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3,東京学芸大学・小林研究室・留学生特別ゼミ(アジア・フォーラム)→■
【TOAFAEC研究会記録】
(U) 
◆TOAFAEC定例研究会記録(1)−1995年〜1999年→
◆TOAFAEC定例研究会記録(2)2000年〜2001年
◆TOAFAEC定例研究会記録(3)−2002年〜2003年

◆TOAFAEC定例研究会記録(4)−2004年〜2005年(前ページ)

◆TOAFAEC定例研究会の記録(5)
 −第114回・2006年1月〜第135回・2007年12月−
 −記録者・石倉祐志
遠藤輝喜ほか
                   

 ◆定例研究会記録(6)−2008年・第136回以降の記録→(次ページ)

◆第135回:黄丹青「中国・社区教育の動向−上海閘北区の事例から」
 <ご案内>          遠藤輝喜、Mon, 3 Dec 2007 21:17
 
本年最後の研究会は、恒例・忘年会をかねて、下記のように開催いたします。当日のテーマは、久しぶりに中国・社区教育について。報告は黄丹青さん。TOAFAEC 「東アジア社会教育研究」第12号所収の「上海閘北区社区教育の過去と今」を取り上げ、中国各地で躍動中の社区・コミュニテイづくりと学習活動の展開や今後の課題を考えあってみたいという企画です。
 上海市閘北区は、上海駅を含む市中心部から拡がる地域(人口は定住78万、外来約10万)、かっての上海事変では激戦がかわされたところです。私たちのTOAFAEC とは深いつながりがあります。20年ほど前に閘北区「業余大学」−当時、のち「社区大学」さらに「行建職業学院」へと発展−から副学長・袁允偉さんが東京学芸大学社会教育研究室へ留学された機縁もあって、TOAFAEC との「合作学院」構想が練られた経過があります(結果的に実現せず)。現在は、閘北区同学院・図書館内に「小林国際交流図書室」が開設中。小林先生は同学院の名誉図書館長です。
 
閘北区「社区教育」の取り組みは、中国々内でも先進的な歴史をもち、生涯(終身)教育の理念とともに、すでに20年近くの歩みがあります。改革開放・経済発展政策との対応のなかで、とくに最近10年の積極的な地域(社区)づくり、生涯を通しての教育体制づくり、そして「学習の生活習慣化」(第12号所収論文タイトル)がめざされています。これからの動きが注目されるところ。興味深い論議が期待されます。
 
どなたも参加できます。初めての方とくに歓迎! 会終了後は楽しい忘年会を予定しています。お誘い合わせの上ぜひご出席ください。
                 記
日時:2007年12月21日(金)18:30〜20:30
内容:中国・社区教育の動向について−上海閘北区の事例から
   (「東アジア社会教育研究」第12号・所収論文を読む)
   *当日できれば第12号をご持参下さい。
報告:黄丹青さん(埼玉大学講師)
会場:杉並区高井戸地域区民センター(2階・特別室)
終了後(20:45〜)忘年会、「イーストビレッジ」TFL 03-5346-2077
連絡先:遠藤輝喜(職場・渋谷区幡ヶ谷社会教育館)03−3376−1541
<報告>
参加者:小林文人、伊藤長和、遠藤輝喜、岩本陽児、黄丹青、江頭晃子、山口真理子
 最初に小林先生から、1989年の上海閘北区業余大学の訪問(羅李争の友人−袁允偉さん=同副校長との出会い)以降、日中合作学院構想(南の風226号参照)の経過、業余大学から社区大学・行健職業学院への移り変わり(「東アジア社会教育研究」4号・王論文、6号・袁論文参照)、さらに今回の中国訪問の報告がありました。
 その後、黄丹青さんからの報告(「上海閘北区からみた社区教育の制度化」)。上海市閘北区は人口約90万人(外来人口含む)に8つの街道(市街区域)と1つの鎮(農村地域)。行健職業学院と、9つの社区学校、71の分校、242 の教育施設(学校や図書館、博物館など)がある。中国の義務教育法は1986年成立だが、上海市は85年に義務教育条例ができている。先進的な歩み。
 教育・福祉事業等はもともと国営企業や企業単位において担われ、学校や保育園など営まれてきたが、改革開放政策以降は、「単位」の機能は変容し、企業の倒産も相次ぎ、対応して「社区」(地域)の役割が増大する。閘北区は上海市のなかでも「社区」概念の登場が早く、1980年代後半。当初は、学校教育をサポートする形で社区教育の事業が取り組まれた。その後住民全体のレベルアップに視点がおかれ、2000年に「社区教育実験方案」が制定され、組織化や教科書の編纂の予算づけなどがされていく。さらに目標の明確化や評価事務所の設置等がすすんだ。この6月には「社区服務指南」(文化・教育・体育)に関する「国家標準」(基準)が制定され、上海(閘北区)にも浸透し始めている。
 具体的事業としては「親子関係」「科学普及」「時事教育」「健康広場」等多岐にわたる。ほとんどが無料。職員は各街道に3年交替で学校の教員等が「輔導員」として派遣されている。
 市民レベルで地域課題にいかに取り組むかというより、上からの行政主導の流れによる啓蒙的な匂いと、「専門職」集団の未形成の問題など、これからの課題は少なくない。社会主義市場経済への進展が進む中国で、新しく推進されていく社区教育の事業、地域に視点をおいた生涯学習の動き、社区文化センターなど施設の設置、それらに伴う住民の学びの場と住民意識の拡がり、それらがこれからどう展開していくのか、目が離せないと感じた。今後の動向について、さらに継続しての報告をお願いしたい。
 終了後はいつものイーストビレッジで忘年会。今年の嬉しい話題を振り返りながら、来年3月に来日される華東師範大学のこと、呉遵民さんの近況など話がはずみました。終わりにイーストビレッジ・マスターも含めて写真を一枚、今年の記念になりました。→■
*【南の風】第1962号 江頭晃子(Sun, 23 Dec 2007 01:48)
黄丹青さんの報告



上海市閘北区・行建職業学院・図書館前、TOAFAEC問団一行(20011010) 
前列左端に黄丹青さん


◆第134回
伊藤長和「市民大学を考える−かわさき市民アカデミーの歩み」
<案内>
 今年も残すところあと2ヶ月となりました。皆様にはお元気にお過しのことと存じます。私たちの毎月の定例研究会も数えて134回。今回はすこし趣向をかえて「市民大学」をテーマに掲げ、その課題や展望を考えてみることにしました。
 なぜいま「市民大学」なのか。いくつかの理由や背景があります。一つには、この10年来、東アジアの各都市で、「市民大学」あるいは「社区大学」と称する試みが新しく胎動していることです。日本では、とくに「生涯学習」施策に結びついて、各地で「市民大学」的な動きがみられるようになりました。
 ヨーロッパ(たとえばドイツなど)にみられる「市民大学」(フォルクス・ホッホ・シューレ)の歴史と比べると、まだ新しい歩みです。その実態もさまざま、いろいろ課題もあるように思われます。
 あと一つ、今回のテーマを掲げた経過として、10月定例(第133 回)研究会で報告していただいた鈴木茂夫さんは「たちかわ市民交流大学」市民推進委員会の代表をされています。立川市では今年秋に公民館が地域学習館に転用される動きとともに、新しく「市民交流大学」が開講されました。
 かねがね川崎市では独自の「生涯学習推進基本構想」(1991年)が策定され、1993年に「かわさき市民アカデミー」が発足しています。それから15年近くが経過。この機会に川崎の経験についてお話を伺い、「市民大学」の課題や展望について、ご一緒に考えてみようというプログラムです。幸いに伊藤長和さん(TOAFAEC 副代表)にご報告をお願いできることになりました。前回に引き続き、鈴木茂夫さんなど立川市からもご参加いただく予定です。
 興味深いご報告と論議が楽しみです。皆様、ふるってご出席ください。
日時:2007年11月30日(金)18:30〜20:30
内容:「市民大学」を考える−かわさき市民アカデミーの歩みを通して−
報告:伊藤長和氏(川崎市教委・学習情報室長、元川崎市生涯学習振興事業団事務局長)
会場:永福和泉地域区民センター・第三集会室
終了後(20:45〜)駅近くで交流会
連絡先:遠藤輝喜(職場・幡ヶ谷社会教育館)03−3376−1541 携帯:090-7942-4785

<報告>
参加者:<立川より参加> 鈴木茂夫、真鍋繁樹、横幕玲子、竹内英子、
      岩本陽児、遠藤輝喜、小林文人、トクタホ <敬称略>
○<参加の感想> 真壁繁樹(Mon, 03 Dec 2007 01:21)
             *立川市(前小学校長、公民館運営審議会委員、
               現たちかわ市民交流大学・市民推進委員会)
 TOAFAEC の定例研究会に参加させていただいたのは今回が初めてです。立川市の「市民交流大学」のありかたを模索している私ですが、このたび小林文人先生のお計らいで、伊藤長和さん(ちょうさん)のお住まいの鎌倉と、勤務地の川崎市のお話を聞くことができました。
 川崎市は立川市の「生涯学習」の規模と比べると、一桁も二桁も違う印象を持ちました。川崎市の歴史と現状の中で「公共性」を確保する市民や職員の力があることを知りました。伊藤さんの果たす役割の大きさも感じました。
 この学習会から私が学んだことの一つは、「市民大学」もその地域の歴史と行政の方向や公民館等の体制、そして市民運動のせめぎ合いの中でかたちはいろいろあるが、市民の学習権をどう確保するかが課題であると感じました。「かわさき市民アカデミー」においては「川崎学」は全受講者必修となっています。単なるカルチャーセンターとは違います。
 二つ目に「市民大学」で市民の学習権をすべて保障すると考えるのでなく、その地域に応じて役割分担しながら公共性を保障して行くことが大切かとも思います。地域の「多様性」を持ちながらも、すべての市民の学習を保障していく基本を押さえていくことが大切であると感じました。立川市では「市民の学習権」についての議論が不足していると感じています。このことなしに「講座の設定」ばかりあせっていてはいけないと思っています。

○<感謝と補足> (小林ぶんじん)
 当日の伊藤長和さんの報告は、川崎についてたくさんの資料を用意され、また鎌倉についてもフイールドサーベイにもとづく詳細な内容。一晩だけではもったいない、数回かけて話を聞きたい思いでした。あらためて都市・自治体をこえた比較検討の大事さと、これからの「市民大学」の課題を深めていく必要を実感しました。
 市民主導、市民「推進」という場合の理念と実態のづれ、市民力と行政の果たすべき役割をどう考えていくか、真鍋さんも指摘されている市民の学習権と「公共性」の確保、関連して公民館等の公的体制の問題など、さらに論議すべきポイントが見えてきたように思いました。
 下記のように、翌日は日本公民館学会(浦安市)。ドイツ研究の谷和明さん(東京外国語大学)と会いましたので、「市民大学」のヨーロッパ的形態と、日本で(台湾や韓国などでも)動き始めているいわば東アジア的状況とを比較的に考える機会ももちたいとお願いしておきました。                 *南の風1951号 2007年12月3日
報告:伊藤長和さん



◆第133回:鈴木茂夫「原水禁運動・久保山愛吉さん取材など
                          −1954〜1955年の回想」
        −原水爆禁止運動(安井家)資料研究会と合同
                   遠藤輝喜、Tue, 02 Oct 2007 22:26
 
<ご案内>

 10月となり、ようやく秋の風の季節になりました。皆様にはその後お元気にお過ごしのことと存じます。7月〜9月は、変則的な日程の研究会でしたが、今月の研究会は恒例・最終金曜日の夜に戻り、会場も高井戸での開催です。
 久しぶりに原水爆禁止運動(安井家)資料研究会と合同のかたちで企画しました。ゲストは、原水禁(原水協)運動初期のころ、東京や焼津での取材経験をおもちの鈴木茂夫さん(元TBSディレクター)にお願いすることができました。荻窪の故安井郁氏にも直接会って?取材されたことがあり、また病状厳しい久保山愛吉氏にマイクを向けられた記者のお一人でもあったそうです。
 当時のご自身の記憶・貴重な記録をもとに、興味深いお話をお聞きできるものと楽しみです。また幼少時代に過ごされた台湾との深い関係もあり、今年6月には『早稲田大学細胞−1952』(同時代社)を上梓されています。関連して自分史的な回想も伺うことができるかもしれません。
 鈴木茂夫さんについては「南の風」第1883号(本年7月26日)に「同時代人との出会い(ぶ)」として紹介記事が掲載されています。秋の夜のひととき、皆様のお出でをお待ちしています。
日時:2007年10月26日(金)18:30〜20:30
内容:原水禁運動(1954〜1955)−あの頃の記憶
ゲスト:鈴木茂夫氏(元TBSディレクター、『早稲田細胞1952』著者
     現在・たちかわ市民交流大学市民推進委員会委員長)
会場:杉並区高井戸地域区民センター・第5集会室
終了後の交流会:「イーストビレッジ」03-5346-2077(移動3分)  
連絡先:遠藤輝喜(職場・渋谷区幡ヶ谷社会教育館)03−3376−1541


<報告>
参加者:<敬称略> 井上恵子、岩本陽児、江頭晃子、遠藤輝喜、小林文人、竹峰誠一郎、
  トクタホ、野村(男)、古市直子、丸浜江里子、安田和也(第5福竜丸展示館)、山口真理子
  <立川より参加> 鈴木茂夫、真鍋繁樹、横幕玲子
 TOAFAEC 第133回研究会は、安井家資料研究会との合同開催ということで、私も参加させていただきました。
 あらたに顔合わせをした人も多いため、参加者の自己紹介から始まりました。初参加の方は、第5福竜丸展示館・事務局長の安田和也さん、立川市からの鈴木(ゲスト)、横幕、真鍋のお三方、瑞穂の井上さん、野村さんなどでした。
 ゲストの鈴木茂夫さんは、台湾でお育ちになった少年時代、大学時代の武勇伝などもお話しくださいました。TBSにご入社間もなく、杉並・荻窪の署名運動を取材中に安井郁先生から話しかけられて、それをラジオ放送したというエピソード。安井先生の理路整然としたお話しぶりが彷彿とされるものでした。放送内容が残っていないそうで残念です。
 久保山愛吉さんの入院先(国立東京第一病院)やご遺族への取材の様子など、放送人としての立場からのお話を伺えたのは貴重でした。
 久保山さんのご臨終間近、ご本人はもうお話などできない状態、付き添う奥様は無言でひたすらご主人を見つめ続けておられて、インタビューなどとてもできるものではなく、病室内の音は傍らの酸素吸入器の中で「ポコ...ポコ...」と気泡の動く音のみ。「これは雑音ではない、必ず放送してくれ!」と強く念を押して、この音を中継なさったそうです。
 録音が保管されるのは、当事者やインタビュアーが話しをした部分だけなので、この重く悲しい臨場感あふれる音も残されていないとのこと。せめて、そのような放送があったということだけでも伺えたのは幸いでした。
 さらに鈴木さんご所蔵の当時の放送の記録を、安田さんからは、第5福竜丸展示館に収蔵されている、文化放送が久保山愛吉さんを取材した放送の録音を拝聴しました。
 文化放送の録音は、入院中の久保山さんがラジオ中継でご自宅のお嬢さんとお話なさった時のものでした。親子がお互いを気遣う様子がありありと記録されており、そのために、悲劇が生々しく突きつけられるものでした。
 安田さんによれば、実際にはこの放送は、広島の被爆者の方を交えて3地点からの中継を多元放送したものだったそうですが、広島からの中継は残されていないそうです。
 鈴木さんが、多元放送の場合は、各局が放送に関わった部分のみを録音・保管するので、東京の文化放送には広島局の携わった部分がないのだろうとご説明くださいました。最後に、丸浜さんが持参なさった当時の新聞のコピーを拝見し、散会となりました。
 交流会「イーストビレッジ」では、久しぶりにトクタホさんの「友との出会い」(モンゴル)、遅れて参加された山口真理子さん「十九の春」(沖縄)の歌声がながれました。
*南の風1936号(2007年10月29日)古市直子(Sun, 28 Oct 2007 12:50)
中央・鈴木茂夫さん


<第133回研究会−満月の夜は雨> 南の風1935号2007年10月27日・ぶんじん
 昨(10月26日)夜の133回研究会は満月だ、と楽しみにしていましたが、あいにくの雨模様。ゲストの鈴木茂夫さんなど立川から3人の方は、足もとの悪いなかのご参加、まことに有り難うございました。
 ご参加の皆様、大半は初めての顔ぶれでした。めったにないことです。新しい出会い、楽しいひととき。研究会ならではの醍醐味。ご報告は次号あたりに届くと思います。本欄は「風」にいただいた関連メールを二つご紹介。
 一つは昨日午後、丸浜江里子さんからいただいていたご連絡。(Thu, 25 Oct 2007)
 「…略… 案内をMLに流しましたら、先ほど、第5福竜丸展示館の事務局長の安田和也さんから電話をいただき、お見えになるということです。その折、文化放送で久保山愛吉さんのを録音したものが展示館にあるので、そのCDを持ってきてくださるということです。10分くらいだそうですが、…」
 安田さんは展示館の学芸員でもあり、安井家所蔵の原水禁資料にも関心をおもちのようです。交流会で聞いた話、なんと那覇生まれとのこと。
 ゲストの鈴木茂夫さん。いつぞや本欄でご紹介したように、ぶんじんと同じ1931年生れ(風1883号「同時代人との出会い」 7月26日)。会が終わって、ともに愉快に飲んで別れて、自宅で一息ついていたところ、もう下記のメールが着信していました。お元気な方です。
 「…楽しい集いにお招きいただきありがとうございました。さまざまな問題に取り組んでいる方たちの集い。真剣な眼差しが印象的でした。私が体験した青春の日々が、今や歴史年表の中にあるのかと、年月の流れを感じました。
 みなさまのおかげで、放送人として働き始めた昭和29年が、鮮烈によみがえりました。どれほどのことをお伝えできたのか、自信はありませんが、(久保山愛吉さんが入院していた)「東一」病院の病室・廊下・階段・玄関など…… 忘れられない映像が次々に現れてきました。どう
か、よしなにと皆さまにお伝え下さい。」 いいお話でした。


◆第132回:竹富島DVD「うつぐみの島」「竹冨公民館活動」を観る
        「東アジア社会教育研究」第12号合評会

     
−環境省制作DVD「うつぐみの島・竹富島」を観る−
                 遠藤輝喜、Thu, 30 Aug 2007 23:20

 <ご案内>
 今年4月の第128回定例研究会では、竹富島(沖縄・八重山)の歴史、集落景観保全運動や住民憲章、公民館の取り組みなどを取りあげました。その第2回目として、環境省制作のDVD「うつぐみの島・竹富島」及び「竹富公民館活動」を鑑賞しながら、竹富島の暮らしと祭り、その協同・連帯の地域づくりを考えてみます。貴重な映像です。先日の第47回社会教育研究全国集会(貝塚市、19分科会)でも「うつぐみの島」が上映され、好評を博したものです。
 あわせて、今年度のTOAFAEC年報『東アジア社会教育研究』(第12号)の発刊祝いと合評会を企画しました。今年の年報はとくに韓国「平生学習」の動きを特集し、執筆・翻訳などこれまでにない方々に参加していただきました。もちろん、中国(台湾を含む)、ベトナム、沖縄などの諸報告も多彩。ご期待ください。また同時期に刊行された金侖貞さん著『多文化共生教育とアイデンティテイ』(明石書店)のお祝いの会でもあります。
 今回は9月最終でなく、第3金曜日(21日)の開催となります。会場もいつもの高井戸でなく、永福の区民センターです。関係の皆様、また関心をおもちの方々(どなたも歓迎!)、ふるってご参加くださいますようご案内申し上げます。
日時:2007年9月21日(金)18:30〜20:30
内容:@ 竹富島に学ぶ地域づくり−
       環境省制作(特別貸与)DVD「うつぐみの島・竹富島」「竹富公民館活動」を観る−
     A二つの新刊−お祝いと合評会
       ・「東アジア社会教育研究」第12号(TOAFAEC)
       ・金侖貞『多文化共生教育とアイデンティティ』明石書店
会場:永福和泉地域区民センター・第三集会室
終了後に交流会、第12号及び金侖貞著『多文化共生教育とアイデンティテイ』刊行祝い
連絡先:
遠藤輝喜(職場・幡ヶ谷社会教育館)03−3376−1541 携:090-7942-4785

<報告>参加者:金侖貞、トクダフォ、サルラ、小林文人、伊藤長和、岩本陽児、遠藤輝喜、
      (遅れて)山口真理子。

 竹富島カイジ浜(星砂の浜)海(リーフ)の向こうに西表(いりおもて)島



“お盆”のような竹富島、石垣島よりの遠望(20070704)

 <「うつぐみの島」を観る、第12号の合評>
 竹富島(八重山)の暮らし、子どもたちの目を通しての1年、環境省制作「うつぐみの島」「竹冨公民館活動」は美しい画像でした。“うつぐみ”とは「協力」の意味、集落・島の人々(165戸、360人程)がお互いに支えあい生活してきた実像が印象的。島の暮らしは常に自然と共にあり、祭り(重要無形民俗文化財に指定されている種子取祭など)への取り組み、公民館のはたす重要な役割、自治意識に支えられたシマの人々の表情も豊か。いい作品でした。
 あわせて残りの時間で、「東アジア社会教育研究」第12号の合評会。今回は初めての特集−韓国「平生学習」の新しい動向−を組むことができたことが何よりの収穫。相対的に中国が弱かったとの反省も。沖縄の対談・証言もいい記録にまとまったこと。韓国特集については、やはり昨年の『韓国の社会教育・生涯学習』刊行が土台にあり、その後の韓国研究のネットワークが動いてきたことが大きな力となって、今回の12号特集につながっている、今後これがどのように発展していくかが楽しみ、など話されました。

 <第13号へ向けて>
 さて来年の13号をどうするか。これから構想を出していく必要あり。やはり特集を組むことが期待されるが、どんなテーマが考えられるか。一つの案は中国特集、あるいは国を超えて、テーマで特集を組むことができるか。たとえば、東アジアの大都市の躍動に迫る視点、韓国平生教育法改正への展開もあり法制論を軸に考えてみるなど。あらためて「東アジア」的な(ヨーロッパ・モデルに対応して)特徴をどう考えるかの議論もかわされました。できれば今年中に、第13号の構想を話し合う機会をもちたいものだとの意見が出されました。
 終了後、金侖貞さんの新著『多文化共生教育とアイデンティティ』と第12号発刊のお祝い会。みんなでビールで乾杯。山口真理子さんが駆けつけ、金侖貞さんに花束。伊藤長和さんは終電がなくなるまでおられました。歌がなかったのが残念。
*南の風1919号(2007年9月24日)遠藤輝喜(Sat, 22 Sep 2007 19:27)

 <21日の研究会・三つの感想>
 昨晩は素敵な映像を見せていただき、ありがとうございました。私(岩本陽児)にとって特に印象深かったことを3点だけ。
1、いのり:内地の神社信仰が商業主義と深く結びついているというのがお隣の学科の渋谷先生の持説で、私も共感するところが多々あるのですが、それと対照的に、竹富の素朴な祈りは、自然のなかで人がつましく暮らす、その原点であると感じました。
2、いのち:上記とも関連しますが、ブタちゃんを苦労しながら大事に育て、大きくして、最後に売りに出したときの子どもたちの心中、さまざまなものがあったと推察します。
3、ことば:過日ご招待に預かった竹富東京郷友会での、竹富語による挨拶には度肝を抜かれました。その言葉を若い世代に伝えるスピーチコンテスト(てーどぅんむに大会)があったとは・・。感動しました。私も、九州語ばしゃべれんごとなったら、もう九州人やなかバイとの忸怩たる思い。
 12号合評会でご指摘の「東アジア的なるもの」、さらに議論を深めたいと思った次第です。
*南の風1919号(2007年9月24日)岩本陽児(Sat, 22 Sep 2007 22:02)
 交流会



◆第131回:松本「いま動きだす地域 暮らしを拓く公民館の学び」DVD
<案内>
 7月末(27日・金曜日)に開く予定の第131回定例研究会は、参議院議員選挙投票日が7月29日にずれこんだため、予定の会場が使えなくなり、日程・会場を変更しなければならなくなりました。7月は恒例の「七夕の会」(7月14日)も予定されていますので、研究会は8月第1週の金曜日(8月3日)に開催したいと思います。暑気払いをかねて、皆さまのお出でをお待ちいたします。
 今回は、東アジアの視点をもちつつ、国内の公民館活動に注目しようという企画です。信州・松本市の公民館活動は、かねてより活発な自治体として評価のたかいところですが、このたび具体的な取り組みを記録したDVDが届きました。テレビ松本ケーブルビジョン制作の「いま動きだす地域 暮らしを拓く公民館の学び−松本市公民館活動ビデオ)」です。全国集会や学会でお会いする人たちも多く登場する興味深いの映像。地域・自治体の社会教育・生涯学習のこれからを示唆するところが少なくありません。松本市に関わりのある方にどなたかゲストとして来ていただけないかと交渉中です。
 韓国に「希望製作所」、台湾に「社区総体営造」運動、中国には「社区教育」の躍動あり、松本の映像を観ながら、地域づくりという観点から論議を深める一夜になればと期待しています。
日時:8月3日(金)18:30 〜20:30

内容:
松本の公民館活動から地域づくりを考える
      −DVD「いま動きだす地域 暮らしを拓く公民館の学び」−
ゲスト:小峯みずきさん(もと松本市公民館職員)
会場:永福和泉地域区民センター・第三集会室
終了後(20:30〜)駅近くで暑気払いの予定
連絡先:遠藤輝喜(職場・幡ヶ谷社会教育館)03−3376−1541

<報告>
参加者:石倉祐志、伊藤長和、遠藤輝喜、近藤恵美子、
 吉田照子(品川区社会教育主事、初参加)、吉川寅彦(和光大学3回生、初参加)、
 小林先生、岩本陽児(記録)
*配布プリント:手塚英男「松本の社会教育が歩いて来た道」『月刊社会教育』国土社、
  1991年7月号。村田正幸さん(松本市安原地区公民館)からのフォローアップ・メール
  「松本の公民館・最近の動き」(南の風第1888号所収)。

 本年度の7月定例会は、参院選の影響で8月にずれ込んでの開催となった。テーマは「松本報告」。このところ海外の報告が続いていたので、久しぶりの日本国内からの報告である。
 冒頭、小林先生から、手塚論文のキーワード、全国に7万ともいわれる自治公民館のパワー、社会教育が福祉と連携を進めているとの村田メモの参照および、松本をはじめ貝塚、川崎、福岡、名護など、注目すべき国内約10の自治体についての言及があり、その後、松本市における社会教育・生涯学習のとりくみを紹介するDVDを視聴した。真剣な討議あり、お笑いあり。時々、会場を映し出すカメラには、実にいい笑顔が写っていた。
 引き続き8時から、小峯さんとの質疑応答。松本の社会教育への熱い思いを語る<語りだしたら止まらない!>ことばの奔流のなかで「松本には私をしかってくれる人がいた。松本は私のふるさとです」との言葉が印象的。
 終了後は恒例の暑気払い。いつもの顔ぶれがやや少ないのが残念だったが、新しい顔、むちゃむちゃ懐かしい顔を迎え、なごやかな集いであった。
 追記:会場についてから、小峯さんの強い影響で和光大学の表現学部から社会教育に進むことになった影山愛子さん(現、まちだ市民大学。松本で社会教育実習)に声をかけるのだった、しくじったと思ったことでした。 *南の風1890号(岩本陽児、Sat, 4 Aug 2007 19:52)
 小峯みずきさん



◆第130回:ナランビリゲ「オルドスの祭り」、
        トクタホ「フフモンゴルオドム」その後とこれから

 <ご案内>
 私たちの研究会は、今月で130回目の記念の定例会を迎えます。かっての沖縄社会教育研究会が128回で終幕(1995年)した後、それを超える回数の歩みを重ねていることになります。
 昨年の夏、TOAFAEC 主催による内モンゴル訪問が実現したことをご記憶でしょうか。その終わりのプログラムは、フフホトから西の包頭へ、いわゆるオルドス地方への日程でした。訪問団は、黄砂まきおこる砂漠に遊び、その地でオルドス歌舞団を楽しんだ記録が残っています。今回の研究会では、そのオルドス地方で伝統的に祀られている白い「軍旗」についての研究を披露していただきます。
 あわせて内モンゴル留学生の活動の中心で頑張ってきたご存知・トクタホさんから「フフ・モンゴル・オドムのその後」についてお話しいただく予定です。久しぶりのモンゴル留学生からの報告、TOAFAEC ならではの独自のテーマ、お楽しみにお出かけ下さい。
 なお、今月最後の金曜日は、有志の沖縄訪問の日程と重なるため、下記のように1週間前の6月22日(金)夜の開催となりました。ご了承ください。会場はいつもの杉並区高井戸区民センターです。(どなたでも参加できます。)
日時:6月22日(金)18:30 〜20:30
内容:内モンゴルからの報告(130回記念)
  @「モンゴル民族の白いスィルデ祭祀(オルドス地域)」
   報告:ナランビリゲ(神奈川大学歴史民俗資料学研究科D1)
  A「日本の内モンゴル留学生たち−フフモンゴル・オドムその後」
   報告:トクタホ(首都大学東京・院D3)
会場:杉並区高井戸地域区民センター第5集会室
交流会:「イーストビレッジ」03-5346-2077(移動3分、駅近く)  
連絡先:遠藤輝喜(職場・幡ヶ谷社会教育館)03−3376−1541

<報告>
参加者:ナランビリゲ(神奈川大学・院生)トクタホ、チングル、ハスチムグ、ハスゲレル、
 ツェツゲーエンフトヤー、ツェリン(以上、首都大学東京・院)、サルラ(和光大学研究生)、
 岩本陽児、小林文人、遠藤輝喜、山口真理子(遅れて参加)
 報告は2本。まず第一報告は、ナランビリゲさんによる内蒙古オルドス地方の伝統的な祭りに関しての民俗学的報告。概要次の通り。
 「白いスィルデ祭祀」は、内モンゴルの西部に属するオルドス地域に残存している五つの祭祀の一つ。白いスィルデのあらゆる祭祀は1944年に停止され、58年ぶりに2002年8月13日に復活した。2006年、当地は観光地として盛大な祭りになった。祭りに参加した人は約2万人。
 今回の白いスィルデ祭祀は、順序としていわゆる「日祭」「季祭」「大祭」という三つの祭祀を合わせて行った。祭り日は元々決まっている陰暦7月5日(オルドス暦の8月3日)、西暦の8月6日に当たった。
 現在、白いスィルデ祭祀は地域社会の祭りとなり、政治的目的を持たず、ウーシン旗の百姓に祭られている民間信仰として取り扱われる性質を帯び、地域的でモンゴル民族のアイデンティティに深く関連している。
 第2報告は、トクタホによる「フフ・モンゴル・オドム」運動のその後について。内モンゴル留学生による相互交流、また日本の小学校や地域との交流は行われているが、研究や生活上の影響があり、組織的な運営は難しくなっている。現在、内モンゴル大学モンゴル言語文学部の学生(ソルグナ)に奨学金を援助している。今後の課題として、人数が増えた在日留学生の結びつきを深める、相互の支援の模索、教育文化を通しての国際交流につとめモンゴル人イメージを高めていく課題、厳しい
状況のなかでも、活動を継続していくこと、などが話された。
 終了後の交流会では、留学生によるモンゴルの歌がたくさん披露された。また岩本陽児、小林ぶんじんの両先生、遅れてご参加の山口真理子さんの歌なども久しぶり。賑やかな一夜。
*南の風1862号・トクタホ(Sun, 24 Jun 2007 15:14)



◆第129回:姜乃栄「韓国の暮らしやすい地域づくりと市民運動」
          桔川純子「日本希望製作所の胎動」
<ご案内>
 私たちの研究会は、この間、韓国についてのテーマを数回掲げてきました。昨年の韓国本(『韓国の社会教育・生涯学習』エイデル研究所)出版が大きな契機となっていますが、さらに次のステップに向けての新しい取り組み「韓国・平生学習研究フオーラム」も始まっています。(南の風1825号等をご覧下さい。)
 韓国の平生(生涯)学習の動向のなかで、最近とくに注目されることは、地域の市民運動との関わりです。行政主導の体質が強い日本の社会教育にとって、この「市民社会の創造に向けて」(韓国本の副題)の動きには、教えられるところが少なくありません。その意味で、昨年11月の第123回研究会「韓国の地域市民運動ーソウル・冠岳の事例を通して」についての姜乃榮(kang naeyoung)さん報告は刺激的なものでした。躍動的な韓国市民運動についてさらに学習を継続していくことが話し合われました。その後、姜乃榮さんは韓国「希望製作所」(南の風1835号に小田切督剛氏「解説」を掲載)との関連で、いま「日本希望研究所」設立に努力されています。
 そこで今回の5月定例研究会では、半年ぶりに再び姜乃榮さんの報告をお願いすることになりました。韓国の最近の地域づくりと市民運動の動向とともに、あわせて日本希望製作所の構想についてもお話をうかがえるものと期待しています。ご一緒に桔川純子さん(日本希望製作所事務局長)も来会される予定です。関心ある方はどなたでも参加できます。皆さん、お誘い合わせの上ご出席下さい。なお会場は、先月に続いて、今月も(高井戸でなく)永福です。お間違いのないようご注意を。
日時:5月25日(金)18:30 〜20:30
内容:韓国の住み良い地域づくりと市民運動
報告:姜乃栄(首都大学東京・院)
ゲスト:桔川純子(日本希望製作所事務局長)
会場:杉並区永福和泉地域区民センター第5集会室
交流会:会終了後、駅周辺にて
連絡先:遠藤輝喜(職場・渋谷区幡ヶ谷社会教育館)03-3376-1541

                     

<報告>
参加者:姜乃栄、桔川純子、谷和明、浅野かおる、小林文人、遠藤輝喜、江頭晃子、
      山口真理子(遅れて参加)
 <韓国の地域づくりをめぐって−現況と課題(第129回5月定例研究会報告>
 1995年の地方自治制度が復活して10年、韓国では地方政府の改革が進んできた。また、先進国の仲間入りをするにはQOLの向上が必要と、2005年から国家均等発展委員会は「暮らしやすい地域づくり」政策に着手。地域における"空間と生活の質"向上によって、専門能力を持つ人材・投資・企業の誘致を促進し、地域文化と経済の活性化をはかることが目的。進め方の基本原則は、地方自治体が地域の特質や条件にみあった実践課題を住民参加を通じて企画・推進すること(30年前のセマウル運動とは対照的に)。主管部署別に公募事業を計画・推進中で、地域住民や市民団体の幅広い参加を促している。
 それら地域の拠点となっているのが「住民自治センター」。以前は洞(トン)事務所(役所の支所)だったところを、行政自治部の主導により1999年から住民自治委員会などを設け地域住民が文化行事や同好会、市民教室、高齢者教室、集会所や農産物直取引場などとして活用している(洞事務所的機能も併せ持っている)。
 今年末に大統領選を控えている韓国では、この政策が継続性を持つかという不安や、実施主体が地方自治体であり、市民団体の参加を促進しながらも関与できるのは一部の事業であること、住民自治センターをより機能強化し、「まちづくりセンター」とする必要性などの課題も指摘された。
 今年は「2007住民自治センター博覧会」「第二回まちづくり全国大会」(10月11〜13日、江原道束草市で開催)に合わせて、同大会や地域の住民自治センターや市民団体を訪問するツアーを計画中とのこと。
 姜さんの報告は前回(第123回研究会、昨年11月)同様、資料が多く、現在の政策やこれまでの経緯などをしっかり情報収集をし、日本にいながら問題点を具体的に指摘している姿勢には敬服する。4月から日本希望製作所(設立準備会)のスタッフとして活躍中。桔川純子さん(同事務局長)の希望製作所についての報告も興味深いものがあった。6月30日に明治大学で設立記念セミナーが開催される。
 終了後は駅前でビールと紹興酒の交流、宴はつきず、話に花が咲いた。姜乃栄さんは「アチミスル」(朝の露)を歌った。
*南の風第1844号(江頭晃子、Sat, 26 May 2007 21:44)
<行く手は遠くに・・・>
 2週間ほど前、川崎の小田切督剛さんが韓国「希望製作所」(2006年創設・市民社会型シンクタンク)の動きについて書いていただきました(南の風1835号)。昨晩(25日)の定例研究会では、日本で始まっている「希望製作所」の運動について、直接にお話をうかがうことができました。共感するところがたくさん。これからの展開が楽しみです。久しぶりの谷和明さん(東京外国語大学)や、はるばると浅野かおるさん(福島大学)が参加されました。川崎の皆さんや岩本陽児さんからは欠席連絡。
 当夜の記録は、追ってどなたか報告していただけると思いますので、本欄では「希望研究所」(The Hope Institute)「創立宣言文」の一節(日本語訳)をご紹介しておきます。
 「…行く手は遠く見えます。しかし、絶望の淵から希望は始まります。希望は落ちてくるものではありません。私たちが自ら作っていかなければなりません。上からの掛け声ではなく、生に根ざした小さいけれども知恵のある考えと願いがまさに希望の源泉です。…少数の専門家たちだけが良い政策を作るものでもありません。至るところで小さな希望の火種を作り、育む大切な人たちの存在を私たちは信じています。このような人たちこそ、私たちの大切な財産であり,良い政策の基礎なのです。」
 「…18世紀の名分と観念に囚われた両班(ヤンバン)社会の隙間で“実学”という希望の芽が芽生えたように、今日の絶望を希望へと変えていく“21世紀実学運動”を繰り広げようと思います。希望を抱くのに決して遅いということはありません。これからまた希望を歌いましょう。」(南の風1844号、小林ぶんじん)
日本希望製作所設立準備会事務局・姜乃栄さん(左から3人目)、同事務局長・桔川純子さん(4人目・前列)



◆第128回:小林文人「竹富島憲章と竹富公民館」
<案内>
 私たちのTOAFAEC 研究会の源流は沖縄研究です。沖縄については昨年来、上原信夫氏(国頭・奥出身)のお話を伺ってきましたが、今回は久しぶりに八重山に飛んで竹富島についての報告です。
 竹富島は、本土復帰前後より外部リゾート資本の土地買い占めがあり、それに抗する集落景観保全・地域づくりの運動が取り組まれてきました。その具体的な結晶として、竹富島憲章(1986年)が制定され「売らない、汚さない、乱さない、壊さない、生かす」など保全優先の基本理念が打ち出されています。島ぐるみで憲章を実現し、その理念を具体化してきたのは、竹富公民館(住民自治組織)の取り組みでした。
 憲章から20年が経過した現在、島はどんな状況で推移しているのでしょうか。注目すべき展開があるようです。そこでの集落公民館の役割はどのようなものか、新しいNPO 活動(「たきどぅん」竹富の意、2002年設立)の可能性をどう見るか。研究会の直前(4月中旬)にも竹富島を訪問される予定の小林文人氏から報告していただきます。
 あわせて「竹富島の豊年祭と御嶽(うたき)」DVD 映像や、島人が歌う童歌や祭の歌(NPO たきどぅん製作CD「竹富の風」)も紹介される予定。大型連休前の一夜、皆様のご参加をお待ちいたします。どなたでも参加歓迎です!
日時:4月27日(金)18:30 〜20:30
内容:竹富島憲章と竹富公民館−DVD「竹富島の豊年祭と御嶽」、CD「竹富の風」など
報告:小林文人、東京竹富郷友会(交渉中)
交流会:会終了後、駅周辺で交流会
連絡先:遠藤輝喜(職場・渋谷区幡ヶ谷社会教育館)、
小林ぶんじん090-7700-7756

会場:杉並区・永福和泉地域区民センター 第三集会室

<報告> 第128回(4月)定例研究会−竹富島憲章と竹富公民館
ゲスト:東京竹富郷友会
参加者:有田静人(東京竹富郷友会・顧問)、大浜勝子(同副会長)、安井節子、
 丸浜江里子、伊藤長和、伊東秀明、金侖貞、黄丹青、岩本陽児、武田拡明、
 江頭晃子、小林文人、遠藤輝喜
 交流会のみ参加:山口真理子、張林張(順不同、敬称略)

 竹富島は、八重山群島に位置し、島は周囲 9.2km、世帯数 165戸、人口361 人(2006年10月18日現在)の小さな島(3集落)であるが、その集落景観や町並み保存運動の経過は多くの注目を集めてきた(民芸運動、文化財・祭祀芸能研究、民俗学、社会学、建築学など)。しかし社会教育研究としてはこれまできちんとした報告がない。竹富島は全体が国立公園、種子取祭は重要無形民俗文化財、集落は重要伝統的建造物群保存地区の選定をうけ、織物(ミンサー織など)は伝統的産業品、などいくつもの国の指定を受けている。上勢頭亨氏(故人)が設立した蒐集館(民俗資料館)は島の稀少資料4,000点を収集展示。
 1990年前後まで人口減少(250 名程)と高齢化が進行してきたが、ここ15年は人口が連続増加中。その背景には竹富島憲章づくり、町並み保存運動に取り組んできた住民自治組織・竹富島公民館の役割が大きい。
 公民館は館長、主事(3集落)、幹事等の運営体制と、「公民館議会」や集落景観保存調整委員会等の組織が活発に機能している。「うつぐみ」(協同と互助)の心による強い結びつきをもって、種子取祭、豊年祭など祭祀を中心にした公民館行事が特徴的。東京・沖縄・石垣等の「郷友会」もまたこれに積極的に協力してきた。
 竹富島の大きな転機は、復帰(1972年)前後の本土リゾート資本の土地買い占めとそれに対する「竹富島を生かす会」等による抵抗であった。1980年代に入ると、東京・郷友会も本土資本の参入から島を守ることを公民館長に提言(1982年)、本土の住民運動(妻籠)や町並み保存運動との出会いもあり、竹富島憲章が策定(1986年)された。
 「〜われわれは今後とも竹富島の文化と自然を守り、住民のために生かすべく、ここに竹富島住民の総意に基づき〜」(前文)制定された憲章。一、保全優先の基本理念、ニ、美しい島を守る、三、秩序ある島を守る、四、観光関連業者の心得、五、島を生かすために、六、外部資本から守るために、という注目すべき構成となっている。それから20年が経過し、いまなお光彩を放っている。
 竹富公民館は、島の伝統的な祭祀・芸能を維持しつつ、集落づくりの自治組織として、集落景観保存、観光への取り組み、NPO活動の展開など、現代的課題に挑戦してきている。
*DVD「竹富島の豊年祭と御獄」(益田兼房氏)を鑑賞。
*8月19日、東京竹富郷友会総会(大井町キュリアン)の予定。
(遠藤輝喜、Sun, 29 Apr 2007 18:58、南の風第1829号)
 
DVDをみる、杉並・永福地域区民センター



◆第127回丸浜江里子「なぜ杉並で原水爆禁止運動が広がったのか
 −なぜ杉並で原水爆禁止運動が広がったのか−社会教育と女性に注目して−
<案内>

 暖冬が過ぎようとしています。異常な気象は気になりますが、花の季節が近づきました。皆様も、お元気にお過ごしのことと思います。
 今年第3回の研究会は、東京・杉並からの報告です。かって杉並では、アメリカのビキニ環礁水爆実験・第五福竜丸被爆(1954年3月1日)をきっかけに原水爆禁止署名運動が胎動。そのリーダーであった安井郁(法政大学教授、原水爆禁止日本協議会<初代>理事長)が杉並区立公民館長であったこともあり、母親たちの学習会(杉の子会)や公民館活動との結びつきが注目されてきました。安井家には、安井郁・田鶴子夫妻の貴重な資料が保存され、その掘り起こしと、データ・ベース化の作業(原水禁運動<安井家>資料研究会)が開始されて2年余り。
 その中心メンバーである丸浜江里子さん(第1回「平塚らいてう賞」)がこのほど「なぜ杉並で原水爆禁止運動が広がったのか−社会教育と女性に注目して」論文をまとめられました。この機会に、安井家資料研究会と合同して、下記のような報告会をお願いすることとなりました。皆様には年度末ご多忙の時期ですが、ふるってご参加下さいますよう、ご案内申しあげます。
 なお、30日の当日、同会場午後4時より、TOAFAEC 『東アジア社会教育研究』第12号・編集会議を開催いたします。編集委員・事務局の方々のご出席をお願いいたします。
日時:3月30日(金)18:30 〜20:30
会場:杉並区高井戸地域区民センター第5集会室
内容:なぜ杉並で原水爆禁止運動が広がったのか−社会教育と女性に注目して−
報告:丸浜江里子さん(杉並の教育を考えるみんなの会)
交流会:「イーストビレッジ」(移動3分)TFL 03-5346-2077
連絡先:遠藤輝喜 自宅TFL 03-5932-2027 

<報告>
参加者:横田満男(小金井)、笹本征男(世田谷)、吉田ふみお(労働者教育協会)、米山義盛(信州下伊那)、菅波完(高木仁三郎市民科学基金)、山田千絵(筑波大学・院)、丸浜昭(杉並)、竹峰誠一郎(早稲田大学・院)、内田純一(高知大学)、張林新(山東省・烟台日本語学校)、金侖貞(東京大学研究員)、トクタホ(首都大東京・院)、伊藤長和(川崎)、黄丹青、江頭晃子、小林文人−順不同 *TOAFAEC 事務局・遠藤輝喜さん中途退席のため、小林が記録代行。

 今回の研究会は、原水禁運動(安井家)資料研究会と合同で開催、常連メンバーだけでなく、多彩な顔ぶれとなりました。はるばると高知や信州、また来日中の山東省烟台などからの参加があり、また時期的にも年度末の多忙ななかにもかかわらず、多数の方々が出席され、研究会としても記録に残る集いとなりました。
 報告者の丸浜さんは安井資料研究会の中心メンバー、この2年来の安井家資料整理作業をもとに、関係者の貴重な証言収集や文献研究を重ねられてきました。詳細な年表とレジメを用意されて、1954年のビキニ・第5福竜丸被爆を契機とする杉並の「水爆反対署名運動」に至る歴史的な経過、杉並公民館長でもあった安井郁(日本原水協理事長)の歩いた道、安井田鶴子や「杉の子」会の活動、杉並の地域史と公民館や平和運動の地域的な特色など、今後の研究課題を含めての幅広い報告でした。
 それだけに論議も活発かつ多様、遠慮のない意見も出て、時間が惜しまれました。年表についての所見、歴史研究の方法論、安井郁の人間像、杉並の地域的特性、ローカルな市民運動とナショナルな運動組織の問題その他、いずれもじっくり時間をかけて論議したい課題ばかり。さらにこれからの丸浜さんの杉並研究への期待が語られました。
 教科書問題等で揺れる杉並の地で、地域的な反核・平和運動の歴史が振り返られ、公民館や社会教育の役割を含めて、真剣な論議がかわされたことが印象的でした。終わっていつものように高井戸「イーストビレッジ」での懇親会。初めての方々を含めての語らいは賑やかなものでした。皆様、お疲れさまでした。(南の風第1815号、小林文人、Sat 31 Mar 2007 22:00)
 第127回研究会(右端・丸浜江里子さん)



◆第126回:上海からのゲスト(袁正守女史・呉遵民氏等)を囲む
<ご案内>
 アジアのお正月・春節(旧正月)は本年2月18日(日)。この日をはさんで、華東師範大学(教授)呉遵民さんが来日されます。すでに風1777号(1月16日)に呉さんのメールを掲載しましたが、横浜国立大学・国際交流セミナ−へ学生を連れてのご参加(北京師範大学も)。
 呉さんは、ご存知のように、上海と私たちの研究交流の架け橋となってきた方です。日中共同編集の上海本(『現代社区教育の展望』2003年、『現代生涯学習論―学習社会構築への架橋』2007年近刊、いずれも上海教育出版社)の編者の一人。この機会に呉さんの来日を歓迎し、お互いの研究交流<これまでとこれから>を語りあい、ともに春節を祝う会を下記のように企画しました。皆さんのお出でをお待ちいたします。
 2月17日より、上海教育出版社・袁正守編集長も私的な旅で東京に滞在される予定です。ようやく日程(ビザ交付)確定、当日ご夫妻でご出席の見込みとなりました。他に日本留学中の羅笈さん(愛娘)、また呉研究室メンバー(院生)1人も一緒に参加予定です。盛大な歓迎会となりましょう。お楽しみに。
 私たちTOAFAEC の2月定例(第126回)研究会として位置づけますが、会場はいつもの高井戸ではなく渋谷「ロゴスキー」に席を予約しました。お間違いなく。また準備の都合上、出席のご連絡をお願いいたします。(今回は自由参加ではありません。ご注意を!)
        記  
日時:2007年2月18日(日曜日、春節)18:00〜
場所:渋谷「ロゴスキー」03−3463−3665
 JR渋谷駅南口バスターミナル前・渋谷「東急プラザ」9F、
 駅(JR渋谷、京王井の頭線渋谷)から徒歩2分、
 中央三井信託銀行のビル、渋谷駅から真正面に見えます。
会費:5000円前後
*ご出席の方は16日までにご連絡をお願いします。
  (今回は自由参加ではありません。ご注意を!)
連絡先:遠藤輝喜(0146076101@jcom.home.ne.jp)090-7942-4785
       小林文人(bunjin-k@js4.so-net.ne.jp)090-7700-7756 
<報告>
 春節(2月18日)の当日、東京・渋谷で華東師範大学・呉遵民さんと上海教育出版社の袁正守さん・羅時竜ご夫妻の来日歓迎会。上海からは他に日本留学中の羅笈さん(愛娘)と呉研究室の周晟さん(院生)、それに筑波大学・手打明敏研究室の呉迪さん(院生、ハルピン出身)。日中双方15人ほど集まって、楽しいひとときとなりました。呉遵民さんの新著『現代中国の生涯教育』現代中国叢書7(明石書店)にも乾杯!
 ご参加の皆様、有り難うございました。きっとどなたか記録を「風」に送っていただけるものと期待しています。(小林ぶんじん 「南の風」第1793号2007年2月19日所収)
日時:2月18日 18:00〜21:00
場所:渋谷「ロゴスキー」
参加者(敬称略):中国側−呉遵民(華東師範大学),袁正守(上海教育出版社)・
  羅時竜夫妻、羅笈(ご夫妻の愛娘),周晟(呉研究室の院生),呉迪(筑波大学・手打
  研究室の院生,ハルピン出身)
日本側ー小林文人・富美夫妻,伊藤長和(川崎),伊東秀明(横浜),岩本陽児(和光
  大学),江頭晃子(アンティ多摩),遠藤輝喜(渋谷),手打明敏(筑波大学),山口真
  理子(調布)
内容:この日、昼間は遠藤さん岩本さんと江頭さんの案内で、東京見物ということだったのですが、朝からあいにくの雨、おまけに第1回東京マラソンの開催、とあってスムースにいくのだろうか、心配されました。しかし、お昼頃には晴れ間が見え、移動は地下鉄だったことで、無事予定通り会場への到着となりました。袁・羅夫妻のパスポート取得も間に合い、若く生き生きした3人の学生さん、そして何よりあいかわらず元気な呉さんを迎え、対する日本側も気持ちは若く意気軒昂な方が多く、にぎやかで楽しい3時間となりました。
 春節好!新年好!歓迎到日本来!の乾杯で、会は始まりました。司会は参加者全員をよくご存知の文人先生です。呉遵民さんの新著『現代中国の生涯教育(現代中国叢書7)』(千野陽一先生の校閲)も明石書店から出版されたことが紹介され、できたてホヤホヤの本も回されました。出版にも乾杯! 袁・羅ご夫妻への通訳は小羅さんがされ、小呉さんももちろん日本語は堪能で通訳の役目を果たしてもらえるのですが、ほとんどを呉さんがしゃべって通訳して、その合間には食べて飲んで……。
 呉さんの通訳というと、どこまでが通訳でどこからが呉さん自身の意見かわからない、というのが有名な話ですが、今回は通訳は通訳に徹しておられたようです(かな?)。しかし、呉さんの学問に対する厳しい姿勢,真摯な態度に改めて感服させられた場面もありました。初めて来日された周さんは、日本の外務省に当たる中国の機関に合格されたそうですが、教育に非常に関心があって、袁編集長の出版社に勤めることになったということで、新しい仲間の誕生をみんなで拍手で祝いました。
 手打先生のご挨拶「近くて近い国になるために交流を続け、友好を深めていきたい」がお開きの言葉となりました。呉さんと周さんは横浜のホテルに、袁・羅ご夫妻は小羅さんのアパートに帰っていかれました。
 (山口真理子、「南の風」第1794号 2007年2月20日)
                          ▼渋谷・ロゴスキーにて(20070218)






<参考1>「現代社区教育の展望」出版記念会(上海、20031122)
         左より2人目・袁正守編集長、3人目・呉遵民さん
(華東師範大学)


<参考2> −2004中国成人教育協会・年次大会、北京にて、20041206−
 
左より董明傳(元成人教育局長)、郭伯農(元上海電視大学書記)両氏と呉遵民さん

    
     

◆第125回:これからの韓国「平生学習」研究をどう進めるか
 <案内>
 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
さて、新年第1回の定例研究会を次のように開催します。ご存知のように昨年は、待望の
『韓国の社会教育・生涯学習』(黄宗建、小林文人、伊藤長和編著、エイデル研究所)が刊行されました。この本をステップに、これからさらに韓国「平生学習」(生涯学習)の研究をどうすすめていくか、大いに期待されるところです。
 その後、韓国では「平生学習」の躍動があり、法改正の動きも伝えられています。また、川崎市と韓国・富川市との自治体間交流の積極的な動向も見逃せません。
 韓国本の合評会の意味を含め、また今年のTOAFAEC 「東アジア社会教育研究」第12号(9月刊行予定)特集への視野ももって、編集委員会の4人の方から報告していただきます。
 韓国にあまり詳しくない方々にも分かりやすい内容となるようお願いしていますので、お気軽にご参加下さい。なお当日の会場には、韓国本の特別割引本を数冊用意していただく予定です。
日時:1月26日(金)18:30〜20:30、終わって新年会
テーマ :これからの韓国「平生学習」研究をどう進めるか
報告:伊藤長和、小田切督剛、金侖貞、小林文人
杉並区高井戸地域区民センター第五集会室
しんねんかい:「イーストビレッジ」(移動3分)TFL 03-5346-2077
遠藤輝喜 自宅TFL 03-5932-2027 

<報告>  *韓国生涯学習研究フォーラム記録→■
 −第125回TOAFAEC 定例(1月)研究会−韓国「平生学習」研究フォーラムの出帆!> 
参加者:手打明敏、伊藤長和、金侖貞、小田切督剛、遠藤輝喜、小林文人、
      山口真理子、山添路子
 昨年秋刊行の『韓国の社会教育・生涯学習』(2006、エイデル研究所)を土台に、今後の研究の方向性を探ろうという研究会でした。*『韓国の社会教育・生涯学習』出版→■
 伊藤報告は、川崎の市民団体「川崎・富川(プチョン)市民交流会」が進めている『日韓自治体政策比較研究』の出版構想に触れ、教育政策と文化政策についてTOAFAEC と合同研究を進めることで、TOAFAEC での研究の蓄積を「自治体政策の国際比較研究」という文脈から活かすことを提案しました。
 金報告は、『韓国の社会教育・生涯学習』の合評会を通じて韓国研究のネットワークを広めつつ深めようと提案しました。小田切報告は、同書で触れることのできなかった分野を指摘し、それぞれについて今後研究すべき事例を挙げました。また、韓国側のカウンターパートナーの形成と関係強化につながるような研究過程をと提案しました。
 小林報告は、これらを総括しつつ『東アジア社会教育研究』第12号の編集に向け韓国の研究分野を具体的に指摘し、常設研究会を設立することを提案しました。各大学や学会での韓国研究における資料の共有のあり方や留学生の状況、韓国研究とTOAFAEC の関係など。参加できなかっ
た李正連さん(名古屋大学)からの韓国内での出版構想(風1777号)も紹介されました。
 各報告で出されたたくさんの課題や構想について論議をつくす時間はありませんでしたが、全体的な合意として、「韓国・平生学習研究フォーラム」(仮称)をスタートさせようということになりました。2月下旬、川崎に会場を予定することに。また今年の具体的なスケジュールとして、TOAFAEC 研究年報第12号に盛り込む韓国関連報告の準備、故黄宗建先生の命日(7月20日)に合わせて訪韓し調査を行う案などが話し合われました。
 終了後は、おなじみの「イーストビレッジ」で新年会です。浅野かおるさんや李正連さん、金子満さんに姜乃榮さんなど「ぜひ参加したかったが残念!」という連絡のあった方たちの話題も出て、『韓国の社会教育・生涯学習』の編集を通じて培われた人的関係の豊かさを再認識する、新たな研究グループの出帆にふさわしい新年会となりました。
(南の風1783号、小田切督剛、Sat, 27 Jan 2007 01:51)
 
恒例の交流会(新年会)



◆第124回:上原信夫「アジアを駆けぬけた私の戦後史」(その5)
12月定例研究会・忘年会ご案内>
 上原信夫さんは、まことに稀有の人生を歩まれました。沖縄に生まれ(1924年、国頭村奥の出身)旧満州へ、過酷な戦争体験を経て、戦後混乱の沖縄(沖縄民主同盟・青年部長等の活動など)へ、そして中国へ渡り(密航)、四半世紀にわたる中国生活ののち、日中国交回復後の1974年にようやく帰国されました。まさに激動の「アジアを駆けぬけた」かけがえのない自分史、沖縄から中国を含むアジア現代史の生き証人です。
 私たちの研究会では、足かけ3年、すでに4回(第102回2004年11月、第104回2005年1月28日、第113回2005年12月9日、第118回2006年5月28日)にわたって証言をお聞きしてきました。このような貴重な機会を与えて下さった上原先輩に、あらためて深い尊敬と感謝を申しあげます。
 先月、『上原信夫オーラルヒストリー』(政策研究大学院大学・COEオーラル政策研究プロジュエクト、2005、A4版 273頁)を拝見できました。自分史風に詳細な証言が収録されています。
 そこで私たちの研究会でも、上原信夫氏の個別の証言というより全体を総括するようなお話を伺い、このシリーズの一応の締めくくりにしたいと考えています。小林先生との対談形式によりすすめます。
 上原信夫さんのご報告は、いつも興味本位だけではすまされない厳しい体験と深い思想に裏打ちされた内容、ただただ驚かされます。今回の総括的なお話もまたとない貴重な機会、皆様のご参加をお待ちします。
 なお研究会終了後、恒例の忘年会を予定しています。盛大にこの1年を締めくくりましょう。楽しみにお出かけ下さい。
にちじ:12月22日(金)18:30〜20:30、終わって忘年会
おはなし:上原信夫氏  聞き手:小林文人
ないよう:「アジアを駆けぬけた私の戦後史(その5)―総括的に
ばしょ:杉並区高井戸地域区民センター 第三和室
忘年会:「イーストビレッジ」(駅近く)03−5346−2077
連絡先:遠藤輝喜 自宅TFL 03-5932-2027 
<報告>
ゲスト:上原信夫「アジアを駆けぬけた私の戦後史−証言−」(5)、聞き手:小林文人
参加者:上原信夫、小林文人、石原静子、上里祐子、伊東秀明、岩本陽児、青山真理子、遠藤輝喜、(忘年会のみ参加:トクタホ、セーンジャー、山口真理子、上里一雄)
〇「密航」−1950年ストックホルム第1回世界平和大会へ向けて、沖縄問題(アメリカ極東戦略下の基地問題、生活苦他)を報告するための密航計画。沖縄・香港を経てシンガポールへ。そこで英国海軍に拘束され香港へ強制送還。香港の新聞社「大公報」の食客を経て、51年1月ごろ香港から中国へ脱出(その後1974年まで中国で生活)。
○当初は北海道から樺太、モスクワそしてストックホルムへのルートを考えたが、北海道は警戒が厳しく南の路線へ。パスポート、ビザもない無国籍の旅が始まる。
○香港までの台湾海峡は米軍船がうようよ、そのなか沖縄の小さな漁船で香港まで行った。フランス船のコックと仲良しになって、フランス行き便のコック室にしのぶ。しかしシンガポールに滞留中イギリス海軍に逮捕・投獄され、香港へ。海に飛び込んで逃げ、香港の新聞社「大公報」に助けを求める。沖縄報告のための日本代表として社長に面会し、事情を理解してくれた社長が面倒を見るかたちで、記者のようになっていた。中国語は旧満州で覚えたもの、社長は北京出身で言葉が通じた。当時26〜27歳。ストックホルム行きは断念。中国をめざす。
〇香港から中国(広東省)汕頭へ。船の底に隠れて香港を発つ。珠江をのぼる広州への道はチェックが厳しく、福建省近くの汕頭へ、そこから広州へ向かう。当時、朝鮮戦争真っ只中。北朝鮮(金日成)、ソ連(スターリン)、中国(毛沢東)との関係は複雑。
〇中国解放軍と出会えれば大丈夫だと考えていた。暖かく受け入れられ、汕頭から広州へ、3〜4日の馬車やトラックでの移動。ヨーロッパへの密航は失敗したが、中国(広州)では日本−琉球代表しての扱い。
〇広州では中山公園近くの4階建邸宅の1、2階に住んでいた。中国の現状、朝鮮問題など勉強できた。中山大学で討論会に出席したり、にぎやかな生活をおくった。アメリカ占領下の日本・沖縄において直接に闘ってきたことが評価され、優遇されたと思う。その後は北京へ。
〇当時、アメリカ統治下の悲惨な沖縄の実情はあまり知られず、戦争を生き延びた人々の生活現実を世界に伝える必要があった。密航前、関西での労働団体、婦人団体等での沖縄問題報告会では、苦難の道のり、厳しい実態、基地への土地収奪等を聞いて声を出して泣く人さえあり、世界に報告しなくてはと思っていた。

○上原信夫さんの報告は、詳細な記録として『上原信夫オーラルヒストリー』(2005、政策研究大学院大学・COEオーラル政策研究プロジュエクト、A4版273頁)が出たこともあり、今回のお話で一区切りの予定でしたが、1950〜51年「密航」の回想で時間切れとなりました。証言の続きについて、できればさらに次の機会をお願いすることになりました。
○終了後、高井戸駅近く「イーストビレッジ」で忘年会。
 上記参加者のなか、セーンジャーさんは馬頭琴、上里一雄さんはギターを持参して合流、素晴らしい一夜となりました。セーンジャーの馬頭琴「草原のとばり」演奏から始まり、トクタホ・青山真理子さんによるモンゴル式の座開き(献杯)、岩本陽児さんや山口真理子さんの熱唱など、一年を締めくくるにふさわしい、これまでにない忘年会となりました。
*南の風1767号(遠藤輝喜、Mon, 25 Dec 2006 03:35) 
 
上原信夫氏 →写真移動
 
トクタホ(左)、青山真理子(右)のお二人 



◆第123回:姜乃榮「韓国の地域市民運動のこれまでとこれから
              ーソウル・冠岳(カナック)の運動を通してー」
<ご案内>
 11月定例TOAFAEC(第123回)研究会は、姜乃榮(カンネヨン)さんにお願いいたしました。姜乃榮さんは現在、首都大学東京・都市科学研究科(修士2年)。姜さんは、ソウル市冠岳区の貧困地域「タルトンネ(月に近い町:小高い山に家々が密集)」の住民とその共同体・連帯の活動をドキュメンタリーとして制作されたこともあるそうです。
 そして「冠岳住民の連帯」に関わり、住民の組織づくり、住民支援の活動、地域運動力量強化のための連帯活動などにも関わってこられました。
 その後、まちづくり事業が進み「まちづくり支援センター」が創られ、住民自治センター運動、子どもの遊び場づくり、地域通貨、団体文化共同体運動などの多彩な展開。この間の経過、「南の風」1675号(7月4日)に「創造力が求められる」として自己紹介をされています。
 2004年に来日され、研究のかたわら、いま川崎の市民交流会等に参加。興味深い報告が期待されます。皆さんのご参加をお待ちします。
 なお当日は、古市直子さんが英国から引き上げてこられたので、恒例の交流会で歓迎の乾杯をいたしましょう。
にちじ :2006年11月24日(金)18:30〜20:30、終わって交流会
ほうこく:姜 乃榮さん(首都大学東京・都市科学研究科・院)
ないよう:韓国の地域市民運動のこれまでとこれから ーソウル・冠岳の運動を通してー
ばしょ :杉並区高井戸地域区民センター(第一和室)
    (京王井の頭線「高井戸」駅下車、環八を渡ってすぐ、
     徒歩3分、「地域と教育を考える会」の名称で会場予約)
こうりゅう:イーストビレッジ(移動3分、駅近く)03-5346-2077
れんらくさき:遠藤輝喜 自宅TFL03-5932-2027 
         職場TEL 03-3481-0301(渋谷区上原社会教育館)
         E-mail 0146076101@jcom.home.ne.jp
付記−12月定例研究会は、忘年会をかねて22日(金)の予定です。
報告>
参加者:伊東秀明、岩本陽児、江頭晃子、小田切督剛、熊谷美佐子、小林文人、舟瀬孝子、古市直子、遠藤輝喜(敬称略)
 まず1970年代からの韓国における住民運動の変遷の概要が話された。70年代は軍事政権下、経済成長と都市への人口集中による貧困問題の解決への運動。キリスト教団体が先導。80年代に入ると民主化運動とりわけ1980年の光州民衆抗争を基点とし1987年「民主化宣言」をへて、しだいに民主化運動はissue 別の展開となる。90年代からは、地方自治制の復活もあり民衆運動は地域レベルに移行し、多様な市民社会運動が登場してくる。
 ソウル・冠岳での取り組み。ソウル特別市は25区からなり、冠岳区は西南部に位置し人口53万人、世帯数18万世帯、低所得者層や住宅改良開発事業で追われてきた人々が多く住む。一方で区内にソウル大学校、中央大学校など大学が多く、諸活動や人的資源は豊かな地域である。区の行政組織の下に洞(トン)の組織があり、このレベルに勉強ルーム、希望楽しみの家(コムパン、保育園)、冠岳緑の店(物品交換のみのリサイクルショップ)、障害者作業リハビリセンター、南部夜学などの地域内センターが22ある。これらは対象別・課題別問題の解決を志向しつつ、「冠岳住民連帯」組織を構成している。
 センターは行政区や国より補助金が交付される場合もあり、行政と必ずしも対峙的な位置にあるわけではない。一般的には宗教団体による民衆運動が多く存在する中、冠岳区では多様な価値観を共有する人材による住民運動が展開してきた。
 90年代後半、再開発が一段落し、他方で1997年の経済危機等を背景に冠岳住民連帯の活動は多様化・多元化し、地域全般をよくする街づくり運動や仕事や失業の問題にも焦点化されてくる。
 ソウル市では冠岳区だけでなく、城東区など幾つかの区での市民運動体が活発。城東区では、再開発問題に取り組み生産者協同組合、生活協同組合などの取り組み。全市的には「住民運動情報教育院」(NGO)が大きな役割を果たしている。行政・社会教育(平生教育)行政との関係は、日本とは大きく異なってくる。
 このなかでの姜乃榮氏の活動歴は、「南の風」第1675号(7月4日)所収「市民運動活動家として−創造力が求められる」に詳しいのでご覧下さい。参加者から活発な質問が出されましたが、さらに別の機会に報告をお願いし、躍動的な韓国市民運動の展開についての学習をさらに継続していくことを確認して交流会(二次会)へ。
 交流会はいつものイーストビレッジ。姜乃榮さん報告への感謝、あわせてイギリスから15年ぶりに帰国された古市直子さんの歓迎会となりました。珍しく?歌は一つもなく、当日発行された8月モンゴル訪問の記録や、先日の沖縄訪問(舟瀬さん、熊谷さん、小林先生)の話題も。
 韓国本が出版された経過もあり、今後の韓国学習会や、TOAFAEC 年報第12号(来年刊行予定)の韓国特集の提案なども出されて、楽しくかつ今後を見すえての会となりました。
(遠藤輝喜、Sun, 26 Nov 2006 01:53、南の風第1752号)
<韓国の市民運動についての姜報告を聞いて>
 姜乃栄さんのお話は、主に70年代以降の韓国住民運動変遷史と、姜さん自身がスタッフとして関わられたソウルの「冠岳住民連帯」の実際について話された。韓国の住民運動が民主化運動から目的別に多様化し、活動が広がるのは80年代後半で、この間たった15年余り。韓国の市民活動の行動力とパワフルさにはいつも驚かされていたが、姜さんの報告を聞いて、市民の公としての自分というか、信念、自分の立ち位置への客観的視点の成熟さを感じさせられた。
 姜さん自身は大学に入って、それまで暴動としか報道されていなかった光州事件の真実を知ったことのショック、今まで騙されてきたことへの怒りが、自身を社会問題につながらせ市民運動へ参加していくきっかけだったと話された。各自が地域や自分の属する社会への責任をどう感じ、どう担い、どう変えていくのか。運動をすすめていく上で「社会教育が大事」と話した姜さんの考える社会教育と、日本の社会教育では大きく異なるのだけれど、行政が設置し地域の拠点としての公民館という場や機能はとても贅沢品だったのかもしれない・・・。
 盛りだくさんの内容で、まだまだ伺いたいことがいっぱいあり、続編を期待しています。
(江頭晃子、Sun, 26 Nov 2006 00:35、南の風第1752号所収)
姜乃榮さん061124)



◆第122回:黄宗建先生追悼・『韓国の社会教育・生涯学習』出版記念会
          −第122回TOAFAEC研究会をかねる−
第122回定例研究会は、10月14日(土)午後・夜に開催する黄先生追悼・
 『韓国の社会教育・生涯学習』出版記念の会(→)へ合流することになりま した。
 月末金曜日の定例日程では開きません。ご了承下さい。

○金子 満(Mon, 16 Oct 2006 12:19)
         *文部科学省生涯学習政策局調査企画課専門職(外国調査係)
 10月14日(土)午後4時より川崎市のホテル「精養軒」にて黄宗建先生追悼『韓国の社会教育・生涯学習』出版記念会が開催されました。
 出席者として,呼びかけ人のひとりでいらっしゃる末本先生をはじめ,本の執筆者,韓国と交流を深めてこられた川崎市の職員および団体の方,そして編集に関わった方,さらにはそのご親族など,各界さまざまな方がたの出席により盛大に行なわれました。
 韓国の富川市と川崎市のまさに掛け橋としてご活躍の小田切さん、そして識字教育から日韓の交流を深めてこられた江頭さんの両名司会によって会は進行され,黄先生との出会いやエピソード、そして出版に至るまでの経緯などが語られました。黄先生をよくご存知の方は勿論のこと、そうでない方も、黄先生の偉大な経歴もさることながら、その哲学や教育実践,そして人を愛して止まないそのお人柄に触れ,深く感銘を受けられるとともに涙を流される一面もございました。韓国からは黄先生の研究所を引き継がれた魯在化先生などが参加されていれました。
 後半部では川崎市「ふれあい館」の館長,「重度さんのご令嬢でいらっしゃる「平舜さんの,目が覚めるような美しい衣装,そして力強いパンソリの公演が行なわれ,華やかな雰囲気に包まれました。会場からは,黄先生に対するメッセージ,そして今回の出版本に対するコメント、さらには次の改訂版に向けての思いなどが寄せられました。
 会も終盤に差し掛かった時,わたくしの頭の中に,ふっと黄先生が愛していらっしゃった、喜納昌吉(そして石嶺聡子)の「花」を歌いたい・・・という思いが舞い降りて参りまして,その旨を小林先生にお伝えしたところ,先生は快く承諾してくださいました。そして、最後は会場の全員で「花」大合唱・・・、黄先生もきっとこの会場でわたくしたちと共にお歌いになられたことでしょう・・・。
 『韓国の社会教育・生涯学習』の出版おめでとうございます。そして,黄宗建先生、誠に,誠にありがとうございました。先生のご冥福をお祈り申し上げます。(南の風1732号 2006年10月17日)




◆第121回:モンゴル訪問団「モンゴルの旅報告」
 ○8月日程について; 社会教育研究全国集会(第46回、箱根)第2日「この指をとまれ−沖縄を語る」が開かれる(8月6日)ので、定例研究会としてはとくに企画しない。               
<ご案内>−モンゴル訪問・報告会−
にちじ:2006年9月22日(金)18:30〜20:30
ばしょ:高井戸地域区民センター 第一和室
   (京王井頭線「高井戸」駅下車、環八を渡ってすぐ、徒歩2分
   「地域と教育を考える会」の名称で会場を予約してあります)

なかみ:
18:30〜内モンゴル訪問の報告会
      19:30〜モンゴル酒で交流会(イーストビレッジ)
おはなし:訪問団メンバー、トクタホ他
        *「イーストビレッジ」電話03-5346-2077高井戸駅近くです。
 TOAFAEC 内モンゴル訪問団が8月26日から31日の間、内モンゴル自治区のフフホト、シリンホト、および周辺の草原の牧民の居住地などを訪問してきました。今回はその報告会を行います。
 訪問団は小林文人団長をはじめ、伊藤長和副団長、石原静子、伊藤武彦、井上孝代、舟瀬孝子、熊谷美佐子、黄丹青と二人のお子さん、トクタホ、石倉祐志の12人。短い期間でしたが、内モンゴル師範大学のボヤンバートルさんの案内で、内モンゴル師範大学訪問、シリンホトの小学校訪問、草原のゲルの宿泊施設『西烏旗・蒙古汗城』、アバガ旗のエクゴル・ソムアルシャン草原の牧民訪問、クブチ砂漠、オルドス歌舞団鑑賞などなど、精力的に交流・見学してきました。
 今回の報告会の後半は会場を高井戸駅近くの「イーストビレッジ」に移して、モンゴル酒で交流会を行います。皆様の御来会をお待ちしております。
 ○黄宗建博士追悼と「韓国の社会教育・生涯学習」出版記念会(10月14日) 
  の日程確定、現在準備中、詳細は別途ご案内の予定→こちら■

<モンゴル訪問報告会> 
 9月22日夜、高井戸区民センターにおいて、8月26日〜31日のモンゴル訪問・報告会が開かれました。18:30〜より1時間ほど、19:30〜より、打ち上げをかねて、イーストビリッジへ。
参加者:小林文人、伊藤長和、石原静子、伊藤武彦、トクタホ、熊谷美佐子、舟瀬孝子(以上、旅行参加者)、金侖貞、張林新、青山真理子、遠藤の計11名。
 TOAFAEC としては第3次のモンゴル訪問(12名の参加)。今回も充実した旅、興味深い記録と感想が寄せられました。一番心に残ったことは、半円球形の天空にある満天の星、草原の日没と日の出など、そして羊の解体、という人もあり。
 羊の解体は、小さなナイフ一つで鮮血もなく瞬時に行うとのこと。モンゴルの人たちは皆いい人たちでモンゴル大好きに。石原先生がモンゴル料理を美味しく食べる姿が印象的だったとのこと。会計報告では、剰余金が「フフ・モンゴル・オドム」に寄付されることに。参加者による旅の報告もまとめられるそうです(いま編集中)。
 会の終了後、いつものイーストビリッジで乾杯。小林先生がダーフラさんより託されたモンゴルの名酒「忽必烈」(クビライ)は実に美味しいお酒でした。トクタホの「母の歌」は感謝の歌。青山さん(川崎市宮前市民館職員)は研究会には初めての参加ながら、モンゴルへは何度も訪問され演劇を通じての交流をはかっているとのこと。その「金杯銀杯」(お酒を勧める歌)は本格的。舟瀬さんは、モンゴルでは歌えなかった「四季の歌」の歌詞を4番まで熱唱。「花」「大海」「しゃぼん玉とんだ」「故郷」(「同朋」主題歌)など、モンゴル族に負けない歌の夜となりました。遅れて加わった山口真理子さんは久しぶりの「100万本のバラ」。
 最長老の石原先生は年齢を感じさせず、忽必烈の杯をあげ、伊藤武彦先生もよく食べ、よく飲み・・・、そして次回の旅企画の話も出ました。モンゴル民族は、よく飲み、良く歌い、人と人との結びつきを大事にするとのこと。この夜のイーストビリッジは、モンゴルの宴が再現された夜でもありました。
 10月の第122 回定例研究会は、10月14日に川崎で開かれる「黄宗建先生追悼、韓国本出版記念の会」に合流することになりました。
 *南の風1719号(遠藤輝喜、Sun, 24 Sep 2006 00:53)

◆この日の「ぶんじん日誌」
 9月22日(金)夜のTOAFAEC 9月定例研究会。南の風(第1715号)に「ご案内」を出した石倉祐志さんが体調をくずし欠席でしたので、遠藤輝喜さんから報告を寄せていただきました。有り難うございました。
 今回の旅には、和光大学から石原静子、伊藤武彦の両先生(いずれも心理学)が参加。4年前まで、ぶんじんとは同じ職場で仕事をしてきた同僚、というだけでなく、とくに石原先生はぶんじんより2つ年上、まったくお元気な長老との印象的な1週間の旅でした。この夜の報告会でも、モンゴルを思い出して、よく飲みかつ歌いました。
 旅行には、井上孝代先生(明治学院大学、異文化間心理学・カウンセリング理論)も参加されましたが、報告会当日から再び北京へ。この夜には姿が見えず、残念。(南の風・同号)
 左より伊藤武彦、石原静子の両先生、右は小林 (20060922、イーストビレッジ)



◆第120回:石倉祐志「アルトナ祭・社会文化運動調査団に参加して」

<ご案内>
にちじ:
2006年7月28日(金)18:30〜20:30
ばしょ:
杉並・永福和泉地域区民センター 第三集会室
     (京王井の頭線永福町駅下車3分 井の頭通りを明大前方向へ150m。スーパー
      三浦屋の角を左折して30m。「地域と教育を考える会」の名称で会場を予約)
なかみ:「アルトナ祭・社会文化運動調査団2006」に参加して
はなし:石倉祐志
*終了後:永福町周辺で交流会を予定しています。
  (連絡は080-1046-0600石倉ケイタイへ)
 ドイツの社会文化運動は、行政や政治からの自立を確保しながら常に運動的に取り組まれてきた地域活動です。社会的弱者の立場に立って教育、文化、福祉等の様々な地域課題に取り組み、ドイツ全土で約400箇所と言われる社会文化センターを拠点として保持しています。自前の財源を確保するとともに、行政からしたたかに補助金を引き出して多様な事業展開を行ってきました。
 ハンブルク市のアルトナ区(東京で言えば新宿区みたいなところ)においては、社会文化運動のいくつかの主体が連合して年に1回6月に大規模な市民祭り「アルトナーレ」(来場者50万人!)を開催し、今年で8年目となりました。石倉は、6月18〜25日の日程で、東京外国語大学の谷和明さんの呼びかけで結成された「2006年度アルトナ祭・社会文化運動調査団」に部分参加し、ハンブルクの市民祭りアルトナーレ8とハノーファー、ベルリンの社会文化運動的取り組みの拠点を訪問してきました。
 ベルリンでは社会文化運動全国連盟のチラー事務局長に旧東ドイツ地域での問題点についての指摘を聞くこともできました。今回は、収集した資料や写真、DVDを御披露しながら、私の経験の範囲で調査の概要報告と、ドイツの地域を歩き回って考えたこといくつか話題提供できればと思います。いま閉塞感にあえぐ日本の社会教育や地域活動の現場にいる人にはなにか発見があるかも…。皆様の御来会をお待ち申し上げます。

<報告>  *参考・石倉裕志「ドイツ訪問記」→■
参加者:遠藤輝喜、小林文人、石倉祐志、(遅れて)山口真理子
 今回は、日本を含む東アジア社会教育の行方に一つの問いかけを与え続けているドイツ社会文化運動について語り合いました。まず、今回のアルトナーレのパンフレットや「月刊社会教育」8月号の石井山論文などを見ながら、小林文人先生から社会文化運動とアルトナ祭(以下アルトナーレ)についての説明。
 その後、石倉が今回の訪問で入手してきたDVD「日本とドイツの地区交流 向島 オッテンゼン 平野町」の中から、Brigitte Krause監督「イースト・ウエスト・ビジョンズ」(1998,29分)とEast-West-Visions e.V.「向島宛のグリーティング・ビデオ」(2002,8分30秒)の2作品を見ました。
 前者は東京の向島とハンブルクのオッテンゼン地区の交流のドキュメント。後者は向島の「地域づくり推進協議会会長賞」と「小さな世界都市大賞」受賞を祝ってオッテンゼンの市民が登場して祝辞を述べるという内容。オッテンゼン地区には、アルトナーレの中心的な役割を担う社会文化センター・モッテやファブリク、ハウスドライなどがあり、作品にはモッテなどの建物や名前のわかる社会文化運動関係者の姿も見られました。これらの作品は都市計画ないし「街づくり」という観点での交流に力点を置いているものです。が、別の観点から見ると、独自の資金をベースに補助金等も加えた財政を基盤に、地域問題や社会的弱者を受け止める事業内容を中心とし、常に運動的に取り組まれてきた社会文化運動の、人々の姿を垣間見た映像だったと思います。
 さて8月は、社会教育研究全国集会(箱根)もありお休みですが、集会中の「この指とまれ」のなかに、この20年余りTOAFAECが主宰してきた「沖縄を語る夕べ」が今年も遠藤輝喜さんを中心に準備されています。9月の研究会は、急逝された黄宗建先生を偲ぶ会(近く刊行予定の「韓国の社会教育・生涯学習」出版を祝う会の日程とも関連して)企画を検討しています。詳細などまたお知らせいたします。*南の風1692号(石倉祐志、Sun, 30 Jul 2006 18:34)
社会文化センター「モッテl(ハンブルク・アルトナ区、20050616)



◆第119回:小軍・タクタホ「モンゴルの子どもたち・草原はいま」
<案内> にちじ:2006年6月30日(金)18:30〜20:30
       なかみ:「モンゴルの子どもたち、モンゴルの草原は…いま」
       おはなし:小軍(東大・博士課程)、トクタホ(都立大・博士課程)
       ばしょ:杉並・高井戸地域区民センター第5集会室
        *終了後:交流会「イーストビレッジ」高井戸駅近く(03-5346-2077) 
 6月30日、TOAFAEC 研究会のテーマはモンゴルです。当研究会では、8月の終わりにモンゴルツアーを企画しています。今回はその事前学習会をかねて、東京大学(院)博士課程の小軍さんと都立大学(院)博士課程のトクタホさんに報告いただきます。今回のツアーは現在参加者募集中ですが、行く人も行かない人もどうぞご参加ください。
 モンゴル民族はモンゴル国を形成するほか、内モンゴル自治区を中心とする中国における最大の少数民族です。とくに日本では内モンゴル出身者は、モンゴル語、中国語、日本語の3つの言語を話し、複雑なアイデンティティを持っています。またモンゴル国においては、ソ連と中国の間にあってやはり複雑な歴史と政治状況のもと人々は暮らしています。
 しかしこれらの背景には、かつての日本の大陸侵略が重大な影響を与えていることがあまり知られていません。内モンゴルと外モンゴルの分断も、日本の大陸侵略による線引きがその始まりであることを歴史的事実として認識する必要があります。今回は、数千人いると言われる在京の若手モンゴル人の中心的存在の研究者お二人に、モンゴルツアー参加者向けのレクチャーをかねて、「モンゴルの子どもたち、モンゴルの草原は、いま」と題し、モンゴル民族の抱えている問題を教育の観点にも引き付けて語っていただきます。
 モンゴル民族の「今」を知る機会です。ぜひ皆様ご参集いただきますよう。また、8月末に予定されいてるモンゴルツアーに少しでも興味のある方はぜひご出席ください。

<報告>
参加者:伊藤武彦(和光大学)、石原静子(同)、船瀬孝子(新参加)、姜乃栄・カンネヨン(首都大学東京)、伊藤長和(川崎市学習情報室)、近藤恵美子(中大・院)、小林文人、石倉祐志
 今回は、8月の26日から31日に予定されているモンゴルツアーの学習会をかねて、東大院・博士課程の小軍さんと都立大院・博士課程トクタホさんにお話いただきました。
 小軍さんは内モンゴルの砂漠化について報告。以前はゴビ砂漠以外には大きな砂漠はなかったが、現在内モンゴル全体の砂漠化が進行していて、日本のNGOなどが植林活動を行ったりしている。砂漠化は、商品価値が高くまた植物を根こそぎ食べてしまうヤギ(カシミヤ)など増やした過牧が原因、というのが公式見解だけれど、内モンゴルの学者の見解では、より本質的には漢族の流入による農業の展開と深い関係がある。この背景を知るにはモンゴルの近代史を把握する必要がある。
 トクタホさんからは、内モンゴルにおける教育の問題について報告がありました。就職で大きな格差があるため子どもにはモンゴル語ではなく中国語で教育を受けさせる家庭が多い。モンゴル語の教育機関は減少しており、モンゴル語で大学を卒業した人の就職は困難なため、こうした若者は日本を初めとする外国に出て行こうとする者が後を絶たない…。
 今回は内モンゴルをめぐる多様な問題が提示されましたが、自然と社会の両方に大きな問題をかかえており、しかもそれが相互に関連しあっているように思える内モンゴルの姿が見えてくるようでした。また、最後にモンゴルツアーの打ち合わせを行いました。参考文献;田中克彦「草原の革命家たち」、森久男「徳王自伝」「徳王の研究」、司馬遼太郎「草原の記」など。
 交流会では小軍、トクタホ両君の歌声いつになくさえ渡りいい声を聞きました。また今回初参加の姜乃栄(カン・ネヨン)さんの力強い「アチミスル」が印象的でした。次回は7月28日。内容などはまたお知らせいたします。 *南の風1676号(石倉祐志、Tue, 4 Jul 2006 00:33)
                         
左・トクタホ、右・ショウグン



◆第118回:上原信夫「アジアを駆けぬけた私の戦後史」(その4)

 <第118回TOAFAEC(5月)定例研究会報告>
日時:2006年5月26日(金)18:30〜20:30
於:高井戸地域区民センター第5集会室
テーマ:アジアを駆けぬけた私の戦後史(その4)−密航で沖縄脱出1950年−
おはなし:上原信夫氏 聞き手:小林文人氏
参加者:小林文人、丸浜江里子(交流会のみ)、石倉祐志
今回は、上原信夫さんの聞き取りの4回目。1949年前後のお話が中心となりました。

○山城善光、桑江朝幸の高等軍事裁判(1948年)
 沖縄民主同盟の機関紙「自由沖縄」は、民主化を促すという趣旨で民政部の了解を得ていた。苦心して刷った2000部を配布し始めて4日目に「軍法違反、秘密出版」で逮捕状が出た。山城善光、桑江朝幸は捕まり私は国頭に逃げた。つかまった二人は高等軍事裁判にかけられることになったが、政党責任者の立ち会いが必要とのことで、危険だったが私が出た。裁判は「大城ちよ」という裁判所の通訳が何とかとりなし罰金刑60ドルで決着した。その後大城の家で命拾いのお祝いをした。
○国頭村議会議員に
 その年、国頭村議会議員選挙では私は選挙運動も何もしなかったが最高点で当選した。知らせが来たとき、私は「まだ23歳なのに」と言ったが、政権をとったら満18歳から選挙権を与え、被選挙権は23歳からにしようといわれ、それ以降、村会議員をかねることになった。
○弾圧と密航(1949年年)
 1949年ころは、講演会、各党共同演説会などに出た。バスを降りると「上原先生、所長が用事です」とCIC(米軍防諜機関)が待っている。7〜8月ころからバス停の1、2里手前から降りて歩くことにした。当時は配給物資不足、食料値上げで、私はその関連で暴露演説をしたが、いつ逮捕されてもおかしくない状況だった。本部(もとぶ)で講演会があったとき、私は山城と兼次佐一宅に泊まった。そのとき極秘にヤマトの密航船に渡りをつけて乗り込んだ。沖縄を出ようということは、「自由沖縄」発行事件以降、計画していたことだった。四国を経由して大阪へ、その後すぐに共産党に入党した…。さらにシンガポールをへて、香港そして中国へ入国。日本国籍を離れての中国生活が始まった。
○後日談:1974年の帰国の経緯
 その後、沖縄では山城善光らは「上原は死んだ」と思っていたが、読谷の電波傍受施設「象の檻」の職員が中国ニュースを聞いて、上原は北京にいるということをつかんだ。これをきっかけに平良幸市知事らも加わって署名活動が行われ、中国の周恩来首相に渡した。日中国交回復の頃だったが、上原は国籍も戸籍もなく、父も家族もおらず、そのまま日本大使館へ行ったら出入国違反で逮捕される恐れがあったので、私の戸籍探しからはじまった。
 1974年にようやく帰国。そして沖縄へ、山城らと感激の再会をした。
那覇の料亭で50名ほどで歓迎会をしてくれた。しかし宴たけなわのとき、別室に移され人払いしたうえで、「すぐ帰れ」と言われた。「沖縄の証言」にも載っているが、地下で知事暗殺計画の情報が流布されていて私はその首謀者として捕まるかもしれなということだった。私はすぐに沖縄を離れることになった…。(以下、次回)
○今回は参加者が少なかった点が反省です。しかしどこまで行っても興味が尽きないお話。録音もしており、上原信夫氏の語りはまだまだ続きます。交流会に駆けつけてくださった丸浜江里子さんに感謝!
○次回研究会は6月30日。8月の終わりにモンゴルツアーを企画していますが、今回はその事前学習会をかねて、東京大学(院)博士課程の小軍さんと、都立大学(院)博士課程のトクタホさんに「モンゴルは今」について報告いただきます。
*南の風1665号(石倉祐志、Thu, 15 Jun 2006 01:52)




◆第117回:伊藤長和「川崎の社会教育と韓国との交流」
        −伊藤長和氏(TOAFAEC 副代表)定年退職を祝う会−
<ご案内>             小林 文人 (TOAFAEC代表)
 皆様、その後お変わりありませんか。
 この3月末で、川崎の伊藤長和さんが定年退職を迎えられました。ご承知のように、伊藤さんは川崎の社会教育を担って奮闘されてきました。同時に韓国との間に(他の自治体にはみられない)独自の交流の水脈をつくってこられました。日本社会教育学会や日本公民館学会等の活動に積極的に参加され、寄与されてきました。そして「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」(TOAFAEC)副代表でもあります。
 私たちは、TOAFAEC・定例研究会(第117回)特別会として、伊藤長和さんの定年退職記念講演会とお祝いの会を企画いたしました。TOAFAECメンバーだけでなく、この機会に学会関係者にもご案内をさしあげ、日本の社会教育と東アジア(とくに韓国)との研究交流を考えるひととき(第一部)をもちたいと考えています。
 あわせて、いつも定例研究会後の交流の場となってきた小さなレストランで、心のこもったお祝いの会(第二部)を催したいと存じます。
 ぜひともご参加くださいますよう、ご案内申しあげます。 ご出席の可否についてお知らせいただければ幸いです。
 日 時: 4月28日(金)16:00〜21:00
 会 場: 杉並区・高井戸地域区民センター・音楽室
        (京王井の頭線「高井戸」下車、3分)
        *第二部は下記・レストラン(移動・約3分)
 プログラム:第一部(16:00〜18:00)伊藤長和さんのお話
    「川崎の社会教育と韓国との交流」 馬頭琴演奏(モンゴル留学生)、ほか
   第二部・お祝いの会(18:30〜21:00) 
 会場:「イーストビレッジ」(電話03-5346-2077)高井戸駅近く
 会費:3000円前後(実費)
 〔連絡先〕小林文人(090-7700-7756): bunjin-k@js4.so-net.ne.jp
        石倉祐志080-1046-0600):BZZ12470@nifty.com
        遠藤輝喜(090-7942-4785): 0146076101@jcom.home.ne.jp
<報告>
参加者:田口文子、佐藤久美子、手打明敏、浅野かおる、谷和明、佐藤進、奥田泰弘、
 伊東秀明、山添路子、トクタホ、ボリガン、小田切督剛、金侖貞、江頭晃子、遠藤輝喜、
 小林文人、石倉祐志、お祝い交流会のみ:内田純一、山口真理子、包聯群
 伊藤さんのお話は、歩んできた道を概観しながら、いくつかの重要な出会いと、内面に今もあるいくつかの興味深いエピソードを交えて語られました。伊藤さんの原点を垣間見ることができたのは、大変貴重であったと思います。もちろん、川崎市の社会教育を切り開いてきた業績は、日本の大都市社会教育の水先案内人として、あるいは多文化の街づくりの先覚者として輝いているといっても過言ではない、そのことを再認識させるお話でした。
 富川市をはじめとする韓国との交流もその実績にふさわしい展開として注目されますし、小田切督剛、金侖貞(キム・ユンジョン)両氏の活き活きとした司会ぶりを見てもわかりますように、後に続く動きを作ってこられました。この優れた先達を浅野かおるさんが、韓国の人々が伊藤さんを呼ぶ言葉を引いて「ヒョンニム」と言われました。これは「兄」を尊敬と親しみとたくさんの思いを込めて呼ぶ言葉と受け止めました。
 私も、伊藤さんに接してこられたことの幸せを感じるとともに、たくさんの励ましや、期待をいただいた分に何もこたえられていないことに申し訳ない思いも個人的には感じられ、また新たなパワーをもらったような気がします。(録音は小田切さんがテキスト化したとのことで、貴重な記録となります。資料などを加えていただき、「東アジア社会教育研究」第11号に掲載される予定です。)

*講演写真は「伊藤長和さん追悼のページ」へ移動→■

 今回の記念には、モンゴル出身のボリガンさんが馬頭琴の演奏を披露し、また山添路子さんから伊藤さんへ花束を贈呈しました。
 その後のお祝いパーテイは、日ごろ耳にしない佐藤進さんの「男はつらいよ」や谷和明さんの「Ich liebe dich」も出るなど、いつになくたくさんの歌による交歓の夕べとなりました。最後は、久しぶりに山口真理子さんの「百万本のバラ」。
 次回は5月26日(金)「アジアを駆けぬけた私の戦後史(その4)」として、上原信夫氏のお話の4回目です。1947年の沖縄民主同盟結成のその後の展開について、どんな歴史的な証言が出てくるかが聞き所です。(石倉祐志、Tue, 2 May 2006 00:40)、南の風1643号(5月3日)



◆4・28 沖縄デー
 … 今年の「沖縄デー」は、私たちの第117回定例研究会の当日、しかも伊藤長和さん退職記念講演・お祝いの日でした。第U部・交流会では久しぶり思いっ切り「沖縄を返せ」「沖縄に返せ!」と歌いあいました。この時代を知る世代は、期せずして拳をにぎり、大きな声をはりあげて大合唱となり、面白かった。
 その前日、名護・島袋正敏さんから届いた「請福フアンシー」と与那国・崎元智代さんの60度のスピリッツ、それに包聯群さんご持参のモンゴル酒が回されて、酔いはいっそう深いものに。皆様に御礼! *小林文人、南の風1641号(4月29日)




◆第116回:小林茂子「沖縄移民の教育学〜博士論文を語る」
<ご案内>
 中央大学(院)博士課程の小林茂子さんの博士論文がこのほど審査に合格されました。おめでとうございます。題目は「戦前期における沖縄移民に関する教育学的研究−沖縄での移民教育の実践とフィリピン・ダバオにおける沖縄移民の自己意識の形成を通して−」。
 当研究会で小林さんが「戦前沖縄の移民問題と社会教育」と題して報告されたのは2002年12月、第82回研究会でした。移民と教育の問題は初めてのテーマでしたし、提示された資料も大変興味深いものでした。『眉屋私記』や字誌との関連なども話題となったように思います。
 その後、これまでほとんど光の当たらなかった分野で、資料をこつこつと収集され、新しい知見を構築されてこられた小林さんに、今回はとくと語っていただきたいと思います。移民の自己意識の形成を跡付ける中で何が見えてきたのか。研究の方法論も含め貴重な報告となることでしょう。
 終了後のいつもの交流会は、今回もちろん「お祝いの会」です。皆さん、ふるってご参加ください。
テーマ:沖縄移民の教育学〜博士論文を語る
おはなし:小林茂子(中央大学大学院)
にちじ:2006年3月24日(金)18:30〜20:30
ばしょ:高井戸地域区民センター第5集会室
    (「地域と教育を考える会」の名称で会場を予約してあります)
*終了後・お祝いの会:「イーストビレッジ」電話03-5346-2077
〔連絡先〕〒193-0845八王子市初沢町1429-285 電/fax0426-68-3677
      携帯080-1046-0600石倉祐志

<報告>
参加者:
金子満(文科省生涯学習政策局)、上原信夫、白メイ(中大・院)、近藤恵美子(同)、岡田拓(同)、トクタホ(都立大学大学院)、黄丹青(埼玉大学)、小林文人、石倉祐志、(交流会のみ−山口真理子)
 小林茂子さんの博士論文は「戦前期における沖縄移民に関する教育学的研究−沖縄での移民教育の実践とフィリピン・ダバオにおける沖縄移民の自己意識の形成を通して−」という題目で、今回の報告は未踏の領域に踏み入って未見の資料を渉猟するという研究の醍醐味、またアイデンティティの問題を深く考えさせる発表だったと思います。
 この間の沖縄の市町村史・字誌刊行があり、またいくつかの重要な資料の復刻もあるという情勢も味方にしながら、空白だった移民教育の分野で大きな業績をあげられました。小林さんは沖縄の移民教育を分析するために「必要的同化」「文化的異化」という概念を提示し、移民の複雑なアイデンティティを動的に解明しようとされていますが、日本・沖縄・ダバオの三つの文化の関連性を見るとき、沖縄の文化が媒介変数となっているのではないか、という文人先生の指摘もまた興味深いものでした。
 参加者の上原信夫さんからは、沖縄民主同盟結成当時の政策論議の中で、沖縄の経済的自立のために移民政策の是非を議論したという記憶を披露されました。モンゴル、中国、日本という三つの文化の間でのアイデンティティ研究をされているトクタホさんからは、実体験に基づいた言語の重要性についての指摘もありましたが、これまでのこの研究会での議論のなかでは、アイデンティティと言語、文化について意外と活発に議論されてきたのではないかと思い当たりました。そして文人先生の、単一民族主義の「日本近代教育百年史」には欠落点があり、これに挑戦した論文であるとの指摘にもうなずいたものでした。
 交流会では山口真理子さんも駆けつけ、お祝いの乾杯をしました。小林茂子さんはいっぱいの花束を抱えて満面の笑み、トクタホさんの「卒業式の歌」もとても気合が入っていて最高でした。
 さて次回は4月28日高井戸地域区民センター音楽室です。この研究会の副代表として貢献され、このたび川崎市教育委員会を定年退職された伊藤長和さんの「最終講義」とお祝いの会を行います。研究会だけでなく学会関係の皆様に広く呼びかけますので、奮ってご参加くださいますよう。
(石倉祐志 Wed, 29 Mar 2006 21:27) 南の風1625号(3月30日)



◆<この酒のめば・・・(ぶ)>
 TOAFAEC 定例研究会の(公式)記録は、いつも石倉祐志さんが書くならわし。それと重複するかもしれませんが、当夜(24日)の余韻がさめないうちに、いくつかのことを書きたくなりました。(ぶ)
 小林茂子さんのドクター論文発表は、さすがに内容の濃い報告でした。 沖縄「移民」教育についての鮮明な研究視角、課題設定のオリジナリティ、5年にわたる実証資料の探求など、これから論文を書こうとする同席の人たちにとっても、大いに参考になったのではないでしょうか。
 沖縄出身の長老・上原信夫さんがご出席。持ち帰ったばかりの奥「共同店サミット」資料をお渡ししました。同姓同名の上原信夫氏作詞「共同店口説」(奥)を興味深げにご覧になっていました。
 会が始まり、やや遅れて、珍しい人の登場。文科省の金子満さん。忙しい職場を抜けての出席、ご苦労さま。最終段階を迎えた韓国本執筆についての最後のツメも出来ました。
 終了後の小林茂子・博士「お祝いの会」では、TOAFAEC の(いつも飲むばかりの)会としては珍しく花束の贈呈(HPに写真)。そして名護・島袋正敏さんから頂いてきた泡盛「請福Fancy 」(35度)を皆で開けました。これはいい!さわやかな口当たり、シンのある島酒、静かに酔いがまわりました。
 花粉症に効くというのが正敏節。当夜のぶんじんは、沖縄行きのおかげで花粉症が再発しておらず・・・効能を確かめることはできませんでしたが、実に楽しくファンシーな気分で酔いました。さらに元気回復。これで花粉症の季節から脱却できたこと間違いなし。井の頭公園の桜も開花しはじめ、花と酒、やっと本格的な春の到来!
 モンゴル・タグタホさんが草原の歌を朗々とうたいました。ぶんじんも“やんばるの子守歌”にのせて、切々と、こう歌いました。
 ♪この酒のめば、やんばる思い出す やんばるの思い出は、祭りの笛太鼓♪
*小林ぶんじん 南の風1624号(3月27日)


◆第115回:杉並の市民運動の源流“杉の子と原水禁運動”の研究
<ご案内>
 この研究会に何度かおいでいただいている丸浜江里子さんの修論研究が、第1回平塚らいてう賞を受賞されました。「平塚らいてう賞」http://www.jwu.ac.jp/raiteu/ は、男女共同参画社会の実現および女性解放を通じた世界平和に関する研究や活動に光を当てること、ならびに若い世代に対して平塚らいてう氏の遺志を継承していくことを目的として日本女子大学が贈るもので、「半世
紀前に、杉並の公民館に集う主婦たちが始めた水爆禁止署名運動の足跡をたどり掘りおこす研究」に期待するとしてしています。
 今回は、原水禁運動(安井家)資料研究会と合同で、丸浜さんにお話いただくことにしました。杉並原水禁運動関連のテーマは、昨年4月の定例研究会「安井節子さんに聞くー安井郁・田鶴子夫妻の思い出」以来です。丸浜さんがどのような論点を提起されるのか注目されるところです。(今回は高井戸の会場ではなく永福町、交流会の会場も<いつものメープル食堂が閉店のため>検討中、ご注意ください)
テーマ:杉並の市民運動の源流“杉の子と原水禁運動”の研究に取りかかって   
おはなし:丸浜江里子さん(杉並の教育を考えるみんなの会、明治大学大学院)
にちじ:2006年2月24日(金)18:30〜20:30
ばしょ:永福和泉地域区民センター 第六集会室 ←ご注意!
     (京王井の頭線永福町駅下車3分 井の頭通りを明大前方向へ150m。
      スーパー三浦屋の角を左折して30m。
      「地域と教育を考える会」の名称で会場を予約してあります)
*終了後の交流会:会場検討中
〔連絡先〕電/fax0426-68-3677、携帯080-1046-0600
      〒193-0845八王子市初沢町1429-285石倉祐志
<記録>
報告:丸浜江里子(杉並の教育を考えるみんなの会、明治大学大学院)
参加者:大島香織、笹本征男、間彦博之、小峰みずき、安井節子、谷和明、竹峰誠一郎、小林文人、石倉祐志(交流会のみ山口真理子)
 教科書問題への取り組み通じて出会った市民運動の経験を持たれている丸浜江里子さんの問題意識の展開は「サンフランシスコ体制とは何か」という問いかけをベースに、杉並の原水禁運動との出会いを経て、今回のテーマに至ったとのこと。安井資料の読込み、体験者への聞き取りなどをとおした修論展開の構想を資料を駆使しながら語られました。
 先行研究には、藤原修、園田教子の名前も見られました。参加者からは、聞き取りの方法論についての議論、時代背景を踏まえて「杉の子」をとらえることの重要性、原水禁運動がナショナルな水準になっていく過程での、杉並・焼津・高知等のローカリティないし地域の自治という視点、杉並における戦争体験や総動員体制等の記憶との関連を見るべき、安井の主婦観と主婦たちの感性の安井への浸透という見方、「地を這う虫の目」という姿勢で具体的な問題点を見出しながら進めてはというアドバイス、などなど活発な討議がなされました。これからに期待が集まります。
 終了後の交流会は、山口真理子さんが駆けつけました。永福町駅のホームから見える「萬福飯店」。初参加者が多くにぎやかな会となりました。水餃子の胡麻だれがけなどなどに舌鼓。西武門節と喜瀬武原を歌いました。さて次回は3月24日・高井戸です。内容は調整中ですが追ってお知らせいたします。
(石倉祐志、Sun, 26 Feb 2006 10:13、南の風1611号)



◆第114回:沖縄1フィート運動の会「沖縄戦の証言」(DVD)
         滋賀県愛知川町長野西区「村芝居」(ビデオ)の一部、をみる
 <ご案内>
 皆様、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今年はTOAFAEC研究会も新たな跳躍を目指して活動を進めてまいります。新春の研究会のご案内をいたします。
 この研究会では、これまで数度にわたり東アジアの市民活動に注目してきました。韓国、台湾の力強さ、そして中国沿海部の胎動。その背景にはそれぞれ独自の歴史的経過と法制度や行政があることも報告されて来ました。
 一方で足元に目を向けることもまた重要です。今回は東京・三多摩からの報告です。「三多摩テーゼ」に代表されるようにかつて日本の社会教育の牽引車であった三多摩の市民たちの“今”の状況からのリポートです。報告者は市民活動サポートセンター・アンティ多摩の江頭晃子さんにお願いしました。
 江頭さんは昨年、東京多摩地域における市民活動・NPO等支援センター調査報告書「東京・多摩地域の“市民活動支援”」のとりまとめをされ、また月刊社会教育2006年1月号に寄稿されています。三多摩の市民活動の先端部に今どんな問題の焦点があるのか、行政に求められるものは何か報告していただきます。
 広範な市民の皆さん、そして東アジアの留学生の皆さん、日本の市民活動が抱えている悩み、迷い、そして展望について最新情報を知る絶好の機会です。奮ってご参加いただきますようお願い申し上げます。
 今回は都合により木曜日の開催となります。お間違いの無いようにどうぞご注意ください。
 にちじ:2006年1月26日(木)18:30〜20:30
 なかみ:三多摩の市民活動−その先端からの眺望
 おはなし:江頭晃子さん(市民活動サポートセンター・アンティ多摩
 ばしょ:(杉並)高井戸地域区民センター第5集会室
    京王井頭線「高井戸」駅下車、環八を渡ってすぐ、徒歩2分
*終了後交流会:高井戸駅近く「イーストビレッジ」電話03-5346-2077
 〔連絡先〕〒193-0845八王子市初沢町1429-285
 電/fax0426-68-3677、携帯080-1046-0600石倉祐志

●報告者の江頭晃子さんが当日急な発熱(インフルエンザ?)のため欠席。
   内容を変更し、渡部幹雄さんからおくられてきた滋賀県愛知川町長野西区
   “村芝居”(ビデオ)の一部、沖縄・1フイート運動の新しい作品『沖縄戦の
   証言』(DVD版)をみる会に変更しました。(ぶ)

<報告>
日時:2006年1月26日(木)18:30〜20:30  
於:高井戸地域区民センター第4集会室
内容:江頭晃子「三多摩の市民活動」についての報告が予定されていたが、下記事情により変更
 例会当日、報告者の江頭晃子さんは急な発熱(インフルエンザ?)、欠席のご連絡がありました。すでにレジメも作成され、本格的な報告を用意されていたのに、残念。私たちも楽しみにしていたところ。また次の機会にお願いしましょう。
 当夜は(いつもの金曜日でないこともあり)参加者が少なく、かえってよかったのかも・・・などと話しあいました。応急のプログラムとして、滋賀県愛知川町・渡部幹雄さんからおくられてきたビデオ・長野西区“村芝居”(風1592号)の一部、沖縄・1フイート運動の会製作の新しい作品『沖縄戦の証言』(DVD版)をみました。いい出来映え!
 早めにレストラン「イーストビレッジ」へ移動。ゆっくり飲んでいるとろへ山口真理子さんが来会。ご苦労さまでした。今回は経過のみ記しました。写真を撮るのも失念しました。
 あわせて愛知川町・渡部幹雄さんへの御礼。送っていただいた新しい著書『地域と図書館』(慧文社)10冊−研究会への寄贈−、長野西区のビデオ「村芝居」やカレンダー等、確かに拝受しました。有り難うございました。(小林文人)

          *第113回以前の研究会記録(4)→■

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