【南の風2017】発行リスト・3801号~3850号
各号目次・後記(ぶんじん日誌)
*南の風・発行一覧→■
*南の風3751号~3800号■
*南の風3851号~次ぺ―ジ
【南の風2017】3801号~3850号・目次一覧
3801号【 3月 1日】自由投稿呼びかけ、韓国本校正・最終作業、アイヌの言葉・沖縄の心、自由闊達の編集
3802号【 3月 3日】上海・呉遵民原稿、分断を超えて-文化座、ソウルへ留学(ソウルの風1)、年報特集
3803号【 3月 5日】韓国フォーラム73「東アジア・韓国とドイツ」、236研究会「対談」、平生教育法最新版
3804号【 3月 8日】和歌山大学生涯学習フォーラム・地方国立大学、多文化フォーラム案内、投稿呼びかけ
3805号【 3月 9日】ソウルの風 No.2、外国につながる人の学習権と夜間中学つどい、やんばる対談学習会、
3806号【3月12日】やんばる資料、川口夜間中学開設、埼玉新聞記事、足元の歴史VX、心揺さぶられる動き
3807号【3月14日】3月研究会・年報編集委員会、ソウルの風No.3、仙台・石炭発電所問題、歴史を刻む
3808号【3月16日】やんばる対談事前学習会、映画『まなぶ』(新宿)、「今こそ立ち上がろう」、3月15日
3809号【3月17日】川崎・反ヘイトスピーチ運動、飯田公民館・主事会報、やんばるの博物館、アリラン文庫
3810号【3月19日】大阪の反ヘイトスピーチ運動、韓国本いよいよ、「千代田丸事件」の教訓、ビルダー不調
3811号【3月22日】年報22号編集委員会(第3回)、やんばる対談事前学習会報告、山城議長保釈、沖縄へ
3812号【3月25日】月刊社会教育・新編集長挨拶、ソウルの風 No.4、町田とびたつ会、那覇の夜、訃報あり
3813号【3月27日】飯田市公民館3月退職、中頭青年会・中根章さんを偲ぶ会、やんばる対談、湧き立つ交流
3814号【3月29日】やんばる対談・地域博物館からのアピール、夜間中学協議会設置を、上勢頭芳徳さん逝く
3815号【3月30日】やんばる対談その後の報告、沖縄県立図書館「空飛ぶ図書館」、沖縄の社会教育研究を
3816号【4月 1日】ソウルの風 No.5、やんばる、公州大學と九州大学の交流、東アジア研究委員会の再生を
3817号【4月 3日】韓国フォーラム(74回)、編集委員会・3月研究会報告、普天間運用停止、沖縄証言とビデオ
3818号【4月 6日】4定例研究会案内、4月異動挨拶、「なまからどぅやいびんどー」金口木舌、東京は桜満開
3819号【4月 9日】玉野井芳郎と沖縄、町田とびたつ会、池谷薫監督作品上映、林えいだい『これが公害だ』
3820号【4月11日】4/16韓国フォーラム、文科省ポスター発見、「猫が来たよー」、「公民館」のポスターを
3821号【4月13日】十日町・寺中講演記録、ソウルの風6、島を語った北島角子さん、新憲法と初期公民館
3822号【4月15日】鹿児島からのメッセージ、北島角子さん死去(沖縄タイムス社説)、事務局、4月のお祝い
3823号【4月17日】福岡へ、第9回平和博物館国際会議、本質を伝える、 韓国フォーラム、自由投稿応募を
3824号【4月19日】出版直前(74回)韓国研究フォーラム、日常の中の島唄(てるりん祭)、新・韓国本の誕生
3825号【4月20日】夜間中学を知ろう!映画とお話、南の風を(フフホト)、風へ参加、ボヤンバートル回想
3826号【4月22日】やんばる便り、8月・日本へ、町田とびたつ会、夜間中学ポスター、4月28日4っの会議
3827号【4月25日】28日研究会再案内、22号自由投稿応募(広東、奄美、名護、竹富、ソウル)、HP2本アップ
3828号【4月27日】投稿応募(黒竜江、韓国水原、大邱など)、「標的の島」は嫌、上勢頭芳徳さんとの出会い
3829号【4月29日】文科省玄関に夜間中学ポスター、ソウルの風 No.7、4・28「屈辱の日」、高知、65年目
3830号【5月 1日】外国につながる子どもの学習権保障、竹富島の観光問題、TOAFAEC諸連絡、目には青葉
3831号【5月 3日】『公民館を創る』出版、「飯舘村の母ちゃん」上映、事務局・6月研究会準備、八重山ホタル
3832号【5月 9日】2017中韓日社会教育研究セミナー日程、糸魚川、憲法と沖縄、15年目の懐かしい持病
3833号【5月11日】文在寅氏第19代大統領へ(ソウルの風 No.8)、日本は本当に謝罪か、韓国・新しい躍動
3834号【5月12日】小林冨美逝く、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ(AALA)教育研究会、86歳の人生
3835号【5月16日】5月研究会ご案内―新韓国本出版・東京研究から、富美さん逝去、モンゴルから追悼詩
3836号【5月18日】第75回韓国フォーラムお誘い(再)、各地追悼メール、 『躍動する韓国の社会教育』刊行!
3837号【5月20日】2017総会開催、ソウルの風 No.9文大統領の一週間、お悔やみ・研究会参加、5年の歳月
3838号【5月22日】75韓国生涯学習フォーラム報告、お悔やみ(名護)、モンゴル・追悼詩日本語訳、美酒多量
3839号【5月25日】新韓国本・韓国に上陸! 韓国本の特別価格、「慰安婦」「合意」批判、短信・沖縄へ返せ!
3840号【5月28日】5月定例研究会記録、名護市汀間区長、 お悔やみ、事務局コーナー、複眼的に考える
3841号【5月30日】 冨美さんを偲ぶ七夕会(7月9日)、ソウルの風10、新韓国本の反響、告別式から2週間
3842号【6月 1日】2017総会、川崎市平和・人権学習30年の歩み、首里城公園「留魂壕」、総会の歩み回想
3843号【6月 5日】TOAFAEC総会報告、7月研究会、爽やかに憲法を愛し平和を求め、総会の課題と楽しみ
3844号【6月 7日】沖縄ビデオと証言(6月研究会)、沖縄1935-写真でよみがえる戦前、イジュの花と沖縄戦
3845号【6月10日】若葉とそよ風のハーモニー 、回想・仲宗根政善先生、質の高いリゾート地とは(竹富島)、
3846号【6月14日】富美を偲ぶ会・風の部屋の宿泊、大田昌秀氏-平和・自立・共生の志、大田昌秀氏訃報
3847号【6月17日】教育勅語に関する共同声明(学会)、仲宗根政善先生を偲ぶ2、八重山の大田昌秀元知事
3848号【6月21日】新『躍動する韓国』本、夜間中学動き二つ、22号論文、朝鮮人犠牲者刻銘・平和の礎
3849号【6月23日】6月研究会「沖縄のビデオと証言」、沖縄タイムス社説・聴くことから始める、慰霊の日に
3850号【6月26日】竹富島憲章30年、町田とびたつ会、祖母の戦争体験、八重山・戦争マラリヤの悲劇
*南の風3851号~次ぺ―ジ
南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
3850号【2017年6月26日】
■≪八重山・戦争マラリヤの悲劇≫
こんどの6月定例研究会は沖縄がテーマ、前号には山口真理子が最終案内。「この日見せていただく予定の「学童疎開」は強制的に西表島に疎開させられた波照間島島民のマラリア地獄の記録です。本島の空襲や地上戦とは異なる沖縄戦のもう一つの悲劇」。
八重山のいわゆる「戦マラリヤ」の歴史、とくに波照間島(日本・最南端の島、子どもたちはマラリヤ感染地の西表島に強制移住させられる)の戦争についての貴重な映像記録(未見)。「月刊社会教育」でも戦争マラリヤの悲劇を取り上げたことがあります。執筆者は宮良純一郎さん(子どもと教科書を考える八重山地区住民の会事務局長、八重山戦争マラリヤを語り継ぐ会事務局長、退職教職員会事務局長、など)。
ウエッブ・サイトのなかに宮良ケイタイがわかったので久しぶりに電話しました。ほぼ20年前を思いだし、父上のこと(保全氏・与那国民謡の第一人者、私たちの与那国研究、渡慶次賢康さんのその後など。当時、国境の島・与那国研究をテーマに科研費が認められて、初めて与那国に渡ったとき、純一郎さんは与那国町教育委員会の教育課長。お世話になったのです。その夜の歓迎の席でお父上の♪与那国ションカネ♪に酔いました。その後、純一郎さんは石垣市の小中学校長、八重山教育事務所長など歴任。退職後は、教科書問題・戦争マラリヤ問題等でいまなお奮闘中。
小林の与那国研究は、「東アジア社会教育研究」第3号、第7号に、与那国の集落と公民館・その定着過程として(未完のまま)収録されています。国境の島の公民館というより、島の古層の伝統文化に埋没して機能している公民館の姿に打ちのめされた思い出。その後、竹富島調査へと歩むことになります。
3849号【2017年6月23日】
■≪定例・沖縄研究会(6月30日)に参加を!≫
今日23日は沖縄「慰霊の日」。お昼の実況中継を見ていると、梅雨明けの摩文仁の丘は、よく晴れた明るい6月でした。しかし1945年4月から6月の諸記録をたどると、泥濘と艦砲射撃、爆裂音、阿鼻叫喚の陰鬱な毎日だったのです。そして沖縄地上戦は、この日に終わったのではなく、やんばるの山野を含めて8月いや9月まで人それぞれの戦争が続きました。
今年は戦争を知る世代が多く亡くななった年になりました。沖縄各紙の社説も「聴くことから始めよう」(沖縄タイムス、上掲)と言葉はやさしいが厳しい内容が印象的。八重山毎日は(中山石垣市長などの)平和宣言・慰霊弔辞と「言行不一致」の現実、「石垣港には海上自衛隊の艦船が入港し平和港湾都市宣言は打破され、平得大俣には自衛隊のミサイルが配備される基地建設計画が着々と進められている」を激しく書いています(23日社説)。
琉球新報は、慰霊の日の社説に「新たな“戦前”にさせない」を掲げ「戦前の空気が漂う中、戦争につながるあらゆるものを拒否し、今を新たな戦前にはさせないと改めて決意する日としたい。「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を胸に刻みこの地を二度と戦場にさせてはいけない」と結んでいます。
私たちの研究会も6月は沖縄を取り上げます。仲宗根政善先生の貴重なビデオと証言(6月30日案内号・上掲)。山口真理子事務局長は、なんと20枚をこえる当日配布資料を用意されたとか(資料実費いただく?)。
沖縄に関心をもつ埼玉大学・院生も参加予定だそうです。昔は和光大学に沖縄追っかけの学生が群れていましたが、いま姿が消えたか。この3月に、沖縄「やんばる対談」参加の栗山究(地域博物館研究)、石川敬史(図書館研究)のお二人、この夜、ぜひ(無理を押しての)出席を期待しています。(7月9日にも現博物館長、前博物館長、中村誠司さん、島袋正敏さん上京予定。)
3848号【2017年6月21日】
■≪4日ぶりの風≫
4日ぶりの風。ずいぶんとのんびりするようになりました。4月のどこかで(虫が知らせたのか)隔日原則でなく3日おきの発行にしましょう、と書いたことがありました。いま4日ぶりの発行リズムになったような。申しわけありません。腰の痛みとは、全身から集中とか実行とか・・・そんな気力を奪い去るところがあるようです。いろいろやるべき仕事があるのですが、まったく手がつかない毎日が続いています。
腰の萎えはとくに通夜・告別式の両日にひどい状態でした。それからだんだんと快方に向かっていますが、時間がかかるのです。少々せっかちな性分なので、一進一退という状況は、ときに耐え難きものあり、のんびり寝て暮らすという楽な気分になれません。そして、南の風・編集はつい1日・2日と遅れがちに。ま、いいか、無理をする理由もない、といった調子で、気力を棄てるような日が出てきます。昨日がそうでした。妙な近況報告。
この20年近く、ほぼ隔日(ときに連日)発行してきた南の風は、いま単純に計算してみて、平均1.8日(7067日に3848号)おきのリズム。そのうち、風の終わるときに、平均2日発行(20年間)という記録が残ればいいなと思っていますが、さてどうなりますか。
3847号【2017年6月17日】
■≪教育勅語をたたきこまれた世代≫
何人かの方から、「最近、南の風の発行に間があいてきた」「途切れトギレの感じ・・・」「大丈夫ですか?」などの感想を頂きました。お見舞いも。腰を痛め、年のせいで恢復はのろのろ、まだ動きに不自由あり。生活は不規則そして運動不足の毎日。もう1か月半が経過しました。風・発行もよたよたです。
しかも最近、同じ世代(80歳代)の、お元気に活躍された方々の訃報が相次ぎます。故大田昌秀・元沖縄県知事(上掲)は私より6歳の年上。この世代のわずかの年の差は(本土でも)大きく、多数の先輩が戦争で命を落とされました。わずかの差で、私たち少年は戦争を生き延びることがてきた世代でした。
そして「教育勅語」をたたきこまれた世代です。いまでも、すべての勅語の言辞が口をついて出てきます。最近の安倍政権なかで、この忌まわしき教育勅語を再登場させようとするが如き発言が相次ぎました。数日前に日本教育学会・社会教育学会を含む関連17学会が、教育勅語は国会において廃絶決議が行われたこと(1948年)、歴史的資料として批判的にしか使用できないもので、普遍的な教育価値を含むかのように肯定的に扱う余地は全くないことを指摘しています(共同声明、上掲)。教育政策や行政の動きに、専門学会として、このよう発言をもっと積極果敢に続けてほしいと期待しています。
3846号・2017年6月14日
■≪大田昌秀氏の訃報、7月9日・富美さん偲ぶ会≫
元沖縄県知事・琉球大学教授の大田昌秀さんが12日、呼吸不全・肺炎のため、那覇市の病院で死去されました。たまたまこの日が92歳の誕生日。家族や教え子の皆さんが病室を飾り付け、ハッピーバースデーを歌ったあとに、眠るように息を引き取られたそうです。久米島・具志川村の出身、父親は大田さんが1歳の時に単身ブラジルに移住し、母親のカメさんが女手一つで4人の子どもを育て、経済的にゆとりがなく、小卒後に学校の用務員として母親を助けたことも。太平洋戦争が始まった1941年、県下の優等生が集う沖縄師範学校に進学。1945年3月末、19歳の時に鉄血勤皇隊として沖縄戦に動員され、九死に一生を得て戦後へ。その後の研究・記録は『沖縄のこころ』(岩波新書)はじめ多数の著作へ結実されています。
深いお付合いではなかったのですが、社会学者として同じ西部社会学会に所属し、私たちが初めて沖縄戦後社会教育史研究『民衆と社会教育』(エイデル研究所,1988)を上梓した際、心のこもった激励の書状をいただいたことを憶えていいます。とくに晩年には「沖縄国際平和研究所」理事長として、理論・運動の両面で平和のテーマを追及され続けた姿は、まぶしいものがありました。
本号の余白がなくなりました。冒頭記事のように、名護から4人のお歴々が7月9日「富美さんを偲ぶ会」に参加されるとのこと。恐縮しています。「風の部屋」の宿泊は、山口真理子さんが心配されるように(上掲)、4人の大男にはせま過ぎるのですが、幸い冬ではなく布団は大丈夫、ぜひ4人ご一緒に押し合いへしあいしてお泊りいただき、雑魚寝をお楽しみいただたきたく、お願い申しあげます。
3845号【2017年6月10日】
■≪故仲宗根政善先生≫
前号に載せた6月定例(TOAFAEC 第240回)研究会「ご案内」では、故仲宗根先生のこと(桑原重美さんビデオ、小林・証言)が主なテーマとなるようです。
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これまで「南の風」では、折にふれ何度も仲宗根先生への想い出や追悼を書いてきましたが、その中の1点、「回想・仲宗根政善先生を偲ぶ」を2回に分けて、本号に再録しておくことにしました(上掲)。南の風177号(1999年2月7日)、18年前に書いたもの、当時をまざまざと思い出します。
仲宗根政善(1905~1995)先生は、今帰仁村与那嶺のご出身、甥の新城捷也さんとご一緒に生家をお訪ねしたこともあります。東京帝国大学(言語学)卒業後、沖縄第一高等女学校、沖縄師範学校女子部で教え、1945年「ひめゆり学徒隊」の引率教官として沖縄戦へ。九死に一生を得て、戦後は沖縄群島政府文教部から琉球大学教授、同副学長。「沖縄今帰仁方言辞典」により日本学士院賞。ひめゆり平和祈念資料館・館長。「沖縄の悲劇」(1951)が映画「ひめゆりの塔」となり、「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」角川書店 1980(のち文庫)、歌集「蚊帳のホタル」沖縄タイムス社 1988、「ひめゆりと生きて 仲宗根政善日記」琉球新報社、2002、など貴重な記録・歌集が遺されました(1995年2月14日没)。
残念ながら、当方のアルバムに故仲宗根政善先生の写真・遺影がありません。その意味でも、6月30日・研究会で桑原重美さんが紹介される DVD「仲宗根政善 浄魂を抱いた生涯」が楽しみです。
3844号【2017年6月7日】
■≪イジュの花の咲く頃≫
本号は「南」=「沖縄」の特集号となりました。6月30日・定例研究会は久しぶりに沖縄をテーマに開催されます。今年「やんばる対談」に参加した若い世代(栗山究、石川敬史さんなど)の都合がうまく合うことを祈っています。
この案内が山口真理子さんから届いた日の朝日新聞は、82年前の戦前沖縄の古い写真ネガが大量に発見されたニュース。沖縄タイムスとの共同企画、はるか昔の場所や人の特定が進められ、朝日デジタル版に入ると、興味深い古い画像が目に飛び込んできました。ぶんじんが生まれた頃のオキナワ。
→■http://www.asahi.com/special/okinawa/oldphoto/?iref=pc_extlink
「糸満の漁師や軌道馬車、活気ある那覇の市場――。1935年に沖縄県で撮影された写真が、朝日新聞大阪本社で大量に見つかった。沖縄の人たちの生き生きとした暮らしぶりを写しだす。太平洋戦争末期の沖縄戦によって10年後には破壊されてしまった光景が、沖縄タイムスとの共同企画で82年ぶりによみがえる。」戦争によりこの種の画像記録がすべて焼失した沖縄では誠に貴重!
沖縄はいま梅雨。この季節、やんばるの山々はイジュ(伊集)の花が雪のように白く咲いていることでしょう。琉球新報「金口木舌」は「イジュの花と沖縄戦」(上掲)を書いています。2006年6月、イジュの花の咲く頃、当時の名護博物館・島福義弘さんに誘われ、私たちは「シーカヤック」で屋我地島を一周したことがありました。故石倉祐志と手打明敏さんが一緒、正敏さんも付き合っていただきました。梅雨に濡れながら終日、シーカヤックを楽しみました。
▼今帰仁村古宇利島・いじゅの花(2008年5月)
3843号【2017年6月5日】
■≪総会、ご苦労さま≫
6月3日夜、TOAFAEC 総会ご出席の皆さん、ご苦労さまでした。「エイデル研究所の参加もあり、学会理事メンバーも理事会終了後に駆けつけ、入れ替わりながらも総勢16名の賑やかな懇親会」(上掲・報告)。当方は腰を痛めている身、残念ながらまだ杖から離れてはいませんが、タクシーではなく電車で会場へ。恢復への自信がもてた夜となりました。皆さんとの論議に加わることができて幸せでした。
総会としても、これまでの歩みのなかで“画期的”とも言える展開がいくつか。上掲・事務局長「報告」でお気付きかと思いますが、一つは、4人の副代表体制(沖縄・韓国・中国・東京)の発足。二つには常任委員の構成に、中国に加えて新たに韓国・内モンゴル・台湾からの参加。三つには実働的な年報編集委員会への切り替えなど。
運営体制の新しいスタート。いま一つの“かたち”が出来たことになりますが、実際にどのような動きに具体化できるか、これからの課題ですね。役員・委員(案)検討メモには、あと一つ「なるべく新しい人・若い世代に入ってもらう」というメモ書きもありましたが、今後、次の世代にどうバトンを渡していけるか。これらの課題は、これからの楽しみでもありましょう。
▼2017 総会(府中、20170601)。黄丹青,山口香苗、斉藤真哉の各氏はすでに退出したあと。
3842号【2017年6月1日】
■≪「総会」の歩み・回想≫
TOAFAEC の年中行事である「総会」の季節がやってきました(日本社会教育学会六月集会初日、6月3日夜・上掲)。TOAFAEC のようなゆるやかな組織論の研究団体には、総会など形式的な規約や制度など、あまりなじまない感じもするのですが、この機会に「総会」等の歩みについて、回想めいたことを書いておきくことにします(ずいぶん前にも書いた記憶があったような・・・)。
TOAFAEC 創設は1995年。発足当初は「総会」など開いてはいませんでした。実際に「総会」を開き、記録も残っているのは、今世紀になってから。当時、東アジア(とくに中国)からのTOAFAEC
への期待は、社会教育・文化団体・研究者等の(比較的に自由な)日本への“招聘”を実現することでした。
大学・学部がその役割を担う側面がありましたが、スムースにはいかない場合もあり、「TOAFAEC としてお願いしたい」声あり、経費問題は棚にあげ、手続き的な面から積極的に来日のお手伝いをしてきたのでした。
思い起こせば、上海市(各区)、広東省・広州市、福建省等から、かなりの頻度で、多彩な方々がTOAFAEC「招聘」というかたちで訪日されました。他方、ビザ発給の手続き上、TOAFAEC
の招聘団体としての適格性、規約・総会・運営体制・活動実績の(必要以上の)フォーマルな体制が求められました。幸いに、年報発行、研究会の定例化が実質的に定着してきましので、それを軸に、急遽「規約」「役員体制」などを作成した記憶が蘇ってきます。当時(1999年)の常任委員体制が、日本人のみであったことも理由あってのことでした。
→■https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/toafaec.htm
そして今回の運営体制の活性化にあたって、中国・韓国・モンゴル・台湾の皆さん(編集委員会からの異動を含む)が多数参加され、新しい常任委員会の歩みが始まることは印象深く、TOAFAEC
の歴史も動いてきた経過を実感しているところです。
3841号【2017年5月30日】
■≪告別式から2週間≫
今年の「七夕の会」(7月9日午後)は「冨美さんを偲ぶ」会。故小林富美・葬儀をどうもつか(5月中旬)の相談のなかで企画されていたものですが、「南の風」への掲載は(少し先のことなので、延ばしのばしして)本号にやっと載せました(上掲)。江頭晃子さんの添え書き(Tue,
30 May 2017)、次の通り。
「皆様、富美さんの告別式から、あっという間に2週間が経ちました。どこにも「居らっしゃらない」ということは、寂しいことです。七夕の会、6月に入ったら改めて案内を出そうと思っています。今回、いつもの香港料理「蘭」の地下を貸し切っている関係で、多くの方の参加をお願いしたいところです。時間も早めになりますので、ご留意ください。それぞれ、お知り合いに流していただきたく、よろしくお願いします。文章や申込先については、それぞれのご関係で適宜、修正していただけましたらと思います」とのこと。どうぞよろ
しくお願い致します。
6月3日夜(日本社会教育学会・六月集会・初日)に、TOAFAEC 総会(京王線府中駅ビル7階、風3837号に案内収録)が予定されていますので、それが終わったら、あためての七夕の会・ご案内を掲載することにいたしましょう。富美は幸せものです。前号・研究会写真の続き。
▼韓国・東京「この20年の歩み」(239回研究会・高井戸、20170526) *江頭晃子さん撮影
3840号【2017年5月28日】
■≪多元的・複眼的に考える≫
5月26日(金)の研究会(239回)は新韓国本の出版を記念して、画期的?とも言える充実した論議となりました。研究会の時間が終わって、お祝いの乾杯の席(イーストビレッジ)でも熱気は続き、とくに板橋区のお二人(斉藤真哉、的野信一)がよくしゃべりました。あふれる思いを吐露するような、たまっている執念を吐き出すような・・・、打たれるものあり。二人の呼吸はぴったり。それぞれの話が合体してひとつのストーリーが紡ぎ出される、稀有の相棒。久しぶりの橋田慈子さん(筑波大学・院)からご報告、ありがとうございました。
当日の私の興味は、韓国の李正連さんのお話「韓国・教育改革20年の展開」と東京の「この20年の社会教育の歩み」がどのようにクロスするかという点にありました。韓国の躍動と東京の停滞・解体の20年。それぞれの制度・行政の対照的な展開。しかし視野を拡げて、市民やNPOの学びや活動の展開を含めてみると、韓国・東京それぞれの鼓動が聞こえてくる。板橋のお二人の息の合った報告はその点で意義深いものがありました。
あらためて、東アジアへの拡がりのなかで、多元的にとらえること、複眼的に考える視点の大事さを教えてくれた一夜でした。
▼東京社会教育史研究フオーラム(井口・的野・斉藤)の3氏(高井戸、20170526)
3839号【2017年5月25日】
■≪新韓国本、韓国に上陸!(ぶ)≫
本号は、久しぶりに「おきなわ短信」1247号や、今年の「七夕の会(富美を偲ぶ」7月7日)ご案内を載せて、発送しようとしたところ(昨晩)、ソウル留学中の松尾有美さん(東大・院)から「本が届きました!」メール。今朝は編者・梁炳贊(ヤンビョンチャン、公州大学教授、編者)さんから喜びあふれる報告が来信。日本出版『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』がいち早く韓国に上陸!したのです。急遽、両メールを冒頭記事に差し替え、本欄もいま書き変えて配信しています。本の喜びのメールはとりわけ嬉しいものです。
松尾さん「…直接手にしてみると,なんと言いますか、とにかく嬉しいです。普通なら関わることのできない多くのことを今回の本を通して経験させていただけたこと,本当に感謝しております。1ページ1ページ,これからゆっくりと読みたいと思います。」(上掲)
本づくりは、苦労の多い仕事ですが、活発な編集作業は、大学の充実したゼミにも増して、学ぶことの多い得難い経験。今回の5年にわたる本づくりは、「あとがき」にあるように「多世代による談論風発」、日韓の新しい研究交流に寄与しようとする使命感あふれる共同作業でした。編集委員会に参加した若い世代(呉世蓮・金ボラン・松尾有美さんなど)には、これからの執筆活動に、次に来るべき本編集に、きっと役に立つことになるでしょう。
エイデル研究所からは、「南の風」読者への「特別価格」ご案内が来ました(執筆者への送付状と同じ内容)。「定価4,320円(税込)のところ3,500円(税込)とした上で、送料を弊社が負担」「弊社あてメール(yamazoe@eidell.co.jp)やファクス(03-3234-4644)等でお気軽にご注文ください。ご注文の際は、1発送先のご住所・お名前・電話番号、2冊数、3ご請求先(発送先と異なる場合)をお知らせください」とのこと(上掲)。
すでに本書の中国語訳、中国での出版企画が始まっているそうです。
◇歌の工房 新しい本、酒を汲んで、富美と乾杯!(20170520)
・車椅子押しくれし若き韓国の「躍動」成れり遺影にかざる
3838号【2017年5月22日】
■≪美酒多量≫
新刊!『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』(エイデル研究所)のお祝い研究会(5月21日、風の部屋)。前号本欄に書いたように、5年の歳月を奮闘してきた編集委員会としては、待ちに待った美酒・乾杯!の日。
ひととき悩みました。いまギックリ腰の治療をしている身、鎮痛剤との関係でお酒は控えてきました。通夜にも飲みませんでした。しかし、すでに20日が経過、そろそろ解禁か?と自分勝手な楽観論。美酒をとるか“痛み”をとるか。研究会(上掲・呉世蓮メール)が終わって、山添さんのシャンパンがポンと音をたてれば、迷いなく美酒のグラスを手にとって・・・実に美味しい!
お酒への耐性が弱くなっている肝臓のことを考える余裕なく、いつの間にか“美酒多量”の盃を重ね、ほとんど前後不覚に酔いつぶれてしまいました。5階へ帰るのもよろよろ。李正連さんからメール(Mon,
22 May 2017)。
「…韓国フォーラム、お疲れ様でした。文人先生、昨日お酒を飲まれて心配だったのですが、大丈夫でしょうか。昨日撮った写真をお送りします。昨日は出版のお祝いとともに、韓国の新政権登場でも大いに盛り上がりましたね。この勢いでこれからも韓国フォーラムをよりいっそう盛り上げていければと思います。では、今週の金曜日(26日)もどうぞよろしくお願いいたします。」
もともと原則にしてきた「美酒少量」は、この夜はどこへやら。酔いがさめて“痛み”も出て、だらしなく酔いつぶれた悔いをのこす夜となりました。エイデル研究所・山添路子さんから、『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』の「南の風」向け割引特価ご案内が届いています。次号に掲載します。
▼風の部屋 カンネヨンさんも参加(20170521)
3837号【2017年5月20日】
■≪5年の歳月≫
新刊!『躍動する韓国の社会教育・生涯学習-市民・地域・学び』(エイデル研究所)を終日読んでいました。肌理細かな編集、質の高い本に仕上がったと思います。何よりも編集委員会の皆さんの努力、全体の主要部分はハングルからの訳出-膨大な翻訳を担当しリライトを重ねてきたスタッフの力量に拍手!
各章に付されたいくつかの「注目ポイント」、「基本的な用語と訳語」、最新「平生教育法」、統計などの『資料編』が出色の出来ばえ。「韓国の平生学習の歩みが紡ぎ出す10の宣言・条例」がまとめられて(手ぼめになりますが)これも成功でしたね。その一つ、京畿道・平生教育士協会「価値宣言文」についての中村文昭さん(長野県上田市真田中央公民館)「南の風」記事も紹介されています(終章「日本と韓国の社会教育・平生教育はどう学びあうか」小田切督剛さん)。
本書の企画から刊行まで5年の歳月。ちょうど妻・富美の介護・闘病の5年と重なります。「風の部屋」の編集会議のあと食事に出るとき、上の部屋で待っていた富美が、皆さんに車椅子を押してもらってご一緒するときの嬉しそうな顔を想い出しています。皆さん、有り難うございました。
◇葬儀終わる(201170516)
・暖かき声に包まれ花に埋もれ 五月の風に富美は旅たつ
・“おはよう”と声をかければ風かすか ほのかに遺影微笑むらしき
3836号【2017年5月18日】
■≪『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』刊行!≫
旅立った富美への追悼。電報・メール・書簡などいろいろ頂戴し、恐縮しています。本号にその一部を掲載しました(遠くからの来信のみ、全部は載せきれず)。有り難うございました。
「・・・老けこんではだめですよ。まだまだ、先生がすべき仕事は残っています」「杖をついては文人先生らしくありません、早く快癒されますよう、どうぞご自愛を・・・」などの叱咤激励も。心して拝読しました。
富美が重篤の状態に入っていくのと同じリズムで、当方の腰も萎えて立たなくなりました。告別式の席では、車椅子という不甲斐ない恰好でした。ご挨拶のときだけ杖にたよって、ようやく立つことができました。少しづつ快方に向かっています。部屋の中では杖なしで動く時間も増えています。持病再発、きっとよくなる、もとに戻る日が必ずやってくる!と楽観。ご放心ください。
エイデル研究所・山添路子さんから待望のメール。「17日予定通り、『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』が納品されました。本の厚さについては東京本に近いものがありますが、東京本がレトロな雰囲気なのに対し、現代的な雰囲気の仕上がりとなっております。著者献本分を本日倉庫会社より発送いたしますので、早ければ明日お手元に届くと存じます(韓国の執筆者については、只今、発送の手続きをしておりますので、もう少々お待ちいただけますと幸いです)。」
本日(18日)配達に来たらしいのですが、受け取れず。まだ見ていませんが、明日が楽しみ。チラシを送っていただきましたので、添付します。苦節5年の労作。東京本に続く取り組み、エイデル研究所、ご苦労さまでした。
3835号【2017年5月16日】
■≪モンゴルからの追悼詩≫
5月14・15日の小林富美の通夜・告別式には、遠路はるばるの方を含め、大勢のご会葬をいただき、まことに有り難うございました。富美と想い出を語る皆さんのたくさんのお言葉と、あふれる花々に埋もれて、旅立っていきました。「喪主」はもちろん初めてのこと。この日が来ることは、ある種のあきらめ・覚悟をしてきたものの、やはり当日になってみると、悲しいものです。皆様のお顔と言葉に励まされて、南の風も途切れず、発行することができます。
フフホトのボヤンバートルさん(内蒙古師範大学)から、思いがけないモンゴル語の追悼詩をいただきました。「『南の風』3834号から先生の奥様富美さん永眠のことを知り、心が痛みました。富美さんを追悼する詩を書き、先生にお送りします。主には富美さんはすばらしい女性でしたという意味を表したかっかのです。」
ありがとうございます。南の風メンバーといえども、モンゴル語を読める人は少ない。どなたかぜひ!日本語に翻訳していただけませんか。
3834号【2017年5月12日】
■≪86歳の人生≫
昨年の「七夕の会」のあと、小林富美は緊急入院、約9ヵ月の闘病生活でした。今年に入って言葉も失いましたが、それでも対話してきました。声をかけると、うっすらと涙がにじむ目。「明日またね」といえば、小さくうなずくようなしぐさ。
お見舞い下さった皆様に、御礼申し上げます。小さな兎の「夕焼けこやけ」オルゴールが、いつもベッドの横に。山口真理子さんは、枕頭で懐かしい童謡を歌ってくださったこともあったそうです。
これまで何度も危篤の夜がありました。先週(ぶんじんは腰をいため)長男が病院に泊まりました。明け方「朗報!血圧が戻ったよ」と電話がきて、妙に安心していたのでした。
頑張ってきた富美。しかし10日夜に、突然に彼女の鼓動は止まり、ふっと息も途絶えました。86歳の人生でした。
▼ドイツ・ハノーファー市役所横のカフェにて(20050622) 関連記事→■
3833号【2017年5月11日】
■≪韓国・新しい躍動≫
韓国で新しい文在寅(ムンジェイン)大統領が誕生、政権交代が実現しました。かっての盟友・魯武鉉(ノムヒョン)大統領の時代(文氏は秘書室長)の、韓国「平生学習」躍動に思いを馳せました。これからどんな政策・運動が登場してくるか、新しい潮流が渦をまいて動いていくに違いないと楽しみです。
今日(5月10日)の朝日新聞「天声人語」は次のように書き始めています。「長崎県対馬の約90キロ北西に巨済(コジェ)島という韓国の島がある。朝鮮戦争のさなか、戦火をのがれた北朝鮮の人々の収容所がおかれた。文在寅氏は、この島へ避難した両親のもとに生を受けた。祖父母を北に残し、一家は離散したまま戦後を生きた。自伝「運命」によると、公務員だった父親は南で靴下卸の商いに失敗。母親が鶏卵を売り歩き、練炭を運ん家計を支えた。小学校の保護者会費が払えず、文氏は教室から追われた。貧しさに屈せず、大学へ進み、弁護士として名を立てる。魯武鉉大統領に見込まれ・・・」と。
ここまで書いたところで、家人に緊急事態。ペンをおきます。
ハスゲレルさん(首都大学東京)より、(新)アジア・アフリカ・ラテンアメリカ(AALA)教育研究会のご案内も届いていますが、次号にまわします。
3832号【2017年5月9日】
■≪15年目の懐かしい持病≫
5月連休。今年は憲法70年でもあり、5月3日「憲法記念日」周辺で、力のこもった憲法報道(NHKなど)がいくつかあっように思いました。それだにけにとくに沖縄と日本国憲法をめぐり距離間も痛切に感じました。「米軍政下にあった沖縄は新憲法を審議する国会に住民代表を送ることができなかった。しかもその憲法は施行後25年間も適用されず、その間沖縄は「無主権状態」に置かれた」(琉球新報・社説5日3日)のです。
そしてその後の展開。昭和天皇と沖縄の関係、沖縄「地方自治」の実態について、もちろん9条問題に関わる米軍軍基地政策(辺野古を含む)の動き、日本国憲法のに理念から見たとき沖縄はどんな複雑で屈折した経過を強いられてきたか、いろいろなことを想起しながら連休を過ごしました。
前置きが長くなりましたが、私事をお許しください。動きのとれない事情で時間がたくさんあったのです。ぶんじんには持病があります。いわゆる<ギックリ腰>。無理に想い出すと、学芸大学時代3回、和光大学に2回、その後に1回(大阪での下肢肉ばなれ事件は別)。それそぞれに時間をかけ、杖をついて直してきた思い出。その後、この15年は多少のメインテナンスの努力が効を奏したのか、大過なく(むしろほかのことで数回は入院しましたが)持病からは解放されたかなと安心していました。
ところが、連休に入ってすぐのこと、腰に違和感あり、風・前号を出す頃まではなんとなかるだろう・・・程度に考えていましたが、前号を出したあと急速に悪化しました。すべてを忘れる強烈な痛み。連休を身動きとれず。連休明け、月曜日に息子夫妻に来てもって、近くの病院に駆けつけるありさま。始めてクルマ椅子で通院の経験。ブロック注射など。やっと痛みが取れはじめたところです。以上、本号配信が遅れた言い訳でした。
3831号【2017年5月3日】
■≪八重山ホタル≫
世は連休、しかし風は吹きます。ニュースいろいろ、しかも本日は70年目の憲法記念日。NHKは憲法との関連で「公民館」を取り上げ(5月2日夕、首都圏)、「風の部屋」に取材に見えた際にお貸しした寺中作雄『公民館の建設』(原本、1946年)がちらりと紹介されていました。今年はまた,「地方自治70年」。朝日新聞「列島をあるく」は、島根県雲南市「地域自治組織-自ら考え実践」に注目しています(5月2日朝刊)。大きな記事なのに、こちらは全く公民館が登場しない。おやおや・・と思いながら読みました。上田幸夫さん(日本体育大学、久しぶり!)からは新しく出版された単著『公民館を創る』(国土社)のご案内(上掲)。「あらためて憲法と公民館の関係をしっかり論証できるように研究を進める必要」との指摘あり。
突然に話題は変わりますが、南の八重山毎日新聞・コラムでは、松田良孝さんが「八重山ホタル」を書いています。「小さな光の群れが地面から浮かび上がってくる。この世のものとは思えない自然の神秘」(5月1日)と。ぶんじんも何度か竹富島でホタルの群れに出会って“驚喜”“至福”と本欄に書いたことがあります。故上勢頭芳徳さんは『民芸』(第675号、2009年3月「竹富島のくらし」)に、外村吉之助氏(倉敷民芸館々長、竹富島の恩人)とホタルのことを書いています。初めて竹富に来島された日(1957年12月24日)「…ちょうど婦人会の
… 会場までの道すがら、冬だというのに、蛍が宙を飛び、地を這っているのを見て“蛍が、蛍が”と驚かれたそうです」と。
「やんばる対談」会場、名護・蔓草庵も周りにホタルが舞います。「さがり花」(名護の市花)の季節。この時期に一度「やんばる対談」を開けないものか企画したい。しかし年報へのテープ起こしが間に合わなくなります。日本国憲法70年、せめて花の写真を添えることにいたしましょう。
▼名護・蔓草庵のサガリバナ(20080707)
3830号【2017年5月1日】
■≪目には青葉≫
5月となりました。「目には青葉」…たしかに!美しい緑の季節がやってきました。「山ほととぎす」…残念ながら山に遠い江戸・杉並まで聞こえてこない。そして「初ガツオ」(松魚、鰹)。数日前、馴染みの魚屋から仕込んで、毎日ひとり美味しく楽しんでいます。秋の「戻りカツオ」の味が残っていた舌には実にさわやか。昨年は二人、しかし今年は富美が入院中なのが残念です。
4月28日研究会では、めでたく定年退職のお二人の話を聞きました(風・前号)。新年度で異動など環境(メールアドレス)が変わった方、ご一報いただければ幸い。横浜市の瀬川理恵さんは、市教育委員会から「横浜市栄区役所地域振興課」へ異動されたとのこと(上掲)。メアドの変更連絡、確かに拝承。
TOAFAEC 関連。事務局会議で相談した経過もあり、いろいろご連絡しなければならないことがあります。とりあえず幾つかのこと。28日事務局会議、総会(学会6月集会・初日夜を予定)に向けて、副代表、常任委員会体制のこれからが話題となりましたが、上野景三・代表が5月13日夕方に可能(東京)とのこと(上掲・李メール)。ここで調整の上すすめていきたい。事務局の皆さん
も13日夜ご都合つけばご参集ください。
5月26日(金)定例研究会は、新韓国本出版のお祝い会となりましょうが、東京研究フォーラムも出席し、年報22号執筆を含め、今後のことなど協議の見込みです。内容(案内等)は、今後調整してお知らせいたします。
年報22号への「自由投稿」応募10本は、ページ数調整の上、応募10人の方全部に執筆をお願いできることになりました(28日・編集会議)。枚数や締め切り等のご連絡は、別途に編集委員会よりご連絡いたします。
3829号【2017年4月29日】
■≪「4・28」(ヨン・テン・ニーハチ)≫
サンフランシスコ講和条約が発効した「4月28日」(1952年)から65年。この日、敗戦国日本は独立を回復、しかし沖縄は「屈辱の日」。アメリカ軍統治のもと、沖縄住民の基本的人権は無視され、「銃剣とブルドーザー」による土地収奪・基地建設が進められ沖縄は「東アジア最大の軍事基地」(上掲)へ。
当時「沖縄を返せ」が歌われ、復帰闘争は学生運動にとって大きなテーマでした。「4・28」(ヨン・テン・ニーハチ)は、新入生が初めてデモを経験する日。機動隊と対峙する緊迫の年もあり、なかに逮捕される学生もいて、若い大学教員は終日緊張したものです。しかし、いま思い出して、あの頃の学生たちの顔は妙に輝いていた、そんな顔がいくつも浮かんできます。
この日、高井戸では四つの会議・研究会。昨年、本を出した「東京研究フォーラム」メンバーと久しぶりに年報22号執筆や、今後のことなど議論しました。近く本が出る「韓国研究フォーラム」と合同で出版を祝い、「東京とソウル」を語る企画案も。大都市・東京の社会教育“解体”を見つめる作業とともに、現時点で市民の視点から新しい(ソウルの「マウル」づくりのような)動きをどうとらえることができるか、などなど。
夜の研究会(第238回)では、社会教育の仕事からスタートして、めでたく定年まで頑張った平井(園田)教子、遠藤輝喜ご両人の話を聞きました。今からまた新しい歩みが始まる予感。研究室で一緒に歌った
♪赤い花、白い花♪を久しぶりにうたいました。
▼4・28高井戸の集い(第238回研究会、20170428)
3828号【2017年4月27日】
■≪故上勢頭芳徳さんとの出会い≫
今年の年報「東アジア社会教育研究」22号・自由投稿への応募(前号・本号に記載)は10本を数えました。年報22年の歴史のなかでも初めてのこと。皆さんからの積極的なご応募に感謝します。全体のページ数との関係でどう調整するか、4月28日・編集委員会の大きな課題です。
本欄に書きそびれていた「故上勢頭芳徳さんとの出会い」記事、追悼のホームページに載せましたので、以下にご紹介いたします。
私たちの沖縄研究のなかで、初めて八重山(石垣島)に入ったのは1980年代初頭、竹富島に渡ったのは1991年秋でした。小林ゼミ一行(東京学芸大学)は当時の竹富小中学校教頭・渡慶次賢康さん(元沖縄県社会教育主事)のご案内で種子取祭へ、泊まったのは高那旅館。このときまだ芳徳さんとの出会いは定かではありません。その後、与那国研究を始めた1998年。その往路、前本多美子さん(東京学芸大学卒、当時・竹富島在住)を訪ねて竹富島に寄った折、喜宝院蒐集館で初めて芳徳さんとお話した記憶があります。
本格的なお付き合いが始まるのは2002年から。私たちの誘いにのって、芳徳さんは名護で開かれた社会教育研究全国集会(第42回)に参加されました。その後、とくに2006年から数年は積極的に竹富島へ通うようになりました。沖縄本島に行けば必ず竹富島へ足をのばし、島に着けば、まず喜宝院蒐集館(日本最南・最西端の地域博物館)へ。沈む夕日を見ながら、コンドイ浜でビールを飲みあった想い出など忘れられません。
芳徳さんと小林の対談記録「竹富島憲章と竹富公民館」(『東アジア社会教育研究』12号、2007年)が遺されました(追悼ぺ―ジに収録
→■)。芳徳さんからたくさんの貴重な証言を聞くことができました。芳徳さんは「南の風」メンバー、上京の折、なんどか「風の部屋」に泊まっていただき、私たちの研究会に出席されたこともありました(写真)。過ぎし日のご活躍を想い、心からご冥福を祈ります。
▲竹富島を語る上勢頭芳徳さん(143回研究会、高井戸・20080926)
3827号【2017年4月25日】
■≪ホームページに2本アップ≫
本号は4月28日(金)定例研究会の再度ご案内と、当日開かれる年報第22号編集会議に向けての「自由投稿」特集号のような内容となりました。自由投稿は、本号に5本、加えて内モンゴル・トクタホさんの投稿希望(風・前号)を合わせて6本の応募。別途に編集中の特集や諸企画と合わせて、今年の『東アジア社会教育研究』22号(9月18日発行)も充実した内容となる見通し。
自由投稿の応募締め切りは本日(25日)まで。午前零時の針までお待ちしまので、迷っている方は、ぜひジャンプして、応募ご一報をお寄せください。
上掲・竹富島の阿佐伊拓さんメールにあるように、3月末に亡くならられた上勢頭芳徳さん(喜宝院蒐集館長)の追悼ぺ―ジを、私たちのホームページにアップしています。とくに芳徳さんとぶんじんの対談「竹富島憲章と竹富公民館」(2007年収録、年報第12号所収)をメインとした構成。扉の写真は迷いましたが、たとえば竹富島の海辺などで撮った格好の画像がなく、一緒に石垣島・平久保の歌碑を見に行ったときの一枚。後背は(海ではなく)石垣島の山というのが残念なところ。いい写真があれば、差し替えますのでご一報ください。
→■https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/usdotuitou201703.htm
あわせて、かねて用意していた瀬川理恵さん(横浜市教育委員会)の韓国留学中の通信「公州の風」(風・連載、2012~14)をアップしました。こちらの扉の写真は、いま姿を消した渋谷ロゴスキーで、伊藤長和さんなどと一緒に撮った一枚。隣に伊藤さんだけでなく李正連さんやぶんじんもいる記念の1枚。
→■https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/segawarie2012.htm
3826号【2017年4月22日】
■≪四つの会議・研究会、花盛り≫
この春は花粉症のことをあまり書きませんでした。そうひどくはなかったからですが、しかし今なお(おそらくヒノキの)花粉の影響あり、楽しくない季節でした。5月も近くなって、いつまでも花粉に付き合っておれません。そろそろ出歩き始めよう、若葉・風薫る季節だ、動き出そう!などと元気を取り戻しています。
数号前・本欄で書きましたが、いよいよTOAFAEC 年報22号「自由投稿」応募の締め切りとなります(4月25日期限)。編集委員会(28日予定)で採否を決めますので時間厳守で応募お願いします。トクタホさんから「若干遅れる」連絡が来ましたが、なんとか27日夜まで(仮案で結構)間に合わせて下さい。
4月28日夜、第238回定例研究会です。ご案内したように、平井教子さん(鶴ヶ島市)と遠藤輝喜さん(渋谷区)のお話(風3818号に案内)。楽しみ。この日、同じ高井戸の会場で、研究会の前に三つの会議が重なることになりました。まず3時半から「東京研究フォーラム」(久しぶり!)の打ち合わせ。5時からは(6月総会へ向けての)TOAFAEC事務局会議。6時過ぎより、上述の編集会議(自由投稿採否など)。そして、7時からの4月定例研究会へ。終了後(9時~)はいつものイーストビレッジへ、という流れ。
→■
参加メンバーはいろいろ。1つだけ出る人あり重なる人あり。しかしすべて通しで出るのは、ぶんじんだけ? 皆さん、老人の頑張りにお付合いください。
3825号【2017年4月20日】
■≪ボヤンバートル回想≫
昨日の風3824号を出したあと、名護・島袋正敏さんのやんばる便りをはじめ、夜間中学・澤井留里さんの<映画とお話で夜間中学を知ろう!ご案内>(映画「こんばんは」と見城慶和さんのご紹介・上掲)、フフホトからは、「南の風」が届かない苦情、また韓国のカン・ボミさんから「南の風」への参加希望、など、たくさんのメールがやってきて、嬉しい悲鳴。連日配信を控える原則を破って送信しています。
フフホト・内蒙古師範大学のボヤンバートルさん(「南の風が届かない」上掲)。たくさんのモンゴル留学生との出会いは、すべてこの人からスタートしました。たしか1996年頃、和光大学へやってきて(当時の和光は大学院がなく、研究生として)深い付き合いが始まりました。翌年97年には、彼の強い誘いに応えて、和光大學のプロゼミ学生(十数名)を中心に訪問団を結成し、みんなでフフホトから草原への旅を企画したことあり。ぶんじんは広州から参加。お土産に新鮮な茘枝の籠を持参した思い出があります。たくさんの写真がありますが、すべて古いプリント版。スキャンしなければここに載せられず残念。ボヤンバートルはまさに故郷に錦を飾る旅でした。ぶんじんには「広州から内モンゴルへ-1997年夏・茘枝の籠をさげて」(「東アジア社会教育研究」2号1997年)の一文があります。面白い記録だ、と誰からか誉められた記憶もあり。
→■
https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/tyugokureport97.htm
赤峰のトクタホさんはボヤンバートルさんの教え子です。トクタホへのお願い。ボヤン先生から来信のアドレス宛に、昨日の風を送ってみましたが、やはり戻ってきます。トクタホからボヤンバートル先生へ「風」を回送していただけませんか。また別のメールアドレスあれば、小林に知らせて下さいと伝言も。皆さんのメールがあふれましたので、正敏さんの「やんばる便り」は次号へ。
3824号【2017年4月19日】
■≪高揚感・達成感≫
呉世蓮さんの4月16日・韓国フォーラム報告(上掲)は、風・前号の配信と入れ違いで拝受していたもの。早々に作成いただいたのに、2日間も当方に寝かせて、すみませんでした。加えて今回は、普段あまり風に載せない韓国フォーラムの内部通信(李正連さん・小田切督剛さん)メールも。新しい本が出来上がる直前の、独特の緊迫感、高揚感を感じます。
5月に誕生する新しい韓国本(『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』エイデル研究所)は、昨年8月の東京本(『大都市・東京の社会教育』同)に近い大型本。ようやくここまで来たかの実感。お互いに疲労感もありますが、何とも言えない充実感に包まれた独特の気分です。大きな期待と当然いささかの不安・緊張が張りつめている数週間。
韓国公州大學の梁炳贊(ヤン・ビョンチャン)さんを含む編者4人、そして編集委員会の皆さん。みんなで最善をつくし、いい本に仕上がりました。もし黄宗建・伊藤長和のお二人が存命であれば、どんなに喜ばれることか。これを書きながら黄先生の歌声が、伊藤長さんの大きな呼び声が聞こえてくる。笑顔が瞼に浮かんでくる。
小田切さんは、この本を創るため、川崎市役所を辞めた?・・・そんな話題も出ました。人事を尽くせば、神も仏も、天におわす方々も、すべて応援して下さる、そんな確かな手応えと幸せを感じています。
3823号【2017年4月17日】
■≪自由投稿応募あと1週間≫
4月も後半に入りました。年度始め、皆さんそれぞれに張り切っておられることと思います。名古屋・松田武雄さんからは「福岡へ引っ越しのご挨拶」をいただきました(上掲)。ぶんじんも、生涯設計として福岡へ生活を移すことを考えていたのですが、結局は思うようにいきません。山に近い(普段は)主のいない家なので、最近、屋根裏にイタチ?が入り込み、その駆除と天井の張り替えなど、思わぬ出費を強いられています。
東京での活動は根が残って、予定したように本・資料を福岡へ移すことができませんでした。東京本(『大都市・東京の社会教育』エイデル研究所)の編集過程では、いちど油山に送った関連資料を逆送するなど、笑い話のようなことも。人生なかなか設計通りにはいかないものです。昨今は、万事なるようにしかならない、と妙に達観した気分。そのうちに松田さんとまた福岡で交歓する楽しみができました。
さて、TOAFAEC 年報『東アジア社会教育研究』第22号「自由投稿」応募期限があと1週間余となりました(4月25日締め切り)。「東京・沖縄・東アジア」へのまなざしで執筆ご希望の方、積極的にご応募ください。風3801号(3月1日発行)に「呼びかけ」、ホームページ「投稿要領」に詳細あり。
→■
16日「風の部屋」は、韓国本・刊行直前の編集会議・研究会で賑わいました。新しいご参加もあり。皆さん、お疲れさまでした。いづれご報告が寄せられると思います。
▼最後に残った人たち(西永福・蘭、170416)
3822号【2017年4月15日】
■≪4月のお祝いニュース≫
前号本欄、戦後の「憲法公布」のことに触れましたが・・2番目は「憲法施行」と書くべき。読み直すと、必ず?こんなミスあり、正直のところ「風」を出すのがイヤになる瞬間。明らかな頭の劣化。誤字・脱字・変換ミスなどの類い、ここでまとめてお詫びしておきます。申しわけありません。
さて、鹿児島の農中至くん。その後はどんな経過か、気になっていましたが、久しぶりに元気なメールが到来しました。鹿児島大学の特任が終わって、この4月から、同・法文学部・法経社会学科(地域社会コース)の専任教員(准教授)に就任したそうです。おめでとう!
電話する機会があり、折り返しの返信(上掲)、有り難うございました。お父さん(農中茂徳さん)と一緒に、よく我が家(福岡・油山)へ、赤ん坊のころからの付合いです。富美が聞けばどんなに喜ぶことか。臥薪嘗胆?ようやく落ち着いて研究に専念する環境が確定。4月の嬉しいニュースです。
記念に、ぶんじん秘蔵の写真を1枚。本欄にアップしました。着物を着ていますから、正月の写真か。ぶんじんはこの年54歳、「学生部長」から解放され張り切っていた時期です。親子と見紛うばかりの睦まじさ。電話で早速、年報22号「自由投稿」(4月25日締め切り)への応募を誘いました。期待しています。
▼福岡・油山にて(19850102)
3821号【2017年4月13日】
■≪新憲法と初期公民館≫
今週はじめ、NHKの報道部(社会部)と首都圏放送センターから記者お二人が「風の部屋」に取材に見えました。戦後の公民館と新憲法との関連について、あれこれのお尋ね。当時の資料(「あたらしい憲法のはなし」など)をいくつか用意し、しばし「初期公民館」ゼミのような時間となりました。
ご承知のように戦後初期、公民館構想(次官通牒)の登場は、新憲法の普及の時期と重なります(1946~47年)。公民館「次官通牒」とほぼ併行して、同じく文部次官通牒「新憲法精神普及徹底運動実施準備について」(1946年8月)が出されています。この8月は、まだ憲法草案の段階ですが、同年11月に新憲法公布となり、明けて47年1月、「新憲法公布記念公民館設置奨励について」(社会教育局長通知)、そして5月の憲法施行へと動いていく流れ(横山・小林『公民館史資料集成』1986年に資料収録)。
生前の寺中作雄さん(当時・社会教育課長)から、憲法普及は、公民館構想の普及にとって絶好の機会、しかも憲法普及教養講座は「全町村もれなく開設すること」として相応の予算(当時・350万)がついて一石二鳥、といった話を聞いた記憶があります。憲法普及の通知に、公民館設置運営の文書も流れていったのです。
寺中さんの写真を求められましたが、当方にはなく、かって十日町で寺中さんが講演されたことを思い出し、同市・小川清貴さんにお願いしたところ、そのご返事が上掲メールという次第です。休みまで使って調べていただき、ありがとうございました。
3820号【2017年4月11日】
■≪駅に「公民館」のポスターを≫
南の風・前号(4月9日発行)、大半の方に「3818号」と記して配信しました。またしてもミス。正しくは「3819号」です。号数を1号間違えました。。申しわけありません。転送・保存等の場合は、ご訂正をお願いします。
本号のビッグニュース。夜間中学に関して、文部科学省のお知らせポスターが東京・北千住駅に張り出されていたとのこと。澤井留里さんかのメール。「嬉しかったですねー。「あることは承知しています」というだけで、見て見ぬ振りのような対応をしていた時代を知っているだけに、とうとう文科省がポスターを駅に貼り出すような時が来たのかと感慨もひとしおでした。」
まさに同感! これで「夜間中学」(これまで中学校「第二部」)という言葉も正式用語として公民権?を得たことになりますね。4月4日には、文科省から教育機会確保法に基づく「基本指針」も公表されたとのこと(添付)。全国夜間中学研究会事務局としては、「この「基本指針」は、あまり詳しいものとはなっていません。これは、「あまり細かく書きすぎても逆に現場を縛ることになる」との配慮が働いたものと考えられます。・・・国や地方自治体に要望し現場でも取り組んでいく必要があると思います。生徒を受け入れる地域が限られている問題にも今まで以上に積極的に取り組んでいくことが重要だと思います」と。運動は続いていくのですね。
このニュースを見て思ったこと。東京や横浜の主要な駅に、社会教育法に基づき「公民館」のポスターを張ってほしい。
3819号【2017年4月9日】
■≪『これが公害だ』復刻≫
上平泰博さんの「玉野井芳郎・地域主義論」など刺激的な長文(上掲)、有り難うございました。最近はこの種の議論をする機会が少なくなりましたね。いちど定例研究会で「地域主義」「共同体」論など取り上げ、韓国の「マウル共同体」の動きとも重ねて、大きな議論をしたいもの。
関本保孝さんより頂いた「池谷薫監督 映画4作品上映会ご案内」は、風・前号に載せることが出来ず、すで日程が過ぎたご案内になってしまいましたが、記録として掲載いたしました。遅れて申し訳ありません。
西恵美子さん(福岡・社会教育研究会)より「林えいだい」記事(西日本新聞・4月4日)を送っていただきました(添付)。「いつも南の風、送信ありがとうございます。既に届いているかもしれませんが、えいだいさんの新聞記事をみつけましたので、お送りします。福岡は、やっと桜が満開になりましたが、連日の雨で花見もできず、このいまま桜が散らなければいいが・・」(Thu,
6 Apr 2017 20:59)と。未見の記事、有り難うございました。
えいだいさんの最初の出版『これが公害だ』(1968年、絶版)の復刻版(新評論)を報じています。彼が旧戸畑区社会教育職員時代に自費出版で世に出した写真記録。半世紀ぶりの復刻とは嬉しいニュース。ところが記事末尾「ガンで闘病中、気管切開により会話が困難」、筆談による取材とのこと。あの独特の声を失ったのかと暗然となりました。映画「抗い」では杖をついていましたが声は元気。今回の記事写真で表情は元気そう。しかし、つらいニュースです。
あの頃、筑豊から北九州に来て「娘がぜんそく」状態でたいへん、休みに筑豊に連れて帰ると「すぐに治る」などの話を聞いたものでした。
3818号【2017年4月6日】
■≪東京は桜満開≫
南の風3815号「やんばる対談、その後の報告」が届いていない、とのご注意をいただき、慌てて“再送”。いつぞや書いたように3グループに分けて出していますが、その中の1グループへの配信を失念したらしい。当方では送ったつもりなので、「重複・ご容赦」などと書いて・・大きなミスでした。ご注意ありがとうございました。号数など普段はあまり気にもしないのに、よくぞ気付いていただいた。発行人はかなり記憶鈍化が進んでいますので、お気付きのことあれば、ぜひ、ご一報を願います。
風3815号には、栗山・石川の二人が初参加した「やんばる対談」の、みずみずしい感想を載せています。それに刺激されてか、当日の名護・底仁屋の会場にサプライズで現れた上平奏博さん(協同研究所)から、長文の激論編(玉野井芳郎「地域主義」論など)が舞い込みました。ぶんじんに百歳まで生きろ!との激励。有り難う。次号に載せます。
上掲・収録の琉球新報コラム「金口木舌」の<なまからどぅやいびんどー>(これからだ、やるぞ!)に登場する伊狩典子さん(戦後初期・沖縄青年団運動の女性副会長、ラジオ沖縄「方言ニュース」キャスター)は、私たちの年報『東アジア社会教育研究』第15号(2010年)に登場した方です。35年のキャスターを今春で引退とのこと。お元気なお話が懐かしく、ホームページから撤収していた写真を探し出して再掲しました。さらなるご活躍を祈っています。東京は桜満開。花の季節。昔の花見の宴を思い出しながら、のんびりと花見。
▼沖縄の戦後初期青年運動を語る、右・伊狩典子さん(那覇、20091021)
3817号【2017年4月3日】
■≪沖縄社会教育・証言とビデオ≫
4月の新年度。皆様のなかには新しい環境・条件で4月を迎えられた方もおありかと思います。新しいスタート、順調でしょうか。風の送り先に変更がある方はご連絡下さい。本号は4月に入って2度目の「風」配信。福岡・横山孝雄さんなど送信先変更のご連絡をいただいた方には新アドレスで出しています。届いているでしょうか、ご確認を。最近は毎号必ず1通、戻ってくる風、調べていますが特定できず。登録リストにないアドレスなので、困惑中。
3月最終日の研究会・編集会議の記録を呉世蓮さん(早稲田大学・非常勤)から送っていただきました(上掲)。ご苦労さまでした。ところが韓国研究フォーラムの次回(4月16日)案内もセヨンさんの仕事だったらしく、本号には珍しく2本の呉メールが並びました。大活躍。ご負担多く申し訳ありません。
4月定例研究会案内(28日)についても、すでに山口真理子さん(事務局長)から届いています。「案内」が並びすぎてもいけませんので、日程的に先のことでもあり、こちらは次号まわしにします。お許しください。
桑原重美さん(もと NHKカメラマン)から、「やんばる対談」の旅のスナップ、たくさん送っていただき、感謝! 追っかけて、さきほど沖縄に関する研究会企画についてのメール(上掲)。1979年「仲宗根政善先生・証言」(沖縄社会教育研究会編『沖縄社会教育史料』第3集)、さらにビデオ記録について、「研究会で皆さんと見るのも無駄ではない」とのご提言。ありがとうございました。いちど桑原さん自身の沖縄についてのお仕事(外間守善先生・NHK
市民大学「沖縄の歴史と文化」など)のお話を含め、ぜひいい機会をつくりましょう。
3816号【2017年4月1日】
■≪東アジア研究交流委員会の再生を≫
4月に入ったのに、東京は寒い曇天、ときどき冷たい小雨。花見を予定していた人もあったろうに…。昨夜(3月31日)は、高井戸駅の横を流れる神田川の桜が咲き初めて、5分咲きぐらい。通り過ぎるだけでも、いい気分でした。編集会議・韓国フォーラムの慌ただしい集い、そのあと3月定例研究会と重なって疲れた身にも、花の季節にお酒が入ると、元気が蘇ります。
南から上野景三(佐賀)、内田純一(高知)、北から石井山竜平(仙台)の各氏が参加されました。それにいつもの常連、皆さま、ご苦労さま。賑やかな1日となりました。この編集会議で年報22号の骨格が確定し、いよいよ執筆をお願いするステージに入ります。ほぼ例年通りのスケジュール、編集担当(江頭晃子さん)より別にご報告が出ると思います。韓国フォーラムでは本づくりの最終作業、近刊予定のカバー・デザインが決まりました。定例研究会では東アジア各国「この1年の動き」をどう書くかの議論。4月の新年度のスタート時点に立って、新しい気分も湧いてきたようです。
2009年から数年、「東アジア研究交流委員会」(委員長・石井山竜平)が動いた経過があります。その後、中断を経て、昨年12月には上海で中日韓の国際シンポジウムが開催されました。この日、その記録を年報22号に掲載する検討も進みました。今年は国際シンポ・日本開催の論議も進んでいるようです。これを契機に「東アジア研究交流委員会」を活性化し、南の風に動きや記録を紹介いただけないでしょうか。関心をもつ人々にも拡げていきたいもの。
山口香苗さん(東大・院)、台湾現代史の文献を教えていたき、有り難うございました。呉世蓮さん(早稲田大学)、4月16日の韓国フォーラム、風の部屋OKです。昨日の研究会・写真を拝受。
▼第237回定例研究会(高井戸、20170331) カメラ・呉世蓮さん
3815号【2017年3月30日】
■≪沖縄研究を≫
沖縄訪問・やんばる対談の余韻じょうじょう。参加者のうち、とくに若い二人(栗山:博物館研究、石川:図書館研究)が、沖縄研究への強い関心を寄せてくれて(上掲)
有り難う! 引率者として喜んでいます。
今回の沖縄への旅で、あらためて自治体レベルの社会教育の体制が(図書館・博物館を含めて)世代交代し、(問題をかかえながら)拡充されてきていることを実感しました。それと同時に、大学の社会教育研究・指導の体制は逆に見えなくなってきている。沖縄の5大学で、主として社会教育を担当している人は誰もいなくなった? 社会教育の講義やゼミの担当者が見えてこない。社会教育主事資格に必要な講義・ゼミ・実習などは、どんな開設状況か、担当者はどなたなのか。気になりました。
社会教育関係の学会メンバーとしては、今回の集いに両日とも参加された名桜大学・嘉納英明さん。しかし(教職科目の担当)とくに社会教育の専門的な授業・ゼミの担当ではないらしい。また間違っているかも?
話をもとに戻して・・・栗山・石川のお二人に沖縄研究へのまなざしがあれば、可能なリズムで沖縄研究フォーラムを再生してはどうか(たとえば2~3ヵ月おき)。小生所蔵の沖縄文献資料は、東京と福岡に分散していますが、多少の意欲は残っていますので、誘惑されたら乗ってみたい思い。
さて、明日31日は、午後4時から「年報22号編集委員会」,7時から「第237回(3月定例)研究会」(会場:高井戸区民センター)です。間に臨時・韓国研究フォーラムも開かれるそうです。皆さま多数のご出席をお待ちしています。
→■https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/kenkyukai2016.htm
▼2017やんばる対談(名護・底仁屋、20120323)
3814号【2017年3月29日】
■≪竹富島・上勢頭芳徳さん逝く≫
今回の「やんばる対談」への旅。その初日夜、竹富島・上勢頭芳徳さんの訃報(同島ゆがふ館・阿佐伊拓さんより)が届いたこと、風3812号・本欄に書きました。実は、芳徳(よしのり)さんの体調がよくないこと、経過が思わしくない(石垣・八重山病院に入院中)という辛い便りは、前本多美子さんから1年前に聞いていました。あぁ、ついに来るべきときが来てしまった!そんなショック。私には今年の対談・予定スケジュールあり、沖縄にいながら竹富島への弔問には行くことができず、北のやんばるへ。芳徳さんはきっと許してくれるだろうと心の中で合掌していました。
最後に会ったのは、2013年「やんばる対談」のあと、竹富島に足をのばした旅でした。竹富のあと、芳徳さんは石垣にも同行していただき、平久保「ぶんじん歌碑」の前で撮った写真などが残っています。2014年以降は、ぶんじん自身の入院があり、また妻・富美への介助が次第に多くなって、名護(やんばる対談)に出かけるのが精一杯。その後は竹富島に行く機会なく、また芳徳さんが上京して「風の部屋」に泊まることもありませんでした。
「白内障の手術を早くなさい、私はよく見える目に治して、南米マチュ・ピチュまで行ってきましたよ!」と白い歯で笑った顔が最後となりました。写真がたくさんありますが、芳徳さんとぶんじんの対談(「竹富島憲章と竹富公民館」2007年、年報12号所収
→■)の際の一枚を掲げておきます。TOAFAEC サイトに(阿佐伊拓くんからの竹富島資料も添えて)「追悼のページ」をつくる準備をしています。ときどき想い出し芳徳さんを偲び、話しかけることができるように。
「やんばる対談」について、栗山究・石川敬史のお二人よりレポートが届いています。それぞれ長文なので次号掲載といたします。乞ご期待!
▼左・上勢頭芳徳さん(竹富島喜宝院蒐集館長)との対談、床の間には「うつぐみ」の額(上勢頭家、2007年4月18日)
3813号【2017年3月27日】
■≪余韻、湧き立つような夜の交流≫
前回の本欄・那覇「交流会」の参加者として、名桜大学・嘉納英明さんのお名前が抜けていました。失礼しました。初参加、東京でもなく那覇でもないので、別記しようと思って・・・失念。嘉納さんは翌日の名護・交流会にもご参加。有り難うございました。来年の日本社会教育学会について、沖縄開催とのこと。当方早とちりで「会場・名桜大学」と書きましたが(風3811号)、会場は未確定だそうです。あわてて、(ぶ)日誌ホームページの当該記載を急ぎ消去。軽率をお許しください。
今回の「やんばる対談10-やんばるの地域博物館」記録化(年報22号)は山城千秋さん(熊本大学)が担当して下さるそうです。テープ起こしは難儀な作業、多忙のなか感謝!どうぞよろしくお願いします。
当日の「やんばる対談」、「南の風」本号に山口真理子さんから詳細な記録・感想が寄せらました。とくにあの日(3月23日)、底仁屋・蔓草庵での対談の余韻が残ったまま、中央公民館工作室での交流会へ。久しぶりに再会する顔もあり、2002年開催「社会教育研究全国集会」(名護)で瓶詰めされた古酒の酔いもあり、昼の「対談」の続きの、沸き立つような夜の「交流」となりました。
お世話になった名護の皆さん、とくに島袋正敏さん、あらためて御礼申しあげます。同行の初参加・若手お二人(栗山究・石川敬史)、また名護に詳しい武田さんからも、感想など頂ければ幸いです。
故上勢頭芳徳さん(竹富島)追悼は、次回に載せます。
▼宜野座・名護博物館の皆さん、右端に島袋正敏さん(名護市中央公民館・工作室、20170323)
-黒板の左側に「やんばるの地域博物館-7つのキーワード」(案)が書かれている-
つおに
3812号【2017年3月25日】
■≪那覇の夜、訃報あり≫
沖縄への旅、パソコン持参で出かけたのですが、電源につなぐコードを忘れる失敗。小さなバッテリーはすぐ消耗し、メール送受信がほとんど出来ないまま東京に帰ってきました。連日のスケジュール、遅くまで語り飲み食べる楽しみ、那覇からの「風」をお送りする時間もなく残念至極。
東京では冬服、那覇ではそれを脱ぎすてて、シャツ姿になって「おきなわ社会教育研究会」交流会へ。平良研一、玉那覇正幸、佐久本全、名城ふじ子さんなど、いつものメンバーだけでなく、田場盛順・東武のお二人(いずれも元沖縄県青年団協議会々長)の思いがけない参加があり、久しぶりの再会に話がはずみました。東京からは、小林文人、山口真理子、武田拡明、桑原重美の常連に加えて、初参加の栗山究、石川敬史のお二人。皆さん、有り難うございました。お疲れさまでした。
その席で東(あずま)武さんが詠んだ即興の琉歌。「今日の夕暮(ゆまんぎ)や 心(くくる)友(とむ)揃てぃ 心うちとけてぃ語る嬉しゃ」 まさにその通り、1976~77年の出会いからすでに40年の歳月、変わらぬ交流を確かめた一夜となりました。私たちの「沖縄社会教育研究会」(東京学芸大学社会教育研究室)創設が1976年。那覇「おきなわ社会教育研究会」はその翌年のスタート。これまでの研究会の記録を年報22号に寄稿していただくようお願いできました。執筆予定者は平良研一会長(沖縄大学名誉教授)。嬉しゃ!
ホテルに入って、やっと受信できたメールのなかに悲報あり。竹富島ゆがふ館の阿佐伊拓さんから(Wed, 22 Mar 2017 17:15)。「病気療養中の上勢頭芳徳さんが本日(3月22日)、お昼頃逝去されました。 享年75歳でした。 告別式は、3月24日(金)11時30分~12時30分、喜宝院(竹富町字竹富108)にて執り行います。芳徳さんとの縁のある皆様方へ、取り急ぎお知らせいたします。」竹富島へ弔問に行きたい南への思いを抑えて、寒い東京への帰途についたのです。(続く)
▼「おきなわ社会教育研究会」との交流会(那覇、20170322)
3811号【2017年3月22日】
■≪「やんばる対談」へ≫
いまから沖縄(那覇・名護)へ出かけます。わずか2泊3日の旅。昔は沖縄行きと言えば1週間は滞在したもの。昨今はそうはいきません。ある年は竹富(八重山)まで行って帰路は名護(やんばる)へ、あるいは名護行きから南の竹富島へ、その間に那覇の皆さんともお会いする、そんなルートが出来上がっていました。那覇から台湾に飛んだ年もあり、そんな歳月が懐かしい。
この間、連絡が来なかった山城千秋さん(熊本)、今年は無理かと思っていたところ、「23日、名護でお目にかかります」のメール(上掲)。どうぞよろしくお願いします。もともと「やんばる対談」(第1回・2010年、稲嶺進市長誕生の年)は、ぶんじんやセイビンの世代が口火を切って、千秋のような若い世代で担っていく、そんな話を思い出します。第1回対談は、小林・島袋・山口真理子・山城(年令順)の4人でした。それから今年で10回目。“ゆんたく”風の対談が案外と好評で、10回続くと、ある蓄積を生み出しているようにも思われます。来年あたり、ひとまわり若い世代で、新しいセンスをもって企画してほしいと期待しています。そう言えば、来年の日本社会教育学会は沖縄(あるいは名護?)開催だそうです。
これまでは名護・社会教育との対話が主でしたが、今年は初めて名護周辺からの参加も得て、文字通り「やんばる」の拡がりをもつことになりました。テーマ“地域博物館”。どんな展開になるか楽しみ。ホームページに解題記録。
→■https://secure02.red.shared-server.net/www.bunjin-k.net/yanbartaian2010.htm
3810号・2017年3月19日
■≪ホームページ・ビルダー不調≫
3月17日夜、やんばる対談の事前学習会。メール・資料を送っていただいた島袋正敏さん、当夜ご参加の皆さん、ありがとうございました。やんばる対談だけでなく、これまでの沖縄研究あれこれを思い出すひととき。小林・平良編『民衆と社会教育-沖縄社会教育史研究』(エイデル研究所、1988年)の話にも及び、秘蔵の1冊をご披露する流れにもなりました。
この本で「博物館」に1章を設けていますが(執筆・渡名喜明さん)、まだ“地域博物館”への言及はない。その後、1980年代の名護博物館等の登場や一連の沖縄独自の動きが、小林・島袋編『おきなわの社会教育-自治・文化・地域おこし』(同・エイデル、2002年)に面白く収録されています。そして今回「やんばるの地域博物館」をテーマに掲げた意義をあらためて再確認。
もし石川敬史さん(当夜・欠席連絡)がいれば、沖縄の“小さな図書室”の歩み(字公民館、教育育隣組など)も話題になったことでしょう。いずれ次の機会の楽しみに。終わってパソコンを開いてみたら石川メール。帰路フライトは小生とほぼ同時刻らしい。レンタカーで一緒に動けますね。23日・那覇から名護へ、翌24日を有効に使うためレンタカーは2台か。
この数日、ホームページ入力が出来なくなっています。毎回「風」を吹けばホームページに本(ぶ)欄を書き入れ、また関連記事を入力・更新する慣わし。ところがHPB(ビルダー)の調子が悪く、新しい版への切り替えに手間取っています。主要なスケジュール(3月23日「やんばる対談」、31日「編集会議・定例研究会」,「自由投稿呼びかけ」4月25日申し込み期限)は、すでに入力済み。一両日で回復見込みです。ご了承ください。
3809号・2017年3月17日
■≪アリラン文庫≫
記録作家「林えいだい」を“記録”した映画「抗い」は、そのパンフレットの最初のページを次のように書き始めています。「福岡県筑豊の旧産炭地には、今もアリラン峠と呼ばれる場所がある。そこは、かって日本に徴用された朝鮮人たちが炭鉱に向かう時に歩いた道。しかしその名は地図には載っていない。」
林えいだいは、自宅(福岡県田川市)の仕事部屋を「アリラン文庫」と名づけ、朝鮮海峡、強制連行、樺太問題、朝鮮人皇軍兵士ほか、公害・台湾・特攻・筑豊など数々の記録を世に出してきました(著作リスト57冊)。「権力に捨てられた民、忘れられた民の姿を記録していくことが私の使命」と書いています。
映画では闘病しつつ文献資料に埋もれて執筆を続ける姿が印象的。ガンを患っていることが分かったとき、なんどか電話をもらった記憶があります。退院したと聞いて、彼の自宅を(農中茂徳の車で)訪問、しかし留守でした。玄関に大きな「アリラン文庫」看板を掲げていました(写真)。
1965年頃の出会い、すでに半世紀余りの付合いとなります。当時の戸畑市社会教育の仕事から公害問題に取り組み、公務員の職を棄てて記録作家として飛び立つ姿をいま想い出しています。いい映画に仕上げた人たちに囲まれて幸せ。
▼林えいだい自宅(福岡県田川市、20060616)
3808号・2017年3月16日
■≪3月15日≫
3月と言えば、いろいろと記念日がありますが、イやな日もあります。納税・確定申告の日(15日)。ちょうどこの時期は花粉症とも重なって、毎年(もっとも!)楽しくない日です。今年は自分だけでなく、富美の医療費控除のことがあり、関係フアイルを整理したり、数日を費やしました。「やんばる対談事前学習会」(17日夜)ご案内も直前になってしまった(上掲)。
今年の対談テーマは「やんばるの地域博物館」。昨日、名護から名護博物館や今帰仁村歴史文化センターの資料を送っていただきました。確定申告を終えて帰宅、やっと落ち着いて、そのページをめくって、楽しくなっています。
たとえば「名護博物館」のパンフ「ご来館のしおり」。裏面の下半に新名護博物館(仮)構想が載っています。「ぶりでぃ!みんなで創ろう!新しい博物館」の6つの柱、次の通り。「名護・やんばるのくらしと自然を表現する博物館、過去と未来を考える、みんなでつくる、あつめ・考え・守り育てる、名護・やんばるの情報をつたえる、夢がひろがる」そんな博物館を創ろう。「博物館は未来に向かう!」と。(「ぶりでぃ」とは群れ手、みんなで・・の意)
昨年の秋、白内障の手術をして目が回復、最近は新聞をよく読むようになりました。朝日新聞・夕刊2面の「たどって」シリーズが面白い。いま「田園回帰」を取り上げています。今日の記事では、高齢化率・日本一?の群馬県南牧村の格闘をレポート。村長談「まだまだこれから。見てて下さい。消滅なんてさせません」と。
3807号
【2017年3月14日】
■≪東アジアの歴史を刻む≫
私たちの年報『東アジア社会教育研究』には、東アジア各国それぞれの社会教育・生涯学習をめぐる「この1年の動き」欄があります。韓国研究フォーラムが口火を切り(第14号・2009年)、中国・台湾がこれに続きました。昨年の第21号から日本の社会教育「この1年」が加わりました。これを横につないでいくと、まさに東アジアの「動き」がダイナミックに見えてくることになる。
近年、日本の社会教育の動きがボンヤリとしてきたように思われます。一つには、歴史を刻むかたちでの社会教育・生涯学習の政策それ自体が薄れてきた、とくに国レベルの動きが見えてこなくなった。それに対応して地方レベルの動きも、公的セクター後退の問題に追われてアタフタしている。しかし、しっかり自治体としての独自な歩みを蓄積している地方では自ら「この1年」の動きを刻んでいると思われます。他方、市民セクターの動きはどうか。やはり活発な展開を見せている市民運動は自らの歴史をもっている。これら横のつながりと縦の蓄積が社会教育の歴史を創っていくことになるのでしょうか。
3月31日のTOAFAEC 定例研究会では、これまでの各国・地域の社会教育・生涯学習「この1年」の動き執筆をふりかえりながら、これからどのように記録を綴っていくか、歴史を刻む作業を深めていくか。そんな論議を交わしたいという企画(上掲・3月31日)です。ぜひご予定ください。
3806号【2017年3月12日】
■≪心揺さぶられる動き・夜間中学≫
アリラン文庫の写真(HP)も用意し、記録作家・林えいだいを“記録”した映画「抗い」について・・・と書き始めたところで、埼玉・川口市で公立夜間中学開設の朗報が舞い込んできました(上掲)。林えいだいさんは次の機会に。
埼玉の自主夜間中学の動きは30年余り。初期のころ(その前から)埼玉に夜間中学をつくる運動に関わってきたF君のことを想い出しています。東京学芸大學の卒業生。在学中に社会教育・特別講義としてお招きした見城慶和さんの話を聞いたことが契機となって、夜間中学の運動にかかわっていました。今どうしているかな、元気かな?と。
これまでの夜間中学関係者のたゆまぬ歩み、その蓄積があってこその「教育機会確保法」の成立(昨年12月)。国家実定法がいいかたちで作用して、目をみはるような各地の動きが見えてきました。松戸市に続く川口市の公立夜間中学開設のニュースに心ゆさぶられるものがあります。いま逆に退潮しつつある公的社会教育・生涯学習の動きとまさに対照的。社会教育の公的な充実を求めてきたものとして、いま何をなすべきか。これまで努力してきたつもり、だが何が足りなかったのか、などと思いめぐらしています。
「月刊社会教育」の最新号(3月号)に、須田登美雄さん(足立四中、全国夜間中学校研究会)の「夜間中学の未来」が掲載されています。力強い論文。
3805号【2017年3月9日】
■≪やんばる対談・事前学習会≫
ソウル大学に留学した松尾有美さん(東大院)の「ソウルの風」が吹き始めました(上掲)。楽しみです。元気な時も、ときに寂しいときも、折々にぜひ「風」を寄せてください。定期的に「風」を寄せていただく方には、敬意を表し、TOAFAECホームページ内に1室を用意する慣わし。故伊藤長和さんの「烟台の風」は4年ほど続きました。4本の「烟台の風」がサイト内で生きています。いま動いているのは山口香苗さんの「台北の風」。また折にふれて(日本にいても)「台北の風」をぜひ!
この機会に合わせてお願いします。
さて、3月23日「やんばる対談」(名護)について。栗山究さんから事前学習会の企画を進めてほしいとのご意見(上掲)。今朝、島袋正敏さんに、次のような趣旨のメールを送りました。
「おはようございます。やんばる対談が近づいてきました。いつもの4~5人と、新しいメンバー2~3人(博物館研究者など)で参上する予定です。東京では3月17日(金)に「風の部屋」に集まって事前打ち合わせ・学習会を開こうと思います。…(略)…、私自身も最近は沖縄・やんばるに行く余裕がなくなり、少し予習をして参上したいと思っています。対談にお集りの博物館・資料館の中で作成された関連資料(ビラでも結構です)など、小林あてお送りいただければ幸いです。名護博物館の比嘉久さんにも最近の資料をお願いしていただけませんか。…(後略)…」
やんばる対談ご参加の方、関心おもちの方々、3月17日(金)夜をご予定下さい。午後7時前後からお待ちします。場所などお分かりにならない方、連絡先は小林(090-7700-7756)まで。
林えいだい氏「ありらん文庫」(前号本欄)の続きは次の機会に書きます。
3804号【2017年3月8日】
■≪「自由投稿」呼びかけ≫
前号に続いて、本号も長~い文章・2本、長文となりました。お久しぶりの山本健慈さん(国立大学協会、前和歌山大学長)と、いつもご来信の関本保孝さん(えんぴつの会、基礎教育保障学会)、有り難うございました。
短いメールは、内モンゴルのトクタホさん(赤峰学院)から。今年の年報22号への「自由投稿」希望、もちろん大歓迎!です。4月25日までに執筆テーマ・内容概要(800字)、希望枚数など応募メールをお寄せください。編集委員会で採否を決めます(4月28日予定)。原稿締め切りは6月末日予定。「自由投稿呼びかけ」は「南の風」3801号に載せてましたが、あわせてホームページ「年報・東アジア社会教育研究」関連記事もご覧下さい。今年も力作揃いの年報となることを期待しています。まわりの関心ある方々にご喧伝ください。
→こちら■
記録作家・林えいだいさんの映画「抗い(あらがい)」(西嶋真司監督、RKB毎日放送)をようやく観ました。九州ではずいぶん前に公開されたのに・・東京ではなかなか公開されず、待っていましたが、当方も出不精になってすぐには足が向かず。誘われて今週になってやっと・・・という次第。ぶんじんと2
才違いの同世代。80歳代の訃報相次ぐ中で、同じ世代が頑張っているのに励まされます。出会いから半世紀余り。彼の独特の手書き文字「歴史の教訓に学ばない民族は、結局は自滅の道を歩むしかない」を裏表紙に記したパンフレットに読み応えあり。少し書きたいことがありますが、次号にまわします。
3804号【2017年3月5日】
■≪「平生教育法」改正・全文≫
2月24日午後から夜にかけての韓国研究フォーラム・学習会とTOAFAEC・定例研究会。既報のように、この日は韓国本校正や22号編集会議も重なって、私たちの長~い1日でした。小田切督剛さんと山口真理子さんそれぞれから、なが~いレポート2本が届きました。お二人、ご苦労さま。本号はこの2本の報告だけですでに長文、他の記事は次号まわしとなります。
当日、誰よりも疲れたのは、恐らくゲストの谷和明さん。疲れを癒すイーストビレッジを楽しみにしていましたが、お急ぎで寄り道のエネルギーもないご様子、申しわけありませんでした。お話・対談記録はテープにとって、年報に収録予定です。そのリライトもまた疲れる作業、スミマセン!とあらかじめお詫びして、これに懲りずに、またどうぞよろしくお願いします。
この間、私たちが注目してきた韓国・平生教育法(1999年、全面改正2007年)は、全文を日本語にしてホームページに載せています。その後(全面改正から10年)活発な法改正が重ねられてきていますので、現時点の平生教育法・全文の訳を李正連さん(東京大学)から送っていただきました。さらに細かな追加・訳句の修正等も届きましたので、そのすべてを入力(したつもり)、ご活用ください。李さん、ありがとうございました。
→■
▼ 2月定例(236回)研究会、中央にゲスト・谷和明さん (高井戸、20170224)
3802号【2017年3月 3日】
■≪年報特集への動き≫
本号には久しぶりに中国(上海・三国フォーラム)についてのメール(上田孝典・黄丹青両氏)来信、有り難うございました。韓国そして沖縄(琉球新報コラム)と並べば、TOAFAEC
らしくなって、嬉しいことです。
上海・呉遵民さんから12月に開かれた三国フォーラムの「総論的なまとめ」の原稿が届いたそうで、何よりでした。翻訳について、黄丹青さんも加わっていただき、どうぞよろしくお願いします。これに北京・韓民さんや日本からの上海フオーラム参加者各位のレポートが揃えば、年報22号はこれを第1特集にもってきてもいいほど。上海レポートの揃い具合とも関連して今後ご意見を。
ご報告したように、2月24日・編集委員会では「東アジア・教育改革から20年」を第1テーマに準備が始まっています(風3800号)。また、昨年8月に出版した『大都市・東京の社会教育』、これから本が出る『躍進する韓国の平生教育』の大著も予定され、これらを年報にどう位置づけるか、賑やかな年報になりそうです。それぞれに元気がでる動き、ご同慶の至り。
松尾有美さん(東大・院)が、ソウル大学へ留学。「ソウルから」の便りが始まりました(上掲)。小田切督剛さん「おおっ!さっそく「ソウルの風」第1号ですね!!光化門に行ったとはすばらしい!!」と。楽しみにしています。
3801号【2017年3月1日】
■≪自由投稿の呼びかけ≫
2月24日(金)夜の編集委員会(第2回、前号に記録)で、今年の年報22号の特集・構成がほぼ決まりました。それぞれの担当より依頼の際は、どうぞよろしくご協力ください。「自由投稿の呼びかけ」を本号に掲載することができました(上掲
→■)。ご関心ある方、迷っている方も含め、ホームページご覧の上、ふるってご応募ください。とくに初めての方、在野の研究者、大歓迎!
→■
投稿要領は上記「呼びかけ」のなかに紹介していますが、この機会に、ぜひ私たちの年報「編集方針」をご覧ください。(1)東アジアの「ひろば」を創る、(2)実証的精神の重視、(3)東アジアの留学生、若い研究者への期待、(4)TOAFAEC活動記録、そして「(5)民間非営利、不偏不党、自由闊達の編集」に心がけたいこと。この方針で、すでに20年余の歳月、21冊の年報が世に出ました。
ひょんなことから、名桜大学(名護)の嘉納英明さんと電話で話す機会がありました。私たちの沖縄社会教育研究のなかでの出会い(当方は憶えていなかった)、懐かしい旧「教育隣組」研究、「やんばる対談」に参加されたこともあったのに、「風」メンバーではなく、失礼しました。本号から風をお送りするようにします。「南」はまさに沖縄の意、これからの沖縄からの風に期待しています。
*南の風3751~3800号→■
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