データストレージ音痴世にはばかる


IT業界の若い連中の一部は、危険だと知っていながらストレージ技術の価値を軽んじ、無視している。


Storage Magazine 8月号より
Jon Toigo

 

最近IT業界の若い連中と話す機会があった。話がデータストレージ技術に及んだ時、一部の連中の常識の無さと歴史的な知恵の欠如に私が激昂するという一幕があった。同僚の一人が私を落ち着かせるために、古代の哲学者の言葉を引用してくれた。
「最近の子供達は我慢することを知らない。(そして)自分達だけが何でも知っており、我々が知恵として使ってきたものを馬鹿にしたような話し方をする」(実際これが誰の言葉なのかは、歴史学者も知らないのだが)2500年経った今でも状況はほとんど変わっていない。

事の起こりは、私が出席したデータストレージ・ソフトウェアベンダーのミーティングだ。私は他のアナリストやコンサルタントと共に、テクニカルロードマップのセッションに招かれた。そのベンダーは最近経営陣を刷新したところで、ミーティングのゴールは、新しい経営者が会社の進路を決めるお手伝いをすることだった。

我々はもちろん、今後起きる変化と、それがこの会社にもたらすであろうチャンスと障害について意見を述べた。私の見るところ、課題は単純だ。我々はフォン・ノイマンの計算機以来、全てのコンピューター・サイエンスが作ってきた基礎が疑問視されるようなテクニカル・イディオクラシー(訳註:idiocracyは、IQの低い人間が多数を占める未来社会を描いた映画(邦題『26世紀青年』)に由来する言葉と思われる。)に流れ着いてしまった。そして、これは我々の日常生活のあらゆる面で、技術の適用が加速している現在に起こっていることであり、我々がデータを保存するために持っている様々な種類の媒体以上のデータが生成されている。私の感覚からすると、このままでは取り返しのつかないことになる。

 

新しくなんか無い

市場原理という科学的とは言えない理論が主力となって、技術の破壊を行ってきた。ストレージはますます直付け化ソフトウェア定義化しているが、それらは別に独創的だからではないし、新しいからでもない。私が30年以上前にIT業界で仕事を始めた時も、主にDASが使われていた。そもそも、DASは私が業界に入る20年前にはすでに使われていたものだ。

今日のデータストレージ技術に関してひとこと言わせてもらえば、ソフトウェア定義という言葉には何の意味もない、との確信を日に日に深めている。IBMは1990年代前半にソフトウェア定義の完璧な製品を持っていた。とはいえ、ソフトウェア定義と中央一元化されたストレージは、分散システムが取って代わり、やがて沢山の付加価値ソフトウェアが組み込まれたオンボードのアレイコントローラーを使った、ベンダー独自のストレージシステムの興隆を見ることになった。ソフトウェア定義は、サーバーからアレイコントローラーへと移動した。

私がこの業界で話した若者のほとんどが、このことを知らない。彼らは、ソフトウェア定義とは、ベンダーのマーケティング担当者がどこでも使う、今時の流行り言葉だとしか思っていない。全てのストレージはソフトウェア定義であり、ソフトウェア定義のハイパーコンバージド・データセンターについての議論が今話題になっているが、直付けトポロジーへの回帰は、後退、すなわち退化だ、と私が言うと彼らは怪訝な顔をする。我々は、データ・ストレージ・トポロジーを、共有され一元管理されていたストレージから、ローカルで管理され共有が難しいストレージサイロへと後退させてしまったのだ。

 

まぼろしだった革命

若い連中は大抵、最新のストレージ用語は革命的であり、この革命は2000年代前半に始まったのだと思っている。私の意見は、業界がSANとNASによって作った混乱を非難する初期の意見のひとつであるため、多くの若者は私を初期の革命家、クラウドと「ソフトウェア定義による全て」の仲間だと誤解してしまう。私が、ハイパーバイザ・ベンダーたちはまさにその革命を早い時期に乗っ取ったのだ、と言うと彼らはびっくりする。異機種のキット用に本物の管理ツールを追加し、ソフトウェア定義のスタックであるサーバーサイドの付加価値ソフトを共有することによってストレージアレイの複雑さとコストを軽減する、といった本来行うべき改善を行わず、ハイパーバイザ・ベンダー達はその逆を行った。

まず、ハイパーバイザ・ベンダー達はコモディティ・ストレージの考えを捨て去り、ライセンスされたストレージのノードを独自の仮想SAN(vSAN)用のビルディング・ブロックに置き換えてしまった。しかも、管理性やストレージ共有の効率をほとんど改善しなかった。ソフトウェア定義のこの形態は、さらなるサイロ型基盤を生み出し、巨大な装置に取って代わったのに、同じくらいに高価だということが明らかになった。

別な言い方をすると、VMware(Microsoftやその他ハイパーバイザ・ベンダーもある程度そうだが)は、70年代におけるIBM、即ち業界の覇者になることを目指したのだ。彼らはI/Oブレンダー効果という作り話をでっちあげ、同時代のSANやNASのコストや複雑さに対する人々の怒りを煽り、ソフトウェア定義とDASモデルを復活させた。しかし、私がこれまでITの若い連中と話した限りでは、彼らは大抵このことを知らない。

ソフトウェア定義のストレージ革命は、ベンダー独自の直付け装置へのラディカルな回帰を目指したものではなかった。それは、主にデータストレージ・リソースとワークロードとデータへのサービスを、さらに迅速にする方法で自動化し、トランスペアレントにする試みだった。それは同時に、クラウドコンピューティングの興隆と、IT知識を持った消費者の減少への道を整える営為でもあった。人々はこの試みに熱狂するあまり、残念なことに一部の人達は、これが既に実現したと信じている。実現はしていない。

 

真実を見失って

ベンダーやユーザーは、クラウドストレージがあたかもフラッシュ、ディスク、光ディスク、テープと同等のものであるかのように語る。彼らはクラウドストレージの本質を理解していない。いかにも古くさいスタイルのように聞こえるだろうが、仕掛り中のサービス供給モデルでは、企業がデータセンターでデプロイしているのとまったく同じストレージメディアを使う。ある若者(自称起業家)が、このソフトウェアベンダーのミーティングで、彼もその同僚も、モノとしてのストレージ、即ち媒体、ケーブル、トポロジー、あるいはそれに類するもの、には何の興味もない、と説明した。

自称起業家がクラウドビジネスを立ち上げるやり方は、いつも機械的だ。卸値で品物が買え、webで小売りができるサプライヤーを見つける。次に、クラウドサービスを契約し、webストアを構築するために、定義済みのプロセスを使い、ストアにアクセスするアプリを作る。ストレージのような基盤は、この方程式には入ってこない。仮想のショーウィンドウを作るのは簡単だ。webが提供している写真とショーウィンドウ用のテンプレートを使えばいい。受注、セキュリティチェック、支払い処理、注文の履行といった種々の処理は必要に応じてクラウドサービス・プロバイダーから購入すればいい。要するに、彼はこれらのサービスをつなぐことでビジネスを作っている。サービスを支える基盤、特にストレージに注意を払う必要がないのだ。彼はこう主張する。世の中はますますこのようになっており、ストレージ技術自体が時代遅れになっている。従って、データストレージを理解する必要は無い、と。私は、基盤のクライアントが、事業主からクラウドサービス・プロバイダーに変わっただけなのだ、と答えた。彼のビジネス開発モデルにおいても、誰かがどこかでストレージ基盤を提供しなければならない。

彼は、私に同意しなかった。コンテナなどの新たな手法は、アプリの開発とデプロイメントを迅速に処理するために登場した、と彼は言う。アプリケーション開発の迅速化は、「全てを高速に行う」クラウドの世界では常に目標になってきた。コンテナを使う際、プログラマーはデータストレージを気にかけることは一切ない。これは、主にコンテナの技術において、データの永続性を提供する機能が欠けているせいだ。アプリを終了させると、データは失われる。彼はこれを、データの価値が一過的なものになり、データ保存の優先度が低くなったからだと捉えていた。ストレージは古臭い、と。

私は非常に驚いた。かつて私がデータセンターを管理していた頃、もし一人のプログラマーがデータ永続性なしで新規アプリケーションの開発をしたいと許可を求めてきたら、私は彼または彼女にこう言っただろう。「さっさとお引き取り下さい!」。その時自分の憤懣をぶちまける時間があれば、私は適切なストレージを重要なものにしている、データ保管に関する規則や法令について語っただろう。あるいは、データの歴史的価値と優れたデータ管理術について哲学談義をかましたかもしれない。さらには、まとまっていないのは認めざるを得ないが、データ永続性をコンテナ・プログラミングに付加する多くの試みを挙げたかもしれない。その大半は、データが様々なI/Oチャネルを経由して、システムメモリからターゲットのストレージ装置へどのように流れるかについて深い知識が要求されるものだ。

正直に言って、このミーティング以外にも、最近シリコンバレーやその他の場所へ出張をして、将来への不安を覚えた。データストレージの理解に関して、もし若い連中がこの基礎的技術を無視し軽んじ続けるのなら、次世代のITプロはビットを保存、保護するのに、現在の我々よりもっと苦労を強いられるかもしれない。前述の哲学者の言葉は、数千年に亘る技術の変化の中、時代を超えて生き残ってきた。私はふと思う。この言葉、もうあと2500年残るのではないか、と。

 

著者略歴:Jon William ToigoはIT歴30年のベテラン。Toigo Partners InternationalのCEO兼主要執行役員、Data Management Instituteの会長でもある。

 

 

 

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