【研究会の前史】(T)                TOP
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【TOAFAEC研究会記録】(U) 
◆TOAFAEC定例研究会記録(1)−1995年〜1999年→
◆TOAFAEC定例研究会記録(2)−2000年〜2001年→

◆TOAFAEC定例研究会記録(3)−2002年〜2003年→


◆TOAFAEC定例研究会の記録◆(4)
     −第94回・2004年1月〜第113回・2005年12月−
     −記録者・石倉祐志
ほか
          

 ◆研究会記録(5)2006年・114回以降→2007年・135回→

   

◆第113回:上原信夫「アジアを駆けぬけた私の戦後史」(3)
                −沖縄民主同盟前後−    
<第113回定例研究会ご案内>
にちじ:2005年12月9日(金)18:30〜20:30
ばしょ:(杉並)高井戸地域区民センター第5集会室
なかみ:アジアを駆けぬけた私の戦後史(その3)
おはなし:上原信夫氏
*終了後:ちょっと早めの忘年会:「イーストビレッジ」高井戸駅近く、電話03-5346-2077
 今回はアジアを駆けぬけた私の戦後史(その3)として上原信夫氏のお話の3回目です。上原氏のお話は、貴重な歴史の証言であるとともに、その心意気は、「侠気」に満ち満ちていてパワフル。元気をもらえます。
 これまでの2回分のお話を要点だけ記せば、以下のとおりです。
 明治政府に対するレジスタンスだった祖父は、国頭村の集落・奥に受け入れられた。奥で生まれ育った上原少年はブラジル移民を志すがかなわず。満蒙開拓青少年義勇軍へ身を投じる。旧満州では反満抗日、被抑圧者の連帯を知り14才で医者を志すようになる。しかし関東軍に入隊させられ、軍にしたがって南下、宮古に上陸したときは19才になっていた。(以上・その1、第102回研究会)
 上原班長は輸送船の守備隊長として米軍の戦闘機を撃墜するが重傷を負う。手柄を立てて英雄になった上原青年は、軍に略奪される農民をかばったことなどが反抗的とされ、突然部隊長から死刑を宣告され逃亡する。農民に匿われて終戦を迎え、沖縄島に密航船で渡ろうとするが上陸寸前に米軍の監視船に捕まる。投獄されれそうになるが脱走し、故郷の国頭村・奥に辿り着く。集落の青年たちの心は荒廃しきっていた。そこで青年文庫をつくり青年団を結成した。この動きは国頭から名護まで広がっていった。
 次に農民の自給自足運動を始め、衛生上の理由で禁止とされていた屋敷内での豚の飼育を、琉球民政府に直訴して事実上認めさせるのに成功。1946年5月、立ち入りを禁じられていた南部へ一人で様子を見に行った。集落は無人で遺体があちこちに見られた。
 (以上・その2、第104回研究会)
 今回は、その後、戦後沖縄の初の政党であった沖縄民主同盟の結成に関わるお話などが聞けそうです。皆様のご来会をお待ちしております。
 〔連絡先〕電/fax0426-68-3677、携帯080-1046-0600
       〒193-0845八王子市初沢町1429-285石倉祐志
<報告>
参加者:澤麗子、加藤賀津子、天田美保子、小林茂子、栗山究、岩本陽児、上里祐子、トクタホ、遠藤輝喜、山口真理子、上原信夫、小林文人、石倉祐志
 3回目を迎える上原信夫さんのお話は、前回から1年進み1947年まで来ました。簡単にまとめると…・・・。
 この1年の間に、青年を中心とする農民自給運動に取り組んでいた上原青年は、当事立ち入りが禁じられていた南部を彷徨ってある考えを得た。夜は遺体の転がる中に寝た。そうしながら帝国主義とはなんだろうかと考えた。満州にいた14歳のとき中国の反満抗日の「匪賊」が語ってくれたことはこういうことだったのか。帝国主義が遅れた国を侵略していく様がこれなのだ。南部でMP(米軍の憲兵)に逮捕されて収監されてしまう。反抗的だったため「減食」されて立てなくなるが、囚人仲間に助けられ回復。不思議な偶然から、身元を引き受ける人が現れ出獄。
 山原に帰った後、大宜味で山城善光に出会い意気投合した。桑江朝幸が持ってきた謄写版で、苦労して機関紙を発行し二千部を沖縄じゅうに配布した。1947年4月ごろ知念で、当時の生き残った著名人を調べて約30人を集めて第1回沖縄建設懇談会を開催、これを経て同年7月、仲宗根源和を主席に立てて「沖縄民主同盟」結成に至る。沖縄民主同盟は、少し遅れて結成された階級闘争論の人民党とは違い、沖縄には啓蒙がまず必要という段階論を取った。しかしその思いは琉球共和国樹立だった…。ここで時間が来ました。
 沖縄民主同盟の結成は1947年6月とする資料もありますが、上原さんは自然に「7月」とおっしゃいました。沖縄民主同盟結成の場所が、その後1959年に米軍機墜落の惨事が起きた石川の宮森小学校の校舎だったというのも驚きでした。1946年死体が放置されていた沖縄南部を彷徨ったことで、帝国主義に対する考えが固まっていったいうお話に、歴史の中に生きる人間の姿を見た思いでした。
 終了後の忘年会はイーストビレッジから予定を変更して和(かず)という店で行いました。今回は初参加者が3人。久々のの顔も見られ楽しい「望」年会になりました。上里祐子さんの歌った「芭蕉布」もなかなかでしたよ。次回1月研究会は検討中、またご案内いたします。(石倉祐志、Mon, 12 Dec 2005 00:12)
*【南の風】第1574号(2005年12月12日)収録   関連写真■20051209



◆第112回:平井教子「杉並回想と鶴ヶ島」
<案内>
 
今回は埼玉県鶴ヶ島市教育委員会の平井教子さんに語っていただきます。平井(旧姓・園田)さんは東京学芸大学(院)修士課程だったころ安井郁の研究をされ、杉並公民館や原水禁運動の貴重な資料を収録した「歴史の大河は流れ続ける」編集・刊行の中心メンバーでもありました。安井家の貴重な資料のデータベース化作業が進められているなか、今回の第一テーマは、当時の資料調査や安井田鶴子さんの回想をお願いいたします。
 平井さんは現在、鶴ヶ島市教育委員会社会教育課に勤務されています。埼玉県鶴ヶ島市は、教育委員会の活性化をめざし、自治体として教育審議会による“教育大綱”が策定されました(今年8月)。また活発な公民館活動が展開していることでも注目を集めています。
 
今回の第二テーマは、その自治体「教育改革」の只中にあってがんばっておられる平井さんに、注目される鶴ヶ島がどう動いてきたのかを報告していただきます。
 かっての杉並公民館と原水禁運動についての回想、そしていま鶴ヶ島の公民館はどう動いているのか、関心が深まります。皆様のご来会をお待ちしております。
にちじ:2005年11月4日(金)18:30〜20:30
ばしょ:永福和泉地域区民センター・第三集会室
なかみ:(1)原水禁運動資料と「歴史の大河は流れ続ける」編集(回想)
    (2)鶴ヶ島市の自治体教育改革(教育大綱)の動きと公民館活動
おはなし:平井教子(鶴ヶ島市教育委員会)
*終了後交流会:「メープル食堂」電話03-3325-3622
 〔連絡先〕電/fax0426-68-3677、携帯080-1046-0600
       〒193-0845 八王子市初沢町1429-285 石倉祐志
<報告>
参加者:平井教子、内田純一、安井節子、丸浜江里子、竹峰誠一郎、トクタホ、石川敬史、伊藤長和、小林文人、山口真理子(交流会のみ)、石倉祐志
 まず、小林先生から杉並公民館と鶴ヶ島の社会教育の概要について、レクチャーがありました。鶴ヶ島の教育改革構想については資料を示されながら「小さな自治体が、このように大きな教育改革構想を自治・分権的にえがきだしたことに注目したい」と述べられました。
 平井さんは遅れて到着。自己紹介の後、杉並から鶴ヶ島へと話題が展開しました。平井さんは東京学芸大学大学院で安井郁の研究をされました。これについて、貴重な会報「杉の子」の現物も示されながら、「安井の思想は学んだことを世の中に活かすということ。「杉の子」を見てもわかるように、主婦の学びが地域を変えていくという姿を目の当たり
にしつつ、修士論文を執筆した。いま自治体職員でいるが、杉並に通ったことが大きな土台となっている」など語られました。
 1985年に鶴ヶ島町(当時)公民館へ就職。鶴ヶ島については、その社会教育に携わってきた平井さんならではいくつもののコメントがありました。「鶴ヶ島の図書館は小さい分館を先に作っていき、地域文庫を豊かにし、図書館人口を増やす中で、中央図書館を最後に作った。/公民館の建設も同じように日常生活圏域において進められ、戦後教育改革
を地で行くような取り組みを行ってきた。/市政への参画・協働を目指す「まちづくり市民講座」は市長部局の企画ではあったが「補助執行」という形で社会教育部局が中心となって行ったものである。/学校を再生するための学校協議会は土佐の教育改革にも学んで進めたが、教職員、子ども、住民、行政の4者でつくるところが特徴である。/鶴ヶ島市教育審議会が実施したアンケートは、通例ではコンサルタント会社に頼るところを、委員がその設計に携わった。/これら鶴ヶ島の施策はたえず市民と弱者の方を向きながら進められてきた。/これまでの公民館の取り組みに対して教育行政として十分援助できたのかどうか。」などなど話は尽きませんでした。
 交流会では、山口真理子さんが駆けつけてこられ、平井さんを中心にみんなで「喜瀬武原」を歌いました。鶴ヶ島の教育が今後どのような歩みを進めていくのか大いに注目していきたいと思います。
 次回は「アジアを駆けぬけた私の戦後史」上原信夫氏が語る(その3)となります。12月9日(金)高井戸地域区民センター。今回は沖縄での戦後初の政党結成についてなど、いよいよ注目すべき歴史の証言がなされると期待されます。ちょっと早い忘年会もかねますので皆様のご来会 をお待ちしております。(石倉祐志、Sun, 13 Nov 2005 21:06)
*【南の風】第1561号(2005年11月15日)収録
平井教子さん(鶴ヶ島市教育委員会)−20051104-



◆第111回:金命貞「韓国・光明〜富川訪問レポート」
        −韓国全国生涯学習フェスティバル参加など−
                                     *写真■20051007
<案内> ■9月(第111回)定例研究会は、9月下旬の韓国訪問等のスケジュールが
          重なり、変則的に10月7日(金)の開催となりました。よろしくご了承を。
          11月の研究会日程で調整する予定です。
 東京・沖縄・東アジア社会教育研究会のメンバー、伊藤長和、小田切督剛、小林文人氏らが中心となって、10月22〜26日に韓国ツアーが計画されています。韓国光明市で開催される韓国「全国生涯学習フェスティバル」に参加し、富川市の市民運動の皆さんなどとも交流しようという計画。これに合わせて開催される国際シンポジウム(聖公会大学・生涯学習院)「未来に向けた約束“人間中心の平生(生涯)学習社会”」には、日本から小林文人氏が招聘されて報告されます。筑波大学の手打明敏氏なども同行されるとのこと。一行は22日に出発。
 スケジュールは、到着当日:富川市訪問、市民団体「緑の富川21実践協議会」と交流。23日:国際シンポジウムそして全国フェスティバルの開幕へ参加。24日:富川市の住民自治センター、文化の家など訪問、25日:(現在進行している)「韓国の生涯学習」本づくりの関係者との交流懇親会、ソウル仁寺洞にて(風・前号)。26日:帰国。
 今回の研究会は、これら訪問団に同行され通訳の任を担われる東京大学大学院の金侖貞(キム・ユンジョン)さんに報告をお願いしました。
 いま東アジアのなかでも躍動著しい韓国の生涯学習の新しい動きを知るよい機会となるでしょう。皆様のご来会をお待ちしております。
にちじ:2005年10月7日(金)18:30〜20:30
ばしょ:永福和泉地域区民センター 第一集会室
なかみ:韓国・光明〜富川訪問(9月22〜26日)レポート
       −韓国全国生涯学習フェスティバル参加など−
おはなし:金侖貞(キム・ユンジョン、東京大学大学院)
       副報告−伊藤長和、小田切督剛、小林文人
*終了後交流会:『東アジア社会教育研究』第10号刊行・お祝いの乾杯!
         ウンドル・モンゴル族小学校(黒竜江省)再建・お祝いの乾杯!
会場:「メープル食堂」電話03-3325-3622、上記・区民センターから西永福方面へ
    徒歩6分、井頭道路・ロイヤルホスト前、要会費
【連絡先】電/fax0426-68-3677、携帯080-1046-0600
 〒193-0845八王子市初沢町1389-38コーポ井上201石倉祐志
【参考】;韓建煕(小田切督剛 訳)「富川市のローカルアジェンダ21を推進するための民・官協力機構:緑の富川21実践協議会」年報・第8号所収/伊藤長和「韓国・光明市と富川市における生涯教育の動向−解題と資料紹介−」年報・第9号所収、TOAFAEC・HP「川崎と韓国」ページ。
◇年報(『東アジア社会教育研究』)のご購入は上記〔連絡先〕へ注文ください。


<報告>
参加者:金命貞、小田切剛督、伊藤長和、浅野かおる、小林文人、谷和明、岩本陽児、伊東秀明、包連群、王曉華、山口真理子、石倉祐志
 東大大学院の金命貞(キム・ユンジョン)さんが韓国全国生涯学習フェスティバルの報告をされるというので、今回はいい研究会にしなければと思っていたのですが、事務局(筆者)が会場を勘違いして遅刻してしまうという失態。まことに、ちぇそはむにだ(申し訳ありませんでした)。会場に到着したときはすでに平生教育と社会教育の概念について討論の真っ最中。見渡すと、久々にして錚々たる顔ぶれにびっくり。報告者席には金命貞、小田切督剛、伊藤長和の御三人がいて、会は伊藤さんの流麗な司会で運ばれているところでした。
 地方自治は始まったばかりで、平成教育も啓蒙の段階といえる。/国家の競争力を強めるための政策と、その政策を逆手に取り自治につながる学びの場にしていこうとする、地域からの動きがある。/それは日本のように政策と運動が矛盾対立して行くのとは違い、別の構図で見ることができるかもしれない。/いや日本だって戦後初期の文部省は公民館構想など重要な施策を展開し、政策に研究の成果を活かす時代もあった…などなど。とても興味深い議論でした。
 市民運動はすでに日本より先を行っている印象の韓国ですが、社全協のような運動は存在していないと言います。日本では、教育委員会が任命制になり「逆コース」と言われて以降の国家教育政策を支配層が牛耳ってきました。韓国の教育政策を推進する体制はこれとはちょっと違うようです。双方絡み合いつつも異なる歴史を背景にしながら同時代性をも実感しつつ、今動いているものが相互に交流していくことの重要性を感じました。
 交流会では、黒龍江省のモンゴル族の村ウンドル村の小学校再建に取り組み、建設の進捗を確認するツアーから戻られたばかりの包聯群さんがその報告をされ、支援に対する校長先生からのお礼の手紙を朗読されました。おみやげの「鴻茅○酒」(○=女乃)というお酒がヨーグルトのように甘酸っぱくて美味しいのに45度もあるので一堂いい気分で酔いました。また小田切さん、金命貞さん、浅野かおるさんらが韓国「第4回平成学習祝祭の歌」を高らかに歌って盛り上がりました。
 次回は11月4日金曜日です。鶴ヶ島市のあの!平井(園田)教子さんがやって来ます。平井さんは東京学芸大学修士課程だったころ安井郁の研究をされ、杉並公民館や原水禁運動の貴重な資料を収録した「歴史の大河は流れ続ける」編集刊行の中心メンバーでもありました。現在は鶴ヶ島市「教育改革」の只中にあってがんばっておられます。注目される鶴ヶ島がどう動いていくのか、見逃すことはできません。皆様のご来会をお待ちしております。(石倉祐志、Tue, 11 Oct 2005 23:16)
*【南の風】第1545号(2005年10月13日) 収録


◆2006社会教育研究全国集会(福岡)油山の集い(名護を囲む)
                                  *写真■20050826
<案内>
 *TOAFAEC・8月定例研究会は、恒例・第45回社会教育研究全国集会(福岡集会)第2日・27日夜「この指とまれ・沖縄を囲む集い」として開きます(通算・110’研究会)。当日は、会場(1)早良区市民センター(予定)−「大会資料」掲載、後半は、会場(2)城南区東油山・小林宅(下記)、に移動する予定です。下記の案内をご覧下さい。なお、第111回定例研究会  は、9月下旬ではなく、10月7日(金)夜に開催します。乞ご期待!
■社会教育研究全国集会・第45回(福岡)大会
 日時:2005年8月26日(金)〜28日(日)
 会場:ももちパレス、早良区市民センター、アークホテル博多ロイヤル、など
 第45回社会教育研究全国集会・福岡集会の詳細は下記参照
 → http://homepage3.nifty.com/japse/45syuukai.html
■沖縄を囲む集い 
 8月27日(大会第2日)17:30〜「この指とまれ−沖縄を囲む」

 会場(1)17:30〜早良区市民センター(予定)、 状況をみて会場2へ移動(希望者のみ)
 会場(2)19:00?〜22:00〜 油山・小林宅へ 住所:福岡市城南区東油山3−26−29
 移動方法:☆タクシー(会場より30分前後か) 相乗りで、運転手に次のように指示。
    「東油山へ。油山観光道路から登山道へ入り、“山富貴(やまぶき)” の下の橋を
     右へ渡って、3軒目の家」
 ☆バスの場合、天神、六本松より13番、113番などに乗り、「油山団地口」(徒歩5〜6分)
 連絡先:電話 092-801-0765(小林)、携帯 090-7700-7756
 *沖縄(名護)からの参加者:島袋正敏、中村誠司、松田毅、宮里幹成、
   山城秀夫(大国林道オーナー)などの各氏

★報告<油山「沖縄を囲む」集い>

 前号に続き全国集会(福岡)関連です。
 第2日(8月27日)は、例年のように午前・午後ともに分科会(19)「自治公民館・小地域での学習活動と地域づくり」。今年はとくに松本市「町内公民館活動の手びき」と同実践記録集「自治の力ここにあり・学びと“ずく”のまちづくり」(大作!)の刊行があり、これを軸にして論議は充実した展開に。いつもダレる時間があるのに、終日飽きるところがありませんでした。
 自治公民館と地域づくり分科会がスタートしたのは2002年・沖縄の全国集会です。今年ですでに4年目、この間の報告・論議をさらに発展させて、まとめを作ろう、メッセージを発信しようというのがかねてよりの懸案。果たして実現するかどうか、来年に向けての取り組みを期待したいもの。分科会を担ってきた世話人集団の心意気、次への一歩が刻まれるのではないでしょうか。
 さて、夜はお待ちかね「沖縄を囲む」集い。この指とまれの会場では飲めませんので、後半はタクシーに分乗して油山の小林宅(第2会場)へ。着いたのは7時半頃か。農中茂徳一家の全面的な協力を得て用意万端整い、庭に生ビールもセットし、楽しい夜の始まりとなりました。
 皆さんが帰ったのは何時だろう(ぶんじんも酔っていた)、12時近くか?そのあとも酒盛りは続きました。中村誠司さん持参の古酒はなぜか酔いがまわる。いつの間にか知らない場所に寝ていました。それぞれの部屋にイビキ響き、ソファにも誰かが寝転がって・・・。当夜の同宿者は(家人まで含めれば)11人。
 翌日・大会最終日の速報「玄海の風」第5号に掲載された一文。
 「沖縄を囲む集いは、一次会・ももちパレス、ノン・アルコールで自己紹介と懇親を深めた後、ナント!小林文人邸@油山にて、二次会を開催!沖縄参加者5名を含む総勢30名が集まった。泡盛はもちろんのこと、名護のテラジャー(ヒザラ貝)、チラガー、ミミガー、スクなどなど。生ビール片手にあり乾杯!夜はまだまだ続く。」
 差し入れやお土産を頂いた方々、山(の麓)までお出で下さった皆様、お泊まりの沖縄5人衆、有り難うございました。いつも主のいない隠れ家も、飛びっきり賑やかな一夜に、涙を流して喜んだと思います。
 付記;この間の写真8枚ほどHPアップ。なお集会の総括報告によれば、全体の参加者は801名を数えたそうです。(小林ぶんじん)
*【南の風】第1522号(2005年8月30日)−ぶんじん日誌より転載
第45回全国集会(福岡)2日目夜「この指とまれ−沖縄を囲む」ー2次会・油山交流(20050827) *関連写真→■



◆第110回:津久井純
        「ベトナムの地域学習センター(公民館)づくりに関わって」
<案内>
 今回は、日本ユネスコ協会連盟のベトナムプ・ロジェクトを担当され、このほど帰国された津久井純さんから報告いただきます。この研究会でベトナムをテーマに取り上げるのは2回目となります。1回目は、昨年10月1日・第100回研究会で津久井さんから報告いたたきました。
 ベトナムにおけるチュンタム・ホックタップ・コンドン(それぞれの語は、中心・学習・共同という漢語に対応し「地域学習センター」と訳す)について、写真なども提示しながら、政策的背景、その起源、普及状況、活動内容を押さえ、「社会主義国家における教育の役割」「学習振興会」「少数民族」などのトピックを提示されました。
 今回はプロジェクトの仕事を一段落されて帰国された津久井さんから、「ベトナムの地域学習センター(公民館)づくりに関わって」、その後の動きなどについて話題提供していただきます。今ベトナムの地域で何が動いているのかを知るまたとない機会です。みなさまのご来会をお待ち申し上げます。
にちじ:2005年7月29日(金)18:30〜20:30
ばしょ:高井戸地域区民センター第5集会室(東京・杉並区)
     (「地域と教育を考える会」の名称で会場を予約してあります)
なかみ:ベトナムの地域学習センター(公民館)づくりに関わって
おはなし:津久井純(日本ユネスコ協会連盟)
*終了後交流会:高井戸駅近く「イーストビレッジ」電話03-5346-2077
 〔連絡先〕〒193-0845八王子市初沢町1389-38コーポ井上201
 電/fax0426-68-3677、携帯080-1046-0600石倉祐志

<報告>
お話:津久井純(日本ユネスコ協会連盟)
参加者:上田幸夫(日本体育大学)、包連群(東京大学大学院博士課程)、遠藤輝喜(渋谷区教育委員会)、小林文人(TOAFAEC 代表)、石倉祐志(事務局)
 ベトナムの地域学習センターを48箇所建設するという仕事を終えて帰国された津久井純さんのお話は始めて聞くものばかりで、上田先生や小林先生からも次々と質問が出され密度の濃い中身になりました。
ベトナム語は後ろから前へ修飾するので, Trung tam Hoc tap Cong dong (チュンタム・ホックタップ・コンドン、それぞれの語は、中心・学習・共同という漢語に対応する)という言葉も後ろから前へ、「共同・学習・センター」となりますが、ここでの「共同」は「地域」に近いニュアンスを持っているとのこと。この施設は、日本の公民館も参考に
したベトナムの地域学習センターで、ユネスコが推進してきたCLC(Community LearningCentre)であり、また日本ユネスコ協会の「世界寺子屋運動」の「TERAKOYA」でもあります。中国でも見られることですが、社会主義体制下での資本主義の導入に対応した、インフォーマル教育のコントロールされた導入と言えるでしょう。
 報告はこの施設と関わる人々を映し出したビデオの上映から始まりました。ハノイの北に位置する8つの省は山また山の山岳地帯、ほんの最近までは目的地まで一日では着かないところも多かったとのこと。運営に携わる沢山の住民(少数民族もいる)の姿や学習の様子を見ることができました。今回の報告を資料の見出しで見ると、
 1.地域学習センター (1) ベトナムにおける社会教育政策、(2)地域学習センターの起源,(3)現在の普及状況、(4) 地域学習センターの活動、
1.地域学習センターをめぐる各エージェント、アクター (1)変化の胎動か?「社会主義国家における教育の役割」、(2)学習振興会の台頭、(3) 少数民族となっており、1998年ベトナム教育法と2005年改正教育法の抄訳までついた貴重なものでした。ベトナムはこの研究会の「東アジア」の範囲に入るかどうかは微妙ですが、儒教や漢字との関係も深い地域である点は注目すべきと思います。津久井さんの次の仕事はベトナムの初等教育の指導者養成に関するものだそうで、まもなく出発されるとのことです。
交流会は久しぶりに高井戸のイーストビレッジで乾杯。近い将来ベトナムツアーをという声に一同大賛成でした。
 次回は福岡で開催される社会教育研究全国集会の中の「このゆびとまれ・沖縄を囲む・交流会」として、楽しい夕べを企画します。
 8月27日(土)18:00 頃開始、時刻・会場は当日の集会案内でご確認ください。後半は同市油山(小林宅)へ移動の計画です。
 次々回は(9月末ではなく)10月7日(金)となります。どうぞご予定下さい。
(石倉祐志、Tue, 2 Aug 2005 23:12)
*【南の風】第1509号(2005年8月4日)収録




◆第109回:赤崎隆三郎「南の島・与論から沖縄やんばるへ、東京へ」
                              *写真■20050624
<案内> 今回の研究会は6月24日。その前日・6月23日は沖縄戦終結の日、沖縄慰霊の日です。沖縄研究会を源流に持つこの研究会では、毎年6月に沖縄にちなんだ企画をつくってきました。
 今回は、「南の島・与論から沖縄やんばるへ、そして東京へ」と題し、赤崎隆三郎さんを囲みます。赤崎さんは与論高校の美術教諭で同島の文化協会長。今年4月、論文「島嶼(とうしょ)社会の生涯学習まちづくり」を提出し名桜大学大学院を卒業。聖徳大学・生涯学習研究所のNPO法人まちづくり研究会事務局次長に就任されました。
 赤崎隆三郎さんは、与論・やんばるでの実践を基盤に、これからの地域社会でどんな地域創造の展望を切り開こうとされているのか。この強力なアクティビストの語りに耳を澄まそうではありませんか。みなさまのご来会をお待ち申し上げます。
 参考:赤崎隆三郎「与論高校美術部の活動―与論から沖縄やんばるへ、そして世界へ」(小林文人・島袋正敏編「おきなわの社会教育」エイデル研究所)
にちじ:2005年6月24日(金)18:30〜20:30
なかみ:南の島・与論から沖縄やんばるへ、そして東京へ
おはなし:赤崎隆三郎(聖徳大学・生涯学習研究所)
ばしょ:永福和泉地域区民センター 第一集会室
(京王井の頭線永福町駅下車3分 井の頭通りを明大前方向へ150m。スーパー三浦屋の角を左折して30m。「地域と教育を考える会」の名称で会場を予約してあります)
*終了後・赤崎氏歓迎会:「メープル食堂」電話03-3325-3622
〔連絡先〕電/fax0426-68-3677、携帯080-1046-0600〒193-0845八王子市初沢町1389-38コーポ井上201石倉祐志

<報告>
参加者:赤崎隆三郎、与世里武夫、山勝幸、遠藤和生、森下松寿、上原信夫、上里佑子、比嘉徹、遠藤輝喜、伊藤長和、小林文人、山口真理子(交流会のみ)、石倉祐志
 琉球と言ったとき思い浮かべる地理的範囲は、沖縄島から南西に宮古、石垣、与那国島、そして北東には奄美を含めることになる。赤崎隆三郎さんは地図を示して、沖縄島をやじろべえの要に据えて右端に奄美、左端に宮古を配して、この琉球諸島を一つの生活圏と位置づけようと提起する。この端から端までの距離は実に新潟から長崎までの広がりを持っ
ている。北緯27度線は、鹿児島県と沖縄県を分けるが、国境より県境の壁のほうが高いと言われ来た。
 「私がこの隔たりを超えることができたのは、まず両親のおかげである。両親は那覇で出会って私を産んだ。父は亡くなるときも母と出会った那覇の病院を選んだ。私が沖縄に渡る背景には両親のことがある。那覇で広告代理店の仕事を40才までやっていた。42才でシマに帰って公民館の絵画教室を担当した。そして、高校の美術の教師となり、美術、
音楽、マラソンなどで県境を越えた高校生の交流をつくった。小林平造さん(鹿児島大学)との出会いがきっかけとなって多くの人に出会った。火水木は高校で授業、金曜から連絡船に乗り名桜大学・大学院に通った。ここで社会制度政策の重要性を学んだ。卒業するとき「資格はいらないが卒業証書はください」と申し上げた。その意味は、名護が与論からの通学圏であることの証拠になること、そして支えてくれた奥さんへ渡したかったから。」
 地域の壁を軽々と飛び越え、本来の生活圏を取り戻そうとする志向の先に、「問題点を明確にしたかった」という「奄美・沖縄州」への提起(琉球新報2005.6.17)がある。奄美・沖縄を結ぶ航空ネットワーク作り、神戸の新長田につくった「琉球ワールド」と海運会社も巻き込んだ沖縄物産企業連合の結成、「共同売店」の伝統の上に立ったコミュニティ・ビジネス、「創年」のたまり場づくり、新しい旅行商品としての「旅先案内人」などなど…。
 次々と展開する赤崎さんの語りは、ともすれば教育の制度や方法といった世界にとどまりがちな議論ではなく「シマとしてどう生きるか(小林先生の指摘)」という熱い思いから発するものであって、これに呼応して参加者からもそれぞれ熱のこもった発言があり、交流会も含めいつになく活気付いた研究会でした。ドイツから帰国されたその日の参加の
小林先生も奥様とともにお元気、交流会には山口真理子さんが駆けつけてこられ新曲?を披露されました。
 次回は7月29日(金)日本ユネスコ協会連盟のベトナムプロジェクトを担当され、このほど帰国された津久井淳さんから報告いただけないか交渉中です。請うご期待。
(石倉祐志、Mon, 27 Jun 2005 23:23)
*【南の風】第1487号(2005年6月28日)収録



◆第108回:鄭任智「台湾の社区営造、社区大學をめぐる最近の動き」
<案内>
 先の連休に小林文人、内田純一、鄭任智、上地武昭、金京喜、鷲尾真由美の各氏が台湾を訪問されました。当研究会の対象地域のなかで台湾はこれまで一つの課題でしたが、この調査・交流は大変大きな成果をもたらしたようです。
 今回は、参加者の一人で、これまで『東アジア社会教育研究』にも執筆されている早稲田大学博士課程の鄭任智さんに、「台湾の社区営造、社区大學をめぐる最近の動き」として台湾訪問報告をしていただきます。訪問した3箇所をはじめとする台湾における社区大学の現状や、これと密接な関係を持つ「社区総体営造」について注目されるところです。
 現在進行形の台湾においては、民主主義あるいは地域社会の構築についての積極的な政策的意図というものが感じられますし、それがどのような質と具体化をもって展開しているのか。内田純一氏の感想では、「相当程度ラディカルに取り組んでいる」社区大学もあるとか(南の風1465号)。韓国と並んで民主化が加速度的に進行してきた台湾で今何が起こっているのか。台北や高雄ではどんな動きなのか。今回の内容は、東アジアの社会教育を語る上で押えておくべき重要なポイントとなるでしょう。みなさまのご来会をお待ち申し上げております。
にちじ:2005年5月27日(金)18:30〜20:30
ばしょ:永福和泉地域区民センター 第二集会室 
     (京王井の頭線永福町駅下車3分 井の頭通りを明大前方向へ150m。
      スーパー三浦屋の角を左折して30m。
      「地域と教育を考える会」の名称で会場を予約してあります)
なかみ:台湾の社区営造、社区大學をめぐる最近の動き(台湾訪問報告)
おはなし:鄭任智(早稲田大学・院) *時間があれば副報告(ぶんじん)
*終了後交流会:「メープル食堂」電話03-3325-3622
 〔連絡先〕電/fax0426-68-3677、携帯080-1046-0600
       〒193-0845八王子市初沢町1389-38コーポ井上20
石倉祐志
<記録>
報告:鄭任智(早稲田大学大学院博士課程)
参加者:鄭任智、伊藤長和、小林文人、石倉祐志
 今回は、早稲田大学博士課程の鄭任智さんの清々しい報告を聞くことができました。今動いている台湾の地域づくり「社区総体造営」の政策と運動について、この連休中に行われた調査を踏まえて報告され、小林先生の補足を交えつつ、いくつかの論点も提出されて新鮮でした。
 その中では、「総体」という概念や、「官民連携」の様相、民進党との関係、韓国との比較、社区・社区大学の上海との比較など興味深い視点もありました。台湾と韓国は、独裁体制への抵抗の経験を経た急速な民主化、それを支え続ける市民のエネルギーの強さを感じるという点で共通性がありますが、その内容や背景は相当に異なります。とくに経済過程の違いは、韓国では財閥が形成され強大な力を持っているのに対し、台湾では企業の99%が中小企業と言われるようにそれほどでもない。
 一方日本は資本制と天皇制が結合した体制が戦前戦後を貫きつつ戦後の民主化がある。いずれも儒教を背景とする官治主義の歴史(中国を含め)という共通性がある一方で、そのたどっている道筋、地域の関係性や民衆意識は相当に異なると言えるでしょう。
 地域・社区における社会教育政策や実践の違いをこうした背景から見ていくと、東アジアの「地域」について、その共通性と異質性という非常に興味深い視野が開けてくるようです。社会教育の「東アジア学」というのは面白いのではないでしょうか。「ヨーロッパ」に匹敵するくらいの広がりを持つ「東アジア」についての探究を今後も進めて行きたいものです。
 次回は、6月24日金曜日。赤崎隆三郎さん(聖徳大学・生涯学習研究所)を囲みます。テーマは「南の島・与論から沖縄やんばるへ、そして東京へ」。赤崎さんは与論高校の美術教諭で同町文化協会長。今年4月、論文「島嶼(とうしょ)社会の生涯学習まちづくり」を提出し名桜大学大学院を修了。聖徳大学・生涯学習研究所のNPO法人まちづく研究会事務局次長に就任されました。与論・やんばるからの強力なアクティビストの登場です。みなさまのご来会をお待ち申し上げます。
 参考:赤崎隆三郎「与論高校美術部の活動―与論から沖縄やんばるへ、そして世界へ」小林文人・島袋正敏 編「おきなわの社会教育」エイデル研究所、2002年、所収。
(石倉祐志、Sun, 29 May 2005 17:58)
 *【南の風】第1476号(2005年5月31日)収録


◆第107回:安井節子「安井郁・田鶴子夫妻の思い出」
                        *写真■20050422
<案内> 安井郁氏(日本原水協・初代理事長、法政大学教授−当時)同田鶴子さんが遺した安井家資料の整理を進めている原水禁運動<安井家>資料研究会。この間、訪問調査を着々と進め、コンピュータも駆使しながらデーターベース化作業を進めているとのことです。
 今回は、原水禁運動<安井家>資料研究会(第4回)学習会と合同で、「安井節子さんに聞くー安井郁・田鶴子夫妻の思い出」として安井節子さんにお話いただきます。聞き手は小林ぶんじん氏です。
 原水爆禁止運動はさまざまな意味で日本の社会の状況と歴史的な位置を反映する、日本独自の良心的市民運動と言って良いでしょう。安井郁氏(故人)は原水禁運動の父とも呼ばれる国際法学者あり、また、杉並公民館の創立(1953)時からの館長でもありました。
 また郁氏のパートナーの田鶴子さんは「杉並公民館を存続させる会」『歴史の大河は流れ続ける』編集作業を担ってこられ、今年2月14日、享年91歳で逝去されました。安井郁・田鶴子夫妻についてのお話からは、日本における大都市社会教育の生き生きとした存在と、著しく日本の独自性を滲ませつつ世界的な広がりをも持つ社会運動−原水爆禁止運動の関係という重要なパースペクティブも広がってきます。
 今回はとくに、中国、韓国、台湾、モンゴルなど各地出身の留学生の皆さんにもぜひ参加していただきたいと思います。それぞれ独自のテーマで研究されている皆さんですが、日本ならではのこの機会にぜひ直に触れていただければと思います。そして今回はまた大都市社会教育に携わる皆さんにもぜひ参加していただきたいものです。厳しい状況にさらされている今こそ、一つの原点を確認する機会になるかもしれません。きっと元気をもらえるはずです。
 みなさまのご来会をお待ち申し上げております。今回は4月22日金曜日。最終金曜日は連休に入りますので第4金曜日で行います。
日時:2005年4月22日(金)18:30〜21:00 ←ご注意
   (最終金曜日(29日)は連休のため1週間早めました)
内容:安井節子さんに聞くー安井郁・田鶴子夫妻の思い出
聞き手:小林ぶんじん
会場:高井戸地域区民センター第五集会室(井頭線「高井戸」)
(「地域と教育を考える会」の名称で会場を予約してあります)
*終了後、恒例の交流会・高井戸駅近く「イーストビレッジ」電話03-5346-2077
〔連絡先〕八王子市初沢町1389-38コーポ井上201 石倉祐志

<報告>
参加者:本田雅和、江藤晃子、吉松朋子、稲富かずみ、篠原史生、竹峰誠一郎、安藤裕子、黄丹青、包聯群、王曉華、丸浜江里子(交流会のみ)、小林文人、石倉祐志
 今回は、安井郁(かおる)・田鶴子夫妻の遺した安井家資料の整理を進めている原水禁運動資料研究会と合同で、「安井節子さんに聞くー安井郁・田鶴子夫妻の思い出」として、安井節子さんにお話いただきました。聞き手は小林ぶんじん氏。
語り手の、安井節子さんは郁・田鶴子夫妻の長男と1966年3月に結婚され、安井郁さんとは亡くなる1980年までの14年間(そのうち同居は7年間)、また安井田鶴子さんとは今年亡くなるまで接してこられました。思いで語りは断片的ではありましたが、その場に居た安井節子さんの話の中に、「郁先生」や田鶴子さんの人間像が垣間見える証言が得られたと思います。
 たとえば、郁先生のトマトが嫌いの話は、そんな自分を情けないと漏らされたことがあったそうで、そんなところからも真摯な人格をうかがわせます。安井郁の思想的背景にはキリスト教が重要な要素の一つとなっていますが、最後まで洗礼は受けず独自の解釈をもっていたのではないか。あるいは、田鶴子さんの冷蔵庫の整理収納は徹底していたということでしたが、その後、郁先生の資料を徹底して保存整理してこられた田鶴子さんを髣髴とさせるエピソードです。
 また、田鶴子さんは郁先生とは別に新聞等の情報収集や投稿などの活動を欠かさない人で、社会的な事象に対して独自の考え方を持っていて、田鶴子さんの人間像にも関心が高まりました。
 今回はとくに、中国出身の黄丹青さん、内モンゴルからの包聯群さん、王曉華さんが参加、「安井郁氏はフルシチョフや毛沢東には会見したのに、天皇や総理大臣とはなぜ会見しなかったのか」などシンプルながら本質的でもある質問をされました。やはりこうした交流は大切にしていきたいと思います。
 さて、次回第108回は5月27日金曜日。会場は永福和泉地域区民センター・第二集会室。内容は未定ですが、小林文人先生が連休に台湾に調査に行ってこられます。その報告をはじめ、いくつか検討中です。次回もご期待ください。みなさまのご参加をお待ち申し上げます。(石倉祐志、Thu, 28 Apr 2005 10:47)
*【南の風】第1460号(2005年4月29日)収録




◆第106回:白メイ・近藤恵美子「厦門・上海への旅」報告
 <案内> 
 “手折りても星の微笑む宵の梅” 帰り夜道に梅の香りが漂う季節となりました。
今回のTOAFAECのテーマは「厦門・上海への旅」。白メイ(中大・院)、近藤恵美子(同)のお二人にご報告いただきます。中国中央大学社会教育考察団が2月下旬に訪中され、廈門と上海の社会教育、生涯教育の調査を行いました。
 「アモイ市は人口120万、海港風景都市として知られている福建省の東南部に位置する面積約128平方キロメートルのまちです。気候も温暖で過ごしやすい所と言われています。中国政府が外国企業に優遇策を与える経済特区にもなっており、台湾資本が多く入っていますが、最近は地の利が良いことから米国の巨大資本がいくつも進出しています。(南の風1426・近藤)」。今回は「考察団」のコーディネーターを見事務められた白メイさんと、中国初めての熱い感動冷めやらぬ近藤恵美子さんが、映像持参で研究会にやってきます。
 最近テーマごとに参加者が偏りがちなので、中国研究者以外の方々にも広く参加を呼びかけます。韓国・台湾・沖縄・モンゴルに関心をお持ちの方、刺激的な交流が期待できると思います。みなさまのご来会をお待ち申し上げております。

日時:2005年3月18日(金)18:30〜20:30(第4でなく)第3金曜日へ
テーマ:厦門・上海への旅 報告白メイ(中大・院)、近藤恵美子(同)
会場:
永福和泉地域区民センター第4集会室
 (京王井の頭線永福町駅下車3分 井の頭通りを明大前方向へ150m。
  スーパー三浦屋の角を左折して30m。「地域と教育を考える会」
  の名称で会場を予約してあります)
*終了後交流会:「メープル食堂」電話03-3325-3622
   〔連絡先〕〒193-0845八王子市初沢町1389-38コーポ井上201
   石倉祐志 Tel/fax 0426-68-3677、携帯080-1046-0600


<報告>
参加者:奥田泰弘(中央大学)、白メイ(中大・院)、近藤恵美子(同)、小林文人(TOAFAEC 代表)、山口真理子(調布市図書館・交流会のみ)、石倉祐志(TOAFAEC事務局)
 今回は中央大学考察団(団長奥田泰弘、秘書長白メイ)の報告でした。考察団一行は廈門、上海の社区教育施設等を精力的に回り、近藤さんらが撮影されたビデオを見ながらの報告となりました。廈門はちょうど正月の終わりのお祭りの日で、社区教育施設をはじめとする各所で催し物が行われていました。
 廈門郊外にあって博物館・図書館・学習室などを備えた龍海市文化館、思明区社区教育センター、鼓浪嶋(コンロス島)の学習型家庭、廈門大学で行われる社区の祭り行事、社区の運営にコンピュータネットワークを活用するという意味での数字化(デジタル型)社区に指定されている思明区濱海街道蓮花五村社区活動センター、など。
 また上海は閘北区社区教育センター、閘北区大寧路街道社区学校など大変興味深い内容でした。豊富な映像と重厚な資料が提供されましたが、参加者が少なかったのはとてももったいないことでした。一方で材料が豊富なせいか、社区教育についての典型とバリエーションはどうなのか、廈門、上海、北京などを比較するとどうなるか、といった論点が出されました。
 さて、次回第107回は4月22日金曜日。最終金曜日は連休に入りますので、第4金曜日の22日で行います。会場は高井戸地域区民センター第五集会室。内容は、原水禁運動<安井家>資料研究会(第4回)学習会と合同で、「安井節子さんに聞くー安井郁・田鶴子夫妻の思い出」として安井節子さんにお話いただきます。聞き手は小林ぶんじん氏です。みなさまのご参加をお待ち申し上げます。(石倉祐志、Tue, 22 Mar 2005 23:47)
*【南の風】第1439号(2005年3月23日)


◆第105回:トクタホ他「民族的アイデンティティの形成と教育」
                  −内モンゴルからの留学生を中心に−
                         *写真■20050225
<案内> 今回は久々にモンゴルのテーマです。トクターホ(套図格)さんがモンゴル留学生の問題について熱く語ります。トクターホさんは、内モンゴル出身で、故郷の子どもたちを支援する留学生の組織「フフ・モンゴル・オドム」(青きモンゴルの子孫)のリーダー。現在、東京都立大学大学院で、内モンゴルからの留学生たちのアイデンティティを取り上げた修士論文を書き上げたところ。その内容を踏まえて、モンゴルから日本へ来た留学生たちを取り巻く状況を多面的に報告し、また「フフ・モンゴル・オドム」運動の今後の展望を語っていただきます。
 日本のなかで、中国との関係や、言語と社会、マジョリティとマイノリティなどさまざまな問題と、教育がどのような関係性において位置付くのか?興味深い報告になりそうです。みなさまのご来会をお待ち申し上げております。
日時:2005年2月25日(金)18:30〜20:30
場所:高井戸区民センター(京王井頭線「高井戸」下車)第二集会室
   (「地域と教育を考える会」の名称で会場を予約してあります)
内容:@民族的アイデンティティの形成と教育- 「フフ・モンゴル・オドム」のこれから
                    (報告:トクターホ・東京都立大学院) 
    Aチンギスハンの墓(成陵問題)について(報告:ショウグン・東大院)−欠席
    Bウンドル村小学校の支援(報告:包聯群・東大院)
    C王暁華・修士論文「個性教育」について   
*終了後交流会:高井戸駅近く「イーストビレッジ」電話03-5346-2077
 〔連絡先〕〒193-0845八王子市初沢町1389-38コーポ井上201
 電/fax0426-68-3677、携帯080-1046-0600石倉祐志


報告> 
参加者:丸浜江里子(学校に自由の風を!ネットワーク)、エレン・ル・バイ(Helene Le Bail・パリ政治学大学院博士課程)、娜仁坦娜(ナリンタンナ・日本語学校生)、ハスゲレル(都立大・院)、トクターホ(都立大・院)、王曉華(学芸大・院)、包聯群(東大・院)、伊藤長和(川崎市・高津市民館長)、小林文人(TOAFAEC 代表)、山口真理子(調布市図書館・交流会のみ)、石倉祐志(TOAFAEC事務局)
 まず、今回の初参加者の紹介をします。丸浜江里子さんは岩波ブックレット645「学校に自由の風を!」を編集された方(南の風第1421号参照)で杉並区在住。娜仁坦娜さんはモンゴル出身の日本語学校生で和光大学を目指している学生。エレン・ル・バイさんはフランス人で一橋大学で在日中国人をテーマに研究されている方。包聯群さんの紹介で来会。
 報告はまず、包聯群さんからこの間当研究会でも支援してきたウンドル村モンゴル族小学校再建への取り組みの中間報告がされました。約63万円の支援基金が集まったことへの感謝と、再建にいたるまでさらなる支援の輪の広がりが必要なことが報告されました。
 次に王曉華さんが提出された修士論文「中国の小・中学校及び高等学校の教育における個性教育に関する研究−黒龍江省ドルブットモンゴル族自治県を中心として−」の概要を報告されました。小林先生は、日本の教育研究は(台湾などと比べても)少数民族研究の視点が弱いなか、この分野での研究の意義を指摘されました。王曉華さんは、今後博士課程を目指されるとのことです。
 三番目に、体調不良のため参加されなかった小軍さんに代わってトクターホさんが成陵問題について報告しました。成陵問題とは内モンゴル自治区オルドス市のチンギスハン祭殿・成陵の観光地化問題のこと。モンゴル民族の聖地を十分な調査、議論なしに商業的な観光開発が進んでいることに対して深い疑問を投げかけるというものでした。
 四番目は、トクターホさんの修士論文「民族的アイデンティティの形成と教育に関する一考察−内モンゴルからのモンゴル人留学生を中心に」の概要報告。複雑に変容するモンゴル人留学生のダイナミックで多元的な民族的アイデンティティを明らかにしたものでした。トクターホさんは都立大学の博士課程に進まれるとのことです。
 交流会は久しぶりに高井戸のイーストビレッジにて乾杯しました。新たな参加者を得、またモンゴル出身の若い研究者の熱気が感じられ、山口真理子さんも駆けつけてこられ、歌もたくさん飛び出して楽しいものとなりました。
 次回は、3月18日(金)18:30〜 日程・会場にご注意ください。(第4でなく)第3金曜日となります。会場は永福和泉地域区民センター第4集会室。テーマは「厦門・上海への旅」として、白メイ(中大・院)、近藤恵美子(同)に報告いただきます。生涯教育・社区教育の動きが注目される中国沿海・大都市部についての報告です。最近テーマごとに参加者が偏りがちなので、中国研究者以外の方々にも広く参加を呼びかけます。韓国・台湾・沖縄・モンゴルに関心をお持ちの方、刺激的な交流が期待できると思います。ぜひお越しください。(石倉祐志、Thu, 3 Mar 2005 22:13)
*【南の風】第1429号(2005年3月4日)


◆第104回:上原信夫「アジアを駆けぬけた私の戦後史」(2)
                          *写真■20050128
日時:2005年1月28日(金)18:30〜21:00
於:永福和泉地域区民センター第4集会室
テーマ:「アジアを駆けぬけた私の戦後史」上原信夫氏が語る(2)
はなし:上原信夫、聞き手:小林文人
参加者:上原信夫(日本中国留学生研修生援護協会理事長)、羅建中(作曲家)、田畑晶吾(名護市教育委員会)、上里佑子(日露歴史研究センター)、比嘉徹(調布市在住)、トックタホ(都立大・院)、小林文人、石倉祐志(TOAFAEC 事務局)

 上原信夫氏の語りの「その1」は、昨年(2004)11月の102 回研究会で、生い立ちから1945年までのことでした(風1381号に報告)。今回のお話は、同年の宮古島から始まりましたが、泉のように話が湧き出てきて1946年で時間切れとなりました。
 宮古で手柄を立てて英雄になった上原青年は、軍に略奪される農民をかばったことなどが反抗的とされ、突然、部隊長から死刑を宣告され逃亡。農民に匿われて終戦を迎えた。ようやく1946年1月、密航船で沖縄本島へ向う。緑豊かな南部の山々が、艦砲射撃で真っ白に変わっていた。馬天の港あたり上陸寸前に米軍の監視船に捕まる。逃亡兵なので身分を証明するものがなく監獄に入れられそうになるが、ゴミに潜り込んで収容所を脱走し、故郷の国頭村・奥に辿り着く。家族は無事だったが多くの親戚知人が亡くなっていた。
 集落の青年たちの心は荒廃しきっていた。そこで青年文庫をつくり青年会活動を始めた。この動きは国頭から名護まで広がっていった。次に農民の自給自足(自食)運動に取り組む。衛生上の理由で禁止とされていた屋敷内での豚の飼育を当時の沖縄民政府に直訴して事実上認めさせるのに成功、絶えていた在来種の黒豚の飼育を再開した。1946年5月、
立ち入りを禁じられていた南部へ、一人で調査に出かけた(約2週間)。集落はまだ無人で収容されないままの白骨があちこちに見られた。その後、米軍に逮捕される。
 今回はここまで。1947年の沖縄民主同盟結成などメインディッシュの話はまだこれからです。さらに折りを見てその後のお話を聞く機会を設けることになりました。宮古島での死刑宣告と逃亡生活にまつわる戦後30年後の関係者との再会や、関連して頭山満や孫文などについての話は多岐にわり、圧倒されるものがありました。
 終了後の交流会は西永福メープル食堂に移動。上里佑子さんのパートナー上里一雄さん、さらに小林冨美さんも加わって、ビールで乾杯。
 次回テーマは検討中ですが、2月25日(金)です。どうぞご予定ください。
(石倉祐志、Tue, 1 Feb 2005 00:10)
*【南の風】第1412号(2005年2月1日)


◆第103回:上野景三他「2004上海・福建・国際フォーラム」報告
                              *写真■20041224
<案内> 師走となりました。皆様あわただしい年の瀬をお迎えのことと存じます。
今年最後の研究会は12月24日(金)。いつもの高井戸ではなく、永福和泉地域区民センター第1集会室となります。くれぐれもお間違えのないように。道順など分からない点は、事務局・石倉へお気軽にお尋ね下さい。
 さて内容は待望の、上海「学習型社区の創建に関する国際フォーラム」の報告です。11月4日から7日まで上海市閘北区政府の主催、上海市行政学院、上海市教育委員会、上海市成人教育協会の共催で開催され、上野景三(団長)、黄丹青、内田純一、岩本陽児の各氏が参加、報告と討論を行なってきました。
 12月24日(金)の研究会には上野景三、内田純一、岩本陽児の各氏が参加されます。フォーラムでの日本からの報告、議論の内容、上海の実践者、研究者、行政担当者たちの雰囲気など報告いただきます。岩本さんの報告のビデオ(上野さん撮影?)もあるとのこと。
 これに加え、小林先生は福建省と北京で講演されてきたばかり。今回を契機にして今後の上海・中国研究の展望、年報第10号の方向性などについてのイメージが大きく展開することが期待されます。終了後は当然、忘年会!
にちじ:2004年12月24日(金)18:30〜20:30
ばしょ:永福和泉地域区民センター第1集会室 
     (京王井の頭線永福町駅下車3分 井の頭通りを明大前方向へ150m、
      スーパー三浦屋の角を左折して30m。「地域と教育を考える会」の名称
      で会場を予約してあります) ←いつもの会場と違います、ご注意!
なかみ:内容:上海社区教育国際フォーラム報告
      (時間があれば、あわせて福建「2004生涯教育フォーラム」報告)
報 告:上野景三(佐賀大学)、岩本陽児(和光大学)、内田純一(高知大学)、
      (福建報告:小林文人)
*終了後:交流会・忘年会:「メープル食堂」電話03-3325-3622
                   ←忘年会場もいつもの高井戸ではありません!           (永福町駅より井の頭通りを「西永福」方面へ400m、徒歩5分、
       ロイヤルホストの前)
 〔連絡先〕電/fax0426-68-3677、携帯080-1046-0600 〒193-0845 石倉祐志

<記録>
報告:
上野景三(佐賀大学)、内田純一(高知大学)、岩本陽児(和光大学)、末本誠(神戸大学)、小林文人(TOAFAEC代表)
報告者以外の参加者:古市直子(レディング)、栗山究(早稲田大・院)、包聯群(東大院)、王曉華(学芸大院)、白メイ(中大院)、近藤恵美子(同)、遠藤輝喜(渋谷区)、山口真理子(調布市図書館、交流会のみ)、石倉祐志(事務局)
 今回は(1)去る11/4〜7まで上海で開催された「創建学習型社区国際論壇」(学習型社区の創建に関する国際フォーラム)の報告(上野景三団長、内田純一、岩本陽児の各氏)、(2)12/2〜3の福建省「2004・終身教育論壇」(福州)と(3)12/5〜7の「2004 中国成人教育協会年会」(北京)の報告(小林文人、末本誠の両氏)、及び質疑という内容でした。この三つの集会の位置づけは、いずれもフォーマルなものですが、主催のレベルは(1)上海市の一行政区である閘北区、(2)省、(3)は全中国的なものです。
 (1)の国際フォーラムについては、上海市だけでなく閘北区が積極的な役割を担い、東アジアとともに欧米からのゲストを招聘するという、これまでにない規模のもの。社区(コミュニティ)づくりを中心課題に各国および中国国内からの幅広いレポートが集められ、間口の広さ、視野の広がりには注目に値するものがあること、並行しておこなわれた華東師範大学のフォーラムでは大学院生を含めて熱気ある質疑が見られたということでした。日本からの報告の様子は、岩本報告をビデオで見ることができました。
 続いて(2)は終身教育条例づくりを進める福建省フォーラム、小林、末本、呉遵民の各氏が講演、(3)は中国成人教育協会の年次大会、教育部副部長(副文部大臣)の講話もある全中国規模の大会で呉遵民、小林の両氏が報告したことは画期的なことと思われました。
 以上の三つを通じて出された論点は、社区教育は政策としてのステータスを上げていること。官僚主義の支配、政治の優位性が存在すること。こうした上位下達的研究会では中央の政策をいかに理解していくかという側面が強いこと。その一方で実践的エネルギーがみられること、「人権」「抑圧」「社会的排除」などのテーマに関心が見られ、こうした問題への感性の素地がある。“民工”とその教育問題を取り上げた時の反応も悪くなかったし、こうした関心が社区教育関係者の間にみられること。フォーラム参加者には実践家も多く、熱意を持っている人たちが大勢いる、今後このような人たちと研究交流を深め、実践に基づく研究展開をどう進めていくかが課題と思われました。交流会には山口真理子さんが駆けつけて来られ、来年に向けて「望年」の乾杯をしました。
 年明け、1月の研究会は1月28日(金)18時30分から、上原信夫氏(日本中国留学生研修生援護協会理事長)のお話「アジアを駆けぬけた私の戦後史」その2、を聞きます。前回のあらすじは南の風1381号を参照ください。今度は、宮古での戦争体験からスタートします。聞き手・小林文人氏。会場は、永福和泉地域区民センター第4集会室。
 今年一年、研究会へ多数のご参加をいただき誠にありがとうございました。来年もまたよろしくお願い申し上げます。皆様どうぞ良いお年を。
(石倉祐志、Tue, 28 Dec 2004 13:37)
*【南の風】第1393号(2005年12月29日)




◆第102回:上原信夫「アジアを駆けぬけた私の戦後史」(1)
                   −生い立ちから戦争体験へ
                         *写真■20041124
<案内> 秋も深まってまいりました。みなさま、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
 今回お話をお願いするのは、10月研究会に初めて参加された紳士の一人で、お話を聞くと想像を超える多彩な経歴の持ち主。現在は日本中国留学生研修生援護協会というNPOの理事長をなさっている上原信夫さんです。
 沖縄のやんばる最北端の集落「奥」のご出身、13歳で旧満州へ、17歳で兵役に従事、戦後は、沖縄初の政党「沖縄民主同盟」に参加され青年部長。しかし、その後のアメリカ占領下の政治状況により、1949年に沖縄を離れ、シンガポール、香港、中国へ、という波乱万丈の人生。現在は東京・武蔵野に在住、NPOを結成し、中国からの留学生・研修生の支援活動をされている方です。今回は「アジアを駆けぬけた私の戦後史」として、聞き手・小林文人先生との対談のかたちで進めたいと思います。
 中国や沖縄に関心のある方、留学生の方々、その他の皆様の御来会をお待ちしております。(なお、101回研究会で予告しました上海「学習型社区づくり」国際フォーラムについては、報告者の御都合がつかないとのことで、次回以降のお楽しみ。今回はテーマを変更しました。)
 日時:2004年11月26日(金)18:30〜20:30
 内容<プログラム変更>
      予告「上海・社区創建国際フォーラムに参加して」は報告予定者
       (岩本陽児、黄丹青ほか)のご都合により、次回以降に延期。
 テーマ:アジアを駆けぬけた私の戦中・戦後史
 お 話:上原信夫氏(NPO日本中国留学生研修生援護協会・理事長)
      *やんばる「奥」出身、少年時代、旧満州へ、兵役に従事、
        戦後は沖縄初の政党「沖縄民主同盟」に参加、青年部長。
        その後は、シンガポール、香港、中国へ渡る(滞在40年余)。
        波乱万丈の人生ドラマを語っていただきます。
 聞き手:小林 文人(TOAFAEC)
 ばしょ:高井戸区民センター(京王井の頭線「高井戸」下車)第1和室
      (「地域と教育を考える会」の名称で会場を予約してあります)
*終了後交流会:高井戸駅近く「イーストビレッジ」電話03-5346-2077
 〔連絡先〕〒193-0845八王子市初沢町1389-38コーポ井上201 石倉祐志

<報告>
参加者:
上原信夫、比嘉徹、鍵村修、上里佑子、中山侑義、包聯群、遠藤輝喜、山口真理子、小林文人、石倉祐志
 上原さんのお話には圧倒されました。明治・琉球処分へのレジスタンスだった祖父、そういう人を受け入れた奥(国頭村・沖縄島最北端の)の集落、ブラジル移民がかなわず満蒙開拓青少年義勇軍へ入った話、ハルピンでの反満抗日、被抑圧者の連帯を知り医学を志した話、関東軍に入隊し南下して宮古に上陸、宮古島の住民に「やんばる班長」と信頼されグラマン機との過酷な戦闘に生き残った話。これらを興味深いエピソードを織り交ぜて2時間以上の間、疲れも見せずに語られたのでした。
 お話は生い立ちから1945年までで時間切れとなりました。実はこの後のお話が更に期待されるのです。1947年沖縄初の政党「沖縄民主同盟」青年部長となり、その後沖縄を離れ紆余曲折を経て中国へ…。中国滞在40年余りを経て、ようやく1974年に日本へ。続きのお話を聞く機会をぜひ設定したいものもの。1月定例研究会でできないか現在調整中です。以下の記録は、ご本人の確認(修正)をお願いしなければならない部分がありますが、まずは「風」記録として作成しました。長文になりますが、ご了承下さい。
 なお、次回は今年最後の研究会。12月24日ですが、前回見送りました上海「学習型社区づくり」国際フォーラムの報告会が実現できる運びとなりました。忘年会を含めて行ないますので、皆様の御参集をお願い申し上げます。

●「アジアを駆けぬけた私の戦中・戦後史」(1) 
語り:上原信夫、聞き手:小林文人(2004.11.26高井戸区民センター)
○明治政府へのレジスタンスだった祖父と祖父を受け入れた奥
 私はなぜ奥(国頭村・沖縄島最北端の集落)に生まれたか。明治政府に抵抗した兄弟が那覇にいた。その兄弟は薩摩の屯田兵から逃れて山原に逃げ込んだのだった。最初は国頭の浜という集落に逃げた。兄は美しい字を書いたので「墨学問がある」と言われ国頭間切の吏員となり、宮城家の婿となった。自分の祖父である弟は奥まで逃げた。首里から山原
に逃げて住んだ屋取(ヤードゥイ)、奥では差別されずに普通に住むことができた。(註:屋取とは王国時代に首里や那覇の士族が沖縄本島各地に移住・帰農したこと。その集落を屋取集落という。)奥には色々な所から流れてきた人が住んだ。奥の共同店は、兵役で九州に行き炭鉱の消費組合を学んで帰った人たちが作った。奥は、新しいものを受け入れ、
差別をしないという土地柄である。父は製材所を作った。が本土の商品に押されて倒産した。
○ブラジル移民かなわず満蒙開拓青少年義勇軍へ
 当時は沖縄経済が悪化し農業は疲弊。次男以下は家を出されることも多かった。高等小学校2年?のときブラジル移民に加わろうとした。ブラジル移民も制限が厳しくなってきていたが「呼び寄せ移民」ということで応募した。しかしその希望はかなえられなかった。沖縄県庁で初めて募集された満蒙開拓青少年義勇軍に応募したら、無試験で合格となっ
た。茨城の内原の訓練所に入った。ここには徳田球一の弟がいて沖縄の人を探しているということで知り合いになった。青少年義勇軍では幹部訓練を受けた。満州国の官吏の半分はその中から出すとのことだった。
 渡満は13歳。満州ではハルピンの訓練所に入った。ハルピンは白系ロシア人が作った美しい街。満州国は部長(大臣)や知事は中国人だったが、実権を持つ副部長、副知事は日本人だった。訓練所で習ったことの中には石原莞爾の思想的影響が強く見られた。旧満州国とその支配の論理は支離滅裂なものであった。
○反満抗日、被抑圧者の連帯を知り医者を志す
 1939年14歳の正月に、街で反日ビラをもらった。表は中国語で裏は日本語。内容は中国、朝鮮、琉球が日本帝国主義の犠牲となっており、反日闘争の兄弟として連帯を呼びかけるというもので、反満抗日司令ヤンチンユエ?によるものだった。彼は中国共産党満州支部の軍指令だった。
 私は、このビラを小さく折りたたんで上着のポケットに隠し持ち歩いた。天皇制に対する疑問が生じ、おりしも紀元二千六百年(1940年)を迎えようとしていたが、中国史を調べてその矛盾に気づかされた。秦の始皇帝は天皇より古いではないか。そこで奥地へ馬に乗り銃を携えて約2週間、反満抗日の軍に会いに行った。あちこち探したが会えず、ある人にまだ子どもだからと返れと諭されて帰った。その後「兄弟」に役立つ仕事がしたいと思い、医者を志した。義勇軍は転職を認められていなかったが、ハルピンの秋林百貨店の近くに新設された義勇軍病院にコネをつけて見習いとなり、成績優秀だったので、訓練所長加藤完治のはからいで兵役が終了すれば医者の勉強をさせてやる(ハルピン医科大学へ入学)ということになった。
○関東軍に入隊し南下して宮古に上陸
 そこですぐ兵役に志願し、吉林で関東軍に入った。太平洋戦争急をつげ1944年の関東軍南下策により、釜山、呉、桜島を通って南進したが、宮古島でそれ以上進めなくなり上陸することになった。人口4、5万の島に約2万の軍隊が駐留したのである。食料を自給しなければならず食料を生産する「自活部隊」の班長に任命された。私は畑を接収された農民が「この畑は命です」と言って抵抗するのを目の当たりにした。私は軍が島民の家畜や財産などを盗むことに抗議したため、島民の間ではしだいに有名になった。軍は海上特攻隊として、あかつき部隊を組織した。
 軍用車のエンジンと爆弾を使ってベニヤ板で特攻用の舟艇を作る計画を立てたが、設計図も技術も無く米軍仰撃には間に合わなかった。本土から最後の輸送船が来た。乗員の中に朝鮮人軍夫200人がいた。この船を陸地に座礁させた後、人力で積荷を陸揚げするための要員だった。積荷には航空用ガソリンや連合国製の機関銃があった。私は、この機銃を船に据え付けて、米グラマン戦闘機の攻撃に備える部隊の指揮官に任命された。部隊は各隊で不要となった兵の寄せ集めで、中には3回以上も徴兵され、子どもも多い四十代の人らもいた。輸送船でもたらされた酒を飲ませて話を聞くと、徴兵に対する怨嗟の声が噴出した。機関銃を操作できるのは私だけだった。勝ち目はほとんどなかったが「おれが必ず敵機を撃ち落して守ってやる」と言って、部下の兵士を鼓舞した。人殺しはしてはならないと本当に思うが、兄弟である朝鮮人軍夫も守らなくてはと思った。
○「やんばる班長」は死なず
 グラマン戦闘機がやってくると周囲にいた弾帯を持つ係りの兵士などはあっという間にやられてしまった。私は機関銃を何発か撃ったがすぐに周囲の炎に目をやられてしまった。船は沈み、意識もほとんどなく誰かに押し上げられて何かにつかまることができ、かろうじて浮いていた。
 長い時間がたって海軍の船が助けに来た。野戦病院では生死の境をさまよった。たくさんの人が歌を歌っていたのをおぼろげながら記憶している。見ていた人によれば私はグラマンを2機か3機撃墜したということになっていた。当時「やんばる班長」とよばれていた私は島民に信頼があり、しかも敵機を2機撃ち落したというので英雄扱い、野戦病院でも破格の待遇を受けた。多くの人が輸血をしてくれたし、意識のない私に海軍秘蔵のウイスキーを飲ませて気付けをこころみたり、皆で歌を歌って私を元気付けようとしたということだ。自分でやっと動けるようになったころ軍の使者が来て、私は二階級特進して少尉となった上に金鵄勲章を授与されるとのことだった。しかしその後に待ち構える過酷な運命について、私は全く知るすべもなかった。時は1945年だった。
(石倉祐志、Sun, 28 Nov 2004 21:43)
*【南の風】第1381号(2004年11月29日)


◆第101回:桑原重美「私と沖縄−御嶽(うたき)めぐり」 
                       *写真■20041029
<案内> 台風一過のさわやかな秋晴れに心弾む今日この頃です。皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
 今回は、この間沖縄に足しげく通われて御嶽(うたき)を撮影されているフリーランスカメラマンの桑原重美さんをゲストに迎えて、映像や話題を提供していただきます。集落や共同体の聖域である御嶽は、沖縄の地域共同体の祭りや年中行事のかなめとも言えるでしょう。桑原さんの足でかせいだお話、乞ご期待!
 さて、沖縄の集落・字にこだわって字誌の研究を進めていらっしゃるのが名桜大学教授中村誠司さんです。発刊したばかりの「東アジア社会教育研究」第9号には、中村誠司さんの「沖縄の字誌等書誌目録」が収録されています。今回は桑原さんの話題に加えて小林文人先生に「第9号」合評もかねたコメントをいただきます。
 沖縄はこの研究会の原点と言えるかもしれません。沖縄の地域をじっくり語る夕べとなるでしょう。皆様ふるってご参集いただきますようご案内申し上げます。
にちじ:2004年10月29日(金)18:30〜20:30
ばしょ:高井戸区民センター(京王井の頭線「高井戸」下車)
なかみ:(1) 私と沖縄・御嶽(うたき)めぐり   桑原重美(カメラマン)
   (2) 「中村誠司・沖縄の字誌等書誌目録」をめぐって(第9号合評) 小林文人
*終了後は恒例の交流会
  高井戸駅近く「イーストビレッジ」電話03-5346-2077(いつもの場所)
  〔連絡先〕 石倉祐志 〒193-0845八王子市初沢町1389-38コーポ井上201
桑原重美さん(20011029)

<報告>

参加者:上里佑子、高田普次夫、上原信夫、中山侑義、萩原敬子、桑原重美、小林文人、石倉祐志
 今回の参加者は異色の取り合わせ。上里佑子さんは那覇出身、杉並在住で、2001年3月に名護で開かれた「徳田球一を語る会」で小林先生、内田純一さんと出会った方で3年ぶりの参加。今回の沖縄テーマの御案内に応えて、いずれも沖縄出身の高田普次夫、上原信夫、中山侑義の各氏とともに参加されました。高田さんは沖縄の文化に造詣が深く博学な方。上原さんは中国語が堪能で特定非営利活動法人NPO日本中国留学生研修性援護協会の理事長をなさっています。中山さんはお茶などを扱う徳金商店の店主。
 さて、桑原重美さんの報告は写真をテレビ画面に写しながら、1,琉球七嶽、2,今帰仁ぬぶい(今帰仁を中心とする御嶽の巡礼)・東(あがり)うまーい(東側の御嶽の巡礼)、3,安和・屋部の御嶽、4,天仁屋・嘉陽の御嶽について紹介されました。1時間足らずの間に沖縄を駆け足で何周もしたような気分。「御嶽(うたき)を見ていると生活が伝わってき
ます。歴史がわかる。沖縄を旅すると御嶽の話題で多くの人からいろんな話が出てきます。」とのこと。
 小林先生が仮説的に指摘された、アマミキヨなど琉球神話や開闢神につながる御嶽と、ごく普通の集落の祖霊や豊穣を祈る庶民の御嶽という視点で見ると、1,琉球七嶽、2,今帰仁ぬぶい・あがりうまーいは、前者の御嶽で、3,安和・屋部、4,天仁屋・嘉陽は、後者の御嶽であるように思えました。集落にとって御嶽は祖霊に合える場所であり、集落の起源
や歴史、あるいはアイデンティティーの象徴であるようです。また、集落と御嶽に関わって、仲松弥秀氏の研究についても触れられながら、集落とそれを取り巻く空間において「クサティ」(腰当、背後に寄り添い、信頼してよりかかる、御嶽は集落の背後のクサティ森のなかにある)、「オソイ」(やさしく保護するありさま)という言葉についても指摘されました。これに対し高田普次夫さんが「オソイ」とは「御添い」という解釈もあるなどと補足され、さらに「クバウタキ」(家屋、食料、薬、家具の材料になるクバの木の下で人々の生活が始まり、そこが聖地となって御嶽と呼ばれるようになる)について紹介されるなど、私には初めての話が次々と出てきて、興味津々の研究会となりました。
 第2テーマの沖縄の字誌については時間の都合でほんの数分だけ、小林先生から紹介がありました。重い字誌を何冊も抱えていらしたのに司会の不手際で充分時間がなく申し訳ありませんでした。(石倉祐志、Sat, 30 Oct 2004 15:56)*【南の風】第1365号(2004年10月31日)


◆第100回:津久井純「ベトナムの地域学習センター(公民館)づくり」
                          *写真■20041001
<案内> 残暑のなかにも秋の気配が感じられるようになりました。皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか。第100回研究会のご案内です。
 今回は、津久井純さんにベトナムの公民館づくりについて報告をいただきます。津久井さんはNGO日本ユネスコ協会連盟のベトナムプロジェクトを担当されています。6月からベトナムに赴任して北部山岳地域の村々が地域共同学習センターをつくる事業を支援、日本の公民館をモデルにして、これら施設・プログラム内容を充実させていくことに取り組んでいます。
 この度一時帰国されるとのこと。この機会に、報告をいただくことになりました。
 これに加えて、新版「東アジア社会教育研究」第9号の合評会を含め、各国からの留学生の皆さんにも呼びかけ、東アジア社会教育・研究交流のこれからについて自由発言をいただきます。
 今回は記念すべき第100回研究会となります。皆様ふるってご参集いただきますようご案内申し上げます。
 》》》日時と会場がいつもと変わります。ご注意ください《《《
日時:9月24日(金)定例研究会は八重山訪問等のため10月1日に変更。
会場:(高井戸ではなく)永福和泉区民センター第一集会室(永福町駅)。
   *あわせて交流会場も変更します(西永福「メープル」)。   
にちじ:2004年10月1日(金)18:30〜20:30
ばしょ:永福和泉地域区民センター(第一集会室)
     (京王井の頭線永福町駅下車3分 井の頭通りを明大前方向へ150m
      スーパー三浦屋の角を左折して30m)
なかみ:(1)ベトナムの地域学習センター(公民館)づくり
        報告:津久井純氏(日本ユネスコ協会連盟、在ハノイ)
      (2)東アジア社会教育・研究交流のこれから・自由発言
        −新刊「東アジア社会教育研究」第9号合評をかねて−
        報告:中・韓・台・モンゴル等の若い研究者・留学生
      (3)『東アジア社会教育研究』第9号の発刊−経過、今後の課題
                           (編集長 石倉祐志)
交流会
:終了後(20:30〜):会場「メープル」Tel 03-3325-3622
     (永福町駅より井の頭通り西永福方向へ、約400m、徒歩5分)
連絡先:〒193-0845八王子市初沢町1389-38コーポ井上201
      電/fax0426-68-3677、携帯080-1046-0600石倉祐志

<報告>

参加者:津久井淳(日本ユネスコ協会連盟)、王曉華(学芸大院)、竹峰誠一郎(早大院)、野和田将太(川崎市中原区役所)、トックタホ(都立大院)、包聯群(東大院)、王雪萍(慶大院)、白メイ、近藤恵美子、小林茂子(以上中大院)、江頭晃子(アンティ多摩)、張林新(烟台本州日本語学校校長・日大院)、山口真理子(調布市立図書館)、伊藤長和(高津市民館長)、岩本陽児(和光大学・交流会のみ)、小林文人、石倉祐志
 わが研究会での「東アジア」の範囲にベトナムは入るのか?これまで一度も取り上げたことがなかったベトナムからの津久井報告は大変興味深いものでした。私たちは研究会第100回にして新たな研究的フロンティアに一歩を踏み出したと言えるのかもしれません。
 津久井淳さんは、日本ユネスコ協会連盟のベトナムプロジェクトを担当され、ベトナム北部地域の村々が地域共同学習センターをつくる事業を支援する仕事をされています。今回はベトナムにおけるチュンタム・ホックタップ・コンドン(それぞれの語は、中心・学習・共同という漢語に対応し地域学習センターと訳す)について、写真なども紹介しなが
ら、政策的背景、その起源、普及状況、活動内容を押さえ、「社会主義国家における教育の役割」「学習振興会」「少数民族」などのトピックを提示されました。
 これに対し小林先生からこの報告の位置づけとして3点のコメントがありました。(1) ベトナムと朝鮮の類似点(儒教・漢字文化圏、植民地支配、独自の文字を持つ、戦争−朝鮮戦争・ベトナム戦争、等々)(2)少数民族の存在と識字問題、(3) 社会主義国家体制での政治統制と教育の問題(中国との比較)。またリアクションとしては、少数民族の母
語による教育の問題について質問が出され、学習者の母語教育への意欲の点でのベトナムとモンゴルの比較など興味深い議論となりました。
 テーマ(2)は交流会に譲り、(3)『東アジア社会教育研究』第9号については、いくつもの課題はあるもののこれを克服しつつ第10号への出発を確認しました。参加者から第10号への投稿の意欲を示す人が複数現れたこともこれまでにない嬉しいニュースです。
 交流会では、第100回にふさわしく各参加者から迫力ある発言が相次ぎ、若さみなぎる交流の場となりました。また和光大学の岩本陽児さんが駆けつけて、中秋の名月にちなんで高らかに日本古謡「うさぎ」を歌い上げました。留学生からは包聯群さんのモンゴルの「乾杯」歌が披露され、小林先生が「大海(ターハイ)」で返され、山口真理子さんの「切手のない贈り物」は皆で合唱、など楽しいひと時となりました。
(石倉祐志、Sat, 2 Oct 2004 11:47) *【南の風】第1348号(2004年10月3日)


◆2004・社会教育研究全国集会・第2日夜「沖縄を囲むつどい」
                 *写真■20040829
 日時:2004年8月29日、
 会場:福島県会津・磐梯温泉
 全国集会の第二日(8月29日、磐梯)夜「この指とまれ・沖縄の集い」はすっかり定着したようです。もう20年前後になりましょうか、当時の沖縄社会教育研究会(東京学芸大学・社会教育研究室)がよびかけて定番となってきました。
 毎年の常連もあれば、初めての参加(松下拡さん、松岡伸也さん、伊東秀明さん等)、他のプログラムに出たあと?の参加や通りすがりの人などいろいろ。珍しいところでは、中村誠司さん(名桜大学)とのご縁もあり、北海道西興部(にしおこっぺ)鎌谷俊夫さんなどオホーツクの方々、東北大学・高橋満さんも最後までお付き合いいただきました。
 今年の目玉は、なんといっても全国集会初参加の松田毅さん(この4月より名護市社会教育課長)の古武道演技と、秘蔵の古酒カメから汲んだきた中村誠司さんの山原島酒2本。したたかに酔いました。
 松田毅さんが空手の達人とは聞いていましたが、これほどの迫力とは知らず。2本の鎌やクサリ?などの武具を持参しての、裂帛の気合、迫真の演技。介添えは宮里幹成さん(名護市社会教育主事)。写真をホームページに数葉掲げておきました。全国集会も44回にして初めて琉球古武道に出会ったかたち。
 私たちの研究会はいつも歌をうたう習わしです。名護「二見情話」は松田毅さんの名調子、文武両道とはこのことか。この名歌は、その昔いつも稲嶺進さん(もと社会教育主事、この7月に収入役より教育長に就任とのこと)に無理強いしてきた思い出もあり、懐かしい限り。
 当夜の幹事役は邑楽町・石原照盛さん。海勢頭豊の歌詞を用意していました(月桃、喜瀬武原など)。さすが! ところがいつもの歌姫がいない。年寄りのぶんじんが歌わせられる始末とあいなり、これは最悪の出来でした。(小林ぶんじん)
*【南の風】第1330号(2004年9月3日)ぶんじん日誌より転載


◆第99回:谷和明、石倉祐志「ハンブルク・アルトナーレ訪問レポート」
日時:2004年7月23日(金)18:30〜20:30
於:高井戸区民センター第1和室
テーマ:ハンブルク・アルトナーレ訪問レポート
報告:谷和明、石倉祐志
参加者:楊武勲(台湾・国際曁南大学教員内定)、王雪萍(慶大・博士課程)、金子満(文科省生涯学習政策局・途中から)、栗山究(早稲田大学・院)、伊東秀明(横浜市役所磯子支所)、谷和明(東京外国語大学)、小林文人、山口真理子(交流会のみ)、石倉祐志

 テーマのアルトナーレ訪問というのは、ハンブルク・アルトナ区を中心として、社会文化運動に取り組む人々へのインタビューと交流を目的に、この6月に谷和明先生のコーディネートにより行なわれた社会文化学会の共同調査のことです。
 まず石倉より社会文化運動についての簡略な紹介と今回調査について報告しました。参加者からの質問や提起としては、「今回訪問した社会文化センターのほとんどが“占拠”によって始まっている点はその公共的、法的問題についての整理が課題。」「台湾では国民党独裁を脱した88 年頃から社区大学を始めとして地域での自由で多様な展開が始まり、ハンブルクの状況に似ているかもしれない。」などでした。
 谷先生からは質問に対応しつつ補足として「最近社会文化センターで学校教育の午後のプログラムが実施されはじめていることについては、もともと子どもは社会団体の様々な企画で放課後を過ごしてきた背景があること、学校全日化にともないゾチアル・ペダゴーギク(社会的教育)の分野が今ドイツで出番となっている状況があること、しかしこれには
 学校教育に取り込まれてしまわないようにという警鐘もならされていること。」「社会文化センターの運営はフェアライン(登録団体、日本のNPOに当たる)によるが、あまり機能していないように見える。むしろ中心の職員の市民的豊かさに注目したい。社会文化センターの職員は市民的エートスをもった市民活動家そのものであり、職員ではあるが中心的な市民ととらえたほうがよい。」などの指摘がありました。
 今回は、「東アジア社会教育研究 第9号」にも執筆され台湾の大学開放について研究されている楊武勲さんが来会。台湾・国際曁南大学教員に内定し、まもなく台湾に発たれるとのことでお祝いをしました。また、第9号に投稿された王雪萍さんがいらっしゃいました。王雪萍さんは慶應義塾大学政策メディア研究科博士課程に在籍。教育と日中関係を課題にしており、友人から借りた「第7号」を見て、自分のテーマに合致する学術誌を見いだしたとのこと。嬉しい限りです。
 さらに、途中からは金子満さんが現れ、このたび文部科学省生涯学習政策局調査企画課外国調査係に就職、韓国を一手に担当するとのことでした。交流会では山口真理子さんが駆けつけ、小林先生宅に石垣・平久保の米盛三千弘さんから届いたパパイヤ・パインなどおいしい果物をいただき、楊武勲、王雪萍、金子満の3氏それぞれの前途を祝って、乾杯しました。
 次回は、「第99回ダッシュ」として8月29日、社会教育研究全国集会・猪苗代大会で「このゆびとまれ・沖縄を囲む」会を開催。記念すべき第100回研究会は9月24日(金)となります。東アジアの各国の若い世代からの発言が、活発に飛び交う会となるよう準備を進めますので、ぜひ皆様ご予定くださいますようお願いいたします。
(石倉祐志、Tue, 27 Jul 2004 00:43)*【南の風】第1311号(7月27日)

<ニュース>2004年6月定例研究会中止の顛末(ぶんじん)南の風1293号>
 6月25日(金)夜はもともと定例研究会でした。しかし次のような理由で中止といたしました。「6月5日にTOAFAEC総会、7月11日に恒例の七夕の会(ただし今年はエジプトから来日するアーデルさんの
結婚お祝いの会に切り替える)を行うため、定例研究会は中止することになりました。小林ぶんじんはこの日まだドイツより帰国できず、石倉事務局長も帰国直後(おそらく時差ぼけ)という事情も重なっています。ご了承下さい。」(ホームページ・6月スケジュールのサイト)
 その後突発的な事情のため、ぶんじんはドイツ行きを中止。それでも「予告通り中止とします」「第99回研究会は7月定例会(7月23日)として行う予定です」と書き添えました。しかしHPの記事だけでは明
らかに周知不足! 結果としてご迷惑をかけてしまいました。
 当夜7時過ぎ、定例会場の高井戸区民センター(杉並区)から「横浜の伊東です、今晩の研究会はどうなったのですか?」との電話。恐縮してしまいました。いつも交流会場へ移動する時刻の8時半頃には、山口真理子さんから「イーストビレッジに待っているけど、誰も来ない・・」と。真理子さんにも中止が伝わっていなかったのかと忸怩たる思い。
 今夕(6月25日)、岩本陽児さんから同報で来たメール。「石倉さま、興味深い風の記事、拝読しました。長旅お疲れ様でした。ご報告、楽しみにしています。けど、1時から会議がみっしりで、果たして出席できるかどうか。三番目の将来構想委員会と言うのが曲者です。・・・と思って、念のためHPをチェックしてみたら、なんとお休みなのですね。では、ちょっと残念ですが、こころおきなく会議に没頭?できます。分かってよかった。…以下略…」
 すこし救われました。しかし、定例研究会はなかなか中止できなくなりましたね。


◆第98回:タクタホ・包聯群ほか「フフ・モンゴル・オドム運動のこれから」
                                 *写真■20040521
<案内> 風薫る5月のTOAFAEC研究会を下記のとおり開催いたします。…
 今回はテーマを「フフ・モンゴル・オドム運動のこれから」とし、都立大学大学院のトッグタホ、東大大学院の包蓮春、同じく小軍、の皆さんから報告をいただきます。
 「フフ・モンゴル・オドム」とは「青きモンゴルの子孫」という意味で、中国の内モンゴル自治区やモンゴル国などから日本にやってきた留学生の組織の名称です。2001年5月以来、地域での文化交流、留学生同士の互助、モンゴルの小学生への就学支援などの取り組みを進めてきました。イベントとしてもこれまでに、多数のモンゴル民族コンサート、モンゴルの祭り「ナーダム」の開催などを行なってきました。また、2002年9月には宗慶齢基金会と合同で「モンゴルの草原と子どもたちに出会う旅」が企画され、TOAFAECの主要メンバーもこれに参加しました。
 内モンゴルではここ5年ほどの間に、発展する中国沿岸部との経済格差が目立つようになってきており、これにともない中国語化が加速しています。教育を受け、高校、大学と進んできた優秀な若者たちが、モンゴル民族の牧民の子としてモンゴル語で育ったことによって就職の道が狭められているという現実もあり、これがモンゴルからの日本への留学者の増加の一因ともなっています。模範的とも言われてきた中国の少数民族政策も深い問題を抱えているようです。言語、文化、労働、地域経済など複雑な問題構造のなかで若い彼らはどんな活動を推し進めようとしているのか。報告に期待します。
 今回はこれに加え、当研究会の古い会員であるカイロ大学助教授アーデル・アミン・サーレさんが来日され、ゲストとして来会されます。
にちじ:2004年5月21日(金)18:30〜20:30 ばしょ:高井戸区民センター
なかみ:フフ・モンゴル・オドム運動のこれから
報告:1、フフ・モンゴル・オドムの活動報告=套図格(都立大院)
    2,黒瀧江省ドルベト自治県のモンゴル族教育現状=包蓮春(東大院)
    3,フフ・モンゴル・オドムの今後の活動について=小軍(東大院)
ゲスト:Dr.アーデル(カイロ大学)
*終了後、恒例の交流会 高井戸駅近く「イーストビレッジ」電話03-5346-2077
(石倉祐志 南の風1264号 2004年5月11日)
報告>
参加者(敬称略):内モンゴル留学生・トックタホ、包聯群、小軍、ハスゲレル(都立大院)、リチン(李珍、和光大学研究生)、チョウリンバゴン(朝倫巴根、同)。Dr.アーデル(カイロ大学)、韓国の朴三植、烟台の張林新、川崎の伊藤長和、東京の遠藤輝喜、近藤恵美子、小林文人、山口真理子、石倉祐志
 内モンゴルからの留学生が日本に5000人いるとは驚きです。
TOAFAECでは、中国の内モンゴル自治区やモンゴル国などから日本にやってきた留学生の組織である「フフ・モンゴル・オドム(青きモンゴルの子孫)」の活動について、支援して来ました。今回はトックタホ(都立大・院)さんからこの間の活動について報告があり、次に黒瀧江省ドルベト自治県出身の包聯群(東大・院)さんからモンゴル語や民族教育の衰退の危機的状況についての切実な報告、そして、小軍(東大・院)さんから今後の展望についてのコメントがありました。
 包聯群さんの黒瀧江省ドルベト自治県は、内モンゴルと比べ中国語化の進行がさらに強い地域で、内モンゴルの言語、教育、民族文化の危機進行の先端的な事例がここに見ることができます。包聯群さんの撮ってきた街の看板の写真からは一つの象徴的事実を知ることができます。人民政府などの公的機関の看板ではモンゴル語と中国語が同じ大きさで併記されています。しかし、街中のレストランや商店の看板ではモンゴル語が小さかったり、意味も分からず逆さまに表示されていたりしているのでした。
 中国の少数民族政策は優れているという見方がありますが、建前の平等とは別の矛盾的現実があると小林先生が指摘。モンゴルの民族文化は政策の一方で市場経済の側面から確実にダメージを受けています。また、別の写真は火事で焼け落ちた小学校を撮ったものでした。これはモンゴル民族の村の小学校で、国からの援助が皆無にもかかわらず村人が資金を出し合って建てたモンゴル語の小学校があった跡です。現在は「青空学級」でしのいでいるけれど、再建に国家の援助もなく、近所の漢民族小学校の立派な施設に通うようにうながされているとのことでした。モンゴルの優れた若者たちはモンゴル語の市場が狭まっているため就職できないことが多く、これが日本留学への強い追風となっていることは否めません。
 今回のゲスト、カイロ大学のアーデルさん(社会言語学)は二言語政策は人権の基本であることを指摘され、ふるさとエジプトの村で病院や公民館をつくり、女性支援センターなどの取り組みについても語られました。また、久々参加の朴三植さん(植民地期韓国・朝鮮における言語政策、識字教育)は博士論文「植民地支配下における朝鮮人と日本語−二重性の民族性創出研究−」をまとめられた立場から、朝鮮の言語の歴史から見るとモンゴルも希望がないわけではないと励ましました。
 小軍さん(モンゴル現代史研究)の指摘では外モンゴル(現モンゴル国・250万人)と内モンゴル(現中国内モンゴル自治区・400万人)の分断は1907年日露協商秘密条約による日露勢力圏の境界線によるものであり、これが露中に引き継がれて今日に至っている。植民地支配による分断、中国語市場化による民族文化危機状況のなかで、彼は今、「内モンゴル発展構想」を打ち立て、中国そのものにもプラスになるものにしていきたいという。川崎の伊藤長和さんからはそれが民族アイデンティティの確立と漢民族との共生の道でもあるとの指摘がありました。今回は青きモンゴルの志士たちの熱気で議論が止まらず、いつもより大幅に時間超過した研究会となりました。
 交流会は、小林富美、山口真理子、張林新の三人が駆けつけエジプト、モンゴル、中国、などの歌が飛び交う大盛況でした。
 次回は6月5日TOAFAEC 総会(調布市文化会館たづくり11階1103会議室17:30〜19:00その後交流会)を経て、6月25日(金)。毎年6月は沖縄のテーマに取り組んでおりますが、今後の情報にご期待ください。(石倉祐志、Tue, 25 May 2004 00:57) *【南の風】第1272号(5月25日)


◆第97回:白メイ、黄丹青「福建省生涯学習をめぐる動き」
                             *写真■200404
<案内> 東京ではさくらの季節も過ぎ、新緑が目に鮮やかな季節となりました。… 4月のTOAFAEC研究会を下記のとおり開催いたします。初めての方もそうでない方も、ふるって御参加ください。
 これまで中国の動向については、上海、烟台、広州、内モンゴル自治区などについて報告されてきましたが、今回は経済成長著しい中国沿海部のど真ん中、台湾と深いつながりを持つ福建省についてのリポートです。福建省では現在進行中の終身教育(生涯教育)条例制定の動きがあります。福建師範大学から小林先生のところに「終身教育」(季刊)など、いくつかの新しい資料が届いています。これらについて、中央大学大学院修士課程の白メイさん(福建省・廈門=アモイ出身)と黄丹青さんにリポートしていただきます。
にちじ:4月23日(金)18:30〜20:30  ばしょ:高井戸区民センター第五集会室
なかみ:福建省生涯学習をめぐる動き 報告:白メイ(中央大学・院)、黄丹青、小林文人
*終了後、恒例の交流会 高井戸駅近く「イーストビレッジ」電話03-5346-2077
(石倉祐志 南の風1250号 2004年4月14日)
<報告>
参加者<敬称略、順不同>:
 白メイ、黄丹青、小林文人、樋口知子(元エイデル研究所)、津久井純(ICA文化事業協会)、近藤恵美子(中央大学・博士課程)、小林茂子(中央大学・博士課程)、トッグタホ(套図格・都立大学・修士二年・内モンゴル)、桑原重美(フリーランスカメラマン)、山口真理子(調布市図書館・交流会のみ)、石倉祐志
 久方ぶりで津久井純さんがご来会。6月からベトナムで「コウミンカン」作り(!)をされる予定とのこと。10月帰国時には当研究会での報告を快諾いただきました。そして、初来会は樋口知子さん。3人のお子さんとパートナーの白井健二(多摩少年院)さんとともに東京に引っ越してこられました。
 さて今回は福建師範大学の陳宜安氏(継続教育学院長)から小林先生に届いたいくつかの新しい資料(華東師範大学の呉遵民氏からは手紙)についてのリポートです。これは小林・末本・呉編著「当代社会教育新視野」(上海教育出版社・2003)が契機になったようです。
 白メイさんが翻訳して用意した資料はA4判16頁にわたる膨大なもの。資料リスト、関係年表、福建師範大学成人教育学院編集・発行の季刊『終身教育』創刊号の目次と梗概をはじめ、全人代委員・福建省人代常委会副主任・林強氏の論文「『全民生涯学習法』制定に関する考察」、「福建省生涯教育条例」立法研究セミナーのパンフレットなど、その努力が大きく評価されるものでした。
 新聞記事などからの分析で、福建省の動きが中国各地からの注目を集めていることも指摘されました。小林先生は1945年以降の東アジア社会教育の法制動向を俯瞰する大マトリクスを黒板いっぱいに展開され、福建省の生涯学習動向の位置付けを示されました。黄丹青さんは、現在進行中の福建省終身教育条例の準備過程において、日本・生涯教育振興整備法、韓国・平成教育法、台湾・終身学習法などからの「取り込み」が見られる点を指摘されました。日本法からの取り込みは誤解ともみられるものもあるとの小林先生の議論は興味深いものでした。今回は東アジアの生涯教育法制動向の全体像についての理論的関心も深まりましたが、福建省資料についてはじっくり読み込み分析していくことが課題です。9月発行予定の「東アジア社会教育研究」第9号へもいくつかの資料と解題を掲載する(編集委員・呉遵民氏の意向も聞く)方向で検討する予定です。
 次回は、5月21日(第3金曜となりますのでご注意!)。モンゴル民族の日本留学生の組織「フフ・モンゴル・オドム」の活動について、都立大・院のトッグタホさんや東大・院の小軍さんから報告をいただきます。それに加え、来日されるカイロ大学助教授アーデル・アミン・サーレさんの出席も予想されます。モンゴルとエジプトという絶妙?の組み合わせに請う御期待!(石倉祐志、Sun, 25 Apr 2004 00:08)
*【南の風】第1257号(4月28日)


◆第96回:内田純一「社会教育研究の道−これまでとこれから
                                     *写真■20040319
 19日・金曜日のTOAFAEC スペシャルイベント(下記)が何とか成功しほっとしております。野村千寿子さんの「なごり雪」を久しぶりに聴きましたが、昨日の高尾はまさになごり雪が降りました。今日は暖かく、霊園が多いため、お彼岸の人波で混雑しています。
 報告がどうも長くなってしまいました、すみません。

○第96回TOAFAEC定例(3月)研究会
 テーマ:社会教育研究の道−これまでとこれから 内田純一氏
 日時:2004年3月19日(金)18:30〜20:00 於:高井戸区民センター
 参加者:内田純一、小針鶴子、奥原光子(以上国立市民)、野村千寿子(大田区教育委員会)、白メイ、近藤恵美子、小林茂子(以上、中央大学・院)、トッグタホ(都立大・院)、チャガン・ボルグ(和光大学・院)、染谷美智子(和光大学研究生)、石川敬史(工学院大学図書館)、桑原重美(フリーランスカメラマン)、伊藤秀明(横浜市役所磯子支所)、遠藤輝喜(渋谷区教育委員会)、張林新(山東省・烟台日本語学校)、伊藤長和(川崎市生涯学習振興事業団)、小林文人、石倉祐志(生活クラブ生協連合会)。
交流会のみ:山口真理子(調布市図書館)、山添路子(エイデル研究所)、萩原敬子(佐久間クリニック) <以上、敬称略>
 今回は、この研究会の事務局長を最初から務められ、4月から高知大学助教授に赴任する内田純一さんに、“これまでとこれから”のことを語っていただきました。
 内田さんはまず、この15年ほどの歩み 〜学会、社全協、TOAFAEC、非常勤講師、組合活動、職場〜を振り返りながら、都立教育研究所が東京都教職員研修センターへ改組される過程にあって、矛盾と葛藤のなかで続けてこられた15本の研究業績を含め、ややライフヒストリー的に語られました。内田さんは日ごろ控え目な人だけに、今回の話はこれまでほとんど誰も知らなかった内容、参加者に驚きの声が多々ありました。
 内田さんが東京都職員研修センターで、深い矛盾を内在化させながら積み重ねてきたものは何だったのか。それは「従属しつつも異議を留保し」闘いを放棄しない姿勢、負けずに仕事を持続して掴み取るべきものを掴むことだったのかもしれません。内田さんは肉体の限界線で綱渡りしながらも、厳しくもまた誠実な努力を重ねつつ、それをなしたのではなかったか。
 今現場にいて仕事を維持していくことは厳しい。低劣な労働条件、上司の抑圧、同僚との軋轢、政策路線のちがい、お上意識との闘い。こうしたマイナーな条件を抱えながら、市民の個々や集団ともある意味対決していかなければならない。知性を問われ行動を問われ生き方への誠実さを問われる困難な仕事だと思う。現場で歯を食いしばって奮闘している人たちにとって、内田さんが放棄しないで進んできたこの一本の細い道筋は、一つの光明と見ることができるのではないかとおもわれました。
 今後の方向性として内田さんは、行財政(学校を含む)、地域(公民館など)と運動、沖縄・東アジア研究をあげられました。高知大学では社会教育・生涯学習の授業を多数持たれるということです。
 イーストビレッジへ会場を移しての祝宴はこれまでにない盛況でした。トッグタホさんのモンゴルの歌、山口真理子さんが歌詞用意した「春一番」「涙そうそう」を皆で合唱。近藤恵美子さんが中大ゆかりの「惜別の歌」を一節歌い皆がそのあとハミングするなか、遠藤輝喜さんが祝いの演説をしました。野村千寿子さんが用意した花束を贈呈して最高潮でした。内田純一さんのご活躍をお祈りします。
 さて、次回は4月23日(金)−連休のため予定を1週間早める−。中国・福建省に生涯教育法制化(終身教育条例)の動きがあり、いくつかの資料が届いています。これらに基づいて、中央大学大学院修士課程の白メイさん(もし可能ならば黄丹青さんにも)にリポートしていただきます。経済成長著しい中国沿海部のど真ん中、台湾とつながりをもつ福建省の動向に注目したいと思います。(石倉祐志、Sun, 21 Mar 2004 13:18) 
*【南の風】第1237号(3月22日)




◆第95回:地頭所冨士子「社会教育を記録する−東京・杉並
<案内> 梅のたよりがちらほらと聞こえてくる季節となりました。皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
 さて、今回のテーマは、地域にとっての「自分史」づくりであり、同時に市民レベルの地域社会教育史への新たな挑戦ともいえる、杉並の社会教育を記録する会のとりくみです。杉並の社会教育を記録する会の地頭所冨士子さんと当研究会代表の小林文人氏との対談でじっくり語ります。沖縄の住民主体の地域史「字誌」の研究についてはこれまで大いに注目して取り上げてきたところですが、今回は、公民館の三多摩でもなく、23区・杉並の取り組み(それがまた意外と豊かな質と量を持っている)。じっくりと知るなかで、これからの社会教育への、とくに大都市の展望を考えるまたとない機会です。
 社会教育を学ぶ学生から市民、研究者のみなさんの幅広い参加を歓迎します。
*参考文献:杉並の社会教育を記録する会・編『学びて生きる−杉並公民館50年』(資料編)
 TOAFAECホームページに刊行の経過や、文献・解題等を収録しています。
にちじ:2月27日(金)18:30〜20:30  ばしょ:高井戸区民センター第4会議室
なかみ:社会教育を記録する−東京・杉並の取り組み−
     対談:地頭所冨士子氏(杉並の社会教育を記録する会) 小林文人氏
*終了後、恒例の交流会 高井戸駅近く「イーストビレッジ」電話03-5346-2077
(石倉祐志 南の風1218号 2004年2月16日)
<報告>
参加者:地頭所冨士子(杉並の社会教育を記録する会)、伊藤秀明(横浜市役所磯子支所)、村山道宣(木蓮社)、近藤恵美子(中央大学博士課程)、遠藤輝喜(渋谷区教育委員会)、張林新(烟台本州日本語学校校長・日本大学博士課程)、伊藤長和(川崎市生涯学習振興事業団)、小林文人、山口真理子(調布市図書館・交流会のみ)、石倉祐志(生活クラブ生協連合会)敬称略。

 今回は研究会会場の高井戸周辺を中心とする杉並区の社会教育の半世紀の歩みがテーマとなりました。小林先生がインタビュアー兼解説者となり、地頭所(じとうしょ)さんの語り、対談で綴る杉並の社会教育の一側面を、参加者の質問などを交えながら深めていきました。
 地頭所さんが杉並区に住み始めたのは1968年、当時、お子さんは0才と3才。それ以後、公民館の教養講座参加、高井戸ムーミン文庫(71)、富士見丘小学校の高速道路被害問題への取り組み(参考:山住正己「住民自治と学校教育」勁草書房)、清掃工場問題、公民館第五期市民企画講座(73〜)の企画運営委員、文庫連絡会(77)、高井戸地域区民センター図書室づくり(83)、高井戸図書館移転問題、図書館の委託問題など「子どもの文化」の側面から沢山の取り組みをしてきていることが語られました。今回の参加者は、一人の市民の経験を通じて地域の社会教育史が浮き彫りにされるさまをライブで体験できたという点でもとっても得したと思います。
 東京の社会教育においては、自らが持っているはずの大切な歴史を記録してこなかった実態があり、杉並の社会教育を記録する会のことをもっと広めていきたいという小林先生の指摘はとくに23区の社会教育に関わる人々への真摯な呼びかけでもあると思われました。この対談は録音もしましたので後に記録にすることも可能です。
 交流会では、木蓮社の村山道宣さんの、さすが東京学芸大学音楽科卒の歌声を始めて聞くことができました。交流会後、地頭所さんは自転車に乗って颯爽と帰って行かれました。
 さて、次回は3月19日(金)。当研究会事務局長を長い間務められ、4月から高知大学助教授に赴任する内田純一さんに、これまでとこれからのことを語っていただきます。内田さんが自分のことをみっちり語るなんていう機会はめったにありません。広範な参加を呼びかけます。石倉祐志、Mon, 1 Mar 2004 01:57
 *【南の風】第1228号(3月1日)


◆第94回:比嘉佑典沖縄チャンプルー文化創造論
                                *写真■200401
<案内>
 東京・沖縄・東アジア社会教育研究会の2004年の開幕は沖縄がテーマです。ゲストの比嘉佑典氏(東洋大学教授)は「山原島酒の会」の会長、中村保氏は同副会長です。先日の新年会では、二次会の「風の部屋」参加者に小林先生から、12年物の泡盛を飲ませていただきましたが、あれこそ「やんばる島酒の会」から送られた世代を超える文化としての島酒だったのでしょう。あのとき泡盛を頂いた人は今回の研究会には是非おいでください。(もちろんそうでない人も…)
 今回は、東洋大学教授である比嘉佑典先生が最近出された「沖縄チャンプルー文化創造論」という面白い本について語っていただくことになりますが、当然泡盛の話にもなるでしょう。中村保氏は沖縄県東村で村史作りの事務局長や村立博物館づくりに携わってこられ、定年前に退職して現在は東洋大学大学院博士前期課程に在籍されており、昨年5月の私たちの研究会では氏の多彩な活動を報告されました。今回もパワーのあるお話が聴けそうです。
 参考文献:比嘉佑典著「沖縄チャンプルー文化創造論」ゆい出版(沖縄県具志川市字赤道713-2 電話098-973-9872)「東アジアの海流が渦巻くところに異なる文化をチャンプルー(創造)する邦がある!チャンプルーとは創造する力である。」(この本の腰巻より)
にちじ:2004年1月30日(金)18:30〜20:30  ばしょ:高井戸区民センター第3会議室
なかみ:沖縄チャンプルー文化創造論 比嘉佑典氏(東洋大学)、中村保氏
*終了後、恒例の交流会、高井戸駅近く「イーストビレッジ」電話03-5346-2077
〔連絡先〕〒193-0845八王子市初沢町1389-38コーポ井上201
 電/fax 0426-68-3677、携帯080-1046-0600 石倉祐志  (南の風1201号 2004年1月18日)
<報告>
参加者:比嘉佑典(東洋大学)、中村保(東洋大学・院),小林茂子(中央大学・院)、桑原重美(フリーランスカメラマン)、影山愛子(和光大学3年)、岩本陽児(和光大学)、栗山究(早稲田大学・院)、チャガン・ボルグ(白泉・和光大学・院)、内田純一、伊藤長和、小林文人、石倉祐志。交流会に駆けつけてきたのは山口真理子(敬称略)
 「沖縄」は当研究会にとってやはり要の位置にあるとの思いを深くした研究会でした。比嘉佑典先生の近著「沖縄チャンプルー文化創造論」はその要を文化とアイデンティティの問題として深く掘り下げたものです。東アジア、東南アジアを広く訪ね回っているうちに、沖縄の文化は「チャンプルー」ではないかと直感された話、和辻やヘルダーを敷衍する「創造的風土」、デカルト的近代合理主義には成しえない「原初的発想」、そして「漂流物」の話はなどなど、興味の尽きないアイデア満載の語りでした。
 漂流物博物館長でもある中村保さんと比嘉先生の出会い。「東アジア、東南アジアの各地から、海流や風によって漂流して沖縄にたどり着いた様々なものを“電気洗濯機にかけてグルグル”することで様々な創造のプロセスが起きてくる」という説に展開していること。
 中村保さん(東村村史づくり事務局長、村立博物館長などを経て東洋大学大学院博士前期過程)は単位習得され、今後は沖縄に帰って活動を再開しながら博論に取り組まれるとのことです。
 比嘉先生の話の中頃で、午後の飛行機で沖縄から戻られた小林先生がおいしいサータアンダギを携えて到着。話題は山原島酒之会へ展開しました。会員30名で80石の泡盛を擁し酒造業界にも注目される取り組みになっているとのこと。「いい酒は(飲むのでなく)口に含む」「カブトムシが樹液をなめるように」「舌の上にのせる」という味わい方や、味わうことで芸術を体現化する、といった泡盛の文化論に花が咲きました。「美ら酒・美ら酔い」がキーワードでした。
 泡盛の話のおかげか交流会は大変盛り上がり、小林先生の西武門節に比嘉先生が正調のそれで応えられるという場面がありました。駆けつけてきた山口真理子さんからは平井教子さんの裁判がほぼ勝訴であったことなどが報告され、みんなで乾杯しました。そして“百万本のバラ”。
 次回は、2月27日(金)社会教育を記録する−東京・杉並の取り組み− 対談:地頭所冨士子(杉並の社会教育を記録する会)・小林文人、次々回は、3月26日(金)高知に赴任する当研究会事務局長・内田純一氏の「語り」を予定しています。
 なお、事務局は岩本さんのサポートのもと石倉が引き継ぐ体制で進めますので、こんごともよろしくお願いいたします。(石倉祐志、Sat, 31 Jan 2004 23:59 *【南の風】第1211号(2月2日)







2002年1月(71研究会)〜2003年12月(93回研究会)記録(3)→こちら■

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