セルフ・カウンセリング
自分の心に出会えるメルマガ


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セルフ・カウンセリング
♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪
( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!)
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第 114 号 2011年 12月 1日
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みなさん、こんにちは。
「セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪」をお読みいただきありがとうございます。
みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を耳にしたことがおありですか?
これは、渡辺康麿氏が創案した、書いて読む、一人で出来る自己発見法です。
私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、 同氏の著書を連載することにいたしました。
楽しくお読みいただけたら幸いです。


連載になっております。興味のある方は、バックナンバーからお読みいただくとわかりやすいと思います。
  1号〜    「自分の心に出会える本」より
 23号〜    「自己形成学の創造」より
 32号〜    「セルフ・カウンセリングの方法」より
 62号〜 新連載「自分って何だろう‐現代日本人の自己形成‐」より



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人は、生まれてから今に至るまでの人生の中で、いろいろな経験をします。
そして、その経験を通して、「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」とかいうその人なりのモノサシを形作っていきます。

自分の生い立ちを振り返ることによって、無意識に取り込んできたそのようなモノサシに気づき、 そのとらわれから自由になっていく方法を自己形成史分析といいます。

セルフ・カウンセリングという方法は、このような、自己形成史分析という自己探求の方法が基礎になっています。

☆★☆セルフ・カウンセリングとは?☆★☆

セルフ・カウンセリングでは、自分が経験した日常生活のある時の場面を書きます。
家庭や学校、職場での場面など、どのような場面でもかまいません。
テレビを見た時、本を読んだ時、一人で考えている時など、相手がいない場面も大切な題材になります。
もちろん文章の上手・下手はまったく問題ありません。
専門知識も必要ありません。
自分が見たこと、聞いたこと、思ったこと、言ったこと、したことを、時間の順にそのまま書くと、リポートになります。
まず、自分が何を悩んでいるのかわかります。
その悩みの奥に、どのような願いがあるのかわかります。
そして、相手の気持ちがわかります。
そうすると、自分と相手の気持ちを尊重しつつ、心を通わせてゆくための知恵が生まれます。
人間関係のすべてに共通する心のからくりを、自分の経験を通して学ぶことができます。


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「自分って何だろう 〜現代日本人の自己形成〜」

渡辺康麿著 より抜粋

(vol . 53)


子どもたちのSOS
ー いじめ ー


□2 背景の考察と克服の鍵□ つづき

☆★☆大学紛争、校内暴力、いじめ☆★☆

今、いじめの現象が、新聞紙上で大きく取りあげられて注目をあびています。
それで、あたかもいじめが、突然起こってきたかのような印象を与えています。
しかし、今まですでに、このいじめに似た現象は起こっているのです。
この前ぶれとも言うべき現象と関連づけてはじめて、今起こっているいじめの現象の意味を正しく理解することができます。
いじめの現象は、「大学紛争」から「校内暴力」への展開過程の延長戦上に、位置づけることができると思います。
この「大学紛争」と「校内暴力」と「いじめ」の三つの社会現象の間には、一見しただけでは何のつながりもないように見えます。
しかし、よく見てみるならば、それらの間には共通性のあることがわかります。
まず第一に、
いずれも、大人たちに対する子どもたちの集団的な反抗を意味しているということです。 いじめは、大人を代表する先生たちへの直接的な反抗ではないが、間接的な反抗といってよいでしょう。
第二には、
子どもたちの反抗がある特定の地域からはじまって、またたく間に全国的な規模にまで広がっていったということです。
むろん、それにはマスコミの影響ということを考えに入れなくてはなりませんが……。
第三には、
子どもたちの反抗が限りなく激しくなってゆき、ついには反抗自体が目的になってしまったということです。
第四には、
子どもたちの反抗は大人たちの反撃(警察隊導入、体罰など)にぶつかって、抑え込まれていったいったということです。
むろん、いじめはまだ抑え込まれてはいませんが……。
第五には、
子どもたちの反抗は大人たちによって抑え込まれたとしても、その不満は依然としてくすぶりつづけているということです。
以上、共通性をあげてきましたが、それと同時に相違点をあげることもできます。
まず第一には、
反抗の担い手の年齢が、時が進むにつれて低くなってきているということです。
大学紛争の担い手は言うまでもなく大学生でした。
校内暴力の担い手は中学生や高校生でした。
いじめの主な担い手は高学年の小学生や中学生です。
おそらく、これからさらに低学年の小学生や幼稚園児にまで及んでいくことでしょう。
ついでに言うならば、いじめの対象が動物に及んでいく可能性も充分考えられます。
第二には、
反抗の仕方が非合理的になってきたということです。
大学紛争の場合には、大学生は少なくとも初期においては、現代の管理体制を代表する大学教師に対して鋭い問題提起をしました。
たとえそれが後には教師に対して暴言を吐くことで終わったとしてもです。
校内暴力の場合には、中学生や高校生は教師に対して直接暴力をふるうようになりました。
この場合、理性的な批判は全く背景に退き、感情的な反抗が前面にでてきました。
それだけ反抗の仕方が非合理的になったと言うことができるでしょう。
さらに、いじめの場合では、中学生はもはや先生に直接はむかうのではなく、ひそかに弱い者をいじめるという形で、先生を試しています。
その彼らは、自分たちの弱い者いじめを教師の目から隠しとおすということによって、
監視者である教師に対して反抗していると言ってよいでしょう。
攻撃のほこ先が強者の先生から弱者の仲間の子どもに無意識的に向け変えられてしまっているという意味で、 非合理性はいっそう強まっていると言ってよいでしょう。

つづく・・・

次回は「管理体制と子どもの自主性」をお送りいたします。
どうぞ、お楽しみに!

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