南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
2600号【2011年3月2日】
★<3月−2600号>
3月に入り、お雛さまを前にして、風はようやく2600号の大台にのりました。やれやれ・・・と一息。100号おきのアドレス帳整理をお知らせしたところ、各地からの便りたくさん。発行者冥利に尽きる思いです。このところ毎日の発行が続いていますが、激しく吹きすぎると、迷惑にもなる?と気にしながらの送信です。
山本健慈・和歌山大学長ご紹介(上掲)の池上惇氏(京都大学名誉教授/文化政策まちづくり大学院大学設立準備室室長)ブログをのぞくと、「できるだけ毎日の更新を目指しております」とのこと。これで気が楽になりました。あと数日は騒がしい風が吹くかも?
音沙汰ない方には本号で打ち止め。念のため「風・継続しますか?」とお伺いしていますが、まずは、これまでのご愛顧に感謝申しあげます。
3月の声を聞いて、8日の研究会(韓国研究フォーラム、東アジア交流委員会)が間近か!と気づきました。いつもの高井戸区民センターの会場はとれているかしら。たしか、この日は和室しかない?
さきほどのTOAFAEC・MLでは、当日「編集会議」も開かれるとのこと。振り返ってみると一ヶ月前・2584号で「東アジア研究交流委員会」予告が出ていますが、あらためて当日の案内(午前・韓国研究フォーラム、午後・東アジア交流委と編集会議、会場も)をお願いします。
本日(1日)、東京は風も弱く、ほとんど雨模様。花粉症にとって安らぎの1日でした。明日もまた・・・雨であってほしい。しかし数日は花粉日和らしい。花粉症に効くワインはないかしら。
2599号【2011年3月1日】
★<研究会余聞、花粉症見舞い>
前号に花粉症到来を報じたので、いくつものお見舞い拝受。恐縮です。岩本陽児さんからは(上掲・長野県小川村訪問記と一緒に)替え歌が送られてきました。26日の研究会のことも。(Mon,
28 Feb 2011 20:20)
「土曜の研究会では、大変お世話になりました。私の到着まで、閉会を待っていただいていたよう。肝心の柴尾さんのお話を聞けなかったので、真理子さんのテープ起こしがうまくいくことを祈っています。二次会会場で、話が寺中作雄から平塚益徳に及んだあたり、ひときわ興味深く伺いました。長崎の鐘♪こよなく晴れた
青空を 悲しと思う せつなさよ♪の歌詞ではありませんが、花粉お見舞い申し上げます。…
今日のような冷たい雨降りがうれしいというのも、せつない話ですね。♪こよなく冷えた
雨空を うれしと思う せつなさよ♪ うう、花粉症。」
山口真理子さんのメール。「…(研究会の)録音状況ですが、先生と柴尾さんのお声は全く問題ありません。柴尾さんが、早口なので
… と心配なさっていましたが、言葉がとても明晰なので気になりません。他の方々のお声が聞き取りにくいかもしれません。… 去年の座談会よりはやりやすいのではないか、と楽観視しています。この予想が当たりますように。寒暖の差が激しくなってきました。お身体ご自愛ください。先生の花粉症については、早くこの季節が終わりますように、としか申し上げる言葉がありません。」(Mon,
28 Feb 2011 23:51)
前号・研究会レポート記事の訂正一つ。下から5行目のお名前、正しくはもちろん「柴尾」さんです。毎号に文字の脱字や誤記がありましょうが、最近は(横着して)いちいち訂正記事を出していません。ここで一括してお詫びを申しあげ、お名前だけは特記して訂正させて頂きます。
2598号【2011年2月28日】
★<天国と地獄>
昨日の本欄の最後のところに書いたように、今年の花粉症の発症は2月26日の夜でした。この日は昼、TOAFAEC
としては記念の170 回研究会(報告・上掲)。ACCUから期待のゲストをお招きし、充実した時間を過ごし、夜は久しぶりに日本公民館学会関係の旧友を交えての遠慮のない懇親会。シャルドネの美酒もよし、天国に遊ぶような足取りで帰宅したのでした。しかし酔いがまわったこともあり、天の思し召し!花粉まみれの症状が激発しました。地獄の夜に一転。
明けて27日は、久しぶりの中国生涯学習研究フオーラム(第14 回)。春のようなポカポカ晴天、気温もあがり、風さわやか。このような日こそ絶好の花粉症日和。会場(江戸川橋)に着いたときは目も鼻も哀れな状態となっていました。いい報告を聞いた記憶あり、また当方も福建省の訪日計画など紹介した憶えはありますが、細かなことはほとんどクシャミとともに吹っ飛んでいます。研究会のおよその内容、どなたか風にお寄せいただけませんか。この夜はあと一件、立ち寄らなければならない用事あり、日曜日というのに地獄のような1日となったのです。
ところで風2595号で、「恒例アドレス帳整理」のお知らせをしました。日頃はあまり便りのない方を含めて、風・継続の連絡をいただき、ありがとうございます。なかには「またまたアドレス帳整理の時期がやってきた、大きなため息です」などと返信あり。女のため息とは申しわけない。こちらは100号おきにまわってくる好機、どんな方から反応が来るか、固唾をのんで?待ちかまえる1週間です。
あと2号で2600号、返信はお早めに。
2597号【2011年2月27日】
★<二・二六は170回研究会>
今朝(27日)の朝日新聞は、75年前の二・二六、武装将兵に殺された蔵相「高橋是清から何を学ぶか」を社説で書いています。粛然!
今年の二・二六、私たちは170 回目の研究会でした。ゲストはユネスコ・アジア文化センタ−(ACCU)事業部次長の柴尾智子さん。アジアの識字運動、CLC(地域学習センター)、そして公民館との出会いなどについての貴重なお話。3時間があっという間に過ぎました。遠慮のない質問にも丁寧に応答してくださって、内容の濃い研究会となりました。ユネスコ関連の事業として「公民館」が積極的に取り上げられてきた経過はこれまでにないこと。有り難うございました。
折悪しく当日は都合のつかない方が多く、少人数でしたが、日本公民館学会の手打明敏(会長)、谷和明(同理事)、中国研究フォーラムの上田孝典(事務局長)などの皆さんが出席され、対談というより座談会の趣き。記録にして今年の年報「東アジア社会教育研究」第16号に収録される予定です。ただアコーディオン式仕切りを通して伝わってくる隣室の賑やかな雰囲気、かなりの雑音でした。うまく記録起こしが進むかどうか気になるところ。出来る範囲で、どうぞよろしくお願いします。
楽しく酔って、風に吹かれながら、いい気分で帰宅したところ、その報いで花粉症がめでたく?発症。今年の早春がやってきました。これからは出不精、運動不足、人嫌い、不機嫌等の症候群が始まります。南の風も愛想のない風向きになること必定。ご了承ください。
本号送信の直前、昨夜の研究会のレポート(瀬川理恵さん)が早速届きました。感謝!やや長文なので次号にまわします。お許しください。
▼柴尾智子さん(東京・高井戸、20110226)
2596号【2011年2月25日】
★<東京都夜間中学校研究会50周年>
いわゆる「都夜中研」が設立され今年度で半世紀、2月24日に50周年記念の集いが開催されました(会場・荒川九中)。記念講演の機会を与えられ、この半世紀の“挌闘”の歩みを想い、その歳月が問いかけるもの、これからともに考えてみたい課題などについて語りました。1時間あまり、なんとか皆さんに聞いていただいたようです。旧知の方の顔あり、新しい出会いもあり。関本先生はじめ皆さんにお世話になりました。
会場のうしろで、懐かしい高野雅夫さんが、胸にゼッケンをつけたような例の出で立ちで、自分の本や大阪・守口夜間中学編集委員会編『学ぶたびくやしく 学ぶたびうれしく』(2010)を販売していました。当日配布された『記念誌』は、高野さんについて次のように書いています。
「…高野さんは、ドキュメンタリー映画“夜間中学生”と文集をかついで、夜間中学校の必要性を訴える証言行脚に出発した。青森、北海道、岡山、京都での夜間中学廃止反対運動の後で、高野さんは大阪に入った。そして1969年6月5日、ついに大阪市立天王寺中学校に夜間学級が開設された。…」(同・p 20)
この間、電話で声は聞いていましたが、会うのは久しぶり。彼の胸に躍っている文字は、「夜間中学からアジアへ 識字から文解へ」とそのハングル(写真)。背中には「文解 文字を理解し文化を理解し、人間を解放する」。この言葉は、かって故黄宗建先生が力説していたことです。Literacy
を「文解」(ムネ)とハングル訳したメッセージ。
なお『東京都夜間中学研究会50周年記念誌』(A4版 111頁)は、関心ある方にはお頒けできる部数があるそうです。ご希望の方はご一報を。
▼高野雅夫さん、胸に「識字から文解へ」(荒川九中、20110224)
2595号【2011年2月24日】
★<100号おきアドレス帳整理>
あと5号で2600号の大台へ。恒例の100号おきアドレス帳整理を致します。まず、配信無用の方、ぜひご連絡を。といっても読んでいない人には通じない・・。この100号の間に全く返信のない方で、もし風の送信継続をご希望の場合は、その旨をお知らせ下さい。風は双方向に吹き合おう、というのが風ネットの唯一つのお約束。どうぞよろしく。継続希望の連絡は、あと1週間をめどにお願いします。
風の発行をどの時点で打ち止めにするか、頃合いを探している間に歳月は経過して14年目を迎えてしまいました(年平均でほぼ200号を配信してきましたから計算は簡単)。ささやかなメルマガ、雑然たる内容ながら、時に大事な情報の共有や、思わぬ出会いの場となってきた役割もあり、また一部に熱心に読んでいただく奇特な読者がおられることも確か。TOAFAEC
や関連する研究交流活動の広報機能をつとめる必要もまだ残っている・・・などと、惰性を自覚しながらも、ついつい頑張る結果となっております。
「風」はいま海を越えて、各地に140通ほど出ています。拡げない方針ですが、結果的にはだんだん増えています(100通あたりが適正規模?)。ローカルに配信されている地方もあり。「南の風」があちこちで話題になっている“風のたより”が聞こえてくると、苦笑し恐縮しています。いつも場当たり編集の連続、失礼や誤りをおかしていることもありましょう。ときには批判・叱正、感想・意見など、遠慮なくお寄せいただければ幸い。この機会にあらためてお願い申しあげる次第です。
2594号【2011年2月22日】
★<名護の花>
沖縄から帰って(16日)、すぐにも花粉症の発症かと構えていましたが、なんとか今日(22日)まで持ちこたえています。今年は当り年と聞いていますから、今からが正念場。昨日の外出から帰ると、そろそろむむずむずしてきたような・・・。同症の仲間たち、頑張れ!
沖縄から帰京の翌日、名護では「稲嶺ススム市長就任1周年」記念の集いが盛大に開かれたようです(風・前号、鷲尾さんメール)。「…本当に沢山の人が集まりました。ホール内はもちろん、ロビー、外のテラスも、人、人、人でした。」「全体に和やかで、活気の漲った会でした。」とのこと。目に浮かぶようです。
「…些細なことですが、壇上に飾られた花も地域の素材を使い、質素ではありますが、活けた方のこころの籠った生花で、私は好ましく感じました。」 鷲尾さんから写真を数枚送っていただきました。花を横に意欲あふれる稲嶺ススムさんの熱弁の表情がいい。(しかし、この写真、なぜか本ページにアップできず。)
これから2月下旬には、東京都夜間中学研究会50周年記念の会(24日)、TOAFAEC・170回記念研究会(26日)、久しぶりの中国生涯学習研究フォーラム(27日)と続きます。おそらく、このあたりで花粉まみれになっていることでしょう。3月に入ると、韓国研究フォーラム、東アジア研究交流委員会、加えて「東アジア」第16号編集会議(3月8日)の日程。なんとか耐えて・・・、終わったら、東京を脱して一目散に沖縄へ逃げるつもり。春よ来い、いや花粉連れなら、春よ、来るな!
▼稲嶺ススム市長と名護の花(名護市民会館中ホール、20110217) 略
2593号【2011年2月21日】
★<日本社会教育学会・韓国平生教育学会の交流>
一昨年10月、韓国・平生学習フェスティバル(第8回)に参加した折、合わせて開かれていた平生教育学会の夜の懇親会に(厚かましく)同席させていただいたことがあります。その席上、韓国側の学会長(当時・金南宣氏 大邱大学教授)より日本側学会長に向けて、日韓両学会交流具体化への積極的な提案がありました。毎年の社会教育研究全国集会への多数の参加をはじめ、ここ数年の韓国研究者・実践家(若い世代を含めて)の活発な交流活動にはこれまでにない熱気が感じられます。その背景には、韓国平生学習そのものの躍動があるのでしょう。
昨年4月には、第一回の両学会交流セミナーが韓国江原道・江陵市で開催されました(風2414号等に記録)。その第二回「学術交流研究大会」が、東京で2月18〜20日(風2587号に案内)、首都大学東京などを会場に開かれました。韓国から学会主要メンバーを含めて30名近くのご参加。これだけの規模の学会間交流は歴史的なことと言うべきでしょう。
19日夜に懇親会。ながい挨拶が続いたあと、乾杯の音頭をとるように求められました。すこしスピーチもと思いましたが、コップにビールが注がれ、会場はすでに飲む雰囲気。ひとことだけ、次のような趣旨の挨拶を致しました。「韓国から参加の方々と再会したが、この半年の間に公式に4回も出会った方が少なくとも5人。8月の全国集会(東京)、10月の出版記念会(大邱)、11月の三国シンポ(上海)、そして今夜の東京で。いまや海を越えて一つの学会の雰囲気です。お互いの友情に乾杯!」と。
5人の方とは、金南宣(キムナムソン、大邱大学校)、朴仁鐘(パクインゾン、平生教育振興院)、梁炳賛(ヤンビョンチャン、公州大学校)、金宝藍(キムボラム、同・大学院)、李揆仙(イギュソン、平生教育実践協議会)の皆さん。漏れがあるかも?
懇親会の後、相模原市橋本に出て、駅前の寿司屋でヤン先生や李正連さんたちとの交歓(写真)が続きました。終電車でようやく東京へ。
▼ヤンビョンチャンさん(左より二人目)ほかの皆さんと (相模原市橋本駅前、20110219)
2592号【2011年2月19日】
★<月見れば・・・>
本号には、嬉しいことに二人もの方が「元宵節」のことを書いています。一人は福建から、あと一人は天津出身の歌人?が「改めておめでとうございます」「今晩は、素敵な月が・・・」と。日本では日頃あまり使いませんが、元宵とは陰暦一月十五日の夜のこと。あいにく夜は雨になってしまいましたが、明けて18日は十六夜。幸いによく晴れて、中天に月が輝いています。
風がときおり強く吹きますが、月に誘われて夜道に出ました。やはり寒い散歩、しかし東京の月もなかなかのものです。冬の月は、なにか冷厳なものがあります。「月見れば、千ぢにものこそかなしけれ・・」は秋の歌ですが、寒月の輝きは違った趣で、強く何かを問いかけるものがあるようです。このままでいいのか?と。いいのだ、いいのだ、好きにやるよ、と勝手に返事をしておきました。
名護・大国林道から頂いた古酒の瓶。大事に抱いて、東京に帰りました。“風の部屋”秘蔵の古酒よりも、さすがに味わいふかい。香気あり、強い酒なのにまろやかです。わずかに琥珀がかった色あい、もしかすると南蛮瓶で熟成されたものかも…と思いこんで楽しんでいます。ありがとうございました。
共同通信社等「地域再生大賞」(既報)の授賞式は25日予定。島袋正敏さんは出席しないことにしたそうです。もし上京であれば、久しぶりに“風の部屋”で仕次ぎを、と企んだのですが、残念。
2591号【2011年2月17日】
★<大添区公民館の宣言>
前号・阿佐伊拓さん『竹富方言辞典』発刊案内の記事のなかで「竹富島ゆがふ館ブログ」アドレス(URL)が、編集の不手際で、読みとれないミスがありました。申しわけありません。あえて同ブログより関連記事「小さな島の大きな辞典」を掲載しました。ご覧ください(上掲)。
さて、再び前号の続き。読谷村「大添区公民館」について。基地周辺の防衛施設庁補助金によるデラックスな字公民館施設と違って、大添区公民館は木造、50坪の平屋建ての“手作り”公民館です。「ひもつき」補助金は求めないことを総会で決め、制約のない村補助金(1千万円)以外は、自己資金・寄付金のみ。1998年の建設、すでに12年余が経過したことになります。
公民館建設に向けての格闘と喜びの記録は、源河朝徳さん(同公民館建設委員長)によって、私たちの『おきなわの社会教育』(エイデル研究所、2002年)に収録されています。源河さんは自ら『手作り公民館』(1998年)を発行されていますが、その扉に掲げられている「公民館落成記念宣言文」が印象的。「われらは…」の書き出しで始まる7項目、以下の通りです。
・ここに自治の精神にあふれ、住民主体の、手づくり、公民館を建てる
・北は北海道から南は八重山から、読谷の石灰岩大地に移り住んだ
・一人びとりの自由意思により大添自治会を結成した
・地域社会を築くために智恵を出し合い、結束して無から出発してきた
・住民の暮らしの向上、子どもを育て、平和を愛し、自然を大切にする
・男も女も、老いも若きもひとしく新しい地域の文化創造をこころみる
・地域が活気にあふれ、共に生き、共に助け合うユイマール精神を守る
▼大添区公民館全景、右側にシーサー(一角獣)が見える(20110212)
2590号【2011年2月16日】
★<集落の公民館>
前号の続き。読谷村とはながいお付き合いです。1976年12月、はじめての沖縄訪問、車を走らせて読谷村に参上、沖縄で初めての聞き取り調査をしました。復帰後4年が経過した頃です。沖縄に公立公民館第1号を設置したのが読谷村。役場に隣接する旧公民館で、戦争や戦後史について悲痛な証言を聞き、第1号の設立(1970年)経過を聞いた日のことは今も忘れません。公立公民館史としては本土の制度創設から四半世紀の遅れ。
そこから歩いて数分のところに波平区の集落(字)公民館が独特の風格で佇んでいました。事務室には専任の公民館職員が数人も陣取り、人が群れて活発に機能していた姿が思い出されます。そして経済門・文化門との出会い。これこそ沖縄型の公民館だ!と実感しました。沖縄では公立公民館だけでなく、あと一つの躍動、各集落の字公民館が大きな役割を果たしていることを知る日となりました。
想い出話がながくなりました。12日午後の波平区公民館、新しく改築され、デラックスな建物がまぶしく輝いていました。二つの門も大きく広くなり、柱の上にはシーサーが。その写真を撮りながら、昔の字公民館の古い建物を懐かしく想い出していました。
山城千秋さんの車で、次にトリイステーション基地横の楚辺区公民館へ。本格的な(なんと空調付きの)大体育館を備えたデラックスな字公民館です。そのあと、急に思いついて、新しい住民たちが手づくりで建てた大添区公民館を訪問。こちらはまことに素朴な建物。公民館は開いていましたが、誰も人は見えず、やや寂しい思いを残して那覇へ。
▼波平区公民館「経済門」、左側に「文化門」がある 」(読谷村波平、20110212)
2589号【2011年2月14日】
★<経済門・文化門の公民館>
今回の沖縄行きは、沖縄研究第3サイクルへの幕開け(にしたい!)。第一日(10日)夜の那覇・懇親会では、「沖縄研究のこれまでとこれから」と題して、短い時間でしたが、話をさせていただきました。
二日目「やんばる対談A」(猪と山羊をご馳走になって、ほとんど人との対談には至らず)のあと、三日目は実りの多い1日となりました。午前は沖縄県青年団運動や「沖縄産業開発青年協会」理事長として活躍されてきた永山研次さん(1932年生れ)の貴重な証言聞き取り。そして、午後は読谷村の字公民館をまわりました。読谷村波平区の公民館が昨年10月に改築されたと聞いたからです。あの「経済門」「文化門」の門構えはどう変貌したのか興味しんしん。ご参考までに、20年ほど前『月刊社会教育』に書いた一文を以下にご紹介。(小林「沖縄の社会教育が問いかけるもの−復帰20年に考える−」
1993年1月号所収)
「…波平公民館の広場にはいる入口に二つの柱が立っている。一つは「経済門」、一つには「文化門」と刻まれている。経済門の方には共同売店、文化門の方には鉄筋二階建ての図書館が配置され、広場を囲んでホ−ル、事務室、老人クラブ、青年会館などが並び、そして祭りの衣装・道具を納めた部屋もある。
私は、読谷を訪れる機会があれば、波平公民館に行きたくなる。しばしこの経済門と文化門の前にたたずみ、そしていつも感動する。むらの経済と文化の発展の想いをこめて、その拠点としての公民館の役割を石の柱に刻んだのである。公民館そのものを、施設としてだけではなく地域の基礎的な自治と共同の活動拠点として、みんなの力で育て定着させてきた。ここには創設期の公民館の“初心”、寺中構想の原型のようなものが具体的に生きていると思う。
もう十年あまり前のことになるが、寺中作雄さんに沖縄の独自の公民館の歩みと波平公民館の二つの門の話をしたことがある。そして一度ぜひ沖縄へご一緒いたしましょうと申し上げた。沖縄の公民館関係者にも寺中構想との関連を説明しお願いをした。しかしまだ実現しない。…」
企画は具体化しないまま、寺中さんは亡くなられました。(続く)
2588号【2011年2月13日】
★<沖縄へ>
2月10日午前、旅先(橋本)から風・前号を出したあと、3日が経過しました。旅の続き、関西空港から飛んで、いま沖縄の3日目。ようやく時間をつくって本欄を書いています。
日本列島が寒波に襲われるなか、沖縄も冷たい毎日です。滞在の初日は沖縄らしく暖かな日射しでしたが、翌11日の名護は冷たい雨、風も強く吹きました。島袋正敏さんの「はたけ」で、私たちを歓迎する心づくしの焚き火が有り難い。ヤンバルで焚き火を囲む風景など、めったに見られることではありません。本来は脱ぎすてるコートの襟をたてながら、「やんばる対談」Aの幕開け。ご参加の皆さま、お疲れさまでした。朝から準備して下さった正敏さん、山城秀夫さん(大国林道)など、たいへん有り難うございました。
たまたまこの日、「地域再生大賞」(第1回、全国の地方新聞社と共同通信社の創設)が発表され、「琉球在来豚アグー保存会」(アグー=黒豚)が特別賞に選ばれました(各紙報道)。保存会の会長は正敏さん。2年ほど前の琉球新報賞に続く快挙、おめでたい日と重なりました。
沖縄初日(10日)の那覇「沖縄研究フォーラム」親睦会も盛会。二日目「やんばる対談」Aの始まり、三日目の沖縄青年団運動史証言の聞き取りと合わせて、それぞれ次号以降に報告が寄せられる予定です。
この間、三日おきの「風」、いいリズムの発行となりましたが、当方の編集ボックスには、頂いたメールがいくつも滞留中。2月26日午後第170回TOAFAEC
研究会の案内も掲載を待っています。記念すべき研究会、皆様、ぜひ!ご予定下さい。
▼沖縄研究フォーラム、那覇・懇親会(沖縄県青年会館、20110210)
2587号【2011年2月10日】
★<橋本市訪問>
いちど訪問してみたいと思っていた橋本市に来ています。ずいぶん前から社全協・全国集会に一人で参加されていた橋本市の方があり、どんな社会教育・公民館活動のまちなのか、気にかかっていました。
橋本市は和歌山県北東部。昔より南北に通じる高野街道と東西に走る伊勢(大和)街道が交わる交通の要衝、紀ノ川沿いの静かな小都市。人口7万弱の規模に公民館10館、子ども館と称する児童施設5館も教育委員会所管、密接な関係にあるようです。
阪辻博文さん(社会教育課長)等の案内で、濃密な駆け足の見学。車に乗せてもらって隣町の妙寺公民館にも立ち寄ることができました。問わず語りの車中話が実に面白く、疲れを忘れて・・・二日目(9日)の夜が更けたところ。
公民館は嘱託職員(常勤)が主体の体制(約30人)ながら、生き生きとした表情。和歌山大学等の社会教育主事講習に毎年おくりだし、主事資格を取得した人も少なくなく、研修にも力を入れているとのこと。子どもたちが学校帰りに三々五々立ち寄る“たまり場”のような公民館とも出会い、手づくりの公民館だよりが毎月発行され全戸配布されている館も多く、地域に息づいている様子が印象的でした。
嘱託主事の方々の労働組合が結成されている話も聞きました。どこかに報告してもらいたいような…。阪辻さんは朝鮮語の素養がありそう。東アジア研究交流の活動に参加してもらいたいような…。
橋本の皆様に歓迎していただき有り難うございました。御礼申しあげます。再会を楽しみに。
▼左上に阪辻博文さん、橋本市・九度山町の公民館関係者と (橋本、20110109夜)
2586号【2011年2月7日】
★<1998年2月6日>
昨日2月6日、アンパンマンの誕生日だそうですが、実は「南の風」にとっても忘れがたい誕生日。2000号でいちど休刊にした折り、10日ほど休止(2008年3月)したことがありますが、あとはこの13年間まったく休まず、前号まで2585回目の風を送信することができました。
ドイツに2ヶ月ほど滞在したときも、エジプトも中国も沖縄も(韓国行きではなぜかいつもパソコンを持参せず)、旅の中で元気に「風」を吹き続けることができました。単純計算で年平均199回の配信、自分ながら驚き。お付き合いいただいた皆様にまずは御礼申しあげます。何よりわが身の健康に感謝!です。
この時期はアジアのお正月。台北の許銘欽さん(1991年当時、東京学芸大学に留学)より年賀状が届きました(Sun,
6 Feb 2011 10:32)。お正月が二度来た喜び。風の誕生日と合わせて、ことさらおめでたい気分。風メンバーには同報で届いた方もあるかと思われますが、あらためてご紹介に及びます。
「拝啓 旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。半退職の暮らしをしていくつもりですが、縁があり、私立康橋雙語實驗高中の
青山校區校長(小学校、幼稚園)という仕事をしてきました。五月に小六の卒業生達(150人)をつれて、3,953メートルの玉山(新高山)を登り、山頂で、子ども一人ずつに私の手から卒業証書を差し上げます。卒業生たちに、また私にとっても、ありがたい思い出となります。今年もよろしく申し上げます。校長
許銘欽」
2585号【2011年2月5日】
★<統計にみる公民館>
書いておきたいこと。というよりむしろ、どなたか集中的に分析してほしいことに、社会教育・公民館等をめぐる統計の推移の問題があります。近年の憂うべき動向が、今後どうなっていくのか気になっています。
ご承知のように、国は指定統計として3年おきに「社会教育調査」を実施してきました。昨年4月に2008年(10月1日)現在の調査結果が分厚な報告書として刊行されています。その前から(文科省ホームページにも)同中間報告が公表され、とくに公民館をめぐる3年間の推移が想定以上の数値で下落していることが判明していました。調査時点からすでに2年余りの歳月が過ぎていますから、この傾向がそのまま進んでいくと仮定すれば、由々しき事態というべきでしょう。
たとえば、まず市町村の公民館設置率。市町村数は平成大合併で4割以上も減少したのだから、設置率は上昇するのかと思いきや、3%ダウンして88%へ。村にだけ限定すれば76%、4分の1の村に公民館が設置されていないことになります。日本の公民館は農村から胚胎したのに…。
施設総数では約9%の減、1616館の公民館が姿を消したことになります。図書館など他の社会教育施設数がわすかでも増加傾向を維持しているのと対照的。公民館の学級講座受講者や集会等の施設利用者数は明らかに増大しているのと逆傾向。
公民館職員数では3,161名(5.6%)もの減少。とくに公民館主事など「指導系職員」数の後退が著しい(2,385名、13.4%の減)。公民館の量的体制がだんだん薄くなっていくのに、統計報告書はむしろ重厚な1冊、苦笑させられました。
2584号【2011年2月3日】
★<春節の夜>
昔、留学生に囲まれていたころ、春節の夜は研究室で餃子を包んだりして、賑やかにお祝いしたもの。春節はアジアのお正月。今年は、思いもかけず夜間中学(東京墨田区文花中学校)の生徒さん・教職員の皆さんと一堂で夕食をいただくことに…。暖かい気持で心包まれ、スープやオムレツなどの皿が、どんな高級レストランも及ばない味となりました(2月2日)。
突然に決まった訪問日程、「風」に慌ただしくご案内(風2582号)したところ、お二人(上掲)のご参加。お疲れさまでした。風メンバーでもある関本保孝先生に迎えられ、全校で歓迎していただいたようなもの。有り難うございました。
東京学芸大学時代は、特別講師として、見城慶和先生や関本先生に毎年お出でいただき、教師となる学生たちに夜間中学についての話をお願いしたものです。和光大学になっても同じこと、見城先生の講演記録は和光大学人間関係学部紀要の創刊号を飾っています。(小林「夜間中学の実践に学ぶ−識字と人権の視点から」1997年)
ほとんど毎年、学生たちを連れて、夜間中学の見学会を企画してきました。当時のことを思い出しながら、学ぶ側と教え手が心通わす「学校」の営みをあらためて再認識した夜でした。
たくさんの資料を頂きましたが、その中の1枚。昨年12月に開かれた全国夜間中学校研究大会に、夜間中学校の法的整備への取り組みについて呼びかけがあり、「義務教育等学習機会充実法案」がまとめられたことを知りました。いずれ「風」で紹介させていただきましょう。
▲日本語「助詞」を教える関本保孝先生(文花中学校夜間学級、20110202)
2583号【2011年2月2日】
★<2月の風>
2月となりました。早いものです。この1月はやや浮かれ気味に過ごしたようで反省しきり。あらためて2月の寒風が身にしみます。
旧正月を前にして、「寒中お見舞い」のハガキ・書状を頂いています。有り難うございます。年賀状よりも、それぞれの急な事情(なかにはご不幸)が含まれ、御礼とともに、お見舞い(お悔やみ)申しあげます。
今年の新年会には姿が見えなかった馬頭琴奏者・セーンジャー(草原の王子さま)からは、嬉しい寒中見舞い。ニューイヤーコンサートの案内です。2月19日・文京シビックホール、十周年記念コンサート〜モンゴルの風に吹かれて〜。開演14:00〜
チケット¥3500、問い合わせ:シビックチケット(03-5803-1111)。
十年前の来日直後、友人のトクタホと和光大学研究室に姿を現したときを思い出しています。多分、馬頭琴持参だったような…。最近の活躍はめざましく、いつぞや「徹子の部屋」に出ましたし、風には載せませんでしたが、1月13日は「新春コンサート」。2月3日14:00〜14:30はラジオ出演(日本放送)だそうです。「演奏しますので、ぜひ聴いて」とのこと。
しかし2月の風は、杉花粉も運んできます。昨夏の猛暑のため今年の花粉飛散は激しいらしい。その時期が目の前・・・考えただけでも不機嫌になります。3月に入ったら本格的な沖縄逃避行を、と企んでいたところ、3月8日に研究会の日程(韓国フォーラム、東アジア交流委員会)が入って目算が狂ってきました。
2582号【2011年1月31日】
★<夜間中学・文花中学校の見学>
上掲・案内記事と重なりますが、今年は東京都夜間中学校研究会(都夜中研)の50周年。その記念行事が2月24日午後に予定されています(会場・荒川区立第九中学校)。その打ち合わせを兼ねて、墨田区文花中学校・関本保孝先生のご配慮あり、2月2日午後、同夜間学級に参上することになりました。
南の風メンバーには、かねて夜間中学に関心をもつ方あり、この機会にご案内させていただきます。2月2日午後・夜、ご都合がつく方は夜間中学校見学にお出かけ下さい。当日、午後2時30分にJR亀戸駅北口・改札口に集合、関口先生が迎えに出られるそうです。校長先生にお会いし、夜間中学の現状等についてお話を伺うことになります。
午後の時間が無理で、夜の授業参観だけご希望の方は、その旨、関本先生にお願いしますので、あわせて(折り返し)小林宛ご一報ください。
この企画は、数日前に慌ただしく決まりました。28日〜29日の私たちの研究会の折、皆さんにお話する余裕がなく、このように急なお誘いになってしまったこと、お許しください。お知らせしないまま、あとで後悔するよりもとの思い、ご了承を。→
小林アドレス等:bunjin-k@js4.so-net.ne.jp、電話090-7700-7756。
なお、2月10日〜13日の沖縄訪問スケジュールについては、数日前の風2979号(山城「沖縄研究フォーラム第1回フィールドワーク日程」)及び前号の島袋「やんばる対談2」の通り確定しました。今からでも参加歓迎。お問い合わせは、山城千秋さんまで。→
yql03452@nifty.com
2581号【2011年1月30日】
★<研究会賑やかにスタート>
ご案内のように、28日夜から29日夜にかけて、研究会でお腹いっぱいのスケジュール。まず、28日夜の第169回TOAFAEC研究会、翌29日午前に第29回韓国生涯学習研究フオーラム、次いで午後は東アジア研究交流委員会(何回目なのだろう?)。今年の研究会行事が賑やかにスタートしました。
日程をうまく連動させると、参加者の選択肢も拡がり、遠くからのご参加には好都合ですね。仙台、名古屋、佐賀からの(1泊)出席、ご苦労さまでした。中国烟台から帰国中の伊藤長和さんの顔もあり。1年ごとにますます声が大きくなり、若返りのご様子。二日にわたって嬉しい乾杯が続きました。
28日夜のTOAFAEC 研究会の記録(上掲)が江頭晃子さんから早速届きました。29日の二つの研究会については、小田切督剛さん(川崎)から、詳細な記録が速報として着信。かって川崎を拠点に韓国本編集の作業をしていたころの想い出が蘇って懐かしい。ありがとう!
詳細すぎるところあり、風への掲載用には(小田切さん記録をもとに)金さんや上田さん等からそれぞれの報告を送っていただけませんか?
29日のお昼は、いつものイーストビレッジでビール。会終了後の懇親会は、数駅乗って「明大前」に移動、ハーミングバードでワインつきの歓談。連日、楽しい夜となりました。この店は先日の新年会(たいへん好評)会場、店マスターにあらためてお礼を言いました。
次回2月のTOAFAEC 定例会は、26日(土)午後。3月には韓国研究フオーラムと東アジア研究交流委員会を予定。8日(火)午前・午後の日程を決めました。皆さん、ご予定を。会場の確保もお願いします。
▼お昼のビール(イーストビレッジ、20220129)
2580号【2011年1月28日】
★<やんばる対談>
昨年の年報第15号では、島袋正敏・小林文人「やんばる対談」(1)が案外と好評でした。やんばるの風に吹かれながら、これまでの地域活動・社会教育の歩みを振り返り、2010年の名護市長選への流れを語りあいました。もちろん正敏さんが主役、ぶんじんは聞き役、進行・記録として山城千秋・山口真理子のお二人が介添役。
気楽な「ゆんたく」の気分。話の成り行きに任せて、自由な語りを大事にする。遠慮のない話にはもちろん脱線あり、また難しい問題も出てくる。行き詰まりそうになると、さらりと次の話題に移る、そんな調子。あとで読み返し加除修正、注なども加える余裕がありますから、気楽なものです。なにより終わったあとの「大国林道」の古酒が楽しみ。
今年も対談<その2>を企画しています(2月11日午後・名護)。昨年のテーマは「社会教育と市長選」でしたが、いわば総論みたいなもの。今年の対談はどんなテーマですすめるか。「ゆんたく」だからテーマはなくてもいい? いや、むしろ大きなテーマは用意した方がいいのです。
昨年の対談記録を読み返してみると、正敏さんの話の中に課題はたくさん出ています。沖縄の在来家畜(アーグー等)保存、古酒運動、村の芸能(祭り)、集落の共同(字公民館)、青年エイサー、字誌づくり、環境を守る運動、基地問題への取組みなどなど。具体的な事実のなかから、そこに生きる人々の学びと地域づくりの活力を浮き彫りにしていく。やんばるの地から、日本の社会教育の停滞に矢を放つような対談にしたいもの。できれば本にもできないか、など思いは弾みます。いま27日深更、机上に古酒壺あり。
2579号【2011年1月26日】
★<28日−新春初の研究会>
風・前号を送信したあとに気づいたこと。島袋正敏さんからの名護メール、本文9行目の「…公布決定をしながら、平成9年度から10年度の再編交付金を…公布しない」は、「2009年度から2010年度の再編交付金を…」の誤りと思われます。ひとまず訂正させていただきます。
名護市の米軍再編交付金凍結の問題については、目取真俊さんのブログ『海鳴りの島から』も「市議会全会一致で補正予算可決」(1月21日)として取り上げています。野党を含む市議会の全会一致の可決は、地方自治として意義深いこと。加えて「沖縄県内でも多くの自治体は最初から米軍再編交付金など支給されていないのだ。稲嶺市長にたいする政府・防衛省の嫌がらせ、圧力には強く抗議すべきだが、凍結に過剰反応して米軍再編交付金を逆に過大評価してしまわないよう注意したい」と。同感です。
→■
本号には、山城千秋さんから沖縄研究フオーラム・2月日程のご案内、宮古島から「春の兆し」、八重山・竹富島「西桟橋」の記事が並びました。「南の風」ならではの構成。竹富島から「西桟橋の夕陽の美しさ」はたとえようもない・・・の便りを受けて、所蔵アルバムの中から写真を探し出し、ただいま(富士山の写真と交代して)HPの表紙に飾りました。ご覧ください。
1月28日(金)は、新春・第1回の研究会(通算169回)です。旧年11月の紹興・上海(国際シンポ)の報告会。翌日の韓国フオーラム、東アジア研究交流委員会とも連動して、佐賀、名古屋、仙台などからもご参会とのこと、楽しみです。無理をしないでお出かけください。
→■
2578号【2011年1月24日】
★<旧琉米文化会館史料>
本号は明日の発行予定でしたが、島袋正敏さんから「今日24日は一年前の名護市長選勝利の日」メール(上掲)をいただき、1年前を思い出し、急ぎ編集して24日の日付で配信しています。符帳を合わせたように、夜間中学の関本保孝さんより「川崎市夜間中学の教員削減問題・至急お願い」(上掲)が舞い込み、本郷にうまく収録できました。南の風は、川崎の方々にローカルに配信されていますので、本号をお読み下さる方が一人でも多ければと願っています。
風2571号本欄に書いた沖縄研究資料(『民衆と社会教育』等)について、森田真也さん(筑紫女学園大学)から感謝メール(上掲)が届きました。民俗学の立場から、主に祭祀・神司等について、丹念なフイールドワークをされてきたようですが、最近は、戦後沖縄の米軍の文化政策・琉米文化会館等の問題について、調査を深められているとのこと。
追伸の一部をご紹介します。「…私自身、軍隊や基地に関する研究業績は、別科研の渡名喜島の報告書で、聖地である出砂島(渡名喜の隣の小島)が、射爆演習場となっている例を取り上げたものしかありません。まだまだです。…
今、旧琉米文化会館時代の蔵書が各地で「お荷物」となっているようです。宮古では、処分(?)されたと聞きました。石垣では、石垣市立図書館にありますが、館長や教育長が代わればどうなるかわからないようです。那覇では、那覇市立図書館から県立図書館へ移管されましたが、場所を取るのでどうしようかという感じでした。
いずれも貸し出しに耐えるものではないですし、かといってばらすと資料的価値がなくなるし、まだ資料的な価値が定まっていないし、ということで対応に苦慮しているようです。」(Mon,
24 Jan 2011 01:33)
2577号【2011年1月23日】
★<朝日歌壇賞−歴史を歌い継ぐ>
今年の朝日歌壇賞(2010年の入選歌から4選者が各1首を選ぶ、今年で第27回)の中に、こんな歌がありました。「六二三、八六八九八一五、五三に繋げ我ら今生く」(岸和田市・西野防人、高野公彦選)
誰もが知る重い日。作者は「既に類歌があると思い」ながら投稿、戦争の記憶が「詠ませてくれた…」と述懐しています。(朝日新聞、1月10日)
私たちも、かねがね東アジアにとって忘れてはならない日、とくに若い世代も知っておいてほしい歴史的な日を語りあってきました。たとえば十五年戦争が勃発した九一八(1931年)。「松花江上」は九一八をテーマに歌い継がれてきましたが、私たちの研究室でも歌ノートの中の大事な一つ。昨年11月の上海国際シンポでは韓民さんと久しぶりに合唱しました。毎年のTOAFAEC
年報「東アジア社会教育研究」が、発行日を必ず九月一八日とするのも強いこだわりからです。
韓国との関わりでは、1990年代、数年続いた韓国への旅は、すべて三一独立運動の記念日に合わせてスケジュールを組みました。釜山でこの日に文解(識字)教室を訪問した思い出は忘れることができません。
朝日歌壇賞に触発されて、東アジア・沖縄に関わって拙歌二つ。
「韓国の三一・中国の五四運動、九一八・八一五の歴史忘れじ」
「四二八・五二八の屈辱を、雨中に立ちて名護市長叫ぶ」(20100528)
上平泰博さんから、大田区・こども交流センター「退職の辞」が送られてきました。私信のようでもありますが、私たちのTOAFAEC
研究会にお出でいただいた経過(第141回、2008年7月)あり、また沖縄との関連もあって、本号に掲載させていただきました。次のステップでの新たな活躍を祈っています。
2576号【2011年1月21日】
★<ヤンバルに吹く嵐>
やんばる東村の北部「高江」区は人口約160人の小さな集落。ここにいま米軍北部演習場ヘリパッド建設の嵐が吹いています。昨年末「おきなわ短信」(南の風2560号)でも紹介しましたが、沖縄タイムス社説は「高江ヘリパッド暗闇に乗じて基地建設」(12月24日)と、異常な事態が強行されていることを厳しく非難難しています。今年に入り、とくにここ数日、現地からは悲痛な訴え(1月17日)。
「…高江現地では今後の行動・対応について話し合いが続いています。現時点で、この日本政府・沖縄防衛局の早朝・深夜に動く異常事態に対し、24時間体制で監視活動を行う事を決めました。
ぜひ、多くの皆様のお力が必要です。どうか高江現地に人を集めてください。どうか、人を送る体制を協議してください。
明日、明後日、1週間後、1ヶ月後のローテーションを組んでください。現場では1人の存在が大きな力を発揮します。皆で力を合わせましょう!
私たちは平和な未来を望んでいます。自然を破壊し、住民生活を破壊し、戦争につながるアメリカ軍のヘリパッド建設を皆で止めましょう!」 詳しくは、→
http://takae.ti-da.net/
→■
高江は米軍ジャングル訓練センターの真横。新しくヘリ着陸地が6基も建設されると、集落はその真ん中に残されるかたち。しかも普天間基地機能と連動して新型オスプレイが常時飛ぶようになれば、生活は破壊される!との訴えは当然でしょう。辺野古への新基地建設は膠着している一方で、高江ではヘリ基地づくりが強行されている事態。高江住民の非暴力の闘い、「平和な未来」への思い、に心打たれます。多くの方々のご支援を!
2575号【2011年1月19日】
★<名護・あれから1年>
ちょうど1年前のこの時期、名護は市長選の真っ最中でした。稲嶺市長が誕生した、あのどよめきの日が思い出されます。1年が経過、今日(1月18日)の新聞は、亡霊のように、再び普天間基地の移設先・辺野古の代替施設案について「辺野古V字案で調整、I字断念へ、沖合移動も検討」が報じられています(朝日1面トップ)。なんともやりきれない思い。政権交代へかけたひそかな期待が裏切られ、新しい時代への展望を開くことができない政治への失望・怒りの1年。
今日の新聞では、あと一つ「ふるさと納税で名護市にエールを」(朝日)、「名護市へ支援訴え、交付金凍結抗議を」(沖縄タイムス、上掲)記事が目をひきました。沖縄タイムスは1週間前の社説で「ふるさと納税」について、次のように書いています。
「…名護市では昨年末からふるさと納税が急増している。政府がアメとムチの最たるものといっていい再編交付金を凍結したからだ。稲嶺進市長は米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対している。ふるさと納税の急増は、防衛省が前市長時代からの継続事業など再編交付金計16億円の凍結を決めた時期と符合している。名護市はふるさと納税を当てにして再編交付金を埋め合わせようなどとは考えていないはずだが、応援は心強いに違いない。…」(1月11日)
政府の露骨なアメとムチに、ふるさと納税を呼び掛けるブログがネット上で広がったことも大きいようです。
2574号【2011年1月17日】
★<2011新年会>
16日は新年会、明けて今年の初仕事。これが終わらないと、どうも新年の仕事が始まらない感じ。松の内ゆらゆら祝いの気分が続いていましたが、ようやく天地爽快2011年の新しいステップを踏み出した実感。
新年会ご参加の皆様、世話人の方々、お疲れさまでした。おかげさまで、今年も楽しく賑やかな新年会となりました。
午後の開会前から飲み始めて5時過ぎまで。風の部屋への移動時間をはさんで夜の会、9時過ぎまで騒いでいました。お酒は(古酒カメを開ける仕事あり)少し自粛気味。おかげさまで、2日酔いなし。
夜の部は、昼の会から流れてきた強者(つわもの)と、夜にしか来れなかった数人の常連が加わって、少人数の酒飲み話で盛り上がり。30年近い歳月を重ねた新年会だけに、学生運動華やかなりし時代の手柄話や、OBGの古い懐旧談などに花が咲いて、気がついたら、あちこちに電話をかけまくっていました。突然で驚いた人もあったような…。
伊那谷から米山義盛さんの電話が来たころには(多分?)かなり酔っていて・・・。失礼しました。学長から送っていただいた「農民・一喜」の銘酒は、沖縄島酒の強い古酒(クースー)のあとになりましたので、あえて開きませんでした。次(多分、1月研究会)のお楽しみ。
この日、皆さんに紹介したのは、思いがけなく文孝淑さんからワイン紅白が届いたこと。折り返し「…沙汰なしの娘から元気の報せが届いたような嬉しさ」「ぜひ新年会に顔を出してほしい」とメールをしましたが、これも次の機会(研究会、新年会?)のお楽しみということになりましょう。
皆さんにまとめて御礼。有り難うございました! 以上は夜の部の報告。昼の部については、どなたかレポートをお寄せください。
*新年会報告→
こちら■
▼新年会昼の部(明大前・ハミングバードにて、201101169)
2573号【2011年1月16日】
★<2月26日−第170回研究会・予定>
寒い毎日、北国や日本海側は連日の雪のニュース。一方、南の沖縄ヤンバルでは早くも桜の季節です。八重岳や今帰仁、名護などで桜祭りが始まるとのこと(上掲)。同じヤンバルでは、本部町備瀬のフクギ並木が「手づくり郷土(ふるさと)賞」(国土交通省)に選ばれたそうです。
二つのメールをご紹介します。まず中国山東省烟台から、おなじみ伊藤長和さんの便り(Thu,
13 Jan 2011 11:59)。敦煌への旅が羨ましい。
「… 明日(14日)から冬休みになります。私は天津経由で敦煌に旅立ちます。厳寒(零下20度)のシルクロード。國學院大学時代の教え子(後藤仁・渤海大学教師)と一緒です。ここ数年欠かさず参加させていただいた新年の集いに、今年は伺うことができず残念です。1月21日に日本に帰国いたします。28日のTOAFAEC
研究会、29日の韓国フオーラムと東アジア研究交流委員会には出席させていただきます。「烟台の風」は明日(14日)から22日まで小休止、誠にご迷惑をおかけしますが、まとめて3号を送信させていただきます。…」
まずその1号を上掲。
伊藤さんの風が小休止であれば、当方の風もゆっくりできるかな、と思ったところ、さにあらず!
隔日刊を守るようにとのメッセージか。
あと一つ。さきほど、ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)柴尾智子さん(事業部次長)から頂いたメール。
「あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。さて、お誘いいただいた研究会の日程。2月26日(土)午後2時〜5時でお願いします。当方の事業のなかで、識字アニメ『ミナの笑顔』を上映できればと思いますが、対談のなかで、みなさんに見ていただいてよいでしょうか。長さは16分です。…」 ぜひお願いします。
TOAFAECとしては、2月研究会は記念すべき第170回。柴尾さんは当方からの日程第1案を受けて下さいました。皆さん、2月26日午後をご予定下さい。正式の研究会案内は後日掲載いたします。
2572号【2011年1月14日】
★<南大東島への誘い>
新年の風第1号(1月2日)本欄に、南大東島からの年賀メールを載せました。東和明さん(NPO
南大東島まるごと館)からのもの。かって東京都社会教育主事、「月刊社会教育」編集長をつとめたこともある東寿隆さんの息子さん。一度、南大東島を訪問し、老後を過ごしている東寿隆さんをお見舞いしよう、と上地武昭さん(沖縄大学)に相談したことがあります。
上地さんから来た「沖縄大学から明けましておめでとうございます」の年賀メールに、東和明さんからの近況が添付されていました。
「…父もかなり老いていますが、喜ぶと思います。島の予定はとりあえずは何もないのですが、これからが観光客が多くなるシーズン。ピークは3月なので、私が文人先生を落ち着いてご案内できるのは、今月末から2月初めではないかと予想します。お手数を掛けますが、その旨お伝えいただけたら幸いです。…」
既報のように、沖縄フイールドワークは2月10日からの計画(風2564号・山城メール)。そのあとに南大東島に渡る案をいま検討中。2月初旬の線からずれますが、しかし2月18日からの日韓両学会「学術交流研究大会」の日程も聞こえてきますし・・・思案中です。日韓両学会交流の日程・プログラムについて、どなたか、風にご紹介いただけませんか。
風2568号や2569号など配信もれの情報が寄せられていますが、他の皆さんへの着信は如何でしょうか。理由はあまり考えず、ご希望があれば直ちに再送する姿勢でいます。他の皆様には煩わしい重複配信となる場合がありますが、ご容赦ください。
2571号【2011年1月13日】
★<沖縄研究資料、『眉屋私記』のこと>
昨晩(12日)のTOAFAEC ・ML、四半世紀前に私たちが発行した沖縄研究資料への問い合わせ記事、嬉しく読みました。『沖縄社会教育史料』(東京学芸大学社会教育研究室、全7集、1977〜87年)と、『民衆と社会教育−戦後沖縄社会教育史研究』(エイデル研究所、1988年)へのリクエスト。社会人類学・民俗学の分野からの入手希望だそうです。
前者は(1号、3号をのぞいて)まだ在庫がありますが、後者はすでに絶版。古本市場にもほとんど姿を見せません。横山宏氏と共編『公民館史資料集成』(エイデル、1986年)も同じく絶版、稀少本となり、今では全く入手できなくなりました。もしお手元に「譲ってもいいよ」という奇特な方があれば、ぜひお願いします。図書館収蔵の数を拡げたい。
エピソードを一つ。上野英信さん畢生の名作『眉屋私記』(潮出版社、1984年初版)がなかなか手に入りませんでした。出版された当時、東京学芸大学研究室で購入しましたが、個人では買いませんでした。これが失敗のもと。同大学退職後に同書は遠い存在へ。
『眉屋私記』の舞台は名護市の屋部です。私の『眉屋私記』への思いを知った屋部出身の比嘉久さん(名護市教育委員会)から1冊を送って頂き感激の極み。聞けば古書店に『眉屋私記』が出ていると直ちに購入し、私のような希望者に手渡ししてきたとのこと。この話を聞いたあと、私も『民衆と社会教育』確保の努力をしてきたのです。いま秘蔵本が3冊。しかるべき図書館へ収蔵の橋渡しをするつもり。まずは上記リクエストへお送りする予定です。『公民館史資料集成』についてはいま1冊も手持ちがありません。どこかに遊んでいる『集成』はないものか、いい話があればお知らせください。
2570号【2011年1月12日】
★<新年会・夜の部−「農民・一喜」>
新年会(1月16日pm.2〜5時、風2558号)が近づきました。京王線「明大前」駅のそば。便利なところですが、会場としては初めての場所
→■、ご確認の上お出かけください。アーデルさんも来会見込み(上掲)。
今年は「夜の部は開催しません」とご案内していましたが、当日、大学入試センター試験のため昼は参加できない方があり、また「夜の部」へ強い期待を寄せる常連もあり、「風の部屋」(西永福)にて開催することにしました。HP案内文も(さきほど)書き変えました。当夜(pm.6〜8時)、おそらく寒い夜でしょうが、昼に来れない方、ご都合のつく方はお立ち寄りください。風2567号で沖縄島酒・クースガミの話題もあり、秘蔵の古酒カメを開けることにいたしましょう。
あと一つ、思いがけなく銘酒2本(「農民・一喜」)の到来あり。これこそ吉兆と言うべき、皆様にぜひご披露したい、というのが「夜の部」開催に心変わり?した理由でもあります。山本健慈・和歌山大学長からの私信(掲載、お許しください)を添えておきます。
「…この酒、滋賀の実家の次兄がプロデュースしたものです。次兄は、もともと農業経営、農民・農業問題の研究をしておりましたが、…(中略)…
酒好きが嵩じて、農民組合と協力し、お米をつくり、酒造会社に注文をつけて<農民一揆>ならぬ<農民><一喜>ブランドを世に出したというわけです。2000本ぐらいの注文生産ですが、けっこう評判がいいようです。…
どうぞみなさまとご賞味ください。」 感謝!
2569号【2011年1月10日】
★<生涯教育・学習の文献>
福建省の李斗石さん(福建師範大学・生涯学習センター)から、日本の生涯教育(学習)関連の文献について問い合わせが来ています(風・前号記事)。ネットで調べたそうですが、書名だけでは内容がつかめない、選び難いとのこと。たしかにそうでしょう。南の風メンバーからもお気づきのところで、アドバイスなどお寄せいただければ幸いです。 →
lidoushi2006@yahoo.co.jp
日本では、ご存知のように、社会教育の概念が法的にも中心。生涯教育・学習の用語はそれと複雑に絡み合って展開されてきました。行政主導の生涯教育や地域遊離の生涯学習等については、むしろ批判的な文献も少なくありません。生涯学習振興整備法(1990年、法律名だけでは評価がたかい)も、内容的には厳しく批判されてきました。そんな状況も考慮の上、生涯教育(学習)だけでなく、社会教育や公民館の文献についても、視野を拡げて調べていただく必要がありましょう。
中国語で出版されている文献として、呉遵民・末本誠・小林文人共編『当代社区教育新視野』(2003年)『現代終身学習論』(2008年)の2冊があります(いずれも上海教育出版社)。その中の「日本終身学習的動向与実践」の章節に概略を書いています。韓国向けには、三ヶ月前に『日本の社会教育・生涯学習』(ソウル・学志社、ハングル版)が出版されました。日本の中心的学者・実践家が25名ほど執筆。参考になると思います。この中国語版への翻訳も企画されては如何でしょう?
韓民さんとも相談してきた経過があります。
日本国内の政策・実践の動きについては、詳細な資料を含めて、日本社会教育推進全国協議会編『社会教育・生涯学習ハンドブック』(エイデル研究所)が有益です。1979年から版を重ねてきましたが、数ヶ月後に新版が出る見込み。以上まずは当面のご返事として。
2568号【2011年1月8日】
★<写真集・砂川闘争>
前号からの続き。この正月休みに頂いた本。佐藤一子さんのライフワーク『イタリアの学習社会の歴史像−社会連帯にねざす生涯学習の協働』(東大出版)。思いのこもった大作。
福建省から届いた『終身教育』(隔月刊)6冊。最新号には11月上海で開かれた三国間国際フオーラムの記事がすでに収録され、ぶんじんを含む写真も掲載されています。
そして『写真集・米軍基地を返還させた砂川闘争』(砂川を記録する会・星紀市編)。これらは、いずれも2010年12月の発刊。毎日、出来たての本を開いて、幸せな正月休みを過ごしました。
立川の星さんは豆腐屋さん。砂川を記録する会を結成(1996年)、ビデオ「砂川の熱い日−砂川闘争47年目の証言」製作(2002年)、『砂川闘争の50年−それぞれの思い』(2005年、けやき出版)出版などの仕事があります。「南の風」でも紹介したこと(1554号、1555号、2005年11月)を思い出しました。
→■
1955〜56年「砂川闘争」の時期、ぶんじんは九州にいて、直接の体験はありませんが、再度の米軍基地拡張が策動された1960年代の、いわゆる第二次砂川闘争(1965〜1969年)の後半は、ちょうど東京学芸大学に赴任した時期。若い世代と格闘しながら間接的にいくつかの思い出があります。今回の写真集は、ベトナム戦争反対や沖縄復帰闘争とも関連していた頃の「写真を合わせて新たに編集し直した写真集」(あとがき)とのこと。砂川闘争から55年(森田実・政治評論家)をはじめとして、日米安保条約を憲法違反とした伊達判決、反戦塹壕等に関する証言も。写真は印象的な映像が多く「土地に杭は打たれても心に杭は打たれない」「自衛官よ人民に銃を向けるな」等のメッセージもあり。一部2500円。
星紀市さんの連絡先:立川市上砂町2-10-26、042-536-2924
2567号【2011年1月7日】
★<床の間に古酒瓶を>
お返しの賀状したため松の内。七日が過ぎ、配達される年賀状も一段落したようです。歳末からいくつか本もいただきましたが、出色は山原島酒之会『すべての家庭の床の間にクースガミを』。副題は「泡盛サミットin
名護・山原2005 」報告書。発行は2010年。「クースガミ」は古酒瓶のこと。5年熟成されて届いたことになります。立派な出来映えの報告書2冊、有り難うございました。石倉くん亡き今、どなたかに1冊を。
講演や座談会の記録を読みふけって日が暮れました。最初に開いた頁は、謝花流古酒づくり主宰・謝花良政さんの「古酒づくりの技法」。含蓄あるお話。「古酒づくりには五つの基本があると思っています。一番大切なのは古酒づくりに適したカメを手に入れること」。以下は要旨。
二番目は古酒カメに入れる仕込み用のお酒を手に入れること。35度以上であればよさそうですが、“風の部屋”の三つのカメは43度もの。三番目はカメの保管場所。家の中でわりと涼しい管理のしやすい所。床下は良くない。当方は玄関ドアのすぐ横、いつもそっと撫でる慣わし。
四つ目はカメの蓋の点検と衛生管理。管理が悪いと蓋のカビや酒に臭いがついてダメにしてしまう。五つ目が仕次ぎとそのあとのケア。カメを開けるのは2年目に1回、次は3年目に、その次からは少しづつ飲めるようになると…。風の部屋では、当初は数ヶ月おき(反省!)。この8ヶ月ほど開けていないので、そろそろかと思っていたところでした。
それにしても合い言葉「すべての家庭の床の間にクースガミを」は秀逸。ロマンあり未来へ夢を託す文化運動。サキジョーグ(飲んべえ)は、手塩にかけ愛情こめた古酒づくりのなかで、「…治りますよ」とのこと。
▼“風の部屋”二つの古酒カメ。古い(黒い)ポールカメから古酒を汲んで蓋を閉めたところ。東アジア交流委員会の主要メンバー。
中央・カンネヨンはすでに酔っている。(昨年4月、TOAFAEC研究会「東アジアの大都市」座談会の後、永福・20100410)。再掲
2566号【2011年1月5日】
★<年賀状>
毎年暮れ、大晦日を目前にして、追われるように年賀状作業に精出してきた半世紀余。教師故の、また社会教育で仕事をしてきた者の、宿命にも似た苦業かと思ってきました。思い立って、数年前から楽しい作業に転換することに成功! 年末に賀状を書かない、正月休みに、頂いた年賀状を拝見しながら、お屠蘇気分で、お一人おひとりへ、ゆっくりと賀状を書き始めるのです。恩師であり媒酌人だった長命の先生が亡くなられたのが一つのきっかけ。その後は賀状の相手は友人か後輩たち。当方が年長者となり、こういう無精も許していただけるだろうと勝手に考えています。
宛名もすべて手書き、挨拶文に出来れば一言書き添えて(なかなかそうもいきません)。なにより最近はワード等のソフト変換に頼りすぎで、漢字を書けなくなってきたことへの危機感もありました。年賀状作業はペン習字のいい手習い時間となりました。
頃合いを計ったように、筆まめソフトもプリンターも調子悪く、その上に自治体大合併で住所録はかなりの修正が必要(言い訳)。というわけで、いま探し出した古い万年筆で楽しんでいます。なかば酔いつつも、ときにふざけて、乱れたぶんじん年賀状がそろそろお手元に届く頃でしょうか。正月に免じて、失礼の段あればお許しくださるよう。
年賀状文化から決別する意見もありましょう。しかしそうも決断できない。年に一度のカードには捨てがたいメッセージが少なくない。かって学生運動でヘルメットをかぶっていた世代が、いまちょうど定年を迎える時代。次なる人生の岐路に立って、心に響く言葉が綴られてきたりします。過ぎし日の青春の勇姿を思い起こし、新しい道を元気よく歩き続けてほしいと願わずにはいられません。
2565号【2011年1月4日】
★<東アジアの視点>
東アジア研究交流委員会のML(石井山竜平さん、上掲)に触発され、正月のお屠蘇気分で、想い出話を一席。たしかに2010年は、社会教育・生涯学習の領域で、東アジアの研究交流が、新しい展開で具体的に動き始めた画期の年となりました。
私たちが「東アジア」の視点を提起したのは、1995年のTOAFAEC 結成でした。その前身に沖縄研究会があり、沖縄を起点として東アジア研究交流の必要を自覚したのでした。当初は中国との交流から始まり、2000年代に入って、韓国「平生教育」の躍動に刺激されるかたちで韓国研究への関心が胎動。しかし、少なくとも小林に関わっていえば、いつも二国間それぞれの動き。
この間、私たちの東アジアの視点を積極的に評価してきたのは、韓国では黄宗建そして梁炳賛、中国では韓民、呉遵民(いずれもTOAFAEC
年報編集委員)や葉忠海などの皆さん。2004年「創建学習型社区国際論壇」(上海シンポ)や、2006年『韓国の社会教育・生涯学習』出版を通して、いくつかの場面で興味深い話が交わされたことを思い出します。それに重ねて三国間の研究交流の気運が見えてくるのが2008年あたり。活動への具体的な提起となるのは2009年3月、上海「社区教育」調査の夜、葉忠海・呉遵民のお二人が私たちのホテルを訪ねて、中日韓のトライアングル訪問の企画や、三国間フォーラム構想についての意欲的な提案がなされたのでした。
この間、年報『東アジア社会教育研究』編集委員会では、非力ながら台湾を含む東アジアの“ひろば”づくりを15年間追求してきた歩みも書き添えておきましょう。ただ、これら東アジアの視点が、国内・社会教育の動きとは切り離され、いつも別の話題になってしまうのが残念。相互に刺激しあい、横に連動していく側面こそが大事なのに。
2564号【2011年1月2日】
★<各地からのメッセージ>
新しい年が明けて各地より年賀状が届き、加えていろんなメールを頂いています。有り難うございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
上海の呉遵民さん(華東師範大学)は年末に夫妻お揃いでの受賞、喜びの写真(下掲)や賞状なども添付で拝受しました。上に載せきれない新春お祝いご挨拶などをいくつか(私的なものも含みますが)ご紹介しましょう。まず太平洋上の南大東島より。
「明けましておめでとうございます。…南大東島は風が強く、非常に寒く感じる元旦となりました。初日の出を見に
… 雲が厚く掛っており、水平線からの日の出は見れませんでしたが、約30分後、雲の切れ間からのぞく太陽の光が降り注ぐと、すぐに温まり始めました。…」
(東和明さん、NPO南大東島まるごと館、Sat, 1 Jan 2011 10:18)
埼玉・鶴ヶ島の平井教子さんのメール。「おめでとうございます。内田君の慶事?まさか?もしや?こんな日が来ることを今か今かと待っていました(なんか、母親になったような気分!!)。…お相手の方は高知の方でしょうか?高知に行ったからには土地の方と所帯を持たなくてはね(違ったらごめんね。それもまた良し。)ともかく、おめでとうございます。」(Fri,
31 Dec 2010 19:34)
久しぶりに広州の李偉成さん(広州市教育局)より。「…アジア大会のおかげ、広州は昔よりずっと綺麗になりました。先生もぜひ奥様を連れ、広州にもお越しください。…今こそ民間的な交流は中日関係の回復にとても重要なので、先生がいらっしゃいますと私は学校訪問をご案内したり、先生の中日友好への貴重な尽力をご紹介したりすると、多少いい役割を果たせるだろうと思います。どうかお考えください。…」(閉門弟子より、Sat,
1 Jan 2011 23:40) 李さんは学大院の最後の卒業生でした。
そう言えば、上海訪問のあと、よく広州へ足を伸ばした一時期がありました。広州に恋人がいるのでは・・・と噂した人もいたような。有り難う李さん、また茘枝の季節にでも広州訪問の計画を考えましょうか。
▼呉遵民さん、上海市社会科学界連合会より最優秀論文賞(上海、20101219)
2011年
2563号【2010年12月31日】
★<この1年>
本号で今年の「南の風」は吹き納め。実はもっと載せたいメールも頂いていますが、すでに長文、年の瀬に免じて、割愛させていただきました。ご挨拶の一部は、…のマークで、中後略したところあり、それぞれの失礼をお許し下さい。
南の風は、昨年来の常連・御三家、いや、今年はとくに伊藤長和さん「烟台の風」に、脊を押されるようにして、吹き続けてきました。丁寧かつエネルギッシュな海を越えての送信、ご苦労さまでした。賞でもあげたい思い。頂いていた滞留の烟台便りを、なんとか本号までに掲載できて、やっと年が越せます。「烟台の風」
→■ には愛読者がたくさん。
そして、岩本陽児さんの旅日記。一緒に紹興・上海に同行して驚きました。午前のぶらぶら町歩きが、午後には文章になって、USBで手渡される。南の風は、あまり長い文章を好みませんので、何度か削っていただいたことも。上海レポートの最終号をようやく本号に載せることができました。
実は上海レポートには1両日の空白があり、ぜひ追加してほしい、と注文しています。しかし旅から帰ったあとは、臨場感がないのか、和光大学が忙しいのか、その後は届きませんでした。ホームページにはメモを付して、「未完」と書いておきました。未完成は、常にいい音楽?
→■
この1年で、208通の風が出ました。隔日刊のリズムを越えたのは、もっぱら烟台の風の勢いか。もちろん多くの方々からのご寄稿、ご愛顧有り難く・・・、年末にあたって、このように御礼のご挨拶が出来ること、まことに嬉しい限り。暦は2011年へ、良いお年をお迎えください。
2562号【2010年12月29日】
★<本屋に立ち寄って−安井家資料研究のこと>
昔の雰囲気をもった本屋さんが少なくなりました。叔父夫妻で経営していた京王烏山駅前の京王書房も、二人ともに亡くなって店を閉じてしまいました。定期購読の雑誌が立ち往生、いま井頭線・浜田山駅前の本屋さんにお願いしています。昨夜「雑誌が届いていますよ」との電話、年末精算の必要もあり、散歩がてら立ち寄りました。つい別の本に手がのびる。本は買わない方針ですが、なかなかそうはいかない。
立花隆『天皇と東大』(上下、文藝春秋)が版を重ねて、さぁ買っておくれと言わんばかりの表情。副題「大日本帝国の生と死」に目がいってしまって、とうとう重い荷物をかかえる羽目に…。
この本では、戦後教育改革のレールを敷いた田中耕太郎(戦時下・法学部教授、のち文部大臣)との関連で、安井郁助教授(当時)の教授昇格問題の話題がとりあげられています。田中も横田喜三郎(国際法教授、のち最高裁長官)も、安井昇格に大反対したのです。戦時下の時流迎合的と評される指摘(『南原繁回顧録』東大出版会)もあり。
安井郁は戦後は公職追放となり東大を追われることになります。しかしその後、地域(杉並)でPTAと出会い、社会教育に関わり(公民館長・図書館長)、平和運動のリーダー、原水協理事長として活躍するのは周知の通りです。
ことし安井家の事情もあり、私たちの安井家(原水禁運動)資料研究会活動・データベース作業は進展をみませんでした。活動休止の直前に報告書『ひたすらに平和願えり』(2008年版)をまとめていますが、来年どのような展開になるのか…。安井節子さんはその後、体調回復されたでしょうか。
2561号【2010年12月28日】
★<TOAFAEC1月例会案>
来る1月28日(金)予定の、TOAFAEC 第169 回定例研究会の企画を事務局の皆さんに相談しようとした矢先、石井山さんから「三国シンポ」報告学習会の開催案が届きました(1月29日案・上掲)。そのご返事を兼ねて本欄を書いています。
もともと1月28日夜の企画は、ACCU に出席をお願いして,「アジアのCLCと日本の公民館」テーマによる対談を開く案でした。ACCUには快諾いただきましたが、日程として2月末の希望(風2557号)あり、別案による1月研究会の内容を思案中でした。
当日は(おそらく)烟台から帰国の伊藤長和さんが出席予定。それに「…12月の研究会での積み残し、岩本陽児さんの紹興・上海の映像報告をお願いしては如何?」(2557号)、さらにぶんじんも加わって3者揃い踏み?の11月・上海シンポ報告会案を考えていたところです。伊藤さんはすでに上海レポート「これからの中国研究を考える」を提出すみ。ぶんじんのテーマは「三国間交流のこれからと課題」(仮)を予定しています。伊藤さん、岩本さん、ご承諾願えましょうか。
これと石井山さん提案の学習会を合体する案もありましょうが、如何でしょう? ぶんじんの意見は、上海訪問団として帰国後はじめての報告・学習会(29日)でもあり、こんごに向けて課題も少なからず。それぞれ別建てにして両日開催する、都合がつく方はどちらでも参加できる、という豪華版?にしてはどうかの案。小生は両日とも可能です。
なお2月10日からの沖縄研究フォーラム(風・前号)についても別途ご案内が出る予定です。関心ある方のご参加をぜひ!
2560号【2010年12月27日】
★<沖縄フオーラム、韓国へのお誘い>
年の瀬となりました。年越しの仕事を残しているのは通例、しかし年内の主な日程がようやく終わり、皆さんもゆっくりと歳末休みに入った頃でしょうか。当方も25日までの九州行きを終わって、主要スケジュール終了。年賀状など(どうしようかと)考えているところです。
12月23日は、沖縄研究フオーラム立ち上げ相談のため、熊本から山城千秋さんが北上、ぶんじんが福岡から南下、久留米で落ち合う手はず。久留米実家でお茶を楽しんでいたところ、予定の魚の店が祭日で休みと分かり、やむなく沖縄フォーラム応援団?農中茂徳さんの車(古賀皓生さん同行)で、一路また北へ。福岡・油山の寿司屋に逆もどり。
車中でも、これからの沖縄フオーラム(風2556号)をどう進めるかの論議。気がついたら寿司屋に着いていました。九州もせまくなったもの。話ははずんで、来年2月10日から(石井山竜平さんとも打ち合わせ)の沖縄フイールドワークについて那覇・名護へも日程調整の電話。
これからの構想や具体的日程など、山城千秋さんから報告が寄せられると期待しています。新年第1号の「風」巻頭を飾ってください。
できればこの機会に、韓国のヤンビョンチャン先生を誘いたいという話もしました。ご都合がうまくつくかどうか。韓国のマウル・共同体や平生学習マウルづくりと関連して、沖縄の集落(シマ・アザなど)共同体的な公民館との出会いを企画したい。また上海の夜に話した今後の中国研究会の機会についても具体化できないか、など考えています。別便で、ヤンさんへのメールを書き始めたところ。
2559号【2010年12月25日】
★<アーデルさんへ>
「アーデルさんから何か連絡ない?秋には日本に来るような話だったけど・・」と東京のママが心配していました。音沙汰がないので、きっとまだカイロだろうと話しあっていたのです。今月初旬から大阪(上掲メール)だったのですね。
悲しい知らせ、お父上のご逝去、心よりお悔やみ申しあげます。その最後を看取ることができず、悲報は数日さまよった由、悲しみいかばかりかとお察しします。私たちは、あなたの故郷(カイロから北へ約60キロ、こんこんと水が湧く豊かな農村)を訪問したことがあります。生家で大歓迎を受け、そのときお父上にお会いしましたね。記録によれば、2000年9月のこと。「ナイル通信」としてHPに収録しています。
→ http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/egypt.htm
いま福岡にいますが、お正月は東京で過ごします。その昔、アーデルが院生だったころ、正月はいつも福岡。たしか年末の沖縄を経て油山で正月、泊まっていただいたことがありましたね。福岡での新年会が懐かしい。いまは孫たちと一緒に過ごすため、東京で正月を迎える慣わし。
今年の東京・新年会は16日の予定(風2258号
→■)です。気を取り直して昨年のように賑やかにお出かけ下さい。お待ちしています。
ちょうど1年前、貴君からクリスマス・プレゼント?として「ピラミッド・ギザ遠望」写真を送っていただきました。「ナイル通信」の扉に飾っています。あらためて再掲しましょう。お父上の安息をお祈りして・・・。
▼アーデル家からギザのピラミッド遠望、ナイルも流れて・・・ (20091220)
画像撤収
2558号【2010年12月23日】
★<冬至の日に>
何かと慌ただしい師走、皆さんからたくさんのメール、有り難うございます。「エリトリア」訪問を終えてカイロに戻った斉藤真哉さんの便り(上掲)には驚きました。さすが!
小林ゼミ出身のフットワークだ。この人は現職の社会教育主事(東京都板橋区)、職場の方は大丈夫なのかと心配にもなります。ちなみにエリトリアは、20年ほど前にエチオピヤから独立、人口約500
万の紅海に面した小さな国。無事の帰国を祈っています。カイロでアーデル氏が元気かどうか確かめて下さい。
ところで今年の前半、あまり良い年ではなさそう、と書いたことがあります。横にいた誰だったか、「名護の稲嶺ススムさん当選!」と慰めてくれました。たしかに!名護市長選の結果は私たちを元気づけました。その勢いをもらって、後半は吉事・慶事の連続。何よりも韓国への出版『日本の社会教育・生涯学習』、日韓双方での出版記念会、上海では中韓日の三国シンポの盛況、私たちの年報15号の充実などなど。
しかし今日、昼がいちばん短い冬至の日に悪い知らせが届きました。残念!終日いろんなことを考えていました。加えて訃報あり。和光大学で同僚だった石原静子先生(心理学者、前和光学園理事長)が亡くなられたとのこと。TOAFAEC
とご一緒にモンゴルへ旅した仲。合掌!
吉凶禍福は世の常、悪い知らせは南の風に似合わない。つい筆がすべりました。前号の研究会報告の末尾、「とってもめでたい」話に免じてお許し下さい。
2557号【2010年12月22日】
★<来年1月の日程>
師走21日、福岡は終日の雨模様。冬の雨はイヤなものです。濡れていこう、というわけにはいかず、久しぶりに山道を歩きたいと思っていたのに…、やむなく風・本欄を書いています。
数日前に岡山・内田光俊さんの新版「公民館の風」第2号(19日付)が届きました。ご苦労さまです。日本公民館学会の記録を発行・編集人が自ら書き下ろし。頑張り過ぎると、かえって長続きしないのではないかと心配になりました。しかも「公民館の風・ホームページを立ち上げました」とのこと。これまでにない腕前。内田純一さん(旧版)「公民館の風」や「南の風」とのリンクも。洒落たページづくりだ。南の風はすでに新しいページ(2551号〜)に動いていますが…、ねんのため。
→ 内田・公民館の風
■ http://kominkanwind.web.fc2.com/
ところで、本号に報告収録の168 回研究会で「東アジアのCLCと日本公民館の出会い」について、ACCU・柴尾智子さんのお話を聞く機会をもとう、できれば1月研究会で…、と提案しました。その記録を来年の年報16号に収録することも視野に入れてと。お願いの電話と詳細メールを柴尾さんに差し上げたところ、折り返し快諾のご返事(上掲)。しかし、日程は2月にしてほしいとの希望です。というわけで、1月28日の研究会は別の企画を用意する必要あり。先日の研究会での積み残し、岩本陽児さんの紹興・上海の映像報告をお願いしては如何でしょうか?
1月日程では、恒例の新年会案内も着信していますが、本号に収録できず次号まわし。1月16日(日)の予定−確定−です。
雨の晴れ間あり。夕食に天神へ。ワイン数本とチーズなど若干を仕込んできました。
2556号【2010年12月21日】
★<沖縄研究・第3サイクルへ>
南の風は、もともと沖縄からの風。1998年に沖縄研究再開の呼びかけメールとして「南の風」は始まりました。この数ヶ月、新しく風に参加された方々もあり、あらためて経過を書いておきます。
まず、1976年秋の「沖縄社会教育研究会」の出発。東京学芸大学研究室が拠点でした。戦後アメリカ占領下の沖縄社会教育、その資料調査や証言収集に取り組み、同『史料集』全7冊、『民衆と社会教育−戦後沖縄社会教育史研究』等が刊行されました。私たちの沖縄研究の第1サイクルです。
その後も沖縄調査は断続的に続けられましたが、とくに米兵少女暴行事件(1995年)を契機とする反基地闘争や、集落(字)の公民館活動・字誌づくり・青年会活動等の新たな展開を背景として、第2サイクルの沖縄研究が動いていきます。東アジアへの関心も加えて、TOAFAEC (東京・沖縄・東アジア社会教育研究会)がスタートし、「南の風」が吹き始めたのでした。当時の思いは、ホームページに載せています。→
■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/Toafaec-Okinawa.htm
宮古・与那国・竹富など南の島々も旅してきました。字公民館とのさまざまな出会い、地域史研究の拡がり。そして『おきなわの社会教育−自治・文化・地域づくり』の刊行。名護で社会教育研究全国集会(2002年)が開催されたことなど懐かしい思い出。
そして、新しい世代の登場による「沖縄研究フォーラム」の立ち上げ構想(上掲・山城千秋メール)。沖縄研究のいわば第3サイクルがいま始まろうとしています。関心ある方々のご参加を!
福岡・油山に冬の月が冴えわたっています。今年も残りわずか10日。
2555号【2010年12月19日】
★<書き忘れていたこと>
昨夜(17日)は今年納めのTOAFAEC 定例研究会(合評会・忘年会)。来年に向けての「東アジア社会教育研究」編集体制の話も動いて、まさに「望年」会の趣き。ご出席の皆様、お疲れさまでした。いずれ当夜の記録が寄せられることと思います。
本欄に書いておきたいこと、日々の話題に追われて、忘れてしまうのが少なくありませんが、上記・合評会の折にふと思い出したことがあります。今年の大きな収穫は、韓国に向けて『日本の社会教育・生涯学習』出版を実現できたこと。出版記念会(5日夜、つくば)では、編者挨拶として、三つのことを申しあげたつもりでした。しかしこの夜は、お祝い会の気分、公民館学会の疲れもあり、冒頭から飲み始め、話は断片的となり、失礼してしまいました。楽しい話題いろいろ(写真)、ぶんじんは酩酊状態に陥りました。
三つのこと。いま思い出して・・・。一つは、この画期的な仕事は、日韓双方の若い留学生の役割があって初めて達成できたこと。上海シンポに関連して「留学生への感謝」として本欄(2545号)に書いた通りです。二つには、この種の出版は研究者や学会の業績として語られがちですが、自治体とくに川崎の日韓交流の蓄積が大きなエネルギーとなったこと。その象徴として編者・伊藤長和さん(加えて小田切督剛さん)の存在がありました。
あと一つ。この本の(日本側)執筆者は20人余り。海を越える出版ということもあり、編集委員会はすべての原稿について吟味させていただき、積極的なリライトをお願いしたこと。ある方はほとんど全面的な書き直しに応えていただきました。このことは、また別の機会に書くことにしましょう。
いま久しぶりの福岡行きの準備を急いでいます。沖縄行きは結局、断念しました。
▼山本健慈・和歌山大学長(右端)のスピーチ 。棚に新刊2冊・韓国出版と第15号
(つくば、20101205)
2554号【2010年12月17日】
★<海を越えて風は吹く>
誌面でお気づきのように、風のメンバーが増えています。あまり拡げない方針ですが、この間、韓国出版の記念会や上海国際シンポでの出会いあり、海を越えて「風」ネットの動き。配信のご希望があれば応えるようにしています。他方で、先般の100
号おきのアドレス帳整理は充分でなく、配信リストは漸増中。いま140通前後となり、やや肥満気味。
上海シンポに関連して、福建師範大学・李斗石さんのことを本欄に書きました(「福建省とのお付き合い」風2549号)。ご本人にお送りしたところ、それがご縁となって、福建省との新しい通信(上掲)が始まりました。「福建省とのお付き合い」は、そのまま中国語訳されて、先方の『終身教育』誌に掲載されるそうです。「福建省全民終身教育促進会」ホームページには、上海国際シンポの様子が速報されていますが、石井山竜平さんやぶんじんの写真入り。福建独自の生涯教育の潮流とその発進力を実感させられます。
→■ http://www.lifelongedu.com.cn/Index.html
本日17日は、TOAFAEC 第168 回の研究会=忘年会、今年納めの定例会(風2547号に案内)です。年報「東アジア社会教育研究」15号の合評会だけでなく、来年の第16号に向けて、新しい編集体制を協議していただく大事な話し合いとなりましょう。冬の寒い夜ですが、お誘い合わせの上、ご参集ください。→■
2553号【2010年12月15日】
★<沖縄研究フォーラム(仮)再生へ向けて>
官房長官の沖縄米軍基地「甘受」発言(14日記者会見)は、ウチナーンチュの尊厳を踏みにじるもの、米軍基地をめぐる「構造的差別」の根は深い(沖縄タイムス・15日社説−上掲)の指摘、まったくその通りだ。この間の政権交代へかけた多くの期待は、いまやすっかり消え失せただけでなく、許し難い思い、むしろ怒りをおぼえます。政権政党の最近のドタバタ劇ニュースは見るに耐えない!
その沖縄へのご無沙汰が続いています。今年もはや12月の後半。昨年の今頃はちょうど名護市長選が盛り上がって、市長候補・稲嶺ススムさんへのささやかなカンパを集めたり、1月の名護総決起集会への参加準備をしたり、など思い出しています。
今年後半は、韓国・中国への旅が続き、沖縄に行く余力がありませんでした。「…昔であれば、海外から帰ったその足で沖縄に遊ぶ力がありましたが、年寄りにはすでにその力なく、なんとか福岡の陋屋の、歳末の掃除だけでもと思うのが関の山・・・」と名護・島袋正敏さんにお詫びのメールを出したところです。
しかし、この半年来、(仮称)沖縄研究フォーラム再生へ向けての下相談はしてきました。やんばる対談の第2弾、あるいは山城千秋さんが取り組んでいる沖縄青年運動の証言収集や資料のデータベース化、そんな課題はたくさん。その烽火(のろし)が南の方から勢いよく燃え上がるときが(年明け早々にも)やってくるのではないかと期待…。ほんとかな?
2552号【2010年12月14日】
★<本を高く掲げて…>
13日(月)は朝からユネスコ・アジア文化センター(ACCU)主催の国際シンポ「公民館とアジアのCLCの協力」(風2550号既報、神楽坂・日本出版クラブ会館)に出かけました。インドネシャ、タイ、カンボジヤ、ベトナム、ラオス、中国、韓国からの報告。そのテーマ・内容だけでなく、多国間の国際シンポの運営についても興味があったのです。
国内では、文科省や国立の教育研究センタ−など政府関係者が25人余(名簿)、大学や自治体の正式メンバーが14人、加えて私たち一般参加者が30人前後。アジア・レベルで「公民館」がこのように語られるようになった時代の動き、他方で国内の公民館の著しい退潮、そのギャップにも思いを馳せ、妙に興奮して座っていました。しかし先約あり、午後には別の会合(ビール付き)へ移動。第2部に「発言を」と挑発?されましたが、退席せざるを得ず、残念でした。
韓国からはチェ・イルソンさん(慶煕大学校・准教授)が勢いよく報告。話の枕に私たちの名をあげ、新刊『日本の社会教育・生涯学習』の本を高く掲げて、「すばらし出版」(そう聞こえた!)と紹介してくれました。韓国側でこの本がいまどのように読まれ始めているか、気になっているだけに、このときも妙に心騒ぐものがありました。
中国からは国家教育部−成人・継続教育課長(張志クン=土偏に申=さん)の報告。当方の名前をご存知で、旧知のように挨拶しあいました。
なお、会場の後ろには、献本した「東アジア社会教育研究」第15号が展示されていました。ご報告まで。
2551号【2010年12月12日】
★<ノーベル平和賞・私には敵はいない>
12月11日(土)の各紙朝刊は、ノルウェ−・オスロで開かれたノーベル平和賞授賞式を取り上げています。受賞者・劉暁波(リウシァォポ−、中国民主活動家、「08憲章」の中心的起草者)は獄中のまま出席できず、空席の椅子に置かれた平和賞の証書とメダルのみの写真。
本欄では、昨年の六・四に関連して「08憲章」のことを書いています(南の風2231号、6月6日発行→■)。その後、12月に劉暁波著『天安門事件から「08憲章」へ』(劉燕子ほか訳、藤原書店)が出版され、憲章の全文だけでなく、劉暁波の一連のメッセージを読むことができました。しかし、この本が世に出たちょうど同じ頃、劉暁波には懲役11年の実刑判決が言い渡されたとのニュース。事態を憂慮して日本では今年1月に緊急集会(早稲田大学)が開かれ「アジアにおける民主主義の問題だ」「決して対岸の火事ではない」等の発言に共感が拡がったとの報道を記憶しています。
授賞式では、劉氏の裁判での最終陳述「私には敵はいない」が代読されたそうです。たいへん印象的なアピールです。
「…私の心は、いつか自由な中国が生まれることへの楽観的な期待にあふれている。いかなる力も自由を求める人間の欲求を阻むことはできず、中国は人権を至上とする法治国家になるはずだ。…
私は期待する。私が中国で綿々と続いてきた言論による投獄の最後の被害者となることを。」(抄訳、朝日12月11日記事)
南の風・日誌・2501〜2550号■