◎杉並の社会教育・公民館・原水禁運動資料 (2003~2015年)   
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 (2) 関連文献、 (3) 年表
など

2,
杉並(旧)公民館関連「南の風」「記録する会」記事

3,杉並公民館・原水禁運動についての諸報告(小林)

       
4,アルバム(1980~~2005~2009)

 

 安井家訪問-資料調査 (第1回研究会、20050313)

(2024年 ノーベル平和賞)
■資料:日本原水爆被害者団体協議会・結成大会宣言(全文)

 *日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の結成は、19568月、長崎で
  開かれた第2回世界大会の第2日、810日におこなわれた。

日本原水爆被害者団体協議会結成大会宣言
世界への挨拶(全文) 1956.8.10
 原爆から11年あまりたった今になって、私たちは、はじめてこのように全国から集まること
ができました。あの瞬間に死ななかった私たちが今やっと立ち上って集まった最初の全国大会
なのでございます。今日までだまって、うつむいて、わかれわかれに、生き残ってきた私たち
が、もうだまっておれないで手をつないで立ち上ろうとして集まった大会なのでございます。
 私たちがこのように立ち上りの勇気を得ましたのは、全く昨年8月の世界大会のたまもので
あります。あの大会で同胞の皆さんや、世界の皆さんたちにかすかな声が聞きとられて、私
たちに温いまなざしが向けられ愛の手がさしのべられはじめてから、私たちは急に元気づい
てまいりました。私たちはこの機会に全世界の皆さんたちに心からの感謝と立ち上りの決意
とを披瀝したいと存じます。
 又、私たちのこの感謝と決意の言葉は、あの瞬間に無残な死をとげ、又、その後 のろう
べき原爆症で次々に死んでいった30数万の父や母、息子や娘、夫や妻たちの声なき声に代
っての言葉としてお受け取りいただきたいのです。
 私たちは今日の集りで亡き人々をしのび、又長い年月のかぎりない思いを互に語り合いま
した。しかし、私たちの胸につもったかなしみといかり、なやみと苦しみについてのつきる
こともない語り合いは、決してひとときのなぐさめや、きやすめのためではありませんでした。
世界に訴うべきは訴え、国家に求むべきは求め、自ら立ち上り、たがいに相救う道を講ずる
ためでありました。
 かくて私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという
決意を誓い合ったのであります。私たちは今日ここに声を合せて高らかに全世界に訴えます。
人類は私たちの犠牲と苦難をまたとふたたび繰り返してはなりません。破壊と死滅の方向
に行くおそれのある原子力を決定的に人類の幸福と繁栄との方向に向わせるということこ
そが、私たちの生きる限りの唯一の願いであります。
 それにもかかわらず世界の現状はかえって水爆競争時代に入ったかのごとく広島、長崎
の原爆に千倍の威力を持つ水爆の実験さえ行われています。私たちが「止めてくれ」と血
の叫びを挙げているにもかかわらず、水爆実験は冷然として行われつつあります。原爆以
来放射能の病のおそろしさに直面してきた私たち、今年になってからだけでも早くも広島、
長崎で数名の人たちが放射能の病いで死んでいた姿をまのあたりに見た私たちが、空気
や水を放射能で汚染する水爆実験をどうして黙って見ておられましょうか。私たちはもは
やいかなる力の前にもだまっていない覚悟です。
 私たちは、遂に集ることができた今日のこのあつまりの熱力の中で、なにか「復活」とも
いうべき気持を感じています。私たちの受難と復活が新しい原子力時代に人類の生命と幸福
を守るとりでとして役立ちますならば、私たちは心から「生きていてよかった」とよろこぶ
ことができるでしょう。
 私たちの感謝と決意を披瀝して、この大会から全世界におくる挨拶といたします。
      1956810日  日本原水爆被害者団体協議会結成大会

 *出典「写真記録 ドキュメント19451985 核兵器のない世界を」
   (原水爆禁止日本協議会 1987.10.30刊)所収 
 ※TOAFAEC新通信76号ー送り仮名などは原文のママです。(真)