南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
2300号【2009年9月25日】
●<ホームページの写真>
「南の風」は2300号を迎えました。お祝いをいただき感謝。なにより風メンバーのご支持があればこその歩み。あらためて御礼申しあげます。一つの区切り、恒例のアドレス帳整理を予告したところ、ぞくぞくとメールをいただいています。有り難うございました。
いま急ぎの仕事に追われ、すぐにアドレス帳整理作業(案外と時間がかかる)に入れません。4〜5号は旧アドレス帳による配信となります。いつものことですが、ご了承ください。
2000年頃から、「風」発行に平行して、TOAFAEC ・ぶんじん両用のホームページを開いてきました。記事・資料等をストックしたい思い。折にふれて写真も掲載してきました。今回の学会・大都市研では3枚ほど選んで、本(ぶ)欄と9月スケジュールにアップしています。ご覧ください。
太田政男さん(大東文化大学)の写真1枚を、HP掲載のご了承もいただきたく、お送りしたところ、お返し?に「大会写真の中から」2枚ほど添付で頂きました。その1枚が、会場で第14号販売に奮闘した山口真理子さんの笑顔。手づくりのTOAFAEC
ポスターなどが写っていて、ぶんじん撮影のものよりいい画像。いま差し替えました。
年報販売の経過など、山口さんからはメール(学会販売報告)をいただいていましたが、誌面がいっぱい、掲載を省略しています(申しわけない)。長くなりますが、せめて一部を抄録しておきましょう。
「…浅野かおる先生に、“もっと目立つように!”と発破をかけられました。私は心血注いで書いたのよ(あ、この表現は山口のです)と。書かれた方々のご苦労や思いに応える迫力に欠けていたことを反省しました。次回は、もっと工夫します。来年の大会は鹿児島大学、九州への墓参りを兼ねて行こうと思っています。…」(Mon,
21 Sep 2009 07:03)
▼TOAFAEC年報販売コーナー・山口真理子さん
(大東文化大学、090919)
2299号【2009年9月23日】
●<12月−上海の日本・韓国訪問−日程案>
かねて上海(成人教育・社区教育)関係者の日本・韓国訪問の日程が懸案となっていましたが、風2292号で黄丹青さんを通して「11月30日〜12月
9日」案が伝えられました。先日(18日)の中国研究フォーラムの席上で、韓国にお伝えするためにも、日程の確定を急ぐ必要が話しあわれました。
日本側としては、首都圏(東京、川崎、千葉など)の社会教育・公民館等の訪問日程(案)を付して、上海の呉遵民さんに確認のメールを出したところ、次の趣旨の返事が来ました。「…この日程案は、葉忠海先生と事前に相談し同意を得たものとしてご提案し、ご検討をいただきたいつもり。… 先生の今回の仮日程案には誠に賛成ですが、これに韓国側の方とご相談いただき…」、改めて葉忠海先生(上海市成人教育協会)にお伝えし、計画を進めていきますとのこと(Tue,
22 Sep 2009 20:44:)。
日本側では、11月30日・日本到着、12月 1日東京・三多摩の公民館訪問、12月2日千葉・浦安の自治体社会教育、同3日神奈川・川崎の市民館訪問、12月4日東京・懇親会(仮案)案を出しておきました。
ヤンビョンチャン先生へのお願い。韓国側として、12月 5日(日本より到着)〜12月
9日(上海へ帰国)の日程案をご検討いただけないでしょうか。もし受け入れ可能であれば、案として韓国滞在中の大まかな日程案をお示しいただければ幸いです。上海側(人数15人前後)では、それぞれ職場に申請するため「日程表」が必要とのこと。実施案は後日に修正して具体化していただくことになります。上海の一行は、おそらくすべての方が初めての韓国訪問、観光の日程も1日用意していただきたいとの希望があるようです。
2298号【2009年9月22日】
●<10月の韓国訪問>
学会に続く「大都市社会教育・研究と交流の集い」の最終日(21日)は、ついに欠席する羽目となりました。10月8日から開かれる韓国生涯学習フェスティバル・国際学術会議に要請されている基調講演と特別講義の2本(とうとう断りきれなかった)、10枚(計20枚?)のスピーチ原稿を求められているのです。21日当日が締め切り。学会日程と重なり、数日おくれます、と連絡は入れたものの・・・、ハングル訳の作業日程の関係から、韓国から深夜の確認メールもあり、しんどい思い。流れとはいえ、こんな重い仕事を引き受けることになった我が身の不運、今さら嘆いても詮無いことですが…。
体調のこともあり(連日の飲み会でした)、自重して21日朝、大都市研の2日目は欠席連絡をしたという次第。川崎の市民館移管問題・上掲について、遠く烟台の伊藤長和さんから憂慮のメール(略)もあり、小田切報告を激励するためにも出席したかったのです。この間の事情ご賢察の上、お許しください。
学会で会った名古屋・李正連さんにも、原稿が遅れることの連絡をお願いしました。幸い期日の猶予をいただき感謝しています。そのかわり?李さんが小生原稿のハングル訳を押しつけられたようで申しわけありません。
ところで上掲の小田切さんメールに関連して、川崎の市民館移管問題の状況や課題について、あらためて他都市の市民にも分かるような一文を送っていただけませんか。短めの方がみんな読みます。
▼日本社会教育学会・懇親会、薦被り「信濃のかたり部」(大沢酒造)を用意した太田政男教授(090919)
2297号【2009年9月21日】
●<日本社会教育学会(第56回)大会>
学会の模様については、印象的なことなど、風に送っていただければ幸いです。本欄では、お世話になった方々にまず御礼を申しあげます。
今年の大会々場は大東文化大学。「風」メンバーでもある太田政男さん(教授)にいろいろとご面倒をかけしました。臨時の韓国生涯学習研究フォーラムの会場を用意いただいたり、学会最終日から開かれている「大都市社会教育・研究と交流のつどい(第32回)」への会場提供、そして恒例・交流会の飲み会々場の紹介まで。「つどい」は先ほどまで楽しく飲んで、21日の各都市報告会へと続きます。
3日間の学会大会では埼玉社会教育研究会の懐かしい方々と再会、大会の縁の下を支えておられました。皆様、お疲れさまでした。
大会初日(18日)の夜、中国生涯学習研究フォーラム(第7回)の会場設定では、板橋区立大原社会教育会館・斉藤真哉さん(社会教育主事)に配慮いただきました。斉藤さんは、今回はパレスチナのフィールドワークについて学会報告。いちどTOAFAEC
研究会として話を聞く企画をたててはどうでしょう。共同発表の佐治真由子さん(早大・院)とも久しぶり。そして、3日間にわたって山口真理子さん(TOAFAEC会計)が第14号の販売活動。手持ち無沙汰の時間も多く、申しわけない。
大都市研に持参した第14号は3冊とも捌けました(仙台、岡山、福岡が購入)。別に希望もあり、手持ちがなくなって残念。後日お送りすることにしましょう。以上、ご報告と御礼まで。
早いもので、あと3号で2300号。恒例の百号おきアドレス帳整理をいたします。この間、「風」ご無沙汰の方で、引き続き配信ご希望の場合、その旨ご一報くださるようお願いします。
▼大都市研究「つどい」交流会(東武練馬、090920)
2296号【2009年9月18日】
●<20日午後の会場案内・修正>
昨夜・前号の続き。10月韓国訪問(全国平生学習フェスティバル)に向けての準備論議、打ち合わせについて、前号本欄にご案内しましたが、今朝(17日)、太田政男さん(大東文化大学)より会場・修正のメールが来ました。「… 小林先生 号棟を間違えました。1号館でなく2号館でした。その3階です。申しわけありません。よろしくお願いします。太田政男」
あらためてのご案内は次の通り。
○社会教育学会での会合(韓国生涯学習研究フオーラム・臨時)
日時:9月20日(日)13:00〜15:00(ラウンドテーブルの時間帯)
場所:大東文化大学2号館3階・教育学科会議室
○あと一つ、念のためのご案内。本日(18日)夜の「中国生涯学習研究フオーラム」の会場「板橋区立大原社会教育会館」について。もし場所がお分かりにならない場合、小林ぶんじんケイタイ(090-7700-7756)までご連絡を。受け入れの斉藤真哉さん(社会教育主事)のケイタイ番号(南の風2289号)が確かではありませんので。
「南の風」は、本号もまた連日の配信となりました。学会時に開く会合の案内(変更)に関することですから、大急ぎで誌面をつくりました。今年の夏以来、いろいろ重なって、慌ただしい送信が続き、申し訳ありません。
2295号【2009年9月17日】
●<10月訪韓への準備論議>
10月の韓国平生学習フェスティバルで要請されている二つの大仕事(上掲)に当惑しているというのが正直のところ。しかし流れのなかで引き受けてしまった以上、やれる範囲でやる以外にないのです。石井山竜平さんは張り切っていて、心強いかぎり。
日本社会教育学会・会場での準備論議(9月20日午後)を提案したところ(風・前号)、石井山さんは、昼食時は別会合のため無理、しかしラウンドテーブルの時間帯であれば可能とのこと。また李正連さんはラウンドテーブル時間帯も別用があるそうですが、浅野かおるさんは合流できる?ようなご返事。もっと早くに計画すればよかったと思いますが、あとの祭り。集まれるものだけで、久しぶりに顔を合わせましょう。
早速、学会会場・大東文化大学の太田政男さんに「学会三日目の午後、ラウンドテーブルの時間帯に5人〜7,8人程度のスペースをお願いできませんか?」とメールを出しました。折り返しのご返事。
「…別棟の教育学科の会議室を用意致します。1号館3階の教育学科事務室の方へいらっしゃるとわかるようにしておきます。あるいは、その前にお声をかけてください」(Wed,
16 Sep 2009 21:12)と。有り難うございました。ご都合がつく方は、ぜひお集まり下さい。
日時:9月20日(日)13:00〜15:00 *「大都市研究の集い」まで。
場所:大東文化大学1号館3階・教育学科会議室。
第14号が届きました。いい出来映え。いま16日深夜、新内閣・各閣僚の記者会見(緊張感あり面白い!)を聞きながら、第14号を読みながら、「風」本号を吹くことにします。
2294号【2009年9月16日】
●<訪韓準備の議論を>
待望の「第14号・出来上がりました」のメール、江頭晃子さんから来ました(上掲)。今日16日には本が届くとのこと。楽しみです。とくにこの3ヶ月、編集に取り組んできた皆さん、お疲れさまでした。まずは乾杯!といきたいところ。
この間、韓国「全国平生学習フェスティバル」中止そして再開催のニュースが飛び交いました(風・前号など)。同じく出席予定の石井山竜平さんからは、打ち合わせの日程等について電話やメールの来信。「フェスティバル」前日から開かれる「国際学術大会」に二人は講演・報告を求められています。できれば準備の議論をしたいのです。
石井山さんから「…こちらとして一番ありがたいのは、9月21日(月)の大都市社会教育研究交流の集い終了(〜16:30)後です」の提案。当方それで結構ですが、もし時間的に可能であれば、学会最終日(9月20日)中食時から「ラウンドテーブル」に平行して設定できないでしょうか。この時間帯だと、あるいは「韓国生涯学習研究フォーラム」の皆さんも参加可能か?と勝手な推測をしていますが・・・。
また別に黄丹青さん(目白大学)から、上海の訪日スケジュールについて、「…もし打ち合わせが必要であれば、私が少し早めに到着することができます」のメール。有り難うございました。当日の会場(板橋区立大原社会教育会館)に30分前(17:30)に着くようにします。
個別に出すべきメール。無精をして本欄に一括して書きました。韓国と中国に係わることですので。ご了承ください。
2293号【2009年9月14日】
●<再び重い宿題をかかえた子へ>
10月初旬・韓国平生学習フェスティバルは開催延期!とのニュースが舞い込みましたが(風2291号)、昨夜、再び開催の方向であるとの連絡が届きました(上掲・浅野かおるさんメール)。楽しい会から帰ったところでパソコンを開き、アッと驚き、酔いがさめました。
新型インフルエンザ関連の政府指針が柔軟になったことによるもの。それでも感染の危険性が高い「満5歳未満の乳幼児、妊産婦、慢性疾患を患う人…」等と並んで、「65歳以上の高齢者」は注意を要する記述あり。浅野さんに出したメール。
「…小生は65才以上ですから、この際は、ご遠慮すべき、との悪魔のささやきが聞こえてきます。しかし・・・」、そうもいかないでしょうね。再び、重い宿題をかかえた子どもに戻ってしまいました。
いま「風」には、突然のニュースも飛び込んで、皆様から頂いたメールの掲載がおくれています。速報性を大事にしている編集方針からは残念なこと。また一部には(申しわけないと思いながら)収録を割愛させていただく記事もあり、ご了承をお願いします。
できるだけ連日の配信にならないよう、また長文の風にならないよう、心しているつもりですが、本号も日付としては連日、しかもこんなに長くなってしまいました。嬉しい悲鳴とはまさにこのこと。
風2289号で、風の着信状況をお伺いしましたが、結果的にはお一人のみが未着信(他のお一人は着信していたとのご連絡あり)、その後とくにトラブルはなさそうです。安心しました。
2292号【2009年9月13日】
●<映画「ポー川のひかり」>
午後のひととき、久しぶり、のんびりと映画へ。その後は神保町をぶらぶら歩き。一週間後に迫った学会発表の皆さんは今が書き入れどきだと思いながら、若い世代にエールを送る気持ちで、当方は放心亭(三省堂地下)のドイツ・ビヤをひとり楽しみました。
観たのは「ポー川のひかり」(岩波ホール)。エルマンノ・オルミ監督、30年前に「木靴の樹」でカンヌ・グランプリに輝いた名匠。紹介のパンフレットを読んでいたら、私と同じ年の生まれと知りました。
ポー川とは、イタリアを西から東へ、アルプスに発しアドリヤ海に注ぐ大河。ボローニヤ大学の若い哲学教授が、図書館の古文書に釘を打ち(映画の原題は「百本の釘」)、大学を棄てて、光あふれるポー川を遠くさかのぼり、岸辺の廃屋に住み始める話。素朴な地域の人たちとの交流が始まり、その風貌から「キリストさん」と呼ばれるようになる。現代の病める状況を背景に、人の心の通いあい、生の息吹きの蘇り、人生の豊かさとは何か、と問いかけているように思いました。
叙情あふれるタイトル、美しい画面いっぱいの映画。しかし何気ない会話にも、つよい思想性を感じました。たとえば「これまで私には本だけだった。でも本よりも友人と飲むコーヒーの方がいい」と。知識より、友と心を求めている。私はあまりコーヒーを飲みませんが、たしかに本より、友人と飲むビールの方がいいのです。
映画の終わりの部分に流れるイタリアの名曲「忘れな草」が印象的。
2291号【2009年9月11日】
●<平生学習フェスティバルの延期−10月訪韓中止>
さきほど福島大学・浅野かおるさんから突然のニュース(上掲)。10月初旬予定の韓国平生学習フェスティバルは、新型インフルエンザ拡大の恐れから、中止・延期されることになったそうです。ご連絡ありがとうございました。平生教育振興院のチェ・イルソンさんによろしくお伝えください。
フェスティバル前日より開かれる予定の国際学術大会に、二つの仕事(基調講演・平生学習都市関係者への特講)を依頼されていました。最初はシンポの一人としての参加、気軽に発言すればよい程度の役割だったのに、中途からプログラムが変更され、重いテーマを二つも与えられる羽目になりました。もともと気が弱い?性格、韓国側からの要請の流れを断ることができず・・・。9月に入ってからは、宿題をかかえて苦悶する子どもの姿にも似て・・・。
フェスティバル延期の連絡をいただいてホッとしています。観たい映画はいくつもあるし、どこかに遊びに行こうかな、と思ったり。
というわけで、10月に「東アジア社会教育研究」第14号を韓国へ持参する話は白紙に。同行予定の石井山竜平さん(東北大学)もおそらく訪韓中止。執筆者の梁炳賛さんや魯在化さんへの送本はそれぞれ別途に考えることにしましょう。
そう言えば、韓国生涯学習フェスティバルに同席予定だった中国代表・韓民さんとも会えないことになりました。今後のことなど語りあいたかったのに…。思い切って個別に韓国・中国への旅を企画しますか?
瀬川理恵さん、訪韓写真をたくさん(CD)、有り難うございました。
2290号【2009年9月10日】
●<第14号刊行お祝いの会>
前号・本欄で、「風2288号はお手元に届いていますか?」と書いたところ、お二人から「未着」の連絡が返ってきました。やはりそうか!と、すぐに「再送」しました。しかし原因はパソコン・ネットの側にあるのでなく、送信者の指先能力?にあるらしく、いま、残念かつ複雑な思い。
届かない「風」をつくっても意味がない。最近ときに眼は薄れ、記憶定かでなく、持続力とみに減退。知力・気力の萎えを自覚しているだけに、「風」もそろそろおしまいかと余計なことを考えるのです。気持を取り直して・・・。未着の方に、まずは個別に対応しますので、着信の号数お調べの上、ご遠慮なく再送要請をお寄せ下さい。未着の方はきっとまだあるはず・・・。
「東アジア社会教育研究」第14号、編集実務を担った江頭晃子さんから「目次」一覧を送っていただきました。9月18日からの日本社会教育学会(大東文化大学)に合わせての発刊。さきほどHPに「目次」をアップしました。特集して「東アジアの社会教育・生涯学習法制を考える、韓国・中国・台湾・沖縄等に関する諸報告、フィールドノート(上海・韓国)、ひろば・エッセイ、そして追悼記事を含めて、充実した内容となりました。
→■
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/1-10kenkyu.htm
B5版278頁、頒価1800円(送料別)。ご希望の方は下記TOAFAEC事務局までお申し込み下さい。維持会員や執筆者には直接に送本予定です。
9月25日予定の第155 回定例研究会は、第14号完成のお祝いの会(案内→■)。皆さま、奮ってお出かけください。
2289号【2009年9月8日】
●<大都市社会教育研究の集いとは…>
「風」前号はお手元に届いていますか?
風の配信はいま3グループに分けて出していますが、最近とくにトラブルなく、順調に推移していると思われます。ところが、前号(2288号)はその1グループについて送信の手元がすべった感じ、小生宛の配信確認「風」が戻ってきません。皆さまのメールボックスに着信していれば問題ないのですが、如何でしょうか。お伺いいたします。
ところで、先日の「風」2283号に、今年の第32回「大都市の社会教育研究と交流の集い案内」を掲載しました。これについてお尋ねがありました。
「…この研究会は、政令指定都市のような「大都市」を対象とするのでしょうか? 杉並のような地域を対象としているわけではないのでしょうか。すみませんが教えてください。」(丸浜江里子、06
Sep 2009)
この集いは、1978年から始まり、日本社会教育学会の最終日から翌日にかけて、もともとは合宿で「大都市」研究を進めていこうという趣旨で始まりました。中小都市の自治体社会教育・公民館の研究や運動は活発なのに、大都市の社会教育体制は公民館的施設も少なく、とくに政令指定都市に格上げ?されることによって、社会教育の施設が統廃合され、職員も嘱託化・削減されるなど、都市経営「合理化」のなかで社会教育をめぐる状況はかえって後退していくことへの危機感が底流にありました。とくに学会関係者と大都市教育労働組合が、路線を越えて、研究し交流しようという思いが出発点。ユニークな歩みを重ねてきました。(HPに小林「私たちは何をめざしてきたか−20年記念講演」を収録。→■
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/971006daitoshi2.htm
もちろん首都・東京も特別区の地域もともに大きな問題領域。かって毎年、東京からの参加がありましたが、最近はなし。もし参加のご希望あれば、ご一報ください。事務局(仙台・今川義博さん)につなぎます。
2288号【2009年9月7日】
●<若者が育ち、街が元気になる−松本>
最近の「風」には、信州・松本の話題がいくつも寄せられ、本欄にも「町内公民館」のことなど書きました(風2284号)。8月に刊行された手塚英男さんの『酔十夢』(2巻、同時代社)は、ある意味で松本を舞台にした小説。折々に頂いてきた『枯々草』(手塚英男編著、ワープロ個人文芸誌)を断続的に読んできましたが、こうして本にまとめられると、あらためて現代史・地域社会教育に生きる「寺沼英穂」の情念・怨念に打たれるものがありました。
今日(6日)午後、松本から新しい本が届きました。白戸洋さん編著『まちが変わる・若者が育ち人が元気になる−松本大学生がかかわった松本のまちづくり』(松本大学出版会)。若者(学生)たちが“まち”と出会い育てられていく、同時に“まち”が若者の力によって元気になっていく記録です。白戸先生、有り難うございました。
大学・学生と、松本の市民をつなぐもの、それは松本の社会教育であり、町内の自治公民館なのでしょう。全国集会・分科会(8着23日)では「上土」(あげつち)町内公民館長が学生たちとの交流を語り、本のなかでは上土・大正ロマン街との出会いを学生たちが記しています。
2005年12月・日本公民館学会が松本大学で開かれた際、松本の町内公民館と学生の皆さんにたいへんお世話になったこと、あらためて懐かしく思いおこしています。あのときの写真も再発見。
▼左端・白戸洋さんと松本の社会教育群像(日本公民館学会懇親会、松本大学にて、20051203)
2287号【2009年9月6日】
●<9月18日夜・中国生涯学習研究フォーラム>
風・前号の上田孝典さんメールでご覧のように、9月18日からの日本社会教育学会の機会に「中国生涯学習研究フォーラム」を開くことになりました。昨年12月に発足し、数えて第7回。この半年余りに7回の研究会とは立派なもの。会員は首都圏だけでなく、秋田・仙台・高知などに拡がり、集まること自体なかなかたいへんなのです。しかも、この間には上海「社区教育」についてのフィールド調査(3月)も実施されました。「東アジア社会教育研究」第14号(近刊)にその調査報告が収録されています。
9月18日の研究会は、この日に発行予定の第14号・中国関連論文の合評会となる見込み。会場をどう設営するか。上田さんから相談のメールが来ました。「場所は、皆さんの都合を考えるとどちらがいいのでしょうか。…(学会会場や池袋「ボルグ」案のほか)、他の候補など、土地勘がなく、全く分かりませんので…」、お任せしたいとのこと。
学会会場・大東文化大学の所在地は板橋区。ふと思いだして、斉藤真哉さん(板橋区・社会教育主事)に久しぶりに電話。経過を話して、駅(地下鉄・三田線)の近辺に会場を確保していただくことになりました。また会場の近くで、軽く交流する飲み屋も頼んでおきました。
学会初日の夜、もしご都合がつく方はお気軽にご参加下さい。この時間帯に学会は恒例の全国理事会。理事の方も、終わり次第にぜひ合流して下さい。会場が決まり次第、「風」にご案内の予定です。
2286号【2009年9月4日】
●<第14号出稿! あれから15年>
今年のTOAFAEC 年報・第14号が印刷に入ったとのこと(上掲)。編集委員会の皆さん、とくに編集実務を担当した江頭晃子さん、お疲れさまでした。今年はいろいろと曲折あり話題の多い編集作業でしたが、見事に出来上がる見通し。お互いに拍手!
研究誌でもあり、同人誌的でもあり・・・、研究論文あれば座談会記録もあり、またエッセイ・自分史・追悼文等も盛りこむ自由闊達な編集。社会教育・生涯学習を共通のテーマに、毎号必ず東アジアの“海を越える”構成、こんな定期刊行物はそうざらにあるわけではありません。
創刊号の準備の年から数えると、ちょうど15年の歳月。財政的になんらの基盤があったわけでなく、ある意味で無謀な企画というほかありませんでした。しかし、心を寄せるメンバーの“心意気”、また最近は「維持会員」の芳志に支えられ、ようやくここまで歩いてきたという実感です。感無量の思い。編集委員会だけでなく、執筆者・翻訳者など皆さんの手弁当のご協力、まことに有り難うございました。
前に本欄に書いたように、この年報は、毎年「九・一八」の発行、東アジアの非戦と平和への思いを秘めています。今年は、日本社会教育学会も同じ9・18から3日間(会場:大東文化大学)の日程。例年のように大会会場でのお目見えです。販売へのご協力、どうぞよろしくお願いします。
第14号の目次一覧をお送り下さい。「風」にご紹介し、ホームページにも掲載いたします。総ページ数は(少なくしようとの思い達せず)昨年を越えた?とのこと、定価は同じでしょうか。
2285号【2009年9月3日】
●<沖縄・旧盆「ウークィ」>
今日(9月3日)は、旧暦7月15日です。沖縄の旧盆行事では「ウークィ」(お送り)。旧13日にお迎え(「ウンケー」)した祖霊をあの世へお送りする日。九州などでは「精霊(しょうろう)流し」の夜。
東京で生活していると、新盆でも旧盆でも、先祖をお迎えし、お送りする意識など、ほとんどなくなりました。今年は、故黄宗建先生の三回忌(7月下旬)に韓国へ行った思いとも重なって、8月早めに故郷・久留米に寄り、先祖の墓参りだけは済ませましたが・・・。
いま沖縄の集落(字・あざ公民館)のホームページに立ち寄ると、賑やかな盆行事(エイサー、アンガマなど)の記事がいっぱい。南の竹富島・ショーロの芸能(上掲)、本島の平敷屋公民館では「3日・奉納エイサー(拝所)18:00〜ウークイ」など。飛んでいきたいほど。
久高島ホームページには、「…旧盆です。各家で先祖を迎えます。聞くところによると、迎えられなかった先祖も、集落までやってくるけれど、行き場を失ってさまよってしまうらしい」と。古宇利島では「うんじゃみ」(海神祭)の案内。「旧盆明けの最初の亥の日に行います。豊漁・航海の安全祈願。古宇利では、塩屋のウンガミと対の祭り、塩屋に嫁いでいる古宇利の神さまの妹君の幸せを祈っての祭りとも言われる。」
毎年旧盆明けの週末に行われる「沖縄全島エイサーまつり」は、今年は第54回(9月11〜13日、沖縄市コザ運動公園)。各地の青年会が躍動することでしょう。あの勇壮な太鼓の響き、軽快な小太鼓(パーランクー)が聞こえてくるようです。
2284号【2009年9月1日】
●<松本“三輪の花”>
民主大勝・選挙報道の洪水のなか、浅野かおるさん(福島大学)からDVDが届きました(風・前号記事)。7月、韓国訪問の際のテレビ取材(ソウル江南区)。短かな記録ですが、訪問団全員が映っていて、いい記念になります。有り難うございました。次回の研究会(9月25日予定)にでも観ましょう。
松本の矢久保学さんから、全国集会「自治公民館」分科会の当日発表データを送っていただきました。「市街地を盛り上げる小さな活動−女性館長たちの奮闘から」と題する3人の町内公民館長の記録。早速、HP→■に入力しました(一部うまくいかず)。その「おわりに」の一節。
「…時に無機質、時に無関心な住民の力を引き出すためには、今回の三館長に共通するような地域への思いが不可欠です。その思いが人々の心に響いたとき、何かを動かす大きなうねりとなる可能性が生まれます。コンクリートジャングルに咲いた三輪の花に乾杯!」
“三輪の花”(HPにも写真)は、ありのままの日常の活動を、飾ることなく、実に楽しく報告されました。聞くものに「小さな地域のエネルギー」「暮らしのなかの学び」「町内・自治公民館の可能性」などを深く考えさせるひととき、印象にのこる分科会となりました。
さきほど(31日夜)、同分科会の世話人の一人、熊本の山城千秋さんから「分科会の感想」も着信(上掲メール)。本号に載せるには少し長いので、「感想」は次号まわしに。ご了承ください。
2283号【2009年8月30日】
●<衆院総選挙の投票日>
全国集会(信州・阿智村)の余韻、さめやらず・・。樋口正さん(羽島市)や瀬川理恵さん(横浜市)などから写真もお送りいただき、有り難うございました。上掲・浅野かおるさんのメール、かえって恐縮です。通訳をしていただいた李正連さんや肥後耕生さんも、ご苦労さまでした。新しく登場した「東アジア交流委員会」の皆さんを含めて、ここでまとめて(失礼!)、御礼を申しあげます。
自治公民館など「小地域の自治と連帯を築く活動」分科会のこと、二日目夜の日韓交歓の夕べ、他にも話題いろいろ。集会ご参加の方々から感想・コメントなどお寄せいただければ幸い。阿智村に行けなかった方から、「南の風」記事への期待もありますので…。
今日(29日)は衆院選挙運動の最終日。たまたま通りかかったJR中央線・西荻窪駅前では「最後のお願い」演説が熱を帯びていました。接戦が伝えられる息子の応援に、東京都知事の顔も。候補者は最後は宣伝カーの上で土下座しているようにも見えました。
それにしても日本の街には「ひろば」がない。駅前にはいつものようにバスやタクシーが発着し、駅の乗降客もあり、そうでなくても狭い空間は人でいっぱい。隣の荻窪駅前では野党候補の最後の激励会。こちらは接戦が伝えられて、逆に盛り上がっていました。拍手や掛け声も熱気あり。しかし、バスが行き交う横での、押し合い圧し合いの集会。せまい空間は日本の民主主義を象徴しているようにも思いました。人いきれの中で、日本政治のこれからの激動にも思いを馳せたひととき。
2282号【2009年8月28日】
●<全国集会、思わぬ出会い>
全国集会では、社全協の歳月をともに過ごしてきた旧友と、また思いがけない人との再会があるものです。関西からお孫さんを連れて参加されていた山本隆一さん(元枚方市教育委員会、枚方テーゼの起草に係わる)と集会閉会の直後にバッタリ。あと1分ずれていたら会えなかった。短い時間でしたが、なにか新しい決意らしきものを話されました。
民間教育研究運動団体が老齢化していく中、社会教育研究全国集会は若い世代が年々多くなる感じ。嬉しいことです。同時に、その中に古い世代が混じっている、というのがまたいい風景。
初日の交流会で、もし社全協の博物館のようなものをつくるとすれば、「こんな写真、いい記録になる!」と相模原の安立武晴さん(少し酔っていた)が声をかけて撮った写真。奇しくも元委員長、同副委員長、前委員長、現委員長が寄り添った画像となりました(下掲)。カメラはご存知、群馬の石川敏さん。
最近はあまり歌をうたわない。歌はカラオケで、と相場が決まっているかのよう。しかし交流会ステージ上で、韓国の皆さんは恒例の「アリラン」を熱唱。日本側から歌は出ないのかと思っていたところ、飯田下伊那集会実行委員会の皆さんが「信濃の国」を合唱されました。
あとひとつ、何か・・と所望したら、松下拡さんが「伊那節」を独唱。ながい付き合いですが、歌は初めて聞きました。情緒纏綿、艶っぽい節回し。松下さんの歌は、今年の集会の意外な収穫でした。
いま、駅前の野党候補の訴えが、風にのって聞こえてきます。いよいよ明後日は総選挙投票日。
▼社全協の現、元、前委員長・副委員長 (撮影・石川敏さん、20090822・全体交流会)*ピント甘し
2281号【2009年8月26日】
●<第14号校正終わる>
風・前号の本欄で、阿智村の岡庭村長と、栄村の高橋村長のお名前がごっちゃになり(上掲、矢久保メール指摘の通り)、たいへん失礼いたしました。実は送信直後に気づきましたが、まさに後の祭り。HP日誌欄はすぐに訂正しましたが、「風」は遠くに吹き去って・・・とくに岡庭村長にお詫び申しあげます。
全国集会の疲れを残したまま、昨日(25日)は「東アジア社会教育研究」第14号の最終校正でした。内田・江頭・小林の3名、昼から軽く乾杯しながら(刊行前祝い?)の作業、元気よく終了しました。さきほど内田編集長から、編集委員宛に配信されたメール。
「おかげさまで本日、第14号が校了いたしました。まずは編集委員の皆様に御礼申し上げます。例年どおり、9月18日発行。日本社会教育学会(大東文化大学、9月18〜19日)で販売の予定です。引き続き販売促進等にもご協力いただきますようお願します」と。
と言っても、作業がすべて終わったわけではありません。目次の確定にともない、中国語、ハングル、英語の3ヶ国語訳を急ぎお願いしなければなりません。それぞれ黄丹青さん、金侖貞さん、岩本陽児さんへの依頼、江頭晃子さんの編集実務の仕事もまだ続きます。皆さん、どうぞよろしくお願いします。
久しぶりに届いた竹峰誠一郎さん(安井資料研究会、三重大学)の便り。テレビ(NHK・BS1)「ミサイルに島を追われた人々〜南太平洋・マーシャル諸島共和国」(8月27日夜10時15分〜11時40分「きょうの世界」後半)に解説役として登場とのこと。楽しみです。
▼集会初日・交流会、韓国訪問団「アリラン」合唱(ホテル阿智川、20090822)
●<全国集会終わる>
今年の第49回社会教育研究全国集会(信州・飯田下伊那集会)は、8月22〜24日の3日間、伊那谷阿智村で盛大に開かれました。パソコンを持って出ませんでしたので「風」は2泊3日のお休み。
阿智村は飯田市からさらに離れた交通不便なところ。しかし最終日の総括報告では、全国から820人の参加者、どの会場も人で一杯でした。とくに若い世代が多く、たいへんな盛り上がり。実行委員会の代表は松下拡さん(松川町)、ぶんじんと同世代の大活躍です。堅く感謝の握手をして別れました。阿智村も村をあげての大歓迎、岡庭一雄村長の最後のご挨拶は、涙がにじんでいるように見受けられました。
韓国から16人の方々が全日程を通して参加され、まことにご苦労さまでした。前日は妻籠を訪問され(上掲・清水醇氏メール)、「とても良かった!」との感想が寄せられ、ホッと一安心。集会二日目・日韓交歓の夜では、東アジア交流委員会(石井山竜平さん代表)が初めて登場し、福岡の皆さんの協力もあり、思い出に残るひとときとなりました。調整役を果たされた浅野かおるさん、声がかれるまで通訳をされた李正連さん、お疲れさま。肥後耕生さんの朗報もあり、瀬川理恵さんや江頭晃子さんなどと前祝いの乾杯もしました。
帰路、皆さんとの挨拶を終わって、急ぎ飯田市へ。バスセンターの近くの(飯田に行ったら必ず寄る)小さなレストランへ。高速バスまでの1時間半、いい食事をしました。バス運転手とも仲良しになり、思いがけない(ここには書けない)エピソードも加わって、夏の三日間が楽しく終了。皆さん、いろいろのご配慮、有り難うございました。
▼集会二日目・日韓交歓の夕べ(昼神観光温泉センター、090823)
2279号【2009年8月22日】
●<木曽あららぎの檜木笠>
島崎藤村『夜明け前』に、青山半蔵が木曽谷・馬籠宿から峠を越えて、伊那谷・飯田に向かう朝の場面があります。「飯田行きの馬は通っているんだろう」「今朝はもう荷をつけて通りましたよ…なにしろ、道が悪くてご苦労さまです」など妻のお民と言葉をかわして出立。
山越えの道に、蘭(あららぎ)の村が見えてきます。「蘭はこの谷に添い、山に倚っている村だ。… 木曽名物の手工業に親代々からの熟練を見せているのもそこだ。そこで造らるる檜木笠の匂いと、石垣の間を伝って来る温暖な冬の清水と、雪の中にも遠く聞える犬や鶏の声と。」
蘭はいま妻籠と同じ南木曾(なぎそ)町。かって難儀な峠越えの道も、今は車で一走り。阿智村・全国集会に参加の韓国訪日団も、21日は妻籠に泊って、翌朝に山を越え阿智村・昼神温泉へ。日本の町並み保存運動・第一号の妻籠宿、韓国の皆さんの滞在はどうだったのでしょう?
今回、韓国側の妻籠訪問について、南木曾の教育委員会に電話したところ、教育長・遠山高志さんも、公民館長・清水醇さんも、この3月に退任されていました。しかし快く対応していただくことに。とくに清水前館長は病気をされた模様。お寺のご住職でもある清水さんからメール。
「…公民館長を辞したことをご報告しなかったこと、お詫び申し上げます。…(略)…お体を大切にしてお仕事に取り組んでください。何分、年を重ねますと何が起こるかわかりませんから。仕事がら、若くても具合を悪くされる方を見てきておりますゆえ、念のため申し添えました。」(Wed,
19 Aug 2009 10:09)と有り難い説話を頂戴しました。
一昨年、妻籠宿で清水館長(当時)から頂いた蘭の檜木笠。貝塚の全国集会でお会いした韓国・梁炳賛さんに「日本第一号の公民館・館長の檜笠です!」と記念に差し上げたのが、昨日のことのよう。
▼2007全国集会@貝塚、右端・梁炳賛さん(韓国・公州大学校、20070826)
2278号【2009年8月21日】
●<東アジア交流ネット>
TOAFAEC 研究年報「東アジア社会教育研究」は、今年で第14号を数えます。先日(16日)の編集会議・校正作業では、中国特集は成功しませんでしたが、予定ページ数を超える構成となり、面白い記録と悲しい追悼記事まで満載しての“近刊”見通しとなりました。いま最後の詰めの作業、江頭晃子さんが奮闘中。
毎号とも、末尾にその1年のTOAFAEC 活動「日誌」を載せています。その中には、TOAFAEC
の記録とともに、深いつながりをもつ「韓国生涯学習研究フォーラム」(2007年2月21日創設)の経過も、この2年、一緒に記載してきました。韓国フォーラムはTOAFAEC
を母体とし、同じ思いで動いてきましたが、別のリズムをもって独自に(本づくりなど)活動してきた側面があります。
これに加えて、昨年12月12日には、「中国生涯学習研究フォーラム」が新しく登場。上海調査(3月)を含めて、着実な活動が始まっています。そしてさらに、韓国・中国の両研究フォーラム合同昼食会の語らい(5月9日)が契機となり、両者をつなぐ「東アジア研究交流委員会」(仮称)が誕生しました(6月7日)。明日から阿智村で開かれる社会教育研究全国集会参加の韓国訪問団に向けて、相互の交流・歓迎の取り組みが期待されているところ。(上掲・石井山メール)。
前置きが長くなりました。… というわけで、第14号「日誌」欄には、これら東アジア研究交流ネット関連の記録を、TOAFAEC とは別表で掲載することになりました。さきほど作成した東アジア・ネット「日誌」をホームページにもアップ。
→■ 月日の誤記などあればご指摘を。あらためて今年は、画期的な動きが始まった年であることを実感しています。
なお全国集会第2日目夜の、日韓社会教育「交流の歴史と展望を語りあおう!」集い(風・前号)は、韓国生涯学習フォーラム、東アジア交流委員会、TOAFAEC の3者主催。報告は小林の担当。TOAFAEC 第154回研究会としてカウントすることにし、HPに書き入れました。ご了承を。
2277号【2009年8月19日】
●<日韓交流「この指とまれ」企画>
横浜・瀬川理恵さんから「風2275号が未着」との連絡(上掲)がきました。遅滞ない着信こそ風の命、届いていないお知らせは、とても気になります。他の皆さんは如何でしょうか。
風送信アドレス帳の当該部分(行)前後を、「重複かも?」とお断りして一括再送しましたので、別の方には二重の着信になったかも知れず、(その場合)お許しください。着信状況など、もし何かお気づきのことがあれば、お教えください。
ところで、8月22日(土)から開かれる第49回社会教育研究全国集会(会場:長野県阿智村・昼神温泉)には、今年も韓国訪問団(16名)が参加されます(上掲・浅野メール)。もし日程が合えば、上海の訪問団がこれに合流するはずでしたが、来年以降の楽しみに(今年の上海訪日団は12月?の予定)。
全国集会二日目(23日夜)は「この指とまれ=日韓社会教育・生涯学習の交流の集い」の企画。ところが、同時間帯でTOAFAEC
は、25年来「沖縄を囲む」あるいは「沖縄を語る」集いを開いてきました。今年は、ぶんじんが「日韓研究交流史、これから」を語ることになり、「沖縄」集いへの出席は無理。沖縄からの参加者にもよりますが、日韓交流に合流するかどうか、ご検討ください。
なお韓国訪問団は、全国集会の前日(21日)木曽谷・妻籠に寄り、同日午後3時から「妻籠の公民館と町並み保存運動」について遠山高志氏(南木曾町<前>教育長)の話を聞く計画、会場は妻籠宿の中心・南木曾町博物館の予定です。関心ある方はご一緒されては如何でしょう。同夜は住民憲章等の町並み保存運動でつくらてきれた妻籠宿に宿泊されるとのこと。
2276号【2009年8月18日】
●<あるのは心意気だけ>
16日は8月恒例の(今年は遅めの)「東アジア社会教育研究」校正作業。終日をかけて“風の部屋”は賑やかでした。ご参加の皆さん、暑い日(しかもお休みの日)、座りっぱなしの作業、お疲れさまでした。
この日、内田さんは高知より早朝の便で東京へ。「風の部屋」には最も早い到着、しかも夕刻には最終便で高知へ日帰りの多忙さ。胡興智さんは食材を仕込んで登場。昼と夕の2回、合わせて10皿前後の天津・家庭料理が卓上に並びました。ぶんじんは多少のワインなど用意して待機。作業がなければ、談論風発の楽しい午後となりそうでしたが、気を取り直して、黙々と校正に励んでいただきました。
パソコン編集となる以前は、校正ゲラを生原稿と付き合わせて、一字一句確かめあう作業でした。いまは原稿を見る必要などほとんどないようなもの。むしろ構成やレイアウト、小見出しやスペースなどの方が編集としては気になる。原稿を読みあう時間もありましたが、編集者としては執筆者の文章を尊重する方向。
過ぎし日の、15年ちかくの手作り年報づくりの歳月を思い起こしていました。最初の頃は、2人か3人、しょぼしょぼと取り組んでいたものです。あの当時、原稿の遅れを暖かく受け入れて、徹夜をしていたのは主に内田くん。まだ“風の部屋”はなく、近所のレストラン(グランメール)で落ち合って、飲みながら気勢をあげていました。金も権力も組織もない・・・、あるのは心意気だけだと。
2275号【2009年8月16日】
●<ホームページの書き入れ>
TOAFAEC ホームページは、ぶんじんの私的なスケジュールお知らせ、研究記録などの公開ページとして始まりました。研究室不在が多い言い訳に、扉に張り出していた毎月予定表をアップしたかたち。学生からの刺激もありました。たしか1998年5月、故黄宗建先生と一緒の沖縄旅行・案内を載せたことを記憶しています。ちょうどその頃「南の風」も発行したばかり。たどたどしい手づくりホームページながら、すでに10年をこえる歳月となりました。
当然のように、TOAFAEC としての研究会案内や諸記録の公式?ページの役割も担ってきました。公私混同もいいところ。TOAFAEC
の公式ページの側面は、きっとそのうちに若い世代が創ってくれるだろう、会としてもHPがないより当面いいではないか、そんな話をしてきました。それからもう10年余り。若い世代よ、頑張れ!
さきほどTOAFAEC 関連記事を点検しました。たまに誤記もありますので。今期(第8期)「役員構成」ページ・常任委員の一覧、石倉祐志さん(生活クラブ連合会、前事務局長)の名前が目に飛びこんできました。残念無念!「2009/July/31逝去」と書き入れることに。こんなこと、もちろん初めて。誤記となってほしいと願うも詮無きことか。
この間「風」に石倉さんの追悼記事がたくさん寄せられました。「東アジア社会教育研究」第14号でも、急遽、追悼のページを組むことになりました。今日の編集会議(校正作業)で報告が聞けるでしょう。
2274号【2009年8月15日】
●<64年前の夏>
8月15日を迎えます。戦争が終わった64年前のこの日、暑い夏の日ざし、さかんに油蝉が鳴いていました。郷里の久留米(福岡県)は、わずか4日前の11日に米空軍の激しい空襲。市の中心部はほとんど壊滅、焼け跡の臭いが今でも鼻に残っているほど、ひどい惨状でした。
どうにか残った我が家には、焼け出された2家族が転がりこんで、たしか18人の大家族となっていました。配給網も混乱状態で、食べるものがなく、少年Bは、自転車で近郊農家への買い出しに励んでいました。そこに、ラジオから天皇の声が突然流れた夏の日、忘れることができない虚脱感でした。
1945年当時、少年Bは14才、旧制中学2年でした。学校は戦時体制でまったくの閉校状態。生徒たちは勤労動員に駆り出され、耳納・善導寺(現在は合併して久留米市)山中の日本陸軍・需品廠の労役奉仕に従事していました。駅に着いた「需品」(日常雑貨、「突撃一番」など)を山に担ぎあげて備蓄し、逆に山から駅に荷物を運び出すという毎日。朝鮮半島から来ていた青年たちと一緒の仕事。彼らの飯場で、アリランやトラジの歌を憶えました。
米軍の空襲は大きく二つ。一つは爆撃機B29による焼夷弾の投下(久留米はこれで焼かれた)、あと一つは艦載機グラマンの襲来。B29は機体を輝やかせながら、はるか上空を優雅に飛び爆弾を落とす。グラマンは低空を突然舞ってきて、パラパラと機銃掃射をあびせる憎きヤツ。この年の6月頃からは、グラマンの襲来はほとんど毎日のこと。今から考えると、沖縄戦が終わったあとの作戦だったのでしょう。
「敵機発見!」「空襲!」とか誰かが叫ぶと、近くの防空壕にあわてて駆け込んだものです。少年たちもみな軍帽をかぶり、ゲートル(巻脚絆)を巻いて少年兵の出で立ち。しかし「勤労動員」の私たち世代は機銃掃射による負傷はあったものの、みな生き残りました。数歳上の「学徒動員」の先輩たちは、命を落とした人も少なくありません。黙祷!
8月15日、「風」にはもう何度も書いたのに・・・、この日になると、1945年夏のことをまた書きたくなるのです。
2273号【2009年8月14日】
●<非営利の心意気−第14号校正作業へ>
不順な夏です。そして不気味な地震も。皆さま、お変わりありませんか。夏といえば、汗だくで何か仕事に追われてきたような思い出ばかり。それも収入には結びつかない作業、書いても原稿料とは無縁な世界。しかし、そういう非営利の仕事こそが大事だ、少しでも世の中のためになるはず、などと言いきかせて頑張ってきた夏の思い出。社会教育主事講習に追われる年はあまりなく(文部省は委嘱してこなかった)、主として社全協や学会関連の仕事、大都市研や沖縄調査など、しんどい本づくり、ある年は「社会教育ハンドブック」編集に集中した夏もありました。家庭を省みないとの批判も少なからず。
40代〜50代の夏は社全協・調査研究部や全国集会担当の仕事が多く、60代に委員長となると、あまり汗は流さなかった?ような。そして最近の15年は、TOAFAEC
「東アジア社会教育研究」発行作業が中心となってきました。なにしろ毎年「九・一八」を期して定期発行しようとの申し合わせ! つまり、われわれは十五年戦争を忘れない、「東アジア」非戦への決意表明の思いをもって、9月下旬に開かれる日本社会教育学会大会までの「東アジア社会教育研究」発行を実現してきたのでした。
危ない号もありましたが、この15年よく持ちこたえてきたものです。とくに今年は、予定の中国特集の動きが失速、大穴があいてしまいました。営利的な刊行物だと大打撃。しかし、非営利の心意気、小回りの対応で、これをなんとか乗り切り、上掲・江頭メールのように、予定ページ数を確保した(越えた)とのこと。ご苦労さまでした。
今からさらに一頑張りの夏。編集事務局の皆さん、どうぞよろしくお願いします。8月16日・25日の両日、終日の校正作業、会場:風の部屋。一人でも多くのご参加を。今年もいい年報をつくりましょう。
2272号【2009年8月12日】
●<訃報あいつぐ−田村達夫さんご逝去>
本号・日誌に先日の福岡のことを書きかけたところに、上田幸夫さん(日本体育大学)より十日町市・田村達夫さんの訃報が届きました。虫が知らせたのか、数日前に、十日町の小川清貴さんに田村さんの近況を聞いたばかり。小川さんからは、次のようなメールでした(7日夜)。
「…さて、田村さんですが、昨冬だいぶ入院されて、その後自宅に戻られていたのですが、… 先日、聞いた情報によると、市内の下条にある病院に再び入院されており、肝臓などの内臓の機能がだいぶ低下され、あまりよい状態にはないとのことです。私もまだまだ田村さんからいろいろな教えをいただきたいところでもあり、これからもお元気で十日町市の社会教育の現状に提言をいただきたいのですが…。とりあえず私が聞き及んでいるところで、お伝えいたします…」と。
よい状態ではないとの便り、暑中でもあり、お見舞いの手紙を書こうと思っていた矢先の訃報、まことに残念です。若い方は、田村さんのことを知らない人もいると思いますが、新潟県十日町市の社会教育(青年学級等)・公民館・博物館を創り、担ってきた方。たしか1930年?生まれと記憶しています。戦後日本の自治体社会教育の創設・発展に力をつくした第二世代が、いま姿を消しつつある、そんな実感でもあります。
田村さんとのご縁があって、故横山宏さんは十日町に茅葺きの別宅をつくられました。実はぶんじんも誘われました。当時、福岡・油山の隠れ家をローンで建てたばかり、余力がありませんでした。一時は雪祭りなど、学生たちと一緒に十日町によく通ったものです。すべて田村さんの存在があってのこと。2006年11月、新潟中越の公民館大会に招かれ、田村さんのお宅でご馳走になり、公民館史料のことなど語りあったのが最後となりました。思い出いろいろ。惜しい方を失いました。心からご冥福を祈ります。
▼懐かしの笑顔、田村達夫さん(十日町、061117)
2271号【2009年8月10日】
●<いいだ人形劇フェスタ2009「麦笛」公演>
今回は国内にいるのに、風は珍しく3日の間が開きました。福岡→東京→飯田、と動いていたためです。8〜9日の、「いいだ人形劇フェスタ2009」参加の経緯は、風2258号本欄に書いた通り。木下巨一さん(飯田市役所)より詳細な連絡(風2262号)をいただいていたのに、当方うっかりケイタイを未携帯。連絡、待合せがうまくいかず、木下さんにご心労をかけてしまいました。飯田から帰路の中央道は大渋滞、ぐったり疲れて、今(10日朝)起きて、ようやく書き始めたところ。
今年の「いいだ人形劇フェスタ」は11年目、前身の人形劇カーニバル飯田(1979年に始まる)から通算すると第31回。いまやすっかり地域・市民に定着し(行政は「黒子」に徹し、プロ・アマの人形劇人は手弁当で参加する)、「飯田まつり」の賑わいも重なって、独特の文化祭りとなりました。『つながってく〜人形たちと歩んだ30年』記念誌(p268)も発刊されていました。
ぶんじんも、8日夕の人形劇パレードにはうまく合流して、駅前から公民館近くの公園まで、麦笛メンバーと1時間近くを一緒に歩きました。おそらく最高齢?か。馳せ参じた麦笛たちは16名(プロ、教師、社会人など)。9日午前の公演「しあわせの麦の笛」(飯田人形劇場)は大入り満員。佐藤一子さん(法制大学)も行列に並んでいて、一緒に座って観ていただきました。劇中の麦笛の余音じょうじょう、いまも耳に残っています。大学サークルの熱いつながり、15〜30年余の歳月を経てなお「いまも麦笛」、皆さん、いい夏を有り難う!
▼人形劇団「いまも麦笛」パレード、ぶんじんの後ろは「わけちゃん」など (090808)
2270号【2009年8月7日】
●<一衣帯水の仲>
韓国・公州のヤン・ビョンチャン先生から福島の浅野かおるさんへ来たメール、訳して送っていただきました(上掲)。今回(7月下旬)の私たちの訪問について、韓国側の「訪問機関や団体は、大満足でした」とのこと。日本側も、もちろん大々満足!短い日程にもかかわらず、国の機関(平生教育振興院)から自治体の新しい施設(始興市・清州市)、地域の実践グループ(平生学習マウル「チャミスル」や「働く人々」の「コブキ学校」など)への厚みのあるスケジュール。振り返って、熱い心配りに感じ入っています。もちろん、公州「お粥」など食事の店も。
社会教育・生涯学習・地域実践に関わって、志をもつ人たちが、海を越えて出会い、友情を確かめあいながら研究交流の水路を拡げていく喜び。小さくともよい、真摯な語りあいを継続していこう(金信一氏)とのご意見に大賛成です。
いま、大学間の姉妹提携の関係や、科学研究費による韓国訪問が(大学研究者の間では)ようやく拡がりをみせるようになりました。しかし個別の大学・研究者の範囲にとどまり、思いのほか成果は部外者に共有されず公開されないようにも思われます。
これから大事な方向は、自治体相互の、市民レベルの、また社会教育実践グループによる、いわば草の根の交流を多元的に拡大していく、ということでしょうか。幸いに一衣帯水の仲、言葉の枠をお互いに乗り越えて、日韓社会教育交流の新しい時代を創っていきたいものです。
▼左より2人目 ヤン・ビョンチャン氏(金浦空港の別れ、090729)
2269号【2009年8月6日】
●<東アジア研究交流委員会の動き>
今年5月〜6月にかけて、東アジア(中国・韓国・台湾・沖縄など)研究グループを横につなぐ「交流委員会」が動き始めていることはご存知の通り。そのきっかけとなったのは、TOAFAEC
5月定例(第150回)研究会「東アジア社会教育・生涯学習法制を考える」座談会(5月8日)、そして、翌日の中国・韓国両研究グループの合同昼食会、でした。
正式発足は、日本社会教育学会六月集会二日目の昼食時。いつも食事をしている?会。ささやかな活動が始まっています。TOAFAEC
ホームページにも小さなサイトを用意して、「風」関連の動きを記録中。
http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/higasiasia0905.htm →■
昨日の本欄にも記したように、上記・座談会の記録がほぼ出来上がりました。今年9月発行予定のTOAFAEC研究年報第14号に掲載される見込み。日本の社会教育法60年の歳月をふまえ、東アジアの関連法制を串刺しにして論議した初めての企画。当夜の進行と記録編集にあたった立場から、あえて自画自賛!いい出来映え!です。お楽しみに。
あと一つ。今年の第49 回社会教育研究全国集会(8月22日〜24日、信州阿智村)に、韓国から15人前後の訪問団が来日されます。その受け入れ・歓迎(2日目夜「この指とまれ」企画)に一役買うのが「交流委員会」の最初?の具体的な仕事になりそう。どうぞよろしくお願いします。韓国側との連絡役は、浅野かおるさん(福島大学)が毎年の奮闘、ご苦労さまです。23日夜「この指とまれ」の案内(21日妻籠訪問を含め)を「南の風」向けに送っていただけませんか。TOAFAEC
もともに名を連ねて下さい。ここ20年来続いてきた「沖縄を語る」(TOAFAEC )は合流するかたちとなりましょうから。
2268号【2009年8月5日】
●<8月4日の日誌>
4日10時より故石倉祐志さんの葬儀(西八王子)。神式のお弔いはとりわけしめやかです。20数年ぶりに母上にお会いしました。頼りの息子を1日にして失った老母の悲しみ、切ないひととき。喪主の陽子さんからは、旅行で訪れたという八重山・平久保(風2265号)の写真を1枚頂きました。歌碑のそばでにっこり笑っている彼の写真、これも切ない。
お別れのとき、棺に眠っている寝顔に「石倉くん!」と小さく呼んで、白い花を二つ供えました。一つはぶんじん、一つはTOAFAEC
の花。遠藤輝喜さんも泣いていた。
帰路の電車では、一緒にドイツ(ハンブルク)に行ったことがある同僚(生活クラブ)の佐々木さんから、職場のことを少し聞きました。長い付き合いなのに、私は石倉くんの職場・仕事についてあまり知らなかった後悔があります。
ところで話題一転。同じ電車で帰った胡興智さん(日中学院)は、8月16日予定の「東アジア」第14号・校正作業に、“風の部屋”に来てくれるそうです。胡さんは料理人、フライパン一つあればいい、何か作りましょうとのこと。皆さん、楽しみにお集まり下さい。
永福に立ち寄り喪服を着替え、その足で羽田へ直行。予定通りの便で福岡に着きました。葬儀の時間によっては、飛行機はキャンセル?と思っていましたが、大丈夫でした。気になっていた第14号収録予定「東アジア社会教育・生涯学習の法制を考える」座談会の最終リライト原稿も着信。皆さん、ご協力ありがとう。明日は最後の調整作業をして、小生担当の第14号関連作業はおしまい。今日の長い一日が終わりました。
2267号【2009年8月4日】
●<風はラブレター>
石倉祐志さんを偲ぶメールが相次いでいます。皆さま、有り難うございます。本人になりかわり、御礼申しあげます。せめて、すべての追悼メールを載せたいと思い、慌ただしく「風」を発信しています。南の風はいまや日刊メルマガとなりました。(まだ次号が続きます。)
久しぶりに福岡・横山孝雄さんからもメール(上掲)。実は6月中旬あたりで、横山さんへの「風」がすべて戻ってくるようになりました。電話で確かめても、アドレスの変更はないという。しかし、やはり戻ってくる。少々いやになって、彼をあきらめて、同じ福岡の西恵美子さん(風・前号)へ心変わり、彼女へラブレターを送ることにしました。いや、ほんと!です。「風」は皆さま一人ひとりへのラブレター。
いつの間にか、横山アドレスの末尾に「lg.」がくっついて、届かなくなっていたのです(6月中旬まで着信していたのに)。西さんのご注意で事態が判明、ようやく送信を再開したという経過です。横山さんには、欠号となっていた分をまず2250号まで、10通余り再送。一度にたくさん送ってもラブレターにならないので、残りは一段落して、また送ることにしましょう。
というのも、この間「風」には昨年に続く韓国訪問の記事がたくさん。とくに福岡の皆さんに読んでもらって、プサンとの交流の話題を再び風に載せたいものだとの思い。また鹿児島・韓国研究グループも、最近ほとんど音沙汰ありませんが、お元気でしょうか。今年の黄宗建先生の墓参り(三回忌)には、金済泰牧師によって肥後耕生さんの博士論文が霊前に供えられました。「東アジア社会教育研究」第14号に伊藤長和さんが報告される予定。
2266号【2009年8月3日】
●<公州のお粥の店>
8月3日夜は石倉祐志さんのお通夜。追悼の文を続けたいところですが、連日の重い記事なので、挿話として美味しいお粥(かゆ)の話を書くことにします。きっと石倉さんも例の笑顔で許してくれるでしょう。
昨年7月の黄宗建先生追悼の旅で公州に泊まった朝、引率役のヤンビョンチャン先生(公州大学校)は、私たちを小さな「お粥」の店に連れていきました。疲れた胃腸をやさしく癒してくれるお粥。しかも味が絶品、実に美味しかった!
忘れることができない朝食となりました。
日頃はお粥をまったく食べません。幼い頃の病後に強いられた「おカユ」と重なり、ベッタリした食感も苦手。ついでに明かせば、戦時下の食糧難に強制されたカボチャとダイコンは、今でもほとんど手が出ません。おでん料理でふっくらと煮込んだダイコンだけは別ですが、カボチャはとくにダメ。嫌な思い出があるのです。
それだけに、この朝の「お粥」には感動的なものがありました。そして今回の公州滞在でも、再びあの「お粥」の店に行きたいものだと楽しみでした。しかし短い日程、時間きざみの予定がぎっしり・・・、その上にお粥の店の開店時間は午前10時とか。スケジュール的に無理な様子。前夜の移動の車の中で、ヤンさんに昨年の「お粥」の思い出を語り、遠慮のないリクェストに及びました。
やはり無理でもお願いはしてみるもの。最終日の朝「お粥」の店は特別に早朝開いてくれて、夢は実現したのです。ヤンさんの威力!を実感。薬膳風の味わい、鮑(あわび)が格別、ゴマやカボチャのお粥も。この朝はカボチャも美味しくいただきました。
2265号【2009年8月2日】
●<回想尽きず>
韓国訪問記事に加えて、石倉(前)事務局長の急逝ニュース、「風」は連日の配信が続いています。急ぎ告別式等のご案内もしたく、お許し下さい。皆さんからの追悼メールは、私信的なものもありますが、「風」によく書いてきた石倉さんを偲ぶ意味で、掲載させていただきます。ご了承下さい。
石倉さんとは、彼の学生時代の出会いから数えると、すでに30年余の歳月。大学卒業後の付き合いが続き、それにここ15年はTOAFAEC
の活動も重なり、思い出いろいろ。次から次へと回想脳裏をめぐり、この一両日あまり眠りませんでした。
彼が亡くなって、あらためて思うことがいくつかあります。親子ほどの年の差なのに、間断なく(体調をこわしたこの2年は別にして)付き合ってくれたこと、冥利につきる思い。TOAFAEC
は少なくとも実質5年ほど彼によって支えられ、年報発行が危機に瀕した一時期、それを救ってくれたのは彼でした。結果的に無理を強いることになったのではないか、と今は深い悔恨。
どちらかと言えば控え目で寡黙、多くを語らない人でした。しかし内面的には実に多くのことを考えていた人ではないか、自ら多方面の興味を育み、ときに激しい意識を秘めている、ほんものの人柄に驚いた思い出もあります。一緒に、たくさんの旅をしましたので。
江頭さんのメール(上記)で、八重山への新婚旅行の際に、平久保の小生の歌碑を見にいったことを知りました。実は彼を詠んだ歌もありますが、泣けてきそうなので、本号はこれにておしまいにします。
2264号【2009年8月1日】
●<これほどあっけないものか!ー突然の落日(ぶ)>
7月最後の日、山本健慈・新学長(和歌山大学)の正式就任の朗報と相前後して、悲しい報せがとどきました。石倉祐志・TOAFAEC
前事務局長の訃報。朝、職場で倒れ、救急車で運ばれ、そのまま意識が戻ることなく最後を迎えたとのこと。朝に紅顔あれど夜には無言の帰宅。悲報を聞き、天を仰ぎ、人生の無常を実感しました。
石倉さんは東京学芸大学院修了後、生活クラブ生協連合会(東京)に就職。学生時代から大学生協に参加し、卒論・修論ともに生活協同組合をテーマに取り上げ、その意味で生協運動ひとすじの人生。
TOAFAEC 事務局の中心メンバーでした。たしか2001年春から2006年夏ごろまで、およそ5年余り事務局長(第2代)の重責を担って頂きました。毎月定例の研究会案内、そしてその丹念な記録がホームページに残されています。研究年報『東アジア社会教育研究』は、第7号〜第11号の5冊の編集長。徹夜で作業していた姿が思い出されます。
ドイツ(ハンブルク)、烟台、上海、内モンゴル、韓国、そして沖縄へと一緒に旅をしてきました。多くを語る人ではありませんが、独自の感性と正義感、あの笑顔と語り口、優しい人柄でした。
3月の第149 回研究会(伊藤長和さん壮行会)での挨拶が最後となりました。今年、私たちのまわりには朗報が続いていたのに、思わぬ悲報が突然飛び込んで、言葉もありません。ある意味で、これからの人生なのに・・・。ただひたすら冥福を祈るのみ。
▼2008七夕の石倉祐志さん(池袋、080628)
2263号【2009年7月31日】
●<平生学習、新しい動き>
今回の韓国訪問は、短期間の旅でしたが、多くの刺激をうけ、たくさんのことを考えさせられました。まだ充分に整理できませんが、とくに印象的なこと、いくつか箇条書きにしておきます。同行の皆さん、間違いなどご指摘、ご助言ください。
1,基礎自治体(始興市、清川市など)の「平生」(生涯)教育の体制整備が、先進的な都市では、この5年に着実に進んでいる。平生教育に関わる条例の策定、固有の施設(平生教育センター、平生学習館等)の登場など。共通して「平生学習都市」指定が主要な契機となっている。
2,平生教育法に法的根拠をもつ「平生教育士」が、それぞれの施設に配置され始めている。契約制(1〜2年、5年が限度?)による不安定な身分ながら、新しい専門職として意欲あふれる表情、創造的な取り組みの姿勢。これからの展開が注目される。
3,専門的な職能団体として「平生教育士協会」が運動的に(官制団体ではなく)結成されてすでに7年。最初はホームページによる呼びかけ。協会は、平生教育法全面改正(2007年)にも果敢な発言をしてきた。日本に職能団体として<仮称>「社会教育主事協会」(公民館主事・指導員等を含む)のような組織を構想する必要を考えさせられた。
4,平生教育の公的事業は、フォーマルな講座形態が主流。平生教育法23条「学習口座」、学点(単位)銀行制との関係からか。他方、地域課題にかかわる事業や、市民活動への援助といった視点は相対的に見えにくいように思われる。
5,市民レベルでは、地域に「平生学習実践」が個性的な展開を見せ始めている。今回訪問した始興市の平生学習マウル「チャミスル」や忠清北道・清原郡「コブキ学校」=農村の廃校を利用、共同作業と代案教育を行なう教育「共同体」運動など。それらに、平生教育士が積極的に参加し独自の役割を果たしている事例が興味深い。
▼イギュソンさん(平生教育実践協議会・平生学習マウル「チャミスル」会長、平生教育士協会初代会長)の話を聞く
(始興市・平生教育センター、20090727)
2262号【2009年7月30日】
●<韓国より帰国、新たな出会い>
濃密な4日間の韓国スケジュールを終えて、昨日(29日)夜、予定通り帰宅しました。疲れはもちろんありますが、なんともいえない旅の余韻、心の高ぶりが残っています。思い出すままに・・・。
まず、昨年に続く故黄宗建先生のお墓(松の樹)参り。予報は雨なのに、天は雨を降らせず、黄先生が笑っているかのよう。金済泰・申聖勲の両牧師が同道され、肥後耕生さんの博士論文が墓前に捧げられました。
韓国平生教育振興院への訪問。朴仁周・同院長など主要スタッフに加えて、金信一・もと教育人的資源部長官と再会、感激しました。
印象的なのは、躍動を見せている始興市、清川市、ソウル市江南区など自治体の平生教育センター、平生学習館、女性能力開発センター等の訪問。いずれも最近の新しい施設風景、それぞれに若い平生教育士のフレッシュな笑顔。江南ではテレビ取材も受けました。
そして、韓国平生教育士協会、平生教育実践協議会、始興・平生学習マウル「チャミスル」、清原郡「コブキ」(亀)学校等の出会いがまことに刺激的。
列挙していくと、短い日数(実質的には3日)に、よくぞこれほど盛りだくさんのスケジュールが組めたものだと、驚くほかありません。
あらためて、梁炳賛(公州大学校)先生と李揆仙(上記・平生教育士協会初代会長)さん、通訳にあたっていただいた鄭賢卿(水原女性会)さんに御礼申しあげます。細心のご配意、充実した旅となりました。
同行の皆さん、たいへんお疲れさまでした。とくに調整役の浅野かおるさん、会計の江頭晃子さんなどの奮闘、ご苦労さまでした。感謝!
記憶・印象が薄れないうちに、「風」に感想の一端でもお寄いただければ幸い。中国に帰られた伊藤長和さん、昨年に続く黄先生・墓参りについて一文を頂けませんか。また、締め切り迫る「東アジア社会教育研究」第14号にも、可能な範囲で、ホットな記録を収録できないものでしょうか。皆さんのご助力をお願いします。
▼黄宗建先生・三回忌、黄先生の松を囲んで (李揆仙さん撮影、090728) *関連写真→■
2261号【2009年7月26日】
●<韓国へ>
7月24日の研究会(第153 回)は、中国から一時帰国の伊藤長和さんを囲んで、久しぶりに“長さん節”を聞きました。すこし早口になられた感じ。韓国をよく知る人が、あらためて中国という大きなテーマに出会って、やや興奮気味のお話。若者の心意気が伝わってきました。話題のあごヒゲは上品に再生、おめでとうございます。
明朝から韓国です。浅野かおるさん、江頭晃子さんから、ご連絡いろいろ。浅野さんのメールから、その一端をご紹介しましょう。
「…金浦空港には、ヤン先生が出迎えに来てくださいます。今回は韓国滞在期間中、車2台での移動となり、ヤン先生の他に、イ・ギュソンさん(平生教育実践協議会会長、前・平生教育士協会会長)が車を出してくださいます。… チョン・ヒョンギョンさん(水原女性会、東北大学大学院修了)にも通訳をお願いすることにしました。チョンさんは、26日は遅れての合流となるようですが、合流後はずっと同行してくださるそうです。…
日程について。27日(月)平生教育振興院・朴仁周院長との夕食時に、金信一先生(ソウル大学名誉教授、元・教育人的資源部長官)が同席されるそうです。朴仁周院長が招待されたとのこと。文人先生にお知らせしておいてくださいとのことでした。…
」(Fri, 24 Jul 2009 22:15)
日本流に言えば、前文部大臣がお出でいただくとのこと。お心くばりに感謝のほかありません。これも黄宗建先生がとりもつ縁か。ヤン先生企画のスケジュールは、時間刻みのぎっしり日程、おそらく「風」編集の余裕なく、パソコンは持参しないことにしました。風は久しぶりの休刊、静かな夜をお過ごしください。
▼右より3人目・伊藤長和さん(高井戸、090724)
2260号【2009年7月24日】
●<沖縄の風−「池間民族」のエネルギー>
「南の風」はもともと「沖縄」研究の通信として始まりました。1998年のこと。毎号に必ずといっていいほど「沖縄」が載っている、と那覇「おきなわ社会教育研究会」メンバーに褒められた?こともありました。しかし、最近はだんだんと沖縄の影がうすくなりましたね。沖縄を語ることは、日本を考えること、そして東アジアをみる目につながる・・・、などと考えてきたのに。本号には「沖縄青年団運動史」研究を載せましたが。
7月18日「宮古島の神歌と古謡−日本文化の古層」(草月ホール)はあらためて沖縄の原点にふれた思い。風2250号「立ち上がった宮古のおばぁたち」でご紹介したように、主役は80〜90代の“おばぁたち”。人々の暮らしのなかに祈りあり、神に捧げる歌があり、それが地域の文化の古層となってきた・・・。なぜ“おばぁたち”が元気なのか、素朴な表情と心にしみる歌や太鼓を聞きながら、よく分かる気持ちになりました。歌詞・言葉(宮古方言)はまったく分からない。しかし宮古島の神歌は「おもろそうし」神歌の源流(外間守善)と言われているのです。
最前列の席、写真を撮れないのが残念。プログラムは多良間島の古謡もありましたが、池間島、佐良浜、西原のいわゆる「池間民族」の神歌や古謡・アヤグ(綾語)が中心。離れ小島の池間島(いまは大橋で結ばれている)は、かっての人口激増によって西原、佐良浜に分村した間柄(1720〜1874年〜)。会場には池間民族の郷友会の方々が、はやし手拍子、最後のクイチャーでは総立ちとなっての盛り上がり。文化・芸能の神髄をみる思い、ジンとくるものがありました。
クイチャーとは、五穀豊穣や雨乞いの祈り、シマの広場で男女が輪になって楽しむ舞踊。揃いの型のなかに道化の男衆もいて忘れられません。
2259号【2009年7月22日】
●<衆議院解散、24日は定例研究会>
山口県防府で豪雨。特別養護老人ホームを裏山が直撃し、国道は泥川と化し、土砂に埋まった集落の写真がいたいたしい。山口や九州の皆様、お見舞い申しあげます。
今朝(22日)の新聞は、豪雨被害のニュースだけでなく、ようやく動いた衆議院解散のニュースが躍っています。「自民、初日から消沈」、「民主、政権へ高揚感」などの見出し(朝日)。お手上げ、断末魔、なんとでもなれ、無理心中、などいろんなネーミングをつけた解散記事のなかでも「…これは衆議院の解散ではなくて、自民党の解散なのではないか」(某コラムニスト)など。こんな状況にまで劣化した日本(自民党)政治、こんどの国会選挙が大きな転換への契機となってほしいもの。
7月24日は、TOAFAEC(第153回)定例研究会です。7月初頭に出した案内を再掲しました。中国烟台から一時帰国の伊藤長和さんを囲んでお話をうかがいます。暑気払いをかねて、お互いの元気をを語りあう機会にしましょう。ご参加をお待ちしています。
あわせて「東アジア社会教育研究」第14号の編集情報も聞きたいところ。7月も下旬というのに、例年になく静かに推移しているのが妙に不気味ですね。それほど騒ぐ必要もなく、原稿が順調に集まっているのであれば安心なのですが・・・。小生担当の座談会記録は、まずまずの進み具合(リラト未着の方は大至急お送り下さい!)、26日の韓国訪問までには成稿をお届けできる見通しです。
2258号【2009年7月21日】
●<いいだ人形劇フェスタ 2009>
風・前号の「7月韓国訪問」参加者のなかで、日程調整中の瀬川理恵さん(横浜市教育委員会)から「ご連絡が遅くなりました。韓国への旅行について、参加させていただきます。なかなか決まらず申し訳ありませんでした。浅野先生にもお手数をおかけしますが・・・」(Sun,
19 Jul 2009 17:05)とご連絡がありました。去年につづく故黄宗建先生の墓参りとヤン先生企画による韓国平生教育関連の交流の旅、7人の参加が確定(女性3,男性4人)。お世話になります、よろしくお願いします。
昨日(20日)はまた、麦笛「わけちゃん」から、お誘いメール来信。「ご無沙汰してます。お元気ですか? 今年の『いいだ人形劇フェスタ2009』は8月6日〜9日です。9日の10時から飯田人形劇場で、昨年の麦フェスで上演した『しあわせの麦の笛』を上演します(上演劇団名は「いまも麦笛」)。もしかして、今年は飯田にいらっしゃいますか? 飯田でお会いできるとうれしいなぁ〜!と思ってメールしました。… 8日の夕方のパレードに麦笛も参加することになりましたので、ぜひ小林先生もご一緒に!?」とのこと。
東京学芸大学・児童文化<人形劇>サークル・麦笛、私は1970年代から顧問教師でした。OBG
による「麦フェス」はいつも8月最後の週末、私たちの全国集会の日程と重なり、昨年の公演はお祝いの花束だけで失礼していたのでした。「わけちゃん」や「げきだんはてな・うそまこと」などの皆さんは、30年前の学生。大学を出て教師の道を選ばず、人形劇一筋で頑張ってきた人たち。
8月初旬は福岡で夏休みの予定。なんとか8月7日に帰京して、8日の午後に「いいだ人形劇フェスタ」に駆けつけようかと思い立ちました。どなたかご一緒できる方はいらっしゃいませんか?
*飯田人形劇フェスタ
→■http://www.iida-puppet.com/thisyear/index.html
2257号【2009年7月19日】
●<中国で唯一建立された日本人公墓>
前号の続き。記録映画「嗚呼、満蒙開拓団」(羽田澄子演出作品)では、国策に翻弄され関東軍に棄てられた人々が、これほどまでに過酷な運命をたどったのか、これまで聞いたことがない悲劇が次々と語られました。凍りつくようなひととき、岩波ホールにはすすり泣きの人も。
終戦の数ヶ月前に満州に送られ、日本から届いた荷物をほどく暇なく逃避行が始まった話、頼りにした軍人から「年寄りと子どもを置いてゆけ」と命じられた悲しみ、混乱・窮地の中の集団自決、たまたま父がいなかったので「私は殺されなかった」などの証言。このような悲惨な事態をもたらした無謀な満州移民・義勇軍策の失政、国民を見殺しにした軍隊の本質、多くの犠牲者を放置してきた政治の冷酷さを思いました。
映画は最初のところで「方正県人民政府」が建立した(墓守りもいる)「方正地区日本人公墓」(松花江ほとり)を紹介しています。方正の地で命を落とした日本人は数千人。1946年の春、夥しい婦女子の凍りついた遺体が溶け出し、3日3晩かけて石油をかけ焼いた数はおよそ4500体と伝えられます。ある残留婦人が、累々たる白骨の山を見つけ、お骨を拾い埋葬したいと願い出て、県政府・省政府をへて中央政府へ達し、最終的には周恩来総理の許可による「公墓」建立でした。日本の侵略に対する恨みがまだ衰えない1963年のこと、「開拓民たちも日本軍国主義の犠牲者である」という人道主義的な判断からでした。
この日本人公墓建立に努力した残留婦人は、文化大革命の時、紅衛兵の攻撃の的となり、3年半も投獄されたそうです。それを解放させたのも周総理であったとの証言。周総理の大写しのポートレートが印象的でした。
2256号【2009年7月18日】
●<「嗚呼 満蒙開拓団」>
前号本欄にふれた「風」送信の一部不調は、上掲・近藤さんメールのように、2252号(2251号でなく)だったようです。ご連絡をいただいた方には、それぞれ再送しましたが、なぜ一部の方(いまのところ3人)のみ未着か、もっと他にもあるのではないかなど、配信側としては心配しています。「風」も10年過ぎると、ときどきトラブルはあるでしょうが、「届いていない!」など最も気になること。ナンバーのふり間違いは絶無のはず(自信あり)、もし欠号あれば、ぜひお知らせ下さい。
先日の日本公民館学会七月集会の折、ある人と「“嗚呼 満蒙開拓団”を観ましたか?」という話になりました。南の風でときどき映画をとりあげてきたことをご存知だったのでしょう。まだ観ていませんでした。いま時間的には自由人、映画などもっと自由に楽しめるはずなのに、実際には諸事に追われて、ままならないものです。
そう言えば、話題の「長江にいきる 秉愛(ビンアイ)物語」(中国2008」も見損なったし、「台湾人生」(風2244号に紹介)もまだ観ていない。というわけで、七夕の会で一段落の翌日、神田神保町・岩波ホールに出かけました。「嗚呼 満蒙開拓団」は昨年のキネマ旬報ベストテン文化映画第1位、ペンクラブ文化映画でも第1位。月曜午後、ホールはほぼ一杯でした。
演出の羽田澄子さんは、1950年に岩波映画製作所に入社、写真文庫の編集や記録映画づくりに携わってきた人。初演出の作品は「村の婦人学級」(1957年)、社会教育史としても貴重な記録。「嗚呼 満蒙開拓団」は羽田さんご自身のナレーションから始まります。(次号へつづく)
2255号【2009年7月16日】
●<川崎・小杉の駅前で>
いまパソコンの切り替え中。すでに5年ちかく、どこに行くにも持ち歩いてきた機種だけに愛着この上なく、お互い老齢化の身をいたわりつつ、ゆっくり速度にも我慢して、この数ヶ月、最後の付き合いをしてきました。しかし、ようやくサヨナラをいうときが来たのです。夜のしじま、とっておきのワインで別れの乾杯をしました。
新しく立ち上げたパソコンで、1両日遅れていたホームページの更新(伊藤さん・烟台の風など)作業。新しくお付き合いを願う新顔に、お互い頑張ろうなと語りかけながら再びの乾杯。楽しい夜となりました。
古いパソコンのせいなのか、2人の方から「南の風」2251号など欠号の連絡あり、急いで再送しました。なぜ未着か、理由はよく分かりません。7月は、半月の間に10本もの風を送信。皆さんからの寄稿あいつぎ、やや忙しい毎日。送信の手もとが狂ったのでしょう。ご点検の上、もし欠号があれば、ご遠慮なく一報下さい。
7月15日午後、久しぶりの韓国生涯学習研究フォーラム(川崎・中原市民館)でした。韓国に向け出版予定本の編集会議、最終作業が進行中です。終わって、武蔵小杉の駅前で賑やかに飲みました。5年ほど前、『韓国の社会教育・生涯学習』編集会議に来日の故黄宗建先生と語り合った同じ店でした。この夜は、明石書店・黒田貴史さんとご一緒。
7月下旬の韓国行き追加希望(前号本欄・瀬川さん)について、早速、韓国公州・ヤン先生から福島・浅野かおるさんにご連絡あり、今週末に決まれば大丈夫だそうです。
2254号【2009年7月14日】
●<七夕の会終わる、韓国訪問の準備へ>
前号の続き。七夕の会ご参加の皆様から諸メール、いろいろ有り難うございました。その後、アーデルさんは“風の部屋”泊まり、少し二日酔い?か。翌日(13日)も夕食を一緒、しかしあまり飲まず。
当日の写真はたくさん(江頭晃子さん撮影)。集合写真は撮りませんでしたが、参加者は例年より多く、30人前後。烟台の伊藤長和さんから「烟台の風」送信(上掲)に付して、「…七夕の会はいかがでしたか。是非出席させていただきたかったですね。アーデル先生の写真が、小林先生のホームページに掲載されていないのが残念です…」(13
Jul 2009 09:22)と。HP「7月スケジュール」の写真2枚とは別に、「ぶんじん日誌」(本ページ)に、小生と一緒に,「ビラーディ ビラーディ〜」を歌っているアーデルさんの1枚をアップしていますよ。
また「…七夕の会の会場に小林先生と遠藤さんの携帯に電話を入れましたが、留守電設定でした。アーデルさんのお声を聞きたかったのですが…」(13
Jul 2009 20:08)と。たいへん失礼しました。すぐに夏休みで一時帰国とのこと、久しぶりの再会が楽しみ(7月24日夜、定例研究会で囲む会・予定)です。
ところで、7月下旬の韓国訪問について、具体的なスケジュールがヤン・ビョンチャン先生(韓国公州大学校)から送られ、浅野かおるさん(福島大学)から関係者に配信いただきました。時間きざみの充実したスケジュール、ご準備まことに有り難うございます。横浜市教育委員会の瀬川理恵さんから、参加したい思いで同じ飛行機便を予約されたそうです(ただ最終確定ではない模様)。すでにホテル・大学ゲストハウスなど予約いただいたようですが、一人追加が可能でしょうか。
2253号【2009年7月13日】
●<池袋「ボルグ」にて>
7月11〜12日の濃密なスケジュールが終わりました。関係の皆さん、お疲れさまでした。これで梅雨明け、そして夏に向かうのでしょうか。
12日午後「七夕の会」(西池袋「ボルグ」)は、午前「中国生涯学習研究フォーラム」メンバーが引き続きご参加いただく流れとなり、近年になく賑やかな会となりました。連絡その他の準備、当日の運営にあたっていただいた皆さん、もちろん店「ボルグ」(泉)の各位、いろいろのご配慮、ありがとうございました。
参加者は、東京・首都圏だけでなく、北は秋田・仙台・新潟、南は高知・滋賀(突然の登場)など、各地から思わぬ顔ぶれ。海外は遠くカイロのアーデルさん(風・前号「ご挨拶」)。この日に合わせて久しぶりの来日、懐かしい再会となりました。
お酒飲みながら、みんなで勘定したところ、今年はちょうど30回目の七夕の会。アーデルさんが来日し旧小林研究室に顔を出して20年の記念の年、乾杯!乾杯! 会が年中行事化するきっかけとなった平林正夫さんの父上がハーモニカを披露。年季の入った腕前に驚きました。「ボルグ」からは心づくしの馬頭琴の演奏(HP「7月スケジュール」に写真)。また、ぶんじんとアーデルは「“ビラーディ、ビラーディ”」(風2251号)を熱唱、山口真理子さんは馬頭琴の伴奏で「涙そうそう」を歌っていました。その頃は少々酔って、あまり定かではなく・・・。
ニュースもいろいろ。新潟・魚沼から来会の森山丈順さん報告によれば、星野修美さん(元川崎市市民館館長)が魚沼の公民館館長になられた由。あるいは、大学定年教授の蔵書を集めてカイロに「日本文庫」をつくる構想とか(アーデル)。参加の皆さんから、おいおい当日の記録や感想が寄せられることでしょう。
▲右・アーデル氏と歌う“ビラーディ、ビラーディ”(池袋「泉」 090712)
2252号【2009年7月11日】
●<七夕の回想>
7月11日は、日本公民館学会七月集会(東京・福生市)。これに合わせて(いつぞや本欄「賑やかな日程」で書いたように)夜・東アジア研究交流委員会。12日は、午前・中国生涯学習研究フォーラム、昼・「東アジア社会教育研究」第14号編集委員会、そして午後は恒例「七夕の会」。今年はいろんな人がやってくるようです。お待ちしています。
もともと七夕は旧暦の五節句の一つ。しかし70年前の子ども時代を思い起こしても新暦の7月7日でした。家の横のだらだら坂を下ると、広い蓮根畑があり、その蓮の葉から玉の露をすくいとり、硯に移して墨をすり、筆をとって短冊にいろんなことを書いたものです。正月の書き初めとならんで忘れがたい思い出。少年時代は戦時下で物資窮乏でもあり、五色の短冊などなく、折り紙の紙を切って使ったような記憶。それを藪から切り出した笹竹の葉に結んで、星に願いをかけるのです。男の子は書道、女の子は裁縫が上手になるようになど。この夜は子どもの祭りの雰囲気でした。
いま「七夕の会」にはとくに墨も笹も星もありません。しかし、研究室を巣立っても、年に一度は会う機会を、という願いから四半世紀あまり続いてきました。平林さん親子の来訪がきっかけ(いつぞや書きました)で始まり、最初の頃の主役はむしろ留学生の皆さん。4月に研究室に入ってきて不安や緊張で過ごす3ヶ月、この日初めて「指導教授」とやらの自宅で、お酒を汲みかわす機会となるのです。今でも当時の留学生は懐かしく思い出話をしてくれます。10年ほど経ってだんだんと(新年会と同じような)飲み会に拡がっていきました。
2251号【2009年7月9日】
●<あのとき、ナイル河畔で>
渡部幹雄さんが奮闘中(上掲記事)。しかし、頑張り過ぎないように、ご自愛下さい。そう若くないのだから、といつも私が頂戴する言葉をそのまま進呈いたします。そのうちに落ち着いたら、一度、大分に一緒に行きましょう。金慶淑さん(別府大学)や中野五郎ちゃん(臼杵市長)などとも会いたい。農中茂徳さんと、<海釣りをかねて>行こう、そんな話もしています。
昨夜の電話では、12日午後「七夕の会」(池袋)に久しぶりアーデルさんがカイロからやって来るそうです。ふと1990年3月、彼の誘いで、エジプトを訪問したときのことを想い出しました。4月に向けて新年度が始まる直前、私たちはナイル河畔に佇んで、しばし新しい進路を話しあったのでした。渡部さんは、丸木橋を自転車で、いまにも落ちそうに走り続けるところがあって、心配でした。あれからすでに20年ちかく。よく落ちないで(失礼!)、いまは確かな道程を、元気よく歩いている、ご同慶のいたり。しかし、いつまでも、心にはやる客気あり、何やらの侠気のようなものもあり、それが行動のエネルギーを生むのでしょうが、少し心配なところもあった(過去形!)のです。
あのときの東京学芸大学研究室ゼミ旅行、エジプトへの一行は約15人。アラビヤ語の事前学習もして、学部学生を含め、みなよく参加したものです。事故があってはならじと、引率役としては緊張した旅でした。それぞれどんな道を歩いているのだろう・・・。青年そのものだったアーデルさんも、今をときめくエジプトを代表する日本学者。七夕の会には久しぶりの登場、楽しみです。あのとき、ともに歌った“ビラーディ、ビラーディ”(「わが祖国」、パレスチナ解放運動の歌)を聞きたいもの。
*南の風・日誌・2201〜2250号■
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