植物は,静かに佇んでいるように見える。
夏,京都の高野川の川瀬を橋から見ると,まるで熱帯のようだ。
さまざまな草木が競い合ってできた緑の巨大な塊が遠くまで続いている。
それでもやはり,植物は,静かに佇んでいるように見える。
近寄ってみると,不思議な形をした毛虫が,葉に小さな穴を開けていたりする。
春には,オビカレハだろうか,たくさんの毛虫が枝の間に天幕をつくって蠢めいている。
それでもやはり,植物は,風に吹かれて,静かに佇んでいるように見える。
これが,多くの人たちが持つ植物に対する偽らざる眼差しではないだろうか。
植物を考えるに当たって重要なことは,植物はさまざまな面で我々と異なっている,という当然の事実の再認識である。我々は,たいていの他の動物もそうだが,機能が分化した決まった数の器官から構成されている。目耳は2 つだし,鼻口は1 つ,心臓は1 つで肺は1 対というように。一方,植物はどうか。葉とか,枝というモジュールの繰り返しである。金太郎飴のようにどこを取っても同じ様な構造をしている。また生存の基本である資源の利用様式もちがう。動物は3 次元空間を自由に移動し,ピンポイントに存在する餌資源を利用する。眼の前にあるラーメンは,今そこにある資源である。一方,土に根を張って動けない植物の資源はというと,光,水,養分,炭酸ガスなどだが,それは空間の中に薄く広く存在していて,いつでも手に入る。ラーメン屋の空間に薄く広く存在するラーメンなど我々にとっては理解不能である。植物は,我々と異なった次元の世界で生きている。
機能分化した生物である我々は,知らず知らずにその特性が紡ぎ出す世界観に束縛されてしまう。モジュールの繰り返し生物である植物を,我々の世界観で表現しようとすると「植物は,風に吹かれて,静かに佇んでいるように見える」となる。ところが植物は我々には理解不能な異世界の住人であり,そこでは非常にダイナミックな存在であることがわかってきている。たとえば,植物間コミュニケーションという現象がある。これはある植物が隣接する植物からでる揮発性成分(かおり)を受容し,然るべき応答をするという現象で,多くの植物で報告されている(本書の第1章 にくわしい)。しかし我々が「植物同士はかおりでコミュニケーションしているらしいよ」と聞かされた時,最初に浮かび上がってくる直感は,「植物には鼻がないじゃないか かおりに応答するわけがないだろう」というものではないだろうか。我々の価値観の単なる延長上には,植物のダイナミックな活動の真の理解はない。
作家上橋菜穂子さんのファンタジー小説「精霊の守り人」や,そのシリーズ作品における世界観は「この世界に,様々な異世界が重なってあるのだ」というものだが,現実でも,我々が認識している世界と,植物が認識している世界は重なって存在し,ただ我々は植物の世界を実感できない。その2 つの世界を行き来できるのは,昆虫だったり微生物だったりする。一例として,植物と昆虫との食物連鎖とコミュニケーションについての概念図を図1 に示した。我々が認識できる「食う- 食われる」世界は一番上にある。その世界は,植物と昆虫(図では寄生蜂を例にしている)がかおりでコミュニケーションしている世界と,植物と植物がかおりでコミュニケーションしている世界と重なって存在している。ただそれら2 つのいわゆる異世界は,素の状態の我々は認識できない。しかし,この異世界に気づいた研究者たちは,その実態を解明する研究を進めてきている。
植物の地上部だけではなく地下部の世界にまで踏み込んで,植物が基盤となる異世界における植物のダイナミックな佇まいと,それを応用して環境に優しい農業を目指す研究について,当該分野のトップランナーである研究者の方々に執筆いただくという企画をエヌ・ティー・エスから伺った時に,素晴らしく重要なことだと即座に思った。メインタイトルもエヌ・ティー・エスからのご提案の「植物の多次元コミュニケーションダイナミクス」がたいそうぴったりなので,そのまま使わせていただいた。植物のダイナミックな佇まいは,コミュニケーションという視点だけに収まらず,第3章 と第4章 では相互作用というより広い視点に立った内容となっている。他の生き物との多様なコミュニケーションや相互作用という植物の知られざる能力に関する研究成果を包括的にまとめたのは,本書が初めてである。本書を手にされた方の,植物が作り出す異世界への理解がよりいっそう深まることを期待しつつ。
2025 年1月
林 純示