【南の風2008】2051号〜2100号・目次一覧

2051号【 6月25日】沖縄青年団運動史の聞き取り、「うつろな目の少女」写真、「平和の礎」前で
2052号【 6月27日】
韓国行き、晴天の霹靂、13号への翻訳、七夕の会、長野県公民館活動史U
2053号【 6月28日】『長野県公民館活動史U』、突然の訪米、標準日本語、「公民館史資料集成」
2054号【 6月30日】上海・再び感謝、黄先生追悼の旅へ、高尾こんぴら大学、七夕の会に花束
2055号【 7月 1日】CLC 国際セミナーinバンドン、七夕の会、第13号原稿、奥共同店百年誌
2056号【 7月 3日】長野県公民館活動史U(2)、第13号原稿、李仁夏牧師ご逝去、編集会議
2057号【 7月 5日】
韓国生涯学習研究フォーラム、釜山との交流 大阪の夜間中学、塀を越えて
2058号【 7月 6日】韓国社会的企業視察ご案内、夜間中学生の就学援助、「ソーシャル」への関心
2059号【 7月 8日】闇こそ砦−上野英信の軌跡、不満合唱団、沖縄との交流を、やんばるの夜
2060号【 7月10日】夜間中学・珊瑚舎スコーレ、日韓共同シンポジウム、楽しい午後のお裾分け
2061号【 7月13日】
ソウル「キャンドル文化祭」、和光大学公開講演会、竹富島から帰って
2062号【 7月15日】上海より全国集会へ、ソウル「キャンドル文化祭」(2)、島に沈む落日
2063号【 7月16日】7月定例研究会ご案内、専門職募集(愛荘町)、竹富島、上海より、全国集会
2064号【 7月18日】公州―ソウル、釜山関係各位へ、川崎多文化研究会、町田、韓国へ出発
2065号【 7月25日】社会教育主事の採用、上海より、国会図書館記事採録、韓国から帰って
2066号【 7月27日】7月研究会報告、釜山訪問団から御礼、公州・ソウル報告(1)、希望をみる視点

2067号【 7月29日】釜山訪問、公州・ソウル報告(2)、初の訪米、教育共同体「忠南教育研究所」
2068号【 7月30日】釜山交流、韓国文解運動、アチミスルに涙ながれて、釜山の夜のアチミスル
2069号【 8月 1日】7月研究会感想、公州・ソウル報告 (3)、事務局コーナー、暑中お見舞い
2070号【 8月 3日】守口市の職員公募、社会教育主事講習、湖東の成果、新しく二つのページ
2071号【 8月 5日】公州・ソウル訪問の報告 (4)、佐賀大学、飲み過ぎご注意、再びアチミスル
2072号【 8月 6日】北京より来日、韓国ヤン先生より返事、第 16 回韓国研究会、6日か7日の夜
2073号【 8月 8日】宮古島に記念碑を、原水禁・安井資料研究会、釜山資料4、韓国の地域資料
2074号【 8月10日】8月研究会ご案内、全国集会へ韓国からの訪問団、原水禁(安井)資料研究会
2075号【 8月12日】『未来をひらく歴史』学習会、韓国より銀座展、韓国論文の訳語、第13号
2076号【 8月14日】地域学習共同体、安井資料研究会報告、八重山の豊年祭、緊急のお願い!
2077号【 8月16日】社会教育研究全国集会(札幌)、終戦記念日「非戦」を考える、旧盆を迎えて
2078号【 8月18日】19日校正にご参加を、むぎぶえ人形劇フェスティバル、人形劇と全国集会
2079号【 8月20日】三重大学へ、麦笛人形劇フェス、旧沖縄師範印鑑を熊大で発見、手書き原稿
2080号【 8月21日】札幌(第48回)全国集会へのお誘い! 象さんのシッポ、全国集会への思い
2081号【 8月23日】川崎・富川の高校生交流、TOAFAEC 維持会員、関ブロ公民館大会、札幌へ
2082号【 8月26日】ブラジル移民100周年、サンパウロ追悼法要、お月見の会、札幌・全国集会
2083号【 8月28日】全国集会・日韓交流の集い、釜山訪問から1ヶ月、夏も終わり−8月研究会
2084号【 8月30日】ふれあい館開設20周年記念事業、星野村へ、猿倉人形芝居など、雷鳴と豪雨
2085号【 9月 1日】
全国集会を終えて、韓国へ、ねぷたが竹富にやって来た 風の盆と公民館
2086号【 9月 3日】韓国・平生教育の動き−第142回研究会、日本地方自治研究学会、マウル活動
2087号【 9月 4日】祭りーおわら風の盆(富山県八尾町)、木曽谷より風に参加、祭りの意味
2088号【 9月 6日】第13号・出稿完了、原水禁・安井資料研究会、愛知川より、豊後のカボス
2089号【 9月 7日】烟台日本語学校、釧路着任挨拶、君津中央公民館の改築、日中合弁の事業
2090号【 9月 9日】第13号送付と販売、風に参加、言葉を忘れると島を忘れる、小さな島の豊かさ
2091号【 9月10日】第31回大都市の社会教育研究と交流の集い、北京中央民族大学へ、社教学会
2092号【 9月12日】9月研究会ご案内、安井研究会報告、日本軍「慰安婦」碑、メガフォンと募金箱
2093号【 9月14日】上海より−訪中計画について、愛荘町より、福岡・筑豊研究、中国訪問計画
2094号【 9月16日】アドレス帳の整理、NHK「戦場 心の傷」、小地域・地域共同体の再発見
2095号【 9月17日】竹富島・宜野湾からの風、高知の自由民権特別展、第13号めでたく完成!
2096号【 9月19日】書店「平和の棚」フェアー、福井より、事務局コーナー、竹富島の台風13号
2097号【 9月21日】第13号、年報バックナンバー、P3C・住民勝利集会、和歌山の学会
2098号【 9月23日】風アドレス帳整理(再)、北九州・横浜・福岡より、30年余の大都市「集い」
2099号【 9月25日】11月訪中呼びかけ、韓国訪問の成果、釧路の風、竹富島敬老会、10万人
2100号【 9月27日】11月上海訪問・歓迎! 訪中参加、紹興へ帰省、訃報あり、歌声は流れる




                           
【南の風2008】発行リスト・2051号〜2100号
各号後記(ぶんじん日誌)





*南の風・発行一覧■
*南の風・2001号〜2050号
★南の風2101号〜■ 次ページ

さがりばな(名護・底仁屋、20080706)


南の風・各号後記(ぶんじん日誌)



2100号【2008年9月27日】
<秋の夜、歌声は流れる・・・>
 故倉内史郎さんの訃報が上田幸夫さんから届きました(上掲)。亡くなられたことは、和歌山大学で開かれた日本社会教育学会の会場で知りました。突然のニュース、驚きました。
 1988年刊行の学会特別年報『現代社会教育の創造』は、話題の多い取り組みでしたが、ぶんじんは編集委員会の幹事長、倉内史郎・会長のもと、副会長をつとめていました。四方山話に「…健康のため、近くの小平墓地を歩いているよ…」など当時の話を妙に覚えています。騒がしく議論する人が多い(初期の)社会教育研究者の中で、物静かな、ゆったりと語りかける風格の方でした。
 この日の夜、TOAFAEC(第143回、9月定例)研究会。終わって楽しい交流会、韓国「アチミスル(朝の露)」の歌声を聞きながら、倉内さんには先駆的に「韓国社会教育法について」(1989年)の論文があることを想い出していました。ご逝去を悼み、ご冥福をお祈りいたします。
 研究会には、南の竹富島(上勢頭芳徳さん)、そして北海道(橋本信さん)はじめ、韓国(希望製作所)、内モンゴル、中国(山東省烟台日本語学校)などから多彩な参加でした。交流会にかけつけた方を含めると、17名の東アジアの仲間たち。みんなで竹富島の有名な童歌「ふーゆべまー」(大きい指さん)を歌いました。当夜の記録、どなたか・・どうぞよろしくお願いします。
 「風」はいま、アドレス帳切り換え中。9月末日を目途に新アドレス帳へ。次号(2101号)はまだ現アドレス帳で送信予定です。

■<「年寄は一人ひとりが、図書館、博物館」>
 「南の風」の由来はもともと「おきなわ」の風。沖縄のなかでも、名護や竹富島など、いくつかの定点観測の地点があります。本号では八重山毎日新聞が報じる竹富島・敬老会のニュースをご紹介(上掲)。
 竹富島は人口360人前後の小さな集落です。そのうち83人が70才以上とのこと。毎年の心のこもった盛大な敬老会。とくに「年寄りは一人ひとりが図書館、博物館…」という挨拶記事が印象的です。その会が「公民館」(まちなみ館)で開かれている・・・。
 もともとは1924(大正13)年、毎年の重陽の節(9月9日)に「70才以上を敬老人」として始められたとのこと(竹富島年表)。「全国で最も早くから開催、継続している竹富島の敬老会」と報じられる所以です。
 最近は、また一つ活発に動いている島が登場、本部半島の沖に浮かぶ伊江島です。ご存知・赤崎隆三郎さん(伊江村地域雇用創造協議会・事務局長)から昨日届いた「沖縄伊江島発」メール。
 「小林ぶんじん先生 4月1日スタートした伊江島発!
ブログ(毎日更新)→ http://blog.okinawabbtv.com/akasaki4628/
 本日まもなく、アクセス件数10万件突破しそうです。小さな島から、小さく生んで、大きく育てる試み、一つの節目ですね」とのこと。
 半年足らずで10万件のアクセスというのは驚き!私たちの小さなホームページは、1997年6月にスタート。今年までに10年余の歳月、いまようやく訪問客アクセス10万を越えました。

2098号【2008年9月23日】
■<30年余の歳月>
 この30年余り、秋の日本社会教育学会(3日間)のあと、大都市社会教育に関する「研究と交流の集い」が開かれてきました。たしかE,ゼルピ(ユネスコ)を招いた1987年のみは6月でしたが、あとはすべて秋の日程。学会に続いての1日2泊はひどく疲れるものですが、いつも思いがけない出会いと収穫があり、特別のおまけをもらったような思い出が少なくありません。
 全国の主要大都市(政令指定都市)から30〜40名前後、学会関係者が10〜15名ぐらい。こじんまりした規模。中小都市に比して研究的な蓄積が弱い大都市問題研究を追求していこうというのが第一のテーマですが、何よりも(自治体)労働組合運動と(社会教育)研究者集団が心を通わせ、ときに葛藤する路線問題を超えて、一堂に会し論議を重ねるという意味で他に類のない「集い」となってきました。故小川利夫さんが「日本のWEAだ!」と呼んだことを思い出します。
 今年のプログラム(風2091号に紹介)は、午前の「各都市からの報告」が主、午後になると、会場・和歌山大学生涯学習センターの雰囲気も手伝って、短い時間のなかユニークな報告と論議が相次ぎ、盛り上がったところで(いつものように)閉会。来年に思いをつなぐことに。
 かっての若手研究者も30年余りの歳月を経て今や学会の長老格?、鬚(あごひげ)をたくわえ始めた御仁もあり、これからが楽しみ。    *関連写真ー前夜の懇親会
31回大都市社会教育研究と交流の集い(22日、和歌山大学生涯学習センター、080922) 右・堀内秀雄さん

末本誠さん「ESD−社会教育での取り組み」(同上、080922)


2097号【2008年9月21日】
■<和歌山にて>
 風2100号の機会に、100号おき恒例「アドレス帳整理」予告をしたところ、各位から久しぶりのメールを拝受し(つつあり)、ありがとうございます。なかに何本も長文メールあり。「…毎号吹かれっぱなしの愛読者は、またもややってきたアドレス帳整理予告におびえています」とか、「…私にとっては南の風は貴重なコミュニテイであり、多くの人との出会いがありました・・・・長くなりましたが、メーリングリストから除去されそうなので(?)私信をしたためました」など。書かれたお便り・近況の内容がたいへん面白い。そのまま誌面にご紹介したいところですが、「私信」とあれば止むをえず・・・残念。そのうちにきっと「返し風」が届くだろうと楽しみにしています。
 9月19日から日本社会教育学会(和歌山大学)。折しも東上中の台風13号、風雨に打たれるのはイヤなもの、1日出発を延ばそうかとしばし逡巡。しかし気合いを入れて予定通り出かけました。案の定、台風はたいしたことはありませんでした。和歌山県南部は暴風雨圏内に入ったものの、大阪に近い和歌山市は時折の驟雨がある程度。和歌山県は広いのです。
 「紀州の殿様」のお城の前のホテル。夜のライトアップに浮かび出る天守閣は美しく、威容はさすが! 街を睥睨する幕藩権力の昔を思いました。初日夜は京都グループと飲みました。二日目はさまざまの自由研究発表あり。久しぶりに会う人多く、台湾の鄭任智(早稲田大学)さんにも。他の発表と重なって、発表を聞けず、久しぶりに「風」への送信を頼みました。夜(昨晩)は懇親会。その後は南海・和歌山市駅前で遅くまで飲みかつ語りました。いろいろ有り過ぎて書けません。
 開催校・和歌山大学関係者の暖かい歓迎の心に包まれた夜。感謝!

2096号【2008年9月19日】
■<竹富島の台風13号>
 17日夜、竹富島の上勢頭芳徳さん(喜宝院蒐集館長)から電話を頂きました。いま本土襲来中の台風13号は、南西諸島の海にながく滞留し、竹富島は4日間も欠航が続いたそうです。こんなことは初めてだと。
 NPO「たきどぅん」のHPを開くと、ビジターセンター・ゆがふ館のページは次のような記事でした。台風の中でも祭事の島。
 「…10日の結願祭奉納芸能を終えた翌日、台風13号が竹富島を襲いました!11日11時の便をもって定期便は欠航。15日一便まで定期便は出航することができませんでした。
 11日夜半から襲った激しい風雨が13日未明まで続き、12日には20時間ほど集落内では停電していました。台風襲来時の桟橋。大量の海草が打ち上げられ掃除が大変でした。…(中略)…
 しかし、定期便が出航せずとも、14日は十五夜祭が各集落ごとに行われました。学校の校庭に高々と上がる旗頭をみることは出来ませんでしたが、集会所では旗頭に対しての祈願、そして餅や天婦羅をつまみにみんなで歌や踊りの余興で盛り上がりました。
 普段、観光業に従事する方々も、船が出ないとなれば集会所に集まってきます。こうした点からみると、今年の十五夜祭は存分に楽しめたのではないでしょうか。
 ようやく定期便が出航するようになった翌15日はふだんの竹富島に戻りましたが、本日、16日は停電と・・・まだまだ台風13号の影響をうけている竹富島です。…(ta)」
 上勢頭芳徳さんは23日?に上京予定とのこと。26日の私たちの研究会に特別参加されるそうです。願ってもない機会、リゾート問題などその後の話を話をお聞きできそうです。当夜の泊まりは「風の部屋」の予定。
上勢頭芳徳s氏(左)(「東アジア社会教育研究」第12号に記録、070418)


2095号【2008年9月17日】
■<お見事!ご苦労さま!第13号!>
 16日の深夜便で東京に帰ってきました。江頭晃子さんの「本日、無事仕上がり」メール(上掲)の通り、「東アジア社会教育研究」第13号が届いていました。有り難う! いまNHKスペシャル再放送(「兵士はどう戦わされてきたか」−風・前号、丸浜江里子さん紹介)を横目で見ながら、出来たて第13号のページをめくっています。   
 江頭さんのメールは編集実務メンバー宛のもの。それだけ率直な記事になっていますので、あえて風に収録させていただきます。ご了承を。
 今年の13号編集は綱渡りのような経過。集まって議論する場が少なく、とくに編集会議としての校正−再校の作業が不充分(江頭さんに負担を強いた)、出来上がりがどうなっているか、ヒヤヒヤしながら読み始めています。経過から考えて、よくぞ出来た!というのが第一の感想。
 執筆者・訳者は40名近く、その一覧ページは圧巻です。韓国、中国、台湾、モンゴル(多い順)の名前が並びました。創刊(1996年)から関わってきたものとして感無量。継続してきたことだけでなく、質的に年々充実してきているのが何より。日本だけでなく東アジアで唯一の年報だと自賛してきましたが、いま確かな軌道にのった実感です。
 それだけ内容が問われます。すでに4〜5ヶ所の校正ミスを発見、来年に向けての反省点もありましょう。9月26日の次回研究会はお祝いと合評会。皆さんの議論に期待しています。
 いま(17日午前1時)テレビに流れている「兵士はどう戦わされてきたか」映像は、胸をしめつけられる思い。イラク戦争やベトナム戦争の米兵士だけでなく、かっての日本軍兵士の記録も衝撃的です。今晩深夜は母親兵士「心の傷」(2)の再放送。
「東アジア社会教育研究」第13号・完成!(080916)


2094号【2008年9月16日】
■<風・送信アドレス帳の整理>
 今年の3月、風は2000号に到達。すこし疲労もあり、しばし休憩のつもりでした。しかし前後の事情で、休む間もなく2001号を出し始めました。それから早いもので100号(半年余り)が経過します。
 先日(9月9日)の「風」に書いたように、2100号の機会に、恒例100号おきアドレス帳整理をさせていただきます。創刊以来「風」は、一方向に吹くのでなく、双方向に吹きあう原則(お約束)を堅持してきました。この間“読むだけ”の方、お返しの風をいただけない方には、2101号以降の送信を控えさせていただきます。この半年、無音の方で、もし引き続き「風」送信ご希望の方は、2100号(9月28日前後)までに、その旨ご一報(近況、風へひとこと)をお願いします。
 なかには迷惑メールと化している「風」もありましょう。その場合ぜひ送信無用のご連絡をお願いします。
 なお新しく風メンバーに参加希望の方があれば、ご遠慮なくお申し出ください。しばらくは「南の風」は吹き続ける予定、これからも自由闊達、開かれた広場、でありつづけたいと念じています。(小林ぶんじん)

■<小さな地域・地域共同体の再発見>
 南に台風が滞留して更に東上(北上?)する気配。こんなニュースを聞くと、2002年8月の沖縄・名護で開かれた社会教育研究全国集会を思い出します。第42回目の全国集会、沖縄での開催は初めて。台風のため初日プログラムは中止、楽しみの懇親・交流会も流れました。夜をもてあます参加者のために、名護「ひんぷん・がじゅまる」近くの山羊(ひーじゃー)屋で、応急の夜の集いを企画したものでした。
 この名護集会では、沖縄独自の字公民館や字誌づくり運動を背景として分科会の討議が活発でした。それを受けて、翌年の岡山・全国集会で「自治公民館・小地域での学習活動と地域づくり」分科会が発足。毎年継続されて、今年の札幌・全国集会に続いています。
 この「小地域」分科会の記録は、世話人ぶんじんの責任で,TOAFAECホームページ(→■)に掲載されています。そのうち一冊の本にまとめよう、小さな地域から大きなメッセージを発信しよう、などと話しあい、世話人集団では沖縄や信州・妻籠の訪問調査などを重ねてきました。しかしまだ本にはなりませんが・・・。
 昨年(和歌山)の分科会には、韓国訪日団の主要メンバーがこの分科会に出席され、引き続き今年・札幌も終日のご参加。今年は、同時通訳(李正連さん)の役割が大きく、2086号本欄既報のように、韓国平生教育学会長(金南宣氏)等のお話(→■)をお聞きすることもできました。また分科会参加の感想も寄せていただいた(上掲)という経過です。
 しかし私たち分科会の準備体制は今年は不充分。当日朝、急ごしらえ竹富島レポート資料の印刷のため、ぶんじんは遅刻する始末。あの日を思い出して、あらためてお詫び申しあげます。
 しかし日韓双方で、小地域・集落自治・マウル・地域共同体・自治公民館等の概念・課題を再発見したこととなり、来年がまた楽しみです。
 なお関連して、梁炳賛氏「韓国における地域教育共同体の運動の展開」論文については、風2067号本欄に既報のとおりです。

2093号【2008年9月14日】
■<秋の中国訪問計画>
 1週間前の「風」(2088号、9月6日)に、中国(上海など)訪問のことを書きました。スケジュールを具体化して「風」に呼びかけたいので、久しぶりに上海・羅李争さんに(袁允偉さんの都合を確かめるために)電話。その返事が来ました。また「風」を読んで呉遵民さんからもメールを頂きました(上掲)。有り難うございました。
 風2088号の本欄記事は、概要、次のようなことでした(再録)。
 「 … 今年は・・・まだ中国を訪問する機会がありません。新13号が完成したら、それを持って、訪中する計画を具体化できないか。私たちの研究室に留学していた袁允偉さんが学長に就任、そのお祝いの乾杯をする約束もあり、烟台(張林新さん)からの誘いもあり、また沖縄から同行したい希望も聞こえてきました。まずは10月下旬あたりを考えていますが、ご都合は・・・・」
 ところが、袁允偉さん(上海・行健職業学院=旧・閘北区業余大学)は10月下旬に台湾出張の予定らしい。また呉遵民さんメールによれば、杜成憲さん(華東師範大学・学部長)も同時期はご都合がよくない様子。
 というわけで、第2案として11月第一週(日本は同1日〜3日は連休)のスケジュールを考えてはどうでしょうか。韓民さん(北京)にもこの線で都合を聞いてみます。
 ちなみに、羅さん・袁さんは同窓の親しい友人、羅さんと杜さんは学生寮で同室の仲(と聞いています)、羅さんと韓さんとは同期の留学生(東京学芸大学)。思いがけない“老朋友”の会となりそう。これからどんな計画となるか分かりませんが、まずはとりあえずの中間報告です。
 本号は、久しぶりの福岡、虫すだく油山から送信しています。

2092号【2008年9月12日】
■<メガフォンと募金箱>
 先日(7日)の杉並・原水禁運動(安井家資料)研究会では、写真をいくつか撮りました。ちょうど1ヶ月前の本欄に書いたように、安井家には文書記録だけではなく、旗、笠、たすき、署名簿、バッジなどの実物資料がいろいろ。私たちに余力やスペースがあれば、地域平和運動資料展(仮称)みたいな企画を考えたいほど。
 選んで2枚の画像をホームページにアップしてみました。1枚は「杉の子」会の皆さんが、原水爆反対署名運動などで使ったと思われるメガフォンとカンパ箱(下掲)。ハンドマイクなどない時代の懐かしいメガフォン。それと蚊取り線香の箱などを活用して穴をあけ、手書きの「募金箱」。安井家物置に保存さていたものです。画像として再び日の目にあてることになりますし、いま企画中の2007年度・報告集「ひたすらに平和願えり」(仮題)にも採録できると考えてのことです。
 あと1枚は、安井家の玄関脇に飾られている版画「杉並公民館」1989年、M,Yoshinoさん作。かっての木造・杉並公民館を知るものには思い出いっぱいの風景です。「1989年・取り壊された(原水禁運動発祥の地)東京都杉並区立公民館」と添え書きがあります(HP表紙)。たまたま同じ年に撮影していた杉並公民館の実画像と並べて、TOAFAEC 「古いアルバム」→■に載せてみました。ご覧いただければ幸いです。
 本号は、9月26日のTOAFAEC定例(第143回)研究会のご案内号(上掲)です。平林正夫さん(国立市)を招き、あわせて「東アジア社会教育研究」第13号の合評・お祝い会。面白い一夜になりそう。どなたもご遠慮なくお出かけください。
「杉の子」会のメガフォンと募金箱(20080907)


2091号【2008年9月10日】
■<和歌山の集いと学会と>
 昨(9日)深更、こんなことを書き始めました。少し酔って・・・。
 「…筆がなかなか進まない。大事なことを書く部分になってうまく言葉が出てこない。こんなとき、昔は自分の非力を悩んだものだった。しかし今はもう悩まない。難しい問題を簡単に、複雑なことを単純になど、そう書けるはずはないのだ。筆が進まないのは当たり前、と思うことにしよう。そして一人でゆっくりとワインを開ける夜にする…。」
 起きてみたら、仙台から大都市「社会教育の研究と交流の集い」案内が着信。今年で第31回(和歌山)。この集いについて「風」に載せてきたかどうか、定かではありませんが、最近の新参加メンバーもあり、収録・配信することにしました。締切の当日のご案内、まことに失礼なこと、しかし多少の遅れでも、きっと受け止めてもらえると思います。
 この集いは、日本社会教育学会と併せて開いてきました。1978年が第1回(名古屋)、20回あたりまでは事務局を担当。よくやったものです。
 そういえば、日本社会教育学会のことも、あまり「風」では書きませんね。今年は第55回、和歌山大学が会場。初日(9月19日)午後から第3日(同21日)午後まで。それに続いて、上記・大都市研なのです。風メンバーの大半は周知のことなので、学会については、毎年ほとんどご案内をしてきませんでした。今年もこのあたりで。
 ぶんじんは、故郷の家の法事のため、13日から九州です。久ぶりに油山に泊まります。その後、東京に一度帰ったものか、そのまま和歌山に入ることにするか、迷っています。原稿もたまっているし、東京に戻ることになりましょうか。
 「風」に、9月26日・TOAFAEC定例研究会(第143回)の案内を載せなければなりませんが・・・、原稿を待っているところ。

2090号【2008年9月9日】
■<小さな島の豊かな言葉>
 疲れたとき、八重山・竹富島の子守歌や民謡(NPO・たきどぅん・CD「竹富の風」など)を聞くときがあります。小さな島で、なんと豊かな芸能、歌・サンシン、太鼓や笛の響き。囃子の楽しい調子に気持ちはなごみ、心はすぐに南の島へ。有名な「安里屋ゆんた」や「大(うふ)指まー、中指まー・・」の指の数え歌も竹富島の歌です。
 ご存知でしょうか、故上勢頭亨さんには、『竹富島誌』民謡・民俗編、歌謡・芸能編の2冊(法政大学出版局、1976・1979年)があります。テードゥンムニ(竹富言葉)の歌詞に大和言葉(ヤマトグチ)の訳が丁寧に付されて、意味もよく理解できます。
 「月ぬ美(かい)しや十日三日、美童(みやらび)美しや十七」、満ちる前の十三夜の月の美しさ、そして乙女の美しさは十七才。
 「言葉を忘れると 島を忘れ 島を忘れると 親を忘れる」(上掲)の諺に惹かれて上勢頭亨「俚諺」の章を読んでいくと、実に面白く時を忘れます。たとえば、「親ぬ声や 神ぬ声」「太陽や女 月や男」「かしくさや 打組どぅまさる」「人や心 馬や手綱 船や舵」「三九 はらし 人ぬ丈見り」など。三九は二十七、「27才からその人の真価がわかる」との解説。孔子はその昔、「三十にして立つ」と言いましたが、竹富島では「二十七にして立つ」という意でしょうか。まさに生涯発達論。
 <けぇ〜し風を>
 ところで、本号で2090号となりました。風2001号を再開してほぼ半年。2100号で(100号おき恒例の)アドレス帳整理を予定しています。この間、まったく返信のない方で、2101号以降も引き続きの「風」ご希望の方は、2100号(9月末の見込み)までに、「けぇーしかじ(返し風)」をお願いします。また新しく「南の風」メンバーとして参加希望の方があれば、ご遠慮なくお申し出ください。

2089号【2008年9月7日】
■<日中合弁の事業>
 8月末の雨模様の一夜、烟台(山東省)から来日していた張林新さんと近所の焼肉店で食事しました。時永芳さん(烟台日本語学校)が一緒。張さんは帰国しましたが、日本に残っている時さんから「日本人教師ご紹介お願い」メール(上掲)と新聞記事が送られてきました。日本経済新聞の記事。「南の風」に経済記事などめったにないこと。この機会にご紹介いたしましょう。
 タイトル:留学前に住まい紹介 中国人学生に賃貸物件。
 「住友林業グループは中国人留学生向けに日本国内の賃貸住宅を紹介する事業を始める。中国・山東省に現地企業と合弁会社を設け、八月から物件の仲介を始めた。中国に居ながら日本の賃貸住宅を確保できる点を強調し、2009年に500件の紹介をめざす。
 住友林業の全額出資子会社、サン・ステップ(東京・新宿)と中国の現地企業が合弁で烟台海外金環房屋租賃有限公司を設立した。現地企業代表者は日本語学校を経営し、留学希望者を多く抱えているため、共同仲介事業に乗り出すのが得策と判断した。…(略)…」
 この「現地企業代表者」とは、いうまでもなく、同公司理事長・張林新(日本語学校校長)です。張さんは和光大学・小林ゼミ卒。企業世界で名をあげ始めました。日中合弁の新しい事業、これからの活躍に期待しつつ、学校経営にも力を抜かないようにと、激励しておきました。
 本日(7日)は、第46回・原水禁運動(安井家)資料研究会、今から荻窪へ出かけます。昨夜も大雨・雷鳴、今ようやく陽がさしています。

2088号【2008年9月6日】
■<豊後のカボス>
 この1両日、嬉しいことがいくつか。
 まず昨夜、今年の研究年報・第13号が無事(やっと!)印刷に入ったとの報告(江頭晃子さんメール・上掲)を頂きました。毎年のことながら、ご苦労さま! 最終段階で難航していたこと知りませんでした。
 追いかけて、13号「目次一覧」が着信。いまHPに入力したところです。→■ 特集2本(中国・韓国)、一見しただけで充実した内容が伝わってきます。予定していた中国からの原稿が一部間に合わなかったことなど、心残りのところもありますが、物事すべて100%うまく進むわけではない。かえって来年への期待がふくらむことになりました。
 今年は韓国への出版準備や交流の旅などあり、まだ中国を訪問する機会がありません。新13号が完成したら、それを持って、訪中する計画を具体化できないものか。私たちの研究室に留学していた袁允偉さんが学長に就任、そのお祝いの乾杯をする約束もあります。沖縄から同行したい希望も聞こえてきました。烟台(張林新さん)から誘いもあり、まずは10月下旬あたりを考えてはどうか・・・そんな話が動いています。
 今日(5日)は、川崎で韓国生涯学習研究フォーラム(第17回)でした。本づくりもいよいよ翻訳作業の段階へ。一歩すつ進んでいる充実感。いい1日でした。
 豊後人の渡部幹雄さん(上掲メール)も、教育長に就任してますます充実している様子。なにより! あまり無理をしないように。昨日、豊後のご母堂より、今年もまたカボスを送っていただきました。カボスと息子のたわわの実り。川崎の研究会に少し持参して、秋の香りをお裾分けしました。高齢のご母堂の手摘みカボス、ありがとうございましたとよろしくお伝え下さい。

2087号【2008年9月4日】
■<祭り、その社会教育的な意味>
 風・前々号に越中「おわら風の盆」のことを書いたところ、思いのほかの反響あり、とくに大前哲彦さんから、長文のレポートをいただきました。ありがとうございました。
 地域の歴史に根ざし、集落の連帯に支えられてきた各地のさまざまの祭り。それが人々の共同体的なつながりを維持し継承し、そこで生きる若者たちを育ててきたのでしょう。とくに「風の盆」の場合、独自の文化性、芸術性の水準があり、地域の人だけでなく、見る人の心を奪うものがあるようです。郡上踊りあるいは阿波踊りなどと共通していて、何か違ったところがある。高橋治(直木賞作家)「風の盆恋歌」を読んでみても−不倫の物語、実は「おわら風の盆」を描いている−そう思いました。
 沖縄の集落の祭りにも、同じことを実感します。祭りが近づくと人びとは楽しみながら、サンシン、笛、太鼓、そして踊り、狂言などの稽古を始めます。私たちがつくった『おきなわの社会教育』(エイデル研究所、2002年)には、「祭り・芸能の継承」という章をおき、名護市教育委員会・比嘉久さんが「地域で祭りを継承すること−社会教育と地域おこし−屋部の八月踊りの場合」を書いています。並んで、写真家・小橋川共男さんが「多良間の八月踊り−場がもつ意味」のレポート。とくにその練習風景の写真が面白い。先輩に見守られながら若者たちが稽古している。社会教育の視点からみて、なんともいえぬ味わいがあり、秀逸な作品です。
 しかし、そんな祭りが(大前さんも書いているように)いま変容していることもまた確かなことのようです。

2086号【2008年9月3日】
■<韓国・小地域(マルル)の活動>
 雑誌・年報等の発行に編集者の役割は欠かせないもの。いろんなライターに声をかけ、あれこれの投稿を選んで、毎号の誌面を構成していくのです。ところが、そういう拡がりが弱くなって、編集者自らが書くようになったらダメだ、その雑誌はそろそろおしまいという戒め。昔(月刊社会教育・編集のころ)先輩から聞いたことがあります。
 本号では、第142回研究会の報告を自分で書いてしまいました。しかも小林は報告者の一人、誰か別の人に「研究会報告」を寄せてくれるよう段取りしておくべきところ。すでに研究会から5日を経過、やむなく急ぎ筆をとったという次第。そろそろ「風」もおしまい?の兆候か。
 幸い「風」への投稿は、なお衰えをみせていません。編者が自ら書いてもまだ大丈夫のようですが、書きすぎるのはつらい。思わぬグチ。
 ところで、先日の社会教育研究全国集会(札幌)第18分科会「自治と連帯を築く小地域の活動(自治公民館など)」には、昨年に引き続き韓国訪日団の主要メンバーが出席されました。分科会では、札幌・横浜そして沖縄(竹富島)等に関する報告と関連して、いま活発に動いている韓国の住民自治センターや小地域(マウル)の平生学習について、特別にお話を伺うことができました。邑・面・洞などの地域末端行政組織だけでなく、さらに下部のマウル(ムラ、集落)レベルで、住民活動や学びの取り組みが始まったいるというのです。
 興味深い内容、しかしテープにとる用意がなく、不充分な記録ですが、8月29日・研究会で報告しました。TOAFAEC ホームページにも掲載→■。ご覧いただければ幸い。

社会教育研究全国集会(札幌)第18分科会ー左よりキム・ナムソン(韓国平生教育学会長)、イ・ジョンユン(名大)、
 パク・インジュ(韓国平生教育振興院長)、ヤン・ビョンチャン(平生教育総連合会事務総長)ほかの各氏



2085号【2008年9月1日】
■<「風の盆」と公民館>
 9月に入ると、越中(富山県八尾町)「おわら・風の盆」が始まります。一度、行ってみたい祭り。「公民館」とも関係があるようです。江戸は今日(8月31日)も驟雨あり、越中八尾は降っていないかしらと心配。
 八尾町は山坂に沿って集落が11町、それぞれの町が、祭りの地方(ぢかた)、唄い手、踊りのチームをもっているそうです。沖縄やんばるの字(あざ、集落)と似ている。9月1日〜3日の祭りには観光客がどっと繰り出し、予想では約30万人。山間のせまい集落ではさばききれず、近年は各町が一夜ずつ前夜祭を担当して、8月20日から11夜の前夜祭が続くとのことです。各町それぞれに哀切あふれる胡弓の調べにのって、流麗な女踊り、勇壮な男踊り、町ごとの自慢の演舞と町流し。いま You Tubeで探すと、各町の「おわら」画像がたくさん出てきます。
 先日の札幌の帰り、ふと店頭で『俳壇』(9月号)を買って、機内で読んでいたら、橋本治氏(「風の盆恋歌」著者、新潮文庫)が「恋する詩歌5」と題して、「風の盆」のことを書いていました。11町はそれぞれに公民館を持っていて、祭りの拠点となっているようです。
 「… そこ(公民館)を集会所にしたり、着替えに使ったりしている。そんなある町の公民館にふらっと入って行った時のことである。
 夜中の2時頃だったろうか、揃いの浴衣を着た中学生の少女たちが広間の片隅に固まっていた。無論、4日からは学校も始まる。… その年のおわら総代がこういった。“この連中は大人たちが怒鳴っても、踊りたくて仕方がないんです。動かないんです。”…」など。文章はまだ続きます。詳しくは『俳壇』9月号をどうぞ。
 雨が降り始めると、町流しはすぐに中止、公民館で踊ります、という別の記事もありました。公民館はもちろん自治公民館でしょう。

○ことのついでに、越中「おわら」歌詞をいくつか(抄録)。
(前囃子)越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山 三国一だよ
(囃子)唄われよ わしゃ囃す
(歌)三千世界の 松の木ァ 枯れても あんたと添わなきゃ 娑婆に出た甲斐がない
(囃子)唄われよ わしゃ囃す
(歌)竹になりたや 茶の湯座敷の ひしゃくの柄の竹に いとし殿御に持たれて 汲まれて 一口 
   オワラ 呑まれたや
(合いの手)(囃子) 春風吹こうが 秋風吹こうが おわらの恋風 身についてならない
(長囃子)見送りましょうか 峠の茶屋まで 人目がなければ あなたのへやまで
(長囃子)手打ちにされても 八尾のそばだよ ちっとやそっとで なかなか切れない
(囃子)唄われよ わしゃ囃す
(歌)おりて行きやれ 夫婦の雁よ 越中田もよし オワラ 水もよし
(後囃子)浮いたか瓢箪(ひょうたん) かるそに流るる 行先ァ知らねど あの身になりたや

2084号【2008年8月30日】
■<雷鳴とどろき、篠つく豪雨>
 各地に記録的な集中豪雨。8月29日の定例(142回)研究会(東京・杉並)当夜も、いつもの店に移動する頃から降りだし、稲光・雷鳴はげしく、帰れなくなりました。いちど店を出て、あまりの雨に立往生、また店にもどったり。駅までわずかの距離なのに、ずぶ濡れになりました。皆さんの帰りの電車はうまく動いたかしら?
 この日の研究会は、韓国・平生学習がテーマ。福島から浅野かおるさんが参加。はるばるとご苦労さまでした。まだ1週間経っていない札幌・全国集会の話題しきり。7月の韓国訪問の想い出もあり、もりだくさんの報告が並びました。当夜の記録、どなたか「風」に送って下さい。
 この日、研究会が始まる前、ベトナムから帰国中の津久井純さんと会っていました。「…現在、僕は財団法人国際開発センターと言う、昨年までのベトナム教育プロジェクトを受注した社会開発コンサルティング会社に就職しました。今年度はベトナムにほぼ一年(単身で)駐在することになっておりますが、現在帰国し、家族と夏季休暇を取っております」(Sat, 23 Aug 2008 00:58)とのメール。
 高井戸駅下の中華料理店で久しぶりに二人でビールを飲みあい、日本とベトナムについて、いろんな話をしました。どんな交流の可能性があるか、若い世代に向けて人と人との豊かな出会い企画をつくっていきたいなど。
 ぶんじんは研究会に赤い顔で出席。津久井さんは「…研究会にも出たいのですが、日本帰国時は家族の時間を大事にしたいため失礼いたします」とのことでした。駅で別れました。9月1日にはベトナムに出発の由、ご活躍を祈ります。
研究会・主報告 小田切督剛さん(川崎市高津市民館) ー20080829−


2083号【2008年8月28日】
■<夏も終わり−明日は8月定例研究会>
 札幌・全国集会の疲れと余韻が心地好く残っています。毎年この集会が済めば夏も終わり、ようやく秋の気配を感じる朝夕。といっても東京は梅雨のような毎日ですが…。
 振り返ってみると、今年の全国集会には中国(上海)から15名前後の参加の動きがありました(風2040号−2008年6月6日、呉遵民さんメールなど)。毎年参加の韓国訪日団と一緒に、東アジアの本格的な交流が全国集会の場で実現する可能性もほのみえたのです。長澤成次さん(社全協委員長)にもお話した経過があります。しかし四川大地震やオリンピックなど中国側の事情があり、今年の訪日は実現しませんでした。来年どうなるか分かりませんが、中・韓・日の交流の兆しがこれまでになく感じられます。楽しみです。
 韓国の平生教育研究者の間には、いま中国との研究交流にも大きな関心があるようです。今回の訪日団代表・朴仁周氏(韓国平生教育振興院長)から、直接に積極的な意向を伺ったことがあります。こちらからはTOAFAEC 「東アジア」研究年報がすでに12冊の刊行を重ねてきたことをお話しておきました。
 日韓の間には、いま竹島(独島)問題があり、政府機関の長として朴仁周先生の訪日はかなり難しかった模様。無理を押しての札幌訪問、全国集会への関心と私たちへの友情に感謝!です。
 明日(29日)は、TOAFAEC定例研究会(第142回)。「ご案内」を再録(上掲)。皆様、お出かけください。7月韓国訪問に加えて、札幌集会の報告も行われることでしょう。

韓国訪日団歓迎会(札幌・全国集会・第2日夜、20080824)
 左より、キム・ナムソン
(韓国平生教育学会長)、チェ・ウンシル(韓国平生教育総連合会長)、
     パク・インジュ(平生教育振興院長)、小林文人、李正連(名古屋大学)の皆さん


■<全国集会・日韓交流の集い> 
          石井山竜平
(東北大学、7月・福岡釜山訪問団々長)Wed, 27 Aug 2008 05:23 
 札幌集会、様々刺激がありましたが、やはりなんといっても二日目の夜でした。「この指とまれ」での、チェ先生(亜州大学・平生教育総連合会会長)、キム先生(東儀大学)のご報告は、実に準備の行き届いた情報量満載の内容。2時間で終わってしまうのが本当にもったいない内容でした。
 その勢いのままに流れた懇親会は、想定をはるかに越える人数(たしか日韓双方で39名?)が集っての、まさに膝をつき合わせての交流。それにしても豪華な顔ぶれでした。韓国平生教育を支える主要メンバーがそろった韓国側の顔ぶれの豪華さはいうまでもないことですが、日本側も、この間、さまざまなかたちで韓国との交流をつなげてきたキーパーソンが一堂に集うなかに、このたびの福岡チームが合流させていただき、このかんの日韓の交流のあゆみを凝縮して見れた、そんな場でした。
 釜山訪問でお世話になった僕としては、ようやくヤン先生に直接お礼ができたことが一番の喜びでした。また、キム先生のお話では、あの訪問の時期は、竹島問題の影響で、日本との交流の自粛を求める動きが水面下でかなり強かったそうで、にもかかわらず、あえて私たちを厚く迎え入れてくださった方々に、感謝の思いを新たにした次第です。
 このたびの日韓交流に絶大なご尽力を注がれた浅野かおるさん(福島大学)の感極まっての涙。そしてヤン先生とかけあいながらの乾杯。横山孝雄さん(我が福岡社教研・事務局長)の「社会教育は、人と人とをつなげるもの。だから私は、人と人とのつながりを阻むものとは、断固として闘う!」というメッセージをはじめ、紡がれてきた日韓の信頼の確かさを強調されたそれぞれのご挨拶、などなど。そして最後、全員で肩を組んでの「友よ」「アチミスル」「アリラン」の大合唱。この懇親会の思い出は、忘れられない景色でいっぱいです。
肩を組んで「アチミスル」歌う(札幌・すすきの、080824)


2082号【2008年8月26日】
■<札幌の全国集会>
 昨年(貝塚)の全国集会時には、毎夜の「風」を配信した記憶がありますが、今年は1度もお送りすることができませんでした。23日〜25日の日程を終えて、すでに東京に帰り着きました。風・編集の時間もないほど、札幌の夜は充実していたということでしょうか。
 初日の夜、北海学園大学で開かれた全体交流会(懇親会)は、多数の参加者で会場は満杯となり、自由に動きまわることもできないほど。韓国からの訪日団の方々にご挨拶したあとは、一隅に座りこんで、福岡の皆さんと飲んでいました。マイクも鮮明に聞き取れず。
 いろんな方との交流はあきらめて、若い世代(和光大学卒など)と大学近くの店で早めの二次会へ。久しぶりに森田はるみさん(置戸町)も一緒。元気そうで何よりでした。18年前の全国集会(知床)との出会いが縁で北海道に就職した当時を思い起し、すでに20年近くが経過したのか・・・と感慨新たなものがありました。
 二日目の夜は、韓国訪問団から「平生教育」の動きを伺ったあと、繁華街「すすきの」に席を移して、浅野かおるさん(福島大学)の段取りにより盛大な歓迎会となりました。ご一行は27名、韓国・平生教育振興院・朴仁周院長を代表として、韓国平生教育総連合会会長、同事務総長(ヤンビョンチャン氏)、韓国平生教育学会会長等の豪勢なメンバー。日本側は、仙台、千葉、東京、川崎、大阪、福岡、鹿児島など集まって、感動的な夜となりました。
 当夜のことは、いずれ「風」にご報告いただけるものと思います。呼びかけに応えてご参集の皆様(とくに福岡)に、まずは御礼を申しあげます。
 全国集会は(総括報告によれば)総計933名の参加者、予想以上の規模となり、大成功!の集会となりました。大活躍の内田和浩さん(北海学園大学)、ご苦労様でした。
乾杯!左・ヤンビョンチャンさん(公州大学校)、右・浅野かおるさん (20080824)


2083号【2008年8月23日】
■<千葉、そして札幌へ>
 いろいろな公民館大会。市町村単位のものや、都や県レベルで開かれる大会にはこれまで出席しましたが、いわゆる関ブロ(関東甲信越静−1都10県)大会の機会はめったにありません。ことしは第49回を数える大会(8月21〜22日、千葉市)、千葉県公民館研究大会(第60回)を兼ねて開かれ、参加者は千名をこえる規模、やはり独特の雰囲気がありました。短い時間ながら、基調講演をさせていただきました。
 各県の公民館関係者には旧知の方も多く、第1日夜の情報交歓会は楽しいひとときとなりました。とくに、ちょうど一年前に訪問した木曽谷の公民館関係の方々が6人も。用意された来賓の席から離れて木曽の皆さんの席へ移動(→■)。杯をかわしつつ、木曽節の名調子を、耳の横で一人だけで聞かせていただきました。これで酔いがいちだんと・・・。
 ご記憶でしょうか、あのとき妻籠の公民館長(清水醇氏)から頂戴した木曽檜笠の話(韓国・ヤンビョンチャンさんに進呈、風1905号)。当の清水館長の顔もあり、1年前の話に花が咲きました。一つの檜笠が海を渡って、韓国との友情を結ぶこととなり、あらためて御礼を申しあげました。
 木曽谷の次は伊那谷。松川町から参加された松下拡さん(助言者)を囲み、千葉の皆さんとともに賑やかに二次会(写真・下掲)。時を忘れて、やや飲み過ぎ・・・。
 千葉で1泊。東京に帰って、23日早朝からは札幌(第48回、社会教育研究全国集会)です。韓国から訪日の皆さんを含めて、旧知の方々との再会が楽しみ。
千葉、信州(前列・右より2人目・松下拡さん)、埼玉、東京等の公民館群像(第49回関ブロ大会の夜、080821)


2080号【2008年8月21日】
■<全国集会への思い>

 北海道・オホーツク(訓子府・菊池一春、置戸・森田はるみ)のお二人から、札幌・第48回全国集会へのお誘いが参りました。参加者(申し込み)数が期待を下回っているとのこと、あらためての「お誘い!」です。あと少し早めに「風」としても呼びかけるべきでした。
 かねて社会教育推進全国協議会(社全協)の運動に深くかかわってきたものとして、全国集会への参加者数は大いに気になるところです。社全協運動の盛り上がりを象徴する数字ですし、現実問題として、全国集会の財政問題と直結するからです。お一人でも多く、札幌でお会いできることを楽しみにしています。
 ぶんじんは、社全協が結成された第3回全国集会(1963年、横浜・金沢文庫)からの参加。その後、大学公務や在外研究で日本を離れていた年など数回を除いて、ほとんど毎年の集会に出席してきました。全国各地をまわってきた集会の熱気、それぞれの実行委員会の、汗を流して頑張った懐かしい顔ぶれが目に浮かんできます。
 1960年代の集会は、まだ百名以下の参加数でした。1972年の第12回・宝塚集会から翌年の大宮集会、次の名古屋集会に向けての時期、参加者が倍増するかたちで上昇(200→400→800)した盛り上がりを忘れません。総括の挨拶や担当の打ち上げ会で、涙を流しながら,「成功!」を祝いあった情景がありました。あの上げ潮の時期には月刊社会教育・編集長、それにまつわる思い出もまたつきません。
 1980年代になると、全国集会の参加者はほぼ千名をこえる規模で定着していくことになります。そして、1993年(第33回)木更津集会に初めて韓国からの参加(金信一さんなど3氏)が実現。今年はなんと22名(をこえる?)訪日団だそうです。竹島(独島)問題もあるというのに・・・。

2079号【2008年8月20日】
■<53年前の手書き原稿>
 8月10日の風2074号・本欄にご紹介した「原水爆禁止世界大会日本備会」(1955年5月)事務総長・安井郁による世界大会「一般報告」原稿。数日前に安井節子さんのご了解を得て、TOAFAEC・HP表紙にアップしてみました。皆さん、ご覧下さい(下掲)。
 「世界各国と日本全国から代表を迎えて、ここに原水爆禁止世界大会をひらくにあたり、日本準備会の事務総長として一般報告をする機会をあたえられましたことを、私はまことに光栄に思います。」と始まります。正式に原水爆禁止日本協議会(日本原水協、同年9月発足)の前の段階、第1回世界大会の歴史的な報告です。
 この手書き原稿について、安井節子さんからのメール。「…原稿の文字ですが、いつも見慣れている安井郁の文字よりやわらかくて、どちらかというと、安井田鶴子の筆跡に似ているのですが、どうしてでしょうか?同時代の人の字は似ているのでしょうか? …」と。
 安井資料研究会の朗報。初代事務局長を担った竹峯誠一郎さんが三重大学に就職予定。喜びのメール(上掲)が来信しました。任期つき人事のようですが、まずはおめでとうございます。次回研究会(9月7日)予定日は東京に来ているとのこと。、ぜひ荻窪(安井研究会)で会いましょう。お祝いの乾杯だ!
 今日(8月19日)は「風の部屋」、終日の(第13号)最終校正作業。一つの作業が終わりました。ご参加の皆さん、とくに高知から上京の内田純一さん、ご苦労さま。今年もまた、こうしてお互いの8月が過ぎていきます。そのうち、きっと、いいこともあるだろうよ…。
1955年・原水爆禁止世界大会「一般報告」手書き原稿(安井家所蔵、080809)


2078号【2008年8月18日】
■<人形劇フェスティバルと全国集会>
 ぶんじんパソコンには、よく人形劇関連のメールが舞い込みます。東京学芸大学時代に20年あまり「麦笛」(児童文化運動・人形劇サークル)の顧問をしていた関係からです。ただし「風」メンバーは、今は一人もいない、記事として掲載することもほとんどありませんが。
 というわけで、本号は13号編集などの息抜きに、麦笛OG「わけちゃん」(和気瑞江さん)メールを無断借用して、叱られることにしましょう。こんな調子です。「飯田」とは、信州・飯田市のこと。
 「…今年の飯田の人形劇フェスタは30周年記念で、2日から10日までと長丁場でした。私は例年通り、ちょっとだけ上演をして、売店をやって、もろもろの雑務をやっていましたが、なんと、売店の今年の地元のアルバイトのひとりは“おっちょ”(どんと同期)で、懐かしいやら嬉しいやら…。上演で参加したのは、“Jack”はもちろん、京芸の“かっぱちゃん”、ひとみ座の“ぞうに和尚”と、ヤクザな道に入ってしまったフルメンバーがバラバラと飯田に集合…。観劇では“クミさん”(ぴーぽっぽ)が昨年に続いて来飯、なんと“おちゃか”(アップルカンパニーと同期)も!! 残念ながらクミさんにはお会いできず電話だけでしたが(Jackにも会わなかった)麦笛大集合でした。…」(13 Aug 08)
 みな学芸大学OBG。独特の麦笛ネーム、それぞれの懐かしい顔が浮かんできます。「ヤクザな道」に入ったプロ劇人の評価は高く、誰かが提案して始まったお祭り−オリンピックの年(4年ごと)に新宿・プーク劇場で「むぎぶえ人形劇フェスティバル」を催す企画が定着してきました。今年で第5回(上記・案内)を迎えます。すでに20年の歳月。
 ところが、日程は8月最終の土・日。いつも全国集会(札幌)の日程と完全に重なり、今年も顔を出すことができません。心ではむしろ全国集会を休んで、人形劇を楽しみ、懐かしい面々と会いたい気持いっぱい(なにしろ4年に1回!)。だけど札幌には韓国訪問団も見えるし・・、そうもいきません。悩みつつ、「むぎぶえ」には、まだフェスティバル欠席を伝えていません。申しわけない。事情ご賢察の上ご容赦あれ。心ばかりの花束をおくるつもりです。誰かがこの日誌を読んで、皆さんによろしくご伝言下さい。・・・叱られるだろうなぁ。

2077号【2008年8月16日】
■<八月旧盆を迎えて>
 「風」に載せる隙間がないほどの勢いで、いま「東アジア社会教育研究」第13号編集のメールが飛び交っています。最終の目次づくり、その中文、ハングル、英文への訳出作業など。皆さん、ご苦労さまです。
 もちろん日本語目次が中心となりますが、合わせて4ヵ国語の目次づくりは、関連刊行物のなかでも、まだそう例がないのではないかと思われます。完成した目次一覧を「風」に載せたいところ。しかしこれはやはり、9月18日・刊行後のお楽しみ・・・。

 8月旧盆は、もともと正月と並んで、みんなお休み。「地獄の釜の蓋も開く」特別の三日間でした。はるか昔に過ぎ去った少年時代の思い出は、厳しい戦争体験とも重なって、お盆の行事は特別のものがありました。先祖様の霊を迎え、初盆のお詣りをし、普段は会わない親戚一統の席を楽しみ、そして遠い彼岸へ先祖をお送りする習わしは、なにか土俗的な一面をもちながら、それぞれの精神世界にひたる機会でもあったように思います。
 沖縄の各地からは、この数日、賑やかなお盆の便りが聞こえてきます。とくに八重山・石垣のアンガマ。旧盆13日夜の迎え(ウンケー)、そして15日の送り(ウークイ)、仮面をつけた「あの世」からの老爺と老婆が子孫をつれて登場。「…サンシンを弾き、鼓、鉦を打ち鳴らしつつ練り歩く、招かれた家でウタを謡い、踊り、珍問答を繰り広げる…」(八重山毎日新聞、8月14日記事)など。沖縄本島では、もちろん念仏踊りの系譜をひくエイサー行事(沖縄市胡屋エイサー、沖縄タイムス8月15日記事)。公民館の中庭で、ムラの道すじで、青年(二才)たちの躍動、あの太鼓の響きが聞こえてくるようです。
 この3〜4年、旧盆に故郷・九州に帰ることもなく、はるか回想のみを懐かしみ、暑い東京でひたすらメールを追っかける日々となりました。


2076号【2008年8月14日】
■<緊急のお願い、19日・校正作業に結集を!>
 いま「東アジア社会教育研究」第13号は最終校正作業の局面。全体“構成”については(もちろん!)見通しがついたものの、具体的なゲラ“校正”作業がおくれています。原稿の遅れがあり、ゲラ版づくりが集中作業となり、印刷版下の入稿までかなりたいへん!です。
 昨年までのことを思い出してみると、8月旧盆まで編集会議と校正作業のため、何度か集まったものです。今年は、編集会議の日程調整がうまくいかず、やむなくメールやりとりで対応。編集会議による総括的なゲラ読み作業が8月19日(終日、風の部屋)となりました。この日に向けて、編集実務の江頭晃子さんがいま孤軍奮闘中。
 いくつかのお願い。それぞれの初校ゲラは、執筆者ないし(中国・韓国からの原稿については)翻訳者が基本的に担当していただく。細部にわたって細かく見ていただく。再校の機会はない・・・という覚悟でお願いします。第2に、編集委員会の皆さんも可能の範囲で最終編集・校正作業を分担していただく。出版社による営業的本づくりと違って、担当者がいるわけではありません。これまでもそうであったように、お互いの共同作業と心意気で取り組む必要があります。
 あと一つ。8月19日(火)の校正作業に結集していただきたい。休日ではなく、ご無理があってはいけませんが、編集委員会以外の方でもご都合のつく方はぜひ!お願いします。「風の部屋」は、杉並区永福3−50−11−303(井頭線「西永福」下車、徒歩5分)。HP「8月スケジュール」に急遽「西永福」地図を入れました。駅から電話(090-7700-7756)いただければ対応いたします。
 酷暑の毎日、涼しい一文を・・・と思いながら、急ぎ熱いお願いとなってしまいました。お許しを。

2075号【2008年8月12日
■<「東アジア社会教育研究」第13号>
 毎年夏・8月は、TOAFAEC 研究年報編集の季節。暑い中、関係の皆さん、ご苦労さま。今年は、風・2069号「暑中お見舞い」にも書いたように、風に関連記事があまり載らず・・・残念です。営業本でない私たちの取り組み、本が完成することだけでなく、それが創りあげられていく共同のプロセスこそを大事にしたい、暑い中の取り組みを共有していきたい、と考えてきました。
 上掲・金侖貞さんの「韓国関連論文の訳語−ご相談」メールは、もともと編集関係者に届いたものですが、編集の取り組み、今年も“頑張っているよ!”のメールとして、「風」に掲載させていただきました。
 韓国「平生(生涯)学習」の動きに登場する「共に行う学校」訳語のことは、7月訪韓の折、釜山でも話題になりました。金子満さん(鹿児島大学)と肥後耕生さん(韓国・中央大学校博士課程)に定訳をどうするか、検討をお願いしておきました。金侖貞さんメールに出てくる3案では(直訳「一緒にする学校」でなく)「共に行う学校」など3案がでていますが、金子・肥後ご両人のその後の意見は如何でしょうか。
 「平生」については、固有名詞(たとえば行政組織、施設名等)や法や公的文書の表現はそのまま「平生」とするが、一般的な用語としては、基本は「生涯」と訳する、論文や文脈により「平生」とする場合も「生涯」の意であることをカッコ等に付する、というのが今の考え方。この点も韓国研究グループで調整してもらってどうでしょう。日本元号「平成」との混用ミスも最近指摘されていますが、この点はとくに要注意。
 肥後耕生さんからの釜山資料(上掲)相次いで有り難うございました。添付資料は TOAFAEC・HP「2008韓国・地域平生(生涯)学習の動き」→■に早速収録しました。ご覧下さい。いま収蔵8点となりました。

2074号【2008年8月10日】
■<安井資料研究会−「北富士・忍草」の笠>
 8月8日、韓国生涯学習研究フォーラム(川崎・岡本太郎美術館)へ。この日は「岡本太郎が見た韓国」展が開かれていて、私たちの研究会も同美術館に会場を設定していただきました。「岡本太郎の感性を振動させた韓国」との出会い、あらためて岡本太郎を再発見した思い。
 9日は原水禁運動(安井家)資料研究会で荻窪の安井家へ。いつもの常連メンバーに加えて、「風」(前号)案内を見て、米山義盛さんが現れました。釜山への交流の旅にも突然登場した人。その軽ろやかなフットワークにあらためて敬服。暑い中、ご苦労さまでした。
 この日は長崎原爆の日。これに合わせるかのように、安井家書斎では原水爆禁止運動・貴重史料を手にとって見ることができて、不思議な感動を味わった1日でした。たとえば「原水爆禁止世界大会日本準備会」が結成され(1955年5月)、事務総長である「安井郁」の有名な「一般報告」が、手書き原稿として保存されていました(→■)。同年8月6日・広島の第1回世界大会を経て、原水爆禁止日本協議会(日本原水協)へと展開していくのが9月。安井郁はその初代理事長に就任、当時は杉並区立公民館・館長の職にありました。
 1955年と言えば、この年は戦後平和運動・基地反対闘争にとって重要な年です。東京・砂川の基地拡張反対運動、沖縄の伊佐浜や伊江島の軍用地接収への抵抗、あるいは北富士米軍演習場反対闘争など。北富士では住民総決起大会に地元9ヶ村が参加し、農民たちが演習場に座り込み、それを無視して射撃演習が行われたところ。
 安井家の納戸の奥には、「北富士・忍草」と書かれた笠が大事にしまわれていました。埃をはらい窓際に出して写真を一枚(下掲)。安井家資料は、文書・記録資料類だけでなく、このような実物資料(たとえば旗、たすき、メガホン、署名簿、バッジなど)もまた貴重。私たちに余力があれば、これら現物の展示会をしたいものだ、など話が出ました。
 帰途は荻窪駅前で、安井節子さんにも加わっていただき、ビール。
北富士米軍演習場反対運動の笠(安井家資料、080809)        *関連写真■


2073号【2008年8月8日】
■<韓国の平生学習資料>
 ソウルの肥後耕生さんから、韓国・釜山の「平生学習」資料が相次いで送られてきました(上掲メール)。今日とどいた資料は、釜山・盤松(パンソン)地区「希望の世界・ケヤキ図書館」の動き。早速、ホームページに入力(→■)しました。福岡グループと一緒に先月訪問してきたばかり、興味深い新鮮データです。当方で撮った写真も数葉飾って、暑さを忘れて楽しみ?ました。関心おありの方、ご覧下さい。肥後くん、どうも有り難う!
 風2070号の本欄に書いた「HP・二つの韓国ページ」は、7月訪韓記録と並んで、「2008・地域平生学習の動き」資料がいま6点の出品です。関係の皆様のご協力を得て、少しずつこれを増やしていきたいと願っています。入力ミスなどあれば、ご指摘もどうぞよろしく。
 作業をしながら、いくつかのことを考えていました。一つは、韓国・社会教育法(1982年〜)の段階では見られない、平生教育法(1999年〜)とその全面改正(2007年〜、本年2月施行)にともなう地域的な動きが、いま本格的に始まっているのではないか。二つには、地域のなかに躍動的な市民活動が拡がっていること。三つには、市民・住民自治の活動のなかに平生学習が位置づいていること。日本「生涯学習」と「市民活動」が分離しがちな状況とは違った風景がみえるように思いました。
 そして、その接点に「平生教育士」(社会教育主事にあたる)の顔がありました。行政の仕事をしながら、市民活動のなかでも大事な役割を担っている様子。いま創設期にある躍動感、平生教育・行政関係者もまた「希望」を求めている、その生き生きとした表情が印象的でした。
釜山市海雲台区盤松(パンソン)2洞・ケヤキ図書館(20080720)


2073号・付記:さきほど(7日夜)韓民さん(北京、来日中)と会って、ささやかな歓迎夕食会。久しぶりに歓談しました。忙しい中にも元気そう。第13号のことや今後のことも話しあいました。なにしろ会える時間の連絡があったのは当日昼。皆さんへの連絡も出来ず、残念。私たち夫妻のほか江頭晃子さんが駆けつけてくれましたので、第13号の最終打ち合わせも出来ました。北京・オリンピック開会式のため、8日朝のフライトで帰国。皆さんによろしくとのことでした。

2072号【2008年8月6日】
■<6日か7日夜>
 さきほど舞い込んだ韓民さん(北京・中国教育部)からのメール。今日(5日夕)、東京に着いたそうです。驚きました。
 わずか3日間の滞在、スケジュールは満杯だそうです。いま(5日夜)電話で話しました。「東アジア社会教育研究」第13号のこと、また今後のこともあり、6日か7日夜に(韓民さんの都合がつく時間帯で)「会いましょう」ということになりました。場所は本郷近く、ビールが飲めるところで。
 日程・時間が分かり次第、連絡が来ることになっています。急なご案内で恐縮ですが、「韓民さんに会いたい」旨のメールを寄せた方もあり、この機会にご都合がつく方はご一緒いたしましょう。ぶんじんケイタイ(HP・事務局サイト)にご一報ください。
 また、韓国・公州のヤンさんからも返事をいただいた由、李正連さんよりメール(上掲)がありました。有り難うございました。福岡・釜山訪問団が作成した報告書については、石井山竜平さん(団長)からすでに修正版が送られてきました。第13号原稿としてすでに入稿すみ。
 ついでに、李正連さんにお願い。ソウル(7月23日)の夜、「南の風」送信について、鄭賢卿さんのアドレスをお尋ねしましたが、お分かりであれば教えて下さい。どうぞよろしく。小生アドレス帳にあったはずですが、探し出すことができず。
 関連して、上海の呉遵民さんへ。杜成憲さん(学部長)が「南の風」配信をご希望とのこと、メール・アドレスをご一報ください。
 今日、東京は終日の雨。雷鳴も轟き、外出を控えた1日でしたが、中国・韓国からの便りをいただき、好日となりました。連日送信の騒がしい「風」、急なご案内のため、慌しい編集でお届けする次第、ご了承を。

2071号【2008年8月5日】

■<再び「アチミスル」>
 8月2日夕、渋谷駅の雑踏、後ろから“ぶんじん”の名を呼ぶ少女?あり。思いがけなく、かっての和光ゼミ生「はしだにいな」さんでした。ご存知「はしだのりひこ」の娘さん。ある約束を1時間ほどすっぽかして、楽しくビールを飲みました。(上掲・端田メール)
 いま、劇団・青年団(平田オリザ主宰)の女優さん。沖縄・佐敷町のシュガーホールで仕事をしていたこともあります。そして「アチミスル」のことを思い出したのです。前に「南の風」に書いたこともあったような…と。ホームページ「南の風・目次一覧」で「アチミスル」を検索してみると、4件のヒット。ありました! 最初が「にいな」さんの「アチミスル」。9年前の風、こんな記事です。
○南の風233号(1999/4/24)
 … はしだにいなさんは、いま4年生。ある劇団活動に熱中し、これまでに取得した単位が少ない。最終学年の今年は、かなりピンチらしく、劇団を休み毎日大学に出て単位取りに励んでいる。
 先日のゼミの帰り、「のむぎ」でビールを飲んでいたとき、嬉しいことに「みんなで歌いましょう」と言ってくれた。最近はそういう機会が少なくなった。そして驚いたことに、韓国・金敏基の「アチミスル」を知っている。しかも日本語訳だ。聞けば、高校(自由の森学園)時代のハングル教室で、先生が教えてくれたとのこと。…
 彼女が歌った日本語訳は、次の通り(南の風241号 1999/5/15 )。
   朝 露
 夜明け前に 草場に宿る
 真珠よりきれいな 朝露のように
 私の心 哀しみ宿れば 
 朝 丘に登り そっとほほえんでみる
 太陽は墓場を紅く照らし 
 真昼の暑さ 試練の時か
 私は行く あの荒野(あらの)へ
 哀しみのりこえ 私は行く

○「アチミスル」を初めて歌ったのは、第3回日韓社会教育合同セミナー(1992年12月、大邱)でした。当時を回想して、「風」は次の短歌も載せていました。このとき、ぶんじんは「ここに参加していない中国人」になったつもりでと「大海(たーはい)」を歌ったとも書いていました。
 歳月が重なるにしたがって、「南の風」記録は今や歴史の証言者です。
  −1992年12月、大邱、日韓社会教育合同セミナー、朴富権、
    笹川孝一らと、学生運動の連帯の歌、うたいあう−
◇我ら「友よ」歌えば彼ら「アチミスル」口ずさみしあの夜忘れじ
◇贈られし「鳳仙花」聞き沖縄の「てぃんさぐぬ花」を返歌となせり

2070号【2008年8月3日】
■<HP・新しく二つのページ>
 「風」への7月韓国訪問記事がようやく一段落。小田切さんの「公州・ソウル訪問報告 (4)」が1本残っていますが(次号掲載予定)、さきほどHP(TOAFAEC)には収録しました。
 吹く風は流れ、そして消えていく。消えてしまっていいような些末なものもありますが、なかにはストックしておきたい記事があります。たどたどしくHPづくりに挑戦して10年、そこに資料収蔵庫をつくってきたつもり。HPも最近やや雑多に蓄えすぎの感あり、はじめての訪問者には不親切なサイトにもなっているようです。申しわけありません。
 今回、韓国について二つのページをつくりました。一つは、「風」に寄せられた訪韓記事の主要なものを選び、それに写真(13枚)を重ねて、今回の旅の記録にしました。無署名はぶんじん。横山孝雄・石井山竜平・小田切督剛など各氏の文章も頂いています。著作権・肖像権を侵害?しているかたち。きっと許していただけるだろうと思ってのことですが、もし掲載を控えるべきものがあれば、ご一報ください。
 あと一つは、韓国平生教育法の全面改正を経て、いま大きく躍動中の地域の動き。新しい地域平生学習の実像をどう把握していくか。ソウルの肥後耕生さんから送られてきた、釜山・蓮堤区の資料(福岡訪問団に提供されたパワーポイントをもとに作成)が契機となりました。肥後くんに感謝!です。個々の資料・情報の共同“ひろば”づくり、大事なものをお互いに共有していこうという試みです。いま3点ほどアップしています。これを拡張・充実していきたい。関係の皆様のご協力をいただければ幸いです。
 HP(TOAFAEC)は、表紙の左側、「韓国」から入り、<NEW>マークの二つのページをのぞいてやって下さい。いろいろご教示ご批正をお願いします。

訪韓最終日、平生教育振興院を訪問、同院首脳部とともに、前列左・朴仁周院長(ソウル、20080724)


2069号【2008年8月1日】
■<暑中お見舞い>
 8月となりました。酷暑の夏、皆さん、お元気でしょうか。あらためて暑中お見舞い申しあげます。夏バテにご注意。体だけでなく、メンタルな夏バテもあります。暑さに負けず、楽しく参りましょう。
 その昔、ゼミなどで疲れると、「暑気払い」とか称して、本を放り投げ、わいわい飲んで騒いだものでした。いま研究室はどこも忙しそうで、「暑気払い」の声をかけるのも憚られるほど。最近まで、大学は7月になると、もう夏休みの気分、9月の上旬までほぼ2ヶ月のバケーションだったのに。
 この30年、夏の休みはまず沖縄。今年も名護・竹富の旅から夏が始まりました。そして韓国へ。いま一休みしています。しかし8月は例年とも繁忙期、年報「東アジア社会教育研究」の編集・校正、そして社会教育研究全国集会の季節。今年の全国集会は札幌(23〜25日)です。
 最近の「風」は韓国訪問レポートが相次ぎ、年報編集の動きをほとんど載せていませんね。この間、事務局は一喜一憂しながら、原稿の督促・編集にあたってきました。すべて順調というわけではありませんが、予定原稿ほぼ集まり、昨夜(7月末日・最終締切)の確認作業で、むしろページ増となることが判明。割愛しなければならない原稿もありそうで、嬉しい悲鳴です。今年も(昨年に引き続き)韓国関連論文の力作が並び、なかなか充実した内容となる見込み。完成(9月18日)が楽しみです。
 次の編集(校正)会議の予定など、編集長からご案内などいただければ幸いです。

ソウル・希望製作所でおこなわれた「日本の社会教育・生涯学習」編集会議、終了後の懇親会
                   −仁寺洞(インサドン)韓定食店「村(チョン)」−(080723)



2068号【2008年7月30日】
■<釜山の夜・アチミスル(朝露)を歌う>
 韓国訪問の余韻さめやらず。旅に参加した人だけでなく、「風」を読んでの感想も届いています。風に収録しきれず申し訳ありません。たとえば、「…韓国に行かれた方々の熱い報告・感想記事が続いていますね。今回の訪問は、本当に感動的な、意味ある旅だったことが伺われます。」(山口真理子、Wed, 30 Jul 2008 02:01)など。
 釜山(福岡グループ)の通訳で大活躍した肥後耕生さんのメール(本号収録)によれば、7月20日に訪問した釜山・パンソン地区の「希望の世界」ホームページに、私たちとの交流の夜が掲載されているそうです。集いの終わりには、みな立ち上がって一緒に♪アチミスル♪を合唱しました。「…最後に手をつなぎ、アチミスルを歌うと、どうしてかわからないけど、涙が流れてきました。…」と。おそらく、キムヘジョンさん(事務局長)の文章でしょうか。輪になって歌った写真、福岡グループのカメラに記録されていないでしょうか。もしあれば送って下さい。
 「アチミスル」は、韓国の学生運動や民主化抗争のなかで歌い継がれてきた歌です。たしか発売禁止曲となった歴史も。日本語の訳詞は、
    長い夜を明かし、草葉に実る
    真珠より美しい、朝露のように
    心に悲しみが、実る時
    朝の丘に登り、ほほえみを学ぶ。
    太陽は墓地の上に、赤く昇り
    真昼の暑さは、私の試練か。
    私は行く、荒れ果てた荒野へ。
    悲しみふり捨て、私は行く。(訳:李政美)
 東京学芸大学の研究室時代から、韓国留学生と飲めば「ポンサンフア(鳳仙花)」や「アチミスル」をリクェストする習癖あり。今回の釜山でも、二晩とも「アチミスル」を歌ったのでした。
 韓国の「鳳仙花」には、沖縄の「てぃんさぐぬ花」を、「アチミスル」には岡林信康の「友よ」をお返ししたものです。釜山の夜は「アチミスル」のあと、「友よ」を歌いかけましたが、失速しました。あまり歌い継がれていない証左か。
「故郷の春」をうたう福岡グループ(左より金子満、横山孝雄、西恵美子の皆さん、080720)


2067号【2008年7月29日】
■<地域教育共同体「忠南教育研究所」>
 今回の韓国訪問について、ご参加の皆さんから寄せられている感想・報告など、本号以降に追い追いと掲載させていただく予定。とくに川崎の小田切督剛さんからは(前号にもふれたように)固有名詞の正確な表記に留意した詳細な記録を、また写真も、たくさん送っていただきました。ありがとうございました。
 本号・上掲の「忠南(チュンナム)教育研究所」訪問についての記事のうち、6行目の「鳳」の次の漢字は、「山」偏に「見」(つくり)の字(あわせて「ポンヒョン」)。せっかくの表記が、当方パソコンのソフトが対応できず、申しわけありません。
 この「ポンヒョン」の小学校は山間の学校。廃校のあと「忠南教育研究所」が創立されました(2000年創立)。進歩的教師や公州大学校の研究者、そしてマウル(村落、里)の地域力が協働して活動をはじめた民間の教育研究・実践団体。地域教育共同体をめざす運動です。
 私たちは、黄先生のお墓参り(22日)のあと、ヤン先生のご案内で訪問することができました。まず緑の校庭で子どもたちと一緒に写真(下掲)。小集落に残っている伝統文化と地域博物館に驚きました。手作りの夕食もご馳走になり、山間部集落とその共同体的な“風景”を垣間見ることができて、印象深い夜となりました。空には星が輝いて、天から黄先生も参加されているような…。思わず拙い歌(前々号本欄の最後の一首)。
 忠南教育研究所については、ヤン先生による興味深い論文があり、日本語にも翻訳されています(梁炳賛「韓国における地域教育共同体の運動の展開−忠南教育研究所における農村教育共同体の実践を中心に」)。こんどの釜山訪問とちょうど同じ期日に、北海道大学で開かれた日韓の国際共同研究で報告されたものだそうです。もし興味ある方はご一報を。ご了解を得て、フアイルをお送りいたします。
公州市ウソン面・ポンヒョン初等学校「忠南教育研究所」(080722)


2066号【2008年7月27日】
■<希望、未来をみる視点>
 韓国から帰った翌日は、1ヶ月のばしになっていた第141回定例研究会(研究会記録は上掲・江頭メール)でした。この日のゲストは上平泰博さん。はるか昔の和光大学や「東京都教育史」執筆グループ以来の再会。前にもまして、存在感ある風貌で登場、嬉しくなりました。
 沖縄・韓国への旅に続く連日のスケジュールで、体の疲れはたまっているものの、久しぶりの出会いに心は活気あふれ、研究会でも、終わっての交流会でも、盛んに議論しました。酷暑にもかかわらず、暑さを忘れる毎日、すこしまわりで心配する向きもありますが(有り難う!)考えてみると、なんと幸せなことよ。自然に体の疲労感も消えています。
 この日、ぶんじんが力説したことは、児童館にしても、公民館また社会教育にしても、たしかに厳しい現実は否定しがたい、しかし、だからこそ脱皮と再生の論議をする必要がある、希望と未来を語る姿勢が大事なのではないか、ということです。上平さんの話には、いくつもの重要なキィワードがあったように思いました。たとえば、地域のネットワーク、市民の主体的力量、地域がつくるNPOの可能性、行政の脱皮の課題など。
 あと一つ、今回の韓国訪問で「希望」「創造」等という言葉を各地でたくさん聞いたことが関係しているようです。課題はもちろん多い、だからこそ、未来に向けて何を創るか、そんな躍動を実感してきたのです。
 「風」には、釜山そして公州・ソウルの訪問記録が届き始めています。川崎の小田切督剛さんの報告は「…固有名詞の正確な記録に重点を置いて…」書いていただき、長文です。まず冒頭の部分のみ本号に収録、本文は次号以降に分けて掲載します。また福岡・釜山訪問団の石井山竜平(団長)さんの一文も次号まわしとなりました。ご了承を。
上平泰博さん


2065号【2008年7月25日】
■<韓国から帰って>
 韓国の旅、予定のスケジュールを終えて、昨夜(24日)無事に帰国することができました。沖縄に続く韓国行き、かなりの疲れ。同行の皆さんから心配していただきましたが、充実した毎日に興奮さめやらず・・・といったところ。訪問先で歓迎してくださった皆様、多くの方々にお世話になり、まことに有り難うございました。
 今回は(迷いましたが)パソコンを持参しませんでした。風の編集や送信の時間などおそらくないだろう、という予想。梁炳賛(ヤンビョンチャン、公州大学校)教授が用意して下さったスケジュールは配慮にあふれ、濃密・多彩な内容(釜山→公州→ソウル6日間)。判断は正しかったようです。「風」は1週間のご無沙汰となりました。
 釜山を訪問した福岡グループ、そして公州→ソウルをまわった編集委員会グループから、追々とレポートが寄せられると思います。お楽しみに。両グループの皆さん、どうぞよろしく「風」を。
 今度の旅にはいくつかの目的がありましたが、なによりも故黄宗建先生の眠る丘へ追慕のお詣りをすること。当日(22日)の清州は雨、山への道は車も立ち往生するほどの厳しさでした。
 しかし降る雨は黄先生を悼む天の涙、私たちの心を洗い、想いは胸に深く刻まれて、忘れることができない1日となりました。ご案内は親友の金済泰牧師、一行8名。ノートのすみに書き留めた拙い歌を記録としていくつか掲げさせていただきます。
                      −7月22日、昼−
◇雨しとど清州の山濡れそぼつ 亡き人眠る松を探しぬ
               −松を囲み、天に向かって−
◇“黄宗建”三度叫びぬ声かぎり 雨に消されて木霊(こだま)返らず
              −日本と韓国の銘酒、古我知焼− 
◇老友の眠りたまえる松の根にそそぐ樽酒、やんばるの杯 
              −あの歌声が聞こえてくる−
◇歌を愛せし在りし日偲び合唱す“夕焼け小焼け”と沖縄の“花” 
              −共編・韓国本と第11号−
◇二歳(ふたとせ)過ぎようやく捧ぐ追悼の ページを濡らす夏雨悲し
              −帰りの車中、金済泰牧師は語る− 
◇先達の歩みし道の厳しさを聞く若き瞳(め)に未来を見たり
             −愛を説き、正義に生きて−
◇自らの誇り貫く生きざまは多くの語録残し給えり 
   −その夜、公州(忠南教育研究所)の集い
     きれいな星空、あの星に黄先生が・・・−
◇天空に星は輝き緑なす里に人群れマウルの学校  

霊前に「韓国の社会教育・生涯学習」「東アジア社会教育研究」第11号(080722)

黄宗建先生の松を囲んでー案内・金済泰牧師(左3人目)(20080722) *関連写真→■


2064号【2008年7月18日】
■<良き友つどい韓国への旅>
 今回の韓国訪問の日程について、<第1部>福岡−釜山の交流スケジュールは、すでに風2048号にご紹介しました。そして<第2部>公州・ソウルのスケジュールも詳細に決まりました(本号・李正連さんメール)。今日にいたるまで、細心の段取りをしていただいたのは、韓国・公州大学校の梁炳賛(ヤンビョンチャン)先生です。この場をかりて(ヤン先生にも「風」が届いている)、訪問団の一員として、厚く御礼を申しあげます。有り難うございました。
 短い日程ながら、おかげさまで充実した毎日が楽しみ。行きつけの漢方薬局に「良き友つどい中国への旅」という色紙がありますが、今回の韓国への旅もまさに「良き友」の一行。自治体職員、市民、研究者、院生など、加えて後期高齢者もいて、多彩な集まり。第1部(釜山)は福岡・仙台から15人前後、第2部は新本の編集委員会メンバー7〜8人。飛び込み参加の申し出もあり、うまく合流できるかどうかも楽しみ。伊江島からの参加は残念ながら断念だそうです。(上掲)
 ぶんじんと韓国との出会いは、すべて故黄宗建先生から始まります。あれから25年余が経過して、共編者として一冊の本づくりに取り組み、完成の日ともに乾杯する喜びを夢見てきました。しかし、刊行目前にして急逝されたのでした。まことに残念無念! お会いすればよく飲み、歌い、論じあったものでした。いまも黄先生のあの歌声が聞こえてくるような・・・。在りし日を偲び、先生の眠る丘に、日本の銘酒一樽を注ぎ、大好きだった沖縄のヤチムン杯で献杯する予定。本の出版から2年遅れ、ご命日の7月20日から2日遅れで、ようやく霊前に私たちの共同労作『韓国の社会教育・生涯学習』を捧げることができます。
 いま韓国々内は竹島(独島)問題で沸騰、南方には台風が北上の兆し。内外騒然たる韓国への訪問、思い出に残る旅となりましょう。

2063号【2008年7月16日】
■<8月・北海道の全国集会>
 毎年夏の年中行事・社会教育研究全国集会、今年は数えて第48回、札幌で開催されます(8月23〜25日)。今年の話題の一つは、中国・上海からの組織的な参加が実現するかどうか。風・前号でも、呉遵民さんからの「参加の意」ありメールをご紹介。どう迎えるか、通訳の体制をどうするか、などと相談を始めていたところでした。
 しかし、昨晩「緊急!」として、上掲の参加断念の連絡が舞い込みました。一つは、四川大地震の関係で、公的経費が抑制されているとのこと、また同時期に中国各地で開催されるオリンピックとのからみもあるようです。呉遵民さんに折り返し次のようなメールを打ちました。
 「ただいまの“緊急”ご連絡を拝見しました。せっかくの機会、残念ですが・・・委細、了解しました。8月の来日予定については、全国集会(社全協)の関係者にも話し、韓国と中国の新しい交流の機会になると、楽しみでした。次のいい機会を待つことにしましょう。6月16日にお会いして、全国集会へのご案内をして以来、すこし日数が経過しましたので、飛行機やホテルの予約のことなど、かなり心配、その旨のメールを書きかけたところでした。…(略)… 葉忠海先生にもよろしくお伝え下さい。」(Tue, 15 Jul 2008 21:46)
 想えば20年程前の全国集会・木更津集会で、韓国の金信一さん(キムシニル、当時ソウル大学教授、魯武鉉政権下では文部大臣)等3名をお迎えしたのが出発となって、韓国との相互交流は全国集会ですっかり定着してきました。当時ぶんじんは社全協委員長でした。これに中国を迎える全国集会が近い機会に実現することを楽しみにしましょう。
 今回の上海からの「8月断念」を転送したところ、長澤成次さん(現・社全協委員長)から次のメールを頂きました。
 「上海の件、残念ですが了解しました。来年2009年の第49回は長野県阿智村。そして再来年第50回記念集会は東京周辺ということになります。第50回の時は東アジアがそろうといいですね。」

2062号【2008年7月15日】
■<島に沈む落日>
 まず訂正。前号本欄で三つの間違いあり、申しわけありません。一つは「西塘大祭」、西「糖」と誤記していました。二つめは「渡具知裕徳氏」、渡具「地」と、また「御嶽」は御「獄」と、漢字一文字を間違っていました。読み直して恐縮しています。那覇のホテルで急いで書いて(出発に追われ)そのまま送信、こんなミスが出たのです。(下掲・2061号日誌は訂正すみ)
 「南の風」には、この他にも発行人が気づかない間違いがいろいろあること疑いなし。しかし当方が年長の故もあってか、皆さんからのご指摘はほとんどない。ときにHPの日付・曜日のミスを正していただく程度か。しかし遠慮のないところで、修正や補足や、ときには批判などのメールも頂きたいもの、秘かに期待しているところです。
 最近は、親しい仲でも、そういう相互指摘、あるいは遠慮のない批判の関係が失われてきたように思います。せっかくの研究交流誌、「風」ではときにテーマを設けて率直な意見のぶっつけあいを企画してみたいと思いながら・・・、しかし、うだるような暑さのなかでは、それは無理でしょうね。秋になったら考えることにしましょうか。
 今回の沖縄調査では、ご紹介したいこと、お裾分けしたい資料などがたくさんあります。風には案外とスペースがなく、HPに収録するようにいたしましょう。それでも入力がたいへんですが・・・。
 HPにはまず写真を5枚ほど掲載しています。なかでも竹富島で7月11日夕に撮った「西表島に沈む落日」(表紙写真→■)。たまたま上勢頭芳徳さんたちと偶然に浜に出たときのものです。日の入りの、太陽という神のもつ言い知れぬメッセージ。あくせくと仕事に追われ、人とメールに疲れたときなど、HPを開いて、心を洗ってみたいと思いました。

2061号【2008年7月13日】
■<竹富島から帰って>
 いま那覇にたどりついて、3日ぶりのパソコンを開き、この日誌を書いています。毎日の暑さ、しかし心地よい(とくに竹富の)海からの風。猛暑の日本各地よりも、夏は沖縄の方が過ごし安く、快適?と思うほど。
 前号までの本欄記録は、7日の名護で終わっていました。その後、毎日お一人のリズムで、沖縄青年団運動の“長老”たちとお会いしてきました。お一人は渡具知祐徳氏(沖縄県青年団協議会・第8代会長、のち名護市長4期)、そして伊礼清助氏(同第11代会長、佐敷町議長など)、比嘉正儀氏(同第16〜17代会長、北中城村議会議長など)。案内役は安谷屋幸勇さん(沖縄県青年会館・常務理事)。それぞれの静かな語り口のなか、かってのアメリカ占領下の激しい状況、地域と取り組んできた情熱がにじんできて、貴重な証言収集のひととき。
 これらを本欄に書く余裕もないまま、10日より竹富島に渡っていました。4ヶ月半ぶり。ちょうど西塘大祭(西塘ばんはじり)に合わせての訪問です。阿佐伊拓さん(NPO たきどぅん)の誘いによるもの。神司の方々の「ゆんぐもり(夜籠もり)」、公民館執行部と集落長老による各御嶽(おん)での礼拝。翌早朝(6時)からの行事にも、ぶんじんとしては珍しく早起き、見学させていただきました。
 あわせて、はじめて公民館所蔵の歴史資料を拝見、また「公民館議会」についての聞き取りなど、収穫の多い旅。宇根勝末・公民館長をはじめ、阿佐伊孫良、上勢頭芳徳、前本多美子などの皆さん、泊まった内盛荘の方々にもお世話になりました。
 竹富島には、予感?通り、桑原重美さん(元NHKカメラマン)が登場。軽いフットワークは、今やぶんじんのライバルです。帰路は二人で石垣「島そば一番地」(新垣重雄さん経営)で美味しいソバとビール。皆さま、今回もまたお世話になりました。有り難うございました。関連写真→■
真知御嶽(まーちおん、080712)
 写真撤収

2060号【2008年7月10日】
■<楽しい午後のお裾分け>
 6日夜の名護の交流会、参加メンバーの皆さんは3月下旬・上海訪沖団を歓迎していただいた方々です。博物館中庭での盛大な集い、一緒に舞ったカチャシーなど思い出し、あらためての御礼を申しあげました。「心はひとつ」と日・中・韓で肩を組み合った大国林道の宴席も懐かしく、思い出話いろいろ。
 7日午後は、山城秀夫さん(大国林道)夫妻の車で、まず古我知焼の窯元へ。3月には上海の皆さんに差し上げた小さな記念の皿を、今回は7月22日(予定)黄宗建先生追悼・献杯用の杯10ヶを、特別の値段で頒けていただきました。下旬の韓国行きに持っていきます。小品ながらいい作品。お楽しみに。
 そのあとが楽しいエクスカーションでした。まず屋我地島・運天原の船だまりに繋留されている山城所有「シーマン2号」とはじめて対面。遠く太平洋にも出漁する大きな船です。そのうち乗せてもらいたいもの。山城別邸(予定地)で一やすみ。古宇利大橋をのぞむ海辺の一角、巨岩も含んでかなりの面積。聞けば別に製材工場や(自慢の琉球松等の)貯木池を所有し、蛍も乱舞しているとか。山城夫妻は大きな夢を楽しんでいる様子、5年後?が期待されます。
 さらに古宇利島に足をのばして、解禁されたウニのどんぶりに舌鼓をうちました。ご馳走さま。帰路は多野岳(383m)に登り、古宇利島を遠望(写真)。夜は大国林道でなが〜い島酒。正敏さんの迫真のハブの話など聞き、時を忘れ、山田荘に帰ったのは12時をまわっていました。以上、やんばるの楽しい1日をお裾分けしたつもり。
名護・多野岳(383m)より古宇利島を望む、遠くに伊是名・伊平屋の島々(080707)
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2059号【2008年7月8日】
■<やんばるの夜>
 本号はじめて農中さん親子のメールを並べることが出来ました。画期的!というべき。まず上野英信の軌跡を綴った「闇こそ砦」(川原一之)の紹介文が着信(至くん・上掲)。かって筑豊で上野英信さん家族や川原さんと交流があった頃の回想(茂徳さん)をリクエストしたのです。
 至くんへ「 … 川原一之さんのこと、お父さんから何度も聞きました。ちょっと回想を書いて(10行でも20行でも)南の風に送ってくれないかなぁ・・・、無理だろうね・・・」と。そして、折り返しの返信が来たという次第。
 名護・屋部(「眉屋私記」の舞台)の比嘉久さん(名護市教育委員会)に早速「闇こそ砦」のこと、話しておきました。川原一之氏のことはよく知っている人のようでした。
 比嘉久さんたちと会ったのは、6日午後から夜にかけて、名護・底仁屋・島袋正敏さん「サガリバナ(澤藤)」の敷地での交流会。有名な御神松(ウカミマチ)の下、新しく建築予定の別邸は「松風庵」と名付けるそうです。集まった人、およそ60人。8日に退任が予定されている稲嶺進教育長をはじめ、博物館、島酒之会、ぎゃらりー「みんたまあ」、大国林道等のメンバ−。それに近所の方たち、遠くからは読谷(比嘉豊光さん)、沖縄市(小橋川共男さん)、それに東京(ぶんじん)など。中村誠司さん・正敏さんも並んで5人の写真(下掲)。
 日が入る頃から咲き始めるサガリバナ(名護市花)の幽玄さ、その甘い芳香を初めて知りました(上掲・写真)。空に三日月(星もきれいだった!)、この日に合わせて完成した等身大のシーサー2体(小さい方をHP表紙へ)、横に流れるせせらぎ、点滅する蛍たち、鍋には山羊、そしてオリオンビールと島酒。(次号に続く)

島袋正敏さん畠「サガリバナ」・・・     ↑左より小橋川、小林、島袋、中村、比嘉の各氏(080706)


2058号【2008年7月6日】
■<“ソーシャル”への関心>
 韓国「社会的企業」視察の旅が企画されています(日本希望製作所−上掲)。ちらしによれば、2007年7月に施行されたという韓国「社会的企業育成法」。興味深い内容。金侖貞さん(首都大学東京)から送っていただいた日本語訳があります。日本希望製作所(姜乃栄さん)からも。関心ある方はご一報を。転送させていただきます。
 同法第2条(定義)によれば、「社会的企業」とは「脆弱階層に社会サービスあるいは働き口を提供し地域住民の暮らしの質を高めるなど社会的目的を追求しながら財貨及びサービスの生産・販売等を遂行する企業」、「脆弱階層」とは「自分に必要な社会サービスを市場価格で購買することに困難のある階層」、「社会サービス」とは「教育・保健・社会福祉・環境及び文化分野のサービスその他それに準じるサービス」等。
 ヨーロッパでは1990年代初頭からの動きと聞いていますが、韓国でも先進的な取り組み、魯武鉉政権下で法制化を実現しているのです。日本では、経済産業省におかれた「ソーシャルビジネス研究会」が具体的な支援策を盛り込んで報告書(4月)をまとめたとか。
 ソーシャル・キャピタル、ソーシャル・エンタープライズ、ソーシャル・イノベーション、あるいはゾティオ・クルツア(社会文化)など、いま「ソーシャル」が一つのキーワード。社会教育も直訳するれば「ソーシャル」な教育です。ただし「学校教育以外の社会の・・・」という領域論だけだと単純ですが、いま注目されている(国家、企業、とは別の・・・)「ソーシャル」の視点から考えると、ちょっと別の風景が見えてきて面白くなるように思われます。
 せっかく沖縄に来ているのに、なんだか固い話になってしまいました。

2057号【2008年7月5日】
■<塀を乗り越えて>
 3日夜から4日朝、合宿て韓国向け出版の編集会議。翌朝5時までの熱のこもった論議・検討。ぶんじんは4日朝からの先約があり、申しわけないのですが、3日夜遅く失礼しました。
 合宿の川崎市「青少年の家」(宿泊施設)、伊藤長和さんが送りに出ていただきました。ところがすでに閉門。管理の方に入り口は開けてもらったものの、その先の門扉は閉まったまま。「越えましょう」と伊藤さん、ひらりと塀の外へ。そのあと・・・後期高齢者は、ひらり、というわけにはいかず、四苦八苦、思わず足腰の衰えを実感する機会に。
 しかし、なんとか抜け出すことができて、まだ大丈夫だ、と妙な自信をもちました。若い世代には負けるけれど、塀をまたぎ、壁を越えながら、まだ人生は続くのだ、などと大げさに納得した次第。
 5日から沖縄です。山城千秋さん(熊本大学)の橋わたしがあり、沖縄県青年会館常務理事・安谷屋幸勇さんと電話で相談。復帰運動下・青年団運動を担った人たちに連絡をとっていただき、3人の方の証言を聞くことが出来そうです。
 少し余白?がありますので、スケジュールを記しておきます。どなたか突然に現れそうな予感もあり、ご参考までに。
 7月5日(土)東京→那覇
   6日(日)那覇→名護(底仁屋・御神松の下で交流会、16:00〜)
   7日(月)沖縄青年団運動史・聞き取り(渡具知祐徳氏予定)
   8日(火)名護→那覇、同(午後・比嘉正儀氏予定)
   9日(水)同(午前・伊礼清助氏予定)
  10日(木)那覇→石垣→竹富島へ
  11日(金)竹富島・公民館資料調査、西塘大祭・夜ごもり
  12日(土)午前・西塘大祭、午後・石垣へ→那覇
  13日(日)那覇→東京へ
 那覇・名護の泊まりはいつもの宿、竹富島は今回は内盛荘です。

2056号【2008年7月3日】
■<李仁夏先生を悼む>
 川崎の李仁夏先生(在日大韓キリスト教川崎教会名誉牧師・社会福祉法人青丘社理事長)、6月30日ご逝去のニュース。まさに悲報! 多くの皆さんが悲しんでおられると思います。こんな方こそが長老と呼ぶにふさわしい、お会いするたびに印象深く、いつも得難い風格を備えておられました。
 一昨年の秋、私たちの『韓国の社会教育・生涯学習』出版記念会でお話しくださいました。急ぎお送りした本を開きながら、「全部読みました、知らないことがいろいろありました、とくに副題の“市民社会の創造に向けて”がいいメッセージ」という趣旨のことを仰いました。あの時を思い出しながら、当日の写真を探しました。出版祝賀の会は同時に「黄宗建先生追悼」の会でもありましたが、その「追悼」の文字の前の李仁夏先生のお姿・・・、まことに残念というほかありません。
 お別れ会は7月12日(土)(14:00ー16:00、在日大韓キリスト教東京教会−JR飯田橋徒歩8分)とのこと。その日は沖縄調査のため、東京を離れています。欠席・失礼をお許し下さい。
 『韓国の社会教育・生涯学習』出版は、その後、韓国で『日本の社会教育・生涯学習』を刊行しようという企画につながりました。この1年半の編集作業が実って、ほぼすべての原稿が集まり、これからハングル訳を経て、ソウル(学志社)で出版されることになります。たまたま本日(7月3日)は、実質的に最終編集会議、川崎での合宿です。
 在りし日の李仁夏先生を偲びながら・・・。
 李仁夏先生(20061014・出版記念会) 


2055号【2008年7月1日】
■<沖縄「奥共同店・創立百周年記念誌」>
 長野県の「公民館活動史U」に続いて、どっしりと重い本が届きました。沖縄県国頭村の奥共同店『創立百周年記念誌』(2008年3月刊)です。ケース入り、A4版、718頁、表紙布張り、見事な出来映え。
 「あとがき」によれば、「本書の発端は、奥の出身である宮城悦生氏(琉球大学名誉教授)が退官後、区議事録及び共同店議事録を整理する中で、その素晴らしさに感動し、何かの機会に後輩子弟に伝え、これからの村づくりに生かすべきではないかとの思い」から始まり、共同店百周年の記念事業として実行委員会・編集委員会が設けられ、取り組まれてきた経過だそうです。貴重な記録です。とくに後半に収録されている「奥区議事録」「奥共同店議事録」「奥共同店店則」他の第一次史料が大きな比重をもっています。
 数年前に沖縄の字誌づくりの成果に触発されて、沖縄独特の「集落育英会」について書いたことがあります(『東アジア社会教育研究』第10号、2005年)。約25集落を取り上げていますが、奥区については、資料的に手が及びませんでした。
 今回の『百年記念誌』に収録されている「奥共同店店則」(旧大正6年頃)に「本店ニオイテ学事奨励貯金ヲ取リ扱ウコトヲ得」(第17条)とあり、同貸付規定の中に学事奨励規定が設けられていることを知りました。やはり今世紀初頭から、本格的な集落奨学金制度があったのです。宮城悦生氏も第1章「奥共同店の歴史」のなかで、「育英資金」について書いておられます。
 ページをめくりながら時を忘れました。たとえば青年会について「共同積立金、道路を開墾シ並ビニ集会所ヲ建築シタルコト、夜学会ニ関スルコト、風俗改良ニ関スルコト」(明治45年末記録)など興味深い。
 奥区に深く関わってこられた中村誠司さん(名桜大学)には、実行委員長・島田隆久さんなどから熱い謝辞。ご苦労さまでした。この機会に「風」にぜひ一文を。
大作2冊「奥共同店・創立百周年記念誌」、下は「長野県公民館活動史U」


2054号【2008年6月30日】
■<「ボルグ(泉)」で七夕の会>
 今年の七夕の会は、例年よりすこし早めに6月28日。しかし笹も短冊もなし、七夕の歌でもうたえばよかった。もともとは、海を越えてはるばる研究室にやってきた留学生の歓迎会として始まりました。25年ほど前のこと。いま新年会と並んで大事な年中行事となりました。年に一度ぐらいは、日頃の憂さを忘れて、顔をあわせお酒でも楽しもう、という気楽な会です。
 今年は、話題の多い七夕でした。「ご案内」には、〜「南の風」2000号、富美さん快気、平林さん・真理子さん退職、チャガンボルグさん開店祝いも兼ねて〜とありました。
 初めてご参加の方あり、文字通り年に一度会う人あり、もちろん常連の顔も揃って、まずは皆さん、お元気で何より。
 会場の西池袋「ボルグ(泉)」はモンゴル家庭料理店、研究会メンバーでもあるチャガンボルグ(白い泉)が開いた店、この5月に開店したばかりです。兄弟姉妹の力を合わせて、ひたむきなサービスが料理の味をいちだんと高めてくれます。花束がいくつも用意されていて恐縮しました。「南の風・2000号」にも頂きました。当方はまったくの手ぶら。いただいた花束を、そのまま「ボルグ」の皆さんに捧げました。
 店は池袋駅の西口、地下鉄の出口を出てすぐの目抜きの場所。おそらく家賃負担もかなりのものか。頑張ってほしい。繁盛を祈って乾杯しました。
 今年のビッグニュースは、新しいカップルの誕生。お二人にも花束の贈呈(「ボルグ」より−HP別頁に写真→■)。別の新婚組も話題になりましたが、当日あいにく旅行中とのことでした。


2053号【2008年6月28日】

■<『公民館史資料集成』の続編を>
 前号・本欄のニュース『長野県公民館活動史U』発刊について、同編集委員会事務局の大役を担われた高橋伸光さん(松本)から、あらためて労作のご紹介をいただきました(上掲)。有り難うございました。足かけ4年の大仕事、重い本を開いて読んでいくと、文中に、信州の公民館を支えてきた皆さんの顔が浮かんできます。
 この本は、前号にも触れたように、同書1986年版の“続編”。その要約・補完をしつつ、1980年代以降の展開が勢いよく書かれています。この本から、私たちはあらためて大きな宿題をつきつけられた思い。
 『公民館史資料集成』(横山・小林共編、エイデル研究所)のことです。同じ1986年の刊行。しかしここに収録されている資料は戦後初期から1970年前後まで。例外は東京「新しい公民館像をめざして」(1974年、初出1973年)のみ。三多摩テーゼを加えることによって、30年の公民館史がなにか引き締まる感があったからでした。
 戦後公民館史60年のうち、いわば前半の史料は収録できていることになります。しかし後半30年は課題として残されました。当時まずは散逸しがちの戦後初期・稀少史料から復元していこうという判断。そのうちに歳月が重なれば、きっと1970年代以降の続編を編むことになるだろう、言葉にはしていないけれど、お互い共通の期待としてあったように思います。
 同時にまた、戦後前半部分にも大事な史料の欠落があり、その後に発見された貴重資料もあります。この補完も含めて、「続編」を作れないものか、と今回の信州の公民館史Uから課題を再確認させられたかたち。
 古本市場ネットで探しても、『公民館史資料集成』の姿はまったく出品なく、今や幻の本となりました。姉妹編『社会教育法成立過程資料集成』はたくさん並んでいるのに・・・。その意味でも、誰か身を乗り出して「続編」づくりに取り組んでほしい。
「公民館史資料集成」1986


2052号【2008年6月27日】
■<「長野県公民館活動史U」刊行成る!>
 本号は、この1両日の“ぶんじん”へのメールのなかから、あえて短信を選んで掲載しました。なかには個人情報的なものもありますが、ご了承いただけるものと、勝手に判断しての収録。本格的な(型にはまった?)レポートでなければ、「風」には向かない、という最近の風潮を脱皮する試み。…と書けば、メール送信を控える方があるかもしれませんね。それは、困ります。また掲載不可のものは<私信>と記して下さい。
 この1両日の大ニュースは、なんといっても、待望の「長野県公民館活動史U」(長野県公民館運営協議会、5月23日発行)を送っていただいたこと。A4版、499ページ、美装・ケース入り、大作です、ずしりと重い!
 ご存知のように、長野県公運協は1986年「長野県公民館活動史」(T)を発刊しています。その続編です。まず前編の「要約と補完」(第1部、110ページ)。さらに、その後の「1980年代以降の長野県の公民館」(第2部、190ページ)。そして「分館・自治公民館の設置と活動」(第3部)、「公民館活動を担う職員の役割」(第4部)など。最後に「長野県の公民館の今後−総合的な地域づくりの拠点として」(第6部)という構成。資料編も詳細、「信州の公民館7つの原則」が冒頭に掲げられています。
 編集を担われた方々に「南の風」へのご紹介をお願いしたいと思っています。入手方法も。新版「公民館の風」(内田・発行)へも、どなたか一文を送っていただきたいもの。

2051号【2008年6月25日】
■<摩文仁「平和の礎」と「うつろな目の少女」>
 今年の沖縄・慰霊の日(6・23)を報じるテレビでは、摩文仁「平和の礎(いしじ)」の映像がたくさん出てきました。その前で涙を流す遺族、座りこんで刻字された名前に語りかけている人など。この3月に上海から訪日の皆さん(華東師範大学一行)を案内した日と重なってとくに印象的。その一人、呉遵民さんはいま日本滞在中(おそらく九州?)、どこかでこのテレビをみているかしら、などと思いながら・・・。
 沖縄戦について、また戦後沖縄の歳月について、あまり説明もしないで、摩文仁を案内した後悔。「ひめゆり平和祈念資料館」にも入ってくれませんでした。摩文仁の丘では違和感、というより反発もあり。しかし佐喜真美術館を経て、名護の夜では「心はひとつ」、肩を抱き合ったのでした。徳田球一の碑の前にも立って、想い出ぎっしりの旅。
 あとひとつ。この日の報道では数社が「うつろな目の少女」(『これが沖縄戦だ』沖縄タイムス社刊、表紙写真)を取り上げていました。この少女は実は男の子(大城盛俊さん)、現在すでに75歳。実母はスパイと疑われて手榴弾により死亡、ご本人は、日本兵に殴られて右目失明、ようやく保護され米軍の手当てを受けている放心状態の写真が、太田昌秀氏(編者、当時・琉球大学教授)等によって表紙に使われた経過だそうです。
 朝日新聞が一面トップ(23日夕刊「残酷なのは戦争」)に書いていますが、八重山毎日新聞の記事(22日、石垣市での講演記録)を拝借、ご紹介することにしました。(上掲)
 慰霊の日の夜、TBSニュース23は摩文仁「平和の礎」の前に太田昌秀さんをゲストに招き、「うつろな目の少女」や沖縄ケイビン鉄道の大事故(1944年12月、日本兵200人死亡)、首里城の地下に眠る遺骨等の興味深い証言が続きました。元沖縄県知事もお元気そう。



*南の風・2001号〜2050号






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