ITアーキテクトのひとりごと
第83回「人生100年時代」

 

私のPCには「技術資料」-「!とりあえず」というフォルダがある。とりあえず気になった資料を何でもかんでも放り込んでおくが、大多数の資料は一度も読まれずに賞味期限切れだ。

こんな風に賞味期限切れになる資料のほうが多いので、「!とりあえず」フォルダはゴミだらけ。時々眺めてみて、まだ気になる、と思う資料は生き残り、あっという間に姿を変えてしまった技術なのか商品なのかわからないものや、あっという間に消費され尽くしてしまった技術、アイデアに関する資料は、自分の中で「やっぱりね」と削除されるか、どうしてそうなったのか、ちょっと思索してみてから削除される。

仕事に直接的に関係ない資料も多いが、データ管理という意味で保管していた資料の中に電子カルテ関連の資料があった。ちょっと読み直してみると、データ構造の議論があったが、なんか納得がいかない。

学術的なデータはともかく、人生100年時代に一人一人の個人データをどのように蓄えるかは、今のところ、一人一人の自覚に頼っているような気がする。医学関係者、厚生労働省、そして業界ではいろいろ考えていることとは思うが、どうなるのか、姿形はわからない。

米国のストレージ業界団体 SNIA でも「100年アーカイブ」というテーマがあったが、結局どうなったかはよくわからない。今の時代、インターネット、クラウドを使って、ひたすらデータが拡散し続ければ、100年アーカイブは簡単に実現するんじゃないか、という幻想を抱くが、拡散しすぎて、単なるノイズになってしまう心配も大きい。

カルテも、とにかく読むのが人間だったらわかる方法、表現で何でも書いておくのが良いと思う。「電子」カルテということで、RDBに何が何でも格納しようとするが、RDBは性能、利便性のためにある。

RDBになってしまうと人間はそのままではわからない。コード化すると余計に人間にはわからない。人間はコンピュータじゃない。

システム化の過程で、人間が理解しているものを性能、利便性を考えてデータを再構成しているのがIT化だ。IT化する過程で、IT化に適さないということで無くなってしまったものはどれだけ沢山あるのだろう。

正規化されていなくたって、人間がわかれば、ずーっと時間が経過しても読み解くことはできるが、製品という形になったDBに100年の普遍性はない。

データを蓄えるストレージは十分に大きい。人間にわかるために冗長な表現になっているデータを蓄えるスペースを気にする時代ではない。

ストレージをもっと使えば、100年持つデータはどんなに冗長でも簡単に蓄えられるはずだ。性能、機能が必要になったらAIを使って、冗長なデータをコンピュータの内部表現に変えればよい。コンピュータが十分な性能を持つようになった今、コンピュータの都合を考えるのではなく、人間の都合を優先する時代が来たのだ。

データは人間のものだ。データの2次利用、3次利用を考えたコンピュータのデータの持ち方、内部表現はAIに考えてもらおう。


JDSF ストレージ管理ソリューション部会
株式会社エクサ 恋塚 正隆