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小林文人・伊藤長和・梁炳賛 共編
日本の社会教育・生涯学習−草の根の住民自治と文化創造に向けて−
 
(韓国・学志社、2010年10月刊) ハングル版
  
定価:20,000万ウオン、ページ数:全544頁


小林文人・伊藤長和・李正連 共編                      
日本の社会教育・生涯学習新しい時代に向けて 日本語版→■
    (大学教育出版、2013年刊)
*「韓国の社会教育・生涯学習」 (エイデル研究所、2006)→■



◆目次・執筆者一覧 (日本語版)

はじめに  
小林文人(東京学芸大学名誉教授)、伊藤長和(中国山東工商学院)、梁炳賛(公州大学)

序章 日本の社会教育・生涯学習の特質と課題       小林文人、伊藤長和
【コラム@】韓日社会教育の架け橋・黄宗建先生  金済泰(元・韓国文解教育協会会長)

第T部 社会教育・生涯学習の歴史と現在
第1章 戦前の社会教育の生成               松田武雄(名古屋大学)
第2章 戦後社会教育の展開―戦後改革から反改革へ  新海英行(名古屋柳城短期大学)
第3章 社会教育・生涯学習の現在          石井山竜平(東北大学)

第U部 社会教育・生涯学習の法制と施設・職員 
第4章 社会教育法制と生涯学習振興整備法    姉崎洋一(北海道大学)
第5章 社会教育・生涯学習施設と地域社会  手打明敏(筑波大学)・生島美和(弘前学院大学)
第6章 社会教育職員と専門職問題        長澤成次(千葉大学)
第7章 職業・労働と社会教育     浅野かおる(福島大学)
第8章 大学と生涯学習にかかわる事業の展開〜和歌山大学の事例から
              山本健慈(和歌山大学)

第V部 生涯学習の展開

第9章 子どもの成長と地域活動     小木美代子(日本福祉大学特任教授)
第10章 青年の学びと運動         浅野かおる(福島大学)
第11章 女性の学習と社会参加      千葉悦子(福島大学)
【コラムA】揺籃から墓場まで、記録の達人たち   鄭賢卿(公州大学(非))
第12章 高齢者の自己実現と学習     辻 浩(日本社会事業大学)

第W部 実践と運動の潮流    
第13章 識字・日本語学習運動の展開〜大阪を中心に〜  森 実(大阪教育大学)
【コラムB】韓国と日本の文解学習者たちの出会い
      マンヒ(元・全国文解成人基礎教育協議会共同代表)
第14章 地域福祉と生涯学習〜障害をもつ人への学習保障とノーマライゼーションの課題〜
                       小林繁(明治大学)
第15章 市民の学びとNPO      佐藤一子(法政大学)
【コラムC】日本における下からの生涯学習を見て  金南宣(大邱大学)
第16章 地域づくりと生涯学習     上野景三(佐賀大学)

第X部 地域社会教育の計画と実践  
第17章 神奈川県川崎市の生涯学習と市民運動
    伊藤長和、小田切督剛(川崎市教育委員会)、金侖貞(首都大学東京)
【コラムD】私たちを感動させた川崎  李珍雨 (富川地域小さな図書館協議会総務)
第18章 長野県松本市の公民館と地域福祉
      手塚英男(元・松本市中央図書館長、同市南部公民館長)
第19章 大阪府貝塚市の社会教育職員と市民ネットワーク〜社会教育実践・住民の自己教育
     活動と職員の共同、その発展過程〜   松岡伸也(和歌山大学特任教授)
第20章 沖縄県名護市の集落自治と集落(字)公民館
                島袋正敏(元・名護市中央図書館長、同市博物館長)
終章 日本の社会教育・生涯学習の展望〜制度的現実と理論的未来の間で〜
                          末本 誠(神戸大学)
特別報告
特別報告T 日韓生涯教育交流の歴史と課題    笹川孝一(法政大学)
【コラムE】韓国と日本の社会教育の知的呼吸
         朴仁周(前・平生教育振興院長、現・青瓦台社会統合主席)
特別報告U 多様化・多元化する日韓生涯学習交流の発展    梁炳賛、金侖貞
【コラムF】韓日社会教育界における永遠の出会いについて
                崔云實(韓国平生教育総連合会会長、亜州大学)
あとがき    李正連(名古屋大学)

参考資料
T.法律(抄録)   編集委員会
    *日本国憲法、教育基本法、社会教育法(全文)、図書館法、博物館法、スポーツ振興法。 
     生涯学習振興整備法

U.社会教育・生涯学習に関する主要な通牒・テーゼ・宣言等 (10本)抄録 解題:編集委員会
  1,公民館の設置運営について(次官通牒)  2,社会教育をすべての市民へ(枚方テーゼ)
  
3,公民館主事の性格と役割(下伊那テーゼ) 4,新しい公民館像をめざして(三多摩テーゼ)
  5,町内公民館のてびき(松本市)  6,中小都市における公共図書館の運営(日本図書館協会)
  
7,第三世代の博物館論(博物館問題研究会)   8,同和対策審議会答申(同和対策審議会
  
9,かながわ識字宣言(同プロジェクト実行委員会)  10,子どもの権利条例川崎市

社会教育年表

索引
執筆者及び翻訳者、編集委員会一覧、編者略歴



◆編集委員会 小林文人、伊藤長和、梁炳賛、李正連、浅野かおる、小田切督剛、金侖貞

◆翻訳 李正連、金侖貞小田切督剛、浅野かおる、肥後耕生、尹敬勲

◆出版社:ソウル・学志社(社長・右、副社長・左)2023年7月・東京にて




◆はじめに(編者・梁炳贊訳:李正連

 近年、韓国の平生教育実践家や学者が日本の社会教育現場をみるため、日本を多く訪ねている。日本の学者や実践家も韓国の平生教育政策や実践現場の力動的な変化に対して高い関心を見せている。このように、両国の交流関係はますます活発になっているが、一方で歴史文化的・制度的脈絡、実践の観点等のくいちがいにより、相手の国の現象に対して正確な理解に困難を抱えてきた。それ故、日本では2006年に、韓国の平生教育を紹介した『韓国の社会教育・生涯学習:市民社会の創造に向けて』が出版されており、同様の目的から日本の社会教育・生涯学習の歴史、制度、実践、研究等を網羅した本書が、4年ぶりに韓国で刊行されるようになったのである。偶然にも今年は「韓日強制併合条約100年」になる年でもあり、非常に感慨深い。
 韓国と日本は千年以上の長い歳月の間お互いに大きな影響を与えあいながら、隣国として生きていた。百済の王仁博士の渡日、百済流民の定着、朝鮮通信使の訪日、壬辰倭亂(1592年)、韓日強制併合条約、8・15光復、在日韓国人、最大の交易国家、ワールドカップ共同開催、韓流など、隣国だからこそ伴う頻繁な交流による協力と葛藤があったといえる。「近くても遠い国」という言葉もこのような歴史的関係からつくられた言葉であろう。
 このように、長い間流れてきた両国交流の多様な波の中で、社会教育・生涯学習分野の関係者らは、独自的で、かつ特別な和合と協力関係、そして強い連帯をつくり続けてきている。1991年、両国の社会教育・生涯学習関係者らが本格的に交流するようになったことをはじめとし、ソウル、大阪、大邱、川崎を行き来しながら「韓日社会教育セミナー」を開催した。ここで彼らは共同の価値と実践課題を持っている同志として互いを認識し、セミナーを持続してきた。とりわけ、第2回の大阪セミナーは日帝植民地時代の反省という観点から「平和教育」をテーマとして開催された。韓日関係の新しい未来へ進んでいくにあたって、過去の歴史問題がいつも障害物となる状況の中で、社会教育・生涯学習分野における出会いはこのように過去の歴史問題を乗り越えた新たな関係をつくりあげているのである。
 社会教育・生涯学習の新たな関係が作られた様々な理由の一つは、「違い」から来る相互学習の必要があったからだといえよう。日本は、1949年の社会教育法制定後、社会教育体制が整備されており、その歴史が60年を超え、社会全般に深く根を下ろしている。これに対し、韓国の平生教育体制が整備されたのは、1999年平生教育法への全面改正の後である。しかし、最近韓国平生教育の変化速度やその力動性は爆発的であるという評価を受けている。また両国で使われる概念においても違いがあるが、韓国は2000年代以降、社会教育という用語の代わりに、平生教育という用語を全面的に使っている。これに対して、日本においては社会教育と平生学習という用語を概念的に区別しており、政策用語としても区別して使っているが、この二つの概念は、そのニュアンスにおいて一定の葛藤関係をもつものとしてみられる。
 このように概念や体制、実践等において日本の社会教育・生涯学習について正確に理解することが必要であるため、本書のもつ意義は大きいと思われる。したがって、本書は次のような意図と目的から執筆されたことを記しておきたい。第一に、本書は韓国では初めて日本の社会教育・生涯学習を総合的に紹介する本である。第二に、基礎的な認識と研究的課題を提供し、両国関係者の必読図書にしようとした。第三に、日本社会教育の歴史的蓄積を正確に伝え、地域づくりと市民の学習という観点から今後の展望と課題を導き出す。第四に、歴史・法・制度のみならず、地域の実践、住民運動も取り上げた。したがって、単なる理論書ではなく、地域事例も多く紹介し、資料編では社会教育実践と運動の中で関係者が共有してきた「10の実践宣言(テーゼ)」を載せている。
 日本の社会教育・生涯学習は、安定的な体系と積極的な住民参加を通して、長い間質的・量的に多様な経験を蓄積してきた。一方、急激な変化過程において法制度的整備と実践運動の力動性を機敏に苦心している韓国の状況もそれなりの力を持っている。このように、その歴史及び発展様相や住民参加の水準と力動等が異なるが、社会教育・平生教育の「体制と運動の関係」に注目しながら、相互に学び合うことは重要な意味を持つと思われる。
 本書では、両国の平生教育体制における力動性(ダイナミックさ)に注目してみたい。日本と韓国の法制度的出発点は異なるが、成長曲線の中で現在どの地点に置かれているかは把握することができる。日本の場合は法制度の基盤内における条件整備という助長的態度と長い慣性に対する批判的な力が緊張し合っているようにみえる。近年日本は社会教育予算の減少、生涯学習施設に対する指定管理者制度の導入、社会教育主事必置条項の修正等の制度的後退を見せている。このような日本の状況からみれば、韓国の課題はより鮮明にみえる。言い換えれば、安定した社会教育体制から新たな生涯学習振興整備法(1990年)の制定によるシステム的葛藤を経験している日本の現実が、平生教育支援体制の変化に直面している韓国の平生教育体制化に反面教師となりうると思われる。また、長い歴史的実践経験を持つ日本の公民館において依然として専門職員の役割が持続的に強調されている点は、我々がこれまで主張して部分的ではあるが、成果を出している平生教育士の専門職化が平生教育の発展において普遍的な課題であるという確信を持たせる。
 これとともに、我々は日本の社会教育において住民参加がもとになった草の根の住民教育運動の力、そして体系と住民参加の運動性との関係に注目しなければならない。これまで日本の社会教育は地域主義の歴史を継承してきた。韓国の平生教育も地域体制の比重が大きくなってはいるが、まだ住民の生活の中にまでは近づいていない。日本の学習共同体の典型ともいえる松本市や沖縄の名護市、川崎市の事例からみれば、住民の参加と連帯に社会教育が大きく寄与したことを確認することができる。もちろん韓国においても洪城のプルム地域をはじめ、釜山海雲台のパンソン地域、ソウルの蘆原地域、城美山マウル(=村)、忠清北道の清原地域、全羅北道益山のハムヨル地域等、多くのマウル草の根共同体が存在している。このようなマウル共同体は地域的課題を解決するために、住民の主体力量を強化(エンパワーメント)するための住民学習を強調するマウル教育共同体的観点が浮き彫りになる一つの流れをつくりだしている。このような流れの中で、両国に既に存在している、小さいが活力の持つマウル共同体に対する深い相互研究や実践交流が求められる。
 次は、転換期に立っている日本社会教育・生涯学習を検討しながら、韓国社会教育・平生教育の展望について考えてみたい。まず実践と研究との協力である。社会教育・平生教育分野において、日本と韓国における学者と実践家たちとの関係設定には大きな違いがある。韓国は現場と研究両者間の関係にある程度境界(隔たり)があるといえるが、日本の場合は「実践的研究者」や「研究的実践家」という意識が強く働き、お互い独立的でありながらも、相互参加的特性を持っているということである。平生教育現場の質的成長のために、我々も研究と実践とが相互有機的関係を持ちながら、参加研究的成果をつくりださなければならないと思われる。
 また、これまで韓国の平生教育学界は、西欧中心的研究傾向を有していた。文化的背景や個人の情緒、政策受容方式等において大きく異なる西欧の成人教育研究や実践を学問的・実践的準拠としてきたのである。しかし、これからは社会教育・平生教育の実践や研究において東アジア中心の交流を始めなければならず、その時が到来していると思われる。現在、我々が直面している課題は、グローバル化・新自由主義政策によって生じたものである。社会格差の深刻化によって発生する教育や保育、福祉、失業等の住民の生活問題は、社会教育・平生教育の課題とならなければならない。とりわけ、農村の過疎化、人間関係の断絶、社会・経済的格差、労働人口の国家間移動等の問題においては、地域脈絡的観点が求められる。韓日両国は、多様な歴史的段階においてつくられた状況の中で共通の課題に直面しているといえる。両国はこれまで蓄積してきた様々な経験を媒介にして、一緒に学習し、相互発信・受信する循環的関係を持続的につくっていくことができると思われる。
 韓国と日本は、これから新たな100年の始まりに面している。社会教育と平生教育は両国の新しい関係づくりに確実に寄与すると思われる。考え方や行動の変化、新たな出会いと協力的関係、分かち合い、疎通する生活、学びあい、共に成長する共同体等、これらのすべてが社会教育と平生教育に内在している原理であり、力だからである。そこで、韓国と日本の社会教育・平生教育実践、政策、研究等の様々な側面から緊密な疎通を通して、ともに学ぶ学習共同体としての持続可能な交流を期待する。
 この紙面を借りて、日本社会教育・生涯学習について加減することなく紹介してくださった執筆者の先生方と、翻訳の労苦を担当してくださった多くの先生方、特に韓日平生教育交流において架け橋の役割として本書の編集を担ってくださった李正連先生、小田切督剛様、浅野かおる先生、金侖貞先生に深くお礼を申し上げたい。なお、韓日両国の社会教育・平生教育関係者と学習者との持続的な連帯をお祈りする。
 2010年夏、小林文人、伊藤長和、梁炳贊(文責)
           



出版記念会第二部、右端・梁炳贊氏、2人目・金南宣氏、左から4人目・李正連氏(韓国・大邱、20101007




◆あとがき編集委員会・李正連)

 2006年、日本で『韓国の社会教育・生涯学習〜市民社会の創造に向けて〜』という本が出版された。韓国社会教育・生涯学習に関する本を日韓両国の社会教育研究者及び実践家が一緒に作った初の試みである。当時、日本の名古屋大学大学院博士課程に在学中であった筆者もその本づくりに参加する光栄をいただいた。
 筆者は、名古屋大学で2005年3月に博士学位を取得した後、韓国の複数の大学で非常勤講師をし、2006年10月に母校である名古屋大学の助教授として赴任することになった。日本の国立大学の社会教育学分野において韓国人としては初めて研究職についた筆者は、何よりも日韓両国間の社会教育交流において架け橋的な役割を果たさなければならないという使命感を持っていた。韓国と日本の社会教育に関する正確な情報や長短所を両国に紹介し、また両国の学術的・実践的交流を図って、相互の成長できる関係をつくりあげたいと思っていた。
 ちょうどその時、日本内の「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会(TOAFAEC)」という研究会で韓国の平生教育に関心を持つ研究者や社会教育職員を中心に韓国平生教育に関する研究会をつくろうという話が提案された。日本で研究者として本格的に活動するようになった筆者にとって、このような提案は非常に嬉しいことであった。そこで、2007年2月21日に川崎市高津市民館において「韓国生涯学習研究フォーラム」が創立され、第1回研究フォーラムが開催された。筆者はこの研究フォーラムにおいて、当時韓国に日本の社会教育・生涯学習に関する情報が偏って伝わっている点を指摘し、日本の状況を正確に理解し、研究交流のできる土台をつくるために、上記の『 韓国の社会教育・生涯学習』を韓国に翻訳・出版することを提案した。しかし、議論を重ねる中で翻訳よりはむしろ韓国に日本の社会教育・生涯学習を正確に知らせる本を出版した方がよいという結論に至るようになった。そこで、筆者は、同年の4月21日に開かれた第2回研究フォーラムで、『日本の社会教育・生涯学習』(仮)の出版を提案し、直ちに編集委員会を構成して編集委員会の事務局長を担当するようになった。
 筆者が、このような出版を提案するようになった理由は、韓国に日本の社会教育・生涯学習がその一部分(例えば、生涯学習都市、生涯学習フェスティバルなど)だけが紹介されており、されにそれが日本社会教育の全部であるかのように認識されているような印象を受けたからである。しかし、日本にはそれらよりもっと優れた多様な実践が多いという点、また社会教育の歴史及び政策等についても正確に理解してもらいたいという思いがあった。
 本書は、序章と終章を含めて計22章にわたって、日本社会教育・生涯学習の歴史、政策、実践、地域事例までを盛り込んでおり、各章は日本の社会教育専門家の中でも各分野を最も代表する研究者及び実践家に原稿執筆を依頼した。日本でもまだ社会教育分野において、今回のように数多くの研究者と実践家が一緒に日本の社会教育を網羅する本を出版したことがないため、韓国での出版後、日本及び中国に同書の翻訳版を出版しようという話も出されている。
 しかし、このように大きな意味をかけて始まった本づくりだからこそ、その負担感とともに、苦労も多かった。25名以上の執筆者が参加していたため、予想より原稿が締切日まで届かないことや、すべての原稿を韓国語に翻訳しなければならない苦労もあった。執筆者の大半が非常に多忙な方々だったので、締切日を過ぎてしまった執筆者には丁重に原稿を督促しなければならず、一方では期日を守って早く原稿を提出してくださった方々に出版の遅延について説明し、ご了解を得なければならなかった。このような状況によって、予定より約1年半も遅れて出版に至ったのである。
 一方、本書は、3年を超える期間中、ほぼ毎月編集委員会を開催して編集会議が行ったが、提出されたすべての原稿は編集委員会で精読・討論した後、各執筆者に修正・補足をお願いして完成された。このような原稿修正作業も共著の本づくりでは初めての試みとして、執筆者に大変失礼で、ご迷惑をかけることになるのではないか、と大変気を遣う部分であった。幸いにすべての方々が快く応じてくださり、時間は長くかかったものの、韓国の読者にとってより理解しやすい本を作ることができた。さらに、1年以上の翻訳と修正作業を編集委員会のメンバーをはじめ、公州大学の梁炳贊先生及び大学院生からの協力を得て進めた。この場を借りて、長い時間待っていただいた執筆者の皆様に改めてお詫びとともにお礼を申し上げ、なお、翻訳よりも大変な修正作業を担当してくださった公州大学大学院生のキム・ボラム氏とパク・ヘウォン氏にも深く感謝の意を表したい。
 本書が作られる間、社会教育・生涯学習における日韓交流はとても活発に行われた。その内容について、詳しくご紹介できなかった点も多少ある。しかし、本書を契機にして、これからも日韓の社会教育・生涯学習における相互理解と交流を図ることのできる書籍が多く出版されることを期待する。
      2010年10月    編集委員会事務局長・李正連




出版記念会(韓国・大邱、−2010年10月7日-)
 卓上に故黄宗建先生の遺影、前列右より4人目に金信一先生(元副総理、教育人的資源部長官)






 
◆特別コラム(韓国側寄稿)

【特別コラム@】
韓・日社会教育の架け橋・黄宗建先生     

        金済泰(元・韓国文解教育協会会長)
 

 筆者は、このコラムにおいて、日本の研究者たちの東アジア、特に韓国社会教育に対する誠意と努力に敬意と感謝の意を深く表現し、短いが日韓社会教育の架け橋の役割を担った黄宗建先生に関するお話をしたいと思う。
 韓国の社会教育を論じるならば、その言説が必然的に黄宗建先生の生涯と結びつかざるを得ないと考える。彼が生きた時代の世界的な教育思潮が提起した問題である'教育の機会均等'を実現するために、正規の教育として代表される学校教育制度だけでは限界があるという問題意識を強く提起した黄宗建先生は、非正規教育である社会教育を韓国社会に紹介し、創意的な努力を発揮し、韓国社会教育の地平を広め、韓国社会に社会教育を学問的に接近させ展開し、実践運動を奨励し拡張させた方であると表現できるであろう。
 元々教育社会学専攻者であった黄先生が、1966年に先輩である金宗西先生、金昇漢さん、そして同僚の研究者たちと韓国教育学会内に社会教育研究会(韓国社会教育学会の前身)をつくり、始めた社会教育研究は、その後数多くの社会教育学に関する論文と単行本・学術書が出されるきっかけをつくって社会教育学が位置づくようにし、韓国社会教育の発展に大きく寄与した。もう一度言うが、黄宗建先生の創意と熱誠がそのまま韓国社会教育の発展と社会教育の国際交流を導いたと言える。
 その例として、黄宗建先生の主導により創立された韓国社会教育協会は、韓国社会の多くの影響力がある機関と関係者たちの自発的な参加と活躍をまとめ、韓国社会の学習社会化を促進し、社会教育の国際交流協力における媒介としての役割を担った。また、文解(識字)教育振興のために韓国社会教育協会、ユネスコ韓国委員会、ユネスコアジア・太平洋地域事務局(UNESCO PROAP)、国際成人教育協会(ICAE)、アジア南太平洋成人教育協会(ASPBAE)の協力を受けて創立した韓国文解教育協会(会長:イ・ソンジェ)の活動は、現在とても幅広く展開されている。さらに日本、中国、ベトナム、モンゴルなどの国々との社会教育交流事業は、黄先生の主導により創立された韓国国際教育文化協会(会長:ソン・ソクホ)を中心に活発に行なわれている。
 黄宗建先生の社会教育運動は、韓国の社会教育と国際社会教育運動を連結させながら様々な国の社会教育研究者および社会教育活動家たちとの交流と協力を導き、特に日本の研究者たちとはとても緊密な関係であった。彼が英国マンチェスター大学での修学時、共に勉強した諸岡和房先生とは深い友情により社会教育の国際的関係について熟議したことを知っており、小林文人先生をはじめ多くの日本の社会教育研究者たちと生涯晩年まで親密な関係を形成してきた。その関係は単に個人間の友誼に終わることなく、韓日社会教育の交流協力と友好増進の道へと発展された。
 晩年には、中国山東省維坊にある山東科学技術大学に招聘教授として在職し、積極的な教育活動により山東省教育委員会の功労表彰を受けたりもした。しかし、中国で3年余りを過ごし健康を失い、哀惜ながら2006年7月20日に他界された。あまりにも思いがけない黄宗建先生の逝去は、哀惜感を超え人生無常を実感することとなった。

 2008年7月22日、忠清北道槐山郡(クェサングン)青川面(チョンチョンミョン)松面里(ソンミョンリ)の裏山の麓に見事に育った松の木の下にある黄宗建先生のお墓に、小林文人先生をはじめ日本社会教育学界関係者がお墓参りをされた。沖縄から直接持って来られたお酒を沖縄でつくられた杯に注ぎ追慕を行なった。その席で筆者は韓国の招魂慣例を説明し、黄宗建先生の魂を彼の名前で呼んでみようと思いついた。参席者全員が声に追慕の念を込め大きな声で叫んだ。
 黄宗建!黄宗建!黄宗建!
 みんなの目頭が赤くなり、黄宗建という名前のこだまが山峡に響いた。小林先生は、'黄宗建先生の魂が本当にやってきた感じがした'と言われた。続いて筆者が黄宗建先生と人生の黄昏を話しながら歌った日本の童謡'夕やけこやけ' と韓国歌謡 '愛してます、あなたを' を一緒に歌い、お供えした杯を交わした。2009年7月28日にもやはり小林文人先生一行は黄宗建先生のお墓参りをして、再び招魂と歌を斉唱した。
 事実、日本では黄宗建先生を追慕するために、彼が編者として加わった『韓国の社会教育・生涯学習』の表紙に追悼の意を込め、また「東京・沖縄・東アジア社会教育研究会」発行の『東アジア社会教育研究』第11号(2006)に '追悼・黄宗建先生特集' を組み、追慕の意をあらわしたりした。それらの本は黄宗建先生のお墓に捧げられ、2009年のお墓参りでは、その年の2月に中央大学校で博士の学位を授与された肥後耕生さんの博士学位論文「黄宗建の社会教育理論と実践研究」も捧げられ、粛然としたなかで、大きな意義を感じた。
 これらのことは単に黄宗建先生という特定の人物に対する追慕だけではなく、彼が志した社会教育運動の国際協力精神を高め、韓国と日本との間の緊密な協力と両国の関係者たちの友誼をさらに固くする先例となると信じる。私は、小林先生一行の中には黄宗建先生と一度も面識のなかった方たちがお墓参り時に見せた丁重で親和的な態度にも明らかにその可能性を感じた。
 韓国社会教育の松明を聖火のように持ち走りながら、韓国社会教育と日本社会教育の交流協力と友好増進の架け橋としての役割を担い逝去された黄宗建先生の姿が改めて懐かしい。
     (訳:肥後耕生、金ボラム)

関連記事→黄宗建・自分史を語る■


右・黄宗建先生「自分史を語る」、中央に金済泰牧師、左・小林文人 (ソウル・世宗ホテルにて、19990301)

黄宗建先生・追悼! 先生の松を囲んで−案内・金済泰牧師(左3人目) (忠清北道槐山郡青川面松面里、20080722)





【特別コラムA】
ゆりかかごから墓場まで、記録の達人たち   
      鄭賢卿(慶熙大学校・専任講師)

 日本人といえば、繊細、緻密、誠実など、いろいろなイメージが浮かぶだろうが、記録を残すことに関する限り、日本人が世界で二番目であると言うならば、悲しくないだろうかと思う。いつだったか、飛行機墜落事故の際に、メモで遺言を残したという日本人の逸話は、胸にせまる感動をのこし、厳粛ささえ感じた。
 日本人たちとともにセミナーや学習をした経験がある人たちには、彼らのメモをする姿が印象深く残っていることだろう。彼らの記録文化は十分に全国民的で、まさにゆりかごから墓場までとの言葉がぴったり、あてはまるだろう。
 このような彼らのイメージは、日本留学時、生活のあちこちで感じることができた。日本の研究者たちの、几帳面な記録や、文書を保管をする習慣に接した時は、研究者であるからだろうと考えたが、それ以外の場所で出会った日本人たちも、同じであった。
 留学時、修士論文では、日本の女性たちの自主グループに関して研究をした。調査をした自主グループは、自分たちの活動記録を細かく記録し残しており、研究する上でとても役立った。彼らは小さなメモひとつでさえ、よく保管していた。それ以外にも、筆者は韓国語講師をしながら多くの人々と出会うことができたが、本当に老若男女や職業を問わず、ノートへの記録を几帳面によくしていた。
 特に、記憶に残っているのは、韓国文化と言葉をつながりとして集う、10名余りの40〜60代の女性たちで構成されたグループである。そのグループを約5年間教えたが、その学習記録は、後に誰が見ても、その当時どのようなことがあったのか、一目でわかるものだった。そのノートを整理して、ひとつの本にしても遜色ない程だった。さらに驚いたことは、グループが解散して10年が経過しても、ノートを大切に保管していたということだ。強制された訳でもなく、特別な組織もない、小さな学習親睦グループだというのに。
 彼らの記録文化を再度、肌で感じたのは、子どもを持ち、育てた時だ。妊産婦に配られる母子手帳には、胎児と産婦の状態が細かく残されており、後から見ても、その時の事を鮮明に思い出させてくれる。また、子どもを保育所に預けた時、観察記録簿を連想させる育児ノートをつけたが、それは今更のように、日本人たちの記録文化をもう一度、感じさせてくれた。変化が多い乳児であることを考慮し、保育所の先生たちと保護者たちが、ともに育児ノートに記録をするのだが、このノートには子どもの一日の出来事を細かく知ることができるよう、起きてから眠るまで、何を食べ、どのように遊び、どのようなことが新しくできるようになったかが一目でわかる、表になっていた。特に、具合が悪くなりやすい乳児のために、保育所では一日に3回、熱をチェックし、食べた食事の種類、量、そしてどの様に食べたか、まるでその場にいたかの様にわかるよう、細かく記録していた。
 もちろん保護者欄もあり、私も家でおこったことを細かく書かなくてはならなかったが、私の気楽な性格と言葉の壁のためかもしれないが、毎日几帳面に記録するのに苦労した。しかし、他の日本人の保護者たちは、ちょっと面倒だとは言いながらも、特に大変だとは言わず、1〜2ページを簡単に書いて来て、それを当然だと感じていた。このように互いに記録を交換し、分かり合うことが、子どものためになると考えているからだ。
 日本人たちの記録する習慣は、このように胎児の頃から、保育所、学校、職場、同好会などで続いている。生活の中に、細かく記録することが日常化しているとでも言おうか。そのため、どのような集まりや研修に行っても、多くの日本人たちが、まるで試験のノートを作るように、真剣にメモをとる。本当に全国民のゆりかごから墓場まで、記録が生活の一部になっているに違いない。
 私たちの脳は、記憶するには限界があり、一定期間が経過すると忘れてしまう。いや、忘れてしまうだけではなく、さらに事実を歪曲までして、自分でも知らぬ間に操作したりする。しかし、このような記録が、そのまま、その時その時ごとに残っていれば、自分だけではなく、ほかの人々も事実を共有することになる。共有された記録は、その時に終わるのではなく、次の世代、その次の世代へと引き継がれ、保管さえ上手くできれば、そのまま永久に保存される。そして、その記録は、子孫に知恵を継承し、それに基づいて、さらに発展的な方策を模索することができる良い基盤となる。
 自らの経験を記録することは、個人的に自らの過去を振り返ることができるだけではなく、それに基づいて、互いの知恵と情報を分かち合うこともできるのである。それは、その当時の人々との共有を超えて、子孫まで伝授することが可能であり、このような伝授過程をとおして、ひとつの社会の文化は発展するといえる。
  結局、人類社会の発展は、蓄積された学習を次の世代が受け継ぎ、さらに発展させることから出発していると考えれば、このような日本人たちの繊細な記録習慣は、日本の生涯学習社会を発展させるための、目に見えない力として作用するだろうと考える。
(訳:瀬川理恵)




【特別コラムB】
韓国と日本の文解学習者たちの出会い
    
    マンヒ (元・全国文解成人基礎教育協議会共同代表)
   

 2002年の夏、高野雅夫先生が安養市民大学を訪問された。高野雅夫先生は、「私は日本の夜間中学生、高野雅夫です」と、韓国語で挨拶をされた。続いて、日本の夜間中学校に対する説明と、『武器になる字と言葉』(*1)という先生が書かれた本を見せてくださった。日本の文解教育現場のうちの一形態である夜間中学校は、正規学校で、正規教師が授業をするという話を聞いた時、驚いて自分の耳を疑った。
 もう少し具体的に質問をしようとしたのだが、高野雅夫先生が先に質問を始めた。市民大学の設立目的と運営方法、教育プログラムに対して、休まず質問を続けられる。息を整えてあれこれ答えるたびに、ずっと、「ア〜、スバラシ!(本当に立派だ)」を連発なさる。何がそんなに立派だというのだろうか?さっぱり道理をえない。
 「日本の文解教育現場が知りたいですね」と言ったことが契機になったのか、その年の12月、学生代表、後援者代表、教師代表 8人が日本の文解教育現場を訪ねた。20日余りの間、東京、大阪、京都、兵庫、奈良、広島地域の文解教育現場を訪問した。
 “人間の世の中を熱く、人間に光明を” (*2)
 白丁解放運動である水平社運動から始まり、戦後、東京の夜間中学校を中心に広がった識字運動の歴史を学んだ。何より、文解学習者「高野雅夫」一人で始まった大阪の夜間中学運動の歴史は、奇蹟に近かった。
 しかし、残念ながら、当時の識字教育現場では歴史的生命力と学習者たちの挑戦精神が継続されはしなかった。ようやく、高野雅夫先生が韓国の文解教育を見て、「ア〜、スバラシ」を連発なさる理由がわかった。
 草の根の文解教育運動が持つ生命力と教育の平等、幸せの分かち合いを実践し、文字を越えて世の中を学ぶ韓国文解学習者たちの挑戦精神こそ、立派な文解教育の真の価値であり未来だったのである。
 2004年と 2006年、文解学習権保障のための韓・日交流とセミナーを日本で開催し、2008年、韓国と日本の文解学習者と教師80人余りは韓日文解学習者交流会を持った。特に、韓国文解学習者たちの提案で、交流会を締めくくる際に、貧しいアジアの多くの国の文解学習者を助けるための「アジア文解基金」に募金をした。韓国側の文解学習者代表が、募金結果を発表し、挨拶をした。「ありがとうございます。私たちは、今日、アジアの文解学校の一階を上げました!」 続いて、日本側の学習者たちが声を合わせた。「ア〜、スバラシ!」  (訳:浅野かおる)

訳者注:
*1 高野雅夫『夜間中学生タカノマサオ:武器になる文字とコトバを』解放出版社、1993
*2 「水平社宣言」(1922年3月3日)日本語原文では「人の世に熱あれ、人間に光りあれ」。




【特別コラムC】
日本における下からの生涯教育を見て        
 
       金南宣(大邱大学校)

 日本は底力がある国だ。小さな島国であるが、一時世界を制覇すると世界の人々を不安にさせたこともあり、今日では世界的な経済大国を成し遂げた国でもある。日本がそのように戦争に敗亡しても世界を主導している理由は何であろうか。私たちは、日本が覇権主義を掲げ周辺国家を苦しめてきたことをよく知っている。それで私たちは、常に日本に対する被害意識と、一方では日本に対する敵対感をもっていることは事実である。
 ところが、日本人ひとりひとりに出会うととても謙遜し、優しく、約束をきちんと守る先進市民のように感じることが一度や二度ではない。もちろん、私が出会った日本人は主に生涯教育を専攻する研究者または現場の専門家たちであるため、彼らだけを見て日本人を評価するということには限界があると言える。しかし、少なからず私が出会った生涯教育に関係する日本人は謙遜しながら韓国に対しとても好奇心をもち、一方では恐れるほどわが国の生涯教育政策と現場について調べているという事実に驚き、彼らの誠実さに感嘆しないわけにはいかない。
 日本の生涯教育を導いている研究者たちのなかで、笹川孝一さんのような方は私と年齢が近いため、フィンランド(1989年)で初めて出会った時には、ただ私のような日本の生涯教育研究者のなかの一人であると思ったが、彼が日本の生涯教育を導いていく重要なことをなしてきたという事実と、東北アジアにおける生涯教育の中心人物として登場していることを見ると、日本人の底力に驚かざるをえない。それは、生涯教育が日本の発展に大きく寄与しているという事実を示す証拠ともなるだろう。
 日本における生涯教育の揺籃とも言え地域に位置づいている大小の公民館を見ると、日本の底力は下からの教育要求の充足を通して、自分の地域に対する愛郷心と愛国心を高め、日本人としての独特な共同体意識、すなわち団結力であると言える。そこに、日本人が人的資源を集落単位から発掘し育成していくなど、体系的な人力管理を通して不足している自然資源の限界を聡明に克服しながら世界の生涯教育を主導しているという理由がある。
 ここで、私たちが学ばなければならない重要な内容は単純である。生涯教育は民主主義教育である。民主主義は、統治から現れるものではなく、地域にくまなく存在するひとりひとりの潜在能力を発揮させるところに現れ、そのような潜在能力の発揮は個人、家族、地域、進んでは国家発展の原動力となるという事実を日本の事例から見てとれる。
 民主主義が十分に発展できた時、その国のずべての国民は自分の地域と国に対し強い所属感をもつこととなり、そのような所属感はその国の発展の原動力となることを日本、ヨーロッパ、そしてアメリカなど先進国の事例からわかる。これらの国々の生涯教育は、下からの運動から出発していることを私たちは知らなければならない。 (訳:肥後耕生、金ボラム)




【特別コラムD】
私たちを感動させた川崎

         李珍雨 (富川地域小さな図書館協議会総務)

 2007年 10月末、16人の富川訪問団が、「川崎−富川図書館国際セミナー」に参加するために川崎市を訪問した。4泊5日の日程の間、富川訪問団は、施設見学などを通じて得た新しい情報と経験だけではなく、川崎市の徹底的な準備過程と小さな部分一つも逃さない細心の気配りに、深い信頼と感動を受けた。富川訪問団が強みとして掲げている官民協力を基盤とした躍動的な図書館運営事例とはまた別の、深みと底力を感じさせる点であった。
 川崎市の公共図書館、学校図書館、大学図書館、私立図書館、図書館友の会、市教育委、教授、市民団体、市民交流会代表者など14人で構成された実行委員会は、その人的構成と存在だけでも驚くべきものであった。
 これに加え、その年の1月から10ヶ月余りの間になされた実行委員会による準備過程は、訪問日程での多様性だけではなく、事前準備の緻密さで、訪問期間の間、終始、私たちを感動させた。富川訪問団が行く所ごとに韓国の絵本が特別展示されていたし、学校では図書館に行く廊下の壁に子どもたちが描いた韓国の伝統の絵がぎっしりと貼られていた。また、学校の図書館では韓国の絵本で読書の授業をしていたし、子どもたちは私たちに「アンニョンハセヨ」と躊躇なく挨拶していた。実行委員会の方々だけではなく、市立図書館の館長と係長、川崎市の図書館友の会の方々は、4泊5日の間、一日も欠かすことなく富川訪問団に同行し、毎朝、訪問団宿舎のロビーに先に来て私たちを待っていた。
 川崎市のこのような徹底さと緻密さは、単に準備過程で生じたことだけではなく、20年間、図書館で子どもたちに本を読んであげる活動を続けてきた川崎の図書館のボランティアの方々や、私財をはたいて私立子ども図書館を設立し、その方がこの世を去った今では設立者の奥様とボランティアの方々が後を引き継いで運営する、ゆりがおか私立子ども図書館の姿などでも、一貫した底力として現われていた。常に変化が速い社会で、忙しく生きている私たちの姿とは全く違っていた。
 このような違いは、翌年の富川での国際セミナーを企画する際においても、はっきりと現われた。富川地域小さな図書館協議会が、次期セミナーの主題として「図書館の文化芸術サービスの現状および展望」を提案したことに対して、川崎市からは、主題の時期適切性については共感するとしたが、これに対する研究の必要性が提起され、交流を隔年で行うことを提案してきたのである。まだ我が国でも、図書館の文化芸術サービスについては、内容や論議の蓄積が不足しており、一緒に研究してみようという意図で提案したことであったが、これを受け入れる程度や反応は異なったのである。川崎市での歓待に対する大きな負担を抱いていた私たちもこの提案を快く受け入れ、結局、交流は2009年に延ばされた。そして、すでに私たちより先に進んでいる川崎市では、このための研究会を5月初めに発足し、もう準備を始めたという知らせが聞こえている。
 富川市と川崎市のこのような違いと特性は、今後の両都市の図書館交流において、お互いにとって大きな力になるだろうと確信する。富川市のマウルの小さな図書館が、マウルと都市を越えて国家間交流の契機を作り出した今回の事例は、富川市の推進力と躍動性、川崎市の緻密さと愼重さが、ともに一団となって遂げた大きな成果であるからである。
 もう一度、私たちに感動と信頼、そして新しい希望を作ってくれた川崎の方々に感謝申し上げる。
               (訳:浅野かおる)




【特別コラムE】
韓国日本の社会教育の知的呼吸     

       朴仁周(前・平生教育振興院 院長、現・青瓦台社会統合主席) 



 社会教育と縁を結んで32年、私の中の個人的生活にも多くの変化があり、私の外の韓国社会と世界もかなり変化した。私が、韓国平生教育連合会(前韓国社会教育協会)会員に入会して活動を始めた時が1976年だったので、多くの歳月が流れた。去る30余年間、社会教育や平生教育に対する韓国社会の認識や関心もかなり高くなり、OECD国家やUNESCOのような国際機構の関心や流れもずいぶん変わった。
 私の30余年の活動の中でとり除くことができない部分が、日本の社会教育推進全国協議会とのたゆまぬ協力と交流である。私が初めて日本の社会教育推進全国協議会に参加したのは、1993年8月、長崎雲仙温泉地域で開かれた集会だった。今、少し記憶が薄れているが、その当時、韓国社会教育協会会長であられたチョン・チウン教授にお供して参加した雲仙大会は、私に非常に大きな感動を与えた大会である。あの時の感動を整理すれば、第一に、韓国の全国の集まりに比べて、非常に多く会員が全国から集まるということであり、第二に、韓国は分科会が3〜4であったのに比べ、日本は20内外の分科会に細かく分かれて討論していることであり、第三は、非常に具体的で現実的な問題を持って、すべての参加者が活溌に意見を述べているということであった。
 15年前のその驚きが今まで続き、最近2004年からは一年も欠かさず、日本の社会教育推進全国協議会の全国集会に参加し続けている。この一番目の驚きの他に、さらに二つの思い出を紹介しようと思う。
 一つは、1996年あるいは1997年頃に、埼玉大学で開かれた全国集会でのことである。私が分科会にちょうど参加をする際に、日本の会員の一人が私に近付いてきて、「本当に申し訳ありません」と言うのではないか?私は初めてお目にかかる方が、私に近付いてきて突然、「申し訳ない」と言ったので、非常に面食らった。それで、「どうして申し訳ないのですか?」というと、日本が韓国を支配した時期に韓国の女性を軍慰安婦として強制的に引っ張っていったことに対して謝罪するというのであった。私がその時に驚いたことは、50年以上も過ぎたことで、当事者でもない方が初めて会う見慣れない韓国人に丁重に謝罪するという事実であった。今、その時のその方のお名前を思い出すことができず、大変申し訳なく思っているが、その方のその丁寧な謝罪を永遠に忘れることができないだろう。
 もう一つは、2004年度に福島で開かれた全国集会の時のことである。初日の夕方、全体交流会の時、私が韓国を代表して挨拶をしたのだが、その時に起こったことである。2004年度は、韓国と日本が、扶桑社教科書問題と島根県の独島問題でかなり騒がしかった時期である。私が挨拶の言葉の途中で、韓国と日本の協力と交流の重要性を強調するとともに、靖国神社を参拝する日本の首相と極右派らが嫌いだと言うと、聴衆席で憂虞する声とともに揶揄する声がしたのだが、私がしかしこの場にいらっしゃる社会教育関係者の皆さんは愛しています、永遠に愛するでしょうと言うと、また静かになり、挨拶の終りには大きな拍手が鳴ったのであった。この時のことも、やはり忘れることができない重要な追憶として大事にしまっている。
 私は、国際政治の現実がいかに冷厳なのか、そして国際政治には永遠の敵も永遠の友邦もなく、ただ国家利益のみが存在するという事実をよく知っている。しかし、この地球村時代の人間関係には、信頼と愛が満ちていることを願っている。たとえ、国家と国家、集団と集団の間に見解の差異があり、利害が衝突したとしても、民間次元の交流と協力は維持され、もっと活性化されなければならない。特に、地政学的にあまりにも近い韓国と日本、日本と韓国は、未来のアジア共同体建設のためにも、緊密に協助と協力をしなければならない。それだけでなく、韓国の平生教育と日本の社会教育の知的呼吸をもっと活発にするために、韓国の平生教育機関と日本の社会教育機関との多様な形態のネットワーキングと交流が活発になされることを、切に願う。        (訳:浅野かおる)


TOAFAEC訪韓団・平生教育振興院(朴仁周院長・前列左から3人目)訪問(ソウル、20090727)




【特別コラムF】
韓・日社会教育界における永遠の出会い  
       
          崔云實(韓国平生教育総連合会会長)

日本と韓国の社会教育界は、すでに心としては 'ひとつとなって久しい' 学習共同体である。敢えて国名をさらけだして、二つの国を分けて区分する必要さえ感じることのできない兄弟知友もしくは夫婦地縁の境地に達したとするとあまりにも過度な表現であろうか。近いという言葉では表現が物足りない。しつこいくらいの道伴(同朋)境遇に至り、私たちはいつの間にかすでに韓国と日本を引き裂く数多くの障害物を取り除いて久しい。言葉は通じなくても私たちは心で通じ合う。社会教育を愛し、これに魂を入れるという共有性として生涯学習という家門を掘り起こす私たちは、明らかに'グローバル日・韓家族'である。

 みんなが記憶し称える。故黄宗建、金昇漢先生、そして金宗西、金信一先生、小林先生と元木、笹川先生、これらの先輩方が築き上げられた日本と韓国の社会教育の架け橋が、どれだけ尊く偉大な大きい道であったかを・・・。

 ソウル大と箱根として記憶される、韓国と日本を行き来する交流と出会いにおいて、学問の第二世代ぐらいに該当する今日の韓国平生教育学徒たちは、多くのものに感動し、感じ、学ぶことができた。私たちは、日本社会教育界のみなさんの真実さ、謙遜さ、緻密さ、学習力に感動を受けざるを得なかった。伝えていただいた両国の知恵の資産の木が思う存分成長できることを願う。貴重な本を出版されることを祝福し、これを契機にますます深くて頼もしい両国の交流が、永遠に年を重ねながら発展でき持続できることを期待する。社会教育界第一世代の先輩方から譲り受けた尊い'日韓生涯教育道伴'たちの道に学問的・実践的にも、創造と知恵資産にも永遠の光と希望が一緒となることを確信しながら・・・。   (訳:肥後耕生、金ボラム)


韓国訪問団アリラン合唱、中央・崔云実会長(第50回社会教育研究全国集会@東京、20100828)






特別報告U 
多様化・多元化する日韓生涯学習交流の発展     
 
   梁炳賛(公州大学校)、金侖貞(首都大学東京) 


 
 近年日本と韓国の平生教育交流は、多様化、多元化し拡大している。1960年代末から始まった韓国と日本の社会教育・平生教育の交流はどのような性格を持ち発展してきたのか、そして、今後の21世紀における韓日平生教育の交流の可能性について考えてみたい。

@留学生を通した交流
 今日両国の社会教育・平生教育の多様な交流の前に、留学生を通した関係ができ始めていた。解放以前多くの植民地の若者たちが玄海灘を渡って日本に留学したのは、周知のとおりである。しかし、解放後急激に冷却した2つの国の関係は長い間断絶した状況が続いてきたが、1965年の韓日国交正常化以降に新しい動きが見え始めた。両国の間の物的交流が急激に増加したのに比べて人的交流はそれほど活発ではなかったが、なかには日本に留学する人々がいた。特に、日本の文部省奨学生制度で留学する人々が現れはじめたのである。
 その草創期の留学生の中には、社会教育研究者としては、当時光州教育大学校の教授であった金道洙(檀国大学校教授・韓国社会教育学会会長歴任)がいたが、1969年に広島大学大学院に留学し修士・博士学位(博士論文「近代韓国社会教育の展開過程に関する研究‐植民地時代における社会教育政策を中心に」1979年)を取得した。従って、彼は1970年代の草創期の両国間の橋渡しの役割を果たした。つまり、当時の交流において韓国社会教育学会(当時の「韓国社会教育研究会」)の月例研究発表会に広島大学の石堂豊教授(「社会教育の基本問題」1973年11月)や新堀通也教授(「日本の産業化と社会教育の問題」1978年7月)が参加するきっかけとなった。一方で、当時韓国社会教育協会が主管した第2回「全国社会教育指導者セミナー」(1977年)には黄宗建教授のイギリス・マンチェスター大学コロンボ成人教育ディプロマ同期生である九州大学の諸岡和房教授が記念講演(「平生教育の構想と日本の社会教育」)をした。また、金道洙教授は広島大学で一緒に留学した金在萬教授(当時大邱教育大学校、教育哲学専攻)と一緒に『セマウル教育‐韓国社会教育の基底‐』(1973年)を著述したが、その中に当時の日本の社会教育学界の論議が紹介されていた。
 その後、多くの韓国の留学生たちが日本の大学で社会教育を研究し、彼らが韓日社会教育・平生教育の橋渡しの役割を果たしているといえよう。笹川教授がふれていた南相瓔(東京都立大学大学院)をはじめ、一橋大学の魯在化、文孝淑、東京大学の高吉嬉、張智恩、金侖貞、尹敬勲、名古屋大学の孔秉鎬、李正連、東北大学の鄭賢卿、朴賢淑、筑波大学の李明實、早稲田大学の李・ボヒョン、大阪大学の南・ヘギョンなど多くの研究者たちが日本の大学で学び、今も多くの留学生たちが学んでいる。
 この中で、最近日本の大学で職を得た教授として、南相瓔(金沢大学)、李正連(名古屋大学)、金侖貞(首都大学東京)などがいるが、それによって、より深化した研究交流が可能となり、彼らの役割も大きくなっているといえよう。このように、韓国から日本に留学した研究者たちとともに注目すべき新しい動きは、日本から韓国に留学した研究者たちがいることである。これは、2000年に入ってから日本の中で韓国の社会教育・平生教育に対する関心が高まるにつれて、研究・調査などの交流が急激に増えるのと同じ時に現れた現象である。まず、韓国の人的資源開発政策と平生教育との関係を研究しようと浅野かおる(福島大学)教授が1年半ソウル大学でサバティカルできていた。浅野教授は韓国の平生教育が最も力動的に変化するときに現地調査を長らくしたことによって、韓国の平生教育を最も正確に理解している日本の研究者の一人で、日本の研究者であるだけに多くの現場調査などを通して現場の専門家にも知られている。また、韓国の大学に留学した研究者には、中央大学校で黄宗建先生の社会教育思想を研究した肥後耕生(公州大学校研究教授)と高麗大学校で日帝時代の在韓日本人の社会教育を研究した都築継雄などがいる。これからもより多くの日本研究者たちが韓国で研究することが期待される。

A相互国家間の現場調査・研究交流の急増
 韓国は1970年代末に入ってからこれまで停滞していた「社会教育法」制定に向けて力を注いでいた。特に韓国社会教育協会が中心となって憲法改正時に「国家の平生教育責務」(31条、当時29条)を入れ(金昇漢教授)、「社会教育法」制定(案)を提出し1982年12月には「社会教育法」が制定されたのである。当時関連政策研究の責任をとっていた黄宗建教授は日本の「社会教育法」調査のために日本に行き、その時に小林文人教授が法制関連資料の提供に協力した。二人の出会いはそこから始まったのである。小林教授は、1980年2月に忠清南道扶餘で開かれた社会教育専門家会議(韓国社会教育協会主管)に出席し日本の「社会教育法」に関する講演と討論をした。両国の状況で互いを分かりはじめ、少しずつ深化した交流が始まる瞬間であると評価できよう。
 特別報告Tに笹川教授が詳細に記録されている1990年代初めの日韓社会教育セミナー時代を経て、両国間の交流は少し小康状態をみせていたが、1999年に韓国の平生教育法が制定され、韓国の平生教育現場は平生教育情報センターの設置など新しい局面を迎えることとなる。それによって、多くの韓国の平生教育実践家たちが日本の学習都市や平生学習フェスティバル、平生教育関連施設の見学などのために日本の社会教育現場を訪問し始めた。主に韓国教育開発院の平生教育センターが主管して社会教育の実践をみて現場に適用させようとする目的が多かった。
 それとともに、日本の社会教育実践をより綿密にみて一緒に実践研究の議論ができる日本社会教育研究全国集会(「社会教育推進全国協議会」主管)に2006年から再び参加しはじめるようになった。韓国平生教育連合会が主管となって学者と現場の専門家が一緒に持続的に参加することで、より多様な日本の現場の実践家と学者との交流が深まっている。一方、日本の社会教育学者たちが韓国の力動する平生教育現場を調査する目的で多くの研究陣が実践現場を調査している。日本の学者による現場調査研究は小規模で多様に行われるために、全体的な規模を確認することは難しいが、いくつかの事例をあげると、次のとおりである。韓国の大学の平生教育院の実態を分析するために、ソウル、釜山、公州などの国私立大学の平生教育院に関する調査をした北海道大学の町井輝久教授、韓国住民自治センターと平生教育の関係に注目し数年間光州、釜山などの地域運動を調査している長澤教授と浅野教授、公州大学との研究交流で行われたシンポジウムとともに地域調査(洪城、公州、益山、清原など)をした北海道大学の鈴木教授、姉崎教授、町井教授、後述するTOAFAECメンバーの韓国実践現場(始興、清原、公州など)訪問、まちづくりと平生学習の関係を研究するための地域調査(鎭安)を行った福島大学の千葉教授と浅野教授、韓国の平生教育と社会的資本の関係を研究するために現地調査していた名古屋大学の李正連教授と松田教授など多様なグループの多様な研究テーマで韓国の平生教育実践現場を調査しながら両国の学者たちと実践家たちはより頻繁に現場で出会い、緊密な交流を積み重ねている。

BTOAFAECを中心とした交流の拡がり
 TOAFAEC(東京・沖縄・東アジア社会教育研究会、以下、東アジア研究会とする)は、東京学芸大学の小林文人研究室の「沖縄社会教育研究会」を母体として1995年に発足し、1996年に『東アジア社会教育研究』を出す傍ら、毎月定例研究会を積重ねてきている。日本平生教育研究においてアジアへの視点がまだ十分に位置づけられていなかった時期に、アジア、それも「東アジア」という地域の枠組みの中で平生教育を捉える視点にはその先駆性はもちろんのこと、韓国平生教育研究の裾野を広げる重要な役割をも担ってきた。
 韓国の平生教育が知られていなかった1996年の創刊号の金宗西先生の論文「韓国の文解教育問題の考察」をはじめ、黄宗建先生の「自分史を語る」(第4号と第5号)や「平生教育白書」を翻訳するなど、韓国の平生教育の動向を紹介すると同時に、日本に韓国の平生教育を紹介する最初の単行本となる『韓国の社会教育・生涯学習‐市民社会の創造に向けて』(エイデル研究所)を2006年9月に出版する。1990年代後半、平生教育法の改正を経て力動的に発展している韓国の平生教育を、その歴史から実践まで、重層的かつ多様な視点から提起、日本の平生教育関係者が韓国の平生教育に注目するきっかけをつくった。さらに、『東アジア社会教育研究』第12号(2007年)と第13号(2008年)においてそれぞれ「韓国『平生学習』の新しい動向」「中国・韓国の生涯学習」という特集を組んでいる。
 社会教育研究を、日本、中国、韓国といった東アジアから捉えることによって、平生教育研究の新しい観点や枠組みの構築に向けて、研究会は大きな役割を果たしてきた。さらに研究会を母体に、2007年には「韓国生涯学習研究フォーラム」を、2009年には「中国生涯学習研究フォーラム」がつくられ、この2つの研究フォーラムをより発展させるために2009年6月には「東アジア研究交流委員会」を発足し、平生教育を媒介とした「東アジア平生教育研究のネットワーク」づくりに向け動き出している。
 このような東アジア研究会と韓国平生教育との関係においてその土台には、黄宗建先生と長らく研究会の代表を務めてきた小林文人先生を軸とした交流であったのはいうまでもない。そして、研究会を中心に広がっていったネットワークの輪は、自治体間の平生教育交流にも繋がっている。

C自治体間の社会教育交流
 国際交流の名のもとで日本と韓国の自治体の間で活発な交流が行われている中で、平生教育を通した自治体交流も見受けられる。その代表的な交流が川崎市と富川市間の交流である。神奈川県川崎市と京畿道と富川市は、1991年に商店街交流が始まり1996年に友好都市協定を結び、その翌年から公務員派遣交流をする一方で市民交流も活発である。交流の範囲は美術交流、図書館交流、高校生交流など幅広く担い手の多様なところにその特徴がある。たとえば、2000年にできたハナ(富川ハナと川崎ハナで構成)は、年2回互いを訪問しながら交流をし、共通のテーマを決め、日本と韓国について互いに知り学ぶプロセスを通じてお互いを理解し歴史を理解する活動を行っている。ハナのOB、OGと図書館交流の事務局メンバーたちは語学研修を通して韓国語と日本語を学ぶなど、市民交流を担う次の世代も育ってきている。
 このような幅広い交流を網羅する組織として2003年に設立された「川崎・富川市民交流会」を中心とした市民間交流はより一層活性化してきている。市民交流会はスタディ・ツーアを企画しフィールド・ワークの方法を取り入れながら韓国の多様な面を学ぶ機会を提供しており、その中で重要な柱となっているのが平生教育である。2004年には川崎市と富川市の市民交流会の合同企画で「川崎・富川市民交流会設立1周年記念シンポジウム‐東アジアに多文化共生社会をつくろう‐」を川崎で開催し、東アジアにおける市民交流の展望や、両市の共通課題である外国人との共生について活発な議論を行い、その後も多様なテーマで合同シンポジウムを開催している。
 富川市との関係は近隣の都市である光明市に広がり、2004年9月の光明市平生学習院主催「第3回平生学習国際シンポジウム」に伊藤長和が「川崎市の平生学習と市民大学‐川崎市の市民社会を構築する『かわさき市民アカデミー』」について講演し、2005年10月には「第4回全国平生学習フェスティバル」の国際学術シンポジウム「未来に向けた約束、'人間中心の平生学習社会'」で小林文人が「市民社会の人的資源開発の事例と今後の方向‐市民たちはどのように学んできたか‐」を報告するなど、日本と韓国を平生教育を媒体として交流しようとする動きは自治体でもみられるのである。また、2009年10月に九里市で開催された全国平生学習フェスティバルの国際シンポジウムで小林教授の基調講演「平生学習都市・共同体の新しい動向とパラダイム‐地域中心主義的立場からの問題提起‐」と、同じ場所で開かれた平生学習都市自治団体長のための特別講演「日本の平生学習都市の過去、現在、未来」で松本市と沖縄の名護市の事例を中心に日本の先進的な平生学習都市を紹介した。このような動きは、さらに、釜山市と福岡市にも広がり、2008年7月19日から21日までの3日間福岡社会教育研究会が釜山を訪れ、住民自治センターや図書館などを訪問し、2010年8月には始興市市長が松本の公民館体系と住民運動に関する見学のために訪問することとなる。このような自治体間の交流の動きは、TOAFAECを通じた交流と互いに影響しあいながら着実に発展してきている。

D体系的な交流の模索:東アジア平生教育協議会の可能性
 韓日社会教育セミナーが4回を最後にEAFAEに変わり、両国間の交流は多様で多元的な方式に拡大してきた。それとともに注目すべき提案がある。過去の韓日セミナーを発展的に継承した研究交流を再び始めようということであった。日本社会教育学会と韓国平生教育学会が主体となって2010年4月に江陵 (江陵市平生学習センター「モルゥ」)で「もう一度」第1回韓日平生教育セミナーが開催された。そこで基調講演をした金信一教授が「東アジア平生教育協議会(仮称)」を提案し、多くの参加者もそれに共感していた。東アジア全体に拡大することに関してはもっと議論することとし、まず、両国の学会が実務委員会をつくり定例的な国際セミナーを1年に1回ずつ交互に開催することとした。それは、多様かつ多元化している交流に1つの体系的な交流の軸をつくったと評価できよう。以上のような多様で多元的な韓日交流とともに、より緊密で体系的な交流の可能性も提示され、未来の韓日社会教育・平生教育の実践と研究の交流がより一歩前に動き出す準備が整ったと思う。このような動きは東アジアネットワークに拡散してく可能性も創っていくのであろう。それとともに、新たな交流の世代(現場と研究両方の)の形成を常に念頭に置きながら活発な交流の動きを続けていかなければならない。今後の韓日平生教育の交流の未来がどのように発展していくのか、目を離すことはできない。    (訳:金侖貞



日韓交流の夕べ 第49回社会教育研究全国集会(長野県阿智村、20090823)








◆編集経過(韓国生涯学習研究フオーラム 2007〜2010)記録 →■


出版記念会T韓国大邱市記録

『日本の社会教育・生涯学習』出版記念会のお知らせ
   
              李正連(Tue, 24 Aug 2010 17:16) 南の風2493号(2010年8月25日)
 南の風の皆さま、名古屋大学の李です。さっそくですが、韓国生涯学習研究フォーラムから嬉しいお知らせがあります。韓国生涯学習研究フォーラムでは、ここ約3年間韓国に向けた「日本の社会教育・生涯学習」の本づくりに取り組んできました。
 韓国に向けて日本の社会教育・生涯学習を本格的に紹介する初めての試みとして、本づくりには日本の研究者、実践家など20人以上の方々に執筆者として参加していただきました。予定より出版が非常に遅れ、執筆者の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。
 その待望の本が近日刊行される予定です。同書(ソウル・学志社)は、日本語で書かれたものを全部ハングル訳して、出版します。
 今年は「日韓併合」100年の年でもあり、同書の韓国での出版を韓国の社会教育関係者とともに盛大にお祝いするため、来る10月7日に韓国で出版記念会を予定しています。
 なお、出版記念会の翌日からは、韓国の大邱市において第9回全国平生学習フェスティバル(2010年10月8日〜11日)が開催される予定であり、同フェスティバルへの参加も合わせて企画しております。
 もしご参加を希望される方は、9月10日(金)までに李正連までご連絡ください。
 訪韓の具体的な日程については、参加者が確定し次第、改めてご連絡させていただきます。ご不明なことがございましたら、個別に対応させていただきますので、李までご連絡いただければ幸いです。
 本が刊行されましたら、改めて正式にご紹介したいと思います。よろしくお願いします。
      −記−
1.『日本の社会教育・生涯学習』出版記念会
 ・日時:2010年10月7日(木)18時〜(予定)
 ・場所:韓国・大邱市(大邱市内・ホテル)
2.韓国第9回全国平生学習フェスティバル
 ・日時:2010年10月8日(金)〜10月10日(日)
 ・場所:大邱(テグ)広域市東区トンチョン遊園地の外


『日本の社会教育・生涯学習』出版記念会・プログラム *南の風2519号 (2010年10月11日)
日時:2010年10月7日 18:30〜20:30  会場:韓国・大邱市GSプラザホテル
 <T部> 出版記念式   司会:梁炳賛・李正連
1.開会:梁炳賛(編者、公州大学・教授)
2.挨拶:小林文人(編者、TOAFAEC 顧問)
3.祝辞:金南善(大邱大学・教授、韓国平生教育学会・前会長)
4.祝辞:崔雲實(亜州大学・教授、韓国平生教育総連合会・会長)
5.出版報告:李正連(編集委員会事務局長、名古屋大学准教授)
 <U部> 晩餐及び交流会  司会:小田切督剛・金侖貞
1.乾杯:金済泰(牧師、元・韓国文解教育協会・会長)
2.晩餐・交流会:参加者全員  
3.会場からのメッセージ:日韓両国から3〜4人ずつ   
4,お礼の言葉:伊藤長和(編者、中国・山東工商学院)
5.閉会:梁炳賛
*日本からの参加者(上記以外)手打明敏、上野景三、小田切督剛、石井山竜平、
  上田孝典、浅野かおる(8日より)。

<ずしりと重い一冊>(小林ぶんじん) *南の風2519号 (2010年10月11日)
 韓国より昨日(10日)帰りました。今回の旅は、4年越しの私たちの奮闘の甲斐あって、ようやく刊行にこぎつけた『日本の社会教育・生涯学習』の出版お祝い会、初日(上掲・記念会)の余韻が残って、終わりの日まで酔っていたような4日間でした。
 スケジュールを終えて帰途の朝も、釜山空港でまず乾杯、機内で二度目の“ご苦労さん!”ビール。家に帰り着き、あらためて新しい本を前に置いて一献傾けた夜。ずしりと重い一冊は胸に抱きごたえがあります。
 大邱のホテルで開かれた出版記念会には花輪が並びました。準備万端を整えられたヤンビョンチャン先生(編者)はじめ公州大学校・研究室の皆様、橋渡し・連絡役にあたった李正連さん(事務局長)、諸事お任せするかたちとなり、申し訳なく思っています。おかげさまで素晴らしい記念会、印象深い一夜となりました。有り難うございました。
 今年は墓詣りに行けなかった故黄宗建先生の遺影、その前に新本(写真)。大邱市は初期の韓国社会教育協会等が胎動したところ、黄先生(啓明大学教授・当時)ゆかりの地です。出会いからの30年、本づくりの8年、没後から4年、を思い起してご挨拶しました。
 会場には祝辞・乾杯など予定された方々のほか、金信一(元副総理)、鄭址雄(元社会教育協会会長)はじめ、平生教育振興院理事長、韓国文解教育協会長等の諸先生が駆けつけてくださいました。


故黄宗建先生の遺影の前に新刊『日本の社会教育・生涯学習』−20101007−

出版記念会(烟台の風109)>(伊藤長和 南の風2522号・2010年10月16日)
 出版記念会の会場の舞台にはお祝いに贈られた4基の大きなフラワースタンドが飾られ、色とりどりの生花が祝賀の華やいだ雰囲気を醸し出していました。
 祝辞をいただいた来賓は、金信一(元教育人的資源部長官・副首相)氏をはじめ各界のそうそうたる重鎮が続きました。(詳細は南の風2519、2520号に記述され、写真はTOAFAECホームページに掲載されています。)勿論日本側の出席者も司会を担当した人以外は全員が挨拶をなさったのです。
 出版記念会の圧巻は、出席者全員が手をつなぎ輪になって、「アッチミスル(朝の露)」の大合唱を行ったことです。歌が終ると金信一氏が「友よ」を歌おう、と提案され再度の大合唱となったことです。この光景には、舞台前に飾られていた「黄宗建」先生の遺影も笑顔を浮かべられて、「私が築いた日韓の友情の架け橋が強固なものになった」とおっしゃっていました。
 「アッチミスル」を最初に私が覚えたのは、1992年12月に開催された「第3回日韓社会教育セミナー」に小林文人先生にお誘いをいただいて参加した時です。奇しくも会場は今回訪れた大邱市だったのです。ちょうど18年ぶりの再訪となったわけです。出版記念会の来賓の顔ぶれの中には、この時のせミナーで最初にお目にかかった方々も何人か出席なさっていました。
 日本の社会教育・生涯学習を紹介したこの本を通じて、日本への理解が一層深まり、そして日本と韓国との友情と交流がさらに深まり、ひいては東アジアの発展に資することを心から祈りたいと思います。

<『日本の社会教育・生涯学習』、執筆者への発送>(李正連、*南の風2524号 (2010年10月20日)
 「南の風」の皆様;
 本日(18日)、韓国から出版記念会に出席できなかった執筆者にお配りする本が届きました。明日その発送作業を行う予定です。その際、日本語版原稿のCDも同封します。すでに韓国での出版記念会で、または編集委員を通して本を入手された方には、CDのみを郵送するか、または日本での出版記念会(12月5日予定)の時にお渡ししたいと思います。
 同書を購入されたい方は、「南の風」にもありましたように、こちらでまとめて韓国側に注文をいたしますので、<aozora999@hotmail.com>(李正連)までご連絡ください。よろしくお願いいたします。

<日韓を結ぶ出版>(小林ぶんじん) *南の風2525号 (2010年10月22日)
 韓国での出版記念会・平生学習フェスティバルの余韻もまだ残っています。新版『日本の社会教育・生涯学習』がこれから韓国でどう読まれていくかも興味あるところ。本はハングル版ですから、日本では多く読まれないと思いますが、社会教育領域では韓国向けの初めての本格的な出版、大学図書館や公共図書館でもぜひ所蔵していただきたいと期待しています。公費購入の場合の書類等も用意しなければなりませんね。
 思い出したこと。10月7日・大邱の出版記念会の当日、李正連さんの著書『韓国社会教育の起源と展開』(日本版は2008年、大学教育出版)のハングル版が出版され、会場でその新著を頂きました。また金侖貞さんの『多文化共生教育とアイデンティティ』(日本版は2007年、明石書店)のハングル版も今年7月に刊行されて、たしか七夕の会で披露されました。日韓を結ぶ学会交流あり(4月)、研究出版活動も今年は賑やか。私たちの本とともに、お二人の新版が今後どのように韓国で読まれていくか、期待がふくらみます。





出版記念会U日本・筑波記録

<『日本の社会教育・生涯学習』韓国出版記念会のお知らせ>
           *上田孝典(Thu, 4 Nov 2010 19:23) 南の風2532号(11月5日)

 去る10月、韓国・学志社より『日本の社会教育・生涯学習〜草の根の住民自治と文化創造に向けて〜』(小林文人・伊藤長和・梁炳賛共編)が刊行されました。それを記念して、下記要領にて出版祝賀会を行います。
 皆様それぞれにご多忙とは存じますが、万障お繰り合わせの上、是非ご参加ください。
日 時:12月5日18時30分〜
場 所:つくばエクスプレス「つくば駅」西武百貨店内6F 
     ドイツレストラン エルベ(029-855-0422) →■
     http://r.gnavi.co.jp/a938000/
     会場は駅前ですので、当日お帰りになる場合も至便です。
     http://www.mir.co.jp/timetable/no20.pdf →■
 また12月4日〜5日には、筑波大学にて日本公民館学会第9回研究大会が開催されます。合わせて是非ご参加ください。ご参加予定の方がおられましたら、それぞれお声を掛けて情報提供をお願いいたします。


<公民館学会と出版記念会> (南の風2548号 2010年12月6日)

 毎年12月初めに予定される日本公民館学会、今年は4〜5日の日程で、筑波大学を会場に開かれました。参加者約100名。会長に新しく手打明敏さん(筑波大学)が就任。三代目の会長、ご苦労さまです。
 当方は気楽な出席、毎夜飲んでいました。乾杯が続きましたが、何よりの話題は、浅野平八さん(日本大学)を編集委員長とする『公民館のデザイン』(エイデル研究所)が刊行されたこと。学会創立(2003年)からわずか7年の間に、年報発行とともに、二冊の本格的な出版(『ハンドブック』2006年に続く)を実現したことになります。社会教育学的な公民館論に建築工学的な蓄積が結合したこれまでにない内容。乾杯を重ねたくなります。皆さま、必携の書です!
 学会プログラムが終了したその時点で、会場を駅前のドイツ・レストランに移して、韓国『日本の社会教育・生涯学習』出版記念会(大邱に続く日本でのお祝い会)の開催。弘前、大阪、和歌山、名古屋、仙台ほか関八州からの出席。学長(和歌山)、学会長(筑波)、社全協委員長が揃い、また「私は一字も書いていない」と自負する奇特な人たちもお祝いの雰囲気に惹かれて数人、まことに賑やかな一夜となりました。編者の山東省烟台・伊藤長和さんから熱いメッセージが披露されました。
 ヴァイチェン・ビヤの飲み過ぎ、筑波から東京への帰路はかなり酩酊気味。よろよろの足取り。若い世代に負けじ、の気力もそろそろ萎えてきたことを実感しつつ、しかし幸せな気分に包まれた初冬の暖かい夜でした。








【社全協通信(2011年3月)】
自著を語る小林文人・伊藤長和・梁炳賛 共編
『日本の社会教育・生涯学習〜草の根の住民自治と文化創造に向けて〜』       
(ソウル・学志社、2010年)

 私たちは2006年秋に『韓国の社会教育・生涯学習−市民社会の創造に向けて』(エイデル研究所)を出版しました。韓国と日本の研究者・自治体職員・市民による共同労作です。韓国の社会教育の歴史を含め、現代「平生学習」(生涯学習)への展開について初めての体系的な研究書、韓国に関心をもつ人たちにとって必読書となりました。
 この出版を契機として「韓国生涯学習研究フォーラム」が川崎市(韓国・富川市との友好都市)を拠点にスタートしました。2007年春のことです。第1回研究会は、韓国に向けて『日本の社会教育・生涯学習』の全体像(歴史・制度・実践・運動)を紹介する本をつくろうという提案から始まりました。もちろん初めての企画。その後ほぼ毎月の編集会議、ソウルでの会議を含めて順調に進行しましたが、執筆者(大部分が社全協会員)にリライトをお願いし、すべての原稿を韓国語へ翻訳する作業もあり、刊行に漕ぎつけたのはようやく2010年秋。難しい道程を含みながら、しかし充実感あふれる歳月となりました。
 編集委員会は、日韓双方から、小林文人、伊藤長和、梁炳賛、李正連、浅野かおる、小田切督剛、金侖貞の7人。本の構成は、序章・終章を含めて全22章、特別報告2本、韓国側コラム7本,加えて法制・テーゼ・年表等の資料編、計540頁の大作となりました。
 この間の経過は、幸いに李正連(編集委員会事務局長)により「本作りで拡がる日韓社会教育交流」と題して詳述されています(『月刊社会教育』20114月号)。また、本書の目次・まえがき・あとがき・韓国側コラム等については、TOAFAECホームページに日本語訳されて掲載しています(HP・本ページ)。ご覧いただければ幸いです。
 日韓の社会教育・平生教育を結ぶ二つの本が誕生したプロセスを振り返ってみると、いくつかの印象的なことがありました。一つは、この種の出版は学会研究者による役割が主となるように思われますが、むしろ自治体(川崎市)による韓国交流の実績が跳躍台となったこと。二つには、日韓双方の社会教育研究を志す留学生の役割が大きかったこと。文字通り海を越える架け橋となって本書が出来上がりました。三つには、研究者間の交流だけでなく、実践・運動的な交流の蓄積が背景にあったこと。具体的には社会教育研究全国集会への韓国「平生学習」関係者の参加(1993年・木更津集会から始まり2006年・箱根集会より本格化)に見られます。四つには、世代をつなぎ世代を超える日韓双方の人間的な友情と信頼に支えられてきたこと、などをあげることができましょう。
 本書の原稿はもともと日本語ですから、日本国内での刊行が計画され、さらには中国語訳による中国での出版も構想されています。それぞれ内容を加筆しつつ実現できればと期待がふくらみます。(小林文人)



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小林文人・伊藤長和・李正連 共編                      
日本の社会教育・生涯学習新しい時代に向けて
    (大学教育出版、2013年9月24日刊)

目 次

まえがき …………………………………………… 編者
序 章 日本の社会教育・生涯学習 ─その特質と課題 ─……
小林文人・伊藤長和
1.はじめに─ いま、どのような地点に立っているか─1
2.日本社会教育の歴史的特質─ 統制的教化の歴史と脱皮の歩み─  4
3.戦後社会教育の展開過程  5
4.社会教育施設の地域定着と時期区分  7
5.生涯教育・生涯学習をめぐる動向  10
6.60 年の蓄積と新しい胎動  13
7.市民主導の社会教育実践と市民運動  14
8.脱皮・再生への課題  16
第T部 社会教育・生涯学習の歴史と現在
第1章 戦前日本の社会教育
……………………………………………松田武雄
1.初期社会教育の思想と地域における社会教育・通俗教育の活動  22
2.初期社会教育論と通俗教育活動の組織化  24
3.日露戦後の地方改良運動と通俗教育・社会教育の展開  27
4.社会教育行政の確立と現代社会教育論の形成  29
5.戦時下の社会教育  33
第2章 戦後社会教育の生成と展開 ── 改革から反改革へ ──
新海英行
1.戦後改革期における啓蒙的社会教育と「社会教育の自由」  37
2.戦後復興・高度成長期における
「生活台」に立つ学習活動と「権利としての社会教育」42

3.高度経済成長の終焉と生涯教育の政策化  48
4.教育基本法の改正と社会教育・生涯学習の公共性の再構築  52
5.課題と展望  56
第3章 社会教育・生涯学習の現在 ……………………………………石井山竜平
はじめに─ リスクを察知し行動する力を地域に育むために─   58
1.公的社会教育の今日的位置  59
2.生涯学習とNPO・ボランティア  63
3.地方分権改革・自治体経営改革と社会教育行政  66
4.自治体改革下の地域生涯学習計画の展望  69
おわりに
  72
【コラム:世界の生涯学習@】75 …………木見尻哲生
第U部 社会教育・生涯学習の法制と施設・職員
第4章 社会教育法制と生涯学習振興整備法
………………………姉崎洋一
はじめに  78
1.1949 年社会教育法制定とその後の変遷の歴史的意味  80
2.生涯学習振興整備法による社会教育法「改正」への影響  83
3.改正教育基本法(2006 年)に伴う社会教育法の改正  88
4.2008 年社会教育法改正とその後の実践課題  90
第5章 社会教育・生涯学習施設と地域社会
…………………手打明敏・生島美和
1.地域社会の変貌と社会教育・生涯学習施設  95
2.公民館  100
3.図書館  104
4.博物館  107
5.生涯学習推進センター  110
【コラム:世界の生涯学習A】
113 …………大安喜一
第6章 社会教育職員と専門職問題 ………………………………長澤成次
はじめに  114
1.日本における社会教育職員数の概観  115
2.1951 年社会教育法改正と社会教育主事規定の変遷  116
3.派遣社会教育主事制度の発足  118
4.社会教育主事講習の受講資格の緩和  119
5.社会教育主事の職務内容に学校支援を加えた2008 年社会教育法改正  120
6.社会教育法制における公民館主事規定  121
7.公民館主事の専門職化をめざす自治的努力  123
8.公民館主事の専門的力量形成をめぐる課題  124
おわりに  125
第7章 大学と生涯学習にかかわる事業の展開─和歌山大学の事例から
山本健慈
はじめに  127
1.日本の大学と地域・生涯学習─ その素描─   127
2.和歌山大学における生涯学習教育研究センターの設立と運営理念  128
3.生涯学習教育研究センターの組織と人的体制の整備  129
4.「大学と生涯学習」にかかわる事業の編成の基本方針  132
5.「大学と生涯学習」にかかわる事業の実際  134
6.地域社会教育・生涯学習の展開における大学の役割  138
【コラム:世界の生涯学習B】
140 …………藤村好美
第V部 生涯学習の展開
第8章 子ども・学校・地域
…………………………………………美代子
はじめに─ 子どもの育ちと学校外・地域活動の意義─   142
1.近年のわが国の子どもの育ちの現況  143
2.今の子どもたちの状況を創り出している要因  144
3.子どもの豊かな育ちと地域活動  147
4.子どもの地域施設と団体の量的質的充足と専門的教員の配置を! 153
第9章 青年の学びと運動
…………………………………………大坂祐二
1.「青年」教育を見直す  155
2.青年の自己教育活動と青年教育実践のあゆみ  157
3.青年の自己教育活動とその支援の現状と課題  162
【コラム:世界の生涯学習C】
167 …………上田孝典
第10章 女性の学習と社会参加 …………………………………千葉悦子
はじめに  169
1.地域女性政策推進の拠点センター  170
2.「女性問題学習」の発見  171
3.実際生活を出発点とした学び  172
4.地域をつくる学びとネットワーク  174
5.ジェンダー平等学習を発展させるために  175
おわりに  177
第11章 高齢者の自己実現と学習
…………………………………辻 浩
1.高齢化の進行と高齢者の学習  180
2.高齢者のレクリエーションと地域福祉の推進  181
3.補助事業としての高齢者教室と有志による楽生学園  182
4.高齢大学・市民大学の学習スタイル  183
5.人生を意義づける自分史学習と心を活性化させる回想法  184
6.世代間交流による自己実現  185
7.社会参加の方法としてのボランティア、シルバー人材センター、NPO  186
8.社会的排除に挑戦する地域リハビリテーションと社会参加  187
9.高齢者による実態調査と高齢者運動  189
【コラム:世界の生涯学習D】
191 …………鈴木尚子
第W部 実践と運動の潮流
第12章 識字・日本語学習運動の展開と課題
………………… 森 実
はじめに  194
1.日本における識字運動の展開  195
2.被差別部落の識字運動や夜間中学校の核心  198
3.1990 年以後の動きに注目して  200
4.日本における識字・日本語学習運動の未来に向けて  206
第13章 障害をもつ人の生涯にわたる学習文化保障の課題
…… 小林 繁
はじめに  209
1.障害をもつ人への学習支援の取り組みと課題  210
2.社会教育施設・機関での対応の課題  213
3.障害をもつ子どもを支援する地域での取り組み  214
4.喫茶コーナーという挑戦  216
おわりに  219
【コラム:世界の生涯学習E】
222 …………二井紀美子
第14章 市民の学びとNPO ……………………………………… 佐藤一子
はじめに─ 市民の学習を組織する主体としてのNPO ─   223
1.NPO の法制化と活動の広がり  224
2.NPO の設立状況と活動分野  225
3.NPO の教育力とコーディネーターの役割  228
4.NPO が創造する市民的な学習活動  230
むすび─ 生涯学習社会の構築とNPO の課題─   233
第15 章 地域づくりと生涯学習
……………………………………上野景三
1.「地域づくりと生涯学習」というイシュー  236
2.「地域づくりと生涯学習」の課題と実践  238
3.地域の「目と脳と手」をつくる  247
【コラム:世界の生涯学習F】
 249  …………梁 炳賛(訳:李 正連
終章 日本の社会教育・生涯学習の展望
            
 ─ 制度的現実と理論的未来の間で ─……… 末本 誠
1.社会教育をめぐる国際的な潮流  251
2.成人教育研究の新しい展開  253
3.未来─ 世界の新しい動きと、いかに向き合うか? ─   257
社会教育・生涯学習年表
…………………………………………李 正連
あとがき ……………………………………………………………李 正連
索  引 …………………………………………………267
執筆者一覧・編著者紹介 ………………………………273


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
執筆者一覧(執筆順)
小林文人(東京学芸大学・名誉教授)  まえがき・序章1. 〜 6.
伊藤長和(中国・山東工商学院・講師)  まえがき・序章7. 〜 8.
松田武雄(名古屋大学・教授)  第1章
新海英行(名古屋柳城短期大学・学長)  第2章
石井山竜平(東北大学・准教授)  第3章
木見尻哲生(愛知大学・非常勤講師)  コラム:世界の生涯学習@
姉崎洋一(北海道大学・教授)  第4章
手打明敏(筑波大学・教授)   第5章
生島美和(弘前学院大学・講師) 第5章
大安喜一(ユネスコ・ダッカ事務所)  コラム:世界の生涯学習A
長澤成次(千葉大学・教授)  第6章
山本健慈(和歌山大学・学長) 第7章
藤村好美(群馬県立女子大学・教授) コラム:世界の生涯学習B
小木美代子(日本福祉大学・名誉教授)  第8章
大坂祐二(名寄市立大学・准教授)  第9章
上田孝典(筑波大学・准教授)  コラム:世界の生涯学習C
千葉悦子(福島大学・教授)  第10章
辻 浩(日本社会事業大学・教授)  第11章
鈴木尚子(徳島大学・准教授)  コラム:世界の生涯学習D
森 実(大阪教育大学・教授)  第12章
小林 繁(明治大学・教授)  第13章
二井紀美子(愛知教育大学・准教授)  コラム:世界の生涯学習E
佐藤一子(法政大学・教授)  第14章
上野景三(佐賀大学・教授)  第15章
梁 炳賛(韓国・公州大学校・教授)  コラム:世界の生涯学習F
末本 誠(神戸大学・教授)  終章
李 正連(東京大学・准教授) まえがき、社会教育・生涯学習年表、あとがき
       翻訳−コラム:世界の生涯学習F




まえがき

 いま「日本の社会教育・生涯学習」は大きな転換点に立たされている。戦後教育改革期の新しいスタートからすでに60 年余り、社会教育の制度・施設・職員など相当の蓄積をとげてきたことは周知の通りである。しかし歳月の経過とともに、ある種の制度疲労に似た停滞があり、また最近の新自由主義路線に見られる公的セクター見直しによる諸条件整備の後退が憂慮されている。他方で国際的な生涯教育・生涯学習の潮流を背景としつつ、日本的施策として再編された「生涯学習」(1980 年代〜)と地域に立脚してきた「社会教育」との不調和による混迷もみられる。
 いま私たちはどのような地点に立っているのか。2011 年3・11 東日本大震災は、東北の地で故郷と暮らしの基盤を流出させた一方で、社会教育・公民館等が果たすべき独自の課題や役割を浮き彫りにした。3・11 後の社会に向けて、一人ひとりの生き方や地域の再生が問われ、社会教育・生涯学習が果たすべき新しい方向と実践がいま求められている。
 このような画期的な転換・再生の時にあたって、私たちは社会教育・生涯学習の全体にわたる基本理解を深め、その歴史・構造・役割を確かめつつ、実践・運動にも関わって、現代的な課題や可能性を明らかにするため、『日本の社会教育・生涯学習』を世に送り出すことになった。
 本書の刊行には、いくつかの前史がある。今日にいたる経過を簡単に振り返ってみると、次のような流れであった。
 本書が誕生するまでに、2 冊の出版活動が取り組まれてきた。1 冊は『韓国の社会教育・生涯学習─ 市民社会の創造に向けて』(黄宗建・小林文人・伊藤長和共編、エイデル研究所刊、2006 年)、2 冊目は『日本の社会教育・生涯学習─草の根の住民自治と文化創造に向けて』(小林・伊藤・梁炳賛共編、韓国・学志社刊、2010 年)である。前者は、今世紀に入って新しい展開を見せてきた韓国「平生教育」(生涯教育)の躍動を日本関係者に先駆的に紹介しようという意図から出版された。後者は、部分的にしか伝わっていない日本の社会教育を韓国関係者にその全体像を提示しようとの思いから企画が進み出版に結実したものであった。それぞれに日韓両国をつなぐ初めての「本格的な研究書・解説書」と評価されてきた。
 この過程において、頻繁に編集会議が重ねられ、そこから「韓国生涯学習研究フォーラム」(2007 年以降)が結成された。本書編者3 人だけでなく、浅野かおる(福島大学)、金侖貞(首都大学東京)、小田切督剛(川崎市教育委員会)等の皆さんが積極的に参加してきた。思いおこせば前著の編集企画が始まったのは2003 年のこと、今年でちょうど10 年の歳月を迎えたことになる。
 2冊目の『日本の社会教育・生涯学習』はハングル版として、ソウル・学志社から出版されたが、もともとはすべて日本語で執筆されたものであった。日本社会教育・生涯学習の歴史、制度、政策、実践、運動のほぼ全領域を網羅し(全22 章)、各領域を代表する専門研究者によって執筆された。韓国へ向けて日本社会教育・生涯学習の全体像を高い水準で紹介するために、日本社会教育学会の中心的メンバー(元学会長、現学会長を含む)による、またとない執筆陣が編成された。本書はこの本を底本とし、同じ書名によって新しく編まれたものである。
 本書の主な内容は、目次に明らかなように、序章(特質と課題)・終章(展望)のほか、4 部から構成されている。すなわち、戦前・戦後・現在に至る歴史的概観(第1 部)、法制・施設・職員・大学等の制度的展開(第2 部)、子ども・青年・女性・高齢者の生涯学習(第3 部)、識字・福祉・市民活動・NPO・地域づくりに関わる運動と実践(第4 部)である。
 これらは、韓国向け出版『日本の社会教育・生涯学習』(2010 年)と同じ章構成・同じ執筆者によるが、「職業・労働と社会教育」章のみは、執筆者の意向により(残念ながら)本書には掲載されなかった。また本書全体の紙数制限のため、各章はある程度縮小し、新しくリライトされたものである。
 2010 年版の出版から本書への執筆・リライトに至るまで、快くご協力いただいた25 人(本書コラムを含む)の執筆者各位に編者として心からの御礼を申しあげる。また、本書刊行にいたるまで予想以上の歳月が経過したことに対し、編者の非力をお詫びしなければならない。社会教育・生涯学習にかける私たちの思いを受けとめ、本書刊行を引き受けてくださった大学教育出版・佐藤守氏に深く感謝を申し上げたい。
  2013 年2 月10 日(春節)  編者 小林文人・伊藤長和・李 正連




あとがき
 2010 年10 月7 日、韓国大邱市において日韓の社会教育研究者及び実践家たちが大勢集まる中で盛大な出版記念会が開かれた。本書の底本となった『(日本の社会教育・生涯学習〜草の根の住民自治と文化創造に向けて〜)』(小林文人・伊藤長和・梁炳賛共編、韓国・学志社)の出版記念会である。同書の編集は、韓国に向けて日本の社会教育・生涯学習の全体像を紹介するために企画された初めての試みとして2006 年に本格的に始まった。韓国向けの本であるため、日本語で執筆されたすべての論文を韓国語に翻訳し、また韓国読者の理解を手助けするために日本の社会教育・生涯学習に関する多くの資料編を用意する必要があった。そこで、約4 年という長い歳月がかかり、2010 年10 月に完成・出版された。2010 年は「日韓併合」100 年を迎える年でもあるが、同年に社会教育・生涯学習における日韓友好の新たな歴史をつくることができ、とても感慨深い。この出版から2 年余が経つが、日本の社会教育・生涯学習に関心をもつ韓国の研究者をはじめ、学生、専門職員、実践家等から幅広く好評を得ている。
 本書は、上記の韓国語版『日本の社会教育・生涯学習』(2010 年版)を日本国内向けに新しくリライトしたものである。「まえがき」にも記したように、同書は日本社会教育・生涯学習の歴史、制度、政策、実践、運動などを幅広く取り上げており、社会教育・生涯学習を初めて学ぶ学生や現場の実践・運動家、一般市民などのための入門書として、日本国内に出版することに決めたのである。韓国出版の執筆時点からすでに約4 年が経っており、その後の新しい政策や統計データ等を更新し、必要な加筆修正を行った。韓国出版では、地域報告として川崎市、松本市、貝塚市、名護市の4 事例と、特別報告として日韓研究交流史が収録されており、また資料編として日本法制(抄)をはじめ、「枚方テーゼ」「下伊那テーゼ」「三多摩テーゼ」などを含む日本社会教育・生涯学習における主要な10 本の宣言・テーゼ及びその解題、社会教育・生涯学習年表等が掲載されていたが、本書では紙数の制限により年表以外は割愛した。
 なお、韓国語版には、長らく日本との交流を重ねて来られた韓国側関係者のコメントをコラム(7本)として設けていたが、本書ではこれらに替わって、「世界の生涯学習」に関するコラム7 本(北欧、欧州、韓国、中国、東南アジア、アメリカ、ブラジル)を収録している。ただ残念ながら、2011 年3・11 東日本大地震以後の被災住民による生活再建と地域再生への取り組み、それを支える社会教育・生涯学習の役割及びあり方などまでは盛り込むことができなかった。
 この間の海を越える本づくりは日韓交流を深めただけではなく、それぞれ自国の現状や課題を再認識する有意義な機会にもなった。これからさらに相互の輪をより広げ、社会教育・生涯学習における研究・交流の新しい地平を切り拓いていくことを期待する。
 最後に、ご多忙の中、本書に玉稿をお寄せいただいた執筆者の方々に心よりお礼申し上げるとともに、厳しい出版事情の中、快く本書の出版をお引き受けくださった大学教育出版の佐藤守氏に深く感謝申し上げる。そして、執筆者が多いため、大変な校正作業だったのにもかかわらず、いつも親切かつ丁寧に対応してくださった安田愛氏にもお礼を申し上げたい。  2013 年8月     李 正連






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