」について書きたかったのです。社会教育・公民館について、歴史的に記憶されるテーゼ・宣言がいくつもあります。枚方テーゼ、公民館三階建論、下伊那テーゼ、あるいは東京「新しい公民館像をめざして」(三多摩テーゼ)など。しかし、市民による公民館宣言とでもいうべき作業は、まだ未発なのではないかと思うのです。
 これら「テーゼ」の書き手はいずれも市民ではないし、市民の参加もない。また内容的にみても、市民にとっての公民館「宣言」の志向をもっていない。行政として公民館をどう整備していくか、公民館主事の役割はなにか、という流れです。三多摩テーゼの批判的検討として「住民自治をすすめる」視点の欠落が指摘されていることなど、その証左でしょう。(当時の茅ヶ崎の公民館をつくる会、町田市公民館運営審議会など、小林「三多摩テーゼ20年」三多摩社会教育の歩み研究7、1994)
 むしろ自治公民館や沖縄の字公民館の取り組みのなかに、市民による公民館宣言や「住民憲章」への胎動がみられるように思います。その試みこは住民自治の思想があざやかに息づいている。たとえば、本土リゾート資本の攻勢に抗して、「売らない、汚さない、乱さない、壊さない、生かす」理念を宣言した「竹富島憲章」は、竹富公民館によって策定された住民憲章(1986年)そのものです。
*予告:岩本陽児さん・レディング通信40、遠藤輝喜さん・渋谷のスポーツ行政レポート(すでに数日の滞
 留)は順次掲載予定。ご了承を。

2349号【2009年12月23日】
■<ピラミッドの写真>
 「南の風」前号に添付したアーデルさん撮影のピラミッド遠望。皆さんのお手元に届いたとみえて、思いのほかの反響。実は写真の容量がかなり重く、少しトリミング、周りを削ってお届けしたのでした。怪我の功名とはこのことか、伊藤長和さんからお褒めの言葉をいただきました。あらためてアーデルさんに感謝。
 ホームページ表紙には、この1ヶ月、東京杉並・善福寺川沿いの紅葉の写真を掲げてきました。いつもの散歩道、静かなベンチ、とっておきの1枚のつもり。しかし季節は秋から冬に移り、年末でもあり、次の写真を考えていたところの「ピラミッド遠望」。早速、写真を差し替えました。ご覧ください。
 一見ややコントラストが弱い一枚ですが、ゆっくり見ると、味わい深いものがあります。はるかなる歴史と現代、ナイルの流れとカイロのざわめき(が聞こえるよう)、ここに旅した想い出のかずかず。
 写真のはるか向こうは乾いた砂漠。手前のとうとうたるナイルの下流(おそらく写真の左方)は肥沃な農地、水も豊富。その中にアーデルさんの故郷もありました。集落に診療所や公民館的な施設(CLC)が造られていましたが、アーデルさんの役割は大きく、彼を取り囲む子どもの群れ、人々の表情には村の英雄を迎えるかのよう。生家にご親族も集まって、盛大な歓迎の宴を催していただいた想い出。
 あれから10年が経過しています。集落はその後どのように展開しているか、1月の新年会で聞いてみたいもの。

2348号【2009年12月21日】
■<「アラカン」祝う会、カイロからの写真>
 12月20日夜は今年締めくくりの(TOAFAEC 第158 回)研究会・忘年会、末本誠さん(神戸大学)をはじめとする「アラカン」祝いの会でした。研究会として末本さんの話を聞くのは、もしかすると初めてかも。いい話でした。寒い冬の夜ながら、暖かいひととき。
 休日にイースト・ビレッジのマスター夫妻は特別に店を開けてくれました。その好意に報いるため?末本さんの話が始まる前からビールを注文し、ワインも飲みはじめました。こういうお酒はことさらに美味しい。いい日曜日となりました。
 カメラには30枚近い写真が入っていましたが、真面目に話を聞いている場面はみなうつむいていて、あまり面白くない。あとは飲んだり歌ったりしている映像ばかり。やはりこの機会に記念の集合写真を撮るべきでした。まずは「アラカン」3人が楽しく語らっている場面を掲載しておくことにします。
 帰ってパソコンを開いてみると、久しぶりにエジプトのアーデルさん(カイロ大学)からのメール・写真が着信。新春1月10日の新年会に合わせて来日するとのこと。アーデルは、新年会をぶんじん自宅で開いていた頃(1990年代)からの常連メンバー。いつも一人で来たことはなく、毎年違った「友達」を連れての参加でした。来年も誰かを誘ってくるらしい。どんな友人が登場するのか、楽しみです。
 アーデル家から遠望したナイル・カイロ・ピラミッドの写真。南の風はこれまで写真・ファイルを添付しない原則でしたが、せっかくの「ビラミッドの力を、太陽の光線を通じてカイロから送ります」のメッセージなので、一緒に送ってみます。未着「風」のことも気にしながら。
イーストビレッジ(091220)

左・末本誠さん(091220)


2347号【2009年12月20日】
■<名護市長候補・稲嶺ススム頑張れ!>
 前号の続きとして、「市民の公民館宣言」や、公民館による「住民憲章」について書くつもりでしたが、TOAFAEC の12月研究会・忘年会(12月20日)を前に、1月・名護市長選挙に向けて「稲嶺進さんを応援する会」のチラシが届きました(上掲)。本欄でも「ススム頑張れ!」の応援アピールを書くことにします。
 稲嶺進さんは、本欄(2331号など)でなんどか紹介したように、私たちの30年来の友人。1980年代の社会教育主事時代からの出会い、名護市収入役や教育長を歴任、その誠実な人柄や正義感は多くの人が知るところです。普天間基地の辺野古移設反対、基地は要らない!の声をうけて、市民党的な立場からの市長候補予定者として奮闘中。
 お願いは当面二つです。一つは、友人・知人・縁者の皆さんに呼びかけ、やんばる・名護市の有権者に“稲嶺ススム”支持を訴えていただきたいこと。いまちょうど年賀状の季節でもありますので。
 あと一つは、一口500円のカンパをお願いしたいこと。ボーナスの季節ながら、不景気の年末、ご無理のないところでご芳志をお寄せいただきたい。もちろん一口でも多い方が有り難いのですが・・・。振込み口座は、郵便振替:00130−4−352936 加入者名:TOAFAEC。まとめて一覧にし、1月12日に名護で開かれる総決起集会に届けたいと思っています。
 普天間基地問題の記事は少なくありませんが、最近は名護市長選へ注目が集まっています。「週刊金曜日」最新号(12月18日号)の名護レポートは稲嶺進さんのことも。同号の、NHKドラマ「坂の上の雲」の歴史観をどう読むかの特集とともに、興味深く読みました。

2346号【2009年12月18日】
■<市民の図書館宣言>
 先日の図書館問題研究会<図問研>群馬支部が開いた集会(風2340号本欄)の話の続き。数日経って、図問研委員長の中沢孝之さんから「私たちの図書館宣言」が送られてきました。「図書館友の会全国連絡会」による、図書館に関するいわば市民宣言(2009年5月)です。
 前文「図書館は人類の叡智の宝庫です。安らぎと交流の場として、情報発信の場として、私たちの自立と地域社会の発展になくてはならない施設です」に続いて、「図書館のあるべき姿」7項目が提示され、結びとして、「私たちは、この実現のために、図書館を支え、守り、すべての人と手をつなぎ、図書館とともに成長することを宣言します」と。
 図友連(とともれん)は、2003年から始動し、「公立図書館の充実と発展」をめざして(会則:目的)活動を進めてきた全国規模の市民ネット。ホームページもあります。→■ http://totomoren.com/
 私は迂闊にも「私たちの図書館宣言」を知りませんでした。集会当日の講演で、社会教育や図書館の世界で、これまで注目すべきテーゼやレポートが世に出されてきたが、専門的団体・職員集団や研究者の作業によるもの、それと並んで、これから市民による運動的な「宣言」「憲章」づくりが必要ではないか、と話したのでした。質疑応答のなかで直ちに図友連「宣言」のことが紹介され、後日、わざわざ、本文を送っていただいたという経過でした。わが無知を恥じたひととき。(つづく)
 南の風・前号(2345号)が届いていないとの連絡あり(今のところは1通)。最近は順調に着信しているものと安心していましたので、少々がっかり。なぜ一部の方に届かないのか原因究明ができないまま、まずは個別に対応(再送)しますので、未着の方はご一報をお願いします。

2345号【2009年12月16日】
■<年の暮、一つのゴール>
 この一両日、東京はめっきり寒くなりました。今年もあと2週間、早いものです。年の瀬を忙しといひつ遊ぶなり(星野立子)、捨てきれぬものに囲まれ年の暮(松原純子)、など思いいろいろ。
 「風」は、本号で「2345」を数えました。5年ほど前に1234号がありましたが、3456号はありえませんから・・・たまたまの数字の並びとはいえ、今年のひそかな目標にしてきました。年の瀬のゴールインです。
 その心を見すかすように、さきほど岩本陽児さん(在英)から、「めでたし2345号!小林先生、いつもありがとうございます。」とメール来信。気にかけていただき感謝!
 今年の風は、とりわけ元気に吹くことができました。そろそろ失速していいはずなのに、1年で200号あまりの風。なかには煩わしい迷惑メールとなっている場合もあるだろう、しかし、きっとお許しいただけるだろう、と臆せずに配信した1年。お付き合いいただき、有り難うございます。
 とくに中国・烟台の伊藤長和さんと英国・レディングの岩本陽児さん、お二人の競うような寄稿に背を押されてきました。本号(目次・上掲)がそのいい証拠。思いもかけず、東亜と欧州の風に吹かれてきた年となりました。実はいまも1本ずつの未掲載メールを抱えています。
 お二人に遠慮ご無用!各地・皆様からの風をお待ちしています。最近、新しく参加された方で、もし来年の配信もご希望であれば、軽めの自己紹介風メールをお寄せください。

2344号【2009年12月14日】
■<忘年会・新年会の季節>
 忘年会・望年会の季節となりました。韓国生涯学習研究フォーラムと同じ日(12月19日)に、人形劇「麦笛」大忘年会の案内、重なって困っています。その翌日は、TOAFAEC 今年最後の研究会(忘年会)。
 法事など日頃あまり大事にしていない親戚づきあいも、やはり年内に済ませよう…など、何かと気忙しい年末です。下旬に名護行き(名護市長選・稲嶺ススムさん陣中見舞い)の予定でしたが、日程を確定できないまま、いろいろスケジュール混濁?して、無理のよう。
 ススム応援で奮闘中の島袋正敏さんに確かめてみると、来年1月12日が、総決起集会(名護市)とのこと、これに参加しようかと思っています。稲嶺ススムさん応援については、あらためて「風」にも掲載して、皆さんのご協力をお願いするつもりです。
 この数日、来年の新年会の問い合わせが始まりました。TOAFAEC の恒例新年会は、1月10日の予定(追って詳細案内)。ご予定下さい。
 和光大学で担当した最終・旧プロゼミ学生から新年会の提案が舞い込みました。「…みんなで集まって飲みたいね、という話から、プロゼミの新年会を企画しています」と。ちょうど半世紀の年の差、孫ほどの若者たちが声をかけてくれるのは嬉しいことです。
 この学生たちは、2001年の沖縄ゼミ旅行で名護を訪問したことがあります。当時、名護市中央図書館長の正敏さんが迎えてくれて、歓迎のビールをみんなでご馳走になった思い出。その席に稲嶺進さん(当時はたしか名護市収入役)も。あの日の写真をさがしだして、あらためてゼミメンバーに送付し、名護市長選についてアピールしておきました。
和光大学・旧小林プロゼミの名護訪問、後列左端・稲嶺進氏、前列中央・島袋正敏氏(20011003)


2343号【2009年12月12日】
■<映画「カティンの森」>
 予定の時間(10日午後)がポッカリ空いて、早く観たいと思っていた「カティンの森」上映中の神田・岩波ホールへ。80歳をこえたアンジェイ・ワイダ監督が追い続けた執念の作品。ワイダ監督の父もポーランド将校としてソ連軍に拘束・虐殺され、夫の帰還の望みが失われていくなかで母親も亡くなったそうです。映画冒頭の字幕に、「両親に捧げる、アンジェイ・ワイダ」と。
 ワイダ監督は、デビュー間もない1950年代半ばに事件の真相を知り、自ら映画化を熱望していましたが、冷戦下でタブーとされていたこの事件は、描くことはもとより語ることすら叶わず…。 しかし冷戦の崩壊とともに、少しずつ真実が公にされ始め、事件から70年近くの歳月がたって、ついに積年の思いのこもった映画が完成したのです。(岩波ホール「エキプ・ド・シネマ」174)
 カティン(ロシヤ領、スモレンスク近く)の森・悲劇の経過は次の通り。「…ポーランドは1939年9月1日ドイツに、17日ソ連に侵略された。そしてソ連の捕虜になった約15,000人のポーランド人将校が行方不明になる。当初はなぞとされていたが、1943年春、カティンで彼らの数千人の遺体が発見され、事件が明らかになった。ドイツはソ連の仕業としたが、ソ連は否定し、ドイツによる犯罪として糾弾した。
 戦後、ソ連の衛星国となったポーランドでは、カティンについて語ることは厳しく禁じられていたが、1989年秋、ポーランドの雑誌が、虐殺はソ連軍によるものであると、その証拠を掲載。翌1990年、ソ連政府は、内務人民委員部(後のKGB)による犯罪であることを認め、その2年後、ロシア・エリツィン大統領は、スターリンが直接署名した命令書によって行われたことを言明した。… 」(同上・パンフレット)
 映画・最後にカティンの森の虐殺場面。全編が凍りつくような2時間。終わってもそのまま街を歩けず、三省堂地下に立ち寄り、ヴァイチェン・ビアを飲んで、心を静めて、帰途につきました。

2342号【2009年12月11日】
■<アラカン集合!>
 1週間前の風2338号に、「…還暦を迎えられたTOAFAEC 代表・神戸大学教授の末本誠さん」のお話を聞く第158回研究会(忘年会を兼ねる)案内→■が掲載されましたが、お読みになりましたか?
 その終わりの一行に「末本さんと合わせて、還暦=団塊世代のお祝いの機会にもなればと思います。」(山口真理子さん)とありました。 
 今日、未明に届いた来年の新年会案内(案文)には、さらに「アラカン集合!」(江頭晃子さん)として当夜プログラムが再録されています。
 日時:2009年12月20日16:00〜 第T部:末本誠さんの話「東京・神戸 それからのわたし」、
               17:30〜20:30 第U部:還暦お祝い会・忘年会。
 会場:イーストビレッジ(杉並) 03-5346-2077、参加費:実費。
 団塊の世代は、教員の道を歩いた人たちはいま退職を迎える時代となりました。忘年に望年の思いを重ねて、冬の一夜、お互いの奮闘を祝い、これからの歩みに向けて杯をあげたいものです。
 平林正夫さん(国立市)から来たメール。当夜「しめ縄飾り作り」という事業が入っていて、夜も先約があり「残念ながら出席できません」とのこと。前本多美子さん(竹富島→杉並)からは、「4時は残念ながらちょっと無理なので、6時前くらいから石津淑さんと二人で参加しようと思っています。」などのご返事。
 会場はそう広くありませんが、まわりの「アラカン」各位をお誘いあわせの上、皆様お出かけください。

2341号【2009年12月9日】
■<TOAFAEC年報『東アジア社会教育研究』>
 今年の研究年報・第14号が刊行されてすでに3ヶ月近く。静かな評価が拡がっているように思われます。中国関係者(編集委員、執筆者)への配布が遅れていましたが、烟台の張林新さんを通して、お手元に届いたことと思います。先日、上海訪問団の呉遵民さんより「まだ入手していません」の声あり、東京で念のため2冊を手渡したことは既報の通り。
 このほど『東アジア』バックナンバー(欠号の創刊号をのぞく13冊)の注文がきたそうです。会計・山口真理子さんからのメール。
 「 … セット注文は今年度初めてなので、価格についてのご相談。2〜14号は合計20,300円(2〜11号:各1500円,12号:1700円,13〜14号:各1800円)になります。そこで、セット価格21,000円(送料込)としたいのですが、それでよろしいでしょうか? 送料700円というのは、多分東京だとぴったりの金額だと思います。遠くになれば、“お得”になりますね。」(Tue, 8 Dec 2009 22:57)
 この計算で結構ではないでしょうか。さきほどTOAFAEC ホームページ→■にも、この額で書き入れました。別意見あれば山口さんにご一報を!
 第14号については、すでに「風の部屋」在庫は残り少なくなりました。今後さらにバックナンバーへの期待は増えていくでしょうし、また然るべき図書館や研究室には常備していただくよう、TOAFAEC としてお願いする必要も感じています。年報印刷部数について、来年から少し増刷する必要がありましょう。そして早や12月、第15号の編集についても論議を始めるときが来たようですね。
TOAFAEC 研究年報・第14号(20090918)


2340号【2009年12月8日】
■<高崎線の夕日>
 日本公民館学会の群馬(高崎市)開催については、とくに副会長・植原孝行さん(同市南公民館)の並々ならぬ努力・執念がありました。その開催可能性について、なんどか語り合ったことを思い出します。埼玉・松本・川崎・千葉と続いての、公民館学会らしい研究大会の歩み。今回はとくに今まで知らなかった高崎をはじめとする群馬“公民館の群像”を垣間見る機会となりました。皆様お疲れさま! 有り難うございました。
 大会の翌日(7日)、図書館問題研究会<図問研>群馬支部主催による研究集会(図問研全国大会・第2回プレ集会)が開かれ、「生涯学習時代と図書館」をテーマに、1時間半ほど講演する機会をいただきました。図書館について話をするのは久しぶり。しかも聞き手は群馬の図書館を担う精鋭たち、受付には図問研委員長(中沢孝之さん)も。疲れは吹き飛んで?公共図書館について日頃考えていることを、あまり遠慮しないで語りました。皆さん熱心に聞いていただいた様子。この企画の仕掛け人は、ご存知、邑楽町・石原照盛さん(同図書館長)。
 帰路、新幹線には乗らず、湘南新宿ライン(快速)で東京へ。新井孝雄さん(君津市)に缶ビールを仕入れてもらって、オヤジ二人、車内で不作法に飲み続けながら社会教育の四方山話。西の山に沈む初冬の夕日が実に美しい。「高崎線の夕日」については、ある思い出があり(長くなるので書きませんが・・・)、いい旅の終わり。今年の大きなスケジュールも一段落して、ことさらに美味しいビールでした。高崎から渋谷まで2時間弱で到着。
植原孝行さん(学会初日・懇親会、091205)


2339号(2009年12月6日)
■<高崎(日本公民館学会)の夜>
 4日夜は渋谷・ロゴスキーにて、かって東京学芸大学・院に学んだ許酩欣さん(台北市教育局・督学)を囲む歓迎会でした。ご参加の皆様にはご苦労さまでした。この夜、ロゴスキーの当主が1週間前に急逝されたことを知りました。お元気に、いつも店に出ておられたのに、姿が見えないので訊いてみたところ亡くなったとのこと。ぶんじんより1歳だけ年長、ほぼ同じ世代の苦労人。ただ冥福を祈るのみ。
 5日夜、日本公民館学会(第8回研究大会)で群馬県高崎市に来ています。駅前のホテル、初冬の雨がしとしと降っていましたが、いまは上がっています。大会初日の懇親会から帰ったところ。
 毎年のことながら、この時期は公民館学会(初代)事務局長・奥田泰弘さんの命日と重なります。亡くなった人の話題が続いて、申し訳ありませんが、なぜか回想しきり・・・。
 賑やかな席なのに、あえて奥田さんのこと、学会を創設した頃の思い出話を語りました。大きな規模の学会がなんと味気ないことか、研究報告だけでなく、相互の交流と対話を大事にする小さな学会の面白さ、学会らしくない学会をつくろう、準備の過程で、よくそんな議論を繰り返したものでした。
 松本大学・白戸洋さんの話、久しぶり。いつも白戸節を聞かせてくれます。北九州・山下厚生さんや佐賀・上野景三さんの顔も。学会創設時からの常連です。
日本公民館学会・初日の懇親会(高崎、091205)
 写真撤収

2338号【2009年12月3日】
■<一路平安を祈る>
 上海訪日団は、11月30日到着〜12月2日の歓迎会まで3日間の慌ただしい日程を終わりました。3日にはすでに東京を離れ、関西へ向かう旅に入ったはず。好天だったのに、今日の東京はいま別れの雨が降っています。受け入れ、案内、歓迎会の準備運営に至るまで、東アジア交流委員会の皆さん、お疲れさまでした。上海一行も、充実した三日間に満足されたように見受けました。
 2日の川崎訪問では、とくに生田緑地(民家園・岡本美術館)の晩秋が見事!あふれんばかりの黄葉の下を歩いて、美術館のカフェで午後からビール(ぶんじんのみ)。
 夜の歓迎会は、呉遵民・上田孝典コンビによる司会で、賑やかに進行、何種類かの美酒を楽しみました。千野陽一さん(東京農工大学名誉教授)が乾杯の音頭をとり、牧野篤さん(東京大学)も現れて、若い留学生たちを含めると30名近くの参加。会場は、戦前からアジアの留学生たちが集った新宿・中村屋。
 これまで何度も上海からの訪問団を迎えましたが、今回は初めてのことがいくつかありました。一つは、上海(生涯学習・社区教育)の躍動が訪問先での熱心な論議となって現れたこと。案内役として時間の都合でこれを打ち切らなければならないつらさ。二つは、日本側に東アジア交流委員会が誕生し、歓迎・交流の実質的な機能を始めたこと。三つには、上海一行がこれから韓国を訪問するスケジュールを組んだこと。画期的なことです、韓国でも「平生教育」に情熱をもやす友人たちが待っています、こんなことを歓迎会(送別会)当夜の締めくくりの挨拶で申しあげました。
 海に架けるトライアングルの交流ブリッジ、初めての韓国訪問の旅の一路平安を祈ります。

川崎・生田緑地、岡本美術館への道
 中央・葉忠海(訪問団代表)、右・呉遵民(同秘書長)の両氏と(20091202)



2337号【2009年12月2日】
■<日本・韓国をめぐる旅の始まり>
 11月30日昼、予定(2335号)通り、上海12名の皆さんが来日されました。葉忠海、呉遵民の両氏と初来日の10名の方々。当日の夕食会は日本側の小林、黄丹青、石井山竜平、上田孝典の4名が加わって、盛り上がりました。これから日本・韓国をめぐる10日間の日程。順調に、実りある旅となることを祈って乾杯!
 第1日(12月1日)午前は東京都教育庁への表敬訪問。梶野光信さん(都社会教育主事)等にお世話になりました。午後は、前号にも書いたように、国分寺・国立の公民館訪問。上海の生涯学習・社区教育を担う精鋭たちが初めて日本の公民館に出会う貴重なひととき。
 これまで上海訪問の折、日本の公民館について講演する機会があったり、末本誠・呉遵民両氏との共編本で紹介したことがありますが、「公民館の実像に初めて触れることができた」(王震国・副団長)という感想を聞いたとき、ほんとに嬉しい思いがしました。公民館の厳しい状況のみが語られることが多い昨今、私たちも、半世紀にわたる三多摩公民館の蓄積をあらてめて実感する日にもなったのです。
 国分寺・本多公民館が市民に包まれている風景、その活気、多彩なサークル活動、図書館との併設など。国立公民館では、徳永功さん(元教育長)もお出でいただきました。黒板にキーワードを書きながら、運動的に創られた「くにたち公民館」の歩み、かっての上海工人文化宮にも触れて「公民館三階建て論」「三多摩テーゼ」についての熱い語り。この日、最後のプログラムは、平林正夫さんたちのNPO 活動「Cafeここたの」での交流会。平林さんに負担をかけました。井口さんに感謝!
 日本側の皆さん、お疲れさまでした。はるばる仙台から参加の留学生もいて、みごとな通訳、有り難うございました。
国立市公民館の歩みを語る徳永功さん、左は荒井敏行館長(国立公民館、091201)


12月1日、上海訪問団、国分寺市本多公民館を訪問(091201)


2336号【2009年11月30日】
■<国分寺と国立の公民館へ、12月1日>
 上海一行の東京・川崎訪問は実質わずか2日間。風・前号に掲載したように、12月1日は東京都庁(午前)と三多摩の公民館(午後)訪問の予定です。時間等の打ち合わせで、久しぶりに国分寺と国立の公民館に電話などしました。1960年代後半から1980年まで、国立に住み、当時の勤め先(東京学芸大学)は国分寺、毎日の生活と仕事の場として、二つの自治体にはずいぶんとお世話になってきました。懐かしい方々の声も聞き、そんなに歳月が経過したのかと驚きもしました。
 ですから、今回の両公民館訪問は案内役としても楽しみなのです。国立市公民館の井口啓太郎さんに、見学終了後の交流会の企画について相談したところ、早速、平林正夫さんにも話が伝わって、短い時間でも上海訪問団を囲む集いを開いていただくことになりました(上掲)。ご配慮、有り難うございました。
 かって国立公民館の創設に関わり、その発展に尽くされた徳永功さん(元・同市教育長)もお出でいただくそうです。国分寺の進藤文夫さん(元・公民館長等)にも連絡をとることにしましょう。
 最近の風では、2186号本欄に徳永功さんのことを書きました。三多摩の公民館三階建論、そして上海「地域文化センター・四階建て構想」の話題も。公民館三階建論は、当時の「上海工人文化宮」の施設論がヒントになったことは、知る人ぞ知るエピソード(徳永功「公民館活動の可能性と限界」1965年)。すでに半世紀近くが経過して、いま激動のなかで奮闘している上海関係者とどんな対話になるか、当日の楽しみです。ご関心おもちの方、国立公民館の見学(15:30〜)と交流会(17:15〜)にお出でになりませんか! 

2335号【2009年11月28日】
■<石倉祐志さんを偲ぶ会>
 晩秋の一夜、TOAFAECの第157回研究会として開かれた「石倉さんを偲ぶ会」(11月27日)。彼がとりもつ縁で、珍しい人、懐かしき友、研究会初参加の方も含めて、多彩な顔ぶれが集った一夜でした。それぞれの追悼・懐旧談はしみじみと心にしみるところがあり、飾られた遺影は、最後まで微笑んでいました。
 江頭晃子さん(お子さん発熱のため欠席)が、この夜のために間に合わせた遺稿・追悼集の1冊は50ページ。読み応えのある記録。伊藤長和さんが烟台から寄せた「石倉祐志君を悼む」詩も紹介されています。
 「君の笑顔に癒されて、君の笑顔に励まされ、君の笑顔で助けられ、
  君の笑顔に包まれて、君と共に生きてきた・・・」と。
 ぶんじんは、追悼にも書いたことですが、「…研究者は大学の中にだけいるのではない、むしろ実践・運動のフィールドにこそ研究者が育ってほしい、そんな話をした日」もあり、「自らも在野の研究を心に秘めた一時期があった」こと、しかし体調のこともあり、必ずしも志は実を結ばなかったことを惜しむ話をしました。
 集い、語り、飲みながら、よく歌いあった研究室。当時の仲間たちが久しぶりに顔を合わせたのですから、第2部・献杯の席はほとんど歌の会、石倉くんも喜んだことでしょう。八朔友二や旧応援団メンバーによる「ふるさときゃらばん」メロディ−、沖縄の歌。強要して「仰げば尊し」も歌ってもらった!
 会場「イーストビレッジ」は彼が見つけだした店です。マスターもそのことはよくご存知。研究会のあと、毎回ほとんど貸切のかたちで利用してきた歳月。時間の過ぎるのも忘れて会はいつまでも果てず。恒例の「百万本のバラ」熱唱(山口真理子)で、ようやく納得して別れた夜でした。
第2部・献杯会場:イーストビレッジにて(20091127)


2334号【2009年11月26日】
■<上海からの学習考察団>
 風・前号は、一部の方に重複送信があったようで、失礼しました。上海・歓迎会案内の日時(12月2日夜、申し込みは28日)が迫っていますので、少しでも早めにと、慣れない早朝に出したのが失敗のもと。手順が狂ったようです。内容は同じもの、どちらかをお棄てください。
 前号・本欄の続き。さきほど(26日未明)、上海訪問団の確定したスケジュール表が呉遵民さんより届きました。訪問団の正式名称は「上海終身教育与社区学習専家学者聯合学習考察団」。意味はお分かりですね。一行12名。11月30日 成田到着(MU523 12:50)、12月6日韓国へ、9日に上海へ帰国予定。東京での「学習考察」活動は、12月1〜2日の両日。
 風2330号にも報じたように、東京都庁への表敬訪問、国分寺と国立の公民館見学(1日)、川崎の市民館、民家園、岡本美術館の訪問(2日)が主なプログラムです。関心ある方はぜひご参加を(その際は一報ください)。また12月2日夜の歓迎会(風・前号)にもお出かけ下さい。上海の「生涯学習・社区教育」を担う主要なリーダーや研究者とのいい出会いになるでしょう。
 訪問団は初めての訪日・訪韓の方が大部分、そのためか観光の比重が多くなり、また日本滞在が1日多くなり、その分、韓国滞在の日数が少なくなっています。当初、濃密な計画で受け入れ準備をいただいたヤンビョンチャン先生はじめ韓国の皆様に申し訳ない思いです。

2333号【2009年11月25日】
■<上海訪日団歓迎、飛び交うメール>
 上海訪問団の来日まで、あと5日となりました。訪問団の名簿・日程については、風2330号(11月20日)に掲載した通り。参加メンバーは最終的に12名、ほとんどの方が初めての日本です。
 この間「風」に載せきれないメールが飛び交っています。皆さん、ご苦労さまです。数日前に届いた上海・呉遵民さんのメール。
 「… いろいろとご配慮、お世話、誠に有難うございます。いまは日本滞在のホテルや、名古屋、大阪、京都への移動バス、更に韓国国内に移動のための交通手段など、ある旅行社と相談中です。分かり次第に改めてご報告いたします。なお、12月3日から東京を離れ、名古屋、京都、大阪、最後は大阪より韓国へと計画しています。どうぞよろしくお願いいたします。…」(Fri, 20 Nov 2009 01:48)
 上海の皆さんの韓国訪問ももちろん初めて。その後の詳細についてはまだメールなく、おそらくビザ取得の手続きを経て、出発直前の準備に大童というところでしょうか。
 日本側では今年の6月、韓国・中国(台湾を含む)の研究交流を横に結ぶ「東アジア」委員会が発足しました。TOAFAEC だけでなく、新しい取り組みの登場。代表・石井山竜平さんや事務局長・上田孝典さんからも訪問団を迎える準備のメールが交錯中。これからの「東アジア」交流委員会の歩みが楽しみです。
 いまさき、高知の内田純一さんから、上海・歓迎会(新宿中村屋、12月2日18:30〜)に出席するとのメール(Wed, 25 Nov 2009 01:47)が舞い込みました。それぞれに多忙の身、あまり無理をしないでほしい。

2332号【2009年11月23日】
■<あれから、やっと1年>
 昨年11月、思いがけず喜寿の祝いをしていただいて、1年が経過しました。あの日のこと、あらためて御礼を申しあげます。その後、那覇の研究会の皆さんによる祝いの席もあり、記念の壺をいただきました。沖縄の「トゥシビー」=生年祝いは、とくに77歳を節目にする習わしはないのに…と恐縮しつつ、身の幸せを実感した1年。
 そして一昨日の誕生日(21日)には、孫たちから、それぞれのブーケで祝ってもらって、いま正月が来たような気分です。原稿も校正も上海歓迎の準備も、すべて忘れて・・・楽しんでいます。(なぜか「風」だけは書いている。)
 この1年、あらためて振り返ってみて、なが〜い1年でした。いろんなことがあって、ある充実感と重い疲労感。とくに『東アジア社会教育研究』第14号は、かなりの負担でした。法制座談会や上海調査報告や韓国訪問レポートや沖縄青年運動史聞き書き、そして突然の石倉追悼など。編集実務を担った事務局の負担には及びませんが・・・。あわせてその間に上海調査と2度の韓国訪問も重なって・・、もう1年が過ぎたのか、でなく、やっと1年が終わった、というのが本音です。少々、オーバーワークの78歳。
 今年は、アメリカでも日本でも、政権交代が相次いだ1年でもありました。冷戦体制が終わって20年。政治・軍事構造をそのまま持続させてなるものか!沖縄の基地問題も大きく脱皮する発想をもつべきだ、厚い壁を壊してきた欧州のように、東アジアでも見えざる壁を打ち砕く方向を模索してほしい、オバマも、ハトヤマも頑張れ! とひそかな期待をもった1年。

2331号【2009年11月21日】
■<稲嶺進さん>
 前号は少し急いで編集したため、一つ間違いがありました。李正連さんの所属、正しくは名古屋大学です。たいへん失礼しました。またその前に不要な一行が混入して申しわけありません。出したあと気づいても後の祭。いつも「風」を送信するときは、エイ!と気合いを入れて出しますが、気合いを入れすぎると、かえってミスがあるものです。
 さて前号の続き、名護市長選のこと、。
 市長候補・稲嶺進さん(前教育長)とはながいお付き合いです。初めて会ったのは、1982年の社会教育研究全国集会(富士見市)。名護から初めての参加。当時、ススムさんは社会教育主事でした。その翌年の三多摩・全国集会にも参加し、私たちの研究会に顔を見せて、切々と心にしみる「二見情話」を歌ってくれました。名護で毎年開かれる「二見情話大会」で優勝?したことも。美声とはこのことかと感嘆しました。
 その頃、東京学芸大学・小林ゼミは(みなお金を工面して)沖縄フィールドワークに出かける習わし。とくに往復旅費の負担が大きく、留学生の皆さんには「旅費だけ用意しなさい、沖縄に着いたら、あとは(酒代を含めて)ぶんじんが面倒みる!」という約束でした。飛行機が無理であれば船便で。たしか中国留学生・韓民は2泊3日の船の旅でした。
 名護の宿泊は、稲嶺進さんに「いちばん安い宿を!」とお願いし、朝食付き3千円弱の「ホテル」を紹介してもらって助かりました。そこが毎年の定宿に。エジプトの留学生・アーデルと同室で泊まった夜、彼がこう言ったことを憶えています。「カイロの安いホテルの方が、ここより上等です」と。それを確かめに、数年後のエジプト旅行が企画されたようなもの。
 稲嶺進さんとの想い出はつきません。HP に、こんな記事→■もあります。
○1990年1月20日−東京学芸大学研究室「名護直送“丸焼き豚”を賞味する会。島袋正敏、稲嶺進ほか持参、原昭夫氏参加、ア−デル逃げる」など。アーデルくんはイスラム教徒なのです。この冬の夜のあたたかな集い、参加者は小さな部屋に30名あまり。いつまでも忘れません。

古いアルバム。2002年名護全国集会・台風襲来により初日プログラム中止。対応策として、稲嶺(市収入
役)・小林共催の有志ヒージャー会。50人集まった。会が終わっての歓談。前列左より2人目・稲嶺進、
人目は上勢頭芳徳(竹富島)、4人目は玉那覇正幸(宜野湾)など各氏。 -名護の山羊屋、20020830夜-


2330号【2009年11月20日】
■<上海訪問団の歓迎>
 「東アジア交流委員会」MLを通して、皆さんから上海訪日団の歓迎や今後の研究交流の進め方を含めて、いろいろご意見の交換が始まり、嬉しいことです。有り難うございます。
 上海から訪問団名簿(上掲)が送られてきましたので、訪問予定先にも送付し、時間など細かな打ち合わせを詰めることにします。
 上海・呉遵民さんに、11月30日の到着便・宿泊予定ホテルを知らせていただくようお願いしていますが、まだ連絡がありません。
 とくに、私たちの歓迎会をどの日程で開くか、おそらく25名前後の会になると思いますので、日時だけでなく、会場設定を急ぐ必要があります。皆さんのご都合では、11月30日の案が有力ですが、なにしろ入国当日ですから、到着時間やホテルによっては、工夫を要しますね。
 スケジュールについては、当初の韓国行きの予定が12月5日から6日に変更とのこと。日本側の主要メンバーは日本公民館学会(群馬・高崎市)のため、その前日から東京を離れています。最終日の対応(5日に東京観光の希望が出るのではないか?)についても、検討をお願いしなければならないかも…。
 ところで、18日から19日にかけての新聞各紙は、来年1月予定の名護市長選について「辺野古反対派一本化」を報じています(上掲)。市長候補・稲嶺ススムさんへの期待が大きくふくらんでいます。名護ではすでに事務所も開設されたとのこと。12月に入ったら陣中見舞いに、もちろん1月24日市長選開票当日も、名護行きを計画したいと思っています。

2329号【2009年11月18日】
■<韓国・公州から上海へ>

 さきほど(17日夜)上海の呉遵民さん(華東師範大学)からメールが着信しました。東京への直接の返信ではなく、韓国・公州の肥後耕生さん宛のメール、同報で届きました。韓国→中国→日本のトライアングル・ネットワークが実質的に動き始めましたね。呉さん、そして、肥後さん、有り難う!感激しています。まず、肥後さんから呉遵民さんへのメール(17 Nov 2009 14:58)は、次のように始まっています。
 「呉遵民さま … 私は韓国・公州大学校の肥後耕生(ひごこうせい)と申します。『東アジア社会教育研究』等で、論文を拝読させていただいております。鹿児島大学の小林平造先生の下で指導を受け、現在、韓国・公州大学校に研究教授として在籍しております。12月の韓国訪問の件で、公州大学校教育学科のヤン ビョンチャン(梁炳贊)先生から依頼を受けまして、私が代わりにメールを送らせていただきます。…」
 これに対する上海側の返報が上掲・呉メール。読んでみると、上海の訪日団スケジュールは離日便に変更があるようです(5日昼→6日朝)。
 日本からも呉さんにお尋ね。11月30日の日本到着(成田or羽田)便は決まりましたか? 東京滞在のホテルについても決まり次第、お知らせ下さい。また確定した訪問者12名のお名前が分かれば、新しい名簿をご連絡下さい。
 日本側の中国生涯学習フォーラム(また東アジア交流委員会)の皆さんにお願い。歓迎夕食会の日程・会場について具体化しましょう。主要な関係者のご都合のいい夜で。案は到着の日か11月2日でしょうか。
 なお同じ時期に、台北・許銘欽さんが国立教育政策研究所・国際シンポジウム出席のため東京滞在予定です。12月4日18:30〜 渋谷・ロゴスキーで、ということになりました。もし上海・歓迎会とダブる場合は合同することを予定しています。千客万来!

2328号【2009年11月17日】
■<八重山・平久保の回想>
 風2316号本欄の続き。先日の竹富島の帰り、急に思い立って石垣島・平久保に寄りました(10月23日)。平久保は島の北端。ぶんじん歌碑に立ち寄ったという故石倉祐志さんの写真を思い出し、また久しぶりに平久保へのご無沙汰をお詫びしたい気持もありました。「浜遊」の米盛さん一家が驚いて迎えてくれました。
 はじめて平久保に行ったのは、ゼミ旅行(東京学芸大学)で竹富島・種子取祭から西表島へまわった年、1991年11月のこと。石垣に戻ってきて、渡慶次賢康さん(もと社会教育主事、当時・伊原間小中学校長)のご案内により、平久保の浜を訪れたのでした。米盛さん夫婦が舟を出し、入江に網をまわして、ボラなどかかって大漁お祝い。浜で刺身にし、平久保の方々が集まり、酒に歌も出て、忘れられない十三夜。大きなヤドカリがやってきて、一緒に遊んでくれました。このとき詠んだ拙歌が、思いがけなく平久保入り口(米盛家「浜遊」前)の歌碑に刻まれました。
 その翌日は那覇へ。たまたま11月21日ぶんじん60歳と重なり、「おきなわ社会教育研究会」の皆さんによる還暦の祝い(会場「あんつく」)。当時、台北から留学していた許銘欣さんも一緒。エピソードいろいろ。振り返ってみると、この年の11月はたいへん幸せでした。
 こんな回想を書き始めたのは、今朝(11月16日)の八重山毎日新聞が「平久保でイノシシ4頭仕留める」記事を載せていたからです。狩猟解禁の日、美味しそうな4頭の写真。「猟のあとは、…イノシシの肉を焼き肉やなべで楽しんだ」そうです。
左より島袋正敏、小林、内田純一、農中茂徳、米盛三千弘の各氏
  (歌碑建立1周年、撮影:渡慶次賢康氏、2004年9月22日)


2327号【2009年11月15日】
■<「廃校」にはじける地域力>
 昨年7月のTOAFAEC 定例研究会(第141回)で、大田区・おおもり「子ども交流センター」館長の上平泰博さんを招いて、地域がつくったNPO 児童館(公設民営)の話を聞いたことがあります→記録■。このほど、その設立経過や5年間の挑戦の記録が本になりました。上平さんから送っていただき(御礼!)有り難く拝受。たいへん面白い!
 『廃校に地域力がはじけるとき−“協働”が開花する地域NPO 子どもセンタ−』(竹内敏・上平泰博共編、萌文社、2009年10月刊)。出来たてほやほや。執筆者は編者を含めて13人、皆さんの労作です。廃校になった小学校を地域で活用して「地域立児童館」をオープンしてきた独自の歩み。前館長の竹内敏さんを含め職員の採用にあたっては、NPO 法人(つまり地域)が面接したそうです。「住民自治の発露」「地域自治の原点がここにあるという発見、驚き」(竹内敏)。
 地域から離れて動くNPO と、町会など地域組織が結び合うことが少ない現状。しかし「おおもり子どもセンター」では、町会長など地域関係者が、市民活動を地道にやっている人たちを理事に迎え、その先見性や行動力を借りている「成熟度が逆に光ります」(あとがき)と。
 大都市部の「廃校」を、住民の力で、子ども・若者だけでなく大人を含む活気ある交流の場として再生していこうとする物語。公民館がない東京に、子どもを軸とした新しい公民館が動き始めている、地域型 NPOの新しい可能性を考えさせてくれる記録、強い印象が残りました。

2326号【2009年11月13日】
■<上海の東京滞在日程>
 前号の続き。この間、上海側より「…日本へ行くビザを取れば、韓国へのビザはなくても2周間の滞在すること…」は認められますが、「念のためヤンビョンチャン先生から招聘状をいただくともっと安心ではないか…」(呉遵民さん)との連絡。早速、韓国側にお伝えし、上掲のように公州大学校師範大学教育学科長名の公文を出していただくことになりました。敏速に対応してくださり、有り難うございました。
 上海からの訪問団の準備が本格的に進み始めているようです。参加メンバーは最終的に12名とのこと。日本滞在中のスケジュールは、大阪行きなどの計画が浮上して、かなり変更となりました。12月3日にお願いしていた浦安市公民館・図書館の訪問については中止。経過を含めてご了承いただくメールを浦安市に差し上げたところです。
 というわけで上海訪問団の日程は次のようになります(ほぼ確定)。
11月30日:到着(便名・時間、また滞在ホテル等、まだ連絡なし)
12月 1日:東京都教育庁訪問、三多摩公民館(国分寺、国立)見学
12月 2日:川崎市訪問、多摩市民館、民家園、岡本美術館の見学
12月3〜4日:大阪など
12月5日:韓国へ KE2708便(羽田13:05→金浦15:25)予定
 かえって東京を案内する時間がなくなってしまいましたね。11月30日、到着時間にもよりますが、この日はまったくブランクですが・・・。上海訪問団の歓迎会は、到着日か12月2日の夜でしょうか。3日〜4日は両日とも無理と思われます。

2325号【2009年11月1日】
■<東アジア・トライアングル>
 本号は、韓国、中国上海、そして台湾からのメール、また英国レディング通信が、同じ「風」で一緒に吹くという豪勢な内容。個別の便りは、これまでにも掲載してきましたが、一本に重なるのは初めてのような…。本誌面を編集しながら、妙に感激しています。
 これに昨夜届いた中国烟台からの伊藤長和さんの風、国内では和歌山大学・山本健慈(学長)さんのメールあり。長くなりますので、次号に回しました。これも贅沢な気分。皆さんの「風」へのご愛顧に感謝!です。
 上海からの訪日(11月30日〜12月5日)、訪韓(12月5日〜12月9日)の日程は確定しましたが、滞在中のスケジュールについては、いま若干の修正をしながら準備が進んでいます。当初は、施設訪問・見学調査が中心の研修的内容でしたが、訪問団の大部分が初めての日本・韓国への旅、観光的部分を追加するプログラムに組み替え中。
 上海側は出国ビザ申請の手続きが必要で、旅行の具体的プランはこれから旅行社と相談するとのこと(上掲)。案内役の呉遵民さん、調整・連絡をどうぞよろしく。それにしても呉さんは忙しい。先週、日本から帰国したばかりなのに、今週末また大阪(数日滞在)、そして月末には再び東京へ。ご苦労さん!倒れないようご自愛の上、頑張ってください。
 日本側は小林と黄丹青さん、韓国側はヤンビョンチャンさんが窓口。東アジア・トライアングルの交流ブリッジをぜひ成功させましょう。日本・東アジア交流委員会の皆さん、上海訪日団の歓迎会をどの時点で開くことにするか、それぞれのご都合を調整して具体化しましょう。

2324号【2009年11月10日】
■<北九州へ−45年ぶりの邂逅>

 久しぶりに九州・小倉へ。「北九州社会教育・生涯学習研究会」の連続講座(第9回)にお招きいただきました(11月7日夜)。40年ほど前の「北九州社会教育研究会」や、1975〜76年「教育文化事業団」闘争の回想、旧八幡市公民館の日本公民館史への位置づけ、生涯学習をどう考えるか、これからの課題や展望など2時間近く語る機会をいただき、思いがけず我が青春を振り返るひとときにもなりました。
 「月刊社会教育」1978年10月号に、「わが友の死」と題する拙文があります。この年に急逝した故川崎隆夫(福岡県社会教育課長)への追悼文。彼と一緒に始めた「福岡県社会教育研究会」(1964年〜)、夜を徹して論じあった福岡県青年団の合宿研究集会などを想い起こしていました。当時の活動的な青年だった古川実さん(中間市町内連合会・事務局長)が会場に来ていたからでもありましょう。まったく同じ世代、ともに元気な姿を確かめあって手を握りました。45年ぶりの邂逅。
 講座が終わったあとの交流会にも30名近くの方が残り、賑やかな話が続きました。各地のこの種の研究会のなかで、いま最も活発に動いている研究会の一つではないでしょうか。日本公民館学会との関係でも大きな役割を果たされてきた山下厚生さんはじめ、“北九”にあらためて御礼を申しあげます。樋口知子さんの顔も。アキレス腱治療中なのに参加いただき、ご苦労さまでした。
 博多駅に帰り着いたのは夜11時過ぎか。昔を想い出して中洲の古い店へ。中州の雰囲気もすっかり変わり、そこで酔いがさめて、ようやく油山。
北九州社教研・懇親会おわる(西小倉、091107)


2323号【2009年11月7日】

■<隠れ家の庭から>
 いま福岡・油山です。せまい庭には白樺(3樹)が留守を守ってくれています。今年の緑もかなり黄葉。この季節には、また山蕗(つわぶき)が黄色の花をつけて、それぞれに可憐で個性的です。風もおだやか、不作法な篠竹を切り、枯れ枝落ち葉を集めて焚き火、しばし楽しみました。薩摩芋を投げ込みたいところでしたが、その用意なく、残念でした。ビールは仕入れておきました。
 風・前号の本欄に「上海訪問団の日程」を書きました。その後、上海・呉さんから、また韓国・ヤンさんから、関連メールが着信。日本滞在中のスケジュールは、私たちが考えている案から変更することになりそうです(到着・出発の予定日程は変わらず)。韓国側にもいろいろご心労を煩わせて、申しわけありません。 
 ところが、福岡にきてパソコンが変調。環境の変化にナーバスに反応しすぎか? 受信はできるのに、送信ができない。パソコン指南役に電話で指示してもらって設定をいじってみましたが、改善しません。急ぎのものを近くの知人宅で出したり、本号はサーバー・ソネットWEB MAILに直接乗り込んで、送信しています。うまく届いてくれることを祈って。
 この間、新しいパソコンに替えて、何人もの方から「風・未着!」のご指摘あり、もう、あまり原因を詮索することは諦めて、その都度、追送していますが、さて本号の成否は如何?
 窓をあけていると、白樺を吹き抜けて、いい風がパソコンに吹いてきます。初めて聞く鳥の声もあり。できればこの庭で過ごす時間を増やしたいと思いながら、思うに任せません。

2322号【2009年11月5日】
■<12月・上海訪日団の日程>
 上海の呉遵民さん(華東師範大学)からのメール、小生の韓国への同行要請(上掲)を拝見しました。中・韓・日の海を越えての国際交流を提案してきたものとして、ご期待にそえないことを申しわけなく思っています。心では一緒に韓国に渡りたい気持ちで一杯なのですが・・・。
 今回の上海訪問団の日程が、11月30日〜12月5日のスケジュールで提案されたとき、できるだけ上海側の意向を尊重して、計画を具体化していくことが大事だと考えました。実は今年度の日本公民館学会が12月5日〜6日、高崎市(群馬県)で開催予定です。筑波大学など同学会事務局メンバーは準備のため4日から東京を離れ開催地に入る予定。小生も5日には群馬へ向かう必要があります。しかし、上海訪日団の滞在スケジュールとは1日のみの重複、なんとか調整できます。
 韓国側では、ヤンビョンチャン先生が中心になられて、初めての上海訪問団の受け入れ準備が進んでいます。すでに5日の日本→韓国へのフライトも予約済みのこと。ぜひ予定のスケジュールで(歴史的な!)訪日・訪韓の旅を実現して下さい。
 昨日は終日、上海訪日団・東京滞在(5泊6日)中の訪問先など各方面の交渉。東京都教育庁表敬訪問、国分寺市・国立市・川崎市・浦安市など各自治体の社会教育・公民館の見学などお願いしました。どこでも快く受け入れていただきました。日本訪問初めての皆さん、ご希望などお知らせ頂ければ幸いです。東京のホテルは決まりましたか?

2321号【2009年11月3日】
■<中国生涯学習研究フオーラムの1年>
 11月2日の中国生涯学習研究フオーラム(第8回)は、黄丹青さんの新しい職場・目白大学(東京・新宿区)で開催されました。昨年12月に発足して丸1年経ったところ。参加者は秋田・仙台など各地に散らばっているのに・・・・数えて8回目の集い。この間に春は上海(社区教育)現地調査を成功させ、夏にそのレポートをまとめ「東アジア社会教育研究」第14号に掲載するなど、よく頑張ってきました。
 2時間あまりの研究会、お互いに遠慮のない議論、終わって近くの駅前で2次会、家に帰り着いた頃は、その日が終わりかけていました。皆さん、お疲れさまでした。次回は2年目の新しいサイクルですね。
 この日は研究会に先だって、黄研究室で2時間ほど上海訪日団(11月30日〜12月5日予定)招聘=ビザ申請に必要な文書づくりをしました。先方から訪問予定者(16名)名簿が来たのが数日前、時間的にあまり余裕がありません。黄さんがパソコンで手早く書類を打ち出し、小生は秘蔵のTOAFAEC 印鑑を押す作業。今日(3日)特急便で上海に送付する手筈。訪日予定者の多数は初めての日本だそうです。いい旅を用意したいもの。いよいよ受け入れの具体的な準備を始める必要があります。
 細かなスケジュールなど具体化したら、「風」に載せます。皆様のご協力どうぞよろしくお願いします。
 この9月、烟台から目白大学に留学した王麗さんと会いました。伊藤長和さんの教え子、元気です。ようやく東京の生活に慣れた表情でした。
第8回中国生涯学習研究フオーラム(目白大学、091102)


2320号【2009年11月2日】
■<住民自治の基礎組織>

 最近ホームページの更新は、最小限の作業にとどめています。目を大事にしようという気持もあり、いろいろ億劫にもなって、本欄(ぶ)日誌の書き入れと、写真を少々載せる以外には、新しいページを作る気力はほぼ喪失の感。TOAFAEC メンバーで誰か広報機能を担ってくれる人は(まだ!)いないのかなぁ、というボヤキも。それでも「風」発行に即して、2日おきの更新ですから、まぁ、お許しいただけるだろう、と自ら納得しているところ。
 韓国公州・肥後耕生さんから、平生教育実践協議会「平生学習マウルづくり」資料・日本語訳を送っていただきました(上掲)。それに背を押されるかたちで、今年の韓国との交流記録を含めて、さきほど久しぶりに新ページを一つ作りました。ご覧をください。
 ⇒■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/kankoku09ugoki.htm
 その作業を終えたところに、内田純一さんから『中国における住民組織の再編と自治への模索』の紹介メール(上掲)。そう言えば横浜・伊東秀明さんより、かねがね「韓国の“班常会”について入手可能な資料」を教えてほしい旨のメールを頂いていました。どなたかご教示いただけませんか。
 沖縄のシマ、字(あざ)、中国の居民委員会、韓国のマウル、班常会、日本各地の町内や自治会、そして自治(集落)公民館など、つまり住民自治組織・地域共同体の新しい可能性を考える視点が動いています。先日、東京で開かれた第50回記念社会教育全国集会・課題別分科会の構成案のなかに、このあたりの関心がほとんどないことが気になりました。

2319号(2009年10月31日)
■<石倉メールの追想>
 数日前、次のようなメールを頂きました。(Tue, 27 Oct 2009 22:04)
 「…11月27日の石倉祐志さんの追悼会ですが、石倉さんの書いた文章や、石倉さんに寄せられた追悼の言葉を集めて、印刷しておければと思います。先生のところに「石倉フォルダ」があるでしょうか? もしお持ちでしたら、お送りいただけますと助かります。江頭晃子」
 南の風・編集との関連もあり、この10年来、皆さんから頂いたメールは(風に載せない私信を含めて)原則すべて保存しています。石倉さんは小生にもっともたくさんメールを送ってきたグループの一人。なにをどう選び出すかが、むしろ難題です。
 昨夜(30日)の研究会のあと、イーストビレッジで江頭さんから「一時、南の風を石倉さんが編集していた頃がありますね。そのときの風を記録にしてはどうでしょう?」との提案も。そういえば、和光大学時代に2ヶ月ほどドイツへ“遊学”、日本を離れた留守の風・編集長は石倉さんでした。調べてみると、2000年7月から9月にかけて、36本の風が<いしくら> 編で残っています。その最後の風(553号)の編集後記。
 「…私の暮らす仙川のほとりに、薄黄色に輝く鳥たちが来ました。その名前も知らない鳥たちは北の方から来た渡り鳥かもしれません。曇りがちの空に、ツバメのような細い羽と長い尾をひるがえして飛びまわり、また群れ遊ぶ様にしばらく見とれたものでした。(い)」
 当時の「風」を読み返すうちに、石倉くんの顔が浮かんでは去り、研究会の酔いもさめてはまた深まり、秋の長い夜が過ぎていきました。

2318号【2009年10月29日】
■<10年ぶり・駒形どぜう屋>
 風・前々号でご案内したように、華東師範大学の訪日団一行(副学長など5教授)を歓迎して、東京「駒形どぜう」(1999年、当時の王建盤学長を迎えて以来、10年ぶりの会場)にて、28日・昼食会を催しました。引率役の呉遵民さん、相変わらずの賑やかさ。山口真理子さんや小林富美さんなどご出席いただき、有り難うございました。(写真・下掲)
 海を越えて大学間交流を求めての旅、長崎、福岡、神戸、横浜、千葉の各地をまわり、今日(29日)から韓国入りだそうです。短い時間に食事・歓談を楽しみ、12月初旬の上海成人教育関係者・訪日プログラムのことなど、事務的な打ち合わせはほとんど出来ませんでした。
障子側に華東師範大学一行、中央は庄副学長、その左は呉さん(東京、091028)


 <「東アジア社会教育研究」第14号>
 失敗一つ、「東アジア社会教育研究」第14号の手渡しができませんでした。「駒形どぜう屋」に向かう車中で、しまった!と忘れたことに気づきましたが、約束の時間に遅れ気味、諦めました。期待してきた呉さんに申しわけない。いま来日中の張林新さん(山東省・烟台)をなんとかつかまえて、昨年のように、中国各地に(北京・韓民さんを含めて)送ってもらう段取りを相談します。
 ついでに、第14号に関するご報告。先日訪沖の際、例年のように「おきなわ社会教育研究会」に3冊を渡しました。名城ふじ子さんに、とくに沖縄県立図書館に1冊入れてほしいとお願いしておきました。

 <第156 回研究会プログラム変更>
 ところで風・前号で、30日予定の第156 回研究会・ご案内(再掲)を載せましたが、さきほど報告者・斉藤真哉さん(板橋区教育委員会)から急なご連絡あり。叔母上(群馬)が急逝され、当夜お通夜と重なり出席できなくなったそうです。共同発表の佐治さんだけの報告・・・という案も出ましたが、お二人コンビの研究報告(学会発表)なので、来年1月定例研究会(2010年1月29日予定)プログラムとして延期することにしてはどうか、と提案しておきました。→事務局でご検討下さい。
 というわけで、急遽、第156 回研究会の内容を差し替える必要が出てきました。明日のこと、どなたか他の方にお願いするには急すぎる。やむなく次のように変更することにいたしましょう。事務局長に連絡がとれず、小生一存の案です。まさに、枯れ木も山の賑わい。
テーマ:韓国・平生教育の展開をどうみるか
   −第8回全国平生学習フェスティバル(10月8〜10日)に参加して
報告:小林 文人(TOAFAEC 顧問)
会場等の変更はなし。いまホームページにも事情を書き入れました。→■

2317号【2009年10月28日】
■<大作『大里字誌』>
 今回の沖縄訪問(沖縄県青年団運動史資料調査)の初日、生きのよい若者が元気よく「初めまして!」と挨拶してくれました。差し出された名刺には「沖縄県青年団協議会・第58代会長」、玉城徳智さん。その夜(10月20日)、一緒に楽しく飲み(写真、左端が会長)、翌日の戦後初期沖縄青年団運動女性リーダーの証言聞き取り作業(風2314号・本欄)にも参加してくれました。お疲れさま。
 玉城さんは、糸満市大里の出身。そして当日、見事な『大里字誌』を持参して頂きました。驚きました。並の本ではない、集落共同体の思いのこもった出版。大作とはまさにこのこと。B5版、1048頁、衣張り美装本、堅いケース入り、2009年9月の刊行、出来たてのほやほや。重い、重い1冊をいま開いています。圧倒される思いです。
 「大里」とは由緒ある地名。琉球王朝成立前の三山時代、南山王統は大里按司から始まり、尚巴志に滅ばされる(1429年)までの南山城は、現在の糸満市字大里(桃原)なのです。小さな集落史なのに、これほど古琉球、近世・近代の歴史にこだわった字誌はないのではないかと思うほど。
 「2002年12月に公民館主導で字誌編集委員会が再発足」(編集後記)して7年越しの取り組み、頭が下がります。拍手! あらためて大里の皆様に字誌発行のお祝いと御礼を申しあげます。
沖縄県青年団協議会(左端より会長・前会長)と資料調査チーム(那覇、20091020)


2316号【2009年10月26日】
■<駒形のどぜう屋で>
 前号からの続き。竹富島から那覇までの帰路は、前号紹介の「民藝」(675号、2009/3 竹富島特集号)を読みながらの旅。島から石垣の港に着いたとき、ふと思いついて、島バスに飛び乗り、平久保に行ってきました。7月末日に急逝した故石倉祐志さんが新婚旅行に平久保・ぶんじん歌碑を訪れた折(2月)の写真の、彼の笑顔を思い出したのです。
 石垣島の北端、平久保まで1時間半、伊原間から先の乗客はただ一人。人よりイノシシが多く棲むという平久保の山野は変わらず、いまは野生化したキジやクジャクが傍若無人とのこと。予告なしの訪問のため、主の米盛三千弘さんは不在でしたが、久しぶりに歌碑とも対面。まわりに花も咲いていて・・・、しばし佇み、石倉くんを偲んだひひととき。
 石垣市内にとって返し、台風前触れ・集中豪雨のなか「島そば一番地」へ。来島するたびに寄る新垣重雄さん自慢の味は一段と冴えていました。
 沖縄・八重山訪問レポートを続けたいところですが、急ぎのご連絡あり、中断をお許し下さい。いま上海・華東師範大学(副学長など)一行が日本各地を訪問中。今日あたり東京(横浜・千葉など)到着だそうです。呉遵民さんの連絡によれば、10月28日の昼は時間的に可能とのことですから、急遽、次のように歓迎昼食会を催すことにしました。10年前(1999年)に、王建盤学長(当時)来日の際に開いた昼食会と同じ会場「どぜう屋」です。約二百年余り続く江戸庶民のめし屋。もしご都合つく方はぜひご参加ください。
○と き:10月28日12時〜1時半 ○会費:3千円程度
 ところ:東京浅草「駒形どぜう」 住所:東京都台東区駒形1-7-12 TEL.03-3842-4001
 アクセス:東京メトロ銀座線 浅草駅 徒歩5分、都営地下鉄浅草線 浅草駅 徒歩2分 A-1出口
 →■http://www.dozeu.com/dozeu_fl/info/info.html
○ご参加希望の方は、前日27日夜まで小林あてご一報下さい。

2315号【2009年10月25日】
■<竹富島のホタル>
 風は順調に配信されているはず?と書いたところ(2313号本欄)、同号が未着!との連絡数通をいただき(上掲)、少々がっくり。思い切って一括再送、重複の皆さんには煩わしい思いをさせて申しわけありません。もし欠号ある場合は、ご面倒でもご一報を願います。
 台風20号の影響で、昨夜(23日)の石垣空港は強雨のため欠航3本、最終便でやっと那覇までたどりつきました。今日(24日)の東京へのフライトは、時おり揺れましたが、順調でした。この5日間、那覇、竹富、石垣の皆様に再会でき、歓迎していただき、有り難うございました。
 20日〜22日の沖縄青年団運動史・資料研究・証言蒐集については割愛し(誰か「風」に書いてくれる?)、八重山行きのレポートを少し…。
 22日午後、早めに沖縄県青年会館を失礼して、石垣便に飛び乗り最終の船で竹富島へ。6時には宿に着きました。上勢頭芳徳さん(喜宝院蒐集館長)、阿佐伊拓さん(NPOたきどぅん)と久しぶりの語らい。今年の竹富公民館の記録や全国竹富島文化協会の資料など頂きました。興味深し。
 お二人に別れた後、雨あがり、ひととき満天に星の輝き。闇に誘われて深更の集落をひとり歩きしました。聞こえるのはコノハズクらしい鳴き声やヤモリのささやきか。至福のひとときでした。
 ホタルが草むらや地面にちらちら光っている。数匹を手にすくって確かめると、姿は(丸くなく)あまり可愛いものでありませんが・・・。
 当夜、芳徳さんから頂いた『民芸』(第675号、2009年3月「竹富島のくらし」特集)に、外村吉之助氏(倉敷民芸館々長、竹富島の恩人)が初めて竹富に来島した日(1957年12月24日)の記録がありました。「…ちょうど婦人会の忘年会だったそうで … 会場までの道すがら、冬だというのに、蛍が宙を飛び、地を這っているのを見て“蛍が、蛍が”と驚かれたそうです」(上勢頭「外村先生来島五十年」)と。

2314号【2009年10月22日】
■<沖縄研究はいまも続いている>

 昨夜から今朝の那覇は雨。沖縄らしくなく、しとし降りでしたが、今、空が明るくなって、薄日がさし始めています。雨の音を聞き、また鳥の声など聞こえてくると、すこし回想気分になるものです。
 私たちの沖縄研究が始まって、30年余りが経過しました。沖縄のテーマと出会うことによって、研究室の共同研究には1本の骨格が形づくられてきたようです。それが、東アジアのテーマへの水路を拓くことにもつながりました。この「南の風」も、一時停止していた沖縄研究を再開しようとの呼びかけから始まったことはご承知の通り(1998年)。
 小さな歩みでも、積もれば大きなステップとなることを実感してきた歩み。この間、沖縄の調査・交流で通った回数数えきれず。同行のゼミ学生など、多くの若者たちが沖縄への関心を育んできました。
 沖縄研究の成果は、私たちの『沖縄社会教育史料』(全7巻、1977〜1988)や『民衆と社会教育』(1988)『おきなわの社会教育』(2002年)−いずれもエイデル研究所刊−、その他の論文等で発表してきましたが、どれも在庫少なく、そろそろ絶版に近い。嬉しいような悲しいような…。
 いま山城千秋さん(熊本大学)を中心に、新しい世代による沖縄研究がスタートしています。昨日は、戦後沖縄・青年団運動を担った群像シリーズのうち、はじめて女性活動家3人に集まっていただき、貴重な証言をお聞きしました。苦難の沖縄戦後史、「あのとき、私たちの青春はなかった、今が青春です」(伊狩典子さん、ラジオ沖縄方言ニュースキャスター、81歳、戦後初期・沖縄青年連合会<当時>副会長)などの言葉が印象的。
沖縄青年連合会副会長、左・諸田さん(初代)、右・伊狩さん(20091021)


2313号【2009年10月21日】
■<那覇の夜>
 風2300号到達の際の恒例・アドレス帳整理、今回は追われる仕事の最中、ごく小規模の作業にとどめました。それでも風・配信にいくつか混乱が生じたらしく、風・未着!の苦情などいただいて、慌てて再送。一部の方には、かえって煩わしい重複送信となる始末。失礼しました。
 いま当方としては、“そよ風”のように順調に吹いているはず、と安堵していますが、いかがでしょう? なにか不具合があれば、ご一報を。 
 19日夕に那覇に到着。当夜(第3月曜日)は「おきなわ社会教育研究会」定例日と承知しての沖縄入り。往事の精鋭?がお集まりでした。なかでも嬉しかったのは、平良研一さん(沖縄大学)が元気な顔を見せられたこと。5月にお会いした折り、体調やや不良で、その後2週間ほど入院もされたらしい。いささか心配していたのです。ご本人は自重してビールも控えられましたが、みんなで「よかった、よかった!」とお祝いの乾杯をしました。
 今回の訪沖は、沖縄青年団運動史の資料渉猟と整理、かっての活動家の聞き書き活動。山城千秋、野依智子、圓入智仁など、いま精鋭!の皆さんと合流予定です。また「風」で報告していただきましょう。
 22日には久しぶりに竹富島に行こうと思っています。喜宝院蒐集館・上勢頭芳徳さんのご都合はいかがでしょうか。久しぶりにお話ができればと楽しみにしています。今回は「ヴィラ竹富」に泊まる予定。最終の船で宿に着き次第、お電話します。
 残念ながら、名護には寄らず帰京することになりそうです。市長選の状況(稲嶺ススムさん出馬)はどうなのか気になりながら・・・。別の情報では、上地武昭さん(沖縄大学)が読谷村長選に名乗りをあげたらしい。驚きました。なにか新しい時代の幕開けを予感させるものあり。

2312号【2009年10月19日】
■<琉球舞踊と共同体文化>
 今年「琉球舞踊」が重要無形文化財に指定され、保存会員39名の師匠方が保持者に認定されました。それを記念して東京で催された琉球舞踊特選会(10月15日、国立小劇場)。一夜だけの公演、チケットはほとんど30分で完売、やっと入手した隅っこの座席券でした。
 中入りの時間に、2階のレストランでビールを楽しんでいたら、突然ものものしい雰囲気。黒衣装の警護の紳士たちが並び、何事ならん!と驚いていると、貴賓席に天皇・皇后の姿が・・・。そういえば、国立劇場は半蔵門からすぐ、夕食後のひととき、散歩がてら?琉球芸能鑑賞! とは粋なこと(警備は厳重でしたが…)。満座の観衆は総立ちで拍手。皇太子時代から沖縄へ抱く強い関心は、外間守善氏「回想八〇年」等に印象深く記されています。
 当日のパンフに大城立裕氏(作家)が「幼少のころの農村の原風景」を書いています。公民館の前に仮説舞台をつくって、首里王府から伝わった古典舞踊から那覇芝居の雑踊まで、ムラの人々は「(そのいきさつを知らずに)あらゆる舞踊を自分の文化だと認識し、一体化して楽しんだものである」と。
 国の重要無形文化財と位置づけられたことは、専門的に修行した芸能者だけのことではなく、農村を含めての「民衆文化全体の存在感を自覚させられる」との指摘、深く頷きました。
 竹富島の「種子取祭」(上掲記事)も同じく重要無形文化財(1977年指定)です。わずか150戸(350人)余りの島で、二日間にわたって64演目もの奉納芸能が、高い水準で、毎年繰り広げられる、まさに共同体の文化そのもの。

2311号【2009年10月17日】
■<日中韓を結ぶトライアングル・ブリッジ>
 この10年来、上海(成人教育協会、華東師範大学など)や広州の友人たちが日本を訪問し、また私たちも中国訪問の旅を重ねてきました。中国から出国される場合は、ビザ申請のため日本の招聘状を用意する必要があり、ささやかながらTOAFAEC の組織や角印がお役に立ってきました。
 これまでは、中国と日本、あるいは韓国と日本、の2国間の関係でしたが、今年はじめて中国・韓国・日本のトライアングル交流が実現することになりました。上海成人教育・社区教育関係者による訪日→訪韓の企画。「風」2299号・本欄に書いたように、11月30日〜12月5日(日本訪問)→12月9日(韓国訪問)の日程。いい旅となるよう、この企画をぜひとも成功させたいものです。
 風には掲載しませんでしたが、上海の呉遵民さんから打ち合わせのメールが何通も来信、黄丹青さんの対応により、スケジュールも具体化してきました。日本側として受け入れ準備を急ぐ必要あり。
 先日の韓国訪問の折、ヤンビョンチャン先生とも少しご相談し、最終日(9日)フライトのことなど、上海の呉さんに伝えました。今日の連絡(上掲)によれば、当日は遅い便を予約できたそうです。同時に、いくつか課題があります。一つはハングル−中国語の通訳。上海グループにハングルが出来る人はいないとのこと。ヤン先生に対応をお願いしなければなりません。また宿泊や移動についても、参加人数(あと数日で決まる?)にもよりますが、ヤン先生のご意向をお聞きしながら、急ぎ確定しなければなりません。どうぞよろしくお願いします。
 呉さんは19日から大学首脳部と日本へ。小生も同じ日から1週間ほど沖縄へ動きます(沖縄青年団資料調査)。ヤン先生と、黄丹青さんそれに上田孝典さんなどをつなぐ役割を、李正連さんや浅野かおるさんにお願いできないでしょうか。この機会に、三つの国に架けるトライアングル・ブリッジを成功させましょう。東アジア交流委員会(委員長・石井山竜平さん)の各位、どうぞよろしくお願いします。
 追記:風2309号(2009年10月14日)が届いていない旨のご連絡をいただき、追送しました。もしまだ未着の方があれば、ご一報下さい。

2310号【2009年10月15日】
■<東京学芸大学60周年>
 石井山竜平さんから、「ソウルの写真」を10枚ほど送って頂きました(上掲)。有り難うございました。「圧縮をかけている」とのこと感謝。少しトリミングしたいと思って、愛用の画像編集ソフトで作業を始めましたが、なぜか受けつけてくれず、そのまま「石井山氏・撮影」として、まず2枚ほどHP にアップしたところ。
 韓国訪問の続きをいくつか書きたいと思っていたのですが、昨14日は午後から夜にかけて、東京学芸大学60周年記念式典・フォーラムそして祝賀会(学士会館)に出かけましたので、忘れないうちに…。
 各地の戦後「新制大学」でもおそらくこの種の記念行事がいろいろと開かれていることでしょう。東京学芸大学は前身の師範学校(創起・東京小学教則講習所、1873年)から数えると136 年の歴史。そのうち30年近くの歳月(1967〜1995年)をお世話になったことになります。かっての学生運動との格闘、教員養成大学の改革問題、生涯教育の専攻設置などさまざまの思い出が去来しました。しかし当方退職後は、国立大学法人化(2004年)の大激動があり、新しい苦難?の道が始まっているように思いました。
 懐かしい方々とも再会。なかでも思いがけなく星野安三郎さん(憲法学、1921年生れ)がお元気に出席されていました。この夜の最長老。横に付き添って、積もる話。会の後半には文科省副大臣(鈴木寛氏、参議院議員)が登場。若い政治家。聞けば杉並・桃井小学校の卒業だとのこと。社会教育・生涯学習の政策リセットが必要だ、と話をしたかったのですが、人に囲まれて、そう簡単には出来ず、ご挨拶だけ。

ソウル大学名誉教授・金宗西氏と再会 (石井山竜平氏撮影、ソウル 091009)

公州大学校・ヤン研究室の皆さんと (ソウル、20091010)


2309号【2009年10月14日】
■<平生学習フェスティバル−2005年から2009年へ>
 韓国「平生(生涯)学習フェスティバル」は、2005年・光明市で開かれた第4回に参加したことがあります。川崎の皆さんと一緒、思い出に残る数日でした。行政主導のように見えて、子どもを含む市民の参加が多数、たしか50万近い人出だったと聞いた記憶があります。合わせて平生教育学会も開かれ、研究者の顔もあり。会場では懐かしの金信一先生(のちの文部大臣、副総理)と再会、また初めてヤン先生と会ったのもこのフェスティバルでした。
 とくに開会式の盛り上がり。グランドの野外ステージ上では「平生学習都市」指定を受けた自治体関係者が登場、熱狂的な雰囲気でした。記念の写真を旧ホームページの表紙に今でも飾っています。⇒
 今年の第8回フェスティバル(九里市)は、前日の国際学術大会から歓迎宴までは五つ星ホテルを会場とする豪華さ。しかし漢江・河川敷での開会ステージには、「平生学習都市」の姿はなく(指定事業は昨年度より中断)、挨拶が長く続き、心なしか秋風が寒く感じられました。
 ところが同じ広場に設けられた関係機関・団体の広報ブースは、色とりどり、趣向をこらして、現在の韓国・平生学習の躍動を象徴する充実ぶり。平生教育実践協議会(イ・ギュソン代表)や文解教育協会のブースでは、この7月に訪問した私たち一行の写真がいくつも。外つ国の広場に、突然に自分の顔を発見して、2005年には考えられなかった相互交流の蓄積を実感し、感慨新たなものがありました。
 訪問したそれぞれのブースで、たくさんの資料や記念品など頂戴し、帰りの荷物はずっしりと重く・・・、カムサハムニダ!
韓国文解教育協会ブース・故黄宗建先生の写真を囲んで(20091010)
 −左より・浅野かおる、小林、肥後耕生、石井山竜平、梁炳賛の皆さん−



2308号【2009年10月12日】
■<韓国から帰国>
 韓国平生学習フェスティバル参加を終えて、昨日(11日)無事に帰国しました。二つの大役(上掲)もなんとか終了。韓国の皆さんはどう聞いたのでしょう? 自分では充足感を味わっていますが・・・。
 7日の金浦到着では、ヤンビョンチャン先生、肥後耕生さんに迎えられ、11日帰路もヤンさんの車で浅野かおるさん等に見送っていただきました。平生教育振興院の朴仁周院長はじめ、韓国の方々に歓迎されて幸せな4日間。私の講演原稿をハングル訳していただいた李正連さんを含めて、今回お世話になった皆様にあらためて御礼を申しあげます。
 日本からは私のほか、笹井宏益さん(国立教育政策研究所)、石井山竜平さん(東北大学)が報告されました。さらに平生学習フェスティバルに合わせて開催された韓国平生教育学会(10日)の会場には、鈴木敏正さんや姉崎洋一さん(いずれも北海道大学)等の調査メンバー13人の顔も見えて、多数の日本人で賑やかでした。
 ところが中国からの報告者・韓民さんは、出国の手続きが間に合わなかったらしく、不参加でした。これは残念!というほかなく、東アジアの新しい研究交流の方向がめざされた大会だっただけに、画竜点睛を欠く感じ。
 「東アジア社会教育研究」第14号については、石井山さんに10冊ほど持参いただき、主要な方々に手渡しました。残部4冊(韓民さんに渡せなかった分ほか)は、公州大学校に赴任した肥後さんに預けました。
 今回はパソコンを持参しませんでした。「風」は4日ぶりの発行(ほどよいリズム?)。ところが、うっかりカメラを忘れてしまい、韓国の画像記録は一枚も撮れませんでした。大失敗! 石井山さんのカメラに期待するのみ、よろしくお願いします。
平生学習フェスティバル初日の講演(石井山竜平氏撮影・091009)

平生学習フェスティバル・小林講演 (撮影・石井山竜平氏、20091009)
 写真・講演記録→■

2307号【2009年10月8日】
■<東アジア交流の動き>

 昨夜の「風」(韓国行き)を受けて、皆様からメールいろいろ。台風を含めてご心配の電話を頂いたり・・・有り難うございました。ソウル金浦空港に遅い到着なので、韓国平生教育振興院だけでなく、ヤンビョンチャン先生や肥後耕生さんも迎えに出るとの連絡が入り、まったく恐縮!しています。
 いま出発前のわずかの時間を利用して本号を編集。今日の日付の通信(前号)は今朝未明に出ましたので、「1日に2通も!」の批判を恐れ、明日の日付で配信することにします。お許し下さい。
 ところで、12月初旬予定の中国・上海グループ訪日団は、日本に5泊のあと、韓国を訪問予定(4泊)。韓国の平生学習との新たな交流が始める画期的な旅となる予感がします。ヤン先生の受け入れ日程案が李正連さんを介して届きましたので(上掲)、早速、概略を上海に送りました。折り返し、呉遵民さん(華東師範大学)からお礼の返信。
 「… 早速のお返事、誠に有難うございました。韓国からの日程案ははすぐに葉忠海先生にご報告・・・」(Tue, 6 Oct 2009 22:05)とあり、合わせて10月下旬に華東師範大学(副学長など)一行の東京訪問の日程連絡がありました。今回は副学長等と一緒に5人来日とのこと。呉さんも東奔西走で忙しい! 何よりのことです。
 中国と韓国と日本との「東アジア」研究交流の幕がようやく開き始めた感じ。いよいよ「東アジア研究交流委員会」の出番でしょうか。どうぞよろしくお願いします。

2306号【2009年10月7日】
■<リセットの季節>
 この9月に政権が交代して、従来の政策や予算のリセットが始まっています。うまくいくか。今年は、その意味で画期的な年になるのかどうか。新しい歩みを踏み出してほしい!と期待する人は少なくありません。しかし教育政策とくに社会教育・生涯学習に関する政策は、今どのように動いているのでしょうか。リセットの兆しはあるのか、新しい施策が論議されているのか、その作業に理論家がしっかり位置づいているかなど気になるところ。今のところ、新しい動きは聞こえてこないようです。こちらのアンテナが低いせいでしょうか。
 かって教育ジャーナリストと呼ばれる人たちがいました。大手の新聞社だけでなく教育出版・雑誌編集の中にも、教育の動きに地獄耳をもつ人たちがいて、面白い話を聞いたものです。いまそんな機会がない。いつの間にか、教育ジャーナリスト諸氏も姿を消してしまったような…。
 長く続いた政権下では、惰性に流れて、教育政策形成の機能も活力も勢いを失ってしまった。戦後初期など、公民館施策をはじめ、いろんな躍動があって・・・その後の曲折を経て、1980年代以降になると、臨調行革や新自由主義の路線に呑み込まれいく。政府内・官僚なりのポリシィメイキングも、ほとんど劣化してきたのではないでしょうか。
 運動側や理論家も、新自由主義路線・法改悪を批判する論議に慣れてきました。これからどう動いていくか、という立法論のエネルギーは後退して、法防衛論にとどまってきた。いったい、どこで、どのように社会教育・生涯学習の新しい政策を構築していくか。創造的な展望を求めての積極的な論議と提言を期待したいところ。渇望の思いです。
 7日から、いま躍動の韓国「平生学習」、今年の全国フェスティバルに出かけます。パソコンを携行するかどうか、まだ迷っています。それにしても巨大台風が心配。ソウルへの夜の便、飛ぶかしら。

2305号【2009年10月4日】
■<中秋のお月さま>

 今日(3日)は旧暦8月15日、夜の満月はさやかに輝きました。さすがに中秋節、名月というにふさわしい一夜です。花に誘われるにも似て、中天のお月さまを追いかけるように夜の散歩に出ました。東京の街は悲しい。次の角を曲がっても、その次の道も、街灯が明るくて、名月もかすんで見える。
 歩きながら、歌を思い出しました。「月見れば千ぢにものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど」。たしか大江千里(おおえのちさと)の古い歌。それから千年ほど経っても、お月さまを見れば、いろいろと物思いたくなるものです。しかし現代の防犯の道並みは、そんな心情も与えてくれぬかのよう…。
 かって研究室では、毎年、必ず「お月見」の会をしたものでした。人形劇サークル「麦笛」が、黄色の丸いお月さまを用意してくれましたので、雨が降っても、お月見ができました。秋は“我が身ひとつ”ではなく、お月さまはみんなのものでした。
 歩きながら思い出すのは、沖縄の中秋の満月。豊年祭の賑わいを一緒に楽しむかのように、お月さまは東(あがり)からゆらゆらと顔を出し、演目がすすむにつれて中天にのぼって、西(いり)にゆっくり傾くころは、みんな酔っている・・・そんな思い出。あぁそうだ、名護博物館の中庭の集いを照らしていたあの夜の月も忘れられない。どこかに写真があったはず。お月さまは、いつも誰一人も差別することなく、にっこりと微笑んでいました。

名護博物館・中庭に集う夜、月は中天、前列左端に稲嶺進さん (20070701)


2304号【2009年10月2日】
■<台湾における下村湖人>
 本欄で、ときどき「ポレポレ東中野」等の映画を紹介することがあります。「台湾人生」(酒井充子監督)は波乱に満ちた時代を生きた日本語世代の証言記録、興味深いものでした。風2244号(6月29日)で紹介したことがあります。その際、書き添えたかったことが一つ。そのまま忘れてしまいそうなので、思い出し話をお許しください。
 映画館のモギリの狭い空間に台湾文献が並んでいました。その中の1冊『台湾における下村湖人−文教官僚から作家へ』(張季琳著、東方書店、2009年刊)。こんな本が出ていたのか、しかも専門研究書、それも映画館で入手するとは・・・と驚きました。
 下村湖人といえば『次郎物語』の作者。社会教育に関わっては、15年戦争が始まった年から武蔵小金井「浴恩館」で青年団講習所長に就任、指導者養成にあたってきた人です。鈴木健次郎や永杉喜輔などを通して、戦後の公民館や青年団運動にも影響がありました。たとえば鈴木が初期の公民館運動の中で好んで使った「白鳥芦花に入る」や「煙仲間」等は、もともとは恩師・下村湖人が愛用した言葉でした。ちなみに禅語「白馬芦花に入る」を、湖人は「白鳥」におきかえて、「次郎物語」に使ったのでした(永杉喜輔、秋田青年会館『鈴木健次郎集』3)。
 湖人は小金井に着任する直前まで台湾に在り(6年間)、旧制・台中第一中学校長そして台北高等学校の校長を歴任しました。一般的には、人道・友愛・理想主義者と目されている人です。しかし台湾では「むしろ民族差別主義者として嫌われて」(同書 p3)、「台湾人の怨嗟の声」もあり(p253)、「台湾人生徒の間に心が通じ合うことはまれ」(p255)であったと記述されています。「生涯全体を通観すれば、湖人はやはり真摯で誠実な教育者であった」(p255)とも付言されていますが。本格的な研究書、じっくりと読む時間がまだありません。

2303号【2009年9月30日】
■<第14号の反響や如何に…>
 日本社会教育学会の大会会場で、「東アジア社会教育研究」第14号(B5版、278頁)が世に出ました。また維持会員や一般会員のお手元にも届いて、そろそろ感想や批評が届く頃かと「風」は期待しています。
 東京では、中国生涯学習研究フォーラム(学会初日の夜)に続いて、TOAFAEC 9月定例研究会(9月25日の夜)で合評会を開いたことは既報の通り(風・前号、山口報告など)。まずまず、いい出来ではないかという評価ですが、編集側の自画自賛めいたところもあり・・・。
 この1週間、疲れて一息つきたくなると、寝っ転がって「第14号」を開く習わし。読んでいくと、誤字や脱字が少し出てきます。昔は誤植・校正ミスとしてお詫びしたものですが、今は原稿・デジタル入力ですから、編集側としては気が楽。それでも校正で直せなかった反省はもちろんのことですが、いちばん心配なのは、人名に関すること。これまでの出版でも後まで残るミス、いつまでも忘れない後悔いくつか。
 今回は一つ(さきほど発見!)。あえてこの欄で書いておきましょう。p4「編集委員会」欄、台湾からの編集委員として、今年から登場して頂いた、ご存知「楊碧雲」(台北市政府・専員)さんのお名前が抜けていました。旧委員・楊武勲氏がそのまま残り、同姓なので見落としたようです。申しわけない! 内田編集長からお詫びをお願いします。
 故石倉祐志・追悼のページを読んで、石倉陽子さんから長文のお手紙を頂きました。「…江頭さんから第14号が送られてきました。祐志は家庭では仕事や研究会のことを多く語らず、先生や皆さんの追悼文を読み、あらためて精力的に長きにわたって活動していたことを知りました」と。想い切々として、ここに載せたいのですが、私信でもあり控えます。

2302号【2009年9月29日】
■<沖縄の島々、祭りの笛・太鼓>
 今年の夏は、沖縄へ行く機会がありませんでした。6月下旬に那覇と名護に遊んで、それからすでに3ヶ月のご無沙汰。竹富島にもずいぶんと失礼しています。
 久しぶりに島酒を汲んでみました。♪この酒のめば、沖縄思い出す〜、沖縄の思い出は、祭りの笛・太鼓 ♪ と口ずさむ。いま島々は祭りの季節。竹富島では10月に入ると、「種子取祭」。奉納芸能の夜に謡われる「世乞い唄」のことが、NPO 法人「たきどぅん」(竹富)ホームページに載っています(上掲)。道歌に ♪ 弥勒世ば願ゆり あがる拍子、持ちあげる拍子〜♪ などとお目出度い歌。これは謡うことができませんが、種子取祭を楽しんだ夜のことを思い出しました。
 10月7日から韓国・平生学習フェスティバルへ。そこで求められている講演で、沖縄のことを少し語ろうと思っています。韓国へ向けて出版予定『日本の社会教育・生涯学習』(近刊)収録の、島袋正敏さんの名護報告がハングル訳されていますので、それを資料として配付していただくことになりました。あわせて、手塚英男さんの松本報告も。ご両所のお許しをお願いします(矢久保学さん、手塚さんによろしくお伝えおきください)。編集委員の方々のご了解もお願いしたいです。
 韓国から帰って、10月下旬に沖縄行きを計画しています。竹富島や平久保にも、できれば飛んでみたい、と心をはずませています。もし関心おありの方は、ご連絡ください。

2301号【2009年9月27日】
■<合評会の参加少なく>

 この4〜5日、謹慎蟄居して机にむかっています。追われている仕事が二つ。若い頃は、締め切りを前にして“やっつけ仕事”をこなすのはある種の快感でしたが、今はゆっくりと過ごしたい思いが先にたち、どうも楽しくありません。秋も盛りというのに・・・。
 この間、いくつかの会に不義理をしましたが、昨夜9月25日夜の定例研究会には出かけました。定刻過ぎているのに、予定の部屋に誰もいない。日が違ったかな、と一瞬思ったほど。間違えたのは事務局長でした。会終了後に「…すみません。本日、曜日を間違えておりました。大変すみませんでした。…」 とお詫びメール来信。
 研究会は「合評会」(第14号)をテーマに呼びかけると、参加者は少なくなるようです。昔からそう…。「お祝い会」にすればよかった。それでも今後に向けて、いくつか課題を出し合いました。事務局長不在のままに、10月から12月にかけての、年末予定が一気に決まり?ました。故石倉祐志氏の追悼会の日程も。どなたか(必要な調整をして)まとめて風に「2009年末スケジュール」を送って下さいませんか。会場確保のこと、事務局長!どうぞよろしくお願いします。上掲「第8回中国生涯学習研究フォーラム」会場も一緒に予約して下さい。
 岩本陽児さん(在英)から、引っ越しの連絡です。誰だったかしら、岩本先生の連絡先を聞いてきた元学生がいたような記憶あり。ここに載せておきます。「…転居しました。なにか郵送の際にはこちらにお願いいたします。→98 Kendrick Road, Reading RG1 5DW, UK 」。


*2251号〜2300号日誌■


                       
韓国訪日団「アリラン」合唱(全国集会・阿智村、20090822)