
「当たり前」の徹底で人材を潰すな
プリンシプル・コンサルティング・グループ(株) 代表取締役 秋山 進
「当たり前のことを当たり前にやる(ことが大事だ)」は,多くの人が好んで使う言葉です。しかし,使われる文脈により,意味は違ってきます。
■「当たり前のことを当たり前に」の3つの意味
第一の使われ方は,「決められた規則や手順を普通にやれるようになる」という意味です。これは,新入社員や若手社員に対して,上司や先輩からの“躾の言葉”として発せられます。最も標準的でイメージしやすい使用法でしょう。
第二の使われ方は,管理職などから「やるべき基本のことをきちんとやってさえいれば,必ず成功する(だから余計なことは必要ない)」という意味で発せられる言葉です。基本を徹底したい意志は伝わりますが,一方で,標準からの逸脱は許さないという雰囲気もにじみ出ています。
第三は,その道の達人たちが,自身の成功要因を問われて,「当たり前のことを当たり前にやり続けてきた結果です」と回答するような文脈での使われ方です。言葉が同じなので,第一や第二と混同しがちですが,これは,技術の向上を目指す人が,“自分のあるべき姿”を真剣に追い求めていくなかで,“当然これくらいはするよね”と当人は思っている(が普通の人には真似できない)レベルのことを,積み重ねていく基本姿勢の重要性を意味しています。
第一の延長線上に第二の「当たり前」はありますが,第二の延長線上に第三はありません。第三の「当たり前」は,独自性が強く,他者によってではなく自己によって定められた基準であって,多くの人にとっての「当たり前」にはなりえません。
第三への移行においては,第二の標準化・同質化圧力から抜け出して,自分基準へ飛躍する必要がありますから,上司や周囲からの“勝手なことをするな!”という相当強い批判を受けます。私はこれまで,「当たり前のことを当たり前にやれ!(余計なことはするな!)」という上司の下で,独自性のある面白い試みを封殺された社員を山のように見てきました。若手の頃は「あいつはちょっと変わっていて面白い!」という評価だったのに,やがて十人並みの普通の社員になってしまうのです。かくして,会社には,第二の意味で「当たり前のことを当たり前にやる」社員しかいなくなってしまうのです。
■卓越したプロ人材が育ちやすい環境を
一方,どこの企業も,社員に対して“もっとプロフェッショナルになってほしい”とのメッセージを強く打ち出しています。
プロとは何でしょうか。
ベースとしての基本知識,基本スキルは持ちつつも,その上にその人にしかできない新しい知見や優れた技術を磨き,現実の場面で成果を実現させている人たちが想定されます。独自性や新奇性が当然求められるでしょうし,その実現のためには,第三の自分なりの「当たり前」(標準からの逸脱)を目指す姿勢がなければプロのレベルには達しません。
組織によっては,個々人のバラバラな行為が全体のパフォーマンスを下げている状況に悩まされるようなケースもありますので,第二の「当たり前」の徹底こそ必要な場合も多々あると考えます。しかし,企業が強くなるためには,自分なりの「当たり前」を実行し続けるプロがたくさんいて,さらにその中から達人が生まれてくる状況が望まれます。
「当たり前にもいろいろある」「相手のレベルに合わせて,その人に適した当たり前を目指してもらう」ことの重要性を,人材育成に関係するすべての人に理解していただきたいと思います。卓越性の阻害を防ぐという点において,インパクトのあるキーポイントだと考えます。
(月刊 人事マネジメント 2014年4月号 HR Short Message より)
HRM Magazine.
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