南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
2850号【2012年3月2日】
■<彼岸過ぎ>
「岡上通信」(5)が届きました。岩本陽児さん「彼岸中日の里山三昧」。予想通りの長文、主文は予告通りに奥座敷に収まっていただきました。せいたくな彼岸休みの人もいるものです。あらためてURL
→■
http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/iwamoto2012.htm
あわせて伊藤長和さん「烟台の風」離れ座敷のご紹介。号を重ねて本号で222号。
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http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/itouentai11.htm
せっかくの彼岸の話題。その流れで八重山毎日新聞から「春分」(コラム・不連続線)を拝借し、本(ぶ)欄でも彼岸のことを書き出した次第です。
「月日過ぎ ただ何となく彼岸過ぎ」(富安風生)の句があります。しかし春の彼岸は、何となくでなく、何かと忙しく迎えることが多いような記憶。年度末のせいかもしれません。この前後に卒業式(大学)もあり、想い出いろいろ。故郷の墓も気になる春の彼岸です。
明日夜の3月定例研究会(午後の編集会議)には遠くからご参加の方あり、忙しい時期、ご苦労さまです。ぶんじんはもっとも近いところ(申しわけない)で、お待ちしています。欠席の連絡(風2848号)、加えて上田孝典さんから「今回も台湾出張のため欠席」とのこと。編集会議では中国関係については小林が代行しましょう。沖縄担当の幹事・山城千秋さんより「沖縄」編集案をお願いします(メールは24日13時まで)。
珍しい人より別件でメールあり。24日夜の定例会・交流会のお誘いを返したところ、用事があるらしい。しかし「時間の都合がついた場合は、顔を出させていただきたい」との返事。楽しみにお待ちします。
2849号【2012年3月22日】
■<3月24日の案内>
東京・板橋区の大原社会教育会館・斉藤真哉さん(館長)から、いつも突然のメール来信。新しいパレスチナ訪問記かと思ったら、今回は「飯舘村」とのトークフォーラム案内でした(上掲)。前文には、「ご無沙汰いたしておりますが、飯舘村の酪農家のお母ちゃんを板橋にお呼びして、学習会を開催します。掲載をお願いします」と。開催日時は、3月24日午後。あわただしいご案内です。一部文字化けあり、再送をお願いしましたが、内容はよく分かりますので、そのまま載せました。
昨日の風・前号の配信と入れ違いの着信。到着=掲載順をいくつか飛び越して(間に合わなければ意味ないので)本号へ。内容は、迫力ある取り組み。充実した仕事ぶりで何より!
それにしても、あまりにも急なお誘い。もっと早くに送ってください。
3月24日、当方では先にご案内(2841号)の通り、3月定例研究会です。それに合わせて、当日午後はTOAFAEC
年報(第17号)編集会議を開きます。残念ながら板橋に行けません。せっかくのご案内、いい企画なので心が動きますが・・・・、盛会を祈ります。
こちらの研究会、そして編集会議は、どなたでも参加歓迎です。関心ある方は気軽にお出かけください。TOAFAEC・HPにも案内を載せています。
→■
毎年の年度末の楽しみ。いくつもの大学・研究室から紀要・年報などお送り頂きます。労作を有り難うございます。一つひとつに御礼を差し上げず、横着をしていますが、この場をかりて感謝申しあげます。
2848号【2012年3月21日】
■<もう一つの辺野古・高江>
沖縄・やんばるの東海岸を北上すると、もうすぐ国頭村というあたりに高江の集落があります。いつぞや島袋正敏さんの車で訪問したことがあります。左にやんばるの緑、右に太平洋を望む道、ちらほらと民家が見える平和な風景ですが、この地こそ、米軍北部訓練場に隣接し、沖縄の基地問題のなかで「もう一つの辺野古」と言われている集落です(上掲)。
まわりに軍用ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の建設工事が進められ、住民たちが抗議、座り込みなどの反対行動に取り組み、これが訴訟となってきたのです。朝日新聞も今朝(20日)の社説で取り上げています。
沖縄タイムス社説(3月15日)は、この訴訟については、次のような書き出し。「住民が国を訴えたのではない。国が住民を訴えたのである。判決の中身をうんぬんする前に、そのことの異常さを指摘しておきたい。」
那覇地裁の判決(14日)は、国が住民を訴えたことについては「不適切とは言えない」、住民に対しては工事用車両の通行妨害を違法としました。
同社説は「表現の自由」の観点から判決を批判した上で、「訴訟は対立と混乱に拍車を掛けるだけで、何の解決にもならない」と憂えています。
→■http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-03-15_31067/
3月末の沖縄訪問スケジュール・詳細が届きました(上掲)。もし時間があれば、やんばるの緑を北上してみたいもの。その後メンバーは断念した方あり、加わった方もあり、一行8名となりました。学生ゼミ旅行などと違って異色の方々、どんな旅となるか楽しみです。
2847号【2012年3月19日】
■<岡上に梅が咲いて>
本号には御三家が揃いました。岩本陽児さんからは2本も。ご苦労さま。つい先日、岩本さんのなが〜い「里山通信」が舞い込んで、“HP奥座敷”を用意したことはご存知の通り(風2843号・本欄)。しかし前号の「今日もさけさけ」や、本号「内モンゴルへの誘い」など、「里山」タイトルからはみ出してしまう話題。とりあえずHPの奥座敷名は「岡上」通信と改題して、最近の寄稿4本を収録しておきました。ご覧ください。もちろん仮題、ご本人ご意向により、どのように改題されても結構。
→■ 長文寄稿者への特別対策?です。これから遠慮なくドンドンと書いてください。すぐに奥座敷にお連れします。ブログ押し売りとはこのことか。
「岡上」(おかがみ)とは和光大学の所在地です。大学は公式には町田市金井町、ところがキャンパス内を市境(というより都・県の境)が走っていて、風景はむしろ「岡上」(川崎市麻生区の大字)に位置しています。
ぶんじんも、この地に7年を通いました。今頃は岡上は梅の季節。ちょうど10年前の2月、岡上の梅を詠んだ拙い歌がありました。探し出したので、場ふさぎに載せておきます。和光大学の最後の年、2〜3月でした。
−2002年2月10日、岡上、和光への道−(南の風819号)
◇紅く白くほのかに咲きし梅の道、香に誘われて丘をのぼりぬ
◇川の辺の通いなれたる道なれど なぜに今年の梅はさやけき
−同・3月4日、和光大学最終ゼミ・沖縄合宿−(南の風829号)
◇旅終わる思い切なるものあれば ことさら軽く手を振り別れぬ
◇いまひとつ旅は終わりぬまたひとつ 新しき旅の道をたずねん
−同・3月14日、研究室、本の引っ越し、西に落日(風839号)
◇よろめきつ本を運びて四十年 荷造り終われば夕陽の紅き
2846号【2012年3月18日】
■<春の酒−日本公民館学会>
17日は終日の雨。「降りつづく弥生半ばとなりにけり」(高浜虚子)
たしかに季節が動いています。雨は冷たく感じませんでした。春の宵というほどではありませんが、「今日もさけさけ、明日もさけ」(上掲)などの一文が届くと、春の気分が伝わってきます。当方も二日続きの酒でした。花粉症も一休み。「花の粉 弥生の雨に流れけり」(ぶ)
こちらの17日の酒は、日本公民館学会の懇親会。「風」に案内を載せていませんが、同学会「スプリングフォーラム」の企画。「公民館職員研究の成果と課題」「公民館構想の再構築に向けて」の二本の報告・討議が終わって、茗荷谷駅前の居酒屋へ。20人あまり残って歓談しました。酔って話がはずんだところで(いつものことながら)終りの乾杯。やや心残り。
公民館学会は創設から来年で10年を迎えます。あとすこしの会員増がほしい、いや、この程度の規模の方が論議は深まるのだ、学会としていい本が2冊(「ハンドブック」、「デザイン」)出版できたよ、などの話が交わされました。初代事務局長・故奥田泰弘さんの想い出や、また故横山宏さんの話も。横山さんは、学会創設時にはすでに鬼籍の人でしたが、公民館史研究会の歩みの先に公民館「学会」を遠望しておられたのでした(「月刊社会教育」2011年7月号・社会教育フロンティア)。
帰路はほとんど雨もやんで、傘もいらないような。しかし“春雨に濡れていこう”という気にならないのが残念。昨年来、できるだけ雨に濡れない習性がついてしまった。「春雨やきのふもけふも酒の宵」(ぶ)
2845号【2012年3月17日】
■<早春の酔い>
飯田と国立、二つの公民館から寄せられた記事が並びました。有り難うございました。飯田・木下陸奥著『地域と公民館〜自治への憧憬』についてのご紹介は、一ヶ月ほど前の風2823号などに掲載しています。思いのこもった公民館の本、公民館を通しての貴重な地域史でもありましょう。
加えて、御三家からは(珍しく)お一人だけの寄稿。本号も長文となったため、終わりの部分は省略させて頂きました。ご了承を。
中国から、福建省『終身教育』(全民終身教育促進会発行)の2012年度1月号が送られてきました。表紙に写真入り、全体にイラスト・図表など多く装いも新たな編集です。何よりも目についたことは、隔月刊から「月刊」発行になったこと。お祝い申しあげます。
昨年末の同誌2011年第6号に伊藤長和さんが寄稿されています。中国に暮らす外国人として「中国終身教育に向けての幾つかの期待」、訳は李斗石さん。風・同人のお名前が並ぶと嬉しくなりますね。
今晩(16日夜)は中国生涯学習研究フォーラム(第17回)でした。会場は大塚・茗荷谷。終わって車を走らせ神田・神保町「放心亭」へ。馬麗華さん(東大・院)のドクター論文合格を祝って、あらためて乾杯しました。この店とは長い付き合い。日本公民館学会の初期、理事会終了後は有志で必ずここに寄って、疲れを癒したものでした。今年の花粉症は比較的におだやかで、早春のこの時期、ことさらにビールが美味しい。昨日の健康チェック(内視鏡検査)の結果もよく、自らにも乾杯したような気分。
2844号【2012年3月15日】
■<国立(くにたち)公民館>
3月26日からの沖縄研究フォーラム・本島訪問企画。その後は仕事の関係で断念された方がお一人、他方で韓国からの参加、那覇からの参加(上掲)が加わり、一行7人となりそう。まずは26日午後6時に那覇「沖縄県青年会館」に集合。この夜の「おきなわ社会教育研究会」から始まり、中頭→名護へのスケジュールと続きます。詳細はいずれ「風」に載せましょう。
ところで、13日夜は久しぶりの国立市公民館でした。かって国立市に住んでいたころ(1967〜1980年)、公民館運営審議会の委員を4期(8年)もつとめたことがあります。同公民館では『国立市公民館運営審議会・1期〜26期の記録』(2009年刊)がまとめられていて、これまでの答申や諸記録が並び、あらためて当時を読む機会ともなりました。懐かしい!
国立市公民会の運営審議会は毎月の定例会を重ねて、すでに半世紀余り。こうして1冊になると、注目すべき歴史というにふさわしい。いろんな自治体で、この種の審議会や社会教育委員の会など行政関連の会議に参加してきましたが、国立時代のことがいつまでも忘れられません。しんどい問題を含めて、本音で議論をしてきた思い出があります。1970年代の東京は、三多摩テーゼ作成や公民館づくり運動が胎動し、国立を含めてやはり面白い時代だったのです。
70年代の若者たちが、すでに60代から70才を越える年配です。おおかつ元気。しかしいま社会教育に携わる若者が(もちろん元気ですが)少なくなったことなど話題にしながら、国立駅南口の懐かしい店でビールを飲みました。国立の皆さんにお世話になり、有り難うございました。
▼国立公民館・同運審委員の皆さんと (国立駅南口、120313)
2843号【2012年3月14日】
■<HPの奥座敷>
九州大学・岡幸江さんより福岡と釜山の交流記録が届きました。掲載していませんが、カンネヨンさんからもメール来信。有り難うございました。
玄界灘の同じ魚を食べている一衣帯水の福岡・釜山。歴史的にも深い関係にある両都市なのに、社会教育・平生教育の間には全く交流がない・・・川崎と富川との関係をモデルに、新しい出会いの水路を開こうではないか、そんな語り合いのなかで、福岡・社会教育研究会メンバーが釜山を訪問したのは、2008年7月でした。釜山のあと、故黄宗建先生の墓参り、そしてヤンビョンチャンさんとの想い出深い出会いの旅となりました。HPに当時の記録を収録しています。あわせてご覧ください。
→■ http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/kankoku0807.htm
あれからもう4年、いや、まだ4年しか経っていない。この間に、日本と韓国をつなぐ『社会教育・生涯学習』がハングル版で出版できましたし、日韓両学会間の水脈もずいぶんと活発になったように思われます。福岡と釜山の交流も、こうした交流を重ねて一段と進んでいくことでしょう。これからの歩みが楽しみ。
岩本陽児さんから、なが〜い「首都圏の里山」報告を頂きました。「風」の数号分か。少々困りましたが、読んでみて、さすがに面白い。数回に分けて載せるか・・・などしばし迷って、再びHPの“奥座敷”に収めることにしました。ひと作業して、新しいページには「里山通信」と仮題をつけておきましたが、如何でしょう? その心は・・これからも継続的に「里山」便りが届くだろう、と期待してのことです。
→■ http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/iwamoto2012.htm
2842号【2012年3月12日】
■<新名護博物館の構想>
本号には、ご存知・御三家(烟台、和光、和歌山)が揃いました。どなたかが静かな場合が多いのに、最近は揃ってお元気。そのお陰?で「風」も賑やかになります。南の島「にわか勉強」に応えて、八重山に「南十字星」が姿を現した記事も掲げました(上掲)。
前号の続き。名護博物館については、『東アジア社会教育研究』15号の「やんばる対談@」(2010年)で沖縄復帰当時からの博物館づくりの歩みが語られています(島袋正敏・初代館長)。沖縄「開発」による自然破壊、地域資料・在来資源(家畜を含めて)消失などへの危機感から出発した証言。準備室当時からその取り組みを知っているつもりでしたが、あらためて教えられるところがたくさん。危機感と伝統・文化への愛着、地域や子どもへのまなざし、市民と専門家を結ぶ視点、みんなの手“ぶりでぃ”による博物館をつくる取り組みなど。
初めて故伊藤寿郎(当時・東京学芸大学講師、博物館学担当)を名護博物館へ同道したときのことを思い出しました。収蔵庫を含めて、独自な博物館の誕生に興奮気味。彼の地域博物館・第三世代論の提起にも強く刺激するところがあったはずです。彼が亡くなる直前、病床で書いた岩波ブックレット『ひらけ、博物館』(1991年)の表紙は、名護博物館の子ども向け活動の写真で飾られています。
そして今回の「新名護博物館」の構想。“やんばる”に開かれたフィールド論、表現する博物館、ものづくり・まちづくりを強く意識した実践的活動など「未来にむかう」博物館の方向が目指されているようです。24日夜の市民フォーラムが楽しみ。
2841号【2012年3月10日】
■<沖縄研究フォーラムの胎動>
遅れていた3月定例会(3/24夜)ご案内
→■を掲載することができました。年度末ならではの−お祝い・送別・歓迎・激励など思いのこもった懇親会も開かれます(上掲)。皆さんお誘い合わせの上、ご参集ください。当日午後にはTOAFAEC 年報編集委員会(第2回・前号既報)も。佐賀(新編集長)・高知(前編集長)も上京いただく予定です。春の賑わいとなりそう。
中国・韓国の両研究フォーラムに伍して、沖縄研究フォーラムが胎動しつつあります。本欄でも数号前から3月下旬の沖縄訪問調査の動きを書き始めました。那覇・中頭・名護(26〜29日)のうち、まず名護訪問の企画が具体化しました。28日はまず午後3時から「やんばる対談」C。底仁屋「蔓草庵」にて。昨年までの島袋−小林の対談から、世代を若くしての語り合い、第17号に向けて記録にしていこうとの計画です。
底仁屋は名護の東海岸、辺野古から二見・賀陽を抜けた先の集落。「蔓草庵」とは昨年7月にオープンした島袋正敏主宰「黙々100年塾
蔓草庵」のこと。山原島酒之会やものづくり塾運動の拠点、ここで「やんばるの風」に吹かれての対談予定です。横に古酒カメが並んでいますので、誘惑されないようにしましょう。できれば2時集合にしてはどうでしょうか。
その後は市内に戻って、夕月がかかる頃から、名護博物館・中庭での市民フォーラム。社会教育の在り方を問い、施設や博物館構想を自由に論じあう集い。そして、オリオン樽生での交流会へ(前号既報)。
島福善弘館長から、早速「新名護博物館の基本構想」を送っていただきました。故伊藤寿郎も注目した現名護博物館(1984年開館)の取組み、その蓄積をいかしつつ、どう発展させていくか。新博物館の構想「博物館は未来にむかう」は興味深いテーマです。(次号へ)
2840号【2012年3月9日】
■<オリオンビール>
前号本欄タイトルに誤字。「土筆摘み・・」が「積み」となっていました
(下記・訂正済み)。お詫びいたします。幸い本文は間違いなかったものの、だんだんと目がうすくなってきて(いつぞや書いたように)末路近し、です。
さて、気を取り直して・・・。本号には待望のソウルからの風、カンネヨンさんの便りを掲載できました。有り難う!カンさんの元気そうな姿が目に浮かんできます。
そして先月に続く中国生涯学習研究フォーラム(第17回、3/16)開催のお知らせ。また名護博物館より「沖縄研究フォーラム」一行歓迎の檄文?も届きました。「南の風」としては、韓国、中国、そして沖縄のニュースが並び、この組み合わせで風を発信できること、言いようのない至福。
ご存知の方もあると思いますが、名護博物館(旧市役所)はオリオンビール工場のすぐ隣り。ビギンも歌う「オジー自慢のオリオンビール」、その最もうまい樽生は、工場直送の博物館で飲む一杯か。しかも中庭に月が出ていれば最高さ!
お誘いによれば、3月28日当夜は「 … 夕月がかかり、おぼろ月夜」との予測(上掲)。ご同行の皆様、お楽しみに。
飯田市公民館から木下陸奥著『地域と公民館−自治への憧憬』(南信州新聞社刊)−風2805号に既報−を送っていただきました。また北海道からは“地域をつくる学び”叢書(全15巻)の最終巻、鈴木敏正著『持続可能で包括的な社会のために−3・11後社会の「地域をつくる学び」』(北樹出版)を拝受。全15巻とはまさに偉業というべき。春の賑わい、山笑う季節も間近かとなりました。
2839号【2012年3月8日】
■<土筆摘みし遠き早春>
岩本陽児さんの探梅(上掲)とは羨ましい。「探梅や遠き昔の汽車に乗り」(山口誓子)。こちらは、花から逃れ、「土筆摘みし遠き早春懐かしみ」の心境。土筆の季節は花粉症と重なるのです。いま楽しくありません。それでも今年の花粉は例年より15日ほど遅く、まだ軽い症状ですが・・・。
前号本欄の「沖縄訪問に向けて、与那国島」にいくつもの返信がありました。仕事が重なりそう、しかし「…30年ぶりの沖縄行きを断行するつもりです」(米山義盛さん)、「…特に与那国の古い共同体と公民館制度の関わりは、自分の研究ともろに重なる故、ほんの少しでも、与那国だけでも同行させていただければ…」(井谷泰彦さん)など。思いがけなく韓国の金ボラムさんも「…沖縄訪問ですが先日お願いいたしましたとおり、ぜひ参加させていただきたいと思います。…(中略)…大変楽しみにしております。わくわくどきどきしております」と。
久しぶりに名護・島袋正敏さんからも。「…ところで、28日は名護着は何時ごろになりますか。夕方、名護博物館中庭で、ミニ講演と併せてフォーラムをもてないか、フォーラムの後は交流会を予定…」との嬉しい便り。
山城千秋さんが今回の沖縄訪問企画の中心。那覇、中頭、名護のそれぞれのスケジュールが具体化したところで、風にもご紹介しましょう。やはり名護「やんばる対談」については、ぶんじんが担当するようにとのご連絡。承知しました。年報「沖縄復帰40年」小特集とも関連して、どんな対談とするか、「やんばる」の皆さんと相談しましょう。
2838号【2012年3月7日】
■<沖縄訪問に向けて、与那国島>
3月26日〜29日の沖縄訪問の日程が近づいてきました。那覇−中頭−名護(沖縄本島)の4日間。そのあと久しぶりに竹富島へ飛ぶ計画をたてましたが、ちょうど島の最重要行事・竹富公民館「総会」(31日)と重なり、上勢頭芳徳さん(館長)など大忙し。ゆっくり対応できないとのお話しで、このたびは断念(既報)。他方で、本島からそのまま帰京すれば、早稲田大学・沖縄復帰40年シンポジウムの夜に開かれる新保ゼミ(上原文一さんを囲む、風2836号)に参加できることになります。
沖縄への同行者は6人前後か。この際、もしご希望の方があれば、急ぎ一報を。年報第17号編集もかねて充実した旅となりそうです。同行予定の岩本陽児さん、上掲・川崎「岡上分館」レポートによれば沖縄本島から、初めて与那国島へ渡るらしい。文字通りの南、早や初夏かも。
与那国は日本最西端の島です。沖縄本島から500 キロ離れていますが、台湾とはわずか110
キロ。大気の条件がよければ西の海にドカンと台湾の山並みが見える日もあるほど。1945年以前に台湾が日本施政下にあったころ、与那国は台湾経済圏のなかにありました。郵便も台湾経由だった由。
国境の島への関心は、TOAFAEC 発足当初から。南の風発行の頃、5年ほど与那国に通った時期があります(1998〜2002年)。島の伝統的な祭祀組織や共同体的な集落活動に、戦後日本の公民館制度がどのように定着していったか。“古層の公民館”と名付けた与那国独特の公民館の歴史を報告したことがあります。しかし充分に熟成しないまま、その後は竹富島調査へ移り、思いだけが残っている島。未完の与那国研究は覚書き資料をHPに収録しています。機会をみて、ご覧いただければ幸い。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/yonaguni1.htm
2837号【2012年3月5日】
■<天狗のお面>
三月なのに東京はまだ冬、そして冷雨。日曜日に風はひと休みしました。ホームページ表紙の写真、正月から白い富士山を掲げていましたが、今日(4日)、真っ赤な天狗のお面に取り替え作業。見事な鼻、元気そのもの。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/
たどたどしく初ホームページを開いたのが1997年。その頃はデジカメなく、画像を入れる力量もありませんでした。ホームページ更新も当初はきわめて不熱心、暇なときの手なぐさみ程度。ところが1998年「南の風」を出すようになって、記録や資料、文章が少しづつ溜まるようになって…。フローする「風」と、ストックとしての「ページ」、二つを連動させていく面白さを発見したのです。ページ更新にも力を入れるようになり、2003年6月頃から表紙に写真を飾る慣わし。ほぼ1ヶ月おきのリズムで折々の画像に入れ替えてきました。
弥生の声を聞いて、次の画像をどれにしようかと、あれこれ楽しんでいるうち、ヤンビョンチャン先生の
Facebook に見慣れた障子と天狗の鼻の1枚があり、よく見ると「風の部屋」の隅っこの風景。これがヒント。
このお面は、堀尾正靱先生から頂きました。「天狗」の言葉イメージは、あまりよくありませんが、堀尾先生は「この鼻のように元気に!」と励ましの言葉を添えてくださいました。3年前のこと、はじめてお面を見た幼い孫が泣き出したほどの迫力。これから1ヶ月あまり、HPをのぞくたびに天狗がご挨拶することになります。ぜひ、ご来訪を。
2836号【2012年3月3日】
■<雛祭り−菱餅も白酒もなく>
雛祭りに御三家からの寄稿が揃いました。烟台とシアトルから(上掲)。そして、和光大学からは原発問題シンポ(既報・2832号など)の音声記録。
2月26日、和光大学で開かれた京大・小出裕章さん講演と対話(主催・原発事故を考える町田市民の会 共催:和光大学小出裕章さん講演会実行委員会)の記録、岩本陽児さんから届きました。
「…先日のシンポジウムがインターネットで見られますので、URLをご紹介します。
○ダイジェスト版
→■ http://www.youtube.com/watch?v=6SakWh19P2U
○【町田市民TVの撮影ぶん】第1部の1/3〜3/3
→■http://www.ustream.tv/recorded/20704095
→■http://www.ustream.tv/recorded/20704382
→■http://www.ustream.tv/recorded/20705339
○第2部の1/2〜2/2(省略)
○【IWJの撮影ぶん】第1部
→■http://www.ustream.tv/recorded/20704103
第2部
→■http://www.ustream.tv/recorded/20706484 」 (Fri, 2 Mar 2012 21:58)
聞き取れない部分もありますが、780 人が集まった拍手の迫力。そのあと愛猫を悼む一文も。「…寺田寅彦がエッセイで、猫の成長に伴う個性の発現を興味深く記録していますが、ここまで犬のような性格の猫はまずいなかったのではと思っています。…」など。小生だけ拝読、いま風に記事があふれ、残念ながら、割愛させていただきました。
ところで、3月のTOAFAEC 定例研究会の日程が再度変更となりました。いまホームページも書き直したところ。
→■ 第17号編集会議と定例会を同じ日に重ねて、3月24日(午後、夜)となりました。定例日はいつも金曜日ですが、今月は土曜日の開催。いずれご案内は風に載せます。
2835号【2012年3月2日】
■<風の御三家、松本の便り>
南の風に、新しい風が吹き始めました。韓国・公州に留学された瀬川理恵さんからの通信。本号に記念すべき第1号を載せました。ご無理のないところで、そよそよと(自由気ままに)吹いていただければ幸い。「今日の新知識」(上掲)など面白く読みました。
これで「風」への常連寄稿者が一人増えることになるようです。もともと常連は、いま一応3人なので、「御三家」と尊称してきました。お一人は現在訪米中。“隣のブロンドヘアーの美女を気にしながら”(上掲)連日の送信。そしてご存知、和光大学からの常連。もともとは英国「レディング通信」として始まった元祖・海外寄稿者。断続的ながら長文過ぎる通信が多く、とうとうHP“奥の座敷”を用意し、なんとか格納してきた特別の人。「愛猫逝く」の追悼文まで風に頂戴いたしました(前号)。
あとお一人は、もちろん「烟台の風」。いちばんコンスタントに吹いてくる風。今すでに2本が滞留中。本号で一つを捌くつもりでしたが、「公州の風」創刊にスペースをお譲りいただいたかたち。ご了承を。風が「日刊」化してきた経過には、これら御三家のエネルギーによるところ大、あらためて、その「コントリビュート」に感謝?している次第です。
珍しく、古くからの風メンバーである松本の矢久保学さんからメール来信(別件で)。一緒に上海にも行った仲です。「南の風をご送信いただきありがとうございます。ご無沙汰していて申し訳ありません。さて(略)現在、矢久保は「地域づくり課」に所属し、町会と公民館を核とした地域づくり実行計画の策定を進めております。現在計画案をパブコメ中です」とのこと。
今日の早朝メールでした(Fri, 2 Mar 2012 05:55)。いまは地域づくり課の課長さん。ぜひ!「南の風」に計画をご紹介下さい。
→■http://www.city.matsumoto.nagano.jp/tiiki/matidukuri/index.html
2834号【2012年3月1日】
■<3月1日を迎えて>
2号まえの風2832号「小出裕章さん講演会」。その速記メモが岩本陽児さんから送られていましたが、同号にファイル添付を失念。講演会の話題が「愛猫逝く」に付して届きましたので(上掲)、遅ればせながら本号に添付することに。岩本さん、ご了承ください。
3月1日を迎えました。1919年の朝鮮独立運動の日。旧ぶんじんゼミは、この日を選んで韓国へ旅したものでした。1954年は、ビキニ水爆実験で第5福龍丸が被爆した日。その後の杉並の原水禁署名運動の拡がりに思いを馳せながらの1日。
昨日は久しぶりの中国生涯学習研究フオーラムでした。東京は未明から降り続いた雪で真っ白の世界。しかし午後には雪もやみ、電車は遅れながらも動いてくれて助かりました。先日の韓国研究フオーラムに続く中国研究会の再開です。議論もあり、年報第17号編集の話も始まって、いい気分で皆さんとビールを飲みました。そのうち記録も届くことでしょう。
今年の3月、なにより嬉しいのは花粉症がまだ発症しないことです。例年のこの時期は実に憂鬱!もちろんビールなど美味しくない。人にも会いたくないし、仕事も進まない。しかし今年は(仕事はもちろん?調子がでませんが・・)、目も鼻も普段通りで、人に会うのが楽しいのです。
進めている本づくりの最終段階で、ひどいドタキャンがある以外は、ほぼ順調に3月を迎えました。お目出度い話が次々と聞こえてきます。23日(金)予定のTOAFAEC
第182 回定例会は、お祝い・歓迎・送別の会を企画することになりそうです。数日うちにご案内を掲載できましょう。本号もまた長文、そして“日刊・南の風”が続きます。
2833号【2012年2月29日】
■<日本と韓国の往来>
伊藤長和さんが中国へ戻られ「烟台の風」が再び吹き始めました。冬休みで帰国された旧12月から2ヶ月、大げさに言えば、日本が騒がしかったような印象。忘年会から新年会、大下さん「古希祝い」から韓国研究会など、伊藤さんの賑やかな声が耳に残っています。中国へ戻られる直前に雪国のワイン「越後シャルドネ」を拝受、二晩ほど楽しみました。その後に感想を申しあげる機会なく、この場をかりて、あのワインはことさらに香り高く絶品、次の機会がまた楽しみ、と御礼申しあげます。
横浜の瀬川理恵さんからも韓国・公州市へ到着された便りが届きました。(韓国生涯学習フォーラムあて、Sun,
26 Feb 2012 22:57)。
「皆様のおかげで、今日(26日)、公州市に到着しました。…(略)… 夕飯は、ヤンビョンチャン先生に御馳走になりました。肥後さん、キムボランさんともご一緒できました。明日は、いよいよ大学に行って、履修登録を行い、29日午前中にパソコンや、布団を買って、寮に入ります。…」
瀬川さんは、先日の渋谷の会で、落ち着いたら「公州の風」を送りますと。順調に吹いてくるかどうか、楽しみです。もし烟台・公州の二つの風が届き始めると、「南の風」は「日刊」になるかも。ちなみに2月は、29日の間に(本号を含めて)20回の風が吹きました。
上記・公州からの便りのなかの肥後耕生さんと金ボランさんはそれぞれ韓国を離れて日本へ。そのうち「風」をください。いま日韓の往来は、沖縄よりも頻繁になりましたね。
2832号【2012年2月28日】
■<東京の夜間中学(日本語学級)を守る>
前号に、この2月「特段に変事なし」と書きましたが、東京・夜間中学日本語学級の今後に向けて大きな変事があったのでした。南の風には、東京夜間中学の関本保孝・澤井留里先生などから「緊急報告」の訴えが寄せられました(風2820、2826号など)。来年度からの在籍期間を「1年を限度とする」という改正案に対して、日本語学習の門戸を制限し、教職員の大幅削減にもつながるおそれもある。先日(18日)は都内で夜間中学(日本語学級)を守る緊急集会が開かれ、これに参加した岩本陽児さんからメモ(速記)が風・前号にいただいたばかり。
いまさき関本さんから届いた「至急お願い」(Mon, 27 Feb 2012 12:06)。「…署名を至急お寄せ下さい(2月29日必着)。3月1日に東京都教育委員会への要請・懇談がありますので、署名第一弾を提出します。署名送付先は、〒270−2252 松戸市千駄堀1498見城慶和先生あて。会代表代行の庄司匠さん宅でもけっこうです。〒116-0013 荒川区西日暮里1-12-11-101。 ※署名用紙は、下記ブログから印刷できます。署名は教育長宛と都議会議長宛2種類あります。お忙しい中、大変恐縮ですが…」とのこと。※夜間中学校と教育を語る会ブログ
→■http://blog.goo.ne.jp/yachu-kyoiku
「すべての人に教育を!」(1990、ユネスコ・ユニセフ等)は国際的なスローガン。それぞれ厳しい事情のもと、海を越えて日本で暮らす人々の日本語学習、その機会保障に夜間中学の皆さんは奮闘してきました。小さな条件を一つひとつ充実の方向にもっていく必要があります。その積み重ねこそが重要。こんな趣旨で、呼びかけ人としてコメントを送りました。
2831号【2012年2月27日】
■<3000号に向けて>
「南の風」の発行が頻繁になるのは、なにか事件があったり(たとえば去年の3・11)、あるいは訃報が届いたり…などのとき。ところが今年は、とくに2月になって特段の変事もないのに、どうしたことか風・発行が忙しい。韓国・中国の両研究フォーラムが冬眠からさめて、春の活動を始めたことにもよりますが、常連メンバーだけでなく、思わぬ方からの投稿も相次ぐなど、嬉しい悲鳴です。いま編集箱には、まだいくつか未掲載メールがあり、明日また連日の送信となる見込み。この分では目標の3000号まで、予想より早く到達することになりそうです。嬉しや、嬉しや!
本欄には、上掲できなかった小さな記事を載せておきます。24日の研究会について。お話をいただいた丸浜江里子さんから。「…研究会では有り難うございました。あらためてお礼・感想を書こうと思っていたところ、先をこされました! 南の風2890号にお心遣いあふれる文章を書いていただき、有り難うございました。深い感謝をお伝えします。」
本号には岩本陽児さんから研究会の主報告。その前文。「昨日は町田市民自治学校の締めの閉校式でした。いま、和光大学Jホールでは、京都大・小出裕章先生の講演準備が始まっています。さて何人お出でになるか、ワクワクしています。」
韓国フォーラムの金侖貞さん報告の前文。「22日の研究会ではありがとうございます。久しぶりの研究会では、ビールが本当においしかったです。先生もおっしゃいましたが、『韓国の社会教育・生涯学習』が出版されてもう6年…、この間の変化を踏まえながら、改訂版を視野に入れながら、研究会を今後考えていった方がいいのではないかとも思いました。…」
2830号【2012年2月25日】
■
<心づくしの花>
昨夜(23日)のTOAFAEC研究会は数えて181回目。丸浜江里子さんが昨年出版された『原水禁署名運動の誕生』(凱風社)をめぐって、著者ご本人からお話しを聞きました。副報告として、ぶんじんも『歴史の大河を流れ続ける』(1980〜1984年)のことや、旧杉並公民館について、いくつかのことを発言しました。
丸浜さん新著は、すでに3刷だそうです。各地で読まれている様子、何よりのことです。出版直後の研究会でお祝いの乾杯をした経過はありますが、研究会として取り上げたのは初めて。この本は、杉並の地域史であり、同時に(今は姿を消した)杉並公民館史であり、東京社会教育史の一面をもっていると言えましょう。社会教育関係の皆さんにも、ぜひ読んでいただきたいもの。
本書に登場する人たちは多数にのぼりますが、中心人物とも言うべき安井郁氏(杉並区公民館長、原水協理事長、法政大学教授)は1980年3月、安井田鶴子さんは2005年2月に亡くなられています。田鶴子さんのご命日は、2月14日。研究会の当日、田鶴子さんを偲んで、丸浜さんの心づくしのお花が飾られました。
はるばる信州松川町より米山義盛さんが参加されました。伊那谷の銘酒ご持参でご苦労さまでした。終了後の出版お祝い会で美味しく頂き、みなほどよく酔いました。当日の記録をどなたか送ってください。すでに頂いている22日・韓国研究フオーラム記録と一緒に次号に掲載します。
3月のTOAFAEC研究会は、現在準備中。期日は3月23日の予定です。
▼第181回研究会、前列・丸浜江里子さん、横に故安井田鶴子さんを偲ぶ花 (永福、20120224)
2829号【2012年2月24日】
■<久しぶりの韓国研究フォーラム>
やや暖かくなったせいか、風の編集箱には、いつもの常連メンバーとは違う珍しい方々から、メール来信。沖縄に関わる内容が3通。昔の話も出て懐かしく、有り難うございました。ほぼ着信順に収録する慣わしですが、本号はちょっと順序を入れ替え。常連の渡部幹雄さん既着の「老いた体」は次号まわしへ、ご了承を。出来るだけ老いたくない?ので…。
年末のカレンダー(2011年を忘れない!)づくりに奮闘された堀尾正靱先生から、那覇でもカレンダー発見!の便り(上掲)。私たちの毎月の研究会、行きつけのレストラン(イーストビレッジ)にもカレンダーが静かに祈りの雰囲気をただよわせる空間があります。このカレンダー、月日が経つにしたがって、意味が拡がり深まっていくような気がします。
昨日(22日)は、久しぶりの韓国研究フォーラムでした。1月の釜山で開かれた日韓両学会・学術交流大会の報告、面白く聞きました。どなたか当夜の報告を風にいただけるでしょうか。ついで、TOAFAEC
年報第17号編集について。上野・新編集長の(1月編集委員会の)「論点整理」まとめを待っていましたが、間に合わず…。ぶんじんが1枚のレジメを用意して論議。韓国グループ担当分はほぼ構成が出来上がるところまで検討できたようです。さすが!これまでの蓄積あり、新しい課題への視野の広がりもあり、歳月の重みを実感しました。3月の編集委員会に持ち込みましょう。内々の執筆・翻訳の体制など具体的に依頼作業を始めることができますね。明けて本日(23日)、1日遅れで上野編集長「論点整理」が着信。
研究会が終わって、久しぶりの神田・放心亭へ。美味しいヴァイチェンでした。伊藤長和さんが中国へ帰る別れの、激励の、壮行の乾杯。
▼伊藤長和さん(中国へ)送別会。このあと小田切督剛さん参加 (東京神田、20100222)
2828号【2012年2月22日】
■<ホームページの掃除>
さきほどTOAFAEC ホームページの点検・更新をしました。ページの隅っこに古い記録が残っていたりして、ときどき見直しの必要があるのです。新しい動きの入力も。「南の風」発行や本欄日誌の入力(ほぼ隔日、ときに毎日)とは別の、定期点検みたいな作業。ちょうど乱雑な研究室を掃除して、新しい本を入れ替えるような気分になります。
それでもきっと間違いや古いデータを見落としているに違いありません。お気づきの際にはぜひ教えてください。誤入力もあり、関係の皆さんに迷惑をかけることになりかねず。また、当方の老化も否めず、そろそろ退役だぞ!と自覚しているつもりながら、まだ性懲りなく続いています。どこかでサッパリとすべてを削除する瞬間の、一度しかないだろう快感!を楽しみにしている自分もいて、興味深い掃除のひととき。
今日の作業は、一つはTOAFAEC 年報『東アジア社会教育研究』の編集委員会ページの修正。新編集長を書き入れたり、年度を更新したり…。あと一つは、「沖縄研究交流」ページの点検。新設(実は前からあるページの化粧直し)の「沖縄研究フォーラム」のあらためてのチェック。それと、古い写真いくつかの移動や撤収作業。
ご存知「韓国研究フォーラム」と「中国研究フォーラム」と並んで「沖縄研究フオーラム」ページの登場。3月下旬の沖縄行きの準備の意味もあります。当方で入力・編集作業は担当しますので、関係の皆さんでページの中味をつくっていただければ幸い。部屋を掃除して、お客人をまつような心境でもあります。沖縄研究フォーラムのページ。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/okinawaseinen.htm
2827号【2012年2月21日】
■<東京二三区から公民館が消える!>
各地から社会教育関連の広報誌、ミニコミ誌、通信(ペーパー)などをたくさん頂戴しています。会費を払っている団体の会誌はいいとしても、ご好意で送っていただく通信には感謝のほかありません。いちいち御礼を差し上げる余裕もなく、この場をかりて、心からの感謝! 風・誌面に紹介したい興味深い内容も。当方の誌面もあふれ気味、思うに任せません。
最近いただく通信では、北九州社会教育・生涯学習研究会が発刊している「北九社教研だより」(この2月で129号)と、東京(社全協)二三区支部「通信」(1月で167号)が内容充実、読み応えがあります。奇しくも両者はA3版・16ページの構成。立派なものです。
編集の中心になって奮闘されている方があることは間違いなく、そのご労苦を思いやっているところです。南の風を出している立場からよく分かります。当方と違って(誌面づくりだけでなく)印刷・発送の手間もあるわけだし、もちろん送料も累積すれば相当なもの。
東京二三区支部「通信」167号より、気になる記事「“練馬公民館”がなくなる!」(短信)を上掲しました。ついに東京二三区から条例設置の「公民館」が姿を消していくというニュース。記事中に、東京には練馬と杉並の2区に公民館が設置されてきた、とありますが、厳密には北区も公民館3館を置いていた時期(1951年〜1961年)がありました。ちなみに当時の北区公民館長・龍野定一氏(奄美出身)は全国公民館連絡協議会−いま全国公民館連合会、の会長を4年間つとめた人。鎌倉のお宅に龍野さんの往時の証言を求め訪問したこともありますが、すでにご高齢でした。
二三区の公民館史については(北区公民館の終息過程を含めて)資料解題風に書いたことがあります。「東京二三区の公民館」(東京都立多摩社会教育会館『戦後における東京の社会教育のあゆみ』]1997)、HP収録。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/tokyou23ku.htm
2826号【2012年2月20日】
■<2月研究会・3月の日程>
本号は「創造の場としての図書館」イメージ、造語“クロスカル”(渡部幹雄さん)や、「英国の都市計画法」「市民の権利を守るための法」への提起(岩本陽児さん)など、含蓄あるコメントが寄せられ「南の風」の格調がいちだんと高くなったような気分。有り難うございます。岩本さんへのお願い。せっかくのコメント、出来れば貴文にぜひ小さなタイトルをお願いします。当方の見出しでは見当はずれになってもいけませんので。
さて、これから暖かくなると花粉症の季節。すでに数日前、1日ほど症状が出て(翌日は直りましたが)、いま身構えて待っているところ。今年は花粉飛散が少ないとの情報に期待を寄せつつ・・・どうなることやら。
来る24日(金)はTOAFAEC 2月定例(181回)研究会。丸浜江里子さん著『原水禁署名運動の誕生』と安井家資料研究会についてのお話(2819号に案内)です。ご参加、お待ちしています。
3月定例研究会の日程について。最終金曜日(30日)が沖縄訪問調査と重なるおそれあり(TOAFAEC
事務局も数人訪沖の予定)、1週間前の23日(金)夜に日程変更したいと考えています。内容については、3月から4月への異動期、お目出度い話題のお祝い会にしてはどうか。“異動”は、なべて新しいステップと跳躍につながるもの。4月の新しい動きや吉報などお寄せください。
先週、相次いで来日した中国・韓国の若い友人たち。頂いた老酒、銘酒の香気を楽しんでいます。深更にひとり、口に含めば、気分は爽快、思い深まり、目もさえて、思うように寝酒とはならず、困っています。
2825号【2012年2月18日】
■<古希を祝う>
17日夜に川崎・大下勝巳さん(おやじの会、川崎市社会教育委員会議議長)の古希を祝う会が開かれました(写真)。大下さんは1月の私たちの新年会にお出で下さった方。雪がちらちら舞う寒い夜でしたが、川崎の古い、そして現役の社会教育“群像”が集まって、終始笑いにつつまれたひととき。ぶんじんにとっては、1988年出版の『公民館の再発見』(国土社)に「おやじの会」を書いていただいた経過があります。この本に収録した選りすぐりの実践報告は今なお評価が高いこと、韓国でもハングル訳が進んでいることなどを紹介して、祝辞にかえました。
3メートル近い雪が積もっている越後・魚沼(旧堀之内町)からご出席の星野修美さん(元川崎産文館長、現魚沼市公民館長)と久しぶりに再会。南の風メンバー・森山丈順さんと一緒に公民館で奮闘されている様子。いつもの元気のいい声で「十日町小唄」を歌われました。この歌を聞くと故田村達夫さん(元十日町市公民館長)のことが想い出されて、切なくなります。
雪国から話題は一転して南の島へ。上掲のような経過で、3月末の竹富島訪問企画は断念せざるを得なくなりました。4月以降の日程をつくることができるかどうか。第17号への記録収録が心配になってきました。
というわけで、3月末の沖縄訪問計画は26日〜29日の日程で確定となりました。ご参加予定の皆様は割安の飛行機チケットを(今のうちに)予約ください。29日帰りはできるだけ遅い便にしてください。終日、沖縄本島をぐるぐるまわる楽しい旅にしましょう。韓国の金ボラムさんも参加希望とのこと。賑やかになるでしょう。
▼前列・左から4人目・大下勝巳さん、右から2人目・星野修美さん (川崎、20120217)
写真移動
2824号【2012年2月16日】
■<韓国から若い友人ふたり>
最近はミスがあっても驚かなくなって、訂正もしない。読む側の皆さんでご判読・ご寛恕いただけるものと安心していますが・・・、気づいてみれば、やはり申しわけなく、悔しくもあり、ひとことお詫び申し上げます。前号本欄の見出し−呉遵民さん「来日」を「対日」と書いていました
(訂正済み)。RとTは隣のキイ、この間違いを見逃すなど(いちど読み返した?はずなのに)老化甚だしく、末路は近し、というところ。
13日に中国上海の呉さんと会いましたが、15日夜は韓国からの若い友人二人を迎えました。肥後耕生さんと金ボラムさん(いずれも公州大学校)。慌ただしく約束ができて、この春から公州大学・院へ留学する瀬川理恵さんなどに急なお誘いを出しました。瀬川さんから来た返事。
「…とてもうれしお知らせですね。しかし、私は、昨晩からインフルエンザにかかりました。みなさんも、どうぞお気をつけてくださいね。会いたいですね〜。お二人に。残念です。…
よろしくお伝えください。」
金ボラムさんは東大・院ドクターにめでたく合格。この3月から東京生活とのこと。そのうちご挨拶が届くだろうと期待しています。
考えてみると、10年前には想像できなかったような、海を越える日常的な出会いが可能な時代となりましたね。今年は日中国交正常化40年、日韓条約からはすでに半世紀近く。しかし東アジアに本格的な交流が動きだすのは、やはり冷戦後・1990年代になってからでしょう。そして今世紀になって市民レベルの出会いが一段と拡がってたように思われるのです。
私だけかもしれませんが、最近は台湾の友人たちと会う機会が少なくなったような…。ぶんじんの初めての台湾訪問は1989年、90年代ほぼ毎年のように出かけていましたが、最近は当方も失礼しています。
▼左・肥後耕生さん、右・金ボラムさん(渋谷、20120115)
2823号【2012年2月14日】
■<呉遵民さん来日>
3月沖縄訪問の日程・企画案が山城千秋さんから届きました(上掲)。ご参加予定、これからの方、ご検討ください。ご意見・希望をお寄せください。受入れ側(那覇、中頭、名護)のご都合もお聞きし、できれば1週間ほどで確定したいと思います。上述のように、3月26日(夕刻までに)那覇集合、29日を最終日として現地解散の線。飛行機は各自で、宿泊・車はまとめて手配しようという計画です。
ぶんじんは、これに加えて、3月30日〜31日、八重山行き(1泊)を提案したいと思います。目的は、竹富島での聞きとり・対談。シマ共同体と「赤瓦リゾート」企業との新しい展開(風2806号「竹富島の動き」既報)についての調査です。3月29日から八重山に入り、31日に離沖(帰京)できるように日程を組む案も可。ぶんじんは一度那覇に戻ってゆっくりと4月1日に帰京するスケジュールを考えています。参加ご希望の方があれば一報ください。もし時間があれば、ぶんじん歌碑(平久保)にもご案内したい。これは案外と面白い旅かも。中頭青年団OB座談会と竹富島調査は、いずれも「東アジア社会教育研究」第12号(2007年)の続編となりますので、いちど目を通していただけると、いちだんと興味も深まりましょう。
上海・華東師範大学の呉遵民さんが13日に来日しました。わずか3日間の滞在。歓迎夕食会など考えましたが、慌ただしい日程のため、詳細を確定できず、当夜にケイタイで連絡を取り合って、ぶんじんのみで対応。久しぶりに新宿「今半」で食事、二人で積もる話に興じました。呉さんはかねて「風の部屋」に関心あり、思い立って帰路は永福へ寄り、小林富美との再会もできました。歓迎会を心づもりの各位、期待はずれで、申しわけありませんでした。
▼呉遵民さん(右)、風の部屋訪問。小林富美(左)と再会 (永福、20120213)
第2822号(2012年2月13日)
■<楽しく酔って・・・>
かねて学会の研究活動や(理事会だけでなく)会員の主体的な参加、あるいは研究情報の流れ方などに改善の一工夫がないものかと思うときがありました。たとえば、課題性をもって会員が日常的に参加できる場づくり、小さくても活発な提案型論議の研究会。その拡がりのなかで、世の中に柔軟かつ大胆に政策提起を試みる活力・勇気をもちたいものだ、などと語らってきた経過があります。
日本公民館学会の創設は2003年。公民館の実態への危機感、他方で国際的にも寄せられる公民館への期待が背景にありました。“学会らしくない学会を”“小さな学会の面白さ”“自由闊達な論議と政策提起の力をもとう”などが当方の持論。ときに激論も。学会がスタートして数ヶ月後に定例(月例)研究会が立ち上がり、研究年報の発行以外に、できるだけ多くのメンバーが執筆する『公民館・コミュニテイ施設・ハンドブック』編集への取り組み、など思い起こされます。
定例研究会は、2年余りが経過したところで、(新潟聖籠町、横浜磯子区、千葉などへの飛躍がかえって負担となり)いつの間にか消えていきました。残念な思い。力作『ハンドブック』は3年後に見事に出版。
新理事会となって、定例研究会復活の動きが伝えられ、心待ちしていたところ、風2817号ご案内の通り、昨日(11日)再開され。活発な論議が蘇って、嬉しい夜!となりました。
「区画整理事業から始まった地域の拠点施設づくり」について埼玉県三郷市の事例が報告され、充実した研究会の復活。終わって茗荷谷駅近くで交流会。楽しく酔って、帰路の地下鉄・丸の内線の車内、学会会長と副会長にはさまれて撮った写真一つ、記念に掲げます。
▼左・学会会長(手打明敏さん)、小林、右・副会長(新井孝男さん)−地下鉄・丸の内線車内、20120211−
2821号【2012年2月11日】
■<3月の沖縄訪問案を>
2月の暦が過ぎていきます。毎年、2月に入ると杉花粉が気になる時期。今年の飛散は比較的に少ないとの情報で少しホッとしています。いつも花粉の季節になると沖縄への避難を計画。昨年はあの大地震のあと、3月15日から予定チケットで(キャンセルしないで)1週間の沖縄行きでした。南の島で、東北のつらいニュースを連日見ていたことを思い出します。早いもの、今日で11ヶ月が経ちました。
今年、3月の沖縄行きについては、風2815号の通り、3月26日〜29日案で(二転して)確定。そろそろ内容・スケジュールを具体化する必要がありますね。同行希望の信州・米山義盛さんからも問い合わせ(上掲)が来ています。3月のこの時期、飛行機の割安便もそう安くないのが残念。
「東アジア社会教育研究」第17号(副特集−沖縄復帰40年)との関連で4つの仕事(小林案)を考えています。2815号にも書きましたが、再録すると、@竹富島の動き・上勢頭芳徳さんとの対談、A中頭青年団OBとくに仲宗根悟氏たちとの座談会、B名護・やんばる対談企画、C那覇・おきなわ研究会とくに鳥山淳氏への原稿依頼その他。今回のわずか3日の日程では、竹富島まで行くのは無理でしょうかね?
それぞれに概略のお願いをしていますが、鳥山淳さん(沖縄国際大学)にはまだ依頼が出来ていません。「沖縄復帰40年」に関わって総論的な執筆をぜひ!ご検討いただけないでしょうか、委細はお会いした上で。山城千秋さん、スケジュールなどのご提案をお寄せ下さい。
2820号【2012年2月10日】
■<この坂をどう下るか>
日刊・南の風は続きます。昨年7月に開かれて以来、休止状態にあった韓国研究フオーラム(2818号に案内既報)、そして本号には中国研究フォーラムの案内を載せることができました(上掲)。いずれも2月中の日程。待望のお知らせです。皆様のご参加をお待ちしています。
ぶんじんにも多少の煩悶があります。八十路になった今、あまり出しゃばって動くべきではない、“年寄りの冷や水”と言うではないか、老醜という嫌な言葉もある。きっと若い世代で動いてくれる・・・そんなことを考える齢となったこの半年。催促役を控えてきました。
あたかも思春期の若者が生き方を悩むように、八十になって、この坂をどう生きるか戸惑っています。時には(思いあまって)勢いよく発言するときもあり、あとで反省しきり。なまじ元気なだけに煩悶のたえない、矛盾に満ちた世代。“思老期”とでも言ったらいいのか。まわりの雰囲気を気にしながら生きています。あまり楽しくない。それでも、出来るだけ控え目に、という姿勢は大事にしていこうと思っています。
つい妙なことを書きました。お許しください。待望の韓国・中国・東アジア研究の集いが、相次いで再開される喜びを書きたかったのでした。
夜間中学の関本・澤井の両先生から緊急報告が舞い込みました。昨日の風に載せたかったのですが、記事があふれ、本号となりました。夜間中学教職員大幅削減のおそれ、2月18日午後には『東京の夜間中学(日本語学級)を守る緊急集会』(曳舟文化センター)の呼びかけ(次号掲載予定)。
風には福岡・沖縄・国立等からの報告あり、「日刊」が明日も続きます。
2819号【2012年2月9日】
■<編集後記として>
連日の配信が続いています。「日刊・南の風」と改名しましょうか。出版お祝いの会記事に続いて、2月の研究会等のご案内が相次いでいるのです。休む日がなく、嬉しい?悲鳴。本欄についても、今日は何を書こうかと(いまキイを打ちながら)テーマを探している始末。
そうだ!本欄は(いつも勝手なことを書いていますが)もともと「編集後記」だ。まずは御礼を。本号収録・2月研究会の案内を送っていただいた岩本さん、有り難うございました。2月/181回定例会は、丸浜江里子さん『原水禁署名運動の誕生』のお話です。2月24日夜、お楽しみに。
そして、大田堯先生と映画「かすかな光へ」のこと(大前哲彦さん)と象「ハナ子」の足跡を歩いたレポート(圓入智仁さん)に感謝。こんな記事をいただくと「南の風」編集も楽しくなります。
大田堯先生との個人的な思い出はいくつもあります。まず「ロハ台の仲間」の話。福岡で聞きました。1955年頃か。初めてお会いした鮮烈な思い出。その後は東京でいろいろ。1978年夏、東京学芸大学で日本教育学会が開かれたことがあります。小林は大会開催校側(実行委員会)の事務局長。学生ともども汗を流しました。大田先生から「ご苦労さん!」とねぎらっていただき、刊行されたばかりの本、『戦後日本教育史』(岩波)を記念に頂戴しました。直筆のお名前の本、大事にしています。
2001年11月、故横山宏先生のご葬儀の日、横山家で大田先生と碓井正久先生がご一緒でした。お元気だった横山先生が先に亡くなられて沈痛な表情。横にいた小林に「碓井さんとの写真を撮ってほしい」と仰って、1枚の写真が当方のカメラに残っています。お二人とも喪服、そうでなければ添付したいところですが…。
2818号【2012年2月8日】
■<ネットのネットワーキング>
韓国生涯学習研究フォーラム(第33回)「ご案内」が同ネットを通して届きました(上掲・2月22日夜)。半年ぶり・待望の集い、事務局の金侖貞さん、有り難うございました。
当日「内容」に、(3)『東アジア社会教育研究』第17号編集について、を加えて下さい。第17号は、まだ特集テーマが確定していませんが、「東アジア」を主特集に据えることは間違いなく、合わせて(例年のように)韓国平生教育に関わる論文・報告、この1年の動き、等をお願いすることになりましょう。とくに昨年16号は“1年の動き”掲載ができませんでした。今年はぜひ!実現したいもの。
中国生涯学習研究フォーラムについても、打ち合せが進んでいます。まだ案内は届きませんが、おそらく2月29日となる見込み。またTOAFAEC
2月(181 回)定例研究会も2月24日の日程。いま案内文を待ちかねているところ。ご予定をどうぞよろしく。
立春とともに、それぞれの動きが始まって、ご同慶のいたり。各ネットは独自のMLもあり、ネット内の連絡・交流が計られていますが、「南の風」はネットの外への、またネットとネットの、相互ネットワーキングに努めているつもり。上記以外に「東アジア」年報編集委員会のネット、また沖縄研究ネットの動きもあり、関心ある方々の参加歓迎!です。さらに学会や諸会合・行事の情報などを含めて、動きを相互につなぎ、拡げていく努力をしていきます。皆さんのご協力ご参加、あらためて!期待しています。
2817号【2012年2月7日】
■<歌でつづる自分史>
前号「徳さんの出版を祝う会」の写真を2葉、HP本欄に載せました。当日、大勢の皆さまにご参集いただき、呼びかけ人の一人として改めて御礼申しあげます。当日の連絡・会場・運営等について、国立市公民館の各位にお世話になりました。有り難うございました。進行役の平林正夫さん(くにたち文化・スポーツ財団)もご苦労さま。前号記録では国立市・佐藤一夫市長を「一雄」と誤記、たいへん失礼しました。以上、前号に書き忘れた御礼とお詫びです。
徳永さんの本については、各地で話題が拡がっているようです。「祝う会」についても、当日参加できなかった人からの関心が寄せられています。これから本が読まれ、また『多摩のあゆみ』144
号「三多摩の公民館」も加わって、公民館に関する論議が盛り上がることになれば何よりのこと。
前号で徳永さんの「歌声」への期待を書きましたが、調べてみると「歌でつづる自分史」についての「風」寄稿がいくつも出てきました。まず海勢頭豊「喜勢武原」のこと、映画「最後の橋」に流れる「トルコの娘」や「オ−ヨヨーオイの歌」(ポ−ランド民謡「私のヤシネック」)など。三鷹の故小川正美さん「川は流れる」、進藤文夫さん「トロイカ」、そして故小川利夫さん「郡上八幡」などへの言及あり、当時を偲びました。1999年初夏の「南の風」記事(風266、280〜282、288など各号)。
三多摩社会教育関係者の「歌の自分史」は、「歌でつづる社会教育実践史」へとつながります。このタイトルで『戦後三多摩における社会教育の歩み』第Y集(東京都立多摩社会教育会館、1993年)に座談会を組んだことも思い出しました。
2816号【2012年2月6日】
■<春立ちぬ>
2月4日・立春の日、「徳さんの出版を祝う会」が開かれました。昨年末『個の自立と民主主義をめざして−徳永功の社会教育』(エイデル研究所)が刊行されたことは既報の通り。徳永さんは「南の風」の古いメンバーでもあり、かねがねTOAFAEC
として、お話しを聞く研究会や、お祝いの会を催したいと話し合ってきました。
「出版を祝う会」の企画は、本の舞台である国立の皆さん(平林正夫さんなど)を中心にすすめられました。会場の関係もあり、「南の風」としての「ご案内」掲載は控えることになりました。ご了承ください。
この日、国立公民館前の会場はいっぱいの盛況。ぶんじんは1980年まで国立に住んでいた(PTA
会長もつとめた)関係もあり、懐かしい方々との再会の機会となりました。あの頃、ヒゲ面の青年だった佐藤一夫さん、昨年4月の市長選に当選し、ヒゲはさっぱり剃って今や堂々たる市長の風格。冒頭の乾杯の挨拶は思いのこもったものでした。
会場には、国立公民館の設立(1955年)に関わった旧「土曜会」、市民運動を担ってきた方々、PTA
時代の読書会メンバー、東京学芸大学・沖縄研究会参加の方々など。国立公民館と市民運動の歴史と群像が一堂に会したような雰囲気。
あの頃、三多摩の公民館関係者はよく歌をうたいました。ぶんじんゼミや現在のTOAFAEC
研究会はその影響をうけ、名残りをとどめているとも言えましょう。徳永さんの久しぶりの歌を所望しましたが、時間の関係でかなわず、これは心残り。昔の「南の風」には、徳永さんの♪オ−ヨヨーオイの歌♪などの寄稿もあり(風286号・288号、1999年7月)、あらためて風に再録しましょうか。
◇歌声の 耳に響いて 半世紀 ◇春立ちぬ 徳さんの本 祝いけり
▼徳永功さんの挨拶、その隣・佐藤一夫・国立市長、(左へ)北田耕也、上田幸夫の両氏(国立、20120104)
▼中央・花を抱いている徳永功さん(国立、20120104)
2815号【2012年2月4日】
■<“記憶は抵抗である”>
昨夜(2月2日)から北田耕也さん『<長詩>遙かな「戦後教育」−けなげさの記憶のために』(未来社、1月30日刊)を読みふけっています。北田さんは詩人、明治大学名誉教授、『大衆文化を超えて−民衆文化の創造と社会教育』(国土社)など名著があります。ぶんじんより3歳年上。若い頃は雑誌『教育』編集にたずさわり、同じ国土社の『月刊社会教育』にながく関わってこられた方。数日前に新著を上梓され、湯気のたつような一冊を送って頂いたのです。
…「戦後教育」は1950年代に入ってようやく全国各地に根づき実を結び始めた。あいついで世に出た「教育実践記録」はその重要な証明である。憲法と結ばれた教育には高い理想があり、教師には誇りがあった。そして何より子どもたちがけなげであった。…(同書「はじめに」より)
『やまびこ学校』をはじめとする生活綴方教育実践記録に登場する子どもたちの作文や詩が、深い愛情をもって紹介されています。「子どもたち一人ひとりが持って生まれてきた命の底の“生命記憶”(古生物学者・三木成夫)」その「不思議な明り」。子どもが見せるけなげさはこの“生命記憶”の深みに根ざしているのだと。長詩の思いがじわり伝わってきます。
北田さんは「私はこれを弔詩のつもり」と書いています。「はじめに」の結びの言葉は「記憶は抵抗である」。
たまたま手元に7年前「月刊社会教育600号記念祝賀会」(2005年10月、神楽坂)の折、スピーチをされている北田さんの写真が出てきましたので、下に掲げることにします。2月4日の徳永功さん出版のお祝い会で(おそらく)お会いするはず、そのときご了承いただくことにしましょう。
▼北田耕也さん(東京神楽坂、20051001)
2814号【2012年2月2日】
■<厳冬のなか>
2月となりました。寒気しんしん、北国・日本海側各地は記録的な大雪ニュース。東京も今日(2月1日)は寒風が吹き荒れました。いま厳冬の真っ只中、自然はわれわれに何か厳しい試練を課しているような…。
1月末の春節、TOAFAEC 研究会あたりを契機として、これまで“冬眠”状態(上掲・黄メール)にあった中国・韓国の両研究フォーラムが、春の動きを始めたようです。冷気をついて、ここ数日、日程打合せ等のやりとりが交わされ、賑やかな毎日。事務局の皆さん、ご苦労さまです。
日程詳細はまだ確定ではないけれど、春に向かって胎動する動きを載せました。ご了承を。正式のご案内は、確定次第、HPにアップしましょう。
振り返ってみると、昨年3・11大震災の直前に、私たちの東アジア研究交流委員会が開かれたのでした(東京、3月8日)。しかし、その後は無風の状態となりました。大震災は私たちの研究活動にも痛打をあびせたのです。もちろん個々の取り組みが多々あったことは承知していますが…。
風2804号などで既報の通り、上海・華東師範大学の呉遵民さんが来日されます。東京学芸大学による「東アジアの大学における教員養成」国際共同研究コンファレンス(2012年2月14日)出席のようです。できればその前日(2月13日)夜あたりに会えないものか。場所・時間など詳細はこれから。もしご都合つく方があれば、小林あてご連絡ください。
沖縄黒豚アグーと島袋正敏さんを報じる毎日新聞記事が、山口真理子さんから送られてきました。いい記事です。黒豚アグーについては昨年「東アジア社会教育研究」第16号の“やんばる対談”で詳しく話を聞きました。地域と社会教育と「生きもの」の関わり。ご参考まで添付します。
2813号【2012年1月31日】
■<広州との付き合い・回想>
広州の李偉成さんから旧正月「新年のご挨拶」を頂きました。しかし一部文字化けのため抄録(上掲)です。
私たちの中国との交流は、各地をまわる旅行は別として、都市としては広州から始まりました。上海とのお付き合いが定着(1995年以降)するようになってからも、帰路に上海・虹橋空港から日本に帰るのではなく、広州・白雲空港に向かったものでした。広州に恋人がいるのではないかと疑われたほど。
初めて広州を訪問したのは1992年11月のことです。当時は社会教育推進全国協議会委員長でもあり、東京学芸大学教授の肩書きよりも、日本の全国組織代表として厚遇された思い出が残っています。進藤文夫、山口源治郎、内田純一、板橋文夫などの皆さんが訪問団メンバー。まず香港に入り、陸路で当時の国境「深せん」を越える貴重な体験をしました。この年にケ小平が深せんなどを回り「南巡講話」を発表、改革開放路線に立って「社会主義市場経済」を唱導したのです。広州で「社会主義市場経済」という言葉を初めて聞いて混乱した記憶があります。
経済特区・深せんに驚き、珠江デルタをまわり、桂川にも遊びました。懐かしい旅。その報告書「中国“華南”への旅」(1992)冒頭に次のように書いています。
「…これまで私は中国のなかでもとくに南方の地域に強い興味を抱いてきた。ある種のあこがれにも似た感情さえ含んでいたとも言える。この度の広州訪問では改めてそれがまったくの見当違いではなかったことを実感した。…なぜか華南に吹く南の風が気にかかる。もしかすると私の沖縄研究が少し影響しているのだろうか。…」
(HPに再録)>
→■http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/tyugokureport97.htm
その後、広州から訪問団が何回も来日し、こちらからも(家族旅行を含めて)広州を訪れました。私たちと広州との架け橋になったのは、広州出身の留学生・李偉成さん(現在・広州市教育局、上掲「新年ご挨拶」)。彼は私が東京学芸大学を退任した年に一緒に大学院を終えました。その縁から「先生の閉門弟子」と自称してくれるのです。
▼李偉成さん一家と (広州にて、20061213)
2812号【2012年1月30日】
■<音容はるか>
釜山からの詳細な報告(上掲・岩本陽児さん)、本号も長文になりました。釜山の27日夜は三次会まで続いたそう。お互いに肩を組んで「友よ」「アチミスル」合唱とのこと、交歓の様子が目に浮かんできます。深夜送信の長い報告、ご苦労さまです。まだ続くようですね。
他方で、同じ夜の東京(TOAFAEC)研究会の報告(江頭晃子さん)も届きました。本号は27日の釜山・東京の集い記録であふれ、掲載を予定していた渡部幹雄さん「共同学習」や広州・李偉成さん「新年ご挨拶」(かなり文字化け)は次号送りとなります。ご了承ください。
本欄を書いている横で、NHK・Eテレは「孝徳秋水と堺利彦」(日本人は何を考えてきたのかC)を放映しています(29日夜)。非戦と平等を求めて、日露戦争反対の真意、大逆事件・天皇暗殺事件の真実とはなど。興味深い画像もあり。「堺利彦」に関連して久しぶりの故川口武彦先生(九州大学教授から社会主義協会代表、町田市社会教育委員もされた)のことを想い出しました。『堺利彦全集』(全六巻 1970年)『堺利彦の生涯』(上・下、1992年)などの著作がある方です。
川口先生とは九州大学時代に同じ団地に住んでいました。東京では和光大学と同じ町田に住んでおられ、お付き合いが続きました。私立鶴川図書館の浪江虔先生とも親しい方でした。しかし,お二人は1998年12月、翌99年1月に相次いで亡くなられたのです。ちょうど「南の風」を発刊し始めた頃、お二人の追悼記事を書いた悲しい思い出(風162号、171号)。音容はるかに遠く…。ホームページに写真と拙い挽歌を添えて追悼文を再録しています。
→■ http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/archives.htm
2811号【2012年1月29日】
■<心はずむ夜>
日韓両学会の合同研究大会が1月27日から釜山で始まり、岩本陽児さんから報告2を寄せて頂きました。前号から4時間ほど寝て、初日の見学会に参加、その速報をなんと午前3時に送信。ご苦労さま。2010年に一緒に紹興を旅したときの筆さばきを思い出しています。相次いでさきほど報告3も届きました(次号に掲載)。感謝!です。しかしご無理がないように。
東京の27日は、午後にTOAFAEC年報17号の編集委員会、夜は1月定例(180回)研究会。今年初めての両会議は、いずれも予想通り!充実した時間となりました。寒い夜、ご出席の皆さま、ご苦労さまでした。
2809号本欄に書いたように、編集委員会の論議は何よりも17号特集テーマをどう設定するかについて。これまでの経過をふまえつつ、時代の状況を吟味しながら、「東アジア」社会教育・生涯学習について一歩突っ込んだ内容に仕上げたいもの。ぶんじんも(遠慮しないで)発言させていただきました。
夜の研究会は、3月から韓国・公州大学校(大学院博士課程)に留学される瀬川理恵さん「わくわくドキドキ韓国研究への道」のお話。「自己啓発休業制度」を活用し、横浜市教育委員会を休職(2年半)しての海外への跳躍。心はずむお話でした。当夜の記録を、ぜひ「風」へ!
旧正月(春節)の余韻あり、終了後の壮行会はいつもより酔いがまわったようでした。留学お祝いの乾杯、ご本人よりワインの差し入れを頂き、恐縮しました。新しい充実した道が拓かれることを祈っています。
山口真理子さんからたくさんの琉球新報切り抜き記事。たしかに拝受しました。帰路はぐれて御礼を申しあげることができず、失礼しました。
▼瀬川理恵さん(左から3人目)を囲んで。 上野、佐治、桑原、坂田、真壁、伊藤各氏はすでに帰られたあと。(高井戸、20120127)
2810号【2012年1月27日】
■<日韓両学会の集い@釜山>
前号に続いて、韓国からの便りが相次いでいます(連日配信ご容赦を)。本号には、昨年「風の部屋」にお泊まりいただいたヤンビョンチャン先生(公州大学校)からの新年ご挨拶、そして昨晩(26日)釜山に到着したばかりの岩本陽児さん(和光大学)からメイル。
釜山では、今日(27日)より、日本社会教育学会と韓国平生教育学会の合同による「日韓学術交流研究大会」(第3回)が開かれます。最近は当方のアンテナが低い?せいか、最近までこの日程を知らず、TOAFAEC
1月研究会(毎月定例・最終金曜日)案内が予定通りに動いて、同じ東アジアや韓国をテーマとする集いが重なったことを知りました。上掲ヤンさんからも「…ともに語るべき友人たちがたくさん参加できなくて残念…」とあり、申し訳なく思っています。
少し言い訳すると、日本社会教育学会からの通信やホームページにも一般会員への詳しい案内がなく(あるいは見過ごしたか?)、ようやく下記の簡単な開催概要を知ったのが後手になってからでした。念のため掲げます。○日韓学術交流研究大会・開催案内、<日時>2012年1月27日(金)〜30日(月)、<会場>釜山市 釜山平生教育振興院、<プログラム>1月27日:ワークショップ「釜山における平生教育」1月28日:研究大会、1月29日午前:研究大会、午後:若手研究交流会。
TOAFAEC 関係では、幸いに岩本さんが参加。例によって?速報を送ってくれるものと期待しています。韓国の皆さんによろしくお伝え下さい。
2809号【2012年1月26日】
■<お正月のお年玉−ソウル市の最近の動き>
前号本欄で「ソウルの風」への思いを書いたところ、早速に姜乃榮(カンネヨン)さんから速報が届きました(上掲)。有り難う! “お正月のお年玉”を頂いた気分。定期的なレポートに努めるとのこと、カンさんの心意気。ホームページ上に(「烟台の風」と並んで)「ソウルの風」サイトを用意しましょうか。下に6年前のカンさん(懐かしい!)、来日して初めて研究会報告をしたときの写真を掲げます。
明日(27日)午後は、TOAFAEC 年報『東アジア社会教育研究』17号編集委員会が予定されています(夜は定例研究会)。もちろん今年最初の会議。九州から新編集長・上野景三さん(佐賀大学)、四国から前編集長・内田純一さん(高知大学)が揃って上京予定。多忙のなかご苦労さまです。
同編集委員会にはMLが用意され、活発な意見や欠席お詫び連絡など飛び交っています。数年前まで「南の風」が編集通信の役割を担っていましたが、いまは同MLに任せるかたち。そのなかで「沖縄復帰40年」についての提言あり(山城千秋さん・熊本大学)、本号に抄録させて頂きました。そして今年は、日中国交正常化40年でもありますね・・・。
編集委員会としての最初の仕事は、特集テーマをどう設定するか、です。東アジアの、時代の動きを読みながら、“特集”をどう創り出すかが問われます。皆さんで実のある論議をしてほしい。ぶんじんも提案したいところですが、ジッと我慢、ここでは書かないことにします。若い世代の視点こそが大事!
3月上旬(案)に延期した沖縄訪問について、北海道・置戸の森田はるみさんや山口真理子さんからメール到来。関心ある方々の希望など寄せて頂きながら、沖縄行きスケジュールをつくっていきましょう。上記の第17号編集・取材との関連も考えていくつもりです。
▲TOAFAEC 第123回研究会、報告の姜乃榮さん(高井戸、2006年11月24日)
テーマ「韓国の地域市民運動のこれまでとこれからーソウル・冠岳の運動を通して」
2808号【2012年1月25日】
■<ソウルの風を>
昨年10月のソウル市長選、朴元淳(パク・ウォンスン)新市長が就任し、その後の市民施策がどのように展開しているのか、興味があります。しかしソウルからの風はなかなか吹いてきません。いつぞや電話でカンネヨンさん(市民運動家)と話した折、「ときどきソウルの動きを送ってほしい」とお願いしましたが、無風状態。前号『創作と批評』日本語版のページをのぞいたのも、実は朴元淳市長やソウル市の動向について何か論説があるかも、と思ってのことでした。
東京や大阪など日本の大都市をめぐる政治状況と対比して、ソウルの動きがいま(これから)重要だと思っています。とくに大阪市長選で橋下徹市長が出現し、大阪維新の会の動きとともに、その波紋は大きく、今後の影響が気になります。昨年11月の大阪市長選の直後、中央日報・日本語版かと記憶していますが、両者はよく似ている、との指摘がありました。ともに弁護士、若い世代の支持、選挙戦でのSNSの活用、政治路線は中央政党と一線を画す“第三勢力”、しかしこれからの政局にとっては無視できない変数要因だ、などなど。
続けて同記事は、中身をよく見ると両市長には大きな違いがある、方向性が正反対、韓国は左向き、日本は右向き、との論評も。印象的に憶えています。左・右の言い方よりも、市民にたいする立ち位置の違いというところでしょう。かっての参与連帯(1995)、落選運動(2000)、あるいは希望製作所(2002)など、市民運動・NGOの先頭に立ってきた人を市長に選んだソウル市民。これからどのような施策が動くのか、ソウル市「平生学習」はどんな展開を見せるのか、東アジアが注目していると言っても過言ではありません。南の風にソウルからの風を吹いてほしい。
2807号【2012年1月23日】
■<春節に寄せて−東アジアの新しい地平>
南の風では、「おきなわ短信」ほど継続的ではありませんが、海外を含めて気になる「各地の動き」を折りにふれて掲載してきました。上掲「東アジア」についての一文は、韓国『創作と批評』日本語版・発刊辞の一節。6年前に書かれたものですが、私たちTOAFAEC の「東アジア」活動視点と共通するところがあり、一度載せておきたいと思っていました。詳しくは同日本語版サイトを。
→◎http://jp.changbi.com/
『創作と批評』は、1966年に創刊(編集人:白楽晴・ソウル大学名誉教授)された韓国でも評価の高い文学学術誌(季刊)。この日本語版が発刊された当時、李正連さんから「風」に紹介していただいたことがあります(1631号、2006年4月10日)。その後は、ときどき同サイトを訪問する習わし。いつも刺激的な、水準の高い論文が目に飛び込んできます。
たとえば、2011年・冬号(通巻154号)特集は「東アジア地域文学は可能であるか」。「東アジア文学の現在/未来」,「台湾“郷土文學”の東アジア的文脈」「日本戦後文学言説とアジア的視角」など、魅力的なタイトルが並んでいます。白楽晴氏による[新年コラム]
は,「金正日以後と2013年体制」(2012/01/13)。
私たちも「東アジア」の視点を切り口に、社会教育・生涯学習の課題を考えてきました。今年9月発行を目標に、新年報・17号の編集がまさに始まろうとしているとき。昨年の特集テーマは「東アジア社会教育における新しい地平」を掲げましたが、今年はどんなテーマが設定されるか。
1月23日は春節、アジアのお正月です。
2806号【2012年1月21日】
■<竹富島と公民館>
昨日(20日)の沖縄タイムス「竹富に“赤瓦”リゾート・6月開業」記事(上掲)を印象深く読みました。竹富島は八重山・石垣島の前に浮かぶ美しい島。典型的な集落のたたずまい、サンゴをしきつめた白い道、代々受け継いできた伝統的な祭祀文化、すべてそこに住む人たちが日常的な暮らしを維持するなかで守ってきたものです。国の重要伝統的町並み保存地区の指定も受けて、守るだけでなく、現代的な状況のなかで新しく発展させてきた取り組み。その中心に集落の公民館がありました。シマの共同体としての組織・連帯の核となって公民館が奮闘してきたのです。
沖縄復帰前後、本土資本による島の土地買い占めが横行しました。これに抵抗し島の土地を守る闘争があり、妻籠宿を守る住民憲章(1971年)に学びながら、「売らない、汚さない、乱さない、壊さない、生かす」の竹富島憲章(1986年)が定められます。住民の総意に基づき、公民館としての意思決定でした。この経過等については、現公民館長・上勢頭芳徳さんと小林との対談(2007年)に語られています。
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/taketomitaidan07.htm
土地の買い戻しは積年の課題。本土企業や外資系ファンドによる土地転売の歴史もあり、「島の土地をもう一度取り戻す」悲願をもって、星野リゾートとの提携による「竹富土地保有機構」の設立。「星のや竹富島」収益から債務を返済していく「竹富島方式」(上掲記事)の起動。その営業がこの6月からいよいよスタートするという報道です。竹富島の新しい道、その順調な展開を願わずにはいられません。
2805号【2012年1月19日】
■<地下水脈の流れ>
飯田市の木下陸奥さん(飯田市公民館、竜岡公民館の元館長)が『地域と公民館〜自治への憧憬』を出版されるニュース、木下巨一さん(現・副館長)から寄せられました(上掲)。「南信州新聞社から2月末をめどに」刊行されるとのこと。心からのお祝いの言葉を陸奥先生にお伝え下さい。まずは3冊ほど予約させていただきます。
昨年10月、木下さんの「竜丘自由教育のこと」を「南の風」に掲載したことがあります(2745〜2746号)。大正期からの竜岡・自由教育の歴史が印象的な一文。あらためて読み返してみると、「…竜丘自由教育で育った人たちと地域の風土が戦後どのようにつながっていったか、竜丘公民館の活動を中心とした本にまとめる準備を進められています」との紹介があり、それを実現する運びになったのです。地域で取り組まれてきた自由教育の運動、あたかも地下水脈の静かな流れにも似て、いま公民館活動との結びつきをもって泉のように湧き出てきた感じがします。
東京でも昨年11月に、国立市の地域自治と市民運動に深く関わる公民館史が出版されました(徳永功著『個の自立と地域の民主主義をめざして』エイデル研究所、2011年11月)。ともに時代の潮流と公民館への蓄積を実感させられました。
飯田市の公民館体制と「地域自治組織」問題が錯綜していた時期、飯田市公民館大会に参上したことがあります。当日(2007年2月25日)講演のあと、控え室に訪ねてきた東京学芸大学の卒業生も一緒に、陸奥先生と撮った写真を見つけ出しましたので、思い出に掲げておくことにします。
▼中央・木下陸奥氏 (飯田市公民館長・当時、20070225)
2804号【2012年1月18日】
■<春のスケジュール>
早いもので1月の暦も後半となりました。春のスケジュールといえば聞こえはいいのですが、大学でも自治体関係でも、学期末・年度末に向けての多忙な季節。皆さんの忙しそうな様子は「風」編集の側にも伝わってきます。それぞれ今年は会議も多いとか。ご苦労さま!頑張ってください。
TOAFAEC ・ぶんじん関連の春のスケジュール、確定部分は(ご承知のように)HP「スケジュール」「研究会案内」等に記載しています。
→■ http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/yotei1201.htm
TOAFAEC 定例研究会は、毎月の最終金曜日を定例日として1〜2月ともに確定しています。その前後に年報「東アジア社会教育研究」編集会議等の企画。関心ある方々の、とくに新しい方々のご参加歓迎!
この機会に未定のところを、いくつか(スケジュールを面白く)確定できれば幸い。一つは呉遵民さん(上海・華東師範大学)の来日について。「中日韓教師教育に関する研究会参加のため2月13日から15日」に東京滞在の由(風2796号)、どの時間帯だとご都合がつきますか。呉さんの可能な日程案(できれば2案)をお知らせいただけませんか。
あと一つは延期した沖縄訪問の次の日程をどうするか。中頭では仲宗根悟さんなど青年団OBの皆さんが毎週第1火曜日夜に集まるそうです。3月6日(火)案を中心に日程を検討してみる案。また名護では2月下旬に「稲嶺進市長就任2年の集い」を開く計画あり。まずはこのあたりで、私たちの訪沖スケジュールを考えてはどうでしょうか。ご関心の方々からご意見をいただければ幸い。
2803号【2012年1月16日】
■<怒りの社説>
「2800号の配信もれ」とのご指摘を頂きました。申しわけありません。お詫び記事(2801号)に書いた通り、配信もれではなく、発行ナンバーの誤記によるものです。2801号が2本出たかたち。1月11日配信「沖縄行きは延期」の号は(2801号ではなく)「2800号」と読み替えて下さい。
さて、気を取り直して・・・沖縄のニュース。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた環境影響評価書の提出に対して、名護市議会が抗議決議したニュース(上掲)。名護市議会の意見書・決議文については、その全文が目取真俊さんブログ「海鳴りの島から」(1月15日)に掲載されています。
→■ http://blog.goo.ne.jp/awamori777
同アセス文書に対しては、激しい批判・酷評が相次いでいます。たとえば琉球新報社説(1月9日)。「科学を装いながら、およそこれほど非科学的な政府文書を目にしたことがない。…まず建設するという結論が先にあり、その結論に合わせ、都合の良い記述を並べる。日本のアセスは「アワス(合わす)メント」とやゆされて久しいが、これほどその形容がふさわしい例も珍しい。はぐらかし、すり替えを繰り返し、環境への影響をひた隠しにする文書はアセスの名に値しない。…」
→■ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-186043-storytopic-11.html
沖縄タイムス社説(1月10日)も「制度が骨抜きにされた」と題して同じく怒りにみちた書き出し。「これほど、一方的で、住民とのコミュニケーションを欠いた環境影響評価が、ほかにあっただろうか。これほど情報公開をないがしろにしたアセスが、かってあっただろうか。…」と。
→■ http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-01-10_28327/
2802号【2012年1月14日】
■<沖縄復帰闘争史・座談会>
NHK沖縄が沖縄復帰40年の企画として、1月12日から放送が始まっているとのこと(2800号本欄)、どなたかご覧になったでしょうか。東京では放送されませんので、もし録画した方があれば送っていただけませんか。かっての復帰闘争で重要なまとめ役を担われた仲宗根悟さん(復帰協事務局長)や、いま沖縄県青年団協議会資料に取り組んでいる山城千秋さんなどに取材しての番組づくり、どんな出来映えか興味しんしん。
当方の沖縄行きは延期。東京で脾肉の嘆をかこっているところへ、当の仲宗根悟さんから「沖縄県祖国復帰闘争史・座談会」復刻版を送っていただきました。1982年に刊行された貴重な資料集『沖縄県祖国復帰闘争史』(同編集委員会)に収録されているもの。1950年代、1960年代、1970年の3回に分けて、屋良朝苗(沖縄教職員会長、のち沖縄県知事)、喜屋武真栄(復帰協会長、参議院議員)を含む復帰運動のリーダーたち(出席延べ21人)の総括的な座談会記録。三つの時代を通しての興味深い回想・証言です。その企画・進行を担当されたのが仲宗根悟さんでした。
仲宗根悟さんにお会いして、当時の復帰運動(のまとめ)の話を直接に聞きたいと思い立ったのは、この座談会を読んだからでした。2005年から2006年にかけて数回にわたる仲宗根・小林の対談記録は、『東アジア社会教育研究』第12号(2007)に掲載されています。ご覧いただければ幸い。
コザの喫茶店での対談(2006年)には、故石倉裕志(TOAFAEC事務局長)が同行、記録役を担当してくれました。同対談に挿入した写真はすべて小林が撮ったものですが、1枚だけ石倉くんが撮影(同12号、p240)したものあり、この機会にメモしておきます。
▼左・仲宗根悟さんと右・小林。撮影・石倉裕志(沖縄市、20060319)
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2801号【2012年1月12日】
■<花々に囲まれて>
風・前号「沖縄行き延期」の発行ナンバーが間違っていました。大きなミス。正しくは(記念すべき)2800号、本号が2801号。気が逸って、指もすべって・・・まさにミスも末期症状ですね。申しわけありません。
TOAFAEC 事務局(山口真理子さん)から、8日「新年会」記録が送られてきました(上掲)。「歌の饗宴,競演,狂演?」のタイトル。そう言えば、今年は(馬頭琴がなかった分)案外と歌が多かったのですね。狂演?はもちろん!ぶんじんの責任、失礼しました。いただいた記録、詳細・長文なので、半分ちかくを短縮させていただきました。皆さんからのメ−ルが滞留している関係もあり、ご了承を願います。
当日の初参加、川崎・大下勝巳さんの感想を伊藤長和さんから転送していただきました。「…慕う、という言葉が、本当に久しぶりに蘇ってきました。あらためて、慕う心でつながっている関係というのは、和やかでやさしい心の波及が感じられて、居心地の良い時間を過ごさせて頂き…。」
かっての研究室仲間が永年付き合っているだけの会、参加者はそんな意識だと思いますが、思いがけない言葉をいただき、恐縮し、有り難く思っています。
たまたま今年は80歳・結婚50年の節目の新年会でした。昨年11月研究会で記念の話をさせていただき光栄だったのです。その上、今回はやさしいOGたちが(二次会で)大きな花束を用意。こちらはすでに酔っていて、きちんと感謝の言葉を言うのも忘れていました。この場をかりて、あらためて御礼申しあげます。黄丹青さんからの蘭の鉢とともに、いま花々に囲まれている幸せな毎日です。
*南の風・2751〜2800号→■
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