アジア・太平洋地域において、地域開発や住民の識字教育を含む教育機会拡大、生涯学習の振興の動き等が注目されるが、その地域レベルの活動拠点として、いま「コミュニテイ学習センタ」(CLC)が各地で活発な胎動をみせている。
とくにベトナムでは、1980年代後半以降のドイモイ(刷新)政策を背景に、1990年代後半より「地域共同学習センター」が急速に拡大してきた。その際、ユネスコによるノンフオーマル教育やCLCへの関心とともに、日本の「寺子屋」(識字教育)や「公民館」の歩みが、新しい教育モデルとして、大きな関心を集めたという。実際に「KOUMINKAN」という言葉も使われる場合がある。
ベトナムでは、地域共同学習センターのことを「チュンタム・ホックタップ・コンドン」(Trung tam Hoc tap Cong dong、それぞれ中心・学習・共同という漢語に対応)という。
1996年から国家レベルで研究が始まり、1998年に試行的に設置がはじまり、当時10館であったものが、2006年現在、7348館に達している。ベトナムの全コミューン(xa,漢語では「社」、行政の末端単位)の7割近くの規模で設置が進んでいることになる。驚くべき躍進ぶりである。この間にはユネスコ、ユニセフだけでなく日本ユネスコ協会連盟からの援助も得ている。
地域共同学習センターは、教育体系上ではベトナムの「継続教育」の地域末端施設として位置付き、同時にコミューン・レベルにおける地域公民館としての性格を併せ持っているといえよう。
教育法制としては、1998年のベトナム「教育法」には何ら規定はなかった。その後、2005年にこれが改正され、法文上にはじめて「地域共同学習センター」が登場した。
すなわち、
「第46条 継続教育の施設
1,継続教育の教育施設は以下のものからなる。
a) 省及び郡に設置される継続教育センター
b) 町村に設置されるコミュニテイ学習センター(以下、略)」
これ以上の細則は(ベトナム教育訓練省から2005年中に出される予定であったが)まだ確認が取れていない。
ベトナム共産党の文化・教育政策、官協力団体としての「学習振興会」等の各種団体の活動、一般住民の民衆意識・教育要求等のダイナミズムのなかで、これから地域共同学習センターがどのような展開をとげることになるか、興味深いところである。一つのモデルとして注目された日本の公民館にとっても関心を寄せ続けていきたいものである。
筆者のターイ・ティ・スワン・ダーオ女史(Ms. Thai Thi Xuan Dao)は、ベトナム教育政策の中心機関である「教育政策カリキュラム院」所属機関の「ノンフォーマル教育政策カリキュラム研究センター」の所長をつとめ、これまでベトナムの成人教育、識字教育、継続教育そして地域共同学習センターの施策にすべてかかわってきた。関係者は「地域共同学習センターの生みの母」あるいは「ベトナム公民館の母」と呼ぶ場合もあるという。今回、訳者の津久井純氏を通して、貴重な原稿の執筆をお願いできた。これを機縁に日本の公民館関係者とベトナム「地域共同学習センター」との間に研究・交流の新しい道が拓かれることになればと願っている。
訳者の津久井純氏は東京学芸大学卒、東京都立大学大学院でベトナム研究の道を志し、日本ユネスコ協会連盟等をへて、現在は在ベトナム、JICAプロジェクト「ベトナム国現職教員研修計画」に従事している(財・国際開発センター所属)。ベトナム教育法の訳出があり、本テーマに関連しては、論文「ベトナムの地域共同学習センターの歩みと課題」(TOAFAEC編『東アジア社会教育研究』第11号、2006年)がある。
Thai Xuan Dao(教育政策カリキュラム院)
訳:津久井 純
これまで、ベトナムのノンフォーマル教育政策の多くは成功を収めてきたが、この地域共同学習センターの開発政策も成功しうるものである。1945年の独立達成時、ホーチミン主席が「すべての人が学ぶ」というスローガンの下に識字政策が着手された。政府の識字教育への関心の高まりから、ベトナムtrong toμn caiに平民学務局を設置された。人々の学習の手始めとして、識字政策が打ち出されたのである。このときから現在に至るまで、ベトナムは国をあげて、すべての人に教育を保障し、教育における社会公平を図り、誰もが学べるように条件整備を行う、という姿勢を堅持してきた。教育形式の多様化を奨励し、すべての人が自分の学習ニーズと環境にあった学習方法を選択できるように努めてきた。
2005年教育法は、「学習は、公民の権利であり義務である。すべての公民は、学習機会について、民族、宗教、信仰、性別、出自、社会的地位、もしくは経済的環境に関わりなく平等である。国は教育の社会的平等を実現し、誰もが教育を受けられるよう条件を造る。」と規定している。
教育を受ける機会がまったくなかった、あるいは機会はあったが途中で退学してしまった児童や成人に対して第二の学習機会をつくること、そしてニーズをもつあらゆる人々に対して継続的で生涯にわたる学習機会をつくること、これを目指して、ベトナムは「ノンフォーマル教育、すなわち地域やコミューンにおいて実生活に基づくニーズに即した各種の学習形式を開発し、学習社会を志向した生涯にわたる学習の場をすべての人に保障する」ことに努めてきた。
政府は「万人の教育に関する行動計画2003-2015年」を承認し、その中でも識字、識字後教育、小学校および中学校教育の普遍化そしてライフスキルの教育に焦点を当てている。
政府首相は、「2010年に学習社会を建設するプロジェクト」という112号決定に署名をした(*訳注:2005年)。同決定では、全国の8割以上のコミューンが地域共同学習センターを設置することが盛り込まれている。
2,ベトナムにおける地域共同学習センターの誕生:ますます増え、多様になる人々の学習ニーズに応える
現代、すなわち科学技術が急速に発達する時代、情報が爆発的に増加する時代、グローバリゼーションの、知識経済の、「情報社会」や「学習社会」の拡大する時代では、一方であらゆる人々が大きなチャンスを得ることができるのだが、この時代を生き抜くことそのものに大きな困難がともなう。学校教育で得た知識は(仮に大学や大学院を卒業したとしても)十分とは言えず、またすぐに古いものになってしまう。この時代を生き抜くためには、人々は継続的、生涯にわたって学ばなければならない。継続学習、生涯学習は現代社会の一つの新しい課題である。
ベトナムもこの趨勢の外にいるわけではない。現在のベトナムの人々の学習動機とは、卒業証書を得るため、昇進するため、高級幹部に求められる条件を得るため、また農村社会から逃れて都市で生計を立てるためだけではない。人々は、今必要で、すぐに生活や生産活動に適用できる知識やライフスキルを学びたいと思っている。学習を通じて、収入を上げたり、自分や家族および社会の生活の質を改善したいのだ。現在の人々の学習動機とは、知るためだけではなく、仕事に役立てるため、生計を立てるため、生活や生産活動の変化に対応するため、グローバリゼーションのすすむ社会・世界と共生していくため、というのが主なものである。
ベトナムにおいて、農民人口の占める割合は約8割である。農業生産システムがドイモイ(刷新)されて以降、つまり家族が生産の単位として認められ、自主的に経営が可能になって以降、農民の学習ニーズはますます切実なものになっている。農業に自主性が認められたが、それはすなわち自分から主体的に活動を行わなければならなくなったことを意味する。あらゆることを自分でやりくりしなければならない。家畜生産計画であったり、次期作付の種や苗の管理、収穫までの農業技術、収穫物の販売など多岐にわたる。この新しい生産システムでは、みなが篤農家になり、活動的で技術を持ってはじめて経営を成り立たせることが可能なのだ。そのような篤農家でさえ、裕福になれる者は限られているのが現状である。逆に、農業をやりくりできない人、農作業をうまく進められない人、新しい技術の知識がない人は、生計を立てられなくなり貧しくなっていく。このとき、農民は生産技術や農業経営の重要性を意識し、学習や新しい技術を習得する必要性を感じるのだ。
Viet Thuan村、Cao Son村、An Lap村で210名を対象に行ったインタビュー調査において、80.7%の調査対象者はみな、村内の貧しい世帯について、技術・情報の不足と農業の方法を知らないことをその理由にあげていた。調査対象者の97%は、今何を学ばなければいけないかの認識を持っていた。しかしながら、以前のように学歴や昇進のための学習ニーズを持っている人は7.1%しかいなかった。何かを学んでいる人の多くが、生計を立てる(95.8%)、理解を深める(77%)、子育て(74.2%)を学習動機にあげていた。
表 1: 人々の学習動機
|
学習動機 |
回答者数 |
割合 (%) |
1 2 3 4 |
卒業資格 生計を立てる 理解を深める 子育て |
15 201 161 156 |
7,1 95,8 77,0 74,2 |
表2は、調査対象者の多くが生産や収入向上に関連する知識を学習ニーズにあげていることを示している。その次にあげられているのは、家庭生活および社会生活に関連する知識の学習ニーズである。教養を学習ニーズにあげている人は少なく、とくに山岳地域でその傾向が強い。
表 2: 学習ニーズ
順位 |
ニーズ |
Viet Thuan村
(%) |
An Lap村 (%) |
Cao Son村(%) |
1 2 3 |
教養 生産と収入向上に関連する知識 家庭・社会生活についての知識 |
48,6 100 71,4 |
28,5 85,7 61,4 |
37,1 94,2 79,8 |
ますます多様になる人々の学習ニーズに応えるため、ベトナム・ノンフォーマル教育政策は、自身の機能や任務を拡大し、学習カリキュラム、学習内容の多様化を図ってきた。とくに、教育機関ネットワークの拡大を図ってきた。どの郡・市も平均一つの継続教育センターが設置されている。同センターを二つもつ郡・市もある。全国では、文化補足校および省立および郡立継続教育センターが669校設置されている。これら省立および郡立継続教育センターは、これまでも、そして現在も、地域の人々の教養を高め、人材の育成に積極的な役割を果たしている。しかし、実際にはこれらセンターは以下のような課題を抱えている。
・ 継続教育センターは主に省や郡の中心地に設置されている。アクセスが容易な住民が限られている。大部分の住民はアクセスができない。
・ 省立・郡立継続教育センターは、学校教育のイクイバレンシープログラムを提供するのが主な役割で、学校教育の卒業資格あるいはコンピューター、英語などの職業技術訓練修了証を必要とする人への教育を行っている。
・ 継続教育センターは郡の住民の学習要求に応えようと努めてきたが、郡の中心から遠いコミューンに住む住民のニーズには応えられない。
・ 継続教育センターは担当地域が広い。しかしリソース(職員、経費)が限られているため、すべての住民への学習支援ができず、実際には、中心地に近い数コミューンしかサービスを提供し得ない。
・ 継続教育センターは公立の教育機関なので、教員への報酬は公的資金で賄われる。したがって、地域による自主的な運営財源確保が進まない。
ここで明らかなように、地域のあらゆる人々の多様な学習ニーズに応えるには、地域共同学習センターをコミューンレベルに設置することが求められいてる。一方で、地域共同学習センターはノンフォーマル教育でこれまでに存在した教育モデルの限界も克服しなければならない。地域共同学習センターは、利用者の近くに設置されなければならない。地域共同学習センターは、コミューンの指導者および各種行政部門や大衆団体からなる管理委員会を通じて地域によって設立・管理されなければならない。地域共同学習センターは、多機能でなければならず、学習者のニーズや問題から出発し、それに応える機関でなければならない。地域共同学習センターは、国によってすべてが担われるのではなく、地域の人々および行政各部門や大衆団体の積極的、主体的参加が必要である。
つまり、ベトナムにおいて地域共同学習センターのネットワークを広げるには、次のような実践上の矛盾を解決する必要がある。
1) 国が「すべての人に教育を」の政策実施に努めているにも関わらず、現在の学習者数が少ない。
2)
ますます多様になる人々の学習要求と現在のノンフォーマル教育機関ネットワークがそれに応えられていない。
3)
ノンフォーマル教育機関のネットワークはコミューンレベルにまで拡大する必要があるにも関わらず、経費および公務員数の割り当てが限られている。
コミューンレベルに地域共同学習センターを設置する必要性および同センターが継続的に生涯にわたってすべての住民の学習機会を保障する役割と効果を持つことを認識し、ベトナム政府は、1996年より同センターに関する研究を開始し、各国の実践に学んできた。研究対象はアジア太平洋のユネスコの活動であり、また日本の寺子屋および公民館モデルである。ベトナム初の地域共同学習センターは、教育政策カリキュラム院ノンフォーマル教育研究センターおよびベトナム成人教育会によって実験的に設立された。これにはユネスコバンコク、ベトナムユニセフおよび日本ユネスコ協会連盟からの技術・資金援助を得た。1998年にモデル地域共同学習センターは10館あったが、現在では7348館以上に増加している(全国のコミューン数の68.3%に相当)。
表 3: 地域共同学習センター数の推移(1998年‐)
98- 99 |
99- 00 |
00- 01 |
01- 02 |
02- 03 |
03- 04 |
04-05 |
05-06 |
10 |
78 |
155 |
370 |
1.409 |
3.567 |
5.331 |
7.384 |
地域共同学習センターはベトナムにおける新しい教育モデルである。しかしながら当然、これはベトナムや近隣諸国のこれまでの教育モデルを継承するものである。
以前、ベトナムには「Nha rong(*訳注:山岳地域の少数民族社会における竹製の集会施設)」や「Dinh Lang(*北部平野の村落に見られる集会場)」などの地域の文化および教育のための集会場が存在した。これらはコミューンの文化的社会的経験を伝え、受け継ぐ場であった。ベトナムの地域共同学習センターもこの伝統的集会場の長所を引き継ぎ、発揮しないはずはない。と同時に、新しい性質を持ち、より完成された形でデザインされ、現在の政治、経済、社会状況に適合したものになっている。
地域共同学習センターはベトナムだけのモデルではない。他国の類似モデルを参考に形成、開発された。特に、ユネスコバンコクのCLC、日本の寺子屋および公民館をそのモデルとしている。しかしながら、政治、経済、文化および社会状況についてベトナムの諸条件、環境から出発しているため独自の性質を持っている。
ベトナムの地域共同学習センターは、コミューンレベルに組織される国民教育システムにおける継続教育の機関である。これは法人格を持ち、独自の公印と財政を持つ。地域共同学習センターは 自治公民館(Autonomous/Village
Kominkan)と同じく、地域によって設立・管理・運営される。代表はセンター管理委員会によって担われ、同委員会は、地域の指導者、各種大衆団体の代表、女性連合、農民連合、青年団、高齢者会、退役軍人会などで構成される。
地域共同学習センターの目的は、地域のすべての人々に、継続的で生涯にわたる学習機会を保障することである。対象者は、コミューン内のすべての年齢層にわたる住民であるが、非識字者や学校教育を受けられなかった人、女性は貧しい人が優先される。
ベトナムの地域共同学習センターは、ユネスコのCLCモデルおよび日本の公民館と同様に次のような機能を持っている。教育機能、情報提供機能、地域開発機能、連帯・調整機能である。地域共同学習センターは、第一に地域のすべての人のための生涯学習センターである。そして、情報提供センターとして地域の図書館の役割を果たす。また地域の交流、出会い、会議の場であり、地域の文化、体育、スポーツセンターである。
地域共同学習センターの活動は多様である。地域の状況や、その時期に沿った住民の具体的な学習ニーズに合わせて行われる。地域共同学習センターは、識字クラス、識字後教育クラス、文化補足クラス、技術移転クラス、専門分野クラス、会議、話し合い、討論会、経験交流会、生産活動・健康・栄養・法律・党と国家の政策主張に関する情報提供クラスなどが行われる。その他、地域の催し物も行われる。文化、スポーツ、娯楽、読書などの会である。
地域共同学習センターは、年齢や学歴、性別、宗教、民族、家族の経済状況などに関わりなく、地域のすべての人々に平等に機会を保障する。地域共同学習センターを利用するのは住民の自由であり、学費はかからない。講習会や活動は、政府や各種行政部門、大衆団体から補助を受けている。
本質的に、地域共同学習センターは地域のものであり、地域によって、地域のために運営される。しかし当面は、政府の資金補助と専任スタッフの割り当てがある。そして、運営委員会と教員の他にボランティアとして指導員が置かれる。この指導員は、コミューン内外の大衆組織や各種行政部門責任者が担う。
地域共同学習センターのネットワークが生まれて以降、地域のニーズ、直面する問題に沿った活動が行われている。
・ 識字クラス、識字後クラス、文化補足クラス
・ 収入向上のための技術移転クラス
・ 話し合い、討論会、会議、サークル活動。党と国の主張や政策、人口、環境、女性と児童保護、公民権利、女性と児童の権利などについての情報提供・ コミューン内集落で行われる文化、芸能、体育・スポーツの催し物、映画鑑賞会。
多くの住民が参加し、出会い、交流している。
これらの活動は住民に高く評価され、地域に大きな好影響をもたらしている。
・ インタビュー対象者の97%が地域共同学習センターは文化・スポーツのセンターであると認識している。
・ 85%は、センターは生産技術の実習の場であるとみなしている。
・ 76%は、センターは地域の集会場であるとみなしている。
・ 67%は、センターは学習する場であるとみなしている。
・ 52%は、センターが図書室、読書室、つまり地域の情報センターであるとみなしている。
センターの効果については、設立当初から住民がセンターを高く評価している。87%の住民が、センターは技術移転に関わる各種講習会を通じて収入向上に貢献しているとみなしている。86%の住民が、地域の文化的な生活や体育向上の運動に効果をもたらしたと評価している。74%の住民が、住民の理解を広げたとみなしている。59%の住民は、センターのおかげで識字・識字後クラス、文化補足クラスに参加する機会を得たとみなしている。
地域共同学習センターが設置されてから、継続的に生涯にわたって学ぶ機会を得た地域住民が増加した。学習活動を行った住民の割合が、20%から50%に増えた地域もあった。
表 4:地域共同学習センターでの学習者数推移(1998年から現在)
98-99 |
99-00 |
00-01 |
01-02 |
02-03 |
03-04 |
04-05 |
05-06 |
11.206 |
150.000 |
200.000 |
250.000 |
416.667 |
2.333.656 |
4.114.994 |
6.297.194 |
地域共同学習センターは、設立後すぐに地域のあらゆる年齢層のすべての住民にふさわしい学習の場となった。どの層の人々も、自分に合った内容、形式、時間で学習に参加することができた。高齢者はセンターで新聞を読んだり、ニュースを聞いたり、人と会って話し合ったりした。女性は、クラブやサークルの会合に来て話し合い、文化・芸能イベントを楽しんだ。
一方で、センターは住民や地域の指導者や行政各部門や大衆団体など地域の人々によって担われる教育モデルである。センターは自分のもので、自分の地域のためのものであり、国のもの、教育分野のものではない、という意識が各地域に広がっている。地域の成員が参加し、自ら管理・運営する。地域の人々は、センターの活動計画づくりに参加するだけでなく、自ら運営し、モニタリング・評価を行う。地域、行政各部門、大衆団体は、条件整備をする(人材、物資、財源)だけでなく、実施し、またお互いに講習を行う機会を提供しあい、センターの活動の質を保障する。このように地域の役割は、以下のように大きく変容したと言える。
受動的 −−−→ 主体的
国家への依存 −−−→ リソースの自主確保
このように、センターモデルは、2000年以降にベトナムで発展したものであるが、「すべての人に教育を」および「教育をすべての人に」の政策を実現するための効果的なモデルとして評価できる。しかし、センターがより着実に、また質的に向上していくには、ベトナムでは以下の課題が横たわっている。
・ センターの有効性が社会認識として、また全国の行政組織の幹部の認識に広まってい
ない
・ 地域によるこの新しい教育モデルの管理・運営の実際は、まだ多くの混乱がある
・ センターの教員、ボランティア指導員の成人教育に関する能力の限界
・ 地域の住民に対する図書、新聞資料の深刻な不足
施設・設備の不備
・ 活動経費の不足
政府や地域のさらなる努力、国内外の機関および個人による資金および技術支援を得ながら、ベトナムのセンターが今後も一層発展していってほしいと願っている。
2006年9月、Hanoi にて
ベトナム学習振興会・日本公民館訪問団名簿
2010年5月15日から2010年5月21日まで・13名
NO |
名前 |
性別 |
生年月日 |
役職 |
1 |
TRAN XUAN NHI |
男 |
1935年11月21日 |
ベトナム学習振興会副主席(元教育訓練省副大臣) |
2 |
BUI KHAC CU |
男 |
1935年6月2日 |
ベトナム学習振興会民衆知啓発センター所長 |
3 |
NGUYEN XUAN PHUONG |
男 |
1948年1月22日 |
ベトナム学習振興会の奨学運動委員会の副委員長 |
4 |
LE DINH QUANG |
男 |
1944年2月10日 |
ヴィンフック省学習振興会副主席 |
5 |
KIEU XUAN THIEU |
男 |
1943年6月16日 |
ヴィンフック省学習振興会副主席 |
6 |
DONG THI BACH TUYET ドン・ティ・バィック・トィエット |
女 |
1951年8月28日 |
ティエンザン省学習振興会副主席 |
7 |
NGUYEN VAN CHAU |
男 |
1954年6月1日 |
ティエンザン省の科学技術局局長 |
8 |
DANG PHUC MINH |
男 |
1946年1月13日 |
カント市、ヴィンタイン郡の学習振興会副主席 |
9 |
VU THI THANH HUONG |
女 |
1974年7月19日 |
ベトナム学習振興会留学コンサルタントセンターの総務部長 |
10 |
LE NHO NUNG |
男 |
1942年4月8日 |
バクニン省学習振興会主席(バクニン省教育訓練局労働組合) |
11 |
NGUYEN PHUC THIEN |
男 |
1976年9月5日 |
ベトナム学習振興会会員、ヴンタウ市英語学校校長 |
12 |
PHAM THANH PHONG |
男 |
1942年2月28日 |
ロンアン省の学習振興会主席(元ベトナム共産党中央執行委員) |
13 |
NGUYEN THI HOANG QUYEN |
女 |
1950年10月10日 |
ベトナム学習振興会の民衆知啓発センター幹部 |
<招聘・企画>
□ 手打明敏 日本公民館学会事務局長(国際交流部)/筑波大学大学院教授
□ 津久井純 国際開発センター
ベトナム室長/元日本ユネスコ協会連盟 <通訳>
ベトナム学習振興会・日本公民館訪問団《松本・行動予定表》1期日 2010年5月16日(日)〜21日(金)松本訪問:5月18日(火)
2 訪問団 <ベトナム学習振興会>一行13名
(代表)チェン・スアン・ニー 氏(ベトナム学習振興会副主席/元教育訓練省副大臣)
期 日 |
行 動 予 定 |
宿泊予定 |
5月16日 (日) |
00:10ハノイ発(VN954便) |
赤坂エクセルホテル東急東京都千代田区永田町2-14-3
|
5月17日(月) |
08:00
ホテル出発 |
|
5月18日(火) |
08:00 ホテル出発(専用車にて松本市へ移動) 12:00松本市着(松本城大手門駐車場) |
松本東急インホテル |
5月19日(水) |
09:00
ホテル出発 (富士山麓を経て) |
赤坂エクセルホテル東急東京都千代田区永田町2-14-3TEL
03-3580-2311 |
5月20日(木) |
午前:東京都内観光 |
|
5月21日(金) |
07:30 ホテル出発 |
|
2, ベトナム訪日団との一夜
小林 文人 南の風2437号(2010年5月18日)
ベトナムの「地域共同学習センター」は、日本の公民館を一つの制度モデルとして、1996年に国家レベルで研究が始まり、1998年に試行的に10館前後が設置されたと聞きます。そしてこの10年余に全国的に普及し、いま9,800
館を超えたそうです。その推進役を担ってきたのは「ベトナム学習振興会」(1996年創設)。その全国組織のリーダー、各省の副主席、大学々長、教育訓練局長などの皆さんが来日されました。一行15名、5月16日〜21日の日程。
日本の公民館を訪ねる本格的なベトナム訪問団は初めてのこと。日本公民館学会(国際交流部)が受け入れに奮闘されました。手打明敏(筑波大学)、谷和明(東京外国語大学)のご両人を中心として、皆様、ご苦労さまでした。風2431号既報のように、5月17日に学会主催の歓迎交流会が開かれました。当日の記録は別に寄せていただく予定。
せまい部屋、肩がふれあう親しい交流。私のとなりは団長格のチェン・スアン・ニーさん(学習振興会副主席・元副大臣)、1935年の生まれでほぼ同世代です。1940年「仏印進駐」の日本兵の記憶もあり、戦後はフランスを追い出し、アメリカと闘ったベトナム戦争にも回想が及び、印象的な一夜となりました。
この企画のブリッジとなったのは津久井純さん(国際開発センター)。記憶をたどると5年来の構想が実現したことになります。ベトナムと日本、社会教育関係者交流の新しい歴史が始まることになりました。18日には松本市の公民館を訪問予定。復路は富士山麓を経由するとのこと。
富士山が機嫌良く顔を見せてくれることを祈って・・・。
3, ベトナム訪日団との交流会に参加して
佐藤 進 南の風2438号(2010年5月20日)
すでに「南の風」2431号、2437号でご承知のように、5月16日に来日されたベトナム学習振興会訪日団一行と日本公民館学会関係者との交流会が17日夜に行なわれました。ハノイからの夜行便で来日され、二日目の夜ということでさぞかしお疲れだったろうと思いますが、皆さん大変意欲的な様子でした。
私は4年前と今年の2度、家族旅行でホーチミンを訪れたこともあり、ベトナムのCLCに少しは関心を持ち、今年の旅行前には『東アジア社会教育研究』No.11(2006年9月)に掲載の津久井純論文や津久井さんの訳出による日本公民館学会年報第3号(2006年11月)掲載のターイ・ティ・スワン・ダオー論文を読み、可能ならばCLCを見てみたいものと思っていました。しかし残念ながらその機会を得ることはできず、文化センターの外観に触れただけでした。
プライベートな短期間の観光旅行で、しかもベトナム語はシンチャオ(こんにちは)とカマーン(ありがとう)くらいしか話せないのですから無理もありません。ただ今回はクチトンネルや戦争証跡博物館の見学などいろいろと収穫を得た旅行でもありました。
さて話を戻して交流会ですが、まずベトナムの学習振興会とCLC活動の概略についての説明、そして日本側から公民館の現状についての説明がありました。詳細はいずれ記録が出ると思いますので印象的だった点を記します。
・学習振興会−教育にボランティアの力をということで、いわばノンフォーマル・エデュケーションの推進母体として中央・県・市町村・集落に700万人の会員を擁する。
・CLC −1.法律学習、2.科学技術、3.文化、4.識字の4分野の活動を主に展開し、基本的に学費なし。識字終了後は学校教育、あるいは職業訓練につなげる。
・日本の公民館について−コミュニティカレッジとの関係、中央館と分館の関係、館長と主事の役割などが話題となりました。コミュニティカレッジについては、60年代の公民館関係論文で大学とのつながりを論じたものを目にしたとの意見でした。これはもしかして市民大学のことではないかということになりましたし、中央館・分館の関係については私も発言しましたが、十分納得を得られたか定かではありません。
ベトナムの方も百聞は一見に如かず″と言われておりましたが、短時間の交流・説明で深めるのは難しいなと感じました。ともかく実態を見る中からより確かな認識が形成されるものと期待しております。ただ、津久井さん、チャン・トウアン・ミンさんの適切な通訳によって、短時間にしては収穫の多い時間を持つことができたと思っています。
交流会の後は近くの居酒屋での懇親会でした。狭い部屋にギューギュー詰めという状態でしたが、熱気にあふれた会になったと思います。(以下・略)