【南の風】発行リスト・ぶんじん日誌 
     −301号(1999年8月3日)〜400号(1999年12月17日)−

                       
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<目次一覧>
1999年
第301号【1999年 8月 3日】第4号最終編集会議、夏休みも忙しい
第302号【1999年 8月 4日】夏の話題、石炭化学、日食、宮良の祭り
第303号【1999年 8月 5日】南の風・再編案、平造・沖縄調査報告2
第304号【1999年 8月 7日】第4号最終原稿、近代はアジアの海から
第305号【1999年 8月 8日】「風」を今後どう吹かすか、沖縄と東アジアと
第306号【1999年 8月 9日】暑い北海道、「松花江上」のリクエスト
第307号【1999年 8月10日】松花江上について返信、パソコンパニック
第308号【1999年 8月11日】久留米大空襲、アリランの歌
第309号【1999年 8月12日】上海訪日団についての連絡、第4号のカットなど
第310号【1999年 8月13日】華東師範大学への対応、八重山通信(8)
第311号【1999年 8月14日】9月東京あゆみ研究会、上野くんとの電話
第312号【1999年 8月15日】上海・羅李争からのメール、八重山通信(9)
第313号【1999年 8月16日】華東師大の訪日について、「研究」第4号目次
第314号【1999年 8月17日】華東師大の訪日日程、第4号編集
第315号【1999年 8月18日】「公民館の時代」編集、青年の船・中国へ
第316号【1999年 8月20日】飯田市公民館・原稿、「松花江上」(2)
第317号【1999年 8月22日】第4号の総ページ、2年連続の長江大水害
第318号【1999年 8月24日】上海からの手紙、川崎子どもの権利条例情報
第319号【1999年 8月25日】華東師範大の訪日受け入れ、暑い夏の原稿
第320号【1999年 8月26日】9・17研究会、八重山通信(11)
第321号【1999年 8月28日】華東師大のFAX、九大表敬訪問
第322号【1999年 8月30日】華東師大への招聘状、交流プログラムなど
第323号【1999年 8月31日】第44回 TOAFAEC研究会、松花江上(4)
第324号【1999年 9月 2日】エイサー三昧、沖縄ゼミ旅行、松花江上(5)
第325号【1999年 9月 4日】上海・呉さんへ、学会近づく、八重山通信(12)
第326号【1999年 9月 5日】上海からの返事、上海へのメール、あそび虫(1)
第327号【1999年 9月 6日】南の風第3サイクル? あそび虫(2)
第328号【1999年 9月 7日】呉遵民メール、広島市の公民館50年史
第329号【1999年 9月 8日】学会夜のTOAFAEC交流会、陸留弟氏のこと
第330号【1999年 9月 9日】そよそよと吹きたい、日本書籍総目録(ISBN)
第331号【1999年 9月10日】第4号完成、黄丹青さんへ、文さんメール
第332号【1999年 9月12日】327号への返信、小林研究室、八重山通信(13)
第333号【1999年 9月14日】第2サイクル終了特別号、ご愛読有り難う!
*第3サイクルへの脱皮
第334号【1999年 9月15日】新しいサイクルの出発、八重山通信(14)
第335号【1999年 9月16日】研究室のような、八重山通信(15)、あそび虫(3)
第336号【1999年 9月17日】「公民館の風」への期待、あそび虫(4)
第337号【1999年 9月18日】「大都市の風」構想、八重山通信(16)
第338号【1999年 9月19日】「公民館の風」構想、第4号の反響、44研究会
第339号【1999年 9月20日】上海メール、中国での夏休み、八重山通信(17)
第340号【1999年 9月21日】二つの『創造』、八重山通信(18)、スイスの風
第341号【1999年 9月22日】八重山通信(19)、あそび虫(5)、沖縄に台風
第342号【1999年 9月23日】「イムジン河」への興味、八重山通信(20)
第343号【1999年 9月24日】華東師範大學招聘、八重山通信(21)、「時代」年表
第344号【1999年 9月25日】台中脱出(陳東園)、「現代公民館の創造」注文
第345号【1999年 9月26日】再び「イムジン河」、八重山通信(23)
第346号【1999年 9月27日】第4号と「風」、「公民館の風」、あそび虫(6)
第347号【1999年 9月28日】「公民館の時代」刊行確定、二つの研究会
第348号【1999年 9月29日】川崎・伊藤さんへ「風」、10月定例研究会のテーマは?
第349号【1999年10月 1日】新しいメンバー、台湾の友人たちその後
第350号【1999年10月 3日】沖縄旅行、八重山通信(24)、風のように自由に
第351号【1999年10月 4日】次回TOAFAEC研究会の日程、あそび虫(7)
第352号【1999年10月 6日】アドレス帳一覧、八重山通信(25)
第353号【1999年10月 8日】「歩み」研究会、八重山通信(26)、いろいろニュース
第354号【1999年10月 9日】第45回研究会、八重山通信(27)、あれこれニュース
第355号【1999年10月11日】天声人語の公民館論、あそび虫(8)、みにみにニュース
第356号【1999年10月12日】久しぶりに上海から、八重山通信(28)
第357号【1999年10月13日】「学長日程」、八重山通信(29)、おもしろニュース
第358号【1999年10月14日】岡山へのラブコール、八重山通信(30)
第359号【1999年10月15日】福岡部落史研究会、植民地教育史国際シンポ
第360号【1999年10月16日】広島市公民館50周年誌、八重山通信(32)
第361号【1999年10月17日】シンポ・地域と大学の出会い、八重山通信(33)
第362号【1999年10月18日】第45回研究会の記録、八重山通信(34)
第363号【1999年10月19日】沖縄新平和資料館問題・八重山通信(35)、和光シンポ
第364号【1999年10月20日】社会基礎教育研究会、八重山通信(36)、あそび虫(9)
第365号【1999年10月27日】沖縄ゼミ旅行、与那国・宮良保全氏の上京
第366号【1999年10月28日】華東師範大学訪日の延長、沖縄ニュースいろいろ
第367号【1999年11月 1日】パソコンの休眠、千客万来・嬉しい悲鳴
第368号【1999年11月 2日】華東師範大学訪日スケジュール一覧
第369号【1999年11月 3日】これからの公民館、宮良保全氏上京、あそび虫(10)
第370号【1999年11月 5日】広州訪日スケジュール、沖縄修学旅行、あそび虫(11)
第371号【1999年11月 7日】東京・歩み研究会記録、川崎・伊藤さんから初メール
第372号【1999年11月 8日】広州関係者の来日、索引づくり、あそび虫(12)
第373号【1999年11月 9日】上海と広州あいついで来日、東京試走
第374号【1999年11月10日】広州訪日団は沖縄へ、チンパオ上映運動
第375号【1999年11月11日】沖縄・読谷からの通信(1)、あそび虫(13)
第376号【1999年11月12日】華東師大との協議書案、廣州の放送大學訪問
第377号【1999年11月13日】協議書案への対応、廣州スケジュール追加修正
第378号【1999年11月15日】上海一行は関西へ、盲目のテナー故郷へ
第379号【1999年11月16日】廣州一行の東京、上海一行の関西、読谷通信2
第380号【1999年11月17日】八重山通信(37)、廣州訪日団の北海道
第381号【1999年11月18日】和光・松本塾´99、レインボウブリッジ
第382号【1999年11月19日】華東師範大学一行の離日、和光シンポへの学生の声
第383号【1999年11月22日】呉遵民ご苦労さま、読谷通信(3)、八重山通信(38)
第384号【1999年11月24日】第46回研究会記録、東京社会教育あゆみ・最終号
第385号【1999年11月26日】華東師範大学・礼状、電子公民館、二つの回想
第386号【1999年11月29日】川崎通信(1)、2000年・旅の構想
第387号【1999年11月30日】読谷通信(4)、川崎の条例改正、2000新年会
第388号【1999年12月 2日】韓民からのレター、中国の動きと非識字率
第389号【1999年12月 3日】置戸から質問、日中学院のホームページ
第390号【1999年12月 5日】沖縄への修学旅行、読谷通信(5)、「おれのこと」
第391号【1999年12月 6日】上海との研究交流協議書づくり、1月与那国調査
第392号【1999年12月 7日】研究交流どうすすめるか、沖縄の公民館
第393号【1999年12月 8日】アルン・ガンジー氏、元気な先生を! 12月8日
第394号【1999年12月 9日】今年最後のTOAFAEC研究会、12月大連会議
第395号【1999年12月10日】アドレス帳の整理(予告)、あそび虫(14)
第396号【1999年12月11日】「これからの公民館」刊行、沖縄調査報告、戯れ歌
第397号【1999年12月12日】九州・北海道からのメール、フランス計画
第398号【1999年12月14日】「これからの公民館」島袋論文、はしだコンサート
第399号【1999年12月16日】2000新年会案内、沖縄へ、上海へ、東京へ
第400号【1999年12月17日】風よ、1999活動日誌、あそび虫(15)

*(日誌)401号〜500号

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 南の風・ぶんじん日誌(301号〜400号)

第304号:1999年8月7日
◆<川勝「近代はアジアの海から」>
 いま川勝平太が面白い。早稲田(政経)を出て、同大学院(経済学)から同教授、現在は国際日本文化研究センター教授。
 これまでの常識的な定説を次々と見直し、文明史的な視点からの意欲的な再発見の作業を重ねてきている。ヨーロッパ文明にたいするイスラム文化の位置、陸の政治史にたいする海の文明史の提起、そのなかでの日本の近世・近代の新しい捉え方、「アジアの海」への注目、など仮説的「再発見」の面白さを教えてくれる。
 本もいろいろあるが、NHK人間講座(教育テレビ)「近代はアジアの海から」(7月〜9月、全12回)の語り口がよく、一度ご覧あれ。TOAFAECの「東アジア」研究の視点・問題意識にとっても示唆的なところ少なからず。
◆<8月12日午後〜夜、油山、月おくれの暑気払い>
 3月与那国調査と重なって、亡くなった叔父の葬儀に行けなかった負い目あり、8月「初盆」には久留米。その前後は油山に滞在します。12日午後から夜にかけて、久しぶりに会おうという人たちあり(農中くんなど)、また情報では滋賀・愛知川の渡部くんや、九州帰省中の樋口知子さん(エイデル)なども来る?そうです。この日もしご都合つく方があれば、お出かけください。農中くんが魚をもってくるそうです。ご遠慮なくどうぞ。(前日までに電話を頂けると、有り難いです。油山・ 092-801-0765)
◆<歌の工房> 森田はるみさん(北海道・置戸)の歌に刺激されて工房を探す  
                −8月7日、善福寺河畔を歩く−
◇パソコンに向かいて一日楽しまず蝉のしぐれにしばしひたらん
◇蝉しぐれたゆとう流れに陽は落ちて「夕やけこやけ」チャイム聞こゆる
◇夏の盛り深き緑に流れあり蝉のみ元気ものみな死すか

第307号:1999年8月10日
◆<青森・山田順一さんへ>
 今年は青森も猛暑ですか? 「ねぶた」が終わって皆さん一休みというところでしょうか。今日、棚瀬敏雄さんよりの返却、公民館研究会編『優良公民館の実態』(公民館運営叢書4,1952年)たしかに落掌いたしました。ていねいに読まれたようで、戦後直後の「大湊町公民館」(下北郡)も、青森県・現職課長の評価を得て、さぞかし嬉しいことでしょう。もって瞑すべき?ことです。 棚瀬さんにどうぞよろしくお伝え下さい。
 東京・TOAFAECの主要メンバーは、「南の風」同人の顔をだいたい知っていますが、山田順一さんだけは小生以外、誰も知らない。こんど上京の機会あれば、あらかじめ連絡して下さい。貴兄や棚瀬さんの顔を見る歓迎会を開きましょう。

第308号:1999年8月11日
◆<久留米大空襲>
 1945年8月11日は、8月15日にもまして忘れることができない。郷里久留米の大空襲の日である。あと4日で戦争が終わるというときにB29の大編隊により、市街地のほとんどが跡かたもなく焼失した。幸いに私の家は焼け残った(といってもその1年前に軍需工場周辺の「疎開」によって陸軍が来て引き倒され、横の借家に住んでいた)が、小学校時代の懐かしい校区はすべて焼け跡になり友人たちは四散した。
 この日、少年・小林は勤労動員(旧制中学2年)で10キロぐらい離れた山の中、強制連行の朝鮮人と一緒に陸軍「需品廠」の荷物担ぎをしていた。山から西のかなた、自分たちの街が焼かれているのを茫然と見ていたことを想い出す。そして皆で一団となって、見たこともない巨大な黒煙・黒雲を目指し、駆けに駆けた。途中で黒い雨が降ったことも覚えている。
 それから焼け残った小さな家に、近所で「焼け出され」た分家や親戚など4?世帯ほど、20数名が肩寄せあって生活をはじめた。少年の仕事は自転車をこいで毎日の食料の買い出し。それが戦後のはじまりだった。文字通りの難民(家があるだけまだ恵まれていた?)の生活、とても「民主主義」啓蒙などというものではなかった。まったく「私的」なことながら思わず書きたくなりました。
◆回想      −久留米燃ゆ 1945年8月11日−
◇夜かとも見まごう黒き煙つき 走る我らに黒き雨ふる
               −山中の朝鮮・若者たち−
◇バラックに押し込められし朝鮮の若者我らにアリラン教えし
◇ふるさとを偲びて踊る♪トラジ・トラジ♪陽炎のなか今もゆらゆら

第309号:1999年8月12日
◆<油山にて>

 11日午後、樋口知子さんが3人のお子さんを連れて、油山に来てくれました。白井くんのお父さんの初盆で小倉に滞在中。みんな元気。子どもたちが騒ぐと、日頃は誰も住んでいないだけに、家も家らしく、ひとしきり元気になります。樋口さんとは「ハンドブック」編集のこと(勢いがない?)、小林・佐藤共編「グラスルーツ」の本づくり(これも遅れている)など、少し仕事の話も出来ました。
 彼女は、依頼していた第4号「カット」を書く用意はあるようですが、出来れば沖縄の写真集などヒントになるものが手元にあればとの希望。ふっと思い出したのだけれど、竹富「はえぬ島」が手元にありますか? 小生の研究室に2冊あるので、後日お届けしますから、取りあえず手持ちの1冊を彼女・自宅あて送って頂けませんか。「東アジア」だから韓国や中国関連のカットもほしいところですが…。第4号だけでなく、今後も協力していきたい姿勢のようですから。

第310号:1999年8月13日
◆<華東師範大学からの訪日計画について>
 前号(第309号)上海・呉遵民氏からの連絡については、関係者(小林、末本、松田、上野など)相互で、意見交換中。これまでの経過から、先方の事情を尊重して訪日計画に対応するを姿勢だが、華東師範大学・継続教育学院レベルに止まらず、同大学・学長が来日するとなると、日中間の「社会教育」「成人教育」研究交流となり、TOAFAECとしてはどの程度まで対応できるか、心配される。
 現在、佐賀大学・上野氏(この計画の事務局長)が入院中ということもあり、あと数日の検討を経て、こちらの対応を返事したい。ご意見をお寄せいただきたい。この間、双方の間にたって交渉役をつとめてきた(双方の事情も分かる)呉遵民氏の意見も聞きたい。

第311号:1999年8月14日
◆<華東師範大学の訪日計画について>
 さきほど(20:10頃)佐賀の病院から電話がきた。上野くんの声は元気そう。電話のところまで出て来てくれたらしい。パソコンは持ちこんだが、しかし電話にはつなげず、メールは読んでいないとのこと。
 上海・呉氏からの情報(南の風309号)とその後の経過(同310号)を話した。彼の意見・心配もほぼ同じ。
 そこで次のような考え方で、上海に返事しようと思うが、いかが?
(1)訪日メンバーについては先方の決定を尊重する。(こちらから口出しする性格のものでもないだろう、もちろん招聘自体を白紙に返すこともはばかられる。)
(2)これまでの経過からいって、専門研究者の葉忠海教授がメンバーに含まれることを期待している。
(3)もともと私たちの計画は、成人教育・社会教育の研究交流を推進することにあり、受け入れの準備もその線ですすめていく予定(それ以上のことは経費的にも出来ない)であることを了解しておいてほしい。
◆昨日来、森田さんや末本さんなどから原稿を頂いていますが、福岡から東京へ帰っても、来客あり、いい気分となりました。まだしっかりと読む時間なく、この「風」で意見を差し上げるまでに至っていません。お許しください。明日にでも。
★戯れ歌 −8月14日早朝、東京へ−
◇むら雲を黄金にそめて陽はのぼる今日また何か良きことあらん

第314号:1999年8月17日◆<ボヤンバートル、モンゴルへ帰る>
 8月20日にボヤンバートルは故郷に帰るとのこと、かってモンゴルへ旅した旧知の皆さんと久しぶりにお会いしたいとの熱望あり、急遽、久しぶりに集まろうということになりました。(ただしあと一度は来日するらしい)
 夏の夜、張林新くんの店で、ひととき歓談いたしましょう。
日時 :8月18日(水)19:00〜
会場 :北京家庭料理「岩沼郷」(新宿西口、青梅街道、大ガード近くの歩道橋を渡ってすぐ、JRより徒歩5分)
連絡先:西新宿7−12−2大新ビルB1、 03-3371-3226

第315号:1999年8月18日
◆華東師範大学との交流
 【南の風】第309〜314号の「華東師範大学の訪日計画」に関する記事は、肝心の松田武雄(帰省中)、上野景三(入院中)の両氏には届いていないのです。その部分だけ抜粋しプリントして、さきほどお二人に郵送しました。
 中国との付き合いは(今度の経過だけでなく)なかなか簡単なことではない、いろいろあるな、という実感です。そのうち、もう5年を経過した上海・閘北(ちゃぺい)区業余大学との合作学院の物語もご報告しましょう。これもいろいろ〜あります。
★戯れ歌 8月14日、
 −森山君から贈られし白き花々、なお咲きほこる−
◇カサブランカあまりに白きその花の内なる思い計りあぐねつ
◇閉ざされし酷暑の部屋にひとり咲きその白をもて留守を守りぬ

第316号【1999年 8月20日】飯田市公民館・原稿、「松花江上」(2)
 8月18日夜のボヤンバートル激励会に、内田くん労作「第4号」成稿が持参されているのを、ちらりと見ましたが、当夜あまりの騒々しさに酔って、内容は見ないで別れました。酔いがさめて心のこり。19日には無事に入稿できたことと安心しています。ご苦労さまでした。

320号【1999年 8月26日】9・17研究会、八重山通信(11)
 10分(26日朝)ほど前、韓国・魯在化より電話があった。成田から。この夏、カナダのトロント大学に滞在、トランジットで今日ソウルへ帰るとのこと。第4号で、魯論文は掲載しなかった旨のこちらかの手紙は読んでいなかった。9月の早稲田の学会には来日するとのこと。ただしレジメも出していず、心配していたが、大丈夫だ、発表は出来る、と話しておいた。
★−8月25日、なんとなく眠れず−
◇仕事終わらず せめて心は 終わりしごとく 無理になだめて 新しきコルクを開けん

第321号【1999年 8月28日】華東師大のFAX、九大表敬訪問
−8月26日、エストニア・大合唱祭(NHK放映)−
◇ 2万3千老いも若きもともに歌うこれほどの思い世にあり得るか
◇「わが祖国わが愛」歌う人々の涙のしずく顔の輝き

第322号【1999年 8月30日】華東師大への招聘状、交流プログラムなど
 <第39回社会教育研究全国集会@石和温泉>
 いま山梨から帰ったところです(30日17:00)。ご参加の皆さん、お疲れさまでした。
 残念なこと、三つ。今年は沖縄からの参加者が1人もいなかったこと。1977年・福岡集会に喜納勝代や上原文一などが参加し始めて以来、これまでになかったこと。なぜだろう。
 二つ、月刊社会教育・増刊号(全国集会特集号)が今年からあっけなく廃止されたこと。1974年・名古屋集会のとき、当時「月刊」編集長の小生と、集会担当常任の酒匂さんと一緒に苦労(国土社との交渉)して発刊したものだけに、なんとも残念。なぜだろう。
 三つ、毎夜飲んだのに、おいしいワインに出会わなかった。なぜだろう。
 それにしても、社全協・総括集会とは言え(現地実行委員会がない)参加者320名あまりとは、ちと少ない?

第323号【1999年 8月31日】第44回 TOAFAEC研究会、松花江上(4)
 −8月25日、残暑のなか涼感ありて−
◇オンシジウムかくもかぼそき一輪の花も集えば乱舞の黄衣装
◇爛熟の花のさかりは過ぎてなお小さき蕾の五つ残れり
◇黄花弁はらりこばれるいとおしきそを一つずつ鉢に折り敷く

第324号【1999年 9月 2日】エイサー三昧、沖縄ゼミ旅行、松花江上(5)
 −喜納勝代「新懐展」(第2回)「ごあんない」より−
◇かたばみの真実ひとつこぼしけり 
◇夏祭どこから見ても賑はへり
◇社会意識持てばかなしき沖縄の運命背負いて今日もわれ生く

第327号【1999年 9月 6日】南の風第3サイクル? あそび虫(2)
◆<南の風・改革案について>
 第300号に、送られてきた末本メールを載せて、発信者・小林の考え方も少し書き、皆さんの意見をお待ちしてきました。また、お会いした2,3人の方には個別に意見も打診しました。
 しかし、その後はあまり意見も寄せられず(北の森田さんも南の上野くんも「そのうちに」などと言ってはくれたが)、いつの間にか第350号までの半ばを越えてしまいました。早いものです。
 ある人には、ビールを飲みながらの話ですが、ぞろ目333号でもって、南の風を一応は休止する、なんて言ってみました。しかしまぁ、そうはいくまい、とあまり真剣に取り合ってくれない。この間、華東師範大学の訪日の件で連絡しなきゃならない「公的」な通信が相次ぎ、すぐには止められない事情もたしかにあって、何となく「風」が続いているかた
ちで、今日まで来ました。そこで、いくつかの改革・提案です(略)。ご意見をどうぞ。

第330号【1999年 9月 9日】そよそよと吹きたい、日本書籍総目録(ISBN)
◆<予告ーそよ風への転身>
 新「南の風」へ脱皮したいと思います。第327号をご覧ください。ご希望の方は、ぞろ目・第333号(350号を待たないことにして)までにメール下さい。「公的」部分をしかるべき方で担っていただく案、よろしいでしょうか。(華東師大関係=上野、沖縄研究=小林平、科研費=小林文、TOAFAEC=内田、東アジア=小林文など。と言っても実際には、関係者相互で現に今やってること。)もし、第327号の第3サイクル案に異論があれば、早めに願います。
 ただ上野氏は療養中で、いまこの「風」も見ていないようだから、華東師範大学関係は、末本氏か松田氏で代行していただく? 駄目であれば、臨機応変に「南の風」で担いますが…。季節も変わり目、「風」も少し解放していただいて、実はそよそよと吹きたいのです。







*(日誌)401号〜500号


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