【目次】1997〜2002〜2006〜2009〜モンゴル交流
1,1997年:広州から内モンゴルへ−茘枝の籠をさげて(別ページ)→■
2,2002年:内モンゴル訪問記録−子どもたちのために(別ページ)→■
3,2002年:アルバム(訪問・写真)→■
4,2006年:内モンゴル訪問記録 <本ページ>
5,2009年:モンゴル支援・奨学会の活動(別ページ)→■
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2006〜内モンゴル訪問記録−TOAFAEC
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<目次>
1,2006・モンゴルへの旅計画(ぶ)−南の風1654号(2006年5月11日)
2,呼びかけ(トクタホ)第1案−南の風1654号(2006年5月23日)
3,モンゴル行き・その後の相談−南の風1674号(2006年7月2日)
4,スケジュール案(ボヤンバートル)−南の風1686号(2006年7月23日)
5,成田ー北京・フフホト航空券・ホテル−南の風1693号(2006年8月2日)
6,内モンゴルへ−南の風1707号(2006年8月26日)
7,モンゴルの旅おわる−南の風1708号(2006年9月1日)
8,草原の地の近現代史−南の風1710号(2006年9月5日)
9,画像・記録→■
10,記録をつくろう−お土産のモンゴル酒あり 南の風1718号(2006年9月22日)
11,モンゴルの子どもたちの大学進学支援を!(トクタホ)(2007年10月1日)→■
▲シリンフト東方の草原 −20060828-
1,2006・モンゴルへの旅計画(ぶんじん)−南の風1654号(2006年5月11日)
<今年の内モンゴルへの旅>
これまでTAFAEC として内モンゴルへの旅は2回。最初は1997年7月、一行は和光大学の学生たちを含めて15名前後。「東アジア社会教育研究」第2号(1997年)に記録を載せています(小林文人「広州から内モンゴルへ−茘枝の籠をさげて」)。2回目は2002年9月、和光大学だけでなく、東京都立大学の学生たちも参加して10名前後。「モンゴルの草原と子どもたちに出会う旅」報告書(私家版)があります。いずれも1週間前後の日程、北京を経由してフフホトや通遼に入りました。
今回の第3回・内モンゴル行きの企画は、1月新年会の酒の座から始まり、この間、トクタホさんの呼びかけも重なって、ようやく具体化する時期となったわけです。これまで「風」の折々に関心を寄せた方は、頼りない記憶ですが、北の森田はるみ、南の島袋正敏、東京の近藤恵美子、石川敬史(事務局候補)それに伊藤長和(いずれも敬称略)と小林。トクタホさんの見通しでは15名前後、1週間程度の日程、内容として内モンゴル師範大学(フフホト)関係者との交流や草原への旅など。
伊藤長和さんから8月末〜9月初旬にかけての日程案(上記)が出されました。今年の社会教育研究全国集会(箱根)は8月上旬ですから、8月下旬出発のスケジュール案もいいご提案。小林(前後に山東省烟台に寄る計画あり)も調整可能です。トクタホさんや受け入れのフフホト・ボヤンバートルさんたちのご都合なども勘案してスケジュールを決めましょう。内モンゴル行きに関心をおもちの方もどうぞご希望(草原・ゲルに泊まりたい、馬に乗りたいなどを含めて)をお寄せ下さい。
トクタホさん、ボヤンバートルさんと連絡をとって、風・数号後にはスケジュール、内容、経費などについての具体的な第1案を提案していただきませんか。まずは参加メンバーを確定したいもの。
▲2002年・内モンゴル訪問−ヘシグテン草原、はるか向かうのゲルに泊った
(2002年9月7日)
2,呼びかけ(トクタホ)・企画第1案−2006年5月23日−南の風1654号
<8月下旬・内モンゴルへの旅(案)>
「南の風」を愛読の皆様へ;
内モンゴルからの留学生のトクタホです。“内モンゴルの大学・成人教育の交流と大草原との出会いの旅”企画が出来ました。内モンゴル師範大学・ボヤンバートル先生や小林文人先生とも相談した上での計画案です。今後、ご参加希望の方々の関心や要望を寄せていただき、最終案に具体化していきます。皆様のご検討をお願いし、ご参加をお待ちいたします。
1,スケジュール:
8月26日(土)午前・出発〜8月31日(木)夜・帰国−5泊6日
2,内容・案:
第一部<はじめて中国入りする方々のために>北京1泊2日の企画を組む。主として観光(天安門広場など北京中心部と「万里の長城」等)を予定します。観光の必要がない方には、中国教育部の韓民先生等と連絡をとって、北京の施設見学や交流のプログラムも考えられます。
第二部<内モンゴルの大学・成人教育との交流と大草原・砂漠の旅>
8月27日:夜の飛行機で北京より内モンゴル首府・フフホトへ。
8月28日:内モンゴル師範大学や成人教育関係者との交流。
8月29日:草原へ。昼食はモンゴルゲル(包)のなかで。草原の遊牧民と出会い、乗馬、
モンゴル相撲、競馬等に自由参加。夜は盛大なモンゴル式の歓迎宴。モンゴルの歌、
馬頭琴の演奏、歌とモンゴルの民族踊り等を楽しみながら本物のゲルに泊まる。満天
の星を仰ぎつつ。
8月30日:草原の「日の出」、朝食後はフフホトより西の方へ。最近日本まで話題になっ
ている「綱嵐・黄砂」の源流、黄河の流れる有名な砂漠へ。砂漠ではらくだに乗るなど
の企画。30日の夜はフフホトへ。
8月31日:フフホトより北京経由で帰国へ。
3,旅行経費:概算15万円〜16万円(往復航空運賃・宿泊費を含む)を考えていますが、観光季節に重なりますので、多少の変動があるかもしれません。共通経費も含め、今後さらに具体化します。
4,参加人数:10〜15名前後。15名を上限とします。参加ご希望の方はお早めにお決め下さい。6月15日までに申し込みいただければ幸いです。お問い合わせ等を含めてトクタホまで。 →
tkabc1898@green.ocn.ne.jp
5,事務局:今回の旅の成果を期待して、工学院大学(図書館)の石川敬史さんを総事務局としてお願いしています。
6,大学間の研究交流:今後の課題として、内モンゴル師範大学・成人教育部門と日本の大学(あるいは自治体間)との研究提携が大いに期待されます。この件について文人先生は「今のところ、日本の大学から具体的な申し出は聞こえてこない。これからの課題です」とのこと。私たちモンゴル人も残念に思っているところですが、この旅をきっかけとして、新しい動きが生まれることを願っております。
7,第二部・内モンゴルでの細かなスケジュールに関しては、内モンゴル師範大学のボヤンバートル先生にお任せしますので、詳しい内容が、そのうちボヤン先生からメール提案されると思います。
沖縄から北海道を結ぶ「南の風」の皆様!今年の夏はモンゴルで盛り上がりましょう。
3,モンゴル行き・その後の相談−南の風1674号(2006年7月2日)
<楽しいお酒をのんで・・・モンゴル行きの相談・修正案>
8月下旬のモンゴルへの旅計画(8月26日午前・出発〜8月31日夜・帰国−5泊6日確定)について、一昨日(30日)のTOAFAEC
定例研究会で相談しました。
いまのところ、参加者は8〜9名、みな中国へ行ったことがある(今回は学生はいない)ようですから、北京の1泊観光は必要なく、そのままフフホトへ飛ぶことになりました。内モンゴルでのスケジュールがそれだけゆとりをもつことになります。また日程的に1日遅れて参加、1日早めに帰国したい、などのオプションも可能。韓国から参加予定の魯在化さんは、現地で合流ということになります。
参加者による個別の希望(モンゴル族学校を見学したい、牧民のゲルを訪問できないか・・・)についても、できるだけ尊重して、スケジュールのなかで具体化することになりました。フフホトのボヤンバートルさんとも相談して、日程の最終案やフライトを確定していきましょう。
当夜は、石川敬史さん(モンゴル・ツアー事務局長候補)の姿がなく、あるいは事情が変わったのか、ぶんじんから確認することになりました。また「風」などで、8月のモンゴル行きに関心を寄せられた方には、あと一度お誘いしてみることにしました。人数的には15名前後になった方が経費安上がりという事情もありますから。もし新しく参加希望をおもちの方は、問い合わせを含めて、ぶんじんまでご一報ください。
研究会終了後、モンゴル行き主要メンバーで、前祝いの楽しいお酒を飲みました。すこし飲み過ぎ。翌日(7月1日)は、日本公民館学会主催「公民館創設60年記念・講演と交流のつどい」、この夜もやや飲み過ぎ。このところ連日お酒がつづいて少々疲れていますが、楽しいお酒からは逃げられません。両夜の写真をHPに載せました。
4,内モンゴル訪問スケジュール案(ボヤンバートル)
*南の風1686号2006年7月23日
<内モンゴル訪問スケジュール案>
皆さま:こんにちは。内モンゴル訪問スケジュールをお送りいたします。ご希望のところ、不充分なところがあったらご遠慮なく、おっしゃってください。
1.内モンゴル訪問団の日程が近づいています。こちらの準備は大抵出来ましたが、今のところ訪問団メンバーの具体情報が必要です。旅行シーズンなので、ホテルや航空券など、予約、割引のことがありますので、メンバー情報(次の順でお願いします:氏名、ローマ字綴り、性別、年齢、職種、職務)を速めに送っていただきたいと思います。
2."内モンゴルツアー" のスケジュールは次の通り。皆さんのご希望に応じ、修正可能です。
3.山口真理子さんに迷惑をかけてすみません。よかったら次の三冊を持ってきていただければ有難いです。
A.梅棹忠夫「日本とは何か−近代日本文明の形成と発展」日本放送
出版協会 1986.5(NHKブックス)
B.高橋敏「近代史のなかの教育」岩波書店 1999.3
C.遠山茂樹「明治維新」岩波書店 2000.11 (岩波現代文庫)
○2006年・内モンゴル訪問日本学者代表団スケジュール
8月26日(土曜日)フフホト空港出迎え、歓迎式(フフホト泊り)
8月27日(日曜日)内モンゴル師範大学との交流、昼食(大学招待)
空港夕食、MU5475便でシリンホト市へ(シリンホト泊り)
8月28日:(月曜日)草原へ(約2.5〜3時間)牧民の歓迎式
モンゴル歌舞演出・昼食(ゲル内)遊牧民家訪問、自家製乳製品
ナーダム、モンゴル相撲、競馬、乗馬(希望)、草原夕食
キャンプファイアー(ゲル泊)
8月29日:(火曜日)アスハト石林世界地質公園(約2.5〜3時間)へ
午後・シリンホト市へ、夕食、MU5476便でフフホト市へ(泊り)
8月30日:(水曜日)、クブチ砂漠へ(約3時間)、昼食、駱駝乗り等
午後・フフホト市へ、民族工芸品見物、買い物、送別会(泊り)
8月31日:(木曜日)朝食 空港、北京へ。(ボヤンバートル)
*参加メンバーは10名で確定。一覧をトクタホさんより別送していただきましょう。これに黄丹青さん一行(ご家族)が紹興よりフフホトへ参加するかも(未確定)。一行のなかの数人は8月30日(1日早めに)帰国しなければなりません。お別れの会を29日夜に繰り上げるなど、スケジュールについてご検討いただければ幸い。
スケジュールのどこかで、モンゴル族(牧民)小学校を訪問できないかという強い期待があります。短い時間でも教師・子どもたちとの交 流を企画できないでしょうか。
*参加メンバーの方々は、ご希望等をご遠慮なくお寄せ下さい。ボヤンバートルさんは「南の風」メンバーですから、皆さんの希望を直接にお届けするかたち。ボヤンさん、お世話になりますがが、どうぞよろしくお願いします。(ぶ)
5,内モンゴル訪問スケジュール・航空券・ホテル
*南の風1693号・2006年8月2日 (トクタホ、Mon, 31 Jul 2006)
こんにちは、トクタホです。モンゴル行き航空券のことが決まりましたので、ご報告致します。
1,国際運賃(成田−北京往復) 65、000円
2006年8月26日 成田ー北京 出発 10:55 到着15:45
2006年8月31日 北京ー成田 出発 12:00 到着19:00
2,空港使用料と燃料チャージ等10200円
3,中国国内運賃費(北京ーフフホト往復 )一人で16,400円、
○合計金額:91,600円
*中国国内運賃費の中には、ボヤン先生のメールに書いてあったフフホトーシリンゴル
までの飛行機代は含まれていませんので、ご留意お願いします。
○なお8月30日に帰国される井上孝代、石倉祐志のお二人の場合は、次のようになります。
2006年8月30日フフホトー北京ー成田:110,600円
一日早く帰国のため(いくら交渉しても残念ながら)団体料金とはならず普通料金で
110,600円になってしまうのです。ご了承お願いします。
○2006年9月4日帰国(トクタホ)
また、今回は往復上海経由で、一時間待つことになります。いまの季節はどこの旅行会社でも混んでいて、予定していた値段より高くなってしまったこと等について予めご了承下さい。
○8月8日(火)打ち合わせ会の時に、以上の料金を集めたいので、皆さま各自準備してご参加下さるようお願いします。
○ ホテル・電話番号(Date: Mon, 14 Aug 2006 21:41)
フフホトのホテル:草原明珠ホテル 電話:0471ー6608800
6,内モンゴルへ(ぶんじん) 南の風1707号2006年8月26日
今年の夏、ようやく東京を離れることができます。皆さんの夏休みが終わるころ、こちらの休みが始まります。約1週間。「風」もお休みです。普通の旅ですと、パソコンを持参する習わしですが、今回はモンゴルの草原へ・・・というより砂漠の中へ行くようなものですから、パソコンも離しての気軽な旅です。
内モンゴルへは3回目。これまではゼミ学生などを連れて責任もあり、それなりの心構えが必要でした。今回は大人ばかり。最近の旅はいつも最年長ですが、今回の参加メンバー(12名)には、年上の方(和光大学理事長)がいらっしゃいます。その意味でも妙に気楽なのです。
韓国の魯在化さんはニューヨークから帰国見通しが立たず、不参加となりましたが、紹興に帰省中の黄丹青さんがお子さんを連れて合流@フフホト。賑やかになります。成田からはトクタホさん(首都大学東京・院)が付き添い、内モンゴル到着後はボヤンバートルさん(内蒙古師範大学)も待っていてくれます。豪勢な旅です。
北京空港でフフホト便に乗り継ぎの時間が数時間あり、ふと思い出して、北京の韓民さん(中国教育部)にいまメールしました。都合がつけば久しぶりに乾杯しようと。うまく会えるかどうか。
何も考えないで、草原の風に吹かれ、満天の星を仰ぎながら、大きな宇宙と、その中の丸い地球を実感しようと思っています。ただそれだけ。(ぶ)
7,モンゴルの旅おわる(ぶんじん) 南の風1708号2006年9月1日
8月26日の夜おそく、内モンゴル・フフホトの空港では、ボヤンバートルさん(内蒙古師範大学助教授)夫妻や、トクタホさんの友人たちが私たち一行を迎えてくれました。投宿したホテルでは、まさに深夜の歓迎宴会。
出発直前に届いたボヤンバートル・メール,「…
明日会うのをとても楽しみにしています。 …
フフホトの気温は朝晩は涼しく、昼は暑くなります。13−27度。草原のシリンホトの方は、朝晩寒いと言っていいぐらい、日中はやはり日照りが強くなります。10−25度前後。…
」
朝晩の寒さのご用意を・・という「出かける前の注意」(Sat, 26 Aug 2006
00:30)。しかし出発数時間前の連絡では、参加の皆さんに配信する余裕などあろうはずはなく・・・。
フフホトに着いた一行は(翌27日に遅れて到着の方を含め)総勢12名。フフホトからシリンホトへは飛行機、そこから車で草原をかけめぐって、終りの日は西の「黄砂巻き起こる」砂漠まで。確かに草原(高原)の朝は寒く、秋というより初冬の冷気を感じました。
私たちをモンゴルの大地に迎え、自らも故郷の友人たちに囲まれたトクタホは、連日深夜まで飲み、かつ毎日泣いていたようでした。最終日、空港へのバスのなか、マイクをにぎって別れの挨拶を始めたものの、涙声となり嗚咽、言葉になりませんでした。
予定通り31日夜、無事に成田着。ボヤンバートルさんはじめモンゴルの皆様、心をこめた歓迎をいただき、誠に有り難うございました。同行の皆様もお疲れさまでした。
旅のレポートは、おいおいと「風」(写真はHP)に載ると思いますが、次回のTOAFAEC定例研究会/9月22日夜は、訪問団による「モンゴル報告会」を予定しています。頂いてきた天下の名酒・モンゴル酒(「蒙古王」など)も数本持参いたします。ご期待を。
(当夜、馬頭琴を用意できないだろうか?)
▼左・トクタホ(都立大学・院)、右・ボヤンバートル(内蒙古師範大学−トクタホの先生)−060826−
8,草原の地の近現代史(ぶ) 南の風1710号(2006年9月5日)
いまHPに今回の内モンゴル訪問の写真をいくつか掲載しはじめています。まず表紙に草原の落日。包頭を通ったときに思いがけなく眼前に現れた黄河(黄色というより紅い?濁流の印象)や砂漠の写真もそのうちに、と思っています。
内蒙古自治区の中心都市・呼和浩特(フフホト)から西の包頭(パオトゥ)に延びる高速道路は、陰山山脈に沿って走ります。石灰岩質のような岩肌、少し青みがかった風格のある山容です。8月30日、私たち一行はこの山なみを楽しみながら、西に向かっていました。車中で、かって日本軍がフフホトからパオトゥを占領したこと、それに抗する中国側ゲリラ活動は、「この山から出没したのです」とボヤンバートルが話してくれました。
上海市周辺を歩くと、あちこちで上海事変当時の「戦跡」を知りました。北京・上海・南京だけではない、モンゴルのこんな土地まで日本占領の一時期があったのだ、というのが正直な驚き。草原にのんびりと遊ぶ羊群の地でも、過ぎし戦争の厳しい回想が語りつがれているようです。
モンゴルへの旅は、広大な草原や幽玄な星空と出会うだけでなく、この地で織りなされてきた近現代史に思いをはせる機会となりました。モンゴルをめぐる中・ソ・日の葛藤。内モンゴル東部(通遼など)はかって旧「満州」の一部だったこと。いま日本で学んでいる留学生の祖父の世代はノモンハン事件(1939年)で日本軍と戦ったこと。そして日中戦争から戦後の激動の歳月。
この日、パオトゥ西方の砂漠に遊び、オルドスの歌舞団を楽しみました。フフホトへの帰途、陰山山脈の山なみはどこまでも続いていました。
▼包頭からフフホトへの道 (20060830)
9,画像・記録 →アルバム■
▼内蒙古師範大学・継続教育学院関係者と訪問団(20060827)
▼シリンホト市第六小学校(モンゴル民族学校)にて、(20060828)
▼遊牧民訪問の途中、アバガ・ホシオ草原の砂地にバスは動けなくなった (20060829)
▼遊牧民訪問ー羊を解体し羊料理をいただいて・・・(20060829)
▼ここから黄砂はまきあがる、包頭西方・ウルドスの砂漠 (20060830)
▼包頭郊外を流れる黄河、むしろ「紅?河」 (20060830)
▼訪問最後の夜、タグタホをかこむ友情によるお別れの宴(20060830)
10,記録をつくろう−お土産のモンゴル酒あり(ぶ) 南の風1718号(2006年9月22日)
8月下旬・モンゴル旅行の記録作成については、トクタホさんから石原先生分の入力と自分の記録が届いていますが、黄丹青さんからも興味深い文章が送られてきました。私たちが北京へ出発したあとのフフホトの1日。ボヤンバートル夫人が案内役、たいへん面白い「感想」です。
ぶんじんも今回の旅が実現する経過を書いています。トクタホさんの一文と重複するところがありますので、すこし調整しましょう。
前にも書きましたが、これまでTAFAECとして内モンゴルへ旅した2回、いずれも記録が残されています。第1回(1997年7月)は「広州から内モンゴルへ−茘枝の籠をさげて」(小林)を収録している『私たちはあの空を忘れない』、第2回(2002年9月)は『モンゴルの草原と子どもたちに出会う旅』報告集です。参加者のメモ・感想や写真を出しあっただけの素朴なレポート、しかし歳月が経過すると、貴重な記録となるから不思議です。
今回は参加者それぞれ「書かない自由もある」ことを確認しあって別れましたが、ぜひ記録集としてまとめましょう。とくに伊藤長和さんの時間きざみの「日程表」が楽しみ。ぜひよろしくお願いします。
いまモンゴルへの旅を想いおこしています。観光だけでもない、研究だけでもない、これまでのお互いの出会いをベースとしての、人間的な交流と友情の旅。TOAFAEC としてこんな企画の可能性を追求していきたいもの。22日夜は9月定例研究会(→
■)、モンゴルの旅の報告会です。お土産のモンゴル酒(絶品!)もあり、皆さん、お出かけください。
<9月22日の日誌 (ぶ)>
南の風1719号(2006年9月24日)
9月22日(金)夜のTOAFAEC 9月定例研究会。南の風(第1715号)に「ご案内」を出した石倉祐志さんが体調をくずし欠席でしたので、遠藤輝喜さんから報告を寄せていただきました。有り難うございました。
今回の旅には、和光大学から石原静子、伊藤武彦の両先生(いずれも心理学)が参加。4年前まで、ぶんじんとは同じ職場で仕事をしてきた同僚、というだけでなく、とくに石原先生はぶんじんより2つ年上、まったくお元気な長老との印象的な1週間の旅でした。この夜の報告会でも、モンゴルを思い出して、よく飲みかつ歌いました。
旅行には、井上孝代先生(明治学院大学、異文化間心理学・カウンセリング理論)も参加されましたが、報告会当日から再び北京へ。この夜には姿が見えず、残念。
▼左より伊藤武彦、石原静子の両先生、右は小林(高井戸・イーストビレッジ、20060922)
11,モンゴルの子どもたちの大学進学支援を!(お願い) 南の風1923号(2007年10月1日)
*トクタホ(首都大学東京・大学院博士課程)Sun,
30 Sep 2007 18:05
「南の風」の皆様へ;
いつも夏休みの終わり頃に旅行などの計画が「風」で流れて来ることが多いのですが、今年は私のところに内モンゴルから大学へ行けなくなっている子どもたち二人の話が飛びこんできました。私たち留学生がモンゴルの子どもたちに支援をおこなってきた「フフ・モンゴル・オドム」活動に直接関係がありますので、小林先生はじめ「南の風」の皆様にもぜひご一緒に考えて頂けないかと<お願い>を書き始めた次第です。
なぜ、モンゴルの大学へ行けなくなっている子ども二人の話が日本まで飛んできたか、次のような経過です。2002年9月に「フフ・モンゴル・オドム」とTOAFAEC
の共催で「モンゴルの草原と子どもたちに出会う旅」が企画されました。牧民のゲルにも同宿し、学校を訪問して、私たちが持参(皆さんの協力を得て用意)した奨学金を直接に子どもたちに手渡した旅でした。この旅の「参加者報告集」を取り出して見ると、表紙写真にも写っている「バヤンモド中心小学校の子どもたち」(撮影:足立尚子)のうちの二人のことです。
二人の子どもは小学校卒業後、中学・高校(庫倫旗第四中学校、庫倫旗第一中学校)を卒業しました。達富拉(この二つの学校に勤めた、現在は庫倫旗第四中学校教員)氏の教え子でした。達富拉(ダーフラ)さんは小林先生の和光大学時代の研究生でしたので、ご存知の方も多いと思います。彼を通じて私のところに来た話は以下のような内容です。
二人とも庫倫旗の学校に通うようになり、達富拉先生もいろいろと面倒をみてきた生徒。どちらも真面目で、勉学につとめ、都会の子にはみられない誠実な若者に育ち、今年の9月、めでたく大学受験に成功したそうです。呼斯冷(女の子)が内モンゴル師範大学歴史学部に合格、阿拉夢斯(男の子)が内モンゴル民族大学中文系に合格。もちろん両方とも国立大学ですが、当面必要な寮費と本代は納めることは出来たものの、学費(一人2800元−日本円では4万3千円ぐらい)を納めることができず、学校側から厳しく請求されており、進学断念の岐路にたっている様子。私も直接電話で話してみましたが、本人たちは落ち着かない状況にあるようです。
このことについて達富拉さんから私に連絡してきて、私とは古里も同じ、小、中、高校も同じであることをはじめて知りました。そして15年前の自分を思い出し、二人に激励の電話をしたり、学校関係者にお願いをするなど、自分なりの努力をしましたが、やはり現地のコネ社会には心が通じ難いところがあるように思われました。そこで、私たち「フフ・モンゴル・オドム」として何とか助けたいと考え、当会の活動にこれまで支援し続けていただいた小林先生をはじめとするTOAFAEC
のメンバー、及び「南の風」の皆様にもお力添えをお願いできればと思います。皆さんお一人お一人のご支援がこの子どもたちの力になり、この子どもたちの将来はモンゴルの将来につながることになるに違いありません。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
▼バヤンモト小学校の子どもたち−日本からの訪問団を迎えて歓迎の歌(20020909)
★進学支援のための奨学資金へのお願い、「フフ・モンゴル・オドム」への期待
南の風1923号(2007年10月1日)
トクタホさんより、難関の大学に合格しながら経済的に進学が厳しくなっている内モンゴルの子どもたちへの支援要請がきています。これまでも「フフ・モンゴル・オドム」の活動については、南の風の皆さんが、馬頭琴コンサートの開催(川崎)や地域交流つどい(板橋)あるいはカンパ活動など、いろいろとご協力いただいてきました。この機会に、山口真理子さん(TOAFAEC
会計)とも相談し、まず小林と二人の個人的出資で10万円を用意することにしました。緊急にいつでも活用できるように銀行口座(山口さん名義)も開きました。
急ぎ話し合ったこと。このわずかな資金を取り崩すのでなく、今後の基金としてある程度の継続性と循環性に努めていきたい。会の名称やルールなどはそのうちに相談することにして、とりあえずは小林の責任で心ある方々に、1口5000円の出資を呼びかけていく。断続的に活動してきた「フフ・モンゴル・オドム」と連動し、その新たな活性化に役立ちたい。お互いに助け合いの思想をもって、とくに若い世代の育英奨学・進学問題に取り組んできた沖縄の「模合」(モエー)「集落奨学会」の仲間入りをしよう、などなど。
山口さんに開いていただいた銀行口座を「風」にお知らせ下さい。またトクタホさんは山口さんと連絡をとりあって、10万以内での資金活用を開始して下さって結構です。
ちなみに「フフ・モンゴル・オドム」とは、モンゴルで尊い色とされている青色(フフ)と、子ども・子孫(オドム)への思いから、「尊いモンゴルの子どもたちの未来のために」というメッセージを込め、在日モンゴル人留学生によって2002年に創設されました。教育支援−とくに経済的理由で教育を受けられない子どもたちの支援−や文化交流を目的とした活動です。小林ぶんじんは顧問役、これまで川崎の伊藤長和さんはじめTOAFAEC
有志が活動を支援してきました。(小林文人)
★内モンゴルの子どもたち支援奨学会(仮称)銀行口座 (南の風1923号 2007年10月3日)
銀行名:三菱東京UFJ銀行・調布支店
口座番号:1253747 名義:山口真理子
★モンゴル支援奨学会→■
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