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小林文人・伊藤長和・李正連 共編
『日本の社会教育・生涯学習−新しい時代に向けて−』
(大学教育出版、2013年9月24日刊)
目 次
まえがき …………………………………………… 編者
序 章 日本の社会教育・生涯学習 ─その特質と課題 ─…… 小林文人・伊藤長和
1.はじめに─ いま、どのような地点に立っているか─1
2.日本社会教育の歴史的特質─ 統制的教化の歴史と脱皮の歩み─ 4
3.戦後社会教育の展開過程 5
4.社会教育施設の地域定着と時期区分 7
5.生涯教育・生涯学習をめぐる動向 10
6.60 年の蓄積と新しい胎動 13
7.市民主導の社会教育実践と市民運動 14
8.脱皮・再生への課題 16
第T部 社会教育・生涯学習の歴史と現在
第1章 戦前日本の社会教育 ……………………………………………松田武雄
1.初期社会教育の思想と地域における社会教育・通俗教育の活動 22
2.初期社会教育論と通俗教育活動の組織化 24
3.日露戦後の地方改良運動と通俗教育・社会教育の展開 27
4.社会教育行政の確立と現代社会教育論の形成 29
5.戦時下の社会教育 33
第2章 戦後社会教育の生成と展開 ── 改革から反改革へ ── … 新海英行
1.戦後改革期における啓蒙的社会教育と「社会教育の自由」 37
2.戦後復興・高度成長期における「生活台」に立つ学習活動と「権利としての社会教育」42
3.高度経済成長の終焉と生涯教育の政策化 48
4.教育基本法の改正と社会教育・生涯学習の公共性の再構築 52
5.課題と展望 56
第3章 社会教育・生涯学習の現在 ……………………………………石井山竜平
はじめに─ リスクを察知し行動する力を地域に育むために─ 58
1.公的社会教育の今日的位置 59
2.生涯学習とNPO・ボランティア 63
3.地方分権改革・自治体経営改革と社会教育行政 66
4.自治体改革下の地域生涯学習計画の展望 69
おわりに 72
【コラム:世界の生涯学習@】75 …………木見尻哲生
第U部 社会教育・生涯学習の法制と施設・職員
第4章 社会教育法制と生涯学習振興整備法 ………………………姉崎洋一
はじめに 78
1.1949 年社会教育法制定とその後の変遷の歴史的意味 80
2.生涯学習振興整備法による社会教育法「改正」への影響 83
3.改正教育基本法(2006 年)に伴う社会教育法の改正 88
4.2008 年社会教育法改正とその後の実践課題 90
第5章 社会教育・生涯学習施設と地域社会 …………………手打明敏・生島美和
1.地域社会の変貌と社会教育・生涯学習施設 95
2.公民館 100
3.図書館 104
4.博物館 107
5.生涯学習推進センター 110
【コラム:世界の生涯学習A】113 …………大安喜一
第6章 社会教育職員と専門職問題 ………………………………長澤成次
はじめに 114
1.日本における社会教育職員数の概観 115
2.1951 年社会教育法改正と社会教育主事規定の変遷 116
3.派遣社会教育主事制度の発足 118
4.社会教育主事講習の受講資格の緩和 119
5.社会教育主事の職務内容に学校支援を加えた2008 年社会教育法改正 120
6.社会教育法制における公民館主事規定 121
7.公民館主事の専門職化をめざす自治的努力 123
8.公民館主事の専門的力量形成をめぐる課題 124
おわりに 125
第7章 大学と生涯学習にかかわる事業の展開─和歌山大学の事例から─ 山本健慈
はじめに 127
1.日本の大学と地域・生涯学習─ その素描─ 127
2.和歌山大学における生涯学習教育研究センターの設立と運営理念 128
3.生涯学習教育研究センターの組織と人的体制の整備 129
4.「大学と生涯学習」にかかわる事業の編成の基本方針 132
5.「大学と生涯学習」にかかわる事業の実際 134
6.地域社会教育・生涯学習の展開における大学の役割 138
【コラム:世界の生涯学習B】140 …………藤村好美
第V部 生涯学習の展開
第8章 子ども・学校・地域 …………………………………………小木美代子
はじめに─ 子どもの育ちと学校外・地域活動の意義─ 142
1.近年のわが国の子どもの育ちの現況 143
2.今の子どもたちの状況を創り出している要因 144
3.子どもの豊かな育ちと地域活動 147
4.子どもの地域施設と団体の量的質的充足と専門的教員の配置を! 153
第9章 青年の学びと運動 …………………………………………大坂祐二
1.「青年」教育を見直す 155
2.青年の自己教育活動と青年教育実践のあゆみ 157
3.青年の自己教育活動とその支援の現状と課題 162
【コラム:世界の生涯学習C】167 …………上田孝典
第10章 女性の学習と社会参加 …………………………………千葉悦子
はじめに 169
1.地域女性政策推進の拠点センター 170
2.「女性問題学習」の発見 171
3.実際生活を出発点とした学び 172
4.地域をつくる学びとネットワーク 174
5.ジェンダー平等学習を発展させるために 175
おわりに 177
第11章 高齢者の自己実現と学習 …………………………………辻 浩
1.高齢化の進行と高齢者の学習 180
2.高齢者のレクリエーションと地域福祉の推進 181
3.補助事業としての高齢者教室と有志による楽生学園 182
4.高齢大学・市民大学の学習スタイル 183
5.人生を意義づける自分史学習と心を活性化させる回想法 184
6.世代間交流による自己実現 185
7.社会参加の方法としてのボランティア、シルバー人材センター、NPO 186
8.社会的排除に挑戦する地域リハビリテーションと社会参加 187
9.高齢者による実態調査と高齢者運動 189
【コラム:世界の生涯学習D】191 …………鈴木尚子
第W部 実践と運動の潮流
第12章 識字・日本語学習運動の展開と課題 ………………… 森 実
はじめに 194
1.日本における識字運動の展開 195
2.被差別部落の識字運動や夜間中学校の核心 198
3.1990 年以後の動きに注目して 200
4.日本における識字・日本語学習運動の未来に向けて 206
第13章 障害をもつ人の生涯にわたる学習文化保障の課題…… 小林 繁
はじめに 209
1.障害をもつ人への学習支援の取り組みと課題 210
2.社会教育施設・機関での対応の課題 213
3.障害をもつ子どもを支援する地域での取り組み 214
4.喫茶コーナーという挑戦 216
おわりに 219
【コラム:世界の生涯学習E】222 …………二井紀美子
第14章 市民の学びとNPO ……………………………………… 佐藤一子
はじめに─ 市民の学習を組織する主体としてのNPO ─ 223
1.NPO の法制化と活動の広がり 224
2.NPO の設立状況と活動分野 225
3.NPO の教育力とコーディネーターの役割 228
4.NPO が創造する市民的な学習活動 230
むすび─ 生涯学習社会の構築とNPO の課題─ 233
第15 章 地域づくりと生涯学習 ……………………………………上野景三
1.「地域づくりと生涯学習」というイシュー 236
2.「地域づくりと生涯学習」の課題と実践 238
3.地域の「目と脳と手」をつくる 247
【コラム:世界の生涯学習F】 249 …………梁 炳賛(訳:李 正連)
終章 日本の社会教育・生涯学習の展望
─ 制度的現実と理論的未来の間で ─……… 末本 誠
1.社会教育をめぐる国際的な潮流 251
2.成人教育研究の新しい展開 253
3.未来─ 世界の新しい動きと、いかに向き合うか? ─ 257
社会教育・生涯学習年表 …………………………………………李 正連
あとがき ……………………………………………………………李 正連
索 引 …………………………………………………267
執筆者一覧・編著者紹介 ………………………………273
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
執筆者一覧(執筆順)
小林文人(東京学芸大学・名誉教授) まえがき・序章1. 〜 6.
伊藤長和(中国・山東工商学院・講師) まえがき・序章7. 〜 8.
松田武雄(名古屋大学・教授) 第1章
新海英行(名古屋柳城短期大学・学長) 第2章
石井山竜平(東北大学・准教授) 第3章
木見尻哲生(愛知大学・非常勤講師) コラム:世界の生涯学習@
姉崎洋一(北海道大学・教授) 第4章
手打明敏(筑波大学・教授) 第5章
生島美和(弘前学院大学・講師) 第5章
大安喜一(ユネスコ・ダッカ事務所) コラム:世界の生涯学習A
長澤成次(千葉大学・教授) 第6章
山本健慈(和歌山大学・学長) 第7章
藤村好美(群馬県立女子大学・教授) コラム:世界の生涯学習B
小木美代子(日本福祉大学・名誉教授) 第8章
大坂祐二(名寄市立大学・准教授) 第9章
上田孝典(筑波大学・准教授) コラム:世界の生涯学習C
千葉悦子(福島大学・教授) 第10章
辻 浩(日本社会事業大学・教授) 第11章
鈴木尚子(徳島大学・准教授) コラム:世界の生涯学習D
森 実(大阪教育大学・教授) 第12章
小林 繁(明治大学・教授) 第13章
二井紀美子(愛知教育大学・准教授) コラム:世界の生涯学習E
佐藤一子(法政大学・教授) 第14章
上野景三(佐賀大学・教授) 第15章
梁 炳賛(韓国・公州大学校・教授) コラム:世界の生涯学習F
末本 誠(神戸大学・教授) 終章
李 正連(東京大学・准教授) まえがき、社会教育・生涯学習年表、あとがき
翻訳−コラム:世界の生涯学習F
まえがき
いま「日本の社会教育・生涯学習」は大きな転換点に立たされている。戦後教育改革期の新しいスタートからすでに60
年余り、社会教育の制度・施設・職員など相当の蓄積をとげてきたことは周知の通りである。しかし歳月の経過とともに、ある種の制度疲労に似た停滞があり、また最近の新自由主義路線に見られる公的セクター見直しによる諸条件整備の後退が憂慮されている。他方で国際的な生涯教育・生涯学習の潮流を背景としつつ、日本的施策として再編された「生涯学習」(1980
年代〜)と地域に立脚してきた「社会教育」との不調和による混迷もみられる。
いま私たちはどのような地点に立っているのか。2011 年3・11 東日本大震災は、東北の地で故郷と暮らしの基盤を流出させた一方で、社会教育・公民館等が果たすべき独自の課題や役割を浮き彫りにした。3・11
後の社会に向けて、一人ひとりの生き方や地域の再生が問われ、社会教育・生涯学習が果たすべき新しい方向と実践がいま求められている。
このような画期的な転換・再生の時にあたって、私たちは社会教育・生涯学習の全体にわたる基本理解を深め、その歴史・構造・役割を確かめつつ、実践・運動にも関わって、現代的な課題や可能性を明らかにするため、『日本の社会教育・生涯学習』を世に送り出すことになった。
本書の刊行には、いくつかの前史がある。今日にいたる経過を簡単に振り返ってみると、次のような流れであった。
本書が誕生するまでに、2 冊の出版活動が取り組まれてきた。1 冊は『韓国の社会教育・生涯学習─
市民社会の創造に向けて』(黄宗建・小林文人・伊藤長和共編、エイデル研究所刊、2006
年)、2 冊目は『日本の社会教育・生涯学習─草の根の住民自治と文化創造に向けて』(小林・伊藤・梁炳賛共編、韓国・学志社刊、2010
年)である。前者は、今世紀に入って新しい展開を見せてきた韓国「平生教育」(生涯教育)の躍動を日本関係者に先駆的に紹介しようという意図から出版された。後者は、部分的にしか伝わっていない日本の社会教育を韓国関係者にその全体像を提示しようとの思いから企画が進み出版に結実したものであった。それぞれに日韓両国をつなぐ初めての「本格的な研究書・解説書」と評価されてきた。
この過程において、頻繁に編集会議が重ねられ、そこから「韓国生涯学習研究フォーラム」(2007
年以降)が結成された。本書編者3 人だけでなく、浅野かおる(福島大学)、金侖貞(首都大学東京)、小田切督剛(川崎市教育委員会)等の皆さんが積極的に参加してきた。思いおこせば前著の編集企画が始まったのは2003
年のこと、今年でちょうど10 年の歳月を迎えたことになる。
2冊目の『日本の社会教育・生涯学習』はハングル版として、ソウル・学志社から出版されたが、もともとはすべて日本語で執筆されたものであった。日本社会教育・生涯学習の歴史、制度、政策、実践、運動のほぼ全領域を網羅し(全22
章)、各領域を代表する専門研究者によって執筆された。韓国へ向けて日本社会教育・生涯学習の全体像を高い水準で紹介するために、日本社会教育学会の中心的メンバー(元学会長、現学会長を含む)による、またとない執筆陣が編成された。本書はこの本を底本とし、同じ書名によって新しく編まれたものである。
本書の主な内容は、目次に明らかなように、序章(特質と課題)・終章(展望)のほか、4
部から構成されている。すなわち、戦前・戦後・現在に至る歴史的概観(第1 部)、法制・施設・職員・大学等の制度的展開(第2
部)、子ども・青年・女性・高齢者の生涯学習(第3 部)、識字・福祉・市民活動・NPO・地域づくりに関わる運動と実践(第4
部)である。
これらは、韓国向け出版『日本の社会教育・生涯学習』(2010 年)と同じ章構成・同じ執筆者によるが、「職業・労働と社会教育」章のみは、執筆者の意向により(残念ながら)本書には掲載されなかった。また本書全体の紙数制限のため、各章はある程度縮小し、新しくリライトされたものである。
2010 年版の出版から本書への執筆・リライトに至るまで、快くご協力いただいた25
人(本書コラムを含む)の執筆者各位に編者として心からの御礼を申しあげる。また、本書刊行にいたるまで予想以上の歳月が経過したことに対し、編者の非力をお詫びしなければならない。社会教育・生涯学習にかける私たちの思いを受けとめ、本書刊行を引き受けてくださった大学教育出版・佐藤守氏に深く感謝を申し上げたい。
2013 年2 月10 日(春節) 編者 小林文人・伊藤長和・李 正連
あとがき
2010 年10 月7 日、韓国大邱市において日韓の社会教育研究者及び実践家たちが大勢集まる中で盛大な出版記念会が開かれた。本書の底本となった『(日本の社会教育・生涯学習〜草の根の住民自治と文化創造に向けて〜)』(小林文人・伊藤長和・梁炳賛共編、韓国・学志社)の出版記念会である。同書の編集は、韓国に向けて日本の社会教育・生涯学習の全体像を紹介するために企画された初めての試みとして2006
年に本格的に始まった。韓国向けの本であるため、日本語で執筆されたすべての論文を韓国語に翻訳し、また韓国読者の理解を手助けするために日本の社会教育・生涯学習に関する多くの資料編を用意する必要があった。そこで、約4
年という長い歳月がかかり、2010 年10 月に完成・出版された。2010 年は「日韓併合」100
年を迎える年でもあるが、同年に社会教育・生涯学習における日韓友好の新たな歴史をつくることができ、とても感慨深い。この出版から2
年余が経つが、日本の社会教育・生涯学習に関心をもつ韓国の研究者をはじめ、学生、専門職員、実践家等から幅広く好評を得ている。
本書は、上記の韓国語版『日本の社会教育・生涯学習』(2010 年版)を日本国内向けに新しくリライトしたものである。「まえがき」にも記したように、同書は日本社会教育・生涯学習の歴史、制度、政策、実践、運動などを幅広く取り上げており、社会教育・生涯学習を初めて学ぶ学生や現場の実践・運動家、一般市民などのための入門書として、日本国内に出版することに決めたのである。韓国出版の執筆時点からすでに約4
年が経っており、その後の新しい政策や統計データ等を更新し、必要な加筆修正を行った。韓国出版では、地域報告として川崎市、松本市、貝塚市、名護市の4
事例と、特別報告として日韓研究交流史が収録されており、また資料編として日本法制(抄)をはじめ、「枚方テーゼ」「下伊那テーゼ」「三多摩テーゼ」などを含む日本社会教育・生涯学習における主要な10
本の宣言・テーゼ及びその解題、社会教育・生涯学習年表等が掲載されていたが、本書では紙数の制限により年表以外は割愛した。
なお、韓国語版には、長らく日本との交流を重ねて来られた韓国側関係者のコメントをコラム(7本)として設けていたが、本書ではこれらに替わって、「世界の生涯学習」に関するコラム7
本(北欧、欧州、韓国、中国、東南アジア、アメリカ、ブラジル)を収録している。ただ残念ながら、2011
年3・11 東日本大地震以後の被災住民による生活再建と地域再生への取り組み、それを支える社会教育・生涯学習の役割及びあり方などまでは盛り込むことができなかった。
この間の海を越える本づくりは日韓交流を深めただけではなく、それぞれ自国の現状や課題を再認識する有意義な機会にもなった。これからさらに相互の輪をより広げ、社会教育・生涯学習における研究・交流の新しい地平を切り拓いていくことを期待する。
最後に、ご多忙の中、本書に玉稿をお寄せいただいた執筆者の方々に心よりお礼申し上げるとともに、厳しい出版事情の中、快く本書の出版をお引き受けくださった大学教育出版の佐藤守氏に深く感謝申し上げる。そして、執筆者が多いため、大変な校正作業だったのにもかかわらず、いつも親切かつ丁寧に対応してくださった安田愛氏にもお礼を申し上げたい。 2013
年8月 李 正連
小林文人・伊藤長和・梁炳賛 共編
『日本の社会教育・生涯学習−草の根の住民自治と文化創造に向けて−』
(韓国・学志社、2010年10月刊) ハングル版
定価:20,000万ウオン、ページ数:全544頁
序章 日本の社会教育・生涯学習−その特質と課題
小林文人・伊藤長和
1,はじめに−いま、どのような地点に立っているか−
日本の社会教育は、第2次世界大戦の終結(1945年)を画期として大きな転換をとげた。いわゆる戦後教育改革の中で歴史的な脱皮が求められたのである。戦前・戦中の国家主義・軍国主義的な教育体制を反省しつつ、社会教育の戦後理念として、国民主権・民主主義・平和主義に基づく社会教育改革への道が志向された。新しい社会教育法制の整備(1947〜1951年)がすすめられ、公民館・図書館・博物館等の施設設置がひろがり、地方自治を基盤に各地でさまざまの社会教育実践が展開されてきた。もちろんその道程は単純なものではなく、厳しい現実があり、さまざまの克服すべき課題に直面してきた。そして今日まで、65年余の歳月が経過したことになる。
この間の歴史的な展開をどうみるか。人生にたとえても還暦を越える歳月。日本社会教育の曲折にみちた歩みのなかでその蓄積や特質をどうとらえるか。そして私たちは、いまどのような地平に立っているのか。
日本の社会教育は、戦後社会教育の体制と蓄積を土台としつつも、いま、さらに新たな転換点に立たされていると言うべきであろう。冒頭にまず三つの点について現代の「転換」にいたる状況と課題を考えてみる。
第一に戦後社会教育制度の定着と内包する矛盾について。この半世紀を超える道のりの中で、日本社会教育独自の制度や施設が全国的規模で整備されてきた反面、制度化に内包される硬直化や制度疲労が顕在化してきた(たとえば行政機構・公民館等の形式的運営や機能不全)。自治体行政・施設の条件整備の過程は、地方自治の別の側面として地域格差を生みだし、その格差は歳月とともに解消されるのでなく、むしろ固定化してきた(たとえば大都市社会教育行政・施設の相対的貧困と低水準)。日本社会教育が地域を基盤とする特質や独自性を定着させてきた一方で、そこには日本的な弱点や欠陥も顕在化してきた(たとえば職業・労働に関わる社会教育制度の欠落、高等専門教育との乖離・非互換性、識字・基礎教育の不発など)。これらの点は、欧米との比較だけではなく、東アジア諸国における最近の生涯学習の展開との対比のなかでも、日本社会教育に内在する課題として自覚されてきたことである。
加えて二十世紀末から今世紀に入って、これまでの社会教育の公的体制の見直しや再編の動きが政策的に唱導されてきた。いわゆる新自由主義の路線は、市場原理の導入、民間セクターへの委託、規制緩和、職員削減等により、自治体社会教育は思いもかけぬ後退を強いられることになった。施設・職員等に関わる全国的統計は、この10年明らかに減少してきた。ていいる。公的セクターのなかで制度構築をとげてきた日本社会教育は、いま全般的な退潮傾向にある。同時に教育委員会制度改編の動きがあり、これと連動する社会教育の一般行政への吸収・拡散は、現実に社会教育の独自領域の解体さへ危惧される事態となっている。
第二に社会教育と生涯教育・生涯学習の関連について。国際的潮流を背景として、日本に生涯教育・学習社会の構想が導入されるのは、後述するように、1970年代前後からである。1980年代後半になると国家政策として「生涯学習体系への移行」が打ち出されるが、残念ながら、基盤としての社会教育との調和的な発展の道を歩むことにはならなかった。生涯教育・生涯学習に関わる政策体系は、全体的に貧弱であるだけでなく、地域・自治体レベルで独自に展開してきた社会教育を積極的に位置づける視点が弱く、他方でその施策は国から地方へ下達されていく流れが一般的であった。その動向のなかで自治体レベルの生涯学習も、行政主導の性格が強く、市民から遊離しがちとなり、市民運動的な拡がりをもつことは少なかった。
国際的な生涯教育の構想は、ユネスコ「学習権」宣言(1985年)に象徴されるように、あらゆる人々の、生涯にわたる人間的な生存権の思想と結びついている。生涯教育・学習の拡がりは、知識、教養、文化の領域だけだはなく、生産、労働、職業についての教育・訓練を必然的に含むはずである。生涯教育の導入によって、日本の社会教育が欠落してきた労働教育・職業技術訓練の領域とも結合していく方向が期待されたが、しかし未発に終わった。職業能力開発や社会福祉に関わる生涯学習は「別に講じられる施策」(後述・生涯学習振興整備法第2条、1990年)とされている。
いまあらためて社会教育と生涯教育・学習を結合する視点をもって、社会教育の基盤の上に生涯教育・学習を発展させていく大きな脱皮が求められている。生涯学習に関する総合的な立法も、韓国「平生教育法」(2007年)にみるまでもなく、これからの重要な課題であろう。
第三に東日本大震災(2011.3.11)が社会教育・生涯学習にもたらした転換の課題について。大震災による未曾有の被害と衝撃のなかで、あらためて社会教育・生涯学習はどうあるべきか、何ができるか、が問われることとなった。地震・津波だけでなく、とくに福島原発の事故による広範囲の放射能汚染の問題は、エネルギー政策、科学技術の役割、政府・企業のあり方を再点検するとともに、大きく現代文明そのものを問い直し、さらに一人一人の生き方にまで再考を迫る契機となってきた。それは同時に社会教育・生涯教育のあり方について、その役割を捉えかえず論議をひきおこしている。いま「3・11後の世界」に向けて、社会教育・生涯学習の基本的な方向と実践が新しく追求され始めている。
大規模な震災のなかで、被災者はこれまでにない悲惨な体験と苦しみを味わい、そこから脱却する挌闘を強いられてきた。生活を取り戻し地域を復興する取り組みが長期にわたって必要であろう。支援する人々を含めて、さまざまな援助・協働のネットつくり、新たな集落づくり、職場づくり、あるいは行政計画策定など、持続的かつ広範囲の取り組みが求められている。その体験と活動のなかには、かけがえのない「命を守る学び」「地域・集落を再生する」「仲間づくり」「政治・社会を問う」等の課題が連なっている。それらはそのまま社会教育・生涯学習の基本テーマにつながってくる。*(1)
国連による「持続可能な開発のための教育(ESD)の10年」(2005〜2014年)に関わる具体的な活動もまた、震災後の各地の新しい取り組み、実践的な課題に通じるものと言えよう。、
日本の社会教育・生涯学習がいまこのような転換の地点にあるとき、ともに考えるべき課題や方向を明らかにしていく必要がある。まず以下の序章では、日本の社会教育の歴史的特質を概括しつつ、総体的な視点から生涯学習を含む60年の経過と蓄積を吟味し、その発展の可能性や課題を考えていく。
2,日本社会教育の歴史的特質
−統制的教化の歴史と脱皮の歩み
日本社会教育については、これまでいくつかの視点からその歴史的特質が論究されてきた。たとえば、(1)官府的民衆教化性、(2)非施設団体中心性、(3)農村地域性、(4)青年中心性、についての指摘はその代表的なものであろう。*(2)
変貌著しい1960年代初頭において、主としてヨーロッパ近代の成人教育と日本社会教育を対比する重要な指摘であった。しかしその後の時代変遷のなかで、この歴史的特質自体も変化し修正を求められてきた。すなわち、一定の社会資本の整備とともに社会教育の施設等は相当に整備される一方で、激しい都市化過程のもと農村・都市ともに社会教育関係団体は大きく変容し、たとえば地域青年集団や婦人会などは多く解体の方向をたどってきた。青年教育あるいは青年学級等の、「農村地域性」「青年中心性」の特徴もいまむしろ姿を消している。
時代が変われば、その歴史的特質は変わっていくが、しかしそのすべてが変容するのではない。戦前から戦後への激動のなかでも、日本社会教育の統制的な特質や行政主導の体質は色濃く残存してきた。古い儒教思想も民衆意識の底流にあり、道徳指導、情操感化、思想善導といった伝統的な教化主義的社会教育が、姿を変えながら戦後も継承されてきた側面があった。統制的教化の対象・客体として位置づけられてきた国民は、戦後改革のなかで新しい社会教育の主体・主権者として脱皮する方向が求められた。しかし理念としての国民「主体」の考え方も、現実の行政主導の厚い体制のもとで、戦後も「客体」の位置に甘んじてきた実態も残されてきた。
戦後日本の教育改革期において、一連の社会教育法制が整備(1949〜1951年)される(第2章、第4章参照)。東アジアでは先駆的な法制化であったが、それらは国民運動的に実現されたというよりも、当時の教育改革を担った公権力によって主導され、上意下達の流れであった。しかしそこに盛り込まれた法制理念は、社会教育法(1949年)に明らかなように、「すべての国民」の主体的な活動、実際生活に即する文化的教養、地域的な施設(公民館等)配置、住民自治的な運営参加など、「国民の自己教育」を重視するものであった。その実現のために国・都道府県だけでなく、とくに市町村の自治体行政が「条件整備」(旧教育基本法第10条)、「環境醸成」(社会教育法第3条)の任務にあたるべきことが求められた。
戦後日本の社会教育の歩みは、このような近代的な法制理念を、現実の矛盾構造のなかで、地域の具体的な実践活動を通して、住民自治的に実現していく営みであったと言ってよい。統制的教化的な社会教育の歴史から脱皮していく方向が積極的に求められてきた歴史であった。とくに基礎自治体としての市町村行政は、住民主体の社会教育活動を奨励し援助し、必要な環境や条件を整備する上での直接的な役割が期待されてきた。
3,戦後社会教育の展開過程
戦後の社会教育が多様に展開していくなかで、とくに注目しておくべき特徴として、法律主義、地域主義、施設主義の三点をあげておきたい。
第一は、上述したように社会教育に関する法制整備の努力があった。新・日本国憲法(1946年公布)の精神に基づき教育基本法が制定され(1947年)、積極的論議のもと社会教育に関する条項(同第7条)が設けられた。学校教育・教育行政の法制整備に一歩遅れる経過ではあったが、それを受けて社会教育法(1949年)、図書館法(1950年)、博物館法(1951年)の三法が相次いで成立した。この間には、地方自治法(1947年)とともに、教育行政の相対的独立性と自治性を重視する教育委員会法(1948年、1956年「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」へ改正)が施行された。戦前の国家主義・中央集権的な教育行政が否定され、国民主権・地方分権による社会教育行政の基本方向が定められた。
これらの法制整備過程において、日本社会教育の概念と領域が、戦後的に確定していく。社会教育法は、社会教育を「学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動」(同第2条)と定義し、そこに体育及びレクリェーション活動を含み、図書館・博物館等の文化施設も社会教育機関として位置づけた。他方で、教育基本法第7条は「勤労の場所における教育」、すなわち職業能力開発・労働者教育等の領域も、社会教育に含んでいたが、行政系列上では社会教育から分離され労働行政のもとで所管されるという経過をたどった。日本の社会教育は、教養・文化・レクリエーションあるいは地域活動の領域が中心となり、職業・労働あるいは生産活動に関する教育・訓練の領域は、行政系列上では社会教育に含まれないという実態が固定していくことになる。
第二の特徴として、戦後教育改革における地方分権の原則とも関連して、社会教育及び行政が、地方自治(とくに単位自治体としての市町村)を尊重すること、地域に立脚すること、その意味での地域主義(「市町村主義」という場合もある)と住民自治原則が重視されてきたことが注目される。そこには戦前の国家集権的な社会教育への強い反省があり、地域の必要に応じ、実際生活に即して、住民の自治と参加を基本に据える姿勢が強く意識されてきた。具体的には社会教育行政において市町村の役割が大きな比重をもつことになる。
法制上でも、地域主義の原則に貫かれていることが明らかにである。社会教育法は「市町村」の社会教育行政が果たすべき任務を包括的に定め(第5条)、国の役割は、都道府県を含む「地方公共団体」に対して援助をする間接的な役割に限定している(第4条)。その上で社会教育行政は「当該地方の必要に応じ」て行うこと(第5条,6条)、社会教育施設の中核としての公民館は「市町村その他一定区域内の住民のため」(第20条)、「市町村が設置する」こと書き本とされた(第21条)。
住民自治原則については、戦前の統制的社会教育の反省にたって、法は細かく次のように戒めの規定を用意した。国及び地方公共団体は「社会教育関係団体に対し、いかなる方法によっても、不当に統制的支配を及ぼし、又はその事業に干渉を加えてはならない」(第12条)、社会教育主事は「…専門的技術的な助言と指導を与える。但し、命令及び監督をしてはならない」(第9条の3)など。他方で、住民の自治と参加を保障する組織として、自治体に社会教育委員の会議(第15条)、公民館に公民館運営審議会(第29条)、図書館・博物館には同協議会(図書館法第14条、博物館法第20条)等の諸規定を盛り込んでいる。もちろん実体的には自治体により差異があり、また地域的な格差を含まれが、行政・施設の運営にあたって住民の自治と参加の仕組みが重視され、実際の活動において多様な実践的蓄積と展開がみられることが注目される。
第三に、国及び地方公共団体の社会教育「条件整備」「環境醸成」に関する具体的任務は、公民館・図書館・博物館等の「施設」設置とされた(教育基本法第7条2項)。社会教育行政における施設主義の原則といわれる。その背景には、戦前からの日本社会教育が、前述の「歴史的特質」にあるように「非施設・団体中心性」的な実態があったこと、つまり「施設」的に貧困であり、他面、半官半民「団体」を通しての教化主義的性格であったことの改革が意図されたのである。具体的には、公民館、図書館、博物館の三つの「館」を柱に法制が用意され、関連する諸施設が各地に数多く設置されてきた。社会教育法は、内容的に公民館に関する条項が大きな比重をもち、図書館法・博物館法に並んで、公民館法と別称される場合もあった。
社会教育施設は、単に物的営造物としての「施設」概念にとどまらない。これら公民館・図書館・博物館等は、法制上では学校とならぶ「教育機関」として位置づいている(社会教育法第9条、同第5章、「地方教育の組織及び運営に関する法律」第5章等)。社会教育機関として具備すべき条件は、それぞれの機関に必要な施設・設備等の物的条件だけでなく、専門性を有する職員を含む人的条件、固有の専門的な役割を継続的に実施していく機能的条件、の3要件が期待されてきた。ただ法制的にも実態上でも、学校教育機関と対比して、具備すべき諸要件については未整備な部分を含み、とくに施設専門職員(公民館主事、図書館司書、博物館学芸員等)の位置づけが弱い。すでに半世紀余の歳月が経過した今日において、専門職体制の歴史的蓄積が充分でない地域が多く、実態上は多くの課題を残している。(第6章「社会教育職員と専門職問題」を参照のこと。)*(3)
4,社会教育施設の地域定着と時期区分
戦後の社会教育施設の道のりは、ほとんどゼロからの出発であった。上述した社会教育法制化により、1950年代以降、施設設置が徐々に拡がっていく。しかし国庫補助は少なく、施設整備を担う地方自治体の行財政力は概して非力であって、紆余曲折の厳しい道程であった。社会教育施設の種類別構成では、法的基礎をもった公民館、図書館、博物館が制度上は主要な柱となってきたが、同時に学校もまた社会教育利用が期待されてきたし(社会教育法第6章)、また青年・女性・児童・高齢者等の教育関連施設や福祉施設、あるいは多様なコミュニテイ施設等も次第に登場するようになる。(第5章「社会教育・生涯学習施設と地域社会」参照)
1960年代の高度経済成長期において、自治体によっては社会教育の構想や施設計画が策定されるようになり、地域格差を含みながらも施設設置は次第に軌道にのっていく。この間には弱小施設の統廃合も行われ、一定の規模をもった近代的な公民館も登場するようになってくる。戦後四半世紀を経過した1970年代には、ある程度の施設整備水準に到達した自治体が出現するようになった。そして1980年以降、生涯学習体系への移行期において、施設整備の様相は新たな段階を迎えることとなる。*(4)
ここで、戦後日本社会教育の概括的理解のために、大まかな時期区分を試みておく。法制・政策の主要な動きを画期として、次の4期に分けて説明することにしょう。
(1)まず(前述したように)戦後初期の教育基本法の成立(1947年)とそれに基づく社会教育法・図書館法・博物館法(1949年〜1951年)の制定があり、自治体の社会教育行政組織が一定の整備をみせ、公民館を中心とする諸施設等が普及されていく時期である。地方自治組織としては大規模な市町村合併(1953年〜)が行われ、この過程は社会教育行政・施設体制の一定の近代化をもたらしたと見ることができよう。この間には青年学級振興法(1953年)が多くの論議を呼びつつ成立し、対抗して地域青年運動による「共同学習」の取り組みが注目された。(1945年〜1950年代=自治体行政整備・施設普及期)
(2)法制的には社会教育法「大改正」(1959年)が行われ、高度経済成長政策にともなう急激な地域変貌(都市化・工業化、過疎・過密化等)により、社会教育の旧来の農村的基盤が変容し、都市的な社会教育活動が追求された時期である。都市近郊部では市民階層による社会教育・施設に関わる諸運動が胎動し、住民主体の学習・文化活動や施設づくり運動が取り組まれた。この時期の自治体社会教育は、行財政条件の整備が進み住民意識の高揚もあって、相対的な意味で躍動期を迎えた地域が少なくなかった。(1960〜1970年代=地域変貌・社会教育躍動期)
(3)中央教育審議会「生涯教育について」(答申、1981年)、臨時教育審議会「教育改革に関する答申」(1987年)等による生涯教育の導入・生涯学習体系への移行施策が進められた時期である。法制的には「生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律」(生涯学習振興整備法、1990年)が成立した(問題点は後述・第4章「社会教育法制と生涯学習振興整備法」参照)。この時期は、また国・自治体の「行政改革」「財政合理化」施策やバブル経済崩壊により、自治体社会教育・生涯学習の公的条件整備は向上せず、むしろ施設委託、職員削減、予算削減等の動向がみられた。社会教育と生涯学習との調和的発展はみられず、自治体社会教育の実態はむしろ混迷や沈滞の状況が少なくなかった。(1980年代〜1990年代前半=生涯学習体系移行・社会教育停滞期)
(4)新自由主義政策による社会教育の公的体制の見直し、市場原理導入、規制緩和、施設の民間委託(指定管理者制度)等の施策が導入され、社会教育法や公民館設置基準等の改正(1999年、2001年、2003年)が相次いだ時期である。さらに新保守主義路線による育基本法改正(2006年)があり、それに続いて社会教育法や図書館法・博物館法等が一部改正された(2008年)。大規模な市町村合併、財政削減、社会教育の一般行政への移行等の動向のなかで、社会教育行政・施設は減少傾向に入り、施設の再編や統合、さらには廃止という事態も現れるようになった。
しかし同時にこの時期は、ボランテイア、市民活動、社会貢献活動の進展があり、「特定非営利活動促進法」(1998年)制定により法人格をもつ市民団体(NPO)が独自の役割を果たし始めた時期でもあった。(1990年代後半〜2000年代=社会教育再編・転換期)
冒頭に述べたように、日本の社会教育・生涯学習は、いま新たな転換と再生の局面に立たされていると言える。
戦後改革期からの社会教育60年史は、戦後政治と経済の動向に大きく左右されてきた。社会教育施設の地域定着も、またそれぞれの段階において政治・経済政策の直接的な影響を受けてきた。1970年代において、自治体によっては公的社会教育施設の条件整備に大きな躍動がみられたが、1980年代の生涯教育の導入・生涯学習への移行が提唱された段階において、国の行政改革や財政削減そして新自由主義路線による公的セクターの見直し等の諸施策によって、社会教育施設の公的体制はむしろ停滞と再編を迫られるという皮肉な事態も招来された。
もちろん全体的な経過としてみれば、この60年余の歳月における社会教育施設の地域定着は全国規模での大きな蓄積を生みだしてきた。それぞれの法制基盤を有している図書館、博物館と並んで、とくに公民館の全国的な普及・定着は、戦後日本社会教育の一つの到達点を示すものとして評価されよう。少なくとも統計的には義務教育機関に匹敵する水準の設置数が実現されたのである。しかしその蓄積過程は、上述第4期において明らかに転換期を迎えるのである。
またその全国的蓄積の内実は、繰り返して言えば、そこに大きな地域格差を内包していたことを忘れてはならない。公民館が学校区単位に地域配置されている自治体が少なくない一方で、公民館をまったく設置しない自治体(約1割、横浜市、東京二三区等)もある。総じて大都市部は、1960年代の急激な都市化・人口急増にともなう学校建設や都市基盤整備に追われて、社会教育・文化施設の整備は大きく立ち遅れた。東京二三区(首都中心部)では、公民館設置は皆無(わずか練馬区、杉並区において別名称で設置されてきた)、類似の地域社会教育施設の設置を含めても、人口規模との対比でみれば、むしろ低水準の状況にあると言わなければならない。自治体間の格差は、単に施設数や設置率だけにとどまらず、施設機能の不全、とくに専門職員を含む人的運営体制の貧困として現れている。
社会教育施設に関する法制は、理念的に評価すべき側面があるが、現実の条件整備・基準法制としてはむしろ不備であり、自治体間格差・施設間格差の多くの実態を許してきたとも言えよう。*(5)
5、生涯教育・生涯学習をめぐる動向
日本「社会教育」概念は、国際的な用語となってきた「成人教育」「継続教育」あるいは「民衆教育」等と比べると、東アジア特有のものであり、その意味で国際的に少数派である。「学校の教育課程として行われる教育活動を除き」(社会教育法第2条)、いわば「社会における教育」としての社会教育は、単に成人だけに限定されるのではなく青少年を含み、また図書館、博物館、さらに地域活動、文化、レクリェーション等のノン・フオーマル活動を広く包含する独自の領域を形成してきた。このような日本特有の「社会教育」概念と実態の上に、「生涯教育」「生涯学習」に関わる国際的な論議が新しい潮流を創り出していくことになる。
「生涯教育」(life-long education)の論議が活発に動き始めるのは、1960年代後半から1970年代にかけてであった。社会的経済的な激動を背景として、生涯教育、学習社会、リカレント教育(OECD)、あるいは有給教育休暇制度(ILO)、識字教育等についての活発な国際的論議は、それまでの日本社会教育に大きな刺激を与えるものであった。なかでもユネスコ・国際成人教育協議会(ICAE)が開催してきた諸会議から受けた影響は大きい。ちなみにユネスコが主催した第3回世界成人教育会議が東京で開催されたのは、1972年のことであった。
それより7年前、パリ・ユネスコ本部で開かれた第3回成人教育推進国際会議において、ポール・ラングラン(P.,Lengrand)は、「生涯教育」についてのワーキングペーパーを発表し多くの注目を集めた。日本から出席していた波多野完治(お茶の女子大学教授)は、『社会教育の新しい方向−ユネスコの国際会議を中心として』(日本ユネスコ国内委員会、1967年)をまとめ、国際的な生涯教育論の動向を紹介した。日本の生涯教育・生涯学習に関わる論議は、この紹介が契機となって活発に動いていく。*(6)
わが国の「生涯教育」(1980年代後半には「生涯学習」用語が主流)論はどのような展開をみせるのであろうか。社会教育との関連を意識しつつ、ここでは歴史的な経過を含めて概括的に、いくつか要点をまとめておくことにする。
(1)生涯を通して人間形成・発達の営みが連続するという考え方は、たとえば古典的には論語の教えにもあり(「吾十有五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして惑わず。…」など)、また庶民の生活の知恵として「六十の手習い」といった格言にも示されるように、民衆意識のなかで継承されてきた。
(2)戦後社会教育の改革理念のなかには、「すべての国民」「あらゆる機会、あらゆる場所」(教育基本法、社会教育法の関連条項)の文言が示すように、「生涯」教育の思想が内在し、社会教育法には生涯教育の理念に通底するものがあると考えられる。
(3)P.ラングランに代表される生涯教育論の提唱には、現代社会の激動と課題を背景として体系的な教育改革が強く志向されていた。しかし日本の生涯教育論には「教育改革」や財政拡充を含む積極的な制度改革の視点は弱く、学校教育・社会教育を貫く体系的な改革・構想への志向は稀薄であった。
(4)1970年代以降において、社会教育審議会(「急激な社会構造の変化に対応する社会教育の在り方について」1971年)や中央教育審議会(「生涯教育について」1981年)等の答申にみられるように、日本の生涯教育も具体的施策化に向けての動きが始まる。しかしその後、生涯教育政策の流れは、国から地方へ、また公権力による上からの下達、の流れが支配的であった。また充分な行財政的措置を伴わず、産業界・企業サイドの民間活力論に傾斜する一方で、国民(住民・市民)の主体的参加や運動を尊重する姿勢は弱かった。市民運動、労働運動、民間教育運動等からは、そのような行政主導の生涯教育施策への反撥や批判が少なくなかった。
(5) 1980年代の臨時教育審議会による「生涯学習体系への移行」(1987年・最終答申)、それに基づく生涯教育・学習に関する初めての国家実定法「生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律」(1990年、生涯学習振興整備法と略称)は、公共的セクター拡充による生涯学習の体系的制度化という実質をもっていなかった。むしろ「民間事業者」(同第5条)の活用に力点があり、それも1990年代バブル経済の崩壊によって、法が期待した民間セクター活用は実際には成功しなかった。
(6) 1980年代の臨時教育審議会による教育改革の論議は、自治体とくに市町村における生涯学習計画策定の動きを刺激する一面があった。自治体によって一様ではないが、独自の審議機関の設置、計画づくりへの住民参加、本格的な地域調査、関連行政組織との連携など、注目すべき自治体「生涯学習計画」が登場することとなった。川崎市、松本市等の計画づくりはその典型的な事例として注目された。
(7)施策としての(上からの)生涯学習体系化の流れに抗して、住民側による主体的な生涯学習活動の取り組みがあり、住民参加による自治体生涯学習計画づくりや、NPO等による積極的な地域市民活動がみられた。その過程において、ユネスコ「学習権」宣言(1985年)が果たした役割は大きいものがあり、国際的な潮流が国内的な論議や運動と活発に響き合う状況がみられた。この動向のなかで、欧米だけでなく、中国・韓国など東アジアとの生涯教育・学習に関わる研究交流が新しく進展し、この間とくに韓国・平生(生涯)教育の躍動が日本に与えた影響は大きいものがある。*(7)
6,60年の蓄積と新しい胎動
1990年代から2000年以降の日本の社会教育・生涯学習の歩みは、停滞と昏迷、転換と再生の多難な歳月を迎えている。残念ながらこの間、地域的に蓄積されてきた社会教育を基盤として生涯学習が新しく胎動し、国際的背景をもつ生涯学習の思想によって社会教育の次なる地平が豊かに開かれる、といった調和的な発展の歩みをたどることができなかった。自治体によっては社会教育と生涯学習との間に混乱や不幸な葛藤があり、加えて行政・施設等の諸条件水準が低下し、職員集団の体制も後退して、実際の事業・活動が未来的な展望を見失っている地域もみられる。行政主導によって進められてきた体質は、行政改革−行政施策の後退や財政削減によって、直接的な影響を受けることになる。これまでの60年の蓄積は、繰り返して言えば、いま大きな転機に立っているのである。
しかし視点を変えて見ると、蓄積のなかから発展的な動きや新しい胎動も見えてくる。政策・行政の側の視点のみでなく、地域・自治体の市民・住民の活動の側から新しいエネルギーが動いている状況が現れている。市民相互のネットワークの拡がりには、これまでにない展開が始まっている地域がある。視点を地域と市民・住民の側においてみると、やはり60年の蓄積がもたらすもの、とくに市民活動の動きのなかに次なる躍動の可能性を予感させる動きがある。とくに1998年・特定非営利活動促進法(いわゆるNPO法)の制定は、市民活動の新たな発展の契機となり、「市民の学習を組織する主体としてのNPO」の出発点となってきた。(第15章「市民の学びとNPO」を参照)
このような停滞・転換の側面と、市民的な活動の胎動・再生のあと一つの側面は、今日の公民館をめぐる動きのなかに象徴的に現れている。政策・行政の側から見れば、公的施設としての公民館に関わる条件整備はたしかに後退している。統計的に施設数・職員数ともに減少傾向にある。とくに職員集団の実態は、残念ながら、明らかに弱体化の方向にあり、公民館主事専門職化の課題は明るい展望をまだ見出し得ない。
しかし他方で、公民館にかかわる市民の参加や活動は、この間、多彩な展開がみられる。市民グループが公民館を拠点に活動し、積極的な地域づくりの実践となり、公民館を支える市民ネットワークは重層性を増している事例も少なくない。たとえば、公民館活動のなかからNPO活動が胎動し(貝塚市)、地域福祉と結びついた公民館事業が創出され(松本市)、あるいは小地域の住民自治に根ざした集落公民館や地域史運動が躍動する(名護市)動きなどがそうである。*(8)
転換点にある公民館や、その行政・施策上の厳しい実態を憂慮するだけでなく、市民・住民の視点にたって、活動と実践の新たな拡がりに注目してみる必要がある。いま市民主導の公民館実践が、新たな水脈をつくって動き始めている動向は、これからの公民館の展望を考えていく上できわめて重要である。
戦後日本で最初に公民館を設立した長野県(妻籠公民館、1946年9月設立)では、その後も全県的に公民館の普及を進めてきた歴史を誇っているが、「60年の蓄積」を総括するかたちで公民館史第U版を公刊した。その冒頭に「信州の公民館−七つの原則」を提示している。すなわち、(1)町村・地区配置、(2)住民主体、(3)地域課題学習、(4)総合的地域づくり、(5)分館協同、(6)公民館主事の活動、(7)市町村自治、の公民館原則を掲げ、最後に今後の展望として「総合的な地域づくりの拠点」としての役割を強調している。これまでの蓄積と今後の展望を考える上で示唆的である。*(9)(小林文人)
7,市民主導の社会教育実践と市民運動
あらためて地方自治体の今日的状況を考えてみると、@中央集権型の地方自治から地方分権型への転換がすすむ一方で、A市町村合併(平成の大合併)による大都市制度の矛盾と地方の疲弊、B新自由主義政策による社会教育行政の縮小後退や教育委員会制度の見直し、首長部局への移管の動き、といった問題が現れている。自治体再編とともに、地域的な過疎化や高齢化が同時に進行し、「限界集落」と言われる地域も出現しており、深刻な社会問題を引き起している。
それだけに、いま社会教育・生涯学習には、生活課題・地域課題の解決に向けた新たな学習の編成が求められている。社会教育行政の弱体化に対応して、自立した市民の自主的主体的な市民活動・市民運動が望まれている。持続可能な社会の創造、より豊かな暮らし、自分らしい人生の創造のために、地域づくり・まちづくりを市民主導で推進することが期待される。そのための主体形成をはかる市民性の形成に向けた市民教育(citizenship
education)の開発と展開が日本の社会教育・生涯学習の今日的課題となってくる。
市民性とは、学習と実践の体験を通じて身につける民主的な自治能力・統治能力を内実とする「市民力」である。この市民力を高める学びが現在、社会教育・生涯学習に期待されている。公民館などの学習グループ・サークルの小集団活動は民主主義の学校と言われてきた。大きな団体と異なり小集団の構成員は、組織運営の役割を分担しなければならず、意見表明と調整、運営と総括、などの民主的力量を日常的な活動を通じて体験的に獲得するからである。こうした人たちがつながり支え合い、ネットワークを組むことにより地域社会を変革する力となり、地域文化を創出していくことができる。
2011年3月の東日本大震災で福島原発の被害を受けた飯舘村は、それまでの社会教育実践の蓄積のなかで培われた住民自治能力を活かしつつ、苦難にあえぎながら、復興に向けた住民連帯の取り組みに挌闘している。震災直後に国際社会から称賛された被災地各地の市民力・地域力の表出は、社会教育実践の道程を証明するものでもあろう。
ここで、社会教育実践に支えられた市民運動の発展過程とその到達点について、市民的力量と市民性形成の視点からあらためて概括しておきたい。日本の市民運動の発展過程の第一期は、産業経済優先の開発に対抗し、人間主義の開発に向けて立ち上がってきた市民運動であろう。それは批判と反対・抵抗型の市民運動の歴史であった。代表的な事例は、公害反対闘争や消費者運動などに見ることができよう。第二期は、参加と連帯による提案型・創造型の市民運動の歴史である。開かれた市民主体の自治体行政に参加しつつ政策形成の過程に市民が積極的に関与していく取り組みである。自治体の総合計画や社会教育施設計画や生涯学習計画などの策定にも関わり、図書館、公民館や児童館などの設置運動も展開している。第三期は、公共サービス部門の縮小と民営化が進むなかで、行財政改革と地方分権の推進による市民性の形成により地域づくり・まちづくりに主体的に関わる参画・協働型の市民運動の最近の状況である。NPO・NGOなどの新しい公共性を担う市民運動が生まれてきている。それまでの市民運動とは異なり、より積極的に主体的に地域課題を掘り起こし、地域的な課題を共有し、問題解決のための学習化を図り、直接的に市民の意思を行政に反映させる市民運動である。市民と行政が対等な関係で連携して、相互にもつ知識・技術や専門性を発揮しあう「市民協働」の地域づくり・まちづくりが特徴となっている。
こうした市民運動の発展過程は、日本の地方自治の展開と表裏一体となっている。動員型、参加型、参画型、協働型という住民自治の発展の歩みとも重なり、同時にまた社会教育・生涯学習による「市民社会の創造」への道程とつながっている。
8,脱皮・再生への課題
戦後教育改革からすでに半世紀を経て、この間に蓄積してきた社会教育・生涯学習の公的体制をどのように再創造していくかが問われている。公的体制の低水準化が憂慮され、同時に固定化・形式化しがちな制度や組織を、市民にとってのみずみずしい公共空間へどのように脱皮・再生していくか、いま「再創造」への大きな転換点に立たされている。以下の各章において、それぞれの個別テーマにしたがって諸課題が提起されているが、ここでは全体的な視点から、序章のまとめとして再創造の課題を5点ほど記しておきたい。
1)市民的公共性の追求
現在、社会教育実践から生まれた地域活動、NPOなどの市民活動が地域づくり・まちづくりに向けて活発に展開しており、その成果が注目されている。地域における「子育てネットワーク」などの市民運動は、子どもを核としての地域づくりの可能性を示唆している。それを支援する各地の「ボランティア・センター」や「市民活動支援センター」などと社会教育施設との連携がいまあらためて課題となってきた。1990年の国際識字年を契機に80年代後半から増え続ける外国人市民の識字学級(日本語教室)なども、その多くが市民ボランティアによって支えられており、行政と市民の協働によって豊かな取り組みが可能となる。また高齢者の介護や生き甲斐開発なども、行政には手の届かないきめ細かなサービスを市民グループがボランティアとして取り組んでいる。市民活動の情報収集・提供、そのネットワークづくりも各地で活発になってきている。 これらの躍動を背景に、行政主導の体質をもってきた社会教育・生涯学習の施設や活動を市民すべてに開かれた公共空間に脱皮させていく課題が求められている。
2)現代的課題への取り組み
持続可能な社会を次の世代に引き継ぐために、現代に生きる人々が克服すべき諸課題が山積している。国際的には地球温暖化と環境保護、経済開発とエネルギー問題、平和・人権・多民族共生、安全で安心な食糧の需給、さらに国内的には貧困問題や社会的格差、超少子化・高齢社会の問題、年金、介護、医療、地域連帯など広汎な課題が指摘される。とりわけ福島原発の事故を契機とする原子力とエネルギー問題が国民的な緊急課題として私たちに突きつけられている。こうした現代的課題に取り組むために、市民的関心を拡げ情報を共有し専門的知見を含めた学習が求められる。文字通り「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー」の実践が各地で展開される必要がある。あらためて「行動的な市民」としての成人教育(ハンブルク宣言、1997年)や、知る・行動する・ともに生活する・人間として生きる−「学習の四つの柱」(ユネスコ21世紀教育国際委員会)等の提言を想起しておきたい。*(10)
現代的諸課題に向かって広い視野をもって取り組むということは、実際の市民運動のなかに生涯学習の意味を発見することであり、激動する現代に格闘していこうとする初心にかえって社会教育・生涯学習を再創造していくことであろう。
3)職業・労働に関わる教育・訓練
日本の社会教育は、職業教育(vocational education)を重視した成人教育型ではなく、教養教育(liberal
education)や趣味・レクリエーションを含む「社会における教育」として展開されてきた歴史であった。旧教育基本法第6条「社会教育」は「勤労の場所」における教育を規定していたが、社会教育法では職業教育・訓練についての条項は皆無に近く、現実に日本の社会教育における職業教育の実態は貧しい状況におかれ、職業能力開発・技能訓練・資格取得などの「職業教育」はほとんど視野の外におかれてきた。
日本の職業教育・訓練は、文部科学省所管ではなく、厚生労働行政の系列におかれてきた。実際に就労と直接結びつく職業教育や技能訓練は、厚生労働省の所管として各都道府県のハローワーク・職業訓練所や「職業能力開発促進法」のもとに設置された「高齢・障害・求職者支援機構」(独立行政法人、2011年10月名称変更)によるポリテクカレッジ・ポリテクセンター・職業訓練施設等で実施されてきている。また学校教育法による専修学校・各種学校は、多くの専門的技術的な職業教育や資格訓練を多彩に展開している。
しかしながら昨今の青年にみられるニートやフリーター、非正規雇用、失業者・離職者の増大などの社会労働問題は、社会教育・生涯学習においても職業教育・訓練の取り組み、その必要性を再認識させる契機となっている。従来からも学校教育で行う児童生徒の「職業体験」「職場訪問」を社会教育実践として地域やNPOが支え協力するという活動は各地で行われてきている。*(11) 公民館でもこれまで一部に職業技術関連講座が開設されてきた例があるが、いずれも単発的な事業で、資格付与に至らず体系的・制度的なものにはなっていない。
社会教育・生涯学習における職業教育の在り方については、行政の関連所管、産業界・企業、教育研究機関などの連携が大きな課題となる。社会にある多様な教育的資源を結び、労働行政、学校教育とも連携協力して職業教育のあり方を体系的に構築する必要がある。その点では、最近の文部科学大臣諮問(2008年12月)による中央教育審議会が生涯学習の観点に立って答申した『今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について』が注目される。*(12)
これまでの社会教育・生涯学習と職業教育・訓練との制度的分離の状況をふまえて、今後どのように職業・労働と教育・学習を生涯学習として関連させ結合していくか、国際的な動向をも背景にいれて、基本的な課題として検討していく必要があろう。
4)専門職制度と職員集団の再構築
社会教育主事、公民館主事、図書館司書、博物館学芸員などの社会教育専門職制度(とくに施設職員の専門職化)の再構築が望まれる。市民の学習要求に応え、地域課題・生活課題を把握し、国際的な視野に立ち、未来を見据えて展望し、学習を組織化する人権感覚の豊かな教育専門職の必要性が高まっている。市民社会の創造に向けて、様々な市民と市民を結ぶ、市民と行政や企業を結ぶ、異なる運動体と運動体を結ぶ、異なる専門性と専門性を結ぶ、あるいは大学などの教育機関と市民や行政を結ぶ、国際的な活動を紹介し共に活動を連携する、などの高いレベルの知識と幅広い見識をもった専門職が求められている。地域再生・復興に関わる「地域支援コーディネーター」(仮称)などの具体的な提唱も、社会教育専門職制度の構築と大きく関連している。
とりわけ、地域における福祉行政と教育行政との連携のように、それぞれの専門職が専門性を発揮し合い、縦割り行政の壁を乗り越え、行政間の連携協力をはかってきた実践に学び、前述した職業・労働に関わる教育・訓練についても、労働行政と教育行政との専門職の連携の必要性が強く求められる。
5)生涯学習法制に関する立法論
日本の「生涯学習振興整備法」(1990年)は、社会教育・生涯学習に関わるユネスコ「学習権宣言」や「子どもの権利条約」といった国際的な理念に照らし、残念ながら高い水準の立法とは言い難く、課題を多く残している。教育行政改革の名のもとに社会教育・生涯学習の行政部門を首長部局に移管し権力のもとに置く自治体が増え、首長が変わる度に教育政策が変わるという政治志向も危惧されている。「教育の中立と自由」、「市民の学習権保障」が脅かされることがあってはならない。日本各地には注目すべき先進的な自治体の生涯学習計画が策定されており、こうした自治体実例も参照し、関連する周辺諸法令も勘案し、日本独自の総合的な生涯学習法の立法化の努力が期待される。あらためて時代の要請に応える生涯学習体制の構築を求めて、専門研究者の論議もふまえて積極的な立法論論議の取り組みを望みたいものである。(伊藤長和)
参考文献
(1)石井山竜平編『東日本大震災吐瀉会教育−3・11後の世界とむきあう学習を拓く』(国土社、2012年)
(2)碓井正久「社会教育の概念」、長田新監修『社会教育』(お茶の水書房、1961年)
(3)社会教育法及び公民館等の成立過程に関する諸資料については、横山宏・小林文人共編『社会教育法成立過程資料集成』(昭和出版、1980)、同『公民館史資料集成』(エイデル研究所、1986年)に詳しい
(4)社会教育推進全国協議会編『社会教育・生涯学習ハンドブック』第8版(エイデル研究所、2011年)。また2012年には『社会教育・生涯学習辞典』(同編集委員会、朝倉書店)が刊行された。
(5)公民館についての研究調査・諸資料については、日本社会教育学会編・特別年報『現代公民館の創造』(東洋館出版社、1999年)、小林文人・佐藤一子共編『世界の社会教育施設と公民館』(エイデル研究所、2001年)、日本公民館学会編『公民館・コミュニティ施設ハンドブック』(エイデル研究所、2011年)等参照
(6) 日本ユネスコ国内委員会『社会教育の新しい方向−ユネスコの国際会議を中心として』(1967年)、波多野完治『生涯教育論』(小学館、1972年)
(7)東京・沖縄・東アジア社会教育研究会(TOAFAEC)発行『東アジア社会教育研究』第16号(2011年)所収、小林文人・李正連・上田孝典「東アジアにおける研究・交流の歩みと新しい地平」等
(8)前掲『社会教育・生涯学習ハンドブック』収録の実践事例、長澤成次『公民館で学ぶ』T、U、V(国土社、1998〜2008年)、小林文人・島袋正敏『おきなわの社会教育』(エイデル研究所、2002年)等(9) 長野県公民館運営協議会発行『長野県公民館活動史U』(同協議会、2008年)。
(10) ユネスコ・21世紀教育国際委員会報告書『学習−秘められた宝』(監訳・天城勲、ぎょうせい、1997年)
(11)2004年の第53回読売教育賞地域社会教育活動部門最優秀賞の川崎市臨港中学校区地域教育会議は地域の協力のもと、職業体験実習を開設している。
(12)『今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について』(中央教育審議会、2011年1月31日)文部科学省生涯学習政策局政策課。第5章の「生涯学習の観点に立ったキャリア形成支援の充実方策」のなかでは、「職業に関する生涯にわたる学習を支える基盤の形成」を提起し、第6章では、家庭・学校・地域や産業界、また省庁間、学校間や異校種間、ボランティアやNPO、などとの様々な連携の在り方が論じられている。
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