南の風 50号〜100号発行リスト・ぶんじん日誌2  TOP

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本号目次
第51号【1998年7月 6日】大学間研究ネットワークの模索
第52号【1998年7月 7日】沖縄研究、竹きりてきたる子どもよ
第53号【1998年7月11日】福岡からご挨拶、岡メール
第54号【1998年7月13 日】夏のスケジュール、満月は万人を照らす
第55号【1998年7月15 日】原稿到来、「いい夏休みを」
第56号【1998年7月16 日】上海へのまなざし、飯田へのおもい
第57号【1998年7月20 日】コ―レ―グス、つくったよ
第58号【1998年7月21日】暑中御見舞いと経過報告・特集号
第59号【1998年7月22日】学会特別年報編集の合宿、疲れたけれど
第60号【1998年7月23 日】編集いよいよ大詰め、うなぎよ
第61号【1998年7月24日】これは驚き、北の風だよ
第62号【1998年7月25 日】公民館地域史研究の試み、与那国へ
第63号【1998年7月31日】与那国から台湾をのぞむ
第64号【1998年8月 5日】第3号編集おしまい(にしたい)
第65号【1998年8月 6日】韓国の厳しい夏?
第66号【1998年8月10日】飯田につどう人形たち
第67号【1998年8月11 日】はるかにエイサー太鼓の響き
第68号【1998年8月12 日】華東師範大学とどうつきあうか
第69号【1998年8月13日】沖縄地域史・宝の山ご紹介
第70号【1998年8月15日】8月15日、与那国地域史資料
第71号【1998年8月19 日】夏来たらず、夏去りゆく
第72号【1998年8月21 日】韓国からの手紙
第73号【1998年8月25 日】この夏、鬼の霍乱(かくらん)
第74号【1998年8月31 日】全国集会終わる、華東師範大学のこと
第75号【1998年9月 3 日】与那国の密貿易と海賊、上海訪問
第76号【1998年9月 4 日】末本メールをめぐって、上海訪問の日程
第77号【1998年9月 7日】珍しいメール、初めてのメール
第78号【1998年9月 9 日】東アジア第3号入稿おわる
第79号【1998年9月11日】北からのメール(内田)、宮古地域史
第80号【1998年9月12日】沖縄研究の視点(末本)
第81号【1998年9月14日】科研費申請の季節きたる
第82号【1998年9月16 日】「松花江上」(9・18)を想う
第83号【1998年9月19 日】若き(若くない)晃子の悩み
第84号【1998年9月20 日】ホームページ追加工事なる
第85号【1998年9月21 日】秋、しかし秋風さわやかならず
第86号【1998年9月22 日】「公民館50年」別企画の編集すすむ
第87号【1998年9月23 日】返歌、歌ごころ、あな嬉し
第88号【1998年9月29 日】社会教育学会、そして大都市研
第89号【1998年9月30 日】韓国からも上海訪問の意志あり(魯在化)
第90号【1998年10月1日】双方向の「ひろば」を創ろう
第91号【1998年10月2日】韓国の生涯教育白書
第92号【1998年10月3日】韓国の美女ひとり、京都にあそぶ
第93号【1998年10月5日】盛りだくさんの白書・表一覧
第94号【1998年10月6日】神戸から沖縄、北へ帰る人ありて
第95号【1998年10月7日】キャンパスに金木犀かおる
第96号【1998年10月8日】沖縄訪問、上海訪問の計画
第97号【1998年10月9日】社会教育法の中国語訳
第98号【1998年10月10日】上海訪問の日程について(緊急連絡)
第99号【1998年10月12日】定例研究会、久しぶりの鹿児島メール
第100号【1998年10月13 日】100号ご挨拶、羅李争からの歓迎メール


 <ぶんじん日誌>


永福・ベランダに咲くあかばな

第51号【1998年7月 6日】大学間研究ネットワークの模索
 上海の華東師範大学との交流にについて、どうすすめるか。やや長くなりました。
ちょっと疲れました。東京はすでに猛暑、暑気払いでもしながら、愉快にやりましょう。
◇顔ほてり流るる汗に乙女らのはじける笑い梅雨あけの電車
◇贈られし帽子をかぶり熱風のうずまく世間を涼しげ歩む

第52号【1998年7月 7日】沖縄研究、竹きりてきたる子どもよ
 パソコンに疲れたら、小さな庭にでて汗を流し、近くの馴染みの店でビールでおいしい魚。
東からゆらゆらのぼる月は満月!
◇蝉しぐれ笹竹切れば新たなる風の通路にあげは蝶舞う
◇玄海の烏賊のま白き輝きは女人の柔肌宝物のごとし
◇あらかぶのあらだきうまし月も出て昌吉「花」に踊る人あり

第53号【1998年7月11日】福岡からご挨拶、岡メール
 今福岡油山、岡幸江さんメールあり。
パソコンに疲れたら、小さな庭にでて汗を流し、近くの馴染みの店でビールでおいしい魚。東からゆらゆらのぼる月は満月!
◇蝉しぐれ笹竹切れば新たなる風の通路にあげは蝶舞う
◇玄海の烏賊のま白き輝きは女人の柔肌宝物のごとし
◇あらかぶのあらだきうまし月も出て昌吉「花」に踊る人あり

第54号【1998年7月13 日】夏のスケジュール、満月は万人を照らす
 7月13日は和光メンバー数人で松本へ。和光移動大学の打ち合わせ。手塚さんは神戸にでかけ、不在とのこと。残念。
8月6〜7日、(松本・公民館研究集会のあと)飯田の国際人形劇カーニバルに参加の予定。かっての東京学芸大学「麦笛」
のメンバー(「わけちゃん」など)も参加しているに違いない(と確信している)。
 カーニバルの裏方は飯田の公民館職員集団だ。たとえば、木下巨一はFAXでこう伝えてきた。「6日から8日までは
公民館の2階で公民館の主事たちが夜の12時まで“夜のサロン”を開き、さまざまな交流を予定しています。お待ちします。」
一度は参加してみたい、という思い切。だれか一緒に行かないか。
◇黄いろなる満月いまか屋根の上に在りと思いつつわれは寝にけり
◇乙女らと十三夜月は美しき されど満月また万人を照らす(岩谷莫哀)

第55号【1998年7月15 日】原稿到来、「いい夏休みを
 第29回 TOAFAEC研究会開催のお知らせ(内田) *前文・略
 にちじ:98年7月23日(木)18:30〜 20:30
 ばしょ:高井戸区民センター3F(第4集会室) (京王井の頭線高井戸駅前)
 なかみ:「韓国の教育政策と民衆意識」
 報告者:朴 三植さん(早稲田大学大学院) ※会場表示は、「学習会:地域と教育」です。
 <連絡先>〒185 国分寺市高木町2-10-1,2-101 内田純一
 *案内のなかに「暑気払い」を加えたい。(ぶ)

◇モンゴルの若人ふたり謹んでチンギス・ハーン像白布で飾る(七夕の会)
◇夏きたり親しき仲間ら酒交わし「いい夏休みを」とて別れたり
  (七月定例教授会のあと、和光はこのあと長い夏休みに入る)

第56号【1998年7月16 日】上海へのまなざし、飯田へのおもい
<参院選、波乱と流動、いくつかの回想>
―沖縄の各新聞ともに島袋宗康さんのこぼれる笑顔の写真を大きく掲げた―
◇数百の票差で勝ちし闘いはいま数千差喜びのカチャーシー
(沖縄・島袋宗康さん参院選勝利、1992年から1998年へ)
◇宗康さん招き勝利を誓いしに数百票差に泣きしあの夜
(進藤文夫さん市長選、わずか数百差で敗れた1993年6月)

第57号【1998年7月20 日】コ―レ―グス、つくったよ
 福岡・油山には空き地があるが、東京・永福はマンション住まい。殺風景なベランダ。鉢をいくつか置いているが、もっと緑がほしい。
ある日、思い立って、小さな花壇をしつらえ、土を運び、ハーブを4,5種ばかり植えこんだ。
 次の日、ハーブを分けてくれた花屋が、紅いトウガラシ(唐辛子)の鉢をすすめる。迷いながら、一株いっしょに植えてみた。これが大成功。
緑のハーブのなかで、みずみずしい紅のトウガラシがあざやかだ。毎日、紅は増えていく。
◆おお、トウガラシよ、元気と情熱の象徴!
  ある朝、「そうだ、沖縄のコーレーグスをつくろう」と思いついた。そこでわが友、具志頭の上原文一に電話して、教えを乞う。
「泡盛にトウガラシを入れるだけ?」「そうです」。なぁーんだ、簡単だ。
「ただし、泡盛は30度以上のものでないと駄目」とのこと。幸いにわが家には、八重山(渡慶次さん)からいただいたばかりの、ほんもの「どなん」
がある。早速、小さな瓶に、つくったよ。手づくりコーレーグス、いい出来です。まろやかな辛みと香り。こんどは「名護そば」が欲しくなったよ。

<参院選にまつわる回想ー続き、第56号に書き忘れ>
◇梅雨明けの陽射しさやけくあれかしと唄いしロマンいまなおありや
  (「梅雨明け宣言」コンサート、新垣重雄、いま社大党書記長)
<おまけ、今晩の風景>
◇パソコンにワインとチーズつきあわせハーブのみどり台湾の茶

第58号【1998年7月21日】暑中御見舞いと経過報告・特集号
◆20年前に沖縄研究を開始した頃と比べて、いくつか大きな変化があります。一つは、かっての若手がいまや学会の中心メンバーとなって
いること(あの頃、みな20歳若かった)、二つには、当時と違って資料等かなりの研究的蓄積、研究ネットワークが拡がってきていること、
三つには、沖縄だけでなく、東アジア研究の視点をもっていること、などが挙げられましょう。せっかくの機会ですから、いい成果に結実させたいもの。
◆また東京では、従来の「沖縄社会教育研究会」をさらに発展させて、1995年以降「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」(略称・TOAFAEC、
和光大学社会教育研究室)を創設し、活動を継続してきました。(代表・小林文人、事務局長・内田純一、会計・江頭晃子)
たとえば、研究年報『東アジア社会教育研究』bP、bQ、の刊行(現在、1998年度bR,の編集中)、韓国・台湾を含む中国研究者等との研究交流、
とくに華東師範大学(上海市)との研究提携の協議、定例研究会の開催、などなど。しかしまったく基金的な基礎はなく、いわば貧しいNPO的活動。
◆手づくり(小林ぶんじん)ホームページがあります。機会があれば、是非のぞいてみて下さい。

第59号【1998年7月22日】学会特別年報編集の合宿、疲れたけれど
 今日は良き日ぞ! 思いがけなく学芸大学時代の教え子より、その昔貸した本が送られてきた。驚いた。これも沖縄が取り持つ縁。
いまの住所(引っ越して18年)を沖縄関係者より聞いたとのこと。有り難や。ちなみにその本とは:
W.B.Brookover 著『A Sociology of Education』Second Edition,1964.
1970年代初頭の(学部)学生は、こんな本を教師から借りていたのか、
ということも感激の一つ。いまは、学生がほんとに本を読まなくなった?
<わが棚に帰りし本を詠む>
◇四半世紀を旅して戻る本ありて愛し子のごと背文字いとしむ
◇本も花もそれを愛する人の手にあるこそ命と言いしは誰ぞ

第60号【1998年7月23 日】編集いよいよ大詰め
 <うなぎの季節だ>
◇昼蚊帳のなかにこもりて東京の鰻のあたひを暫しおもいき (斉藤茂吉)
◇国立の線路きしみしガード下「うなちゃん」2階で歌うたいあう

第62号【1998年7月25日】公民館地域史研究の試み、与那国へ
 <回想:1990年夏、台湾からの招聘、一人離れて花連(東海岸)に遊ぶ(1990年8月25日)>
◇花連(ほわりあん)の港に佇ちて手をかざし目をこらせども与那国見えず
 <与那国の「老人と海」を想う(1990年9月22日)>
◇与那国の海の碧さはきわまりてカジキに挑みし海人(うみんちゅ)ありき
(1990年9月22日

第63号【1998年7月31日】与那国から台湾をのぞむ
 ちょうど1週間の宮古・与那国の旅を終えて、福岡にたどりついた。10:30与那国発、石垣経由、14:10 福岡着。
早いものだ。かなり疲れた。そして充足感。いま、福岡の隠れ家で、石垣空港で渡慶次賢康さんにいただいた石垣
地ビール(ヴァイツェン)をひとり飲んでいる。同行の諸氏、お疲れさま!
◆昨日(7月30日)、内田くんが与那国を離れて、一人になったあと、宮良純一郎さん(与那国町教委・教育課長)の
車でふたたび久部良へ向かう。文字通り(日本の)西のはて、西崎(いりさてぃ)岬に再びのぼって、夕日を見るのだ。 
 *ちなみに与那国の東の岬は「東崎(あがりさてぃ)」,喜納昌吉が歌っている。
 最西端の島の太陽はまだ高く、なかなか落ちてくれない。久部良中、同小の両学校を訪問する。どちらも校長さんが
待機されて歓迎していただいた。決して時間つぶしではないのだが、心はなんとなく夕日に向かっている。
◆学校を辞してもまだ落日までに間がある。ぐるぐると久部良の集落をまわる。港から「久部良バリ」に曲がるところに
字公民館がある。横に御嶽(うたき、八重山ではオンという)もある。公民館の前で粛然!思わず頭を垂れた。ドキュメ
ンタリー映画「老人と海」の故糸数繁氏のサバニが置いてあった。舳先の横が無惨に砕かれている。おそらくカジキと格闘し、
海中に引き込まれ、沈んでいったのだろう。「よなぐに」町勢要覧は「名誉町民」として、紺碧の海をバックに糸数老人の
写真を掲げている。
◆カジキマグロをさばいている波止場の横の店でビールを仕入れて、日本の最西端・西崎へ。どこから来たのか、若者たちも
4,5人いた。ゆったりした落日。ビールで乾杯。忘れがたい1日となった。
◆今回の調査旅行で感じたこと、いくつか。
1,沖縄研究第1サイクル当時の宮古調査(1983〜84年)からほぼ15年、長老格の方々は多く亡くなっていた。地域も人も、
また風景も多くの変化がある。若い世代では、根間玄孝氏(「宮古農民抵抗運動史」著者、平良市教育委員会・係長)の急逝(癌、一昨年)
が惜しまれる。そういえば年賀状が来なくなっていた。
2,「沖縄社会教育史料」第6集(宮古・八重山特集ー1986年)は、いまとなっては貴重な記録となった。いま、あらためて読み返してみて、
ていねいな仕事をしたものだ、なかなか良くできているぞ! ひそかに自画自賛。
3,この間の地域史研究はやはり注目すべき資料群を生みだしている。しかし市町村史に比べて、集落史は宮古も八重山も少ない。
4,与那国は聞きしにまさる「国境の島」だ。少なからず(外部研究者やマスコミ等による)記録・文献があるが、与那国町内部とくに
行政関係資料は、逆にあまり整備されていない。
5,今回とくに、宮古では下地達男(城辺町教委・課長)、与那国では宮良純一郎(上記)の両氏にお世話になった。私たちの滞在中、
ぴったりと付き添っていただいた。私たちの研究活動にも大いに関心を示された。
◆これまでの渡慶次賢康さん(石垣市)や仲宗根将二さん(平良市)に加えて、このような方々がこれからも息ながく研究「同人」として
参加され、独特の研究ネットワークを形成していければ、と願っている。それぞれの島に、語りあい、信じあえるいい友人が増えた。
◆留守中にいろいろメールあり。名護からの嬉しい1本(稲嶺進さん)。
 「お便りありがとうございました。御無沙汰ばかりで申し訳ありません。この度は、新しい研究会の発足オメデトウございます。今回は、
更に領域を広げて東アジアも視点に活動を広げるご様子、いつもチャレンジそしてアクト、そのバイタリティーには感服します。今日は先生
のホームページにアクセスして近況を伺い知ることができました。 とりあえず簡単に電子メールでのご返事をお届けいたします。」稲嶺進
*稲嶺進さんは、もと名護市教育委員会社会教育課職員、富士見市で開催された社会教育研究全国集会(1982年)参加、その後も数回
参加。現在は同市総務部長。
◆うた  ―与那国・久部良(西崎)にて、7月30日―
◇西崎にのぼりて見れば雲はるか目をこらせども花連は見えず
◇湧き出る雲を茜に染めあげてかがやく入り日いま台湾に落つ
◇落日に向かいて流浪の青年は悼むがごとく竹筒を吹く
(オーストラリアよりもちかえりしという太き竹筒、ホラ貝のごとくひびく)
◇太き蛾(ヨナグニサン)と展望台に我ら居て粛然として落日に対す
―宮良純一郎氏と飲む、レストラン「はて(国境)」にて―
◇別れつげてナンタ浜をひとりあるく月は傾き南十字見えず

第64号【1998年8月 5日】第3号編集おしまい(にしたい!)
<宮古・与那国への旅>その2
 与那国からの帰路、はじめて石垣から福岡への直行便(ANK)を利用した。これはおすすめ!南西諸島の西側を飛んでいく。ほぼすべての
島々を眼下におさめながらの旅。悪石島とおぼしき島も見えました。いくつもの感慨、湧きおこるものありました。
◇久米を飛び慶良間・粟国に伊江・水納、古宇利・伊是名はるかに与論
◇かぎりなく碧き海原白き雲そのただ中に悪石島あり
◇薩南の海に屹立す燃ゆる島煙をあげて我を迎える                
   ―ふるさと・久留米よ―
◇生り島(うまりじま)失業の町と聞くは悲し若き日闘いし敵潰えしか

第65号【1998年8月 6日】韓国の厳しい夏?



第66号【1998年8月10日】飯田につどう人形たち
第67号【1998年8月11 日】はるかにエイサー太鼓の響き
第68号【1998年8月12 日】華東師範大学とどうつきあうか
第69号【1998年8月13日】沖縄地域史・宝の山ご紹介
第70号【1998年8月15日】8月15日、与那国地域史資料
第71号【1998年8月19 日】夏来たらず、夏去りゆく
第72号【1998年8月21 日】韓国からの手紙
第73号【1998年8月25 日】この夏、鬼の霍乱(かくらん)
第74号【1998年8月31 日】全国集会終わる、華東師範大学のこと
第75号【1998年9月 3 日】与那国の密貿易と海賊、上海訪問
第76号【1998年9月 4 日】末本メールをめぐって、上海訪問の日程
第77号【1998年9月 7日】珍しいメール、初めてのメール
第78号【1998年9月 9 日】東アジア第3号入稿おわる
第79号【1998年9月11日】北からのメール(内田)、宮古地域史
第80号【1998年9月12日】沖縄研究の視点(末本)
第81号【1998年9月14日】科研費申請の季節きたる
第82号【1998年9月16 日】「松花江上」(9・18)を想う
第83号【1998年9月19 日】若き(若くない)晃子の悩み
第84号【1998年9月20 日】ホームページ追加工事なる
第85号【1998年9月21 日】秋、しかし秋風さわやかならず
第86号【1998年9月22 日】「公民館50年」別企画の編集すすむ
第87号【1998年9月23 日】返歌、歌ごころ、あな嬉し
第88号【1998年9月29 日】社会教育学会、そして大都市研
第89号【1998年9月30 日】韓国からも上海訪問の意志あり(魯在化)
第90号【1998年10月1日】双方向の「ひろば」を創ろう
第91号【1998年10月2日】韓国の生涯教育白書
第92号【1998年10月3日】韓国の美女ひとり、京都にあそぶ
第93号【1998年10月5日】盛りだくさんの白書・表一覧
第94号【1998年10月6日】神戸から沖縄、北へ帰る人ありて
第95号【1998年10月7日】キャンパスに金木犀かおる
第96号【1998年10月8日】沖縄訪問、上海訪問の計画
第97号【1998年10月9日】社会教育法の中国語訳
第98号【1998年10月10日】上海訪問の日程について(緊急連絡)
第99号【1998年10月12日】定例研究会、久しぶりの鹿児島メール
第100号【1998年10月13 日】100号ご挨拶、羅李争からの歓迎メール



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