■内田純一「公民館の風」シリーズ・高知の公民館




∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
公民館の風・再刊(第1号・通算603号−2008年5月5日)
                       →第30号(632号−2009年2月15日)   
編集・発行 内田純一 uchida@kochi-u.ac.jp
http://www010.upp.so-net.ne.jp/mayu-k/kouminkannokaze.htm(本ページ)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞


第30号(通算632号) 2009年2月15日
福井の公民館近況報告  白保公民館落成(沖縄・八重山) 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 東広島市では、市内2つの福祉センターを4月から公民館に変更する条例案が23日の市議会に提出されるとのこと(『中国新聞』2/12)です。公民館長を配置し、これまで福祉センターで実施してきた講座を内容、種類を充実させ、各種団体や市民の活動拠点にしていくそうです。背景に2006年に同市が改訂した生涯大学システムアクションプランがあるようですが、福祉センターを公民館に変更するという点とその中味に期待したいと思います。環境や福祉、食や生産、防災やまちづくりという分野から公民館や社会教育への期待がますます強まっているようです。反対に教育委員会からは期待されていない?とも言えますが、そう考えると、原因は公民館側にあるというより、教育委員会側にあるということになるでしょうか。

第29号(通算631号) 2009年2月10日
沖縄琉球放送(公民館) 土佐山村地域教育史 高知の公民館(7)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 一昨日、『土佐山村「社学一体教育」の形成過程に関する研究』を書いた院生の口頭試問が終わり、ホッとしているところです。『土佐山村史』を書きかえる事実も発見されたりして評価も上々でした。土佐山村は高知市に合併後、旧庁舎は閑散としていて3階の奥に当時の資料が山積みになっています。いつ捨てられてしまうか分からない状態です。院生は、その中から「村議会会議録」や「教員委員会会議録」「青年高等学院関係文書綴」などを掘りおこして、関係者の聞き取りを重ねていった次第です。「社学一体」教育では、土佐山村教育研究会が重要な役割を果たしますが、小中学校の教師を交えたこの実践的地域教育研究の事務局を公民館が果たしてきたというところにさらなる意義を感じます。それはそうと、旧土佐山村の資料をどう保存するか。教育学教室として、その対応を考えているところです。合併による地域資料の消失問題は大きな課題です。

第28号(通算630号) 2009年2月5日
貝塚市浜手地区公民館20周年記念 諸塚方式自治公民館制度(宮崎県)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 日本公民館学会年報創刊号(2004)に、公民館を「社会的共通資本」として位置づけようとする試みがあります(上野論文)。そこでは、新しい社会を構想・具体化していくための文化的装置としての公民館、学習を媒介とした社会参加空間としての公民館という二つ歴史的系譜として、公民館が「社会的共通資本」として描かれています。静岡県では、裾野、伊豆の国、伊豆の3市が共同して「ソーシャル・キャピタル」と健康に関する調査が実施されるとのことで、調査に参加する米ハーバード大学のカワチ教授は、「公民館活動や近所付き合い、祭事など日本独特の地域活動も調べたい」ということでした。

第27号(通算629号) 2009年1月20日
平得公民館(八重山)、東陽公民館(田辺)、高知の公民館(6)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 前号で「集落支援員制度」について取り上げました。 今回また政府の経済財政諮問会議から「フレキシブル支援センター」設立の方針が出されました。運営は、社会福祉法人やNPOに運営を委託し、自治体と連携して、高齢者の介護や子どもの保育などを手がける地域密着型の新たな拠点を国内数百カ所に設けるとのこと。また、景気の悪化で離職を余儀なくされた非正規労働者らを一カ所につき5〜10人程度雇用し、1〜2年で介護などの資格を取得してもらうことで、介護・福祉分野の担い手を増やすことにもつなげるということでした。もともとこのモデルは、NPO法人地域生活支援ネットワークサロンが運営するコミュニティーハウス「冬月荘」(釧路市米町)と言われています。そこでは、生活保護受給者や障害者、高齢者らが既存の福祉制度の枠を超えて自由に集まり、居住したり、就労する拠点としての活動が展開されてきたとのこと。

第26号(通算628号) 2009年1月10日
田辺市公民館等研修(和歌山)、朝来市山東地域(兵庫)、集落支援員
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。過日、NHKの『クローズアップ現代』で、この4月から本格実施される「集落支援員制度」(総務省)が取り上げられていました。集落を巡回し、課題を掘りおこして、話し合いを促進して、市町村と連携して、集落の維持・活性化にむけた取り組みを支援するという制度です。委員には、行政経験者、農業委員などの経験者、NPO関係者など地域の実情に詳しい人材を活用するということですが、そもそも公民館の機能自体が集落支援、住民の生活文化向上への支援を目指したものであり、自治体合併などに伴う地域崩壊を目の当たりにして、矛盾を抱えながらも公民館という機能に多方面から大きな注目が集まってきていることは確かなようです。

第25号(通算627号) 2008年12月25日
主事会報(飯田) 町内公民館研究大会(大牟田) 高知の公民館(5)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 過日、社会教育推進全国協議会総会に出席しました。 そこで北海道上富良野町の「町税等の滞納者に対する行政サービスの制限措置等に関する条例」(H19.4)が紹介され、驚きました。この条例で滞納が問題となるのは町税、国保税で、制限対象となる行政サービスは、@町有財産等の使用許可、貸付、売買。A許認可、入札・契約等。B補助金及び交付金、助成金。C在宅福祉事業、老人福祉事業、障害児者福祉事業。D子育て支援事業。E健康診断。F生涯学習学級入校、などとなっています。税金滞納者に公民館は使わせない。そんなことがあってよいのでしょうか。(参考:城塚健之著『官製ワーキングプアを生んだ公共サービス「改革」』自治体研究社)
 年内の「公民館の風」はこれで吹き納めです。来年もなんとか吹き続けたいと思います。ご協力のほどよろしくお願いいたします。それでは、よいお年をお迎え下さい。

第24号(通算626号)  2008年12月15日
公民館学会報告 杉並区和田中学校  遊佐町公民館(山形)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 大野晃(高知大学名誉教授)先生を招いたシンポジウム「森からみる限界集落」が高知大で開かれました。大野先生は、地域再生のためには、住民の自治能力を高めることを強調され、合わせて人口と山林面積に応じた交付金制度創設などにより、準限界集落を存続集落にしていく手だてを講じる必要を呼びかけられました。集落の存続・再生に公民館は何ができるのか。考え続けていきたいと思います。

第23号(通算625号) 2008年12月10日
公民館学会 鶴ヶ島市公運審答申 津波古公民館だより(11月)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 第7回日本公民館学会(12月6〜7日。於:広島修道大学)は、折からの寒波をものともしない熱気に包まれた2日間でした。いま、ある種の公民館機能に対する「期待」が高まっている中で、「外からの危機」にとどまらない「内からの危機」をどのように乗り越え、本物の「期待」に応えていくか。誰もが自身を問われる緊張感ある大会でした。帰路の疲れがそれを物語っていました。
 参加された「風」読者の皆さまからは、追って、感想等が寄せられる予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

第22号(通算624号) 2008年11月20日
公民館学会研究大会案内 全国研究集会(高知) 円山地区史(福井)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 少し間が空いてしまいました。『公民館の風』第22号をお送りします。過日11月6日〜7日、全国公民館研究集会が高知市で行われました。詳細は下記『高知新聞』記事をご覧ください。全体会のアトラクションでは、よさこい鳴子踊りチーム「十人十彩」(今年度金賞)が舞いました。よさこいの練習などで公民館が使われていることなどが、もっと紹介されれば良かったのにと、後になって感じた次第です。

第21号(通算623号) 2008年10月25日
公民館の歴史や成り立ち(福井) 手づくり運動会(高山) 高知の公民館(4)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 前号20号で紹介しました大野市大野公民館の記事は、『朝日』ではなくて『読売』の間違いでした。お詫びして訂正します。実はこのことが分かりましたのも、福井市円山公民館の松井さんが『公民館の風』を大野公民館の東方館長に送って下さったおかげです。
 送付の翌日、突然、大野市からのメールが舞い込み、驚きはしましたが、福井におけるネットワークの拡がりを実感するとともに、「公民館の風」がこのように広がっていくことは、発行するものとして、嬉しい限りです。ところで27日から4日まで、小生、高知を離れております。PCは持参いたしませんので、次号は早くて5日(きっと無理)になります。皆さまにおかれましては、その間に、ぜひとも一つ、公民館に関する情報を蓄えていただければ幸いです。

第20号(通算622号) 2008年10月20日
埼玉県公連 豆腐サミット(津波古公民館) 大野公民館60周年(福井)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 『月刊社会教育』(国土社)11月号の第A特集は、『長野県公民館活動史U』に学ぶ、です。松下拡「公民館活動史の編集を終えて」、千野陽一「『長野県公民館活動史U』に励まされる」、小林文人「創造と抵抗の公民館史」の3氏からの論稿で構成されています。活動史U編集委員の松下さんは、これが単なる公民館の「沿革史」ではなく、活動主体である住民とともに歩んでいる職員の立場で編集された「活動史」であることを強調され、「そこから自律と自治の力が形成・発展していくことを」期待されています。

第19号(通算621号) 2008年10月10日
『トリターマ』都公連 公民館と自治協議会(福岡) 高知の公民館(3)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 文化の秋、各地の公民館では「発表会」や「まつり」が開かれているようです。「公民館まつり」と聞いて私が思い出すのは、福生市公民館松林分館が実施してきた「だれでもなんでも展」です。その名が示すとおり、このまつりは、公民館利用者の発表に限定されることなく、それこそ幼児が書いた1枚の絵から高齢者の作品まで「地域でコツコツ行われている文化的な営みを掘りおこし、つなげていくこと」がめざされていました(『松林分館10年の歩み〜小さな分館の記録』1991年)。今回、その福生市の伊東館長から『トリターマ』という東京都公民館連絡協議会情報誌を送っていただきました。

第18号(通算620号) 2008年10月5日
長野県公民館大会 『長野県公民館活動史U』 ESDシンポ(岡山) 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 長野県と岡山市から研究大会等の報告を頂くことができました。上田の中村さん、岡山の田中さん、ありがとうございました。どちらも公民館の現代的意義と可能性を顕著に表していると思います。
 私も先日、しまね小規模ケア連絡会による「認知症患者を抱える家族への状態調査」に参加してきました。「認知症(患者・家族)の社会化とつながりづくりの条件はどこにあるか」「小規模ケア施設として考えていきたいこと」などを出し合いました。認知症問題の大きさもさることながら、しまね小規模ケア連絡会のメンバーが、若い(20代後半から30代半ばの福祉関係職員)にもかかわらず、たいへん熱心で、学習意欲に満ちあふれている姿に感動して帰ってきました。

第17号(通算619号) 2008年9月30日
飯田市公民館主事会報 大野公民館(鹿島市) 高知の公民館(2)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 飯田市の木下巨一さんから飯田市公民館主事の『主事会報』第162号が届きました。以下に一部を抜粋しますが、今号は「世界人形劇フェスティバル」の特集号となっています。1979年8月第一回人形劇カーニバルが開催されて以降、この活動は、国内のみならず世界規模の人形劇祭典として広がりをみせると共に飯田の地域文化として親しまれ、定着をみているていることは、皆さんご承知の通りです。

第16号(通算618号) 2008年9月25日
日本社会教育学会 「名護市田井等誌」 全公連大会
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 9月19日〜21日、和歌山大学で日本社会教育学会第55回研究大会が開かれました。その折、小林文人先生とお話しながら『公民館史資料集成』(小林文人・横山宏編著:エイデル研究所)のことが話題となりました。どんな時代が来ようとこの本は公民館研究にとって、無くてはならない価値をもっていること。この本が集録・分析した時代からすでに30年余を経過していること。そしてその後の集成作業はほとんどなされていないことなど、この「風」の意義や展望をあらためて確認できたように思います。

第15号(通算617号)  2008年9月15日
「村の新聞」(福井市殿下公民館)、ESDシンポ(岡山)、高知の公民館(1)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 「いま、どの分野の人々やどこの地域の人々が最も躍動的だろう」。社会教育や公民館を考えるに当たって、いつもこんな視野を持つようにしています。また「その時代における矛盾や葛藤の中の気概や展望から学ぶ」そんな姿勢で歴史を見るようにしています。前号、浅野先生の発信に、福井からさっそく連絡がありました。殿下公民館のことがらに止まることなく、「風」読者の皆さんに対する浅野先生からのメッセージを受け止めてくださり、感謝申し上げます。これからの公民館をどう描いていくか。それぞれの地からの発信をお待ちしています。

第14号(通算616号) 2008年9月10日
「続 月寒公民館」 「南風原中央公民館三十年誌」「公民館建築」
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 予告しましたように、浅野平八先生からの投稿を掲載します。前号では「公民館学会の動き」とご紹介しましたが、そうではなく草創期の公民館に対する先生ご自身の研究としてお読みいただければと存じます。また、札幌・月寒公民館について再び佐藤さんから発信がありました。高知の私設公民館もそうですが「『公民館』が無くても公民館がある」といった点を含めて「公民館」というものをどうのように理解していくか。考えていきたいと思います。

第13号(通算615号) 2008年9月5日
「北海道集会に参加して」「大都市札幌 月寒公民館 その2」
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 前号、佐藤進さんの問いかけに早速姉崎洋一さんが応えてくださいました。ありがとうございました。少し分量が多いため途中のメールアドレスや最後の15行(集会意義)については省略させていただきました(ご容赦下さい)。
 また、公民館学会の動きとして、浅野平八先生から情報を寄せていただいておりますが、それは次号に掲載いたします。

第12号(通算614号) 2008年8月30日
「土佐山村:私設公民館」「月寒公民館について」『超公民館!?』
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 長らく台風の目に入っておりましたが、台風通過にともない再び風が吹き始めます。ご心配をお掛けいたしました。もとより、この風は、読者の皆様方による言の葉の賜物ですので、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
 先週、高知県旧土佐山村菖蒲地区で「私設公民館 和庵」の落成式がありました。400平米平屋建て、中央に大きな囲炉裏がきってあります。高知市への合併を機に村を退職した元土佐山村公民館長の山本優作が叔父の土地を買い取って仲間たちとともに地元の木材を用い手作りで建設しました。大きな看板に「私設公民館」と書いてあるのがとても印象的です。
 「公民館」をどうとらえるか。札幌で行われた社会教育研究全国集会でも論議になったところです。以下、お二人の投稿文(略)もそのことを物語っていると思います。

第11号(通算613号) 2008年6月25日
「地域食堂」(室戸岬)  『小湾誌』(浦添市) 公民館での宿泊
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 昨日、高知県安芸市の自主防災組織連絡協議会の方々からお話を伺う機会がありました。南海地震で多くの被害が想定されている安芸市(人口2万)には、現在、32の自主防災組織があり組織率
90%。一人暮らしの高齢者調査や防災マップづくり、防災倉庫の設置など、協議会での交流も通じて学習会なども頻繁に開かれています。話の中で勉強になったのは、自治公民館活動など、既存の地域(組織)活動が、それまでどのように行われてきたかによって、ずいぶんと温度差があるとのことでした。それは単に、組織がしっかりしているということに留まらず、どれだけ皆んなの意見を聞きながら形式化に陥らないようにしてきたか、という点にあるとのことでした。

第10号(通算612号) 2008年6月20日
「伊佐浜移民」(宜野湾)  指定管理者制度の弊害(多摩) 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 沖縄の公民館について勉強を始めたころ、読谷村大木区内に建っている長田区公民館が印象的でした。長田の集落は米軍基地の中にすっぽり飲み込まれているにもかかわらず、長田の人々は、寄附や借金などで公民館を建設し、それを拠り所としてつながりを保っている。字(あざ)を思うこころとは、そんなにも強いものなのか。いわゆる公立公民館とは明らかに異なるイメージがそこにあったことを覚えています。

第9号(通算611号) 2008年6月15日
座間市公民館 入間(埼玉)公連紀要 発展途上国からの視察(松本)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 今週末、高知市立自由民権記念館への指定管理者導入について市の説明を聞く会があります。西日本一の近代史博物館として研究や学習の拠点的役割を重視するとの視点から、3年前にも市の民間委託計画を撤回させた経緯がありますが、今回は、管理部門と会場貸し出し業務を委託するという案のようです。先般、改正された社会教育関連法の附帯決議を「活かして」、質の高い論議が生まれるようにしていきたいと思います。

第8号(通算610号) 2008年6月10日
「津波古公民館だより」(沖縄 佐敷) 施設計画史研究
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 前号で紹介した清明公民館の主事の方から、「風」に掲載したお礼が松井章江さんのところに届いたとのこと。お礼を述べたいのはむしろこちらの方です。それによると、『私たち主事も建設委員会に関わってきましたが、間取り等の検討が中心でした。受付カウンターを車椅子対応サイズに低くしてもらったり、調理室は危険が発生しやすいところなので目が届くよう事務室に近いところにしてもらったり・・・など。あれっ、こんなはずではなかったと思う箇所も多々あるけど、新しいというだけで気持ちがいいです。でもまだまだ通常の業務には至らず、今から旧館に残してきた備品やゴミの処理、後始末に行ってきます』とのこと。「風」を出す励みになります。

第7号(通算609号) 2008年6月5日
「エコ公民館」竣工(福井市) 福生市公民館30年誌 埼玉公連 
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 公民館の風第7号をお送りします。日本社会教育学会6月集会(6/7-8、日本社会事業大学)報告の泥縄準備等に追われ、このタイミングしか「風」が出せませんので、実質的に1日早い発行になります。三町合併で発足し二年が経過した福岡県福智町では「公共施設統廃合基本方針」(6/2)がだされ、福祉会館や児童センターの廃止、公民館は2〜3年をめどに統合の方向とのこと。「風」を出し始めて1ヶ月。次回は10日を予定していますが、果たして・・・・・。

第6号(通算608号) 2008年5月30日
公民館評価(福生)、占冠村公民館(北海道)、ユネスコ成人教育会議
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 前号で沖縄北中城村和仁屋区の新公民館落成の記事をご紹介しましたが、5月24日には、名護市我部祖河区でも公民館(地区会館)が落成したとのこと(『琉球新報』05.28)。延べ床面積367.62平方メートルの鉄筋コンクリート造りの平屋建て。区民や市関係者約400人が出席して落成式典が行われたとのこと。とんと新築の話題など聞かなくなった本土に比して、ピカピカな公民館が生まれている沖縄。総事業費一億三千万円の我部祖河地区会館建築費の内訳は、日米特別行動委員会(SACO)交付金と県水源基金を合わせたもの。複雑な沖縄の様相が伝わってきます。

第5号(通算607号) 2008年5月25日
北海道公民館協会  新公民館落成(北中城村) 社教法改正可決
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 土日のとんぼ返り(高知・東京)も重なり、25日の発行が危ぶまれましたが、皆さまのご協力もあって何とか吹くことができました。第2号でもお知らせしたように、24日は、日本公民館学会の公開学習会がありました。『地域集会施設の計画と設計』(浅野平八著、理工学社 1995)をめぐって、公民館の新たな可能性が論議されました。一緒に参加されていた「風」読者の方々からの報告をお待ちしております。
■政策動向
◇社会教育法等改正法案(169国会閣51)文部科学委員会可決。
 「公民館に働いているある職員が日々の仕事や暮らしの中で考えたことや仕入れた情報を綴ったブログ(岡山市内田光俊氏)」http://love.ap.teacup.com/kouminkan/から、社会教育法等改正法案に関する審議VTRが配信されていることを知りました。衆議院TVから入って、案件名で社会教育法等改正法案(169国会閣51) を選択、文部科学委員会を開いてください。
 法案は23日に可決されましたが、議員提案による7つの付帯決議が付いています。概略は、1)公民館、図書館及び博物館等の社会教育施設における人材確保について、指定管理者制度の導入による弊害や地域間格差に配慮しさまざまな支援に努めること。2)各個人の学習活動と地域社会の教育活動との分担につながるような具体的な取り組みについて支援につとめること。3)公民館、図書館及び博物館が自らの運営状況に対する評価を行い、評価の透明性、客観性を担保する観点から、可能な限り外部の視点を入れた評価となるよう、国がガイドラインを示す等、適切な措置を講じること。4)生涯学習・社会教育のための機会の整備充実やこれらを推進するための改善等を図ること。5)地域の教育力向上のため、学校、家庭、地域等の関係者、関係機関の連携を推進し多様な地域の課題等に応じたネットワークの構築を推進すること。その際、PTAの活動や運営などの実態把握に努め、学校支援本部事業における連携が円滑に進むよう十分配慮すること。6)社会教育主事、司書及び学芸員の専門的能力、知識等の取得について、十分配慮すること。各資格取得者の能力が生涯学習、社会教育の分野において、最大限有効に活用されるよう、資格取得のための教育システムの改善、有資格者の雇用確保など有資格者の活用方策について検討を進めること。7)社会教育委員等の制度を積極的に活用するとともに、社会教育委員がその重要な職責と役割を十分認識するような環境整備を図ること。

第4号(通算606号) 2008年5月20日
「対策」とはなにか 31名の社会教育主事(岡山) 都市公民館の変遷(北九州)
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 中国四川省の大地震、心中よりお見舞い申し上げます。
 今年はじめ全国公民館連合会の方と話をする機会があって『公民館における災害対策ハンドブック』(同連合会編2006.12)が各方面から注目されているということでした。話の中で「対策」とは何かということが論議となったことを思い出します。

第3号(通算605号) 2008年5月15日
「風」の構想・期待 名称が消えた(熊本) 東海・北陸社会教育研究集会
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 「公民館の風」第3号をお届けします。まだまだ模索段階ですが公民館の実践・研究に携わる人々の情報蓄積と交流を大事にある種の「公民館運動」ともいえる内容にしていきたと思っています。
 具体的には、(1)歴史・史料、(2)地域資料、(3)制度・政策、(4)実践・運動、(5)集落・自治、(6)施設・空間、(7)諸外国(特にアジア)、といった視野をできるだけもっていきたいと考えています。皆さまからの果敢な発信をお待ちしております。

第2号(通算604号) 2008年5月10日
継続の声(2) 北から 南から 日本公民館学会・公開学習会
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 「公民館の風」第2号をお届けします。それこそ「風」の便りに発行を知り、参加を希望される方々からの連絡が届いています。
 おかげさまで30名を越える皆さまへの発信となりました。編集構想など、少し考えてはいますが、今号もまずは《継続の声》からお届けします。

第1号(通算603号) 2008年5月5日
創刊の辞  継続の声  CLC国際セミナー(南京)募集
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 《再創刊にむけて》
 高知大学の内田純一と申します。どこまで出来るか分かりませんが、このたび「公民館の風」継続・発展に挑戦しようと決意いたしました。私自身も創刊号から参加させていただき、公民館の研究・実践・運動に携わる人々を横につなぐこの「通信」の重要性が、近年ますます高まっていることを感じている一人です。
 幸い小林文人先生の号外(4/2)に応じてくださった方々が十数名いらしゃいますし、まずはその方々と一緒に「公民館の風」を創っていきたいと思います。以下に全員とはいきませんが、小林先生から紹介いただいた声(敬称略)を載せさせていただきます。
 発信は、少なくとも週1回(果たして出来るか)を考えております。皆さまからのご連絡をお待ちしております。






 シリーズ・高知の公民館 (内田純一)

■高知の公民館(1) 公民館の風・15号(2008年9月15日)
 <高知県下第1号の公民館>
 高知県下第1号の公民館はどのように設置されたのか。まずは文献から。
◇「昭和二十二年四月、高岡郡佐川町が青山文庫建物内に県下初の公民館を併設したのに続き、各町村にもようやく公民館設置の気運が起こった」(『戦後高知県教育史』1972年 119頁)
◇「昭和二十二年二月二十六日の町会に、・・・公民館は、青山会に交渉して青山文庫を充て、町より維持修繕費を出すこととして社会教育公民館委員に交渉を依頼することにした」(『佐川町史(下巻)』1981年132頁)
◇「昭和二十二年の六月五日の町議会協議会で研究協議事項として次の事項が協議された。・・・五.公民館の経営に関する件、六.社会教育の新興に関する件」(『佐川町史(下巻)』1981年133頁)
 公民館が併設された当時の青山文庫の建物は、現在、真っ白な洋風建築の佐川町民具館としてその余生を送っている(写真:略)。現在の青山文庫を訪ね『青山文庫史録』と書かれた資料綴りから、次の記述を確認できた。
 「昭和二二年四月一日、青山文庫の経営を佐川町に委託する。終戦後は経済の急貧と世相の変化等のため経営が困難となる。終戦前には、時勢の要請に応え展示品の観覧料は無料にしていたので、これを有料にるすこともできず、職員の給料も遅延がちになり、川田豊太郎氏は私財を処分してこれらに充てていた状況であった。これがため青山文庫の施設、蔵品を佐川町に無償貸与とし、職員は同町の公民館職員に採用し、館長は同町長兼務とし、同町が経営することとなる。これに伴い、講座の会同等公民館活動の場としても活発に利用された」
ps.青山文庫(せいざんぶんこ)1910年、郵便局長川田豊太郎の川田文庫(県内最初の私設図書館)としてスタート。その後、田中光顕(幕末勤王の志士。明治政府宮内大臣)の資料寄贈により館名を光顕の雅号青山をとって変更。財団法人「青山会」(1925-52)が運営。1963年に資料を県に譲渡し「高知県郷土文化会館分館青山文庫」に。1991年県から佐川町に再び譲渡。

■高知の公民館(2)  公民館の風・17号(2008年9月30日)
 <佐川町公民館>
  『佐川町議会議事録』によれば、昭和二十二年二月二十六日の町会(議会)では、「公民館設立準備に関する件」として協議懇談がなされ、青木正榮町長は「公民館は青山文庫が適当と思うので他日青山会に正式に交渉したいと思う。青山会としても家賃は不要なるも維持修繕費は町に負担してもらいたい意向なり」と述べている。続いて議長が「過日青山会理事会に於いて、正式に交渉があれば応じることに内定している」と述べ、これを受け町長が「社会教育公民館委員に交渉を依頼する」と発言している。
 その後同年三月二十八日の町会では、予算計上とともに、第20号議案「佐川町公民館設立の件」が提出されている。町長は「当契約は、一年一年更新することにし、修繕費並びに事務員2人は町負担(予算)となし、身分は町吏とし全額を計上す。館長は適任者を得るまで当分の町長が兼務し、その運営如何により龍頭蛇尾に終わることなき様にしたし」と述べ、社会教育費中に公民館費30,000円を計上している。これに対して、一人の議員から「公民館並びに社会教育は上よりの指示により予算に計上されたものと思うも、従来如何ほどの実績もなし。差し替えられるものなら削除されたい」という意見が出されている。議事録上では「賛成者なし」と書かれている。

■高知の公民館(3) 公民館の風・19号(2008年10月10日)
 <高知県公民館育成方針>
 1947(昭和22)年4月、高知県内第一号の公民館が高岡郡佐川町青山文庫建物内に併設されたが、各地の建設は思うように進まず「家なき公民館」といわれる状況が社会教育法制定まで続くことになる。高知県教育委員会が1947年9月発行した『社会教育の資料』には次のような「公民館育成方針」が示されている。
一.建物がなくてもよい
 公民館といえばすぐに建物がないから仕方ないと真先に考えられ易いのであるが、資材も財政も貧困を極めている現在の事情の下では、これを建築することは不可能に近いことであり可能になる時期迄待っていては結局公民館はいつまでも出来ないのである。公民館の建物は公民館の一部であって全部ではないのであるから無理に建築するような考えを止めて出発すべきである。
二.既存建物の利用を計画する(略)
三.公民館運営委員会だけは理想的なものをすぐに組織する
 最悪の場合利用する既設建物さえ無い町村でも運営委員会だけは結成することができる。しかも運営委員会は公民館の主体的必須条件であり、これがなくては公民館はあり得ないと言ってよい。委員の選任に当たっては理想的な民主的方法によって選出されねばならない。一部の階層の者の話し合いによって委嘱又は推薦されるようなことは厳に避けなければならない。全町村民の了解と支援を受けた委員で組織されるよう萬善の措置を講ずるべきである。
四.運営方針は、町村の実状に即して定める(略)
五.専任職員を置くことが大切
 公民館としての活動を始めると、委員会とは別に執行的機関としての専任職員が必要となってくる。運営委員会はそれぞれ職業を持った者の集まりであるから常に公民館のことばかりに専念することを許されない。そこで専従職員が必要なのである(中略)。問題はむしろ金額ではなくて公民館に対する認識如何が問題であるから不断の啓蒙運動が事業と共に平行して総的に行われなければならない。
六.形より実をとる
 高知県下全体の実状から考えて見ると、公民館の形式的設備充実よりも実質的運営に主力を注いでともかく各町村とも出発すべきだと考える。ときたま公民館不要論を唱える人があるやに聞くが、それは民主主義国家再建の要諦は自己の町村自体から築くべきであることを認識しない旧態依然たる時代錯誤も甚だしい人達だと言ってよい。町村民の諸問題は町村民自体によってのみ討議解決されるべきである。町村民主化の場こそ公民館なのである。

■高知の公民館(4) 公民館の風・21号(2008年10月25日)
 <「大篠村公民館の歌」>
 大篠村(昭和の大合併により現在は南国市)は、昭和の初期から「教育と産業の併進による明るい郷土建設」を目標として全村学校を開講するなど、教育活動に熱心な地域である。合併後20数年を経て出版された村史『大篠』にもそんな編者たちの思いが伝わってくる。全体430頁中25頁が「公民館」のことで記述されているのも、管見する県内『自治体史』の中では特異なものと言えよう。その第一節は「全村学校と公民館活動」となっている。
  「昭和二十二年公民館が設置され、本館や分館が拡充整備されると共に、村民の『茶の間』としての機能は発揮され、受けつがれ、明るく豊かな村づくり活動として、全村学校は公民館活動の根幹をなすようになった。教化とか公民とかの言葉の違いはあり、設置条例が変わっても、一貫した『村づくり』活動の骨格は変わらなかった。だから全村学校の動きは公民館でもひきつがれ、具体的実践を大きく拡げていった」と書かれている。
 戦前との継承・断絶の点からも課題を孕む表現ではあるが、「全村教育計画の構想」にあたっても公民館がその中核的な位置を担っていたと思われる。1951年には全国町村長会から「協同と自治の村づくり」で表彰を受け、翌年には、全国優良公民館にもなっている。
 資料としての「大篠村公民館運営規定」によれば、総務部、教養部、図書部、芸能部、産業部、体育部、保健衛生部、広報部、児童部、青年部、婦人部の組織があり、それぞれに活発な活動経過が紹介されている。さらに「大篠村公民館の歌」(作詞:杉村和、作曲:後藤正夫)もあった。以下が、その歌詞♪である。
(一)静かに めぐる 歯車だ
   組織の力 和の力
   理想は高く さし招く
   進歩 親和だ 生産だ
   時代の光 公民館
(二)ピーチーエイも 農協も
   文化の工場 歯車だ
   自覚のベルト なめらかに
   教育 政治 経済だ
   時代を呼ぼう 公民館
(三)つばさ輝よう 鳩の群
   空もみどりだ あこがれの
   民主の息吹 はつらつと
   生命あふれる 歯車だ
   時代を招く 公民館
   大篠村 公民館

■高知の公民館(5) 公民館の風・25号(2008年12月25日)
 <劇場的発想の公民館建設>
 高知県の西部、幡多郡の中心は中村市。現在は、西土佐村と合併し四万十市となっている。旧中村市は、中央公民館とともに、昭和の合併前の旧村単位に分館が13(下田、八束、東山、大川筋、後川、鴨川、蕨岡、富山、竹屋敷、中筋、東中筋、具同、伊才原)。『高知県社会教育の資料』(昭和22年9月)によれば、八束村立八束小学校敷地内に「児童公民館」があったことが記されており、設立年月は、昭和21年11月となっている。『中村市史(続編)』を調べたり、過日、八束小学校へ赴いたが、詳細はまだ分かっていない。「児童公民館」のことについても、今後、調査を続けていきたい。
 『中村市史(続編)』には、中央公民館の設立経過が書かれている。まず昭和23年に「中村町公民館建設委員会」が発足、翌24年2月には、戦時中爆撃目標になるとの理由から取り壊された劇場「中央座」の跡地に、総工費435万5千円を掛け、275坪の公民館建設が着手されている。しかし工事は半ばで中断。市史によれば、「中村町の場合には、公民館が劇場的発想により建設がすすめられていたために、住民の間で、理想的な社会教育施設とすべきであるという意見とが真二つとなり、紛糾が拡大、結局、県の社会教育課よりの意見書等もあり『現在建設の公民館は劇場に用途変更し、新しく公民館を別の場所に建設する解決策』が出された」と書かれている。また一方で、隣接する三原村を含む近接十一ヶ町村からは、昭和21(1946)年の南海地震の被害により、娯楽施設がなくなったなどの理由から、廃止した公民館(「中央座」跡地の建物)を用途変更することを求めた「劇場建設嘆願書」が、なんと建設大臣にまで提出されている。「児童公民館」もさることながら、当初めざされていた「劇場型発想の公民館」とはいかなるものであったのか。公民館建設委員会の議事録や資料などを掘りおこして、今後さらに解明していきたい。

■高知の公民館(6) 公民館の風・27号(2009年1月20日)
 <高知市横浜公民館の歩み>
 人口34万人の高知市公民館体制は、現在、『公民館条例』上の公民館が3館、『ふれあいセンター条例』上の公民館が14館。この他に160の自治公民館が存在する。『ふれあいセンター条例』では、「センターは社会教育法第21条の規定による公民館」とされながらも、その事務は「市長に委任するものとする」と変則的な形を取っている。2001年、支所の再編とともに、それまで17館あった公民館条例上の公民館を3館に限定し、残りの14館を市長部局まちづくり推進課のふれあいセンターへと変更。運営は地元運営委員会に委託されている。
 高知市公民館に関する記念誌としては、『高知市中央公民館26年史』(1977年)、『中央公民館40年の歩み』(1991年)、『高知市中央公民館開館50年記念誌』(2001年)、『横浜公民館四十五年の歩み』(1999年)などがある。
 横浜公民館は、「地区公民館へ委託」という運営形態を続けながらも、公民館条例上の公民館として教育委員会に位置付いている。「残った」3館は、中央公民館、旭公民館、横浜公民館であるが、このうち前2施設がいずれも大規模施設であるのに対し、横浜公民館はわずか370u。ふれあいセンター14館の平均が563uであることを考えても、この小さな施設がどうして公民館条例上の公民館として残ったのだろうか。190頁にわたる『横浜公民館四十五年の歩み』(以下『歩み』)は、その理由を鮮明に物語っている。
 横浜地区は、高知市街から宇津山を隔てて南へ5q。東に浦戸湾を抱え、1960年代半ば以降、山側に新たな新興住宅地が拓かれていった。1970年8月、そんな地域を巨大な台風10号が襲った。地域の8割が床上浸水という未曾有の大災害を経験した横浜地区の人々は、公民館を拠点に直ちに防災復旧対策委員会を結成、県当局に責任と補償を求めた。県からの説明的な天災論や浦戸湾埋め立て計画、学者を含めた防災会議を発足させるとの回答に、「学者が一日や二日調べ直したちわかるかよ。わしらは長年ここに住んで一番よう知っちょる。わしらのいうことをきいてくれ」と訴えたという。72年の集中豪雨、75年台風5号など、その後も打ち続く自然災害の中で、住みよく安全な町づくりをめざす活動がいやが上にも盛り上がっていった。
 この災害復旧活動と平行し、公民館ではそれまで滞っていた「横浜踊り大会」(8月)、「区民運動会」(10月)「文化祭」(11月)、「演芸大会」(2月)などを次々に復活させていく。1976年度の横浜公民館定例総会運動方針・重点目標は、@各部落相互の連携を密にした共通事業を積極的に推進する。A交通と公害による災害を防ぎ明るい住みよい町をつくる。B広報と学習活動を活発に進め文化と教養の向上を図る、を掲げている。結果、県市当局による横浜全地域調査が実施され、「排水ポンプ場」の設置や砂防ダムの建設、河川改修、交通安全対策などが進んでいった。こうした活動の高まりの中、県交渉の窓口役であった県議会議員の後援会開催が公職選挙法違反とされる事件が起こる。後援会員の多くが各部落の役員であり、公民館活動のリーダーであった。4年間二十四回に及ぶ地裁での闘争は、多くの横浜地区住民が参加して結成された「守る会」による支援と粘り強い運動の成果でもある。(続く)。

■高知の公民館(7) 公民館の風・29号(2009年2月10日)
 <高知市横浜公民館の歩みU>
 高知市公民館の合理化(17館あった条例上の公民館のうち14館をふれあいセンターとして市長部局に移管)に及んで、なぜ、この小さな「横浜公民館」が公民館条例上の公民館として残ったのか。『横浜公民館四十五年の歩み』(1999年)等を手がかりに、前回からこの点の検証を試みている。
 冊子『歩み』の時期区分は、草創期(1952年〜1966年)、発展期(1967年〜1979年)、成熟期(1980年〜1988年)、現在期(1989年〜1997)となっている。
 1980年4月、待望久しかった現在の建物(名称は「横浜文化センター」)が完成する。『歩み』には、住民による建設委員会を発足させ、長い市交渉のすえ建設にこぎつけた経過が示されている。建設委員会委員長であった藤田氏は「かえりみるに、『横浜文化センター』建設の第一声をあげて竣工までに七年の歳月が経っている。その道程は茨の道であり地区住民の一つの願いが、ここに結集して実ったものと思う。建設委員の中には亡くなられた方もぼつぼつおられ、往時の元気で活躍された姿を偲んでやまない」と述べている。2001年に公民館の合理化を担当した市職員の話では、横浜地域は、施設というより組織として公民館活動を積極的に行ってきた歴史があり、その活動を市長部局に移管することは考えなかったという。
 横浜公民館は、はじめに住民の活動ありきで、あとから市が館(やかた)を保障するという公設民営型の公民館であるといってよい。『歩み』に示された現在期では、「自然環境を守り災害のない明るく住みよい地域づくりをすすめる方向で住民運動の積極的展開が望まれているところです」と述べられている。そして『歩み』の最後は、横浜公民館長名による「浦戸湾ウォーターフロント計画」に関する県知事宛要望書(1994年)で終わっている。その内容は、@計画立案にあたって地元民の意見要望を聴取し賛同を得ること。A自然環境の保全を大前提とし、自然と人工施設の調和をはかること。B県・市民的観点を持ち、文化・福利厚生を第一義とすること。C早急に実現すべき具体策として、1.周辺の山地には新規宅地造成を許可せず自然の緑や動植物を保護すること。2.湾底の汚泥を浚渫すること。3.必要な場所に砂利を投与し砂州を造成すること(以下略)。
 県はこれら要望を受け入れ、汚泥の撤去と覆砂事業を進めている。こうした要望の2年前(1992年)には、浦戸スカイニュータウン宅地造成問題が持ち上がり、横浜公民館での工事申請人や業者を交えた自然環境シンポジウムの開催をきっかけに「浦戸湾の海と山並みを守ろう 横浜の会」が結成され、県知事や市長に対し「不許認可要請書」を提出している。この取り組みは、地権者を中心に土地不売の気運を盛り上げ、契約破棄の申請を相次いで続出させるという成果をあげている。自分たちの土地と環境を守る運動とその中心に公民館活動が息づいている事例がここ高知にもある。




                        TOAFAECトップページへ