【新連載】ITアーキテクトのひとりごと
第15回 「劣化しないデータ」

わたしの家の1階の本棚には10年、20年、30年前の文庫本が綺麗に整頓されて棚に保管されている。私の机の周りの本棚にも、今は役に立っていない20 年前の「Cコンパイラ設計」という本が棚の奥にひっそりとしまい込まれている。いやいや、よく見えない下段の奥には、もっと古い30年以上前の OR(Operations Research)の本がいつ出番が来るのかと、そぉ〜と置かれている。

これらの本の寿命は、ひと一人の寿命よりも明らかに長い。多少傷もうが、黄ばもうが、人が読むに耐えるだけの品質は保たれている。

それに比べて、デジタル化されたデータ保存媒体の寿命は短い。"適切な保存"が行われれば長いかも知れないが、本のように多少読めなくても、それなりにわかるというファジーな状態は望めそうにない。したがって、デジタル化されたデータは、適切に、かつ、確実に、かつ、定期的に複製されていかないと、ある時、確実に失われる。デジタルアーカイブは、本のように適当に保存しておいても、そこそこの寿命が確保されるという、ルーズな保管には向いていそうもない。

200年、300年前の古書は、色あせても価値があるが、テープ媒体やディスク、フラッシュメモリ等のデジタルアーカイブの媒体は、そこにどんなに価値がある内容が格納されていたとしても、200年、300年経ってしまったものは、きっと何の価値もない。いっそのこと、デジタル化されたデータを 10110010....と紙に印刷して保存しておいた方が100年、200年、300年とデータは維持される。全て紙に印刷したら、膨大な本の山が出来上がってしまうので大変だ。いやいや、米粒のように小さく印刷できればそんなに保存が大変なことはない、ナノマシーンで出来たマイクロロボットにマイクロ図書館を管理させよう、なんていう妄想が広がってしまう。まあ、大事なものを峻別するのも面倒な世の中なので、とにかく保存しておく。

いろいろと批判はしてみるが、様々なモノがデジタル化されたお陰で、抜群のポータビリティが生まれた。ノートPCのディスクに大量の本をしまっておくことも、それを複製することも、検索することも簡単になった。

ちなみに私は、紙媒体で保存しておけなくなった本や資料は、背表紙を裁断機にかけて、スキャナで一気にPDF化して持ち運ぶ。こんなにいろんな事が簡単になったのだから、デジタルアーカイブとはうまくつきあっていくしかない。

デジタルアーカイブの維持管理サイクルをしっかりと回すのにも、お金がかかるので、昨今の経済情勢を鑑みて無造作に "ちょっと節約" して維持管理サイクルがプチッと切れてしまいました、なんていうことが無いように、よ〜く考えて行動しないといけない。

まあ、プチッと逝ってしまったときは、「無ければ無いで何とかなる」と開き直れることも多い。そんな時、なぜアーカイブしておいたのか、その理由を自問自答することにもなるが、まあ、いい。時には、そんな、ある意味、不幸な状況に遭遇してしまったときに、喪失した後の妙な爽快感すら感じることがあるのが、たまらない。なぜだ、ひょっとするとデータが劣化しないことに対する拒否反応の裏返しかも知れない。

媒体は時間と共に劣化するが、デジタル化されたデータそのものは適切に管理されていれば、徹底的に劣化しない。したがって、朽ちて土に帰る、というような叙情的な気持ちが入りこむ余地は全くない。どんなものでもいったんデジタル化されてしまったデータは、自動化されたアーカイブ管理の中では永久に朽ちることも変化することもない。こんな"もの"は、自然界には存在しないような気がする。

こんな世界では、データのオーナが一定のポリシーに基づいて管理する以外にデータの寿命は訪れない。

JDSF データ・マネジメント・ソリューション部会
株式会社エクサ 恋塚 正隆
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