南の風・各号後記(ぶんじん日誌)
2750号【2011年10月15日】
■<沖縄の公民館>
今日(14日)は、久しぶりに東京・町田市の公民館に出かけました。
1960年代からお付き合いがあった公民館です。和光大学時代も小林プロゼミ(当時)メンバーが「障がい者青年学級」スタッフとしてお世話になったり、近いところでは、現公民館(駅前ビル)へ移転する際の委員会に参加したこともあり、その後はどんな展開だろうと気になる三多摩・公民館の一つ。生涯学習センターとの競合、有料化の方向など問題をかかえ、一つの転機を迎えているようです。歴史と蓄積をもっている公民館、今後の頑張りに期待したいところです。
与えられたテーマは「沖縄の公民館−町田の公民館とどこが違う!?」という挑戦的なもの。沖縄をテーマとする市民企画講座(5回)の一つ。字公民館の独自の歴史や、いくつか事例も取り上げて…。読谷村の波平区公民館や竹富公民館「竹富島憲章」のことなどを紹介しましたが、名護市源河「琉球アユを取り戻す運動」については時間切れとなり残念。
沖縄各地の字公民館を舞台に取り組まれてきた「字誌づくり」運動のことは最後にちらりと触れました。中村誠司さん(名桜大学)の仕事を想い起こしながら。地域の歴史を綴ることについては、関心をおもちの方もあったようです。さきほど頂いた企画委員(八戸志緒さん)からのメイル。「本日はほんとうにありがとうございました。…(略)…、書いて残すことは大切だと思いました。町田の公民館史をぜひ作りたいねと、先生、松田さんと別れた後、話しておりました」と。
松田泰幸さん(町田市役所、社全協事務局長)から、炭火でじっくり焼き上げた町田名物?焼豚を頂きました。これが絶品!願ってもない肴で、いま飲みながら書いています。
前号本欄を受けて、上海の呉遵民さんから久しぶりのメイル来信(上掲)。お元気で何より。まわりの諸先生によろしくお伝えください。
2749号【2011年10月13日】
■<満月の夜に、HP>
12日夜、風さわやか、ほどほどに晴れて、東から満月が昇ってきました。9月仲秋から一ヶ月がめぐったのですね。永福のマンションの窓から東に新宿の灯が見えて、その上をゆらゆらと顔を出してくれます。いい月です。乾杯!と一人で月見の気分。忙しい人には月など無縁でしょうが、皆さんと一緒のつもりで、お月さんに挨拶しておきました。
末本誠さん(神戸大学)からメイル。「昨日、無事退院しました。ご心配をいただき、ありがとうございました。…少しゆっくりさせてもらって…」(Wed,
12 Oct 2011 10:44)とのこと。順調に経過して何よりでした。TOAFAEC メンバーも代表の入院を心配していましたので、あえて本欄でご紹介に及びました。
すこし時間をみつけて、ホームページの整理。表紙に掲げていた「やんばるアーグー」写真を、ベランダのハゼの紅葉に替えました。小さな秋の到来、これから秋が深まります。本欄「ぶんじん日誌」もあと1号で(50号おき)区切りを迎えます。新しいページをつくり、目印に写真1枚を飾る慣わし。あまり音信がない上海・呉遵民さんとの2005年ツーショット。元気でしょうか。賑やかな人から便りがないと気になります。
→■ http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/minami2751.htm
ホームページの容量がほとんど満杯です。新しいサイトを増設するほど若くもなし。現サイト・2003年頃からの古い写真を少しずつ撤収して、新しいデータと差し替える作業をしなければなりません。なんとかホームページ更新を維持している昨今です。いつまで続くか。
2748号【2011年10月12日】
■<自由を求める歴史−公民館の地域史・その4>
公民館の地域史をメモ風に書き始めたところに、飯田の木下巨一さんから「竜岡自由教育のこと」が送られてきました。「竜丘は国内でもっとも自由教育運動が花開いた地と捉えることができます」(風2746号)、「…飯田においては竜丘に象徴されるように学ぶことを土台とし、自由を尊び、自らの物差しを持って生きることを良しとした社会教育的な風土が戦中も伏流水として存在しており、飯田にとって公民館の誕生は、いわば民衆発の取組みであったととらえることができます」(風2747号)などの一文がことさら胸に響いてきました。
元竜丘公民館長・飯田市公民館長も務められた木下陸奥先生は一昨年に『竜丘自由教育の真髄』を自費出版された由。さらに竜丘公民館の活動を中心に新しい本をまとめる準備を進められているとのこと。楽しみですとお伝えください。この本は入手できるのでしょうか。
この間、久しぶりに「三多摩の公民館」について2本の文章を書く機会がありました。「…地域の民主化や政治刷新を求める市民運動と連動して誕生」した国立公民館(1955年)のことや、1960〜70年代に各地に拡がった公民館づくり住民運動、それに果たした「三多摩テーゼ」の役割など、あの頃の三多摩の公民館史に思いを馳せました。
自由を求め、ときに抵抗もあり、屈折をも含み、振り返れば創造の歩みをたどってきた地域史を綴ることができるのは幸せです。それをどのように語り継ぎ、次なるエネルギーにつないでいくか。
2747号【2011年10月10日】
■<公民館の地域史3−いぶし銀の光>
前々号本欄からの続き。公民館の地域史のこと、書きかけのままでした。ちょうど10年前に出版した『世界の社会教育施設と公民館』(小林・佐藤共編、エイデル研究所)は、実は珠玉のような「公民館の地域史研究」(第U部)がぎっしりつまった本なのです。「社会教育施設の国際比較」(T部)の方だけが注目されて、やや残念と日頃思っていました。
日本社会教育学会が“公民館50年”を記念して特別年報『現代公民館の創造』(1999年、東洋館)を刊行したことはご承知の通り。ハードカバー・510
頁の大著。しかし学会の共同研究のうち、この1冊に盛り込めなかった大きなテーマが二つ残りました。一つは、公民館の国際比較、あと一つが公民館の地域史関連の報告でした。
学会として東洋館出版社に2冊組みでの刊行をお願いしましたが、話はまとまらず。エイデル研究所に企画を持ち込んだという経過です。学会特別年報とほぼ同じ重さの、立派な上製本として世に出ました。第T部の国際比較の執筆者が15人、第U部の地域史研究は28人、力作が並んだ大事な本です。
第U部で収録された地域史は総括3本に続いて、岐阜、福岡庄内、岩手沢内、北海道置戸、新潟十日町、佐賀、大分、沖縄読谷、埼玉入間、東京三多摩、相模原、信州飯田、大阪貝塚、川崎(掲載順)。
この本には亡くなられた碓井正久、小川利夫の両先生が(まだお元気で)揃って寄稿いただいた想い出の本。地域史は歳月が経過すればするほど、いぶし銀のように、光を放ってくるところがありますね。
2746号【2011年10月9日】
■<秋の夜の歓迎・交流会>
福建省訪日団の来日(10月20〜24日)が近づき、細かなスケジュールの連絡や、ご案内をいただきました。有り難うございます。本欄予定の「公民館の地域史ーその3」は次号まわし。
関西の日程・時程も細部にわたって確定とのこと。上に載せきれませんでしたが、大前哲彦さん(大阪音楽大学)から23日夜・日中交流夕食会、24日午前・大阪市総合生涯学習センター訪問のスケジュールをお知らせ頂きました。同日午後の貝塚市公民館訪問と夜の交流会については、村田和子さん(和歌山大学)からのご連絡(上掲)。和歌山大学のお歴々もご出席らしく、ご配慮ありがとうございます。
東京の歓迎会案内は黄丹青さん(目白大学)から届きました。21日夜、TOAFAEC
研究会としての企画ですが、いつもの杉並・高井戸区民センターの会合ではなく、18:30〜から直接に「イーストビレッジ」(レストラン)での交流・歓迎会を始めようという楽しい計画。当日の東京スケジュールは、午前は都庁、杉並セシオンへ、午後は国立市公民館へという過密、訪問団もお疲れさま、歓迎と慰労の乾杯から始めようという次第です。皆さん、秋の一夜、ご都合をつけてお集まりください。廈門出身の白メイさん(上掲・案内)もぜひお出かけください。
確定スケジュールは一覧にして、李斗石さんにお送りしましょう。訪問団メンバーでお会いになりたい方が東京周辺にいらっしゃれば、ご連絡ください。当方からご案内します。せまいレストランですが・・・。
<追記>飯田の木下巨一さんから信州・竜丘自由教育について興味深い話を送っていただきました。2回に分けて載せます。ご了承を。
2745号【2011年10月7日】
■<公民館の地域史−その2>
前号の続き。かねて公民館史とくに地域史研究について書きたいことがありました。まず公民館“通史”について。機会を与えられて、日本公民館通史に挑戦したことが2度あります。一つは、『日本近代教育百年史』第8巻(国立教育研究所、1974)。「社会教育施設の展開」のタイトルで、主に公民館を中心に戦後通史を書きました。あと一つは、それから12年後の『公民館史資料集成』(横山・小林編、エイデル研、1986)の解説編、冒頭「戦後公民館通史」の執筆。課題を多く残しています。
前者を書くときは、「社会教育法制の地域定着」研究や、学会法制研究会による戦後社会教育初期「地方資料」調査、これらのフィールドワークが支えとなりました。後者については、『百年史』通史をベースにしながら、その後12年の歳月の、公民館に関する地域史研究(沖縄を含む)なしには書くことができませんでした。
公民館にはたしかに国家レベルの政策史があり、また全国公民館連合会(1959年までは全国公民館連絡協議会)等の全国的な動きがあります。しかし公民館の実像はつねに地域的に展開してきました。公的な制度でこれほど地域的に多様性をもっている領域は他にないのではないかと思うほど。そのさまざまな群像の連なりから主要な山脈を(その谷間も)描き出す、千波万波のきらめきのなかに雄大な潮流を発見する、そんな作業が公民館“通史”を綴る大事な視点なのではないかと考えてきました。地域から国家をみる姿勢にも通じるところがありましょう。(続く)
2744号【2011年10月5日】
■<公民館の地域史−その1>
多忙な学長(和歌山大学・山本健慈さん)から、高知・中村の公民館史について、小さなコメントを頂きました(Tue,
27 Sep 2011 11:19)。
<坂本清馬と中村公民館資料>「みなさんご存知のことかもしれませんが、鎌田慧著・週刊金曜日連載「残夢・大逆事件を生き抜いた男 坂本清馬の一生」に、高知・中村の公民館にかかわる事件の顛末が書かれていました。ご参考までに。」
たまたま私も読んでいました。坂本清馬は大逆事件で死刑判決をうけるも、死一等を減じられて無期懲役となりその後に仮出所。戦後の大逆罪廃止によって刑を免除された。しかし再審請求、特別抗告ともに棄却された。1975年に逝去(89歳)。自伝『大逆事件を生きる』があります。
鎌田によれば(上記・連載23、週間金曜日・9月23日号)、公民権を復活したばかりの坂本は、中村町(当時)の町会議員に当選、「公民館」に関わって市民運動をはじめるのです。坂本は町の公民館建設に期待していましたが、その資材で町長は映画館を建てしまったそうです。坂本は「町長を告発、猛然と闘争を開始した」とのこと。1951年頃の話。
彼は、文部省にも出向き、社会教育局長に会って訴えた、しかし事態は変わるこがなかった。「
… 町の劇場として出発しても、いずれ民間に払い下げになることはわかっているから、と言って頑張ったが駄目だった。だが後に結局、私が予想した通りになった。」(坂本『自伝』)
文部省の局長は、寺中作雄(1952年〜局長)ではなかったようです。ちなみに、かって内田純一さん発行「公民館の風」(2008〜09年)に連載「高知の公民館」シリーズがありましたが、その(5)に、『中村市史』から引用して「劇場的発想の公民館」の項があり、公民館騒動の記述が含まれていたことを再発見しました。(2008年12月25日号)
→■ http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/kouti08utida.htm
2743号【2011年10月3日】
■<福建省ご一行の日本滞在>
本号は、10月20日〜25日・来訪予定の福建省訪日団の受入れ準備状況について、いただいた各位のメイル(上掲)をスケジュールに添って並べました。一括して本欄で連絡あるいはご返事を差し上げようという横着?ご容赦を。ほんらい個別対応の内容を含んでいますが、互いに情報を共有することにもなり、福建省の李斗石さんもご一緒に見ていただけますので、まとめての配信となりました。ご了承ください。
東京側の連絡の中心は上田孝典さん(筑波大学)と黄丹青さん(目白大学)。上田さんからのご連絡(上掲)、有り難うございました。迎え、移動等の手配、了解しました。23日、京都への移動の朝のこと。ます駐車場はホテルにないかしら?調べてください。あるいは賓館のすぐ隣り日中学院・胡興智さんに聞いてみる案。当日の一行は午前11時まで京都駅に到着する新幹線「のぞみ」を6人分確保する必要あり。関西に同行する予定の石井山竜平さん(東北大学)からまだ連絡なし(多忙?)。京都では国生寿さん(同志社大学)や八木隆明さん、大前哲彦さん(大阪音楽大学)が受けとめてくださるというので大船に乗った気分です。
ところで21日の日程は、終日東京をまわる計画。杉並の昼食はセシオン近くで(種類が多そうな)「華屋与兵衛」に予約そていただけませんか。>杉並・中曽根さんへ(席の予約お願い)。
同21日夜は、TOAFAEC の普段の活動そのままのかたちで歓迎会にしたいと話しあいました。場所「イーストビレッジ」(高井戸駅からすぐ)に予約(午後6時半〜)。高井戸区民センターはパスして、そのまま歓迎会の乾杯を始めたいと思いますが、いかがでしょうか。
京都観光、いろいろご配慮いただき、有り難うございます。慌ただしい日程なので恐縮です。どうぞよろしくお願いします。李斗石さんからなにかご希望あれば、ご遠慮なくお申し越しください。
2742号【2011年10月1日】
■<お前がいて、俺がいる>
10月となりました。昨夜(30日)の研究会の酔い・余韻がさめやらない朝、呉世蓮さん(早稲田大学・院)から研究会(第16号の合評とお祝い会)の報告が届きました。早々に有り難うございました。
第16号編集長の内田純一さんから来ていたメイル。「明日30日の調整が上手くいかず、やはり参加は叶いません。第17号の件、私自身は(来年の)全国集会もあり、編集には携われないと思います。上野先生を交えて話されることと存じます。申しわけありません。どうぞよろしくお願いいたします。」(Thu,
29 Sep 2011 19:17)とのこと。
できれば編集長同席の上、協議したかったところですが、幸いに上野さんが(上掲報告の通り)引き受けていただくことになりました。一同拍手。今年の合評・祝い会とともに、来年に向けて歩き始める会にもなりました。内田さんご苦労さま。上野さん(遠くてご負担があると思いますが)どうぞよろしくお願いします。
編集長の引継ぎと第17号に向けての新編集会議を(ご両所の日程・都合を調整の上)できれば今年中に開きたいもの、そんな話になりました。
懇親会は初めての参加あり、宴はいつまでも終わりませんでした。ぶんじんのこの日の歌リクエストは、ふるさときゃらばん(石塚克彦作詞、寺本建雄作曲)。即興ながら山口真理子さんの美声が見事でした。
♪グラスをあわせ、お前と酒を酌めば、心やすらぐ、ららららららら、
ウイスキーを想い出で割って、さあ飲もう、お前のさびしさ、
お前がいて、俺がいる、お前がいて、俺がいる♪
▼新編集長(上野景三さん、左から2人目)を祝って(20110930) *研究会記録・上野景三さん写真→■
2741号【2011年9月29日】
■<ホームページ>
八重山から、黒島の盛大な結願節や、大浜公民館の敬老祝賀会(70歳以上の住民380人、最高齢109歳)など、賑やかなニュースが聞こえてきます。「さわやかな秋の訪れ」の書き出しに惹かれて、八重山毎日新聞コラム記事を紹介しました(上掲)。東京もいま秋の高気圧の下にあり、苦しかった3月から酷暑8月までの空気からやっと解放された気分。秋の神田川沿いを歩いてきました。皆さんの秋は如何ですか?
いま話題の『公民館のデザイン』について、浅野平八先生から出版記念会の報告(上掲)が届きました。南の風・本欄でも数回コメントを載せた経過あり、ホームページ5年前の「公民館・施設空間論をめぐって」の続きとして、『公民館のデザイン』をめぐって、のページを再開しました。
→■
http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/kouminkansisetu2.htm
もともとこのサイトは、日本公民館学会が『公民館・コミュニティ施設ハンドブック』を出版(2006年)した5年前、「公民館・施設空間論をめぐって」の議論や記録を賑やかに拡げていきたい思いから開いたものです。浅野さんはもちろん、徳永功、佐藤進、上田幸夫などの皆さんも文章を寄せていただいたページ。いま読み返してみてなかなか面白い。タイトルだけ並べると、三多摩テーゼ、沖縄の集落公民館、象グループ語録、自治体の公民館施設設計、市民が提起する施設、国分寺の公民館づくり、国立市公民館の改築委員会、障害者にとっての公民館、施設造りの主体形成、施設空間の記憶、施設空間の文化−近江八幡の公民館、町並み保存運動と公民館の水脈など。1冊の本になりそう。
この続編として、「公民館のデザイン」をめぐる新しい論議の“競演”の広場が拡がるのではないか、と期待しています。関心ある皆さん、できるだけ文章を短くして、ご遠慮のない一文をお寄せください。
2740号【2011年9月27日】
■<建築学と公民館・社会教育学は共演・競演できたか>
このテーマは、24日『公民館デザイン』出版記念の会(日本公民館学会)でぶんじんに与えられたテーマでした。当日の報告をどなたか風に寄せて頂くようお願いすることを失念(最近は“失念”ばかり)。記録として本欄にさわりだけ書いておくことにします。おそらく浅野平八先生(日本大学、建築学)がコメントを寄せていただくことに期待しつつ。
与えられた時間は短く、舌足らずでしたが、大要こんなことを発言しました。『デザイン』というタイトルが秀逸、しかも本の副題「学びをひらき、地域をつなぐ」のメッセージ。デザインの施設・造型的概念に学習・地域の実践概念がコラボレイトし、これまでにない本が出来あがったこと。書き手の展開に共通して、ある種の緊張感あり、力作(とくに第2章・公民館の施設空間論)が多いこと。期待はずれ(第3章「指標」や第4章「新・デザイン」)もないではないが、建築学との“共演・競演”が日本公民館学会を舞台にいま勢いよく始まったのは確かなこと。
公民館研究のなかでも、これまで具体的な施設論への追求がなかったわけではありません。研究私史風に書けば、一つは三多摩テーゼでの施設論議、その背景にある昭島・福生をはじめとする自治体「公民館づくり」運動への関わり、国立公民館改築委員会でのデザイン作業。ぶんじんにとって建築学との画期的な出会いとなったのは沖縄(今帰仁村、名護市等)での象グループ(大竹康一さんなど)の仕事で目を開かれたこと。いずれも1970年代のことでしたが…。
そう言えば、浅野さんとお会いしたのも最初は沖縄。専攻を異にしながら、いわば別の部屋で語っていたものが、公民館学会で再会し、いま一つの部屋で面白い対話を始めている、これからが楽しみ。そんな話をさせていただきました。
2739号【2011年9月26日】
■<小さなミスが>
前号のタイトル「公民館のデザイン・お祝い」は、前々号のタイトルとかぶってしまいました。書いた内容は違うのですが・・うっかり。一度吹いた風は戻ってこないので、詮無いことですが、記録として前々号2737号タイトルは「台風一過」に修正させていただきます。
南の風には小さな間違いがいろいろ。変換ミスなどご容赦いただくほかありません(いちいち訂正する余力なし)。しかしお名前の間違いがあってはならない。前号本欄のミスにお気づきでしょうか。「上田幸夫」さんを「孝夫」と誤記しています。申しわけありません(HPはすぐに訂正)。上田「孝」典さんとの連想があったのでしょうか。別の記録では、その上田さんを「考典」さんとミスしている(「東アジア社会教育研究」第16号、p282)。私だけの迂闊さではありませんが・・・。
新刊「東アジア社会教育研究」第16号の正誤表を山口真理子さんが作っていただきました(上掲)。いまのところ15ヶ所ぐらい(添付)。大きなミスではありませんが、ミスはミス。せっかくの機会ですから、関係(執筆者・訳者など)の皆様で、正誤表づくりにご協力ください。もっとあるはず?
私のメモでも、これ以外に数点あり。あらためて,正誤表にまとめ、維持会員や購読者に送っていただきましょう。
今週金曜日(30日)は、176回研究会。16号の合評とお祝いの会です。初めての方も見える?予定。秋の夜、お誘いあわせお出かけください。
→■
http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/136kenkyukai2.htm
2738号【2011年9月25日】
■<『公民館のデザイン』出版祝い>
24日はいい秋晴れ。久しぶりに茗荷谷の駅へ。日本公民館学会編『公民館のデザイン』出版記念のつどい(全林野会館)に出ました。懐かしい顔ぶれ。手打明敏(筑波大学、学会長)、浅野平八(日本大学、編集長)、笹井宏益(国立教育政策研究所)、長塚威(建築設計事務所長)、上田幸夫(日本体育大学、編集事務局長)の皆さん−ぶんじんも含めて−、それぞれの立場から「公民館のデザイン・出版を祝い未来を展望する」スピーチ(第1部)。第2部は記念パーティ、賑やかな会となりました。
すこし酔って帰宅。うとうとしていたら、新井孝男(学会副会長)さんからの深夜のメイル来信(Sun,
25 Sep 2011 00:31)。「本日は誠にありがとうございました。お陰様でひとまず『公民館のデザイン』の出版の意義と今後への展望の会が、それなりの成果をあげ終了できました。感謝申し上げます。」ご参加の皆さん、お疲れさまでした。
学会創設(2003年)から8年の間に、本格的な出版が2冊。小さな学会ながら、たいしたものです。版元・エイデル研究所からの売行きも順調らしく、韓国への翻訳も進行中とか。この本をベースにした公民館づくりの事例も現われたそうです。
この会へTOAFAEC 年報16号を持参するのを失念。ところが二人の方より注文があり、嬉しくなりました。代金・送料を頂いてきました。送り先を連絡しますので、山口真理子さんから送付願います。
今日(25日)は孫たちが遊びに来るそうです。いい日が続きます。
▼「公民館のデザイン」出版記念の集い・第2部 左端に新井孝男さん (片野親義さん撮影、20110924)
2737号【2011年9月23日】
■<台風一過>
台風15号が去って・・・22日。朝は晴れましたが、午後からは再び雨。昨夜の東京は嵐で電車がすべて止まり、渋谷は帰宅難民の群れ、当方は大丈夫でしたが、たいへんな一日でした。
前号既報・お送りした福建訪日団の予定日程案(10月)について、貝塚市中央公民館の中川知子さんからメイル。「台風一過、先生の周辺では被害はありませんでしたか。さて、日程を拝見しました。貝塚は、マイクロバスの手配、市長表敬訪問の段取り等、進めております。マイクロバスは市内から出ることはできませんので、送迎は南海本線・貝塚駅となります。ご了承ください。貝塚での行程はすでに組んでありますので、到着の時間に合わせて、対応したいと思います。みなさんにもよろしくお伝えください。ご来貝を楽しみにしています。」
福建省(李斗石さん)からは「…日本の皆様にご迷惑をかけて、恐れ入ります。心を込めて作っていただいた日程、大満足…」とのお礼メイル(上掲)が届きました。
さて、24日は『公民館のデザイン』(日本公民館学会編、エイデル研究所)の出版記念の集い(風2728号に案内)。昨年末に出版された同書をあらためて読んでいます。力作が並び、読み応えがあります。発言を求められ、思案しながら熟読?しています。ぜいたくなひとときと言うべきでしょうか。
2736号【2011年9月22日】
■<福建訪日団の日程>
日本列島を強い台風(15号)が北上しました。沖縄沖に滞留、のろのろとやってきて、浜松に上陸したあたりから、脱兎の如く関東を通り過ぎていきました。東京も近年にない激しい嵐に見舞われました。いま(21日20:00)雨は止んで返し風がひゅーひゅー。さきほどまでは南からの烈風でした。ほんらい南の風はやさしい風なのに…。
福建省からの訪日団(10月20〜25日)受け入れまで1ヶ月。全体のスケジュールがほぼ確定しました。細かな時程などは別にして、大きな骨格が決まり、関係の皆様に(福建省の李斗石さんにも)一覧にしてお送りします。風2726号本欄にも書いたように、今回はとくに関西の大前哲彦(大阪音大)、国生寿(同志社大)、村田和子(和歌山大)、中川知子(貝塚市公民館)などの皆さんの心あたたまるご配慮(準備)をいただき、感激しています。
昨夜は大前さんから中川さんメイルのご紹介あり。貝塚市中央公民館の中国語クラブの方々が、福建訪日の情報を察知され、今から交流を楽しみにして、利用者の方々の歓迎もありそうとか。貝塚訪問の日(10月24日)は福建訪日団にとって日本最後の夜、お別れ交流会?も検討いただいているように伺いました。まことに有り難うございます。
東京では、上田孝典(筑波大学)、黄丹青(目白大学)などの皆さんが対応していただきます。短い日程ながら、東京都、杉並区、国立公民館への訪問受入もお願いできました。TOAFAEC
としては10月定例会を一週早めて21日夜の歓迎会の企画を考えています。いずれご案内を載せますが、各位のご参加ご協力、よろしくお願いします。
2735号【2011年9月20日】
■<大都市研究の集い>
「烟台の風」に添えられた伊藤長和さんのコメント。おそらく前号本欄を読んでの感想。「政令指定都市もかつての8大都市から今や19都市になったのでしょうか。小林先生に叱咤激励をされ、… 初期の事務局を担当させていただいたことを懐かしく思い出しました。今回で“大都市の社会教育研究と交流の集い”は32回なのですね。まさに隔世の感があります。また、末本誠先生の日本社会教育学会長就任の話題もビックニュースでした。…」(Mon,
19 Sep 2011 09:22)
学会でTOAFAEC 「東アジア」16号の販売にあたった山口真理子さんからのメイル。「…3日間の売り上げは・・・昨年と大体同じくらいの金額です。昨年は、この後の大都市研究の集いで、先生が8冊も注文を取ってきてくださいましたが、今年はどうでしょうか?」とのお尋ね。
大都市研究の集い(18〜19日)には、新刊・年報16号を持ち込みましたが、重いので、やっと3冊だけ。すべて捌けましたよ。しかし予約を取るところまでいきませんでした。そのかわり?に『東京23区の社会教育白書2011』を宣伝し、皆さんが関心を寄せてくれて、8冊の予約をとりました。1冊800円の8冊分を預かっていますが、うっかり送料をいただくことを失念。申しわけありません。竹中薫ちゃんに伝えて下さい。
2冊の宣伝スピーチ。しかし関連して「東京の社会教育の惨状」「日中韓3国生涯教育上海フォーラム」「アジアのCLC
と公民館」などと話が拡がり、20分あまりも発言。顰蹙を買ってしまったようです。
3日間にわたる学会大会、引き続いての大都市研究の集い2日間、ご参加の皆さん、お疲れさまでした。帰路、川崎駅ホームで修学旅行生なみにはしゃいで撮った写真1枚、下に掲げます。
▼大都市研の集い帰路、左より)石井山竜平、上田幸夫、長沢成次の皆さん(川崎駅、20110919、ぶ撮影)
2734号【2011年9月18日】
■<80年目の九一八>
昭和史の、戦争が始まった日、九一八(1931年・柳条湖事件、満州事変・十五年戦争勃発の日)。今年で80年の歳月がめぐってきたことになります。この日を期して私たちは、毎年『東アジア社会教育研究』を発刊してきました。今年16号は予定通り(見事!)刊行。日本社会教育学会初日(16日)夜に開かれた「東アジア・韓国・中国フォーラム」(小田急・向ヶ丘遊園駅前)では、まず出版お祝いの乾杯からスタート。
本欄でも、同号所収の「やんばる対談」アーグーなどの記事をとりあげましたが、これから折りにふれて合評などお願いしたいものです。話題満載、10月20日より訪日予定の福建からの報告、上海の生涯教育促進条例の分析、韓国「平生教育士」をめぐる報告、風に連載してきたアジアのCLCと公民館の出会い、東日本大震災についての緊急報告など、執筆者・訳者の総勢40人(うち約半数が日本人)。ただ今年は台湾からの寄稿なく、画龍点睛を欠くところ。
日本社会教育学会でも話題満載。総会(17日)で、新しい役員体制が決まりました。会長は末本誠さん(神戸大学、TOAFAEC
代表)、副会長に手打明敏さん(筑波大学)など。「南の風」でもお馴染みのメンバーです。来年度の大会は北海道教育大学釧路校が会場(10月6〜8日・予定)。同大学・添田祥史さん(第16号に「日本における識字実践・研究の潮流」を執筆)、来年に向けて頑張ってください。
学会に引き続き、18〜19日は第32回「大都市の社会教育研究と交流の集い」(川崎市)です。今から会場へ移動するところ。
2733号【2011年9月17日】
■<やんばる対談・黒豚(アーグー)物語>
TOAFAEC ホームページの表紙に、名護・島袋正敏さんから送っていただいいた黒豚(アーグー)を掲げました。威風堂々たる体躯、“生きもの”の迫力。
→■
『東アジア社会教育研究』では、昨年から「やんばる対談」(島袋:ぶんじん)を始めています。きっかけは、名護市長・稲嶺進さんの当選。基地のない名護の地域づくり、さまざまな課題への取り組みを住民自治と社会教育の立場から追跡していこうという企画です。やんばる自由人と呼ばれ、「ものづくり」塾長、島酒之会々長でもある島袋正敏さんとの語りあい。やんばるの風に吹かれ、ときに飲みながらのひととき。
今年の対談は、復帰前後からの(海洋博を含む)大型開発、環境破壊、集落変貌の危機感のなか、やんばる固有の在来資源・文化の再発見の話題から始まりました。名護博物館の登場(準備室1981年、開館84年〜)。文化財や民俗資料の保存だけでなく、黒豚、宮古馬・与那国馬、琉球犬など在来の“生きもの”を守る取り組み。貴重な証言を聞きました。
当時、黒豚(アーグー)の純粋種はようやく30頭が残っていた程度だったそうです。そのうち18頭を名護博物館として収集、理解ある農家に飼育を依頼し、北部農林高校の協力も得て、交配を重ね次第に増やしていった歳月。現在ほぼ200頭、西洋豚との掛け合わせでアーグーとして出荷しているものを含めれば沖縄県内で千数百頭とか。
「沖縄を代表する肉豚としてのブランドを確立」と琉球新報社が「産業活動賞」で表彰するのが2009年。詳しくは新刊『東アジア社会教育研究』16号、「やんばる対談」(2)をご覧ください。
*昨日(16日)より、日本社会教育学会(第58回)大会が日本女子大学(西生田キャンパス)で盛大に始
まりました。初日夜、東アジア研究交流委員会の楽しい集いあり、第16号刊行に乾杯、福建省訪日団受
入れの相談をしました。
2732号【2011年9月15日】
■<社会教育学会(16日〜)で打合せを>
東アジア社会教育研究・16号が出たこと前号お知らせの通り。お祝いや直接の注文をいただき、有り難うございます。本欄は事務局の立場で、いくつか連絡事項を。重複ご容赦。食い違いがあればお問い合わせを。まず本号では、ご関心の目次一覧を載せました(上掲)。骨格のみ−副題や訳者など抄録。詳しくHPにアップしていますのでご覧下さい。
B5版294頁
→■http://www004.upp.so-net.ne.jp/fumi-k/1-10kenkyu.htm
販価は(昨年号と同じ)2,000円。明日(16日)から日本社会教育学会(日本女子大学・西生田キャンパス)会場の一角・書籍販売コーナーで山口真理子さん(TOAFAEC
会計)が出店?して下さいます。ぜひ1冊をお求め下さい。また(別送・維持会員は別にして)第16号の執筆者・訳者の皆さんは、お立ち寄りの上、山口さんから1冊をお受け取り下さい。
大学研究室や図書館で、この際バックナンバーをお揃え下さい。すでに欠号(創刊号、第3号)あり、初期の号は残部少なく、今の内にお申し込みを。セット(第2号、第4号〜第16号)販売価格は23,500,円(送料含む)。公費購入の関連書類も用意しているそうです。
あと一つ(これも重複)ご連絡。明日16日夜は「東アジア研究交流委員会+韓国・中国<両>生涯学習フォーラム」の会場が用意されています(風2725号に案内
→■)。16号の話題とともに、10月下旬予定の福建省訪日団(東京・関西)の受入れ打合せをしましょう。石井山竜平さんは「…僕は関西受け入れチームに李智さんとともにご一緒させていただこうと思いますが…」(Thu, 15 Sep 2011 09:05)と。何よりのこと。理事会出席(幹事)の皆さんも、終了後「東アジア」にお立ち寄りください。
2731号【2011年9月14日】
■<『東アジア社会教育研究』第16号の刊行!>
第16号に向けての編集協議が始まったのは、昨年12月から。ほぼ10ヶ月の取り組み。今年も9月18日(九一八)の日付で、日本社会教育学会大会に間に合せて、第16号が世に出ました。副編集長の江頭晃子さんは発送作業まで担当しご苦労さま。昨夜(13日)届いた江頭メイル。
「皆様のご協力のお陰で『東アジア社会教育研究』第16号が出来上がりました。維持会員の皆様には、今日発送しましたので、明日14日(本州)、明後日15日(九州、四国、北海道)には届くかと思いますので、ご確認ください。学会初日・16日の東アジア交流委員会(2725号)の際に合評会が行われますので、ご持参を…」(13
Sep 2011 22:30)と。
さきほど(14日11時)風の部屋に第16号が届きました。早速、開いています。い出来映え。写真の映りもまあまあ。次号あたり「目次一覧」を載せましょう。関心ある方々、ぜひ1冊を。まわりの方にもご喧伝ください。申し込みは「風」でも受付けます。1冊2,000円。
学会初日の夜、東アジア研究交流委員会で第16号の合評会(第1回)を予定・・・というよりお祝いの乾杯を!ご都合がつく方はご参加ください。10月20日〜25日の福建省訪日団の受入れ打合せもしますので、関西の大阪音楽大学・大前哲彦さんなど(理事会等と重複しなければ)ぜひおでかけください。学会々場の隣の駅から歩いて1分。
日時:9月16日(金)19時30分頃〜、場所:てのごい屋(小田急小田原線向ヶ丘遊園駅北口1分/第3稲田ビル1F)http://r.gnavi.co.jp/ganu101/
→■ 内容:@TOAFAEC年報「東アジア社会教育研究」16号の合評会、A10月20日〜25日 中国福建省中華職業教育社一行の受入れ、B12月9日〜11日 三国フォーラム準備会(於韓国大邱)について。
2730号【2011年9月13日】
■<地域主体の形成−満月は中天に>
もともと深山に棲むという天狗が“風の部屋”に鎮座しています。真っ赤なお面、屹立する鼻、あたりを睥睨し、天狗(写真)の部屋ともいうべき趣き。幼い孫がこのお面をみて、泣き出したこともあり…。ご記憶の方もありましょうか、2008年11月お祝いの席で、堀尾正靱先生(東京農工大学・化学工学、当時)から頂いたもの、この鼻のように元気であれ!とのメッセージ。
堀尾先生は、JST社会技術研究開発センター「地域に根ざした脱温暖化・環境共生社会」領域総括など超多忙。近く「地域分散エネルギーと地域主体の形成−風・水・光エネルギー時代の主役をつくる」をテーマに最近のまとめが発刊予定だそうです。巻頭論文?に「地域主体の形成は、なぜ・いま、どのように、求められているか」を書いておられることを知りました。まさに社会教育のテーマ。
「近代の作り直し」への大転換の時代、エネルギー自立の地域社会づくりをどうすすめるか。地域主体の形成とは、@地域の人びとが、A自分たちの地域の未来についてプライドをもって考え、Bまとまって行動するようになること、その要点が提起されているようです。
思いがけなく、9月12日・仲秋節の夜、永福町駅前の行きつけの寿司屋で堀尾先生と一献傾けることが出来ました。中国で大きな講義をいくつかこなして帰られたばかり。天狗の由来は聞きそびれましたが、中国や沖縄の話などあれこれ。いつぞや新年会“風の部屋”二次会で歌われた八重山(古典民謡)「鷲ぬ鳥節」の想い出も。いい仲秋の宵となりました。この夜、月は中天に輝いていました。
▼堀尾先生の天狗(風の部屋、20081129)
2729号【2011年9月11日】
■<十三夜の月を仰ぎながら>
まだ蒸し暑い夜ですが、空はすっかり秋の気配。今晩(10日)の月は十三夜です。12日は仲秋節。昔はいつも研究室で「月見の会」を催したものでした。人形劇サークル(東京学芸大学)「麦笛」の皆さんが“まぁるい
まぁるい まんまるい”黄色のお月さまを特製して、雨が降っても月見で飲めるように、研究室に常備していたものでした。黄色のお月さまは「風の部屋」のどこかに隠れているはず、今日探したけれど、出てきません。♪出た出た月が〜♪と歌いたいところ。月見の会が懐かしい。
前号本欄に書いたように、柴尾智子さん(ACCU)の「国際CLC連合会設立の提案」(速報)が興味深く、ご本人の了解を得て、本号から数回に分け紹介いたします(抄録・上掲)。詳しくは「月刊公民館」10月号に掲載されるそうです。「ユネスコダッカ事務所の大安喜一さんや、NIERの笹井宏益さんも執筆、公民館の国際交流といった特集号になる予定」とのこと(柴尾さんメール、Thu,
8 Sep 2011 11:46)。
隣の韓国では「平生教育総連合会」が積極的な国際交流への動き(先日の社会教育研究全国集会に20人の訪問団が来日)。「全日本社会教育連合会」からはそのような動きが伝わってきませんが、「国際CLC連合会設立の提案」が具体化することになれば、「全国公民館連合会」へ寄せる国際的な期待も大きくなることでしょう。学会の研究動向にも、最近はアジアへの関心が増大しているとき、これからの展開が楽しみです。
2728号【2011年9月9日】
■<福建省の訪日スケジュール>
10月(18日〜25日)に予定されている福建省「全民終身教育促進会」による日本社会教育訪問団の受入れについて、すでに本欄で触れた通り、東京及び関西で(そう高くない)ホテルも確定し、訪問先・スケジュールの骨格もほぼ出来上がりました。福建・李斗石さん(南の風メンバー)からのメイル。「小林先生:了解いたしました。ホテルは宿泊費規定の枠内で手配して頂き、ありがとうございます。日本の皆さんに迷惑掛けて、申し訳ございません。…」(Tue,
6 Sep 2011 07:11)。
主要な訪問先、東京は国立市公民館、大阪は貝塚市中央公民館ともに快く対応していただける様子(上掲)、どうぞよろしくお願いします。その前後に東京では、東京都庁、杉並区社会教育センター・セシオン、大阪では、大阪市生涯学習センターなどの訪問が予定されています。約1週間の滞在、訪問団6人、ほとんどの方が日本社会教育・公民館と初めての出会いとなります。秋の季節、楽しい交流の場も用意したいもの。東京ではTOAFAEC
定例研究会を1週間繰り上げて、いつもの雰囲気で歓迎の会(10月21日)を催してはどうでしょうか(ぶんじん提案)。
近く発刊予定の「東アジア社会教育研究」第16号で、「アジアの識字、CLCと公民館」について長いお話をしていただいたACCU柴尾智子さん(同事業部次長)より、興味深い報告を送っていただきました。「…先日バンコクでアジア太平洋CLC国際会議が行われた際に、国際CLC連合会の設立の提案がありました。…ご参考までにレポートをお送りします。…」(Wed,
7 Sep 2011 09:52)
神戸大学の末本誠さん(TOAFAEC 代表)からも同報告を送付していただきました。柴尾さんのご了承を得て、一部抄録のかたちで、風にご紹介したいと考えています。(次号以降)
▼右:福建省「全民終身教育促進会」常務副理事長・朱永康氏 左:福建師範大学
「終身学習発展センター」主任・李斗石氏 (三国国際フォーラムin上海、20101127)
2727号【2011年9月8日】
■
<「東アジア社会教育研究」16号>
本号にはTOAFAEC 年報編集の楽屋裏メイルを幾つか載せました。内々のやりとり、普段は載せない類いのものです(3氏−ご了承を)。第16号編集すべての作業「終了!」(江頭晃子さん)の一報が嬉しい。今年も一つの山を越えました。執筆者・訳者、そして編集委員会の諸氏、ご苦労さまでした。出来映えが楽しみ!
「風」にはまだ最終の目次一覧を載せていません。またHPにも入力したいので、目次ファイルを送付ください。予定していた原稿は、各位の(徹夜を含む)ご協力により、一部を除き、ほとんど全部が収録されたようです。見事と言うべき。(いつもの自画自賛!)
東アジア研究交流委員会(中国+韓国・両研究フォーラム)では日本社会教育学会の初日(9月16日)夜に合評の第1弾(風2725号に既報)、TOAFAEC
9月定例研究会(30日夜−2726号に既報)ではお祝いと合評の第2弾。どのように読み継がれていくか、これも楽しみ。
ここ数年、山口真理子さんが日本社会教育学会々場で「東アジア」販売に当たっています。今年も「原発NO!のTシャツ」を着て、頑張っていただくそうです。まわりの方々にご喧伝を。すでに一部欠号(創刊号等)もありますが、バックナンバーのセット販売も受け付けるはず。
今年の学会(第58回)プログラムを開いてみると、なかなか賑やかです。風をお送りしているメンバーの発表も多く、いまは準備の真っ最中でしょうか。いい発表を期待しています。来年あたり、ラウンドテーブルに「東アジア」をテーマに企画してはどうか、など思いましたが、これこそ年寄りの冷や水か。
2726号【2011年9月6日】
■<いくつかの風>
ぶんじんの受信箱には(風の誌上に載せない)たくさんのメイルが氾濫しています。とくに10月下旬の福建省訪日団をどう迎えるか、について、スケジュール、ホテル予約、受入の対応など。関西側の皆様(大前哲彦さん、村田和子さんほか)の積極的な対応に感銘を受けているところ。福建の訪問団になりかわって御礼申しあげます。訪問団のスケジュールや歓迎会等の日程については、確定した段階で近い機会に「風」に掲載いたします。
せっかく頂いた各位からのメイル、本欄で幾つかご紹介いたしましょう。まず町田市・松田泰幸さん(社全協事務局長)。「…略…第51回社会教育研究集会(静岡集会)が450人の参加をえて、盛会のうちに終了いたしました。ご参加・ご協力いただきました皆さまありがとうございました。とびたつ会からも2人のメンバーが「障害をもつ人の生涯にわたる学習保障の分科会」に参加しました。とびたつ会の取り組みとしてできなかったことは今後の課題です。」(Mon,
5 Sep 2011 22:01)
東京二三区(社全協)支部の河上富範さん。「社会教育研究全国集会では励ましの言葉を頂き大変感謝しております。ありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。大会の最終日に撮影した集合写真をお送りいたします。」(Mon,
5 Sep 2011 21:50)
いただいた写真、韓国のヤン先生や上田幸夫(社全協)委員長などの組み合わせ。そのうち1枚を頂戴してHP(9月スケジュール)に掲載しました。
→■(写真)
上掲・伊藤長和さん「烟台の風」の添え書き。「…岩本先生のレディング通信が再開されたと楽しみにしておりましたが、その後、風が吹きませんね。お馴染みの渡部幹雄さんの紀州の風も、赤崎隆三郎さんの伊江島の風も吹きません。皆さん夏休み疲れでしょうか。…」
2725号【2011年9月4日】
■<福建省の訪日計画>
かねて福建省・終身(生涯)教育関係者による日本社会教育・公民館への訪問計画については、李斗石さんを通しての依頼を「南の風」に紹介してきました(風2717号など)。日程が確定(10月20〜22日=東京、23〜24日=関西、25日〜韓国へ)、受入れの対応をどうするか、皆様のの助言・協力をお願いしなければなりません。
先方の依頼により(手続き上)招聘状の発行が必要なので、今年3月にTOAFAEC
としてお送りしました。当初の計画では20人前後の訪問団と聞いていましたが、予算の関係があるのでしょうか、6人(李斗石氏を含む)の方の名簿が送られてきました。この人数であれば(旅行社に契約するのでなく)レンタカー等の活用により、迎え・案内・通訳など、「東アジア研究交流委員会」として対応できるのではないか、上田孝典さん(筑波大学)と留学生の皆さんが中心となって計画して頂くことになりました。東京滞在・訪問先等のスケジュールはいま作成中です。
東京日程のあと、関西の2日間をどうするか。風2719号本欄に書いたように、静岡・全国集会でお会いした大前哲彦(大阪音楽大学)、村田和子(和歌山大学)、中川知子(貝塚市中央公民館)の皆さんにご協力をお願いしました。大前さんから早速のご返報。有り難うございます。
福建一行は韓国へもまわる長旅、おそらく大きな荷物。皆さん初めての日本、1日は京都の観光も希望ではないか。となると公民館見学は24日午前・午後の2ヶ所だけか。加えて25日の関西空港出発は朝9時フライト、まことに短い日程です。詳細については大前さんに別便でご相談いたします。どうぞよろしくお願いします。
李斗石さんへ。4日帰京予定。5日に福建省への文書を再送します。
2724号【2011年9月3日】
■<東アジア交流委員会の日程など>
台風12号の大きな渦巻き。福岡はその渦の西の端っこ、雲行き怪しく強風・驟雨あれど、しかし大したことはない?ようです。直撃の四国や関西、そして渦巻きの東側の皆さん、被害のないことを祈っています。
公州・ヤン先生から“風の部屋”滞在について長文の感謝メイルを頂戴しました(上掲)。かえって恐縮しています。部屋にお酒がある以外は、何のサービスもなし。もともと本と衣類等の置き場。そこにベッドと座卓を一つ用意しただけの粗末な空間。小さなたまり場ができれば…というだけの思い。海外の学者をお泊めすることなど考えていませんでした。シャワーの調節も劣化し、申しわけないことでした。チェ先生ともども連日の活発なスケジュール、まことにお疲れさまでした。
これに懲りずに、こんどは福岡の寓居に(釜山からボートで)お出かけください。飛行機に乗らず国内旅行のつもりで。普通の日本家屋ですから(マンション・風の部屋と違って)自然の風も通ります。福岡のあと、沖縄に遊ぶことができれば、いい旅となること請け合い、ぜひ実現したいものです。
ところで、9月スケジュールに二つの日程が加わりました。一つは東アジア研究交流委員会+中国・韓国両研究フォーラム(学会初日・9月16日の夜)、あと一つは、TOAFAEC
第176回(9月定例)研究会の日程(9月30日・最終金曜日の夜)が決まりました。「南の風」向けのご案内を送って頂ければ幸いです。
2723号【2011年9月2日】
■<つくつく法師が鳴いている>
アメリカ東海岸を襲った大型ハリケーン「アイリーン」は死者21人、約400万戸の停電、ニューヨークではすべての公共交通機関が止まったなどのニュースが伝わってきました。包聯群さんから「追伸:ハリケーン・アイリーン無事通過しました。アパートの庭の弱まって枯れそうになっていた木一本倒れたぐらいの被害で、何もなかったようで、良かったです。平日に戻りました。」(Mon,
29 Aug 2011 23:05)とのこと。ただし別のメイルもいただいたようですが、当方の受信箱に(探したけれど)見当たらず、風に載せることができませんでした。お許し下さい。
台風12号の影響・大雨ニュースの中、油山では、つくつく法師”が鳴いています。黒アゲハがゆらゆらと舞い、白樺もまずまず元気。何もしないでボーとしているところに、魚持参で農中茂徳さんがやってきました。しばし待っていると、刺身と煮付の豪華な二皿の出来上がり。二人で、山本作兵衛・世界記憶遺産の快挙、林えいだい「ジャーナリスト列伝」記事(朝日)など積もる話。昼から飲み始めました。
九州新幹線が通じて博多と熊本の間は今や30分の距離だ・・・と、思いついて山城千秋さんに誘いの電話。無理を押して(自分の車で)油山まで。ご足労かけしました。「沖縄フォーラム」はじめ、いくつかの話が出来ましたね(上掲メイル)。上等のワインも有り難う!
玄関脇の梅から(お隣の好意で)梅酒がつくられ(2000年製)、秘蔵してきましたが、これに今年の梅酒が加わりました。梅の芳香がただよい、いくつかの酒と重なって、少々酔っぱらった夜。(8月31日・日誌)
ほとんど留守がちの陋屋、早いもので40年近い歳月となりました。
2722号【2011年8月31日】
■<すき焼談義>
李正連さんから「お礼」メイル(上掲)を頂戴し、かえって恐縮。すき焼は、留学生が家を訪ねてきた折など、ときどき講釈まじりで馳走したものでした。男の料理であること、サシスセソ(砂糖がまず先、それから醤油の順序・・・)のルール、肉を焼き過ぎない、なぜ卵の皿を用意するか、箸の進み具合で火加減が大事・・・などなど。今でも(講義は忘れているけれど)サシスセソの話はよく憶えているそうです。昔を思い出して、この日も李正連さんに講釈したことでした。
あの夜(26日)は、別用に時間がかかって仕込みができず、行きつけの肉屋に行くのが精一杯、いい豆腐を用意できませんでした。愛用オケクラフトのワインクーラーに氷を投げ入れるのも失念。それでもまずまず好評だったようで何より。どうにか“鍋奉行”としての面目を保つ?ことができたようですね。
本来は調味料に「出し」を用意し、飲みながら、その酒もいい加減にすき焼鍋に入れたり・・・いろいろ話がまわっていくのです。いまは今半の割下(わりした)を簡単に入手できるので、便利だけど、それだけ話題が少なくなったのが残念。
「今半」の亡くなった女将(久留米出身)は、富美の親しい友人でした。その縁で、上海からの客人(華東師範大学長)や台湾一行、モンゴルからの客などを料亭「今半」に案内したことがありました。もちろん「すき焼」メニューを注文。仲居さんに一通り鍋をつくってもらったあとはお引き取り願って、それからは当方の好き勝手、自己流すき焼鍋でのおもてなしをしたものです。風の部屋「すき焼」は初めてか。
▼左・ヤンビョンチャンさん、李正連さん撮影 (風の部屋、20110826)
→写真移動
2721号【2011年8月30日】
■<日韓が歌いあう>
これまでの韓国との研究交流の場では、二つの歌が“定番”として歌いつがれてきました。そのきっかけは、1992年冬、大邱で開かれた日韓社会教育セミナー(第3回)の夜の交流会。韓国側の朴富権さんが「アチミスル」(朝の露)を歌い始め、私たちの心に強く響くものあり。日本側(笹川孝一さんや小林など)が歌い返したのが、「友よ」でした。
その翌年、川崎で開かれた日韓セミナー(第4回)では、韓国の参加者(金信一さんなど)が「アリラン」を歌ったことを憶えています。そして2006年頃からの全国集会への訪日団(朴仁周さん団長)一行も全体交流会で「アリラン」を歌うのが定例となってきました。
今回の全国集会「この指とまれ」セッションで開かれた日韓セミナー(歓迎会)で歌いあったのはこの三つ。今年、これに一つ新しい歌が加わりました。「珍島(ちんど)アリラン」です。8月18日夜のTOAFAECでの崔一先さんの名調子が忘れられず、28日夜の歓迎会でリクエストしました。手拍子がお互いの心をつないで、会は最高潮となったのです。
さて、全国集会、皆さんお疲れさまでした。最終日(29日)、締めくくりの第二全体会では「東日本大震災を受けとめて」のパネルディスカッション、集会総括など。参加者は450人とのこと。現地実行委員会が組織されなかった集会規模としては、全国から400人以上が集まり、韓国から20人の参加があり、まさに盛大な会というべきでしょう。
来年度(52回)集会は高知で開かれることに。高知大学・内田純一さん(TOAFAEC
)が壇上に立って「来年は高知にどうぞ!」と挨拶。ヤンビョンチャンさんとも別れを惜しみつつ、静岡から久しぶりの新幹線で博多へ。いま油山に鳴き始めた虫の音を聞きながら書いています。
▼全国集会二日目夜・韓国訪日団歓迎会−ともに手をつないで「アチミスル」合唱(静岡、20110829)
2720号【2011年8月29日】
■<全国集会の歳月−沖縄と韓国と>
社会教育研究全国集会は今年で51回目。初日の夜は全体交流・懇親会で飲み、二日目の夜は「この指とまれ−沖縄を囲む」で泡盛の瓶を用意し、したたかに酔ったものです。他の「この指・・・」が、どちらかと言えば、真面目に語り合う式が多いなか、「沖縄」の指には毎年の常連もいて、申しわけないほど騒がしい集いを重ねてきました。もちろん沖縄からの参加者が毎年(年度の違いはあれ)賑やかでした。
想い出すままに…。最初に沖縄が登場したのは1977年福岡集会。私たちの沖縄研究スタートと重なります。間断なく開かれてきた「沖縄を囲む(語る)会」で忘れられないこと。焼き豚の足1本持ち込みの雲仙集会(1994年)、もちろん名護集会(2002年)。福岡油山の庭で薪を燃やした合宿(2005年)などなど。
他方で、韓国からの全国集会参加は、1993年木更津集会が最初(風2705号・写真も)。その後の間断をはさんで、本格的な参加が始まるのは多分2006年の箱根集会から。その後は、貝塚、札幌、阿智村、東京そして今年の静岡へ、20名規模の参加が続いています。こんな例は他の集会には見られない?
驚くべきことです。
残念なことに、沖縄と韓国を囲む「この指」の集いは二日目夜、同じ時間帯です。記憶に間違いなければ、貝塚集会(2007年)までは両者平行して開き、懇親会で合流しました。その後は韓国の集いに「日韓交流史」の話を求められた経過などあり、韓国を優先するかたちとなり、沖縄の集いが消えていきました。
韓国との交流が盛んに拡がってきた歩みを喜びつつ、沖縄からの参加が一人もいなくなった今年は複雑な思い。つい、想い出話となりました。
2719号(2011年8月28日)
■<静岡にて>
静岡に発つ準備をしていた26日夕、名護・島袋正敏さんからの速達が届きました。第16号「やんばる対談」の写真。確かに拝受しました。正敏さん、有り難うございました。待望の「やんばるアーグー(黒豚)」。早速、スキャンして江頭さんに転送。江頭さんからの折り返しの返事は、「写真無事拝受。アーグーすごい迫力!」(Sat,
27 Aug 2011 07:15)
韓国・慶煕大学の崔一先(チェイルソン)さんからは、今回の日本訪問についてのお礼メッセージ(英文レター・日本語訳を上掲)。ご丁重に恐縮しました。本号を試しにチェさんに送ってみることにします。日本語版「風」がうまく先方のパソコンに届くかどうか。
今日(27日)から第51回社会教育研究全国集会、いま静岡のホテルから送信しています。突然の所用のため、2時間ほど遅れての静岡着。第1全体会はホールほぼ満席、韓国からは金南宣(キム・ナムソン)平生教育総連合会長(大邱大学教授)を代表として、約20人の参加。夜の全体交流会(懇親会)は立錐の余地なし。賑やかな幕開けとなりました。
全国集会では文字通り全国各地からの方々に会うことができます。前号にお知らせした10月下旬の福建省訪日団(10月20日〜22日:東京、23日〜24日:関西、25日:韓国へ)の関西日程(貝塚市中央公民館の見学など)について、大前哲彦(大阪音楽大学)、村田和子(和歌山大学)などの皆さんに協力をお願いしました。詳細はこれからですが…。
福建・李斗石さんからは、再度、招聘状を送ってほしい旨の要請が来ています。当方は静岡のあと九州へ1週間ほど帰郷、東京帰着は9月4日の予定です。TOAFAEC
公式「角印」や記録等は東京にしかなく、さて、どうしたものか? 李斗石さん、少し遅れますが大丈夫でしょうか?
▼全体交流会・韓国訪日団「アリラン」合唱(静岡、20110828)
2718号【2011年8月26日】
■<苦しい作業を楽しく!>
25日(木)終日、上掲・江頭晃子さんメールが報じるように、第16号最終校正作業でした。“風の部屋”は畳の間。一日中座り込んでの苦行・・・となりがちな時間を、どう楽しい1日にするかが工夫のしどころ。採れたての枝豆、トウモロコシなど並び、誰か差し入れの果物、オケクラフトにワインも冷えて、いい昼食をとったような気分。
午前で帰る人あれば、午後に来る人あり。いつの間にか美味しいケーキも卓上に。「館長になりました」「十月から川崎に就職することに」などのいいニュースがあれば座は俄然楽しくなります。疲れると、あちこち電話することにしています。つかまった人はいい迷惑。ICAEの訳語を確かめたり、ながい副題を「半分に縮めよう!」などの電話提案など。最終的にいい目次が確定しました。もともと新しい年報を世に出す仕事ですから、楽しくないはずがありません。
しかし日も西に落ちる頃、江頭さん(副編集長)から「これで終了!」の宣言が出るころには、ぐったりと疲れていました。皆さん、ご苦労さまでした。今年も第16号の作業が終わりました。毎年続いてきた夏の作業日、1号ごとにだんだんと充実してきてきたことを実感できた日、感慨深いものがありました。
風の部屋の住人、ヤン・ビョンチャン先生はこの日、川崎・横浜へ。明けて本日は滞在の最終日(明日から全国集会・静岡)です。今晩の風の部屋では、ぶんじん手づくりのスキヤキ鍋の予定。近い方はお出かけ下さい。
2717号【2011年8月24日】
■<風の部屋の1週間>
韓国の梁炳賛(公州大学)、崔一先(慶煕大学)両先生の“風の部屋”滞在は、比較的に自由な、しかし濃密なスケジュールで、ちょうど1週間が過ぎました。案内役は李正連(東大)、呉世蓮(早大・院)のお二人、連日ご苦労さまです。
18日到着当日は、TOAFAEC 研究会(二人を囲む)歓迎会でした。19日は国立市公民館(風2715号に既報、国立で夕食会)、20日は東大(夜・永福の寿司屋で歓迎会)、21日(日)は自由日?、22日は筑波大学(筑波で豪勢な歓迎会だったとのこと)。
23日は早朝より築地の魚河岸(風2714号案内)。引率役は岩本陽児さん(和光大学)。大きなカツオ1本、岩蠣、ウニなど仕入れて、午後に風の部屋で盛大な魚の祝宴が始まりました。6〜7人が輪になって(夕食まで)盛り上がっていました。ぶんじんも参加。しかし年報16号に向けて最終稿・入力作業あり、編集・江頭さんの顔がちらついて、途中から5階パソコンに復帰(ちなみに風の部屋は3階)。下階からの歓談のざわめきが聞こえてくるような・・・。夕食は渋谷・ロゴスキーへ繰り出しました。
24日早朝、チェ先生が一足先に帰国。いま風の部屋滞在はヤン先生一人となりました。昨年刊行本の共編者同志、いつもは海を越えて住んでいるのに、いま同じ屋根の下で、ともに(おそらく)パソコンを打っている光景、感慨しきりです。お二人には、出来たての『社会教育・生涯学習ハンドブック』(社会教育推進全国協議会編、第8版)を風の部屋滞在記念として、進呈しました。
▼左より小林ぶ、ヤンビョンチャン氏、富美、チェイスソン氏 (西永福・20110820)
2716号【2011年8月23日】
■<日本版へのリライト>
夏休みで烟台から帰国中の伊藤長和さんが中国へ戻られました。久しぶりの「烟台の風」来信(上掲)。添え書きに次の一文あり。
「2か月の夏休みもアッという間に過ぎ去りました。…この夏休みの帰国に際し、私は沢山の友人・知人にお会いしようと考えておりましたが、結局は限られた人たちだけになりました。その中で小林先生には7回(TOAFAEC
研究会2回、韓国研究フォーラム、中国研究フォーラム、七夕の会、公民館学会七月集会、梁炳贊・崔一先先生を囲む会)もお目にかかることが出来ました…(略)…。」
会合でお会いしても、ゆっくり語りあう時間なく、杯を交わし重ねるのみ…、失礼しました。例の原稿リライトのご相談もできず、残念でした。年報第16号の作業に追われて、他のことへ頭が回らなかったのです。ここ一両日、やっと一段落した感じ。
“例のリライト”とは、昨年秋に韓国で出版した『日本の社会教育・生涯学習』、その日本語版(国内出版)に向けての字数削減です。伊藤さんと小林は序章を共同執筆しています。約2万字を1万2千字に縮めなければなりません。単純縮小ではなく、メリハリのきいた縮小版にしたい。どこをどう削るか、伊藤さんのご意見を頂ければ有り難い。
この本の執筆者の大半の方は、風メンバーなので、あえて本欄の話題にさせていただきました。
さて、8月25日(木)は、終日、第16号最終校正です(上掲)。皆さん、手伝って下さい。
2715号【2011年8月21日】
■<古いアルバム・掘り出し写真・10枚目>
先輩諸氏の相貌に接したいという若い世代の関心・要望もあり、アルバムの中から、社会教育史の歳月にまつわる写真を幾つかスキャンして紹介してきたシリーズ、10週を経過しました。
この間「初めて見ました」「懐かしい」「感激!」などの感想とともに、もっと多面的に…とか、東京に偏っている、などのご批評もいただきました。関心を寄せていただいたことに感謝。しかし、まずは10枚でシリーズを終わることをお許しください。
容量が限られているHP、サービスもこの辺で打ち止めに…というのが正直なところ。もともと古いアルバムをめくる習慣はあまりなく、過去を振り返るのはやめようとか、同窓会には出ないなど公言してきた身。
もともとは『月刊社会教育』7月号に故横山宏「戦後社会教育に独自の水路を拓く」一文を書き、その際に編集部より写真1枚を求められたのがきっかけ。アルバムを探し始めたのでした。結局は、新保敦子さん(早稲田大学)にお願いして、「会心の笑み」の写真1枚を、ご遺族から送っていただくことに(7月号所収)。あらためて御礼!
最終10枚目は、そんなわけで、横山さんとご一緒の写真を掲げることにしました。ぶんじんが何か冗談を言って、横山さんが呵々大笑されている一枚。横に新保さんと韓民さん。1990年10月の社会教育学会(第37回、日本福祉大学)懇親会のスナップのようです。どなたかが撮影され、頂戴したもの。しかし、その方のお名前は失念しています。まことに失礼の極み。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/albumhoridasi.htm
→■
2714号【2011年8月19日】
■<鳳仙花の歌>
残暑の東京へ、韓国から二人の学者の来訪。歓迎の研究会(18日)はお互いの心が通い合って、いい会となりました。公州大学ヤンビョンチャン(梁炳賛)・慶熙大学チェイルソン(崔一先)の両先生。韓国・学会等の話も聞き、若干の論議もして、余韻を残しつつ、歓迎の夕食会へ。夜おそくまで宴は続きました。
両国の友人たちが集いあうと、いまや定番となった日本「友よ」、韓国「朝の露(アチミスル)」の合唱交歓から始まり、約15人の参会者がみな歌いました。締めの歌は、もちろん山口真理子さんの「乾杯」そして「百万本のバラ」。
チェイルソンさんの「珍島アリラン」も名調子でしたが、この夜あらためての発見は、瀬川理恵さん(横浜市教委)の美声。「鳳仙花」の歌を日本語訳詩でなく、原詩で三番までの熱唱。「鳳仙花」には忘れない想い出あり(いつぞや「風」に書いた?)、韓国研究の道を志している瀬川さんに「いちど歌ってください」とリクェストしていたもの。久しぶりの♪ウルミッテソン・ポンスンアヤ〜♪ 有り難うございました。
お返しに沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」(鳳仙花)を歌うのが、過ぎし日の(研究室の)慣わしでしたが、この夜はすでに時間なく…。散会したのは23時をまわっていたような。その後、岩本陽児さんから深夜のメイル来信。23日朝、韓国からのお二人を築地魚市場へ案内して寿司を食べようとの企画が進行中(上掲)。
同メイルには当夜の研究会速記が入っていましたが、かなり長文、風向きではありません。短めにどなたか(瀬川さん?)送っていただければ幸いです。
▲チェイルソンさん「珍島アリラン」名調子(高井戸、20110818)
*第175回研究会、ヤン・チェ両先生を囲んで→■
2713号【2011年8月18日】
■<「自治公民館」の英訳>
猛暑、いや残暑のなか、年報第16号のゲラ読みが続いています。前々号の編集会議報告で、ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)柴尾智子さんとの対談記録が紹介されています。長時間の語り合いとなりました。ゲラも記録的な長文、はたして読んでもらえるかどうか。
タイトルは「アジアにおける識字・CLC・公民館との出会い」、それぞれ離れていた言葉がいま繋がり始めたアジアの動き、といえましょう。その中の話題の一つをご紹介します。英文パンフ『公民館』(ACCU・文科省発行、2009年)、「自治公民館」の英語訳についてです。「社会教育主事」をどう英訳するかの話題に続いて・・・。
「小林:全公連の小冊子“The Kominkan ”でもそうですが、英文パンフの自治公民館の英訳にAutonomousという表現が使われています。これも気になりましたね。
柴尾:何ならよかったんでしょうねぇ。
小林:自治公民館あるいは集落公民館をどう訳したらいいのでしょうか。こういう作業は、公民館学会の仕事だと思いますね。公民館概念をグローバルにどう紹介していくか。自治公民館をどう訳せばいいか。これは学会の国際交流委員会の仕事ですよ。
谷:ドイツの社会文化センターなどの場合は、公立に対する非営利型市民運営を強調するのにselbstverwaltet(英語だとself-governed)という形容詞、あるいはfrei(英語のfree)が使用されます。このあたりに着目しながら適切な表現を検討したいと思います。」
ちなみに谷和明さん(東京外国語大学)は学会・国際交流の担当理事。
2712号【2011年8月16日】
■<18日(第175回)研究会・歓迎会>
上掲・李正連さんメールのように、韓国からお二人の客人が「風の部屋」にお泊まり(18日〜約1週間)になります。猛暑の東京にご苦労さまです。「風の部屋」といっても、もともと本や衣類、古酒ガメ!の雑然たる置き場。そこにベッドひとつだけ。かえって失礼になる?と心配ですが、ヤン先生・チェ先生お二人ご一緒の旅のようですから、どうぞどうぞ、という次第。お二人はいま学会レベルで韓国と日本をつなぐキーパーソンです。
風2700号でご案内したように、8月18日(木)夜に定例研究会・歓迎会を予定しています。18:30〜ヤンビョンチャン先生(公州大学)とチェ・イルソン先生(慶熙大学)を囲む会。会場は、いつもの東京杉並・高井戸地域区民センタ−第三集会室。早めにレストランに移動して歓迎会にいたしましょう。20:00〜いつものイーストビレッジ・ 03-5346-2077。
→■
http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/136kenkyukai2.htm
たまたま当夜は、東京(社全協)二三区支部の打ち合わせ会が永福で開かれるそうです。会場を予約した遠藤輝喜さん(事務局長)のメール。
「…当日23区支部の打ち合わせが、永福地域区民センターです。吉田照子さんや、河上富範さん、他の方々も少し遅れて参加してよろしいでしょうか」とのこと。ぜひ合流して下さい。韓国の両先生を囲み、東京二三区とTOAFAEC
との交歓の場にもしましょう。ご都合のつく方は、ふるってご参加ください。
静岡・全国集会でも日韓セミナーが開催予定(28日18:30〜)とのご案内、久しぶりに浅野さん(福島大学)から頂きました(上掲)。
2711号【2011年8月15日】
■<8月15日、琉球アユ>
12日・編集会議の夜は十三夜でした。八重山の民謡トゥバラーマの歌詞に、「月の美しいのは十三夜、美童(みやらび、乙女)美しゃ十七つ」という意味の一節があります。いま、まさに満ちようとするときの美しさ。そして今夜(14日)は満月。「やんばる対談」の解題書きに疲れて、月を求めて夜の散歩。夏の夜なのに案外と空は冴えて、♪月の美しゃ〜♪と口ずさみながら、ひととき空を仰いでいました。
ときはすでに8月15日。この日を迎えると、「少年Bの回想」を書きたくなります。「南の風」では毎年そういう気持ち。もう何度も8・15のいろんな想い出を記してきました。まだ書いていないこともありますが、控えることにします。実はHPの隅に、そっと隠している「自分史メモ」に載せた「少年B」の記事あり、この機会にご紹介まで。
→■ http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/jibunsi.htm
前号にも触れた今年の「やんばる対談」(16号収録予定)は、やんばるに生きる“生きもの”をめぐる取り組み。社会教育や博物館との深いかかわり。島袋正敏さん(初代博物館長)は、たとえば「黒豚・アーグー」(在来家畜)保存運動、島福善弘さん(現・名護博物館長)は「リュウキュウアユ」の呼び戻し運動についての証言です。日本の社会教育が忘れてしまったような“生きもの”の視点と実践、実に面白い。
島福さんが添付で送ってくれた秘蔵「リュウキュウアユ」の写真を1枚、16号刊行に先駆けて、HP本欄に掲げることにします。島福さん、事後ながら、ご了承をお願いします。
▼リュウキュウアユ04(名護市源河・島福善弘氏提供、20110812)
2710号【2011年8月13日】
■<旧盆入り・編集会議>
今日は旧盆入りの13日。東京は車も人も少なくなって、静かな通り。しかしまったく盆行事の気配はありません。今年の夏は九州・油山にまだ行けず、寂しい思いをしています。
八重山では、旧盆「アンガマ」が始まったそうです。あの世(後生)から、独特のお面をつけて、ウシュマイ(翁)とンミー(媼)がやってくる、各家で踊りなど賑やかに楽しみながら、当意即妙の珍問答を繰り広げる。どっと笑いが湧きますが、方言なので、私には“狂言”の意味が分からず、取り残された想い出があります。
同じ八重山から、強引な教育長のもと、教科書採択問題が急をつげているニュースが伝えられました。丸浜さんから新聞記事を頂きましたが、すでに2日経っているので、(送っていただいた記事を)琉球新報の新しい記事に差し替えました。問題がよく分かるインタビューなので、ご了承お願いします。
昨日12日「風の部屋」は、終日の(年報第16号)編集会議。高知から内田編集長が上京(日帰り−ご苦労さま!)、午前だけ、午後だけの方もあり、総勢7名の出席でした。皆さん、お疲れさまでした。
昼時になって、ついついワインを飲み始め・・・、原稿の集まり具合もよく、これまでで最も余裕のある、楽しい編集会議だったように思いました。15歳を過ぎて、我らも少年から青年となったような感じ。
時刻をはかったように、名護から「やんばる対談」の修正原稿が着信。島袋正敏さん、島福善弘さんのご両所、有り難うございました。これに「解題」を加えて、今年は出来上がりです。島福さんから添付の「リュウキュウアユ」の写真、心洗われる清涼感、皆さん16号の出来上がりをお楽しみに。
2709号【2011年8月11日】
■<第16号編集の舞台裏>
本や雑誌の編集作業は、あまり舞台裏をさらけ出さないもの。隠れて仕事をすすめ、最終の出来上がりで勝負をする・・・そんな美学があるようです。舞台の制作も稽古風景は表に出さないとか、研究の領域でも、むしろ周りには黙って進行し、ある日突然に発表して評価を高める式のやり方があります。考えてみるとTOAFAEC
は、そんな文化に対抗してきたようなところがあります。
できれば、わいわい騒いで仕事をする、一人で黙って蛸壺に入ってもいい考えはうかばない、まわりの誰かに声をかけ智恵を集める、むしろ舞台裏をさらけ出して力をかしてもらう、そんな考え方です。もちろん結果こそが問われるのは言うまでもありませんが…。
今年の第16号編集、期待していた原稿が来ないらしい、そんな情報も伝わってきますが(残念!)、まずまず順調?な進行のようで何より。編集会議と言えば、編集委員だけの集まりのはず。しかしTOAFAEC
は創刊以来(編集委員の大半が首都圏の外、海外ということもあり)初めての方をつねに歓迎してきました。わいわいがやがやと、賑やかにやっていこうではないか、という文化です。
明日8月12日は、午前から午後にかけて終日の編集会議(上掲・案内
→■)。すでにゲラになっている原稿の読み合わせ、最後まで書き続けているらしい“つわもの”への催促など、面白い1日です。猛暑ですが、ご都合のつく方、ふるってご参加ください。短時間でも歓迎、のぞいてみて下さい。井の頭線「西永福」から5分。
2708号【2011年8月9日】
■<夏の祭り、社会教育研究室>
たまたま観た日曜日(7日)夜のNHKスペシャル「東北の夏祭り」。今年の祭りは、ことさらに印象的でした。大津波で流された人々への鎮魂の祈り、北上川をくだる灯籠の数々、相馬野馬追いに“出陣”する武士の(亡き妻への)絶叫。思わず瞼があつくなりました。
夏の祭りは、勇壮・祝い・活気につながるように見えて、案外とそうではないことを実感しました。もともと盆行事とも重なり、霊への思いあり、切なくなりました。戦争直後の沖縄で、すべてを失った人たちが、収容所でカンカラ三線を弾き、戦世(いくさゆ)の悲しみをうたった情景とも重なるものあり。生き残った人たちで神を迎え祖霊に祈り、祭りを復活していった歴史。そう言えば、若者たちのあの勇壮なエイサーはもともと念仏踊りと聞いています。8月、九州も旧盆が近づきました。
<古いアルバム・掘り出しものシリーズ・9 −懐かしの社会教育研究室>
残りあと2枚のシリーズ。東京学芸大学・社会教育研究室に名大院を了えた韓民(現・中国教育部)・高峡夫妻が中国帰国(多分?)の挨拶に来たときの一枚(1988年9月)。当日たまたま東京滞在中の小川利夫さん(名大、当夜かなり酩酊気味)、友人の海老原治善さん(学大)、名大の縁で田中喜美さん(学大、現副学長)、進藤文夫さん(国分寺)、小川正美さん(三鷹)等の懐かしい顔が見えます。もちろん当時の院生の皆さん(武士田忠、園田教子、遠藤輝喜など)も。この年、研究室は沖縄研究10年、『民衆と社会教育』(エイデル研究所)を出版できた年。
→■
▲左より(4人目)進藤文夫、海老原治善、韓民・高峡夫妻、(一人おいて)小川利夫各氏(学大研究室、19880924)
2707号【2011年8月7日】
■<ワインを抱えて>
66年目の広島原爆の日、沖縄には台風9号が襲いました。那覇も名護もかなり強く吹いたようです。お見舞い申しあげます。
停電は約5万戸とか。私たちの年報第16号収録予定の「やんばる対談」2本(島袋正敏さん−稲嶺市政1年・黒豚「アーグ」の話、島福善弘さん−リュウキュウアユ復活運動のその後)証言記録、原稿のチェック・修正をお願いしています。停電の影響がないように、作業の遅れがないよう祈っています。
東京も天候不順、すぐ降りそうな空模様、遠くで雷も鳴っている。大丈夫、まぁ、降らないだろう、と散歩へ(6日夕)。今年は夏の油山に出かける余裕もなく、何かに追われるような毎日。こんな夏休みのはずではなかったのにと、ボヤキながら永福を歩きました。
この1週間、BST深夜番組で、女子ワールドカップの再放送をやっています。夜更かしの身、ついつい「なでしこJAPAN」へ目が移って、いつの間にか身を乗り出しています。冷えたシャルドネ(白ワイン)を横において・・。美酒少量と言いきかせながら、ついつい杯がすすんで、買い置きがなくなってしまいました。
というわけで、駅前のワイン屋に出かけたという次第。シャルドネ3本を抱えて本屋に寄ると、「なでしこ」特集の雑誌や『ほまれ』の本が並んでいます。ボールを蹴っている顔は、なぜにこんなに、ひたむきなのか、と思わず1冊を。今晩は最終戦・アメリカに勝ったファイナルの再放送のようです。息抜きにワインと「なでしこ」の話。
2706号【2011年8月5日】
■<更新アドレス帳のスタート>
2700号の機会にアドレス帳の更新、皆さんから多数のお便りを頂きました。その「返し風」、連日の騒がしい送信となり、恐縮しています。ようやく一段落、本号は1日を休んで、そよそよと吹いています。
“読むだけ”の方の代表に「南の風、継続しますか?」の確認メールを出し、ご返事のなかった数名の方にお引き取りを願いました。しかしこの数ヶ月に新しく参加された方々あり、「風」メンバーは少しづつ増えて、ほぼ150名の規模に。これに川崎ほかローカルに配信いただく風いろいろあり、有り難いことです。
案外と古いメンバー、「大学教授」の皆さんからは、ご連絡が少なくなりました。更新の際に少し迷いましたが、永いお付き合いですから簡単ではありません。当方もそろそろ店仕舞いの準備に入るとき、古くか
らのご愛顧にただ感謝のみ。もし「迷惑」の場合は、ぜひご一報を。
ここに掲載しなかったメールもあります。2700号という数字(実は本人も驚いている)のこともあり、過分のお褒めの便りは気恥ずかしくて、有り難くそのまま胸にしまいこんでいます。なかに「…研究組織論・運動組織論として大事業にチャレンジ」(大前哲彦さん)のコメントは、当方の考えていることに響くものがありました。
3年前の祝いに天狗のお面(風の部屋に飾っている)をいただいた堀尾正靱先生から、You
Tube「満身の怒り」(東大・児玉龍彦氏)を教えていただきました。「放射線の健康への影響」についての20110727衆議院厚生労働委員会での発言(上掲)、必見の記録です。
→■ http://youtu.be/O9sTLQSZfwo
2705号【2011年8月3日】
■<全国集会の季節−今年の「沖縄を語る夕べ」は?>
毎年8月下旬に社会教育研究全国集会が開かれます。「南の風」では、多くの方が主催団体(社会教育推進全国協議会)の会員でしたから、特段の案内記事を載せる必要はありませんでした(日本社会教育学会関連も同じ)。ところが最近は風メンバーが多様化、会員ではない方もあり、また海外の方もいますので、町田・松田泰幸さん(社全協・事務局長)から来信のメールを活用して、集会案内の概略を記しました(上掲)。
今年は数えて第51回目の全国集会。公務が重なったり、在外研究で不在だった年を除いて、この半世紀、ほとんど毎年の集会に出席してきました。思い出いろいろ。「月刊社会教育」編集長をしていた頃、上げ潮の勢いで参加者倍増した大宮集会(第13回)や、初めて九州の地で開かれた福岡集会(第17回)、また社全協委員長をつとめていた時期の松本、湯河原、木更津、雲仙(第31回〜第34回)の4集会など、苦労もあっただけに、忘れることが出来ない想い出・裏話などあります。
韓国から初めて金信一先生(ソウル大学教授・当時、魯武鉉政権では副総理)など3氏が参加されたのは第33回・木更津集会(1993年)。台風襲来の中で開かれましたが、参加者は千名の大台を超え、韓国側から驚嘆の拍手を頂いた思い出があります。そういえば沖縄・名護集会(2002年)も台風がやってきて、初日のプログラムが中止となり、夜をもてあます呑ん兵衛のためにヒージャ(山羊)屋の集いを企画。呼びかけ人は名護の稲嶺進さん(収入役・当時、現市長)とぶんじん。50人近くの参加者で盛会、これも忘れがたい1ページ。
全国集会二日目夜「この指とまれ」、1980年頃からTOAFAEC 主催で「沖縄を語る夕べ」を開いてきました。この数年、韓国からの参加を歓迎する会と重なり、「沖縄」が消えた感じ。今年はどうするのかしら。
▲1993年全国集会(木更津)、初めて韓国からの参加、「アリラン」合唱、右から2人目に金信一氏(ソウル大学教授)
小林研究室の韓国留学生(朴三植、文孝淑、金平淑)も通訳をつとめ、ともに壇上で合唱した。(19930828)
2704号【2011年8月2日】
■<それぞれの夏>
前々号・本欄の続き。アドレス帳更新に際して、風の継続を希望されるメール、幾つかを抄録のかたちでご紹介します。
福岡・社会教育研究会の西恵美子さん。「…社全協の全国集会・静岡へ、福岡から6名参加の予定です。その時までに、昨年度の研究会で行ったセミナーの記録「福岡市の公民館・社会教育のあゆみ」と「市民が語る福岡市の地域公民館」の復刻版を印刷へだす準備中です。ご連絡が遅くなり、申し訳ありません。…」(Mon,
1 Aug 2011 23:11)
岡山県鏡野町羽出の美若忠生さん。「…南の風に記載されるさまざまな動き、新しい発展をめざす動きに圧倒されています。正直なところ、「老い」を感じています。しかし、もう少し継続させてください」とのこと。(Mon,
1 Aug 2011 00:01)
東京の井谷泰彦さん(早稲田大学・院)。「…なかなか出席できなくてすみません。8月か9月どちらかの例会に行くつもりです。すみませんが、継続させて下さい。」(Mon,
01 Aug 2011 15:43)
吉林省から孫冬梅さん(東北大学・院)。「ご無沙汰しております。いつもお世話になっております。今は休学をとって中国の吉林省にいます。8月中旬から吉林省長春で社区教育の実情を調査しながら、仕事をします。いつも「風」を読んでいるのに、返事が出せなくて申し訳ないです。お陰さまでいろいろ勉強しました。引き続き…どうぞよろしくお願い申し上げます。…」
(Sun, 31 Jul 2011 22:56)
皆さん、それぞれの夏、奮闘中のご様子。私も温めていた原稿(前号本欄「年報」関連ではなく…)をやっと昨日送稿して、妙に一段落した感じです(たくさん仕事が残っているのに)。ここ数日は涼しい夏です。次号から新アドレス帳に移行予定です。
2703号【2011年8月1日】
■<自業自得−年報・第16号編集は佳境へ>
皆さんからのメールがたくさん。当方の編集ボックスにどっさり滞留しています。この間、連日の「風」となり、さすがに反省。ようやく土曜日は休みましたが、週明け・月明けの今日(1日)、また連日の「風」をお届けします。あらためて八月の暑中お見舞いを申しあげます。
TOAFAEC では、ちょうど今年の年報(「東アジア社会教育研究」第16号)の編集作業が佳境を迎えました。“佳境”とは本来「景色がすばらしくよい所」、転じて「面白い所」といった意。たしかに面白い作業ですが、実態は(7月下旬から)やたらに忙しくなったということ。お互いに催促をし、催促を受ける毎日。メールが飛び交い、めちゃくちゃ暑い時間が過ぎていきます。編集委員会の皆さん、とくに実務担当(副編集長)の江頭晃子さん(NPO
アンテイィ多摩)ご苦労さま! 頑張って!
暑い8月を迎えるようになって15年が経過、今年で16年目か。よくぞ続いてきたものです。とくに今回16号は、責任の作業が5本か6本。自ら関与したテーマとか、編集会議で提案したりとか、まさに自業自得・自縛自嘲と言うほかありません。多少の激励役もつとめたいと思いながら、こちとらが少々苦しい毎日。自らを励ますのが精一杯。
年報の創刊は1996年、「南の風」の発行は1998年。初期は(季節になると)「風」誌面が編集会議の様相を呈していました。いま「風」には上品な編集会議記録が載る程度で、激しいやりとりのメールはまったく水面下の足掻きに似て、載せる余裕はありません。ただ年々確実に年報が充実してきたことが励み。いま他の仕事はすべて棚の上、お許しを。
2702号【2011年7月31日】
■<まだ旧アドレス帳による配信>
さらに前号の続き。皆さんからの便り、本欄でのご紹介は全文を載せきれず抄録でお許しください。また本欄はHPに入ります。ご了承を。ます、千田忠さん(もと酪農学園大学)。2009年7月・黄宗建先生の墓参りと韓国平生教育との交流の旅にご一緒しました。
「…現在、無縁社会化、孤独死が問題となる中で、高齢化がすすむ小地域=小学校区で住民とひざを突き合わせながら、相互支援の「志縁社会づくり」の先頭に立って暮らしています。…今は現実と向き合うことに専念しています。」(Wed,
27 Jul 2011 09:43)
名古屋大学・院生の農中至さん。「…大阪府箕面市の北芝部落で活動するNPO
の見学に行ってきました。暮らしづくりネットワーク北芝というNPO ですが、活動を支える若手世代は、解放子ども会に育まれた最後の世代(僕とだいたい同じ世代)のようです。今年の5月からは、P
S(パーソナルサポート)センターという事業(ひきこもりやその他生活課題を抱える人への個別支援)も開始しているようで、かなり活発に活動しているようです。」(Wed,
27 Jul 2011 10:29)
再び早稲田の新保敦子さん。前号「古い写真シリーズ」を見ての礼状。1985年「…東大で開催された雷先生を囲む研究会の写真、本当にありがとうございます。かれこれ30年近く前の写真ですよね。おそらく私の手元には無いように思われ、懐かしく思うとともに、感激しました! 心より御礼申し上げます」と。
新しい2700代「風」がスタートしました。これからの 100号、どのような展開になるか。成り行き「風」任せ。まずは皆様のお付き合い、どうぞよろしくお願いします。本号はまだ旧アドレス帳による配信です。
2701号【2011年7月29日】
■<1985 中国教育部・成人教育司を囲む>
前号の続き。皆さんから多数の風。その一部を抄録にしてご紹介します。まず、小峯みずきさん(Thu,
28 Jul 2011 07:48)。「…南の風でご紹介させていただいた映画<ミツバチの羽音と地球の回転>チケットの精算をようやくさせていただきました。担当の方より大変うれしい報告が届きました。…」とのこと。
北九州社会教育・生涯学習研究会の山下厚生さん。「…南の風は私にとっては、各地からのいろいろな情報に接することのできる“全国の風”です。…静岡の社全協・全国集会には北九州の仲間とともに参加させていただく予定です。…」(Thu,
28 Jul 2011 13:30)
益川浩一さん(岐阜大学)。「…今年度から、岐阜大学キャリアセンターの副センター長、岐阜県生涯学習・社会教育政策監を兼務することに加え、ある学会の大会実行委員会事務局長も仰せつかり、なかなか落ち着かない日々が続いております。…風からは、たくさんの刺激をいただいております…」。(Wed,
27 Jul 2011 20:56)そして、新保敦子さん(早稲田大学)。「…貴重な情報をご提供くださってありがとうございます。…」(Thu,
28 Jul 2011 13:02)
<古いアルバム・掘り出しものシリーズ・8>
新保さんのお名前が出ましたので、今回は、横山宏さんもご一緒の写真を一枚。中国教育部・成人教育司(雷亨、朱清萍、呉素蓮の三氏)来日の際、日本社会教育学会関係者による歓迎「囲む会」が開かれました。1985年4月4日、東京大学教育学部会議室。学会として中国政府・成人教育局関係者と懇談する企画はおそらく初めて。この日、新保さんが見事な通訳をされました。日中(社会教育・成人教育)の研究交流が次第に拡がっていく扉のような記念写真。
→■ http://www007.upp.so-net.ne.jp/bunjin-k/albumhoridasi.htm
▲前列左より、小林文人、横山宏、中国教育部(3氏)をはさんで、新保敦子、駒田錦一、倉内史郎。
後列左より(3人目)宮坂広作、藤田秀雄、室俊司、小川剛、山口真、朝倉征夫、大槻宏樹ほか、の皆さん。(敬称略)
−1985年4月4日、東大−
*南の風・2651号〜2700号〜■
TOP