セルフ・カウンセリング 自分の心に出会えるメルマガ |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ セルフ・カウンセリング ♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪ ( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 第 124 号 2012年 5月 1日 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ みなさん、こんにちは。 「セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪」をお読みいただきありがとうございます。 みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を耳にしたことがおありですか? これは、渡辺康麿氏が創案した、書いて読む、一人で出来る自己発見法です。 私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、 同氏の著書を連載することにいたしました。 楽しくお読みいただけたら幸いです。
連載になっております。興味のある方は、バックナンバーからお読みいただくとわかりやすいと思います。 1号〜 「自分の心に出会える本」より 23号〜 「自己形成学の創造」より 32号〜 「セルフ・カウンセリングの方法」より 62号〜 新連載「自分って何だろう‐現代日本人の自己形成‐」より
********************************* 人は、生まれてから今に至るまでの人生の中で、いろいろな経験をします。 そして、その経験を通して、「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」とかいうその人なりのモノサシを形作っていきます。 自分の生い立ちを振り返ることによって、無意識に取り込んできたそのようなモノサシに気づき、 そのとらわれから自由になっていく方法を自己形成史分析といいます。 セルフ・カウンセリングという方法は、このような、自己形成史分析という自己探求の方法が基礎になっています。 ☆★☆セルフ・カウンセリングとは?☆★☆ セルフ・カウンセリングでは、自分が経験した日常生活のある時の場面を書きます。 家庭や学校、職場での場面など、どのような場面でもかまいません。 テレビを見た時、本を読んだ時、一人で考えている時など、相手がいない場面も大切な題材になります。 もちろん文章の上手・下手はまったく問題ありません。 専門知識も必要ありません。 自分が見たこと、聞いたこと、思ったこと、言ったこと、したことを、時間の順にそのまま書くと、リポートになります。 まず、自分が何を悩んでいるのかわかります。 その悩みの奥に、どのような願いがあるのかわかります。 そして、相手の気持ちがわかります。 そうすると、自分と相手の気持ちを尊重しつつ、心を通わせてゆくための知恵が生まれます。 人間関係のすべてに共通する心のからくりを、自分の経験を通して学ぶことができます。 ***************************** 「自分って何だろう 〜現代日本人の自己形成〜」 渡辺康麿著 より抜粋 (vol . 63) 子どもたちのSOS ー いじめ ー □3 実践報告□ つづき ☆★☆ 子どもと心の交流をもつために ☆★☆ その2 (2)よその子と比べない 日本の母親は、子どもとの一体化の度合いが強いと言ってよいでしょう。 わが子を自分とは別の人格と見なすことがなかなかできにくいのです。 日本に親子心中が多いのも、その証拠であると言ってよいでしょう。 私たち親は、わが子が人々から肯定されると、まるで自分自身が肯定されたかのように思い、 その反対にわが子が人々から否定されると、自分自身が否定されたかのように思います。 この親子の一体感から、私たちはわが子が人々からどのように評価されているのかを、自分のことのように気にします。 私たちは、人々の期待をそのまま取り入れて、子どもの行動を評価します。 (平たい言葉で言えば、世間のモノサシにあてはめて子どもを見ます。) 子どもの行動が人々のモノサシにかなえば子どもを肯定しますが、そのモノサシにはずれれば子どもを否定しがちです。 しかし、それだけではありません。 さらに、わが子をよその子と比べて値ぶみします。 もし、わが子がよその子より優れていると感じられると、親自身も優れているかのように感じ、 その反対にわが子がよその子より劣っていると感じられると、親自身も劣っているかのように感じます。 そして、わが子をよその子より少しでも優れた子にしたい、劣った子にしたくないと思います。 ここから、私たち親の、子育て競争がはじまります。 現代の日本の社会では、大人は、おたがいのネウチを“みんな”よりもどれだけ功績をあげているかによって はかり合っていると言ってよいでしょう。 そして、その大人は子どものネウチをも、ほかの子どもたち“みんな”に比べて、将来どれだけ功績をあげうるかによってはかっていると言うことができます。 大人の世界を支配しているモノサシが職業であるとしたら、子どもの世界をしているモノサシは、 学業における成績であると言っても、決して言いすぎではないでしょう。 この成績をはかる具体的なしかけが偏差値です。 言うまでもなく、偏差値は、人なみという平均値からどれだけずれているかをはかるモノサシです。 このように、もし、子どもが大人から学業成績というただ一つのモノサシでほかの子どもたちと比べられて、 自分のネウチをいつも評価されているとしたら、子どもは大人に対してどのような感じを持つようになるでしょうか。 言うまでもなく、みんなより出来のわるい子は、自分自身のネウチが大人から否定されているように感じられ、落ち着かなくなります。 しかし、たとえみんなより出来のよい子であっても、感受性の鋭い子であれば、 自分の一面だけが大人から肯定されているように感じられて、やはり落ち着かなくなります。 自分の全面が受け容れられているわけではないからです。 この子どもたちの漠然とした自分の存在のネウチについての不安感が、いじめが起こってくる根源であることを、今までくり返し指摘してきました。 とするならば、まず私たち大人が自分の内部に潜んでいる不安を洞察し、その不安を引き起こしているすべての社会的なモノサシから自由になって、 自分自身の存在の意味を無条件的に認めることが必要です。 その時はじめて、私たちは、子どもの存在の意味をも無条件的に認めることが可能になります。 もし、私たちが子どものネウチを社会的なモノサシでほかの子と比べてはかるのではなく、 子どもの存在の意味をかけがえのないものとして無条件的に認めるならば、子どもは本当の意味で落ち着くことができます。 その時、子どもはほかの子どもの存在を認めて、ほかの子どもと心の交流を持つことができるのです。 そうなった時、日本の社会における“いじめ”の問題が真に克服されたと言ってよいでしょう。 つづく・・・ 次回は「むすび ”自分づくり”への新しい一歩」をお送りいたします。 どうぞ、お楽しみに! ********************************** 【閉じる】 |
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