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川崎と韓国・富川
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(2003〜2006 小田切督剛ほか)
*韓国・研究交流(一覧)→■
■交流の経過
川崎・富川市民交流会 設立趣意書・案より)2003年9月
ー在日が根を、自治体が幹を、市民が枝を広げる−
川崎における日韓の市民交流は、在日大韓基督教会川崎教会と親交のあった韓国・富川(プチョン)市の聖心女子大学(現、カトリック大学)の李時載教授の紹介により、在日コリアンが多住する川崎区の桜本商店街振興組合と富川市の遠美富興市場(ウォンミプフンシジャン)商友会が交流を開始した1991年からスタートしたといえます。1992年には富川市議会議員の地方自治研修を川崎市が受け入れ、1993年から川崎地方自治研究センター(以下、自治研センター)主催の韓国研修旅行が始まりました。この研修旅行は、戦前日本の植民地支配の歴史と向き合いながら、現在の韓国の自治体や市民運動の様々な活動と交流することを目的に本年で11回を数えています。この他、飯塚正良市議会議員を中心とする両市の議員や、美術団体も交流を深めてきました。
1996年2月、川崎市が主催する地方新時代シンポジウムの分科会でソウル大学地域総合研究所川崎調査団の3年間に及ぶ川崎市を中心とする日本社会調査の報告を李時載教授から受けました。自治研センターはこのシンポジウムに富川市長を招待しました。この時初めて川崎を訪れた富川市長は川崎市長を表敬訪問され、この席で友好都市締結が合意され、同年7月2日に川崎市において仮調印を行い、次いで10月21日に富川市で本調印をしました。調印式には交流の基礎をつくった桜本商店街振興組合、桜本小学校、在日大韓基督教会川崎教会、コリアタウン設立準備会、自治研センター等で市民祝賀団を結成し、共に締結を祝いました。
この友好都市締結を機に、桜本小学校と富川北初等学校は姉妹校締結の合意書を交わし、在日大韓基督教会川崎教会と大韓監理教会富川第一教会は姉妹教会となりました。その後も商工会議所、女性団体を始め、剣道、サッカー等のスポーツ団体も相互訪問を重ねてきました。1998年からは両市の職員交換派遣も制度化されて交流の橋渡しの役割を担うようになり、高校生交流も川崎側は日本人、民族学校生徒をはじめとする在日へと交流の輪を広げています。本年度は在日一世の高齢者30名が富川市で開催された「在日コリアンの生と哀歓」写真展を訪れ、盛大な歓迎を受けました。
■韓国・富川市の市民社会と平生教育:小田切督剛(川崎市教育委員会)
(TOAFAEC定例研究会報告レジメ・2003年7月25日)
T 韓国の市民社会と平生教育
1 韓国の市民社会 1987年 6月民衆抗争
1989年 経済正義実践市民聯合結成委員会
1994年 参与連帯結成
2000年 総選市民連帯による公薦反対・落選運動
2001年 市民社会団体連帯会議結成
2003年 民衆連帯結成
2 韓国の平生教育 1999年 平生教育法制定
2003年「教育革新委員会」設置
U 富川市の市民社会と平生教育
1 富川市の概要
(1) 人口 78万9千人(うち外国人市民約3千人、0.4%)。川崎市128万人。
(2) 面積 53.44平方キロメートル(中原+高津+宮前。川崎市144.35)
緑地地域48%、住居地域19%、工業地域4%、商業地域2%、その他27%
(3) 行政区域
・ 3区(北から順に梧亭区【オジョング】、遠美区【ウォンミグ】、素砂区【ソサグ】)
・ 35洞【トン】(洞は人口2万人程度。洞ごとに住民自治センター、住民自治委員会がある)
※現在はセンターに公務員が勤務しているが、自治へ移管予定。
2 富川市の市民社会
ア 「衛星都市」 特に中小企業の密集した工場都市として急激に発展。
イ 「壮年都市」 74.3%の市民が39歳以下を占める(97年)。
ウ 「野党都市」 地元より地方出身者が多い(湖南地方出身者が市人口の約3割)2002年6月に再選(2期目)されたウォン・ヘヨン(元惠榮)市長もノ・ムヒョン次期大統領と共に有名な左派政治家。元ソウル大学学生会長で、民主化運動に参加し2回服役し、さらに強制入営も。4回除籍された後96年に25年ぶりに卒業。国会議員後市長。「顧客満足サービス行政の強化」を掲げる。
→ 2003年11月に市長辞職。2004年4月に国会議員当選。
富川市長選挙は2004年6月5日投票日。
エ 「市民社会1番地」 労働運動をはじめとする市民運動も盛んで、韓国の全国紙に「市民社会
1番地」「NGOのメッカ」と評される(中央日報、99年)。
オ 官辺団体 自由総聯盟、パルゲサルギ運動、セマウル協議会、洞親会・・・
3 富川市の平生教育
(1) 行政組織 日本と異なり、地方教育行政が地方自治体へ移管されていない。自治体警察の実施と合わせてキム・デジュン(金大中)大統領の選挙公約だったが、挫折。現在、図書館は自治体で設置・運営しているが、本来教育庁の業務である平生教育を文化事業の一環として実施するなど、自治体と教育庁の事業区分が曖昧になっている。一部で「地域・教育協力事業」として学校内に社会教育施設を設置する費用を自治体が負担するなどしている。
(2) 富川市庁 http://www.bucheonsi.com
(3) 富川文化財団 http://www.pcf.or.kr/ 富川市が設立した財団法人で、富川市ポクサコル文化センターを運営している。富川市からの天下り・出向職員は一切なし。文化施設管理チーム、女性会館、青少年修練館、経営企画チーム、行政支援チーム、文化事業チームから構成されており、青少年修練館では青少年に関わる各種文化行事(コンクール、発表会、市内の文化サークルの学校を超えた交流の場づくり)を行っている。青少年修練館は、市内の福祉館の青少年担当者の連絡協議体「プルンモイム」の事務局を担っている。富川市庁環境福祉局文化芸術課が所管。
(4) 富川教育庁 http://www.kenbc.go.kr/index.html
教育人的資源部−京畿道教育庁−富川教育庁と系列化された国家機関。学務局と管理局があり、前者のもとに初等教育課、中等教育課、平生教育体育課がある。平生教育体育課は平生教育実施機関を傘下に持たず、実質的には学院(日本でいう塾にあたる)の登録・管理が業務となっているといわれる。
(5) 福祉館 市内9か所。日本の「町」にあたる「洞」が35あるので、平均して4つの洞に1か所ずつとなる。富川市の総人口は約80万であるため、9万人に1か所ずつとなる。住民図書館「小さな図書館」や趣味講座などの社会教育事業も行われている。国庫補助のある総合福祉館と、市単独補助による福祉館とがある。富川市庁環境福祉局社会福祉課が所管。
(6) 住民自治センター 洞(人口2万人程度)に1か所ずつ「洞事務所」が設置され戸籍謄本などの各種照明の発行、防災、住民組織の振興などの事業を実施している。1998年から「洞事務所」内に「住民自治センター」が設置され、趣味・教養を中心とした各種プログラムが実施されている。これは住民自治の振興と共に、公務員の人員削減を目的とした施策だった。将来的には「住民自治委員会」による自主管理を目標としている。富川市には35洞があり、うち33洞に住民自治センターが設置されている。これに伴い住民自治・まちづくりとの関連事業なども増える傾向にある。富川市庁行政支援局住民自治課が所管。
(7) 緑の富川21実践協議会 http://www.pc21.or.kr/home.htm
「緑の(プルン)富川(プチョン)21実践協議会」は、1992年の国連環境サミット・リオ宣言を受けて2000年1月18日に発足した「緑の(プルン)富川(プチョン)づくり(マンドゥルギ)21推進協議会」を前身とする民・官協力機構。計画の作成から実行評価、試験事業を行っており、経済・行政、都市・環境、社会・文化、政策・教育の4委員会のもとにまちづくり(マウルマンドゥルギ)、学校の森(ビオトープ)、住民自治センター活性化、小さな(チャグン)図書館(トソグヮン)など14分科会が活動している。富川市庁環境福祉局環境衛生課が所管。
(8) 2002年 教育人的資源部「平生学習都市」選定
2003年 平生学習条例制定。「平生学習センター」設置。「教育博物館」開館。
2004年 7月1日〜4日 第1回富川市平生学習フェスティバル開催予定。
写真移動
▲富川市ポクサコル<桃の里>文化センター(地上6階、地下2階)1999年5月開館 ▼桃の里(同ロビー)
■韓建煕(緑の富川21実践協議会 事務局長)
「富川(プチョン)市のローカルアジュンダ21を推進するための民・官協力機構
:緑の富川21実践協議会」(翻訳・小田切督剛・川崎市教育委員会)
(『東アジア社会教育研究』第8号 TOAFAEC発行 2003年、所収)
訳者注
大韓民国・富川(プチョン)市は首都・ソウル市と港湾都市・仁川(インチョン)市の間に位置する人口80万の中堅都市です。1945年の解放前から平野に広がる豊かな農業地帯として知られ、解放後は中小の工場が密集する工業都市からソウルのベッドタウンへと発展し、1973年に市制が施行されました。川崎市と富川市の都市間交流は1991年に市民レベルで始まり、1996年に両市長が「友好都市協定」に調印しました。両市は地政学的にも似た位置にあり、共通する都市問題を抱えています。
韓(ハン)建(ゴ)煕(ニ)さんは1965年生まれ。キリスト教系の青年運動を経て富川YMCA生活協同組合の事務局員を長く務め、「富川市の生協運動の生き字引」と呼ばれています。「緑の富川21」の発足と同時に事務局長に就任し、現在に至っています。パートナーの林(イム)正娥(ジョンア)さんは富川YMCA、富川女性センターを経て富川市近郊の光明(クヮンミョン)市平生学習院(生涯学習センター)で働いています。以下の本文中[ ]および小見出しは訳者によります。原文中「参与」はすべて「参画」と訳してあります。「緑の富川21実践協議会」のホームページはhttp://www.pc21.or.kr/home.htm
1 はじめに
川崎市と富川(プチョン)市が交流を始めてから10年が過ぎようとしています。最近になって緑の富川(プルンプチョン)21実践協議会の「住民参加型まちづくりワークショップ」(2002年7月)や「『子どもの権利条例』に関する懇談会」(2002年12月、2003年3月)を通して、共通のテーマを持って共に発表し討論する機会を持つようになりましたが、これは二都市間の民間交流の内容を高める契機にすることができたと思います。特に川崎市には、富川市との民間交流に深い関心を持って努力してくださる方々がいらっしゃるため、一層活発になっているのだと思います。
このように紙面を通じて緑の富川21実践協議会について紹介できる機会を作っていただき、感謝申し上げます。本協議会の創立過程と背景、そして進めている事業について紹介していきたいと思います。
2 緑の富川21実践協議会の結成と背景
緑の富川21実践協議会は、ローカルアジェンダ21を策定するための「緑の富川(プルンプチョン)づくり(マンドゥルギ)21推進協議会」を経て、2001年1月に策定された計画(アジェンダ)を中心に評価と実践事業を進めるために、実践協議会へと転換しました。活動を始めて以来4年がたとうとしています。
去る2000年1月18日、市民団体・企業そして富川市議会および富川市の公務員など130名の委員で構成された「緑の富川づくり21推進協議会」は、1992年国連環境開発会議[地球サミット]で発表された、地球環境を守るための地球環境綱領である「アジェンダ21」に基づいて組織されました。
アジェンダ作成のために、事務局をはじめ各分科委員会と小委員会で計170回余りに渡る会議と研究活動が進められました。富川市の政策形成において、これほど多くの市民が幅広く参加したことは過去にはありませんでした。
富川(プチョン)市は1973年に市に昇格して以来、人口の急激な増加、都市施設の不足、青少年問題などさまざまな社会問題を抱えて成長し、また現在も成長を続けています。そしてまた、それにも関わらず富川市は、韓国でもっとも模範的な市民参加が行政に定着してきており、市民参加ももっとも活発に進んでいる都市として発展しています。
特に1990年からのニュータウン開発と共に急激な人口増加を見せ、人口が80万に達する都市になり、人口の集中度(人口密度)ではソウル市についで韓国内で2番目の高さとなっています。さらに上洞(サンドン)と範朴洞(ポムバットン)[「洞(トン)」は日本の「町」にあたる行政単位]の開発が終われば、人口密度が韓国でもっとも高い都市になると見られています。今後どのような開発をするにせよ、人口増加の効果をもっとも重要な要因として見なければならないでしょう。富川市は既に人口面で都市基盤施設の弱化、交通・教育・住宅などさまざまな問題を抱えているからです。
3 市民の参画と民・官パートナーシップ
こうした状況のもと、全地球的な「アジェンダ21」を推進する一環としての「緑の富川21」の策定と実践は、富川市の当面の課題にならざるをえませんでした。
また「緑の富川21」は富川市の政策形成に市民が参加する上で大きな意味を持ちました。従来も市民は選挙を通じて、市議会を通じて、各種世論調査などを通じて市の政策形成に影響を与えました。しかし市民が政策課題を選定し、市と市民と企業が行なうべきことを定め、富川市のビジョンを提示し、これを実現しようという意志を示したことは、これが初めてだったといっても過言ではないでしょう。
最近韓国政府が「参画の政府」という価値を掲げて出発しました[盧(ノ)武(ム)鉉(ヒョン)政権のスローガン]。今までの韓国社会は、80年代の民主化を経て市民社会の領域が幅広く形成されてきました。しかし政府の政策過程への参画は開かれていませんでした。こうした透明性がない、開放的でない政策の実行は、不信と闘争を続けさせてきました。しかし90年代の「国民の政府」[金(キム)大中(デジュン)政権のスローガン]の出発を経て、市民社会が政府の政策形成過程に参画する範囲が多くの部分で広がっています。
その中でもローカルアジェンダ21の出発は、民・官のパートナーシップの過程を通じて理解と協力の枠を広げるにあたって、大変重要な経験となりました。こうした変化と共に、1999年から2000年度にかけて急速に各地方自治体がローカルアジェンダ21を推進し、現在248の自治体のうち90%を超える自治体が推進しています。これはどの国でも見られがたい、非常に早い速度です。しかし今のところは各地域のローカルアジェンダ21を作成することに留まっており、これを実践し評価することは積極的に行なわれていないこともまた現実です。
こうした限界を克服するために、制度的に各地方自治体ごとに「持続可能な発展委員会(CSD:Commission on Sustainable Development)」を設置しなければならないとの声も高まっています。しかしどんな制度もこれを運用する構成員の理解と協力が優先されてこそ可能でしょう。「緑の富川21実践協議会」では、ローカルアジェンダの作成後35項目の課題について富川市の行政機関の履行評価とこれに対する評価報告会を、富川市長の主催のもとで毎年実施しています。評価度については満足のいくものではありませんが、毎年評価する場があるという点で非常に重要な意義を持っています。
富川市と本協議会は「緑の富川21推進政策協議会」を構成して四半期ごとに開催し、主要事案に対する持続可能性の協議、「緑の富川21」のアジェンダの実践・履行状況の点検、そして「緑の富川21実践協議会」および市執行部で上程した案件などを扱っています。「緑の富川21推進政策協議会」には、富川市から副市長の他6局の局長が、本協議会から常任議長ほか5名の分科会委員長、事務局長が参画しています。これは今後「持続可能な発展委員会(CSD)」へ向かうための一つの過程と考えることができるでしょう。
「緑の富川21実践協議会」はこうした制度的な枠組みを準備しながら、計画に挙げられた課題を中心に試験事業を実施しています。試験事業は2〜3年程度の期間を通して実施しており、試験事業の成果を市に政策として建議し持続できるよう努力しています。またこうした事業は民間領域の多様なネットワークを通して実施され、地域の協力体系と民・官パートナーシップを形成していくための活動となっています。
現在進められている本協議会の事業としては、@都市環境委員会の「まちづくり」「ビオトープづくり」「歩行環境改善と自転車活性化」「ごみと大気改善」、A社会文化委員会の「子どもの権利条例」「外国人労働者支援」「青少年計画」「小さな図書館づくり」、B経済行政委員会の「行政改革小委員会」「都市計画研究小委員会」、C教育広報委員会の「市民環境教育」などが進められています。このうち「ビオトープづくり」事業と「小さな図書館づくり」事業は3年目に入り、その成果を見せ始めています。「子どもの権利条例」と「外国人労働者支援」事業は活発に準備されている段階であり、その実現に向けた市執行部の意志もまた高いほうです。特にこの2つの事業は川崎市との共同セミナーや川崎市のさまざまな活動が非常に参考になっており、2003年10月には現場の大切な経験を見聞きする機会を持つために川崎市を訪問する計画があります。
4 緑の富川21実践協議会の推進事例〜小さな図書館づくり
本協議会の事業のうち、良い事例となっている「小さな(チャグン)図書館づくり(トソグヮンマンドゥルギ)」事業について紹介したいと思います。
富川市には現在4か所の市立図書館があり、今後2か所の市立図書館をさらに設立する計画がありました。しかしこれは、特化された大規模な図書館と、町ごとにある小規模な図書館を年次計画により設置するよう修正されました。
緑の富川21で挙げられた課題の23番目にある「愛と希望のあふれる図書館づくり」を実践するため、2001年度の試験実践事業として「小さな図書館づくりネットワーク」が作られました。これには市議会議員、市立図書館、私立文庫、子ども図書館、社会教育に関連した民間団体の関係者たちが参画しました。町ごとに図書館づくり運動を展開することを事業目標とし、小さな図書館運動の地域的な共感の輪をつくるために初の事業として「富川地域図書館活性化のためのシンポジウム」を開催しました。このシンポジウムを通じて小さな図書館の必要性と政策方向などを模索し、この後小さな図書館を設立するための基礎調査として富川地域の図書館の現況(公立文庫、私立文庫、学校図書館等)をネットワークの委員が分担して調査しました。
また、2001年度には元(ウォン)惠(ヘ)榮(ヨン)・富川市長、李(イ)時(シ)載(ジェ)・緑の富川21常任議長をはじめとする執行部と本協議会委員がブラジルのクリチバ(Curitiba)を訪問しました。そこで見た「知恵の灯台」は、こうした小さな図書館の必要性を悟る重要な契機にもなりました。貧困地帯に優先的に設置された「知恵の灯台」には、小さな図書館があり、コンピュータが利用でき、また夜間には治安を担う機能を持つ町の灯台でした。「知恵の灯台」には、30坪前後の小さな空間に6千冊余りの蔵書とインターネットのできるコンピュータがありました。貧困地域を優先的に支援することで地域社会と学校の統合、青少年が利用できる空間と内容を提供することで非行の危険を減らし、貧困問題でもっとも重要な教育と文化、情報格差を減らすことができるということで、図書館の重要性を再度悟らせてくれました。図書館はやはり地域社会と青少年たちの未来を明るくする灯台であるという事実です(この情報格差を減らすという意義は、2002年7月に訪問した千葉県浦安市立図書館の館長の「図書館は民主主義を守るものであり、自分が必要な時に情報を得ることができることが民主主義である」という言葉にも表されています)。
そのような雰囲気と、富川地域の現況を調査した結果を土台として、小さな図書館の設置類型と規模、運営方策、地域選定方法等を論議し、小さな図書館の運営形態は公立文庫とし、施設の誘致は公共施設として福祉センター[人口8万人に1か所設置]や住民自治センター[人口2万人に1か所設置]を中心とし、最小限の運営予算として司書職の配置と運営費の策定、運営坪数を最少30坪前後とするなどの基準を準備しました。これを根拠として市立図書館と共同で協議し、2002年度予算で小さな図書館(公立文庫)6か所を選定・支援することとし、これを運営する機関として、調査結果を土台に旧都市地域と疎外地域を優先的に選定することになりました。
そして2003年度現在、8か所が運営されています。「町ごとに一つづつ小さな図書館を作ろう」という基本目標を持って年度ごとに拡大していくためには、初期事業を行なう図書館の役割が非常に重要だと考えています。これは今後の小さな図書館の運営モデルになりうるためです。またこうした小さな図書館は民間委託で運営されています。これは市直営で運営するにはマンパワーの配置が難しいこともありますが、民間の自律性と資源の発掘、そして地域社会のコミュニティ形成に民間団体の役割が必要であるからです。
小さな図書館は、前述した情報の民主化とあわせ地域共同体の形成にも重要な役割を果たすだろうと期待されています。そのため小さな図書館は、子どもを中心とした家族図書館として運営されています。図書館の名前もまた「桃の花咲く頃(ポクサコッピルムリョ)」「アルム・ドゥリ図書館」「トランドラン図書館」[いずれもマンガ等のキャラクター]「若大(ヤクテ)楽しい(シンナヌン)家族図書館」「新芽(セッサッ)子ども(オリニ)図書館」「幸せな図書館」「夢の木(クンナム)家族図書館」「日の光(ヘッサリ)いっぱい(カドゥッカン)図書館」など、町で一番行きたい場所や親しみのある図書館にしたいという希望を込めて名づけられました。
現在、緑の富川21では、小さな図書館の共同企画プログラムも進められ、小さな図書館の運営者たちとのワークショップ、司書のための教育プログラムと会合を通じて、小さな図書館が順調に運営されるよう努力を傾けています。
しばらく前からMBC(文化放送)が「びっくりマーク(ヌッキムピョ)」という番組で「本を読みましょう」というキャンペーンとあわせて子ども図書館を造るためのプロジェクトを実施し、非常に良い反響を起こしています。そんな中、富川文化財団で運営する「童話汽車子ども図書館」の事例が取り上げられ、富川市長が番組に出演したりもしながら、この小さな図書館運動はさらに活力を得ています。
これは去る4月、富川地域の図書館関係者の懇談会を開催し、富川市の5大文化事業に「図書館の多い富川」を追加し6大文化事業として拡大・発展させたいという富川市長の約束へとつながりました[富川市の「5大文化事業」は、「富川市立フィルハーモニーオーケストラ」「ポクサコル芸術祭」「富川ファンタスティック映画祭」「富川国際大学アニメーションフェスティバル」「富川マンガ博物館」を指す]。
5 川崎市と富川市の市民社会交流を
現在韓国の多くの地方自治体では、ローカルアジェンダを作っておいて、これを一つのイベントとして終えてしまう例が多く見られます。地方自治体が、市民参加を通じて作ったビジョンを真摯に政策に反映させていないためです。しかし小さな図書館づくり運動に見られるように、民・官の積極的な協力は地域社会のビジョンを実現する、力のある動力になります。今後も多くの部分で持続可能性と暮らしの質を高めるためのプロセスが必要となるでしょう。制度と構造の改善なども必要ですが、このすべてを可能にするためには、市民たちの民主的な参画と理解と協力、そして努力が必要でしょう。
今後も川崎市と富川市の市民社会領域が、より一層多くの交流を積み重ねることで、地球環境問題と平和のための思考と努力を共有していくことができればと思います。
■川崎・富川・市民交流会(2003年10月23日)関連記録
富川・川崎市民交流会(富川側団体)の紹介
1 名称 富川・川崎市民交流会
2 役員
共同代表(推進委員会委員長)李時載(イ・シジェ、カトリック大学教授)
※緑の富川21実践協議会常任議長、富川市政策諮問委員会委員長を歴任。
共同代表 白銑基(ペク・ソンギ、富川市民聯合共同代表)
※ 2001年6月に川崎訪問。
共同代表 金宗海(キム・ジョンヘ、カトリック大学教授)
※富川市社会福祉協議会会長。1996年4月、2000年5月に川崎訪問。
共同代表 (空席)
事務局長 尹炳國(ユン・ビョングッ、富川市ボランティアセンター所長)
※ 富川YMCA生活協同組合幹事、富川南部老人福祉会館館長などを歴任。
富川市社会福祉協議会事務局長。1992年、2002年12月に川崎訪問。
事務局員 金野泉(キム・ヤチョン、韓国美術協会富川支部事務局長)
※「川崎・富川美術交流展」富川側参加者。「川崎・富川高校生フォーラム・ハナ」
富川側サポーター。2001年6月、2003年10月に川崎訪問。
事務局員 韓建熙(ハン・ゴニ、緑の富川21実践協議会事務局長)
※ 富川YMCA生活協同組合幹事などを歴任。2002年7月、2003年10月に川崎訪問。
事務局員 趙允羚(チョ・ユルリョン、コリウル青少年文化の家部長)
※ 「川崎・富川高校生フォーラム・ハナ」富川側サポーター。
運営委員 金範龍(キム・ボミョン、富川YMCA市民会会長)
※ 富川外国人労働者の家理事。2001年6月、2003年10月に川崎訪問。
運営委員 成秀烈(ソン・スヨル、富川文化財団常任理事)
※ 富川YMCAの役員を歴任。同財団理事長はウォン・ヘヨン富川市長。
運営委員 沈明順(シム・ミョンスン、日本語講師)
※ 「川崎・富川高校生フォーラム・ハナ」富川側サポーター。2001年6月に川崎訪問後、
数回にわたり訪問。
運営委員 ハン・グミ(元中学校歴史教員)
運営委員 金貞烈(キム・ジョンヨル、富川市職員)
※ 1999年第2代川崎市交換派遣職員。
3 事務局 民官協力機構「緑の富川21実践協議会」事務室に置く。
住所 大韓民国京畿道富川市遠美区中1洞1156番地 富川市庁10階
電話 032−325−2118 FAX 032−325−2186
共同代表 洪寅錫(ホン・インソク、前富川市議会議員)
※市長選で選対委員長、大統領選でノ・ムヒョン選対執行委員長を歴任。 2001年6月に川崎訪問。
4 経過 2002年10月 富川側の協議開始
2003年6月 「富川・川崎市民交流会推進委員会」(準備組織)発足
2003年8月 川崎市からの「在日1世訪問団」に対して歓迎会を主催。
「在日1世写真展」オープニングに交流会関係団体参加。
2003年10月 「緑の富川21実践協議会」川崎訪問に交流会役員同行。
「川崎・富川市民交流会」との調印式に参加。
5 参加団体(2003年8月の川崎訪問団歓迎会に参加した団体)
(1) 緑の富川21実践協議会(ハン・ゴニ事務局長)※2003年10月来川予定
(2) 富川市社会福祉協議会(キム・ジョンヘ会長)
(3) 富川市民聯合(ペク・ソンギ議長)※2003年11月川崎から訪問予定
(4) 富川川崎高校生フォーラム・ハナ(ハム・へソン)※2003年12月来川予定
(5) 韓国美術協会富川支部(カン・ソング支部長)※2004年来川予定
(6) 富川YMCA市民会(キム・ボミョン会長)※2003年10月来川予定
(7) 富川経済正義実践市民聯合(キム・ドンソン執行委員長)
(8) 富川市平生学習センター(ホン・スッキ主事)
川崎・富川市民交流会設立総会・案内文
川崎・富川市民交流会 設立総会の開催について
秋涼の侯、ますます御清栄のこととお喜び申し上げます。
友好都市・大韓民国富川(プチョン)市との地域間交流の推進につきましては、日ごろから御協力をいただき厚くお礼申し上げます。
さて、一九九一年に在日コリアンの多住地域である桜本と富川の商店街交流から始まった両市間の市民交流は、一九九六年の友好都市協定締結を経て、歴史教科書問題を巡る連帯活動や、朝鮮籍を含む在日・日本・韓国の高校生交流、「子どもの権利条例」を共通課題とした交流など着実に広がってきました。本年夏、富川市での写真展「川崎の在日コリアンの生と哀歓」開催と在日一世の訪問を契機に、両市で連絡調整、情報の共有、財政的支援を担う市民交流会を設立することで合意しました。そしてこのたび富川市から「富川・川崎市民交流会」の李時載共同代表をはじめとする十七名の訪問団を迎え、「川崎・富川市民交流会」設立総会及び調印式、歓迎祝賀会を開催することになりました。
つきましては、公私共に御多忙のところ誠に恐縮ですが、御出席いただければ光栄に存じます。
日 時 二〇〇三年十月二三日(木)午後六時三十分開会
七時 調印式 七時三十分 歓迎祝賀会
会 場 いさご会館 二階 芙蓉の間(和室)
川崎市川崎区宮本町三ノ三 (二一一)〇〇二〇
参加費 三千円
入会受付 年会費二千円
呼びかけ人
飯塚 正良(川崎市議会議員)
李 仁夏(青丘社理事長)
賛 同 人
青柳 尚子(INTEX.V.NET事務局長)
池田 正雄(田島商店街連合会副会長)
石坂 浩一(立教大学講師)
板橋 洋一(川崎市職員)
伊藤 長和(川崎市生涯学習振興事業団事務局長)
今井久美雄(いまいクリニック院長)
岩渕 允嗣(INTEX.V.NET会長)
遠藤 恭正(川崎商工会議所副会頭)
小田切督剛(川崎市職員)
風巻 浩(川崎・富川高校生フォーラム・ハナ)
金 熙淑(高麗博物館理事)
木村 健(川崎地方自治研究センター事務局長)
久保 孝雄(川崎市産業振興財団顧問)
佐藤 忠(川崎市議会副議長)
田 平萬(コリアタウン実現を目指す川崎焼肉料飲業者の会理事長)
朴 欣淳(川崎ホテルパーク社長)
広岡 真生(川崎市職員)
藤嶋とみ子(日舞扇之会)
「 重度(川崎市ふれあい館館長)
森山 定雄(川崎地方自治研究センター理事長)
矢追 三恵(川崎・富川美術交流会代表)
山川 靖夫(川崎・富川美術交流会事務局長)
山田 貴夫(川崎市職員)
吉田 正和(川崎市教職員組合委員長)
和田 秀樹(川崎地域連合議長)
(五十音順、敬称略)
事務局 川崎地方自治研究センター 川崎市川崎区砂子一ノ七ノ五 タカシゲビル六階
電話(244)7610
市民交流会・相互協力協定書
「川崎・富川市民交流会」と「富川・川崎市民交流会」との相互協力協定書
「川崎・富川市民交流会」と「富川・川崎市民交流会」は1990年代当初から始まった両市の市民交流を基礎に、相互理解と友好を増進するため1996年10月に締結された「友好都市協定書」の精神を、市民が主体的に担うことを目的として、両市に「市民交流会」を設立し協力しあうことに合意する。
両市の市民は過去のすべての歴史を直視し、克服と和解の重要性を認識し、これを土台として共に交流を進め、相互の信頼を築き上げてきた。今後も未来に向かって互いに学びつつ、市民文化、芸術、スポーツ、自治体政策、経済等を通じて互いに協力・協働する。
そして、こうした両市の市民活動の蓄積は、地域や国境を越えて広く東北アジアの平和と繁栄、民主主義と基本的人権の確立に貢献することを確信する。
2003年10月23日
川崎・富川市民交流会
富川・川崎市民交流会
■富川市平生学習条例
−2003年4月10日 条例第1928号−(小田切督剛・訳)
*文中( )は訳者注
第1章 総則
(目的)
第1条 この条例は、富川市(以下「市」という)の平生学習振興を図り、平生学習都市づくり事業を円滑に推進するために、富川市平生学習協議会の構成及び運営に関する事項と、富川市平生学習センターの設置及び運営に関する事項を規定することを目的とする。
(基本原則)
第2条 市長は、平生学習を通じて市民の生活の質(1)と都市全体の経済力を向上させ、学びと分かち合いが実践される平生学習都市の建設に努力する。
2 市長は、市民であればだれでもいつでもどこでも必要なことを学べるよう、平生学習に必要な計画を樹立し、関連施策を追求(2)する。
3 市長は、市の平生学習に関する政策開発と調査・研究計画を樹立・推進する。
第2章 富川市平生学習協議会
(平生学習協議会の設置)
第3条 平生教育法第10条の規定に基づく任務を円滑に遂行するため、市長所属下に富川市平生学習協議会(以下「協議会」という)を置く。
(機能)
第4条 協議会は、次の各号の事項を協議・調整し、市長の諮問に応じる。
(1)平生学習に関する基本計画の樹立
(2)その他平生学習施策に対して市長が付議した事項
(構成)
第5条
協議会は、委員長1人(3)と副委員長1人を含めた15人以内の委員で構成する。
2 委員長は市長が務め、副委員長は協議会で互選する。
3 委員は、教育長、大学総(学)長、行政福祉委員会委員長、商工会議所会長、労働事務所所長、平生教育関連団体長等各界各層で、平生教育に学識と経験の豊富な者のうちから市長が委嘱する。
4 市長が委嘱した委員の任期は2年とし、再任(4)されることができる。ただし、補欠の委員の任期は、前任者の残任期間とする。
(委員長等の任務)
第6条 委員長は、協議会を代表し、会務を総括する。
2 副委員長は、委員長を補佐し、委員長に事故があるときは、その職務を代行する。
(会議等)
第7条 協議会の定期会議は年2回開催し、臨時会議は委員長が必要と認めるとき開催することができる。
2 協議会の会議は、委員長を含む在籍委員の過半数の賛成をもって決する(5)。
3 協議会の出席委員には、予算の範囲内で手当等を支給することができる。
第3章 富川市平生学習センター
(平生学習センターの設置)
第8条 平生教育法第4条の規定に基づき市民に平生学習の機会を拡大・提供し、民主市民意識の向上のため、富川市平生学習センター(以下「平生学習センター」という)を設置・運営する。
2 市長は、平生学習センター運営のため必要な行政的・財政的支援を行なわなければならない。
(事務所の設置)
第9条 平生学習センターの事務所は、富川市遠美区上1洞394番地2に置く。
(機能)
第10条 平生学習センターは、次の各号の事業を行なう。
(1)平生学習プログラムの開発及び運営
(2)疎外階層に対する平生学習の振興
(3)市民と平生学習団体及び平生学習施設の相互連携体系の構築
(4)講師管理専門銀行制の運営
(5)地域人的資源の開発と民主市民意識教育課程の開発及び運営
(6)自律的な学習サークルの運営
(7)その他平生学習のため市長が必要と認める事業
(運営)
第11条 市長は、平生学習センターの効率的な運営のため、必要な時は富川市事務民間委託促進及び管理条例により、民間委託することができる。
(組織員の構成等)
第12条 平生学習センターには、所長、職員を含め5人以内を置く。
2 所長は、平生学習センターを代表し、所属職員を指揮・監督する。
(資格基準)
第13条 平生学習センター所長及び職員の資格基準は、次のとおりとする。
(1)所長は、教育学または平生教育分野修士以上の資格のある者。
(2)職員は、教育学または平生教育分野4年制大学を卒業した者、又は平生教育分野3年以上の経歴のある者。
(運営委員会の構成)
第14条 平生学習センターの運営に関する事項を審議するため、富川市平生学習センター運営委員会(以下「運営委員会」という)を置く。
2 運営委員会は、委員長1人と副委員長1人を含む15人以内の委員で構成する。
3 委員長は、平生学習センター所長が務め、副委員長は運営委員会で互選する。
4 委員は、当て職(6)による委員と委嘱による委員で構成し、当て職による委員は市議会議員1人、教育業務担当課長、情報管理業務担当課長、女性及び社会福祉業務担当課長、図書館業務担当課長、教育庁平生学習業務担当課長が務め、委嘱による委員は平生学習に関する見識と専門性が豊富な者及び平生教育関連機関長等のうちから、市長が委嘱する。
(運営委員会の機能)
第15条 運営委員会は、次の各号の事項を審議する。
(1)平生学習センター基本計画の樹立及び運営に関する事項
(2)平生学習機関とのプログラム開発及び連携体系の構築に関する事項
(3)平生学習機関との情報交流と業務調整が必要な事項
(会議等)
第16条 運営委員会は、上下半期に各1回開催し、臨時会議は委員長が必要と認めるとき開催することができる。
2 協議会の会議は、委員長を含めた在籍委員の過半数の出席で成立(7)し、出席委員の過半数の賛成をもって決する。
3 運営委員会の出席委員には、予算の範囲内で手当等を支給することができる。
(任期)
第17条 運営委員会委員のうち、当て職の委員はその職位の在籍期間とし、公務員でない委員長及び委員の任期は2年とし、再任されることができる。ただし、補欠の委員の任期は、前任者の残任期間とする。
(委員長等の任務)
第18条 委員長等の職務は、第6条の規定を準用する。
(監督)
第19条 市長は、平生学習センターの運営に関して関係公務員をして監査又は調査をすることができる。この場合、所長は監査又は調査に応じなければならない。
2 市長は、第1項の規定による監査又は検査の結果、是正しなければならない事項がある場合には、所長に是正を要求することができ、所長はこれを履行しなければならない。
(施行規則)
第20条 この条例の施行に関し必要な事項は、規則で定める。
附 則この条例は、公布された日から施行する。
富川市平生学習協議会(8)
区 分
|
所 属
|
職 位
|
氏 名
|
委員長
|
富川市庁
|
市 長
|
ウォン・ヘヨン(元惠榮) |
副委員長
|
富川教育庁
|
教育長
|
チェ・ウニョン
|
委 員
|
富川市議会
|
行政福祉委員会委員長
|
ハン・ビョンファン
|
カトリック大学校
|
総 長
|
オ・チャンソン
|
ソウル神学大学校
|
総 長
|
チェ・ジョンジン
|
富川大学
|
学 長
|
ハン・バンギョ
|
ユハン大学
|
学 長
|
ミョン・ジョンス
|
富川商工会議所
|
会 長
|
チャン・サンビン
|
富川地方労働事務所
|
所 長
|
ハン・ゴンソク
|
富川地域社会教育協議会
|
会 長
|
ホ・ジジャ
|
富川市社会福祉協議会
|
会 長
|
キム・ジョンヘ(金宗海)
|
女性団体協議会
|
会 長
|
チェ・オップン
|
中学校校長協議会
|
会 長
|
ペク・スンオ
|
高等学校校長協議会
|
会 長
|
キム・ヒジャ
|
富川市民聯合
|
共同代表
|
ペク・ソンギ(白銑基) |
富川市平生学習センター運営委員会(9)
区 分
|
所 属
|
職 位
|
氏 名
|
委員長
|
平生学習センター
|
所 長
|
|
副委員長
|
富川教育庁
|
平生教育体育課長
|
パク・ヒョンチュン
|
委 員
|
富川市庁
|
総務課長
|
イ・サンフン
|
情報管理課長
|
ソン・ジェヨン
|
社会福祉課長
|
ソン・グヮンシク
|
女性福祉課長
|
キム・ジョンスク(金貞叔)
|
市立図書館長
|
カン・ドンミョン(姜徳勉)
|
富川市議会
|
行政福祉委員会幹事
|
パク・チョングク
|
初・中・高協議会
|
シムォン高校教師
|
ユン・ソンチェ
|
カトリック大学校
|
教職課程教授
|
キム・ギョンイ
|
富川大学
|
社会教育担当
|
パン・ジェリョン
|
ユハン大学
|
情報通信課副教授
|
パク・チョングヮン
|
富川商工会議所
|
調査教育部長
|
ヨ・ソングク
|
富川市社会福祉協議会
|
深谷福祉館長
|
ヨム・ボムソク(廉範錫)
|
富川市民聯合
|
事務局長
|
キム・ミョンスク(金明淑)
|
富川地域情報センター
|
事務局長
|
キム・ジングク
|
訳注
(1) 原文は「生活の質の向上」だが、「向上」という文言が後段と重複するため除いた。
(2) 原文は「強求」。
(3) 原文は「名」。以下同じ。
(4) 原文は「連任」。以下同じ。
(5) 原文は「議決」。以下同じ。
(6) 原文は「当然職」。以下同じ。
(7) 原文は「開議」。
(8) 別表は、条例施行後の2003年8月25日に開催された「2003年度住民自治センター平生学習関係人士研修『平生学習都市と住民自治センター』」(主催・富川市庁、主管・富川市平生学習センター)資料pp.99-100。所属の一部及び漢字氏名は訳者が補完した。富川市内にある総合大学2校と単科大学2校がすべて参加している。しかし市民団体は放課後コンブパン(学童保育)の連合会の事務局を担う富川市民聯合のみであり、富川YMCAや富川教育連帯、富川市民センターなどの関係NGOが含まれていない。また、住民自治委員会などの住民代表が含まれていない。
(9)運営委員長は平生学習センター所長が務める旨が条例第14条第3項に規定されているが、「内部的な問題があり、所長はまだいない状態である」(2004年5月6日、平生学習センターのホン・スッキ職員へのインタビュー)。富川市庁からは同センターを所管する総務課を含む5つの課から課長が参加しているが、住民自治センターを所管する住民自治課が含まれていない。
■韓国・聖公会(SungKongHoe)大学校・民主社会教育院
*ソウル特別市九老区航洞1−1 TEL02-2610-4114(大学パンフレット・抄)
聖公会大学校・理念と歴史
1914年に設立された聖公会大学校は、1980年に聖職者を養成する神学校から始まり、1990年以降はその精神的な伝統を受け継ぎながら、より積極的に“社会に仕える社会人”を養成する総合大学へと拡充してきました。1990年代以降の総合大学としての歴史は神学院の精神を大学の精神と昇華させ、それを教育と研究、社会奉仕の領域において具現する新しい代案としての大学を創りあげようとした歴史と言えます。1982年聖ミカエル神学園を天神神学校と改め、1990年には聖公会神学校、1993年には聖公会神学大学、1994年9月には聖公会大学校と改称されてきた過程は単なる名称の変更だけでなく、新しい大学の精神を形成し、それをカリキュラム、授業、学校行政、学生活動などを通して実現するための努力の過程であったと言えます。
聖公会大学校の教育理念は、“開かれ・分かち合い・奉仕”に具体化されました。聖公会大学校は“社会の人間化”のための教育を通じて“開かれ・分かち合い・奉仕”教育理念を実現しながら、21世紀のグローバル社会に必要な批判的な専門的教養人を育てるための努力をしています。
聖公会大学校の特性は専門的な知識と技術を備えた有能な人材を育てることは勿論、このような専門家の養成も人間らしい人間を教える全人教育に基づくべきだという考えをもって、主体的人間、奉仕する人間、共同体的人間の養成に力を入れています。
(略)
学部学科紹介(教養学部、人文系−神学科、英語学科、日語日本学科、中語中国学科、社会系−社会福祉学科、社会科学部・経済学・社会学・政治学、新聞放送学科、流通情報学科、理学系−デジタルコンテンツ学部、工学系−コンピュウター情報学科部)
大学院紹介(一般大学院−社会福祉学、社会学、神学専門害学院−神学専攻、教会(宗教)音楽専攻、市民社会福祉大学院−社会福祉学科、教育大学院−社会教育専攻、コンピューター教育専攻、特殊教育専攻、NGO大学院−市民社会団体学科)
グローカルウインドーセンター(略)
▲緑あふれる大学構内(5月6日午後)写真撤収
民主社会教育院
民主社会教育院は民主社会のための総合教育機関です。
聖公会大学校の基本方針である人権と平和の精神を具現する総合社会教育機関としての役割と民主主義の発展と社会運動の活性化のための総合NGO再教育機関の役割を担当しています。
民主社会教育院の主な事業領域
(1)民主社会のための総合的な社会教育プログラム実施(社会教育センター)
労働大学、教師アカデミー、地域社会の社会教育プログラム
(2)民主社会のためのNGO分野別総合的な社会運動再教育プログラム実施(NGO再教育)
ハンギョレ文化センターと連携したNGO活動家の短期再教育プログラムなど
(3)民主主義と社会運動およびNGOの総合アーカイブ(民主主義資料館)
(4)社会教育およびNGO再教育のためのサイバー総合情報センター(サイバーNGO資料館)
(5)社会教育およびNGO再教育のためのアジア市民社会ネットワークおよびインターアジア市民社会情報センター(アジアNGO情報センター)
(6)聖公会大学校の特殊化分野の“人権と平和”を具現する各種の人権平和教育事業(人権平和センター)
民主社会教育院傘下機関の代表的な事業
(1)社会教育センター、教師アカデミー、労働大学
(2)アジアNGO情報センター
グローバル市民社会リーダーシッププログラム(外国人移住労働者再教育プログラム)
“グローバル時代国家、市民社会、NGO”をテーマにした韓国・ドイツの学術大会
(3)サイバーNGO資料館
6月民主化抗争(光州事件)サイバー資料館開館
サイバーNGO大学開設
(4)民主主義資料館
民主化運動の資料収集のキャンペーン
6月民主化抗争(光州事件)の記念展示会
民主化運動の記念事業開発のためのプロジェクト
民主化運動に命を捧げた人たちのための墓地選定のためのプロジェクト
民主社会教育院・民主社会のための総合教育機関・構成(略)
社会奉仕情報センター(略)
金成洙・学長(総長)のメッセージ
(略)
本学の教育と学問は他のどの大学も実行できなかった新しいチャレンジを試みています。人権と平和の大学、地域福祉と社会奉仕の大学というスローガンのもとに、“NGOおよび市民社会連携プログラム”が世界に向かう本学の代表的なチャレンジです。
国内はもちろん、世界中どこにもNGOに対する体系的なカリキュラムを立てた大学はありません。聖公会大学校のみが国家および政府(第1セクト)と市場および企業(第2セクト)を牽制する市民社会およびNGO(第3セクト)の強化を唱え、体系的な教育としてNGO指導者を養成しようとしているのです。(略)
■光明市・生涯学習院 =委託運営機関:聖公会大学校
韓国・京畿道光明市鉄山3洞419 TEL+82-(0)2-2619-4168(案内パンフ・抄)
▲生涯学習都市(2001)・光明市生涯学習院(2004年5月6日)写真撤収
光明市生涯学習院はいつでも、どこでも、だれもが
分かち合いながら生涯学習都市をつくる
光明市民と共にある学びの場です。
教育が暮らしの運動となるように!
春の花が咲くように、風が吹くように、静かに実が熟するように
変化が忽然と訪ねてくることを
共にある森 木が木に言いました。
私たちは共に森になろうと。
委託運営機関である聖公会大学とは
開かれた、分かち合う、仕える教育という理念をもとに…
一人のリーダーを育てあげるよりは十人の同伴者を養成します。
決して先走りすることなく多くの人を導くことのできる、同伴の力を育みます。
私たちの夢みる未来
教育を通して誰もが疎外されることなく社会的生を学び分かち合うことで、共に生きる
美しい教育共同体を建設
〔基盤期:2002−2003年〕
・生涯学習の生活化のための基盤づくり
・地域ごとの住民自治センター及び生涯学習関連機関との支援体制を構築
・教育プログラムの特性化及び内実化
・疎外階層に対する教育プログラムの体系化基盤構築
〔発展期:2004−2006年〕
・誰もが学びに参加する生涯学習の生活化を展開
・洞単位までの支援拡大を通じて地域社会の生涯学習環境体系を構築
・教育通貨から地域通貨へと、学びに満ちた地域共同体の建設
・市民教育支援センターを通じて各プログラムのコンサルティング支援を強化
・地域社会の生涯教育パートナーシップを構築
・市民大学への成長基盤づくり
〔拡大期:2006年以降〕
・生涯学習の生活化の定着
・いつでも、どこでも、だれもが学習できる生涯学習環境システムの構築
・光明市民大学への転換
・生涯学習パートナーシップの拡大を通じた生涯学習インフラの構築
・生涯学習都市の世界的モデルを創出
より力強い足取りで−2004年の主な事業
〔事業目的〕
・事業単位ごとの支援センター構成による生涯学習パートナーシップの構築
・コンサルティングや支援機能の強化により生涯学習の拠点センターとしての位置づけ確保
・市民大学への成長基盤づくり
〔生涯教育都市建設のための三つの課題〕
・政策の開発研究
・哲学と感動のあるプログラムの開発と運営
・人的・物的・機関間のネットワーク構成
2004年度の五つの重点事業
1,生涯学習をあなたの生活の中へ
−生涯学習の生活化事業
いつでも、どこでも、だれもが学びながら分かち合える日常的な生涯学習文化を創造することで、生涯学習の概念を広げ学びの意欲を高め、生活の中での生涯教育を実現させます。
・生涯学習サークルを支援します
・特性化された学習ボランテイア養成事業
・生涯学習総合情報システムの運営
・生涯学習の次世代リーダーシップ開発プログラム
2、哲学と感動のある教育プログラムを提供します
哲学と感動のある市民教育プログラムを通して、個人の暮らしの質を高め、人と人、人と自然が共に生きる代案的文化をリードする、健やかな市民を育てるために努力します。また良質のプログラムを開発し、地域社会の各教育機関(団体、生涯教育機関など)に普及することで、市民の生活をワンステップ高めます。
・光明市民大学と対象別民主市民学校を運営
・地域教育プログラムの体系化
・文化・芸術を通した市民教育事業
3,疎外階層への教育プログラム体系化のための事業
経済的、身体的理由によって差別されることなく、隣人や自然と共に分かち合いながら生きる暮らしを育む、健やかな教育共同体をめざします。
・訪ねていく生涯教育プログラム
・代案的識字教育の活性化
・疎外階層のための海外教育プログラムの開発
4,生涯教育をより身近なところで
−地域別生涯学習活性化のための環境づくり事業−
市民がより身近なところで生涯学習に参加できるようにし、住民自治センター、生涯学習関連機関など地域の生涯教育機関を支援し、より良いプログラムと哲学や内容を備えた生涯学習専門講師を養成・連携させることで、地域社会の生涯教育基盤を拡大し、生涯教育を活性化させます。
・光明市生涯学習都市建設5ヶ年計画の修正及び補完事業
・地域通貨の活性化事業
・住民自治センターでの生涯教育活性化のための教育事業
・生涯学習講師バンクの運営
5,国内外のネットワーク活性化事業
・民主市民教育ネットワークのための市民討論会
・生涯学習まつり
・生涯学習専門季刊誌「学び、分かち合い」発刊
・生涯学習諮問委員会及び生涯学習パートナーシップの活性化
生涯学習情報室を運営します(略)
明日を開く子ども図書室「あまがえる」(略)
▲子ども図書室の風景(2004年5月6日)写真撤収
■2004年5月韓国訪問記録
(5月5日〜8日、富川・光明・安養) <「南の風」より>
(1)韓国への旅、新しい出会い 小林文人
★<韓国から帰って>
5月8日午後、韓国から帰ってきました。今回は珍しくパソコンを持参しませんでしたので、風としては4日ほどのご無沙汰。おそらく毎日の交流・飲み会に忙しく、風を吹く余裕などないだろうとの予測からでしたが、見事的中! さきほど帰宅して早速パソコンを開き、本号を作っているところです。
今回の韓国への旅、主な用事は韓国本の編集会議(7日夜)。それに先だって5日到着直後から7日午後まで、冨川(プチョン)、光明(カンミョン)両市の「平生(生涯)学習」関係者訪問、大学・施設見学、夜の交流の集いが相次ぎ、実に充実したスケジュールとなりました。あらためて川崎市と冨川市との間で重ねられてきた自治体間交流、市民団体相互の友誼と連帯の厚みを実感した次第。中国・台湾を含めてこのような市民レベルの熱い友情はあまり例がない!と思いました。
停滞している日本の社会教育にとって、いま躍動的に動いている韓国の市民運動、その活気からうける刺激は少なくありません。この3日間の旅の記録を「南の風」に少しでも紹介したいと、同行の川崎市・伊藤長和さん、同じく小田切督剛さんにお願いしておきました。お楽しみに。そのうち画像もホームページに掲げます。
韓国本の編集会議は、中国から帰国中の黄宗建先生はじめ、金済泰さん、アメリカ帰りの魯在化さんなど旧知の方々が集まり、新しい「平生教育研究所」(安養市)で開かれました。論議の時間が少なくやや残念でしたが、ハングルと日本語が飛び交うこのような会が(ようやく!)実現できたことがまず何よりの喜び。編集作業は遅々たる歩み。海を越えての論議を重ねて、なんとかいい本に結実させたいもの。
(南の風1262号 2004年5月8日)
★<懐かしい出会い>
久しぶりの韓国、懐かし方々との再会があり、また新しい出会いがありました。旅はよきもの。体はたしかに疲れますが、しかし心は洗われ、新しい刺激によみがえるものがあります。精神的に疲れているときはいい旅をすること、元気になること請け合い。今回の韓国の旅でもその思いを新たにしました。まずは新しい刺激と懐かしい出会いの話を一つ。
初めて訪問した富川市の印象も鮮烈でしたが、隣りの光明市もまた刺激的な町でした。新しい「平生学習院」(生涯学習館)の誕生は2002年、これまでの韓国の旅では出会わなかった風景がありました。平生学習院については昨年、川崎の伊藤さんから日本語による洒落た概要パンフを頂きましたが、新版もまたいい出来映え。日本の公民館パンフにはない彩りと意欲を感じます。
ここの運営を委託されているのは聖公会大学校(神学院から発展した総合大学)。平生学習院で話を聞いたあと大学を訪問しました。ここで「民主社会教育院」(別に報告予定)に出会うことになりました。「人権と平和・・・民主主義の発展と社会運動の活性化のための総合的社会教育機関」という説明でした。深く感銘を受けました。
“私が勤務していた日本の和光大学も自由で民主的な大学ですが、比較にならないほどの積極的な創学の思想だ”などと感想をもらしたところ、“いま和光大学から在外研究で滞在中の先生がいますよ”とのこと。驚いたことに同僚だった岩間暁子さん(和光大学助教授、社会学)でした。まったく偶然の懐かしい出会い。
総長室を表敬訪問、そのあと車を走らせて豪勢な夕食をご馳走になりました。もちろん岩間さんもご一緒に。金成洙総長は日本語が堪能な神学者、ホームページに記念写真を1葉掲げています。(南の風1263号 2004年5月10日)
★<韓国全国紙サイト・日本語バージョン>
今回の韓国行きにあたっては、伊藤長和さんだけでなく、とくに小田切督剛さんの若いエネルギーに感嘆しました。小田切さんは1999年に川崎市から韓国・富川市への(第2期)派遣職員として1年間の滞在。この時期の調査報告「富川市の社会教育施設・関連施設」について、私たちの「東アジア社会教育研究」第4号にも転載させていただいた経過があります(1999年)。それからちょうど5年経って、いま富川市でどのような進展がみられるのか、その対比を知る上でも貴重なレポートとなっています。
小田切さんから今朝、かねてお願いしていた「日本語で読める韓国全国紙のサイト」をお知らせ頂きました。
・朝鮮日報 http://japanese.chosun.com/
・東亜日報 http://japanese.donga.com/
そして次のようなコメントも。「朝鮮日報は韓国内で発行部数最大で、東亜日報は2位です。ただし、この2紙は“朝・中・東(チョ・ジュン・ドン)”といわれる保守系全国紙3紙のうちの2紙です。単に論調が保守的なだけではなく、事実の歪曲や捏造記事(民主化闘争で有名なソウル大学のチェ・ジャンヨプ教授を“共産主義者”として攻撃した事件など)があること、また日帝時代後期に総督府に協力的だった歴史を隠そうとしていること、などから市民団体が<アンチ朝鮮>というネットワークを作り不買運動などを展開しました」など。
また、代表的な進歩系新聞であるハンギョレ新聞のサイトもできたそうです。
→ http://j2k.naver.com/j2k_loading.php/japan/www.hani.co.kr/
早速、開いてみました。韓国の新聞についてこんな日本語サイトがあったのかとびっくりしました。これまでは毎日の沖縄主要新聞サイトを開くならわし、これからは韓国の新聞を読む時間が増えそうです。
(南の風1264号 12月11日)
★<韓国、あれから四半世紀>
忘れもしません、はじめて韓国を訪問したのは1980年2月。社会教育法の草案づくりの過程で、日本の社会教育法について詳しい話を聞きたいという韓国社会教育協会(黄宗建氏)からの依頼によるものでした。ただ一人で金浦空港におりたった日、屈辱的なほどの厳しいボデイチェック。持参した社会教育法制資料や出来たばかりの『社会教育ハンドブック』(初版、エイデル研究所)など洗いざらい調べられました。韓国社会教育協会の招聘状を見せて、なんとかパスしたものの、このときの不快感はいつまでも脳裏に消えません。
そういえば、当時の韓国は午前零時以降は外出禁止、道を歩いていて突然の防空演習サイレンが響くとすべて待避を強いられる、空港行きのバスも道路横にしばし停止させられる、そんな時代でした。今回、同じ金浦空港におりて、入国審査ののどかさ、人々の華やぎと笑い、明るく広々とした空港ビル、などなんとも印象的。
韓国社会教育法は1982年に成立しました。それから10年たった1992年、内田純一などと「社会教育法10年の定着過程」をテーマに訪韓、しかし(調査の密度は薄く)その痕跡も見出しえず。案内役の金平淑の故郷・南海(なむへ)島に渡って、はるか南の九州を想い、たらふく魚をご馳走になりました。博多に育ち玄海灘の魚を食べてきたものとして、同じ「海の幸」を分かち合っていることに言いしれぬ感慨をおぼえたものです。
それからさらに10年余。いま韓国「平生教育法」(1999年)は富川や光明などの先進的自治体において、市民運動や大学と響きあいながら、くっきりとした実像を見せ始めているという印象です。(南の風1265号 5月13日)
★<ホームページに「川崎と韓国・富川(プチョン)」>
この欄で、韓国訪問の感想等を日誌風にいくつか書きましたので、ホームページにも転載しようと思い立ちました。川崎の伊藤さんや小田切さんからもきっと記録が送られてくる、それを合わせるとHPに韓国のページを一つ加へることが出来る、と考えたわけです。
実はかねがね九州の金子満さんが TOAFAEC・HPに韓国情報を盛り込みたいと提案してくれた経過があります。大歓迎!と喜びました。現在の韓国記事は、教育基本法と平生教育法のみ、この不十分さを補える、ひそかに期待しているのですが・・・、彼も忙しい。
ふりかえってみると、私たちの研究会では、何度か韓国の動きをテーマに伊藤さんや小田切さんに報告していただきました。レジメや資料、新しい富川の動きなど貴重な情報もあるのに・・・そのままになっている。また「東アジア社会教育研究」に掲載した論文等もあります。この機会にホームページに収録しておこう・・・と思いはふくらんで、昨日はHPづくりの作業を楽しみました。
タイトルは当然「川崎と富川(プチョン)」、川崎の方々もきっと了解してくださるだろうと勝手に考えています。小田切さんからは昨年の両市交流会記録も送っていただきました。追っかけて、なにかいい画像がありませんか、と厚かましいお願いも。
まだ工事中、しかし一夜にしてTOAFAEC・HPに韓国関連の新しいページが加わりましたので、ご覧の上お気づきのことなどご教示下さい。
朴三植さん(学大院→早稲田大院)がイギリスから帰ってきて、次回21日研究会に顔を出してくれるそうです。希望が寄せられ、数日前から「南の風」も送り始めました。彼のドクター論文とも関連して、そのうちに韓国ページづくりに力になってくれる?(南の風1266号、5月15日)
★<私たちは共に森になろう・光明市生涯学習院>
韓国はソウルと仁川のちょうど中間、富川市に隣りあう光明(くゎんみょん)市、人口35万の近郊都市、ここに「生涯学習院」が誕生したのは2002年のこと、聖公会大学に委託して運営されています。
韓国の「平生(生涯)教育法」成立が1999年夏、同「施行令」公布は2000年春(従来の社会教育法は廃止)。光明市ではそのような国の動きを背景として1999年に生涯学習都市宣言、新しい世紀に入って、これまでにない「生涯学習」の潮流が始まっている!
日本の公民館と近似した施設が「生涯学習院」としていま姿を現していますが、光明市を通して見る限り、日本とは違った構図が動いているようです。一つは、上記の聖公会大学に運営を委託していること、一つは、いま地域で大きく躍動している市民団体・運動と結びあっていること、そして何よりも創成期のみずみずしい精神。
本号冒頭に紹介した光明市生涯学習院のパンフレットからも、その雰囲気が伝わってきます。私たちは共に森になろう、一人のリーダーより十人の同伴者を、誰もが疎外されることのない共に生きる教育共同体をなど、詩的な呼びかけが印象的。住民自治センターや市民教育支援センターへのまなざし、疎外階層に対する教育プログラム、教育通貨・地域通貨との連動、学びの地域共同体へ、といった取り組みの視点。いま何かが実像的に動き始めているように思います。
運営を受託している聖公会大学についても、国家や企業のためだけではなく、それを牽制する市民社会の新しい創造に向けて大学の役割を積極的に位置づけていきたいという学長のメッセージが胸に響きました。人権と平和、民主主義の発展と社会運動の活性化のための総合的教育機関として構想された「民主社会教育院」。これから、どんな展開になるのか、注目に価いします。
*下記ページに資料掲載
(南の風1268号、5月19日)
■小田切 督剛:都市間交流と自治体国際交流事業
−川崎市と韓国・富川市の都市間交流−
(2004・法政大学大学院・政策研究特別セミナーレポート)
私の研究テーマは、神奈川県川崎市と国際友好都市である大韓民国・富川(プチョン)市の都市間交流である。中でも、両市の市民社会間の交流がどのように進展し、それぞれの市民社会にどのような影響を与えていくのか、という点に関心を持ってきた。
このレポートでは、政策研究特別セミナーで直接取り上げられたテーマではないが、都市間交流と自治体の国際交流事業をめぐる課題、特に政策評価について考察し、川崎市と富川市の都市間交流の現状を検討する。
都市間交流のアクターには企業、自治体連合などさまざまな主体があるが、本稿では自治体とNGOにポイントを置く。交流主体別に「自治体交流」「市民交流」と表記する。後者は本来「NGO交流」と表記すべきであるが、NGOを中心としながらも幅広く個人が参加していることを念頭に置き「市民交流」と表記する。「都市間交流」は、姉妹都市・友好都市交流(以下「姉妹提携」)を含む概念であり、「国際交流」は「都市間交流」を含む概念である。また、本稿では自治体の事業としての「国際交流」を強調する場合は「国際交流事業」と表記する。
1 日本の都市間交流
2 国際交流とグローバリゼーション
3 川崎市と韓国・富川市の都市間交流
4 結語
1 日本の都市間交流
(1)経過
日本の都市間交流は自治体主導の姉妹提携に始まる。1955年の長崎市とアメリカ・セントポール市の締結に始まり、2004年1月31日現在で都道府県117件、市区895件、町村484件の計1,496件の姉妹提携が行われている(1)。自治体が国際交流に取り組んだ背景には、戦争への反省から、国レベルだけでなく市民レベルで海外と友好親善を深めていくことが必要だとの認識があった(2)。これは1960年代の終わりまでに行われた144件の姉妹提携のうち約60%が太平洋戦争の対戦国であるアメリカの自治体であったことにも表れている。しかし多くの自治体では、海外に姉妹都市を持つことが目的化してしまい、必ずしも明確な目的や理念を持たずに交流を始めていった。
1970年代に入り、都市間交流を含む国際交流全体を自治体主導から市民主導へと転換しようという動きが顕在化した。1975年、神奈川県知事に就任した長洲一二は就任後初の県議会における所信表明で「民際外交(People
to People Diplomacy)」を提唱した(3)。これは「民衆同士が心を通わすつながりをつくり出すことが外交の基礎」という考えに基づくものであった。坂本義和は「地方自治体も国際化の主体ではない。(中略)自治体といえどもやはり政府であって、市民そのものではない。(中略)主役は市民であって、自治体は脇役である」とした(4)。長洲は自治体を「『民際外交』の担い手である市民の事務局」と位置づけた(5)。しかし当時は市民が自律的に国際交流の主体となる経済的・社会的条件が整っていない状況であり、結局「事務局」である自治体主導で国際交流が進んだ。鈴木祐司は1983年に「国際交流の主体が国家から地方自治体へ、そして、さらに個人へと広がっている(中略)。『地方化』が国際交流の『国際化』を促している」と指摘した(6)。
その後、自治体の国際活動は国際交流以外の分野へも拡大し、それに伴い自治体の国際政策として徐々に体系化されてきた(7)。多賀秀敏は自治体の国際政策を大きく「対外的活動」と「対内的活動」とに分け、前者を「国際交流」「国際協力」「国際連携」の3分野とし、後者を「内なる国際化」とする(8)。これに「開発教育」を加えた5分野とする見解もある(9)。川崎市の場合、市民局国際室で国際政策を所管していたものの、対内的活動(内なる国際化=外国人市民施策)の拡大に伴い、1997年度から対外的活動は総務局国際交流課(現在は交流推進課)が、対内的活動は市民局人権・共生推進担当(現在は人権・男女共同参画室)がそれぞれ所管して現在に至っている。
多賀はまた中央政府との関係に着目し、「補完的外交」と「対抗的外交」とに分けた上で、後者の例として、国際交流では鳥取県境港市と朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮」)元山(ウォンサン)市の姉妹提携(1992年)を、国際協力では全国の自治体で取り組まれた朝鮮に対する食料支援(川崎市では1998年)を、内なる国際化では川崎市の公務員試験の国籍条項の撤廃(1996年)をそれぞれ挙げている(10)。
中央政府・自治省は、自治体レベルの基盤整備に向け1987年「地方公共団体における国際交流の在り方に関する指針」通達、1988年「財団法人自治体国際化協会」設立、1989年「地域国際交流推進大綱の策定に関する指針」通達、1995年「自治体国際協力推進大綱の策定に関する指針」通達と1980年代後半から積極的な動きを見せた。これにより1990年代に各都道府県・政令指定都市で「地域国際交流推進大綱」が策定され、都道府県・市町村に国際交流を担う中核組織として「地域国際化協会」(国際交流協会)が設立された(11)。川崎市の場合、国際交流協会設立の条件として「大綱で協会が位置付けられていること」があったことから大綱を拙速に策定したため、十分な内容や実効性を持たせることができなかった(12)。
しかしこの頃からバブル崩壊の影響が顕在化し、自治体も財政危機から国際交流事業の見直し・縮小を迫られることとなった。江橋崇は「(自治体の)国際交流に関する予算は1995年がピークで以後下がり続けている」とする(13)。川崎市の場合、国際交流事業の担当職員が2001年頃から「自治体は行政交流を行い、市民交流は市民が自主的に行う」という論理を持って市民交流に対する行政支援を縮小しようと努めるようになった。「なぜ自治体が国際交流事業を行うのか」があらためて問われている。
(2)国際交流事業と政策評価
近年、自治体をめぐる動きとして、政策評価が注目されている。行政の透明性の確保、説明責任(アカウンタビリティ)の担保といった動きに自治体の財政危機もあいまって、政策評価に取り組む自治体が増大している。武藤博己は自治体政策を「市民社会における公共的問題を解決すること」と定義できるとし、政策評価は「政策の価値を判断すること」であり、政策の価値は「政策が当初の問題を解決すること」であり、価値ある政策とは「当初の問題を解決することのできる政策である」とする。ここから政策評価のポイントは@当初の問題は何であったのか、Aどのように解決しようとしたのか、B実施後の結果はどうであったのか、という3点にあるとする(14)。
自治体の国際交流事業さらに国際政策全般に対する政策評価も課題となっている。シューマンによれば、国際政策の先進地である欧米でも本格的な評価は行なわれておらず、シューマン自身も「量が質を表すわけではありません。アメリカでは数字の上では700以上の南北姉妹提携関係が存在していますが、その多くは、おそらく現在は機能していません」と語るに止めている(15)。日本では1982年に中村研一が「交流が長期的に続いているか」「住民に関心の喚起があったか」「意外な波及効果があったか」すなわち長期性・喚起能力・波及効果の3つを評価基準として提示したが、交流の目的や手法を問うものではなく、政策評価としては厳密ではなかった(16)。
武藤博己は国際政策を男女共同参画、バリアフリーのまちづくりなどと並んで「横割り的業務」と呼び、「1980年代以降に現れてきた現代的な課題であり、従来の縦割り組織の中に位置づけることが困難」であり、政策評価の基礎となる政策体系に位置づけにくいとしている(17)。既に政策評価を実施している自治体の例を見ると、「必要性(目的・手段・関与)」「効率性」「有効性」をAからCの三段階で評価する長崎県の場合、「日韓誠信交流事業」について必要性と有効性は特に論拠を示さないままA評価とし、効率性のみ「測定が困難」としてB評価としている(18)。また、「必要性」「妥当性」「効率性」「公平性」を四段階で評価する富山県の場合、「北東アジア地域自治体交流事業」について必要性、妥当性、効率性を「指標の設定(目標の達成度合を客観的に数値化すること)は困難である」として四段階の二番目である「当面の課題はない」と評価している。「公平性」は「県民への直接サービス提供でない」との理由で記述がない(19)。国際交流事業を一般的な指標で評価することが困難である様子がうかがえる。
近年、韓国でも国際交流事業の評価が論議されている。朴容吉(パク・ヨンギル)は評価のポイントとして「交流目的の妥当性」「交流内容の効果性」「交流手段の適合性」の3つを挙げる。韓国・江原道(カンウォンド)の国際交流事業のケーススタディでは、目的について「経済協力などと明確にすること」、内容について「行政の先進化や地域経済の発展など実益につながるようにすること」、手段については「一般行政職の公務員でなく専門性を持つ人材を外部から登用し、NGOや外部組織と連携すること」などを指摘している(20)。ここでいう「行政の先進化」とは、政策交流・政策開発のことを指す。
国際交流事業の政策評価は、それぞれの自治体内部で行われることはもちろん、事業の性質上、双方向で政策評価が行われる必要があるだろう。例えば「環日本海圏地方政府国際交流・協力サミット」について、鳥取県の片山善博知事はサミット参加自治体が鳥取県の文化行事に参加したことを挙げながら「北東アジアの地方政府は、共同繁栄のためにスクラムを組んでいる」と自賛している(21)。しかし朴容吉は鳥取県のカウンターパートナーである江原道のケーススタディの中で同じ事業を「7回に渡り開かれているが実際に交流・協力につながった分野が少ない」という理由から「実益の薄い事業」の例として挙げている(22)。
2 国際交流とグローバリゼーション
また、近年国際交流に大きな影響を与えている現象として、「グローバリゼーション」が挙げられる。政治理論家のヘルドはグローバリゼーションの意味を「政治的、経済的、社会的な活動の多くの連鎖が世界大の規模に拡大すること」と「国家間、社会間そしてそれぞれの内部における相互作用や相互連関性のレベルが強化されること」の2点に整理している(23)。
このような動きはNGOにどのような影響をもたらしているだろうか。ヘルドは特にコミュニケーション手段の発達に着目して「新しいグローバルなコミュニケーション・システムによって、かつては個人や集団が出会うことがなかったであろう社会的・物理的な場に、アクセス可能となる。(中略)かつては接触を阻んだであろう地理的境界を『乗り越える』ことが可能になる」とする(24)。さらに目加田説子は、「NGOを中心としたネットワークおよびその支持基盤である各国内のシビルソサエティが国境を超えて横断的に連携し、トランスナショナル・シビルソサエティ(TCS:Transnational Civil Society)としてグローバルな規範形成に参画」する動きが見られるとする(25)。自治体主導で進まざるをえなかった国際交流に、やっと市民が自律的に主体となる経済的・社会的基盤ができてきたといえる。川崎市の場合、従来国際電話とFAXで相手都市に連絡していたが、自治体交流では1999年頃から、市民交流では2000年頃から電子メールを利用する形に変わってきた。情報は評価とも相関している。市民交流が活発になれば、その後の交流活動につながるだけでなく、事業の効果あるいは悪影響などの情報が増し、その分適切な評価ができるようになる(26)。
自治体にはどのような影響をもたらしているだろうか。松下圭一は「都市型社会は、国際コミュニケイション(ママ)の拡大、国際分業の深化によって、政治・行政の分権化・国際化を不可避」としており、この結果「<公>はいわゆる国家空間にもはや独占されません。公共空間は地域規模、国規模、地球規模へと重層化し、国は自治体、国際機構とならぶ国レベルの政府にすぎなくなります」という見方を示す(27)。また、松下は「日本は経済成長の結果、あらためて国際構造調整をめぐって国際化が急務」になっているとし、森田朗もWTO(世界貿易機関)の諸規則が自治体に直接適用されるケースを挙げて「経済活動に関する国際化が、自治体の自律性を高める事例といえる」とする(28)。前者はグローバリゼーションの政治的な側面に、後者は経済的な側面に着目しているといえる。
これに伴い自治体の国際交流事業も変化してきている。江橋崇は自治体の国際交流事業について1995年以前を「1期目」、以後を「2期目」と大きく分けた上で、「首長が主導した『1期目』への反省から、『2期目』は政策的必要性に基づく国際政策が大都市でなく中小都市を中心に取り組まれている。これはグローバリゼーションに対して地域が生き残りを賭けているもので、地域発展戦略と国際化を関連づけ、農業など第1次産業を通じた地域の自立的発展という面での国際交流・協力が取り組まれている」「これがなければグローバル化に対抗する地域国際化にならない」(29)と語っている。
また、これまで自治体の国際交流事業は平和外交としても位置づけられてきた(30)が、実際には平和学において自治体の位置づけは曖昧であった。例えば平和学者のディーター・ゼングハースは平和学の対象範囲として「深層心理」「個人の性格」「小集団」「利益集団・メディア・世論」「国民国家」「地域システム」「国際システム」の7つの「システム・レベル」を挙げたが、この「ゼングハース・モデル」において自治体は「国民国家」に含まれるものとされてきた(31)。しかしヘルドは主権国家の「主権」概念自体が変化してきているとし、「自律の原則(principle of autonomy)を中核におくコスモポリタンな民主主義」が必要であると提起する。すなわち「正当な権力システムとは(中略)多様な範囲を持った自律的な意思決定の中核から構成されるはずである。(中略)そうした『中核』は国民国家かもしれないが、国家だけである必要はない。国家同士のネットワーク、つまり地域は、原則的にこうした形態を想定しているが、他方、国家の下位の政治体やトランスナショナルな共同体、組織、代理機関も同じようにこうした形態を促進するだろう。そこで、主権は固定された境界や領域という考え方と切り離すことができ、原則的に、柔軟な時間と空間の固まりとして考えることができる。主権は、基本的な民主主義法の属性であるが、国家から都市や企業に至るさまざまな自己調整的集団の中で定着させ、促進することができる」(32)。さらにヘルドは「補完性の原理(subsidiary)」をもとに「地方(local)」「国家(national)」「地域(regional)」「地球(global)」のそれぞれのレベルで民主主義的統治を追求し、どのレベルで意思決定することが適切であるか政策争点ごとに決定する必要があるとする(33)。グローバリゼーションの進展に伴い自治体やNGOは「自律の原則を中核におくコスモポリタンな民主主義」の担い手としての役割が求められているというわけである。
3 川崎市と韓国・富川市の都市間交流
以上のような動きを前提として、川崎市と韓国・富川市の交流を検証したい。
川崎市は現在、海外に8つの姉妹・友好都市と1つの友好港を持つ。1971年〜1989年の伊藤三郎市長の時代に4つの姉妹都市関係が結ばれ、1989年〜2001年の高橋清市長の時代に4つの友好都市と1つの友好港との関係が結ばれた。高橋清は「『姉妹都市』は多角的で幅広い分野での交流、『友好都市』は都市間の特性を生かした実質的な交流」としている(34)。しかし実際には「曖昧な性格のまま姉妹都市ばかり増やさないために名称を変えた」のみで、友好都市とも多角的な交流が行なわれてきた(35)。富川市は友好都市の一つである。高橋清に代わり2001年11月に市長に就任した阿部孝夫は、現在まで富川市との交流については一般論以上のコメントを出したことはない。
ヨーロッパでは姉妹提携を、教会や学校など地域内の市民を主体としたやや非公式な国際的結びつきであるリンキング(linking)と、姉妹提携など自治体間の正式な結びつきであるツイニング(twining)とに分けることがある(36)。この概念に従えば、川崎市と富川市の関係は、1991年の商店街交流によるリンキングとして始まり、1996年に両市の市長により「友好都市協定」が結ばれたことでツイニングへと広がったといえる。高橋清は「民際外交、草の根外交ということが、文字どおり実践されて、友好提携に至ったという典型的な例」としている(37)。さらに2000年の歴史教科書問題をめぐる両市の市民の連帯行動を契機として再び市民交流が活発化し、現在に至っている。
では、交流に対する全般的な評価はどうか。1996年の友好都市協定締結から7年が経過しているが、市議会で質問が出た時に断片的に答弁されてきたのみで、いまだに両自治体からまとまった評価が公にされたことはない。かわりに、両市の国際交流事業に諮問的な役割を果たしてきた学者からの評価は公刊されている。富川市では、『富川市史』のうちカトリック大学の李時載(イ・シジェ)教授が執筆した「国際交流・通商」という章に「交流の特徴と評価」という項目が設けられ、「富川市と川崎市はもっとも模範的な交流事業を展開している。川崎市と富川市の交流の特徴は、両市の市民参加がひじょうに活発だという点である。正式に友好都市協定を締結する以前から市民交流が活発であり、これを土台として正式に協定を締結した。また富川市は川崎市から実質的に多くのことを参考としている。例えば富川市のオンブズマン制度は川崎市の事例をベンチマーキングしたものである」と評価されている(38)。川崎市でも、早稲田大学の坪井善明教授が高橋清との対談の中で「『内なる国際化』としての外国人市民施策と平行して韓国の都市との交流が進み、その意味でも忌まわしい過去の歴史を踏まえながら、新たな国際関係を自治体から築いていく大きな橋頭堡にもなっているのでは」と指摘している(39)。これは、自治体の国際政策が、対内的活動と対外的活動の相互作用により地域社会の多文化化を進めていくものであることを指摘している。また同時に、歴史認識問題をめぐり葛藤の多い中央レベルの日韓関係に対して独自の動き(対抗的外交)が可能なのではないかという問題提起でもある。実際にこの対談の2年後(2001年)に、日本政府が植民地支配の記述がほとんどないなど問題の多い歴史教科書を合格させたことにより、多くの日韓交流が中断された際にも川崎市と富川市の市民交流は続けられた。
次に、具体的な成果はどうか。朴容吉に従い、「交流目的の妥当性」「交流内容の効果性」「交流手段の適合性」の三つの側面から検討する。
(1)交流目的の妥当性
まず自治体レベルでは交流目的をどのように定めているだろうか。1996年10月21日に結ばれた「友好都市協定書」では、交流の目標を「市民自治都市の建設」とし、基本精神を「多様な市民文化と福祉向上に寄与すること」とした。締結前に川崎市側が想定していた「期待される効果」を要約すると、@相互に持つ偏見を克服し、市民同士の理解を深め、東アジアの平和と安定をもたらす一助となる。A戦前からの歴史的な経緯によって、たくさんの朝鮮半島出身者が市民として暮らしており、共生のまちづくりの推進が期待される。B抱える都市問題や都市政策等の課題について相互にその取り組みの成果を学び合う、の3点となる(40)。しかし自治体交流のレベルでは、2001年11月に市長が交代して以降は都市間交流に対して市長がリーダーシップを発揮しないため、こうした交流目的が両市の首長によって再確認される機会もなく、事実上霧散している。
むしろこうした目的・理念を両市で共有し、実践しているのは市民交流であるといえる。この最近3年間(2001年〜2003年)の主な成果を@〜Bの分類に基づいて列記すると次のようになるが、ほとんどが市民交流であることがわかる。
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交流目的 川崎側 富川側 内容 時期
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@偏見克服と相互理解 NGO NGO 歴史教科書問題で連帯集会 2001.6.29川崎で開催
@ なし NGO 富川市在住日本人が「富川韓日文化交流会」設立
2001.7.15富川で設立
@ NGO NGO 「川崎・富川市民交流会」を両市で設立
2003.10.18富川で設立 2003.10.23川崎で設立
A共生のまちづくり 自治体 自治体 川崎市の在日コリアン職員を富川市役所へ派遣
2001.4〜2002.3
A NGO NGO 「在日コリアンの生と哀歓」写真展開催
2002.11川崎で開催 2003.8富川で開催
A NGO NGO 在日コリアン1世交流会「トラヂの会」と「川崎・富川
高校生フォーラム・ハナ」の交流
2003.2川崎で交流 2003.8 富川で交流 2003.12川崎で交流
B政策交流 自治体 自治体 オンブズマン制度 1997.5.1開始
B NGO NGO まちづくりワークショップ、まちづくり団体訪問
2001.8富川でワークショップ 2002.7富川から訪問
B NGO・自治体 NGO・自治体 子どもの権利条例シンポジウム、団体訪問
2002.12富川で開催 2003.3富川で開催 2003.10川崎で開催
A+B 自治体 NGO 外国人市民代表者会議 2003.10富川から訪問
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ヨーロッパでは、開発教育と姉妹提携は自治体内の外国人に対する寛容、理解、思いやりを高めるものと見なされているという(41)。都市間交流(対外的活動)は内なる国際化(対内的活動)と連携して外国人市民のエンパワメントなどにつなげ、多文化共生社会の建設という目的を実現していく必要がある。その前提として、まず市民交流で目的・理念が共有されていく必要があるが、川崎市と富川市のNGOは「多文化共生」といった目的・理念をじょじょに共有してきている。例えば、2004年1月に富川を訪問した川崎市のコリア文化サークルに対して富川市の市民団体代表は、「みなさんが韓国文化を学習し、学んだ内容を再び現場訪問を通じてより豊かに確認する過程は、真に大切なものだと思います。これは『多文化共生』と韓日両国の共存共栄はもちろん、世界平和を願う両国市民たちの固い連帯の過程へと発展していくことのできる、意義深いことであるからです」と語っている(42)。「多文化共生」という理念が共有されてきていることを表している。
このように市民交流が理念・目的を共有し始める契機となったのは、2001年の歴史教科書問題をめぐる連帯行動だった。多賀秀敏も「歴史教科書問題は、とりわけ韓国の自治体との交流における試金石であった」として、自治体は「独自の外交構想を持つべき」とする(43)。
この連帯行動には、次の三つの段階があった。第一に、富川市議会は2001年4月24日、「日本の歴史教科書歪曲に対する是正促求決議文」を決議した。決議第3項に「富川市と友好関係を結んでいる日本の川崎市議会が、本決議に対する支持と過去の歴史の縮小・歪曲の是正のための実質的な活動に、共に参与することを促求する」との内容が盛り込まれ、川崎市議会議長および川崎市長に送付された。しかし両者ともこれを黙殺する姿勢をとった。
第二に、同年6月29日に開催された「歴史教科書川崎市民集会」に富川から市議会議員2名を含む訪問団が来日し、連帯アピールを行なった。川崎市教職員組合出身の川崎市議会副議長との会見や川崎の在日コリアンたちの活動拠点である在日大韓民国民団や在日本朝鮮人総聯合会、青丘社の訪問などがセットされた。この連帯訪問団には富川市民聯合、富川市民センター、富川YMCA市民会といった有力なNGOの代表たちが参加していた。これらのNGOは民官協力機構「緑の富川21実践協議会」の有力な参加団体でもあり、富川の市民社会が川崎の市民社会を「連帯の対象」と認識し、関心を高める契機となった。これが翌2002年7月に初めてのNGO訪問団として「緑の富川」が川崎研修団を組織する遠因にもなった。なお、この連帯アピールがマスコミ等で報道されたことも効を奏してか、集会の数週間後に開催された教育委員会では、問題となった扶桑社の歴史教科書は採択されなかった。また既存の交流事業にも影響を与えた。例えばこの訪問団にはこれまで両市の美術交流に参加してきた美術家が二人参加していたが、その一人である金野泉(キム・ヤチョン)さんは後に「この訪問を通じて『ああ、こういうことも一緒にやっていけるのだな』と思った」と語っている。それまでの親善交流から、理念的な連帯への変化といえる。
第三に、2000年8月に始まった川崎・富川高校生フォーラム・ハナへのサポートが契機となった。2001年7月、川崎・富川高校生フォーラム・ハナの第3回交流会として準備されていた富川訪問に対して、富川市役所が急に訪問延期を要請してきた。これを前月川崎を訪問したNGOに連絡したところ、「むしろこうした時期だからこそ訪問すべきだ」としてNGOが富川市役所に働きかけ、予定通り訪問が実現した。高校生たちは歴史教科書問題をテーマに討論会などを行なった。「ハナ」と併行して組織された川崎地方自治研究センター第9回韓国研修ツアー参加者は富川市の元惠榮(ウォン・ヘヨン)市長を表敬訪問し、市長は歴史教科書問題に関する連帯行動に対して感謝の意を表明した。
「ハナ」に対する富川の市民社会からのサポートはその後も継続した。2002年8月に「ハナ」の第5回交流会として、川崎側から朝鮮籍在日コリアン学生2名を含む富川訪問を準備していたところ、これに対して富川市役所が協力不可能と急に連絡してきた。「南北交流協力法」上、朝鮮籍者との接触は中央政府・統一部に事前に申告する必要があるが時間的余裕がない、との理由だった。これに対してもNGOが議員などに働きかけ、予定通り訪問が実現した。
このように、歴史教科書問題で連帯した富川のNGOは「ハナ」へのサポートを通じて協力しあい、従来から存在していた横のネットワークをさらに強めることとなった。
両市の市民交流の課題は、「東アジアの平和と繁栄」といったグローバルイシューを扱っていないため面としての広がりがないことである。二国間レベルの問題(日韓関係)については前述の歴史教科書問題連帯行動が唯一の事例であり、地域レベルの問題である南北朝鮮統一問題については2003年8月に「富川市民統一文化祭」に参加するため川崎の在日コリアン一世を中心に訪問団を作った事例だけである。朝鮮の都市から川崎が第1次産品を輸入し、加工して富川に送るといった「三国間交流」は、対抗的外交としても有意義であるが実現していない(44)。グローバルな問題であるグローバリゼーションに対しては、交流のテーマとして言及されたことがまったくない。経済格差のある国の都市に対して日韓の都市が合同で協力する「多国間協力」は、一部挙論されたのみで検討に至っていない(45)。
国際交流事業を評価する際に、どの程度問題意識を共有し、幅広いイシューを扱うことができたかを基準とすることも可能だろう。
(2)交流内容の効果性
前述のとおり、川崎市は自治体レベルで交流目的として@偏見克服と相互理解、A共生のまちづくり、B政策交流の3点を挙げた。武藤のいう「解決すべき問題」に該当するのは偏見と無理解、多文化性の抑圧、都市政策の未整備となる。これらをどの程度解決できたかが、朴容吉のいう「交流内容の効果性」となる。@とAについては毎年実施されている「川崎市民意識実態調査」で検証することが可能だが、現在まで調査項目に掲げられたことがない。Bについては政策交流が行なわれた回数や導入された政策の数などで検証することが可能である。
政策交流については、CDI−JAPANは「情報面の弱点を持つ自治体が、それでも主体的に情報を得て地域主体の国際協力・交流の施策を決定・実施できる場合があります。それが姉妹都市提携と結び付いた国際協力事業です」として、「交流の中から協力を」「友好交流から政策交流へ」と提案している(46)。富川市の元惠榮市長は1999年8月に「川崎市は我が市と歴史的背景や都市環境など条件が非常に似た都市だ。(中略)研修機会を年単位で定例化できる方策を準備するように」と指示し(47)、翌2000年5月に社会福祉政策をテーマとして「第1回川崎・富川政策交流セミナー」が開かれた。しかし川崎市は高齢者福祉、富川市は基礎生活保障(日本の生活保護に該当)と重点を置いている政策が異なり、議論がかみ合わなかった。その後富川からの大規模な行政研修訪問団は途絶えている。
かわりに2001年から民官協力機構「緑の富川21実践協議会」による「まちづくり」「子どもの権利条例」「外国人市民施策」などをテーマにした市民主導の政策交流が活発になっている。川崎地方自治研究センターが主催する川崎から富川への市民訪問団も、「まちづくり」(2001年8月)、「子どもの権利条例」(2002年12月)など政策交流を意識し専門職員の参加を呼びかける形へと変化してきている。国際交流事業を評価する際に、政策交流を通じて開発した政策の数を基準とすることも可能だろう。
また、「国際交流の効果」を測る際に経済交流が注目される傾向があるが、川崎と富川は経済交流をほとんど行っていない。年一回開催される見本市「テクノトランスファーかわさき」に富川市が1998年から訪問団を組織し参加していたが、成果が上がらず2000年を最後に参加していない。原因として、「環日本海圏」などと異なり距離が遠いことが挙げられる。
(3)交流手段の適合性
高橋清は「国による一元的で集権的な国際交流の時代から、多元的で多様な自治体間交流の時代への移行」が見られ、「NGO、企業など、すでに多様な主体が相互に国際交流を行なっている現実を踏まえたうえで、こうした多様な主体とどのように協働しながら、国際交流を組み立てるか」が課題であるとする(48)。多賀秀敏も「国家外交と自治体外交と市民外交のコンビネーションとガヴァナンス」が求められているとする(49)。都市間交流には、自治体、自治体の外郭団体(国際交流協会)、NGOなど多様な主体が参加している。交流内容によって異なるが、問題は「どの主体が交流をコーディネートするのか」である。前述のとおり、現在川崎市と富川市の都市間交流は市民交流が中心となっており、川崎・富川市民交流会事務局メンバーがコーディネートし、必要に応じて川崎市役所交流推進課に協力を依頼する形になっている。両市の自治体交流は川崎市役所交流推進課が直接コーディネートする必要があるが、財政危機を理由に「基本的にイベントは周年行事のみ」という方針を立てているため、富川市については2006年の締結10周年まで大規模な交流は企画されない。なお、2001年の締結5周年は歴史教科書問題と重なったため自治体交流は行なわれなかった。
主体別に主な問題を挙げてみたい。
川崎市(自治体)の問題は、第一に国際交流事業に関する専門職員がいないことである。多賀秀敏は「自治体外交では、ぜひとも人事異動の少ない、専門家集団すなわち自治体外交官がほしい」と提案している(50)。川崎市では1992年から「国際職」を設けて採用している。これは事務職の中に設けた四つの「専門事務職」の一つである。しかし試験科目は英語のみである。国際交流事業を所管する総務局交流推進課に国際職は1名配置されているが、課長1、係長2を含む残りの正規職員4人はすべて一般事務職である。交流推進課では1997年から韓国語通訳として非常勤職員を採用している(待遇は、1997年は臨時職員、1998年から非常勤職員。契約期間1年で5年まで継続できる)が、国際交流を担当する正規職員がコーディネートの権限を握っており、この非常勤職員は補助的な業務をするのみとなっている。結局自治体交流をコーディネートする能力を持つ職員がいない。前述の「川崎・富川政策交流セミナー」が失敗に終わり継続できなかった原因も、川崎と富川が直面している政策課題の違いを把握し議論がかみ合うようコーディネートする能力がなかった点にある。国際交流事業を評価する際に、協働プロジェクトの件数や、専門職員の数を基準とすることも可能だろう。
第二の問題は、NGOと連携・協働しようという姿勢が見られないことである。前述のとおり、国際交流事業の担当職員が2001年頃から「自治体は行政交流を行い、市民交流は市民が自主的に行う」という論理を持って市民交流に対する行政支援を縮小しようと努めるようになった。市民交流の場合、NGOから自治体に通訳や車両などの協力を依頼するが、これも「本来は主催団体で用意すべき」とする(51)。あるいは「富川市役所を通じて依頼してきていないため、正式な依頼とは受けとらない」など手続き的な面を挙げて処理を遅らせる(52)などの事例がある。自治体とNGOが定期的に協議する場が保障されていないため、この姿勢は改まらない。自治体が消極的な姿勢を示す背景には、市財政の悪化と同時に、2001年11月の市長交代がある。シューマンは「自治体の政権が変われば活動が中断する、という危険性が常にある」として、「自治体とは暫定的な形で共同活動を行い、独立したプログラムを存続することによって、活動の自由を保って」いる事例を紹介している(53)。
財団法人川崎市国際交流協会(外郭団体)の問題は、富川市との市民交流に関わる事業を行っていないこと、その結果市民交流をコーディネートする力を持つプロパーの職員が育っていないこと、さらに国際交流に関わる人材育成事業を行っていないことなどである。CDI−JAPANも国際交流協会に対して「地域に人材を養成して蓄積するという課題意識を持ち続けるべき」と指摘している(54)。
川崎・富川市民交流会(NGO)の問題は独立性が弱いことである。社団法人川崎地方自治研究センターに事務局を置いているものの、例えば独自財源が弱いため職員を雇うことができずボランティア頼みである。本来は、川崎市の国際交流事業を市民の視点から政策評価し提言していく機能が必要だろう。
以上、川崎市の状況について検討してきたが、これは富川市にも当てはまる面が多い。富川市役所の国際交流担当職員も「自治体は行政交流を行い、市民交流は市民が自主的に行う」「(通訳や車両は)本来は自分で用意すべき」とした例がある(55)。また富川・川崎市民交流会は民官協力機構「緑の富川21実践協議会」に事務局を置いているが、2004年度は富川市からの補助金が大幅に削減されるなど独立性が弱い。
両市間の市民交流は、いまだにTCSを形成できていない。結局、都市間交流特に市民交流を継続するには、川崎市と富川市のそれぞれで市民社会が力を強めなければならないことがわかる。
4 結語
川崎市と富川市が姉妹提携を結んだ1996年は、国際交流事業の退潮期に入った年であった。「結局、首長の道楽でしかなかったのだろうか」(56)という声もある中、財政危機や川崎市長の交代により自治体交流は縮小されていった。かろうじて都市間交流として続いているのは、2001年の歴史教科書問題を契機に「多文化共生」「人権」といった理念・目的を両市のNGOが共有できたためである。結果的に、当初自治体が掲げた相互理解・共生まちづくり・政策交流などの交流目的を市民が継承・実践している。
グローバリゼーションの中で自治体やNGOがトランスナショナルな「自律」「民主主義」を実践する主体となる可能性が生まれているが、理念的にはともかく実践的にはかなり困難な状況である。国際交流事業に対する政策評価も、交流の内容に踏み込んだ評価が必要である。そうした尺度づくりを両市のNGOが議論し、それぞれの市で自治体に対して積極的に提言していく必要があるだろう。
本稿では、富川市での政策評価、川崎地方自治研修センターや川崎・富川市民交流会など川崎市のNGOの動き、富川市の自治体およびNGOの動きについては触れることができなかった。別の機会に考察することとしたい。
<注>
(1) 財団法人自治体国際化協会 http://clair.temporary.jp/cgi-bin/simai/j/02.cgi
(2) 毛受敏浩「平和の礎としての市民社会の発展と連携」『国際理解』32号、帝塚山学院大学国際理解研究所、2001年、pp.3-4
(3) 神奈川県『民際外交20年 世界に開かれた神奈川をめざして』1995年、p.3
(4) 坂本義和「『地方』の『国際化』」『自治体の国際交流』学陽書房、1983年、p.24
(5) 長洲一二「自治体の国際交流」『自治体の国際交流』学陽書房、1983年、p.8
(6) 鈴木祐司「『くに』からの解放と自治体外交」『自治体の国際交流』学陽書房、1983年、p.205
(7) 「国際政策」という表現は、「松下圭一編著『自治体の国際政策』学陽書房、1988年でそのタイトルが採用されて以来、次第に使われるようになった」という。阿部齊、今村都南雄、寄本勝美『地方自治の現代用語(新版)』学陽書房、2000年、p.29。また、江橋崇によれば「自治体の国際政策には特にモデルとなる体系があったわけではなかった。『なんとかしてくれ』という現場の問題から始まった。『やむにやまれず』という面が大きかった」という。2003年9月22日法政大学大学院「自治体国際政策研究」講義。
(8) 多賀秀敏「自治体の国際協力」『岩波講座自治体の構想3政策』岩波書店、2002年、p.225
(9) CDI-JAPAN、マイケル・シューマン『自治体国際協力の時代』大学教育出版、2001年、pp.28-29
(10) 多賀秀敏、前掲書、p.225
(11) 毛受敏浩、前掲書、p.5
(12) 大綱策定当時、担当として国際室に勤務した職員へのインタビュー。
(13) 2003年9月22日法政大学大学院「自治体国際政策研究」講義。
(14) 武藤博己「政策評価の手法開発」『岩波講座自治体の構想3政策』岩波書店、2002年、p.97
(15) CDI-JAPAN、マイケル・シューマン、前掲書、p.125, 213
(16) 1982年11月12日の「第5回地方の時代シンポジウム」(神奈川県主催)での発言。『自治体の国際交流』学陽書房、1983年、p.267
(17) 武藤博己、前掲書、pp.108-109
(18) 長崎県ホームページ http://www.pref.nagasaki.jp/sehyo/h14/22006.pdf
(19) 富山県ホームページhttp://www.pref.toyama.jp/sections/1111/hyouka/syuyou05/551/55102.pdf
(20) 朴容吉「国際化と地方政府の対応:江原道の国際交流政策を中心として」『韓国行政研究』第12巻第2号、韓国行政研究院、2003年、p.137
(21) 片山善博、釼持佳苗『地域間交流が外交を変える』光文社新書、2003年、pp.140-141
(22) 朴容吉、前掲書、p.138
(23) David Held, Democracy and the Global Order : From the Modern State to Cosmopolitan Governance, Polity Press, 1995, p.25 デヴィッド・ヘルド『デモクラシーと世界秩序』(佐々木寛他訳)NTT出版、2002年、p.25
(24) ヘルド、前掲書、pp.148-151
(25) 目加田説子『国境を超える市民ネットワーク』東洋経済新報社、2003年、p.5
(26) 毛受敏浩、前掲書、p.5
(27) 松下圭一『日本の自治・分権』岩波新書、1996年、pp.34-35、p.97、p.156
(28) 森田朗「分権化と国際化」『岩波講座自治体の構想1課題』岩波書店、2002年、p.24
(29) 2003年10月6日法政大学大学院「自治体国際政策研究」講義。中村尚司『地域自立の経済学』
(30) 坂本義和、前掲書、pp.28-34、高橋清『川崎の挑戦』日本評論社、1999年、pp.209-210
(31) 高柳先男『戦争を知るための平和学入門』筑摩書房、2000年、pp.14-15
(32) ヘルド、前掲書、p.267
(33) ヘルド、前掲書、pp.268-269
(34) 高橋清、前掲書、p.206
(35) 国際室に勤務した職員へのインタビュー。
(36) CDI-JAPAN、マイケル・シューマン、前掲書、p.147
(37) 高橋清、前掲書、p.206
(38) 富川市史編纂委員会『富川市史』第3巻、2002年、p.123
(39) 高橋清、前掲書、p.206
(40) 1995年8月14日に開催された「川崎市と韓国:富川市との交流検討会議」資料。
(41) CDI-JAPAN、マイケル・シューマン、前掲書、p.198
(42) 2004年1月31日〜2月2日に富川市で「川崎市ふれあい館コリア文化サークル・パランセッ」と「富川市民聯合付設文化空間」が開催した「第2回コリア文化共同ワークショップ」歓迎会での富川市民聯合ペク・ソンギ共同代表の歓迎挨拶。
(43) 多賀秀敏、前掲書、pp.227-228「自治体国際政策の構想 七つの課題」として列記しているものの一部。
(44) 2001年8月に川崎地方自治研究センター第9回韓国研修ツアーが富川市を訪問した際、交流会の席でホン・インソク富川市議会議員が朝鮮の沙里院(サリウォン)市へ富川から経済視察団を送る計画を明らかにした。沙里院市は黄海北道の道都で、平壌の南50kmにある鉄道・道路の要衝。川崎でも三国間交流への期待が高まったが、富川・沙里院間の交流が種々の事情により頓挫した。
(45) 2003年10月に「緑の富川21実践協議会」傘下の児童人権ネットワークと外国人人権ネットワークが川崎市を訪問した際、外国人人権ネットワーク構成団体である「富川外国人労働者の家」がミャンマーの学校を支援していることを明らかにした。しかし施設補修などハード面の支援であったため、いわゆる「援助づけ」に陥ることを懸念して教材開発や教員派遣などソフト面の支援がよいとする意見もあり、多国間協力は実現に至らなかった。
(46) CDI-JAPAN、マイケル・シューマン、前掲書、pp.99-100
(47) 元惠榮『発想を変えれば市民が喜ぶ』セロウンサラムドゥル、2000年、p.181
(48) 高橋清、前掲書、pp.208-209
(49) 多賀秀敏、前掲書、p.228
(50) 多賀秀敏、前掲書、p.228
(51) 2003年10月の「緑の富川21実践協議会」の川崎訪問に対して。
(52) 2003年11月の「富川市社会福祉協議会」の川崎訪問に対して。
(53) CDI-JAPAN、マイケル・シューマン、前掲書、p.202
(54) CDI-JAPAN、マイケル・シューマン、前掲書、p.113
(55) 2003年8月の「『在日コリアンの生と哀歓』写真展実行委員会」の富川訪問に対して。なお、同実行委員会が富川市役所の担当職員に抗議した結果、車両など富川市役所が積極的に協力した。
(56) 2003年9月22日法政大学大学院「自治体国際政策研究」講義での江橋崇の表現。
■(5)韓国・富川市の地域社会教育事業について
−2006年2月16日 川崎市教育委員会 小田切督剛−
*脚注省略 *関連・韓国との研究交流・動き
→■
1 韓国の地域社会教育事業
(1) 前提として注意しなければならないことは、「社会教育(social education)」と「平生教育(lifelong
education)」の混同、「地域社会教育(community education)」における本来の概念と実践の乖離、という2点である。前者の原因についてキム・ジョンソ(金宗西)は、「憲法第29条5項で『国家は平生教育を振興しなければならない』と規定し、同6項では『学校教育及び平生教育を含めた教育制度とその運営、教育財政及び教員の地位に関する基本的な事項は法律で定める』とされている」ことを挙げ、「平生教育を学校教育を含む概念として見ずに、学校教育と並列的に同等な概念としてみることは、今日の平生教育概念に依拠する時、明らかに誤りがある」と指摘している
。
(2) 韓国における地域社会教育は「地域社会開発(community development)」への対案(オルタナティブ)として登場した。セマウル運動は政府主導の地域社会開発運動であり、1970年にパク・チョンヒ大統領の指示で農村の生活環境改善事業として始まり、1972年に運動の全国推進機構が整備された 。ファン・ジョンゴン(黄宗建)はセマウル運動を「農地整理、屋根及び家屋構造の改善、農漁村電力化、農事方法の改良、家庭儀礼の簡素化等を通じて、農漁村の環境と生活水準を高度に発達させた」と評価しつつ、「セマウル運動の形態と方法は開発途上国の初期段階を抜け出せずにいるという印象を与える」「セマウル事業を指導する指導層では(中略)住民の協助が不足しているということを常に強調し語っている。政府主導的で下向的の地域社会開発事業としては必然的な結果であるといえる」と批判した。そして「住民たちの必要と関心を誘発すること、住民たちの自発的な参与と協同を可能にすることは、地域社会教育の作用によって可能になるだろう」と提起した 。ファン・ジョンゴンは地域社会教育の具体的な展開について「これを成就させるためには、討議、講習、映画観覧、読書、レクリエーション等の方法と、図書館、公会堂、学校、劇場、教会等さまざまな機関が動員されなければならない。そしてまた、このような集団的生活問題解決としての社会教育過程は必ず文盲を抜け出てある程度の基礎教育が成立した土台の上でのみ可能になるだろう」とした 。
(3) 韓国で「地域社会教育」の実践を展開したのは、現代財閥の創始者であるチョン・ジュヨン が初代会長を務めた韓国地域社会教育協議会とされる。同協議会は地域社会教育運動を「地域社会内のすべての人的・物的資源を糾合し、地域社会の教育的要求(ニーズ)を充足せしめることで、学校と地域社会の成長を助ける学校中心の教育共同体(コミュニティ)運動」とする 。「学校中心」の実践へ切り縮めたといえる。
地域社会教育運動とは?(図・略)
社会変化 → 地域社会教育運動 → 地域社会発展・地域共同体形成
↓
学 校
(4) 韓国で「地域社会学校」という用語が使われるきっかけとなったのは、ユネスコ使節団が韓国訪問後の1953年2月にパリで発表した最終報告書である。この中で108項目に渡り建議(提案)が行われ、その第30項に「学校の設備は地域社会のすべての教育的・教養的活動のために利用できるようにしなければならない」と記された。1954年にはオルセン(Olsen)の「学校と地域社会」が韓国語に翻訳され、これを受けて1956年に京畿道が、ついで1961年に中央政府・文化教育部が方針に掲げた。
(5) 1969年に東亜日報社が駐韓米国広報院の主催で「Community Action in A Changing World」国際会議が開かれたことをきっかけに、1969年1月24日に韓国地域社会教育協議会が設立された。初代会長はチョン・ジュヨン(現代財閥創始者)。1988年8月に財団法人韓国地域社会教育研究院を設立。2006年2月現在、組織は地域社会教育事業部、父母教育事業部、対外協力教育事業部、総務部の4部で構成され、各学校を会場に「父母教育」「(オリニ・青少年)礼節教育」などを実施している。@未来の主人公である子どもたちの成長、A健康な家庭づくり、B楽しく活気のある学校づくり、C明るい地域社会づくり、の4本柱を掲げる。
2 富川市における平生教育事業
(1) 富川地域社会教育協議会は、1999年6月1日設立。ホ・ジジャ会長、ホン・スッキ事務局長。ホン・スッキ事務局長は2005年3月から富川市平生学習センター所長。
(2) 富川の平生教育については「緑の富川づくり21推進協議会」の教育・文化分科で議論され、総合計画「緑の富川づくり21」に明記された 。自治体と富川平生学習センターの関係については「委託か直営か」「事業中心かネットワーク中心か」といった議論があり、緑の富川21実践協議会教育分科は委託方式を、富川地域社会教育協議会は直営方式をウォン・ヘヨン市長に提案した。委託方式を推した最大の理由は、民間委託することで専門性を確保するという点だった。最終的に、それまで積み重ねた議論を無視する形で直営方式と決まり、ホン・スッキ事務局長が契約職(専門職)として採用された。「直営方式」と表現されているものの、任期制の契約職公務員であるため、運用如何によっては「自治体自体の力量形成につながるのか」という面では委託方式と大きな違いが生じづらい。
(3) 2006年2月現在、富川市庁では総務局総務課組織教育チームが所管している。富川市平生学習センターもこのチームが所管。富川市庁総務課組織教育チーム:組織管理を担当する5人と平生学習センターの4人の計9人で、教育事業を本庁から完全に分離したことが伺える。本庁はハ・ジョンドンチーム長(電話320-2191)、イ・ウチャン(320-2122)、コ・ミョンファ(320-2115)、ファン・ギョンジュン(320-2578。旧人事チーム)、ホン・ソングァン(320-3195。旧人事チーム2195の誤り?)の5人。平生学習センターはホン・スッキ所長(320-3735)と専門職3人キム・ミエ(320-3736)、キム・ウンギョン(320-3734)、イ・サンミ(320-3734)の計4人。
(4) 富川教育庁では学務局平生教育体育課平生教育担当が所管している 。平生教育担当は事業の柱として@実践中心の基本生活教育(生活指導、敬老孝親・礼節教育)、A共に生きる社会生活教育(民主社会・市民教育、文化・市民教育)、B統一準備教育(統一意思鼓吹教育、民族共同体意識の涵養)、C地球村時代の世界市民教育(伝統価値・文化伝承教育、国際文化理解教育、生活英語教育)の4つを掲げる。ただし富川教育庁は市民向け事業を実施する先端機関がない(幼稚園、初等学校、中学校、高等学校、特殊学校のみ)。富川市庁ホームページでは平生教育施設として「私立2施設」と表記しているが、施設名など詳細は記載がない。
(5) 京畿道教育監が指定する「平生学習館」は、富川市内に4か所となっている。梧亭(オジョン)区は「遠宗(ウォンジョン)総合社会福祉館」、遠美(ウォンミ)区は「富川地域社会教育協議会」と「春衣(チュニ)総合社会福祉館」、素砂(ソサ)区は「ソウル神学大学校社会教育院」である 。
富川市地図(略)
金浦(キムポ)市 ソウル特別市(首都)
仁川(インチョン)広域市
<北から順に>梧亭(オジョン)区 遠美(ウォンミ)区 素砂(ソサ)区
始興(シフン)市 光明(クァンミョン)市
3 自治体と市民の関係1−組織形態から
(1) 学習活動のみならず、一般的にまだ市民との協働関係が形成途中である。
(2) 官辺団体(国民運動団体) :セマウル運動協議会(セマウル運動組織育成に関する法律、1980.12.13制定)、韓国自由総連盟(韓国自由総連盟育成に関する法律、1989.3.31制定。アジア民族反共連盟が1989年に名称変更)、パルゲサルギ運動協議会(パルゲサルギ運動組織育成に関する法律、1991.12.31制定。「パルゲサルギ」は「正しく生きる」の意)など。富川市庁の担当部署は総務局自治行政課民官協力チーム。文化院は経済文化局文化芸術課が担当。
(3) 住民組織:班常会、統親会(統長親睦会)、住民自治センターと住民自治委員会(富川市住民自治センター設置及び運営条例、2000.3.24制定。第15条「設置」)。富川市庁の担当部署は市庁自治行政課自治行政チームおよび各区庁総務課住民自治チーム。
(4) 外郭団体:富川市文化財団(富川市文化財団法人設置及び運営条例、2001.4.2制定)、緑の富川21実践協議会(富川市緑の富川21実践協議会設置・運営及び支援条例、2004.11.11制定)など。富川市庁の担当部署は各事業局。
(5) NGO:富川YMCA(1982.3.16設立)、富川経済正義実践市民聯合(1994設立)など。(非営利民間団体支援法、2000.1.12制定)。富川市庁の担当部署は各事業局。
富川市庁 組織図(2006年2月現在)−略−
総務局 企画財政局 経済文化局 福祉局 環境水道局 都市局 建設交通局 保健所 図書館
4 自治体と市民の関係2−自治体との関係から
(1) 補助:官辺団体、NGO、オリニチプ(保育園)、コンブパン(学童保育)、富川外国人労働者の家
(2) 委託:外郭団体、清掃事業、福祉館、総合福祉館、老人福祉会館、文化の家、青少年修練館、女性会館、各種博物館
(3) 協働:富川市市民オンブズマン、緑の富川21実践協議会
(4) ウォン・ヘヨン市政下(1998〜2004)ではNGOに対する補助が一時的に増えた(ただし事業ごとの補助) 。しかしホン・ゴンピョ市政下(2004〜)では旧来の市政に戻っている印象が強い(福祉館委託問題、緑の富川21実践協議会の縮小など)。
(5) 原因として3点が挙げられる。@行政に対する市民の不信感、A市民に対する公務員の強い警戒心(特に情報面)、B行政と市民をつなぐ活動の弱さ(公務員の自主研究グループや、労働運動の自治研究活動などが弱い。労働運動が創成期であり公務員の労働条件が厳しく、勤務外活動が困難である。勤務外活動は教会などの宗教活動程度との声もある)。
5 富川市の地域社会教育事業の課題と展望
(1) 富川市平生学習センターは、富川市庁と富川教育庁の双方から予算支援を受けている。ホン・スッキ所長が富川地域社会教育協議会の活動を通じて作った主として学校教育とのネットワークを生かしているが、さらに市民団体との関係づくりが課題となっている。富川における自治体と市民の関係が変化する中、平生学習センターも微妙な舵取りを強いられているといえる。
(2) 自治体と市民の社会的協働について富川市平生学習センターからまとまった資料は出されていない。ただし、ホン・スッキ所長が執筆者6人の1人として発行した韓国教育開発院平生学習センター『地域革新の成功的実行のための平生学習都市マニュアル』の内容からうかがうことは可能である。なお、残りの執筆者5人のうちヤン・ビョンチャン(公州大学校)とキム・ナムソン(大邸大学校)以外の3人は韓国教育開発院の研究員である。
(3) まず「平生学習都市実現のための地方自治団体の役割と責務」として、「地域共同体内でのパートナーシップを強化することで地域のニーズとチャレンジに対する具体的な解法を提供する」よう求めている 。具体的には、第一に「ネットワークの核心は協議会」であるとして、平生教育政策協議会、平生教育実務協議会、平生教育関連機関・団体長協議会の設置を提案している 。第二に、「教育資源間の提携と協力ネットワークの形成が要求される」として、人的、事業内、情報、空間といった面で市民ネットワークと施設ネットワークを作り、「平生学習ネットワーク」と総称している 。
(4) 「地域づくりと市民参与」という章で「市民参与の活性化」が挙げられているが、積極的な内容は見られない。「各種地域社会活動の参与機会拡大」と「市民政策提案制度の準備」のみが挙げられている。全体として、「自治体と市民の協働」というよりも「平生学習センターと市民の協働」にとどまっている。平生学習センターは自治体と市民の社会的協働を媒介する触媒としての役割を十分に果たせていないが、今後の可能性を展望できる。
(5) 富川市平生学習センターと市民団体:@緑の富川21実践協議会、A富川市民聯合が民主市民教育センターを設立。
(6) 富川市平生学習センターと平生学習まちづくり事業:4か所の平生学習館のほか、市内を15地区に分けて、各地区で拠点になる施設を決めて補助金を出し、特色ある生涯学習を進めていくという事業。富川市内で2005年度に指定されているのは古康(コガン)地区と深谷(シムゴク)地区の2か所。本来は各区や地区に市民館や分館があればそこで生涯学習事業を実施できるが、富川市は中心となるセンターしかなく地区ごとのブランチがないため、既存の青少年施設や福祉施設を地区ごとの拠点として指定し、生涯学習事業を実施する形をとっている。例えばコガン地区は中心部にある「コリウル青少年文化の家」が拠点となってこの事業を進めている。
(7) 富川市平生学習センターと平生教育研究者(カトリック大学校、聖公会大学校など)
光明市地図 (略) チョルサン洞(市街地)
クヮンミョン洞(住宅及び農業)、ハアン洞(市中心部)
ハゴン洞(グリーンベルト=緑地保全地区)、ソハ洞(緑地保全)
付録1 富川市と光明市の平生教育の比較
平生学習都市づくりの公論化過程
<富川市>総合計画「緑の富川21」(市民社会セクター)。緑の富川づくり21推進協議会 → 2001年に「緑の富川21実践協議会」へ改組
<光明市>市長選公約(政府セクター)。1999.3.9平生学習都市宣言
推進上のキー・パーソン
<富川市>ウォン・ヘヨン市長(民主党)、イム・ヘギュ議員(ハンナラ党)。ともにソウル大学校師範大学出身。イム・ヘギュ議員はキム・シニル教授の弟子(教育学博士)
<光明市>ペク・チェヒョン市長
推進勢力
<富川市>進歩的市民団体 → 官辺団体を糾合
<光明市>ペク・チェヒョン市長のリーダーシップに依存(学習院の運営審議会会長も市長) → 聖公会大学校を中心に市民団体を糾合
センターの名称
<富川市>富川市平生学習センター 2003.7 http://learning.bucheon.go.kr/
<光明市>光明市平生学習院 2002.3.27 http://www.gmedu.or.kr/
センターの運営主体
<富川市>直営。当初は市庁から正規職員を派遣(事務職1人) → 2005.3.1正規職員を引き上げ、すべて契約職職員化(本庁との人事交流なし)。
<光明市>1999.3.9直営「光明市平生学習センター」として事業開始 → 2002.2.20聖公会大学校へ委託決定。市庁から正規職員を派遣(業務職2人)。
センターの主要事業
<富川市>情報提供、講師銀行制(登録制)、ネットワーク、各種研修・セミナー開催
<光明市> @平生学習の生活化(情報提供等)、A圏域別平生学習活性化のための環境醸成(講師銀行制等)、B教育プログラム特性化と内実化(市民アカデミー等)、C脆弱階層プログラムの体系化(文解教育等)、D国内外ネットワーク基盤形成(市民討論会等)
特徴的な事業
<富川市>平生学習まちづくり事業:市内を15地区に分け、それぞれ事務局を担う平生学習施設を指定し、センターが事業費を補助して地区ごとに事業を実施する。例:古康洞(コガンドン)、深谷本洞(シムゴッポンドン)
<光明市>地域通貨(教育通貨)事業、聖公会大学校との提携事業(講義受講など)、「訪ねていく平生教育プログラム」
相手市への評価
<富川市> 「センターについて論議を積み重ねてきた経過を無視して直営型に決めてしまった」「地域社会教育協議会が進めてきた学校開放運動に参加する学校との関係ばかりが先行している」「市内で市民向けにいろいろな学習活動を展開してきた市民団体との関係がうまくいっていない」
<光明市>「聖公会大学校がネットワーク事業から実際の学習事業まであまりにも幅広く事業をやりすぎている」「本来センターはネットワークに集中すべきではないか。むしろ市内の市民団体の学習活動を阻害している」
自治体の組織整備
<富川市>総務課組織教育チーム傘下にセンターを設置した以外に動きなし
<光明市>中央図書館を平生学習支援課に改組し、整備
自治体の組織整備の背景
<富川市>総務課教育チーム(後に能力開発チームを経て組織教育チーム)が市職員向けの教育(研修)や「市民大学」事業を所管してきたため。「市民大学」事業は、現在「21世紀ポクサコルアカデミー」の名称で毎月第3水曜日午後に市庁大講堂で開催されている。韓国人間開発研究院(民間団体)が受託し研究員が講演している。
<光明市>直営の平生学習施設である図書館との連携を重視したため。
両市の共通点
・ 政府セクターの中で、市庁職員たちはあまり積極的な役割を果たしていない。
・ 「平生学習都市選定事業」など中央レベルの動きを活用し推進の原動力とした。
・ 市庁が所管する地域レベルの平生学習施設との連絡・協力体制の確立が課題。例えば住民自治センター(住民自治課所管)や福祉館(社会福祉課所管)など。
・ 教育庁が所管する学校との連絡・協力体制の確立が課題。
光明市平生学習院 主要事業(図)略
光明地域通貨推進協議会 ↑ 光明教育パートナーシップ
(政策開発研究センター)(市民教育支援センター)
(学習サークル支援センター)(平生教育情報センター)
付録2
富川市平生学習条例制定と富川市平生学習センター設立の過程 …(略)…
参考文献
・ 金侖貞「地域平生教育の発展と課題に関する一考察−『平生学習都市事業』を中心として」日本社会教育学会『日本社会教育学会紀要2005年度41』2005年
・ 和田春樹、石坂浩一編『岩波小辞典 現代韓国・朝鮮』岩波書店、2002年
・教育人的資源部・韓国教育開発院『平生教育白書2002(第6号)』2002年
・キム・ギヒョン「平生学習まちづくりと学習共同体の形成」富川市庁・富川教育庁『第1回富川市平生教育シンポジウム−富川学習共同体を作るための地域社会の役割と課題』2003年11月4日
・金信一「変化する教育と学習生活」金宗西、黄宗健、金信一、韓崇煕『平生教育概論』教育科学社、2001年
・金銀美『韓国地域政治の変化と地域運動の制度化』1999年度梨花女子大学校社会学科博士学位論文、2000年
・金宗西「平生教育の概念」金宗西、黄宗建、金信一、韓崇煕編『平生教育概論』教育科学社、2001年
・白銑基「平生学習と民主市民教育に付け加える幾つかの提言−民主市民教育の内容的側面を中心として」富川市庁・富川教育庁『第1回富川市平生教育シンポジウム−富川学習共同体を作るための地域社会の役割と課題』2003年11月4日
・富川市平生学習センター『「私は明日のために平生学習しに行きます!」富川市民のための平生学習道案内』2005年
・ソン・ギソン「民主市民を育てる地域社会共同体の役割と課題」富川市庁・富川教育庁『第1回富川市平生教育シンポジウム−富川学習共同体を作るための地域社会の役割と課題』2003年11月4日
・李煕洙「平生教育支援体制の診断と方向」韓国平生教育学会『2003年度韓国平生教育学会春季学術大会−韓国平生教育制度の診断と方向』、2003年5月31日
・林承彬『行政とNGO間のネットワーク構築に関する研究』韓国行政研究院、1999年
・林亥圭「富川市民社会教育のルーツを探して」2001年
・林亥圭『都市の微笑み、都市の希望』図書出版長白、2002年
・韓国教育開発院平生学習センター『地域革新の成功的実行のための平生学習都市マニュアル』韓国教育開発院、2005年
・黄宗建『韓国の社会教育』教育科学社、1982年
・洪叔希「学習都市・学習フェスティバルを通じた地域の学習文化発展」韓国教育開発院平生教育センター『2004年第3次平生教育フォーラム−地域学習力向上、平生教育が解法だ』2004年9月9日
付録3
富川市庁と市民社会の関係悪化と「緑の富川21実践協議会第5次定期総会」…(略)…
(2003年11月〜2004年2月)
参考文献
・白銑基「持続可能な富川市に向けた<緑の富川21>を成果的に結束し、環境憲章を制定しよう!!」緑の富川21実践協議会『緑の富川づくり21』第11号、2004年5月
・富川市民聯合「元恵榮市長の中途辞退にあたっての富川市民聯合声明」2003年12月26日
・チョン・ジェグォン「与権の不和・改革混線、惨敗を自ら招く」『ハンギョレ』ハンギョレ新聞社、2004年6月7日
・イ・ヨンジン「『富川映画祭ボイコットすることもできる』監督と俳優たち、キム・ホンジュン委員長解嘱案上程に集団反対決議」『シネ21』485、ハンギョレ新聞社、2005年1月11日
・イ・ハヨン「ウォン・ヘヨン市長民主党脱党〜ウリ党創党準備委員会中央委員に被選」『富川日報』2003年10月27日
・イ・ハヨン「富川公職者43%がNGO『否定的』〜『NGOは公益より団体利益を代弁する』」『富川日報』2004年3月4日
・イ・ハヨン「パワーインタビュー〜ウォン・ヘヨン国会議員」『富川日報』2004年9月21日
付録4 富川市民教育センター
「民官がパートナーシップを発揮している富川の平生学習都市事業の核心」
といわれた平生学習センターと市民団体の関係も変化してきている。2004年9月9〜11日に富川市庁と富川教育庁の主催で「第1回富川市平生学習フェスティバル」が開催されたが、富川市民聯合や富川経済正義実践市民聯合などの市民団体は無視された形になった。緑の富川21実践協議会に至っては、要請に応じて資料を提出したにも関わらず展示されなかった
。こうした情勢の変化に対応して、富川市民聯合は付設機関「社団法人富川市民教育センター」を設立することとし、2004年11月3日に創立総会を開催した。同センターは、「民主社会を先導する市民的資質を開発・育成することで、民主的社会統合と共同体的文化形成に寄与することを目的とする」
ものである。行政に協力を求めるだけでなく、市民社会が自らあるべき平生教育を掲げてネットワーク化に乗り出したといえる。ペク・ソンギは「性的少数者や撤去民などの少数者問題」や「民族和解と統一」などこれまで市民社会団体が積極的に取り上げてきたテーマを挙げて、こうした学習活動に「平生教育の市民権を付与」し、「平生学習運動を大衆教育運動へ」と繰り広げていくことを主張している
。
第二に、多文化共生の地域社会を作っていくための社会教育実践が必要であることと、これらを土台にして子どもの権利など人権社会づくりへと広がっていくものであるという問題意識が共有されてきている。1970年代に始まる民族差別撤廃をめざす地域運動の結果、川崎市は「多文化共生社会」を「国籍や民族、文化の違いを豊かさとして生かし、すべての人が互いに認め合い、人権が尊重され、自立した市民として共に暮らすことができる」社会と規定し市政の基本目標としている。また「外国籍の住民は地域社会を構成するかけがえのない一員」と考え、1996年の外国人市民代表者会議条例の制定以来「外国人市民」という言葉を使用している
。
ペク・ソンギは社会の変化から平生教育に求められている価値として「人間と自然の共生(相生)」と「多文化共生」の二つを掲げる。特に後者については「外国人労働者」から「移住労働者」または「外国人市民」へと意識を転換することが必要であり、そのために平生教育のテーマとして「外国人市民の人権問題」を積極的に取り上げるべきと主張している 。さらに富川外国人労働者の家のチェ・ヒョンジャ事務局長は自治体に外国人市民代表者会議を設置することを提案 している。
参考文献
・ 川崎市『川崎市多文化共生社会推進指針−共に生きる地域社会をめざして』川崎市市民局人権・男女共同参画室、2005年
・金範龍「外国人移住労働者と共に生きる富川市民」富川外国人労働者の家『私たちの暮らし』2004年夏号
・白銑基「平生学習と民主市民教育に付け加える幾つかの提言−民主市民教育の内容的側面を中心として」富川市庁・富川教育庁『第1回富川市平生教育シンポジウム−富川学習共同体を作るための地域社会の役割と課題』2003年11月4日
・富川市民聯合「富川市民教育センター設立準備のための招請講演会『市民教育の事例と課題』」2004年9月21日
・崔賢子「京畿西部地域外国人移住労働者の実態及び政策提案」緑の富川21実践協議会・京畿西部圏域7箇地方議題『京畿西部圏域居住移住労働者の実態調査を中心として』2004年11月23日
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