セルフ・カウンセリング 自分の心に出会えるメルマガ |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ セルフ・カウンセリング ♪ 自分の心に出会えるメルマガ ♪ ( ”イライラ””モヤモヤ”が解消できる!) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 第 48 号 2009年 3月 15日 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ みなさん、こんにちは。 「セルフ・カウンセリング ♪自分の心に出会えるメルマガ♪」をお読みいただきありがとうございます。 みなさんは、セルフ・カウンセリングという言葉を耳にしたことがおありですか? これは、渡辺康麿氏が創案した、書いて読む、一人で出来る自己発見法です。 私たちは、このセルフ・カウンセリングを学んでいるグル-プですが、みなさんにも、ぜひ、この方法をお伝えしたいと思い、 同氏の著書を連載することにいたしました。 楽しくお読みいただけたら幸いです。 〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜 連載になっております。興味のある方は、バックナンバーからお読みいただくとわかりやすいと思います。 1〜22号 「自分の心に出会える本」より 23号〜 「自己形成学の創造」より 32号〜 新連載「セルフ・カウンセリングの方法」より 〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜 ********************************** 人は、生まれてから今に至るまでの人生の中で、いろいろな経験をします。 そして、その経験を通して、「こうしなければならない」とか「こうあらねばならない」とかいうその人なりのモノサシを形作っていきます。 自分の生い立ちを振り返ることによって、無意識に取り込んできたそのようなモノサシに気づき、 そのとらわれから自由になっていく方法を自己形成史分析といいます。 セルフ・カウンセリングという方法は、このような、自己形成史分析という自己探求の方法が基礎になっています。 ☆★☆セルフ・カウンセリングとは?☆★☆ セルフ・カウンセリングでは、自分が経験した日常生活のある時の場面を書きます。 家庭や学校、職場での場面など、どのような場面でもかまいません。 テレビを見た時、本を読んだ時、一人で考えている時など、相手がいない場面も大切な題材になります。 もちろん文章の上手・下手はまったく問題ありません。 専門知識も必要ありません。 自分が見たこと、聞いたこと、思ったこと、言ったこと、したことを、時間の順にそのまま書くと、リポートになります。 まず、自分が何を悩んでいるのかわかります。 その悩みの奥に、どのような願いがあるのかわかります。 そして、相手の気持ちがわかります。 そうすると、自分と相手の気持ちを尊重しつつ、心を通わせてゆくための知恵が生まれます。 人間関係のすべてに共通する心のからくりを、自分の経験を通して学ぶことができます。 〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜 第32号より、セルフ・カウンセリングのプログラムに取り組み、 新たな自己発見をした方々の、体験談を紹介していきます。 〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜・〜*〜 ***************************** 「セルフ・カウンセリングの方法」 渡辺康麿著 より抜粋 (vol . 18 ) ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ー セルフ・カウンセリング ケーススタディ 9 ー ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ タイトル「私情をはさむ上司に我慢できない」 [男性・30歳] ( ケーススタディ9 − 後半 ) 前号からの続きですので、 バックナンバー48号からお読みいただくとわかりやすくなっています。 ☆★☆私もまた私情をはさんでいた☆★☆ ところが記述を読み返したら、私だって自分の好き嫌いで動いていたということに気づかされました。 この気づきには、けっこう抵抗を感じました。 あの課長と自分が同じだなんて思いたくない、と。 記述を通して、私は一貫して社員の田中さんに対しては否定的であり、パートの中村さんに対しては好意的だったということに気づきました。 そして、田中さんと中村さんがうまくいかないのだとしたら、田中さんのほうに問題がある、と心の中で決めつけています。 私から見て中村さんは、一日六時間以上、よく働いていると思います。 10年勤めた今でも、机ふきから洗い物まで、人の分までやるような人です。 無理しているふうでもなく、自分をしっかりもっている女性でした。 私が労うと、彼女は決まって「いいのよ。私はこうしているほうが気持ちいいんだから」と答えます。 私は彼女が勤め始めたきっかけを知っていました。 本人が話してくれたことです。 10数年前、彼女の長男は大学に受かったとたんに“登校拒否”になったそうです。 どうしてそんなことになってしまったのかと悩みはてた中村さんは、登校拒否児をもつ親の会合に参加しました。 その会のメンバーのほとんどが、小、中学生の子どもの親でした。 「お宅はいいわよ。大学に受かったんだから。 何だかんだ言っても、大学にさえ入っちゃえばいいじゃない。 私たちよりずっとラクよ」。 ある母親は、そんなふうに中村さんに言ったそうです。 わが子の状態によって身分制(?)のようになっていると中村さんは感じたんだそうです。 誰々さんのところはカウンセリングに行って登校を始めたなどと聞けば、「いいわねぇ。うちなんか……」と、足の引っ張りあいまではしなくとも、 牽制しあう雰囲気があったとか。 羨望、嫉妬が渦巻いていたと言います。 会に出ても居場所はない、と疎外感を感じた彼女は、一時は新興宗教への入信を考えるほど悩んだそうです。 登校拒否の息子と二人で家にいると気が狂いそうだったので、外に出て働こうと思った。そこでパートを始めたのだそうです。 彼女が仕事をする充実感を覚え始めたころ、息子さんが変わってきたと言います。 息子さんは今、海外青年協力隊として東南アジアに行っているようです。 この話を聞いて以来、私は中村さんに好感をもつようになりました。 不器用だったり、心が弱かったりするけれど、一生懸命に生きてきた彼女に私は好感をもったのです。 これに対して田中さんには、悪いイメージばかりありました。 ワガママ、自己中心的、自分の意を通すことばかり考えている嫌な女、というイメージです。 今回のことでは、課長に取り入って、目の上のタンコブである中村さんを追い出そうと図ったのではないか、と私は暗に予想していたのです。 ☆★☆課長の評価にこだわっていた☆★☆ 〈(課長は)彼女(田中さん)の言うことを全部、鵜呑みにしている〉 〈やっぱり(中村さんを)辞めさせたいんだな〉 〈課長は、本気で中村さんを辞めさせる気だ〉 こうした心のセリフを読むと、私は課長に、中村さんを辞めさせたいと思わないでほしかったのだと思います。 それは私自身が、彼女と一緒に仕事をしたいと願っていたからです。 しかし、私はそのような自分の思いは口に出していません。 なぜだろう?と考えたとき、〈そんなことを言ったら、「私情をはさむな」と言われる。 よけいに悪く思われてしまう〉という心のセリフが、フッとわいてきました。 私は課長に悪く思われたくなかったのです。 つまり課長の評価を気にしていたのです。 このことに気づいたとき、この場面の解釈がひっくりかえりました。 この場面は、私という正義の味方が、悪(課長とその取り巻き)と対決した場面ではなかったのです。 この場面は、私が〈課長は中村さんだけではなく、この私にも好感をもっていない。 だから私の立場も、中村さんの立場も無視するのだ〉と感じて不安になった場面だったのです。 【洞察をしてみて】 ☆★☆心の安定を保つ“心のからくり”☆★☆ わたしの言ったこと、したこと、思ったことについて、まず洞察してみました。 すると記述の段階では表現できなかった思いが溢れ出てきました。 〈中村さんのことをもっと理解してやってほしい。 彼女は課長より年上だし、下積みの経験も長い。 そして、人の気持ちが解る人だ。 簡単に人を退職させるなどと言わないでほしい。 田中さんの訴えを鵜呑みにしないで、中村さんのことをもっとよく見てほしい>という課長に対する思いが出てきました。 しかし、私はその思いを課長に伝えてはいませんでした。 それは、〈これ以上、課長と口論することは自分にマイナスだ。 ただでさえ俺は課長に好感をもたれていない〉という思いがあったからです。 ひょっとしたら私は、〈課長は俺に好感をもっていないな〉と感じたときから、課長を<嫌なやつ>と思うようになったのではないでしょうか。 嫌われる前にこっちのほうから嫌ってやる、というパターンです。 そうしたほうが自分が惨めにならないからです。 洞察によって、課長が部屋を出て行くときの思いも引き出されてきました。 私は、〈ここは引き下がってやる。 しかし、中村さんを退職させることはしないぞ〉と思いながら課長を見送ったのです。 洞察によって新たな表現になった心のセリフを読み返すと、「この私」「引き下がってやる」という部分が目につきます。 〈課長に好感をもたれていない自分〉を、私は認めたくなかったのです。 認めてしまうと不安になるからです。 それで私は、自分という人間の値打ちを引き上げ、課長の値打ちを引き下げることで、心の安定を保とうとしたのではないでしょうか。 そういう私の心のからくりが、「この私」「引き下がってやる」という偉そうな表現に現れているのだと思います。 ☆★☆意地悪したのではなく試していた?☆★☆ ここまで自分が見えてきたとき、課長の言動の見方が変わってきました。 課長は私に、田中さんの面倒を見てやってほしかったのではないか、と思えてきました。 感情的で幼稚な言動の多い田中さんでは、中村さんにキチンと指示することができない。 田中さんはまだ、キャリアのある中村さんを指導するには力不足、そう課長は判断したのかもしれません。 それで私に、田中さんに代わって中村さんを指導してほしい、そうすることで田中さんの指導力を育ててほしいと、課長は期待していたのではないでしょうか。 つまり後輩に指導力をつける指導が、私にできるかどうか試した、そのための課題を与えたのではと、そんなふうに思えてきました。 また主任として、いわゆる『汚れ仕事』でも率先してやるかどうか、つまり忠誠心も見たかったのかもしれません。 ☆★☆“色メガネ”の原因☆★☆ ところで、課長からどう思われるかを気にしていた私ですが、私は課長をどう思っていたのでしょうか。 洞察の結果によると、課長に対してはマイナスの感情ばかりでした。 不満感、怒り、恐れ、嫌悪感が交錯していました。 それらマイナス感情の奥には、〈私をよく思ってほしい、悪く思わないでほしい〉という欲求が一貫して流れています。 なぜかと言えば、課長の評価しだいで私の進退が左右される可能性があるからです。 つまり私は、自分の立場をよりよくしたいから課長の評価にこだわった、自分が課長に好感をもっているから、 課長からも好感をもたれたいのではなく……ということがわかりました。 自分が何を求めているかを自覚していないと、知らずしらずのうちにまわりの人を、自分の欲求充足の道具(手段)としてしか見れなくなるのだと思います。 今までの私は、自分の無自覚的な欲求のところに立っているものを見ていました。 相手との関わりで、自分の欲求が叶わないときの嫌な気持ちを、あたかも相手自身の性質のように感じていたのです。 自分が嫌な気持ちになると、相手が嫌な奴なのだと思っていました。 自分の欲求に気づいていなかったので、そこから起ってくる自分の感情を、相手に映していたのです。 つまり自分の感情を投影した相手しか、私は見ていなかったことになります。 これが、“色メガネ”というものなのでしょう。 その後、私は課長に、中村さんはよく働き有能な人材であるということ、田中さんとのコミュニケーションがうまくいかないことについては、 自分がようすを見て指導したいということ、だから時間を与えてほしいということなどを伝えました。 最初、課長は納得しがたいような顔をしていました。 それでも時間を置いては、繰り返し話すようにしました。 先日、課長が私を呼んで、こう言いました。 「中村くんは退職させないことにしたよ。 北野君がそこまで言うのだから、もう少し私もようすを見ようと思う。 田中君は気が強い。 中村さんもあれでけっこう、言うときは言う人だ。 ただでさえ女性同士の人間関係は話がややこしいし、たいへんだろうと思う。 でも人間関係の調整という仕事も大事な経験になるはずだから、よろしく頼むよ」と。 ケーススタディ 9 おわり 次回は、ケーススタディ10「反抗的な部下にハラが立つ」を2回に渡ってお送りいたします。 ********************************** 【閉じる】 |
Copyright©セルフ・カウンセリング学会/渡辺康麿 「セルフ・カウンセリング®」は登録商標です。 |