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 <目次>
8,「躍動する韓国の平生学習が示唆するもの」(『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』
             エイデル研究所、2017) 特論 (小林)

9, 『躍動する韓国の社会教育・生涯学習』中国語版
王国輝・楊紅訳、清華大学出版社刊、
  2022
)、「序」韓民
王国輝訳)
 
10, 韓国・平生教育の歩みに刺激されて (2023年1月23日 小林)
  『地域社会教育で両国を結ぶ』(ハングル版  編・訳:梁炳賛李正連、 公州大学刊)
11,





8,特論 韓国・平生教育の躍動が示唆するもの        
        −平生教育・立法運動に関連してー
   小林 文人
   *梁炳贊、李正連、小田切督剛、金侖貞共編 『躍動する韓国の社会教育・生涯学習
           −市民・地域・学び』(エイデル研究所、2017年)所収

1、韓国の社会教育・苦節の半世紀 
 韓国の社会教育史は重い。戦前日本植民地支配の重圧に呻吟してきた歴史があり、戦後解放後においても南北分断、朝鮮戦争による破壊・混乱、そして軍事政権下の圧制を強いられてきた歳月が続いてきた。その苦節の歴史を乗り越え、「民主化抗争」(1987年)を経て、新しい改革が胎動し躍動の道が始まるのは1990年代、戦後解放から半世紀が経過していた。
 その間、大韓民国憲法に「国家は平生教育を振興しなければならない」(第31条・現)条項が盛り込まれ(1980年)、「社会教育法」が制定された(1982年)。しかしこの時期は全斗煥政権下、軍事支配・戒厳令のもとで社会教育法はあまり機能しなかった。厳しい国家統制下では社会教育の自由や自治が伸びやかに進展するはずがない。社会教育法の諸規定も実質的に地域定着していく状況にはなかったであろう。
 筆者は、朴正煕大統領暗殺後、全斗煥政権が登場する間隙(「ソウルの春」)に韓国社会教育協会による社会教育立法「専門家会議」に招かれ、日本の社会教育法について報告する機会を得た(1980年2月)。初めての韓国訪問であり国際会議であった。当時の主要な社会教育学者や関係団体リーダーと出会った数日は、いまも鮮明に憶えている。そして2年後に成立した韓国社会教育法が日本社会教育法と比較的に類似した構成であったことに驚いた記憶も残っている。
 法制定から10年を経て、私たちの研究室(東京学芸大学・当時)は「韓国社会教育法の地域定着」調査の旅を企画し、2度目の韓国訪問に出かけた。東アジアにおける「四つの社会教育法」(日本、台湾、琉球、韓国=成立順)に関心をもつものとして、大きな期待を寄せた調査行であった。しかし「もちろん調査は不十分であるが、法制化に基づく公共的な社会教育の体制や条件整備等の具体的な『法の地域定着』はあまり定かには見えてこなかった」と報告に記している。*1

2、平生教育法を生み出した時代激動 
 1990年代のポスト冷戦・グローバル化の国際情勢のなか、韓国の社会教育史は「平生教育」(生涯教育)の時代へと舵を切っていく。目をみはる展開によって、社会教育法は平生教育法へ全面改正(1999年)された。
 平生教育法へ改正されていく時代状況はどのようなものであったか。日本の戦後社会教育史が経験したことのないような歴史的な激動を背景としていた。一つは民主化抗争(1987年)を経て登場した金泳三・金大中と続く文民政権の新しい政治状況があった。金泳三政権のもとで大統領諮問教育改革委員会(委員長・金宗西)は「開かれた教育社会・生涯学習社会」構築をめざす「教育改革方案」(1995年)を提起し、これが平生教育法へ胎動していく契機となった。二つには地方自治制度が復活され(統一地方選挙、1995年)、国家政策の自治的な地域定着の基盤が形成されることとなる。三つには、何よりも1990年代を特徴づける市民運動(経済正義実践市民連合・1989年、参与連帯・1994年など)、多彩な市民団体の躍動があった。代表的な11市民団体が連合して民主市民教育フォーラムを設立し、民主市民教育支援法の制定運動にも取り組んだ歴史が、本書・金民浩論文(第1章1節)に感動的に記されている。民主化と地方自治そして市民運動の潮流のなかで平生教育の新しい法制がスタートしたのである。
 
3、平生教育法改正の躍動性
 前世紀末に成立した平生教育法は、10年を経ずして新「平生教育法」に全面改正された(2007年)。その後の10年において、すでに8次にわたって実質的な法改正が重ねられてきている(資料編・平生教育法改正)。たとえば画期的な障害者平生教育の振興、邑・面・洞の平生学習センター、文解(識字)教育充実等への積極的な法改正が盛り込まれた。日本社会教育法も70年近い歴史のなかで大きな改正をいくつか経てきているが、法は守られるべきものという意識が底流となってきたのに対し、韓国では法はむしろ積極的に変えられるべきものと言えるような、旺盛な改革意識の奔流に注目させられる。法の制定・改正への活力が韓国平生教育の躍動を象徴しているように思われる。
 社会教育法から平生教育法への跳躍と、その後の積極的な法改正のダイナミックな展開が重ねられる過程で、ある種の類似性があった韓国と日本の両法制はいま大きな開きをもつに至った。日本社会教育法は静かに停滞し、韓国平生教育法は明らかに躍動の渦をつくってきている。韓国平生教育法から学ぶべき点は、内容だけでなく、その立法・改正への論議と運動の展開にあるだろう。今世紀に入って韓国の平生教育制度・実践は、この法制と連動する積極的な国家政策と、地方自治体の活発な自治的施策(たとえば地域個性的な自治体平生教育振興条例など)によって、これまでにない歴史的な模索から発展の道を拓いてきていると言えよう。

4、平生教育にかかわる立法運動
 平生教育法の成立から、まだ20年を経過していない今日、法の地域定着や具体的な展開過程にはおそらく多くの屈折・矛盾・課題が内包されているに違いない。韓国独自の平生教育制度はいままさに形成途上にあり、生みの苦しみとの格闘にあえぐ側面もあるだろう。そのことを前提とした上で、私たちは短い韓国平生教育史の流れから刺激的な躍動を教えられてきた。70年近い蓄積をもつ日本社会教育にとって注目すべき点は何か。第一にあげるとすれば、苦節の歴史を含めて、法制定に向けての活発な立法運動、その持続的な取り組みであろう。学会や市民運動は自ら求める法制に向けて数々の論議と運動を重ねてきた。
 まず社会教育法制化の歩みをたどってみると、最初に社会教育法案の提起が行われるのは1949年のことであった。法成立まで34年を要したことになる。その過程ではとくに韓国社会教育協会(1976年創立、学会関係者が主要メンバー)を中心とした積極的な立法運動があった。1990年代の平生教育法に向けての取り組みでは、大統領諮問教育改革委員会による改正「試案」が出され、当局側もまた関連機関・大学・団体の意見を聴取し公聴会等を実施するなど、曲折の論議を経ての法制化の歩みであった。*1
 こうして成立した平生教育法はその当初から、学会関係者・平生教育士当事者等による活発な改正論議に包まれてきた。立法にあたる国会議員が学会論議に参加し、また学会関係者は議会へのロビー活動を行ってきた。この動きが法の全面改正(2007年)につながり、この新「平生教育法」についても、次なる改正に向けての立法論議が持続されてきた。たとえば梁炳賛は2009年の時点で次のように証言する。
 「我々はまた平生教育法を改正しなければならない。得たものも多いけれど、まだまだ限界も多い。」「当時、法改正にあたり、政府や国会の方から我々に意見を求められました。その時に事前に準備ができていなかった点や、学会の間ですら合意ができていなかった点、法改正が切迫してからそれに対応するのはとても大変なことだということが分かったのです。きちんと前々から準備し検討しておく必要がある」という経過であった。*2
 研究者だけではない。平生教育士関係者は、当事者として専門職制度の充実に向けて果敢に法制論議を展開し、さらに全国的な拡がりをめざして実践協議会としての運動に取り組んできた。*3

5,日本の社会教育法制に関して
 戦後日本の社会教育法(1949年)の立法過程と対比してみるとどうか。東アジアでは最も早い法制定であったが、法案は文部省当局によって策定され、国会論議と議決のあと、国民に下達された流れであった。戦後直後のことであり、社会教育の専門的研究や学会等も当時は未発の段階という事情にもよる。しかしその後の法改正や生涯学習関連法の制定(1990年)にあたって、韓国にみられるような専門学会・関係団体による活発な立法論議や運動が広範な拡がりをみせるという経験をもつことはなかった。学会や市民運動の側でも、法の解釈研究や「法改正・反対」の防衛論議はみられたが、立法論・立法運動の蓄積は微弱なままにとどまってきたと言わざるを得ない。
 日本でも社会教育・生涯学習に関わる立法論はもちろん皆無ではない。たとえば日本教育法学会によって教育条件整備法の研究が取り組まれ、その実現のための運動が提起されたことがある。*4 しかし立法・行政当局と学会・社会教育団体との間には距離があり、立法論・改正論議を交換・共有するような関係は残念ながら定着してこなかった。その点で夜間中学関係者等による立法運動が重ねられて実現した今次の「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」(義務教育機会確保法、2016年12月)の立法経過は貴重である。

6、多元的セクターの拡がり
 平生教育法は、日本社会教育法と相対的に類似の構成をもっていた韓国・旧社会教育法から大きく跳躍(全部改正)するかたちで登場した。日本と韓国の間にはある種の近似性を想定しがちであるが、両者の制度骨格には大きな差異があることに注目しておく必要がある。その違いは、韓国平生教育における機関や施設の提供者(プロヴァイダー)6 の多元的な拡がりに見ることができる。たとえば機関・施設の運営主体はどこにあるか。そこに配置される専門職員の位置づけはどうか。
 平生教育法では、「国及び地方公共団体」(公的セクター)の果たす役割が基本的に重要(第5条)であるが、「平生教育を実施する者」(第7条)「平生教育機関の設置者」(第28条)は行政機関に限定されない。平生教育の提供者・運営主体は制度的にむしろ多様な拡がりをもっている。その意味で日本社会教育法が公的セクターの任務を重視する一元的な構成であるのと対照的に、韓国平生教育法は多元的セクターの拡がりを用意していると言うことができよう。
 たとえば「平生教育機関」(平生教育法第5章)としては、学校、学校付設、学校形態、社内大学形態、遠隔大学形態、事業場付設、市民団体付設、言論機関付設、知識・人材開発関連の「平生教育施設」に関する規定が設けられている(第28条〜38条)。専門職としての「平生教育士」は、平生教育機関に「配置しなければならない」(第26条)規定である(日本社会教育主事のように公的機関・施設に限定されるのではない)から、これら多様な機関・施設にいわば多元的に配置されることになる。法改正直後の「教育人的資源部」内部資料(2007年)によれば、平生教育施設配置の職員(7,145人)のうち、「平生教育士」資格をもつ職員(977人)が、平生学習館(公的セクター設置あるいは指定、第20条)だけでなく(22%)、学校付設(20%)や事業場付設カルチャーセンター(17%)等に多様に配置されている。7 平生教育士の公的セクター配置は全体の4分の1に過ぎない。この「現況」表によって、日本社会教育との制度的な差異を再発見した思いであった。
 韓国平生教育制度における、いわば多元的セクターの拡がりをどう考えるか。日本社会教育法制は「国及び地方公共団体」の公的セクターとしての役割を重視し、社会教育の条件整備・環境醸成の任務を一元的に公的セクターに求めている。私立の図書館・博物館や、社会教育法における公民館類似施設の規定(社会教育法42条)等を別にして、制度的には明確に公的セクターに一元化された骨格が形成・蓄積されてきた。公的な政策動向によってはその骨格そのものへの影響が大きくなってくる。
 逆に(相対的に)多元的セクターの韓国平生教育では、主要な役割を果たすべき公的セクターの充実が求められている。たとえば平生教育士の「公務員職列化運動」の動きはその例であろう。8 他方、日本では近年の新自由主義政策の横行により、それに翻弄されるかたちで「公的セクター」削減や民間セクター委託の動きが拡大し、社会教育制度は停滞・混迷の度を深めている。このような状況から見ると、一元的な制度骨格の脆弱さが露呈していると言わざるをえない。

7,韓国平生教育の躍動から学ぶ
 韓国の平生教育関係者は、この20年、平生教育法の立法・改正に取り組む過程において、日本の公的社会教育の蓄積や施策から吸収するものが少なくなかった。いま新たな目で、日本が韓国の平生教育の法制・実践の躍動から学ぶ必要があるだろう。日本の70年近い歳月を支えてきた社会教育法制について、あるいは自治体の関連条例・規則について、法理念を確かめつつ諸条項を実質化する取り組みが求められる。改めて現代の時点における社会教育法の新たな立法論議を深め、「法を守る」だけではなく「法を創る」視点と運動の重要性を韓国の平生教育現代史は教えている。
 韓国「平生教育」は「生涯教育」の意味である。日本の社会教育もまた生涯教育・生涯学習の思想と潮流から分離するのではなく、積極的にこれと結合し、現代的な施策や計画を構築していく必要があろう。そこでは国治体の行政だけではなく、自ずから多元的セクターの拡がりとネットワークが重要になってくる。もともと生涯にわたる人々の学びと文化の活動は、多面的な拡がりをもち、さまざまの課題(地域、環境・人権、健康・福祉、労働・職業、産業など)と取り組むことによって、多元的な関わりをもたざるを得ない。現実の人々の活動や実践の実像は、社会教育・生涯学習の法制の枠組みを大きく飛び越えて、激しく動き、大きく弾んでいる。
 筆者は、1980年・韓国「社会教育法」立法との出会いを契機に、1990年代以降の「平生教育」の胎動・躍動の歩みに折々に触れる機会があった。以上の拙論は、平生教育法制論に関わるものであるが、もちろん韓国平生教育現代史から受ける刺激はこれに尽きるものではない。専門職・平生教育士の全国組織(平生教育士協会、平生教育実践協議会等)の運動、リテラシー(識字、「文解」)への研究・実践の取り組み、平生学習都市造成の政策と地方自治体の自治的な努力、最近の邑・面・洞などの地域平生学習センターの動きなど、日本との対比において書いておきたい課題は多いが、すでに紙幅も余力もなくなってしまった。資料をお寄せいただいた各位にお詫びしたい。
 
1,小林「韓国社会教育への旅−韓国・社会教育法10年」、
 東京学芸大学社会教育研究室『韓国の社会教育をたずねて』1992年
2,李熙洙「平生教育の展開と課題」、
 黄宗建・小林・伊藤長和編『韓国の社会教育・平生学習』エイデル研究所、2006年、所収
3,TOAFAEC年報『東アジア社会教育研究』第14号、
 「東アジアの社会教育・生涯学習を考える」第150回研究会・座談会、2009年
4,李揆仙「共に生きる共同体を夢見る人々ー平生教育実践協議会の設立と活動を中心に」、
 TOAFAEC『東アジア社会教育研究』第15号、2010年、所収
5,小林「社会教育立法運動の系譜」、
 小林・藤岡貞彦編『生涯学習計画と社会教育の条件整備』エイデル研究所、1990年¥大
6、佐藤一子「草の根に拡がる世界の社会教育施設」、
 小林・佐藤一子編『世界の社会教育施設と公民館』エイデル研究所、2001年、p13
7,梁炳賛「韓国平生教育専門職制度の現況と課題」、
 TOAFAEC『東アジア社会教育研究』12号、2007年
8, 梁炳賛「韓国における平生教育士配置の新たな課題?公務員職列化運動を中心に?」
 TOAFAEC『東アジア社会教育研究』16号、2007年






9,躍動する韓国の生涯教育』(中国語版)への「序」(韓民)、王国輝訳 
  (日)小林文人、(韓)梁炳贊、(日)小田切督剛共編 (清華大学出版社刊、2022)


 小林文人、梁炳賛、小田切督剛三氏が編集し、楊紅、王国輝両氏が翻訳した「躍動する韓国の生涯教育」と題する本書が中国で出版されることになり、大変嬉しく思います。本書への序文を求められ、要請に応じて書かせていただくこと、誠に光栄に存じます。
 嬉しく光栄に思うのは次のような理由からです。
 まず生涯教育の研究者として、いつも韓国の生涯教育に強い関心を持ってきました。韓国はアジアないしは世界の生涯教育先進国として生涯教育立法、単位銀行制度の構築などがわが国の生涯教育界の注目を集めています。近年、我が国では韓国の生涯教育に関する研究資料が多くなっていますが、生涯教育の特定分野の紹介にとどまり、問題指向の深い分析が不足しているケースが多く、その意味で本書の出版は韓国の生涯教育についての理解を深め、認識を豊かにすると考えるからです。また、本書の編著者は私がよく知っている「日中韓生涯学習研究フォーラム」の中心学者であり、執筆者や翻訳者もそのフォーラムに参加しているおなじみの研究者がほとんどです。第一編者の小林先生は、私が1980年代に日本に留学したときの指導教授、そして生涯教育研究への道を拓いた方です。小林先生の生涯教育研究には、次のような重要な特徴があります。
 (1)実践研究を重視し、学習者(市民)の自主的・自発的な生涯学習活動を基本に考えること。(2)生涯教育の公共性を重視し、弱い立場の人々の生涯学習に高い関心を持っていること。(3)研究上の国際的な視点、特に「東アジア」の視点に立つこと。小林先生は20年以上前、「東アジア社会教育研究フォーラム」を立ち上げ、フォーラムへの参加、生涯教育の比較研究、研究年報の出版に日本、中国、韓国の生涯教育研究者を引きつけてきました。
 先生の提唱により、近年、中日韓三国の生涯教育研究者は「東アジア生涯学習研究フォーラム」を組織し、東アジア地域の民間生涯学習を含む比較研究の重要なプラットフォームとなってきました。本書の第2編者の梁炳賛教授もまた同フォーラムで出会った韓国生涯教育研究の著名な学者です。
 本書の特徴は次のとおりです。
 第一には、日韓両国の学者が共同で協力しあい完成した韓国の生涯教育に関する研究であり、日韓比較の鮮明な視点を持っています。本書の「まえがき」にもあるように、日韓両国は隣国として緊密に結びつき、影響し合い、相互協力を重ねています。特に社会教育、生涯学習の分野で、両国間には多くの深い交流があります。韓国の社会教育制度や生涯教育立法と発展はかつて日本の大きな影響を受けました。日韓比較の視点は、韓国の生涯教育の特質を知る上で役立つと考えられます。
 第二に、本書の分析は韓国の生涯教育の現実に明確な問題指向を持っています。韓国は、ポスト工業化、ポスト近代化の段階に入る中で、高齢化、価値観の多様化、失業、社会格差など、持続可能な発展に向けた多くの課題に直面しています。本書は、韓国の急激に変化する社会背景を踏まえ、生涯教育が就業促進、高齢者の学習促進、社会格差の縮小などに果たす役割を分析し、韓国における生涯教育の実践とその研究の新たな進展を反映しています。中国と韓国の社会制度や発展段階は異なりますが、韓国が直面しているこのような社会問題は、中国社会でも明らかに課題となっています。この点から言えば、韓国の生涯教育が社会発展の難題を解決し、社会の持続可能な発展を促進する面での探求は我が国にとって参考になる意義があります。
 第三に、本書は鮮明な実践の方向性を持ち、その生涯教育の研究分析では、上から下への制度と政策を主要な視点とすることでなく、多面的な視点から韓国の生涯教育実践の進展を示すことで、韓国社会の末端、草の根にある民衆の生涯学習活動を理解し、韓国の生涯教育発展の成果に対する認識と理解を深めるのに役立ちます。
 本書の出版が生涯教育の研究と実践について、中国と韓国、ひいては東アジア地域全体の交流と協力をさらに促進することを期待しています。本書の翻訳と出版、おめでとうございます。(2021年10月)    
   韓 民 (中国教育発展戦略学会常務副会長兼事務局長、生涯学習専門委員会理事長、
         『中日韓生涯教育フォーラム』中国招集者)   *日本語訳:王国輝


小林文人・梁炳賛・小田切督剛共編  翻訳:王国輝・楊紅  
『躍動する韓国の生涯教育』
中国語版 (344頁、清華大学出版社、2022)

編者(小林)と訳者(王国輝) 20230428/高井戸



10, 韓国・平生教育の歩みに刺激されて   
                           小林 文人(20230123
)
 『地域社会教育で両国を結ぶ』 (ハングル版、編・訳梁炳賛・李正連、公州大学刊)

 私たちの国際比較研究への道といえば欧米研究から始まるのが常であった。加えて「東アジア」研究の視点をもつ必要があることを自覚させられるのは1980年代、韓国社会教育・生涯学習の研究者との出会いがスタートであった。最初に私たちの前に登場されたのは黄宗建(啓明大学教授、韓国社会教育協会総務理事・当時、敬称略・以下同じ)、19801月、日本社会教育法の調査に来日された。端然とした容姿、日本語が流暢な世代だ。その頃、日本でも「社会教育法」成立過程の資料調査が進行中。資料を交えて長時間お話した記憶がいま懐かしく蘇る。黄教授はその場で韓国社会教育協会が開く社会教育立法「専門家大会」(19802月、忠清南道・扶余)への参加を要請された。この旅が私の韓国研究そして東アジア研究への出発点となった。1週間たらずの短い旅程であったが、生涯忘れることができない旅となった。
 その後、全斗煥政権下の空白を経て、1987年「民主化抗争」、さらにグローバルな東西冷戦の終結と相まって、1990年代を迎えると、韓国と日本の平生教育・社会教育の研究交流は活発に動き始めた。日本と韓国の研究者が相集った「日韓社会教育セミナー」(199193、ソウル→大阪→大→川崎)、日本の社会教育研究全国集会への金信一教授等の初参加(1993、木更津)、小林等の韓国社会教育協会年次大会への参加(1994、利川)。この間に、日韓の各地で、金宗西、金昇漢、鄭址雄、朴仁周各氏をはじめとする指導的な方々と出会うこととなった。一衣帯水の間柄、忘れがたい研究交流が重なって幸せであった。黄宗建とは、晩年の中国(山東省)で何度か出会い、語り明かした夜もあった。終生の想い出となっている。その幸運を確かめつつ、あらためてご冥福を祈りたい。
 日本では、1995年に「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」(略称TOAFAEC、代表・小林)が活動を開始した。毎月の定例研究会を開催(20232月に第300回)、年報『東アジア社会教育研究』を刊行してきた(2023年・28号刊行予定)。数多くの韓国平生教育についての諸研究が報告され、掲載されてきた。この研究会活動は、スタートの時点では短命に終わるのではないかと危惧していたが、若い世代(留学生)の積極的な参加も得て、すでに四半世紀をこえる蓄積となった。継続はまさに力であり、蓄積は新しい価値を生むことを実感してきた。

 振り返ってみると、韓国社会教育・平生教育の歩みと出会うことによって、日本研究では見逃してきた重要な課題・視点を発見し、強い刺激を受けてきたように思う。たとえばその第一は、リテラシー(文解)研究の重要性についてである。「平生教育」にかかわる中心的な研究者たちが「文解」研究を大事なテーマとされてきたことを知った。前述の日韓社会教育セミナー(第3回、1992年・テク)では、夜のプログラムで尹福南さんが開いていた識字教室を訪問し感銘をうけた記憶がある。日本では識字研究に関わっているメンバーは数える程度、その落差を恥じた。
 金宗西教授からは、TOAFAEC創設にあたって、論文「韓国の文解教育問題の考察」をいただいた。帰国後に日本語訳(訳者・方玉順)、大学院ゼミのテキストとし、TOAFAEC年報『東アジア社会教育研究』創刊号(1995年)の巻頭論文として飾った。私たちの東アジア研究の旅は、韓国・文解教育研究を学ぶことから始まったようなものだ。韓国「文解教育協会」の集いにも参加(1999年)、発言の機会も得た。その後の年報編集にあたっては、「リテラシー」研究視点が抜け落ちないように留意してきた。個人的にはこの課題意識が、その後に胎動した「基礎教育学会」(仮称)創立準備の歩みにつながったように記憶している。
 第二には、韓国車社会教育・平生教育に関する国家法制・立法運動のながい歩み、その歴史的な蓄積を知ったことが貴重であった。社会教育法の立法運動は1950年前後から始められていること、さらに1980年「大韓民国憲法」への「平生教育」振興条項の登場、1999年「平生教育法」への全面改正、2007年(第2次)平生教育法改正、その後も続く国家法制の改正運動。今日にいたる平生教育「立法」運動の歩みは注目に値する。国会・政府当局だけでなく、学会関係・研究者もその歴史に関与されてきたと聞いている。
 日本の社会教育法の歴史についてみると、第二次世界大戦後の教育民主化改革のなかで現行の社会教育法が制定された(1949年)。その後「一部改正」は数次行われてきたが、法の基本骨格は大きく改正されることなく七十年余の歳月が経過している。そのこと自体は貴重であり、ここで法「改正」論を主張するつもりはないが、法制「立法」論をつねに理に構築しておく用意は怠ってはならないと考えてきた。歴史状況の変化も当然あり、新しい理念・課題もつねに生起するはずだ。たとえば現代的な学習権論の構築を基礎に据える立法論のたえざる構築が、法「改悪」を阻止する力にもなるだろうと考えてきた。その意味で国家法のたえざる吟味、新しい課題へ向けての立法論への取り組みという点で、韓国の社会教育・平生教育法制「立法論」の歴史的蓄積、その歩みに注目しておきたいのである。
 あと一つ、韓国平生教育について印象的なことをあげておこう。この間、「平生教育」「平生学習」の実際の活動にふれる機会を得て、その賑やかな展開、取り組みにみられる活気・活力に打たれることが少なくなかった。私たちは「躍動」という表現でもって、この意欲あふれる活動を表現してきた。たとえば私も編集に参加した『躍動する韓国の社会教育・平生学習』(2017年刊)など。学校教育を含めて教育・学習の活動には、“躍動”こそが重要な価値であることを実感させられた。

 今世紀に入って韓国各都市では「平生学習フェスティバル」が開かれてきた。この集いに参加(2005年・光明市、2010年・テク市等)するたびに、日本で開かれていた同種(政府肝いり)の静けさと対照的な“熱気”を味わうのである。集いの予算規模や取り組み経過の違いもあろうが、活動主体・学習主体としての市民・住民の関わり方に違いがあるのでないかと考えてきた。日本「生涯学習」において、“躍動”をどう創り出すか、私自身の課題として考えてきたことである。韓国「平生教育」を通して、生涯教育における躍動・活力を教えられてきた。
 私たちが上記TOAFAEC研究会を基盤に、韓国「平生教育」研究会(のち「韓国研究フォーラム」)を始動させたのは今世紀初頭であった。日本に韓国「平生教育」を紹介する出版企画が具体化し、待望の初版が世に出たことが第一のステップとなった(黄宗建・小林文人・伊藤長和共編『韓国の社会教育・生涯学習』2006年)。第二ステップとして、日本社会教育を韓国へ紹介する作業に取り組んだ。韓国への初めての出版企画が実現したときの感激は今も忘れない(『日本の社会教育・生涯学習』小林・伊藤・梁炳贊編、学志社=ソウル、2010年、ハングル版、*本書の日本語版も出版済み、2013年)。
  そして2007年以降の韓国「平生教育」動向を含めて、前述したように『躍動する韓国の社会教育・生涯学習―市民・地域・学び』(梁炳贊・李正連・小田切督剛・金侖貞共編,2016年)が第三ステップを刻んだ。この日本語版は中国語へ翻訳され、2022年に北京で出版された(楊紅・王国輝共訳、精華大学出版社)。一粒の麦は、四半世紀を経て、5冊の「平生教育・社会教育」出版、しかも韓国・中国・日本の「東アジア」3ヵ国へと拡がった。この歩みは、さらに次のステップへ、発展的に続いていくだろう。

 韓国の社会教育・平生教育との出会いについて、その初期から折々の記録をTOAFAECホームページに収録してきた。その稚拙な記録・回想を含めて、本書に収集・編集していただくことになった。恥ずかしくもあり、しかし光栄なことでもあり、韓日研究交流の証言として、小さな価値はあるのかもしれないと思い直し、この「韓国・平生教育の歩みに刺激されて」の拙文をしたためている。ホームページを細部まで開いて拾い出し、編集・翻訳の労をとられた梁炳贊・李正連のご両所はじめ、関係の皆様に深く感謝したい。(20231月)




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